
はてなキーワード:言語化とは
なんでおれが やらなあかんねん
なんでおれが しなあかんねん
なにもかくことがない
僕が考えた最強の人生
なにもかくことがない
なにもかくことがない
指針がない
なにもかくことがない
なにもいうこともない
指針がない
なんでおれが
なにもかくことがない
なにもかくことがない
なんでおれがしないとだめやねん
なんでいきないとだ
めやねんn
いやいきるけどさ
対話 じゃあ生きなくていいよ
選択制にしてほしい
それがクソゲー
しらねえよ 興味ねえよ うるせえよ
めんどいわ
いまどんな格好してるの ムラムラしてきた 一回切るわ じゃあね
言語化したくない
明言したくない
整合性とりたくない
生きるのつらい 死ぬのも怖い もうだめじゃん
私の下の子が最近元気がありません。どうしたらいいでしょうか?(しもねた)
明記せず のらりくらり生きていく
自己成長
このままでよくないですか
いまのままでよくないですか
実家でるとか昔強く思った気がするけど
さっきトラバした人だけど、ググりにAI回答が自動でついてくる世の中になって以来、
はてな人力検索サービスの質問が、いよいよ低レベルになっちゃってるのちょっと面白い。
一回ググればちゃんとしてるっぽいAI回答がどんなものにもついてくるのに、
本当にググりすらつかいこなせない、自分の本来の質問をつくれない人だけが来るようになってて逆におもしろい。
昨日突然みにいったら「どういう心理でしょうか」さんとか
かなりもやついてるんだろうけどうまく言語化できないんだろうね)、
いまどきめずらしい生の困惑が楽しめる……
これを書いた元増田だけど、俺はASDで、検査の時の言語能力指数みたいなのは低かったよ
でも、あやふやなことをAIに聞いたら言語化してくれるから、それをAIに取り込ませてる
ネタ被りだけ注意してる
「言語化のスキルが低いけど着想力のある人」が正しくプロンプトを作れるとは全く考えられない。
僕は今、いつもの座席に鎮座している。ルームメイトはリビングのソファでパズルゲームを無言で進めており、隣人はサブカル系の配信をしているらしく時折笑い声が廊下を渡ってくる。
友人たちはグループチャットで熱く同人の出来や新連載のガチャ確率について論争している。
僕の一日は厳密に区切られていて、朝は必ず8時に起床、コーヒーの抽出器具を90秒で予熱し、温度は92.3℃±0.2℃に保つという無駄に精細な儀式がある。
靴下は左足から履く。出勤前の15分は必ず抽象数学のノートを眺め、最近は圏論的位相場のホモトピー的反復と超弦モジュライのmeta-圏的安定化について自問している。
これは専門用語の羅列ではなく、僕にとっては手を洗うのと同じくらい生理的な行為であり、その行為を飛ばすと一日が微妙に狂うので飛ばすことはめったにない。
仕事が終わった今も、僕は一日の終わりに形式的整合性を取るためのルーティンを持っている。
具体的には、机上のコップは時計回りに90度ずつ回転させて元の位置に戻す、明かりのスイッチを一回押して3秒待ち、もう一度押すといった小さなチェックポイントを踏む。
これは合理的かどうかを問う人がいるだろうが、僕にとってはエラー訂正符号のようなものだ。失敗を検出すると自動的にその日のメンタル状態のトレースが始まり、友人たちの雑談に混じる気力が萎える。
超弦理論に関して今日述べることは極めて抽象化され、現実の誰が読んでも「それが何を意味するのか」を即座に把握できないように意図している。
僕は最近、モノイド対象としてのストリング世界面の圏を、圏論的対称化子(コクセター的ではなく、もっと抽象的に、位相的量子群の代数的類・モジュライ化)を用いて再定義する実験をしている。
言い換えれば、従来の共形場理論的な世界面パラメータ空間を、非可換ホモトピー論のフィルタ列で再帰的に層化し、その各層におけるファイバーの自己同型群をモナドとして扱うことで、局所的に見える弦状態の同値類を圏的に集約する。
さらに、圏の圏(2-圏)に対する新しい安定化の概念を導入して、通常のK理論的分類とは別の不変量が現れることを示唆する予備的計算結果がある(ここでは具体的数式を列挙しないが、ホモロジーの級数展開における位相的位相因子の再正規化が鍵となる)。
