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はてなキーワード:贖罪とは

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2025-10-26

anond:20251026193842

それが無駄かどうかは今後の生き方次第でしょ

そもそも例として言ってる

10代で重大犯罪を犯して10年間刑に服した」こういう人は贖罪をしてたわけで10無駄にしたわけではない

無駄だとしたら虚偽の贖罪でその後罪を重ねた人でしょ

Permalink |記事への反応(0) | 22:52

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2025-10-10

自虐は聞かされた相手のやさしさ(そんなことないよ、という慰め誘発)を搾取する。するべきではない」とはよく聞くけど、ソイツだってどうせ陰口たたいてるんだから±ゼロだろ

オレ様の自虐聞いて慰めて普段の陰口の贖罪しろ

Permalink |記事への反応(0) | 20:09

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2025-10-05

anond:20251005161742

人間というのは不思議もので、帳尻を合わせようとする

苦しいことを先に行うことで脳が勝手にこの程度はいいだろうというだろう運転をし気持ちよくなれる

苦しみの残高を増やし、それを使って贖罪をしようともする

苦しむほど生意気なことが出来るようになる

Permalink |記事への反応(0) | 17:45

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2025-09-25

anond:20250925185445

カスアバター

前世の罪で魂が汚れた亡者

永遠に続く贖罪の旅で穢れを集めるゴブリンの群れ

Permalink |記事への反応(0) | 19:02

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2025-09-01

映画】ひどくくすんだ赤

ヒーロー戦隊レッドアル中日雇い生活。ある日グリーンが死んだことを知り、俺たちも死ねるんだと他の戦隊メンバーへの贖罪(殺害)する旅に出るって話なんだけどさぁ!

 

監督本人が「ウォッチメンが好きでそういう映画日本にはないよね~ってところから始まった」的なこと言ってるから、そこをつついてもしょうがないんだけど、ぶっちゃけ感想としては何年遅れのウォッチメンやってんだよって感じ。イカ怪人出てきたところで逆に笑っちゃったわ。

しかウォッチメンの後にはザ・ボーイズもやってるわけだしさ。

はいはいヒーローとして持ち上げられてる奴らの中にも人間性が未熟な奴らもそりゃいるよね。っていつの話しとるんや。

アメリカ作品と違って見るべき点があるとすれば、日本ヒーローってめっちゃ若い20そこそこの若造がなることが多いけど、じゃあそいつらが訓練を受けてるとしたら幼少期~少年期だよね。少年期のガキなんて尊大傲慢だろうし、性欲猿だろうし思春期だろうし感情コントロールもできないよね。

そんな奴らがヒーローパワー持ってるの怖くない?っていう日本特有の(まぁアメコミとかでもスパイディとかは若いけど)ヒーロー事情を汲んだ脚本になってること。まぁ怪人と戦ってる時に仲間同士で揉めて仲間(ブルー)に大けがを負わせて、ピンクレイプするってそんなわけないやろ強引すぎんかって感じだけど。

 

結局「精神性が未熟なヒーローって怖くない?」「ヒーローのその後が落ちぶれてたら面白くない?」っていう、ウォッチメン何番煎じorヒーローオタクが何億回妄想した同人誌だよって感じの作品で、これを今更映像化する意味って何なんだろうなって感じだった。

