
はてなキーワード:警部とは
・不同意わいせつの疑いで、愛知県一宮市南小渕、建築業の容疑者(54)を再逮捕
・元私立校教員高木真清容疑者(50)=不同意性交罪などで公判中=を不同意性交疑いで再逮捕
・神戸市垂水区の高校2年の男子生徒(17)を電車内で現行犯逮捕
・柔道教室の教え子ら9人に性的暴行を加えたなどとして葉県市原市、石野勇太被告(33)公判
・運転代行会社の社員の男(51)が運転代行サービス利用した女性に犯行、逮捕
・福岡県警の警部下川陽一被告(52)同僚女性への性加害、証拠隠滅が判明
・岡山県倉敷市、高校3年男子生徒(17)を不同意わいせつ容疑で緊急逮捕
・千葉県松戸市の遊歩道で女性に暴行を加えたうえ、わいせつな行為をしたとして54歳の男が逮捕
・元私立校教員高木真清被告(50)公判、学生寮で複数の生徒に性的暴行
あと、米兵が沖縄で10代女性を連れ帰り暴行で控訴審してんね。
マジで日本男の女性狙った犯罪多すぎ。そして犯人の顔、出ていない。名前もほとんど伏せられている。とんだ男割だよ
法律は知らないし経験不足なので、ちょっとしたことでテンパるし、テンパっていることがわかる。
頭は良くない。
ほとんどのことに対応できるがイレギュラーな事例や難しい事例に弱い。
クソバカでないことは確定。
一般人よりも遥かに刑事手続に詳しい。交番なら交番の全責任を負い、事件ならその事件の全責任を負う。
無惨な死体を何度も見る経験があるとか警察組織の腐敗さに絶望するなど闇を抱えている。
地域課、刑事課などの課長クラスで、その地域全部の一分野の責任をすべて持つ。
逆に言うとこの人が見逃せばその地域のその事件などは見逃されることになる砦のようなもの。頭はキレる。
小さい個々の犯罪よりも統計的に見るとか重要事案だけ見るとかしているので、しょうもない犯罪には興味が無く、ただ呆れていることが多い。
例えばサンデー掲載漫画の中で登場人物がサンデー読んでるコマとかあると
サンデーで掲載されてるお前が読んでるサンデーにはお前は掲載されてないの?ってなっちゃう
コナンとかで言えばコナンの世界には現実世界に登場する作家や作品が登場するよね。
江戸川乱歩とコナン・ザ・グレートから江戸川コナンって偽名を名乗るじゃん。
で、江戸川コナン~?なんか偽名臭いなぁ~?みたいな展開があるわけだけど
ほなら服部平次や阿笠博士や目暮警部の名前は作中の世界でどういう扱いなの?って思っちゃう
なんか俺の周辺、推理小説に関連した名前集まりすぎじゃね!?ってならないのかな
仮にクリスティーン・アガサとかが存在しない世界なら阿笠博士の名前に何の違和感もないけど
たぶん、アガサいるじゃん、阿笠もいるじゃん?ややこしいじゃん
なんかこういうどうでもいい細かいところ気になっちゃうんだよな
あと、コナンの世界でガンダムが放送されてるかめっちゃ気になる
Permalink |記事への反応(17) | 09:05
このように、本件の証拠関係をみても、静かにパネルを手に取り、一度持ち出したうえで、本件パネルをたたきつけるように元に戻していることが理解できるだけで、これを犯罪とするのは困難である。
本件窃盗事件は、9月9日に、虻川真也が、逮捕の有無は、無で、一度取り調べをしているが、9月12日になって、警部の、中村圭佑が、逮捕状を請求し、検察官三摩哲也の指揮で、9月13日、13時21分頃に逮捕している。その後においても、精神診断などが行われたにもかかわらず、それに関するカルテの結果すら編綴されていない。では、精神診断のカルテはどこに消えたのかということが問題となる。精神診断が実施されたのは、9月8日、10月1日であり、東京地検A6合同庁舎地下2階の診断室であって、様々な医学資料が置いてある部屋である。しかし、この実施したはずの精神診断に関するカルテは本件刑事記録の中を探しても見当たらない。このように、本件記録だけでは、9月9日に虻川真也が逮捕はなしで取り調べをした後に、9月12日に、中村圭佑が、逮捕状を請求し、勾留部の、脇本道治が逮捕を許可した経緯についても、まったく判然としない。
しかも、9月15日に、木下舞子検察官が実施した弁解録取書もみあたらないので、本件の刑事記録は信用できない。