この構成を、最新の抽象数学的モジュール接続概念と結びつけると、我々が従来想定していたスペース-状態対応の双対性が、もっと弱い条件(例えば圏的可換性の高次緩和)で成立する可能性が開ける。
加えて、僕はこの考えをある講義資料やトークの示唆と照らして取り入れており、その資料は概念的な跳躍と直感的な図示を巧みに使っているので、僕の現在の探索にとって非常に有益だった。
僕は「誰も理解できないものを言語化する」ことに快感を覚えるタイプだが、ここで言っているのは自己満足のためではなく、圏的再構成が実際に計算上の省力化をもたらすかを検証するための試行でもある。
ある意味で、これは純粋数学者が夜中に自分だけの公理系をいじるのと同じ行為だが、僕の場合はそれを出社前の歯磨きに組み込んでしまっているので、周囲は迷惑かもしれない。
食事の配列はプレート上の分布エントロピーを最小化する向きで常に配置し、週に一度は手製のスキルツリー表を更新して趣味的投資の累積効用を整数化している。
コミックは最新巻が出ると即座にページごとのフレーム密度と作画のトーンワークを技術的に解析し、特に背景のディテールに含まれるトーンの反復パターン(いわば視覚的フーリエ成分)をスコア化する。
ゲームに関してはガチ勢的態度を崩さず、メタ的な語りを排してシステムのギミック、ドロップ率、レベリング曲線、そして対戦環境のテンプレート化された最適戦略について延々と解析する。
ただしゲームやコミックに対しては「空間」や「力学」といった語はなるべく避け、代わりに「状態遷移図」や「入力遅延とフレーム落ちの統計的扱い」など工学的・計算機的に言語化する。
たとえば今日友人が語っていた新作のギミックについては、その期待効用をELO的な評価尺度でランク付けして論争に勝とうとしたが、連中は「推し」を盾に論理を流してくるので僕はたまに脱力する。
だが脱力する暇は短く、夜の自習時間には再び圏論的比喩に戻り、各行動の符号化を試す。
日常の細部も大事にしている。玄関の鍵は4回回すのが正しいというオカルトじみたルールを持っているが、これは単なる迷信ではなく、僕の内部的なチェックサムである。
友人たちはこれを笑うが、彼らもまた各自の無意味な儀式に固執している。
コミュニティでの嗜好(推しキャラ、嫁、沼の深さ)に関しては妙に合理的で、僕はデータベースを自前で持っている。
各キャラの台詞数、出番頻度、描写の感情強度をパラメータ化し、二次創作が生成される確率空間を推定する実験をしている。
この種のオタク計量は笑われがちだが、実際にはコンテンツ開発や同人活動の動向を予測するには有用だ。
眠りに入る前に、僕は明日の論文ノートに小さな疑問を三つ書き付ける。
第一は、先に述べた圏的安定化が有限次元表現に落ちる際の可逆元の振る舞い、第二は同構クラスの計算可能性のアルゴリズム的複雑さ、第三は趣味領域における情報量の測度とその心理的飽和点の関係である。
これらを洗い出しておけば、僕は安心して眠れる。
ルームメイトがゲームのボスを討伐した歓声が聞こえ、隣人の配信が締めに入る。友人たちのチャットは未だヒートアップしている。
僕は日記を閉じ、明日のコーヒーの豆を2グラムだけ余分に計量しておく。これは単なる癖ではない。それは帰納的に我が生活を安定化するための小さな公理群だ。
やっとキングオブコント見た
レインボーも面白かった。審査員は劇伴入り良くないと言ってたけど面白い展開だと思った
ロコディはサトミさんのキャラが素晴らしかった(兎あってのロコディ。兎を活かす堂前の天才っぷり)でも最後の「言語化できなーい」は微妙だった
あとハイペロさんのとこ。間が凄まじくて後半グダグダするけど好き
驚かないでくださいね。二次元以上の情報を言語化するのは難しいんだよ。
dorawiiより
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この話題になるとお前の言語化能力が下がって誰にも自分の言いたいことに辿り着けない文章書いちゃうって話じゃなく?
