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はてなキーワード:軍艦マーチとは

2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-05-23

俺はね、ネトウヨだけどね、パヨクとチューしました

おいおい、兄ちゃんちゃんちょっと聞いてくれよ。この俺様がな、まさかこんなことになろうとは夢にも思っちゃいなかったぜ。

普段は「チョンが!」「パヨク売国奴!」なんて威勢よく吠え散らしてる、生粋ネトウヨ俺様が、だよ?

まさか、あの忌まわしき、唾棄すべきパヨクと、その…チューしちまうなんてな。世も末だぜ、まったく。

事の発端はな、いつものようにネットで「アカ」どもを罵倒してストレス解消してた、とある日の夜だった。

近所の飲み屋で、いつものように焼き鳥と熱燗でご機嫌さんになってな。そこに、ひょろっと現れたのが、いかにも「そっち側」って雰囲気の女だったんだ。

Tシャツには変なプロテストみたいな文字が書いてあって、顔にはデモ帰りみたいな疲労感が漂ってる。見りゃわかる、ああ、コイツパヨクだなってな。

最初はな、いつも通り「お前らみたいなのが日本ダメにするんだ!」って心の中で毒づいてたんだ。

だけどな、その女が一人でしんみり飲んでる姿を見てたら、なんだか昔の女房を思い出しちまってな。

いや、決して美化してるわけじゃないぞ? ただ、なんていうかな、その…「敵」ながら、ちょっと寂しそうに見えたんだよ。

酔いも手伝ってか、気づいたら声をかけてたんだ。「おい、姉ちゃん、一人か? こんなとこで何やってんだ?」ってな。

そしたら、最初は警戒してたみたいだけど、俺のこの、渋いオヤジの魅力に抗えなかったんだろうな、話してるうちにだんだん打ち解けてきやがって。

そっからが、俺も想定外の展開だった。政治の話なんかしないでおこうと思ってたのに、あっちが「今の政権は…」なんて言い出すもんだから、こっちもついつい「いやいや、あんたらのがおかしいだろ!」って言い返してな。

そっからはもう、いつもの舌戦だよ。こっちは「憲法改正!」「スパイ防止法!」、あっちは「多様性!」「護憲!」なんてな。

だけどな、不思議なもんで、罵り合ってるうちに、妙な連帯感みたいなもんが生まれてきたんだよ。

お互い、本気で日本のことを憂いてるってのは一緒なんだなって。やり方は真逆だけどな。で、酒もガンガン入って、議論も白熱して、気づいたら二人して大笑いしてたんだ。

そんで、店を出る時だ。夜風にあたって、ちょっと頭も冷えてきた頃だったんだけど、なんだか別れるのが惜しくなっちまってな。

で、俺がポロッと「なあ、もう一杯だけ行かねえか?」って言ったんだ。そしたら、あっちも「いいですね!」なんて言ってきやがって。

二次会は、薄暗いスナックだった。カラオケなんか歌っちゃってな。

俺が「軍艦マーチ」を入れたら、あっちが「イマジン」を入れやがって、また言い合いになるかと思ったら、なんだかんだでデュエットしてんだから、世の中わかんねえもんだぜ。

で、結局、終電もなくなって、タクシーで送っていくことになったんだ。マンションの前で「じゃあな」って別れようとした時だ。

なぜだか知らねえが、急に女がこっちに顔を近づけてきやがって…そして、その…チューだよ。

最初は「うわっ!」って思ったぜ。だって、敵だぜ? この俺様が、日頃から罵倒してるパヨクとチューだなんて、悪夢かと思ったね。

でもな、なんだろうな、その時、妙に温かい気持ちになったんだよ。唇の感触とか、そんなんじゃねえ。なんていうか、人間って、イデオロギーとか関係なく、どこかで繋がれるもんなんだなって。

もちろん、次の日になれば、またネットで「アカ」どもを罵倒してるだろうさ。それは変わらねえ。俺は生粋ネトウヨからな。

だけどな、あの夜のチューだけは、なぜだか俺の心に残ってるんだ。

まあ、こんなこと、仲間には言えねえけどな。言ったら「裏切り者!」とか言われるのがオチだ。

でもよ、たまには、敵だと思ってたやつと、こんな風に人間的な触れ合いをするのも悪くねえなって思ったぜ。

人生ってのは、わからねえもんだな。

おい、あんたらも、たまには凝り固まった頭を柔らかくして、敵だと思ってたやつと、ちょっと話してみるのもいいんじゃねえか? 

