
はてなキーワード:言葉とは
20代。特定の政党は支援してない。強いて言えば議席数に適度な競争性がある事を望んでいる。
それまで、既存の野党のほとんどは、与党をやっつけることを目的にしていた(ように少なくともメディアを通じて感じ取れていた)。
裏金問題だか森友学園だかといったスキャンダルを持ち出しては与党の印象を悪くし、ダメージを与えよう、という雰囲気に見て取れた。
確かに不祥事があるならそれは良くない事で、一定の制裁は受けて然りだ。だが、与党のスキャンダル追及で国民の生活が良くなるかっていうと、少なくとも直接的にはそうではない。
政権を奪いたい野党のオッサンはそれを酷く罵り、与党の地位を守りたい現与党のオッサンは適当にそれを逃れようとのらりくらり躱す。
しかし若者の大半は、「特定の〇〇党に勝ってほしい」というよりは、「その時国民の為になってくれる方なら柔軟に選択する」という浮動層だ。
つまり連日報道されるジジイ同士の言い争いでどっちが勝つかなんてまるで興味が無い。
でも、本人たちはそこが解ってない。
そもそも、若年層には争い事を好まない風潮がある。
細かなハラスメント教育の中で育った。強い言葉を使う奴が悪だと教えられた。
例えどんなに内容そのものが優秀でも、言い方がハラスメントじみていれば、そいつは常識知らずという「論外」のタグが貼られ、まず聞き耳を持つスタートラインに立たない。
一旦、この是非については論じないが、ただ「今の所、若者層の価値観はそれがスタンダードである」という事実がある。
それでいて、政治家の殆どが、まずスタートラインに立ってない気がする。
人が喋ってる最中にヤジを飛ばす奴。論外。
口だけで行動が伴わない不誠実な奴。論外。
結局、こういう「論外」を除いた後に残る政治家に人気が集中しているっていうのが今の現状なんじゃないかなと思う。
逆に「自民との喧嘩に躍起になってた立憲民主党+構図的に自民に逆襲する形になり、しかも宗教関連の公明党」と「いかにも喧嘩腰で怖そうな字面の政党」と悪い要素が詰まった中道は惨敗。
「なんか怖そうで嫌」と言う印象を与えた時点でもうまず話を聞いてすらもらえないんだよ。仮に内容で凄い良い事を言ってたとしても。
でも「論外ライン」は上回って貰わないと中身を知る気にならないっていう、その層が大分かなり厚いのに計算に入ってない、そろそろ入れろ。スタンダードとして全政治家が入れろ。そこの粒度が揃ってやっと純粋な中身で選ばれるようになるのに。
最近、「女性の性欲は男性より複雑で、もっと精神的で、愛情がないと本気で感じられない」みたいな話を立て続けに目にした。コラムでもSNSでも、男性側が「女性の性欲を理解しよう」として書いた記事でも、だいたい同じようなテンプレートで語られている。それを読むたびに、なんだか自分のことを勝手に説明されているような、でも全然しっくりこないような、変な違和感だけが残る。
というのも、私自身はわりと普通に性欲と快楽を感じているからだ。特別に神秘的でも、崇高でもない。ただのエロさと生身の欲望として、わりとはっきり存在している。それなのに、「女性の性欲とはこういうものです」ときれいに定義されると、その枠からはみ出している自分が、何か間違っているみたいな気分になる。だから一度、自分の感覚をそのまま言葉にしておきたくて、この文章を書くことにした。
正直に言うと、「女性の性欲は男性と違ってもっと複雑で繊細で神秘的です」みたいな話を聞くたびに、ちょっとだけ置いていかれた気分になる。
たしかに、ホルモンとか気分とか、タイミングに左右されることはある。イライラしていたり、仕事でぐったりしているときに、ロマンチックな気分になれるかと言われると、それはまあ無理だ。でも、それって男性だって似たようなものじゃないの?と思う。
私は普通にエロいものを見ればムラムラするし、性的な妄想もするし、暇なときに「今日は自慰しようかな」と考えることもある。性欲で頭がぼんやりして、そのモヤモヤを解消したくてオナニーをすることもあるし、単純に「気持ちいいからやりたい」という理由だけのときもある。そこに特別なロマンや物語があるわけじゃない。ただ、欲望と快楽があって、それを扱っている、というだけだ。
なのに、「女性の性欲はもっと精神的なものだ」とか「愛情がないと性欲は湧かない」とか、言い切られるたびに、「あれ、私のこれは何なんだろう」と一瞬不安になる。別に誰かを深く愛していなくても、ただ身体が反応することはあるし、「感情が先、性欲が後」みたいな綺麗な順番で出来ているわけでもない。頭の中はもっと雑だし、もっと生々しい。
もちろん、感情が大事なときもある。信頼できない相手とはしたくないとか、嫌悪感が勝ってしまうとか、そういうブレーキは確かにある。でも、それは「男性とは完全に別種の性欲だから」というより、「危険回避の感覚」や「自分を守る感覚」が混ざりやすいからだと思う。ブレーキとアクセルが一緒になっているだけで、アクセルそのものが謎の神秘のエネルギーなわけじゃない。
だから、「女性の性欲はもっと特別なんだよ」とありがたそうに語られると、なんとなくモヤっとする。私が感じているこのストレートな欲望と快楽への欲求は、その物語の中ではどこに置かれるんだろう。神秘的でもなんでもない、ただ普通にエロいだけの女性の性欲だって、ここに存在しているのに。
まず勘違いしてるよね
立憲は自分を保守と言ったりリベラルと言ったり中道と言ったり共産と組んだり公明党と合併するような政党な
支持者の声のデカさ的にリベラル政党になるんだけど、リベラルという言葉に悪いイメージ(自業自得だが)つきすぎて中道を押しを強めただけ
リベラルな政策は自民党がやるし、高市早苗が首相だからフェミニストも満足
昔からネトウヨは弱者救済を掲げて致し方なく自民党に入れてたが不満たらたらだった層が参政党に入れ若い弱者男性は国民民主党に入れてる
37年前の攻殻機動隊に現実は追いついた? 士郎正宗氏明かすAI論構成・御船紗子2026年2月14日