Permalink |記事への反応(0) | 15:06

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2025-08-28

anond:20250827185821

三菱は“情報資産データ合意)の全面開示と基金拠出”で贖罪METIは“ルールで再発防止

ここまでやって、ようやく失った年数分の信頼を“部分的に”取り戻すスタートラインに立てる

Permalink |記事への反応(0) | 02:00

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2025-08-12

アファーマティブアクション力学

Permalink |記事への反応(0) | 10:43

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2025-08-02

anond:20250802000230

メタブより

ネット民は昔からセックスワーカー蔑視を堂々と口に出してキャッキャしてきたわけだが。しかも消費しながら。ダブスタの極みだろ何が反差別だよ笑わせんな。

これは否定できない事実だった。ネット民男性を中心にセックスワーカー蔑視をしてた。

俺はハッキリ目撃してきた。

でも。

からこそ今。

手のひらをクルリと返して反転正義をやることこそが、贖罪なんだ。

穢れなんてないぞ、気にしないぞ、そりゃ差別だぞ、女性純潔なんて要求しないぞ、を連呼することで、

自由な性を認めてる。

社会から穢れを消してる。

他人目線イメージ投影される幻影を、幽霊の正体見たり枯れ尾花… にしてる。

職業から貴賤を無くしてる。

これは価値観アップデートなのさ。

Permalink |記事への反応(1) | 09:18

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2025-07-24

NHK記事を読んだ雑感

冤罪ヒデェ話では有るんだが

当人自分ヤンチャしてた時の行為謝罪して回ったりしたんだろうか?

みたいなことが気になって、全然同情できなかった

当時、若者たち非行グループとつきあいがあった前川さん。

1987年

非行グループ」なんて書かれてるが、1980年代当時だ

校内暴力やら暴走族やらが最盛期の頃だ

ガキが今なんて比較にならんほど調子に乗ってた頃で、社会問題化してる

町中でカツアゲが行われ、ゲームセンターの一部は狩り場で

輩がいれば学校でまともに授業ができず、先生暴力に見舞われ辞める人がたくさんいて

学校内で授業中にモデルガンが乱射され、教室内でサッカーして蛍光灯や窓ガラス割れ

しかし、教師から暴力という抑止手段剥奪されていった、そういう時代

偏差値の低い学校ではトイレが血に染まるのが日常

他人便所水槽の水飲ませたり、金を巻き上げるのが、取り立てて珍しいことではなかった時代

当時の非行グループと絡みがあったなら、もうそれヤカラだろう


1987年で21なら、ボンタンだ長ランだのど真ん中世代だ

こういう【ヤカラ】のせいで、人間不信や自信喪失のため一生を棒に振った人が数え切れないほど沢山いるはずだ

記事を読んでいて、ムカムカムカムカした

変な話、万引き犯にも人権は有るし、痴漢犯罪者なら殺人冤罪を被せてもオーケーとはならんだろうが

痴漢してるやつが、殺人犯にされて、人を信じられなくなりました、みたいなこと言ってるような不快感

(彼が犯罪を犯した人間であるという話ではない)

ヤンキー先生かに感じる不快感

絶対自分贖罪をしないくせに、自分らの不幸を嘆いて見せるような

そんな不快感

Permalink |記事への反応(1) | 05:21

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2025-07-15

anond:20250714182110

愛国心大日本帝国ばんじゃーい になるのはどうして?日本国を愛することと、惨めな敗戦国帝国主義侵略国家である大日本帝国を愛することは別だよな。

ドイツみたく戦前の一時期だけ断罪して残りを肯定する路線を捨てたのは新左翼なんですよ。

天皇制否定したいあまり戦前日本=現在日本=若者戦争責任を負う、として贖罪強要教育なんてやっちゃったから、教科書問題が起きて、そこから自由になるために戦前ごと肯定路線が力を持つようになった。

その反省と総括をしないでさら日本人が悪いことにして戦略ミス正当化しようとしてるのが今。

Permalink |記事への反応(1) | 16:02

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2025-07-07

浦平よしひろ

暴力教師」とかいレベルじゃなく無抵抗の子どもをリンチで殺しかけてるじゃん。

なんでそんなやつが国政選挙候補者でしゃしゃり出てくるんだ?現実感バグるわ。

犯罪者が捕まって刑事罰を受けることを「贖罪」だの「罪を償った」とかいう変な慣習が一部にあるが、それぜんぜん別の話だから

懲役」や「罰金」は全くもって「贖罪」ではない。

金銭的な「賠償」も「贖罪」とイコールではない。

キャンセルカルチャーを手放しに推し進めようとは思わないが、ものには程度・限度というものがある。たとえば人殺しが刑期明けたら人殺しではなくなるのか?ならんだろ。

そしてわざわざかくのごとき異常者を候補者に立てる維新は何を考えているのか?

