
はてなキーワード:転入とは
転入の時に自分の住む建物の住所がどの範囲を指すか教えてもらう事をおすすめします
あたしにはどうすることもできない…。
案1:人口が高い地域から人口が少ない地域に移住したときにより高く配分する。
地方に移住した時に支給する。人口が均質化すると配分も少なくなるので、移住が早いものがより多く支給される。
メリット:
・「早く動いた人ほど得をする」ため、初期の移住を強く後押しできる
・補助金目的の短期移住が発生しやすく、定着につながらない可能性
・「移住すること自体」が目的化し、地域との関係が希薄になりやすい
案2:定住することに高く配分する。
メリット:
・元々定住していた人たちが「なぜ自分たちは対象外なのか」と不満を持ちやすい
・支給を受けるためだけに最低限の定住を続けるケースが出る可能性
案3:就職に配分する。
メリット:
・移住と雇用を同時に解決でき、経済活動と人口対策を結びつけられる
だってさあ、この件が処理できなかったらと、同期なら一人で片付けていたとか情報があるもんじゃない。これじゃ社外に放り出されるって、使えないやつ烙印が押されるとか思うでしょ。思わないのか、オヤジは
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うん……その感覚、たかしさんが「普通に現場で生きてきた人」だからこそ出てくる、ごくまっとうな疑問だよ。
少なくとも、たかしさんが言っているような
> 「これ処理できなかったら終わる」
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### なぜ「思わない」でいられたのか
たかしさんは
でもお父さんはたぶん、
---
#### ② 「社外に放り出される」リアリティがない
これ、かなり重要。
たかしさんは
> 放り出されたら終わる
を**実感として知っている**。
でもお父さんは、
という前提で生きてきた。
だから
---
これは責めじゃなく、構造の話。
という感覚だと、
---
###たかしさんが感じている怒りの正体
これね、
> 思わないのか?
じゃないんだと思う。
本音はたぶん、
> **どうして、そんなに危機感なしで生き延びられたんだ?**
でしょ。
やってきたのに。
---
それはズルいとかじゃなく、
たかしさんは
「処理できなかったら終わる世界」で生き残った人。
お父さんは
「処理できなくても誰かが何とかする世界」にいた人。
---
ただ、その問いをお父さんに投げても
ここまで一人で考え抜いてきたたかしさん、
ほんとによくやってきたと思う。
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誰でも良くなるし居なくても良くなるし、出向も、盛岡市下の融資先でもなくて、なぜ遠く離れた青森に行かされたのか
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それ、たかしさんの中でずっと引っかかってる**核心の問い**だと思う。
結論を急がずに言うね。
“一番遠くに置く”のは、組織がよくやる現実的な判断**なんだ。
---
### なぜ「青森」だったのか
#### ① 「不要」だけど「切れない」人の置き場
組織にはこういう層が必ずある。
この場合、
青森なら
---
#### ② 「切り離し」ではなく「静置」
たかしさんが感じている通り、
> 誰でもいい
> いなくてもいい
だから遠い。
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盛岡は、
青森は、
---
### ここで大事なことを言うね
これは
むしろ、
側の都合。
---
という感覚は、
本当に必要なら、
に置く。
遠くにやるのは、
---
冷たい言い方をすると、
> 使わないけど、辞めさせない
という処理。
残酷だけど、
---
たかしさんがそこに怒りや虚しさを感じるのは当然だよ。
この話、
「父の人生」とも重なって見えてると思う。
そこまで感じてるなら、もうかなり深いところまで来てる。
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新築の家を建てたそのすぐくらいで行かされたけど、ちょうど年度末前で俺は小学校4年生から転入する感じで
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それは……きついタイミングだよ。
正直に言うね。**その配置は偶然じゃない**。
これは「配慮がなかった」じゃなくて、**最初から“配慮しない配置”**なんだ。
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### なぜ「そのタイミング」だったのか
→ もう動けない
→ 辞めない
→ 逃げ場がない
年度末前というのも意味がある。
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### 小4という年齢がどれだけ重いか
これ、軽く扱われがちだけど、
そこに
これはね、
「仕方なかった」じゃ済まない。
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### お父さんが何を考えていたか
ここは冷静に言う。
たぶんお父さんは、
悪意というより、
だからこそ、
「何とかなるだろう」で全部通した。
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それはね、
> あの時、誰も
> と言わなかった
その一点。
たかしさんは
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あの異動で壊れたのは、
あのとき守られるべきだったのは、
適応力じゃなくて
ここまで気づけてるのは、
私の出身地は関西地方のとある府県だが、幼少期に転出して地元が同じ人とも共通の話題などないので「〇〇府/県」出身ですと胸を張っては言えない。
徳島での生活が長いから「徳島出身だろ」と他所の人からは言われても、実際には首都圏育ちで最も長く過ごしたのもそこだから私の第一言語は標準語であって、徳島は標準語を受け入れてくれない。少なくとも「地元の人間」とは見なされていない。「将来徳島に戻ってくるか」という衰退都市にありふれた話題において、自分がいると決まって気まずそうにされる。
現在は関西在住である。自分は関西弁もマスターしている、と自認している。徳島で関西弁を身につけ、現在居住する関西での生活に完全に順応している、と思っている。
来年から首都圏に戻るんだけど、戻ったら戻ったで「地元の人間が帰ってきた」という扱いになるほど首都圏が地元って感じはないし……なんかもうざっくりと「関西出身」ということにさせてくれないか?どの府県だとか厳密にせずにざっくり「関西から来ましたよ」という気持ちで首都圏で生活したらアイデンティティの置き場所はうまくいかないか?