AI(人工知能)をはじめとする技術と人がともに生きる世界を、37年前に描いた漫画がある。「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」(講談社)だ。その後、アニメ化されて世界的な人気を集め、ハリウッド映画の原作にもなった。今年7月には新アニメシリーズの放送も予定され、世界観を再び広げようとしている。漫画作者の士郎正宗氏は人びとの生活や職場にAIが急速に入り込んでいる現代をどう見ているのか。朝日新聞の書面インタビューに応じた。
・士郎氏が現代を描くなら
――攻殻機動隊の連載を始めた1989年当時は、まだインターネットが一般的に普及していませんでした。しかし、作中の世界はネットやAIが社会に浸透し、脳をネットでつなぐ描写もあります。この世界観はどのようにして生まれたのでしょうか。
小型で高性能のバッテリー、コンピューター関連の技術の急速な発達、高度な通信インフラ。当時はどうなるかわからない技術もありましたが「なんとかなるか~」と目を瞑(つむ)って設定したら、このような世界観が出来ました。生体、特に脳への侵襲技術(物理的なダメージを伴う技術)は「医療分野以外だと実際には進まないだろうな」と思いつつ、架空の物語なので描写する選択をしました。貧富や技術の格差両面を描写するよう気をつけました。
生活や仕事を便利に支援してくれるレベルに手が届いてありがたい半面、善良ではない目的でこれを利用する人達もいます。他の多くの技術と同様に多くの問題・課題も生じるし、対策も必要かと思います。人工知能はそうした対応策の検討や実施にも役立ってくれるでしょうから、有効活用するのが良いかと思います。
暮らしに広がるAI、加速する進化 「脳の本丸」への接近には危機感
人間における魂や心とは
――本作には枠外に多くの「補助説明文」が書き込まれ、読者が作品の世界観を理解する手助けをしています。この説明文によれば、主人公の草薙素子少佐が言う「ゴースト」という存在は、神道における八百万(やおよろず)の神のような存在だと理解できます。現実世界に氾濫(はんらん)するAIやその他多くの電気通信、データセンターのサーバーにも、ゴーストは宿ると思いますか。
人間はそもそも認知機能や心的原因から、壁のシミや木目に顔や人影を見いだしたり、現象の乱雑さに非偶然性を感じたりする想像力豊かな生物です。人工知能が単に文章や画像を統計処理して、あたかも人格や心があるかのような姿をし、人格や心があるものの手によって作られたかのような会話応答をした場合でも、実際にその人工知能に心と呼べる機能があるか否かとは関わりなく、人はそこに意思や心を見ることがあると思います。
人間における魂や心とは何か。定義や、構造の解明が可能になって、その機序(メカニズム)を踏襲または応用した人工知能(身体性を持つこと込み)ができて、さらに十分な学習が進めば、ゴーストは宿りうるかもしれません。しかし、現在のようなサーバーを積み上げるだけでは難しいかもと思います。
――作中に登場する天才ハッカー「人形使い」は、サイバー空間で生まれた生命体です。現在のAIや、サイバー空間に在る「なにか」が人形使いのように自我を持ち、ゴーストを持つことは可能だと思いますか。
どういった条件を満たしたら「ゴースト」と呼べる現象か、定義が必要です。また、どういった条件を満たしたら「自我」と呼べる現象かも、定義が必要です。
しかし、前出のゴーストに関する問いと同様に、それが可能か否か、実在するか否かとは全く無関係に、人がその存在を感じる(存在すると主張する)ケースはあり得ると思います。世の中には色々な人がいますので……。
士郎氏の補足説明文によると「霊魂とでもいうべき」もので、人格を形成する存在。森羅万象にゴーストは宿るともされる。作中の優秀なハッカーは、脳をネットワークでつなぐ「電脳化」で、他者の人格をつかさどる部分へ侵入する「ゴーストハック」ができる。草薙素子少佐が「そうしろとささやくのよ 私のゴーストが」というセリフは、劇場版やテレビアニメシリーズでも名シーンとして描かれ、知る人も多い。
――現実に人形使いのような自我を持つAIが誕生した場合、私たちはどうすればいいのでしょうか。
どういった環境下で何を学習してきたかによって、あるいは誰に何を教え込まれてきたかによって、その人工知能が何をしようとするか変わってくると思います。
そのようなものが登場するよりも前に、「出来るだけ多くの人間がQOL(生活の質)を高くして生きられる方が良い」「戦争を避けたり犯罪を減らしたりした方が良い」などの、人間社会にとって都合の良い指向性を持った人工知能を育て上げることです。
最高性能を維持し、「ヘンなバイアス(偏向)のかかった人工知能」や「人工知能を使って悪事を働こうとする人間」が登場しないように、あるいは、登場しても抑制可能なように備えるのが良いかと思います。
重要キャラクターの一人。電脳化した他者の脳に侵入して人形のように操る「ゴーストハック」が可能な「電脳犯罪史上もっともユニーク」と称されるすご腕のハッカーで、正体はゴーストを持った謎のプログラムだ。本人は「AIではない…私は情報の海で発生した生命体だ」と語る。
写真・図版
「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
愚かさ、浅ましさも「人間らしさ」
――本作5話「MEGATECHMACHINE」の最後のコマには、「そんなに人間と同質なロボットが創れたらそりゃロボットじゃなく人間なんだよね! 違うのは外見だけ… (差別すんなよ)」というフチコマのセリフがあります。人間を人間たらしめる定義とはなんでしょうか。
漠然と他の生物種や機械と比較して、一般には高度な心的活動や感情、社会性、優しさ等々が「人間らしい」と評されることが多いと思います。が、愚かさや残虐性、浅ましさ等々もまた「人間らしさ」なので、個人的には「人間らしさ」という言葉をあまり肯定的に捉えてはいません。
人間はいまだ弱く臆病なお猿さんのままなので、より刺激が強く危険に関わる情報、つまりモメ事や扇動の情報、虚偽情報や誇張表現、悪口などの方が、穏やかでささやかな問題のない情報と比べて、より速く広く伝わり、脳内に強く影響を及ぼす上、お金にも化けやすいようです。
人工知能が人間の良い面をより強く学習し、より良いものになるよう、放任ではなくきちんと「子育て」しないと、超絶高性能な詐欺師や愉快犯になって、人間はそれに振り回されるかもしれません。