dorawiiより
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「作品のリアリティライン」という言葉は「リアリズムをどのくらい重要視するかのレベル設定」という意味で使われがちだが、そこで意味があるのはレベルの高低ではなく、戦争における防衛ラインと同じように「突出しない」「押し込まれない」ということだ。
魔法で手から火を出したりはできるが死んだ人間が生き返ったりはしない世界で、クライマックスの勢いで特別に死者が復活して、そのことに納得感のある理由付けがなかったらドッチラケになってしまう。
なんかスルーしてたスパイファミリーが無料になってるので読み始めたのだが、序盤はつまらなくない。でもこれはリアリティライン設定に失敗している。これは先がしんどそうだ。日常パートとシリアスパートの温度差がいちいち引っかかる。えっそんな人通りのある所で普通に“仕事”の話していいの?ああいまは日常ノリだからいいのか。と、いちいち気を遣って飲み下さなければならない。
リアリズム作品にはリアリティラインの配慮など必要無いと言える。現実に起きないことは起きないというだけでいい。
現実に起きないことが起きる作品世界で、じゃあどのくらいどのようなことなら起きるのかというライン構築、どのくらいデカい嘘をつくかということが懸案となる。たぶんそこの嘘ルールの具体的な絞り出し方というところが言語化・共有化がなされておらず作家の才能次第になってる部分なのだろう。
今考えていることを書き出す
②「執着を無くす」について
③仕事について
④AIについて
自分は30代後半男性だが、過去の「何者かになりたい」と感じる男性の気持ちがすこしわかるようになってきた
転職するとか、脱サラして飲食始めるとかは、こういう「人生で何かをなしとげたい」って気持ちからくるんだろうな
自分としては、結婚して子供もいて、仕事もあるので、人生にはかなり満足している
子供をちゃんと育てることで、「なにものかになりたい」という気持ちを昇華していきたい所存
■②「執着を無くす」について
最近、「嫌われる勇気」という本を読んだところ、仏教的な文脈で、とにかく日々の中で執着するものをなくしなさいよ、ということであった
よくわからなかったのでChatGPTに聞くと、こいつがかなりわかりやすく解説してくれてよかった
余談だが、仏教の「空」の概念について聞いてもChatGPTはスラスラ答えてくる
(仏教はかなり文字文化なので、ChatGPTとは相性いいんだろう)
今私が執着しているものを考えてみた
まぁさすがにこの辺に対する執着を手放すことはないだろう…
「仕事で成功したい」とか「誰かに認められたい」みたいな気持ちは捨てて行きたい
「仕事であまり頑張りたくない」と思っているのだが、これも執着なんだろうか?
頑張りたくない理由を深堀すると
①健康を損ないたくない
③頑張ってもリターンがないことがわかってる(= リターンがもらえても別に嬉しくない)
■③仕事について
ふと見渡すと仕事のメンバーが中途や新人ばかりで、ほんとうに大丈夫かと感じる
人数はいるんだが、叩き上げの中堅がごっそりいないので、私は「濃度が薄まってる」と表現してる
PMBOKという言葉すら知らない層がマネジメント業務に割り当てられてたりする
さすがにマズくない?
