
はてなキーワード:被害意識とは
山上徹也が一部の若者から支持的に語られる現象については、まず大前提として、暴力そのものが正当化されることはない、という点を押さえる必要があります。
その上で分析すると、いくつかの心理的・社会的要因が指摘されています。ひとつは「既存の権力構造への強い不信感」です。長期政権を担った安倍晋三元首相は、支持も大きかった一方で、政治と宗教団体の関係などに不満を抱く層も存在しました。山上容疑者の動機が“個人的被害意識”と“体制批判”を結びつける物語として消費され、一部で「復讐者」的に解釈された面があります。
また、SNS時代特有の構造もあります。単純化された善悪構図や「巨大なものに一矢報いた」という物語は拡散しやすい。政治的不満や将来不安を抱える若年層の一部が、事件を象徴的な行為として読み替えてしまうわけです。
ただし、これは支持というより「感情の投影」や「体制への鬱屈の代弁視」に近い現象で、世論全体で見れば限定的です。社会への不信、経済的不安、政治参加の実感の乏しさ――そうした土壌があるとき、過激な事件が歪んだ共感を呼びやすい、という構図の方が本質に近いでしょう。
育ちが良くて優秀で、正義感が強くて努力ができる。あなたはそれを彼の「内面」だと思っていないですか?たぶんこれは間違いないと思うので断言するのだが、彼の内側にはそれはもう深い地獄があるよ。あなたはその地獄に共感したことがありますか?あなたこそ「彼はそういう人間なのだ」と思ってそこで歩み寄りを止めてしまっていませんか。
育ちが良くて自律した人間ってたいてい、超自我の支配が強いんですよ。言ってしまえば内面化した親とかそれに類するものね。それは自我(自分固有の欲望)を抑圧する力なわけだけど、これが行き過ぎると、自分の欲望を持つことすら困難になってくる。
社会的動物である人間にとって、欲望というのは、本質的に、他者に対して優越することです。その衝動がキャンセルされるとどうなるか。自分というものを特別視すること自体に罪悪感を覚えることになります。特別視するというのは、なにも「俺はすごい」とナルシシズムに浸ることだけではない(むしろこの種のナルシシズムは社会的基準を受け入れている点で自己を非特権化するものですらあります)。たとえば社会的には正当とされる程度の「被害意識」を持つことだって、自分を他者に対して特権化しなければ成立しない。彼が口癖のように「人間ってこういうものでしょ」というのは、彼が自分を含めて人間を「平等に」見ざるを得ない心理を反映しています。彼は彼の意志で世界に立ち向かうことを禁じられているのです。
だからそういう人間はとにかく努力をする。努力した結果として救いが「訪れる」ことを望むわけです。彼が意志した(要求した)結果ではなく、ただ自然の摂理として自分が救われるようにね。
ねえ、こういうふうに生きている人が心の底で何を思っているか知っていますか?彼の努力、品行方正な態度、寛容、言ってしまえばすべてこの世界に対する復讐なんですよ。正しさによって世界が(あるいは自分が)滅べばいいと思ってるんですよ。そういう気持ちに共感したことがありますか?
まあ、こういう人たちは得てして優秀なので、この地獄に対しても折り合いをつけて生きてゆきます。より高次の行動に昇華させてゆく人たちも多い。あなたはたぶん、慈善事業とかする人たちに対して「口では聞こえのよいことを言うが、しょせんは金もうけのためだろう」とか思ってるでしょう。全然違います。彼らは本心からやってます。復讐のためにね。もちろん、それを復讐と意識している人はそんなに多くないと思うけれども。
ところであなたの彼氏さんは(言葉通りに読むなら)自分よりずっと水準の低いあなたと付き合っている。それはなぜかといえば、彼の中で抑圧された彼の(ある意味で)幼稚な部分が逃げ場を探した結果なのだと思います。これもまた非常によくあることです。彼は雁字搦めになった精神を解きほぐすきっかけを無意識に探している。だからあなたが、彼の子供っぽい部分、原始的な部分をうまくすくい上げ、彼の自縛に風穴をあけ、彼固有の欲望を育ててゆくことができるなら、あなたの望む関係に近づける可能性はあります。なかなか困難な道だとは思いますが、それはそれで、人付き合いの楽しみというものです。
夫43、私40歳。
子供3人もいる。
正直もう性欲とか湧かない。
もう10年くらい前、子供を産んだ瞬間から無くなっていたけど、夫婦の義務だと思って続けてた。
夫が嫌いなわけではない。
夫は私としかできないタイプの人なので、可哀想だという気持ちもあった。
でも私はさっき、夫の誘いを「やだ」と言って、逃げた。
「セックスレスだ…」
といって夫は残念そうにしていた。
しばらくしてまた普通の会話に戻った。
私がなんで今になって断ったのか、言語化したい。
そして
『私の痛みとか苦しみ、辛さなんかの感情には一切寄り添えない』
ということがわかった。
一番近くにいて見てくれていたと思っていたのに、
夫は1mmたりとも共感はしていなかった。
夫の「ありがとう」「ごめんなさい」「大丈夫?」などの相手を思いやる言葉はロボットでいうプログラミングされたものを実行しているだけにすぎなく、そこに感情はないのことがわかった。
それどころか、辛さや悲しいさなんかの負の感情を表すと、見下したり被害意識をつのらせたりする。
私が例えば「◯◯がつらいから◯◯してほしい。 」といえば、迷惑そうな顔をし、「また文句?」と言ったりする。
逆に私が「ありがとう」と言うと、『お前は俺より下』と思うらしい。
私が「大丈夫?」とか言うと、『俺より下のお前が俺の心配するなんて馬鹿にしてるのか』と怒り出したりする。
感情周りの認知の仕方が全然違いすぎて、私が消耗することが多い気がして。
つらいとか、くるしいとか、言わなくなった。
すごく孤独だった。
『こんなにあらゆることを耐えてるのに、
これを夫に言うと夫は…
なんというかはわからないけど、
「俺はお前のためにこんなにたくさんいろんなことをしてやってるのに」とか?
