
はてなキーワード:裁定とは
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義,直観主義,ユニバース問題,ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定,二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数,素数定理,サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, severalcomplex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間,スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析,Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流,ヤン–ミルズ,モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin),カオス, シンボリック力学
点集合位相,ホモトピー・ホモロジー, 基本群,スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory,幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色,マッチング,マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン,ブーストラップ)
時系列(ARIMA,状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
非凸最適化
離散最適化
整数計画,ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
エントロピー,符号化(誤り訂正, LDPC,Polar), レート歪み
公開鍵(RSA,楕円曲線, LWE/格子),証明可能安全性,MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
データ解析
こちらの言いたいことをただ否定することに拘泥しているようだが、認識という程度の話なら互いに認識が違ってもいいんじゃない?
だからこちらが子供向けが基本であるとして、そちらが大人のものだという認識はそこまで不合理ではない
そのうえでいうなら、トレカが基本子供のものであるという認識は一定の意味があるし、そうであるべきだと思うよ
昔懐かしい怪獣やウルトラマンを多数登場させているから大人向け、と言いたいが対象年齢は7歳以上だ
https://store.m-78.jp/products/4570066532839
内容としても遊戯王のような徹底的に文字で埋め尽くされているわけでもなく、ルールもシンプルというか単純だ
ウルトラマンを初代から遊んでいた大人をターゲットにするだけならこんな感じにはならない
ひとえに子供と大人が一緒に遊べることがこのゲームのコンセプトであるわけだ
西松屋とかいけばワンピカードやドラゴンボールFusionWorldが売っているので、子供にもきちんと目を向けているのだなと思っている
そもそもカードという媒体は他のゲームよりとっつきやすく、子供が大人と知恵を絞って遊ぶには良い材料になりやすい
また今は使えない古いカードでも引っ張り出せば遊べるというのは重要な点だ
世代をまたいでも楽しめるってのはカードゲームの良さだと思っている
日経エンタテインメントの調べでは、遊戯王というトレカの代表的なタイトルの主要年齢層は30歳らしい
これはトレカとしてはやや若い方なんだが、それでも高齢化社会の中にあることは確実だ
最も高齢化が深刻なMTGは本当にオッサン、というか高齢者に片足突っ込んでる人が滅茶苦茶多い老害界隈
一方でデュエマの大会は相変わらず小中学生が半分程度いるし、そういった層をターゲットにしている
トレカは他のゲームと違い、同じカードが再録などの影響で長く使えたり、古いカードがリメイクされるなど意外と長く遊べるゲームだ
だからこそフォーマットの入れ替えなどで新規層と古参を入れ替える施策が必要で、そのためには常に子供およびその親をターゲットにする必要がある