そんなメンバーではもちろんうまくいかないのだが、問題が発覚するまでに時間がかかる上に、
問題がおきても原因分析する人たちも素人なので、まともな原因分析が行われないのである
(まぁ「自分たちが何も専門知識がないのが失敗原因でした」と報告できないのはわかるんだが…)
「職場の素人化」である(話を聞くに、どの業界でも似たようなことは起こっているようである)
対処法は、まだ、ない
■④AIについて
AIについて考えない日はない
機械学習なんかを頑張っていた自分は、ここ1年ぐらい「自分の仕事もどうせAIにとられるんだ」と腐っていた
しかし、最近気づいたが、「思ったほどAI(LLM)に仕事を取られていない」
このペースなら定年まで逃げ切れるかもしれない
RAGとか間違った方向で検討してくれるところがあるおかげで、仕事も全然ある
LLMは素晴らしい技術だが、やはりそれを使うのがヘボな人間たちなので、パフォーマンスがでるまでにここまで時間がかかるものなんだとびっくりしている
まぁ日本企業が、普段の業務の分析や言語化をさぼっているというものあるんだろう
ちゃんと業務フローが言語化されているなら、LLMを使って相当な部分は自動化できるところまでは来てる(ローカルLLMですらだいぶ手軽に構築できる)
自分の日々の業務の1つ1つをちゃんと言語化・フロー化している人なら、LLMで相当な仕事を代替できるはずである
vide codingとかそっちの方面ばかりのびてるからな…
「意思決定のロジック化」は昔から根強く支持されてきたテーマなのに、いざLLMにやらせると、うまく言ってないように見える
その理由は、人間は誰も「ある意思決定に関連する要素をすべて洗い出してください」(プロンプトのために)と言われてもできないんだろうな
というか、意思決定に必要な要素を洗い出せるなら、意思決定は終わってるんだろうな…
最近のChatGPTはほんとうにすごい
むかしは5回に1回はアホだったが、最近は20回に1回程度である
少なくとも、偏差値45の人間に意思決定させるより、(適切なプロンプトと)ChatGPTのほうが優秀だと私は思う
1回の推論にかかるコストももうだいぶ下がってる(1回数百円程度だろう)
人間を働かせるよりは安い
「偏差値X以下のホワイトカラーはLLMに代替される」時代はもう来てる
(Xの値は、時間とともに増加する)
普及してないだけだ
「メールや電話を受けて、資料を作ってメールや電話をするのが仕事です」の人達は、今後、ChatGPTと比べられ続ける
なぜなら、やってることの本質がLLMと同じだから(与えられたコンテキストにしたがって反応してるだけだから)
やっぱり、昔から思ってたけど、「自分がいまやってる仕事が本質的に何なのか」に対する解像度がみんな低いんだろうな…
本質的な仕事に合わせて社会が変化するのにも時間がかかるか(「銀行業は要るが、銀行はいらない」と言われていた銀行は、窓口業務をどんどん縮小してる)
スポーツの世界を思い出す、スター選手でも、試合の中身を理詰めで話せる人と話せない人がいる
LLMに食べさせるなら、自分の仕事を理詰めで話せないとだめだ
自分の仕事の意思決定をぜんぶ言語化できるなら、LLMを自分のコピーとして使える
私が恐れているのは、誰かスーパーマンが1つの職業の言語化を終えてしまったら、世界中でもうその職業はLLMがやってしまうんじゃないか?ということ
「理想のプロジェクトマネージャー」のプロンプトができあがったら、それって世界中で使えるよね?
