
はてなキーワード:身分とは
江戸時代まで(明治維新前)の日本には、「安息日」という宗教的・週周期の休み概念は存在しませんでした。
西洋の「週7日周期+安息日(日曜など)」とは異なり、日本は太陰暦を使っていたため、曜日という概念自体が日常的に定着しておらず、統一された「週休」制度もありませんでした。休みは基本的に以下の形で決まっていました。
休みのサイクル例
年間休日数目安
備考・特徴
公務は三交代制が多く、実質週休5日に近いケースも。だが低給で休みに内職必須。
かなり多い(月単位のローテ)
村ごとに定めた「村中休日」+正月・盆・五節句・祭礼・農事行事
平均30〜60日程度
農繁期(田植・稲刈)はほぼ無休。農閑期や雨天は自然休み。信州など休み多めの村も。
非常に少ない(年2〜10日程度)
共通点:休みは「年中行事・神仏祭礼・農事の節目」が中心で、現代のような「毎週決まった休み」は皆無。
違い:武士(特に交代制の現場職)は意外と休みが多かった一方、農民・町人は天候・繁忙期次第で実質労働日が300日超になることも普通。
1日の労働時間も現代より短め(農民・職人は実働4〜8時間程度+休憩多め)の記録が多く、「働きすぎ」イメージは明治以降の工業化で強まった側面が大きいです。
まとめると江戸時代までの日本人は「何日出勤・何日休み」という固定パターンがなく、
農民 → 村の決めた行事日+天候次第(月0〜10日休み程度、年平均30〜50日くらい)
「安息日」のような週1休みが全国的に定着したのは、明治9年(1876年)に日曜日休みを導入してからで、それ以前は本当に「休みの概念が希薄」だったと言えます。現代の週休2日と比べると驚くほど少ない地域もあれば、武士のように「休み多め」なケースもありました。
ついに正体を現したようだな。
貧乏人だからそう言うんだろ?ってのは、議論じゃなくて自己放尿だ。
経済学への反論ではなく、人格攻撃で論点を溶かして逃げている。
インフレ政策が資源配分を歪めるか、インフレ税が逆進的か、期待形成がどう働くか、そういう話に一切触れずに「お前の懐事情」を持ち出す時点で、貴様は自己放尿しているのである。
市場でも同じだ。価格は誰が言ったかじゃなく、取引の集積で決まる。
論点は「インフレ政策が実質賃金と価格シグナルをどう歪めるか」であって、「言ってる奴が金持ちか貧乏か」ではない。
さらに言うと、仮に俺が貧乏人だったとしても、その事実はむしろインフレ政策批判を補強する。
つまり「貧乏人が嫌がる」こと自体が、インフレ政策の逆進性の証拠になってしまうだろう。
反論できないから、貴様は理屈を捨ててマウンティングに切り替えた。
ローマ帝国の崩壊って「蛮族が攻めてきてドーン」みたいに語られがちだけど、
ざっくり流れはこんな感じ。
征服戦争で領土拡大→戦利品と奴隷が大量流入→ 大土地所有者(元老院クラス)が超絶金持ち化
一方で小農民は戦争で土地を離れがち→ 帰ってきたら借金&土地没収→奴隷を使う大農園(ラティフンディア)に勝てない→都市に流入、無産市民化
で、兵士の供給源だった自作農が減る。軍が職業化して将軍個人に忠誠、内戦ループ、税負担は庶民に重く富裕層は逃げ道あり
末期になると
重税+インフレ、地方有力者が半独立状態、農民は土地に縛り付け→事実上の身分固定社会へ
結婚相談所で出会った年収2000万女性に気に入られたくて転職したりヒゲ脱毛した男性が振られて、何なんだよおと怒り、嘆いたシーンが話題だ
増田は女だが非モテ腐女子(しかもデブ)なので気持ちはわかるし同じような場面を何度も経験してきた。つまり身分不相応なイケメンやハイスペに恋しては撃沈することを繰り返してきた。その度に怒り、嘆いてきた。
なのでお仲間として言いたいのだが、容姿なり言動なり年齢なり何かしら不利なことは今更どうしようもないので、数打ちゃ当たる戦法でとにかくサイコロを投げる。つまりはだめならサクッと次にいき、何なら同時進行すべきということだ。