ポケカなんてみれば、相変わらず小学生でも触って遊べる構築済みデッキが売られているしね
じゃあ大人のものであるという認識であると何が問題になりやすいのか
これが一番大きい
漫画やアニメが子供と大人で分けられていても、双方に利害は生じない
それを大人が買い占めることで、本来楽しめるであろう子供に供給されないことが一番問題だろう
もちろんメーカーが子供なんてターゲットにしていないパターンはある
MTGなんてもはや若年層を完全に切り捨てているわけだし
でもその結果は異常な財力による買い占めや転売による市場の乱高下なわけだし、それに起因するメーカー側の多種多様なレアリティの乱開発だ
現在、遊戯王やMTGの取り扱いを停止する店舗が非常に多いのだが、その理由の人は在庫管理の難しさにある
同じカードでもレアリティやイラスト違いが大量に存在し、プレイアブルなカード以外で価格の変動差も大きい
1つのセットからイラスト違いが大量に出るのが一般化したため、中古ショップが限界に達している
さらにいうと、昨今のトレカ市場は1・2カ月に1度という超高頻度の開発スパンが常態化し、同時にタイトルも乱立している
大人がターゲットになってしまったトレカは往々にして中古市場から消えざるを得ない
子供が遊べることを前提にしていないと、トレカはどんどん複雑なものになる
遊戯王OCGは裁定の多さとテキスト量の増加により若年層の新規参入が難しいと判断し、ラッシュデュエルにかじを切ったのは有名だ
最初こそ単なる劣化だと言われたが、結果的に子供でも扱いやすいシステムやゲーム性だとやはりプレイするには楽しいのだと認識されている
OCGより売上は10分の1程度だが
逆にここ10年で出た遊戯王OCGは基本的に書いていることは単純なのだが、できる範囲が極端に広くなった
覚えるルールや考えられるパターンもこの数年でよりインフレしてきたため、若年層を中心にリタイアする人が後を絶たない
というか現代の遊戯王はアニメという媒体が定期放送していないので新規を増やす手段を模索中だ
それでもインフラを止めることができず、とうとう海外では「リンク召喚とペンデュラム召喚を禁止した新しいフォーマット」が爆誕している
日本でもシンクロ以前の環境で遊ぶゲートボール環境が話題になっているように、複雑すぎる現代遊戯王ってのは内外から忌避されかけているのが現状だ
MTGも様々な複雑な面があり決して若年層向けではないのだが、それでもルールやメカニズムの簡略化や単純化自体をあきらめているわけではないようだ
そしてこれは本当に個人の感想なのだが、カードゲームはやはり子供ありきの方が面白い
カードゲームによってコミュニティの価値観は全然違うのだが、遊戯王やMTGといった古参のゲームほどそのゲームへのこだわりが強く、新規層を取り込むことに非常に忌避感を持っている
子供が安心していつでもパックやカードを買えて、デッキを作ったらすぐ対人戦をできる環境を整えられないところってのは、真面目な話きもいオジサンばっかりになってしまい、俺は引退した
子供の者であるという認識を捨てるということは、そうやってオッサンだけのものでいいという認識になるんだよ
それって一番怖い話だ
まあただ、現代のトレカが子供にそっぽ向く姿勢というのは仕方がない
少子高齢化だもんな
ニューズウィーク「生物学的女性が、女性である」が画期的判決になってしまう時代
https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2025/05/post-340.php
イギリス最高峰の法律家たちはここのところ、女性とは何かを決定する任務に専念してきた。彼らは、生物学的性別が女性である人が女性である、と判断した。
これは、何千年にもわたる多くの文明のあらゆる人の意見とほぼ同様だ。
これによりイギリスでは、何よりまず圧倒的に「常識が戻った」との安堵が広がったが、それが国の最高裁に付託されねばならなかったことにある種の不信感が残った。
一方、一部の人々にとっては驚きと絶望の判決になった──「数十年に及ぶ進歩が台無しになる!」「イギリスで弱い立場にある、疎外された人々の心を傷つける!」「トランスジェンダー嫌悪が蔓延する!」
今回の裁定は、主に権利のバランスに関するものなのだ。つまり、女性と女児が、歴史的に見れば比較的最近になって勝ち取った特権を享受する権利だ。例えば女性アスリートは、まだまだ男性選手と同等の資金や支援を得るのに苦労している。なのに、男性として思春期を過ごし、テストステロンのおかげで筋肉量を増やした人が、女性として競技するのは公平だろうか? それは「同じ土俵」とは言い難い。
