
はてなキーワード:規模の経済とは
了解。元の論旨(「現実を直視せよ」)に乗っかって、「縮小均衡でいい」という主張への反論をまとめます。
インフラ(道路・上下水道・鉄道・送配電網・自治体運営・救急/消防)は固定費が大きい。人口・納税者が縮んでも費用は比例して下がらない。利用者減→運賃/料金↑→さらなる離脱→ネットワーク縮退…と負のスパイラルに陥りやすく、安定均衡より「崩れの連鎖」になりがち。
日本は食とエネルギーを外から買って生きる国。外貨を稼ぐ製造業・サービスの規模が一定ラインを割ると、交易条件の悪化、通貨の弱体化、調達コスト上昇が重なる。さらに国防は規模の経済が効く分野で、装備調達・人員維持・技術基盤に下限の規模がある。ここを割る「縮小」は安全保障リスクを跳ね上げる。
均等に縮むならまだしも、先に減るのは生産年齢人口。要介護・医療需要はむしろ増える。結果、依存率の上昇で一人当たりの負担が加速度的に重くなり、医療・介護・年金の給付削減か増税のどちらか(多くは両方)を強いられる。「ほどよい縮小」で止まらない。
学校・病院・路線・商業は一定の需要を割ると突然維持不能になる(段階的ではなく飛び石的に崩れる)。廃校・病院撤退・減便/廃線→通院・就学が困難→転出→税基盤縮小…と、局所的な“均衡”は成立しにくい。
研究開発、人材育成、スタートアップ、部材・設備・サプライヤーの集積は人と資本の密度が生命線。縮小は需要・人材プール・風呂敷(市場)を同時に縮め、投資採算を悪化させる。結果、技術導入・自動化で埋めたい穴がかえって埋まらない。
税収基盤↓/社会保障支出↑/インフラ更新費は下がらない。どこかで(1)給付削減、(2)増税、(3)政府債務増の選択になる。債務増に依存すれば、わずかな金利上振れで利払いが公共投資を食い荒らす。これも均衡を不安定化させる。
平時の“ギリ保てる縮小均衡”は、災害・資源価格高騰・隣国の圧力といったショックで簡単に壊れる。冗長性・予備費・防災力が痩せるほど、社会は脆くなる。
この骨太の“勘定”が示せない「縮小均衡」は、実質「均衡なき縮小=衰退容認」に過ぎない。
「縮小均衡で十分」という言説は、固定費と最小実行規模、依存率上昇、ネットワークの臨界、地政学ショックを軽視している。多くの分野で均衡は連続的ではなく崖をもつ。ゆえに現実的ではない。
AIに聞いてみると、特に質問にヘイトのニュアンスが無くても、外国人ヘイト問題だと察した回答になるな
みんなAIに聞けばいいのに
Q.
A.
日本では外国人留学生に給付型の奨学金制度が存在しますが、「外国人のみを優遇している」という主張は実態とは異なります。
外国人留学生への主な給付金制度
国費外国人留学生制度として、文部科学省が月額117,000円~145,000円の奨学金と授業料免除を提供しています。ただし、この対象となるのは全留学生のわずか約3%程度の限られた優秀な学生のみです。
JASSO学習奨励費では、私費留学生に対して月額48,000円(大学院・学部レベル)または30,000円(日本語教育機関)を支給しています。これらはいずれも返済不要の給付型です。
「1000万円」報道の真相
SNSで拡散された「中国人留学生に1000万円支給」という情報は、次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)に関する誤解です。この制度は博士課程の学生に年間最大290万円を最長3年間支給するもので、国籍要件は一切ありません。2024年度の受給者10,564人のうち、日本人が約6割、中国人が約3割、その他の国籍が約1割を占めています。
日本人学生への支援との比較
実際には、日本人学生への支援規模の方がはるかに大きく、金額で約60倍、対象者数で約170倍が日本人向けとなっています。具体的には、給付型奨学金と授業料減免の修学支援新制度により、非課税世帯を中心に約34万人の日本人学生が支援を受けており、2025年からは多子世帯の授業料無償化も実施されています。
制度の背景
トランプ政権の関税政策について、気が付いた範囲のことを書いてみようと思う
この壁は外からの影響から国内を守る一方で、経済的な連携や役割分担を阻み、結果的に「規模の経済」を失わせる。
それは競争力低下につながる「縮小の道」でもある。
米国政府は「協力」ではなく「ディール」という言葉を多用する。
今回の関税政策は、国内外にアメリカの強さを印象付け、同盟国から譲歩や投資を引き出すことに成功した。
ただし、ディールは短期的成果は見えやすいが、即時の利益交換に過ぎない。
長期的には信頼の低下・市場縮小・同盟関係の摩耗という代償は避けられず、戦術的には勝利しているが、戦略的には敗北する可能性がある。
こうした選択の背景には、即時的な成果によって国内支持を固めようとする意図があったとも考えられる。
民衆にとって分かりやすい政策は支持されやすいが、説明が長く複雑になる政策は理解されない。
さらに、政権が数年ごとに交代するため、次の選挙までに結果を示さなければならないというアメリカの制度上の制約もある。
その結果、短期的な「見える成果」に偏り、長期的な戦略や協力体制の構築は後回しになりやすい。
本来は、関税の上乗せより先に同盟国間の連携強化を示すべきだった。
例えば「同盟国と役割分担し、一部低関税で活性化させる構想」など姿勢だけでも示し、その後で壁を築けば、混乱を抑えながら「縮小」ではなく「再構築」という見せ方ができた。
しかし、関税の上乗せを先行させたことで、民主主義国である同盟国の民衆に疑問を与え、アメリカの影響力の低下を引き起こす結果となっている。
