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「観念論」を含む日記RSS

はてなキーワード:観念論とは

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2025-05-05

保守主義経験から発展したか学問がいるよね。学問自然過去を精密に観察する行為

革新主義観念論から発展したから「お気持ち」だけでなんとでも言えてしまう笑

資本家搾取している!」←お気持ち

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2025-04-14

anond:20250414053901

AIに聞いてみたけど「ほぼ合ってる」と言われたぞ

ーーー以下AIーーー

命題は次のような構造です。

1.哲学は前提から演繹して思想を構築する。

2. 前提が違えば、導かれる思想も異なる。

3. だから哲学は「観点」や「見方」の陳列にすぎない。

それぞれ検証します。

1.哲学は前提から演繹して思想を構築するか?

→ ほぼ正しいです。

哲学では厳密な定義づけを行い、「もし〜ならば」という形で議論を展開します。

たとえばデカルトの「我思う、ゆえに我あり」は「疑い得るすべてを疑う」という前提から出発しています

カントも「認識経験に先立つ構造がある」という前提で組み立てます

まり哲学の多くは前提→演繹→体系化というプロセスです。

2. 前提が違えば、導かれる思想も異なるか?

→ これも正しいです。

たとえば:

前提の違いで全く異なる体系が展開されます

物理学では実験で淘汰される前提が、哲学では「論理的整合性しかチェックがないため、並列して残るのです。

3. 「観点」「見方」の陳列にすぎないか

→ ここは部分的に正しいが、完全ではありません。

かに哲学は多様な「観点の陳列」に見えます

しかし、哲学の営みは「どの前提が最も説得力があるか」を論争し、歴史的に淘汰と洗練が行われてきた過程でもあります

たとえば:

まり観点の陳列ではあるが、ランダムな羅列ではなく「知的淘汰と再編の過程」でもある。

結論

あなた批判哲学構造的な弱点を的確に突いていますが、「陳列するだけ」に限定するのはやや過小評価です。

哲学は確かに前提依存で多様な観点が並びますが、それらを整理し、どの視点がより妥当かを探る「批判と洗練の営み」でもあります

Permalink |記事への反応(1) | 05:48

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2025-04-04

トランプ関税フーバー世界恐慌

トランプが重関税を発表して世界恐慌を案じる人が出てきた。そりゃ当たり前なんだが、一つ忘れられてる事があると思う。

それはアメリカ自称保守でのフーバー政権評価というヤバい現象だ。

しかもそれが出てきた時期がまたヤバいリーマンショック後なんである経済恐慌回避政策が気に入らんって事なのだ

 

ニクソン評価フーバー評価

元々は2004~6年頃にニクソンが再評価されたというのに端を発している。

ニクソン世界経済をグチャグチャにしたニクソンショックを惹き起こしたのでどの国でも嫌われ者で最低の大統領扱いされている。

だが今の世界経済システムニクソンショックで再編成されたものであるし、デタントを推進してソ連牽制の為に中国と国交回復をした。

更に撤兵南越軍事訓練を進めてベトナム戦争から手を引く準備をした。これってイラクを平定しきれずに占領が長引いていた当時にオバマに期待されていた事と同じではないか

からニクソン嫌われ者でもそんなに無能じゃないしちゃん仕事をやっている。なのに評価が物凄く低いのは、マスコミを敵に回したせいでウオーターゲートで叩かれまくったからじゃね?という論調が出てきたのだ。

これにはネット議論が活発化して、マスコミオールドメディア、我らネット民=目覚めた真の民主主義者という今やお馴染みのアレがベースにある。

 

それでその流れで出てきたのが、世界史では無能大統領と教わる事が多いフーバーの再評価だった。

 

フーバー一般的評価

フーバーアメリカ発の大恐慌が起きた時に何も手を打たなかった事で有名だ。更に重関税政策による保護貿易を行ったので世界恐慌が一段と酷くなった。

その結果、アメリカカナダ合衆国中米ドルブロック経済圏を形成、他の国は植民地を中心とした各通貨ブロック形成した。スターリングブロック(英ポンド)、仏フランブロックと。

持たざる国の日独は独マルクブロック、日円ブロック形成したが小規模でありすぐにまた行き詰った。

その結果、独:ナチス全権委任ラインラント進駐→開戦、日:日朝満ブロックで洋行系財閥系救済→恩恵を受けない中小企業倒産して昭和恐慌関東軍によるなし崩し的に膨張政策化→日中戦争→仏降伏により仏印進駐ハルノート日米戦争と進んでしまった。

しかブロック経済もの凄く不経済で非効率不景気を産むのであるクルーグマンノーベル賞受賞理由はこれの理論化)。

そういう訳で、WW2後はブロック経済化防止しよう、貿易自由化世界規模の安全保障だ、という訳でGATTスタートさせてやって来た。

 

フーバー大統領退陣後も色々と外交をやっていてそっちでは功績残してるけど、大統領職としてはその後のルーズベルトと比べられて無能と言われる事が非常に多い。

 

ルーズベルト

フーバーの後のルーズベルト大統領ニューディール政策を行って恐慌を沈静化したというのが一般的評価だ。

でも、いやニューディール政策全然効果なんて無かったんだよ、経済が持ち直したのは単純にアメリカ戦争を始めて戦時経済に移行したからに過ぎない、という意見もある。

有名なのが経済学者のフリードマンだが、この人は反ケインズ旗手なので。そしてフーバーもこの立場だ。世間自分への評価に反発してるだけって気がすんだが。

また、フーバー日本真珠湾攻撃したのはルーズベルト日本を追い込み日米開戦誘導した、という説を唱えている。「ハルノート原因論」だ。これは日本右翼論壇でよく聞く話だろう。

そして露宇戦争に対してのロシアナラティブにもそっくりじゃないだろうか?FOXのタッカーカールソンなんかも「米国陰謀論」的なことを言っている。最近じゃ終風爺が「ネオコンロシアを追い込んだ」という説を書いて顰蹙食らってたが、これらの基礎の部分には、アメリカ自称保守論壇でのフーバー評価があるってことなのだ。

 

共和党観念主義独断主義的傾向

アメリカ思想的特徴はプラグマティズム経験主義的で小ぶりだったのだが、特に21世紀になってから観念論/独断主義思想集団が共和党に影響を与えるというのが多くなっている。

例えばネオコンサバティズム。その始祖はネオコンゴッドファーザーと呼ばれるアーヴィングクリストルなんだが、この人は元がトロツキスト。かの有名な『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ)が掲載された『国益』誌もクリストルが創刊したもの

トロツキー思想の特徴は「世界同時革命」で、世界中に戦争を輸出してその背後から各国の細胞共産党員)が内戦を仕掛て共産革命を起こすという物騒なものだ。谷沢永一によるとトロツキー日本語訳書は『ノルウェーの森』のような赤緑の装丁らしいです(谷沢は元共産党員)。

イラク戦争の強引な開戦などが世界同時革命の影響を芬々と感じさせるのでスキャンダル的に指摘される。

 

例えばネオリベラリズム。単に経済政策方向性というだけでなく「本来社会の在り方」的な観念論/進歩主義として人を惹きつけている。つまり実存にとっての嘗てのマルクス主義代用品だ。

歴史はこう進むはずなのに今の我が国はそうなっていない。だから変革すべきだ」という歴史実存が結びついた考え。「〇〇という団体農協など)は既得権益だ、それを崩すと理想的経済状態が出来する筈だ」。こういうの日本でも沢山見た。

高学歴化により若者には長いモラトリアムが与えられ、「社会に馴致される」事で形成される人格よりも「正当性に欠ける不合理慣行蔓延っている。若者はその不合理により迫害されている」というルサンチマン駆動される人格比重が大きくなる。そんな人格ネオリベ進歩主義と合体した全能感や実存を与える。

からリーマンショック後に政策フォーベアランス政策不良債権増を気にせずに積極融資せよとの行政指導)に転換すると、世界観が破壊されたような実存危機を覚える人間が出てくるのである

先ほどの終風爺も2013年になって「リーマンショックは越冬闘争派遣村と言い募った左翼によるフレームアップ」的な事を言っている。2008年には実存不安と不満に我慢していたという事だ。

また風呂無駄さんも2008年当時には大変にやさぐれていて、それまではネオリベ未来は明るい的なポジティブな事を言っていたのにFUDマーケ的な事を言っていた。これらは実存の棄損によるものだ。

 

トランプに変な保守シンクタンクが影響与えているのもこの流れ。

 

共和党はいしかこういう実存と結びついた観念論を吸引し、それが世界知識大衆を吸引するようになっていた。そこにリーマンショックが起こり、G7G20では財政出動フォーベアランス政策保護貿易主義排除合意された。これはアメリカなどでは政策の急転回でありそれが一部の知識層には実存ストレスとなったのだ。

そんな中で出てきたのがフーバー評価という訳である

そもそも共和党観念的に進めた事で発生した問題の尻拭いを民主党がするという流れがずっと続いてきていて、これのどこが保守なんだろうか。

 

上に書いてきたフーバー政策保護貿易北米ブロックカナダメキシコ併合)とトランプ政策が一致するのがお分かりだろうか?