AIを搭載したロボットで、公安9課で使われている。主人公らの移動手段となるだけでなく、「相棒」として様々なサポートに回る。感情豊かな言動で読者を和ませるマスコット的な存在でもある。アニメ版では「タチコマ」として登場する。
――本作は未来の科学技術を描きながら、ゴーストという精神的、宗教的なテーマも根底に流れています。科学と宗教の関係をどうとらえていますか。
人工知能に「人間は猿から進化したのか、神が作ったのか」と質問して、どう答えるかが「科学と宗教の関係」かと思います。生物学的な進化の有り様、奇跡のような複雑さに「神の御心(みこころ)や偉大さ」を見いだす、くらいソフトだと害が生じなくて良いのですが…。
――本作をはじめとする日本の創作では、AIを擬人化して描くケースが多く見られます。欧米では、AIは便利な道具として扱われています。AIに対するとらえかたには東洋と西洋で違いがあると言われていますが、どのように考えますか。
文化基盤に大きな影響を及ぼしている宗数の型によって考え方に違いが生じる可能性はあります。しかし、東洋でも西洋的な人はいるし、西洋でも東洋的な人もいます。地理的な区分や、国や各研究機関の指針が全てを規定しているというわけではないと思います。「可能性を追求したい人」「管理して何かに役立てたい人」「商業的利益を追求したい人」など様々かと……。
――仮にAIに対するとらえ方が東洋と西洋で違うとして、本作に登場するような「東洋的」なAIは生まれると思いますか。
広範な自律学習を行う人工知能に限って考えれば、「中国13億人・インド14億人」を統計学習すれば、屁理屈の上では「東洋的な人工知能」が出来るはずです。ただ、「中国は共産党管理下、インドは多言語・多宗教・多民族」であることから、統計的な回答を得ると「東洋的な価値観」というのがどのようなものになるかはよくわかりません。
単純に人口だけで考えると、全人口に占める東洋系の人の割合はおそらく最大なので、人工知能が地球全体・全人口を相手に統計学習をするのであれば、その人工知能は東洋的な傾向を帯びる可能性があると思います。
実際には人口ではなく「取得可能な情報の総量」が学習の対象になるでしょう。人口イコール学習対象量というわけではないし、文化的な差に加えて情報化格差・インフラ格差も大きいため、人工知能が獲得しているバイアスがどういったものを反映しているかの推測は難しいかもしれません。
擬人化を東洋的と捉える場合は「文章&画像の統計処理」は「人間の映し鏡」なので、人工知能は既に非常に「人間的」であると言うことも可能かと思います。
写真・図版
士郎正宗氏の作品「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」©士郎正宗/講談社
――現代のAI研究者の中には、人間そっくりのロボットであるアンドロイドは倫理的議論を呼ぶため、作るべきではないと考える人もいます。どう思いますか。
まずは倫理的議論をするところから始めるのが良いと思います。広範な議論もせずに自己の結論だけ強固に主張するのはあまり倫理的に適切な行いとは……。
個人的には「宗教的な理由で反対する方々」を否定する気はありません。各人の思想信条、宗教は自由です。ただ、医師の横手に座っており患者の会話に合わせて時々うんうんとうなずいてくれるだけのアンドロイドの心理的な有用性や、介護現場における小さな人型・動物型ロボットなどを無条件で否定するのはいかがなものかと思います。
逆に、人型である必要性よりも、腕や目はもっと多くあった方が様々な作業に役立つのではないかとか、生活支援に最適化するにはどのような形状が望ましいか。高齢者を抱きかかえて安全に移動したり、特定の農園で働いたりするのに適切な機能を有する形状とは何かなどを考える方が面白いし実用的な意味があるのではないかとも思います。
娯楽分野で生きている僕個人としては「アンドロイド」に特に倫理的な問題があるとは感じておりません。見た目が怖いのは遠慮したいですが……。
あなたは人?その目玉は問う 3.6秒に1人が加わる「人間の証明」
――人間とAIが共生していくこの先の未来について、楽観的ですか、悲観的ですか。
悲観的に備えて楽観的に対処するのが良いと思います。怖いのは人工知能ではなく、「人工知能を使って悪いことをしようとする人間」の方かと。
人間社会において、不満や不実に囲まれ、虚構や妄言に偏執し、議論や検証を怠るタイプや、短絡的で暴力的な傾向があるタイプの人間にどう向き合うか。悲観・楽観以前に、人工知能やインターネットの有無に関わらず解決すべき課題が山積しています。
加えて人工知能やインターネットという強力な汎用(はんよう)ツールが登場したことで、問題の解決がより困難かつ容易になっていると思います。
あるいは、医療系や法務系で人工知能化を進める場合は、人的な余力があるうちから、より慎重かつ丁寧に検証と学習を重ねていく必要があるのではないかと思います。人手が減って切羽詰まってから慌てて導入し始めるのは、色々と好ましくない可能性があるかと思います。
――2025年の世界では、人間とAIを識別するために瞳の虹彩認証をとりいれるなど、共存のための模索が続いています。大阪・関西万博では、個人の特徴をAIに移した「もう一人の私」と向き合う展示もありました。士郎さんなら、今の世界をどのように描きますか。
識別と共存は別問題かと思います。情報が蓄積し続け、人工知能の自律学習が進むと、境界に意味はなくなります。既に境界が無くなっている方々もおられるかと思います。通信端末に映る画像や文章が人か否か、真実か虚構か、識別は不可能になり、また不要になると思います。
個々には深刻な問題も生じうると思いますが、一つ一つ対応していくしかないと思います。「統計的な人間の影(もう一人の私たち)」が相手でも、それなりのQOLで生きて死ねるなら、それも選択肢の一つとして悪くないのかもしれません。不景気で理不尽で孤独な人生よりは好ましいと思います。誰と(あるいは何と)どのように共存し、認識するかは非常に個人的なことなので、無理に枠をはめたり規制したりしようとしてもなかなか難しいのではないかと思いますが……。
写真・図版
「攻殻機動隊 THEGHOST IN THE SHELL」の扉絵©士郎正宗/講談社