しかしたら、新しい発見があるかもしれねえぜ? 

まあ、チューするかどうかは、あんた次第だけどな!

Permalink |記事への反応(2) | 12:39

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2024-12-06

日本人みんなが盛り上がるような“第二の国歌”的なの、なにがいい?

アメリカでいえば“星条旗永遠なれ”とか、イギリスなら“威風堂々”とか、イタリアならアイーダの“凱旋行進曲”、ナブッコの“行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って”、オーストリアなら“美しく青きドナウ”、“ラデツキー行進曲”みたいなの。

昔は“軍艦マーチ”とかだったんだろうけど。

宇宙戦艦ヤマトテーマ曲かいいかな?とか一瞬思ったけど、最近の人はしらんよね。

福部マーチとか?

Permalink |記事への反応(0) | 11:29

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2024-06-25

anond:20240625083600

インターナショナル単純にめちゃくちゃいい曲なんだよな

歌ってるとすごい気持ちいい

軍艦マーチも歌うとめちゃくちゃ気持ちよくなるからやっぱり軍歌ってそういうもんなんだろうな

Permalink |記事への反応(0) | 20:28

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2023-05-05

そういえば軍艦マーチってあるじゃん、あれさすがに曲調が能天気過ぎると思うんだよね

パチンコ店アレンジなん?原曲もっと落ち着いてる?それともマーチからたいして変わらないか

Permalink |記事への反応(0) | 21:18

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2022-12-23

anond:20221223020844

軍艦マーチとか歌えよ

点数がジャンジャンバリバリ入りそうで良いだろ

Permalink |記事への反応(1) | 04:33

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2022-05-08

駆け出しYoutuberは「BGM」の使いどころに気をつけてほしい

毎回100回再生いくかいかないか投稿を頑張ってる方々に言いたい。

BGMは「ここ」ってときだけに使ってほしい。

まだ動画作りに慣れてない人に多い気がするんだけど、フリー素材のBGMを延々と流し続けてる投稿をよく見かける。

しか全然内容とマッチしてない。極端な例えだけど、穏やかな道なりを散歩している最中軍艦マーチっぽいBGMをずっと流してるような、そんな感じで「なんで今そのBGMをずっと流すの?」ってほうが気になってきて動画どころじゃなくなってくる。

この前見たものなんかは内容はそこそこ面白かったのに、10秒ほどでループする(まったくのアンマッチの)BGMを30分間ずーっとかけてて途中で見るのやめてしまった。

自分が作りたいもの自分が好きなようにしたいだけなら全然いいんだけど、少しでも再生回数を意識するのであればBGMの使い方もけっこう重要な気がするよ。

Permalink |記事への反応(1) | 01:14

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2022-01-04

パチンコ屋めちゃ混んでるやんけ(笑)

軍艦マーチってまだ流れてるんかな

Permalink |記事への反応(0) | 12:36

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2021-12-04

anond:20211203213516

かつて、葬式のご焼香の時は軍艦マーチを流すようにと言っている芸人がいたような...

ちゃっちゃか進むようにと。

Permalink |記事への反応(0) | 13:45

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2021-08-16

anond:20210816220659

国民パチンコ中毒にした軍艦マーチとか

大阪人汚水川に飛び込ませる六甲おろしとか

Permalink |記事への反応(0) | 22:10

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2021-02-22

射幸心を煽る音楽

ってなんか有る?