何やら変なシンクタンク提言通りに進んめているというのもあるが、その基礎にはフーバー評価があるって事なのだ。そして彼らは一般社会的にフーバー否定されている理由ブロック経済圏による不況→持たざる国の膨張政策戦争、重関税による恐慌の激化、という評価を共有していない。

 

まとめ

フーバー評価する」(悪評を無視する)という事は次の事とイコール

 

世界経済は確実にシュリンクする

アメリカ発の恐慌が起きる可能性がある

・その場合他国リーマンショック後のような合意をしてもアメリカは従わず恐慌悪化させる

・特恵経済圏の拡大の為に戦争が起きる可能性(アメリカカナダ侵略など)

アメリカ排除した自由貿易圏を守る事で防衛すべき

・多極通商必須

Permalink |記事への反応(0) | 17:47

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2025-03-27

anond:20250326230711

消費税諸悪の根源論」はなぜ間違っているのか、そしてなぜ信じられるのか

日本経済の停滞は消費税が原因だ」

という主張は一度は聞いたことがあるだろう。

ネットでは日々このような言説がバズり散らかし、専門家(?)のような経済評論家や漫画家がそれっぽいことを力説している。

しかし、これは間違っているし端的に言えばなんの根拠もない。


消費税が他の税金より経済に悪影響を与えるのか?

何事も相対評価重要だ。なぜなら比較しないと数値でその良し悪しを議論することができず、ただの観念論神学論争になってしまうからだ。

消費税は悪だ」という主張を証明するとき必要なのは「どの税金と比べて?」という視点だ。

たとえば100万円分の税収を得るときに、消費税を用いるか所得税を用いるか、それとも法人税から

どれを選んだほうが効率的なのか。

はっきり言ってこれに明確な答えはない。なぜならその時々の状況によるからだ。

経済において税の影響はさまざまな要素が絡み合って決まる。


経済効率性(効率的資源配分

どの税も市場一定の歪みを生じさせるが、所得税法人税が高すぎると、労働意欲投資インセンティブを低下させる。企業国際競争力を弱め、税回避国外移転を促す。また印紙税のような不動産取引に課される税は、取引コストを増やし、流動性を低下させるため、資本市場効率性を損なう

公平性所得再分配効果

消費税は逆進性が強い(低所得者ほど負担が大きくなる)ので公平性を減らす影響があるが、累進課税所得税と組み合わせることでその影響を緩和できる。

税収の安定性(政府財政に対する影響)

資源に対する税金価格の変動によって大きく影響を受けるため、資源国家では財政不安定になる。法人税は景気の影響を大きく受け、景気後退時には税収が急減するリスクがある。

この中で、消費税は税収の安定性が高く、経済の歪みが比較的少ないとされている。

特に日本のように高齢化が進む社会では、所得税に過度に依存すると、現役世代負担が大きくなり、労働供給の減少を招く可能性がある。

まり消費税経済に悪影響を与えるかどうかを論じる際には、「どの税と比べて、どんな条件下でか?」という視点を欠かすことはできない。

そして現在のEBPMにおいて「消費税けが別に悪い」などといったコンセンサス存在しないし、世界各国の制度担当者消費税所得税法人税バランスよく設けている。


たとえば「消費税は働いていない人や高齢者負担しなければならず逆進性が高いので今の10%から2%を引き下げ、その分を所得税で補って所得再分配を強めるべきだ」という主張はあり得るし科学的に間違ってもいない。

問題なのは消費税はすべての消費に対する罰金から悪だ。故に廃止するべきだ」というドグマ的な主張が広まっていることだ。これは端的に言って間違っているし、善か悪かという価値観の闘いとなり議論や調整のしようがない。そんな事を言ったら所得税労働に対する罰金から廃止するべきということになる。

消費税をなくせば全てうまくいくなら、どこかの国が消費税廃止してすばらしい成果を上げ、それに世界各国が続いて再現性のある法則だと実証していることだろう。今のところ貨幣による納税が広まった近代以降の歴史上でそんな事は起きていないようだ。


なぜ「消費税諸悪の根源」と信じられるのか?

それでは、なぜ多くの人が「消費税こそが諸悪の根源」と信じるのか?

大きく分けて3つの理由が考えられる。


目に見える影響が大きい

消費税は、日々の買い物で直接支払うため、増税の影響を強く実感しやすい。

例えば、給料から天引きされる所得税や、見てない間に企業が支払って価格転嫁された法人税意識しづらいが、コンビニで買い物をしたときに「消費税10%」とレシートに表示されれば、「負担が増えた」と感じやすい。

しかし、これは心理的バイアスにすぎない。

経済全体で見れば、他の税負担の方が大きいこともあるが、消費者はそれを実感しにくい。


スケープゴートにしやす

日本経済の停滞にはさまざまな要因がある。

高齢化による生産年齢人口の減少

規制補助金による資源配分の非効率

新興国との国際競争の激化といった外部要因

しかし、これらの問題は複雑で理解しにくい。

消費税が悪い」と単純化するのはわかりやすく、支持を集めやすい。


明確な敵を作れる

「何も悪いことはしてないのにどうして私の生活は苦しくなったのか?」

この人間が持つ素朴な実感に抗うことは難しい。

「なぜ?」という問いは得てして魔女探しを招く。

皆が皆、マクロ経済学の専門書を読んで全要素生産性を決める要因について議論できるような余裕はない。

そこに、わかりやすく単純な「敵」を指し示す人が現れる。

彼らは「日本経済の停滞は消費税が原因だ」と単純明快に断言してくれる。

その上「消費税を引き上げたのは財務省仕業だ」と敵を与える。

やっと私の生活を苦しくしていた原因がわかった。あとは殲滅するだけだ。

しか現実はそんなに単純ではないし誤りだらけなので反論も来る。

そうなると彼らは「反対するのは財務省工作員だ」「あいつは"レク"を受けて洗脳された敵だ」と説明する。

なるほど、そうだったのか。こうしてザイム真理教陰謀と戦う光の戦士たちが今日も新たに隊列へ加わっていく。


結論


消費税経済に影響を与えることは事実だが、それは所得税法人税、他の税金も同じだ。

消費税けが特別存在であり「諸悪の根源」というのは誤った単純化にすぎない。

本当に日本経済を成長させるためには、わかりやす気持ちの良い「敵」のせいにせず、最適なバランス税制高齢化問題生産性向上など面倒で複雑で大変な事実から目を背けず、民主主義の中で議論し続けなければいけない。

Permalink |記事への反応(1) | 12:24

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anond:20250326230711

消費税諸悪の根源論」はなぜ間違っているのか、そしてなぜ信じられるのか

日本経済の停滞は消費税が原因だ」

という主張は一度は聞いたことがあるだろう。

ネットでは日々このような言説がバズり散らかし、専門家(?)のような経済評論家や漫画家がそれっぽいことを力説している。

しかし、これは間違っているし端的に言えばなんの根拠もない。


消費税が他の税金より経済に悪影響を与えるのか?