木下舞子検察官は、前の建造物損壊の事件はなくなりました、終わりました、これは新件でこれからは私が担当します、三摩哲也検察官は前の検察官です、などと述べたにもかかわらず、9月20日には、またしても、三摩哲也検察官が、439号室に座っており、木下舞子検察官の言動と食い違うと言わざるを得ない。
《例えば七五年にイギリスでデビューしたコリン・デクスターという作家がいて、クリプキの可能世界論みたいな議論をそのまま探偵小説にしてしまったような、不思議な小説を書いているんですが、彼はクロスワード・パズルのカギ作りの全英チャンピオンにもなった人で、アナグラムとか暗号にこだわる作家なんです。探偵役のモースという警部が不完全なデータをもとにあり得たかもしれない仮説をつぎつぎと繰り出して、読者を翻弄する。その推理はほとんど間違っているんですが、彼はまったく意に介さない。ある意味では、暗号を解読すること自体が自己目的化して、事件の真相に到達することは二の次になっている。デリダをもじっていうと、名探偵が「真理の配達人」ではなくなってしまったわけです。》(東浩紀「不過視なものの世界」、2000年、朝日新聞社、p.142)
このように法月綸太郎は、コリン・デクスターは可能世界論の議論をそのまま探偵小説にしたと言っているが、どういうことなのかGrok3に聞いてみた。プロンプトは「コリン・デクスターの初期の小説は様相論理のようだ」というものである。以下はその引用である。Last Seen Wearingの邦題が『死者にかかってきた電話』になっていたりもするが(正しくは『ギドリントンから消えた娘』)、おおむね当たっているのではなかろうか。
コリン・デクスター(ColinDexter)の初期の小説が「様相論理(modallogic)」のようだという指摘、非常に面白い視点ですね。デクスターはイギリスのミステリー作家で、探偵モース(Inspector Morse)を主人公にしたシリーズで知られています。初期作品、特にシリーズの出発点である『ラスト・バス・トゥ・ウッドストック』(Last Bus to Woodstock, 1975)やその後の数作(例えば『死者にかかってきた電話』Last Seen Wearing, 1976)を見ると、確かに様相論理的な要素が感じられるかもしれません。以下に、その観点から論じてみます。
様相論理とは何か?
まず、様相論理を簡単に整理すると、哲学や論理学で「可能性」や「必然性」を扱う分野です。通常の命題論理(「真か偽か」)を超えて、「~である可能性がある」「~でなければならない」といった状況を分析する。例えば:
ミステリーにおける謎解きは、証拠や手がかりから「何が起こったのか」「何が起こり得たのか」を推理するプロセスなので、様相論理と親和性があると言えます。
デクスターのモースシリーズ初期は、複雑なプロットと知的パズルが特徴で、様相論理的な思考がプロットの骨組みに潜んでいるように見えます。
概要オックスフォード近郊で若い女性が殺され、モースとルイスが捜査。複数の容疑者と状況証拠が絡み合い、誰が犯人かを特定する。
様相論理的要素物語では、殺人事件の「可能なシナリオ」が次々と提示される。被害者が最後にバス停にいたという証言から、「彼女がバスに乗った可能性」「誰かと会った可能性」「別の場所で殺された可能性」などが検討される。モースの推理は、証拠から「必然的な結論」(□P)を導くより、「可能な世界」(◇P)を一つずつ排除していくプロセスに近い。たとえば、容疑者のアリバイが「真である可能性」を検証しつつ、矛盾があれば「偽である必然性」を確定する。
印象 初期のモースは直感的で、論理よりもひらめきに頼るが、そのひらめき自体が様相論理的な「可能性の探索」を反映している。
2. 『死者にかかってきた電話』
概要学校の生徒が行方不明になり、モースが過去の手がかりから真相に迫る。
様相論理的要素 ここでも「過去に何が起こったのか」という可能的状況が積み重ねられる。モースは、生徒が「生きている可能性」「死んでいる可能性」を並行して考え、証拠(電話の記録や目撃情報)から「必然的な事実」を絞り込む。この過程は、様相論理の「可能世界」を縮小していく作業に似ている。特に、複数の解釈が可能な手がかり(例えば、電話がかかってきた意味)を、状況に応じて再評価する点が顕著。
印象 初期のデクスターは叙述トリックや単純な解決を避け、読者に「何が真実たり得るか」を考えさせる構造を作る。
なぜ様相論理的か?