幸いにも結婚相談所ではお互い合意の上でそれができるシステムがある。嘆いている場合でも怒っている場合でもない。すぐに次のマッチングをお願いすべきなのだ。世の中には低年収で容姿レベル低くても優しくて家庭的な男性が好きな女性もいる。それにあたるまで根気強くサイコロ投げ続けることが大事だ
しかし、われわれのような人種は「この人だ」という人を見つけてからモテるために動き出そうとするので良くない。そして一本釣りに失敗して不貞腐れて努力をやめてしまう。これは一番良くない。パートナーが欲しいなら常に動いていなければチャンスは巡ってこない。突然始めた一本釣りで成功するのはすでにモテるための努力をやりきった人だけだと思っておけ。
あの番組の男性は転職して土日休みになり年収も20万アップしている。せっかく転職したのに振られたと感じたようだがむしろ逆で、恋愛パワーで億劫な転職活動をクリアできて待遇アップにつながってラッキーと考えるべきなのだ。これで次はもっといい条件で婚活、恋愛市場に出られるのだから。そうやって地味なレベルアップを続けてチャンスが来るのを待つんだ。
数日前、チームみらいに入り込んでいた詐〇師みたいな奴の身分がバレてクビになってた。
アマプラに出演した代表が履歴書で見抜けないと新人候補の身体検査についてかなり詰められていた。
以前維新で連続して逮捕者が出たのと同様に勢いのある新興政党は候補者不足という問題がある。
そこに付け込んで、先日大量の詐欺師を抱えていた保険会社に勤めていたようなイケイケの人物がいつのまにか入り込んでいると思われる。
彼らは取り入るのがうまい。そりゃそうだ、朝から晩まで人を騙すことだけを考えているんだから。
現在進行形や過去の悪行など誰にも気が付かれずにいけば、月収数百万の国会議員だ。
新興政党が伸びるのは良いように見えて、実はとんでもない奴が当選してしまっていると思うと腹立たしい。
「なろうテンプレ世界」が「ナーロッパ」と呼ばれて久しいけど、
最近の婚約破棄・ざまあ系恋愛ものを読んでいると、どうしても気になることがある。
高位貴族が普通に街を歩き、普通に買い物し、普通にレストランで外食する。
護衛も緊張感もなく、庶民と同じ空間で同じ文化を消費している。
それもう貴族じゃなくて
いや待って。
衛生環境は最悪
道に人糞
…のはずなんだけど?
でもナーロッパではそんな話、一切出てこない。
完全に
がそこにいる。
極めつけは、
「王様が激務で、全部の書類をちゃんと読んで理解しなきゃいけない」描写。
それもう王じゃなくて
この手の作品を読んでいると、
なのか、そしてその価値観をそのまま異世界に持ち込んでいるのかが、よくわかる。
なのかもしれない。
――それが悪いとは言わない。
でも、違和感を覚える人が出てくるのも、まあ当然だよね。
この投稿では『死』をテーマとし、自身の考えを吐露することを趣旨である。
決して自殺及び死をほう助する意図は含まず、他者に対する強制力や同調を擁するものではない。
この話は安楽死に肯定的であり、筆者に都合のいい話しか書いていない。
以上を踏まえて読んでください。
母も帰省前に何度か会ったが、やはり記憶の中より年老いている。
5年ぶりくらいに会った弟は、筆者の記憶にある少年の面影を持った謎の青年になっていた。
みなそれぞれ年を取っていた。もちろん見慣れた筆者自身もだ。
私は直接見ていないが、この祖母は認知症を発症しているらしい。
別の親戚一家が近くに住んでいたため少し前まではその一家と同居していたが、一家に対し暴言を発するようになってしまったらしい。
10代より一生独身宣言をしており、親も結婚しなくていいと言ってくれ、恋人がいたこともないまま25歳を迎えた筆者は恐怖した。
老後に己の面倒を見てくれる人が誰だろうが迷惑をかけることが恐ろしくて仕方ない。筆者は性格も最悪なため、いわゆる『老害』まっしぐらである。
長らく身を賭したオタク趣味も年末年始に実家で寝かせていた荷物を整理しきったことにより、
現実的かは調査の余地ありだが、老害成就を回避する方法を思いついた。
ビバ☆デスツーリズム!