軽トラのことがまた話題になってるが視野狭窄だ。端的に言って、軽トラや軽自動車が日本だけの商品と考えているのが大本の間違いだ。軽自動車はグローバル商品なんだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2584277
google:image:chevrolet damasで画像検索してみてくれ。見覚えのある軽バンが出てくるだろう。スズキエブリー(キャリーバン)だ。だがシボレーのバッジをつけているのだ。しかも左ハンドル。更にエンジンは韓国大宇製だ。何者だこれは。
これはスズキキャリーバンをGMがライセンス生産しているものである。
次はgoogle:image:suzuki bolanとgoogle:image:Carry Dabbaだ。
これはスズキキャリーをパキスタンで生産しているものだ。因みにパキスタンは左側通行なので右ハンドル。
この元になったキャリーは実は2スト360cc時代のもの。それに今の法規制に適合する4スト800ccEFIなんかのエンジンを載せているという異常進化を遂げている。
因みにこの生産ラインは、インドネシアキャリーがモデルチャンジする際に売却されたものと思われる。
お次はgoogle:image:piaggio porterだ。ピアッジオはベスパスクーターで有名な2輪メーカーだ。ダイハツハイゼットがそのピアッジオのエンブレムを付けてイタリアや他のEU諸国を走っている。
これはダイハツが生産した部品を現地でノックダウン生産しているものだ。外装のプラ部品や内装品は現地生産しているので見た目がかなり違う。
ついでにgoogle:image:piaggio porter ambulanceではハイゼットの救急車が見られるぞ。ゲテモノっぽいし狭苦しいのだが、道が狭い、ローマなどの歴史地区では無くてはならない車だ。
更にこのポーターのトラックの方が香港の救急車に改造されたのも見る事ができるだろう。日本→イタリア→香港と海を渡っているんだな。
日本だけ見てるとホンダが軽トラ撤退した意味は分からない。でもスズキとダイハツはこういう風に世界中で生産しているのだ。特にスズキは「グローバル軽自動車」界での巨人で、本当に世界中で生産されている。
このグローバル展開の鍵は実はアメリカの車メーカー(と韓国大宇)で、東南アジアを牙城としつつ、その勢力圏から離れる南米、中央アジア、中東ではGMやフォードがライセンス生産しているのである。
この馴れ初めは、経済が発展途上だった韓国でGMと大宇が合弁して現地ライセンス生産をしていた事に始まる。またフォードも台湾などで軽自動車のライセンス生産をしていた。
ホンダの場合は海外展開が北米に寄っている。北米は豊かなので軽トラ軽バンなどの市場とならない。
だからホンダの軽トラはモデルチェンジしたら古いモデルのラインは廃棄か部品生産用に低稼働となる。
だがスズキの場合は無駄にならないのだ。他国に売却するし技術指導もするからだ。更にライセンス生産だけじゃなくてOEMやノックダウン供給もやっている。
すると規模の経済が全然違うのだ。故に生産コストが断然有利だ。
すると、ホンダとしてはこういう条件で戦うのだったらOEM供給受けた方が良いということになる。
まあそういう訳で、軽自動車を日本だけで作っているという考えは間違い。特に軽トラ軽バンは昔からグローバル商品で、最近ではワゴンRもそれに続いている。多分、10年後の東南アジアや南米はワゴンRだらけだろう。
同時に、アメリカの車メーカー(GMとフォード)が世界中で軽自動車を作りまくっているので、アメ車メーカー=デカい車しか作れない無能と考えるのも間違いだってことだ。それは米国市場だけのことなのだ。
ステランティス会長が「EUも軽自動車規格作れ」と言ったのはこういうのを見据えてのことだ。規格が通ったら、ハンガリーにスズキの工場があるので東欧はワゴンRとエブリイだらけになると思われるよ。
そういう事を逐一説明した増田を前に投稿したが長くてあまり読まれなかった。気になる人はドーゾ→https://anond.hatelabo.jp/20250625180545
その1→https://anond.hatelabo.jp/20250625180545
最近と言っても数年前だが、アルトの現地製造開始というニュースを読んだことある人も多いかもしれない。という事で、スズキがやっぱり軽自動車を現地生産している。現政権が産業育成の為に中古車の関税を100%に上げたので現地生産化が進んでいるんだな。
軽トラ軽バンの現地生産はずっと昔からやっていて、パックスズキ・ラヴィって名前で売っている。ちょっとこの商品ページを見ておくれよ。
https://dnd.com.pk/suzuki-ravi-price/284487/
「テクノージア!」とか言いそうな格好の爽やかニキが荷物積んでるスズキキャリーだが、このデザインって日本では1972年から79年(昭和47~54)に作ってたヤツなのだ。どうやら、日本でモデルチャンジ→製造ラインをインドネシアに譲渡→パキスタンに譲渡、となったようなのだ。古すぎだろ。
日本では最初2スト360ccのエンジンを積んでいて途中から軽規格改正で550cc化したのだが、パキスタンモデルは4スト800ccを積んでいる。しかもそのエンジンは現地生産の最中にグレードアップしていて、今のはEFIと触媒マフラー装備なのだ。2スト360ccだった昭和4~50年モデルにEFI…。
お値段は1,768,000ルピー。日本円で90万円。いやこれ高すぎないか?日本のパワステエアコン装備の最低グレードが110万円程度だぜ?現地の人買えるのかなこれ。
まぁ何でも修理して車が永遠の命を持つ国(コンティニュー代は2000ルピーです)だから一生ものなんだろうけど。
あと、360~550cc時代の軽トラは衝突安全性がゼロで足切断とか死亡事故になり易いんで注意して乗って欲しいものである。