何事も相対評価重要だ。なぜなら比較しないと数値でその良し悪しを議論することができず、ただの観念論神学論争になってしまうからだ。

消費税は悪だ」という主張を証明するとき必要なのは「どの税金と比べて?」という視点だ。

たとえば100万円分の税収を得るときに、消費税を用いるか所得税を用いるか、それとも法人税から

どれを選んだほうが効率的なのか。

はっきり言ってこれに明確な答えはない。なぜならその時々の状況によるからだ。

経済において税の影響はさまざまな要素が絡み合って決まる。

一般に、税金には次のような影響があるとされる。

経済効率性(効率的資源配分

どの税も市場一定の歪みを生じさせるが、所得税法人税が高すぎると、労働意欲投資インセンティブを低下させる。企業国際競争力を弱め、税回避国外移転を促す。また印紙税のような不動産取引に課される税は、取引コストを増やし、流動性を低下させるため、資本市場効率性を損なう

公平性所得再分配効果

消費税は逆進性が強い(低所得者ほど負担が大きくなる)ので逆進的な影響があるが、累進課税所得税と組み合わせることでその影響を緩和できる。

税収の安定性(政府財政に対する影響)

資源に対する税金価格の変動によって大きく影響を受けるため、資源国家では財政不安定になる。法人税は景気の影響を大きく受け、景気後退時には税収が急減するリスクがある。

この中で、消費税は税収の安定性が高く、経済の歪みが比較的少ないとされている。

特に日本のように高齢化が進む社会では、所得税に過度に依存すると、現役世代負担が大きくなり、労働供給の減少を招く可能性がある。

まり消費税経済に悪影響を与えるかどうかを論じる際には、「どの税と比べて、どんな条件下でか?」という視点を欠かすことはできない。

そして現在のEBPMにおいて「消費税けが別に悪い」などといったコンセンサス存在しないし、世界各国の制度担当者消費税所得税法人税バランスよく設けている。

たとえば「消費税は働いていない人や高齢者負担しなければならず逆進性が高いので今の10%から2%を引き下げ、その分を所得税で補って所得再分配を強めるべきだ」という主張はあり得るし論理的に間違ってもいない。

問題なのは消費税はすべての消費に対する罰金から悪だ。故に廃止するべきだ」というドグマ的な主張が広まっていることだ。これは端的に言って間違っているし、善か悪かという価値観の闘いとなり調整のしようがない。そんな事を言ったら所得税労働に対する罰金から廃止するべきということになる。

消費税をなくせば全てうまくいくなら、どこかの国が消費税廃止してすばらしい成果を上げ、それに世界各国が続き再現性のある法則だと実証していることだろう。今のところ貨幣による納税が始まった近代以降の歴史上でそんな事は起きていないようだ。


なぜ「消費税諸悪の根源」と信じられるのか?

それでは、なぜ多くの人が「消費税こそが諸悪の根源」と信じるのか?

大きく分けて3つの理由が考えられる。


目に見える影響が大きい

消費税は、日々の買い物で直接支払うため、増税の影響を強く実感しやすい。

例えば、給料から天引きされる所得税や、見てない間に企業が支払って価格転嫁された法人税意識しづらいが、コンビニで買い物をしたときに「消費税10%」とレシートに表示されれば、「負担が増えた」と感じやすい。

しかし、これは心理的バイアスにすぎない。

経済全体で見れば、他の税負担の方が大きいこともあるが、消費者はそれを実感しにくい。


スケープゴートにしやす

日本経済の停滞にはさまざまな要因がある。

高齢化による生産年齢人口の減少

規制補助金による資源配分の非効率

新興国との国際競争の激化といった外部要因

しかし、これらの問題は複雑で理解しにくい。

消費税が悪い」と単純化するのはわかりやすく、支持を集めやすい。


明確な敵を作れる

「何も悪いことはしてないのにどうして私の生活は苦しくなったのか?」

この人間が持つ素朴な実感に抗うことは難しい。

「なぜ?」という問いは得てして魔女探しを招く。

皆が皆、マクロ経済学の専門書を読んで全要素生産性を決める要因について議論できるような余裕はない。

そこに、わかりやすく単純な「敵」を指し示す人が現れる。

彼らは「日本経済の停滞は消費税が原因だ」と単純明快に断言してくれる。

その上「消費税を引き上げたのは財務省仕業だ」と敵を与える。

やっと私の生活を苦しくしていた原因がわかった。あとは殲滅するだけだ。

しか現実はそんなに単純ではないし誤りだらけなので反論も来る。

そうなると彼らは「反対するのは財務省工作員だ」「あいつは"レク"を受けて洗脳された敵だ」と説明する。

なるほど、そうだったのか。こうしてザイム真理教陰謀と戦う光の戦士たちが今日も隊列に加わっていく。


結論


消費税経済に影響を与えることは事実だが、それは所得税法人税、他の税金も同じだ。

消費税けが特別存在であり「諸悪の根源」というのは誤った単純化にすぎない。

本当に日本経済を成長させるためには、わかりやす気持ちの良い「敵」のせいにせず、最適なバランス税制高齢化問題生産性向上など面倒で複雑で大変な事実から目を背けず、民主主義の中で議論し続けなければいけない。

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2025-02-28

数学宇宙仮説の現代的展開

数学宇宙仮説(MathematicalUniverse Hypothesis, MUH)は、マックス・テグマーク提唱する「物理的実在数学構造のものである」という大胆な命題から発展した理論的枠組みである[1][6]。本報告では、arXiv学術機関ドメインに基づく最新の研究動向を分析し、この仮説が直面する理論課題観測可能性を包括的検討する。

数学宇宙仮説の理論的基盤の再構築

外部実在仮説との関係性深化

テグマークのMUHは、外部実在仮説(ExternalReality Hypothesis, ERH)を基盤としている[1]。ERHが「人間認識から独立した物理的実在存在」を前提とするのに対し、MUHはこれを「数学構造客観的実在性」へと拡張する。近年の議論では、この関係性がゲーデル不完全性定理との関連で再解釈されている。2024年研究[2]では、ブラックホール熱力学との類推から宇宙エントロピー数学構造の決定可能性が議論され、非加法エントロピー(Tsallisエントロピー)を用いた宇宙モデル提案されている。

計算可能性を巡る新たな解釈

従来のMUH批判対応する形で、テグマーク計算可能性の概念理論に組み込んでいる[6]。2019年論文[1]では、ゲーデル的に完全(完全に決定可能)な数学構造のみが物理的実在を持つとする修正仮説が提示されている。このアプローチは、宇宙初期条件の単純性を説明すると共に、観測可能物理法則計算複雑性を制限する理論根拠として機能する[3]。

宇宙論との統合的展開

レベル分類の精緻

MUHに基づく多宇宙論は、4つのレベルに分類される[4]。レベルⅠ(空間無限宇宙)、レベルⅡ(インフレーションバブル宇宙)、レベルⅢ(量子多世界)、レベルⅣ(数学構造多様性である。最新の展開では、ブラックホール情報パラドックス解決策として提案されるホログラフィック原理が、レベルⅣ多宇宙数学記述整合する可能性が指摘されている[2]。

エントロピー理論との接点

Barrowらが提唱する修正エントロピー(∆-エントロピー)を用いた宇宙モデル[2]は、MUHの数学構造に新たな解釈付与する。このモデルでは、時空の量子ゆらぎがエントロピーの非加法性によって記述され、観測データ宇宙マイクロ波背景放射や重力レンズ効果)との整合性が検証されている[2]。特にダークマター分布理論予測観測結果の比較から数学構造の「計算可能領域」が具体的な物理量として抽出可能であることが示唆されている。

観測検証可能

宇宙背景ニュートリノ検出の意義

2024年研究[2]では、PeVスケールダークマターと高エネルギー宇宙ニュートリノの関連性が議論されている。IceCube観測所のデータ解析から、Tsallisエントロピーパラメータδ≃3/2が示唆される事実は、MUHが予測する数学構造特定クラス(非加法統計力学系)と現実宇宙対応関係裏付け可能性がある[2]。