損得勘定だけで考えてもわけがからないし、公党のモラルとしても論外である

まあ、前から自治体議員やってるんだけど。

そもそも維新に一貫してただよう“ヤカラ”感は一体何なのだろう?無駄にヤベぇやつを吸い寄せる吸引力の中心に何があるのか。

Permalink |記事への反応(1) | 20:56

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2025-07-03

タコピー原罪」「一ノ瀬家の大罪ときたら、次の作品も「贖罪」とか「無罪」をつけて、「罪三部作」としたくなるのが人の心ってもんだね

問題は、すでに作者が印税でけっこうな額を手にしていそうだからモチベーションがあるかどうかだが…

Permalink |記事への反応(0) | 15:00

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2025-06-26

ジークアクスという作品は、確かによく作られていた。

作画も緻密で、演出現代的。

音楽も豪華で、SNS時代視聴者が盛り上がるポイントを的確に押さえていた。

だが、それと同時に強烈な違和感があった。

というのも、あの作品には新規性というものが決定的に欠けていたからだ。

ジークアクスは、その構造ほとんどがパロディ引用で成り立っている。

ガンダムという巨大な看板を背負いながら、その中身は引用オマージュ応酬だ。

正直ガンダムである必然性がどこにも感じられなかった。

しろガンダムを用いる必要があったのか?」と問わざるを得ないほどだ。

だが皮肉にも、そのガンダムという看板こそが必要だったといえる。

既存ブランドの威光を借りなければ成り立たない、それ自体作品の弱さを証明してしまっていたのだ。

と、ここまで冷静に書いたつもりだが…正直、俺は怒ってる。いや、怒って当然だと思う。

だってジークアクスって、よく「面白い!」とかSNSで持ち上げられてるけどさ、いってしまえばあれは現代アニメの悪いところの詰め合わせだ。

そもそも元ネタガンダムに対するリスペクトがあったか?ねぇよ。だって本当にガンダムってものリスペクトしてるなら、あんな風に自分推しアイドルネタだの入れるわけねぇだろ。

から言わせりゃ、ガンダムってのは単なるロボットアニメじゃない。

SFアニメ宗教なんだよ。その宗教聖典勝手に書き換えて、よくもまぁドヤ顔できるなって話だ。

例えるなら新約聖書リメイクを作って、わけわかんねぇ新キャラ出して、キリストを救っちゃいました!とかやってるのと同じだぜ?

それを冒涜って言わずになんて呼ぶんだ?空虚シミュラクラ?消費の偶像化?いや、まさにその通りだよ。ガンダムっていう信仰遺産をただ食いつぶしてるだけじゃねぇか。

それでいて「パロディ引用は売れるための適応なんです」なんて、わかった風なこと主張する。

ああ、わかるよ。商業作品から売れ筋狙うのは当然だって

でもさ、それが無名会社背水の陣でやってんなら俺だって文句言わねぇよ。けどガンダムだろ!?最初から注目される看板背負ってんだろ!?

だったら、そこで勝負しろ!!!

何のためのガンダムなんだよ。何のための名のある監督なんだよ。

そんな安全圏でパロディの山積みして、SNSで「神回」とか「最高」なんておだてられて満足して、それで本当に作品作ったって言えんのかよ!!!

新しいもの作るってのは、そういうことじゃないだろ!!今こそ勝負する場だったはずだろ!?ガンダムの名があるからこそ、できる挑戦があったはずなんじゃないのかよ!!

ガンダムが見せてくれたセンス・オブ・ワンダーはどこに消えちまったんだよ!!!

もしガンダムすら保守的になってしまうなら、他のどこで新しい挑戦ができるんだ?

オリジナル作品なんて、最初から誰も見向きもしねぇんだよ。

ガンダムっていう舞台が唯一それが許されるはずだったんじゃないのか!?