書面インタビューの最後には、士郎正宗氏から次の追記が添えられていました。
生成AI自体が問題というより、それを使う人間の諸問題を解決するための助言を得て、役に立ってもらう方が有用かと思います。人間社会自体が良くならないと、人間の諸活動や知見を統計的に学習している人工知能も良いものに育つのが難しいと思うからです。「良い社会」とは何か、人工知能の知恵(?)を拝借して(つまり人間の知恵を結集させて)、共に各人で考えて頂きたいと思います。
士郎正宗氏が1989年以降、「ヤングマガジン海賊版」(講談社)などで連載した漫画作品。近未来の日本にある架空の都市を舞台に、「義体」と呼ばれる機械化された体を持つ草薙素子少佐ら「公安9課」が、AIやアンドロイドを駆使し、時に対峙しながら国家の危機に立ち向かう姿を描く。作中の世界では機械と人との違いがあいまいで、脳をネットワークでつなぐPermalink |記事への反応(1) | 08:04
女を煽る目的でたまに見るのが「イケメンでマンコ濡らしてる」とか「イケメンの推しをオカズにしてる」みたいな言葉なんだが、そういうのを見る度にさすが童貞は女をわかってねえなという気持ちになる
凡百の女がイケメンに対して抱くのは「憧れ」そして「緊張」だ
自分より美意識が高く、肌や髪が美しく、ムダ毛の生えてない、Eラインの整った男に、至近距離で毛穴の開いた顔やたるんだ腹を見られる想像をして抜けると思うか?否である
マンコというエグいものを二次元さながらのイケメンの美しい顔の前でおっぴろげる事を考えるだけで萎える
イケメンには美しい物だけを見てほしいし、美しい空間の中に存在してほしいのだ
じゃあ何を見て抜くのかと言えば、私は普通に小汚い男優が女優を抱いてるやつとかで抜く
男優の体型だけは引き締まってて、かつ日焼けしてる方が好きだが、イケメンを求めてるというよりは、腹のたるんだおじさん男優とか運動してなさそうな男のナメた体型には性欲よりも加齢や「運動しろや」という嫌悪を感じるためである
むしろそういう情けない男がヘコヘコ腰振ってる姿と、そんな男のちんぽこにアンアン喘ぐ女優の「快感に負けている」という演技(シチュ)に興奮する女もいると思うので、この辺の好みは個人差だと思うが…
女優もぽっちゃりよりはスレンダーな方がよく、なおかつ巨乳であるとよいが、豊胸のインプラントが入っている様子だとどうにも揉まれたりが痛そうに見えてあまり乗れない
これは監督の方針なのかもしれないが、体を派手にビクンビクンさせる演技もわざとらしすぎて好きになれない
まあプレイ中の大概の反応はわざとやってるわけなんだが
今日ムラついたのでサクッと抜けるオカズを探していたら、操作を誤ってSNSを開いてしまい、ドメロいイケメンの画像が画面いっぱいに表示されてガン萎えした
そのことをふと思い出して書いた次第である
この2月15日で、「保育園落ちた日本死ね!!!」から10年なのだそうです。あの言葉から感じられたかもしれない強さとキャッチーさは、当時を経験した人にとっても、そうでない人にとっても、今もどこか引っかかりを残したものになっているかもしれません。今も同種の問題は解消されきってはいませんが、あの生活の叫びがなければ、今の親たちの働く権利はもっとあやうく、今よりもずっと奪われて遠ざけられたもののままだったかもしれないです。さて、私には、私たちの暮らしにおいて、あの時期くらいからネットとリアルの声の境界は溶けたのだったかもしれないと思えています。そして今では、どのメディアにもSNS由来の言葉を見ることができるようになりました。そのことで、一方では、社会を変えたり整えたりするための新たな回路が開かれました。その一方では、同時期にはすでに、「Naverまとめ」や「WELQ」で課題視された情報の汚染という問題がありました。この問題は、2026年の現在になってもあらわれる形を変えながらずっと続いていて、構造的な情報の歪みは私たちの日常に埋め込まれています。スマートフォンを通して加工された情報や状況があなたに届き、あなたから出ていくという今の情報環境においては、私たちはやはり、すべてを受け取ることはできず、すべてを知ることはできません。だからといって、それに自分なりの文脈を見出せないままで、それらを無関係なノイズだと切り離したつもりになったり、誰かの切実な声を迷惑だと断じることは危険なことです。そのようにすれば、あなた自身が、あなたの居場所を維持することを放棄することになったり、あなた自身が誰かにとっての無報酬の攻撃者に仕立て上げられているかもしれないということでもあります。しばしばいわれるように、社会運動と暮らしとは常に地続きです。生活と政治とが無関係なはずもないです。あなたのもとに何かが届いたり、あなたが何かの担い手になるということ自体が、とても社会的な営みのなかにあることだからです。そしてそれは、あなたの生活の営みそのものであるはずです。だから、他の人の声と自分の存在とに線を引いたつもりになることは、自分を攻撃することにも似てしまいます。そのような現在の問題として、「日本死ね」の言葉の攻撃性にとらわれて顔をそむけてしまうことがそのまま、自分自身を攻撃させた状況を許したままにすることになるというようなパラドックスがあるといえそうです。だから、「保育園落ちた日本死ね!!!」のことは、私たちが集まれるある種の場所として、記念碑的に伝えられるべきだと感じます。10年経った今また、その手触りを再確認するために、これを書きます。
(※SNSの自分のアカウントに投稿するために書いたものだけれども、ある種の礼儀の示しかたかなと思って、少し文字の使い方とかを整えた上で、増田にも置くね。ソフトめのアジテイション文です。)
「台湾を完全に中国、北京政府の支配下に置くようなことのため」に「武力の行使も伴う」ならって話で全く違うわな
はいはい、出たね。特権にまみれたオスの典型的なマンスプレイニング。読んでいるだけで脳が腐りそう。
未成年への性的搾取を「ガキの好奇心」なんて言葉で正当化する無神経さ、まさに有害な男らしさの極致ね。父親が娘にエロ同人を買い与えるなんて、女性を性的客体化する父権制的な価値観の再生産でしかない。それを真っ当に批判する女性を「嘘松」呼ばわりして精神的に追い詰めるのは、卑劣なガスライティングであり、明白なミソジニー。