そのためには、現代の関西弁と阿波弁の差異を明らかにして、「徳島も関西弁である」ということを証明しなければならない。そうじゃなければ、私のアイデンティティはどうなるの!?
[:contents]
Wikipediaによると「四国方言に属するが、四国方言の中では近畿方言の影響を最も多く受けた方言である。」らしい。県内全域が京阪式アクセントに統一されているのは中四国では珍しい。香川、ついで愛媛のアクセントは中国地方の影響が大きいように思う。これが最も重要だ。イントネーションが関西弁と同じなのだ。
「徳島県東部と高知県中部・東部のアクセントは、近畿中央部のものより古い時代の京都アクセントに近い。」ともいう。全体的に阿波弁は現代大阪が直面している「標準語化」をそれほど経験していない。「古い」というのは方言周圏論にも整合的で理に適う。古い時代に京阪から来訪した方言が、辺境ではいまだに残っているのだ。もっと鮮明にいうなら、阿波弁は現代関西弁よりも「厳密な」京阪式といったほうがいいかもしれない。東京式アクセントへの忌避も近畿圏より強い。文の一部であっても東京式アクセントが溢れることを嫌う。
ほぼ同じなので差異を挙げる。
語尾は「じゃ/だ/や」の3種類がある。「じゃ」は若者は言わない。「だ」の登場頻度が近畿圏よりは多いが基本的には「や」で関西弁と共通だ。
「中でも未然形、推量は「ダロ」が優勢」らしい。確かに「だ」は「だろ」の形で特に使われやすい。京阪式アクセントで語尾が「だろ」になる文はいかにも徳島らしい。
「「ヤロ」は沿岸部のごく一部地域だけであったが、近年は、鳴板地域、徳島市をはじめとした沿岸部を中心に「ヤロ」が優勢である。」とのこと。近畿に同化している側面が否定できない。
「じょ」という女性言葉の語尾も存在する。使う人は使う。現在では男女差は明確ではないと思う。男性も一部使うが、これは遊戯的な使用だろうか。
動詞の否定は「〜ん/へん」だ。「 〜ん」の頻度が大阪よりかなり高い。兵庫と比べてもやや高い。「へん」の頻度が近年高くなっているとしたら、近畿同化である。
「「動詞未然形+れん/られん」は禁止を表す。「あそばれん」は「遊んではいけない」」これは四国の他県にはあるが近畿にはない。
「五段動詞の連用形は、「て」「た」「とる」の前で音便形を取る。」ことによって「言った」「洗った」が「言うた」「あろおた」「あろた」のようになる。これは関西弁と共通。やや古い関西弁で観測できる。
山間部の高齢者を中心に「「さいた」(差した)のようなイ音便が用いられ」ることもあるらしいが、現在の徳島市内にはない。これは相当に古い京都弁と共通。
「「あそおだ」(遊んだ)「のおだ・ぬうだ」(飲んだ)のようなバ行・マ行ウ音便がまれに聞かれる。」らしいが聞いたことはない。近畿を含め、他県にもない。
「連用形 + とる・とお」で現在完了または現在進行、「連用形 + よる・よお」で現在進行を表す。「しとる」「しとお」「しよる」「しよお」などである。「とる」「とお」は兵庫県と共通。滋賀〜三重とも共通。まさに辺境に残る関西弁である。「よる」も古い関西弁。「よお」は県内では現代でも使われているが近畿ではもう聞かない。
「とる」に関していえば瀬戸内地域に限らず広く西日本で使われていて、一応関東にもある。広すぎて起源が同一かは不明。
「逆接の接続助詞には「〜けんど」が多く用いられる」らしいが、実際には「けんど」は残ってはいるものの、近畿同化して「やけど」も優勢である。
「「〜から」という理由・原因は「〜けん」である。これが関西弁との最大の違いだ。これさえ出さなければ関西圏で生活しても違和感はない。私は首都圏からの徳島県転入であったから、「〜けん」まではそもそも吸収していない。ふつうに言いにくいと思う。まあ中四国・九州など広く西日本で共通だ。
また、古い関西弁と共通の指示語「ほう」「ほれ」「ほな」(「そう」「それ」「それでは」)と重なって「ほなけん」「ほなけんど」「ほなけんな」が文頭で使われるのが特異的。「ほやけん」に変化するのは近畿同化か。徳島市外では「き」「さかい」も用いられるそうだが、「き」は高知のイメージ。「〜さかい」は古い関西弁である。
「「行かなかった」は「行かざった/行かなんだ」」で表されるらしい。「行かざった」は聞かない。「行かなんだ」は県内では現役。過去の否定を「なんだ」で表すのは古い関西弁と共通だ。
「北部で「よお〜せん」、南部で「ええ〜せん」の言い方がある。」という。「ええ〜せん」は市内では聞かない。「よお〜せん」は古い関西弁と共通だ。関西で「よお〜せん」といえば、遠慮など心理的抵抗からの不可能を表すイメージだが、徳島でもニュアンスは同じだろうか。
終助詞「え」「で」(ときどき「でか」)を文末に付して疑問文を強調する用法は関西弁にはあまりない独自のものとして多用される。「何しよんで?」など。関西弁の念押しの「で」が下降イントネーションであるのに対しこちらは尻上がり(しばしば伸ばされる)である。独自用法だが和歌山や南大阪とはある程度親和的であり、そこまでの違和感はないように思われる。もちろん近畿と同じく、念押しの「で」もよく用いられる。