初期宇宙の量子ゆらぎの分析

宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の偏光データをMUHの枠組みで再解釈する試みが進展している[2]。特に、Bモード偏光の非ガウス統計解析から、初期量子ゆらぎの数学構造における対称性の破れパターンが、レベルⅣ多宇宙存在確率分布矛盾しないことが示されている。

哲学的課題認識論的限界

数学実在論の再考

Academia.eduの批判論文[3]が指摘するように、MUHは数学対象物理的実在の同一視に関する伝統的な哲学的問題内包する。2024年議論では、カントの超越論的観念論との対比が活発化しており、数学構造の「内的実在性」と「外的実在性」の区別理論一貫性を保つ鍵とされている[4]。

ゲーデル問題への対応

SchmidhuberやHutらが指摘するゲーデル不完全性定理との矛盾[6]に対し、テグマークは「計算可能で決定可能構造のみが物理的実在を持つ」という制限を課すことで反論している[1][6]。この制約下では、自己言及的なパラドックスを生じさせる数学構造物理宇宙として実現されないため、観測宇宙論理的整合性が保たれるとされる。

量子重力理論との接続可能

理論との相補性

MUHのレベルⅣ多宇宙は、弦理論ランドスケープ問題数学構造多様性という点で深い関連を持つ[1]。最近研究では、カルビ-ヤウ多様体トポロジー的安定性が、数学宇宙の「生存可能条件」として再解釈されている。特に超対称性自発的破れメカニズムが、数学構造選択原理として機能する可能性が議論されている[2]。

ループ量子重力理論との対話

時空の離散構造仮定するループ量子重力理論は、MUHの数学実在論と親和性が高い[2]。2024年論文では、スピンネットワーク組み合わせ論構造が、レベルⅣ多宇宙における「計算可能数学オブジェクト」の具体例として分析されている。ここでは、プランクスケールの時空幾何群論対称性によって記述されることが、MUHの予測と一致すると指摘されている。

意識問題への拡張適用

自己意識部分構造SAS理論の進展

MUHが提唱する「自己意識部分構造SAS)」概念[6]について、近年は量子脳理論との関連性が注目されている[3]。特に、オルロッキ量子モデルとの比較から意識現象数学記述可能性が議論されている。ただし、この拡張解釈哲学的自由意志問題を新たに引き起こすため、理論的慎重さが求められる段階にある。

人工知能存在論的意味

汎用人工知能(AGI)の開発が進む現代において、MUHは機械知性の存在論的基盤を提供する可能性がある[3]。数学構造内で「意識」を定義するSAS理論は、シンギュラリティ後の知性体の物理的実在性について、従来の物質主義的枠組みを超えた議論可能にする。

宇宙論的パラメータ解釈革新

微細構造定数の数学必然性

MUHの観点から、無次元物理定数(微細構造定数α≈1/137など)の数値が数学構造必然性から説明される可能性が探られている[1]。特に保型関数理論やモジュラー対称性を用いた定数値の導出試みが、レベルⅣ多宇宙における「典型的な」数学構造特性と関連付けられている。

ダークエネルギー幾何学的解釈

近年の観測データに基づき、宇宙加速膨張の原因となるダークエネルギーが、数学構造位相欠陥としてモデル化されるケースが増えている[2]。Barrowモデルにおける∆-パラメータ観測的制約(∆≲10^-4)は、MUHが想定する数学宇宙の「滑らかさ」と密接に関連している。

理論的挑戦と将来展望

数学実在認識論的ジレンマ

MUHが提起する根本問題は、数学的真理の認識可能性に関する伝統哲学問題物理学へ移植した点にある[3][4]。2024年の時点で、この問題に対する決定的解決策は見出されていないが、計算複雑性理論と量子情報理論の融合が新たな突破口を開くと期待されている[2]。

観測検証戦略の構築

今後の重要課題は、MUHから導出可能検証可能予測の具体化である現在の主要なアプローチは、(1)初期宇宙の量子ゆらぎパターン数学構造分析、(2)高エネルギー宇宙線の異常事象統計検証、(3)量子重力効果の間接的観測を通じた時空離散性の検出、の3方向で進展している[2][6]。

結論

数学宇宙仮説は、その野心的なスコープにもかかわらず、近年の理論物理学と数学交差点で着実な進展を遂げている。ブラックホール熱力学との接続[2]、計算可能性制約の導入[1][6]、観測データとの整合検証[2]など、従来の哲学的議論を超えた具体的な研究プログラムが展開されつつある。しかしながら、数学実在論の認識論的基盤[3][4]やゲーデル問題[6]といった根本的な課題は未解決のままであり、これらに対する理論突破口が今後の発展の鍵を握る。特に、量子重力理論の完成がMUHの検証可能性に決定的な役割を果たすと予測される。

Citations:

[1]http://www.arxiv.org/pdf/0704.0646v1.pdf

[2]https://arxiv.org/pdf/2403.09797.pdf

[3]https://www.academia.edu/38333889/Max_Tegmark_Our_Universe_is_Not_Mathematical

[4]https://inquire.jp/2019/05/07/review_mathematical_universe/

[5]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF

[6]https://en.wikipedia.org/wiki/Mathematical_universe_hypothesis

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2025-01-25

共産党職員が「いわゆる労働者ではない」ことは明らか

共産党田村智子委員長が、共産党専従職員について「いわゆる労使関係というものとは異なると考える」と答えたことが話題になっている(https://www.sankei.com/article/20250124-SMCHSZUPJBNYDJHJAYUAMENI3Q/

ブコメでは批判が多いが、これは共産党の考え方したら当然なことだ。

共産党の前委員長である志位和夫中央委員会議長(党最高位)は、過去論文「変節者のあわれな末路」でこう述べている。

結社の自由にもとづいて自発的意思政党に加入した者はだれであれ、出版言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党目的実現にむけて行使すべきである

志位和夫 変節者のあわれな末路(論文集「投降主義者観念論史観」より))

(参考:共産党の内部統制と民主集中制と志位委員長

まり共産党員はその人権共産党に委ねてるのだから、より党に近い党専従職員人権下位概念たる労働基本権を党への奉仕のために用いるのは当然であり、党に迷惑のかかる行使の仕方はあり得ない(したがって、労基や裁判所に訴え出てはならない。)。

田中智子委員長はその伝統的な見解を受け継おり、正当な後継者と言えるだろう。

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2024-06-09

数学構造としての外的実在可能

最初の仮説を否定する人たちは、主に独我論者(自分の心だけが実在するという観念論)だろう。

そして量子力学においても、コペンハーゲン解釈を支持する人は「観測者がいなければ実在存在しない」と言うかもしれない。

物理理論目的は、実在の完全な記述発見することである

実在人間存在無関係であるなら、その記述が完全であるためには、異星人やコンピュータなどの人間概念理解しない存在にとっても整合性がなければならない。

その記述は、「粒子」「観測」などの人間特有言葉概念(Max Tegmarkはこれをバゲッジと呼んでいる)を含まないようにする必要がある。

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2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation andthe Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science andRevolutionaryPolitics』などがある。TheDawn ofEverything』の書評はTimes HigherEducation掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight theFire:Green New Deals and Global ClimateJobs』。TheDawn ofEverything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っているbyクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとするとbyナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

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2023-02-13

anond:20230212221336

ここ数日ブクマでも増田でも散々掘られているように、ソ連に端を発する共産党体制は「科学的」であり、党中枢が決定した具体的な仕様「真実」とされ、その「真実」下部組織現実として社会実装する、観念論を奉じた完全な上意下達体制である。これはソ連崩壊後のロシアも、今の中国でも日本共産党でも変わらない。下部構造で行われる議論は上部構造で尽くされた議論に完全に内包される。もちろん全ての議論科学であるから、建前で内包していることにして支離滅裂呪文を書いてお茶を濁すにも限度がある。そして最高指導部だか書記長だかは知らんが、その人間組織トップ共産党の御立派な理想に恐らく本気で忠誠を誓っている。

