
はてなキーワード:西田敏行とは
1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1205 西田敏行、追放された父を継いで鎌倉幕府の執権に就任する
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれる
1579 西田敏行、大工棟梁として建造を指揮した安土城天守が完成
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1632 西田敏行、征夷大将軍の西田敏行の死により、流罪が赦免される
1703 西田敏行、元禄赤穂事件において赤穂浪士によって襲撃を受ける
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1776 西田敏行、長崎で手に入れたエレキテルを修理して復元する
1782 西田敏行、自らが船頭を務める船が難破、ロシア領に漂着
1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(それをナレーションする西田敏行)
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(それをナレーションする西田敏行)
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力し会津藩の西田敏行と戦う
同年 西田敏行、会津藩の西田敏行への伝令にかこつけて追放される
1873 西田敏行、日本初の商業銀行となる第一銀行の頭取に就任
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山に追い詰められる(それをナレーションする西田敏行)
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
同年 西田敏行、京都市長に就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす
って噂がまことしやかに囁かれてるけど
確かに今のわさドラ映画って冒険がメインでメッセージ性全然ないもんね
旧作は環境問題とかテロリズムとか政府批判とか暗にしてきたけどこれは単にF先生の思想を反映した結果であって
芝山努監督らはF先生の描きたい世界観を完全再現してみせたってだけ
今のスタッフさんにこれだけの表現力はないけどそれはF先生の思想が反映されてないなんだ
F先生の思想を反映させるのに鉄人兵団などのリメイク版を作っていくけど
そのどれもが確かに綺麗にブラッシュアップ、アップデートされてて面白かった
でも旧作の人間の闇の部分に触れつつ表現されていく汚い人間や大人の生きざまを克明に描いてると思う
でもわさドラ映画はその時々の人気アーティストをタイアップさせてるだけなのでメッセージ性が全然伝わって来なくなってる
確かに一度聴けばいい曲だなと思える珠玉の主題歌ばかりなのに旧作主題歌のように何度もリピートしたいかというとそんな気にならない
懐古厨になっちゃうほどノスタルジックな雰囲気を損なわない楽曲が旧作映画にはあった。
だから宇宙小戦争とかパラレル西遊記とか日本誕生とか雲の王国とかブリキの迷宮とかドラビアンナイトとか銀河超特急とか太陽王伝説などなど
わさドラは全部その時々の旬のアーティストの楽曲だから良いなと思うんだけど次別の新作タイトルが発表されると共に夢心地だったはずのそれが耳から離れてしまってる
そういった選曲ですらわさドラ映画はのぶドラ映画に勝ててない。まあひみつ道具博物館とか宝島とか宇宙小戦争2021とか地球交響曲とか内容は覚えてないけど主題歌良くてヘビロテする程好きだけどね
映画ドラえもんは旧作の反戦とか環境問題への配慮とかそういう藤子F不二雄イズムが今のドラ映画には全然反映されてない
だからどれもこれも似たような感想しか浮かばないんだろうな。特に映画の番宣のたびにのび太が“ドラえもーん”と泣きながら大声で叫ぶシーンが頻繁に見られるんだけど感動ポルノの押し付けがましくて正直子のセリフを聞くたびにまた藤子F不二雄イズムが穢されて行ってるなと思う訳ですよ。
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02国道)5(号
・03シンディー・ローパー
・04愛媛(県
・03武士は食わねど)高楊枝
・05長野(県
・06 [すべて][4答][順序]海の日山の日敬老の日秋分の日
・08 [1番をあてましょう]林野庁(水産庁デジタル庁消費者庁観光庁スポーツ庁)
・09ラッキョウ
・12 午前)9(時ごろ
・13クロックス
・14クラーク・ケント
・15 [どこ:3択]高松 市
・16ウッドストック
・18松岡充 まつおかみつる
・19 [どれ:3択]グラスコート
・21アリストテレス
・22 ラ
・29ロックフォール
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・30作業(療法士
・31 [3択]金
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わたくし57歳になりました。
生命としての極大値がいつなのかわからないまま、今が右肩下がりという自覚だけはあり、地球の一部として末席をよごす毎日でございます。
さて、ここにて漂流している麗しきあなたにお頼み申し上げます。
どうか、あなたの年齢を教えていただけないでしょうか。
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01.大阪万博は憶えていない57歳
03. 変身サイボーグを1体だけ持ってた57歳
05.ウルトラマンレオまでの57歳
06.仮面ライダーストロンガーまでの57歳
07. 「太陽にほえろ」といえばマカロニ、ジーパン、テキサスの57歳
11.ノストラダムスの大予言にわくわくした57歳
13.オリバーくんの衝撃57歳
15.星飛雄馬が右投げ左打ちの打者として復活したのを目撃した57歳
18.サスペリアで恐怖した57歳
21. 「ニューヨークに行きたいかー」に「おー」と応える57歳
22.ミリンダ飲んでた57歳
25.チャンネル争いに敗れ「ピンクレディー物語」を横目で見た57歳
26.インベーダーゲームを立ってやってた57歳
27.タイムボカンシリーズ、ポチッとな、の57歳
30. 「オーメン2」にみんなハマった57歳
31.所ジョージのオールナイトニッポンを知った57歳
40.タイガーマスクvsダイナマイト・キッドに胸躍らせた57歳
43. 「笑ってる場合ですよ」から「いいとも」で、え?昼にタモリ?だめだこりゃと思った57歳
46.サザン好きだけど嫌いなふりしてた57歳
48. 「ガンダム」「うる星やつら」は「あちら側の人」のものと区別していた57歳
50.テクノカットをよく見かけた57歳
53.ファミコンは買わなかった57歳
55.カール君が速かった57歳
57. 夜の校舎の窓ガラスを壊して回らなかった57歳
58. おいおいドクター荒井テレビで流していいのかよの57歳
62.チェルノブイリには…の57歳
66.JR東日本を「E電」と呼ばせようとしたことを知っている57歳
67. 誰もスキーに連れて行かなかった57歳
72.友達の親父がゴルフ会員権を3000万円で買ってた57歳
73. 「ちびまるこちゃん」をバイト先にいた小学生に薦められた57歳
78.Windows95には見向きもしなかった57歳
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では、失礼いたします。
自転車を趣味にしていると早タヒか?っていう話になってた。→栗原さん
そのときに谷垣禎一も自転車がきっかけでタヒんだよねっていうのは勘違いでした
平均寿命がどんどんのびっていって人生100年時代とかいってるけど、男の平均身長といっしょで
平均寿命(とくに男)がこれから高止まりすんじゃないか?そうおもう今日この頃です。
独身率増えると早タヒ男子グループってのが例外的でなくなるから、こいつらがぐっぐぐいっと押し下げそう!