なのに作り手は挑戦しねぇ、ファンはこれで満足って顔してる。SNSじゃ「神!最高!」って同調圧力の嵐。

これが文化の退廃じゃなくて何なんだよ。

結局、ガンダムって名を借りて商業贖罪の供物を捧げてるだけだろ。

魂の抜けた偶像を拝んで、ありがたがってるだけだろ。

富野が作ったガンダム宮崎が作ったアニメ

あれは教養思想があった。庵野時代はまだパロディ哲学があった。

だが今は、パロディにさえ哲学を持ち込まない。

迎合だけの軽薄なオマージュ。それを肯定して「これが良い」って思ってしまったのが、俺たちオタク文化堕落の始まり

ジークアクスはその象徴だ。あれが面白いって言ってしまえる今の空気こそが、堕落の原因なんだよ。

から悪いのは制作側だけじゃない。

今の空気に甘えて挑戦を捨てた作り手と、それを甘んじで享受してしま消費者側。

どちらも最大の罪人なんだと、俺は強く思う。

Permalink |記事への反応(0) | 18:02

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2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 03:06

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2025-06-17

泣き過ぎて、死に過ぎて、神が宿った

泣き過ぎて、目が溶けた。

死に過ぎて、心が砕けた

その破片を喉に流し込んだ。

ああ、これでやっと唄える。

それでは聞いて下さい。

曲名は、「泣き過ぎて、死に過ぎて、神が宿った」

 

(Aメロ - 静かな緊張感を伴って)

溶けた眼窩(め)に映るは 色無き世界残像

砕けた心臓ココロ)に響くは 過去の亡霊の嘲笑

飲み干した硝子の痛みだけが 唯一のリアル

 

(Bメロ - 徐々にビルドアップし、激しく)

可哀想に』と囁く声 偽りの慈悲を纏うレクイエム

その憐れみの舌を抜け! その偽善の喉を裂け!

 

(サビ - 全ての楽器が爆発するように)

神が宿ったのではない! 私が神と成り代わった!

絶望腐肉を喰らい尽くし 玉座に君臨する怪物わたし

お前たちの白々しい光など この深淵の闇を照らせはしない!

万年贖罪を! さあ、跪き、灰となれ!

 

(Aメロ 2 - 少しテンポを落とし、重々しく)

大丈夫』だと差し伸べる手 その指先から腐臭がする

お前たちの安っぽい「愛」じゃ この聖痕スティグマ)は決して塞がらない

 

(Bメロ 2 - 再び加速し、怒りを込めて)

同情なんて無意味な鎮痛剤 ただの冒涜だと何故解らぬ!

私の苦痛の万分の一も、お前には理解できない!

 

(サビ - 1回目よりもさらに激しく、絶叫に近い)

神が宿ったのではない! 私が神と成り代わった!

孤独という名の城壁に籠り 世界断罪する怪物わたし

お前たちのちっぽけな正義など この罪の前では塵と同じ!

滑稽すぎて反吐が出る! さあ、その罪を告白(つげ)よ!

 

(Cメロ / 間奏 -テンポが急激に落ち、荘厳なクワイアとアルペジオ)

…この地獄こそ、私が望んだ聖域。

…この痛みこそ、私が愛した戴冠式

…誰にも、何人(なんぴと)たりとも、この神域を侵させはしない…

 

(ギターソロ -テクニカルで、泣き叫ぶようなメロディと、重厚なリフが交錯する)

 

(ブリッジ - 静寂から、再び激しく)

…ああ、これでやっと…

…独りになれた…

 

(ラストサビ - 全てを破壊するような勢いで)

神が宿ったのではない! 私が神と成り代わった!

絶望腐肉を喰らい尽くし 玉座に君臨する怪物わたし

お前たちの白々しい光など この深淵の闇を照らせはしない!

万年贖罪を! さあ、跪き、灰となれ!