苦労して勝ち取った女性の権利と「トランスの権利」が衝突すると指摘した女性は、「TERFS(トランス排除的ラジカルフェミニスト)」とこき下ろされた。デモではよく「TERFSを殺せ」のスローガンが目についた。
「トランスの権利」の潮流に逆らうのは危険なことだった。「ハリー・ポッター」の作者J・K・ローリングは、フェミニスト的視点からあえてそれを行い、ネットでは大炎上し、彼女のおかげでスターになった元子役俳優たちから非難を浴びせられた。
同じくトランス嫌悪と批判されたサセックス大学のキャスリン・ストック教授は、辞職に追い込まれるほどの迫害を受けた。今年に入り規制当局は、彼女と言論の自由の保護を怠ったとして、大学側に多額の賠償金支払いを命じた。
ローリングもストックも、トランスジェンダーの存在を否定したり、社会から拒絶されるべきだと唱えたわけではない。彼らの見解は大まかに言えば、今回最高裁が決定したことと同じ、ということだ。
友達と遊戯王の話をしていた時のことを取り留めもなく書いておく
あくまでも素人の勝手な考察ということでオフィシャルな意見でも文献資料に基づくものでもない
俺の結論としては、遊戯王はデジタルカードとしての側面が最初からあったために一般的なTCGとは隔絶していたんだろうってこと
まず遊戯王ってルールが複雑だと言われるけど、そのおおもとの原因は他TCGが採用していることの多い総合ルールを持たないことにある
総合ルールはいってしまえば全てのルールの下敷きに当たるものであり、ここに書いてある定義や用語、記法に従ってカードは作られる
時に総合ルールでは判断が難しい状況というのはフロアルールなどで解決するし、非常に難解なテキスト同士の処理はジャッジや公式が裁定を出す
この裁定が間違っているかどうかも総合ルールに照らして考える必要があって、総合ルールが裁定に合わせて改訂されることだってある
そういうのが一般TCGのやり方ではあると思うけど、遊戯王は総合ルールという公のルールを持たず、代わりに裁定でカードの挙動を示している
だからときに過去の裁定と符合しなかったりする場面が出てきたりする
この取り組みが良いかどうかは別として、どうしてこういうことができるのかって話
総合ルールを前提にした運用ってのはそもそもプレイヤーにルールの全貌が開示された状態と言っていい
例えば呪文を唱える手順については、場合によっては大変細かく総合ルールに記載されているが、こうするのは呪文の唱え方一つとっても統一した運用をすることで公平な競技ができるようにする意味がある
オレオレルールを通して勝手な処理をさせないようにするってことだ
こういうのはアナログなゲームであるTCGだからこそで、ボードゲームをルーツにしているから全員にルールが開示されていないとダメって思想が根底にあるんだろう
じゃあ遊戯王をみると、裁定という結果は開示されているがその理由や仕組みは明らかになっていない
これは罰則の基準はあってもその基準を誰がどうやって作っているか、どういう法律に基づいた罰なのか明らかにされていないのと大体似ている
総合ルールを持たないことが悪いとは言わないが、それは競技指向がそれほど強くないカードゲームや運営にやる気がない場合に多いとは思う
じゃあ競技性の塊のようなゲームで、コナミのいち柱である遊戯王が、総合ルールを持たない理由ってなんだろう
これって恐らく、遊戯王が元々デジタルカードゲームと並行していたからなんだと思う
当初の遊戯王OCGはゲームボーイから始まり、その付録あるいはメディアミックスの一つがOCGだった
コナミ自体はデジタルゲームの会社だから、紙のTCGという文化となじみがあまりない
つまり現在の遊戯王OCGの源流ってデジタルゲームの派生なんじゃないかな?
例えばマジック・ザ・ギャザリングはアリーナ以前にも多くのデジタルゲームがあったけど、当初は存在していなかったしMOとアリーナくらいしか実績がない
ポケカもデュエマも一応はデジタルカードゲームはあるんだけど、遊戯王に比べるとシリーズといてあまり確立していないし歴史もぶつ切りだ
遊戯王のように長い期間デジタルと紙が並行して作られていたTCGはあまりないように感じる
そこで思うのは、遊戯王はデジタルが核なので総合ルールというゲーム自体をオープンにするというやり方が合わなかったんじゃないかな?
