Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「講和条約」を含む日記RSS

はてなキーワード:講和条約とは

次の25件>

2025-09-08

[徒然なる軍人日記]

以前、「軍官僚になりたいのに軍がないからなれない」という投稿をした。

そこで、架空の国の架空の軍に所属する軍官僚になりきって日記投稿していきたいと思います

内容は国際情勢や職場愚痴、何気ない日常の話などです。

はてな匿名ダイアリー上だけでも軍官僚になったつもりで楽しみたいと思います

私の経歴は地方出身地方県立高校防衛大学校中退地方駅弁工学部工学研究科ゼネコン地方自治体技術職です。

父親地方信金マン母親専業主婦兄弟姉妹はいません。

スポーツ歴はありません。

独身現在婚活中です。

しかし、ここでは架空の国に生きる架空人物と経歴でいきたいと思います

私は増田国籍軍人です。

経歴は地方出身地方県立中学校士官候補生学校陸軍士官学校陸軍少尉任官→部隊軍令部大学校軍政陸軍局→軍令部

父親陸軍人で陸軍曹長階級で退役し、定年まで地元県警の警察官として勤めました。母親専業主婦です。

既に他家に嫁いだ姉と妹がいます

幼少期と小学校低学年はサッカー小学校高学年から県立中学卒業までは野球士官候補生学校士官学校ではラクロスをしていました。

中学時代は幼馴染と交際し、士官候補生時代には何人かの女性と遊んでいましたが、正式交際して結婚したのは軍人華族出身の妻のみ(士官結婚には各軍局長許可必要であるため)です。

私が住む増田国は東アジア位置しています

増田国は19世紀半ばまでは実権の少ない君主によって叙された諸侯たちが各所領を支配する領邦国家でした。

国際情勢の変化によって一部の有力諸侯たちによって君主を中心とする中央集権的な統一国家が形作られ、君主によって制定された増田憲法も制定されました。

増田国は第一次世界大戦勝利し、第二次世界大戦では劣勢に立たされるも、世界で初めて核分裂爆弾の開発と実戦投入に成功したことから無条件降伏を免れ、領土の縮小や賠償金の支払いにより終戦を迎えました。

ちなみに、この核分裂爆弾と実戦投入について、現在増田国内では「無条件降伏を免れ講和に導いた功績」とみなす人もいれば増田国が行った都市空爆とともに「罪のない人々の命を奪った負の歴史」とみなす人もいます

現代では後者評価をする人が多くなっていますが、年配の世代右派保守派は前者の評価を下しており、未だに国を二分するセンシティブ問題です。

第二次世界大戦後は世界を三分割する三国冷戦時代突入しました。

増田国は講和の際に手放した領土から撤退せず、本国属国植民地にて国家資本主義修正資本主義権威主義体制太平洋陣営)を敷いて、自由主義民主主義体制を敷く大西洋陣営共産主義陣営対立しました。

陣営軍拡競争ピークに達し、それぞれの陣営原子核核融合爆弾を開発して保有し、お互いに牽制し合う状態となりました。

やがて太平洋陣営大西洋陣営は各陣営経済界圧力により妥協。以降は大西洋陣営太平洋陣営を合わせた西側陣営共産主義東側陣営の二陣営による冷戦となります

増田国もこの時期に選挙法が改正され財産性別による制限のない普通選挙が導入されました。

また、軍政担当する省庁の大臣と高官は現役の武官でなければなりませんが、選挙法の改正とともにこの制度も改められました。

議会が選出した総理大臣軍政省の大臣陸軍局、海軍局、空軍局の局長指名します。君主総理大臣指名した軍人を全軍最高指揮官立場から自身政府閣僚に任命します。

この任命を軍は拒否できません。

これにより、議員内閣制が復活し軍部独裁体制も終了しました。

東側陣営経済政策の失敗と民主化革命により崩壊

これによって冷戦終結します。

私が生きる増田国の歴史はこのようになっています

増田軍は陸軍海軍空軍構成されています

そして三軍を一体に運用する統合軍組織しています

増田島国であり、本土担当する国防軍太平洋に展開する南方軍大陸領土駐留他国から実効支配批判されていますが、第一次世界大戦講和条約内にて正式領有と軍の駐留承認されています)して旧東側陣営防波堤となっている北方軍があります

これに第二次世界大戦海戦きっかけとなった鉄道爆破事件のような特殊作戦遂行するための特殊作戦軍、核兵器運用するための戦略軍を加えた5軍があります

国防軍司令官本土航空隊司令官たる空軍大将南方軍司令官太平洋艦隊司令官戦時連合艦隊司令官も兼ねる)たる海軍大将北方軍は北方陸軍司令官はてな統監も兼ねる)たる陸軍大将兼任する慣例です。

特殊作戦軍司令官情報・諜報畑出身大将就任することが多いです。

戦略軍のみ特殊最高司令官直属となっていますが、これは扱う兵器特殊から政府も関与させるためです。

増田国の統監設置国であるはてな国と某国領土問題が生じた際、北方軍は某国国境警備隊交戦しましたが、この作戦政府及び軍政省の預かり知らぬ形で開始されました。

具体的には軍令部で指揮された作戦北方軍が統監命令として実行し、君主の事後承認を得るという形で行われました。

この時、軍令部君主直属ではなく軍政省下に置き、政府コントロール下に置くべきではないかという声も上がりましたが、結局ほとんどの政党軍人の票を失うことを恐れうやむやとなりました。

我が増田国の事情はこんな感じです。

これから、私の徒然なる軍人日記投稿していきます

よろしくお願いします。

Permalink |記事への反応(0) | 21:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-04

ジークアクスってエヴァンゲリオンとかナディアとか登場させたら良かったのにな。

なんかガンダムだけ好き勝手いじって終わりだったらカラーの面々も後味悪いんじゃない?

から自分たち作品もいっしょに混ぜてグチャグチャにすればよかったんだよ。

なんかさコロニー落としとかで連邦白旗あげそうになって南極講和条約を結ぶべく、

交渉をしてるときに偶然アダムが見つかってセカンドインパクトが起こるところから始まるとかさ。

とかなんでもいいんだけど、もっとガンダムミーツカラーを濃厚に醸し出すような構造にすればよかったのに。

ガンダムエヴァが戦っても良かったしさ。

ジャンがガンダムの整備してる横でナディアブツブツ文句言ってても良かったし。

でもそういう構想もなくはなかったのかもな、って思えるのがグラタン一家見たいなのが出てるところだよね。

なんか庵野作品大甲子園ガンダムを混ぜるような構想もあったんじゃないひょっとしたら。

前にも書いたけど、いとうしゅうじ、とかどう考えても、渚カオルだしさ。

あれララァ幸せにするために何度も世界リセットしてるんだけど、

まんま碇シンジ幸せにするために世界を何度もリセットしてる渚カオルと一緒じゃんかさ。

からさ、ひょっとしたらそういう構想もあったのかも知んない。

でもなんかアイデアがまとまんなかったのかもしんないね

別にハチャメチャでよかったのにね。

とりあえずガンダム使徒が戦うとかさ、そういうのも見たかったし

暴走したエヴァガンダムチームが倒すとかさ。

もうだれもエヴァは止められない、とか言った次の週にアナハイム工場普通に整備されてるエヴァとかも見たかったし。

ガンダムイフじゃなくて、ガンダム庵野世界が交じるほうが良かったと思う。

最後にはもちろん実写パートを入れてほしかった。

もっともっとカオスアニメで良かったのに。

やっぱり結局、カラーと言えどガンダム病には勝てなかったんだな。

ガンダム病、っていうのは、「これはガンダムから真面目に作らないといけない」という病のことな

サンライズはいまだにこれを克服することが出来ない。

いや、あれあのサンダーボルトとかなああいうのとかは肩の力抜くんだけどな、

水性とかああいうのな。

あのナンバリングタイトルではないけど(ガンダムにはナンバリングがないから)実質的ナンバリングタイトル的なポジションを作るときサンライズの悪い癖な。

あいうのが伝染しちゃって結局、悪ふざけしてるようで全然出来ていない、それがガンダムジークアクスという中途半端作品だと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 20:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-13