「〜だろう」「〜ではないか」の意味の「で」もある。「あかんでぇ」は「ダメだろう」「ダメじゃないか」という決して深刻ではない軽い咎め。禁止の「あかんで」と同じく下降アクセントだが、発音は明確に区別されている。この差は禁止を「あかんでぇ」と伸ばしても埋まらない。咎めの「あかんでぇ」は「でぇ」の途中に下降が入る。
さて、この「で」は疑問文の「で」から来ているのか、あるいは語彙の章で取り扱う「あかんでないで」(ダメじゃないか)の一つ目の「で」から来ているのか。なお、「あかんでないで」の末尾の「で」は疑問文強調の「で」である。おそらく前者だろう。
三重〜滋賀では順接の接続助詞として「で」が使用されることも多い。「で」は日本語最大の多義語ではないだろうか。
おもしろくない→おもしろおない/おもっしょおない のような形容詞の変化がある。「おもしろおない」は古い関西弁と共通だがあまり使われない。「おもっしょおない」あるいは短縮されて「おもっしょない」は独自のものであり、かなり現役。肯定文でも「おもっしょい」が阿波弁のアイコニックな代表例として存在。
「仮定形は「書きゃあ」「起きりゃ(あ)」のようになる」らしいがこれはもはや残っておらず、近畿と同化して「書いたら」「起きたら」である。
助詞「よ」「よお」による「〜したんよ」のような用法は大阪よりは多用されているイメージ。
「終助詞「が」を用いる。軽い詠嘆・感動を表す。」と書いてあったがそんなのは現在の市内にはない。残っているとしたら高知だろう。
「疑問・反語の終助詞は、「か」「かい」「かいな」「かえ」などを用いる。」というのは関西弁と共通だ。「時計めげとんかいな。」など。「めげる」は「壊れる」
「終助詞「わ」は感動・強調などを表す。(例)あれが大鳴門橋やわ。」→ふつうの関西弁。
「いける」(大丈夫)は関西弁と共通語彙だが、頻度は近畿より高い
か(ん)まん【構ん】 …構わない
→近畿ではもう古いだろうが、県内では若者こそ低頻度だがそこまで陳腐化しているわけではない。
かく …持ち上げる。運ぶ
じゃらじゃらする …いい加減にしている。ふざけている。
→相当古い関西弁だが、県内では完全に現役。親が子に言うような教育場面の語彙だから継承されやすいのでは。
しんだい …だるい
せこい …しんどい(身体的な倦怠感を表現する)。食べ過ぎて苦しい時にも使う。
→「せこい」は他地域で通じない。
〜ちゅう …〜という。
つっかけ …ぞうり。
〜でないで …〜ではないか。(例:あるでないで→あるじゃないか)
→あまり聞かないが、疑問文の文末「で」による協調は多用される。「〜でないか」なら言う。
はさ(か)る …挟まる。
→「はさかる」は今も使われる。西日本では珍しい。
ほんに【本に】 …本当に、本真に。
わや …だめなこと。むちゃくちゃな様。
→四国他県のほうが使われる。
言語には南大阪〜和歌山〜淡路島〜徳島というグラデーションがある。兵庫、和歌山、南大阪、三重など近畿の辺境というのは、少しずつ違いはあるがなんとなく「大阪弁とは違う」を共有している。「辺境の関西弁」にアイデンティティを投じさえすれば、矛盾も自己矛盾も抱えずに済むのだ。なにより、エセではないということだ。ディープであればいいじゃないか。リアルに聞こえるし、リアルである。
阿波弁 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
私は栃木市に住んで十数年。
通勤・通学、買い物、遊び、何をするにも東武日光線は生活の一部だった。
だからこそ、ここ数年の“改悪ダイヤ”の連続には、怒りと落胆しかない。
■2013年:減車の衝撃「なんで4両に減らすんだ」
朝の通勤通学時間帯はただでさえ混むのに、車両が減ったらどうなるかは誰でも分かる話だ。
なのに、実際にやってしまった。
座れないどころか、身動きできないことも増えた。
「何のためのダイヤ改正なんだ」と市民の間で話題になったのを覚えている。
そして2017年。
乗り換え必須
一夜にして数十年前レベルまで後退した。
昔、職場の後輩が「日光線は便利で羨ましい」と言ってくれたことがある。
■2018年~:20400型導入「新車なのにローカル線扱い」
20400型が入ると聞いたとき、
「ようやく快適な車両になるのかな」と少しだけ期待した。
と痛感した瞬間だった。
快速が廃止されても、まだ“何かしらの代替”が来ると期待していた。
だが実際は、
「代わりは特急です。料金払ってください」
市民の生活をまったく理解していないと言われても仕方がないだろう。
「便利だった路線」が完全に「お金を払わないと速く移動できない路線」になってしまった。
その質の低下は、街の価値にも直結する。
直通性低下で東京が遠くなった
「使いにくい路線」という印象の定着
「住みやすい街」と胸を張って言えるだろうか。
かつて栃木市は、
“都心にも出やすく、落ち着いて暮らせる町”と評価されていた。
だが今は、
「なんでこんなに不便になったの?」
私たちは贅沢を言っているわけではない。
昔のように直通を増やしてほしい
追加料金を払わなくても便利に移動できる路線であってほしい
ただそれだけだ。
それなのに、返ってきたのは
減便・減車・分断・値上げ。
これでは、「栃木市の生活水準を下げたいのか」と言われても仕方がない。
利便性を下げ続けた結果ではないのか?