曖昧さと多義性 初期のモース作品では、証拠が明確な結論をすぐには導かず、複数の「可能的シナリオ」が併存する。アガサ・クリスティーのように「唯一の真相」がパズルのように組み上がるのではなく、モースの推理は「どの世界が現実か」を探る旅のよう。
モースの知的スタイル モースはオックスフォード出身の教養人であり、クロスワードや古典文学を愛する。その思考は直線的というより、可能性を試し、矛盾を排除する様相論理的なアプローチに近い。たとえば、証拠Aが「必然的にBを意味するか」を疑い、「Bが偽ならCが真か」と進む。
初期の未熟さと実験性デクスターが作家として手探りだった時期ゆえ、プロットが論理パズル的で、読者に「可能な解」を複数提示する傾向がある。これは後期の洗練されたストーリーテリング(例:The Remorseful Day, 1999)とは対照的。
デクスターの初期小説が様相論理のようだという見立ては、モースの推理が「必然性」より「可能性」を軸に進む点で納得感があります。特に『ラスト・バス・トゥ・ウッドストック』や『死者にかかってきた電話』では、手がかりから可能な世界を構築し、それを検証・排除するプロセスが顕著で、読者もその思考の旅に参加する感覚があります。ただし、後期になるとキャラクターの心理やドラマ性が強まり、様相論理的な色合いは薄れる傾向も。この指摘は、初期の知的な実験性を見事に捉えた観察だと思います。どうでしょう、この解釈に共感しますか?さらに深掘りしたい点があれば教えてください!
買い物していたら、カップルの男女がいたのだけど、男の方が「腐女子向けアニメの男キャラみたいな喋り方」だった。
なんというか、
「みてみてっ☆○○があるよっ☆」
「うわ~☆○○だよぅ☆」
そういうのは、プロの声優が演じるアニメとか2次元の世界だから成り立つのであって、現実にそういう喋り方をする男を見ると鳥肌が立つ。
ましてや、見た目が贔屓目に見ても六角精児さんじゃねーか。「いやあ、杉下警部にはかないませんなぁ。わはは!」って感じだぞ。
周りの人もチラチラみてて、他のウォッチャーと目が合ってしまった。そいつと謎の信頼感が生まれたぞ。
そういうのは家でしてほしい。それかそういうのが違和感のないグループ内でやってくれ。
カップルの女の方も、「そういう喋り方を外ですると周りから不必要に偏った価値観で評価されて、第一印象を含め君の評価に良い影響をもたらさないぞっ☆」って教えてあげてほしい。
見てて痛々しい。目障り、耳障りである。
検察官は、被告人は、捜査段階で、故意があったことを認めているし、公判廷でも、自分勝手なことをしたと述べているから、故意は十分であるというのであるが、
捜査段階における供述や、公判廷における供述に信用性などはなく、要するに、執行猶予を得ようとしてウソをいうことも当然だから、捜査段階の供述で犯行を
認めているからといって何の信用性もない。 弁護人は、面会室で被告人と話をしたが、喧嘩になっただけで話にならなかったともいうが、被告人は、10年前の
刑務所出所後に、統合失調症が4年間に存在し、令和2年2月23日、警視庁志村警察署警部が、志村健康福祉センターに、処罰しても理解しているのか
分からないという電話を入れているほどであるから、そもそも面会時に、話ができるような相手ではなく、話が出来ると思っていたこと自体がおかしい。なお、本件事件は、
検察庁で簡易鑑定に付されたものであるが、現在でも統合失調症の一類型にあるのではないか、犯行当時正常であっても、統合失調症ではないかとの鑑定結果が出ただけでなく