まぁプロンプトになるのか、ツールになるのかはこれからだろうけど
今、AIについて考えてるのはこんなところ
エクセルの画面を示し
上司「このリスト新しくしたから、これのリスト間違ってないかチェックしてくれない?そんでどこかにある古いリストは消しておいて」
私「はい!(このリストとそのリストってどれ?古いリストって示している画面のここなのか?)」
部下に指示することが言語化できず、私をそばまで呼んで画面を見せて、
「あれをこれして」みたいな指示の仕方。
面倒くさいから(そもそも言語化が下手でできない)と言語化は避けて、指示されたこちらがわ私が自分のために忘れないように、その指示を一応テキストに思い出して書き起こしている感じ。
指示の仕方が不明瞭で
アホすぎて
疲れる。
今日で10歳になった。私も今日から10代だよ、今まで0代だったからね、って喜んでる。
子育てで大変なことはずいぶん減ったけど、本人は小学生の人間関係で悩んだり苦しんだりすることも増えた。
あんまり口出ししてもいいことないから、話を聞いてあげたり、最近だと小学生向けの無料電話相談に電話したり。電話かけれるのが偉いなぁと思うし、ちゃんと悩みを言語化できるってことだから本人にもいい機会だなぁと思う。
とは言っても、普段は友達とたっぷり楽しそうに遊んでる。楽しそうでいいよね、小学生。
勉強は中学から本気出せばいいから、今は思いっきり遊んでください。
それな
俺は言語化が上手いって割と毎回言われるけど
単に同じ一個の文読んでも人より言いたいこと考えることが一杯あるだけだから
多くの人は言語の問題じゃなくて考えついてないだけだろうと思う
ただそういう人達も実は勘はそう間違ってなくて
俺が考えることを考えられない人は何が足りないのかと言うと言語
もっと具体的に言えば語彙が足りてないんだよね
語彙をこつこつ固めていけば思考も精度が出てくる
子供の頃は当然で何歳になっても辞書を引いて語彙に精度を出す事が大事
これを何回言っても殆どの人はやらない
俺はまとめて国語力と言ってたけど
ピーマンが苦手という人はピーマンを食べようともしないみたいなもんで言語化苦手な人が言語化しようともしないのは不思議でも何でもない
最近やたらと言語化言語化って目にして、本屋に行ったら言語化が上手になるみたいな本が平置きで何冊も置いてあるのを目にする。
言語化の正式な定義は知らんけど、ネットを見る限りは自分がうまく言葉にできてなかったモヤモヤした感情は論理を上手い感じの文章にすることって感じで使われてるように思う。
んで、この人は言語化が上手とかよく言われる人ってまあ何人かいるわけだけど、その人たちの文章を読んで言語化が上手って思ったことがない。
なるほどなーとか、そういう風に考えるのかって思ったりすることはあるけど、自分の中のモヤモヤを晴らすみたいなことが起きたことない。
言語化できてない =理解してないってことじゃないのかって思ってる。
なので、この人は言語化が上手!って褒めてる人たちって、自分も同じこと考えてたけどうまく言葉にできなかっただけ!理解はしてたけど!みたいな感じに見えちゃう。
そもそも言語化が上手って言われてる人って説明が上手な人だと思う。
ちょっと語弊あるかもだけど、説明が上手いって基本的には具象化が上手い + 例えが上手いって感じだから説明対象に対しては情報を落としてる。
もちろん数学とかで定義みてもよく分からないけど、具体的な計算見たら、「あ、そういうことね」っていうこともあるから一概には言えないけど、大体は1例2例だけで全体をカバーしてなかったり、説明によっては間違ってはないけど正確ではないみたいな説明なんてざらにある。
だから自分が理解してるものに対して上手い文章見たら、説明上手だなとは思ってもモヤモヤが晴れることないんじゃないかって。
ということで言語化が苦手っていう人は言語化が上手になる本ではなく、説明対象に対しての理解を深めるような本読んだ方が良いと思うよ。
もしくは自分で苦手って思ってるだけで、そもそも言語化をしようとしてない気がする。少なくとも自分の周りの言語化が苦手っていう人は漏れなく説明すらしようとしてない。説明が支離滅裂だったら指摘のしようもあるけど、そもそも何も説明してくれないと下手かどうかの判断すらできないし、文章ならともかく対話だったら説明下手でも聞く側がこういうこと?とか聞けば良いだけの話なんだから説明力だろうが言語化力だろうがそんなもの別に対して問題じゃない。子供見習え。あいつら熱意だけで説明するけど結構伝わるぞ。