パチンコ屋で軍艦マーチが流れてたのは昭和の頃の話だっけ。

宇宙戦艦ヤマトOP曲を使ったコインチェックCM見るとパチ屋のそれを思い出すわ。

Permalink |記事への反応(0) | 18:53

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2020-12-24

年末行進曲に思いを馳せる増田須丸世派を芋生肉ょ菌紫卯この妻んね(回文

兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう

この時期になるといつもあの伝説ボキャブラを思い出します。

おはようございます

もう私はクリスマスイブは突然どころか、

この曲が頭の中を駆け巡る、暗いよ道をキラキラの赤い鼻のトナカイよ!

ジンジンジンスカーン!

これって旧ソビエト連邦の曲?

私のデスクがほんと漫画のように書類の山がソビエトわ!

ヤバイ!私の書類多すぎ!?お姉さんになっちゃう!

これ書類全部ハンコ押す押さないあるから

脱ハンコ社会はどうなったのよ?

炭素社会ももうすぐだというのに。

この書類の山のソビエト連邦をやっつけなければ!

あざまる水産よいちょまる~よ。

いい印影はいい朱肉から

これは中国ことわざ

逃げるは恥だが役に立つベルギーことわざ

どう?ドヤ風吹かしたの感じてくれたかしら。

わっさーって。

朱肉つきにくくなっちゃたから、

新しいお洒落朱肉買ってこなくっちゃ。

そして!

指サック装備!

ゼルダ世界ではない装備品よね!

紙めくり力がアップの抜群の効き!

年末進行行進曲でもかけながら仕事捗って頑張るわ!

てーててててててーててーててててーてーてててててー

ってそれは蒲田行進曲

てててててーてててててーてててててててててーてててててててててててててててー

これはトルコ行進曲

「て」で奏でる名曲どうかしら?

てーててててーててててててー

これは星条旗永遠なれ。

残念!軍艦マーチじゃありませんでした~

引っかけ問題よ。

最後問題

じゃーじゃん!

ててて、てててーて、て、てて、てててて、てててててててててて、

これはスーパーマリオ行進曲

もう最近ゼルダマリオゲームしかやってない証拠だわ。

楽しんでいただけたかしら?

私歌ってる暇があったら書類片付けるわ書類

書類雪崩が起きないうちに。

でもきっと雪崩が起きたら、

首にウイスキーをぶら下げたセントバーナード犬が助けに来てくれて、

わんわん!ほれウイスキー飲め!って勧めてくれるのよ。

おつまみ無くちゃウイスキー飲めない派なので何かスモークチーズ的なものでも気を効かせて持ってきてくれても良いんだけど、

遭難しているんだし、

そんな贅沢は言えないわよね。

寝たらアカン!寝たらアカン!って関西弁でたたき起こされて雪の寒さで眠たくなってきたところをたたき起こされるのよ。

セントバーナードウイスキーおかわり!って

もうスモークチーズとかなくっていいから、

ちょっと洒落金属製の小瓶というか、

ウイスキー入れを懐に仕込んでおいて、

あのCWニコルさんを偲ぶ思いで飲みたいわね。

あのスキットル的なやつ。

セントバーナード犬の首からウイスキー樽とはまた趣が違うわよね。

あんたもう飲みすぎだよやめな!

そう小料理屋を一人で切り盛りする女将から飲み過ぎだと止められるやつ。

うるへー!自分身体自分がよく知ってるんでい!って言い返すけど、

女将さんはそう言う意味じゃなくて

自前のウイスキーを店内に持ち込みは困るって意味で言ってると思うのよ。

それが分かった途端カウンターに酔っ払って伏せていた私はハッと気が付いて、

女将さんにすまねぇ~ってくしゃくしゃの顔で言うの。

女将さんは

分かってくれたなら良いんだよ、はい!お芋の煮っ転がし!

うーん、おつまみお芋じゃなくてなんか肉っ気のが良かったんだなーって

口が減っても言えないわ。

子どもが喜ぶおかずではないわよね。

お芋の煮っ転がしって。

そんなお芋の煮っ転がしを食べきれなかったからって、

器に入れて持たせてくれる女将さんに胸撃たれるわ。

でもこれって、

また器返しに来るとき

手ぶらじゃ帰りずらいという心理を突いて、

一杯でもまた器返しに来たときに飲んでもらおうって女将さんの作戦なのよ。

私知ってんだ、それ。

ワザと女将さんの作戦に引っかかってあげるの。

クリスマスイブだしね。

しゃんしゃん鈴鳴らしたいじゃん!