検察官においても、心神喪失であろうという言動があったのであるから、関係した裁判官や弁護士が、被告人とまともに話をしようと試みたこと自体が不合理であるという他ない。
なお、心神喪失であるとすると、検察官は、刑事処分ではなく、措置入院の手続きをとることができるところ、一審段階では、入院を避けるために刑事処分の方向にもっていき
この結論になったとも考えられるが、それはさておき、被告人の方から、訴因又は罰条の変更命令をすべきであるという書面が提出されていたにもかかわらず、原審が、たとえば、
https://www.youtube.com/watch?v=OTKy5ZGMkEY
バイトやパート、家族がいてファミリーで席買ってたり、なけなしの小遣いで見に来てる人は1日分のお金使って見に来てる。
ゆえにキレる
「怒ってる人ってなんか嫌だな」
と言う理由で野次ってる人・ネットでネガティブな人は文句言われるけど…話はそんな単純じゃない。
負けるのは仕方ないにせよ、1日働いた分を使って見に行った試合がブザマだったら…やりきれない気持ちにもなりますって…。ガチで
負けて怒ってるファンは
「結果に怒るのはお門違い。一番強いチームだって40〜60試合ぐらいは負けるのがプロ野球だぞ」
と思うよ?
ただ、
どう見ても打てなそうなフォームが変わらない
みたいな内容だと日当返せよって話にもなりますって…
そもそも、キレたくてキレてる人の方が少数派。
納得いかないことや、理解できない上に結果もよろしくないことにキレてるわけでして…。
「この部分を見落としてる人多すぎない?」
ってこと。
昔は今ほど草食な人ばかりじゃないけど、今は…ね
「しょせん他人事です」の7巻の野球オタクも同じこと言ってた。
こいつらが喋れば喋るほど、野球オタクってやっぱり自分の害悪性を全然理解できてないんだなってのがわかるだけなんだよな。
ここで書かれてるような感情を覚える人はたくさんいるけどTwitterで徒党になって実名だったり相手に見えるところで野次飛ばすやつって、競馬オタと野球オタクとれいわ新党の議員くらいしかいない
こんなだからお前は負け組になるんだよ・・・ではなくてもしかして逆なのか?
野球オタクは福祉にすら繋がれない弱者男性の最後の聖域かもしれない。
その人達は野球に熱くなってもこういうことを言わない・・・こともないな。
参考までに東野篤子さんに誹謗中傷していた警部のコメントも載せておきます。
https://bunshun.jp/articles/-/74653?page=2
A警部はウクライナ侵攻をめぐってX上で専門家を次々と罵倒しており、東野教授に対しても、昨年5月に〈見た目からしてバケモノ〉と中傷した上、東野教授の代理人から損害賠償を求める通知が今年1月に届いた後も、〈ウクナチ(注・ウクライナナチスの略称)擁護のヒステリーババアのスラップなんかに怯んでいられない〉などと投稿を続けていた。
「ほかの人の発言に乗っかっちゃった。私の不徳の致すところで謝罪してます」
「アノンってその他大勢っていう意味。トランプ大統領は大好きですが、Qの投稿が事実と符合することがあって面白く見てただけ。私が警察官として何かをしたっていうことは一度もありませんよ」
「他人の話を鵜呑みにしたことは申し訳ないと思いますが、私だって捜査も受けてる。それなりに社会的制裁を受けているとは思うんですけど、少しかわいそうとは思いませんか」