例えばモンハンなどのデジタルゲームで様々なパラメータが開示されていたりダメージ判定などがされているが、それらの計算や基準となるものの正体まで開示されているわけではない
これはユーザーにとって必要な情報と開発運用にとって秘匿すべき情報が分けられているから
でもTCGは書いてあることが全てでありその情報をユーザーが自力で説いて計算することが求められる
なので総合ルールなど詳細で厳密なルールが必要なんだけど、デジタルゲームでそれをするのはゲームそのものの仕様を公開するのと同等だよね
それってデジタルとアナログが混在していた遊戯王では色々問題があったんじゃないんかな
元々が紙のゲームで総合ルールでしっかり定義づけられているか、あるいはシャドバのようにデジタルと紙が分離されているなら別だけど、遊戯王はデジタルと紙がずっと平行しつつアニメもやっていた
なので恐らくだけどデジタルと紙の細かな仕様が完全には一緒ではなく、総合ルールという形に置き換えることが困難だったのかもしれない
デジタルの挙動をアナログゲームに置き換えるには相当時間と労力もかかるから、結果だけをあわせるため、裁定が豊富になったんじゃないかな
kagecage
(万人受け狙うにあたってモヤモヤさせるから取り除いただけで成人向けなら成人向け用に書くと言ってるのに)
捻じ曲げて取り上げてる人が多すぎてさすがに心配
いやいやいやいや
ここでまとめられて矛盾を指摘されてるタイバニは成人向けでしたか?
違いますよね?
ハートフルなファミリーもの・全年齢向け・万人向けでしたよね?
タイバニで示されていたバーナビーの姿態はぼざろなんかよりも露骨にエロいし性的に誘ってる感じなんですが
https://pbs.twimg.com/media/G07pIJNbgAAggxR?format=jpg&name=large
これはどういうことなんですか?
何故OKになるんですか?
タイバニは成人向けではないですよね?
じゃあもうその擁護は成り立たないでしょ。最初から破綻している。
……というか、擁護コメを押し上げたいにしてもなんでこれを1位にするの?
勢いだけでやるんじゃなくて、「論陣として最低限成り立ってるコメントを1位にしよう」
捻じ曲げて取り上げてる人が多すぎてさすがに心配
「非難する側の読解力がおかしいだけ!」「これを批判する人は恥ずかしい!」
この女子中学生の学級裁判みたいな知能低めムーブはなんなんだろうか。
そしてこの手合いの人達はこの後の行動もパターンが決まってて、
正面から取り上げられ反論されてもはや空気では押しきれないとき次にどうするかというと
再反論なんか一切せずに一言捨て台詞吐いて消えるか、無言でスーッと消える。
このkagecageさんと☆付けた人達も必ずこのムーブをすると賭けてもいいレベル。
再反論にトライできたらそれだけで見直しちゃうけど絶対にそういうのは出来ないの。
なんか薄々のところ「自分達があんまり頭も口も回らない」とか「自分達の主張に理屈は立たない」ことを知ってる風にも見える。
taruhachi
好きだが、もしコマ外の蘊蓄をアニメでいちいち入れ始めたらそれはノイズになると思う。
2025/09/16
失礼ながら「なに延々関係ない話してんだこいつは」感は否めない。
吉田さんが今回言ってるのは例えば
今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは
「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、
こういうことなので、
これは漫画とアニメというメディアの差に対する手当、などとは全く違う話だ。
(攻殻でいうなら原作のセクシー少佐や神山のハイレグ少佐にNOだということ)
まるで違う話を滔々と語る(おまけに例示が3~40年前)taruhachi氏は
シンプルにtaruhachi氏は心身の何かが不調なのかもしれないが
このうわごとを人気2位にする吉田氏擁護派はアホか超不誠実かどちらかではないだろうか。
理屈で言い返せないのに勢いや雰囲気の「言い返してる感じ」を作ることばかり頑張らないでほしい。
shoot_c_na
けっきょく「私の基準」で動いてるのかよ
2025/09/16
残念ながら現状はこのようにしか取れない。
・ 「成人向けでない限りセクシー表現はノイズ」と言っておきながら
女性向け・腐女子向け作品では全年齢向けでも美青年の煽情的な様子を描く
・ 「公式から”性的搾取”を提供するのはダメ」と言っておきながら
女性向け・腐女子向け作品では本編で主人公が性的消費用下着姿を出してる
https://pbs.twimg.com/media/G07pIJNbgAAggxR?format=jpg&name=large
この下品な感じのビキニケツ・ビキニ股間・裸体はOKという事だろうか?