#103万の壁突破
西田敏行さんが死んだわけだけどなんだろ?心のなかにポッカリと穴があく、というと言い過ぎだけれど、なにか痛みのようなものを感じているのは本当のことだ。
それでもその存在は大きい。
これは私が歳をとったということなんだろうか。
子供の頃から活躍してきた俳優さんやタレントさん、こういう人たちは私の中で決して小さな存在ではないのだ。
大げさに言えば、私の中の私が生きている世界の一部であるからだ。
もしもiPhoneがこの世になかったら、もしもインターネットがこの世の中になかったら。
私が生きている、この世界は随分と様相が違うものとなっていただろう。
それと同じように西田敏行さんがいなかった世界で生きていたなら、確実に私が今生きているこの世界は私にとって違う存在となっていたはずだ。
ある日、ぐりとぐらはいつものようにおおきななべをかつぎながら、もりのなかを歩いていました。
「きょうはおおきなパンケーキをつくるよ!」
ふたりがざいりょうをさがしていると、もりの奥からにこにこした顔の男のひとが歩いてきました。なんと、それは西田敏行さん!
「やあ、君たち、なにをしてるんだい?」
「パンケーキをつくりたいんだけど、ざいりょうがなくてこまってるんです。」
「まあまあ、そんなにせっかちにならなくてもいいさ。人生、なかなかうまくいかないもんだよ。ときには、ざいりょうがなくてもどうにかなるもんだ。」
ふたりはきょとんとしましたが、西田さんのやさしい声に少し安心しました。
「さあ、こまったときこそ、笑っておこう!どっちみち、うまくいかないなら、笑ってたほうがましだろ?」
「さてと、まずはざいりょうをさがさないとな……いや、ちょっとまてよ、だれかがもってるかもしれないぞ。」
西田さんはひとりごとのように言いながら、もりのなかに大きな声で呼びかけました。
「おーい、パンケーキをつくるざいりょうがほしいんだけど、だれかもってるやついないかー?」
すると、もりのあちらこちらからどうぶつたちが集まってきて、ざいりょうをもってきてくれました。おおきな卵やミルク、バターまでそろって、ぐりとぐらはびっくり。
「すごい!これでパンケーキがつくれる!」
「ざいりょうがそろったなら、あとは気合いだよ!何事もね、『努力して失敗するのと、何もしないで失敗するのは大違いだ!』」
「ほら、できたぞ。さあ、焼き上げるだけだ!」
パンケーキを大きなフライパンにのせ、じゅうじゅうと焼いている間も、西田さんはおもしろい話をしてふたりを笑わせ続けました。
「むかしな、友だちと釣りにいったときにさ、ぜんぜん魚がかからなくてな。そんときの友だちが『おいおい、魚がいないのか、釣りが下手なのか、どっちだ?』って聞かれて、『そんなこと俺に聞くなよ!俺もわからん!』って言っちゃったんだよ。」
パンケーキが焼きあがると、ふんわりとしたいいにおいがもりじゅうにひろがりました。
「さあ、できあがりだ。人生のパンケーキは焼き加減が大事だぞ。ちょっと焦げても、それもまた味だ!」
みんなで大きなパンケーキを食べながら、にこにこ笑いが止まりません。
「やっぱりみんなで食べるとおいしいね!」
「そうだね、ひとりで食べるより、みんなで食べたほうがうまいってもんさ。『何事も、分ければ分けるほど楽しくなるもんだ』ってね。」
そして、西田さんはさいごにふかくうなずきながらこう言いました。
「でも、あれだな。パンケーキを食べたら、今度は何か釣りにいきたくなってきたな……うーん、パンケーキの後に魚っていうのも変だけど、どうだい、次は一緒に釣りにでもいかないか?」
ぐりとぐらは目を輝かせました。
中学生の頃から、はてな、なろう、Twitter、個人ブログ、note、某ゲームのファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンルの文章を書いてきた。主戦場を匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。
このような過去から察せられる通り、自分は文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説やはてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。
最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときはサービスのアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。
このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分は文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロの小説家先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリーの矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントはストーリーの構成がしっかりしていて、論理的に妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。
しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主の自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品を主観的、客観的に分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである。
このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分の意見を表明する場合でも、脳内にある自分のアイデアはパソコンのディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分の脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分の脳内にあるものと自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内にしかないもの、書いたものにしかないものも無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行の名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色、スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分の意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。
そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかったことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分は普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたものを100%他人のものであると断じてしまうことである。中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去の自分と現在の自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分の文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法は文章を100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章とにらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分の意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分の意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分の脳内と文章が一致する。
根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分の意見が初めから脳内に整然とした文章で存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分の意見は言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章を100%自分のものにする方法の最後で、自分の意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分の意見を言語化するあいだに自分の意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。