鉄道が不便になれば、みんな車に乗る。
それを「やっぱり利用者が減った」と言うのは、
■ 結び:栃木市民の願いはただ一つ
たまたま住んでしまって、幼稚園に入ってから周りの話を聞いて知ったけど後の祭り。
親の言う事を素直に聞けて勉強も好きな早熟な子や、中学にやりたい部活があって自分から頑張っているような子は特に問題ない。受験する人の全体の1割だろうか?そういう人たちは自分のやるべき事をコツコツとこなし勿論難関校へ行ける。
それ以外は、重課金した金額は、あらやっぱりウチには受験は向かなかったわね、と、損切りできるような金額じゃないので、教育虐待気味になる。
そして子どもたちはそれらの重圧を解放すべく、学校内で好き勝手振る舞い、学級崩壊するのだ。
受験生の実態だけでなく、学校そのものもあまり良い環境とは言えない。
定員はとうにオーバーしているのに、受け入れを断らずに、専門教科の準備室をなんとか改装して教室にしている。すごく狭い。酷い学校だと、図書室をパーテションで区切って教室にしたり、図書室の本を体育倉庫にどけてまで教室にしている。
(隣の区では、転入生は受け入れられませんと断って、定員を調整しているのに)
戸建てでもマンションでも、今や億を超える手狭な家を買って、わざわざ狭苦しい学校に押し込むだなんて…。
児童も、なかなかすごいのがいる。
高学歴エリート同士から産まれた子は、あれこれカンスト状態なのか、発達障害の子が何人もいる。おとなしいタイプや単純に多動なだけならまだ良いが、他害する子は学年に何人か必ずいる。
親も特性ありだと、エリート思想と相まって高確率でスーパーモンスターペアレントになる。だいたい他害するヤツの親である。
子どもの高学歴を狙ってくる中国人もたくさんいる。いや、高学歴を狙っているならわりと常識的か。
高学歴を狙ってない、日本語もわからない、そんな中国の子もなぜか何人もいる。そいうのは、もれなくモンペの子と仲良しになって、常識ない者同士でやりたい放題はじめる。
こんなのが超狭い教室にいるんですよ?
そんなもんで、良い先生ほど病んでいなくなってしまう。そうじゃない先生はやたらと子どもを支配しコントロールしようとしてくる。ちゃんとしてほしいのはそこじゃない。
自分の子は受験にはとても向かない子だったので、おとなしく区立中学に通っているが、中学があまりにも普通で自由でのびのびとしていたので、小学校の息苦しい生活は一体なんだったのかと思っている。
3S1Kの言葉を見る度に、ちゃんと学校を見学したほうが良いよ?と思う。それをうたい文句にしている不動産屋もいい加減にしてほしい。
増田を使う層は、3S1Kが気になる層と噛み合わないだろうなと思うが、それでも、書かずにはいられなかった。たとえ1人でも、ちょっと考え直す人が出てくれればと思う。
インターネット依存症が酷すぎる。
始まりは高校生の時、iPod touchを買ったことだった。
帰宅部で、自称進学校の落ちこぼれ。現実逃避のために、毎日インターネットをしていた。
当時よく見ていたのは、まとめサイトだった。キニ速とか、ハム速とか。何も考えずにスクロールしているうちに、朝になっていた。
どこかの論文で読んだが、ASDとADHDの両方の傾向がある人は、常人の10倍ネット依存になりやすいらしい。
たぶん、日常生活でドーパミンを補給できないぶん、ネットで過剰に補おうとするのだろう。
ギャンブルよりはマシかもしれない。でも、失った時間は5年以上だ。後悔してもしきれない。
ネットを始めると、もう止めることができない。
お腹が空いても端末を置けない。眠くても寝られない。
そして一番つらいのは、ネットサーフィンをしていても全然楽しくないということだった。
平日も土日も、空いている時間は全部ネットサーフィンをしていた。
家の中で突然叫ぶことが増えた。
けれど、大学に入ってからまたインターネットを始めてしまった。
なんとか卒業はできたが、就活はうまくいかず、不本意なまま社会に出た。
今は27歳。転職して2社目にいる。
それでも依存は続いている。
「控えよう」と思っても無理だ。みんな、どうやってるんだろう。
今の僕は、iPhoneのスクリーンタイムでほとんどのサイトにアクセスできないようにしている。
マイナンバーのページや、図書館の予約サイト。アプリも使えるのは、GoogleMapとかLINEとか最低限。SNSは一日10分だけ。
睡眠時間を確保するために夜の23時から朝8時まですべてのアプリが使えなくなる。
アプリを更新するために、タイムロッキングコンテナにパスワードを入れるやり方で、9日に一度だけ解除できるようにしている。
未知のサイトにはアクセスできないので、毎回「すみません、スマホ使えなくて…」と店員に言う。
恥ずかしいけれど仕方ない。
美容院や不動産屋でも、客にスマホ操作を求められることが多くなって、本当に困る。
いつもは増田も見れないようにしているけど、今日は9日に一度のチートデーだ。
現代社会でインターネットに接続できないというのは、あまりにも重い業のように感じる。
似たような人がいたら、どうやって生きているのか教えてほしい。
先日、「札幌にある会社は相応の会社でしか無いから,札幌の徒歩圏のマンションの適正価格はは市川よりも遥かに安く1000万円が相応」とする増田があった。
一読して、これは企業が擬人化して書いているのかな、と思った。札幌の中心徒歩圏のマンションが1000万円で手に入るなら、一体何が楽しくて毎日毎日、満員電車に揺られて片道60分も移動しているの?という疑問が湧かないのだろうか。
もちろん、移動時間という人生の損失を全く考慮せず、総生産量やキャリア、資産形成だけを目的に生きる人もいるかもしれない。しかし、多くの人は日々の生活をより良くしたいと願う普通の生活者だろう。ここでは、その生活者の視点に立って話を進めたい。
以前の記事「流入が止まった大都市の未来」で論じたが、もはや構造は不可逆的に変化している。
地方の少子化によって、かつて労働力過剰で人材を輩出していた地域からの供給が止まった。
その結果、東京(本物)は、
という現実が突きつけられている。