このバーナビーよりエロくて煽情的な描写は原作ぼざろにはなかった。
たとえば男性向けと女性向けに二重基準が敷かれていると考えると全て説明がついてしまう。
邪推だろうか?
hom_functor
こういう恥ずかしいダブスタにも無理筋擁護をしに駆けつけるのって慈悲的差別だよな。
常時ヨシヨシしか認めず人として成長する機会を奪っている
2025/09/16
残念ながら今のところこのように感じられてしまう。
「単に、女性である吉田さんが女性の性欲には甘く男性の性欲は許せないというだけなのでは……?」という。
吉田さんの提唱する「性的」判定が女性向け作品の描写への批判や修正に向かったことはあるのだろうか?
Shiori115
"今回のトークイベントで、吉田恵里香さんから特に強い抵抗感を示すものとして言及されたのは
「キャラが性的に消費されること」だ。" だそうですが、「性的消費」を唱える人ってまあそんなものですよね。
2025/09/16
もしくはバーナビーは23歳だから消費してOKと言うあくまで年齢の制限なのか。(作品は成人向けではないが……)
吉田さんの霊感が「男性キモオタが喜んでそう」と囁いたらアウトという霊能力の話なのか。
jaguarsan
擁護してるつもりの人、
または「そういう描写が売りの作品」と言ってるのも同然なんだけど分かってるの?
2025/09/16
この通りで、
今回タイバニ1個でこれだけ吉田さんの言ってたことが怪しくなるのに
成人向けでないのに公式から美青年・美少年の性的搾取が提供されてる例がバンバカ出てきそうな気がしないだろうか?
https://x.com/ondarion/status/1967783597097750981
Yuta Onda@ondarion
吉田恵里香さんのトークイベントレポートの編集を行った恩田です。
(中略)
また、吉田さんの発言から、表現や作品の価値や幅を狭めようという意図は一切感じませんでした。
むしろ作品の持つポテンシャルを多くの人に知ってもらおうという、脚本家の努力や原作への敬意を強く感じた部分です。
上記について、記事を最後まで読んでいただけた方にはご理解していただけると信じておりますが、
Xでのポストで私が要点をまとめるに際して、真意の伝え方が不十分だった点があったと反省しております。
「また、吉田さんの発言から、表現や作品の価値や幅を狭めようという意図は一切感じませんでした。」
の部分は端的に嘘ですよね。
吉田さんは
・成人向けでない限りセクシーさのある表現はノイズであり削除する
・公式が「性的搾取」(定義不明瞭)を提供するのはよろしくない
ということを明確に表明しておられるし、
言葉通りに(少なくとも男性向けのそれらについては)削除や規制をきっちりと実行に移しておられるわけです。
せっかく飛び出して来たなら頭を捻って理屈の立つ火消しをしてほしい。
と言うか吉田さんは自分の考えを率直に語ってるのに編集長が変な嘘をつかないでほしい。
またこの人もkagecage氏と同じで
「批判の声はちゃんと読んでないだけ!」と匂わせたがっていますね。
理屈が立たなくてもとりあえず「誤解だあ!」とか「あいつらがおかしいんだ!」とか言っておくのは損にはならない、
みたいな考えをしてるんでしょうか?
https://x.com/oresamax/status/1967153405539037217
オグマフミヤ@oresamax
目が覚めるお言葉の数々に
大頷きと大感服で書かせていただいております🐅
wwwwwww
明確にその認識で平伏してる(か、おちょくってる)じゃねーかw
「教誨師様の説法でボクも正しい教えに目覚めました」と言ってるのであって
卑しくもライターが偶然でこんな言葉遣いはぜって~~~にしねーし、
ラディカルフェミニズムっていうのはある種の表現については「よくない」「許されない」として
そんなんわかってるだろ。わかってて載せたんだろ。
わかってて・目が覚めながら・大頷きと大感服しながらそういう思想を載せさせていただいたなら、何故貫かない?
