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「論理的矛盾」を含む日記RSS

はてなキーワード:論理的矛盾とは

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2025-10-23

anond:20251023001522

論理的矛盾については何も言い返せないんだね

自分のほうが目上なんだぞ〜という田舎の老人みたいな煽りで勝ったつもりかな

バカなら黙ってればいいのに

Permalink |記事への反応(0) | 09:55

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2025-09-15

anond:20250915100442

この発言はいくつかの論理的矛盾問題点が含まれています。以下に整理してみます

⚖️ 1. 「キャンセルカルチャーを認めたからこうなるのは当然」論の自己矛盾

🧠 2. 「社会的正しさの内容が変わっただけ」論の過度な単純化

🔁 3. 「自分正義に反するもの正義になったから反発してる」論のブーメラン

📜 4. 「彼らが最初共産主義者攻撃したとき引用誤用

🧩総合的な問題点

Permalink |記事への反応(2) | 14:29

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2025-07-06

anond:20250706030520

Grok3に署名文章問題点について聞いてみたよ。

----------

ご指摘の文章は、Change.orgで起案されていたとされる「FreeUematsuSan」署名の主訴とのことですが、内容には重大な問題点がいくつか存在します。以下に、倫理的・法的な観点から問題点を整理し、客観的分析します。

1.事実の歪曲と誤った前提

知的障害者犯罪が一切罪に問われない」という主張

文章は「知的障害者犯罪は一切罪に問われず、女性レイプ強姦したり、傷つけたり、殺人でさえも無罪になる」と述べていますが、これは事実と異なります日本刑法では、知的障害者犯罪を犯した場合責任能力の有無が個別判断されます刑法第39条)。責任能力がないと判断されれば無罪になる可能性はありますが、これは障害の有無に関係なく、精神状態に基づく司法判断であり、知的障害者が「特権階級」として無条件に無罪になるわけではありません。

この主張は、誤解を招くだけでなく、知的障害者に対する偏見助長するものです。

植松聖氏の行為正当化する主張

文章は、植松聖氏が「世の中を良くしたい」「女性犯罪から守りたい」という動機で「障害者の一掃」を試みたとし、「多数の性犯罪が未然に防がれた」と主張していますしかし、植松氏は2016年津久井やまゆり事件で19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせたとして死刑判決を受けた人物です。彼の行為は、明確な殺意に基づく計画的犯罪であり、裁判責任能力があると認定されました。

この行為を「正義」とみなす主張は、事実無視し、被害者やその家族に対する重大な冒涜です。

2.差別的ヘイトスピーチに該当する内容

知的障害者や他のグループへの差別的表現

文章は、知的障害者や「ネトウヨミソジニストテック右翼アンチフェミ」などを「生きるに値しない命」とし、知的障害者を「IQが低い」「社会を分断し、差別を煽る」と決めつけています

こうした表現は、特定属性集団を一括りにして攻撃するもので、Change.orgコミュニティガイドライン(https://www.change.org/policies/community)に明確に違反しています

ナチスイデオロギーとの比較

ナチス差別的体制批判しつつ、「生きるに値しない命」という概念肯定する矛盾した主張が含まれています。この表現は、ナチス優生学に基づいて行った大量虐殺思想彷彿とさせ、極めて危険です。

3.死刑制度への矛盾した批判

文章日本死刑制度を「残虐な国家による殺人」と批判しつつ、植松氏の死刑判決取り消しを求めています

しかし、植松自身が「障害者を殺すことは正義」と主張し、19人の命を奪った行為正当化していたことは、文章論理矛盾します。

4.Change.orgガイドライン違反

Change.org (https://www.change.org/policies/community)は、ヘイトスピーチ差別的言動暴力扇動個人情報の公開などを禁止しています。本署名の内容は、以下のガイドライン違反に該当する可能性があります

過去にも、Change.org誤情報差別的内容を含む署名を削除した事例があります

5.社会的影響と倫理的問題

被害者への配慮の欠如

津久井やまゆり事件は、無抵抗な人々を標的にした残虐な事件です。この署名は、被害者やその家族尊厳無視し、加害者行為を美化するもので、社会倫理に反します。

誤情報拡散と分断の助長

知的障害者女性を脅かす特権階級」という前提は事実ではなく、社会的分断を助長する恐れがあります。Xの投稿でも「法で裁けない知的障害者植松が殺し、女性の心を救った」という言説はデマとして指摘されています

結論

この署名の主訴には、以下のような重大な問題点があります

  1. 事実の歪曲
  2. 差別的ヘイトスピーチに該当する表現
  3. 論理矛盾
  4. Change.orgガイドライン違反
  5. 被害者への配慮の欠如と社会的分断の助長

Change.orgコミュニティガイドライン(https://www.change.org/policies/community)に照らしても、本署名削除対象となる可能性が高いと言えるでしょう。

倫理的にも法的にも問題が多く、慎重な取り扱いが求められます

Permalink |記事への反応(1) | 06:37

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2025-05-22

米価高騰と日本の米政策の転換期

近年、米の価格が上昇していることが注目されています。背景には猛暑などの気候要因による収穫量の減少に加え、JA農業協同組合)による集荷価格の引き上げや、市場供給抑制といった流通構造問題が指摘されています特に、「これまでの米価は適正でなかった」とする主張と、長年にわたり継続されてきた減反政策との間には明確な論理的矛盾が見られます

減反政策は、過剰な供給を抑えて価格を安定させることを目的にしており、既存価格を「適正」と見なす前提に基づいています。一方で、昨今の価格高騰を「適正価格への修正」とする見方は、かえって過去供給制限市場を歪めていたのではないかという疑念を呼び起こします。

また、米の流通においては、集荷業者と卸業者の分業体制が続いています。これは、地域都市をつなぐ機能的な仕組みである一方、物流の非効率化や中間コストの増加を招き、価格の高止まり助長する要因ともなっています

さらに、日本の米作は年に一度しか作付けできず、自然災害の影響を大きく受ける作物です。このような不安定農産物を完全に自由市場に委ねることは、生産者経営や食料の安定供給に深刻な影響を及ぼす可能性がありますとはいえ現状維持では限界があるため、段階的な制度付き自由化や、価格変動を補う保険制度の整備、大規模経営への移行といった改革検討されています