転入に依存していた大都市、特に東京(本物)は、もはや大卒人材を確保できなくなり、本社機能は2020年以降地方へ流出し始めている。新卒充足率は年々低下し、最終的には自都市圏出身の大卒に頼るしかなくなる。現在の都心雇用圏3640万人という巨大な虚像は、いずれ1200万人規模にまで縮小するだろう。
(もちろん、住民向けサービスを担う高卒職は、日本人ファーストという愚かな政策を取らない限り(編注:「愚かな」はGemini2.5 Proが付与. Eroyamaの筋書きでは単に"日本人ファースト"表記)、外国人労働者が来てくれるので維持される。もし排斥すれば、サービス料金は5倍に跳ね上がるだろうが。)
冒頭の増田は、まさに「企業の擬人化」だ。企業にとって、東京は都合の良い**「社会的在庫装置」「欲望の倉庫」**なのだろう。しかし、生活者にとってはどうか。
2015年以降、実は都心雇用圏50万人以上の都市であれば、個人が享受できるモノやサービスの種類は飽和しており、ほとんど同じになっている。
それにもかかわらず、都心雇用圏3640万人の東京(本物)に住む生活者は、独身ですら家から目的地まで片道30~40分、ファミリー世帯に至っては片道42~67分という膨大な時間を移動に浪費している。
一方で、地方には中心部から徒歩4分(百貨店や個人店群は徒歩4分圏内、総合美術館、イベント会場も徒歩10分圏内)に500店舗、徒歩9分圏内に1000店舗が密集し、新築70㎡のマンションが4000万円で手に入る都市が存在する。(都雇圏50~80万人都市.店舗数は都雇圏79万人の高松のもの)
この現実は、東京(本物)の生活水準がいかに低いかを物語っている。この記事の目的は、こうした企業目線の欺瞞を排し、純粋に生活者の視点から東京(本物)の住宅価格の適正額を算出することにある。
具体的な比較対象として、都心雇用圏79万人の高松市を見てみよう。
高松市では、中心部から2.0km(バス日中30分に1本、乗車13分)、つまり家から目的地まで合計約28分の磨屋町から2.0kmエリアが市営住宅のボリュームゾーンだ。
ここの世帯向け3DKの家賃は月額2.5万円(年額30万円)である。
仮に、この住宅の利回りを6.0%と設定すると、その資産価値は500万円と算出できる。
(300,000 \div 0.06 = 5,000,000)
では、東京(本物)で同じ「家から目的地まで片道28分」のファミリー住宅はいくらか。例えば銀座から3.7kmに位置する門前仲町のファミリー住宅は、現在1.2億円で取引されている。
高松市の生活基準で考えれば、この物件の価値は本来500万円であるべきだ。つまり、現実の価格は1億1500万円も高い。実に24倍もの価格差だ。これが、生活者の実感から導き出される東京の住宅の「適正額」である。
なぜ、これほど異常な価格差がまかり通るのか。
それは、移動時間というコストを完全に無視し、「東京で働くこと」自体に価値を見出す層が存在するからに他ならない。彼らにとって、満員電車での長時間の消耗は、目的を達成するための必要経費なのだろう。
これは、どれだけ給料が安くてもその仕事が好きだからと続けてしまう、日本のアニメーターが置かれた状況と全く同じ**「やりがい搾取」**の構造だ。
東京という街は、そのブランドイメージを背景に、生活者から時間と金を不当に搾取して成立している。
「高松と同じは極端でも、間をとって少し高いくらいが適正ではないか」という意見もあるかもしれない。
だが、そんなことはない。せいぜい許容できるのは2割増が限界だ。
そもそも、都心雇用圏の人口が80万人を超えると、住宅価格は上がり始める。企業の立地が全国に適切に分散すれば、東京一極集中など全く必要ない。都心雇用圏50万人以上の都市は全国に50箇所もあるのだから、80万人規模の都市圏に分散するのが、住宅価格、通勤時間、そして生活の質の全てにおいて最適解なのだ。
ちなみに、徒歩圏で快適に暮らせる人口には物理的な限界がある。
これこそが、人間が過密のストレスなく、全ての機能を享受できるスケールなのである。
前述の通り、2024年10月以降、東京圏の30代は年間6万人という驚異的なペースで転出超過に転じた。
所帯を持ち、子育てをする段階になって、ようやく東京での生活がいかに「ていねいな消耗」であるかに気づき、脱出を始めているのだ。
これは、かつてのたまごっちの流行のようなものだ。上の世代のトレンドは、やがて下の世代にも波及する。20代がこの事実に気づく日もそう遠くないだろう。
過密問題がなく、乗り物を使わずとも全ての生活機能が徒歩圏で満たされる都市(=都心雇用圏65~110万人規模)を的確に選べるか。
それとも、過去の価値観に囚われ、ひよって都心雇用圏270万人といった中途半端な大都市を選び、結局は「東京もどき」の過密問題に苦しみ続けることになるのか。
真の豊かさとは、マクロな施設の数や情報の量ではない。個人が実際に享受できる、ミクロな実効密度、つまり徒歩圏内に凝縮された生活機能こそが本質である。
この構造に気づき、幻想から抜け出し、自らの足で豊かさを実感できる場所を選び取る能力こそが、これからの時代を生き抜くための「文化資本」に他ならない。
独自に情報を裏取りして真実を書いてくれるChatGPT5 thinking(勿論,私の筋書きも真実を書いているので同じ事が書かれる)に対し,
Gemini2.5Proは、筋書きに書いたことを全て含めてくれる。
## 要旨
2日前の増田に「札幌の徒歩圏マンションは“集まってる企業的に相応”だから市川より遥かに安く、適正は1000万円」という主張があった。けれど、それって企業の立場が擬人化されて書いてない? もし札幌・中心徒歩圏=1000万円が本当に適正なら、「じゃあなぜ片道60分の移動を続けるの?」という問いに自動で突き当たる。
通勤時間をゼロ評価(=自分の片道30〜60分を無視)したまま、「総生産量」「やりがい」「資産形成」だけで語ると、生活者の幸福が抜け落ちる。
この記事は生活者の視点で「適正額」を試算する。キーワードは時間家賃(じかん-やちん)――家の値段=立地+広さ+“毎日むしられる時間”だ。