息子がいじめられないか心配

息子がいじめられないか、正直けっこう気にしてる。

今のところ被害報告はないが、どこかで急に「対象」になる可能性はあると思ってる。

いじめるのは構わんが愛する息子がターゲットにされるのは許せない。

 

だが残念なことにうちの息子はいじめられ要素がいくつも揃ってる。

 

・顔がいい。笑顔かわいい

・頭もいい。先生ウケもいい。

・体は細身で、目立つ。

女子とよく喋る。すぐ仲良くなる。

自分意見をはっきり言う。

正義感が強くて、間違いを見て見ぬふりできない。

フィリピンとのハーフ

 

子ども社会じゃ完全に浮く。

自分がガキの頃、こんなやつがクラスにいたらちょっかい出してたと思う。

 

から入学前に言っておいた。

 

小学校幼稚園と違って、理不尽なことをしてくるやつもいる。

君には人と違う部分がたくさんある。

それは“誇り”だけど、そういう“違い”を許さないやつもいる。」

 

そのうえで、予行演習もした。

 

「たとえば、“汚いフィリピン人め”って言われたらどうする?」

 

本人は少し黙ったけど、こっちは準備してた。

このように応戦しなさいと、

 

「うっせぇわ、何様のつもりだ。

枢軸国敗戦国、それも三等国民だった日本人が、連合国側の戦勝国である我々フィリピン様に楯突くなんて、百年早ぇんだよ。

 

思い出せよ。80年前、お前らは「大東亜共栄圏」だの何だのとお題目並べて、平和暮らしていた我々の国土に土足で踏み込み勝手軍靴鳴らして侵略してきたよな?

でも、いざこっちが本気でやり返したらどうよ。腰抜け日本軍悲鳴を上げて逃げ帰ったじゃねぇか。

 

結局、戦争はどうなった? 我々の完全勝利

それで講和条約だ、賠償金だって話になったら、お前ら何て言った?

「えーん、払えないよぉ、無理だよぉ」って泣きついてきたよな。見苦しいったらない。

 

インフラ日本軍破壊され尽くしてボロボロ

それでも戦後、我々は立ち直った。

雀の涙みたいな賠償金で、こっちが「もういいよ」と手を引いてやったのに、恩を仇で返すような態度か?

 

だがな、歴史面白いもんでな。

21世紀に入ってからというものアジア通貨危機を越えた我々フィリピンは、経済成長率で日本圧勝し続けている。

たった一度、コロナ禍の年を除けば、全部勝ち。連戦連勝。

今や世界金融機関シンクタンクも、アジアで最も伸びる国はどこかと問われれば、口を揃えて「フィリピン」と答える。これが現実だ。

 

落ちぶれていくお前らと、上り調子の我々。

それでも「汚い」だの「貧しい」だの、まだそんな言葉マウント取れるつもりか?

笑わせんなよ。

 

…は? 汚ねぇのはお前ら日本人の方だろ、どう考えても。

口だけ立派で中身スカスカ謝罪もできずにヘラヘラしてる下品島国根性

お似合いだよ、その落ち目の末路がな。ワラ。」

 

ただ、息子に言わせると「長い。覚えられん」。

 

から言ってやった「わからんやつはそのへんの棒で殴っとけ」

Permalink |記事への反応(1) | 15:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-31

https://www.asahi.com/articles/AST3Z3DK0T3ZUTIL030M.html

https://b.hatena.ne.jp/entry/4768306616256187489/comment/sirobu

中にはフランシスコ講和条約原文ママ撤廃段ボールを掲げてる人たちもいた模様。連合国統治下に戻りたいってコト!?

俺にはバカが雑に作ったプラカードが曲がってサンフランシスコしか読めないんだが、目が疲れてるのかな?

それともはてなー渾身のギャグ

Permalink |記事への反応(0) | 07:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-07-08

anond:20240708001721

ドイツの巨大スタジアム

築地スタジアムにも相応に参与してくるであろう、電通(元満洲諜報機関)やテレビ利権保険大手ドイツ会社

Permalink |記事への反応(2) | 00:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-02-29

日本凄い(うんある意味な)

例えば麻生

日本政府日露戦争で戦費を海外から借金したが英米銀行団ジェイコブへの完済は1986年。

大戦を経て80年、どれだけ時間がかかっても返した、これが信用だ、日本凄い

 

こーゆー談話や言説はよく見る

日本人は愚直で誠実で勤勉で真面目だと

 

うん、ウソです

担保徴税権、関税から踏み倒す選択がなかっただけです。

デフォルトしたら直ちに税関職員イギリス人と交代。

そりゃ払うわ

 

さなくてもいいものゴリ押しで返してません。

一つは軍票

日本戦前戦中に正貨流出抑制するため莫大な軍票を発行し外地における支払いに充てた。

記録に残るものだけでざっくりと国家予算25年分も乱発したわけだが、これ一円も償還してません。

担保はなく銃で脅して相手に受け取らせたものから

 

一円も返してないんだぜ、笑うしか無い

 

日本政府の建前としては、戦後賠償でまとめて払う、払った、なんだが。

日本が支払った戦後賠償は10億USD

国家予算0.4年分

当時の国家予算が1兆円でもっとも額の大きいフィリピンに対して1900億円

 

うん、ぜんぜん計算合わないね

 

ちなみに、日清戦争では日本は1万人の戦死者を出して、その賠償請求として中国(清)から国家予算4.5年分の賠償をもぎ取った

 

19世紀、世界植民地争奪戦を行った。

搾取してボロ儲け。

ところが日本以外の先進国では第一次世界大戦以降に雲行きが変わった。

失われた世代言論メディアウェーブに乗った。

人権意識の高まり

有色人種犬猫と同じ、動物人権付与する必要はない、という旧来のロジックはもはや維持不可能だった。混血児ガンガンまれてるし。

植民地住民にも人権付与しなければならない、社会インフラを整備し教育を施し。

ボロ儲けが一転してお荷物になった。

イギリスは20世紀初頭から植民地を切り始めた、勝手独立せぇ、連邦に残りたけりゃ残してやるが国家運営は自分たちで好きにしろ中東は続々離脱

アメリカも同じ、フィリピンから大量の人や廉価な農作物アメリカ本土侵食し始めた。

同じ国内という建前だから関税やら人の移動への制限はかけられない。

 

まらん、つーことで、1934年にフィリピンを切ることにした、アメリカ議会でフィリピン独立法成立、大統領署名

フィリピン独立政府フィリピン憲法発行したらその10年後に国家独立、延長は無し、というもの

翌年1935年にフィリピン準備政府フィリピンコモンウェルス憲法)発行、州政府発足、10年後に国家独立確定。

この州政府独立性はアメリカ合衆国の「州」よりも高い自治権が設定されている。

アメリカの州というのはほぼ国家、合衆

今でも大麻厳罰の州と完全フリーの州があるよね

 

フィリピン政府国家独立に向けて様々な政策を決めた

争いが嫌いなフィリピン人、フィリピン政府国防方針中立化と定めた。

「お互い戦争は無しな」という相互条約を結んで安全保障する。

軍事力国家リソースを割く余裕が無い後発国はこの選択しか無い。

フィリピン軍事力を最小限にした。

でも植民地でしょ?どうせ傀儡でしょ?