まぁ、なんでもいい。
悲しい。
私は夫と愛のある営みをしたかった。
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追記させてください。
自分の気持ち整理用に書いた日記でしたが、励ましから耳の痛い言葉まで本当にありがとうございます。
一つ一つに返信できずごめんなさい。時系列が雑多なのもすみません。
正社員・子供3人は本当ですが、夫は経営者で私の収入は小さなもの。夫からすれば
「働かなくていいのに勝手に働いて辛いとか言うのは意味不明。放デイなど行政に助けられてるのにこれ以上誰か(=俺)頼るのは甘え」
という感じです。
私が働いているのはリスクヘッジのためです。
この生活に耐えられず離婚することになっても子供を守れるように。
また専業主婦になれば夫の「支配」が強まるのが目に見えているからです。
夫のASD特性上、私の気持ちは一生理解されないと諦めています。
先々月、長男のノートを買いに出た30分の間に、留守番していた次男が行方不明になりました。
パニックになって探したところ、知らないお爺さんが次男を保護してくれていました。
本当に無事でよかった。
夜になっても既読つかず、朝にようやく返事。
帰宅後、私は「どこに行ってもいいから連絡だけはできるようにしてほしい」と伝えました。
すると夫は
「自分はSIM契約してないからすぐ連絡できない。仕事も問題ない。〇〇(=私)が言うなら新しく契約するけど?」
と。
私は契約の話ではなく、「心配かけてごめんね」と言ってほしかっただけでした。
「相手の気持ちを想像する」ことが極端に苦手な特性が出ているだけ。
そして多分私や子供たちがどんな気持ちでいたかなんて想像できる能力がそもそもないだけです。
そして謝罪の概念が「服従・敗北」と結びついているので、絶対に謝りません。
その時の「何言ってるんだ?」という夫の顔が忘れられません。
『この俺が契約を新たにしてやると言ってるのに感謝するどころか謝れと?』。
頭がおかしい人をみるような、見下したような顔。
その瞬間、心がポッキリ折れました。
思い出すたびに胸がざわつき、今はもう夫と身体を重ねることは無理だと感じています。
Permalink |記事への反応(23) | 18:18
そういえば昔、それぞれの出来事の時にその世代が何歳だったかを書いた増田があったなと思ってググったら出てきた
https://anond.hatelabo.jp/20240223185629
これを見ると
なので、就職氷河期前期はようやく権力を握るような年代に入ったところだから、彼らが今を作ったと言うのはちょっと無理があると思う。
そんで、恨み辛みという話だと、氷河期世代がようやくこれからうるさい上の世代が引退していろんな事ができるようになる!と思ったら若手徴用の流れで順番が飛ばされてしまったような話もちょくちょくあって、これもある程度恵まれている就職氷河期世代の被害意識に繋がっている可能性もある。
桜が散りはじめ、満員電車でじっとりと汗をかき、ヒートテックがお役御免になり、さすがに春が来ている。なので今日は白いプリーツスカートを履いた。そしたら、職場の人に褒められた。1日で、2度も。二人から。しかも全く話したことがない人から……
嬉しい〜〜〜〜
嬉しすぎて筆を執ってしまった。