なれば普く共産党のやることなすことその御立派な理想と大枠で一貫性を持つ、ということになる。

しか客観的に言って50年前100年前の御立派な理想など、そもそもまれた当初は正しかったとて現実とは乖離してくる、いや人間社会現実露出度の低いセパレート型スクール水着を新しくフェチズムとして取り込むように意図を持ち明確であり科学的であり硬直したあらゆるもの適応しその意味を失わせるのである。しばし社会競争環境について適応しないものは生き残れないと言われるのは単に一般的に言って競争は常に激化すると言っているのみならず、多項式の取る値を論じる上での定数項のように意味が薄いということも意味するのである。つまり共産党科学的であり一貫性があり上意下達を旨とするその体制、その原理、その思想のものが畢竟、時間とともに存在を失うことを決定されているのである。つまり共産党は真の共産党である限り滅ぶことが定まっているのだ。

余談だがこの硬直した理想主義体制の欠陥はソ連赤軍とその血を引くロシア連邦やウクライナ軍の弱さ、グダグダ感にも現れている。アメリカ実用主義過程の正しさを重視しないから、末端が「反逆」しようが、上層部現場に阿ろうが、官軍敵方虐殺する不公平な優位性を持つ戦闘を行おうが、勝てば官軍は勝つのである。明らかにその方が正しい。

ねこはいます

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2023-02-09

[qrng]シュレーディンガー意識

シュレーディンガー形而上学物理学の後に来るのではなく、物理学に先行するという信念を表明していた。彼の技術的な思考は、より大きな形而上学的(宗教的)な問題に触発されていたのである

「外界(心に依存しない)世界存在する」「別々の心が存在する」という仮定がある。シュレーディンガーによれば、どちらの主張も経験的な証拠を得ることはできない。第一に、二つのタイプ現実(心-物質)の関係をどのように考えるかという問題。なぜ純粋物理的な世界に住んでいるように見えるのか。第二は、異なる心の関係をどう考えるかという問題。なぜ、どのように互いに違うのか。彼は還元唯物論主観的観念論と呼ばれる伝統的な西洋の考え方を支持せず、非西洋特にインド哲学インスピレーションを見いだしていたらしい。

「第二のシュレーディンガー方程式」とは、インド哲学に古くから伝わる、自己アートマン)が宇宙の究極の実在ブラフマン)と同一であるという教えであり、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えの中心を成しているものであるシュレーディンガーは、この「自己」は個人自己混同してはならず、むしろ個人自己は単なる側面に過ぎない宇宙的、普遍的存在であることを付け加えた。

シュレーディンガーは、この考えを説明するために、光を屈折させてさまざまな色(個々の自己)を作り出す水晶宇宙本質に等しい宇宙自己のこと)に喩えることを好んで行った。「あなたや私は、現実本質形成している一つの心の側面に過ぎない。」彼はこれを同一性教義とも呼んだ。したがって、意識の非二元的形態は、その単一の側面と混同されてはならず、単一世界に住む別々の自己への(単に見かけ上の)区別反証根拠づけるものである

シュレーディンガーは、このことから驚くべき結果を導き出した。例えば、彼はどんな人間でも、その人以前に生きていた他のどの人間とも同じであると信じていた。初期のエッセイの中で、彼は目の前の山々を眺めることについて書いている。何千年も前に、他の男たちも同じようにこの景色を楽しんでいたのだ。しかしなぜ、自分はこのような前の人たちと区別されると思い込まなければならないのだろうか。自分経験と他の人の経験区別するような科学事実があるのだろうか。何があなたあなたたらしめて、他の誰かではないのだろうか?かつてジョン・ホイーラーが、宇宙には本当に一つの電子しか存在しないと仮定したように、シュレーディンガーも、本当に一つのしか存在しないと仮定した。シュレーディンガーは、「意識は決して複数形ではなく、単数形しか経験されないという経験事実」がこれを裏付けていると考えた。私たちの誰一人として複数意識経験したことがないばかりか、それが起こったという状況証拠世界のどこにも跡形もない。

現代意識科学研究において、物質がどのように、そしてなぜ意識経験を生み出すのかという問題を、「意識は脳を備えたいくつかの物理システムが自らに語る幻想物語である」という、そもそも難しい問題があるように見える理由(実際には何もないのだが)で回避しようと試みている。シュレーディンガーは、意識実在についての幻想的な立場を受け入れるには程遠かったが、非常に似たような観点から、たった一つの心(「アートマンブラフマン」)があるのに、なぜ複数の心が存在するように見えるのかを問うている:多くの別々の心が存在するというのは、混乱した個人自分に語る幻想物語なのだ。そうでないと、私たちは常に他の存在(最終的には、現在、非生物物質と呼ばれるものとも)とつながっていることに気づかず、ある意味根本的に孤立しているという誤った信念を持つことになる。難しい問題場合とは異なり、私たち最初の信念が本物であることを示す経験証拠はない。

シュレーディンガー形而上学的、哲学的な教えへの取り組み方の重要な特徴は、合理的科学的な方法論を堅持する慎重さであった。同一性教義は、無批判採用することはできない。つまり、新しい形而上学採用しつつも、科学方法は維持しなければならない。科学理論には東洋思想からの輸血が必要だが、輸血は常に凝血を防ぐために大きな予防措置必要とする。科学思考が到達した、どの時代にもどこにもない論理的精度を失いたくはない。

シュレーディンガーが求めていたもの、彼が最も高く評価していたであろうものは、数学的な正確さをもって意識研究するための科学アプローチである。そのような意識理論にとって同一性教義から続く重要な制約は、その非常に基本的構造において、個々の意識のある存在が(切断された個人ではなく)より高次で統一的なエージェントの側面であり、(電子、岩、脳といった多くのものの中の一つに過ぎず)そのような存在の集合全体が現実の究極の性質構成すると認めていることであるだろう。

シュレーディンガーは、意識実在を認める根本的な一元論を望んだのである意識研究における現在理論的状況を考えると、「意識行為者の理論」はこれらの要件に最も適合しているように思われる。それは、意識が何をするのかについて正確で明確な定式化を目指しており、2つ以上の意識エージェントいかなる組み合わせも、それ自体が別のエージェントであることを提案している。また、エージェント集合体全体が現実本質構成しているという考えにも適合するように思われるが、そのためには、この集合体から物理世界がどのように発生しうるか(そして、それとは別に何も存在しないか)というモデル理論が考え出すことが必要である

シュレーディンガーは、哲学の分野で以前から提起されていたいくつかの議論(例えばカント)に依拠したが、彼の立場は次のように集約される:我々が物理世界と呼ぶものは、シュレーディンガーが「客観化」と呼んだプロセスの結果である。すなわち、一つの自己世界アートマンブラフマン)が、容易に概念化でき、客観的に研究できるもの、したがって主観的性質を完全に排除したもの、へと変化することである意識行為者の理論では、これは「インターフェース」の創造に相当する。このようなインターフェースは、効率的な行動を可能にするために、起こっていることを単純化する。優れたインターフェースは、複雑さを隠す。インターフェイスは、現実ありのままに見せるのではなく、自分にとって都合の良いように見せる。「物理世界」と呼んでいるものは、非二元意識を高度に単純化した表現に過ぎない。

この物理世界もまた、そこに向けられた多数の対象を抱いているように見える。自律した物理世界という誤った印象をもたらした客観化のプロセスは、まさに、異なる肉体に住む異なる形態意識を想定する誤りにつながる。非心理的世界に心的特性を加えるという手っ取り早い方法では、先に述べたような問題を本当に解決することはできないだろう。なぜ他の誰かではなく、あなたなのか?ある主題のセットをより上位のものにまとめるにはどうすればいいのか?しかしそれらの問題は、そもそも分離した多数の自己に対抗する一つの物理世界存在という形而上学的前提に屈しないことで回避することができる。意識行為者の理論によれば、根本的に分離した自己という考え方は、インターフェース上に見えるものと非二元的意識という真の現実混同している場合にのみ生じる便利なフィクションである