現在英連邦所属するカナダカナダ軍の統帥権カナダ最高司令官)はイギリス国王なんだが、

誰がこれを植民地だ、傀儡だというのか。言わねぇ

当時のフィリピンの国際収支を見てもアメリカ傀儡搾取痕跡ゼロです。

 

ってところに1941年、皇軍は「可愛そうなフィリピンを救ってあげる、大東亜」で軍事侵攻

抵抗する軍事力が無いフィリピン政府は秒で「OpenCity」(非武装都市宣言)の無条件白旗

当時フィリピン人口は3000万人、殺しに殺して111万人を殺し

米軍砲撃によるものだと言うアホがいるが、日本軍事侵攻しなけりゃ米軍フィリピン砲撃しねぇわバカと先に答えておく)

日本は二年間フィリピン傀儡したが、フィリピン人口統計はこの二年間だけ見事に欠落している、資料が残ってない、誰が燃やしちゃったんだろね。

国家の基礎資料すらもすべて燃やして撤収した皇軍

 

さて、111万人の死者被害に対して日本の支払った賠償は?

国家予算0.2年分

 

日清戦争は1万人で4.5年分

 

うん、全然計算合わないね

 

日清戦争戦後賠償では、中国の「払えない、待ってくれと、勘弁して」の訴えに軍艦を横付けして脅した

巨額の賠償金が払えるわけはなく清は消滅した。

日本学校ではイギリス中国人をアヘン漬けにして滅亡させた、とミスリードを誘う教育をしている。

 

第二次世界大戦賠償交渉日本は「わいら焼け野原、みてこれ、空爆されてなにも残ってない」

当時は衛星写真など無い、地上から撮影空撮しかなく選別切り取りが容易。

 

日本人は戦後焼け野原から奇跡復興日本人凄い、と誇るが

 

うん、ウソ

そもそも焼け野原になってない

焼かれたのはせいぜい下町町工場復興が容易いもの

米軍重工業を見事に攻撃から外してるの、

米軍はすでに制空権取ってるから低高度からの精密爆撃ができた。

北九州下町焼け野原になったが八幡製鉄所は無傷

釜石の高炉は古いものだけ破壊され最新の高炉は戦後すぐに復旧している。

これは経済工業統計でも明らかで日本工業力は戦争で3-4割しか毀損していない。

ちなみに日本戦後工業統計戦時被害公式に集計し発表したのは賠償の7割を占めるフィリピンとの講和条約締結後の昭和31年から

アメリカ政府意図は早期に復興させてうまい汁を吸う気だったからね、案の定

 

アメリカ戦後利権を独り占めするために焼け野原写真世界にばらまいた。

広島長崎撮影用に原爆投下されたのだ。

そりゃあの写真みればこりゃダメだと思うわね、宣材なんだよ

案の定大国は手を引いて賠償請求権を放棄した

 

日本四季があって水道水が飲めて天皇統治して国民清廉潔白高潔

 

うん、ウソです

二季しかなく、水道水放射能とPFASで汚染され天皇戦争責任を負わず居座り国民居直り

 

なんか反論ある?w

Permalink |記事への反応(1) | 12:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-08-13

ドル円メモ

2023年8月12日ドル円、144.9円、ここで反転はありえない

 

ここ3週間のユロ/ドル高、ポン/ドル高が8月中続いたなら(あと2週)

ドル円高に転換開始

147-9円台からジリジリ下がり始める

日足200MAを割ったら120円台まで想定される、というか下げ割る

号砲はアメリカ政策金利の利下げ

現時点でも米経済状況は利上げどころかむしろ利下げに回るべきでFRBはこの判断と動きは早い

次米CPIで堅調が示され、利下げが示唆され始めたら円買いが加速する

日経平均は上がり続けるので日本政策金利の微上げ余地は生まれる、やるだろう、やらざるを得ない

YCC調整でブースト円高まら

120円台、あるいは110円台から円安反転したとしても日足200MAは跳ね返される

今年の年末ドル円120円付近日経平均は35000超え

 

しかし2024年は円安、株安に転換、わりと絶望的なレベル

 

ロシアウクライナは2023年末から1月付近で休戦

講和条約締結は揉めに揉めて半年から1年後

占領地域の期限内(5年から10年)国家独立を条件にロシア委任統治独立とは別に期限直前で住民投票によりどちらかの国に帰属するか決めるみたいなオプション特約つきで

利はロシアが取るがウクライナメンツ一定担保する方式で決着

ここら国際情勢の変化からさらに円売りは進む、日経も下がる

世界経済は活況モードに入るが日本だけ乗れない

Permalink |記事への反応(0) | 02:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-04-28

anond:20230428062214

からジオン技術的優位・戦局的優位があるうちに、電撃的に終戦まで押し切るべきだったんですね

有利な条件での講和条約締結が現実的だけど、ナショナリズムジオニズム)を刺激し過ぎた結果、それができなかった

そうすると短期で敵の戦意を完全に削ぐような戦術コロニー落としをやるのが正着だったと

Permalink |記事への反応(0) | 06:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-10-02

anond:20221002214722

停戦なんだからええやろ

終戦して講和条約むすんだらダメだろうけど

Permalink |記事への反応(1) | 22:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-04-17

フィンランドNATO加盟のタイムラグを無くすたった一つの冴えたやり方

フィンランドNATO加盟国宣戦布告、形だけの攻撃

NATO軍がフィンランド領内に侵入して無血占領

降伏or和平

講和条約北大西洋条約条約同時発効にする

 

フィンランドNATO加盟申請して効力が出る(集団防衛義務)までの間にロシア攻撃される可能性が危惧されているが、これは北大西洋条約1011条のため。

TheNorth Atlantic Treaty

Article10

 

The Partiesmay,by unanimousagreement, inviteany other EuropeanState in a position to further the principles of this Treaty and tocontribute to the security of the North Atlanticarea to accede to this Treaty.AnyState so invitedmay become a Party to the Treatyby depositingits instrument of accessionwith the Government ofthe UnitedStates of America. The Government ofthe UnitedStates of Americawill inform each of the Parties of the deposit of each such instrument of accession.

 

第十条

締約国は、この条約原則を促進し、かつ、北大西洋地域安全に貢献する地位にある他のヨーロッパの国に対し、この条約に加入するよう全員一致の合意により招請することができる。このようにして招請された国は、その加入書をアメリカ合衆国政府寄託することによつてこの条約締約国となることができる。アメリカ合衆国政府は、その加入書の寄託を各締約国通報する。

Article11

This Treaty shall be ratified andits provisions carriedoutby the Parties in accordancewith theirrespective constitutional processes. The instruments of ratification shall be depositedas soonas possiblewith the Government ofthe UnitedStates of America, whichwill notifyall the other signatories of each deposit. The Treaty shall enter into forcebetween theStates which have ratifieditas soonas the ratifications of the majority of the signatories, including the ratifications ofBelgium,Canada,France,Luxembourg, theNetherlands,the United Kingdom andthe UnitedStates, have been deposited and shall come into effect withrespect to otherStateson thedate of the deposit of their ratifications.

第十一条

締約国は、各自憲法上の手続に従つて、この条約批准し、その規定実施しなければならない。批准書は、できる限りすみやかにアメリカ合衆国政府寄託するものとし、同政府は、その寄託を他のすべての署名国に通告する。この条約は、ベルギーカナダフランスルクセンブルグオランダ連合王国及び合衆国批准書を含む署名国の過半数批准書が寄託された時に、この条約批准した国の間で効力を生じ、その他の国については、その批准書の寄託の日に効力を生ずる。

まり、加盟希望国が加盟できるのは既加盟国招聘により、その招聘は既加盟国の全員一致が原則

からロシアには緊張を高めるために国境侵犯して紛争を起こし紛争国にしてしまうという手がある。

またロシアは各国の極右を手先にしていて彼等はプーチンロシア利益自国孤立して得られる利益の為に動く。反国際主義だがロシアは別なのだな。仏の大統領選次位のルペンもこれに含まれる。更にルペンNATO離脱派だ。

過去中欧加盟では加盟には結構プロセスを踏んでいて、希望国は根回し外交平和維持軍への派兵等の域外活動に参加したりした上で全員一致の承認を得ている。

なのでロシア対立状態にあるフィンランドの加盟は難航するしその間にロシアが何するか判らなくて危険

だったら冒頭みたいな無茶しないと紛争に持ち込まれちゃうわけよ。

このアイデアだったらある日いきなりNATO軍が領内に居るから手を出せないし講和と同時に軍事同盟加盟は不自然じゃない。

フィンランド人の血が流れたらそれが原因で加盟も流れちゃうのだから無駄死にになってしまう。だからこのブリリアントアイデアしかないのだ。

 

ま~でもロシア歴史的に、多方面で利の無い戦争継続してたら内乱皇帝処刑される、臨時政府が打倒されるってのがパターンなのだが。動員せずに戦争じゃなくて特別軍事作戦と言ってるのもそのせいでしょ。

Permalink |記事への反応(0) | 18:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-06

anond:20220306011145

お前は日本人から原爆落とされて無条件降伏基準になっているようだけどな

戦争の勝ち負けというのは諸外国交えての

講和条約の締結だぞ?