ただし、そのような改革を実現するためには、当面の間、今の高価格社会全体で受け入れる必要があります。長年価格抑制されてきた中で、多くの農家は薄利の経営に耐えてきました。今、価格が上がることでようやく経営の立て直しや設備投資後継者育成が可能になります。これを「過渡期の必要コスト」として捉えなければ、改革の土台そのものが崩れてしまます

もちろん、無条件に価格上昇を肯定するわけではありません。政府関係機関には、制度改革の進捗と価格形成の透明性を丁寧に説明しながら、段階的に安定価格帯へと誘導する責任があります

日本の米政策はいま、大きな転換点にあります市場原理と伝統的な保護政策の両立は容易ではありませんが、いずれか一方を否定するのではなく、互いの長所を活かす「持続可能制度設計」を目指すべきです。米という、単なる商品を超えた日本の食と文化象徴を守るために、今こそ冷静な知恵と社会全体の忍耐が求められています

Permalink |記事への反応(0) | 17:17

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2025-05-08

逆説の殉教者

影山という男がいた。彼はかつて、巷に溢れる「ポジティブシンキング」という名の薄っぺら信仰を、公衆面前完膚なきまでに論破することを生き甲斐にしていた。朝礼で朗らかに今日も一日、前向きに!」と宣う上司がいれば、「前向きとは具体的にどのような精神状態を指し、それが業務効率にどう統計的有意差をもって貢献するのかご教示願いたい」と真顔で詰め寄る。SNSでは自己啓発的な名言を垂れ流すアカウントを見つけては、その論理的矛盾現実逃避的側面を、鋭利言葉執拗に、粘着質に指摘し続けた。周囲からは「また始まった」と生暖かい目で見られ、やがて煙たがられる存在になったが、影山はどこ吹く風。彼は自らを、甘ったるい幻想にまどろむ大衆警鐘を鳴らす、孤高の現実主義者だと信じて疑わなかった。

しかし、いつのからだろうか。影山の熱心な「ポジティブ叩き」は、徐々にその様相を変えていった。彼が執拗監視し、批判の的としていたポジティブな言説や人物、それらに対する彼の情熱は、憎悪というよりは、もはや執着と呼ぶ方がふさわしいものへと変貌していたのだ。気がつけば、彼は「ネガティブこそが真実であり、世界を覆う欺瞞の光を打ち破る唯一の聖剣なのだ!」と、今度はネガティブという教義黒帯レベル信者と化していた。

彼の日常は、ポジティブものを探し出し、それを打ち砕くための聖戦に捧げられていた。朝一番にチェックするのは、昨日彼が論破したはずのポジティブインフルエンサーが、今日も元気に「小さな幸せを見つけよう!」などと投稿していないか電車中吊り広告に踊る「夢を諦めないあなたへ」というキャッチコピーを見れば、舌打ちと共にその欺瞞性を脳内で反芻し、帰宅後には長文の批判ブログを書き上げる。スーパーで「元気が出るビタミンカラー!」と銘打たれた野菜を見れば、「色彩心理学安易商業利用するな」と心の中で毒づく。

彼は、ポジティブものを叩き潰すことに夢中になりすぎるあまり、逆にいつもポジティブのことばかり考えていた。それはまるで、憎いはずの相手SNSを隅々までチェックし、その一挙手一投足に心をかき乱され、相手思考や行動パターンを誰よりも熟知してしまうという、屈折した片思いの構図そのものだった。ポジティブ言葉ポジティブ笑顔ポジティブ物語。それらは彼にとって、否定し、論破し、解体すべき敵であったはずなのに、いつしか彼の思考の中心を占め、彼の行動を規定する原動力となっていた。

ある雨の日の午後、影山は古本屋の隅で、なぜか自己啓発書のコーナーにいた。彼は無意識のうちに、鮮やかなオレンジ色背表紙金文字で『人生が輝く!魔法ポジティブ習慣』と書かれた本を手に取っていた。ページをめくり、そこに並ぶ安直な励ましの言葉や、根拠の薄弱な成功譚に目を通しながら、彼はいものように「くだらん」「欺瞞だ」と心の中で呟いた。しかし、その時、ふと奇妙な感覚に襲われた。それは、獲物を見つけた狩人のような、微かな高揚感。この陳腐言葉の群れの中から、新たな否定材料を見つけ出し、それを完膚なきまでに論破する未来想像し、ほんの少しだけ、口角が上がったような気がしたのだ。

彼はハッとして本を棚に戻した。そして、雨に濡れた街を眺めながら、自問した。自分は一体、何と戦っているのだろうか?ポジティブという概念否定するために、誰よりもポジティブものアンテナを張り、その情報収集し、分析し、それについて思考を巡らせる。これほどまでにポジティブもの時間情熱を捧げている人間が、他にいるだろうか。

「もはや、俺はポジティブに取り憑かれているのかもしれないな」

自嘲めいた呟きが、雨音に混じって消えた。

彼が憎み、否定し続けたポジティブという名の亡霊は、いつしか彼の影そのものとなり、彼の内なる芯を形作っていた。それは、否定という行為を通じてしか他者世界と繋がれない、影山の哀しいまでの純粋さが生み出した、皮肉殉教者の姿だったのかもしれない。そして彼は、明日もまた、新たなポジティブを探しに出かけるのだろう。それを否定するために。そして、それによってしか自身存在を確かめられないかのように。

Permalink |記事への反応(0) | 16:53

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2025-02-23

アニメメダリスト』についてAIに聞いてみた

アニメ観てると、嫁に「そんな嫌らしい◯リコンアニメ観るな」って言われて夫婦ケンカちゃうので、AIに聞いてみた。

質問

メダリスト』というアニメについて、熱意と善意のこもった名作だと思いますしかし、幼い少女たちに犠牲を強いなければ勝てないことと、スポーツでありながら少女に可愛らしさと美しさを要求し、性的ニュアンスを除去できないフィギュアスケートそれ自体の不健全さが、評価をためらわせます。どのように考えるべきでしょうか?