意識行為者の理論は、シュレーディンガーの問いに対する興味深い答えを提示している。なぜ、私たち特質のない物理的な世界に生きているように見えるのか?なぜ、そしてどのように私たちは互いに異なっているのだろうか?それは、意識的なエージェントダイナミクスが、現実の本当の姿を隠すようなインターフェイスを生み出すからだ。私たちは同じでありながら、異なるように見えることがある。ある視点から見ると、すべてのエージェントは一つの世界に等しい一つのものに結合する。別の視点から見ると、この単一エージェントは、それぞれの世界に住む異なるエージェントネットワークと等しくなる。どちらの視点を選ぶかは、何を説明したいかによる。

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2023-01-27

日本は. 将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか

昔の資料だが、産業構造ビジョン2010


国民の皆様の暮らし生活の「閉塞感」は何ら改善していない、むしろ、将来に向けて、新たな光が見えない、というのが実感ではないでしょうか。


私は、この背景に、「日本は将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか」が見えていない、ということがあるように思います


これまで、「日本は高度なものづくりでやっていけるんだ」「いやいや、ものづくりは古い。金融ITで食べていくんだ」

「これから内需だ」「いやいや、これからは、成長するアジア市場に出て行くんだ」

「それじゃ、企業はみんな海外にいってしまうんじゃないか」と、様々な議論がでています

これに併せて、根拠のない日本礼賛論、何も生み出さな悲観論実態から乖離した観念論が飛びかっています


どれも、真実の一面をとらえているのでしょうが日本産業の将来像を示しているとは言えません。


全体として、日本産業の将来像を示し、それに向かって行動を起こさない限り、国民の皆様の閉塞感は払拭できないと思います

そこで、今回の「産業構造ビジョン2010」では、徹底して、日本産業課題と、世界の動きを分析しました。

そこで明らかになったのは、世界企業市場の新たな動きに取り残された、日本の官民の「行き詰まり」の現状です。

この行き詰まりを打開するためには、現状分析立脚して、政府民間を通じて、発想の転換を行う必要があります


徹底した現状分析から、混乱した議論に対して、いくつかの「神話真実」が見いだせます


例えば、日本は過剰貯蓄だから消費の比率を拡大しないといけない、という議論を良く耳にします。

しかし、最近では、日本家計の貯蓄率は、既に米国を下回り、先進国の最低水準となっています

所得を増やさないで、消費を拡大するのは持続可能ではありません。


しかしながら、賃金の水準を見ると、2000年代戦後最長の景気拡大期においても、賃金の上昇は見られません。

企業がもうけすぎているから、企業負担させて消費者に再分配すべきだ、という議論があります

しかし、国際的に見ると、労働分配率先進国で最高水準だというデータもあります


いずれの事実も、「単なる再分配ではなく、全体のパイを増やし、それを所得の拡大につなげていく、という好循環を作り出さなければならない」ということを示しています


近年、日本産業は、付加価値拡大の多くを、自動車等の特定グローバル製造業依存してきたのは事実です。

しかしながら、実は日本の輸出比率国際的には低い水準にあります。これは、特定企業以外の多くの企業は、世界の成長市場と直接つながっていないことを示しています

グローバル製造業に極度に成長を依存している日本ドイツは、労働生産性が大きく改善しても、賃金水準はこの20年間殆ど向上していません。

これは、特定グローバル製造業依存した成長モデルは、新興国との賃金競争に直面して、なかなか賃金があがらないことを示唆しています


日本全体の付加価値をあげていくためには、特定グローバル製造業以外の産業が、成長市場につながっていく必要があります

まり産業構造のものの変革が必要なのです。


日本企業については、「日本ハイテク技術世界一。だから日本企業は強い」という議論があります

しかし、液晶でも、DVDでも、日本企業世界を席巻していたのは最初の数年だけで、世界市場が急拡大するとともに、日本企業世界シェアは急激に低下していっています

企業利益率で見ても、多くの業種で、日本企業は、同業種の世界企業と比べて、半分以下の利益率になっています


こうした事実は、特定企業や、特定製品問題というよりもむしろ日本産業共通したビジネスモデルが、世界から取り残されていることを示唆しています

グローバル化については、見方が分かれています。「グローバル化は国内雇用空洞化を招く」という議論があります。「だから外需ではなく内需依存に転換するべきだ」という議論もあります

かに保育園待機児童問題など、国民需要供給サイドが追いついていない、潜在的内需拡大分野は、たくさんあります


内需拡大は極めて重要です。

しかしながら、市場全体で見ると、市場拡大は、少子高齢化が進む我が国や他の先進国から新興国に移行するのは明白です。

成長市場から身を隠して、持続的に成長するのは困難です。

日本が衰退しないためには、むしろグローバル化を積極的に進めるしかありません。

しかし、国内立地の国際競争力の低下をそのまま放置してグローバル化だけ進めれば、国内から雇用付加価値も失われてしまます


最近アンケート調査によると、この数年で、アジアの中での日本に立地する魅力、すなわち立地競争力は、急激に低下しています

実際に、日本企業外国企業も、日本国内拠点を他のアジア諸国に移転する例が、次々と出始めています


この、いわゆる「空洞化」を回避するためには、グローバル化を止めるのではなく、税制も、空港港湾等の社会基盤も、国際的に魅力あるものにすることにより、付加価値雇用を生む拠点国内に引きつけていかなければなりません。


また、人材グローバル化はきわめて重要課題です。

教育制度など引き続き政府全体で検討すべき課題もあります

しかし、グローバル化は待ったなしです。

人材も、グローバル市場で戦える即戦力の高度人材を一人でも多く育成し、あるいは呼び込まなくてはなりません。

さらに、グローバル化を進める一環として、日本付加価値や良質な雇用を生んでくれる外国企業は、積極的に呼び込んでいかなくてはならないのです。


企業を補助するのか、労働者支援するのか」「外国企業支援していいのか」という国内の内向きの配分論ではないのです。


グローバル化に直面して、各国政府は、国内付加価値と良質な雇用を獲得するために、熾烈な競争を行っているのです。

日本けが内向きの議論に終始していては、衰退するしかないのです。


厳しい現実直視した上で、なお、日本産業には新たなチャンスがあることを忘れてはなりません。

環境エネルギー制約や少子高齢化は、日本世界各国に比べて極めて厳しい挑戦を強いられる社会課題です。

しかし、日本技術を活かして、世界に先駆けて課題解決ビジネスモデルを示せれば、むしろ新たな国際競争力の源泉になります

こうした数々の「転換」を実現するためには、政府はもちろんのこと、企業産業、そこで働く方々、各々が変革に向けた行動を起こさなくてはなりません。


そして、官と民の関係も、世界の動きや、社会課題解決要請を踏まえて、新たな関係を構築していく必要があります

産業構造ビジョン2010」は、その具体的な処方箋を示したものです。


雇用を生み出すのは企業であり、産業です。雇用の質を高めるには、企業産業競争力を高めることが必要です。

その先に質の高い雇用賃金の上昇、消費の拡大という好循環が見えてきます。単に企業利益を上げさせるために、ビジョン提示し、政策を打つのではありません。

その先にある、「国民の皆様一人一人が豊かさを実感する」という目的に向かって、閉塞感に満ちている現状と課題をしっかりと受け止め、官と民双方の、今後のあるべき姿と処方箋を、我が国全体で共有することが必要です。

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2022-12-20

正義アレルギー人間が多いようだな

正義と聞くと「正義とか持ち出す奴は胡散臭い」とか「正義感は暴走する」とかすぐ言い出す奴がいる

端的に言って冷笑的な態度

(だいたい一般用語正義倫理学用語正義って意味が違うと思うんだけど、倫理学は生半可な知識しかないのでここには書かない)

……などと思ったが、絶対誰か先にそういうことを思った人間がいるはず

ぐぐってみたら案の定なんか見つかった

2020年6月ForbesJAPANの記事

人の正義を笑うな。SNS蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか

https://forbesjapan.com/articles/detail/34986/2/1/1

正義暴走」の引き金となるのは、正義への強い信念であるというよりはむしろマジョリティ意識であり、社会になんらかの不安を抱える多数派が、正義の名のもとに少数派を攻撃することを正当化してしまった場合だという。このように、多数派正義感がいつの間にか弱いものイジメへと反転してしま構造を、哲学が専門の藤本一勇は『批判感覚再生』のなかで「ファシズム」の特徴として解説している。