日本も一応連合軍それぞれに講和条約結んで

敗北してるから

例えばさ、お前サッカー野球試合

結果出た後に、試合途中でファインプレーした

負けチームの選手がいたり 1 - 0 で接戦したか

これは負けてないとか言うのか?

それと同じだぞ?お前の論調

卑屈になるなよ日本人

Permalink |記事への反応(0) | 11:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-01-26

パンティーヶ原の戦いでパンティー軍が勝ったパンティラインに住んでる

結論から言うと、東軍が勝ったパンティラインに住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までのパンティー史を書いていく。

 

パンティー川家康関ケ原パンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。

その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼白パンティーを履く。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易パンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。

 

19世紀になると大名支配していた地域で縫製労働者下着難民代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想パンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想パンティーと大して関係がないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由パンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育きっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティ連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティ戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。

 

20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティ列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域代表者からなる元パンティー院、PANTY議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、パンティ地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアヌーディストノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジアインド中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合アメリカソ連の再建の中心となる。

21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合全裸連合ノーパン連合、紐パン連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

Permalink |記事への反応(1) | 17:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20210126012231

皆さん騙されてはいけません。

私も西軍が勝った世界線に住んでいますが、元記事歴史修正主義者が書いた悪質なプロバガン増田です。

順を追って訂正していきます


その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す


後述しますが、冒頭から近世日本の歴史観の中で最も悪質なミスリードです。

大名は「定着せず」ではなく「定着させなかった」が正確ですし、「関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎」は極めて恣意的表現になります


戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。


この部分はある意味で正しいですが、重要事実が省かれています。確かに日本列島内での大名間の大きな争いは起きませんでしたが、関ヶ原後の豊臣氏はかつて秀吉が行った朝鮮出兵を再開したのです。

石田三成が中心になって行われたこ出兵、いわゆる「元和の唐入り」は簡単に言ってしまえば外敵を作ることによる諸大名の結束を図るものでしたが、結果として成功を収めてしまます

朝鮮半島支配下に置いた豊臣政権は、万暦の三大征で国力を失っていた明との間に戦わずして講和条約を結びます。その後朝鮮半島現在に至るまで日本領地となっており、そのため元和の唐入り対外戦争ではないという風潮(沖縄北海道みたいな扱い)が強いのは事実ですが、現代人に都合のいい歴史観ではないかという議論存在します。

こうしてアジア大陸進出した日本が当時の国際貿易において強い存在感を発揮し商業により発展していくのも事実ですが、ここでも重要な部分の言及が省かれていますキリシタン大名南蛮豪商存在です。

当初は秀吉バテレン追放令を引き継ぐ動きを見せていた豊臣政権ですが、交易重要性が増すにつれてキリスト教宣教師活動制限することに無理が生じていきます。またこの頃、日本での貿易事業で一旗揚げようとポルトガルスペインから移住してきた事業家、いわゆる南蛮豪商が急増したことキリスト教信仰の活発化につながっていきます

政権はなし崩し的にキリスト教を認めていくことになりますが、そうした流れで力を付けていくのがキリシタン大名です。彼らは表立って政権や4大大名権力争いをすることはありませんでしたが、着実に海外とのコネクションを強めていき、国内キリスト教勢力の強固な後ろ盾となります


武士がいなくなっていくにつれて神道儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない


冒頭の部分にも関係して、ここも悪質なミスリードです。たしか武士消滅神道儒教の衰退は同時期に発生しましたが、そもそもこの2つ事柄に直接の因果関係はありません。

しかしこれらが同時に発生したのには明確な同一の原因があります。それが前述したキリシタン勢力の台頭なのです。

政権貿易政策キリスト教容認に対して、元よりキリスト教対立していた朝廷はもちろん、元東軍を中心とする従来の武家社会に重きを置く大名勢力は当然反感を高めていました。これは感情的な部分だけではなく、元西軍派が中心となった貿易事業利益享受できなかったという側面もあります

そんな中、細川家、井伊家を中心として天皇を旗印に政権を打倒しようとする動きが見られるようになり、寛文になる頃には挙兵寸前まで緊張感が高まっていたと言われますしかし、そのタイミングで寛文近江若狭地震が発生し、天皇の住む京都も大きく被害を受け、挙兵どころではなくなってしまます

それに対してすかさず政権が取った対応は、表向き地震被害から避難理由にした江戸への遷都(寛文の遷都)でした。遷都といっても移ったのは天皇住まい形式上朝廷機能だけで、政権機能大阪を中心とした関西圏に残ったまま…つまり政権は目の上の単瘤だった朝廷を体よく遠ざけた形になります。元東軍はこれに乗じて江戸に集結・再度の挙兵を試みますが、キリシタン大名による牽制南蛮豪商による経済的妨害もあり叶うことはありませんでした。この頃から旧来の武家勢力神道信仰は急激に衰退していくことになります

ではこれで豊臣政権キリシタン勢力の共同支配は盤石のものになったかといえばそういうわけでもありません。形式上の都である江戸やその近辺の関東では都野伏(みやこのぶせり)、隠れ神道といった形で反南蛮勢力が生き残りつづけます。そして18世紀入ってしばらくした頃、天皇不可侵元首とする「大和帝国」として独立を果たします。その後も色々ありましたが、現代において大和帝国はの国際社会にも認められた独立国家となっています。そういう背景がありますので、現代日本領土として残っている関東地方には「ほとんど人が住んでいないド田舎」という表現が当てはまりますが、関ヶ原当時の関東地方の大部分は現代においては大和帝国領土となりますので、そこを隠すのは悪質で不誠実な表現であると言わざるを得ません。

他にも訂正が必要な部分はありますが、長くなってしまったので今回はこの辺にしておきます

東軍世界線みなさんは西日本人の悪質なプロバガンダには騙されないように気をつけてください。

Permalink |記事への反応(6) | 15:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

関ケ原の戦い西軍が勝った世界線に住んでる

結論から言うと、東軍が勝った世界線に住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までの歴史を書いていく。

徳川家康関ケ原で討ち死に。徳川秀忠切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。

その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

関ケ原の戦い後、小早川秀秋関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼関白になる。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こし元凶で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域農民労働者が蜂起して自治権漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教二大勢力になっている。その後、ユダヤ教イスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。

19世紀になると大名支配していた地域労働者農民代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約議会承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由議論して学ぶのがメイン。この教育きっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合国家形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、仏教キリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。


20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるもの民主的憲法国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域代表者からなる元老院APS議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアファシストナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APS共産圏欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国共産党APSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APS中東諸国に対する共産圏アメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことAPSアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合アメリカソ連の再建の中心となる。


21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合北米連合南米連合アフリカ連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

Permalink |記事への反応(25) | 01:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2020-08-01