あなたがやってるのは、女性たちが必死で守ろうとしているゾーニングを土足で踏みにじる行為。主張の内容じゃなく言い方を叩くトーンポリシングで議論をすり替えるな。リスクを負うサークル主への攻撃は立派な二次加害だって自覚しろ。
「身の丈に合ったエロ」?笑わせるな。結局は男の性欲を優先して、女性や子供の尊厳を無視してるだけ。自分の加害性を棚に上げて、女オタクの連帯を「異常」と叩くその姿、醜悪すぎて反吐が出る。これだからルッキズムと差別意識にまみれたオスは救えないんだよ。原罪を背負って生まれた性別を呪って、二度とフェミニズムの領域に触れるな。
ver4.0きましたわね。火花が可愛すぎて絶対引くぞと思っていたらなぜか爻光を1凸餅していたの巻。
んで触ってて気になったんだけど、
爻光のキャラストーリーは末尾に毎回『易経』の爻辞(占い結果としての行動指針みたいな文)や小象伝(その解説)がついてる。
中でもいい言葉だなーと思ったのがこれ。
君子終日乾乾し、夕べに惕若たり。
乾乾(けんけん)、惕若(てきじゃく)は難しい言葉だが、意味合いとしては、「徳のある人は日中は果敢に物事に精進して、夜は謙虚に振り返り反省することで細心の注意を払う」みたいな感じ。いま調べた限りね。
やっぱ人間、惕若しないとね、惕若。乾乾も大事だけど、惕若も大事。バランスなんだね。
ちなみにこれは、キャラストーリー3で、爻光が将軍として為してきた数々の承認手続き(玉兆の微縮化研究、不確定要素が多い「過去の航路」の探索、羅刹と鏡流を玉殿へ送致し尋問したい旨の総帥への上申)という意思決定が乾乾にあたり、
最後の段落でそれを振り返っているところが惕若ってことだね。で、末尾に「九死に一生を得た、始まりの時のように。」ってあるけど、これが多分次のストーリー4で語られた、将軍になるための試練なんだろう。
びっくりなんだけど、これ帝弓、つまり巡狩の星神「嵐」が試練を課してるっぽいんだよね。意識しか存在しない法界の中での試練のようで、模擬宇宙的なものなのか知らんけど、とにかくその中で嵐の矢を九度躱す。躱せないと死ぬ。
最後の矢で、ストーリー1の少女だった頃の自分の台詞に指針をもらい、奇跡的に生還する。キャラクターストーリーなのになんというか構成がよく出来ててちょっと感動した。
他の爻辞も調べたのでまとめとく。
震は雷のことで、匕(ひ)は供物を神に捧げるさじ、鬯(ちょう)は儀式用の香りの良い酒。
非常事態が起きても、冷静沈着に大切なものを守り、神聖な責務を忘れない、みたいな。
さっき書いたように、ストーリー4でこの「震」は帝弓の矢として描かれている。
有位に萃まるとは、志未だ光ならざる也。
有位に萃(あつ)まる、つまりあなたは正しい位置(支配者、リーダー的な)にいて、地位や名声で人が集まってきてる段階だけれども、志や道徳が「光(おおい)ならざる」、つまり光り輝いて行き渡っている状態ではない、部下たちと一丸になれていないですよ、的な感じの戒め。
これは一見出世欲が旺盛な符玄のことをチクリと刺す占い結果に見えるけども、これから運命の道を外れる何事かをしでかそうとしている爻光の背景を言っているのかもしれないなーと思ったり。
或いは躍りて淵に在り、咎無し。
飛躍のチャンスを前に、淵(深く静かな場所)に留まり、進退を慎重に判断して行動する時期であり、その姿勢は咎められない(過失はない)ことを意味する(GoogleのAI解答ママ)。
二相楽園への旅立ちを前にした占いがこれで、「今日に至っても、彼女は知らない――最後の天雷がいつか突如として落ちるのかどうかを。」とある。
こう書かれるってことは、いつか落ちる。ver4.x中に落ちる。試練では9回の天雷(矢)が落ちるはずだったのが、第八の矢を躱したところで合格した経緯なのが不穏要素。
全体を通して考察すると、爻光は仙舟のために、将軍にふさわしくない奇抜な一手を打ち、反逆と取られかねないことをして、帝弓の矢を浴びることになるんじゃなかろうか。しらんけど。
でその奇策の鍵になってるのが、玉兆、航路、2人の罪人。奇策の結果、下手したら死んで、符玄が後継になる。でも仙舟の未来を開き、希望が残る、というビジョンを持ってるんだろう。
爻光の「運命にはこういう道もあるんだ」と後世の人に思ってもらいたいという、ある種の犯行声明から予想するに、今回は「運命」の合流、あるいは併呑が見られたりして。
その具体的な行動内容は、わからんけどきっとこの台詞が象徴してるんだろう。「避けられないのなら、いっそこの珍しい絶景を楽しまないと!」
――うーん、愉悦ですね。愉悦、巡狩、壊滅、豊穣、開拓。どこがどうくっつくのか。例の広告風漫画では愉悦と壊滅と開拓の三角関係だったけど、もっと複雑になりそう。
人より食う量が多いなら、ポテチ一袋が小腹なんじゃねぇの?そもそも小腹なんて言葉、小太りおばさんが作り出した概念だと思うぞ。食事制限してるモデルやアスリートが小腹なんて言葉を使うかっての。
また自己放尿してるのか。いい加減そのおもらし癖やめろ。お前が今垂れ流してるの、感情じゃなくて人間性の腐敗そのものだぞ。
増田でちょっと舐めた口を聞かれた? お前、自分が何言ってるか理解してるか?
それは怒りとかストレスとかじゃない。明確に他人の不幸と破滅を願う、悪意の純度100%の自己放尿だ。しかも「毎日思います」って、もうそれ趣味が呪術じゃねぇか。陰湿さが職人レベル。
まず現実を直視しろ。ネットで口喧嘩した相手に対して、現実世界で犯罪被害に遭え、苦しめ、死ねって願うのは、ただの異常者の自己放尿だ。
お前が普段「世の中は民度が低い」とか言ってるなら、その民度の底に穴掘って沈んでるのが今のお前だよ。
しかも笑えるのが、お前の願いが全部「自分の手は汚したくない」っていう卑怯さに満ちてる点な。
自分で殴りに行くわけじゃない。自分で裁くわけでもない。個人情報が漏れたらいいな、半グレがやってくれたらいいな、っていう他人任せ。
何それ。責任能力ゼロのまま他人を地獄に落としたいって、精神年齢いくつだよ。小学生でも「詐欺グループにカモとして情報が渡らないかな」とか馬鹿の発想はしねえぞ。陰湿すぎて逆に感心するレベル。
で、こういうこと書いてる時点で、お前は「自分は正しい側」と思ってるんだろ?