ファシズムイジメ社会の極限形態という面をもつ社会の末端で、社会構造矛盾が人々に押しつけられ、その重たい様々な社会的な負荷のために、連帯の余裕を失って人々が分断されてしまうと、自分たちに押しつけられているしわ寄せが、どういう構造から、なぜ生じているのか、という根本原因に注意が向けられにくくなる。そのとき、強力に見える人物や言説が、レッテル貼り観念論によって、ある特定存在を『悪』や『敵』と指名して、あたかも一切の負の責任がそこにあるかのように先導すると、「あいつが悪いか自分たちがこんな目にあうんだ」と、被害妄想のような言説に飛びついてしまう。それがファシズムの温床となる」

彼らの議論に従えば、「正義暴走」として第一に警戒しなければならないのは、多数派被害妄想が招く「イジメ社会」としてのファシズムである。またそうだとするならば、「正義への信念は暴走につながるため危険である」というテーゼをやみくもに振りかざし、弱いものイジメに抗して戦う政治的主張さえも十把一絡げに嘲笑う「冷笑系」の「正義暴走」論は疑わしいものになるのではないか

社会になんらかの不安を抱える多数派が、正義の名のもとに少数派を攻撃することを正当化してしまった場合」のことを「正義暴走」と呼ぶならば、ヴィーガンじゃない側のほうがよっぽど暴走しうる立場ってことになる

実際、ヴィーガンはクソだとか滅べだとか公言して憚らない人たまに見る

この論に準拠するなら正義暴走している人ってのはそういう人でしょ

ヴィーガン個人趣味の話などではなく、正義原理に基づいた規範的主張なのだから、それを他人に向かって主張するのは当たり前」

https://togetter.com/li/2013016

都合よく漫画コマを切り抜かれて氷室の天地の作者はかわいそう

(まあ私はメガネっ子が本気を出すときメガネを外すシチュエーションが好きなので、メガネっ子大好きな磨伸映一郎とは相容れないのだが)

Permalink |記事への反応(0) | 11:21

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2022-04-15

2010年の「日本は 将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか」

産業構造ビジョン2010」という少し前の資料があり、「日本は 将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか」が議論されていた。

https://www.meti.go.jp/committee/summary/0004660/vision2010_01.pdf

2022年から振り返ってみると、なんでこれだけ分析されているのにネット上での議論はぐるぐる回って繰り返されただけだったのか。


これまで、「日本は高度なものづくりでやっていけるんだ」「いやいや、ものづくりは古い。金融ITで食べていくんだ」

「これから内需だ」「いやいや、これからは、成長するアジア市場に出て行くんだ」「それじゃ、企業はみんな海外にいってしまうんじゃないか」と、様々な議論がでています

これに併せて、根拠のない日本礼賛論、何も生み出さな悲観論実態から乖離した観念論が飛びかっています

どれも、真実の一面をとらえているのでしょうが日本産業の将来像を示しているとは言えません。

全体として、日本産業の将来像を示し、それに向かって行動を起こさない限り、国民の皆様の閉塞感は払拭できないと思います

例えば、日本は過剰貯蓄だから消費の比率を拡大しないといけない、という議論を良く耳にします。

しかし、最近では、日本家計の貯蓄率は、既に米国を下回り、先進国の最低水準となっています

所得を増やさないで、消費を拡大するのは持続可能ではありません。

しかしながら、賃金の水準を見ると、2000年代戦後最長の景気拡大期においても、賃金の上昇は見られません。


企業がもうけすぎているから、企業負担させて消費者に再分配すべきだ、という議論があります

しかし、国際的に見ると、労働分配率先進国で最高水準だというデータもあります

いずれの事実も、「単なる再分配ではなく、全体のパイを増やし、それを所得の拡大につなげていく、という好循環を作り出さなければならない」ということを示しています

近年、日本産業は、付加価値拡大の多くを、自動車等の特定グローバル製造業依存してきたのは事実です。

しかしながら、実は日本の輸出比率国際的には低い水準にあります

これは、特定企業以外の多くの企業は、世界の成長市場と直接つながっていないことを示しています

グローバル製造業に極度に成長を依存している日本ドイツは、労働生産性が大きく改善しても、賃金水準はこの20年間殆ど向上していません。

これは、特定グローバル製造業依存した成長モデルは、新興国との賃金競争に直面して、なかなか賃金があがらないことを示唆しています

日本全体の付加価値をあげていくためには、特定グローバル製造業以外の産業が、成長市場につながっていく必要があります

企業を補助するのか、労働者支援するのか」「外国企業支援していいのか」という国内の内向きの配分論ではないのです。

グローバル化に直面して、各国政府は、国内付加価値と良質な雇用を獲得するために、熾烈な競争を行っているのです。

日本けが内向きの議論に終始していては、衰退するしかないのです。

Permalink |記事への反応(0) | 09:30

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2021-11-18

anond:20211118232150

これってめんどくさい哲学問答に付き合えって話だったの?

価値基準をどこに置くかってだけで、つまり公理を与えれば現実世界法益と害の論理的立証はできるでしょ

法的でも倫理的でも宗教的でも、功利的でもカント的でもコミュニタリアン的でも同じ

観念論ニヒリズムなのは知らんからパス

Permalink |記事への反応(1) | 23:38

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2021-10-09

anond:20211006074701

https://pmazzarino.web.fc2.com/saikin2.html 

スタンダード 反社会学講座

最近の○○・バックナンバー 2(2006年)

より抜粋

自由多様性のある社会を目指そうという主張になら、私も賛成します。しかし残念ながら観念論スローガンを唱えるだけじゃ、弱い。弱すぎる。それだけじゃニート問題はおろか、なんの社会問題教育問題解決にもなりません。それどころか、海千山千ヘリクツボーイたちの手にかかれば、「自由社会なんだろ? だったら、ニート差別するのも自由じゃねえか」と悪用されてしまます。それとどう闘うのですか。やっぱり、リベラルだったら「ニートでもいいじゃねえか」と開き直るべきでしょう。

 

この時代を生きてきたおじさんに言わせると「仕事を愛せよという程度の広告撤去されるわけがない」が常識です。

Permalink |記事への反応(0) | 07:45

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2021-07-14

anond:20210713224536

投降主義者観念論史観』が論文として論じるほどのものでない、単なる党派攻撃文章だという見解共産党支持者の中でも少なくないと思うけど、伊里一智が宮本独裁体制打破を目指した改革者みたいな史観もやっぱり実態にそぐわないと思うんだよな。

Permalink |記事への反応(1) | 09:32

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2021-07-13

anond:20210713223723

日本共産党中央委員会論文集『投降主義者観念論史観』を読めば答えが見つかると思います

日本共産党志位和夫委員長ですが,1988年に,ほぼヒラ同然の専従から書記局長に抜擢されました。出世きっかけになったのが,「伊里一智事件」での活躍だといわれています。   伊里一智事件とは,1985年当時,東大院生支部党員が,宮本顕治引退なども含め,党の改革を訴える提案党大会提案しようとしたところ,その提案が連名であることを以て,党機関が「分派活動」と決めつけて,その動きを阻止したもの,および,その後の「党大会でのビラまき」「週刊誌インタビュー」「伊里一智氏の著書出版」などの一連の出来事をいいます。伊里一智はその院生が名乗った活動名です。  この事件は,典型的な,民主集中制原則悪用した,異論政治主義的な封殺でした。その主な下手人が,志位和夫委員長その人なのです。志位氏は,「変節者のあわれな末路」(「赤旗1986年3月18日,19日)「退廃と遊戯の『哲学』 ――浦地実『<ポストモダン>と唯物論批判」(『前衛1986年4月号)などの論文を書いて,伊里氏を口汚くののしりました。この,異論排除能力宮本顕治に買われて,出世を果たしたとかなんとか,いわれているところです。これら共産党側の論文は,『投降主義者観念論史観』という本にまとめられています(上写真)。  今回,上に挙げた志位氏の論文を紹介します。ぜひぜひ,読んでみてください。あの顔から想像できないような悪口雑言の数々が並んでいます