他社も沢山参入しているんだが軽自動車はやってるのかな?ちと分らん。
この辺で「スズキの存在感がヤバくない?」と気が付いた人もいるかもしれないが、そうなのだ。スズキは海外軽においての巨人で、あちこちでノックダウン、ライセンス、現地生産をやっているから、どこかの国で市場が興りそうとか、国が誘致している、という時に旧型車の製造ラインを移設できるし製造ノウハウ指導経験も盛ん。
だから他社に先駆けて参入して塁を固められるし現地の経済発展に無くてはならない会社と認識されるようになるんだ。日本でコカ・コーラやマクドナルドを外国企業と特別視する事ってないけど、ああいう感じ。
この辺は日本企業のナワバリからは遠い。代わりにアメ車メーカーがナワバリにしている。
そして思い出してほしい。韓国大宇とGMの合弁がスズキキャリーなど、韓国起亜がダイハツハイゼットのライセンス権をもっていることを。台湾フォードがキャリーなどのライセンス権を持っていることを。
という事で、これらの地域ではGMがダマス、KIAがタウンナー、フォードがプロントの名で売りまくっているわけだ。
因みにGMのダマスのブランドはシボレーで売っている。だからそれらの地域ではこういう風にシボレーエンブレムを付けたハイゼットが走っているというわけ。 https://chevrolet.uz/damas
だから、中東や南米の人にとっては軽トラ、軽バンはアメ車なのだ。自国ではシボレーダマスが走っている。旅行で隣国に行くとフォードプロントが走ってる。ああ、アメ車って小型トラックや小型バンが強いんだな。そう思うだろう。しかもエンジンにはDaewooと書いてある。どこにも日本要素が無いんだな。当然左ハンドルだし。
これは軽じゃないので脱線なのだが、ライセンス生産の複雑さの果てに変り果てたフォード車がトラックになってイランで製造されてるという話。
1986年から90年代前半にマツダとフォードの共同開発でフェスティバという1.3L小型車が日本で製造されていた。2ドアハッチバックだけの設定だ。後のユーノスロードスターに乗るエンジンは実はこのフェスティバ用に開発されたものだった。
んで、これが韓国の起亜にライセンスされてキア・プライドという名前で製造されるようになる。この時キアは金型を新製して4ドアセダンと4ドア+ハッチバック、4ドアワゴンをラインナップに入れたのだった。まぁここまでは分かる。
次にこのキアプライドが旧式化した時に、今度はイランのサーイパー社にライセンスされた。すると同社はキア・プライド4ドアワゴンをベースにトラックを製造するようになったのだ。
これが、 フェスティバ https://www.fordfestiva.com/multimediaandfun/gallery/image14.htm
こう。 SAIPA 151https://www.flickr.com/photos/worldcars/44599502264
イランとアメリカは政治的に対立しているんだが、途中に韓国メーカーが挟まる事によって35年前のバッチバックがトラックになって未だに製造されているという不思議なことになっている。
ボクスホール社がラスカルという名前でキャリーを製造していた。これは、GMの工場でライセンス生産して、それを傘下のボクスホールが売るというモデル。
ベスパスクーターで有名なピアジオ社がアペブランドでハイゼットを販売。
ベスパはスズメバチの意で、ボディデザインが蜂のお尻に似ていてエンジンがブンブンうるさいので名付けられた。これが貨物輸送など実用で多く使われるようになったので三輪トラックを作る事にした。商用なので働きバチ→ミツバチ→伊語でape、アペと名付けたってわけだ。
このアペだが最初は150ccだったが、ベスパの方で50cc~125ccの小型版が派生するとアペの方も派生。50ccの超小型三輪トラックと、ガソリン200cc orディーゼル400ccの三輪トラックに分かれた。
因みにローマなどの歴史的都市は道が狭いので1980年頃に小型バイク以外全面進入禁止になった。でもそれだと住んでる人や商売している人が困ってしまうね。だからこの50ccアペだけは除外指定されたのだ。だからこれらの歴史都市に行くとちっこい三輪トラックがブンブンと走り回っている。45km/hしか出なくて実用性低いんだがこういう都市では無くてはならない。
で、大きいほうのアペはちょっと中途半端だ。800kgまで積めるがエンジンが12馬力くらいなんで歩くくらいの速度になってしまう。
そこでもうちょっとグレードアップしたアペを売りたい、という事で4輪版アペポーカーというのを作った。ディーゼル400cc単気筒17馬力で80km/h。
そしたら次はもっと実用的なのが欲しい。で目を付けたのが技術的にこなれまくっている日本の軽トラ。ダイハツハイゼットを製造して4輪版アペポーターとして売り出した。
ただ、1990年代前半当時の日本軽トラ軽バンは衝突安全性が低すぎてEUの規制に通らない。そこでフロント部分を頑丈にした特殊仕様フレームを制作して、エンジン以外の機械部品はダイハツが製造して輸入して組立るという方式にした。つまりノックダウンとライセンス生産の中間形態。
内装や外装プラ部品は安っぽくて気に入らんので全部自社生産、エンジンはダイハツの海外向けエンジン、ロンバルディニ製(小型ディーゼルエンジン専業メーカー)、インドのマルチ製から選択して搭載。勿論左ハンだ。
https://nepiallestimenti.it/prodotti/ambulanze/ambulanza-porter/