そんなしゃんしゃんやりたい前に

ソビエト書類を早く燃やして片付けなくっちゃ!

いやね燃やすってハンコ押して処理するって意味よ。

カチューシャでも聞きながらハンカチでも振るわ!

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドよ。

このルーティーンイチローさんばりに大切にしたいものよ。

もうこのお店にはハムタマサンドしかないのかしら?って不安になるわ。

ローストビーフサンドもあったけど私は賛同出来なかったわ。

サンドイッチだけに。

なーんて。

明日ローストビーフサンドにしよっかな!

デトックスウォーター

銭湯に行ったら柚子余ってるって言うから

2つほどおこぼれ頂いちゃいました!

ラッキー柚子

このラッキー柚子搾り炭酸ウォーラー今日も元気よ!

朝は寒いからホッツ白湯柚子ラッキーウォーラーでもいいわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:40

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2020-05-27

艦これプレイヤーってパチンカスになる素質が有りすぎると思わないか

こんなにあるぞ共通点

  1. 成否は運で9割決まる
  2. 同じステージを延々と周回
  3. やたらと多いエロ要素
  4. ただのおみくじにやたら時間がかかる
  5. 当たり演出キラキラ
  6. とにかく爆発
  7. とにかく光る
  8. 戦略を練っているようで結局おみくじ
  9. 軍艦マーチ流れる

Permalink |記事への反応(1) | 22:31

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2019-07-06

パチソンの「負けられない。痛みを乗り越え最後に勝つ」率は異常

どおりで最初期は軍艦マーチ流してたわけだよ

Permalink |記事への反応(0) | 16:29

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2019-03-12

anond:20190312002436

ウヨだったwwwwwww

軍艦マーチ毎日うっっせえぞカス

Permalink |記事への反応(0) | 00:29

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2019-03-06

右翼って何で骨抜きになったの?

子供の頃はよく北方領土返還とか掲げたライトバン軍艦マーチ鳴らして走り回ってたけどあいつら今何してんの?死んだの?後継者育成とかしてないの?ネトウヨ関係なさそうだしどうでもいいので除くとして。安倍勝手ロシアにくれてやろうとしているけどいいの?

Permalink |記事への反応(2) | 10:38

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2018-11-10

anond:20181110085503

日本ナチスマーク合法だし

パチンコ屋が軍艦マーチを堂々歌ってるじゃん

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2018-09-01

ゲーセンやばい

動物園すぎる

ガンダムが下火になってしばらく平和だったんだが、艦これFGOが来てから一気に民度が落ちた。

何がやべえって行列待ち中にそれぞれの信者相手の列に罵詈雑言の艦砲射撃

艦むすが沈むとFGOの列から歓声が上がる。

FGOガチャが爆死すると今度は艦これ勢が軍艦マーチを熱唱する。

でもこれは先月までの話ね。

今は緩衝地帯ボンバーマンが設置されたことで自体が変わった。

好転はしてない。

ボンバーマンが煩すぎて提督も月厨もお互い声が届かなくなっただけ。

ボンバーガールマジ半端ないって。

ガンダム超えてるよ。

フレンドリーファイアがあるのがよくないんだろうね。

敵よりも味方にキレてる人が多い。

試合中にリアルみそぼんしてる人までいる。

一回誰か爆発すると周りも釣られて爆発していく。

もうねゲーセンリアルボンバーマンなの。

みんな次々爆発するの。

飲んでたコーラリアルボムキックから鉄拳勢への直撃でデンジャラスボム誕生路地ロードランナーハイライト

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2018-01-06

浜田黒塗りに寄せて「土人踊りは今、どうなっているのか」

 岩手県一の進学校盛岡第一高校では、男子生徒が黒塗りした裸に腰ミノをつけ、棒を持って踊る

土人踊り」という伝統行事があった。

 昭和63年女子生徒が生徒総会で、黒塗りで土人というのは差別ではないか、と問題提起し、校内

での議論投票メディアでの取り上げの結果、数年後に「猛者(もさ)踊り」と名称変更して赤や

青などカラフルに塗る形になり現在も続いている。

モヒカンネタ髪型強要など焦点のずれる問題は今回触れない。)