年表(近現代

関ヶ原の戦い日露戦争

1600-10-21 関ヶ原の戦い

1615-05-07 大阪城落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡

1853-05-23 アメリカ艦隊浦賀沖に来航(黒船来航)

1861-04-12 アメリカ南北戦争1865年5月9日まで)

1865-04-15 リンカーンアメリカ大統領暗殺

1867-01-30 孝明天皇崩御

1867-02-13 睦仁親王践祚

1867-11-09 大政奉還

1868-01-03 王政復古

1868-01-27 戊辰戦争1869年6月27日まで)

1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)

1868-10-23 元号慶応から明治に改められる。

1871-08-29 廃藩置県

1872-10-16 琉球処分琉球藩設置)

1875-06-28 讒謗律太政官布告)及び新聞紙条例太政官布告公布

1877-02-14 西南戦争1877年9月24日まで)

1877-05-26 木戸孝允死去

1878-05-14 紀尾井坂の変(大久保利通暗殺

1879-04-04 琉球藩廃止沖縄県設置

1888-03-09 ヴィルヘルム1世プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御

        フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1894-07-25 日清戦争1895年4月17日まで。宣戦布告1894年8月1日台湾平定終了は1895年11月30日)

1898-07-30 ビスマルク死去

1901-01-22 ヴィクトリアイギリス女王崩御

1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)

1904-02-10 日露戦争1905年9月5日まで) 

.

日露戦争終結太平洋戦争勃発

1905-09-05 日露両国講和条約ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)

1909-10-26 伊藤博文暗殺

1910-08-22 韓国併合ニ関スル条約調印

1910-08-29 韓国併合ニ関スル条約発効

1912-07-30 明治天皇崩御皇太子嘉仁親王践祚元号明治から大正に改められる。

1914-07-28 第一次世界大戦1918年1111日まで)

1921-11-25 皇太子裕仁親王摂政就任

1922-02-01 山縣有朋死去

1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印

1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効

1925-04-22 治安維持法公布

1925-05-05 普通選挙公布

1926-12-25 大正天皇崩御皇太子裕仁親王摂政)が践祚元号大正から昭和に改められる。

1927-03   昭和金融恐慌

1927-04-05 鈴木商店破綻

1928-06-04 張作霖爆殺事件

1929-10-24 大恐慌

1930      昭和恐慌

1930-10-02 日本ロンドン海軍軍縮条約批准

1931-09-18 満州事変柳条湖事件に始まる)

1932-03-01 満州国建国

1932-05-15 五・一五事件

1936-01-15 日本ロンドン海軍軍縮条約を脱退

1936-02-26 二・二六事件

1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効

1937-07-07 日中戦争1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称

1939-05-11 ノモンハン事件

1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告

1939-09-01 第二次世界大戦ドイツポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)

1940-01-26 日米通商航海条約失効

1940-03-30 中国汪兆銘政権成立

1940     アメリカ、対日石油輸出を制限

1940-09   アメリカ、対日屑鉄全面禁輸

1940-09-23 北部仏印進駐

1940-09-27 日独伊三国同盟調印

1940-11   日本アメリカの各種交渉1941年12月まで)

1940-11-30 日本中華民国間基本関係ニ関スル条約日華基本条約)調印

1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達

1941-04-13 日ソ中立条約調印

1941-06-22 独ソ戦ドイツバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)

1941-07-26 アメリカ在米日本資産の凍結を実施

1941-07-28 南部仏印進駐

1941-08   アメリカ、対日石油全面禁輸

1941-08-28 近衛首相ルーズベルトアメリカ大統領に首脳会談提案(結局、沙汰止みとなる)

1941-11-26 アメリカ日本に対しハルノート提示

1941-12-08 太平洋戦争日本英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)

        1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。

1941-12-16 戦艦大和竣工

.

太平洋戦争

1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲東京空襲

1942-06-05 ミッドウェー海戦

1942-07   日本軍、フィリピン全土占領

1942-08-07 米軍ソロモン諸島ガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸

        (ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)

1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官ブーゲンビル島上空で戦死海軍事件)。

1943-05-12 米軍アッツ島上陸5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。

1943-09-30 御前会議絶対国防圏構想を決定。

1943-10-01 在学徴集延期臨時特例(勅令)の公布

1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。

1943-11-22 エジプトカイロ英米首脳会談カイロ会談。26日まで)

1943-11-28 イランテヘラン英米首脳会談テヘラン会談。同年12月1日まで)

1944-03-08 日本軍、インパール作戦開始

1944-04-17 大陸打通作戦(同年1210日まで)

1944-06-19 マリアナ海戦日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋制海権制空権喪失

1944-07   ブレトン・ウッズ協定

1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。

1944-07-18 東條英機内閣総辞職

1944-07-22 小磯国昭内閣成立。

1944-08-02 テニアン島日本玉砕テニアンの戦い)

1944-08-11 グアム島日本玉砕グアムの戦い)

1944-09-11 米軍ペリリュー島上陸ペリリューの戦い

1944-10-20 米軍フィリピンレイテ島に上陸レイテ島の戦い)

1944-10-23 レイテ海戦始まる。

1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29マリアナ諸島より東京を初空襲

1944-12-10 日本軍、大陸打通作戦完了

1945-01-06 ルソン島の戦い(同年8月15日まで)

1945-02-04 クリミア半島ヤルタ英米首脳会談ヤルタ会談11日まで)

1945-02-18 硫黄島の戦い(同年3月22日まで)

1945-03-10 東京空襲

1945-04-01 沖縄戦(同年6月23日まで)

1945-04-12 ルーズベルトアメリカ大統領死去。トルーマン副大統領アメリカ大統領に就任

1945-05-02 ベルリン陥落

1945-08-06 アメリカ広島県広島市原子爆弾を投下

1945-08-08 ソ連日本に対し宣戦布告

1945-08-09 アメリカ長崎県長崎市原子爆弾を投下

1945-08-14 日本ポツダム宣言を受諾

1945-08-15 玉音放送

1945-09-02 日本政府ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争大東亜戦争終結

1945-09-09 日本政府中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結

.

戦後占領バブル崩壊

1945-09-10 国共内戦

1950-06-25 朝鮮戦争

1950-08-10 警察予備隊設置(後身は陸上自衛隊

1951-09-08 日本国との平和条約サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約

        (日米安保条約)調印

1952-04-26 海上警備隊設置(後身は海上自衛隊

1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効

        日本占領状態が終了し、独立国

1952-08-05 日本国と中華民国との間の平和条約発効

1952-10-15 警察予備隊保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1953-03-05 スターリン死去

1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催

         (於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーホテル

1954-06-01 保安隊臨時松島派遣隊編成

1954-07-01 自衛隊法施行自衛隊成立)

        陸上自衛隊保安隊から改組)、海上自衛隊海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置

1954-12   高度経済成長1973年10月まで)

1955-11-15 自由民主党成立(保守合同

1955年11月  1975年4月30日 ベトナム戦争

1956-07   昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)

1956-12-12 日ソ共同宣言発効

1956-12-18 日本国際連合に加盟

1958-08   大躍進政策

1960-06-23 新日安全保障条約発効

1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。

1962-10-15 キューバ危機

1963-11-22 ケネディアメリカ大統領暗殺

1964-08-02 トンキン湾事件8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)

1964-10-01 東海道新幹線開業

1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年1024日まで)

1966-05-16 無産階級文化大革命文化大革命)(1976年10月6日まで)

1971-01   世界経済フォーラムダボス会議を開催)設立

1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)締結

1971-07-15 ニクソン訪中宣言

1971-08-15 ドル・ショック

1971-12-18 スミソニアン協定

1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)

1972-09-29 日本政府中華人民共和国政府共同声明

1973-10-06 第四次中東戦争

         勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。

1973-10-21 日米欧三極委員会の初会合(於東京

1975-04-30 ベトナム戦争終結

1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)

1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)

1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印

1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効

1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱

1985-09-22 プラザ合意

1986-12   バブル景気1991年2月まで)

1987-10-27 1987年大韓民国国民投票

1987-12-08 中距離核戦力全廃条約INF条約)発効(2019年8月2日失効)

1989-01-07 昭和天皇崩御元号昭和から平成に改められる。

1989-04-01 消費税導入(当初は3%)

1989-06-04 六四天安門事件

1989-12-03 マルタ会談終了(冷戦終結

1989-12-29 日経平均株価取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。

1990-03-27 総量規制バブル崩壊の始まり

.