ストレッチャーがギリギリ入るサイズの救急車だが、これもまた歴史地区とかの道路街区が狭苦しい地域での搬送の為だという。因みに日本の軽トラ軽バンの荷台は日本家屋の建材、1820mmが入るサイズを死守する寸法になっているので人間も横向きで入ると言えば入るのだがかなりキツそうである。因みにこの1820mmは六尺で、つまりは日本の旧尺貫法が世界中に影響を与えてるんだな。
英国では先述の通りにボクスホールがラスカル(キャリー)を製造販売していた。それはつまり軽トラ軽バン市場が出来てるってこと。
だったらそこにアペポーターをぶつけりゃ売れるじゃん?って事で英国に進出。だから英国ではハイゼットとキャリーが両方とも走っていたのである。
youtubeショートとかで「アメリカで軽トラ人気なのに州によっては登録却下される。これはビッグ3のロビーイングのせい」という動画見た事無いだろうか?どの動画もそのニュアンスだよな。でもこれは以下の点でデマじゃないかな?と思ってる。
実は軽トラは過去にもアメリカに結構な数が入っていたのだ。でもその時には型式登録した自動車じゃなくてATV(全地形車、4輪バギー)としての扱いだったのだ。どうせ大して売れないので農具や庭園作業車の需要を狙ったようだ。これならサポートも工具や遊具扱いのコストが掛からない方法で十分だ。
で、このATVだが、州によって扱いが全然違うのだ。どの州でも一緒なのは農機具としてなら登録も税金も必要ないということ。だが遊具(バギー)や他の作業車としてなら登録必須で税金も取るとか、登録自体が出来ないし道路を走るなという扱いだったり、道路走っても良いが州境を跨いで他に行くなよと定められてたりとゴッチャゴチャ。
で、果樹園の収獲車、国立公園のパトロールや空港のカート、スタジアムの巡回車などで使われていた。こん時に、バギーは開放型との規制がある州があって、そういう州ではドアを付けないで販売していた。(日本のトライクなども同じ規制がある)因みに当然左ハンだ。だって海外仕様があるんだからね。
で、最近になって25年ルールもあって軽トラがYoutubeで人気になる。25年ルールってのは、右ハンなどアメリカの安全基準に反する車両でも25年落ち以上なら輸入して登録できるよという制度。
だけど州によっては登録に待ったをかける州がある。かてえ事言うなよ、豆腐の国の車なんだぜhahahaって動画が出回る訳で、それを見た転載動画制作してるボケナスどもがこぞって「デカくて高いピックアップが売れなくなったら困るBIG3のロビイングによる嫌がらせ」説を採用するって寸法だ。
だが昔の見たらそりゃ無理筋な陰謀論だと分かるだろう。過去、軽トラは州によっては登録できない農機具、ATVとして輸入されてたのだ。それを25年ルールで解禁だと輸入されても、型式自体が登録されてねーし、当時は農機具、バギー扱いだったんだから無理だべって事になるのは当然だよな。しかもATBとしてもドアついてちゃダメって州もある。
こういうのってさ、アメでの軽トラ人気なんてニュースは面白コンテンツで消費すればいい情報じゃない。だけどその先で登録できないのはBIG3の陰謀、となると、軽い面白コンテンツに政治判断や社会の見方のマズイ類型が付いてきて気付かずに受容しちゃってるわけよ。軽い面白ニュースを消費してたはずがボケナス世界への入口に入っちゃってるってわけ。
中国が鄧小平の開放路線に切り替えて割とすぐに日本企業は進出して合弁を設立してまずはノックダウンから、経済力が上がるに従って現地生産率を上げていった。
…んだけど増田は中国市場に関しては全く不如意なのだ。なので説明出来ん。
こうしてみると、なんだがスズキの存在感がデカくない?と気付くはず。なんか世界中でスズキの小型車を製造してる。スズキ自体は一見、自動車製造者としては松竹梅の梅と見ている人が多いかと思う。だが海外製造では異常な存在感がある。鈴菌が世界中に広がって根を張り車両が増殖してるみたいな感じだ。
こうなったのは、スズキ自体の営業努力も当然あるが、GMと提携していたという点も大きい。GMの製造拠点は世界中にあり、南米、東欧、中東などスズキが独自拡販仕切れないところでもGMがライセンス生産をしてきた。その為鈴菌保菌者のシボレーが世界中で沢山作られてきたのだ。アメ車メーカーがデカい車作って輸出するってビジネスだけやってると思ってる人は目を覚ますべきだ。特にアンタだよ、アメリカ大統領。
ホンダなどは軽トラ製造から手を引いてしまってOEM供給に切り替えてしまった。国内だけ見るとホンダアクティは人気もあったし不思議な選択に見えるね。
でも世界規模で見ると、スズキの規模がちょっとトンでもない。モデルチェンジしても旧型の加工施設を他国に売れるし部品設計のコストが何十年にも渡って回収できるのだ。だってパキスタンのキャリーなんて50年同じの作っててガッツリ売れてるんだぜ?規模の経済も利く。
そうするとホンダは巨人ではあるが、スズキはなんか体の一部が鈴菌感染で筋肉が肥大した片足タイラントみたいな感じだ。うわ、こんなのと戦ってられるかよ、だったらOEMにしとこ、となったのではないか。
スズキには劣るがダイハツもあちこちでの販路、ライセンス製造拠点がある。するとその他の軽メーカーはとはちょっと差が開きすぎてる。
因みに軽トラ軽バン中心なので端折ってしまったが、実は軽トールバンの嚆矢、ワゴンRも世界中で作られるようになっている。売れに売れたワゴンR、その設備がまた世界のあちこちで稼働しまくっていて鈴菌をばら撒いているという状態だ。ワゴンRも軽トラ軽バンに続く世界的商材となっている。
すると、ステランシス会長が「EUも軽自動車規格定めろ」という発言は、日本市場を見て言ったのではないって事に気付くよね。ステ会長が見てるのは海外生産の軽の方だ。特にEUには旧共産国で発展が遅れている東欧が多く参加している。東欧市場は南米やアジア市場と似ているだろう。ならば軽だ、キャリーだワゴンRだ、という考えなんじゃないか?