 旧制中学から伝統校で校歌軍艦マーチ。「土人踊りの歌」(現「猛者踊りの歌」)も、インド

ネシア民謡学徒出陣から帰ってきた生徒が伝えたもので、ある意味歴史遺産であろう。

 3年経てば生徒が全部入れ替わる高校という場で、変更の結論が出るまでに5年かかったことを考え

れば、20年30年も現役張っているダウンタウンとんねるず保毛尾田保毛男)が時代感覚に即応で

きないのは仕方ないことかもしれない。が、漫才コントではないああいバラエティは本人だけでは

なくP・D始めとしたスタッフも当然企画から関与しているわけで、公共電波を使っている第四権力

メディア企業としての意識が問われるところだろう。

 日本人黒人差別意識はない、などという話は土人踊りの時にも散見された意見である。旧態の

まま存続、完全廃止、変更して存続、選択肢は3つあり、高校生最後を選んだ。

 昭和の終わりから平成初めにかけて高校生が既に出していた結論を、平成も終わろうとする時に、

大人テレビマン達がどう結論を出すのか注目していきたい。


土人踊りは今,どうなっているのか

http://excelact.com/Mori1/dojinnow.html


猛者踊りの歌

原曲「ノナ・マニサ」(インドネシア民謡),選曲 田村喜八(昭和22年卒)・竹原由雄(昭和25年卒)

http://www2.iwate-ed.jp/mo1-h/seitokai/song.html


踊りの動画検索すれば出てきます

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2014-08-17

お金が大好きだった

 ぼくは小さいこお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。

 小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである

 小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は本当の意味お金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。


 最初のぼくのビジネスは、自販機の小銭と落ちている空き瓶をあつめることだった。今はどうかしらないがその頃、一本あたり10円で特定のビンを買い取ってくれる駄菓子屋があった。たとえば、コカコーラスプライト

 二週間後には町内の自販機地図をつくり、近所の子どもたち数名を組織化してビジネスを拡大した。上がりは折半だ。軌道に乗った矢先、浮浪者ボス一喝されてそのビジネスはご破産となった。

 次は自販機ビジネス資本をもって、今でいう「せどり」に挑戦した。カメレオンクラブキャンプわんぱくこぞう、遊コン。情報化前夜の昭和末期。ゲームカセット買取価格と販売価格が逆転している商品をしらみつぶしに探しては、他の店に売りとばした。これも仲のよい同級生組織化した。仕入れの費用がない場合はぼくが肩代わりした。が、ただ、店舗が密集しているわけではなかったので、仕入れの問題であまりうまく行かなかった。そのうち同種のカセット買取制限つきはじめた。息の短い商売だった。

 中学生になってやったのがパソコン通信ログ取得代行する、というサービスだった。今思うととこれは犯罪だったかもしれない。Nifty-servePC-BANの規約はもう見れないので許してほしい。日夜マニアック議論が繰り広げられる大手パソコン通信サイトログダウンロードしては草の根BBSで知り合ったおにーさん達に高値で売りつけた。ただのテキストが垂涎の情報となる時代があったのだ。

 小さな商売としては、ビックリマンシールの仲買。発売日前に週刊少年ジャンプが並ぶ店を見つけて手に入れ時間貸しCDダビングを手伝ったりした。もちろん牛乳配達新聞配達もやった。

 最後にやったのはパチンコだった。本当はアルバイトをしたかった。が、中学生を雇ってくれる福祉的なビジネスマンを当時のぼくにみつけることはできなかった。ぼくの世代には一時期これで食べていた人が多いと思う。といってもぼくが中学生の頃なので、羽根物権利物フィーバー機など釘の甘い台をみつけては打ち止めにする。という同世代パチスロプロより1つ前の世代だった。あからさまな中坊がパチンコ屋に来ても見て見ぬふりをしてくれる、牧歌的時代だった。LUNA SEA有線放送でよく流れていた。軍艦マーチももちろん流れていた。