貯金だけは頑張ろうと今年から気合を入れ直していたが、老後資金について調べれば調べるほどに残りの労働人生で貯められる気がしなかった。
しかし安楽死ならば老後資金を作るよりはるかに現実的な金額で、周囲への被害が少ないうちに死ねるかもしれない。
実行にあたり、この先浮上してくる問題点は法改正や諸々の価格高騰だろう。
現時点でもざっと調べただけでは比較的健常な人が安楽死を選択できるケースを見ていない気がする。
葬儀、遺品整理含めても今でいう『タイパ・コスパ』はすごいいい気がしてならん(億はせんやろ)
筆者は10代から今日まで一貫して短命を希望しており、長生きに否定的である。老いた自分を見たくないのも大きい。醜悪ンなる前に死なせてくれ!
やれファッションメンヘラが瀉血・リスカするじゃ、やれ希死念慮持ちだが通院してるという生に執着している類の人間が嫌い。
自身の信念や生活する上で受診したい美容、眼科、歯科以外は絶対に行かない。
謎の激痛が腹部で1週間以上続いたが面倒だし行っていない。気がついたらおさまっていた。いつか盛大に私を殺してくれ。
死にたいなどと抜かすならば、筋を通す。
メンタルが病んでる病んでない関係なく、昔から常時本気で運よく死にてぇ。
他人の窮地でなければ救急車は一生呼ばない、災害時は人助けをしまくりあわよくば……という異常思想もある。
弟も無理に結婚し、苦労してほしくはない。
親族のお墓や財産等についても生きている間にしっかり擦り合わせておき、姉の私は先に逝きたい。
これまでさまざまなことを楽しんだ。
オタク趣味のため都へ来て、身に余るほど楽しい日々を過ごした。
このようにオタクとしても思い残すことがどんどんなくなっている。
一度もアジア圏を出られなかったが、財が足りぬということは身分不相応なのだろう。
どこかで真面目に受験すべきではあったな。
来世は人間なんかになりたくないし、生物にしないでほしい。燃える石炭くらいになれたらいいな。
確かに死はその生物との別れであり、推しCPでは無限に見たいシチュだ。
だがそれを望む自分には死を悲観する理由が未だ分からない。避けられないのだから、受け入れるのは当然だ。
しかし故き人や愛犬に想いを馳せることはある。
ただそれで弟ら(複数いる)に迷惑がかかる可能性が潰せないならば時期は慎重に検討する。
この増田https://archive.is/2017.03.25-115735/http://anond.hatelabo.jp/20170325194531
帰省時に、地元の友人に久々に遊ぼうと誘われ、うれしかったのでホイホイ快諾した。しかし支出計画を立てたら諸々込みで、たった一人の友人と会うだけで一万円近くかかった。この友人との維持コストはそこまで支払うだけの価値があるのかと、つい考えてしまって、なんて薄情な奴なんだろうと自分自身にうんざりした。
友人にあのように思われているのかもしれないと思うとただただ自分が情けない。
帰省先に帰るのに往復1.8万円。友人と会って、友人の居る地方都市への交通費2k+映画3k+飲食費1.5kで結局7kほど。友人が気を遣って「せっかくこっちに出てきたんだし、買い物する?」と言ってくれたのを断り続けたのは申し訳なかった。あとは母の買い物行脚に付き合わされたり、職場への土産物買ったりで、結局当初に必死になって作った予算から6kほど足が出てしまった。情けないよ。