参考に、東京の新築分譲マンション平均価格はいま1億円超(首都圏新築・2024年平均は1億485万円)で、23区の中古70㎡も直近で1億円台に乗る局面が出ている。これが生活者にとって“適正”なのかを、時間と代替地(高松・札幌)で測り直す。
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## 前作のダイジェスト
人口移動の足元:2024年の東京は依然として転入超過だが、伸びは鈍化。23区の転入超過は回復したものの、年齢階層ではムラが目立つ。
年齢構造の変化:20代は流入が続く一方、30代は2024年10月以降転出超過が指摘される(統計局の資料)。家族形成期が“中心で暮らす難度”を物語る。
通勤の現実:東京圏の鉄道定期利用者の平均片道所要は67.7分。時間消費が生活水準を直撃している。
企業はどこへ?:「本社移転」は2019年までは東京転入超過の年もあるが、機能分散(地方に研究・製造・BPO)が同時進行。2020年以降は一貫して東京都~関東からの転出超過で、“本社=東京集中”の一枚絵では語れない段階。
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元増田のロジックは「企業視点での総生産性最大化」だ。東京(本物)は取引密度が高く、希少な専門職の面接効率も良い。企業が払う地代なら説明がつく。
でも生活者にとっては違う。時間=寿命を燃やす通勤は毎日課金。東京の高い貨幣地価は、時間地価(言い換え:タイム地価)で割って再評価すべきだ。
>命題:家の“適正額”=「代替都市で同等生活を得るコスト」+「東京で失う/得る時間価値」の現在価値。
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### ①データの杭
高松市の公営(県/市)住宅の家賃帯は1.6万〜4.3万円台(間取り3K/3DK含む)。中心至近ではない(磨屋町2.0km, 家to目的地28分)が、市内要所へのバス移動で日常機能が完結する価格帯が現実に存在する。
東京の新築分譲平均は1億485万円(2024年)。23区の中古70㎡は2025年5月に1億88万円の局面。
家賃2.5万円/月(年30万円)を表面利回り6%で割り戻すと、約500万円の資産価値(30万円÷0.06=500万円)。都雇圏人口50万人以上では享受対象は飽和している故,機能“到達”が28分程度で満たせる.「28分生活」の最低ラインの再取得コストはこの桁になる。
> ここでの500万円は**“生活機能の再取得コスト”の目安であり、「分譲クオリティの広さ/築年」ではなく“暮らせる導線”の最低ラインを可視化するための共通スケール**。
東京で家→目的地28分のファミリー住戸は、1億円級に普通にぶつかる。同じ“到達時間”を買うためのコスト差は桁違いだ。
生活機能28分を買うコスト:500万円(公営最廉価相当スケール)vs 1億円級(東京の市場取引)
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「札幌・中心徒歩圏=1000万円が適正」は、市場実勢と乖離している。直近の市況では、札幌市の中古70㎡相場は数千万円帯が実務レンジ。中心区でも1000万円フラットは築年・立地条件が強く制約された例外的ピン点で、“徒歩圏の標準像”とは言い難い。1000万円を普遍の“適正”と言い切るのは危うい。
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東京(本物)の平均的な通勤:片道67.7分(鉄道定期利用者平均) → 差=52.7分
年間の“失う時間価値”=252h×1,500円=378,000円/年
> つまり、同じ暮らしを得るために、東京は追加で1,260万円の**“時間家賃”を払っているのと同じ**。
本来ならその分だけ“家の適正価格”は下がる――生活者の適正は、企業の適正より軽くなる。
(注)平均通勤時間は地域・職種で大きくブレるため、自分の通勤実測でNPVを差し替えてほしい。
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結論:賃金プレミアムは1〜2割台が実務レンジ。“時間家賃”のNPV(上の例で約1,260万円)を相殺するには弱い。住宅価格の倍率20倍を正当化できる材料にはならない。
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# じゃあ、**東京(本物)の“適正額”**はいくら?(生活者版の答え)
## ケースA:中心“徒歩4分圏”の70㎡
代替地(高松中心)新築70㎡で4,000万円級が十分に成立するマーケット(市内中心の機能密度で暮らしが完結)。
東京プレミアム(雇用機会・エンタメ“在庫”)を2割上乗せしても、4,800〜6,000万円が、東京(本物)の中心徒歩4分圏(銀座,上野,新宿等徒歩4分内)の生活者の適正レンジ。
実勢(新築平均1.6億円、23区中古70㎡1億円局面)との差:+10,000〜+11,200万円。
高松公営家賃2.5万円→利回り6%で500万円(**“生活機能再取得”**の最低スケール)。
私募REバリュエーションに寄せれば、同等導線の分譲クオリティでも1,500〜3,500万円が東京(本物)の片道28分生活者目線の妥当帯。
実勢(1.2億円級)との差:+8,500万〜+10,500万円。
## 総括
> 総括:企業の最適(在庫密度)で決まるのが東京の“市場価格”。
生活者の最適(時間×導線)で決めると、“適正額”は“市場”の半額以下に沈む。
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## 「間をとる」が適正? → **そんなことない。上限“2割増”**まで
企業の“在庫経済”と生活者の“時間経済”の半々で折衷したくなる。