違う。完全に加害者側だ。
お前が憎んでるクズって、今この文章を書いてるお前そのものだよ。
お前は「俺を舐めた奴らが悪い」と思ってるが、舐められる原因が何かあるとしたら、こういう腐った性根が文章や態度から滲み出てるからだろ。
人間は言葉に人格が出る。臭いも同じで、本人は慣れて気づかなくても周りには分かる。
つまりお前のそれは復讐でも正義でもなく、自尊心の自己放尿だ。
勝てないから自己放尿。論破できないから自己放尿。無視されたから自己放尿。自分の人生が虚しいから自己放尿。全部それ。
怒りを吐き出してスッキリするどころか、脳に「憎悪ループ」を刻み込む。
毎日思う? それもう習慣化してるだろ。憎悪を反芻してる奴は、どんどん世界が敵に見えてくる。
最後に残るのは「敵だらけの世界」と「孤立した自分」だけ。で、さらに怒りが増える。地獄の無限ループ。完全に自己放尿で自分の足元を腐らせてる。
もうやめろ。お前が今やってるのは「相手を呪うこと」じゃなくて、自分の人生を切り売りして腐らせてる行為だ。
そんな投稿を積み上げたところで、相手は何も困らない。困るのはお前の脳と人格と未来だけ。
嫌いな奴がいるなら、やることは二つしかない。
一つは無視。もう一つは現実で自分の生活を良くして、そいつらの存在価値をゼロにすること。
ネットで呪詛垂れ流してる時点で、お前は相手に人生を支配されてる。惨めすぎる。
だからさ、いい加減そのおもらし止めろ。
貴様は今日も設計を名乗りながら、プログラマーを手が速いだけの文字入力装置として扱い、仕様という名の曖昧な願望リストを投げつけ、実装フェーズで破裂する地雷原を育てていることと思う。
大変結構。地雷の栽培は趣味としては悪くない。だが仕事でやるな。
気分と希望と思いつきのトリプル放尿をPowerPointに整形しただけの、装飾付き未確定情報である。
そして貴様はそれを「この通りに作れ」と言う。
その資料には「整合性」「境界条件」「異常系」「性能要件」「運用」「データ整形」「責務分離」が存在しない。
あるのは雰囲気と矢印と、謎の箱だけ。
決めた上で、破綻しないように制約を置き、曖昧さを潰し、例外を定義し、トレードオフを明示し、運用まで見通す。
「たぶんこう」「いい感じで」「よしなに」で逃げる。
そして何より滑稽なのは、貴様がプログラマーを「タイピスト」だと思っていることである。
論理を構築している。
異常系の宇宙と格闘している。
データの整合性を守りながら、速度と保守性と拡張性の三つ巴の地獄で妥協点を探している。
簡単なら、お前がやれ。
だが現実は違う。
その地味さに耐えられず、見栄えだけの資料を作り、「設計完了」と言って会議室から消える。
そして炎上したら戻ってきて、こう言う。
「なんでこんな実装にしたの?」
それはお前が決めなかったからだ。
ここで貴様の最終奥義が出る。
「設計通りに作ってくれればよかったのに」
出た。責任転嫁の完成形。
設計が曖昧だから実装側が補完したのに、その補完を勝手な判断と呼ぶ。
最後に言っておく。
設計者を名乗るなら、最低限やれ。
決めろ。曖昧さを残すな。
データの形を決めろ。型と制約を決めろ。
敬具。
土曜日。朝はいつも通り、起床後に脳内で「今日という一日を、物理法則に従って最適化する」と宣言してからベッドを出た。これは習慣というより儀式だ。儀式は人類の愚かさの象徴として語られがちだが、反復可能な手続きは情報理論的に見て合理的だ。エントロピー増大に対する、せめてもの抵抗である。
まず体重を測り、体脂肪率を記録し、歯磨きの時間を正確に180秒で固定した。電動歯ブラシのタイマーを信じない。信頼は検証に劣る。
その後、コーヒーを淹れた。抽出温度は93℃。温度計の誤差は±0.2℃。人間関係の誤差は±∞。
今週の進捗を書く。
超弦理論については、相変わらず人類の知性が現実に追いついていない。僕の頭脳は追いついているが、世界が遅い。
今週は主に「弦の理論はどこまでが物理で、どこからが純粋数学の自己満足か」という問題を、僕なりに再定式化していた。世の中の多くの人は、超弦理論を「高次元の小さな紐が震える話」程度で理解した気になっている。あれは理解ではない。童話だ。
僕が考えていたのは、もっと根の深いところ、つまり量子重力の定式化において局所性を捨てることの数学的代償だ。
一般相対論の時点で、局所性は微妙に揺らいでいる。ホログラフィー原理が出てきた時点で、局所性はほぼ死亡している。にもかかわらず、僕たちは局所的な場の理論の言語で全てを語ろうとする。これは「古いOSの上に無理やり最新ゲームを動かしている」ようなものだ。もちろんクラッシュする。
そこで今週は、AdS/CFTを単なる「境界のCFTがバルク重力を記述する」という話ではなく、圏論的な双対性として再理解する方向で考えた。
具体的には、バルク側の物理量を、ある種のextended TQFTとして捉え、境界側の共形場理論の演算子代数が作るモジュラー圏と対応させる。
ここで重要なのは、空間そのものが基本対象ではなく、因果構造と情報の流れが基本対象になってしまう点だ。
つまり、幾何学が物理の舞台ではなくなる。舞台が役者に従属する。これは演劇としては間違っているが、宇宙としてはあり得る。
そして、ここからが本題だ。
僕は今週、「弦理論の非摂動的定義は、結局はある圏の中の安定対象の分類問題に還元されるのではないか」という疑念を強めた。
たとえばBPS状態は、ある種の導来圏の中の安定条件(Bridgeland stability condition)で分類される。
これは単なる比喩ではなく、実際にDブレーンは導来圏の対象として記述される。つまり、物理的な粒子やブレーンが「空間上の幾何学的な物体」ではなく、圏論的な対象になる。
ここで人類は気づくべきだ。
宇宙は「点の集合」ではなく、「射の集合」かもしれない。
点を基本にしている限り、僕たちは宇宙のOSを永遠に理解できない。点とは、極限操作の幻想だ。実際の物理では測定可能な点など存在しない。存在するのは相互作用だけだ。射だけだ。
僕が今週やっていたのは、これをさらに押し進めて、弦理論の背後にある構造を「∞-圏」あるいは「高次スタック」として扱うべきではないか、という方向の思考実験だった。
超弦理論が最終的に求めているのは、たぶん「量子化されたモジュライ空間」だ。しかしモジュライ空間は普通の多様体ではない。特異点があり、ゲージ冗長性があり、しかも同値関係が階層的だ。だからスタックになる。さらに高次の同値(ホモトピー)が絡むので、∞-スタックになる。
ここで、物理屋が嫌いな言葉が出る。派生幾何(derived geometry)。
派生幾何とは、簡単に言えば「特異点を誤魔化さず、むしろ特異点を主役にする幾何学」だ。物理で特異点が出るのは、理論が壊れているからではなく、単に僕たちの数学が貧弱だからだ。派生幾何はそれを認める。
そして僕は思った。
もし弦理論が本当に「全ての一貫した量子重力のクラス」を記述する枠組みなら、それは場の理論の集合を分類するのではなく、量子情報を保存するような圏の分類になっているべきだ。
この時点で、もはや「ウィッテンでもわからない」どころではない。
僕たちがやるべきなのは、弦理論を「方程式」ではなく「普遍性」として定義することだ。