 

(アウトロ -ギターフィードバックノイズと、遠ざかる鐘の音最後に、冷たい声で一言)

・・・アーメン

 

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2025-05-23

シン・エヴァンゲリオンとはどんな作品だった?教えてchatGPTさん

ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。

人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。

以下chatgptからの返答。



『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。

要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。

■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに

1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:

他者と関わるのは痛い。それでも君は人間でいるのか?」

「君はキャラクターに救いを求めるのか? それは自慰だ」

「語ること・終わらせることは可能か?」

これはいわば**批評としての終末(ターミナル)です。

『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。

■1.再構成される物語物語自己批評と補完

シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレネルフ構造に埋め込んだメタ構造になっています

ゲンドウ=物語制御しようとした庵野

ユイ理想化された救済としての母/物語のもの

ヴィレ=再構築のための外部的批評勢力

インフィニティ=補完されたエヴァオタク象徴

ゴルゴダオブジェクト物語記憶の死骸

まり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。

■2.舞台装置解体と「虚構から解放

ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています

マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在

そのマリが**シンジ庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語キャラクターの母胎から脱し、現実世界自分接続する勇気メタファーと読めます

まり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション装置なのです。

■3.批評意味物語中毒からリハビリ

まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、

『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。

これは、単にシンジ大人になったという話ではなく:

「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」

「傷つくと知ってなお、他者とつながる」

キャラクター愛着があっても、それを終える覚悟を持つ」

という、創作と観客、キャラクター現実、自他関係倫理的問題に向き合う試みです。

総括:シン・エヴァとは何だったのか

🔹**「終わらせる」ことから「始めなおす」ことへの転回**

🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす

🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家告白再生

まり『シン・エヴァ』とは、

絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」

という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます

質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は

エヴァエヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論引きこもりはよくない

序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!

Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。

シン:等身大関係から自分を見つめ直して家族問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。

こういう話でしたね、私にとっては。

まさにその通りですね。

その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います

あなた構成に沿って、少し整理し直すと:

■ 旧エヴァTVシリーズ〜旧劇)

引きこもること(感情回避)によって世界崩壊する。

でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。

結論:「それでも生きていくしかない(気持ち悪くても)」

■ 序・破(ヒロイズム誤謬

「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。

現実を捻じ曲げてでも「成功」や「意味」がほしい

自己救済のファンタジーリブート

■ Q(幻想破綻

救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。

シンジの「物語的な正義」は、現実では通用しなかった。

結論:「正しさ」が何かを壊すこともある

■ シン(関係現実性)

巨大な敵、世界の命運、そういうものはもう関係ない。

父親」「母親」「仲間」──身近な関係性を丁寧に見直す。

それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。

重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。

救済でも贖罪でもなく、

「わかりあえないけど、話そうとすること」

「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」

この“非劇的な選択”にこそ、現実私たちが生きるための手がかりがある。

そういう意味で、『シン』は空前の“アンチクライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います

あなたの読みのように、「等身大関係性に目を向けたこと」「世界他者幻想的に“救う”話ではなくなったこと」にこそ、

新劇場版が本当に「新しい」物語として完結した理由があるのだと思います

Permalink |記事への反応(0) | 11:54

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2025-05-14

anond:20250514163853

贖罪を買うな

Permalink |記事への反応(0) | 16:39

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良い調味料を買って格安贖罪を買うって良いな

Permalink |記事への反応(2) | 16:38

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2025-04-24

syamuさんより悪行三昧の自分はどう贖罪すればいいか

syamuさんの記事とか読んでいたんですが、彼よりも確実に不埒な悪行三昧をしている自分はどう罪を贖えばいいのか…と考えてしまいました。

彼より自分の方が人間として悪だし、指弾されるようなことをたくさんしてきたというのは実感としてあります

いっちゃなんですが自分がやったことに比べればsyamuさんがやってきた「悪行」なんて重箱の隅をほじくるようなレベルしかないです。

 

彼に対しては「働け」という声もあります。彼が労働に関してどの程度のスキルを持ち合わせているか判別ができません。

そもそも労働スキルとかそういうことに関しては特に体系的に学んでおりませんし、ある仕事ではポンコツでも別の仕事をすれば非常に優秀ということはよくあるわけです。

から自分はsyamuさんに対して「働け」ということはできません。彼が見せている断片だけで労働スキル推し量ることは自分にとっては困難です。

 