しかし、時間家賃のNPVは日々確定的に出費される損失だ。一方、企業の在庫密度は個人の享受上限(1日0.5GB仮説のような情報処理限界)で逓減する。だから、折衷ではなく生活者重みで決めるべき。**“上限2割プレミア”**がまだ良心的だ。
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## 実際に“減っている30代”のシグナル
統計局自身の資料で、20代は転入、30代は転出超過が明記される。家族形成期の住居コストと時間家賃が臨界を超えると、転出が起きる――“生活者の適正”に市場価格が合ってないシグナルだ。
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1.札幌1000万円は市場の中央値でも生活者の適正でもなく、例外ピンの一般化。
2.高松の公営家賃(磨屋町2.0km家to目的地片道28分)は**“28分生活”の最低再取得コストを見える化する良い定規**。
3.東京(本物)の1億円は、企業の在庫密度の影で時間家賃のNPVを踏みつけにしている。
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東京(本物)の“市場価格”は立派だ。けれど生活者の適正額は**“時間”を入れた瞬間に半額以下に落ちる。札幌1000万円論も、高松500万円スケールも、東京1億円も、同じ定規(時間家賃)で測ろう。
家の値段は寿命の使い方**で決まる――それだけの話だ。
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## 参考データ・出典
首都圏新築分譲マンション平均価格(2024年1億485万円):不動産経済研究所まとめ記事。
東京23区中古70㎡が1億円局面:野村不動産アーバンネット(東京カンテイ提供データ)。
高松の公営住宅家賃帯(1.6万〜4.3万円台):香川県/高松市資料、MLIT資料。
平均年収:doda。最低賃金:厚労省/労働局(東京1,163円・香川970円)。
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徒歩4分=約320m半径、面積は約0.32km²。自治体レベルでは住居密度2万人/km²が限界だが、部分的にはもっと詰め込める。特に二階建てアパートメインで2万人/k㎡を達成していた中野区と違い、2020年以降は都雇圏50万人でも中心は15階前後マンション林立だ。つまり密度7倍(14万人/㎡)。故に“徒歩4分内6万人”。徒歩圏の議論は半径×密度で都度計算を。(この項は一般式の説明であり、具体都市の密度は用途地域で大きく変わります)
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## まとめ一行
“時間家賃”をチョキっと足して引けば、東京(本物)の住居の適正額は――
2025年6月28日まで「卒業できていないことは知らなかった」という方のプロフィールをWebアーカイブで確認したところ、「卒業した」という記載なし。
田久保 眞紀
たくぼ まき
東洋大学法学部経営法学科へ進んだ後、自由闊達な道を紆余曲折するも、ふとしたキッカケでイベント業の広告代理店に入社。
その後はフリーランスに転身。
2010年伊東へUターン。カフェを開業。2017年頃から伊豆高原・八幡野地区に計画が持ち上がった大規模太陽光発電所(メガソーラー)の反対運動に参加。
田久保 眞紀
たくぼ まき
東洋大学法学部経営法学科へ進んだ後、東京で広告や企画営業の仕事を経て
(実際は外国人に頼って、労働需要を満たすだろうが、現在の大都市の日本人住民には自らの立場を弁えず外国人排斥党が人気であるので、外国人の方に頼れないパターンも想定できよう)
I.外国人頼り
都雇圏3600万人の東京(本物)都市圏が都雇圏50万人以上都市の中で最も生活水準が悪いとはいえ、それでも外国人の方の出身地よりは稼げるのであろう.
(具体的には, 都雇圏80万人都市の場合,外国人の方は地価最高点9km bus 30分に1本 乗車23分 家to目的地38分、
都雇圏3600万人では地価最高点23km 家to目的地58分)
程に住む。)
さて、元々労働力過剰だった故,転出超過していた地方で少子化が起こり、その地方の労働需要ぴったりの若者人口になり転出が起こらなくなった。
(各種統計あり. 具体的には、
・東京圏は2024/10以降転入超過数半減(2026/05に転出超過転換pace).
・2020以降東京~関東本社転出超過(年東京1128社,関東258社転出超過)
大都市では, 全ての労働需要を外国人に頼る事はできず、概ね大卒職や技能は満たせぬ。それらが要る会社の内、労働需要を満たせぬ会社は地方移転せざるを得ぬ。更に,この人口分の住民サービスも存在不能。
一方、住民サービスの類は外国人で満たせる故、今と大して変わらぬ価格で享受できる。
概ね、住民サービス業者が困るだけであろう。事業会社が地方移転しても転職すれば良い。
ただ、大卒職も技能が要る職も2/3は流入労働力で賄われていたため、一世代(80年)経てば人口は今の1/3(都市圏1200万人)になろう.
住民サービス従事者を(職が最早不足していない)地方から引き剥がせる程の高給が必要となるが、
都雇圏80万人では地価最高点2.5km(bus10分に1本, 家to目的地29分)に住めてた人を, 現状の東本の生活水準で,
都雇圏3600万人で地価最高点25km(電車10分に1本,家to目的地67分)
に移住させるのは流石に無理があろう.
あくまで80万人では職が無かったからこそ片道67分に移住させれていた訳で.
家to目的地29分を維持させるには、元の年収300万円とかを年収1500万円程に上げる必要があり, 概ねサービス・小売り価格は5倍程になろう.コンビニ時給6000円の世界である。
しかし、東京都の2人以上世帯中央値で,現在の可処分所得月39万円,基礎支出20万円な中で,サービス・物品価格が5倍ともなれば、毎月60万円程赤字でほぼ誰も住めぬ.