批判された途端とぼけながら「誤解ですう~~~」「ボクたちも吉田さんもそんな話してないんですう~~~」なんつって
既に吐かれた唾を床からペロペロ舐めとろうとして何がどうなんの。
批判者からも吉田さんからも軽蔑されるだけで得るものゼロだろ。
誰よりもKAI-YOUがだせーわ。
「オタクと呼ばれる人たち」への侮蔑挑発コメント連打→削除、という頭ポッポした感じのムーブを行ったとのブコメからの情報提供
https://x.com/nuruhoru/status/1967904801339113512
「KAI-YOUに吉田への敵意があってわざと悪い書き方で炎上させてる」
といったアクロバット吉田擁護が一部にあったがその線は消えて、
むしろ上下一致で吉田さんを持ち上げる意図の記事だった可能性が高まった。
ライターの「目が覚め大頷き大感服」も
ふざけてたのではなく本気のヨイショだったと確定。
(人を持ち上げなさいと指示してあの文書いてきたら
この匂いは昔に嗅いだことがあるなあ。
Permalink |記事への反応(38) | 08:13
作品を模倣して犯罪を犯したとしても、その責任は犯罪者自身にあるね。
たとえば、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」という映画は模倣犯が出て、監督や制作会社が訴えられたけれど、犯行の責任は監督や制作会社にはないとして訴えは退けられている。
【解説】物議を醸した『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のクレージーな内幕を暴く!|CINEMORE(シネモア)
1994年に『NBK』が公開されるや、案の定、物議を醸すことになった。映画宣伝にひと役買うはずのメディアは、映画のメディア批判に対して腹を立てる。評論家には「騒々しい映画」とのレッテルを貼られる。さらに悪いことに、公開後にはミッキー&マロリーを真似た模倣犯が現実の世界に出現。ストーン監督とワーナーは連続殺人を誘発したとして、訴訟に巻き込まれる。むろん映画に罪はない。2001年、米最高裁は訴えを棄却する。
BBC News | ENTERTAINMENT | Natural Born Killers lawsuit dropped
"Artists do not have to be lookingover their shouldersat litigation when they are doing their work."
Stone's lawyer,David Wood, said the judge's ruling showed that the lawsuit should never have been filed.
"Oliver Stonedid not cause Patsy Byers to be shot," Wood said.
(訳)
「アーティストが仕事をしているときに、訴訟を気にする必要はない」
ストーンの弁護士であるデイヴィッド・ウッド氏は、判事の裁定は、訴訟を起こすべきではなかったことを示していると述べた。
「オリバー・ストーンがパッツィー・バイヤーズを撃たせたのではありません」とウッド氏は語った。
苦が客観的な事象そのものではなく、認識主体の内部に存在する「状態の差異」から生まれる。
前提として一定の生活水準が保たれているため、生命を脅かすレベル(飢餓、身の危険など)になることはない。
したがって、ここでの苦は、すべて心理的・精神的な領域で発生する。
この構造において、苦を生み出す根本的なエンジンは「理想」や「目標」を生成する欲望の働きそのものである。
欲望は一つの目標を現状に近づける(達成する)と、その達成された状態を新たな現状とし、即座に次の目標を生成する。
このプロセスには終わりがない。これは「もっと良くありたい」という生存本能の精神的な現れとも言えるが、結果として苦の永続的な再生産システムを構築する。
理想や目標は、常に、今ここにはない状態を指す心的表象である。
それは記憶の再構成であったり、未来への投機であったりするが、決して現実そのものではない。
つまり認識主体は、実在しないものを基準として、実在する現状を裁定し、その差分から苦という実感を能動的に生成している。