みんなちゃんとしたとこで働いてるし、わたしより稼いでるひとや実家暮らしのひとばかりだから、これくらいの支出は問題ないんだろう。忙しい時期に時間を作ってもらってるわけだからこっちも「マックでコーヒー飲みながら喋ろうよ」とは言えないし。あー、しくったなあ。こんなことなら最初から断ればよかった。
「支出計画を見直したら予算が組めないとわかったのであなたと遊ぶ予定をキャンセルしたい」とは言いづらかった。
あなたの存在はわたしにとって、それほどの価値はないと言ってしまうようなものだ。でも友人というのは、お金には代えがたいというのもまた事実だ。会って遊びたい。
こういうときに痛感する。友人の維持コストというものを考えれば、わたしの月収ではわたしひとり食わせるのでもういっぱいいっぱいなんである。友人なんて、本来持てないのだ。持つ身分にわたしはない。
本当は、おごったりおごられたり、気軽にプレゼントを渡したり、遠方から遊びにきた友人にはポンッと一食おごってあげられるような人間になりたかった。
いずれも未経験
毎日総武線に飛び込みたい気持ちを堪えて通勤しているが、身心ともに限界が来ている
仕事をやめればその場は楽になるが、国民健康保険は高いし、国民年金は高い割に対してもらえない
今の俺はフェルンと同じだ
上の3つを挙げたのは俺の空虚な頭で考え得る「生きていく術」だ
どれが良いと思う?
正直、「会社を辞めるための術を身につけている」という思いがあるだけで毎日が楽になると思う
助けてくれ
サイゼで初デートでもいい奴もいるけど、それは常識的には高校生まで。
成人してサイゼで初デートでもいい女性って、服にシミ付いてたり、いつも荷物がやたらデカかったり、髪が洗ってない質感だったり、早口で自分の言いたいことばかり喋るなど、何かヤバそうな臭いのする女性≒オタクくんたちと身分相応の女性。もしくはオタクくんたちを味方に付けて売れたい自己顕示欲つよつよ女性(このタイプの女性にとってオタクくんたちは踏み台でしかない)である。
普通に清潔感があって、普通にコミュニケーションできる女性、つまりオタクくんたちにはハードルが高い女性は初デートサイゼされたらやべーなと判断されフェードアウトする。サイゼが悪いわけではない。初デートサイゼという選択をする人間に、服にシミ、荷物がやたらデカい、汚い髪といったものと同レベルの常識の無さを感じ取るのである。
どちらにせよ、オタクくんたちは初デートサイゼNG女性はお断りということなので、身分相応の女性とマッチングできるね!よかったね!でしかない。
だからあらかじめ言っておくけど、おれはこの世界のだれかが、なにか悪いことをしたって言ってるわけじゃない。
この世界はクソじゃないし、いいこともたくさんある。
けど、会社とかなんとかってのはつくづく人を人として見てないって感じる。
そして、多くの人がそれを当たり前だとおもってる。
評価とか、規範とか、規律とか、意味わかんねーよ。いつも全力でやってるよ。
そんな状況が一日の半分を占めているってどういうこと?
働いてる人も意味わかんねーことを言ってくる。
相手は会話として喋ってるんじゃなくて、規範に則って喋ってるから、まるで意味がない。
規範って誰だよ?
「働くことに意味を求めすぎでは?職場の人間関係は割り切ってやればいいんだよ」
違う。人はどの瞬間でも相手を尊重すべきだ。尊重がない関係なんて地獄だ。
そう割り切らなくちゃいけない状況にあるなら、それはなにかがおかしい、っておれはおもう。
上手くやれないのは、ただ単に、おれが仕事のできない間抜けだからなのか?