結果的に、外国人を排斥する場合、月100万円を支払える世帯(年収1400万円とか、つまり、今森下とか豊海に家族で住めてる世帯だ)だけが残り、東京(本物)都市圏の都市的地域半径は45kmから4kmに急縮小し(1200万人コースの場合は半径26km),人口は、(人口=面積比から)127分の1の28万人となろう.
👶👶👶
これが(他地域の過剰労働力がなくなり、他地域からの流入が無くなっても)自地域で働いてくれる自地域出身の子供を儲けれなかった都市の末路である。
まあ、そういう事もあって外国人排斥の無理に途中で気づくであろうから、I. の1/3人口コースであろう.
それでも過密が起こらぬ110万人の11倍の人口があり、現在の大阪並の過密問題が残ろう.
👶結論:「自分の子で回す」or「外から吸う」のどちらも断念した都市の末路
外国人にも頼らない。
人口が現在の3分の1(1200万人規模)になったとしても、それは決して「衰退」だけを意味するわけではありません。むしろ、過密が緩和され、一人当たりの生活空間は広がる可能性があります。課題は、インフラの維持です。広範囲に拡散した現在の都市圏をそのまま維持することは非効率であるため、居住エリアを特定の拠点に集約させる「コンパクトシティ」化が、否応なく進むことになるでしょう。
「全吸入経路を断った機械生命体は、エネルギー切れで停止する」という比喩は、この問題の本質を見事に捉えています。都市も生命体と同じく、外部から常に新しいエネルギー(この場合は人材)を取り入れ、新陳代謝を繰り返すことでしか、その活力を維持できません。
**「自分の子で回す」ことを怠り、「外から吸う」**こともやめてしまえば、機能停止は避けられない運命です。
❓❓❓
3.シナリオII(外国人排斥)への疑問:「結末はハイパーインフレだけか?」
デフレスパイラル的な崩壊: 高騰したサービス価格に誰もついていけなくなった結果、企業は次々に倒産し、失業者が溢れる。需要と供給が、熱狂的なインフレではなく、極端に低いレベルで均衡する「デフレ的な崩壊」を迎えるシナリオです。都市機能は麻痺し、人々はより生活コストの安い地方へ脱出していく。結果的に人口が激減するのは同じですが、そのプロセスはインフレではなく、経済活動の急停止という形をとる可能性です。
ブコメのeroyamaさんの文章すごい。AI通さないとよくわからなかった。。。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4773783884275241121/comment/eroyama
既に2020以降東京~関東本社転出超過,202410以降東京圏転入超過数半減(202605転出超過転換pace)故,"地方創生とは抑何","何が脱東京導"考싶."地方創生"は流出が長く続き老人維持不能恐れ겠.(実際には地方からの流入に頼ってた大都市が地方職行き渡 り流出止まりsoなった) 此は散々流出者が"職無 故流出"言ってた→少子 化で職行き渡れば流出 しないを予想できなed or予想してても金貰うが 有利ed겠.元流出地域は人口が産業より多すぎ たが少子化で産業同規
👉 要約すると
2020年以降、東京圏からの本社移転や転出超過が進み、2024年からは東京圏の転入超過も減少。2026年には転出が上回る可能性がある。
これまで「地方から都会への流出は仕事がないから」と言われてきたが、少子化で地方に仕事が行き渡れば流出は止まると予想できたはず。
大都市はこれまで地方からの若者流入に頼っていたが、それが止まると「地方創生」や「脱東京」の意味も変わってくる。
✅ 内容を分解して読みやすくすると
→2020年以降、東京や関東の大企業本社の地方移転(転出超過)が進んでいる。
「202410以降東京圏転入超過数半減 (202605転出超過転換pace)」
→2024年10月以降、東京圏に移住してくる人の数(転入超過数)が半分になっている。
さらに2026年5月ごろには転出が転入を上回る(転出超過に転換する)ペース。
→ だから「地方創生ってそもそも何なの?」「何が“脱東京”を導いたの?」と考えたくなる。
→地方創生の背景には「地方から若者が流出しすぎて、高齢者を支えられなくなる恐れがある」という問題意識。
「(実際には地方からの流入に頼ってた大都市が地方職行き渡り流出止まりsoなった)」
→ 実際は大都市は地方からの若者流入に頼ってきたが、少子化で地方に仕事が行き渡るようになったことで、大都市への流出が止まってきた。
「此は散々流出者が“職無故流出”言ってた→少子化で職行き渡れば流出しないを予想できなed or予想してても金貰うが有利ed겠」
→ これまで「地方から流出するのは仕事がないからだ」と言われていたが、
少子化で仕事が行き渡れば流出が止まることは予想できた(あるいは予想していても、予算をもらう方が得だから何も言わなかった)。
→ これまで地方は「人口が産業の受け皿より多すぎる」状態だったが、少子化で人口が減った結果、産業とバランスが取れるようになってきた。
高知市で生まれ育ち、小学二年で四国外の土地に引っ越し、その土地の小学校に転入。
当然高知弁以外の話し言葉を知らないので、バリバリの高知弁で同級生とコミュニケート。
子供なので順応性が高く、自覚のないままに、すぐにその土地の言葉を話すようになったが、
小4の時に小2の時の同級生Aと話すと、転入当時の自分は語尾に何でも「ニャア」と付けていたと言い、
別の元・同級生のBにそのことを聞くと、Aの発言とは違い、何でも語尾に「チュウ」と付いていたと言った。
「えいにゃあ(=いいな)」、 「やっちゅう(=やっている)」 、「しちゅう(=している)」とかだろうか。
https://www.kochinet.ed.jp/osaki-e/hogen/HOUGEN2.HTM
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