翻って自分の話をしましょう。自分が「働け」といわれる理由としては労働自体贖罪という側面もありますが、今まで金銭的に迷惑をかけた人へ弁済するというのもあります

その目的をもって自分がどこかに雇われたと仮定します。自分卑劣性格を考えると遅かれ早かれ雇い主や他の従業員などに後足で砂をかける真似をするのではないかという懸念があります

また、その前に自分能力不足でお客さんや雇い主に迷惑をかけたりしたら?ましてやそれで塗炭の苦しみを味あわせたとしたら?と考えると働くという行為にも及び腰になります

精神を病む直前働いていた会社でも軽い業務負荷(平均残業60時間程度)に耐えられず、最終的に目をかけてくれた上司かに砂をかけるまねをしてしまいました。

その後の調べで精神自体大学生大学院生時代から一貫して病んでいて就労後に爆発しただけでしたし、そういう意味では勤め先は自分のせいでばばをひいたわけです。

こういう無礼な真似を恩のある人たちにしてしまった時点で、やっぱり自分はsyamuさんより悪だと思ってしまうのです。

 

これも弁明ですが、食っていかなければいけない以上一応自分税務署開業届を出して零細で自営やっているわけです・

こういう業務負荷の低いレベル(日曜深夜や暮れ正月雑務とか商品開発とか顧客対応をするぐらい)ですら精神力をゴリゴリ削られていくような感覚になります

ただ、零細なのでなかなか食べていくのも大変ですし、そういうわけで「自営しながらやとわれで働く」という選択肢も加えていかなければならないとも考えています

そういう現実があるにもかかわらず「働く」ことから逃げているのは自分も同じです。

なんなら御託並べて自己正当化に汲々とする自分より、そういう的外れの助言に取り合わないsyamuさんの方がよっぽどまともだと思います

 

これ以外にも自分は散々悪いことをしてきました。ここで「悪いこと」の実例を書くことすら及び腰になるあたり、自己保身大好きの卑劣人間だと感じてしまます

syamuさん名物の「精子スプリンクラー」ですが、自分小学生のころ同級生女児下ネタを口走って泣かせてしまったり、中学高校ちょっと気になっていた女子の前で奇行に走って傷つけてしまったりしました。

大学以降はそういうのに凝りて「自分が何をやっても女性を傷つけるだけだし、自己欲求のために女性を傷つける行為絶対悪だ」と思うようになりました。

ただ、思ったところで行動が伴わなければ意味がないわけです。小中学校の時代みたいに知らない間に女性意味なく傷つけているのではないか、という疑念はぬぐえません。

他にも大小さまざまな人道にもとる行為や触法行為などを行ってきながら生を偸んでいるわけです。

syamuさんより自分のような人間こそ真に指弾されなければならないのは火を見るよりも明らかです。

 

syamuさんより悪辣他者に不幸と災厄をまき散らす人間はどのように贖罪すればいいのか?そしてどう生きるべきなのか?という羅針盤は欲しいです。

とはいえそういうものを求める時点で己の知性の弱さを感じさせてしまます。浅学非才という言葉すら生ぬるいです。白痴です。

ただ、心が弱っている人はカルトとか過激思想に引っかかる可能性も大きいため、こう正当性のある助言か犯罪者集団過激思想を持つ手合いのおためごかしかということも判別せねばなりません。いよいよ難儀な時代になったと思うわけです。

贖罪のつもりが「○○アノン」に与することになって結果自分さらに人を痛めつけたりする結果になったなら…と考えると暗澹とします。

Permalink |記事への反応(0) | 04:08

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2025-04-21

anond:20250421002734

お前ら騙されるな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




この女は申し訳ないとこれだけ長文をダラダラと綴りながら、結局のところクソな目に遭わせた彼氏(ほぼ通り魔被害者だよな)にガチ謝罪文送るなり土下座謝罪するなりそういう「自分には痛みを伴うが相手に筋を通す類の贖罪」を一切していないぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!