ステランティスに合併したクライスラーはこの手の海外軽には絡んでこない。でも海外生産のプロみたいなメーカーが合併している。それは仏のルノーと伊のフィアットだ。特にフィアットはデタントになると東欧やソ連に進出してライセンス生産を多くしてきた。
だからフィアットのノウハウで東欧にて軽自動車を生産して、GMダマス(キャリー)やワゴンRと競争するみたいなイメージなんじゃないかと想像する。
最後が切れちゃったのでその3に続くぜ→https://anond.hatelabo.jp/20250625183754
概ね規模の経済が働いてるように見えるけど。
零細を保護しすぎて資本集約ができるほど農地の集約が難しいなら理解できるんだけどさ
https://president.jp/articles/-/94941?page=2
法人農家です。オワコンな理由なのは規模の経済が働かないのと、零細ボランティア農家が多いからだ。要するに儲からない。
普通の産業は資本を投下すればするほど効率がよくなり利益幅が大きくなるようになってるが農業はそうなってない。なので投資が集まらないし「がんばって大きくなれば儲かる」みたいな希望が持てない
さらに日本は農業者が高齢化してて、儲からなくても続けられる状況ができてしまっているので、若者が参入してもまともに子育てできるような収入を稼ぐことがとても難しい。ほとんどの人が「儲からねー」と言いながら年金貰いながら農業やってるので。
要するに儲からない。儲かればカッコいいし、儲かるならカッコ悪くてもやる人は増える
•第二次世界大戦後、日本では**農地改革(1946〜1949年)**によって地主制が解体されました。
•自作農を広く普及させる目的で、農地を小規模に分割・配分した結果、小さな農地が各地に分散する構造が定着しました。
• その後も、相続を重ねるたびに農地はさらに細かく分割され、「細かくてつながらない農地」が多くなったため、大規模化が困難になっています。
⸻
•農地の売買や転用には厳しい許可制が敷かれており、自由に大規模集約できません。
•特に「農業委員会」の許可が必要で、営農実績や地域の理解などが求められ、農地の自由な集約・統合が難しい仕組みになっています。
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3.兼業農家の多さ
•日本の農家の多くは、農業以外の仕事(会社員など)で生計を立てている兼業農家です。
•農業が専業ではないため、土地を集約して大規模化する意欲も乏しく、また手放すことにも慎重です。
•農地は「家の財産」として保有される傾向が強く、貸し出し・売却に消極的になりがちです。
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•日本の農村地域では、**「集落営農」**などの形で、地域全体での合意が重視されます。
• 大規模経営を行うには、地域の合意形成が必要ですが、土地所有者や関係者が多岐にわたるため、調整に時間がかかる傾向があります。
• 「よそ者に土地を貸したくない」「伝統的な農法を続けたい」という心理的な壁もあります。
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•日本の農業は、**水田中心(米作中心)**に発展してきたため、大規模化によるコストメリット(規模の経済)が出にくい分野が多いです。
• たとえば、アメリカのように大規模穀物農業(小麦・トウモロコシなど)で大面積を機械化すれば効率が上がりますが、日本の田んぼは細かく、水利権や地形も複雑なため、単純な大規模化では効率が上がりにくいのです。
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•農業従事者の高齢化が進んでおり(平均年齢68歳超)、若い世代への継承が進んでいません。
便利になるいっぽう、様々な方面に弊害を与えると思うのですが。
皆さまの妄想をお聞かせください。
ric********さん
2010/5/611:45
首都圏や大都市地域ににオフィスや本社を構える必要がなくなるので、
そうなると、こうした地域の土地や不動産を担保に借入していた人々の
あまりなさそうなので、世界の経済活動(特に日本)は大幅に収縮する。
(航空機は軍事・宇宙開発関係以外は必要なくなる可能性もある)
石油燃料については、
需要そのものの低下と、どこでもドアを通じてのパイプライン軽油での
ただし、プラスチック原料としての需要は変わらないか、増えるだろうが、
ただし、こうしたことの結果として、
失業が増えるとか、消費水準が低下するとか、
そのような結果になるかどうかは分からない。
どこでもドアの普及により、新たにどのような
しかし、犯罪そのものが国際的になり、逃亡も世界中にいけることになるから、
世界中に簡単にいけるから、例えば、ニューヨークで仕事をしながら、
昼飯は信州でそば、ということもあるわけだ。ところが、そのときに、
財布の中にドルしかなかったら不便だ。円を持ってたっていいけど、
晩御飯はローマで取る予定だとなると、今度は、リラも持ってなきゃ。
となると、相当めんどくさい。
まあ、店のほうでいろいろな通貨に対応できるようになる可能性もあるが、
給料がどの通貨で支払われるか、ということによって、影響を受ける人も
今までよりはるかに多くなる。
どこでもドアでいつでもどこでもいけるとなると、
かけられなくなる)、住居もどこにも移動できるし、
買い物もどこにでもいけるので、
あるいは、そこまでいかなくてもかなり広域の
なんってったって、
どこでもドアを敵国に向けてあけておけば、
でも、これって、逆にいえば、自分の国で
かえって良くないのか?
というか、どこでもドアを開けといて、
核爆発させるとどうなるんだ?
どこでもドアは、壊れないのか?
まあ、核兵器といわなくても、
普天間基地も要らなくて、
送り込むが、みんな食い物に懐柔されて、
金政権を打倒する。。。ってなればいいなあ)
かえって、高くついたりして。
でも、あっちこっちでドアを開けっ放しにしておくと、
いろいろな動植物が出入りするようになって、
というわけで、思いつくままかいてみたが、
いずれにせよ、
なってくるだろうなあ。。。。
妄想乙
ひどい
おっしゃる通り、「生産性が高い=単位時間あたりの生産量が多い」というのは正しいです。ただし、需要が伴わない場合は過剰供給になり、結果として在庫コストが増加。
この現象は「デフレギャップ」や「過剰供給のパラドックス」として知られています。
需要がないのに作りすぎると、余剰が「デッドウェイトロス(死荷重損失)」に近くなります。
これはいわゆる供給制約戦略で、意図的に供給を減らし価格を維持または上昇させる方法です。
経済学的には「供給曲線を左シフト」させて、需給均衡点を高価格帯に持っていく戦略ですね。
仰る通り、生産者は常に合理的行動を取るので、技術革新や規模の経済を利用してコスト削減には余念がありません。
これは素晴らしい指摘です。経済学で言えば「ストック型資産」ですね。
たとえば:
時代の流行り廃りに左右されない商品は「時間のリスクプレミアム」が小さいのです。
需要が低迷している場合でも、時間差で売れる商品をストックする戦略は有効です。
しかし、流行や技術革新のスピードが早い市場(例えばスマホやファッション)では「在庫リスク(陳腐化リスク)」が急増します。
「イーロンマスクが再生エネを敵視して温暖化の危険を認識してないのは変だ、他のやつらは兎も角あいつは馬鹿じゃないはず!」と言っている人をよく見かけるが、よく確認するんだ!
だがそこでやり玉に挙がっているのは風力なのだ。 https://jp.reuters.com/markets/oil/GFNCEG6OWBM2VNMYLIRPR2VDFU-2025-02-17/
また、最近勢力を伸ばしているAfDも再生エネを敵視している。(AfDのサイトはドイツ語だけなのでテーゼまとめた増田貼る) https://anond.hatelabo.jp/20250224204010
温暖化はウソと言いながら止めろと言っているのは風力だけ。やっぱソーラーおkなのだ。
これは最近勢力を伸ばした他の欧州極右も同じで温暖化はウソ!風力止めろ(ソーラーは知らないよ)なんだ。
こりゃどうして?