連続的で一体であるはずの現実から、「私」という概念を切り離し、世界を「私」と「私以外」に分離する。この分離がなければ、欲望の主体も存在しない。
内部の欠乏感や快楽原則に基づき、理想を未来や他者へと投影する。
投影した理想 と、知覚した現状を常に比較・測定し、その差異を苦としてラベリングする。
つまり苦とは、自我が「分離・投影・測定」という一連の認知活動を自動的に行った結果、副産物として生じる精神である。
すべての具体的な欲望(富、名声、愛、知識など)の皮を剥ぎ、その構造の核だけを取り出すと、以下のように集約される。
「苦とは、時間軸上を移動する意識が、未来のある一点に価値ある状態という座標(理想)を定義し、現在地(現状)とのベクトル差を絶えず計算し続けることによって生じる、不可避な情報的ストレスである。」
この定義においては、苦はもはや感情や感覚ですらなく、システム(自我)がその構造上、必然的に出力するシグナルとなる。
火のないところに煙が立たないように、理想と現状 を比較する認知プロセスが稼働している限り、苦は必ず発生する。
このモデルから導かれる苦からの解放とは、以下のいずれかの状態にシステムを移行させることを意味する。
1.欲望をすべて実現し、現状と一致させる。しかし、一つの達成は、次の差異を生む土台となってしまう。
2.理想を生成する欲望の働きそのものを停止、あるいはその投影を放棄する。比較対象である理想が存在しなければ、差異は発生せず、苦も生まれない。これは仏教における「無明からの解放」や、ストア派の「アパテイア(不動心)」が目指す境地と構造的に等しい。
3.理想と現実の差異が存在することを認めつつも、それを苦とラベリングする認知プロセスを停止する。差異を、単なる「変化の可能性」「情報」として中立に捉える。これは、自我が測定結果に対して下す価値判断からの自由を意味する。
苦は外部環境や他者から与えられるものではなく、自己の認識構造そのものが自己の内部に生成し続ける、一種の計算結果であるという結論に至る。
「リターンは変動(ボラティリティ)から生まれ、変動は不合理性(irrationality)から来る」という主張の上で、「不合理な存在(例:トランプ元大統領)が市場にいても良いのでは?」というロジックですね。
投資の世界では、「リスクプレミアム」の概念があります。つまり、予測不能な価格変動(≒リスク)を引き受ける見返りとして、投資家はリターンを得る。
トランプのような予測不可能でしばしば「非合理的」な言動をするリーダーは、市場にボラティリティを注入します。たとえば:
これらは、市場参加者の不確実性を高め、結果として短期的な価格変動を増やします。
理論的には、不合理性が投資機会や裁定(arbitrage)機会を生むため、「不合理=悪」とは限らない。しかし、次のような注意点もあります:
はい、不合理なプレイヤー(トランプ含む)も市場において一定の役割を持ち得ます。
https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2025/05/post-340.php
イギリス最高峰の法律家たちはここのところ、女性とは何かを決定する任務に専念してきた。彼らは、生物学的性別が女性である人が女性である、と判断した。
これは、何千年にもわたる多くの文明のあらゆる人の意見とほぼ同様だ。
今回の裁定は、主に権利のバランスに関するものなのだ。つまり、女性と女児が、歴史的に見れば比較的最近になって勝ち取った特権を享受する権利だ。例えば女性アスリートは、まだまだ男性選手と同等の資金や支援を得るのに苦労している。なのに、男性として思春期を過ごし、テストステロンのおかげで筋肉量を増やした人が、女性として競技するのは公平だろうか? それは「同じ土俵」とは言い難い。
トランス活動家の主張は主に2つの特徴に集約される。行きすぎと、好戦性だ。まず、「トランス女性は女性である」とのスローガンを掲げる。例外も反論も議論も受け付けない。反対する人は「トランス嫌悪」だと非難された。
同様に、苦労して勝ち取った女性の権利と「トランスの権利」が衝突すると指摘した女性は、「TERFS(トランス排除的ラジカルフェミニスト)」とこき下ろされた。デモではよく「TERFSを殺せ」のスローガンが目についた。