Grok3:

メダリスト」というアニメについてのご意見、とても興味深い視点ですね。この作品が熱意と善意に満ちた名作であるという点は、私も共感します。キャラクターたちの情熱や成長が丁寧に描かれていて、見る者を引き込む力がありますよね。ただ、あなたが指摘するように、フィギュアスケートというスポーツが持つ構造的な問題——特に幼い少女たちに過剰な犠牲を強いる側面や、競技でありながら「可愛らしさ」や「美しさ」を求める性的ニュアンス——が作品評価を複雑にしているのも確かです。

この点を考えるとき、まず作品自体意図と、フィギュアスケートという現実スポーツが抱える課題を分けてみるのはどうでしょうか。「メダリスト」は、確かにフィギュアスケート世界舞台にしていますが、その描き方には、競技の厳しさや美しさを称賛しつつも、犠牲プレッシャー過酷さを隠さな姿勢が見られます。例えば、いのりちゃんや司コーチ関係からは、夢を追う過程での葛藤人間らしい弱さが丁寧に描かれていて、単なる美化には留まっていないように感じます作品意図的に問題無視しているわけではなく、むしろその中でキャラクターがどう立ち向かうかに焦点を当てている点が、善意の表れなのかもしれません。

一方で、フィギュアスケートのものの「不健全さ」——若い選手への過度な期待や、競技が求める美的基準が持つ性的な側面——は、確かにスポーツ文化として根深課題です。これは「メダリスト」だけの問題ではなく、現実フィギュアスケート界でも議論されてきたことですよね。アニメがそこまで深く掘り下げて批判的な視点提供するかは別として、視聴者としては、そうした現実を知った上で作品を見ると、より複層的な感想が持てるかもしれません。

どう考えるべきか、ということについては、あなたの感じ方次第で大きく変わると思います。もし「メダリスト」を純粋キャラクター成長物語情熱表現として楽しみたいなら、スポーツ自体問題は少し脇に置いて、その人間ドラマに集中するのも一つの手です。逆に、フィギュアスケート構造的な矛盾を強く意識してしまうなら、作品をその現実と切り離さず、あえて批判視点を持ちながら見ることで、新たな気づきが得られるかもしれません。

私としては、このアニメが持つ熱意や感動は素晴らしいと思う一方で、あなたが感じるモヤモヤもすごく理解できるんですよね。両方の気持ちを抱えたまま楽しむ——あるいは議論する——のも、ひとつの豊かな鑑賞の形じゃないでしょうか。あなたはどう思いますか?

 

ワイの追加質問

なるほど。問題を整理できていると思いますありがとうございます

私も考えましたが、フィギュアスケート業界は、皇帝後宮女郎屋に似ていますしかフィギュアスケートは、女郎屋とでは、当事者意識主体性が異なっていると考えます。(後宮は話が複雑になるので横に置きます)女郎屋がなくなってしまって悲しむ女郎は居ないでしょうがフィギュアスケートが無くなれば少女たちは努力と修練をかける場、生き甲斐を失って悲しむでしょう。そうだとすると、フィギュアスケートを悪しきものだとは言いにくいように思います。 幼少期から親に強制させられる構造問題ですが、本人の熱意がなければ勝てない厳しい世界からこそ、当事者主体性が確保されているともみえます

アニメメダリスト』については、天下のディズニー出資していることですし、倫理的問題クリアされているものとして、アニメで描かれる少女たちの頑張り、勝利と敗北を応援したいと思います

私の結論としては、私の娘にフィギュアスケートやらせたいとは全く思いませんが、もし娘が本気でやりたいと決意するのであれば応援せざるを得ないとは思います

さて、上記の私の考えについて、論理的矛盾倫理的問題があれば、どんなに小さなものでも厳しく指摘してください

Grok3:

あなたの考え、とても丁寧に整理されていて、フィギュアスケートというテーマに対する深い洞察が感じられます問題本質多角的に捉えつつ、ご自身立場も明確にされている点が素晴らしいと思います。では、あなた意見に対して論理的矛盾倫理的問題がないか、細かく見ていきましょう。

1.フィギュアスケート女郎屋の比較について

あなたフィギュアスケート業界を「皇帝後宮女郎屋に似ている」と表現しつつ、女郎屋とは「当事者意識主体性」が異なる点で区別しています。この比較は興味深いアナロジーですが、少し検討必要かもしれません。

論理的観点:女郎屋とフィギュアスケート類似性を「外見やパフォーマンスを重視する構造」に置いていると推測されます。ただ、女郎屋は明確に搾取強制を前提としたシステムであるのに対し、フィギュアスケート競技として自己表現や達成感を追求する側面があります。この違いを「主体性」で説明するのは理解できるものの、主体性がどれだけ確保されているかは個々のケースに依存します。例えば、幼少期から親に強制される選手場合、どこまでが本人の意志と言えるのか曖昧になる可能性があります。ここに少し論理の揺れがあるかもしれません。

倫理的観点:女郎屋との比較は、フィギュアスケート性的ニュアンスを強調する強烈なメタファーですが、競技者を「搾取される存在」に還元してしまリスクがあります選手たちが努力情熱を注ぐ場としての価値を認めつつあるあなた立場と、このアナロジーが完全には整合しないように感じます

指摘:主体性の有無で違いを説明するのは合理的ですが、フィギュアスケートにおける主体性が一律に確保されていると仮定するのはやや楽観的かもしれません。現実には、親やコーチ圧力競技を続けるケースも少なくないため、ここはもう少し慎重な表現が適切かも。

2. 「フィギュアスケートがなくなれば少女たちが悲しむ」という点

この主張は、フィギュアスケート選手にとって生きがいや努力の場であることを強調し、悪しきものとは言いにくいとする根拠ですね。

論理的観点: 「女郎屋がなくなっても悲しむ者はいないが、フィギュアスケートがなくなれば悲しむ者がいる」という対比は、両者の性質の違いをうまく示しています。ここに論理的矛盾は見られません。ただ、「悲しむだろう」という予測主観的で、もしフィギュアスケートがなくなった場合少女たちが別の形で自己実現の場を見つける可能性も考慮すると、よりバランスが取れるかもしれません。