このスカートを買ったのは、就職が決まり、会社に着ていく緩めのオフィスカジュアルというものがなさすぎて急ぎユニクロを回った時だった。ファッションにうとく、適正なサイズを選ぶことすら難しかった私が無難そうという理由で選んだスカートは、はじめはわりと活躍していた。月日が経つにつれファッションに興味が出てきて、そのうちシルエットや丈感、好みがジャストではなくなり、鏡を見ては違和感があるような気がして、この頃は出番が減っていたのだが。
そんな中、この打率。「お似合いですね」とまで言わしめた。似合う……のか、このスカート……
というか……
どうやったらそんなさらっと人を褒められるんだろう…………
褒め方がみんなスマート。出会い頭にさらっと。私だったらまず目にして(あ!素敵!!)と思う。しかしすぐに声には出てこないので、一旦おく。そのあと褒めるタイミングを失い……そのままだ。これまで、何回もそんな機会を逃し続けてきた。あの人のあのパンツ、カーディガン、ワンピース……どれも素敵……心ではそう思ってるんだけど……一度も伝えてこなかった。
そして万が一そのようなタイミングがあったとしても
ってなる絶対。緊張と言い慣れてなさと急に話しかけてキモくない?という被害意識。そもそも自分から話しかけるということが難しいんだもんな、私のような、これまできちんと人間と向き合ってこなかった者は……
こうありたい。本当に尊敬する。こんなに人を幸せにできるなんてすごい。素敵と思ったら本人に伝えちゃう、あなたの心のがよっぽど素敵だっつー話。
2年前に退職してしまった先輩はとにかく聖人のような女性だった。人間性も仕事ぶりも容姿も、とにかく素敵な人だった。その日彼女は私の服装をふと上から下まで眺めたあと、「今日のコーデすごく春らしくて素敵。かわいい!」と言ってくださった。それが初めてだった。
私はそんなふうに褒めてくれる人がいるんだ!?と驚いたし、本当に嬉しかったのだが、キモい自意識がはたらいてその後そのコーデを着ていくことはなかった。
春が来ると当時のことを思い出す。今日、先輩のいない職場でこのコーデを褒められて、先輩に褒めてもらったみたいで嬉しかった。
そういう子供みたいないじめをうけてたのかな?って思うじゃん?
日本もよく言われてる。
たとえば「親日派の尹が大統領だから日本が遠慮なく我々を無視をするね」みたいに言う。
というか融和的な尹大統領と岸田の時代はかなりが関係よかったしね。
みたいな言い種。
・現実が期待通りでないと感じる
→「無視された!」
嫌韓デマだと思うなら知り合いの気のおけない韓国人に聞いてみていいよ。
たぶん日本も入ってた。
でもこれを韓国人は
ア、くだらないこと言ってるんだな、
それで外れたことないよ。
本当に嫌いな語彙です。
韓国人のために韓国人によって使用を制限されるべき語彙だと思う。
これ韓国に慣れてない人は驚くだろうし
一度知り合いの韓国人に聞いてみてから結論だしてほしいけどね。
一対一で聞くと結構理性的に自国文化批判できる人たちだよ韓国人は。
日本にも悪いところが色々あると認めてから聞くとフツーに自国の悪いところたくさん語ってくれる。
日本のオールド反日サヨクなんかよりよっぽど頭よくてフェアな人たちだよ。
ハンマーで殴られた被害者をいじめ犯人と決めつけてニタニタしてるCさんとかさ。
自分が本当におぞましく人格も知能も終わってるレイシストなのを自覚してほしい。
ハンマー女の動機は捜査が進まないと断定できないし続報の報道もされないかもしれないけど
動機について別の嫌なこと思い付いちゃった。
2年生で22歳ってことは
浪人とかしてた人ぽいじゃん?