完全に流れ変わったね
https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2025/05/post-340.php
イギリス最高峰の法律家たちはここのところ、女性とは何かを決定する任務に専念してきた。彼らは、生物学的性別が女性である人が女性である、と判断した。
これは、何千年にもわたる多くの文明のあらゆる人の意見とほぼ同様だ。
今回の裁定は、主に権利のバランスに関するものなのだ。つまり、女性と女児が、歴史的に見れば比較的最近になって勝ち取った特権を享受する権利だ。例えば女性アスリートは、まだまだ男性選手と同等の資金や支援を得るのに苦労している。なのに、男性として思春期を過ごし、テストステロンのおかげで筋肉量を増やした人が、女性として競技するのは公平だろうか? それは「同じ土俵」とは言い難い。
トランス活動家の主張は主に2つの特徴に集約される。行きすぎと、好戦性だ。まず、「トランス女性は女性である」とのスローガンを掲げる。例外も反論も議論も受け付けない。反対する人は「トランス嫌悪」だと非難された。
同様に、苦労して勝ち取った女性の権利と「トランスの権利」が衝突すると指摘した女性は、「TERFS(トランス排除的ラジカルフェミニスト)」とこき下ろされた。デモではよく「TERFSを殺せ」のスローガンが目についた。
完全に流れ変わったね
ここ数日、「男は子供を産んで欲しいなどど言ってくれるな」、という論調がXで散見される。
おいおい、勘弁してくれよ。残念ながら、男は卵子も卵巣も子宮も膣も持ってないんだ。それは性染色体の定める掟であって、男は逆立ちしても天地がひっくりかえっても出産できないんだ。
それなのに「産んで欲しい」という意思表示すら摘み取ろうってのか?そりゃあまりにも横暴だろ。
確かに、妊娠出産は母親と胎児にとって一大イベントだ。つわりが来れば嘔吐もするだろうし、お腹が大きくなれば階段の乗り降りも気が気じゃないだろうし、栄養状態にも気を使わないといけない。着床の位置によっては大量出血で母体が危うくなる時もある。新生児がなんらかの障害を背負って生まれてきたり、不幸にも死産になったりする可能性もある。そういう背景を踏まえると、男が無責任中出しレイプ決めて出産を強要するってのは非人道的で、これは決して許されない。
だけどさ、お願いするっていう選択肢くらいは残してくれてもいいじゃないか。どんなに高収入で、どんなに献身的な男であっても、できるのは出産育児の環境を整えることだ。自身が出産するってのは、絶対的に不可能なんだ。
それでも子供を欲しがるのは生物として極めて当たり前の欲求だ。だからこそ、妊娠・出産というのは夫婦間の深い深い話し合いの末に結論を得なきゃいけないテーマなんだ。
だというのに、お願いすら許されないとしたら、それは話し合いではなく妻側の一方的な裁定じゃないか。最終的な決定権は妻側にあってもよいだろうが、最終決定に至るまでのプロセスに一切男を介入させないってのは酷いぜ。
まず前提として、君は「図書館は開かれている」「本は安い」「大学も破格」と述べることで、
知識アクセスの平等性を主張しているつもりかもしれないが、これは完全な論点ずらしだ。
議論の本質はそこではない。問題は「知識が無い人間は語るな」という発言封殺の構えそのものだったはずだ。
こちらが指摘したのは、知識水準の差をもって発言権の有無を裁定する態度そのものが、思想の自由と矛盾しているという点だ。
図書館が開いていようがいまいが、それはこの矛盾を一ミリも解消しない。
加えて、「本は安い」と言うが、思想という営みは金銭的アクセスの有無で測れるものではない。
問題は「アクセス可能性」ではなく、「アクセスしていない人間が語ること」を即座に嘲笑・否定する君の構造的態度だ。
その発言は論理的反駁を放棄し、相手の努力量を揶揄することによって、自分の怠慢を正当化する態度に他ならない。
本来、思想とは「不完全な論考ですら吟味に値する」とする寛容の体系だ。
それを「無意味」と切り捨てた時点で、君は思想を語る資格を自ら捨てている。
君が侮辱したその長文に、君は一度も中身で勝っていない。