トランプ政権がソーラーを妨害しないのはイーロンの商売のためなのだ。
テスラはEVだけじゃなくて蓄電池も作ってるからなのだ。キャンプや非常用の為に3~10万円程度のバッテリーが売られているが、テスラもその市場に参入している。
更に、家庭や企業、工場向けのソーラー蓄電システムにも参入している。
風力+蓄電のソリューションというのは見ない。この手の蓄電システムと相性抜群なのがソーラー。
因みにテスラが蓄電池市場にも参入しているのは規模の経済の為。EVで一番値が張るバッテリーを安く調達するには量が多い方がいい。そこでバッテリーの数量を捌く為。
製鉄業が小規模火力発電(IPP)するのと同じ動機。製鉄の場合は石炭を大量に仕入れる為だね。
こういう訳なのでイーロンテスラの蓄電システムに必須なソーラーは目の敵にされず風力だけが差止め妨害されるってわけだ。
AfD含め各地の極右も同じなのはどーやら自前メディアを持つ味方のミリオネアの商売を慮ってという事みたいだな。
あと、オイルメジャーはこの先の燃料油商売が先細り確定なので再生エネに盛んに投資している。当然ソーラーであれば大規模サイトが中心となる。
この先、政権がソーラーをも妨害ないし差止めさせるようになったら、その規模と事業者の背景に注目したい。
生物の場合、サイズが大きくなるほど、エネルギー消費が指数関数的に増加します。これは、代謝率のスケーリング則として知られています。大型の生物ほど、体温維持や基本的な生命機能の維持に多くのエネルギーを必要とします。
一方、社会においては、規模が大きくなるほど、労働人口に対する公務員の割合が少なくても機能することが可能です。日本の例を見ると、労働人口に対する公務員の割合はOECD諸国の中で最も低いです。
2.社会:規模の経済により、効率性が向上し、相対的に少ない公務員で多くの人口をサポート可能。
社会システムは、技術の進歩や組織構造の最適化により、効率を高めることができます。例えば、デジタル化やAIの導入により、少ない人員でより多くの業務を処理することが可能になっています。
生物は進化の過程で形成された身体構造に制約されますが、社会システムはより柔軟に適応できます。「働きアリの法則」のように、社会においても効率的な役割分担が自然に生まれる傾向があります。
確かに面白いテーマだね。トヨタと町工場の差は、いくつかの要因で説明できると思う。一つ目は規模の経済。トヨタは大量生産を行うため、一台あたりのコストを下げることができる。町工場は小規模で、同じようなコストメリットは享受できない。
二つ目は技術力と品質管理。トヨタは長年にわたり品質管理(例えば、トヨタ生産方式)に力を入れてきた。結果として、品質が高く信頼性のある車を作ることが可能になった。町工場は多くの場合、リソースやノウハウが限られているため、同じレベルの品質管理を行うのは難しい。
三つ目は資本力。トヨタは大企業として膨大な資本を持っており、新しい技術開発や市場開拓に投資する余裕がある。町工場はある程度の資本で運営されるため、同じように大規模な投資を行うのは難しい。
以上のような要因が重なって、トヨタと町工場の間には大きな差が生まれたんじゃないか。もちろん、町工場にも独自の強みや役割があるので、一概にどちらが優れているとは言えないけどね。
若い人たちへ。
これを書いている俺にもわかっちゃいない。
ただただ、世の中の分断というか、世相の居心地の悪さに、いたたまれなくなっただけのこと。
いわゆるデジタルネイティブとか。
コロナ禍を高校~大学生または社会人成りたての頃に経験したとか。
二十歳±5くらいが基本の対象で、
何か共感できる部分があるのなら、対象だと思ってくれていいと思う。
さて。
謝罪、というからには、何かについて後悔や悪いことをしたという思いがあって
それをするということが一般的だろう。
けれど、例えば知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったような場合。
例えばそれが、20年、40年前のことだったとしたら。
これはもう、ただただ、とにかく、謝っておくしかない。
回りまわって今になって何か悪い結果を残した、ようなときも同様だろう。
今回、書いていくのはそういった類のことだ。
けれども、これに関して何が悪かったとか、どうすれば防げたとか、
そういうことを書いていけたらと思う。
前置きはこれくらいにして、本題に入っていきたいと思うが
俺はアラサーのおじさん。
太さに関して言えばそれほどでもない。
別荘があって、クルーザーがあって、継いでもいいと思える家業があるレベル。
毎週のように一人数万数十万の外食に行って、毎月ヴィトンを買って、連休毎海外旅行に行く、そういうレベルではない。
やろうと思えば、いずこかのブラック企業のように従業員を絞り上げて
廃業して、どこか海外の治安の良いリゾート地に移り住むこともできるが、
10年ほど馬車馬のように働いて丁稚奉公を済ませ、家業に舞い戻った。
以上で最低限の自己紹介とさせてもらう。
そして、本題。
ということだ。
いわゆるJTCにおいて、若手を大切にし過ぎる風潮ができている。
この際、今の管理職に指導力がないとか、そういった話はもうどうでもいい。
元気なうちにたくさん働いて、様々な経験と知識を吸収することが許されない。
経験もさせてもらえなかったとしたら、どうなるだろうか想像して欲しい。
自分がそれに就いた時のことを考えてほしい。
まあ、そう言われてみればそうだ。
けれど、結局誰かがやらなくちゃならないのなら、嫌々ではあっても、出来るようになっておいても損はないんじゃないのか。
そういうことを発信しているのを見かけることもあるだろう。
そんなことは賞味どうでもいい。
貴重な経験の機会を奪わせてどうする。
メンタル崩壊するような経験を積めばいいと言っているわけではない。
真っ当な商売で、まともな感覚を持ち、何かあったときにケツを拭いてくれる管理者がいる組織で
自分の体力と精神力を健全に保てる範囲で、最前線で頑張ってほしい、ということ。
老若男女問わず働かせられる。
脳みそと腕と足がついていれば、何が何でも働かせられる。
学の無い人間にやらせていた単純作業はロボットが代わりに行う。
赤紙が無いだけで、マクロ経済の蛇口を開けたり閉めたりするだけで
そんな中で、気力体力が十分で、
インターネットの妄言に騙されずにスタートアップや外資系や海外で
はたまた、インターネットの妄言に騙され、働きたくないでござると
成長期たる30歳まで時間を浪費し続け、
60代のジジイと同じような仕事でのんべんだらりと過ごした人間と。
もちろん、現実すべてがこうまで両極端ではない。
JTCでほどほどにパワハラを受けながらしょうもない仕事をやらされているか、
ほどほどに守られながら蝶よ花よとぬくぬくと育てられた結果何もできない人間に育つか。
FIREだって?お前たち、本当にFIREした人間が羨ましいか?