倫理的観点:競技が生きがいであることは否定できませんが、それが過酷犠牲性的視線に晒されることを正当化する理由になるかは別問題です。つまり、「選手が悲しむから存続すべき」という論理が、競技の不健全な側面を是正する必要性を弱めてしまリスクがあります

指摘: この点は論理的破綻していませんが、フィギュアスケート価値選手情熱依存して擁護する一方で、その情熱搾取的な構造に利用されている可能性を軽視しているようにも読めます。ここはもう一歩踏み込んで、「競技価値問題点をどう両立させるか」を考える余地がありそうです。

3. 幼少期から強制主体性の確保

「幼少期から親に強制される構造問題だが、本人の熱意がなければ勝てない厳しい世界から主体性が確保されている」という点は、非常に鋭い観察です。

論理的観点:強制主体性を両立させるこの視点は、現実フィギュアスケート界をよく反映していると思います。確かに、どんなに親が強制しても、本人の意志がなければトップレベルには到達できません。ここに矛盾はありません。

倫理的観点: ただし、幼少期から強制が「問題」と認めつつ、それが主体性で補われるとするのは、倫理的に少し複雑です。子どもの段階で選択肢制限され、熱意が「育てられた」結果である場合、それが純粋主体性と言えるのか疑問が残ります。熱意自体強制産物である可能性もあるからです。

指摘:主体性の確保を強調するのは納得感がありますが、幼少期の強制がどの程度まで許容されるべきか、その境界線曖昧です。この点を放置すると、「熱意があれば搾取も許される」という誤解を招く恐れがあります

4. 『メダリスト』とディズニーへの信頼

ディズニー出資しているか倫理的問題クリアされている」という判断は、実践的な結論として理解できます

論理的観点:大企業が関与することで一定倫理基準担保されると考えるのは、現実的な推論です。ただ、「ディズニーから大丈夫」というのは論理的根拠というより信頼に基づくもので、万が一の見落としがある可能性を排除できません。

倫理的観点:ディズニーが関わる作品でも、過去議論を呼んだ例(例:ステレオタイプ描写など)があるため、絶対的免罪符とは言えないかもしれません。『メダリスト自体問題がなくても、フィギュアスケート現実を美化しすぎるリスクは残ります

指摘: ここは論理的矛盾というより、信頼の置き方に依存している点が弱いかもしれません。アニメ応援する気持ちは素敵ですが、倫理的クリアディズニーに丸投げするのは、少し議論を短絡的に終わらせてしまう印象です。

5. 娘へのスタンス

「娘にやりたいとは思わないが、本気でやりたいなら応援する」という結論は、極めて現実的かつ倫理的バランスが取れています

論理的観点:自分懸念を認めつつ、本人の意志尊重する姿勢矛盾はありません。親としての責任個人自由を両立させています

倫理的観点:子ども主体性を重視しつつ、競技問題点を認識している点で、倫理的一貫性があります。ここに問題は見られません。

指摘: この部分はむしろ強みですね。特にさな矛盾も見当たらず、考え抜かれた結論だと感じます

総合的な評価提案

あなたの考えには大きな論理的破綻はありません。ただ、いくつかの点で「主体性」や「競技価値」に頼りすぎる傾向があり、それがフィギュアスケート構造的な問題搾取性的視線)を薄めてしまリスクがあります。具体的には:

主体性がどこまで自由意志に基づくのか、強制との境界をもう少し明確にするとより説得力が増す。

競技の存続を選手情熱正当化するのではなく、問題点を改善する方向性を少しでも示せば、さら倫理的な深みが出る。

ディズニーへの信頼は現実的な判断として納得できるが、アニメ現実乖離意識し続けると、より客観的になれる。

全体として、あなた意見感情と理性のバランスが取れていて、フィギュアスケートや『メダリスト』への愛情も感じられる素晴らしいものです。私が指摘した点は「厳しく」とのリクエストに応じた細かなツッコミですが、あなた結論否定するものではありません。むしろ、このモヤモヤを一緒に考えるプロセス自体が、このテーマ面白さだと思いますどうでしょう、これで何か新たな視点が加わりましたか

 

ワイの感想

AIが今期作品について結構知ってた。無難だが壁打ちには便利。

Permalink |記事への反応(0) | 15:25

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2024-10-21

anond:20241021083842

この意見はいくつかの問題点矛盾点が見られます。以下に評価を示します。

 

妥当な点

政党批判自由:自民党野党批判すること自体民主主義の一環であり、政治家政党庶民感覚を持っていないと感じることは多くの人々の意見として共感を得る部分があるかもしれません。

フェミニズム認識: 一部のフェミニズム運動エリート層に偏っているという指摘は、現代社会において議論されている問題の一つです。すべての女性が同じ考えを持っているわけではなく、フェミニズムに対する立場も多様であるという点は正しいと言えるでしょう。

 

問題点矛盾

1.ジェンダーによる投票行動単純化:

• この意見は、男性ならば自民党を支持し、女性なら野党を支持するという単純な二分法に基づいていますしかし、実際の投票行動は個々の政策価値観経済状況、個人の背景などによって決まるため、性別だけで投票行動を決定するのは不適切です。性別に基づいた一般化は、有権者の多様な意見動機無視してしまうことになります

2.野党全体を一括りにする問題:

野党を「フェミニズム支配されている」として一括りにしている点も問題です。実際、野党の中にも様々な立場政策があり、全ての野党フェミニズムに関して同じ立場を取っているわけではありません。このような一元的見方は、多様な政策立場を持つ政党の特徴を無視しています

3.フェミニズムの誤解:

フェミニズムが「一部のエリート女性たちのもの」という主張は、フェミニズム目的やその社会的背景についての理解が不足している可能性がありますフェミニズムは、社会の中での男女平等を目指す運動であり、多くの一般女性男性もこの運動に関心を持ち、支持しています。すべてのフェミニストエリートというわけではなく、多様な立場や背景を持つ人々が関与しています