 そうしてぼくは晴れて16歳になり、まっとうに労働を金銭と交換し、またそれの再生産を繰りかえす立場となった。

 ぼくはなるべくして中卒になった。1つも願書を出していない。

 義務教育学校に行く理由がまったくわからなかった。お金を稼ぐ事以外世界意味がないと思っていた。だれも勉強をする理由を教えてくれなかった。貧乏な家の親、多くの市井公立小学校先生にはそれを子どもに説明する能力が、ない。ぼくも30をすぎてようやく勉強をする理由を先人の言葉を使って説明できるようになったくらいだから、無理もない。

 高校へ通うには学費が多くかかると知った。これも進学しなかった理由の一つだ。さすがに15歳の僕にもわかる。母親の稼ぎだけで四人の年子高校に行くのは不可能なことを。ぼくが行けても下の弟二人はきっと中卒だろう。

 中学三年の担任は、進路相談でぼくが進学しないというと、とりあえずその場をなあなあで済ませた。その後、考えをあらためさせるべくぼく親友山根を狩り出した。ぼくの説得を試みたのだ。まったく進学しない中卒は珍しかったらしい。無論、とりつくシマもなく断った。二人の目には、ぼくの事が、世界中を敵だと考え怯える、野生児のように見えたと思う。そんな目をぼくはしていた。

 その後、労働お金を稼ぐことより、お金を作る仕組みのほうに興味を捨てられなくて、自分商売を始めるんだけど、それはまた別の話。

今はだいぶその呪縛から解き放たれたと思う。

戦後のはなしではありませんバブル世代です

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2014-07-01

航空中央音楽隊創設60周年記念演奏会を聴いてきた。

航空中央音楽隊創設60周年記念演奏会を聴いてきた。

日時:2014年6月28日(土) 18時30分開演(第2回公演)

場所すみだトリフォニーホール

雨だが、屋根の下で入場待機列が作れるのはありがたい。

入場無料だが、ハガキによる事前応募・抽選である。つまり私の個人情報防衛省に把握されたw

入場の際は手荷物検査と金属探知機によるチェックがあった。

空の護り(ShelteringSky, J.マッキー

原題は「シェルタリング・スカイ」。

同名の映画があるが、特にそれとは関係ない模様。ちなみに映画の方の音楽坂本龍一氏の担当で、ゴールデングローブ賞受賞らしいので、今度聞いてみようと思う。

曲は終始穏やかで、オーボエの澄んだ音色トランペットの柔らかな音が印象的だった。

祝祭(Celebration, P.スパーク

オリエント急行」「ドラゴンの年」「ハーレクインユーフォニアム独奏曲)」などで有名なスパークの曲ということで楽しみにしていた。期待通りのスパーク節を、厳選された編成の音楽隊が見事に演奏した。

これ以上吹くと崩れる、というギリギリのところで荒ぶるホルンの音が、吹奏楽サウンドのホルンで、とても気に入った。

トランペットは途中で舞台裏演奏するのだが、舞台裏から聞こえるフレーズとしては相当難易度が高く、スパーク先生鬼だ……と思った。

パーカッションは、上手からひな壇にかけてかぎかっこの“「”字状に配置されていたが、上手手前に「パチン」と打ち合わせる楽器名前が分からない……スラップスティック?)、上手奥にタンバリン、上手中央スネアと、結構離れているのに終始揺るぎないリズムを刻んでいて安心して聴けた。

休憩中のプレ・トーク

ロビーでも放送で流れたのは、カフェで休憩中の身にはありがたかった。

1部はウィンド・オーケストラ編成、2部は大編成のシンフォニックバンド編成とのことだった。

行進曲ブルーインパルス」(March "Blue Impulse",斎藤高順)

これも期待していた曲。上手に吹くととてもカッコイイ。

曲目紹介で、1964年東京オリンピック、そして先日の国立競技場での編隊飛行の話があった。「F-86F」「T-4」とちゃんと紹介するあたり、ニヤッとしてしまった。

演奏は文句なかったが、特にトリオサックスが美しかった。そしてドラムセット!どこまで譜面に書いてあって、どこまでアドリブなんだろう。普通の曲ならアドリブだろうと思うのだが、なにしろ斎藤高順「航空中央音楽隊第4代隊長」の作である。一音一音忠実に……なんてことも???