お願いだから、一度でいいから、まともな人間にFIREしたいか聞いてみてくれ。
稼ぎ切った人間こそ、どうやって社会にお金や経験を還元するか、考えているはずだから。
自分が定年になるくらいまで、自分の子どもたちを大学まで育て上げ、社会に出せるくらいまで何事もなく、両親と子供たちが無病息災、とまではいかないが
五体満足に生きていられればそれでいいと考えている。
それを間違っても口に出したりはしないが、ほとんどがそうだ。
そうでなかったら、今のようになってはいない。
俺がオギャーと生まれた30年ほど前。
バブルがパーンと弾けたり、Windowsが日本に上陸するかしないかと言った頃。
それから10年経ったころ、「失われた10年」、そういわれていた。
おれはインターネットでHTMLを書いたりUOに勤しんでたりした。
それから10年経ったころ、「失われた20年」、そういわれていた。
おれはアメリカに留学したり、ネットゲームで外国人と煽り合いをしていた。
それから10年経ったいま、「失われた30年」、そういわれている。
おれは体力の衰えを感じ、家業へ逃げた。ゲームは積むか観るかだ。
おれがオギャーと生まれて三十年間、何ごともなかったらしい。
確かに、何が変わったかと言われれば何も変わっていないようにも思える。
100円だったお水やジュースは、買おうと思えばコンビニに売っている。
3,000円持たされて買いに行っていた赤マルはそろそろ倍か。
物価以外はどうだ。
ゲームでお金を稼げるなんてな。日本でも最近はFPSと格ゲーも勢いがあるな。
MMOは全部3Dになった。スマホで出来るのは正直にすごいと思う。
けれど、やっていることは当時からそれほど変わってないよな。
遅延は少なくなったとは思うけれど。
こうして振り返ってみると、対して変わってないようにも思える。
そう、本質はほとんど変わっていない。文字通り変わっていなかったのだ。
そうして昨今、ようやく変わりつつある。変わらなければならない、と言った方が正確だろうか。
何となく肌で感じているのではないだろうか。
これはもう日本人の、というより人類のお家芸だ。外圧でしか変われないという。
超高齢化&少子化社会。AIの台頭。ロボット化。宇宙開発競争。
そして30年間、失われていた社会の中でのうのうと暮らしてきた自分たち。
正直、これから先の変化に着いていける気がしない。
と考えるのは無責任だろうか。
後進のために、ラッダイト運動よろしく半導体製造装置を壊して回るべきだろうか。
そりゃあ俺たちだって、これからは読み書きそろばんの時代から、
英語、クリティカルシンキング、コンピュータの時代だ、とかなんとか世間で騒がれていて、
けれど、これから待ち受けているのはそういうレベルのちゃちな変化じゃない。
一部の超天才たちがAIやIOTで繋がれた機械やコンピュータを操る時代。
彼らがこれからの数十年か百年ほどを牛耳っていくのだろう。
いや、もう牛耳られているのだろうけれど。
それは止めようがない。
その一部の超天才たちを日本国内で育てるような体制を作ってこなかったこと。
日本が嫌なら海外で勉強したら?と言わんばかりに対立を煽ってしまって。
そこについていけない、残された人間たちも、
いーよいーよ、そんなに無理してはたらかなくて。
と言われて経験値を全く積まずに育ったのちに、
ごめーん、あとはまかせた!とばかりに後進に残された負の遺産と対峙させる。
ごめん。確かにその期間、何もせずのうのうと暮らしてきていた。
先人たちに下駄を履かされていたことにも気づかず。自分たちの権利だけを主張し、
ただただ、社会の歯車であることだけで、義務を果たしたかのように。
もっと声を上げるべきだった。
世界第二位の経済大国だった30年前の日本で生まれておきながら。
30年間何もしてこなかったせいで失わせてしまった。
おれは、おれに下駄を履かせてくれていた従業員に報いるくらいしか思いつかない低能だ。
人にもよるが30を過ぎると、色々なところにガタがくる。
厄年、という風習があるが、これは至極的を得ているように思える。
だから、それまではどうか馬車馬のように働ける環境に身を置いてほしい。
さてこれから先、日本は世界で20番目か30番目くらいの規模の経済力で
飯と油を何とか買って食いつないでいくのだろう。
日本人の気質的に、皆で一緒に貧乏になろう、という形で収まることだろう。
細々と生きていけるくらいの形で没落していくのではないかと思う。
これはただのこれから起こるであろう仮説であり、単なる現象だ。
そんな中でも、何かに楽しみや嬉しさを見出して生きていくことは可能だ。
あなた自身と身近にいる人、これから出会う人を大切に、対面コミュニケーションを密にして。
失われた30年が無かったことになるくらいの、次の10年を目指していこう。
最後にもう一度。
失われた期間が30年に膨れ上がるまで何もできなくて申し訳ない。
けれど、「そうだよふざけんな、お前らのせいで○○」
ということを前の世代、親世代、人生の先輩たちに投げかけるようなのは
日本人ではないし、今回の文章で謝りたい対象ではないことは強調したい。
ここに伝えて筆をおきたいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240227085257
手帳が無いだけのほぼ障害者が云々と言っているが、それは生産性とはほぼ関係ない。
下請け中小企業は大企業に搾取されるから生産性が低いという意見もほぼ間違い。
そもそも日本のBtoB企業は中小企業まで含めておおよそ生産性が高いのだ。
生産性が低いのは圧倒的にBtoC。もっと限定すれば宿泊業、飲食、介護だ。
こいつらがボトムのボトムに停滞してるから、日本全体の生産性も低く算出されているだけ。