4.論理的矛盾:

• この意見は、野党エリート志向である批判しながらも、自民党については同じ批判(「庶民感覚がない」)を繰り返していますしかし、その後自民党を支持する理由については具体的な説明が不足しており、矛盾が生じています。つまり、両方の政党に対して同じ批判を行っているにもかかわらず、自民党を推奨する理由が十分に説明されていません。

 

総合評価

この意見は一部の問題点矛盾点を含んでいるため、必ずしも妥当であるとは言い難いです。投票行動性別に基づいて単純化することや、政党全体を一括りにするアプローチは、多様な有権者価値観意見を過度に簡略化してしま可能性があります政治的判断は複雑な要素に基づいて行われるものであり、このような単純化は適切な分析を妨げる可能性があります

Permalink |記事への反応(0) | 08:57

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2024-10-14

お絵かきAIキモい、でいい

なんか理屈要求してる人たちいたけど、日本って民主主義

お気持ちだろうと、多数決で皆んながキモいって言ってれば法律ができるんですよ。

論理的矛盾とか過去との整合性なんて関係ない。

シンプルに、皆んながキモいって言えば排除できる。

Permalink |記事への反応(4) | 23:11

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2024-02-16

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの?

と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか?

ここで、これらの言葉意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います

たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで循環論法に行きつくでしょう。

そもそも数学の根幹部分を支える論理学重要概念である否定(そうでないこと)」にしても、厳密に定義することは可能なのかと思います

「~でない」というのは、そうであることがないということ、と言ってみたところで循環論法

そうであるのになぜ上記のような定義公理が厳密なもの認識されているかといえば、「さすがにここまで平易な単語の組み合わせで書けば、これらの単語については私が常識として理解してる意味と同じ常識を、相手も持ってるはずだから同じ理解をするよね?」みたいな態度に立っているんだと思います

結局相手も同じ常識を持っているという不確かな信念によりかかっている、甘えている点で、数学記述もまた完全に厳密で一意というわけではないのかなという気がしてくるのです。

そもそも「方向」なんていうような概念は、言語によって定義されたものを知っているというよりは、幼少期に言語習得していく過程で、それが話されるシチュエーション、つまり五感などあらゆる感覚総体とセットでそうした言葉が使われているという環境に身を置いているなかで理解しているにすぎません。理解内容が各個人で全く同じである保証はどこにもないと思います

どんなに高度な数学表現も究極的には自然言語還元されるはずで(どんな高級言語機械語に置き換えられて処理されるように)、自然言語の各単語に対する人々の理解原理的には五感に根差し感覚的なものなのだから数学記述が厳密で一意というのは、結局はほかの記述の仕方に比べた程度問題(つまりは誇張表現)なのかなと思うのです。

感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。

この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。

ちなみにたとえば「否定」というのは、根本的には、やはり言語理解が完結しているものではなく、現実の状況としての存在非存在にそれぞれ直面して、それぞれに対して「○○がある」「○○がない(なくなってる)」と言われてる場面を経験したうえで、その状況から理解した内容のさらなるアナロジーとして理解してるに過ぎないと思います(理解のあり方が、言語的ではなく、観念直観的)。

数学が他よりも他者と厳密に同一な合意が常に成り立つ、その工夫として、抽象度を高くしているのがその工夫にあたるのではないかという人がいました。↓

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293524459

しか抽象度を高くすることは、合意内容のずれを減らすという点で「有効でもあり逆効果でもある」のではないかと思いました。つまり諸刃の剣なわけです。

有効である理由リンク先に書かれているのでそこに説明を譲るとして、逆効果であると思う私の説明を書きます

まり抽象度が高い概念は、抽象度が低い概念や直接的な事物に比べて理解が難しい傾向があるのがまずあるわけです。

また定義者の提起する定義をそれを発信される側が期待通りに理解しているか確認するのも、抽象度が高い概念ほど困難な傾向はあると思います

これ自体ある意味抽象のものなのでたとえが悪いですが、たとえば「左を向いて」という発言に対して、「左」を向く反応をすることで、この人は左について正しく理解してそうだなという確認(いや原理的には推定というべき)することができます

抽象度が高くなるほど具象と結びつけたこのような正しく理解してるかの評価確認テストをすることが難しくなるでしょう。

といってもそもそもわれわれは相手自分の言ったことを期待することと厳密に一致した内容で理解してるか確認することは原理的に不可能です。

頭をパカっと割って理解内容を覗きみるということはできないですから

対象となる言葉に関連したその人の発言や反応をみて、理解の結果としての発言や反応として、その人がある部分で正しく(定義者の期待通りに)理解してるだろうということを推定するしかありません。

しかも全体ではなく一部だけの理解が正しくても、発言や反応には異常が見られないということもあるでしょう。

反応や発言いくら調べても、概念全体を期待通りに理解してるかのテストには無限通りのパターン必要と思われ、原理不可能と思います

哲学的ゾンビにも通じそうな話ですが、日常範囲内で「理解齟齬があるような反応が返ってこないなら」そんな「理解が完全同一でないかもしれない」という可能性上の話を心配する必要はないというのはその通りでしょう。

ただ場合によってはそれが表出したように見える一例が、あれの原因がこれだとは言いませんが、望月新一がABC予想を証明したという論文での紛糾みたいなことが起こる一因にはなりえると思います

あれだけ理論として抽象的な概念を積み重ねた先には、定義者とそれ以外のその定義を見た人とでの理解のずれは、反応や発言として顕在化してくるほどになっても不思議ではありません。(定義者の解釈が正しいという優劣の問題ではなく)

特定公理範囲内において論理的矛盾のないシステム

はいますが、そもそも矛盾」とは何か?「論理」とは?「範囲」とは?とは、といくらでも曖昧でしょう。

たとえ矛盾記号論理の表現記述して定義した気になったところで、じゃあその記号定義ないし意味は?とどこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義可能なんですかね?と思います

dorawiiより

追記

数学に限らない話じゃんっていうのはまあその通り。

でも定義について「厳密で一意」であることを(得意げに?)標榜してるのは数学(+論理学)とそれベース客観的であろうとする学問ぐらいだから別にエントリ詐欺じゃないよね?