現代バブル崩壊パンデミック

1990-10-03 東西ドイツ統一

1991-01-17 湾岸戦争

1991-12-25 ソ連崩壊

1993-07   衆院選自民党が敗北し、非自民連立政権誕生する(55年体制終焉

1993-11-11 欧州連合条約マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)

1995-01-17 阪神淡路大震災

1995-03-20 オウム真理教による地下鉄サリン事件

1995-11-23 Windows95日本国内で発売される。

1996-03-23 台湾民主化総統民選となる)

1997-04-01 消費税率が3%から5%に上がる。

1997-07-01 香港返還

1997-07   アジア通貨危機

1997-11-03 三洋証券経営破綻会社更生法適用申請する)

1997-11-17 北海道拓殖銀行経営破綻公表

1997-11-24 山一證券経営破綻公表

1998-10-23 日本長期信用銀行、破産国有化

1998-12-13 日本債券信用銀行、債務超過国有化

2001-01-06 中央省庁再編

2001-09-11 アメリカ同時多発テロ事件

2003-03-20 イラク戦争201112月15日まで)

2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行

2008-09-15 リーマン・ショック

2009-09-16 鳩山由紀夫内閣総理大臣に指名される(政権

Permalink |記事への反応(0) | 18:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-09-30

anond:20190930223612

江戸の三大改革をすべて挙げろ」とか「日清戦争日露戦争講和条約はそれぞれ何?」とかは暗記じゃん。

三大改革の中身や日清戦争日露戦争の経緯は流れで覚えられても具体的な単語は暗記だよ。

Permalink |記事への反応(1) | 22:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-06-16

anond:20190616065852

ただし

日露戦争後の日比谷暴動でも、ロシアとの講和条約の内容は覆らなかったけどね

外国に抗議するのならば、国内で騒いでもあんまり効果はないっす

Permalink |記事への反応(1) | 21:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-02-16

anond:20190216201904

イギリス香港中国に99年で返還した。

アメリカ日本戦後99年経ったら返還すべきだろう。

いくら戦争で負けた責任を負わされているとはいえ、100年以上も日本在日米軍居座り続けるのは、図々しいと言わざるを得ない。

韓国北朝鮮イギリスならい日本に対して謝罪と賠償要求するのは、戦後100年までと割り切るべきだろう。

 

香港返還(ホンコンへんかん)とは、1997年7月1日に、香港主権イギリスから中華人民共和国返還、再譲渡された出来事である

1842年の南京条約(第1次アヘン戦争講和条約)によって、香港島が清朝からイギリス割譲された。さらに、1860年北京条約第2次アヘン戦争アロー号戦争)の講和条約)によって、九龍半島南端割譲された。その後、イギリス領となった2地域緩衝地帯として新界が注目され、1898年の展拓香港界址専条によって、99年間の租借が決まった。以後、3地域イギリス統治下に置かれることとなった。

Permalink |記事への反応(0) | 20:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-10-08

anond:20171008192049

戦時賠償問題存在しないから。

いや、正確にはあるんだけど、中国韓国と逆で、こちらがシベリア抑留捕虜大量死賠償を求めるべき立場で、政府は今の所その要求もしていない。なぜなら第二次大戦講和条約ロシアとは結んでいないし、その交渉さえしていないのだから

したがってロシア国内プロパガンダのために日本の残虐性云々を持ち出すことはしないし、もちろん慰安婦問題もないので、右翼の神経を逆なですることはない。

でも事実として北方領土問題はあるし、クリミアグルジア問題を見ればわかるようにロシアは一貫して勢力圏南方拡大の野心を持っているので本当は脅威だと思わないとおかしい。

Permalink |記事への反応(0) | 21:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2015-09-26

韓国の歴史メモ

紀元前108年~220年:漢     (植民地

221年~245年:魏         (植民地

108年~313年:晋         (植民地

314年~676年:晋宋梁陳隋唐  (属国

690年~900年:渤海        (属国

1126年~1234年:金        (属国

1259年~1356年:モンゴル    (属国

1392年~1637年:明        (属国

1637年~1897年:清        (属国

1897年下関条約により清の属国から解放される←←←←←←ココ重要

1903年ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシア属国化回避

1905年1945年日本保護国併合

1945年1948年アメリカ(非独立)←←←←←←ココも重要

1948年大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)

1948年軍事独裁政権誕生

1948年済州島4.3事件 3万人虐殺

1950年朝鮮戦争 400万人殺し合い

1950年保導連盟事件 30万人虐殺

1951年国民防衛軍事件10万人虐殺

1951年居昌事件 8500人虐殺

1979年:軍出身大統領政権誕生

1980年光州事件 600人虐殺

1993年:初の文民政権誕生←←←←←←韓国民主化してまだ20しかたっていない

1997年アジア通貨危機国家財政崩壊によりIMF土下座

2012年米韓FTA可決、事実を知った国民火病デモをするも後の祭り

日清戦争講和条約下関条約

日清戦争講和条約は第一条から朝鮮独立国と認めて朝鮮から清への貢物は廃止する」。

日清戦争清国側の宣戦詔勅にはっきり 『朝鮮ハ我大清ノ藩屛タルコト二百余年…』(和訳)と謳った上で戦闘状態に入った上での馬関条約一条

Permalink |記事への反応(1) | 07:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2014-05-29

FE覚醒のここが気に入らない

キャラ絵に惹かれてずっと気になってたFE覚醒を今更ダウンロード購入したんだけど、なんだかこう、胸の辺りがもぞもぞする感覚が止まないので増田に吐き出し。ネタバレなので未プレイの方は要注意。

まず、主人公王子様が「王族なのに自警団」なんだけど、王子なんだから直属部隊とか騎士団があって、正規軍としての役割を持ってていいと思うんだけど、そうではなくてあくまで自警団らしい。王様鳩派だけど王子様は鷹派だからなのか?講和条約制限された軍備を持っていて、秘密裏に軍事作戦を行うから自警団を名乗ってるのか?という説明もなしに「王族自警団をやって悪い法はない」で説明が済まされるのが気に入らない。十分悪いよ!国家を預かる者が国家の枠組みから外れた戦力を持ってる時点で普通法律違反だよ!

さらにこの自警団、何を目的としているのかがよく分からない。最初国境付近が敵国の侵略をうけているから、という理由が説明されてるけど、ずんずん国境から離れて北上してまた別の国まで行って同盟結ぶ。そんなことしてるうちに味方が人質にされて王様呼び出される。のこのこ国境の荒れ地まで呼び出されて行く王様。苦渋の決断により戦争突入、のはずがあっさり抜け出して主人公に合流する人質。で、戦争になったか王様避難させるはずが、何故か反対側、自国の奥の方から攻め込んでくる敵国軍国境はどうなった。で、あっさり王様人質になる。そうしたら猛烈な勢いで反攻して敵国居城に侵入した上、最後の拠点まで落とし切る。国境はどうなった。

