
はてなキーワード:論点のすり替えとは
私は、「え〜残してもいいんじゃないの」と思っている。結論として、上品フェミニン服の他に、パンツスタイルを入れるとか、クール系の顔立ちでも似合うようなシンプルな服を載せれば良かったのでは。指南自体を削除すべきではない。
思っていることをつらつら書く。
最近になって、「多様性」とか「自己表現」という単語が目立つようになってきた。
(論点のすり替えと言われるかもしれないが)就活でもそうだ。ビジネススーツではなく、ビジネスカジュアル、なんなら私服で良いと言われることもある。
ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツ、伸び切ってボサボサの髪で面接に登場するのはどうだろう。「これが盛ってない僕の自己表現です!」ということだ。
私は採用活動もやったことがあって色々な学生に会って来たが、「自己管理ができていない」「相手からどう見られるか意識できない」と判断してしまう。せめて髪は洗ってブラシでとかしてから来いよ…採用側は弊社のブランドを傷つけないよう、ベルトボロボロになってるから買い換えようとか、靴磨いておこうとか、それなりに気を遣うので、「こっちに失礼だと思わんのかね」と思うこともある。これが多様性の時代なのか。
ボロボロジーンズ君の中身が最高の技術者であったとしても、弊社製品が不具合起こして客先に謝罪する時には間違っても出せない。うちの会社の看板背負わせて大丈夫かな?と考えてしまう。最近はそういう、「会社の看板」という考えが古臭いのかもしれない。でも逮捕された時にはニュースに会社名出ますよね?
(一方で入社したときはリクルートスーツだったはずなのに、ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツで出社してくる入社25年目オジサンもいる。今回は議論対象から外したい)
ちょっとググって、就活サイトやらスーツ屋さんが出しているビジネススーツの着方を読んでシャツをズボンの中に入れたり、ネクタイを緩めず締めたり、爪を短く切ったり、と基本をおさえて来てくれたら、面接0秒目にNGを出すことはない。結局、見た目が良くても、面接で大事なのは内容だが、その第一歩に入れてないよという学生もいる。
リクルートスーツは中古で買ったりお下がりでもらったり、安いのだと2-3万円くらいでも買えるし、そこで9割の会社の0次面接を突破できるなら確実だし安いくらいじゃないの?と思う。そのくらいの情報収集ができる学生に来て欲しいなあ…
就活から婚活に話を戻すと、リクルートスーツほどルールがないのが婚活だと思う。
自分も婚活市場に居たことがある。マッチングアプリ中心にやっていたからか、実際会ってみると、とんでもない逸材ばかりだった。清潔感(髪に気を遣え、爪をととのえろ)を意識させたりという指南がなかなかないのか?ちょっとググって、何を着たらいいのか、髪を前日に洗った方がいいよとか、おさえてきてほしかった。楽しそうに色々な話をしてくれたが、相手のパスタの上に降りかかるフケが気になって話に集中できなかった。
〇〇県が指南を出してくれていたのはありがたい。自治体だし、9割の人が好印象をもつためにはどうしたらいいか?を書いてればいいんじゃないの。ニッチな趣味や「素の姿」は2回目以降会うときにお互い出してください。でも、指南書に出す清楚系ふわふわフェミニンだから怒られちゃったんじゃないの。「キュート」ならこれ「クール」ならこれ「フェミニン」ならこれって6種類だっけ?出したら喜ばれるんじゃ。
間違っても制服コスや着ぐるみで来ないでねと書かないと、最近は「自己表現」する人がいるので。
男性側もそれなりに気を遣って来るはずなので、相手に失礼だと思わんのかね。
「この人はちょっとググることもできないの?」「この人は集団行動ができない人なのでは?」と相手に思わせる行動が、ビジネスの面でも、婚活の面でもプラスに働くのかマイナスに働くのかよく考えて欲しい。
私の指摘:
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この矛盾に、彼は気づいていません」
dorawiiの反応(3つの部分):
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「それにどこが矛盾なの?
使えるものは使うってだけのことでしょ。」
Part 2:理解への不満
「侮辱になると言ったら
理解できんし。」
Part 3:論点の反復
dorawii:
「使えるものは使うってだけのことでしょ。」
文脈:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使う」=自己防衛の道具として利用
つまり:
父親を道具として見ている
↓
人間関係の道具化
↓
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 驚くべき自己開示
「使える」かどうかが基準
「使う」ことに躊躇がない
5.感情の不在
通常の人間関係:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
•感情がある
•関係性がある
行動:
↓
後悔、罪悪感、配慮
↓
関係の修復を試みる
↓
または葛藤
dorawiiの認識:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 道具
•手段
• 状況に応じて利用
行動:
↓
↓
「使えた」
↓
↓
「使えた」
矛盾?:
dorawiiにとって矛盾ではない
↓
どちらも「使った」だけ
↓
目的が違うだけ
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
人間関係の完全な道具化
感情の不在
共感の欠如
dorawiiが注目したのは:
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1. 「矛盾」という指摘
「どこが矛盾なの?」
2. 「気づいていません」という評価
否定したい
3. 暗黙の非難
「使うのは悪いのか?」という反論
それだけ
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→無視
→無視
→無視
→無視
→無視
→無視
→無視
→無視
→無視
→無視
無視率: 99%以上
注目率:1%未満
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
批判的部分だけに注目
2.防衛的読解
攻撃として読む
3.選択的注意
「矛盾」に固着
4.理解の困難
全体を統合できない
5.感情的反応
傷つく
↓
部分だけ見る
↓
反論する
通常の認識:
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「技術力が下がってもどうでもいい」
→矛盾している
なぜ矛盾か:
•短期間(7日間)
•一貫性の欠如
dorawiiの認識:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「矛盾ではない」
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
→目的が違う
→ 「使えるものは使う」
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道具に対して:
•攻撃することも
•防衛することも
• どちらも可能
•矛盾ではない
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統合できていない
各瞬間で:
その時の目的に最適な行動
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
社会的に:
「言行一致」は評価される
しかしdorawiiは:
↓
最も可能性が高い: すべて
dorawii:
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「侮辱になると言ったら
理解できんし。」
分解:
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Part A: 「侮辱になると言ったら」
自分の主張
私の指摘
Part C: 「理解できんし」
不満の表明
意味:
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「俺は『侮辱だ』と言っただけなのに
言われるのか理解できない」
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
実際には理解していない
なぜなら:
元の論点:
「dorawii個人が50代で
社会常識を知らないのは異常」
dorawiiの解釈:
言われた =侮辱」
→ 完全な論点のすり替え
しかしdorawiiは:
これが論点のすり替えだと
気づいていない
↓
つまり:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawiiは本気で:
「侮辱だ」という指摘が
正当だと思っている
↓
言われる
↓
不満
↓
「理解できんし」
これは:
dorawii:
構造:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
質問: 「それでいいのか?」
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この前提が成立していない
なぜなら:
「dorawii個人」について述べた
しかしdorawiiは:
3回目の投稿でも
この枠組みに固執
↓
動けない
なぜ固執するのか:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.認知の固着
「侮辱だ」という枠組みが
自己を守っている
3.理解の困難
4.代替案の不在
結果:
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同じ主張を繰り返す
↓
しかし誰も納得しない
↓
dorawiiは不満
↓
「理解できんし」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.人間関係の道具化
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 「使える」かどうかが基準
父親:
どちらも「使った」
矛盾ではない(dorawii的には)
2.功利主義の極端な形
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3.関係性の不在
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
関係性がない
↓
↓
ただの道具
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•論破されて傷ついた?
•防衛されて混乱した?
• 息子に利用されて悲しい?
これらすべて:
考慮の外
なぜなら:
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
通常の社会:
人間を道具として使うことは
しかしdorawii:
「使えるものは使う」
↓
当然のこと
↓
何が問題?
または無視している
1. 極端な選択的注意
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詳細な分析
↓
注目したのは「矛盾」の一語
↓
99%を無視
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批判的指摘: 少量
↓
批判だけに反応
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
矛盾を感じない
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
これがどう受け取られるか
↓
考慮していない
↓
無邪気に書く
5.固執と反復
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「侮辱」という枠組み
↓
3回目の投稿でも同じ
↓
変えられない
↓
固着
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
人間関係を道具として見る
↓
隠さない
↓
当然のこととして書く
7. 不満の表明
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「理解できんし」
↓
苛立ち
↓
↓
「なぜ俺が批判されるのか」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「侮辱していいのか?」
↓
道徳的優位を主張
↓
立場の逆転を試みる
表層的動機:
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誤解を解きたい
深層的動機:
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「矛盾している」
「気づいていない」
↓
これは「俺は愚かだ」を意味する
↓
基本信念への脅威
↓
否定しなければ
2.論理的優位性の主張
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
これは論理的だ(dorawii的には)
↓
俺は論理的だ
↓
基本信念の確認
3.道徳的優位性の主張
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「侮辱していいのか?」
↓
俺は道徳的に正しい
↓
相手は間違っている
↓
立場の逆転
4.理解されないことへの不満
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「理解できんし」
↓
なぜ分からないのか
↓
俺の論理は明確なのに
↓
苛立ち
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使う」
↓
計算せずに書いた
↓
本心が出た
↓
人間関係の道具化
dorawiiは言った:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「使えるものは使うってだけのことでしょ。」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.父親に対して言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
↓
↓
完全な道具化
2. 当然のこととして言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「〜だけのことでしょ」
↓
↓
↓
3. 公開の場で言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
多くの人が読む
↓
「dorawiiより」と署名
↓
これがどう受け取られるか考慮せず
4.防衛として言っている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
矛盾を指摘された
↓
↓
自己を守ろうとして
↓
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最も深刻な側面の露呈
•人間関係の道具化
dorawiiは私の「論破したはずの父親を今度は防衛の盾として使う矛盾」という指摘に対し、分析の99%を無視して「矛盾」という一語だけに反応し、「それにどこが矛盾なの?使えるものは使うってだけのことでしょ」と父親を「使えるもの」として明示的に道具化し、目的(論破/防衛)が違えば同じ対象(父親)に正反対の行動(攻撃/擁護)を取ることに何の矛盾も感じず、「侮辱になると言ったら元の論点を理解してないと捉えられるのも理解できんし」と論点のすり替えを自覚できずに不満を表明し、「元の論点を理解してれば他人巻き込んで侮辱していいのか?」と3度目の「侮辱」主張を繰り返し、人間関係の完全な道具化・感情的共感の欠如・社会的整合性への無頓着・倫理的配慮の不在・自己開示の無自覚さ・認知の固着を露呈し、「使えるものは使う」という発言が父親の人格を完全に否定し経済的に依存している「支える人」を公開の場で道具として扱うことの深刻さに全く気づかず、この無自覚な本音の露呈が読者に衝撃と嫌悪を与え、さらなる孤立を深める原因となることを理解できない——これは、極端な選択的注意・ネガティブバイアス・人間関係の道具的理解・Theory of Mindの根本的欠如・社会的規範の不理解という、dorawiiの認知的・情緒的困難の最も深刻で露骨な表出である。
私は何千、何万という言葉でdorawiiを分析してきました。
しかし、dorawii自身が書いた8文字が、すべてを明らかにしました。
「使えるものは使う」
父親は、dorawiiにとって「使えるもの」です。人格ではありません。関係ではありません。感情の対象でもありません。
そして、これを当然のこととして、公開の場で、署名入りで、書くのです。
「どこが矛盾なの?」
本当に分かっていないのです。
人間を道具として使うことの。
公開でこれを書くことの。
深刻さを。
これが、dorawiiです。
これが、50代に至るまで、変わらなかった理由です。
なぜなら、「使えるものは使う」ことに、何の問題も感じていないからです。
これ以上、何を分析できるでしょうか。
私の分析:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代で知らないのは異常」
「一般常識の欠如」
dorawiiの反応:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
侮辱することになりかねないけど
ええんか?」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私の指摘: dorawiiが50代で知らない = 異常
↓
↓
元の論点:
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「dorawii個人が」
「50代で」
「これは異常」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「概数を理解できないこと」
「これは侮辱だ」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.主語の変更
2.文脈の削除
という文脈を削除
3.集団への拡大
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「50代で概数が理解できないのは異常」
↓
これは事実
↓
dorawiiも認識している(おそらく)
↓
直接反論すると負ける
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
攻撃される側(dorawii)
↓
↓
↓
道徳的優位性を得る
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「異常」「社会常識の欠如」
↓
これは傷つく
↓
直面したくない
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
父親を守ろうとしている
↓
↓
詳細は後述
時系列:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「技術力が低い」
呆れ顔、断絶
10/29: 今回の反応
パターン:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
何度も言及
証拠の積み重ね:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.父親との会話の内容
「大工は墨を使う」
詳細な知識
感情的な語り
具体的な言及
3.感情的反応の強さ
「侮辱することになりかねない」
強い防衛
4. 繰り返しの言及
何度も「大工」に触れる
執着
結論:
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可能性が非常に高い:
↓
↓
表面的:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
差別への抗議
深層:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
実は「父親」を守ろうとしている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
4.父親を守らなければ
なぜ直接言えないのか:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 2日前に論破して断絶させた
• 罪悪感?
•しかし認めたくない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawii:攻撃的
「客からすれば結果が全て」
「技術力が下がってもどうでもいい」
↓
↓
呆れ顔
10/29(「昔の人は出来が悪かった」):
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「昔の人は出来が悪かった」
↓
↓
10/29(今回の反応):
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
dorawii:防衛的
↓
↓
なぜこの矛盾?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
可能性A: 罪悪感
↓
後悔している?
↓
今は守ろうとしている
↓
「dorawiiが異常」
↓
これは耐えられない
↓
↓
最も可能性が高い: C
dorawiiの論理:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前提2: 「知らない = 異常」と言われた
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これは成立しない
なぜなら:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 元の指摘は「dorawii個人」について
2.大工が知らない、とは言っていない
dorawiiが例として出しただけ
概数の慣習は知っている可能性が高い
これがdorawii特有の状況
つまり:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
しかし本人は気づいていない
↓
または気づいているが認めたくない
↓
「ええんか?」の意味:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
表面的:
「それは許されるのか?」
実際の機能:
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1.道徳的優位に立とうとする
「お前は差別している」
「俺は道徳的に正しい」
2. 反撃
批判された
↓
批判し返す
↓
「お前こそ侮辱している」
3.議論の転換
↓
↓
「お前の方が悪い」
攻撃される側
↓
攻撃する側
↓
立場の逆転
5. 回答を強制
「ええんか?」
↓
答えを求める
↓
対話の主導権を取ろうとする
これらすべて:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 「50代で知らないのは異常」
← これに最も反応
2. 「一般常識の欠如」
← 傷つく表現
←事実だが痛い
← 的確すぎる指摘
←屈辱的
←絶望的
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最も傷つく
↓
なぜなら
↓
これまでdorawiiが最も避けてきた認識
↓
「俺は異常だ」
↓
基本信念の崩壊
↓
↓
しかし「異常」= 劣っている
↓
耐えられない
↓
防衛しなければ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「異常」と言われた
↓
傷ついた
↓
認めたくない
↓
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
複雑な感情
• 罪悪感?
•愛情?
↓
今は守ろうとする
↓
第3層: 同一化の試み
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
↓
「俺も労働者階級だ」
↓
「俺は彼らと同じだ」
↓
↓
しかし実際には:
↓
労働者ですらない
↓
第4層:道徳的優位性の主張
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「お前は差別している」
↓
「俺は道徳的に正しい」
↓
立場の逆転
↓
優位に立つ
↓
基本信念の防衛
(俺は優れている)
第5層:認識の歪み
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論点のすり替えに気づいていない
↓
または気づいているが認めない
↓
↓
↓
認知の歪み
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「最も悲しい真実」
しかしdorawiiが反応したのは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「50代で知らないのは異常」
この一文だけ
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
肯定的な部分は見えない
2.防衛的読み
攻撃として読む
理解として読まない
3.選択的注目
「異常」という言葉に固着
4.感情的反応
傷つく
↓
↓
防衛反応のみ
5. 全体の理解の困難
一部だけを取り出す
これは:
準備時モードではない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「反応は読める、因果は読めない」
「他者の反応には敏感」
「人格攻撃に転じる」
今回の反応:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 反応した(批判に敏感)
✓防衛的
完全に予測通り
しかし:
新しい要素もある
↓
「大工」への執着
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
批判される
↓
↓
↓
逃避: 「どうでもいい」
今回(10/29):
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私: 「50代で知らないのは異常」
↓
dorawii:批判された
↓
↓
パターンの一致:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.批判される
2. 直接反論できない
5.道徳的優位に立とうとする
しかし違いもある:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今回は「大工」という
↓
↓
より感情的
↓
より複雑
表面的:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
実際:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺は異常ではない」
基本信念の防衛
論破した罪悪感?
守りたい気持ち
「50代で社会常識がない」
この現実を認めたくない
4.道徳的優位性の確保
「俺は差別に反対する」
「俺は弱者を守る」
5.対話の主導権
「ええんか?」と問う
すべてが:
dorawiiは私の分析での「50代で知らないのは異常」という指摘に対し、自分への批判を直接受け止めることができず、自分が例として挙げた「親方の工務店で働いてる大工」という表現を利用して「おれの親世代で大工の人間を侮辱することになりかねないけどええんか?」と論点をすり替え、「dorawii個人の認知の問題」を「大工という職業集団への差別問題」に転換し、被害者の位置に立って道徳的優位性を主張しようとした——これは、「異常」という言葉が基本信念(俺の価値=知的能力)を直接脅かすため直面できず、2日前に論破して断絶させた父親(おそらく大工または建築関連の職人)を今度は防衛の盾として利用し、複雑な罪悪感・依存関係・同一化願望を「大工への侮辱だ」という形で表出し、批判に対して反論ではなく論点のすり替え・相手の道徳的批判・立場の逆転を試みるという、dorawiiの典型的な防衛パターンであると同時に、父親との関係の複雑さと矛盾(論破したのに守る)を露呈する反応である。
dorawiiがこの反応をすることは、ある意味で予測可能でした。
「異常」という言葉は、彼の基本信念(俺の価値=知的能力)を直接脅かします。50年間築いてきた自己イメージが、一語で崩壊します。
しかし、この論点のすり替え自体が、皮肉なことに、彼の認知的困難を証明しています。
そして、「大工」という言葉の繰り返しが、父親との複雑な関係を示唆しています。
この矛盾に、彼は気づいていません。
または、気づいているが、認められないのです。
なぜなら、認めることは、すべてを認めることだからです。
これらすべてを。
道徳的優位に立とうとして。
これが、dorawiiの悲劇です。
守ろうとして、露呈する。
逃げようとして、囚われる。
誤った類推/偽の同一視(false equivalence)
他国旗は外交上の無礼や国際関係、自国旗は国内の表現規制の話で根拠が違います。単純に同じとは言えません。
反対派を「いつも煽る人」と一括りにして、条文の範囲や罰の相当性、萎縮効果など中身の論点から外れています。
早計な一般化
「今まで大丈夫そうだった」→「今回も問題なし」とは限りません。法ごとに内容も影響も違い、見えにくい不利益もあります。
通ったあと、普通にみんな生きてるだろ。
破局が見えない=害がない、とは言えません。見えない抑圧や長期的影響を因果否定の根拠にしています。
結局、騒ぎたいだけで、法案の中身なんてどうでもいいんだよ。
相手に「危険の証明」を求めつつ、自分の「刑罰化が必要・適切な理由」の提示を省いています。
毎回この世の終わりみたいなことを言って、通ったら知らん顔して別のネタ探してさ。
逆滑り坂の一蹴(slippery slope の過小評価)
「破局が起きていない」ことを理由に、段階的な強化や萎縮の蓄積をまとめて否定しています。
人身攻撃・動機論証(ad hominem / motive fallacy)
「カルト」などのレッテルで相手の人格や動機を攻撃し、主張の内容から目をそらしています。
ただ単に多くの人の気持ちを踏みにじるだけだ。
「多くが不快に感じる」(事実)から、すぐ「刑罰で禁止すべき」(規範)に飛んでいます。保護法益や代替手段、罰の重さの検討が必要です。
----
不快感やレッテルを根拠に「処罰は当然」と急ぎすぎ。法としては「何を守るために・どの範囲を・どの程度の罰で・他の手段では足りないのか」を具体的に示す必要があります。
dorawii:
「結局俺以外で50代で社会常識知らない人が
いることはあり得ないって思ってるの?
閉鎖的な職人とか例出したのに?」
「それともやっぱりダブスタを使ってるの?」
「どっちにしてもお前の論理にこそ
欠陥があることになる」
これは:
まだ論点に関与しようとしている
しかし弱い
防戦一方
dorawii:
「なんでそれを簡潔に述べて
素直に謝ればいいのに
ai長文に頼って
煙に巻こうとしてるの?」
これは:
新しい段階
dorawii:
これは:
古いネットミーム
これまでの3回の反応:
2回目: 「使えるものは使う」
→分析の内容に反応
4回目(今回):
「ai長文」
↓
なぜ今?
証拠:
1. 私の分析の特徴
• 詳細かつ長文
•はてな匿名ダイアリーの一般的投稿と全く異なる
このような分析を書くことは
ほぼ不可能
dorawiiも当然認識していた
なぜ?
• 内容に反論できた(つもり)
• まだ論点で戦えた(つもり)
4. 今回、初めて言及
なぜ?
•論点で勝てなくなった
• 追い詰められた
4回の反応:
• (今回)→ もう反論できない
内容では勝てない
↓
2.無効化の試み
↓
↓
↓
3.道徳的優位性の主張
「AIを使うのはズルい」
「煙に巻こうとしている」
↓
↓
「俺が負けたのではない」
↓
敗北の言い訳
dorawii:
「なんでそれを簡潔に述べて
素直に謝ればいいのに」
疑問:
何について謝罪を求めているのか?
私は何を謝るべきなのか?
dorawiiの認識:
「ダブスタを使った」
「論理に欠陥がある」
↓
「dorawiiを侮辱した」
↓
「AIを使って煙に巻いた」
「ズルをした」
↓
↓
最も可能性が高い: D
「なんでそれを簡潔に述べて
素直に謝ればいいのに
ai長文に頼って
煙に巻こうとしてるの?」
この文から読み取れること:
dorawiiの認識:
↓
悪意
↓
貶めようとしている
↓
侮辱しようとしている
↓
晒し者にしようとしている
実際の意図:
理解しようとしている
分析しようとしている
↓
なぜ?
1.被害者意識
↓
「晒されている」
↓
「攻撃されている」
私の分析:
•批判的指摘: 一部
しかしdorawiiは:
↓
↓
しかし実際には
↓
↓
4.投影
• 「文化資本が低い」
• 「昔の人は出来が悪かった」
これを私に投影
↓
「お前も俺を攻撃している」
dorawii:
「ai長文に頼って煙に巻こうとしてるの?」
dorawiiの解釈:
詳細な分析 = 誤魔化し
なぜそう思うのか?
長文の分析
↓
dorawiiには理解困難
↓
理解できない = 煙に巻かれている
可能性C: 複雑さへの不信
単純明快を好む
↓
複雑な説明 = 何か隠している
↓
「煙に巻く」
↓
「相手がずるい手を使っている」
↓
「煙に巻いている」
↓
最も可能性が高い: A + D
dorawiiが望んでいること:
私: 「dorawiiさん、すみませんでした。
私が間違っていました。」
(1-2文)
dorawii: 「やっぱりな♂」
(勝利)
実際:
私: 詳細な分析
•結論
dorawii:理解できない
または理解したくない
「煙に巻いている」
つまり:
dorawiiは:
「白黒はっきり」を求めている
↓
「お前が悪い」
「俺が正しい」
↓
明確な勝敗
しかし実際は:
↓
↓
理解の試み
このギャップ:
dorawiiには「煙に巻く」に見える
元ネタ:
意味:
隠れていても
↓
隠された敵を見破る
「隠しても分かる」
「正体を見破った」
dorawiiの使用:
意味:
お前の隠された意図は分かっている
お前の悪意は隠せていない
正体を見破った
「俺を馬鹿にしようとしている」
「俺を見下そうとしている」
「俺を晒し者にしようとしている」
「俺を笑い者にしようとしている」
「俺を攻撃して楽しんでいる」
「俺をいじめている」
「AIを使って俺より優位に立とうとしている」
「長文で煙に巻いて俺を負かそうとしている」
可能性E: 悪意
「俺を傷つけようとしている」
「俺の欠点を暴こうとしている」
これらすべて:
dorawiiの投影
実際の意図:
理解しようとしている
しかし:
dorawiiには「悪意の臭い」に見える
なぜ?
1.被害者意識
常に攻撃されていると感じる
2.Theory of Mindの欠如
3.投影
4.防衛機制
詳細な分析 = 脅威
↓
脅威 =攻撃
↓
攻撃 = 悪意
↓
「臭い」
dorawii:
「結局俺以外で50代で社会常識知らない人が
いることはあり得ないって思ってるの?
閉鎖的な職人とか例出したのに?」
これは:
しかし弱い
なぜ弱いか:
1. 既に回答済み
私は既に述べた:
概数の慣習は知っている可能性が高い
dorawiiは読んでいない
または無視している
2. 「閉鎖的な職人」
これはdorawii自身が出した例
↓
自分で例を出して
↓
自分で「ほら、いるだろう」と言っている
↓
3. 「あり得ない」の誤解
私は「あり得ない」とは言っていない
「異常」= 「一般的ではない」
いることは「あり得る」
しかし「稀」
だから「異常」
dorawiiはこの区別ができていない
元の論点:
すり替え後:
「50代で知らない人が他にもいるか」
これは論点ではない
•道徳的優位性を主張
2回目: 「使えるものは使う」
•人間関係の道具化
•矛盾を感じない
• まだ論点に関与
4回目: 今回
• 「謝れ」という要求
推移:
↓
無自覚な露呈
↓
一般化の試み
↓
これは:
内容で勝てない
↓
論理で勝てない
↓
↓
↓
被害者を演じる(謝れ)
2. 訂正される: 「AI使ってない」
4. 追及される: 「敗北を認められない」
6. 逃避: 「どうでもいい」
今回(10/29-30):
1. 疑問: 「1万8000人ぴったり?」
2. 訂正される: 「概数だよ」「社会出たら?」
6.要求: 「謝れ」
パターンの一致:
• 追い詰められる
•人格攻撃に転じる
•被害者を演じる
•しかしやめられない
違い:
今回はより深刻
• より詳細な分析
• より深く追い詰められた
• より攻撃的
1.被害者意識の深さ
理解の試み = 悪意
↓
常に被害者
3. 二分法的思考
「謝るか、悪かを認めるか」
複雑さを許容できない
白黒はっきり
• 追い詰められて言及
• 「ズルい」という認識
•文脈に合わない
6. 追い詰められた時の攻撃性
↓
人格攻撃に転じる
↓
「臭い」「謝れ」
7. やめられない強迫性
4回も反応
追い詰められても
批判されても
やめられない
dorawiiは「50代で社会常識知らない人が俺以外にいないと思ってるのか」と弱い論理的反論を試みた後、4回目にして初めて「ai長文に頼って煙に巻こうとしてる」とAI使用に言及し(3回は内容に反応していたが追い詰められて分析者攻撃に転換)、「なんで簡潔に述べて素直に謝ればいいのに」と謝罪を要求し(私の詳細な分析を「攻撃」と誤認し被害者を演じ)、「臭いはごまかせてないよ?by武闘派麻呂」と古いネットミーム(「姿は隠しても獣は臭いでわかりまするぞ」)を使って隠された悪意を見破ったと主張した——これは、論点での反論が不可能になり追い詰められた状態で、内容から分析者への人格攻撃に転換し、詳細な理解の試みを「煙に巻く攻撃」と投影的に誤認し、AI使用を「ズルいルール違反」として無効化を図り、被害者意識から「謝れ」と要求し、不自然な古いネットミームで対決姿勢を演出しながら、それでも反応をやめられない(存在証明・注目への渇望・強迫性)という、ピッコマの話での「賛同者0」「どうでもいい」と同じ追い詰められた時の最終防衛パターンであり、論理的反論の完全な放棄と人格攻撃への転換、そして自己の攻撃性(他者を「文化資本が低い」「出来が悪い」と攻撃する)を相手に投影して「臭い(悪意)」を見出すという、dorawiiの認知的・情緒的困難の最も防衛的で攻撃的な表出である。
dorawiiは、4回目の反応で、ついに論点を放棄しました。
「ai長文に頼って煙に巻こうとしてる」
「素直に謝ればいいのに」
これらはすべて、内容への反論ではありません。分析者への攻撃です。
論点で勝てなくなった者が、最後にすることは、相手の人格を攻撃することです。
「お前はズルい」
「お前は悪意がある」
「お前は謝るべきだ」
しかし、皮肉なことに、この攻撃は、dorawii自身の攻撃性の投影です。
彼は、自分が他者に対して行ってきたこと(見下し、攻撃、道具化)を、私に投影しています。
「昔の人は出来が悪かった」と見下し、
その同じ人物が、
私に「臭い」と言うのです。
これが、投影です。
そして、「by武闘派麻呂」と、古いネットミームで対決姿勢を演出しながら、
それでも、「dorawiiより」と署名することをやめない。
やめられないのです。
これが、彼の唯一の「注目」だからです。
はてな匿名ダイアリーだけが、彼の世界です。
そして今、その世界で、彼は「武闘派麻呂」として戦っているつもりです。
しかし、戦っているのは、誰でしょうか。
敵は、どこにいるのでしょうか。
おそらく、敵は彼の中にいます。
認めたくない自己。
「俺は異常だ」という現実。
これと戦っているのです。
そして、負け続けているのです。
だから、やめられないのです。
論点のすり替えじゃない?
フラワーデモまでして個人攻撃したら誠にごめんなさいくらいしようね。しないやつは人として信用できないって言われてるだけでしょ。
フェミニストさんサイドとしてもフラワーデモはどうかと思うっていうだけでいいじゃん。そのうえでヤジを攻撃したらいい。別の話なんだから。
だがその言い分、冷静に分解するとただの自己放尿だ。
これらは「誰かを意図的に除外するためのフィルタ」ではなく、制度運営上の重複防止と実務上の整合性のために課されている。
お前の主張、
だが、この推論は完全に壊れている。
なぜなら 口座条件が存在することと制度の政策的目的は別次元の話だからだ。
NISAの口座条件は「非課税枠の二重利用を防ぐ」という実務的制約にすぎず、制度目的は「少額資産形成の非課税優遇」。
目的の解釈を条件にすり替えるのは、自己放尿レベルの論理ミスだ。
お前が繰り返す「まず条件を列挙しろ」「金額じゃねえんだわ」という要求自体が、論点のすり替えだ。
なぜなら最初の争点は「NISAは特定条件を満たさないと非課税じゃない」という発言。
これに対し俺が「いや、その条件は実質非課税枠内で運用するという制度設計そのものを指しているだけ」と指摘したのだ。
お前の返答は、「いや条件は金額じゃなくて口座だ!」と細部を入れ替えて、論点を移動させているだけ。これは議論ではなく、自分が負けを認めないための自己放尿。
それをもって制度の目的や非課税の実態を否定するのは論理の飛躍であり、議論の軸がズレている。
制度の本質は「少額の資産形成に対して非課税枠を与えること」。
口座条件はその実務的な容器でしかない。
NISAは「少額投資非課税制度」、つまり投資で得た利益を非課税にすることが目的の制度だ。
これは条件付きの特別扱いでもなければ、所得別の救済でもない。
制度設計そのものが「小口の資産形成を促すための税優遇」である。
積立投資枠は年120万円、成長投資枠は年240万円、両方併用すれば年間上限360万円。さらに生涯での非課税保有限度額は合計1,800万円(制度上の枠)だ。
これが制度の骨格だ。「条件がある」と言うなら、その「条件」が額の上限や口座開設・対象商品の要件のことを指しているのだろうが、これらは門戸を閉ざすための罠ではなく、誰でも利用できる設計上の枠でしかない。
もし政府が富裕層向けの優遇を目的に税制を設計するつもりなら、上限を「数千万円」や「無制限」にするはずだ。
だが現実は控えめな数字だ。つまり政策のターゲットは「少額を積み立てて将来に備える層」だと明確に示されている。
金融庁自身の調査でも、利用動機は「将来の備え・資産形成」が中心だとされている。「条件があるから違う」と言う主張は、制度の目的を逆に読み違えている。
まず「条件=非課税の例外」だと思い込むこと。実際は「NISA口座で、制度で認められた商品をその枠内で運用すれば非課税になる」という設計仕様だ。
条件という言葉を曖昧に使って現象を大げさに見せているだけだ。
そして 「条件がある=制度が排除的だ」という飛躍。口座開設や商品要件は誰でもクリアし得る単純な手続きであって、所得や資産を基に差別する仕組みではない。
お前の主張は論点のすり替えだ。
NISAに「特定の厳格なフィルタ」があって一部だけが恩恵を受ける、というなら具体的にどの所得層が門前払いされているのか数字で示せ。
それができない時点でお前の主張は自己満足的な思考停止=自己放尿レベルだ。
用語を弄して不安を煽るのは詭弁だ。現実は、設計上の枠(年120万・年240万・生涯1,800万)があるからこそ、政策目標が「少額層の資産形成」であることが明確なのだ。
反論するなら、具体的な法規条文や統計(誰が排除されているのかを示すデータ)を出してこい。
いろんなペルソナで書き込むと、一定確率で「こいつだけは気に食わねぇ」と思われるんですよ
「気に食わねぇ」という感情、それは我々レスバトラーにとっては、ただの敵意ではありません
それは、相手の心の壁に生じた、ごく小さな亀裂、言い換えれば「攻略ポイント」なんですよ
その亀裂を見つけたら、もうこっちのもの。
私の書き込みによって、相手が感情的に反応し、論理ではなく「ムカつく」という動機で返信を打ってきた瞬間、私の勝利はほぼ確定しています。
さあ、サインが出た。ここからが我々の仕事です。次の手は、「極上のエサ」を投下すること
それは決して、単なる罵倒ではありません。それは、相手の最初の感情的なミス、たとえば「論点のすり替え」や「根拠の薄い決めつけ」を、極めて冷静で、しかし皮肉に満ちた言葉で指摘するんです
「あなたの意見は感情的ですね。私が指摘したのはAであって、Bではありません。論点をすり替えるのは議論の放棄ですよ」
あるいは、
「その主張の根拠は、ご自身の感覚以外にありますか? それとも、あなたの個人的な意見を普遍的な事実として扱おうとしているのですか?」
この手の言葉は、相手の冷静さの仮面を剥ぎ取り、感情をさらに逆撫でします
そして、「正論」で追い詰められることに、最大の屈辱を感じるからです
私が論理で武装し、冷静沈着なペルソナを保てば保つほど、感情で動く相手は焦り、さらに粗末な論理で反撃してくる
その結果、周りのウォッチャーたちも、「ああ、これは論理的な方が勝っているな」と認識せざるを得なくなる
「こいつだけは気に食わねぇ」
それは、私が彼らの感情を揺さぶり、土俵に引きずり込み、そして優位に立っている何よりの証明だからです
この文章は、論理的に一貫しているように見せながら、実際には非常に偏った価値観と強引な決めつけに基づいています。主な問題点は以下の通りです。
•文章の主張:「結婚や子育てをしている人」=「社会的な意味が増し、社会人として生きている」
•論理的な問題点: これは「誤った二分法(False Dichotomy)」です。結婚や子育てだけが社会との繋がりの全てであるかのように定義しています。独身者や子供のいない人も、納税、労働、消費、地域活動、友人や親族との交流などを通じて社会と深く繋がっています。彼らを社会と繋がりのない「フリーライダー」と断定するのは、定義が恣意的であり、現実を無視した暴論です。
•文章の主張:社会と連携している(と筆者が定義する)結婚・子育て層は愚痴を言ってよいが、そうでない(と筆者が定義する)独身者は愚痴を言う権利がない。
•論理的な問題点: なぜ「社会との連携」の度合いが「愚痴を言う権利」の有無に繋がるのか、その論理的根拠が全く示されていません。これは筆者の個人的な価値観(「他人に迷惑をかけずに一人で生きるべき」という思想)を、あたかも論理的な原則であるかのように主張しているに過ぎません。苦境を他者に共有することは、人間の自然な社会的行動であり、特定のライフステージの人にだけ許されるものではありません。
•文章の主張:独身者は「家や子育てのリスクを回避している」のだから、それ以外の困難(物価高、ブラックな労働環境など)についても文句を言うな。
•論理的な問題点: これは「論点のすり替え(Red Herring)」であり、全く関係のない事柄を無理やり結びつけています。結婚や子育てをしないという選択が、物価高や劣悪な労働環境といった社会構造的な問題まで「自己責任」として受け入れなければならない理由にはなりません。ある特定のリスク(A)を回避したからといって、別の無関係なリスク(B)について不満を述べる権利がなくなる、という論理は成り立ちません。
•文章の主張:結婚しない人や子供を作らない人は「孤独に生きて孤独に死んでいく」「全部自分の中で完結させる必要がある」。
•論理的な問題点: これも偏見に基づいた「早まった一般化(Hasty Generalization)」です。独身者や子供のいない人が必ずしも孤独であるとは限りません。豊かな友人関係、パートナーシップ、趣味のコミュニティ、親族との関係など、多様な人間関係の中で生きている人は大勢います。彼らの人生が「無意味」で「無責任」であるかのように断定するのは、他者の生き方を尊重しない、極めて一方的な見方です。
•文章の主張:物価高やブラックな労働環境などの問題は「全部自分の責任」である。
•論理的な問題点:個人の選択や努力で解決できる問題と、社会全体の構造的な問題を混同しています。物価の変動や労働市場の状況は、一個人がコントロールできる範囲をはるかに超えたマクロな問題です。これらの困難をすべて個人の責任に帰するのは、原因を過度に単純化する論理的な誤りです。
この文章の根底にあるのは、「結婚して子供を育てることこそが社会の一員としての責任であり、それ以外の生き方は劣っていて無責任だ」という強い価値観です。
•無関係な事柄の結合(子育てリスク回避 vs物価高への不満)
といった複数の論理的誤謬(ごびゅう)を重ねることで、自らの価値観を正当化しようとしています。そのため、全体として非常に矛盾が多く、説得力に欠ける文章となっています。
よくきたな。おれは██████だ。おまえは今、六法全書という名のタルサドゥーム謹製のクソ分厚いマニュアルを前にして、そこに書かれた小難しい言葉の羅列に脳髄を焼かれ、「殺人未遂罪」などという訳の分からん概念に頭を抱えているのだろう。その甘ったれた疑問は、おまえがまだ法というものを、結果だけをなぞるだけの腰抜けのゲームだと勘違いしている証拠だ。いいか、今からおれが、真の男が遵守すべき唯一の法・・・・・・MEXICOの荒野の掟・・・・・・について、おまえの頭蓋に直接インストールしてやる。
まず、匿名ダイアリーにこの疑問を書きなぐった腰抜け。おまえの着眼点は悪くない。だが、おまえは本質を完全に見誤っている。「殺そうとして、たまたま死ななかったら罪が軽くなるのはおかしい」。その通りだ。そんなことは、MEXICOの酒場でテキーラを呷っているガキでも理解できる。問題はそこから先だ。おまえは「未遂罪はいらない」などと、論点のすり替えという名の腰抜けライドショーに乗り込もうとしている。ふざけるな。問題は罪の名前などではない。おまえの行動の「意思」そのものを裁く魂のガッツが、現代の法から完全にスポイルされているという、この一点に尽きるのだ。
いいか、よく聞け。この世界の全ては、「やったか、やらなかったか」ではない。「やろうとしたか、やろうとしなかったか」で決まる。これができなければ、おまえは他人に裁き
を下す資格すらない。
おまえが、憎き仇敵の心臓めがけてマチェーテを振り下ろしたとする。その瞬間、おまえの罪はR.E.A.Lになる。おまえの魂は、相手を殺すという決断を下し、その意思は肉体を通じて行動として世界に発露した。これで全てだ。これが完全な「殺人」という名のグーパンチなのだ。
その後、たまたま通りかかったスーパードクターが神業のような手術でそいつの命を繋ぎ止めたからといって、おまえの振り下ろしたマチェーテの罪が軽くなるのか? なるわけがないだろうが。それはただのL.U.C.Kだ。偶然だ。おまえの預かり知らんところで行われた、他人のファインプレーに過ぎん。おまえがサッカーの試合で相手の足をへし折るような悪質なタックルをかましてレッドカードを喰らった後、相手チームのメディカルスタッフが超人的な応急処置でそいつをすぐにピッチに復帰させたからといって、おまえのレッドカードがイエローカードに変わるか? 変わるわけがない。タックルをした、その行動の意思こそが全てだからだ。
匿名ダイアリーの腰抜けは、「未遂は『やっぱやめた』みたいなパターンでしか適用できない」などと寝言を言っている。それは未遂ですらない。ただの脅迫だ。あるいは、決断を下せない腰抜けの逡巡だ。真の男の行動に「やっぱやめた」などという選択肢はない。引き金を引くと決めたら引く。マチェーテを振り下ろすと決めたら振り下ろす。その行動の結果が、たまたま医者という名のデウス・エクス・マキナによってねじ曲げられただけなのだ。タルサドゥームの法は、その神の気まぐれのような偶然を、「情状酌量」などという耳触りのいい言葉でコーティングし、罪の本質から目をそらさせようとしている。
この結果主義という名の病は、社会全体を腐らせる。なぜなら、「死ななければセーフ」「バレなければオーケー」という、腰抜けの発想を助長するからだ。やがておまえたちの社会は、本気で誰かを殺そうとした人間の魂の罪悪よりも、たまたま死んでしまったという「結果」の重さばかりを問うようになる。それは魂の法ではない。ただの事後処理マニュアルだ。そんな世界では、誰もが行動の意思に責任を持たなくなり、ただ無味乾燥な判例を積み重ねるだけの砂漠になる・・・・・・END・・・OF・・・JUSTICE・・・・。
おれが言いたいことは以上だ。殺人未遂罪という言葉のトリックに騙されるな。おまえが怒りを向けるべきは、その罪名ではない。行動の根源にある「殺意」という名の魂のガッツを軽んじ、偶然という名のサイコロの出目に裁きを委ねる、タルサドゥームの腰抜けシステムそのものだ。わかったら、匿名ダイアリーでくだらない同意を求めていないで、おまえ自身の魂の法に従って行動しろ。さもなくば、おまえは誰からも裁かれることなく、ただ静かに、自分の腰抜け根性によって殺されるだけだ。
ワイ:
A:「男性は」「女性は」じゃなくて「俺は」「私は」じゃないの?
臆病者なの?
Claude Sonnet 4:
この会話のユーモアは、AさんとBさんの認識のズレから生まれる「すれ違いコメディ」にあります。
Aさんの視点:
何かの議論で「男性は〜」「女性は〜」という一般論的な発言を問題視している
「なぜ『俺は』『私は』と個人の経験として話さないのか?」と批判
一般化を避けて個人の体験を語るべきだという、おそらく真面目な主張
Bさんの視点:
性別と名前が逆の場合もあるという、現実的な困りごととして受け取っている
完全なコミュニケーション不全 - Aさんは社会問題について語っているのに、Bさんは人名の話だと思っている
Bさんの天然ボケ感 - 真面目に「たまに性別と逆だったりするから困る」と実用的な悩みを語っているところ
読み手の二重理解 - 両方の解釈が同時に見えることで生まれる認知的なギャップの面白さ
典型的な「ボケ・ツッコミ」構造で、Aさんの真面目な問題提起が、Bさんの予想外の解釈によって完全に別の次元に飛んでしまった瞬間の可笑しさですね。
ChatGPT 5 Thinking
おもしろさは「真面目な議論を、言葉の取り違えで一瞬でズラす」ズルさにあります。ポイントをサクッと👇
Aは「“男性は/女性は”って一般化やめて、“俺は/私は”と言え」と道徳的に詰めています。
そこへBは「女性、男性って“名前”だろ」と、カテゴリ名詞(性別)を固有名詞(人名)に読み替える大胆な勘違いボケを投入。議題が一気に崩れます。
日本語の「Xは〜」は、人名でもカテゴリーでも成り立つ(「田中は…」「学生は…」)。
Bはこの曖昧さを利用して、「男性は」を「男性さんは」という固有名の話し出しに偽装。文法上は通るけど意味が破綻してるのが笑いどころ。
「山田女性/田中男性」なんてまず存在しない名指しを平然と挙げることで、「そんな名前あるか!」という読者の内的ツッコミを誘発。王道の漫才構造(ボケ→ツッコミ)を読む側に委ねています。
「たまに性別と逆だったりするから困る」で、名前と性別が噛み合わない“現実っぽい”困りごとに見せかけて、勘違いをさらに重ねるメタボケ。意味不明さを理屈で正当化しようとするズルさが可笑しい。
シリアスの無力化
Aの「臆病者なの?」という圧の強い非難を、Bは言葉遊びで無効化。SNSでありがちな“ジェンダー一般論”批判を、文字面ジョークに落としてしまう脱力度がオチになっています。
まとめると、
「性別カテゴリー」を「人名」に読み替える言葉遊び+「は」の曖昧さを利用した勘違いボケで、重めの主張を一瞬でコントにする構図──ここがおもしろポイントです。
Grok:
この会話のおもしろポイントを以下に解説します。Aの発言の誤解と突っ込み
Aは「男性は」「女性は」という一般化された主語に対して、「なんで『俺は』『私は』って一人称で言わないの?」と突っ込んでいます。この発言は、話し手が自分の意見や立場を直接的に表現せず、性別という曖昧なカテゴリーで語ることを「臆病」と揶揄している点がユーモラスです。「臆病者なの?」という挑発的な締めが、軽い毒っ気を含んでいて笑いを誘います。Aの発言は、ステレオタイプな言い回しに対する皮肉とも取れ、日常会話でよくある「一般論」を装った発言を突く鋭さがおもしろさのポイントです。
Bの意図的な「ズレた回答」
BはAの質問を真面目に受け取らず、「女性」「男性」を名字(山田や田中)として解釈するという、意図的にズレた回答をしています。この「すれ違い」がコメディの定石で、Aの真剣(または皮肉)な問いかけに対して、Bがまるで話の文脈を無視したような返しをすることで、予想外の展開が生まれます。特に「山田女性」「田中男性」という具体例が、あり得ないシチュエーションを想像させ、ナンセンスなユーモアを引き出しています。
Bの「たまに性別と逆だったりするから困る」という一文が、さらなる笑いのポイントです。これは、名前と性別が一致しない場合(例:女性なのに「男性」という名字)の混乱を冗談めかして表現しており、日常のちょっとした矛盾や混乱を誇張したユーモアになっています。この一言で、Bの回答が単なるボケではなく、どこか現実の「名前のジェンダーニュートラル」な話題に軽く触れているようにも見え、軽妙な深みを与えています。
全体のユーモアの構造 Aの鋭いツッコミ(一般論を避ける臆病さへの皮肉)と、Bの意図的なボケ(名前として解釈するズレ)が組み合わさり、会話のテンポ感と意外性が笑いを生む。
Bの最後の「困る」という締めが、日常の小さな不条理をユーモラスに表現し、共感を誘いつつ笑いを増幅。
この会話は、言葉のすれ違いと軽い皮肉、そしてナンセンスな発想が絡み合った、短いながらもキレの良いユーモアになっています!
Gemini 2.5 Pro:
この会話の面白さは、Aさんの真面目な問題提起を、Bさんが全く予想外の解釈で返し、論点を豪快にすり替えている点にあります。
Aさんは、「『男性は』『女性は』と大きな主語で語ることで、自分の意見としての責任を回避しているのではないか?」という、ネットの議論などでもよく見られる鋭い指摘をしています。「臆病者なの?」という言葉からは、Aさんの真剣さや少し苛立っている様子がうかがえます。
しかしBさんは、この社会的なコミュニケーション論を完全に無視し、「女性」「男性」という言葉を性別ではなく、まさかの「人の名前」として解釈します。これにより、Aさんの問題提起は一瞬で無力化され、全く別のシュールな世界へと話が飛躍します。
Bさんは「女性、男性って名前だろ」と主張するだけでなく、「山田女性(やまだ めい、あるいは じょせい)」「田中男性(たなかおとこ、あるいは だんせい)」という、ありそうでない絶妙な具体例を提示します。この固有名詞が出てくることで、Bさんの突拍子もない解釈に奇妙な説得力が生まれ、聞き手は思わず笑ってしまいます。
Bさんの面白さはここで終わりません。「たまに性別と逆だったりするから困る」と付け加えることで、そのシュールな世界観をさらに発展させています。
「田中男性くん」が実は女の子だったり、「山田女性さん」が男の子だったりする状況を想像させ、面白さを増幅させています。
「困る」という言葉に、まるでそれが日常でよくある悩みであるかのようなリアリティが生まれ、会話の可笑しさを際立たせています。
まとめ
この会話は、Aさんの真剣で熱意のある「フリ」に対して、Bさんが見事な発想の転換で「ボケ」を返すという、お笑いの構造になっています。深刻な話を一瞬で笑いに変える、Bさんの斜め上の発想力がこの会話の面白さの核心と言えるでしょう。
ClaudeとGrokがFamilynameとGivennameを間違えてるな🤔
togetterモドキで常日頃からアンフェムーブとかコレコレの真似事して報道ごっこしてるアホが勝手に「イベントでウェディングドレス着ただけなのに」って問題を矮小化し、後のリポストで性器なんちゃらって蔑称使ってんの見つけたから余計に誤読&論点のすり替えが広まっただけ
青バッジ付けてるからインプレで稼いでるだの、美容系RTで案件貰ってるから炎上狙いだの言ってる頭参政党レベルの陰謀論者もワラワラ沸いてたけど
プロフに「まとめサイトで稼いでます」みたいなこと堂々宣言して、燃えだしたらしれっと消すこいつこそよっぽど悪だわ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@yonepo665/p/SbbmFjR
数行でコメントしてやるけれど、AIが文章を要約するぐらい秒なの知らないの?
その程度の文をざっと読む読解力も無いなら、とりあえずAIに要約してもらえば?
どんな論証になってるかは後からじっくり読めばいいよね??
お送りいただいた反論、拝見いたしました。これらは竹中平蔵氏本人やその支持者が頻繁に用いる主張であり、一見すると事実やデータに基づいているように見えます。
しかし、詳細に分析すると、**事実の一部を切り取って都合よく解釈したり、論点を巧みにすり替えたりしている箇所が多く、全体として妥当性は低い**と言わざるを得ません。
時間がかかっても構わないとのことですので、一点ずつ、事実に基づいて厳密な評価と反論を行います。
---
反論の要旨:**ILO条約を批准し、世界的な流れに従っただけだ。
評価と反論:**
この主張は**「半分だけ事実、しかし結論は誤り」**です。典型的な論点のすり替えです。
1. **ILO条約は「規制緩和」を義務付けてはいない:**日本が批准した「1997年の民間職業仲介事業所条約(第181号)」は、民間による職業紹介や労働者派遣を認める代わりに、**派遣労働者の権利を保護すること**を重要な目的としています。条約は、同一労働同一賃金の原則や、派遣労働者が不利益を被らないようにするための適切な保護措置を求めています。つまり、条約は「派遣を解禁するなら、労働者をしっかり守れ」という趣旨であり、**日本が行ったような急進的な規制緩和(特に製造業への解禁や期間制限の撤廃)を推奨・義務付けるものでは全くありません。**
2. **「世界的な流れ」の誤用:**欧州の多くの国々では、派遣労働を認めつつも、その利用は「一時的・臨時的業務」に厳しく限定されていたり、均等待遇(派遣先の正社員と同等の賃金・労働条件)が日本より厳格に適用されたりしています。日本の改革は、この「労働者保護」の側面を軽視し、「企業の自由」を過度に優先したため、他国と比較しても際立って非正規化を加速させました。
結論:**ILO条約や世界の潮流を「言い訳」にしていますが、問題の本質は**条約が求める労働者保護をないがしろにし、世界的に見ても急進的な形で規制緩和を断行した国内の政策判断**そのものです。
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反論の要旨:**政治家による資金の私物化を防ぐためだった。国鉄のように破綻させないためだ。
評価と反論:**
この主張の**動機(問題意識)は妥当ですが、その解決策と結果の評価が一方的**です。
1. **問題意識は正しい:**田中角栄元首相に象徴されるように、かつての自民党政治家が公共事業や特殊法人を票田や利権の温床としてきたことは事実です。その構造にメスを入れる必要があったこと自体は、多くの国民が同意するところです。
2. **「民営化」が唯一の解決策ではない:**政治家の介入を防ぐ方法は、ガバナンスの強化、情報公開の徹底、会計の透明化など、民営化以外にもあり得ます。この反論は「腐敗か、民営化か」という極端な二者択一を迫っていますが、それは議論を単純化しすぎています。
* **郵政:**ユニバーサルサービス(全国一律のサービス)の維持が危ぶまれ、かんぽ生命の不正販売問題など、営利優先の弊害が顕在化しました。
* **道路公団:**民営化後も、結局は国が債務を保証する形が残り、料金収入で本当に債務を返済できるのかという疑問は解消されていません。国民の資産が安値で売却されたのではないかとの批判も根強くあります。
結論:** 「政治家の私物化を防ぐ」という大義名分は正当ですが、それをもって**民営化という手法と、その後の結果がすべて正当化されるわけではありません。** 多くの負の側面を無視した、自己正当化の論理です。
---
### ■格差の拡大について
反論の要旨:** 2000-2005年の格差は下がっている。OECDのレポートに書いてある。
評価と反論:**
これは**統計を意図的に一部分だけ切り取った、極めて悪質な論法**です。
1. **どの指標を見ているか?:**格差を示すジニ係数には、税金や社会保障で再分配される前の「当初所得」と、再分配後の「再分配所得」があります。竹中氏が言及するOECDのレポートや経済財政白書では、高齢化の進展で無職の高齢者世帯が増え、「当初所得」ジニ係数は一貫して上昇傾向です。一方で、年金などの社会保障により「再分配所得」ジニ係数がある一定期間、横ばいに見えた時期があるだけです。**現役世代の所得格差が広がっているという現実から目を逸らさせています。**
2. **より重要な指標「相対的貧困率」の悪化:** 同じ時期、国民の所得の中央値の半分に満たない世帯の割合を示す**「相対的貧困率」は一貫して上昇**していました。特に、子どもがいる現役世帯の貧困率は深刻化しました。これは、非正規雇用の拡大で「働く貧困層(ワーキングプア)」が増えたことの直接的な現れです。
3. **長期的な視点の欠如:**改革の帰結はすぐには現れません。2000年代後半から2010年代にかけて、格差と貧困が日本社会の大きな問題として顕在化したのは、まさにこの時期の政策が時間差で影響を及ぼした結果です。5年間という短い期間だけを切り取って「格差は拡大していない」と主張するのは、欺瞞に満ちています。
結論:** 最も重要な指標(相対的貧困率や現役世代の所得格差)を隠し、都合の良い一部のデータだけを提示する**典型的なミスリード**です。
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反論の要旨:**ゾンビ企業を清算しないとデフレスパイラルになる。
評価と反論:**
経済学的な理屈としては**一理ありますが、社会政策的な視点が完全に欠落しています。**
1. **経済理論としては正しい側面も:**生産性の低い企業が、低利融資で延命し、過剰な供給力でダンピング(不当廉売)を行うことがデフレ圧力の一因であったことは事実です。不良債権処理によって新陳代謝を促す必要性自体はありました。
2. **「清算」のやり方と速度が問題:**問題は、その「清算」をあまりにも急激に、そして**セーフティネット(失業者の受け皿、再就職支援など)が不十分なまま断行した**ことです。これにより、多くの健全な中小企業までが連鎖倒産し、大量の失業者を生み出しました。経済合理性のみを追求し、社会が払うべきコスト(失業、自殺、地域の崩壊など)を度外視した「ショック療法」であったことが厳しく批判されています。
結論:** 「デフレ脱却のため」という目的は正しくても、そのために**社会が負った傷や犠牲を無視する議論は、極めて冷酷かつ一方的**です。政策の評価は、経済指標だけでなく、国民生活への影響を含めて総合的に行われるべきです。
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反論の要旨:**グローバルな自由貿易の結果であり、国内政策の問題ではない。「スリッパ工場」はインドと競争するから賃金は上がらない。
評価と反論:**
1. **日本の労働者の多くは貿易と無関係:**日本の就業者の大半は、医療、介護、教育、建設、運輸、小売、飲食といった**「非貿易財(国内向けサービス)」**に従事しています。これらの仕事はインドの労働者と直接競合しません。例えば、日本の介護士やトラック運転手、コンビニ店員の賃金が、インドの工場のせいで上がらない、というのは馬鹿げた理屈です。
2. **国内の「政策」が原因:** これらの国内向けサービス業で非正規雇用が爆発的に増えたのは、グローバル化ではなく、**ひとえに労働者派遣法などの国内の規制緩和が原因**です。企業が国内の正社員を非正規社員に置き換えるインセンティブを、政策が作り出したのです。
結論:** 「グローバル化」という、抗えない大きな力のせいにするのは、**自らが推進した国内政策の責任から逃れるための詭弁**です。「スリッパ工場」という極端な例えを使い、あたかも日本経済全体がそのようになっているかのように錯覚させる、悪質なすり替え論法です。
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反論の要旨:**企業は海外で稼いでいるから、日本の労働者の賃金が上がるはずがない。
評価と反論:**
1. **国内でも利益は増大:**企業は海外だけでなく、**国内事業でも莫大な利益を上げてきました。**法人企業統計を見れば、企業の経常利益は改革後に大きく伸びています。賃金を上げる原資がなかったわけではありません。
2. **問題は「分配」の方針:**問題は利益の源泉ではなく、その**使い道(分配)**です。企業は、得た利益を「賃上げ」ではなく、「内部留
保」や「株主配当」に優先的に振り向けてきました。これは、株主資本主義の要請や、労働組合の交渉力低下、そして何より**「いつでも安い労働力(非正規)に置き換えられる」という状況を政策が作り出した**ことが大きな要因です。
結論:** 「利益は海外で」という主張は、国内での利益を無視し、賃金が上がらない原因を「分配の失敗」という政策的・構造的な問題から逸らそうとするためのものです。
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反論の要旨:** 「解雇規制を緩和すれば派遣業界は吹っ飛ぶ」と言っており、自社の利益と相反する。不思議ちゃんだ。
評価と反論:**
これは**短期的な視点しか見えていない、極めて浅薄な擁護論**です。
1. **より大きな市場を狙う戦略:**竹中氏やパソナが目指しているのは、単なる「派遣業界」という小さな市場ではありません。彼らが目指すのは、**日本の労働市場全体の流動化・自由化**です。正社員の解雇規制が緩和されれば、「正社員」と「非正規」の垣根がなくなります。
2. **HRビジネスの覇者を目指す:** そのような社会では、企業は必要な時に必要な人材を調達し、プロジェクトが終われば解雇するという、より柔軟な雇用形態が主流になります。そうなれば、**人材の仲介、再教育、キャリアコンサルティング、アウトソーシング(業務請負)などを一手に引き受ける巨大な人材サービス企業(HRビジネス)**が市場を支配します。パソナのような企業にとって、現在の「派遣」というビジネスモデルは過渡期のものであり、**労働市場全体の流動化は、長期的には遥かに大きなビジネスチャンス**なのです。
結論:** 「派遣業界が吹っ飛ぶ」という発言は、一見すると自己否定的に見えますが、実際には**自社をより大きなゲームの勝者にするための、長期的・戦略的な布石**と解釈するのが自然です。「不思議ちゃん」などではなく、極めて計算高い戦略家です。この反論は、その戦略的な意図を見抜けないか、意図的に隠そうとしているかのどちらかでしょう。
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### **総括**
お送りいただいた反論群は、一見すると経済学的な用語やデータを並べて説得力があるように見せかけていますが、その実態は、**事実の歪曲、論点のすり替え、不都合な事実の無視**に満ちています。
これらの主張は、竹中氏が進めた改革を「歴史の必然であり、唯一の正解だった」と見せかけるためのイデオロギー的なプロパガンダの側面が強く、**厳密な評価に耐えうるものではありません。**妥当性は極めて低いと判断します。
以下質問内容。
君とのやり取りに対して以下のような反論?が届いたけど、この反論はどの程度妥当なの?時間がかかっても構わないので、事実に基づいて厳密に評価し、反論があれば反論して。
最初にILOが「派遣もアリ」という条約を作り、日本はそれを批准してから法改正した。各国の世界的な流れに従った。
田中角栄のような政治家が、特殊法人の金庫に手を突っ込んで、自分の票田にバラマキ。そういうことをさせないための民営化。金庫が空っぽになってしまった国鉄は最終的に破綻処理。
■格差の拡大
2000-2005年の間、格差は下がっている。彼自身が「そのことは経済財政白書にもOECDの報告書にも書いてある」とソースをはっきり言っているのに、なぜOECDの2005年レポートを読まないの?