a=b、aはbだ。「は」って何?「だ」って何?「英語的にはどっちもisという語に集約されてるけど、じゃあisってなんだよ」ってところから概念の共有をしてない前提に立った時、その概念を非感覚的で厳密に共有することは可能なのか、それが「完全に」できたと確かめるのにはどうすりゃいいって話よ。

言葉という形式が従で、それに乗るべき内容が主であることは百も承知だが、形式言い換えれば入れ

物抜きに内容を厳密に伝えられるのか、入れ物の存在無関係な、内容の厳密な伝達というテレパシーじみたものを考えることはそれこそ論理的に正しいのかという話でもある。

言語的なテレパシー論理的に矛盾してるので存在しえないのではないかとは思っている。

さら追記


イデア論かな哲学書読めばってブコメついたけど、順序が逆なんだよね。

イデア論とか学校で習って本読んだりして教養として知ってるからこそ、改めてその考え方を自分なりの具体的な考察対象にあてはめて思索したくなるわけよね。

先達の哲学者たちがいなかったら俺はいまだにブルアカで抜くだけの毎日だわ。むしろ哲学者リスペクト100パーセントなんだよね。

語彙力ないので語弊ありそうなのは百も承知だが、哲学って考え方の基幹部分のオリジナリティーはそんな求められてないんだよ。

しろ先人から受け継いだ考え方をどう今の時代の具体的な問題適用して考察を広げるかが大事なので、ちょっと哲学かじったような素人目には過去論文の焼き増しに見えてその存在意義が理解できないような論文ごまんとあるんだよね。

哲学において焼き増しは無意味パクリじゃないのよ。

あいブコメつける人って「方向性とかみたいな意味ベクトルという言葉を使ってる人は横文字使いたがりの格好つけ」と言ってる人みたいな人を性悪説的にとらえるクレーマー気質が高い人間に感じる。

ちなみに俺はベクトルという言葉を使う人は「周りがベクトルという言葉を使ってるからリアルタイム性を要求される会話でとっさに出てくる言葉ベクトルから、それをそのまま使ってる」ってだけだと思う。

Permalink |記事への反応(31) | 12:43

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2023-09-21

笑いって3種類しかないよな

バカさ加減などに対する嘲りの笑い

赤子を愛するときのようなほほえみの笑い

社交的に仕方なく笑っているふりをする作り笑い(苦笑いも含む)

追記: くすぐられたときの笑いもあるか。あと論理的矛盾に対するおかしから笑う場合は嘲りじゃないな。。

Permalink |記事への反応(1) | 17:04

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2023-02-10

anond:20230210120011

三島由紀夫檄文

 檄

   楯の会隊長 三島由紀夫

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に富士原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しか法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義頽廃根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである自衛隊敗戦後の国家不名誉十字架を負ひつづけて来た。自衛隊国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊国軍名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である政体警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本歴史文化伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか政府極左勢力限界を見極め、戒厳令にも等しい警察規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである治安出動不用になつた。政府政体維持のためには、何ら憲法抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しか自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正政治プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党共産党が、非議会主義方法可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法私生児であつた自衛隊は、「護憲軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しか自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。

 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的軍隊の本姿である、といふ。しか英米シヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 沖縄返還とは何か? 本土防衛責任とは何か? アメリカは真の日本自主的軍隊日本国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊永遠にアメリカ傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待つた。最後一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである

  (三島森田事務所刊『「楯の会」のこと』より)

Permalink |記事への反応(0) | 16:15

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2022-10-22

「わかりやすい」「論理的矛盾がない」はすなわち事実じゃねえ!

誰かの主張に見出した「わかりやすさ」や「論理的矛盾のなさ」はすなわち事実意味しねえ!

人間時間は有限だ!

意図的かに関わらず、主張に不都合情報は省かれる!

科学手続きに基づいて長年研究やってる奴だって得てしてそういった視野狭窄に陥るんだ!

事実かどうかは絶えず疑え!

曖昧根拠誹謗中傷に走るな!

他人誹謗中傷簡単に乗っかるな!

そもそも誹謗中傷をするな!

議論しろ

5W1Hを明確に淡々と支持あるいは批判しろ

自分の主張に間違いがあると感じたらこだわりを捨てて素直に認めろ!

Permalink |記事への反応(0) | 11:56

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2022-08-01

anond:20220801061412

夫婦別姓が良いんだけど法律上できないから今は夫の姓です」でも真フェミ認定から落とされる

こんなこと言ってるのはフェミアンチ寄りの人間の中でもかなり少数では…?

少なくともブコメツイッターネームアンチフェミ殆どそこまでは極端でないだろ

そもそも過去論理的矛盾を指摘されたのならひと言「こうでした」と言えばいい

それをした上でなお叩かれるならかわいそうだが、実際には無視逆ギレ殆どじゃん

説明がなければ引っ張られるのは世の常や、無視し続ければ波風すぎると思ってる政治家みたいな姿勢特にネットでは嫌われる

お前の言ってるような構図だとして例えば100人がアラを探してきたとしても、結局内容的に数点で済むならまとめてでも説明すべきだよ

いくら指摘者が多いからと言ってまとめて説明しきれないくら矛盾点が多かったらそれはそれで問題ありだろ

Permalink |記事への反応(0) | 07:34

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2022-07-14

右派左派自分たち論理的矛盾に苦しめられつつある

安倍元首相の死は、日本人党派性論理的矛盾暴露した。


右派安倍保守的姿勢韓国系カルトとの繋がりの矛盾

左派安倍保守的姿勢国外から評価矛盾


安倍は隠すことのない保守的イデオロギー左派的な政策をその都度使い分けてクレバー政権運営を持続させた。

保守でありながらフェミニストであり、保守でありながら親外国人であった。

支持者や非支持者はその論理的矛盾に適切な批判を行えずに苦しんでいる。


フェミニズムに反しているように見えて、女性社会進出を進めることで国外左派知識人賞賛される。

排外的であるようにみえて諸外国と多数の外交的努力を重ねることで多くの外国人政治家賞賛された。

今まさに安倍のそういった行いが可視化している。

安倍評価はまさに分裂的だ。彼は右派であり左派である


さて岸田政権下での我々はどのような態度を取るようになるのだろうか。

Permalink |記事への反応(5) | 14:44

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2022-07-03

anond:20220703123959

めっちゃ横だけど、むしろ論理的矛盾を起こさないなら争点になるような絵を使ってアピールしたほうがわかりやすいんじゃないの?