この流れの中に、「自警」してる要素がまったく見えないんだよ。殴られたから殴り返す、俺正義、ってだけ。国民生命財産を守って、その利害の為に戦っているというのが全く見えない。現実世界戦争国家間の問題を解決する手段になるか、というのは確かに難しい問題だけど、その生命線は常に、我々がこの世界で生きて行けるだろうか、という問題。人間の数に対してリソースは常に不足してるから、二つの混じり合わない集団が接すれば必ず争いは起きる。その影には、飢えて、病で、死んで行く自分たちの側の人々が存在してる。少なくともそれだけやるせない問題を抱えているんでなければ、人が人を殺す権利があるとは思えないし、現実世界平和を保つ事が難しいのは、平和というのは常にその裡に争いを抱えてるからだと思ってる。その微妙な「正義」の問題を、この作品世界では、世界を滅ぼす邪竜と世界を守る神竜っていうメタ安易善悪二元論で置換してしまってる。だけど、戦争の敵国がその二元論に関心があったとは、少なくとも途中までは全く思えない。

話の途中で海の向こうから攻めて来た帝国なんて、邪竜側に加担してるわけでもない。船で乗り込んで主人公側を「侵略する」ポーズを取ったら、やっぱり主人公側が猛烈な勢いで反攻して隣の大陸まで行って最後の拠点まで落とし切られる。その結果得られる物は、実際には味方が保管していた聖玉だけ。それさえあれば後はいらないとばかりに、打ち負かされた帝国放置して帰還する主人公達。流れを遠目で見ると、主人公側が言語道断侵略者に見えてくる。さらに流れは、最初に戦って打ち負かした敵国が今度は邪竜のしもべに乗っ取られて最悪の敵として襲いかかってくる、と続く。主人公側が戦後処理きちんとしないで荒廃させたまま放置たからじゃないんでしょうか…?

とまあ、こんなことが気になる時点で、ゲームをやる年齢じゃなくなってるってことなんでしょうが。同じように感じた人いないのかなあ…。某界隈ではスミアたんばっしばし叩かれててああ…って思ったけど、彼女瑕疵作品瑕疵に比べてそれほど大きいとは思えないので可哀想になってくるです。

Permalink |記事への反応(1) | 23:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2010-10-16

民主党は、民主主義政体における政党としては失格である

国際連盟脱退を喜び、日露講和条約に対して日比谷焼打事件が起きた。

官房長官は、これらを引いて、民意に従う事の危険性を主張した。だが、これらはすべて、国民に彼我の戦力・国力差について、知らしむべからずで行っていた為に、民意暴走したという事案であって、民意に添うことの危険性を主張するのは、筋が違う。

これらの歴史事実を教訓とするならば、事実を隠していると、民意が捻じ曲がってしまうという点であり、尖閣諸島沖で撮影されたビデオを隠す事は、同じ過ちを繰り返す事に他ならない。

このようなことを牽強付会と言う。柳腰外交辞書を書き換えろという主張であったが、今度は、歴史事実解釈を書き換えろという主張で、歴史捏造する中国や南鮮と同じレベルになってしまっている。間違った認識を滔々と論じて恥じないばかりか、間違いを指摘されて逆切れするのは人格障害者に分類すべきである。精神異常者は、然るべき施設に軟禁すべきであり、国会議員として多額の歳費を与えて飼うような余裕は、我が国に無い。

民主主義においては、最終的な政治責任国民が負う以上、全ての情報国民に知らしめる必要がある。政治家だけが政治責任を背負うというのは、大きな間違いであり、民主主義政体においては、政治家国民代弁者に過ぎない。代弁者牽強付会をやらかすことを、常識的に考えて、国民は望んでいない。

自民党が隠していた情報を公開して、無駄天下りによる癒着を無くすという公約を、守れないばかりが、自民党以上に隠蔽体質である事が明らかになっている。民意によって政権交代を為しえたと、都合の良い場面にの民意民意と利用するのでは、自民党よりも酷い。

党名に民主を名乗りながら、民主主義とはかけ離れた体質をしているというのは、羊頭狗肉の類であろう。官房長官大臣といった個人の資質の問題ではなく、政党自身の体質の問題であると、認識せざるを得ない。

Permalink |記事への反応(0) | 16:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2010-08-02

誰が誰をホロコースト

はじめに

途中で腹の立った人、題名で既に私の言いたいことがわかった勘のいい方、時間のない方は「本文」を飛ばして「おわりに」を読んで頂きたい。

本文

あなたは、

あなたの旦那さんは、

あなたの息子さんは、

戦争に負けて、巨額の賠償を強いられて、ハイパーインフレの国に生まれたら、家族を養えますか?

父親が貴族やユンカーでもないかぎり自活は無理でしょ。本人の資質努力、やる気なんて関係ありません。どんなに能力、やる気があっても、恐慌と重税下で家族を養える20代の男性なんてほぼ皆無です。外国を侵略したとか言われてるけど、外国を侵略せずに必死で働いてたら、食べていけたと思います?

多くの若者を死なせた国が終戦したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。

支援するのは誰?

・旧敵国(賠償免除、借款)

米国

中立国国際機関

でしょうか。現実的には、戦火を交えた旧敵国(旧敵国も戦争で荒廃してるでしょうし)が自分の生活物資に加え“7000万の敗戦国民の生活物資”を維持し続けるのも、このご時世では苦しいでしょう。

つまり、1910年代世界大戦を起こした国が敗戦した場合

(1)本人が貴族やユンカーで高額収入がある

(2)旧敵国に相当の稼ぎがあり、敗戦国民7000万名の生活物資を何年にもわたって供給し続けられる

(3)中立国が助ける

で、ないかぎりは、

(4)東方拡大により生存圏を確保する

しか、敗戦国に生きる道はありません。

だったら、ヴェルサイユ講和条約を受け付ける時に、

・父親が貴族やユンカーではなく、

政府が支払うと約束した額と現実的な支払い見通しが不十分で、

・旧敵国に、生活物資を支援する財力と予定があると確認できなければ、

「では、このままオーストリアとズデーテンラントに行って、手続きしていってくださいね」と、講和条約を調印する係の人が、講和条約と引き替えに合邦協定草案を渡しながら言う必要があるんじゃないの?

違うのかな・・

「育てられないのに降伏するなんて無責任」という人は、1910年代帝国主義をしちゃダメだと言ってるの?

敗戦する可能性”は誰にでもあるでしょ。“敗戦しても自活できる経済力を付けてから戦争しろ”ってこと?それが責任ある態度だというの?それいったい何世紀くらいのこと?22世紀くらい??何世紀まで働いたら“賠償しても国民7000万人養える経済力”なんてつくの?

民族自決ってのは、同じ民族は一つの国家に住みましょうね、っていう政策なんじゃないの?そのために国際連盟まで設立したりしてんじゃないの?

★★★

記録のための事件概要

1914年6月サラエヴォで、兄弟国の皇太子暗殺される

1914年7月兄弟国は戦争を決意。当事国に最後通牒(後に期限切れで宣戦布告)。

・当事国の同盟国も戦争に備えて総動員を始める。

1914年8月国家防衛のため総動員を開始、自動的に戦争突入

1918年11月 革命と共に終戦。隣国は皇帝を引き取り、共和国としての歴史が始まる。

1921年3月 ロンドン会議が開催され、賠償額が決定。総額1320億マルク。

7月頃から国内争乱開始か。大統領緊急令を連発するなどし法によらない解決を繰り返す。

国内に賠償踏み倒しの声が聞こえ、隣国による保障占領が相次ぐ。イギリス調停を試みるが、国会が運営できず。

1930年ヒンデンブルク(当時大統領)が議会依存しない内閣の結成を命じる。

1933年1月軍部による反大統領クーデターの噂(未確認)

大統領国防軍には屈服せず、ヒトラー首相に指名する。

ポーランド西部のアウシュヴィッツでは、虐殺されたユダヤ人無数が遺体発見される。

1945年4月30日 ベルリンが陥落したところを、ヒトラー自殺

今日時点で報道されている範囲でのまとめです。)

★★★

ホロコースト”の意味は、虐殺とか、抹殺という意味だと思うのだけど、

この事件では、誰が何をホロコーストしたの?