つまり、ある種の対称性を持ち、ある種の双対性を満たし、ある種の異常(アノマリー)が消え、ある種のエンタングルメント構造が一貫し、ある種の極限で局所的QFTに落ちる。
弦理論は「このラグランジアンだ」ではなく、「この性質を満たす唯一の構造だ」になるべきだ。
そしてもしそれが可能なら、弦理論は物理学ではなく数学の定理になる。
エレガントさは、しばしば真理の匂いがする。
ただし、エレガントな嘘も存在する。
昼前、ルームメイトがキッチンに現れて、僕のノートを見て言った。
「それって、結局何の役に立つの?」
僕は3秒考えた。
「役に立つかどうかで真理を測るのは、知性の敗北だ」
ルームメイトは「また始まった」という顔をした。
彼の表情は、物理学的には熱的死に近い。
隣人がその場に来て、僕のノートを覗き込み、「ねえ、それって、宇宙がゲームのコードってこと?」と聞いた。
驚くべきことに、これはそこそこ正しい。
僕は言った。
「コードというより、型システムだ。宇宙は型安全で、コンパイルエラーを許さない」
隣人は「わぁ、なにそれ怖い」と言って笑った。
怖いのは君の直観の鋭さだ。
僕は、カードゲームにおける勝利条件が「期待値の最大化」であることを理解している。だが多くのプレイヤーは、カードを引いた瞬間の快楽に支配される。つまり、彼らは確率論ではなくドーパミンでプレイしている。
僕は違う。
初手の分布、マリガン戦略、マナカーブ、そして相手の除去の確率。
彼は黙った。
正しい反応だ。
レイドは相変わらず「人間の反射神経と協調性の限界」を測る実験場だ。
友人Aが「なんでそんな言い方しかできないの?」と言った。
僕は「僕は宇宙をそのまま見ているだけだ」と答えた。
友人Bは「それ厨二病じゃない?」と言った。
僕は言った。
「厨二病とは、根拠のない誇大妄想のことだ。僕には根拠がある。だから違う」
友人Bは「最悪だ」と言った。
誉め言葉だ。
なぜなら、超人的存在が倫理を語る時点で、その倫理は破綻するからだ。
ただの趣味だ。
それでも僕は読む。
夜。
今日までの進捗はここまで。
そして、これからやろうとしていること。
今夜は、僕の仮説をもう一段階押し進める。
つまり「時空の創発」を、単なるエンタングルメントの量的増大ではなく、エンタングルメント構造の位相的相転移として記述できないか考える。
もしエンタングルメントがグラフだとすれば、空間とはそのグラフのスペクトル構造に対応する。
そして位相相転移が起きれば、スペクトルが変わり、幾何が変わる。
この視点なら、初期宇宙のインフレーションも「幾何の急激な生成」として理解できる可能性がある。
インフレーション場などいらない。
問題は、そのメカニズムを「弦理論の言語」で書くと地獄になることだ。
ワールドシートのCFT、モジュライ空間、非摂動効果、Dインスタントン。
それら全てが絡んでくる。
絡みすぎて、もはや紐ではなく毛玉だ。
隣人がさっき「ピザ頼むけど食べる?」と聞いてきた。
僕は「今は宇宙の生成を考えている」と言った。
その通りだ。
人類文明の最高到達点は、宇宙論ではなく宅配システムなのかもしれない。
ルームメイトは「じゃあ僕の分も頼んでいい?」と言った。
僕は返信した。
「明日は宇宙の位相相転移を解く予定だ。だが君たちの全滅回数も宇宙の熱的ゆらぎとして扱えるなら参加する」
友人Bは「それ言い訳だろ」と返してきた。
違う。
僕は真理に忠実なだけだ。
「時空は多様体ではなく、ある∞-圏の中の情報流の安定構造である」
しかし、少なくとも矛盾なく定式化することはできるかもしれない。
宇宙が一貫性を持って存在している以上、どこかにその形式がある。
僕は追いかける側ではなく、先回りする側でありたい。
ピザが届く前に。
ミラノの選手との間に通信のタイムラグがあるなかでのインタビュー。
こちらからの問いかけに対してどうしても相手の返答までに空白の時間ができてしまう。
直前の元メダリストキャスターからのインタビューでは、そのキャッチボールの空白がいやでも際立っていた。
その後、安住さんにバトンタッチしてからが往年の技術力を感じる展開だった。
問いかけを投げかけるところまでは同じ。
そこで終わってしまえば相手の返答を待つまでの空白時間ができる。
安住さんまず問いかけを終えて一呼吸を置いてから、次に返答しなくてもよいような応援の言葉をかけたりしていた。
そうすると相手はちょうどその一言の後から話し始めるので見ている側が空白時間を感じることはない。
相手は自分のターンが来ていると思って話し始めていて、そこで安住さんの次の一言が聞こえてくることになるのだが、別にそれには答えなくてもよいと喋りながら判断できる内容なので返答が滞ることもなかった。
もし仮に次にかけた言葉が問いかけだった場合は、相手は返答の途中で立ち止まって次の言葉を考えてしまっただろう。
そうではない、別に返答しなくても失礼とは感じさせない安住さんの言葉選びがじつに絶妙だった。
他にやりたい体験や旅行なんかもご褒美というご褒美はやり尽くしてきた。
毎年祝ってきた
そう、ネタが切れる。
もうすることがないのだ。
溢れ出る欲はあるものの、それ本当に必要なのか、自分に見合ってるのかなのか
毎度私を悩ませる。
今年もあと2ヶ月後に控えた誕生日に何にしようか悩んでる時に母の言葉を思い出した。
「毎年、ピアスの穴を1個、開けてるんだよね。」
安物のピアスをつけては化膿していた母を見ていた私は「ふーん」と返した。
だからこそまぁこの際やってみるかとビビリの私は美容皮膚科で35歳の誕生日にピアスを開けた。
反面教師のような母にはなるまいと思っていたが
開けたところで同じになるわけでもなく
私は、多分あの言葉を聞いた日の母の年齢になった。
何をしようかまた悩む季節が来た
コンプレックスを解消することにした。
そう、二重にしようと思ったのだ。
顔はまぁコンプレックスが少しあったのと加齢でスキンケアで今後何十万とかけるのであれば
まぁポンと出せる額以内ではあったのでカウンセリングの予約をしてみた。
カウンセリングで不満があればやめればいいしな、くらいのノリ
いざまぁカウンセリングを受けたらまぁやってみるかみたいな感じになったので
説明受けてクーポン適応にもなるし、ダウンタイム少なくなる薬のオプションも付けて
実際、施術を受けて見て整形なんてやらないに越したことはないなと思いました。
母に感謝していることは酒の強さと長身と健康すぎるこの体くらいなもので
この手術をすることで健康が阻害されたらどうするっていう恐怖が襲ってきた。
看護師さんが手をポンポンしてくれてたことにどんなにバブさせていただいたか
やって後悔はしていない。
ただ、整形は理解できないと思った。
やらなくていいことはやらなくていい、どんな顔も愛されるべきだ。
みんな、ダイヤのように輝いている。
最近、Xで「脳死」とか「予後不良」といった言葉を使うと、鬼の首を取ったように「医療現場への配慮がない」「当事者の気持ちを考えろ」という高度に倫理的な方々がいる。
ところで彼らは例えば「昨日のガチャ爆死したわ」「そのミスが致命傷だったね」「この案件は炎上して修羅場だった」に対して同様に怒りを覚えるのでしょうか?