なぜか赤松先生はその辺の線引きに深く言及しないけども。

Permalink |記事への反応(1) | 12:49

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2022-05-04

表現規制をする女性たちって昔は「PTA」じゃなかったっけ?

昭和フェミニスト

筒井康隆短編集「くたばれPTA」には表題作「くたばれPTA(昭和41年)」と「女権国家の繫栄と崩壊昭和45年)」がある。

女権国家の方はミサンドリーを拗らせた女性革命を起こし、女性中心の社会を作る話だ。

一方くたばれPTAの方はSF作家教育上不健全漫画ということで出版規制される話である

どちらもフェミニストPTA否定的かつ攻撃的で、インターネットが当時あったら叩かれるだろうなぁといった内容だ。(当時もバッシング受けたのかな?)

さてさて、私が気になったのは現在フェミニストの主戦場「不健全表現を控えるべき」というのはPTAの役目じゃなかったっけ?ということ。

昔のフェミニスト女性地位向上、社会進出あたりのことを主戦場にして戦っていたようである

女権国家においても権力に見栄と権力に執着する女性という書き方でフェミニスト表現していた。

筒井氏はフェミニスト当事者ではないため、認識不適切という批判は受け付ける。ただ小説としてデフォルメした際に強調した点が権力の話だったというのは一考に値する)

令和のフェミニスト

対して今のフェミニスト表現規制が主な活動のように見受けられる。

最近活動でも目立っているのは新聞広告に関する表現への批判献血でのキャラクター利用などだ。

フェミニスト昭和フェミニストより、昭和PTAの方が近いのではないか

ここで「PTA漫画ゲームといったもの全般に不健全としたが、フェミニスト女性性的搾取した媒体のみを不健全定義しているため異なる」といわれるかもしれない。

しかし、不健全定義事態によって異なる。

明治自体においては小説は不健全コンテンツであったが、昭和平成では高尚な芸術だ。

漫画ゲーム昭和には不健全だったが、受け入れられた令和では日本代表するカルチャーになっている。

そして未だに不健全の枠にとどまっているコンテンツが「エロ」または拡大解釈によってエロ解釈された「萌え」ということになる。

フェミニストPTA思想の違い

フェミニストPTAも両方女性だし、思想が似ていても当然じゃないかと言われると思うが、建前上はそうではない。

PTA家族(主に子供)の健全な営みを行うための主張として表現規制を訴えている。

近い思想青少年健全育成条例などで、こちらを支持している石原都知事右派人間だ。

まり国家社会のために不適切コンテンツ抑制するというのがPTA的な表現規制の建前である

一方フェミニズム女性社会的な抑圧から解放するための左派的な側面が強い思想だ。

どちらかというと真逆であるという思想が、いつも間にかすり替わっている。

表現規制派の活動

ややこしいので、以下では昔PTA表現規制をしていた人と現在フェミニストとして表現規制をしている人を「表現規制派」と呼ぶことにする。

まり何が言いたいのかというと、表現規制派の人たちは「健全育成」や「フェミニズム」という思想に基づいて表現規制をしているのではなく、

表現規制」という思想社会に実現するために「PTA」や「フェミニズム」といった建前を利用しているのではないだろうか。

こうすると現在表現規制派の人たちが全くフェミニストらしい活動をしていないのに説明がつく。

ウクライナでの強姦を取り上げず温泉娘に憤り、映画監督性的搾取に目を反らしつつ新聞広告を敵とする。

表現規制派にとっては表現規制が最も大切な主義であり、フェミニズムは建前を尤もらしくするための道具なのだ

というわけでフェミニズムを叩いても、論理的矛盾をついても、ゴールポストは動かされる。

表現規制派は女性のためでも社会のためでもなく、表現規制のために表現規制を行っている。

なぜ表現規制をしているのかというところまでは個人問題なので分からないが、

自分が好ましくないと思う表現があったときに、多かれ少なかれ人は不愉快になる。

その不愉快社会正義見出しバッシングするかしないかの違いである。

表現規制派がフェミニストを名乗るまで

ではなぜ表現規制派がPTAからフェミニストにかわっていったのだろうか。

これに関しては全く不明だが、おそらく「PTAになれなかった層を取り込むため」ではないだろうか。

未婚率が上昇している。昔は誰でも結婚出来た時代だが、今はそうではなくなった。

PTAになれるのは結婚し、子供がいる女性だけだ。

このハードルを越えられなかった表現規制派の女性親和性が高かったのがフェミニズムだ。

フェミニズムはもとより結婚をしない女性を救うような思想だった。

地位向上で女性が一人でも生きていければ、結婚出産もしなくても幸福になれると考えられるからだ。

そこでPTAになれなかった女性たちが表現規制を行うためにフェミニズムと結び付けた。

フェミニズムは誰でも参加可能なのでPTAよりも参加しやすい。

よって現在思想がちぐはぐのフェミニズムが生まれしまったと考えられる。


表現規制に関してはフェミニズムを叩いても仕方がない

こうして表現規制派が無理筋批判をした際、フェミニズムが叩かれるようになった。

しかし、これはあまり無意味なような気がしないでもない。

昔は悪の権化だったPTAは、今では面倒な無賃労働としてママさんからしか文句を言われていない。

このままフェミニズムの印象が悪くなって社会的な発言力を失った場合

表現規制派がフェミニズムから出ていって、また新たな宿主を乗っ取って批判を繰り返すようになる。

表現規制派は特定思想を持つ者ではないので、現在寄生している思想や団体を批判するより、

疑似科学陰謀論に対する免疫のようにリテラシーを高めて対処をしなければならない。

Permalink |記事への反応(8) | 21:41

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2021-11-19

anond:20211119115056

TheHabanero普段あれほど「サヨク大衆愚民扱いするから支持されない」と謳っておきながら、ここまでド直球に野党支持者を愚民扱いする言説にはなんだかんだで乗っかるのな右派諸氏ら