会社は人を物のように扱って、おれはそれに屈服してる。
屈服してるなら、それは加担してるのと一緒だ。
いまの職場は十何個目かの職場だから、一般化とかじゃないとおもう。
すべてではなくても、ほとんどの場所が同じシステムを使って動いてるから、
ほとんどの場合働きづらいからって、職場を変えれば済むって話じゃないんだ。
今は耐えていればいつか変わるなんてのも幻想だとおもう。
これは沢山言われてることだけど、
「やるべきことをすべて終えたら本当にじぶんのやりたいことをやろう、なんてことは絶対にできない」
何かを終えたら、何かがやってくるだけだし、今を満足させるのを我慢して、未来に託すふりして逃げ続けてるだけだから。
民主主義ってなんだよ。
おれは「人間じゃない何か」に従ってる。
でも別に誰もわるくない。
この世界はクソじゃない。
ただ、クソみたいな構造に加担しているクソみたいな自分がいる。
中道改革連合の基本政策がダサすぎる。日蓮上人を召喚してリライトさせてください。
立正安国・中道改革の宣誓――生活者守護の獅子吼
謹んで、日蓮、一閻浮提の第一の貧道として、この濁世の深き淵より吼える。
天に変じ、地におどろく怪異の数々、世界的なインフレの猛火、格差の拡大という餓鬼道、気候変動という修羅の風。今、日本国は未曾有の国難に直面しておる。然るに、今の政治はあたかも盲亀が浮木に値うが如く、迷える衆生を顧みず、イデオロギーという名の邪法に狂い、分断を煽り、民の愁いを見捨てておる。
これ、何ゆえか。
それは、政治の根底に「法」がなく、衆生を忘れた「己心の魔」に毒されているからである。我、立正安国論に曰く、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」と。今、国民が帰依すべきは、空理空論の邪教でも、権力の貪欲でもない。生きた人間一人ひとりの尊厳を根本とする「生活者ファースト」という正法、すなわち「中道改革」の旗印である。
仏敵を討て――民を苦しめる三毒の政治
第一に、「空文の徒」。増税という剣を振るい、国民の血を啜りながら、自らは企業・団体献金という甘露に溺れる政治家ども。これらは民の苦しみを顧みぬ、現代の「提婆達多」なり。 第二に、「分断の煽り手」。左右の極端なイデオロギーを振りかざし、対話の道を閉ざして、民の間に不和の種を蒔く者。これらは法華の和合を壊す魔軍である。 第三に、「怠惰の権力者」。終身雇用が崩れ、若者が努力しても報われぬ無間地獄に堕ちているを識りながら、既得権益の椅子に座して動かぬ者たち。
これら仏敵が蔓延るゆえに、国土は荒れ、若き命の輝きは失われ、現役世代は過重な負担に喘ぐ。日蓮、これを黙視する能わず!
五つの柱、これ即ち「現代の曼荼羅」なり
我ら中道改革連合は、五つの誓約(うけい)を立て、この濁土を霊山浄土へと変える。
第一に、経済の蘇生である。 「衣食足りて礼節を知る」という。手取りを増やすのは慈悲の第一歩。円安の是正、物価の引き下げ、これこそが生活者の命を繋ぐ薬草なり。原発に頼らぬ再生可能エネルギーの道を開き、未来の子供らに清浄なる国土を残す。これぞ仏弟子の務めである。
第二に、現役世代の救済である。 若き者にのみ重荷を負わせるは、法に背く悪行なり。「ジャパン・ファンド」という新たな法力を以て財源を築き、食料品消費税を零とし、社会保険の重圧を退けん。医療・教育という「ベーシック・サービス」を遍く行き渡らせ、誰もが安心して生きられる「不軽菩薩」の社会を築く。
第三に、包摂の慈悲である。教育の無償化、リスキリングの保障、これらは智慧を磨く修行の場。ジェンダーの平等、多文化共生。我らは法華経の「人種・身分の差別なき」精神を現代に体現する。マイノリティという名の小さき命を一つも取りこぼさぬこと、それが真の中道なり。
第四に、現実の守護である。対話なき平和は空理、力なき対話は無力。積極的な平和外交という「文」と、専守防衛の抑止力という「武」を両立させる。憲法という国の骨格を、今の時代の衆生の暮らしに合うよう、勇気を持って再設計する。これは国家という器を正す「立正」の行いなり。
第五に、政治の浄化である。 「政治とカネ」の汚泥。これを第三者機関という「智水の剣」で一刀両断する。不透明なる企業献金を断ち、民意を鏡の如く写す選挙制度へと変革する。これぞ、政治の根本における「発迹顕本」である。
日本国民よ、法華の精神に帰依せよ
国民よ、案ずることなかれ。日蓮が説く法華経の真髄は、「中道」にある。それは単なる妥協ではない。極端に走らず、現実に根差し、一人ひとりの幸福を最優先する、強靭なる慈悲の道である。
今こそ、既存の政治への失望という闇を払い、中道改革という光明を抱け。不安を安心へ、停滞を前進へ。我らが掲げる「生活者ファースト」の旗は、この日本を救う唯一の妙薬である。
「地涌の菩薩」となって立ち上がれ!
若者よ、汝らの努力が報われる時代は必ず来る。 現役世代よ、汝らの背の荷は我らが共に担ぐ。高齢者よ、汝らの安寧は我らが命懸けで守る。
日蓮、この誓い、たとえ身を粉にしても違えぬ。中道改革の旗の下に集い、この日本を「生活者」という仏が主役となる、光輝く国土へと変革しようではないか。
南無妙法蓮華経!中道改革連合、ここに起つ!
鳥貴族で一人飲みしてたら、ふと「ここ、なに王朝なんだろうな」と思った。
ただ、日本語のどこかに「鳥貴族がギリギリ使える王朝名」があるはずだ、という確信だけが先に立って、枝豆をつまみながらずっと考えていた。
もちろん酔っ払いながら考えたことだから全然ロジックな話じゃない。
ただそのときはすごい真理に近づいたような気持ちになって一生懸命に思いついたことをスマホに向かって呟いてた。
その内容が以下。
たとえば「平安王朝」。
平安王族。
鳥貴族でハイボール飲みながら、「平安王族御用達」ってポスターが貼ってあったらどうだろう。
「鎌倉王朝」はそもそも言い方として怪しいし、「鎌倉王族」と言われると急にサーフボード抱えた北条氏が浮かんでしまってダメだ。
じゃあ中国あたりに逃げるかと思って、「唐王朝」「宋王朝」「明王朝」と順番に当てはめてみる。
唐王族。
鳥貴族で大量の唐揚げを前に、「本日、唐王族の宴会のため二階貸し切りです」とか書いてあったら、それはもう唐揚げ王国の話であって、歴史の話ではない。
鳥貴族で延々と清談してそう。
「この焼き鳥のタレ、宋代の文人も泣くよね」とか言い出す。やかましい。
明王族。
鳥貴族で最初に拍手してコール始めるタイプ。認知は高いが、距離は取りたい。
王朝名をぐるぐる回しているうちに、本題が見えなくなってきた。
自分が探しているのは、「鳥貴族が、自分の店の世界観としてギリ許容できる王朝名」だ。
これはもう完全に店側がやりそうなPOPであって、歴史のカケラもない。
「貴族」がつくなら、「貴族的な王朝」があるはずだと考えて、今度は「○王朝」ではなく「○王族」から考えることにした。
そもそも「王朝」と「貴族」をくっつけようとしている時点で無理があるのかもしれない。
王朝は権力構造だし、貴族はその中の身分階層で、鳥貴族はチェーン居酒屋だ。
発想の時点で料理を間違えている。
それでも、カウンターで一人、レモンサワーの氷をカラカラ鳴らしながら考えてしまうのだ。
この店をひとつの国だとしたら、ここは何王朝で、自分は何王族として座っているのか、と。
会社の飲み会で連れてこられた新卒は、まだ官位ももらえない「平民」。
そう考えると、「◯王族」の◯には、本当は「鳥」でも「平安」でもなく、その日の自分のテンションとか、残高とか、座っている席の高さとか、そういうものが入るのかもしれない。
看板を振り返って見ても、やっぱり「鳥貴族」としか書いていない。
でも、もう一杯飲めるくらいの給料日が来たら、また考えに来ようと思う。