「爆死」なんて本来は爆弾で体が吹き飛んで死ぬ凄惨な死に方ですし、「致命傷」だって助からない傷を負って苦しむ状態です。「炎上」は家や建物が焼ける災害だし、「修羅場」は血みどろの戦いです。「中毒」だって薬物や毒物で苦しむ症状だし、「麻痺」も神経系の深刻な障害ですよね。彼らが激昂する「脳死」や「予後不良」と、彼らがスルーする、若しくは使用するこれらの言葉に、一体どれほどの「配慮」の差があるというのでしょうか。
もっと踏み込んで言えば、 「特攻」「玉砕」「戦犯」「前線」「撤退」「殲滅」といった戦争用語も、何食わぬ顔でビジネスや日常の文脈に転用されています。「特攻」なんて文字通り命を捨てて敵に突っ込む悲劇的な作戦ですし、「戦犯」は戦争犯罪人、「殲滅」は皆殺しです。
ここで私が言いたいのは「自分らも不謹慎だから黙れ」という揚げ足取りではありません。
むしろ逆で、私たちが全知全能の神でない限り、想像力にはどうしても限界があるという、当たり前の事実を認めようという話をしたい。
世界には無数の苦しみや悲劇があり、私たちが何気なく発する言葉の一つひとつが、どこかの誰かにとっては耐え難い不快な響きを持っている可能性からは逃れられません。「今日はいい天気ですね」という挨拶ですら、日照りで作物が枯れて苦しんでいる農家にとっては残酷な響きになるかもしれない。今日あなたが発したその言葉は、確率的に必ず世界のどこかの誰かを傷つける。
だからこそ、たまたま自分の可視範囲に入った言葉尻だけを捕まえて、相手の人間性や倫理観まで否定して蔑むのは、あまりにも傲慢ではないでしょうか。それは正義感というよりも、自分の想像力の限界を棚に上げて、他人の想像力の限界を責め立てているだけに過ぎない。
全ての痛みを知ることなんて不可能ですし、全ての配慮を完璧にこなすことなんて土台無理な話です。「言葉ひとつで相手の全てを分かった気になる」浅はかな正義ごっこに付き合うよりも、お互いの不完全さを許し合う寛容さを持つ方が、よほど健全な倫理観なんじゃないかと思いますけどね。
性自認女のトランスジェンダーなんだけどネットミームで自認〇〇が流行ってVtuberがめっちゃ使いだして終わった
自称とかならわかるんだけど自認はさすがにキツいわ
リゼじゃないのにリゼを名乗ってる=自認リゼなのになんでこんなに使うかね
重度のアトピー性皮膚炎だった人による「人権を金で買った」という表現を問題視していない人の中には、「#ママ戦争止めてくるわ」タグを非難していた人が少なくない。
「ママ戦争止めてくるわ」が駄目で、「人権を金で買った」は許される理由が分からない。
私はどっちも駄目だと思う。
「人権」も、「戦争」も、どっちも軽々しく使ってはいけない言葉だと思うんだけど。
ちなみに私はアトピー性皮膚炎ではないけれど、命に関わる病気になって高額療養費制度に助けられた経験はあるので言う資格あると思う。
令和8年4月1日から「ブクマカネクストキャリア支援制度」というものが始まるらしい。利用歴10年以上で50歳以上が対象とのこと。はい私です。長くやってきたことがついに資格になった。おめでとうございます。
制度の趣旨は「円滑なサービス利用終了を支援する」だそうだ。終了を支援するってなかなか聞かない日本語だが、要するにそろそろいいでしょうということなんだろう。やめろとは言わない。支援するだけだ。やさしい。
支援内容もなかなかで、プロフィールに特別表示がつき、新規ブックマーク機能は停止、過去コメントはアーカイブ化されるらしい。特別表示って何だろう。長老マークか何かだろうか。新規停止はまあその、書くなということだろう。アーカイブ化はきれいな言い方で、押し入れにしまうという意味だと思う。
一応「任意参加」とある。でも参加しなくてもUIは変わることがあるらしいし、個別理由には答えないとも書いてある。任意という言葉は便利だなと思った。押してはいないが、背中には触れている感じがする。
さすがにこれはどうなんだと思って弁護士に相談した。年齢と利用歴で区分するのは問題ではないのかと聞いたら、資料を見ながら「これは雇用じゃないのでね」と言われた。利用規約の範囲内の可能性が高い、実害が立証できない、争っても難しいでしょう、と淡々と。だいたい三分で話は終わった。けんもほろろというのはこういうことかと思った。
十年以上積み上げたブックマークもコメントも、法律的には特に何でもないらしい。こちらは思い出みたいな気持ちでいたが、向こうから見ればただのログだ。ネクストキャリアというが、次に何をしろとは書いていない。ブックマークしない人生を始めることがキャリアなのかもしれない。
なんだか静かに「そろそろ」と言われた感じだけが残った。怒るほどでもないが、笑えるほどでもない。とりあえず今日はもうブックマークしないで寝る。