Permalink |記事への反応(2) | 22:45

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2021-06-28

anond:20210628171659

でも結局相対化しないと悪の中の悪とは?みたいな観念論だよね

なんでも善悪二元論でないと理解さえできないのは子供だけにしてほしい

Permalink |記事への反応(0) | 17:19

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2021-05-28

ラケット破壊批判する日本人生産性が低いのは当然

まだラケット破壊についてブツブツお気持ち表明してる連中を見て、改めて、日本人って終わってるな、と思わされた。

プロスポーツ選手にとって最も重要なことは、勝つことだ。

勝てなければ何の意味価値もない。

他の要素は全て勝ってからの話。

本人だけの問題じゃない。

支えてくれるチームや導いてくれるコーチ、道具を提供してくれるスポンサー、全ては勝っているか存在していて、勝つことが最大の恩返し。

大坂なおみ世界トップだ。勝つことによってその恩恵を支えてくれる人たちに日々返している。

勝てなければそれはできなくなる。

つの大事。非常に大事ラケット破壊して勝率が上がるならやるべきに決まってる。

勝利でも、生産性でも、トップは何らかの至上命題を持っており、他のことを後回しにしても注力する必要がある。


この「至上命題」「必要性」を全然理解しないのが日本人なんだよな。

生産性の向上は社会にとっての至上命題だ。

それなのに、勝てればいいわけじゃないとか、勝つより大事なことあるだろ、とかヌルいこと言いながら負け続ける。

生産性より大切なものはある、などとわけのわからない観念論に逃げる。

目先の「道徳」にとらわれて、生産性を向上できない。

すると当然、全体の取り分はシュリンクする。

スポーツチームなら解散すれば済むが、社会全体なら弱者を切り捨てる方向に走る。

しかし奇妙なことに、自分は優しい人間だとか思い込み、優しいから、道徳的だから勝てない、世界が悪いなどとほざく。

至上命題を全力で達成しないことこそが、最も不道徳であり、自分を悪だと思っていない最悪の存在なのだが。

Permalink |記事への反応(6) | 23:02

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2021-05-05

弱者男性への制度的差別と構造的差別

はてなでは非モテ論の影響が大きいか弱者男性もその延長として捉えられやすいが、非モテ論のような内面的な観念論はここでは捨てる。

弱者男性生存権が損なわれていることが一番の差別

まずは構造差別から述べる。

男性年収婚姻率がきれいに比例していることはよく知られており、年収300万円未満だと婚姻率が10%となる。

1020代年収300万円以下は除き、30代以上で年収300万円の男性のうち未婚の者を弱者男性定義する。

なぜ婚姻重要か。それは未婚男性という属性が他の属性と比べ明白に寿命が短い、つまり生存権が脅かされていると考えられるからだ。

未婚男性男性全体未婚女性女性全体
死亡年齢の中央値となる年齢階級65〜69歳80〜84歳80〜84歳85〜89歳

参考 https://data.wingarc.com/marriage-and-longevity-29801

原因は色々考えられるだろうが、生存権という最も根源的な人権が損なわれている属性があるならそこにまずは社会として救いの手を差し伸べるべきではないだろうか。

この構造差別制度的な差別引き起こしている。

舞田さんの記事によると独身男性の死亡年齢の中央値は66.1歳とちょうど、年金給付が始まって一年で死亡することになっている。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93638.php

もちろん、独身男性の死亡年齢の中央値は年々増加しているが年金支給年齢もそれを追いかけるように高くなっている。

年収300万円で考えてみると厚生年金保険料は年間28万1820円になる。更に40歳以上になると介護保険料もそれに加わってくる。

年金介護受益できる見込みが無いのに関わらずに支払い義務のみある。

社会福祉の財源は応能負担と応益負担という考えがある。

応能負担は支払いができる能力があるものに支払ってもらうという考え。所得税累進課税なんかがこれにあたる。

応益負担福祉受益者が負担するという考え。保育園の保育料の支払いとか。

弱者男性収入もなく、福祉受益しないのに関わらず負担をしているのは貧しいものから富めるものへの所得移転ではないか

未婚男性寿命が短い原因は厳しい労働条件に追い込まれている、余裕がないために飲酒などに溺れる、病院を嫌うなどが言われているが

彼らも年間28万1820円の余裕があればもう少し丁寧な暮らしセルフケアができるんじゃないかと思わないでもない。

追記(2021/05/06)

弱者男性福祉の枠組みから外すと読まれたことに驚いた。もちろん、社会福祉はすべての人に必用なのは言うまでもない。

年金の事例をあげたのだから当然、専業主婦主夫)向けの第3号被保険者のような掛け金を払わず福祉受益できるようにするべきと考えている。

また、この第3号被保険者存在することがケアワーク重要性を社会理解していることの証明にもなる。

Permalink |記事への反応(3) | 19:06

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2021-02-08

意識感情起源

ビッグバン水素ヘリウムベリリウム誕生→星の誕生核融合超新星爆発周期表元素が出そろう→太陽系地球誕生→多原子分子(アミノ酸リン酸塩基など)の誕生rnadna発生→生物誕生原核生物→真核生物→多細胞生物植物動物発生→脊椎動物→陸に上がる→哺乳類人間

間違えがあったらすいません。まあおおまかな流れは合ってると思う。

初めは物質の集まりに過ぎなかったのにどこかの時点で意識が生まれ感情が生まれ、知能が生まれる。人間原子集合体にすぎなくて、自分喜怒哀楽感情もすべて原子還元されてしまうのかと考えると恐ろしい。結局観念論唯物論に敗北したということなのか。

観念原子の集まりに過ぎないというのは納得できるのだが、その原子論も長い人類歴史を経て生まれものであり、近代以降に生まれた新しい思想なのだ(古代デモクリトスはいたけれど)。

Permalink |記事への反応(2) | 11:33

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2020-08-11

anond:20200811074247

論理事実に基づかず観念論だけで愚策をとり続けるみたいなのを「日本型反知性主義と呼ぶのをあちこちで見かけたが、まだコンセンサス得られてないみたいだな。(ちなみにそれはご存じ?)

警察してるんだからもちろん知ってるよ。

それが誤用だと言ってる。

内田樹の『日本反知性主義』については山形浩生が5年も前に十分批判してるから今更付け加えは要らないだろ。

https://cruel.hatenablog.com/entry/2015/08/20/185544

上に書かれている"事実に基づかず観念論だけで"というのは、むしろ知識人エリートありがちな態度。

そんな象牙の塔に閉じこもって机上の空論をこねくり回して、実際の問題対処している下界の人間を見下す知識人に対して、

反-知性主義一般大衆の地に足つけた身体感覚直観こそが重要だと説く。

まりあなたが言う日本型反知性主義意味は、元の反知性主義意味とは正反対だ。

新しい概念に対して名前をつけたいという場面はあるし、それを今使われている言葉からそのままにせよ少し改変するにせよ持ってくることもある。

ただ、「すでに意味定義されている専門用語学術用語をそれとは正反対意味で使う」というのは、

わざとやってるなら悪質だし、気にならないなら言葉センスが無いよね。

まぁ日本型反知性主義とやらが使われている場面のほぼ全てが、単に対立者というか気に入らない人間に対する「バカ」の言い換えかレッテル貼りから、素直にバカを使ったほうが良いよという結論は変わらない。

Permalink |記事への反応(1) | 15:18

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anond:20200810212819

ただのバカアホ間抜けとはちょっと違うと思うんだよな。だから違う表現が要る。

論理事実に基づかず観念論だけで愚策をとり続けるみたいなのを「日本型反知性主義と呼ぶのをあちこちで見かけたが、まだコンセンサス得られてないみたいだな。(ちなみにそれはご存じ?)

Permalink |記事への反応(2) | 07:42

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2020-07-02

anond:20200702183613

なにその観念論

Permalink |記事への反応(0) | 18:43

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