自分パートになると指が動いてしまった。

碧空(Au Ciels Bleu,服部隆之

服部克久氏の息子の服部隆之氏の曲。「機動戦艦ナデシコ」「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」など劇伴の分野を中心に活躍されている方が、航空自衛隊50周年(つまり10年前の2004年)に委嘱により作曲したもの

トゥッティの音圧と、それに負けないツインスネアドラム。迫力のある曲だった。

風薫る(BalmyBreeze in theSky,航空中央音楽隊空士長田中裕香)

この曲は、航空自衛隊60周年記念で募集した作品の中から選ばれた、コンサートマーチ

東京藝術大学トロンボーン専攻で首席卒業、入隊1年3ヵ月の田中裕香さんの曲。

コンサートマーチとして聴きやすい曲だった。

行進曲「蒼空」(March "BrightSky",航空中央音楽隊2等空曹和田信)

この曲も60周年記念。こちらは歩ける行進曲

国立音楽大学卒のトランペット奏者で、北部航空音楽隊所属和田信さんの曲。

トリオがEuphの旋律(対旋律ではなく)で始まるのが意外だった。

自体は弱起で始まり、装飾的な動きや音量差も多く、歩くのに向いているかどうか……

二人は曲目紹介でそれぞれマイクを握ったが、ちゃんと階級を名乗るのか、と思った。

一般の方で「○○会社課長の△△です」という機会はそんなにないと思う。

航空自衛官の16階級中、2等空曹12番目、空士長14番である。ちなみに航空中央音楽隊長で指揮の水科克夫さんは2等空佐、4番目である

防衛省・自衛隊:自衛官の階級

大空への挑戦(To Tame The Perilous Skies, D.ホルジンガー)

「春になって、王達が戦いに出るに及んで」を知っていたので、期待していた。

複雑な拍子の曲で、非常に難易度が高い。「危険な空でぶつかり合う2つの対立した力を表現とあるが、まさにそんな感じだった。

アメリカ軍のことは全く知らないのだが、第564戦略空軍司令部軍楽隊委嘱による作曲と聞いて「564」という数に驚いた。

ふるさと

アンコール1曲目は「一旦地上に降りて(水科克夫さん)」ふるさと

穏やかな始まりから壮大な終結に至る。誰のアレンジだろう?

ここで、楽団メンバー紹介が行われたが、北部中部西武、南西の各音楽隊からメンバー想像以上に多くて驚いた。

星に願いを

アンコール2曲目は空に戻って。

トランペットソロが印象的だった。

空の精鋭(航空自衛隊行進曲

おそらく音楽会最後の曲として定番になっているのだろう、公式行進曲

手拍子とともに、気持よく演奏会を終えることができた。

やや大きなシンフォニックバンド編成になった第2部だが、野暮ったく分厚くなることはなく、高いレベル合奏による心地よいサウンドが維持されていた。木管の弱奏の際に一瞬、弦?と思うような、ふわりとした音が鳴った瞬間があった。

この日の空は荒れ模様だったが、ホールの中は澄んだ、濁りのない吹奏楽サウンドで満たされていた(すみだ、だけに)。

思ったこと

  • 昼の部、夜の部のメンバーは同じだったのだろうか。もしそうなら、私の聞いた夜の部のメンバーの体力に脱帽。
  • 舞台上手、下手に置かれていた機材はなんだろう……

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2007-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20070816091135

「くろがねの歌」って、「軍艦」(通称「軍艦マーチ」)のこと?

#細かくてスマソ

Permalink |記事への反応(0) | 09:37

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