じゃあこいつら最低生産性業界はどうすれば良いのかといえば、答えはもう完全に出てる。誰でも知ってる誰でもできることで解決可能。
値上げすりゃ良いのだ。
ニセコの宿泊業、飲食業の生産性は、同業界内では全国屈指の高さを誇る。
その理由は馬鹿な経営者でも分かるだろう。料金が高額だからだ。
こいつらは別に大企業に搾取されてるわけでも何でもない。経営者が無能過ぎて、適切なブランディング、マーケティングができないだけ。
無能だから値上げしたら一般客が離れるとチキンになっているだけだ。
介護についても答えは出てる。小規模事業者を集約して地域毎に大規模介護拠点を作れば良い。
介護ほど規模の経済が効きやすく、それでいて小規模事業者が乱立している業界も無い。
介護者5名で診れる人数と、50人体制で診れる人数は単純に倍数にはならない。
ゴネる介護事業者(社長)と、地元で介護されたいというゼイタクな爺婆を政治のチカラで黙らせればすぐ実現可能だ。
(参考)
https://logmi.jp/business/articles/329770
Permalink |記事への反応(24) | 16:49
守られなかった約束
「疑似銀行」になりつつある航空会社の奇妙な進化は、さまざまな点で規制緩和がいかに悪手だったかを浮き彫りにしている。規制は、航空会社が営業できる条件を慎重に定めていた。各社が安定したビジネスと信頼できる輸送手段を維持できるよう策定されていた。これが緩和されたことで、航空会社は金融分野への参入を含め、あらゆる方法で利益を追求できるようになった。
規制緩和の推進派はいくつか大きな約束をした。「航空会社が自由に価格競争できるようになれば、航空運賃は下がる」、「何百もの新しいプレーヤーが市場に参入することで業界の独占性は薄れ、政府が利益率を保証しなくても業界は安定する」、「小さな都市でもサービスが失われることはない」
規制緩和派の頭のなかでは、航空会社も他のビジネスと同種だった。航空会社が自由に競争できるようになれば、市場の魔法がすべてを良くしてくれる。航空会社の収益に資するものは、消費者にとっても望ましい、という考えだ。
それは間違っていた。近刊予定の私の著書でも説明しているが、こうした予測のほとんどは的中しなかった。航空業は普通のビジネスではないからだ。
空港の滑走路や搭乗口の数には限りがあり、参入するには障壁がある(さらに言えば、マイレージプログラムには、決まった航空会社を利用する顧客が競合他社に乗り換えないようにする狙いがある)。ネットワーク効果や規模の経済が存在する。資本コストは高くつくし(航空機材は安くない)、誰でも航空会社をうまく立ち上げて既存の大企業に競争で勝てるという考えは、まったく理にかなっていなかった。
激しい競争が比較的短期間繰り広げられた後、時代は統合とコスト削減へと急転し、何十社もの航空会社が倒産したり買収されたりした。サービスは悪化の一途をたどっている。というのも、航空会社間の競争が少なくなったため、各社は窮屈な座席や欠航、手荷物料金や軽食代の値上げで利用者の反感を買うことを恐れなくて良いからだ。
さらに悪いことに、就航が義務化されなくなったため、全米各地の都市や地域は民間の航空サービスを失い、経済に深刻な影響が及んでいる。しかも、航空会社は利益を緊急対策資金ではなく自社株買いに振り向ける傾向が強く、米同時多発テロや新型コロナウイルスのパンデミックといった危機に見舞われると、連邦政府からの多額の金融支援が必要になる。
規制緩和は、ときにその恩恵とされる「価格の引き下げ」さえも実現できなかった。1978年に航空規制緩和法が成立して以降、航空運賃は確かに安くなった。しかし、運賃は成立前からすでに下がっており、成立後も同じペースで下がり続けた。
航空規制の古いシステムも完璧ではなかった。価格で直接競争することを禁じられた航空会社は、備品・設備といったアメニティーの拡充競争へと突入した。機内にピアノバーを設けて不興を買ったのはその一例だ。しかし、規制緩和は病気よりたちの悪い治療法だった。航空業界は、問題を抱えた規制下の寡占から、規制のない寡占へと移行し、現況はさらなる悪化を続けている。
航空会社は、鉄道や送配電網、通信網と同様、極めて重要な公共のニーズに応えている。それと同時に、政府から与えられた特権のシステムのなかに存在している。連邦政府が安全運航のための大規模なインフラを構築するにあたっては、公的資金が投じられてきた。歴史的に見て、これらはすべて、業界を規制する一般的な理由だ。
現代に即したルールが整備されれば、航空会社が「金融機関化」したECプラットフォームになる流れを食い止められる。そして場合によっては、より快適な空の旅の運航に集中してもらえるかもしれない。
Ganesh Sitaraman
スケールする
「スケールする」とは、物事やプロジェクトの規模を拡大するという意味のビジネス用語。ベンチャーやスタートアップ企業の界隈で用いられる日本のビジネススラング。「スケールアップ」。
もともと英語の「scale」は、「規模」「目盛り、物差し、定規」「尺度」といった名詞の意味しか持たない。しかし、「規模の経済性」を意味する和製英語の「スケールメリット」の言葉の使用が広まり、日本語としての「スケール」の言葉自体に「規模が大きいこと」のニュアンスが含まれるようになった。それが動詞化したものが「スケールする」である。
事業規模が拡大することを「スケールする」、規模が拡大せず維持停滞することを「スケールしない」などと表す。システムやネットワークの用語「スケーラビリティ」をビジネス用語へ転用した意味と類似する。対義語として、縮小することを「シュリンクする」という。