A)ナチスユダヤ人ホロコースト

B)国民民主主義ホロコースト

C) 旧敵国が敗戦国再建をホロコースト

★★★

この総統が苦学生だった20世紀初頭、ヴィーンでの親友だった音楽家の証言より再構成

彼が総統となってヴィーンに来たときですか?私を接見してくれましたよ。

監視?もちろんなしです。本当ですよ。

それではどうしてあなたはあのいまわしいヒトラーを殺さなかったのですか、ですって?

どうしてって…。彼は私の親友だったからです。

民族自決もいいけど、既に分裂している国家も、もうちょっと合併したらどうかな、旧敵国。

600万人のユダヤ人ご冥福をお祈りします

おわりに

言うまでもないが、改変元→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801

冗談抜きで、ふざけるなと言いたい。「盗人にも三分の理」というが、同情する余地のない人間などどこにもいないのだ。しかしだからといって、追いつめられれば何をやってもいいかのごとく触れ歩くのは単なるデマゴーグに留まらない、犯罪的な言説だ。そもそもこの手の言説は、子供虐待することなく立派に育て上げている圧倒的大多数のシングルマザーに対する侮辱であることに気がつかないのか。恥を知れ恥を。

まして、「なんでも環境のせいにするな、全ては自己責任」という俗流過激ネオリベ思想を推進しているこのデマゴーグブロガーが、こういうときだけ全て環境のせいにするなど、ふざけるにも程がある。

そして、「ジェンダー」という錦の御旗を振りかざされれば目が眩んでことの本質が見えなくなる馬鹿はてな民よ、恥を知れ。

人を殺すぐらいなら、もっとまともな手はいくらでもあったはずなのだ。いくら追い込まれての行動とはいえ、同情の余地にも限度があるに決まっていよう。同情の余地があれば全てが免責されるわけでもなければ、悲惨な境遇に追い込まれれば誰もが罪を犯すわけでもない。

勿論、仮にヒトラーが生まれた時期があと50年遅ければ、誰一人を殺めることもなく平穏に生を終えることができたのかもしれない。逆に、私が当時のドイツに生まれていたらヒトラーと同じことをやったかはともかく、その下手人にぐらいはなっていた可能性だってあることは重々承知している。それぐらいの「想像力」は当然ある。しかしそんなことがヒトラーを免罪することになどならないのは言うまでもない。もしそれを赦すことができる者がいるとすれば、神仏のような超越的な存在でしかあり得ないだろう。いずれにせよ、現実社会ではヒトラーは赦されることは未来永劫あり得ない。それが世の道理というものだ。

この事件、いったいそれと何が違うのだ。「ネグレクトしない自信はない」そんなことはあたりまえだ。母子家庭であろうとなかろうと、ネグレクトをしてしまう可能性はある。人間とはそういうものだ。しかし、その責任を自ら引き受けることなく子育てなんてそもそもできるわけがない。育児に限らず、一寸先は闇の現実世界というのはすべてそういうものだ。誰も、他人が過ちを犯す可能性を零にしてやることはできないのだ。なんとか自分を律するように最善を尽くすしかない、それが本当の意味の「自己責任」ではないのか。

Permalink |記事への反応(7) | 23:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2009-12-08

シモ・ヘイヘ

シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä,1905年12月17日 -2002年4月1日)は、フィンランド軍人、狙撃手。フィンランドソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、フィンランドが生んだもう一人の天才スナイパー、スロ・コルッカと並んでソビエト赤軍から恐れられ、史上最多の確認戦果2505名射殺の記録を残している。




当時のロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトゥヤルヴィで生まれ、幼い頃から猟師を営む。1925年に軍へ入営。1939年から1940年にかけて起こった冬戦争では、フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に所属し、故郷の町に近いコッラー河付近での防衛任務に就いた。

ヘイヘは平均気温-20℃から-40℃という酷寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行い、その活躍によりソビエト軍兵士からロシア語で"白い死神"を意味する "Белая Смерть"(ビェラーヤ・スミェールチ。フィンランド語では"Valkoinen Kuolema")や“災いなす者”等と仇名された。

戦争中のコッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ヘイヘを含むフィンランド軍32名が64000名のソビエト連邦軍を迎撃、拠点防衛に成功し、この丘陵地は“殺戮の丘”と呼ばれた。フィンランド軍は終戦までコッラー河付近の領土を守り抜き、この戦果は後に“コッラーの奇跡”と呼ばれた。

ヘイヘは冬戦争中、防寒着の背中を砲弾の破片がかすめて切り裂かれた以外はほぼ負傷する事はなかったが、終戦直前の1940年3月6日ソヴィエト軍兵士の銃撃を頭部に受け、あごを撃ち抜かれる重傷を負う。友軍に救出されて一命を取り留めたが、意識不明のヘイヘを回収した兵士は「彼の頭は半分なくなっていた」と述べており、後年の写真でも傷痕が確認される。3月13日意識を回復したものの、すでに冬戦争はその前日のモスクワでの講和条約締結を以て終戦を迎えていた。

戦後、ヘイヘはグスタフ・マンネルヘイム元帥と面会し、コッラー十字章を受勲、兵長から少尉へと5階級もの特進を果たしたが、その後戦場に出ることは無く猟師兼猟犬の繁殖家として余生を過ごし、かつて自らが守ったロシアとの国境線近くのルオコラハティで、2002年に96歳でこの世を去った。




ヘイヘは狙撃において、ソビエト側では旧式になりつつあったモシン・ナガンM28を使用していた。冬戦争当時、物資や銃弾が極端に不足していたフィンランドは、戦前からソビエトの軍事的影響を受けていた為、多くの制式装備がソビエト製だった。このため戦場で鹵獲した敵の装備をそのまま使用でき、ヘイヘも敵の武器であるモシン・ナガンを使用することになった。ヘイヘは身長約152cmと小柄ながら、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。後にその活躍から、サコ社によって調整された特製のモシン・ナガン[1]を与えられている。

モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、ヘイヘはこれを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。これは、猟師時代からの射撃姿勢への慣れ[2]と装備の軽量化に加え、レンズによる光の反射で自らの位置を悟られるのを嫌ったことによる。当時の狙撃にはスコープの使用が当たり前になっていた中で、あえてこれを用いずに多くの敵を倒したヘイヘの名声はさらに高まった。ヘイヘの使用したモシン・ナガンのうちの1丁は現在フィンランド国立軍事博物館に展示されている。

ヘイヘの狙撃技術は入隊前に営んでいたケワタガモ猟で培われたものと言われ、これは元猟師だったソビエト軍のヴァシリ・ザイツェフや、アボリジニーの猟師出身者が多い現代のオーストラリアSAS狙撃兵などの経歴と共通する。ヘイヘの狙撃は連続的な射撃と精度を両立していたとされる。狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に46発の射的に成功したという逸話[3]が残され、実戦でも300m以内ならほぼ確実に目標の頭部を狙撃したと言われている。

ヘイヘが狙撃で殺害した人数は最終的に24500名から25540名と言われ、いずれにしても世界記録となる[4]。この中には狙撃銃以外の火器によるものや、未確認の殺害数は含まれていない。またヘイヘはサブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では3200名以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した10505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間のうちに残されており、1939年クリスマス直前の12月21日だけでも525名の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が4138名に達していたという。

1998年晩年を迎えたヘイヘは狙撃の秘訣を問われた際、一言「練習だ」と答えたという。また、自らの残した記録については、「やれと言われたことを、可能な限り実行したまでだ」と述べている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%98

Permalink |記事への反応(1) | 23:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2009-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20091128213601

あくまで仮定の話だけど。

1945年頃の日本核兵器持ってて、なおかつアメリカに(本土でなくてハワイあたりで構わない)その核兵器を落とすだけの能力があったら広島長崎もなく、無条件ではないもう少し日本に有利な講和条約が結ばれて戦争終結してたと思いますよ。

Permalink |記事への反応(1) | 21:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp