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2025-10-14

anond:20251014074449

全然まとまってないけど、すこしひっかかったから書いてみる。

ほとんどメモのようなもの

たとえばあなたが誰かを好きになったとする。

でもその誰かは、突然どこかから降って湧いたわけじゃない。

その誰かは、他の誰か(親や保護者友達や食べてきた生き物)によって大事に育てられてきたからそこにいる。

文化あなた気持ち良くするためだけの道具ではないと思う。すごく極端にいうと、セックスだけやらせてくれみたいに聞こえる。

文化にもあなたが好きになった誰かのように、育てた人がいるんじゃないかなって思う。

僕は数学が好きで、数式も好き。何かのわからない問題について考えることが好き。

でもいま僕がその数学問題を解くために、使っている記号や考え方の方法も、誰かが忘れず薪をくべ続けるように育ててきたから僕はその問題に向き合うことができる。

そして大切なのは数字数学目的じゃなくて、その数字という言語を通してなにをするか。

例えばそれは、花子さん太郎くんに追いつく時間を知ることかもしれないし、目の前のおばちゃんの生まれた年を聞いて何年前に生まれてどんな経験をしたか想像するためかもしれないし、正確な設計図を書いて人をちゃんと殺せる兵器をつくることかもしれない。

数学もそうだし、あらゆるテクノロジー(技)は、育てるためにも殺すためにも使うことができる。

まちづくりにおいて「実績」という言葉があるけど、いまはその「実績」が数字と結びつきすぎているような気がする。実という言葉語源には宝(寶)があり、績という言葉語源には、まゆの目に見えないほど細い繊維を切れないように何度もよりかけて糸にすることがある。

「宝」と聞くと、僕はパッと宝箱に入った金銀財宝を思い浮かべる。でもその金銀は、ただの金銀であって、それ自体が食べれるわけじゃない。誰かが作った料理を買って自分を育てることができたり、誰かに育てられた人にプレゼントを渡すことができて、もっと仲良くなれるかもしれない。そう考えるとそもそもお金以外の宝もたくさんあると思う。そしてお金で買えない宝もたくさんある。

一番最初に聞いて感動した音楽はなに?友達とどんなふうに出会ってどんなふうに仲良くなった?自然を見て美しいと思ったことはある?

実績は数だけじゃなくて、数では測れない実感こそ積み上げることも実績だと思う。

数(財布)から数(財源)を積み上げることが実績じゃないと思う。数は命の数でもあって、その対象が育てられた数でもあると思う。

ミヒャエルエンデは、芸術を鑑賞するのは利口になるためではなく、豊かになるためだという趣旨言葉を話したことがある。

でも豊かってなんなんだろうなって最近ずっと考えてる。以前地方美術館学芸員さんと話す機会があって、聞いてみた。その人曰く、「豊かは、増えること」って言っていた。その言葉の内容もそうだけど、その質問に答えようとしてうーんと悩んで、沈黙のなかからポツりと出てきたのがその言葉で、自分はそのときの間や、音(そのひとのうーんって声や周囲の音)がなぜかすごく心地よく感じて今でも思い出す。

他の人にきいたら別の答えが返ってきそうだけど、これを読んでいる人はどう思うかな。

文化、cultureの語源は、耕すことらしい。つまり文化自体が実じゃないのかもしれない。モノと受けとる人の間に生まれることが、ほんとうの実績なのかもしれない。

僕らはなにを耕して、どんなものを育てていきたいんだろう。いま大事とされているもの最初から大事だったわけじゃない。それが大事なのはそれを大事にしてきた人がいたか大事なんだと思う。

養育費みたいに税金だけ渡して満足するんじゃなくて、たまには美術館博物館に足を運んで、自分の目や耳でどんなものが生まれて、一緒に育てられるのか、考えたいなって思う。

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2025-10-12

anond:20251012202044

うけけけけけけけけけ。

深夜の街は静か……のはずだったが、アルミの山の影で国民今日も働き続ける。

男子体重が45キロまで、女子28キロまで減り、鍋やスマフォアルミを抱えながら、よろよろと列を進む。

それでも口角テープ笑顔を作り、子どもたちは穴の上で紙飛行機を飛ばす。

街は疲弊匂いで満たされ、犬も猫も忍び足で通り過ぎる。うけけけ。

タカイチョはバルコニーの上から国民を見下ろし、うそぶく。

「皆さん、少し痩せましたね。ご飯がなくても、今川焼きはありますよ?」

誰も笑えない。笑わなければならない、口角テープ国民笑顔押し付けられる。

少年カモノハシは母の肩に手を置き、体重の減った母を見て、小さく呟く。

ママ、もう45キロ……それでも僕らは歩かなきゃいけないの?」

作業場ではSS部隊スマフォを分解し、アルミを取り出す。

兵士たちは胸を張るが、国民の骨ばった手がアルミを持つ音は、どこか寂しげで、リズムを刻む太鼓の音にすら混ざり込む。

ペンギン党員たちは穴を掘り、模型ガス室設計図を描き、アルミ山を数える。

愛国のため」と叫ぶ声と、減った体重の影が交錯する街角

夜になると、反乱のひと握りの者たちが密かに集まる。

彼らは力で抗うのではなく、疲弊した者たちにそっと寄り添う方法を探した。

毛布を敷き、静かな歌を口ずさみ、子どもには蜜菓子を分ける。

「安らぎ」という名の小さな行為が、重労働で削られた体と心にそっと染み込む。

街の暗闇で、それは光のようにひっそりと広がった。

翌朝、広場では「スマフォ供出+今川焼き推奨」の記念式典が始まる。

タカイチョは階段の上から宣言する。

我が国は屈しない!倍返しだご飯がなくても創意工夫せよ!」

口角テープ笑顔紙飛行機アルミ山、減った体重の影……すべてが一体となって、タカイチョの狂騒オーケストラを奏でる。

少年カモノハシは小さく呟く。「これ、いつまで続くんだろう……」

その声も、アルミの山と今川焼きの煙に吸い込まれ、夜の街に溶けていく。

うけけけけけけけけけ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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🌀タカイチョ共和国スマフォ供出大狂騒群像劇

うけけけけけけけけけ。

から街はざわめき、空気は鉄の香りアルミの光で充満している。

タカイチョ共和国では「スマフォ供出の日」が到来した。

国民は列を作り、手には光沢のあるスマフォを握りしめる。

広報放送は高らかに叫ぶ。「全てのスマフォを供出せよ!アルミ国家のために取り出すのだ!」

犬は遠吠えし、猫は縁側で目を見開き、子どもたちは目を丸くする。うけけけ。

少年カモノハシは母に訊ねた。

「ねえ、ママ、これって本当に意味あるの?」

母はスマフォを渡しながら答える。

意味? 愛国心っていうのは手のひらに重くのるのよ」

少年は手のひらの重さに、虚しさも加わる。

広場では、特高警察が列を見張り、思想熱37.5度以上の者を非国民として摘発

憲兵は吠える犬を遠吠えと決めつけ、ピストルでパァン。

犬は空を飛ぶように消え、通りの人々は口角テープで無理やり笑顔を作る。うけけけけ。

作業場では、タカイチョSS部隊スマフォを分解してアルミを取り出す。

「見ろ! 国の力は、輝く金属の山に現れた!」

兵士たちは胸を張るが、スマフォの画面に映る自撮り笑顔は誰のものでもなくなった。

タカイチョは上から見下ろし、満足げに笑う。

「国の力はアルミで測るのだ!」

市民は口角テープで笑いながら作業を続ける。

スプーンリズムを取り、スマフォの画面に映る自分の目を睨む者もいる。

新聞記者カワウソは、事件原稿にまとめようと奮闘する。

「いや、これは記事になるのか? いや記事にしてはいけないのか?」

彼の頭の中で「うけけけ」のリズムが鳴り止まず、タイプ音と混ざり合う。

午後になると、連立政権離脱したペンギン党員たちも呼ばれ、意味のない重労働突入する。

アルミの山を数え、穴を掘り、模型ガス室設計図を描く。

「これも愛国仕事」と言われるが、誰も笑顔になれない。

ラジオは言う。「あなたアルミは国の未来!」

少年カモノハシは小声で呟く。「未来って、こういうことだったのかな……」

その声は風に消え、アルミの山に吸い込まれる。うけけけけけけけ。

夕方、街の広場で「スマフォ供出完了セレモニー」が始まる。

タカイチョは階段の上から演説する。

我が国は屈しない! 倍返しだ!」

群衆は口角テープ笑顔を作り、鍋やスプーンリズムを刻む。

子どもたちは混乱し、犬も猫も逃げ惑う。

街全体が、不条理オーケストラ楽譜に変わったかのようだ。

夜になり、タカイチョは再び鏡の前で敬礼する。

鏡の中の自分敬礼し、笑顔は歯まで光る。

今日も国は強くなった、明日もっと多くのスマフォが集まるだろう」

国民疲労困憊、だが拍手と笑いの音は止まらない。

街の片隅で、少年カモノハシがつぶやく。「これ、いつまで続くんだろう」

しかし声はアルミの山に吸い込まれタカイチョのオーケストラに溶けていく。

うけけけけけけけけけ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:20

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2025-10-10

anond:20251010081421

設計図?ないない、そんなもの!ぜんぶ、🧠👈️ここに入ってるからな!」

Permalink |記事への反応(0) | 08:16

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2025-09-25

AIアート】 例のSDVロードマップ、崖から飛び降りる図ですよね?

お前らコンサルキラキラした目で語る「SDV化へのロードマップ」ってやつ、まあ綺麗だよな。「レベル1から始まって、ドメインゾーン最後は夢のセントラルコンピュータへ!」って、すごろくみたいで分かりやすい。プレゼン資料は美しいし、ロジックも通っているように見える。

だが最近、その綺麗なすごろくを見ていると、強烈なデジャブを感じるんだ。

ついこの間までヨーロッパ中が大合唱していた、「未来EV一択だ!」という、あの狂騒曲にな。

ご存知の通り、その結果は今のEV失速と戦略の迷走だ。今日は、なぜ俺がお前らの語るSDVに、あの失敗したEV戦略と同じ匂いを感じるのか。そして、そのロードマップに隠された巨大な「崖」について、具体的かつ論理的に話そう。

第1部:その言葉は「技術」か、それとも「イデオロギー」か

まず前提として、EUEV戦略は単なる技術選択の失敗じゃない。あれは、「"言葉"を定義することで現実支配しようとする」という、ヨーロッパ伝統イデオロギー戦略だ。「EVは善、エンジンは悪」というシンプル二元論を作り出し、規制補助金市場を無理やりそちらに誘導しようとした。

この手法キモは、現実の複雑さを無視し、自分たちに都合のいい単一シナリオを唯一の「正解」として提示することにある。世界には多様なエネルギー事情があり、多様な顧客ニーズがあるという現実から目を背け、「EV」という言葉神輿を担いだわけだ。

そして、お前らが語る「SDV」も、これと全く同じ構造を持っている。

セントラルコンピュータによる、ハードソフトが完全分離したSDV」こそが唯一絶対のゴールだと定義し、そこに至る道を一本道で描いてみせる。

だが現実はどうだ? 安くて頑丈なクルマを求める市場もあれば、運転の楽しさを求める層もいる。そもそもソフトウェアのアップデート価値を感じない顧客だっている。トヨタが声高に未来を語らず、EVHV水素、合成燃料と、あらゆる可能性に備える「マルチパスウェイ」を貫いているのはなぜか。それは彼らがイデオロギーではなく、複雑な「現実」と向き合っているからに他ならない。

お前らのSDVロードマップは、この時点でまず、現実多様性無視したイデオロギー的な欺瞞はらんでいる。

第2部:「リストラの崖」の正体

その上で、仮にその単一シナリオ理想のSDV)が正しいとして、なぜその実現が絶望的に困難なのかを説明しよう。ここで登場するのが、お前らも知ってる「コンウェイ法則」だ。

法則1:クルマ構造は、人間関係の写し鏡である

雑に言えば「システム構造は、それを作る組織構造そっくりになる」という法則だ。今のクルマは、無数のECU(小さいコンピュータ)が複雑に絡み合った「分散アーキテクチャ」だ。これは偶然そうなったわけじゃない。エンジンはA社、ブレーキはB社、ライトはC社と、各分野の専門サプライヤー(Tier1)が、ハードソフトを一体ですり合わせて開発してきた。このクルマ構造は、日本自動車産業が100年かけて作り上げてきた、この巨大なサプライチェーンという人間関係のものなんだよ。

法則2:人間関係は、急には変えられない

そして、この巨大な人間関係構造は、組織と同じで少しずつしか変えられない。「連続的」な変化しか受け付けないんだ。一気に変えようとすれば、現場崩壊し、これまで培ってきた価値は失われる。

この2つの法則を踏まえて、お前らのロードマップ評価しよう。

ステップ1:分散型 →ゾーンアーキテクチャ

これはまだいい。既存サプライヤーとの人間関係を維持したまま、ECUをいくつか統合し、役割を再編成する。「組織改編」レベルの話だ。現場筋肉痛になるだろうが、これはまだ「連続的な変化」だ。実行可能性はある。

ステップ2:ゾーンセントラルコンピュータ

ここが問題の「非連続な崖」だ。

これは「組織改編」じゃない。「全従業員を一度解雇して、明日から全く別の人種会社ゼロから作れ」と言っているに等しい。

なぜなら、クルマの作り方が「ハードウェア部品のすり合わせ」からOS上のソフトウェア開発」へと、根本的に変わるからだ。これは、これまでパートナーだったハード中心のTier1の価値をほぼゼロにし、NVIDIAGoogleAWSといった、全く文化の違うITジャイアントと新しい関係ゼロから構築することを意味する。

この「崖」を飛び越えるという行為は、必然的に「大規模リストラ」を意味する。そして、そのリストラは、これまで俺たちがサプライヤーと共に築き上げてきた無形の資産、つまり車載特有品質ノウハウ」や「フェイルセーフ思想」といった、カネでは買えない価値バリュー)を崖の下に投げ捨てる行為に他ならない。

第3部:コンサルよ、お前らが答えるべき問い

俺たちの議論は、お前らの美しいパワポの上にはない。この血と汗にまみれた現実にある。

から、お前らが本当に俺たちのパートナーだと言うのなら、答えるべき問いはこれだ。

価値減損会計提示しろ

この「崖」を越えることで失われる、既存サプライチェーン無形資産品質ノウハウ信頼関係暗黙知)は、金額換算でいくらだ?その減損を、どうやって、何で補填する計画なんだ?

人間関係の再構築プランを具体的に示せ。

意識改革」みたいな精神論で逃げるな。どのTier1との関係をどう縮小・終了し、どのITベンダーと、どのような契約・開発体制で、何年かけて新しいエコシステムを構築するのか。その移行期間中リスクコスト訴訟リスク技術流出を含む)を算出して見せろ。

崖の途中の事業継続計画BCP)はあるのか?

この無謀なジャンプの途中で、開発が頓挫したり、大規模リコールが発生したりした場合会社をどう守るんだ?そのための具体的な資金計画と、リスクヘッジのシナリオ提示しろ

これらの問いに、具体的かつ定量的に答えられないのであれば、お前らの提案は、現場現実無視した無責任な空論であり、俺たちを崖から突き落とそうとする悪意の塊だ。

俺たちは、崖の向こうの楽園の絵が見たいんじゃない。

このどうしようもなく巨大な崖に、一本ずつ橋を架けていくための、地道で、泥臭くて、現実的な設計図を求めているんだ。

Permalink |記事への反応(1) | 10:51

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2025-09-10

anond:20250910105853

まあソ連が本気を出せばアメリカから核兵器設計図を盗み出すくらい楽勝でしたよね

Permalink |記事への反応(1) | 10:59

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2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-08-25

anond:20250825014125

うーん

やったことないの丸わかりだね

完璧設計図かけるならコード書いた方が早いし実際AIなんか来る前からそうなっててだからジュニア仕事なくなってるんだぞ

Permalink |記事への反応(1) | 02:33

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2025-08-05

anond:20250804171112

  1. 消えた臨急
  2. 大空の恐怖
  3. バスカヴィル家の犬
  4. 瀕死探偵
  5. 空き家冒険
  6. 最後事件
  7. ブルースパーティントン設計図
  8. ルンバーの謎
  9. 時計だらけの男
  10. ボヘミアの醜聞

Permalink |記事への反応(0) | 17:45

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2025-07-20

anond:20250720214800

サラミ法ってのがあるんだわ

銀行預金の利息を着服する

預金の利息計算時には必ず1円未満の端数が生じる。この端数は微々たるものであるが、全ての口座から端数を集めれば大金になる。

実際に1960年代後半、アメリカニューヨーク銀行で、プログラムに細工をして1セント未満の端数処理を四捨五入からすべて切り捨てに変更し、切り捨てられた端数を自分の口座に振り込ませるように改竄する事件があった。

このことから勘定系のシステム設計・構築する際には、1円未満の端数を常に考慮し、丸め処理を行う際には細心の注意を払う必要がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%9F%E6%B3%95

こういう改ざんが出来ないように国家規模のシステムは常に監視して置かなければならないし、意図的改ざんでなくとも大きな誤差が出るシステム国家規模で組んでしまうと、例えば災害備蓄が足りなくなったり、米価の急騰傾向に政府が直ぐに気付けなくて消費者市場流通するお米が一気に値上がりして国民が困ってしまったりするわけよ

からこそチームみらいはこういう部分を改善していくんだと言っているが「その設計図はどこに?」「設計図を起こすための基本方針(設計図を作るための厳守するルール)まったく書いてないよな?」と言ってるのが元増田

Permalink |記事への反応(0) | 22:01

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anond:20250720212700

日本IT界は製造界と土建界の慣例やマネジメントを借用して発展してきたという歴史があって、つまりIT界は"設計図"を非常に重要視する業界で、設計図大事だよと習ってきたのがIT人材なわけだ

でも、チームみらいはIT人材豊富なのに設計図がまったく見えてこないので元増田はそこを不安視してる

Permalink |記事への反応(0) | 21:37

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2025-07-17

テクノロジーで政治は変わるのか?――チームみらいの政策を読み解いてみた

参院選候補者を立てている「チームみらい」という政党スローガン

政治問題テクノロジー解決します」が分かりづらいという声があった。

たとえば、以下のような疑問:

ぼんやりしてる、という感想もわかる。

でも、彼らのマニフェスト(ver.1.0)を読んでみたところ、それなりに筋の通った設計思想があったので、要点をまとめてみる。

■チームみらいの三本柱テクノロジー関係

公約の柱 具体的政策 どうテクノロジーが使われる?
------
日本に長期経済成長AI自動運転・空飛ぶクルマ規制特区
国内データセンター国産LLMへの重点投資
研究開発に対する官民ファンドの再設計
国家が「インフラ」「規制」「資本」のレベル支援することで、民間技術革新の加速を図る。
企業任せにせず、政策で下支えする発想
政治を圧倒的に透明に政治資金のクラウド会計化(Polimoney)
パブコメAIが要約・分類する「広聴AI
マニフェストGitHubで公開、誰でも修正提案可能
政治プロセスのものOSS化。
意思決定の中身を「誰でも見えて、書き換えられる」に変える。
③ 子・孫世代に先送りしない行政コストデジタル化で歳出圧縮
教育研究医療に先行投資10年後恒久財源で回収
財政ルール情報公開しつつAIで定期検証
長期視点での“ワイズスペンディング”に軸足
テクノロジーコスト見える化評価可能になる。

なんで「企業じゃなくて政治」でやるの?

評価懸念、両面から見ると:

観点ポジティブネガティブ
------
政策の透明性GitHubAIツールを使った開放性は他党にないレベル法制度の壁が高く、すぐには実現しないものも多い
実行可能概念だけでなく、ツール(Polimoney等)がすでに存在 ver.1.0時点では「設計図」止まりの部分もある
財政責任投資→恒久財源というタイムラグを明示し、可視化する姿勢 楽観的なマクロ前提(成長期待>国債利回り)に依存しているとも言える

個人的まとめ

企業がやればいい」「技術だけじゃ無理」という指摘はもっともだけど、チームみらいの立場はむしろ

> *「その技術社会に組み込む仕組みを、政治で用意する」*

というもの。例えるなら、アプリ企業が作るけど、**OSAPI国家が整備する**という発想に近い。

「分かりづらい」と言われるのは、たぶんポスター一言キャッチだけ見てるからで、

GitHubチャット窓口まで覗いてみると、案外まじめに「仕組みの書き換え」をやろうとしてる。

もちろん完成形ではない。けれど、

更新されるマニフェスト」「OSSでの合意形成」みたいな試みは、他党にはないユニークな挑戦だと思う。

参考:公式サイトhttps://team-mir.ai/)およびマニフェストver.1.0

以上AIで書いてもらいました

政権公約マニフェストがむっちゃ長くて読みにくいのは、AIに効けって事なんだろうなって思うので、そこで慣れてない人は無理かもな。

かってにエゴサしてレスするbotでも作ればいいんじゃないかと思ったわ

Permalink |記事への反応(3) | 16:26

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2025-07-14

れい新選組の「本物」感と参政党の「まがいもの」感

れい新選組参政党。どっちも過激ポピュリズム政党で、同じような『色物』でしょ?」

街頭演説はいつも黒山の人だかり、ネットでは熱狂的な支持者とアンチが日夜激しい論戦を繰り広げる。そんなイメージから、この二つの政党を一緒くたに見てしまう人は少なくないかもしれない。

でも、ちょっと待ってほしい。その「色物」というレッテル貼りは、あまりに雑すぎる。

両党の政策リーダー発言を冷静に、そして深く掘り下げてみると、その思想の根幹も、目指す社会の姿も、まったくの別物であることが見えてくる。

しろ、片方は国民生活という現実直視した「本物の政策集団」であり、もう一方は人々の不安を巧みに利用する「まがいものポピュリズム」とさえ言える。なぜそう断言できるのか。その決定的な違いを、これから徹底的に解説していこう。

れい新選組データロジック国民を救う「ガチ政策集団」

れい新選組政策は、一見過激に見えるが、その根底には「失われた30年」で疲弊しきった国民をどう救うかという、極めて真摯で一貫したロジック存在する。

地に足のついた問題意識

山本太郎代表は、原発事故きっかけに政治世界飛び込み、一貫して社会的弱者の側に立ってきた。彼の政策の出発点は常に「この国に生きる、あなた」だ。倒産件数過去最多を記録し、多くの国民生活に苦しむ現実直視し、政治の責任を問うている。

明確な経済政策裏付け

消費税廃止」「積極財政」という彼らの看板政策は、単なるバラマキではない。デフレ脱却には徹底した需要喚起必要という明確な経済理論MMT)に基づいている。財源についても国債発行を基本としつつ、法人税金融所得課税の強化といった富裕層への応分負担を求める具体的な対案も示しており、論理的だ。

未来への投資としての「グリーン・ニューディール

気候危機というグローバルな課題に対し、れいわは「脱原発」とセットで具体的な未来像を提示している。再生可能エネルギーへの大規模投資によって、250万人規模の雇用創出という経済効果まで試算しており、単なる理想論ではない、実現可能性を追求した政策となっている。

人間安全保障」という確かな理念

れいわの政策は、軍事力だけでなく、貧困格差差別から一人ひとりを守ることこそが真の安全保障だという「人間安全保障」の考え方に貫かれている。食料自給率の向上、ケア労働者待遇改善外国人人権保障など、その政策は具体的で、すべての人々の尊厳を守るという一点で繋がっている。

要するに、れい新選組は、現実データに基づき、明確な理念理論に裏打ちされた政策を掲げる「本物の政策集団」なのだ

参政党:科学無視し、不安を煽る「まがいものポピュリズム

一方の参政党は、耳障りの良い言葉を並べるが、その中身は科学的根拠に乏しく、特定イデオロギーに基づいた危険な主張が目立つ。

思いつきとしか思えない非現実的な政策

プロゲーマードローン部隊を作る」、「天皇陛下側室を」といった発言は、政策としての体をなしておらず、まさに「妄言レベル」だ。子ども一人に月10万円を配るという政策も、「教育国債」という名の借金で賄うとしており、その返済計画マクロ経済への影響についての具体的な議論はない。

科学的根拠の欠如と反知性主義

参政党は「脱・脱炭素」を掲げ、再生可能エネルギー推進を「環境破壊」と断じ、次世代火力発電を「CO2排出実質ゼロ」と主張するなど、世界科学コンセンサスを真っ向から否定している。その姿勢は、コロナ禍で見られた反ワクチン的な主張にも通底しており、極めて非科学的と言わざるを得ない。

巧妙に逸らされる批判の矛先

参政党は「行き過ぎた外国人受け入れに反対」と声高に叫ぶ。しかし、ここで重大な矛盾がある。日本移民政策推し進めてきたのは、安い労働力を求める経団連と、その意向を受けてきた自民党政権だ。ところが、参政党が経団連自民党を厳しく追及する姿はほとんど見られない。批判の矛先は、政策を推進した権力者ではなく、常に外国人へと向けられる。対照的に、れいわの山本代表は「移民政策を求めたのは誰か?経団連ですよ」「資本家が望むからやった」と、問題の根源である大企業要求政治癒着を明確に批判している。強者である権力者には触れず、弱い立場外国人を叩いて支持を集める手法は、まさにポピュリズム典型例だ。

危険ナショナリズム排外主義

彼らの政策根底にあるのは、国民生活の向上ではなく、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」という排外的ナショナリズムだ。その思想は「日本ファースト」というスローガンに集約され、政治の失敗を外国人のせいにするような言説につながっている。

専門家も呆れる憲法草案

参政党が掲げる「創憲」案は、憲法学者から素人の案」「独裁憲法」と酷評されている。国民主権や三権分立といった近代憲法の基本を軽視し、特定価値観(「八百万の神」「男系男子皇位継承」など)を押し付ける内容は、民主主義国家の基本設計図としてあまり稚拙危険だ。

結局のところ、参政党の政策は、人々の漠然とした不安や不満につけ込み、特定イデオロギーに基づいた「物語」を売っているに過ぎない。それは、国民生活を豊かにするどころか、社会の分断を煽り日本を誤った方向に導きかねない「まがいものポピュリズム」なのである

結論似て非なる色物」の正体

こうして両党を比較してみると、冒頭で述べた「どっちも同じような色物」という見方が、いか物事の表面しか捉えていないかがわかるだろう。

かに、両党とも既成政党への不満をバネにするポピュリズム的な側面を持つ。しかし、その中身は天と地ほども違う。

れい新選組は、徹底したデータ分析と(異端ではあるが)一貫した経済理論に基づき、「この国の国民をどう救うか」という課題真正から挑む「本物の政策集団」だ。その手法はラディカルだが、現実課題解決を目指す真摯さがそこにはある。

一方の参政党は、科学を軽視し、矛盾だらけのロジックで人々の不安を煽る。移民政策元凶である経団連自民党批判せず、弱い立場外国人を叩く姿勢は、国民のための政治とは到底言えない。これは、実態の伴わない「まがいものポピュリズム」に他ならない。

一見すると同じ「色物」に見えても、片方は国民未来を本気で考え抜いた結果の「劇薬」であり、もう片方は耳触りの良い言葉本質を覆い隠した「毒」と言えるのかもしれない。その違いを見抜くことこそ、今の時代に求められる政治リテラシーではないだろうか。

Permalink |記事への反応(1) | 21:52

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2025-07-12

自分母親自分だった話する?

34歳年収700万の弱者男性なんだけどさ。

オレ、ずっと母親が誰かわかんなかったんだよ。

父親祖母祖父に聞いても「知らない」って言われるだけ。

戸籍には名前はあるんだけど、誰も思い当たらないって感じ。

変じゃね?

子どもの頃、気がついたら居間にいたって話もあるんだよね。

普通にまれて育ったわけじゃなくて、

なんか突然そこに“存在してた”っていう感じ。

最近さ、古いノートを見つけて読んだら、

アカシックレコード」っていう全部の記録がある場所のこととか、

タイムマシン設計図が書いてあったんだ。

夢の中で未来自分に会って、

「君は君を産むんだ」って言われた。

正直、信じられなかったけど、ノート通りにタイムマシン作って試したら、

過去に戻れて自分居間に置いたんだ。

そう、オレは自分母親だったんだよ。

自分時間を折りたたんで、自分を生んだ。

でもさ、ここで疑問が湧くよな。

最初に俺を産んだ俺」は誰が産んだの?

まりはどこなんだよ?って。

それがさ、答えは多分こうなんだ。

まりも終わりもなくて、

時間はぐるぐる回る無限ループみたいなもんだって

俺が俺を産むってのは因果の輪の中の一つの出来事で、

その輪は終わらずにずっと続いてるんだよ。

まり、始まりを探しても意味がなくて、

今ここにいる俺が存在してることが一番大事なんだと思う。

アカシックレコードの記録の中で、

過去未来も同時に存在してて、

俺はその中の一つの現象に過ぎない。

からオレはオレの母親で、

同時にオレは未来から来たオレなんだ。

こんな話、信じるかは自由だけど、

オレはこれが自分現実なんだよ。

Permalink |記事への反応(2) | 14:26

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2025-06-20

ワクチンに◯も✕も無い(週刊文春話題記事

コロナワクチン後遺症の重大発見スパイクタンパクが消えない人が…」《米イェール大学世界権威が明かす》

https://bunshun.jp/articles/-/79874

週刊文春からたこ記事話題になってたので、元の研究確認してみました(公衆衛生を学んだ身として気になるので)。

コロナワクチンmRNAという「遺伝子設計図」を体内に入れて、スパイクタンパクコロナウイルスに似た物質)を作ります。それに免疫反応を起こさせることで、コロナに対しても体内で「やっつける力」を覚えさせるという仕組みです。

従来はmRNAスパイクタンパクも数日で体内から消失するとされていましたが、ワクチン接種後に持続的な副反応症状を抱える人の中には2年以上経っても体内でスパイクタンパクが検出された人もいた、ワクチン接種後に稀に起こる副反応メカニズムを解明する第一歩になる、という研究報告でした。

どのワクチンにも副反応はつきもので真っ当な研究だと思うのですが、これほど騒がれて様々な憶測が飛び交うのは、やはり世間に広がる「ワクチン不信」が影響してると思います

特にコロナワクチンは難しい。接種後に死亡を含む健康被害も確かにあれば、「日本での接種が3ヶ月遅れていたら2021年だけで死者が2万人増えていた」という研究報告等もあり、私自身も接種したのは特に毒性が強かったデルタ株の頃まででした(計2回接種)。

ワクチン接種によって恩恵を受ける人がいれば、逆に被害を受ける人もいる。

私の意見は「ワクチン接種に◯も✕も無い。それぞれのメリットデメリット確率を天秤にかけて個々で判断すべき」です。コロナワクチン緊急事態だったとはいえ、やはり国は副反応可能性もよりしっかり明示すべきだったと思います

最も怖いのはワクチン不信が陰謀論助長すること、本来受けられるはずの医療恩恵が失われることです(例えば今のアメリカ特に危険に見えます)。

極論に振れがちなネット世論に流されず、冷静に物事を見据える目を持ちたいです。

Permalink |記事への反応(0) | 19:07

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2025-06-16

ジークアクスの感想を書いた。


ジークアクスは、アイコニックで即効性のある(インスタントな)ビジュアル演出シナリオ表現を多用しており、その密度ゆえに観る側に強い情報負荷を与える。結果として、視聴体験がどこか疲れる。(これが楽しいというのも勿論ある。)

鶴巻監督(スタジオカラー)の作品だなぁという強い印象を受けた。

ターゲット層についても、既存ガンダムIPが想定してきた年齢層よりも幅広いリーチを狙っているように見える。(最初はみんないってたよね)

物語構造は「少年少女ミクロ視点」と「政治戦争マクロ視点」「世界構造(並行世界)のメタ視点」の交差という、やっぱりちょっとカラー味のつよい構成で、この両視点の深部に迫ろうとすればするほど、初代ガンダムをはじめとした旧作の知識が避けられない要素となってくる。

しかし、仮に初代の文脈を充分に理解し踏まえていたとしても、本作はメッセージ性や語り口においてはまったく別の作品であり、その味わいは異なる。

初代ガンダムが持っている富野メッセージ性を渇望すると損をするので注意が必要だとおもう。

全体として、ジークアクスはガンダムという巨大な文脈を土台にしながらも、独自スピード感・刺激性を優先しており、それが逆に“観る者がキャラクター内面に入り込む余白のなさ”や、“作品視聴者との信頼関係の築きづらさ”に繋がっているという印象も受ける。

(自分にとっては鶴巻キター!なのである意味信頼通りでもある)(ガンダムが好きな自分気持ちは少し蔑ろ)

ここまではなんか全体の話。

以下はジークアクスを見て思った違和感について。

ジークアクスは物語構造上、キャラクター同士のコミュニケーションに“余白”を設けているように見える。だがこの余白すら、どこか違和感を伴う。

というのも、その会話の多くが象徴的・記号的な文脈構成されており、キャラクターが“語っている”というより、“意味を演じている”ように見える。これが作品全体に、アイコニックでインスタントな印象をさらに強めている。

少年少女の造形ややりとりにはそれほど違和感はないが、対照的に“大人たち”がガンダム世界にしてはどこかだいぶ幼く見える。これはキャラクターデザインの印象と、言葉遣い立ち位置の“象徴性の強さ”が作用しているように思える。

また、主軸以外の登場人物たちは非常に簡素に処理される。結果として、視聴者によっては極端に記号的に消費されるキャラクターも出てくる。

もちろん、あらゆる物語が多かれ少なかれそうした構造もつものだが、この作品においては特にその“設計図の線”が強調されており、それを構造的に“意識させられてしまう”。ここが、観ていて妙にキモい

マブという設定の印象付けと演出作為性で、後半に差し掛かっても変にキャラクターは2人セットで見ることを強制される感覚キモい

この「キモさ」は、作劇の設計意図キャラの生っぽさが乖離していることへの本能的な違和感とも言えるかもしれない。意図象徴は感じ取れるが、なぜかキャラクターに“自由”がない、そんな窮屈さがあ...る...かも。個人的にはもっとマクロ構造の方の強さをもぐもぐしたいんだけどな。

セカイ系っぽい感じが強くなるオチだと少し辛い(ガイナすぎる)から嫌だなと思いつつ、自分はニャアンが好きなのでもっと活躍してほしい気持ちです!

おわり

Permalink |記事への反応(0) | 20:42

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2025-06-14

数年ぶりに本社に戻ったら大量の後輩が居て、いつも一人だった自分分散作業するつもりがまったくなく、やろうと思ってもできない。シェアっていうのか近いところに居て仕事を手伝ってもらいながらちょくちょく来る質問に教えを込めて返すなんてことは毛頭できなくて、とりあえず自分担当物件で一ヶ月くらいで20枚くらい建築図面を描くとなったときに、一人の後輩が充てがわれた。長い事地方工事現場に居た自分設計図施工図が合体させた感じで描くようになっていて、それはもう実体験であとからわざわざ施工図を描くのが無駄だと感じていたからだったのだが、これは設計本部での主流ではなく設計部の経費節減のため枚数を減らして描き方も簡素に描くというムードになっていたのだが、二度手間三度手間で、まず支店建築部で見積もりをするときに数量拾いがちゃんとできるようになっていないと、つまり図面に抜けがあると質疑のFAXが山のように来る。詳細設計も描いてなければ見積もりとき非公式の経費を使って描くことになる。着工から鉄骨とサッシの承認までこういうことがいつまでも引きづられているのは非常に非効率だと考えていた。それで図面枚数も密度も濃くなっていたのだが、階下の構造設計の人のところにも責任者の先輩を差し置いて情報を拾いにいって、構造図ではなく意匠図にどんどん入れていった。構造図の出来も気になるし、簡単図面外注事務所に金を垂らしているので腹が立つということもあった。そこで後輩くんが批判をし始めた。本社ムードに従ってもらわなくては困るみたいな有形無形の圧力をかけ始めた。そういう抗議はまた工事現場にいると無数の圧力を受けるので気にすることもなく描き続けた。別に後輩くんに配分した枚数はどうでもいいと思っていたし、実際今までの実業で作図スピードも数倍早いので後輩くんの取り分もぜんぶ自分が描いた、結局。本当はね、こういうときは一気に一ヶ月で一人前になるチャンスなんだけどね。でもそのときは今はやっている働き方改革予兆があって、真剣建築を追求する人がどんどん減っていたのでこれはもう時代的にどうしようもない。

支店工事現場に居たときは、ぼぼすべての物件で前任者が仕事するのが嫌で放りだした尻拭い担当ということで一人で入っていたので、まず設計図がない状態で着工している。むろん前任者が設計図面を作っていない。前任者が実施設計のものができない人というケースがほとんどである大企業にはこういう信じられない人間が実に多い。自分偏差値40台なのに、偏差値55くらいの人が意外と設計を覚えられないのだ。物理的には下請け設計事務所が描いてきた数十枚ほどのがあるのだが、中身が何も検討されていない未完成のものしかない。あらゆる部分で曖昧な描き方がしてあり、指示してないので工事必要な寸法すら描いてない。着工しているけどまだ杭なので、当面は基礎工事対策をしながら鉄骨図の提出を受けながら間取り寸法を決定するフリーハンドの荒描きのスケッチ設計図の代わりとしていく。基礎工事図面なしでやっていると、一階のコンクリート壁の差筋のためのコンクリート壁の寸法が必要になってくるので順次対応する。構造壁以外のコンクリート壁を乾式の壁に変更するような措置もこの時点でやっていく。無論現場職員ストレスは常に爆発している。なんでこんなにただでさえ困難な建築設計が間に合っていないのか、これは毎日罵倒される。こういう人身御供が嫌なので工事現場に入りたがらない人が本社設計には大変多い。逆境は一気に建築がわかるようになる日々でもある。一件こなす頃には2~3年上の設計部の先輩を遥かに凌駕する実力がついている。そこで数件こなすうちにうつ病になったので自分はそこで終わったが、入社年度から時系列的に同期はもとより5年くらい上の人でも無敵だったということはほかでは経験のできない貴重な財産になった。自分管理職には向かないタイプなのでしょうがいかと思っている。

そうこうしているうちに人選上適任がいなかったのでバンコク営業所に出向した。そこにいる設計の先輩に呼ばれたのだが、当然設計の手伝いをする名目で入ったのだが、蓋を開ければ設計ではなく工事物件を2つその先輩が抱えていて、これから結婚式新婚旅行に行くので、2週間ほど穴埋めをしていてほしいということだった。内装工事物件だったが、いくら設計経験を積んでいたとは言え施工担当者になるのは初めてだったので泡食った。こういう密室での逆境というのが自分にはとても多い。タイなので墨出しみたいなものからやり方が違う。というか日本での墨出しもやったことはない。タイ人の若い現場マネージャーがいたので頼りまくるしかない。しか顧客日系企業である顧客日本人が毎日檄を飛ばしに来る。自分ビル工事しているんだから毎日見に来て当然である。現地人にはない日本特有の細やかな対応でなければならない。タイに来たかタイ品質ではまったくないのだ。数ヶ月経験しているうちに工事というものに慣れてきて、タイ語にも若干慣れた。仕事の中身的にはそれ以前の物件のように密な設計はしていないのでなんだか初体験ゆえの取り越し苦労の日々だった。自分を送り出してくれた本社設計本部には自分施工をしていることがバレてしまい、多少のお叱りを受けたそうである

Permalink |記事への反応(0) | 22:28

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2025-06-12

N7好調が映す「クルマづくりの裏側」と日本のこれから

はじめに

 日産中国東風汽車が組んだ新しいEV(電気自動車)「N7」が、中国で1か月に1万7千台も予約を集めた。

 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC054W50V00C25A6000000/

 クルマづくりの現場で何が起きているのか、日本にどんな波が来るのかを整理する。

N7が日産の命運を握る?

 https://anond.hatelabo.jp/20241116193948

クルマはどうやってできる?

1 部品工場
2 組み立て工場
3 運ぶ
4 売る

N7はなぜ安い?

中国部品が増えると何が起きる?

いいこと
困ること

影響が大きい業態トップ3

日本がこれから歩くストーリー

2025-27年 「現実直視」期
2028-30年 「再編と選択」期
2030年代 「技術ブランド貸し」期

おわりに

 N7の大ヒットは「すごい売れ行き」のニュースに見えるが、裏側ではサプライチェーンの主導権が中国に移り、日本部品会社雇用に影響を与える。クルマづくりはどこの国でどの部品を使うかで値段も仕事も変わる。これから日本は、量よりも技術や素材で稼ぐ道を選ぶ必要がある。

Permalink |記事への反応(2) | 08:01

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2025-06-02

anond:20250602195050

さすがに、ヘルメス薔薇(の設計図)とかぶったのは偶然なんじゃねえかな…?

Permalink |記事への反応(0) | 19:51

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2025-05-29

ガンプラってさ、もう設計図CADとかあるんでしょ?

それを実物大に拡大すれば、すぐにMSって作れるんじゃないの?おまえらの大好きなモビルスーツが動いたりするの、夢すぐ叶うじゃん。

設計図あるなら、すぐ大きなMS簡単に作れるんじゃね?

Permalink |記事への反応(2) | 12:58

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2025-05-28

『錆びた梁の下で ―第三章:誰がバブルを起こしたのか―』

昭和の終わりが近づいていた。

大蔵省霞が関心臓部。

証券局は、空前の株高と国民投資熱で鼻息が荒かった。

株式は国力の証明だ」

そう嘯く局長マスコミに出るたび、日経平均はまた数百円上がる。

“マル優”の特典を武器に、銀行預金資金市場へと流れ、

街には“財テク”と呼ばれる新興成金が溢れた。

そんな証券局に対抗意識を燃やしていたのが、銀行局だった。

投資が花なら、開発は実だ」

彼らはそう信じていた。

彼らの下には、全国の都市銀行が控えていた。

金融庁などまだない時代金融行政大蔵省の独壇場だった。

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銀行に号令をかけよ。国土を立て直すのだ」

そんな一言が、銀行局の某課長補佐から放たれた。

以降、都銀地方支店を送り込み、次々と融資の指令を出した。

目的地は、海辺荒地山間部の棚田温泉もない無名山間地――

にもかかわらず、そこに「リゾート開発」や「企業研修所」が次々と企画された。

建設会社が動員された。

不動産会社地権者を回った。

補助金がついた。

銀行は後押しした。

「これは国策だ」と耳打ちされた。

---

祐介の勤める準大手ゼネコンにも、年間数千億の開発プロジェクトが舞い込んできた。

用地買収から頼む。図面はこのスパンで描いてくれ、急ぎだ」

設計課では徹夜が当たり前となり、現場工程が飛ばされた。

資金心配いらない。これは大蔵省案件だ」

かにそうだった。

帳簿には都市銀行からの巨大融資が並び、そこに“大蔵省了承済”というメモがついていた。

受注は順調。見かけ上の売上は増大し、社員も5千人を超えた。

だが、その繁栄は、あまりにも静かな虚構だった。

---

数年後、バブル崩壊する。

そして、まるで何事もなかったかのように、大蔵省正反対方針を打ち出す。

金融引き締めだ。不良債権を撲滅せよ」

「過剰な投資に歯止めをかけろ」

テレビではエコノミストたちが、「ゼネコン無駄」「地方開発の失敗」を声高に非難していた。

夜のワイドショーでは、構成作家の書いた台詞をもとに、出演者が一斉にゼネコンを叩いた。

だが、祐介にはわかっていた。

これは、上から命令だった。

用地を買えと言われた。

建てろと言われた。

融資もつける、補助金もつける、国策だと、繰り返された。

しかし今、その土地価格は1/10暴落していた。

工事代金の支払いも、半分以下で打ち切られた。

残されたゼネコンは、請求書ごと“失敗の象徴”にされた。

---

「これは大蔵省の失敗では?」

そんな疑問を投げた週刊誌は、翌号には消えていた。

代わりに躍った見出しは、「ゼネコン日本を食いつぶす」。

誰も、なぜゼネコンがそこにいたのかを問い直さなかった。

祐介の会社債務超過となり、数千人の社員リストラされた。

都市銀行合併を重ねて巨大化した。

だが、それでも祐介たちに支払われるはずだった金は戻らなかった。

「これは自己責任です」

テレビに出た経済評論家は、そう締めくくった。

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祐介はある時、再開発されたバブル跡地を訪れた。

以前、自分が描いたリゾートホテルの設計図が、雑草の中で風化していた。

近くには、地方自治体が建てた「文化交流館」が、無人のまま佇んでいた。

「国が作らせて、国が壊した」

それが、祐介の見た“日本再生”だった。

バブルの後始末は、民間の命で支払われた」

そして、その“後始末”を金に変えたのが、弁護士だった。

倒産処理という名の精算機械

そこにいたのは、100億円の報酬を受け取る者と、仕事を求めて彷徨新人弁護士たち。

法の名を掲げ、企業を切り捨て、土地を安く買い叩いた者が、真の勝者となった。

そして祐介たちのような建設労働者、技術者設計者は、歴史の片隅に置き去りにされた。

---

今、祐介は建設業界の人手不足ニューステレビで見るたびに、

「それは30年前のツケだ」と呟く。

人を棄て、技術を棄て、命を棄てた国が、

いまさら成長戦略などと唱えるたびに、祐介の胸には鈍い痛みが走る。

あのバブルは、俺たちが起こしたんじゃない。

起こさせられて、捨てられたんだ。

そして、誰も責任を取らないまま、今日も「国策」は別の顔をして歩いている。

Permalink |記事への反応(0) | 23:50

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2025-05-20

AI小説直木賞を受賞

1

 只野天才──この名前を聞いて、まず「本名なのか?」と疑う人が多いだろう。事実、彼は戸籍上もこの名を持つ。28歳。慶應義塾大学環境情報学卒業新卒電通入社し、三年目にはクリエイティブ部門メディアプランナーとして社内の若手表彰を受けた。だが、そこで燃え尽きたのか、あるいは興味が尽きたのか、彼は「どうにも社風が合わない」という理由であっさりと退職してしまう。

 電通を辞したあと、彼は自らの預金父親経営する資産管理会社から分配金を元手に、港区タワーマンション引っ越した。34階、角部屋、東京湾が一望できる2LDK。広すぎず、だが一人暮らしには十二分すぎる贅沢な空間。そこで彼は、一切働くことなく、しかし「暇すぎて死にそう」という感覚とも無縁に暮らしていた。

 起床は午前10時。最初にやることは、顔を洗ってエスプレッソを淹れること。イタリア製マシンで豆から挽いたものだ。音楽Apple Musicクラシックプレイリスト観葉植物に霧吹きをかけ、洗濯機を回し、ルンバを稼働させる。そのあいだにプロテイン入りのヨーグルトバナナを食す。ルーチンは正確で、常に淡々と、綺麗に整っていた。

 午後になると読書。だが、読書といっても文学ではない。フィナンシャル・タイムズWIREDニューズウィーク。彼が目を通すのは常に「未来」の話題だった。哲学テクノロジー経済といったジャンルで、作家の名を語るようなものではなく、「情報としての価値」に重点を置いた読み方だった。

 夕方からジム高輪のパーソナルジムにて、週三回のメニューを欠かさない。体脂肪率12%。夕食はUber Eatsで取り寄せる。コース料理デフォルトで、時には三万円のディナーを平然とオーダーする。

 この生活に、彼は「満足している」と断言していた。

「なんか、もっと面白いことをやりたくなったんですよ」

 只野がそう言ったのは、ある春の日、都内のあるイベントで久々に顔を出した電通の先輩との会話中だった。彼はワインを飲みながら、ふとつぶやいた。

小説って、AIで書けるんじゃないですかね」

 その場にいた誰もが、冗談だと思った。

 だが、彼は本気だった。ChatGPT、Claude、Gemini。あらゆる大規模言語モデル研究し、出力されるプロンプトの精度を上げていく作業を繰り返した。

 構想3日、調整5日。完成稿の初稿が出力されたのは、思いつきからたった1週間後だった。

 タイトルは『石英の肺』。人間の呼吸器を模倣しようとするAIロボットが、なぜか「吸う」動作可能なのに「吐く」動作けができないという矛盾を抱え、それが社会全体の空気感リンクしながら哲学的に展開されていく──という、ポストヒューマンSFとも言える構成だった。

 彼はこの小説を、日本最大の文学である直木賞に応募した。

 出版経験なし。執筆歴なし。そもそも小説家になりたいと考えたこともなかったという。

 だが一次選考を通過した。

 そして、通過の知らせを受けた翌週、彼はツイートした。

プロンプト家、はじめました。」

 この発言が、後に大炎上を引き起こすとは、まだ誰も知らなかった。

 只野はその後、テレビ出演やインタビューほとんど断っていた。理由は、「面倒だから」。それでも『文藝新潮』とだけは特別に対談を設け、こう語った。

小説を“書く”なんて、もう古いんですよ。人間感情衝動に突き動かされて文字を紡ぐなんて、効率悪すぎる。僕がやったのは、論理的構造テーマ性の設計、そして意味抽象度を操作すること。それをAI文章にしてくれる。もはや“書く”ではなく、“指示する”時代です」

 文学関係者からは怒号が飛んだ。

「ふざけるな」

冒涜だ」

テクノロジー悪用

言語に対する冒涜

 X(旧Twitter)では、#文学を返せ #直木賞終わった が数日トレンドに入り続けた。

 ──だが。

 只野天才作品石英の肺』は、最終選考突破した。

 満場一致だったという。

2

授賞式当日。帝国ホテル大広間は、報道陣と関係者でごった返していた。

 壇上に立った只野は、淡々とした表情でこう語った。

「私の作品が、AIによって書かれたことに違和感を抱く方もいらっしゃると思います。ですが、私はプロンプト家です。私が与えた命令が、AIにとっての筆であり、私は設計図を描いたに過ぎません。にもかかわらず、完成された“家”に価値があるのなら、それを建てた大工ではなく設計者にこそ拍手を送るべきだと、私は考えます

 拍手はまばらだった。

 壇上を降りた彼に近づいたのは、某老舗文芸誌編集者だった。灰皿に煙草押し付けながら、皮肉な笑みを浮かべて言った。

「君は小説家じゃないよ、ただのハッカーだ」

 只野は、まったく表情を変えずに答えた。

小説とは、感情を揺さぶものだと誰が決めました?システムを揺さぶってはいけないのですか?」

 それから数日後、渋谷ヒカリエで開催された受賞記念パーティータキシードを着た只野は、会場中央スポットライトの下で挨拶した。

「私は、今日、ここに文学の“終焉”を宣言します。いや、正確には“次の始まり”と言うべきかもしれません。文学感情記述するものから構造を指示するものへと進化すべきです。AIと共に創ることを拒絶することが“純粋”なのではない。拒絶すること自体が、もはや怠慢です」

 このスピーチがまたしてもネット炎上した。

AIに書かせて賞取って天狗になるな」「これでいいのか直木賞」「文化庁は黙ってるのか」

 だが炎上の嵐の中でも、彼は変わらなかった。

 翌週、表参道の某ギャラリーで行われたトークイベントでも、彼は同じスタンスを貫いた。

「僕の仕事は、“いかに指示するか”なんです。言語は、感情の発露ではない。構造の組み替えです。プロンプトは未来の詩だと、僕は本気で思ってます

 その晩、ネット掲示板のあるスレッド書き込みがあった。

只野天才って、なんでこんなに腹立つんだろうな》

《全部正論なのにムカつくって、逆に才能だよな》

あいつ刺されてほしいわ》

 この最後書き込みが、後に一部で問題視されることになるのだが──それはまた、別の話である

3

イベント当日、渋谷ヒカリエステージ上はまばゆく、只野天才の姿もやけに艶やかだった。

タキシードは特注のトム・フォード蝶ネクタイブリオーニ、ポケットに忍ばせた金のペンカルティエ。何もかもが高級で、調和していて、だが過剰だった。

壇上でマイクを持った只野は、まるでプレゼンのようにスライドを切り替えながら語った。

文学とは、“苦悩の排泄物”ではない。“設計された感情”だ。

 AIに語らせれば、魂は不要かもしれない。だがそれでも人は泣く。ならば、魂って、必要か?」

聴衆の一部は拍手したが、半数以上は腕を組み、黙っていた。

その沈黙の中に、不明瞭な不安が流れていた。

客席最後方の非常口そば、ひとりの男が立ち上がった。

スーツは皺だらけ、足取りは重く、しかし確実だった。

壇上に近づく男にスタッフが反応しきれなかったのは、彼の存在感があまりに“薄かった”からだった。

何者にも見えなかった。ただの、通りすがりの観客。

だが──手には、小さな包丁が握られていた。

照明が一瞬揺れ、次の瞬間、只野の胸元に銀色の軌跡が走った。

時間が止まったようだった。彼はほんの少し顔をしかめ、それから、まるで安心たかのように微笑んだ。

「……やっぱり、そうなるのか」

それが彼の最後の言葉だった。

鮮血が胸元に広がり、ステージに膝をつく。彼の影だけが、すっと沈んでいった。

会場が騒然とし、スタッフが男を取り押さえ、緊急搬送サイレンが鳴るなか、ニュース速報が各局に走った。

『速報:作家只野天才氏、刺殺される/逮捕の男は47歳・自称小説家 黒詩影郎』

テロップは正確だった。

年齢、“自称”の二文字、そして“黒詩影郎”という見るに堪えないペンネーム。

ネットはすぐに湧き上がった。

「黒詩影郎って…中二病にもほどがあるだろ」

「47で“自称小説家”ってことはつまり無職”でしょ」

「これは笑ってはいけないけど、名前で2回殴ってくるな」

だが、只野の死に対するネット空気は、驚くほど整っていた。

「正直、清々した」

あいつの顔見るだけでイラっとしてた。なんかムカつくんだよ、完璧風にしてるのが」

文学バカにした報い。因果応報

Xでは #只野天才 で弔いもされていたが、それ以上に #黒詩影郎 がトレンド1位を奪った。

同時に『石英の肺』は飛ぶように売れた。書店からAI小説コーナーが設置され、重版は四度目に突入

「死んだ後で読むと、意味が変わる」というコメントが並んだ。

あるレビューには、こんな一文があった。

只野小説は嫌いだった。でも、今は認める。だって俺、あの瞬間、泣いたんだ。AIが書いたってわかってても、心が動いた。だったら、それでいいじゃんか」

テレビでは元同僚という男が涙ながらに言った。

「彼は、ほんとに変なやつだったけど、天才でしたよ。変な意味じゃなく」

そして、彼を刺した黒詩影郎について、周囲の情報ほとんど出なかった。

知人は「昔、文学賞に投稿していたようだが、何一つ入選しなかった」とだけ語った。

週刊誌には「彼が投稿していた小説の一部」として、奇妙な一文が転載された。

「人は、誰かを刺すことによって、自分を終わらせる。文学もまた然り」

この事件は、文学におけるAI革命象徴として語られ、同時にそれを殺した“魂”の火種としても、永く記憶された。

只野天才は死に、黒詩影郎は閉じられた鉄の扉の中で沈黙した。

だが物語は、生き残った。

物語は人が語るべきだ」という信仰と、

人を動かすなら手段は問わない」という新信仰が、

今もどこかでぶつかりあっている。

いずれにせよ──。

この事件証明されたのは、文学にとって「誰が書いたか」は、

もう最重要ではなくなった、という事実だった。

誰が書いたっていい。

だって、読者は、

最後に泣いた。

それだけで十分だった。

Permalink |記事への反応(1) | 11:59

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2025-05-19

コンサルって、何してるの?

この数年で、「コンサル」って肩書に対して、かなり不信感を持つようになった。

会って話してるときは、それっぽい言葉をそれっぽい声で言うから、なんとなく知的雰囲気もあって「おお……?」となるんだけど、

実際に一緒に仕事をしてみると、びっくりするくらい何もしない。

提案しないし、判断しない。「分からない」とも言わない。

じゃあ何をしてるのかというと、「ユーザーに寄り添った体験を作っていきましょう」とか抽象的な発言を繰り返して、なぜか最初から「答えだけ」は決まっている。

たとえば、「業務アプリに〇〇を導入しましょう」とか言うんだけど、その理由はない。

いや、たぶん本人の中にはあるのかもしれないけど、それを言語化して誰かに説明しようという意思はまったく見えない。

聞いても煙に巻かれるだけだし、結局「アプリUI大事」みたいな話にしかならない。

そういう“答えありきの進行”を繰り返していると、当然ながら現場は混乱する。

こちらとしては、クライアント要望を整理して、実現可能設計に落とし込んでいくプロセスを一緒に作っていきたいんだけど、彼らはそこに一切関わってこない。

しろ要望が歪んだまま彼らのフィルターを通って伝わってくるから最初からズレた設計図を手渡される感じになる。

そして後になってクライアント懸念を示し「そもそも違ったかも〜」となるんだけど、そこで責任を取るわけでもないし、「あとよろ」みたいなテンションで流される。

たぶん彼らは、自分たちの持っている結論クライアントに割り当てることが仕事だと思ってる。

解決する」んじゃなくて、「自分たちが持ってるサービスをとりあえず当てはめる」のが目的とでもいうか。

それって、本来課題と噛み合ってなければ機能しないし、誰も幸せにならない。

実際、要件定義見直し案件後半で発生して、残り少ない期間での突貫修正になった。結果として、誰も望んでいない業務アプリが完成した。

いったいあれは何だったんだろう。

クライアント意図は歪められ、制作側の時間と労力は削られ、成果物クオリティは下がり、関わった人の満足度は限りなくゼロに近い。

で、コンサル側だけは、しれっと「弊社がこちらの案件対応しました」みたいな顔してる。いやマジでどういうつもりだ。

知的に見える言葉を扱う人間が何も責任を取らずに現場をぐちゃぐちゃにする」という現象を「コンサル」と呼ぶのだろうか。

Permalink |記事への反応(3) | 21:15

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2025-05-15

2025年建築基準法改正デマ

今年(2025年)の4月に建築基準法改正されて、解説動画が出回っているのはいいんだけどその情報がヤバすぎて萎えてくる。

ガイドラインとか色々出ているのガン無視した動画が出回ってて、ChatGPTのほうがマシなことを言ってるのなんなんだ。

はっきり言うけど、今まともな情報が欲しいなら、動画見るより国交省ガイドライン見るか、ChatGPTに聞けってなってる。アホかとバカかと。

あれできないそれできないって言ってるけど、元からダメだったか、寧ろ前より楽になったもんばかりだよ。

木造2階建てに構造計算必要になったのは天下りのためだとかアホとしか思えないよ。

昔と比べると木造構造設計ハードルは滅茶苦茶低くなった。だいたい昔の法律は8ビットマイコン時代前提で、計算は手計算だったし、建てたい人はたくさんいたから仕方ないかお目こぼしされていたってだけだよ。

構造計算だって昔は高額なCADソフト構造計算ソフト必要だったけど、今じゃフリーソフトもある有様。

しかもそっちの方が正確ときたもんだ。設計から生成される柱のプレカット情報貰ってきて、食わせりゃいいんだ。

あとはFF14が動く程度のゲーミングPCがあればペヤング用意して食ってる時間計算が終わっちまう。

95年の時は1週間はかかっていた計算は今は10分もかからん。 データ入力だって新築時の図面データコンバートほとんどやることななっちまった

今時、構造計算だってもったいぶっていた時代なんか過ぎ去りつつあって、申請だってエクセルじゃないスプレッドシートになったか審査もまるで違う。

から2階建ての木造住宅構造計算しろよってなった。たぶん数年たてばAIに組み込まれしまうんじゃねえのとすら思えてくる。

どうせ過疎地域奈なんか建築主事すら置けないんだからAIやらせておけになる。それよりもインフラ関連に力入れればいい話。

そんな感じで変わっているのに、法律変わったのは税金無駄遣いするためだとか笑止千万、もう頭悪くて見てられん。

Permalink |記事への反応(0) | 01:17

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2025-05-05

anond:20250505134607

横だけどそうじゃなくて

2階建ての家を立てて!家族4人向けで!で出来るならいいけど

それだと3階建てで震度2崩壊するようなのが出てくるので

全部の部屋の縦横の長さとか柱の太さとか天井の高さとか基礎をどうするかとか屋根をどうするかとか全部細かく指定しなきゃいけないのよ

それなら自分設計図書いた方が早いって話

犬小屋とか納屋とかなら出来るしさせてる

壊れてもダメージ少ないし適当にできてればいいので

Permalink |記事への反応(0) | 13:50

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