それはむしろ溶け込めるようにと思っての配慮であり優しさだよね。
自分が大学一年のときもそういう同級生に最初悩みながら敬語使ったら「やめてよお」って言われてそのあとはもう同い年の感覚の友達になった。
けどそういうの、
それでも年齢基準で目上として扱ってほしいということなら先輩扱いぐらい日本人は出来るよね。
言えない不満や疑念が自分の中だけでどんどんたまっていって2年目くらいでドッカーンてなるかも。
知り合いの韓国人はみんな社交的だからそれはおもいつかなかったけど
ただの社交的でない子が心機一転日本にきて文化や慣行のの差で思い詰めてこうなったとかなら
めちゃくちゃ嫌な話だなあ……。
Permalink |記事への反応(46) | 20:36
理由として、男性は女性から痴漢行為や冤罪行為を受けたと被害を主張するケースが殆んど無いからです。
女性専用車の設置理由は、男性から直接痴漢被害を受けたくない女性が選択出来る車両だからです。(過剰に被害意識を持つケース等)
痴漢加害者の冤罪を気にする余り、男性専用車両の選択肢は常軌を逸した措置と考えます。(現実にはあり得ません)
通勤時間帯に限り、連結車両(約8〜12両)の中央部に設けることは必要であり効果があります。、全鉄道会社が 『方式を統一』 した実施を要望します。
通勤時間帯の混雑は、乗客が車両内を自由に移動出来ない物理的状況に問題があります。(近くに不快な人物が居ても退避出来ない等)
これ本当に良い時代になったなー、と思うんだけど、一部オタク層のメンタルの未成熟さが際立つ状況にあるのは過渡期にしても何とかならんもんかなとも思ってる
昔でいう「オタク」文化が社会に普及してマジョリティになり、当人たちも「もはや俺たちは多数派だ」と自認してるにも関わらず、何かと「迫害された」だの「攻撃された」だのマイノリティ的な言動をするんだよね
もはや自分たちが迫害する側に立っていて自制が求められているんだって意識が薄い
中年以降の過去に迫害された経験を持つオタクが言うなら「アップデートできてないな」と理解はできるんだけど、迫害された経験もないはずの若いオタク層が被害意識だけ拗らせてるのは何なんだろうな
こういうとこよね
Amazonで売ってるノーブランド令和最新はたしかに三流品質のゴミ中華と言われても仕方ない(それでも不良にさえ当たらなければ機能性やコスパは納得できるレベル)。
なんだけど、それは三流中華パラダイスになってるAmazonに無策でいつまでもしがみついているから不満がつのるだけであって、自分のせいである。
ちゃんと見識を鍛えて各製品分野で手堅い製品作ってる国産や欧米ブランドを知る手間をかけたり、一流二流のブランド中華を自分で輸入してきたりすれば買い物体験が毀損されるような被害意識を抱えなくて済むのである。
怠惰でワンパターンな買い物習慣を続けて、消費者としての行動をアップデート出来ない人が割を食うのは中国とか関係なく世の摂理なのである。
こんな本があった。日本でも同じような本がいずれ出るのだろうか。
【内容紹介】
書名:ミレニアル世代よ、わかったよ!
帯:ピューリタニズム、被害者化、アイデンティティ政治、検閲……「ベビーブーマー」世代による、Woke世代の神話についての調査
説明:
文化大革命が進行中だ。今度は中国発ではなく、アメリカ発なのだが、中国の文化大革命と同様に大きな被害をもたらすものである。新たな紅衛兵は「社会正義の戦士」だ。ロレアル社は「白(blanc)」「美白(blanchissement)」という言葉をカタログから削除し、エヴィアン社はラマダン期間にプロモーションを行ったことについて謝罪した。レゴ社はBlack Lives Matterとの連帯を示すために、警察が登場する広告を削除した。Wokeが北米の大学に残存する民間伝承にすぎないと言っていられるだろうか?
文化大革命が進行中だ。アメリカの名誉ある大学の女性研究や黒人研究、クィア研究からこの革命は始まった。この革命が、民主党を有害な左傾化へとおいやる「アイデンティティ・ポリティクス」を生み出し、衰退しつつあるプロテスタント的土壌を置き換えた。民族間の分裂に沿って社会を分極化させ、アメリカを内戦の危機にさらしている。黒人と白人、女性と男性、同性愛者と異性愛者を対立させるこのやり口を、われわれの世俗的な共和国、フランスに輸入したいだろうか?
普遍主義的理想と1960年代の解放思想を擁護するベビーブーマーである著者ブリス・クチュリエが、ミレニアル世代に呼びかける。あなた方の過剰な繊細さ、被害意識を伴うナルシシズムは、あなたたち自身に対して検閲や禁止を課すことになるのではないですか、と。私たちベビーブーマー世代は、可能性の領域を広げたい。あなた方は逆に可能性の領域を狭めている。それはわれわれ全員の不利益になる……
【感想】
ちなみに、著者の属するベビーブーマーとは1946年から1964年ごろに生まれた世代と言われている。
Wikipediaによれば、著者は若い頃に毛沢東主義や社会主義に傾倒していたらしい。
60年代の観点からミレニアル世代を批判するというのが、日本とは文脈の違いがあるのかもしれない。
https://livre.fnac.com/a15552213/Brice-Couturier-Ok-Millennials
巷では小山田圭吾のイジメ問題で大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメのスタイルや感性は時代とともに変わってきたようにおもう。
70年代は、ゴリゴリの暴力やカツアゲという"利益目的のイジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者や障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。
80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋はパロディになり、弱者や障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。
90年代は、社会が隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力も金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級は弱者や障碍者を擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりはビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。
かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。
小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。
前フリが長かった。
この時代のEテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間に放送されていたのと、自閉症や知的障害の児童たちのゆるさとストレッチマンのハイテンションの不思議な空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。
ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組のロゴが映っていた。自分は目を疑った。
https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg
寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。)ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。
もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いから因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者や障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的でイケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代の雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢で反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意と努力を否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから、知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。
そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。
真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間の話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。