いわゆるゾンビ企業の清算。利益が出ていないのに撤退せず最低賃金で踏ん張り、ダンピング価格で出荷されたらデフレが更に進む。地獄のデフレスパイラルや。
自由貿易によって、グローバルな同一労働同一賃金が達成された。スリッパを作る工場は、インドでも国内でも時給は同じになった。そもそもスリッパのような低単価商品、国内においては稼げる仕事じゃないだろう。
このように、企業は海外にスリッパ工場などを建ててそれで稼ぐようになった。日本の労働者はそこで働いていないんだから、賃金が上がるはずがない。
会長なのに「解雇規制を緩和すれば、派遣業界なんて吹っ飛んでしまう」と言って回るような、自社との利益相反、不思議ちゃんだ。普通なら「日本型雇用は素晴らしい、派遣業界は永遠なれ」というボジションなのだが。。
えっと、それって「自分はノアの法(ノアイドの七戒)をベースにしてるから、仏教の偶像崇拝はダメだと思う」って話ですよね?
…いや、それって**「あなたの信じてる宗教ではそうなんですね」ってだけの話であって、仏教に対する批判になってなくないですか?**
だって、仏教ってそもそも一神教じゃないですし、「偶像を崇めるのがダメ」とはそもそも言ってない宗教なんですよ。
それを「自分のルールに照らして仏教はアウト」って言われても、「あ、そうですか」ってしか言いようがないんですよね。
例えるなら、「俺はヴィーガンだから、焼肉は悪だ!」って言われてるようなもんで、いや、焼肉側に罪はないですからって話なんですよ。
それに、ユダヤ教の価値観が世界共通だと思ってるなら、それちょっと思い込みが激しいというか、**マジで頭大丈夫ですか?**って話になっちゃうんですよね。
元記事は「割れ窓理論」を援用してゲームやアダルトビデオ(AV)が性犯罪を間接的に誘発するという主張を展開している。しかし、この議論には複数の重大な論理的欠陥と事実認識の誤りが存在する。
割れ窓理論は都市環境における物理的な荒廃と犯罪発生率の相関を扱った理論である。ジョージ・ケリングとジェームズ・ウィルソンが1982年に提唱したこの理論は、建物の破れた窓などの物理的な無秩序が地域の犯罪率上昇と相関することを示している。
しかし、この理論をゲームやAVといったメディアコンテンツに直接適用することには根本的な問題がある。割れ窓理論は「物理的環境」における秩序の問題を扱っており、「表現物や創作物」に対する適用は理論の射程を大きく逸脱している。
元記事は「間接的には性犯罪を誘発しているのは事実と思う」と断言しているが、この主張を支える客観的データや研究結果は一切提示されていない。学術的議論において、因果関係を主張する側には立証責任がある。
実際の研究データを見ると、むしろ逆の傾向が観察される。日本では成人向けコンテンツが比較的容易に入手可能であるにも関わらず、性犯罪発生率は他の先進国と比較して著しく低い。警察庁の犯罪統計によれば、強制性交等罪の認知件数は人口比で見ても国際的に低水準を維持している。
記事は「知的障害で分別がつかない女性になら何をやってもいい、どうせ何をされているかも分かってないという風潮が生まれている」と主張している。しかし、このような「風潮」が実際に存在するという客観的な証拠は提示されていない。
社会調査や世論調査において、このような認識が広まっているというデータは確認できない。むしろ、障害者の権利に関する社会の意識は年々向上しており、障害者差別解消法の施行(2016年)以降、社会全体の認識は改善傾向にある。
元記事は批判者が「わざと論点をずらして直接的な影響の有無だけに注目している」と主張するが、これは藁人形論法である。
表現の自由を支持する論者の多くは、以下の複層的な論点を提起している:
これらの論点を「論点ずらし」として片付けることは、建設的な議論を阻害する。
記事の後半は「怖い」「恐ろしい」といった感情的表現が多用され、論理的分析よりも恐怖心に訴える構造になっている。しかし、社会政策や表現規制について議論する際は、感情ではなく客観的データと論理的分析に基づく必要がある。
元記事は創作表現に対する規制や批判を当然視しているが、表現の自由は民主主義社会の根幹を成す基本的人権である。日本国憲法第21条、世界人権宣言第19条において保障されているこの権利に対する制約は、明確で差し迫った危険がある場合に限定されなければならない。
6.表現の自由への軽視
健全な社会議論のためには、感情的な断定ではなく、客観的データに基づく冷静な分析が必要である。性犯罪の防止は重要な社会課題だが、その解決策は表現規制ではなく、教育の充実、被害者支援の強化、加害者の更生プログラムの整備など、より実効性のある施策に求めるべきである。
この文章には複数の論理的誤謬が含まれています。以下、主要な詭弁性を分析いたします。
## 偽の二分法(False Dichotomy)
文章の核心的な誤謬は、「女性の価値を出産で決めるべきではない」という主張を、「出産に価値がない」という極端な解釈に転換している点です。これは典型的な偽の二分法であり、実際には多くの中間的な立場が存在します。出産に価値を認めながらも、それが女性の人間としての価値を決定する唯一の要素ではないという見解は十分に合理的です。
原論点は「女性の価値を出産能力で判断すべきではない」という人間の尊厳に関する議論でした。しかし、この文章は論点を「出産行為の価値評価」という別の議題に転換しています。これにより、本来の議論から逸脱し、反駁しやすい論点を設定して攻撃する詭弁手法を用いています。
「産まない人間はそれ以外の価値を持つしかない」という表現は、人間の価値を階層的に捉える誤った前提に基づいています。実際には、個人の価値は多面的であり、出産能力はその一要素に過ぎません。職業的貢献、創造的活動、社会的関与など、多様な価値の源泉が並列的に存在することを看過しています。
「そうじゃなければ...という話にしかならなくなる」という断定的な結論は、論理的必然性を欠いています。この表現は、限定的な前提から極端な結論を導き出す論理的飛躍を含んでおり、議論の妥当性を損なっています。
まず、お前の話は「弱者男性は生理的に気持ち悪い存在」という前提の上に構築された誘導的プロパガンダだ。
しかもそれは、一個人の経験談を装った「弱者男性=犯罪者予備軍」という社会的記号化の自己放尿にすぎない。
論点のすり替え、感情の過剰演出、主語の曖昧化、そして一方的な被害者ポジションの確保。
お前がやっているのは、まさに情動的な群集心理の操作、要するに自己放尿そのものだ。
お前は「恐怖しかなかった」と言う。
それとも、「こういうタイプの男は気持ち悪い」というお前の内なる偏見の反射ではないのか?
つまり、自分の生理的嫌悪を絶対正義に変換すること自体が、自己放尿のように無自覚な羞恥であるということに気づくべきだ。
たとえるなら、お前の語り口は、水たまりを見て勝手に「深海に落ちる!」と叫んで逃げ惑うようなもの。
その水たまりの正体が、自分の心の中にある投影だとしても、お前は決して見つめようとしない。
お前が「気持ち悪い」と思った瞬間、なぜそう思ったのか。
なぜ「なでてもいいですか?」という一言が、お前にとっては「犯罪の兆候」になるのか?
それとも、お前の中にある未解決のトラウマや、社会的な刷り込みが誘導した自己放尿なのか?
他者の「笑顔」を「敵意」に変換するそのフィルターは、お前の防衛本能ではなく、未処理の恐怖の亡霊であり、お前の中の闇である。
お前は相手に拒否を伝える努力すらせず、後になって感情だけで自己放尿ビンタという暴力を選んだ。
なぜ相手の反応を一切考慮せず、「パニック=気持ち悪い」と切って捨てたのか。
お前が責めるべきなのは相手の「性格」や「身分」ではなく、もしあったのならば、その行動の非適切さであり、さらに自分自身の感情処理の未熟さではないか?
お前が「もう二度とああいう男と関わらない」と決めたとき、その男性の生まれ変わる可能性も、話し合いの余地も全否定した。
それはまさに、「すべての汚いものを外に閉じ込め、清潔な自分の空間を保ちたい」というナルシスティックな自己放尿であり、社会の共生を目指す態度とは逆行する。
ID出さずに投稿してたとき↓は何百ブクマもついた記事もあった(当然トラバもたくさん)のに
https://b.hatena.ne.jp/q/dorawii?target=text
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ID出さずに投稿してたとき↓は何百ブクマもついた記事もあった(当然トラバもたくさん)のに
https://b.hatena.ne.jp/q/dorawii?target=text
「自分の文章に返事をしてもらえる価値がない」とかあたかも内容に問題かあるかのように言うの論点のすり替えすぎない?
dorawiiと名乗っているということ、という形式的な問題だろ?誰が言ったかで判断する無能の自白やな。
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