論理的矛盾を突いたつもりになってんのか? あほか。当たり前だろ

大衆=我々」と考えれば何も矛盾しない

右派諸君自分大衆だと思っているのだから

サヨクは我々を愚民扱いするから我々支持されない」

というだけだぞ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:56

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2021-11-06

女・左翼が出しゃばって来たときにすべきこと

  1. 主張の内容は読まない。反論意見を述べず、相手土俵に乗らない。
  2. 論じてる内容に誤字脱字や短文の論理的矛盾があればそこのみつく。
  3. ツイッターフェイスブック・その他SNSアカウントをチェック。
  4. 違法では無いマナー違反・強い言葉死ぬ・罪・嘘等)・信号無視駐車違反著作権侵害など法令違反を探す。
  5. 見つけた瑕疵相手の主張を適当に絡めて非難する。

フェミであれば、他社の権利侵害していること。左翼であれば守れない弱者がいる事等。

弱者には自己責任で成長すべき等。

とにかく相手の言っていることに意見してはいけない。

Permalink |記事への反応(0) | 15:37

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2021-10-07

anond:20211007140317

当時の良心フェミは近づかなかったんじゃないのしらんけど

一方でフェミ活動をしてない一般の女の危険に接近する権利を守るというなら、

吉原の悪い部分は叩いて観光客観光権も守るんじゃないのしらんけど

スラムツーリズムになってたらポリコレ的には批判対象だがその場合観光する男も含め男女関係なく批判対象からフェミニズムの文脈じゃないんじゃないのしらんけど

女にとって悪い部分があるものを女が観光することを女が擁護することを二枚舌に感じるんだろうが論理的矛盾はないと思うぞしらんけど

Permalink |記事への反応(0) | 16:32

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2021-09-04

anond:20210904195748

でもだいたいフェミが言っていることはおかしい(論理的矛盾)よね

そしてその矛盾を突くと...

Permalink |記事への反応(1) | 20:24

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2021-07-12

反出生主義者って何で生まれてくる子の幸福度勝手に決めてるの?

別に反出生主義者を煽りたいとかそういうんじゃなく、人生幸福度を決めるのは個人個人であって反出生主義者じゃないよな?って純粋に思うんだよね。

不幸な子を生み出すべきじゃないと言うけれど、不幸かどうかは子が決めることでしょ?

そもそも幸福度ってどうやって測ってるの?絶対評価相対評価?反出生主義者は何を基準としてその子を不幸だと判定しているの?

例えばヒジャブブルカを着用する文化圏女性幸福なの?不幸なの?

おそらくはてサヨの皆さんは「その女性自由意志に基づいているのならば不幸とは言えない」って返してくれると思うんだけど、つまりこれは子が幸福かどうかを決めてるって判断で良いんだよね?

多分なんだけどさ、反出生主義って歴史的には結構古いんだけど全く議論が進んでなくて反出生主義者自身ロジックをまとめきれて無いんじゃない?

反出生主義者自身心中では膨大な論理的矛盾を抱えている状態なんじゃない?

反出生主義者が反射的に感じた考えと、反出生主義が矛盾するみたいなこと結構あるんじゃないかと思うんだけど?

仮定の話をするけど、反出生主義者が自身人生を不幸に思い、周囲を見渡すと不幸な子が一杯居る。不幸な子をこれ以上増やすべきでないと考えたとする。

これ完全に自分他人人生主観上で判定してて客観視出来てないよね?客観的に判定できないロジックが本当に合理的ロジックだと思うの?

マジで純粋にね、そう思うんだよ。

Permalink |記事への反応(6) | 09:53

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2021-05-20

伸びた増田記事追記反論とか修正とか続編記事書く奴はマジでゴミ

どんなに論理的矛盾をつかれても反論するな。

こっちの無知や誤字脱字指摘されて恥かいても修正するな。

調子乗って続編の記事とか書く奴は一番最低の雑魚


その記事はそのツッコミどころや薄ら寒い部分含めて伸びてんだよ。

なんでやねん!」「こいつアホだろ」って反応やその場の空気感含めて一つの作品なんだよ。

センスあるなって思う増田見つけても後で【追記あり】とかタイトルに書いてると「あちゃー、この人も、”そっち側”、だったんだね……」ってすげー萎えるんだよ。

誰もリアクションがない状態ならともかく伸びた後に伸びた理由を打ち消しするような行為はどんな形であれ蛇足の極み。

引き際を知れゴミ

Permalink |記事への反応(0) | 21:27

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2021-04-29

anond:20210429143618

論理的には、煽りの有無と論理性は関係無いんだよなぁ

論理的であるとは論理的矛盾や論理的飛躍を含まないということなので、論理的矛盾や論理的飛躍を含まない煽りなら入れても論理性は保たれる

君が言いたいのは論理的かどうかじゃなく、合理的合目的的かどうかかも

Permalink |記事への反応(0) | 14:57

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2020-12-27

anond:20201226231316

知らないフリをする程度のことはみんなしてるから

てか1個マジで論理的矛盾を起こしてるんだけどまさか気づいておられない?

Permalink |記事への反応(0) | 22:19

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2020-07-03

SIer で生きていくためのノウハウを伝授するよ

技術に対して深く追求してはいけない

論理的矛盾に気がついても誰にも言ってはいけない

仕事はしなくても良いから報告連絡はすること

相談はなんの役にも立たないのでしてはならない

・手を動かすよりも口を動かすこと

無駄残業は多いにすべき

自分に優しく目下に厳しく上司胡麻

・何かを変えるのではなく維持に務める

・新しい何かをやるように言われたら、知ってても知らないと言うこと

・表面上の積極性を出しつつも何もしない

仕事より査定資料

Permalink |記事への反応(0) | 07:13

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