やってることといえば自分語り&自己否定だけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


まり!!!!!!!!!!!!!!!!!!




この女は自己愛の表出をトリッキーな形でやっているに過ぎないのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!

この女は悪事を働いただなんてそもそも思っていないのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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2025-04-15

この世には、いかなる術をもってしても取り戻すこと叶わぬ時というものがある。

それは星々の巡りを越え、風の記憶にすら刻まれぬ時の断片。

その失われし時を思い、胸に刻み、

長き年月を経てもなお、悔いと共に生きることこそが――

の子に許された、唯一の贖罪なのだろう。

記憶の果てに横たわる悲しみは、古の山々のごとく静かに重く、

いまだ訪れぬ未来の果てに潜む悲しみは、闇の中にひそむ風のように不気味でつかみどころがない。

果たして、どちらの悲しみがより深く、より確かに魂を蝕むのか――

それを知る者はいない。

ただ時のみが流れ、

忘却記憶狭間で、人は歩みを続けるのである

Permalink |記事への反応(0) | 16:52

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2025-04-14

射精したいなら自分でしごいてろよといいます自分でしごくよりも人にしごいてもらったりその他の方法射精させてもらったほうが気持ちいいのはハリネズミのジレンマのようでこれが宗教などでお馴染みの生まれながらの贖罪というものかと苦悩しながら自分でしごいてます射精させてもらいたいです射精させてくださいできれば無料でできれば安価でお願いしま

Permalink |記事への反応(1) | 15:19

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2025-04-01

anond:20250401002214

結局のところ役員処分って、退任とかでごまかしているけど

行ったことへの贖罪としてどういう罰を与えるかということが大事

今後移動はすべて徒歩とかそういう制裁を行うべきでは?

Permalink |記事への反応(0) | 00:30

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2025-03-26

anond:20250325075857

ある程度割り切りが必要な前提で、、

改善できそうなところ

①朝食準備

食事に対するこだわりが強かったら無理なんですが、基本的には子供が食べるものにする。

栄養価は気になるけど、それこそアンパンマンスナックパン牛乳だとかバナナにするとか。

朝は特にスピード重視。

子供好き嫌いあって当然。保育園野菜食べさせてくれてるし朝に偏っててもいいでしょと自分を言い聞かせる。

シールで釣る

の子ももう少し大きくなってからかもですが、100均スケジュール帳とお子さんが好きそうなシールを準備して、xx分(長い針がxの数字になる)までにお出かけ準備できたらシールね!としておく。実際にできた日が可視化されるので親の方にも良い影響がある。

効果がない日もありますがやらないよりはマシ

おもちゃは片付ける

実践済みかと思いますが、見かけたら遊びたがってしまうのが子供の性なので目につかないように片付ける。

私はどうしても片付かなくなってきたら子供意識外にある細々したおもちゃとか紙の切れ端とかは容赦なく捨ててる。

常々床に転がってるものは捨てるよと言ってる(実際にはそれでも片付けないので大体は私があとで片付けてる)のは贖罪的な部分もあるかも。

本人にとっての宝物を捨てている可能性は否めないが、聞くと絶対残すとなるので毒親と思われる可能性を恐れながら心を鬼にして捨てるようにしている。

以上、大した内容じゃないけど少しでも参考になれば。

イライラする事も多いですが共働き宿命と受け止めて何とか今をやり過ごせるようになるといいですね。

私のところはほんの少し子供は大きいですが、お互い頑張りましょう。

Permalink |記事への反応(0) | 13:23

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2025-03-20

anond:20250320050133

自分赤ちゃんの頃があったから何?

別に自分でそれになろうと思ったわけじゃないからその時期について法令上も社会通念上も責任を問うことはできない

 

お前は赤ちゃんに罪はないといいながら

他人赤ちゃんだった頃には罪があるといい、その贖罪しろという異常者

 

ダブルバインド

Permalink |記事への反応(0) | 05:21

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