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はてなキーワード:袁紹とは

2025-12-19

英傑大戦士気流派1が荒れてるが

お気持ちィ~!! する!!

身バレが角が立つのが怖いか増田でやる!! 伏兵!! 知力1!!

士気流派1がVer3.1.0から「一律、最大士気+3になりました。それまでは何色だろうと一律でMAX15になってた。

デッキは1勢力で組むと12、2勢力10、3勢力で8、4勢力で6なので、一律で多色は弱体化を食らったと言えます

自分としては、はっきり言って良調整だと思ってます

なんなら士気流派3も下方しない?ぐらい思ってる士気流派アンチ理由は今から書きます

まず、英傑大戦は「カードゲームだけどカードゲームにあらず」なところがあって。

他の一般的なターン制カードゲーム常識設計すると、かなり不利な設計があると思います

だって

 ・ゲーセンに行かないといけない

 ・1プレイごとに最低100円払わないといけない

という、今やら無料で遊べて当然のカードゲーム特にDTCG)からするとあっあり得んっ(袁紹ハードル存在しています

もし面白さが同等なら、そっちのゲームしますよね。

遊戯王、ポケポケ、シャドバなどなど、遊んでたら英傑よりも一般的話題にできてしまゲームはあるわけで。

じゃあどういうことかというと、

 ・上述のハードルを乗り越えてでも遊びたいと思わせるより強大な面白さが無いとダメ

ってことで。

ゲーセンコミュニティとか言ってももダメっすよ。コミュがどうのはDTCGだって十分育めるから

結局「少なくとも、一般的なターン制DTCGよりは対戦が面白い」が重要なわけです。

なんならお安い娯楽なんて溢れてる時代なので、それらよりも「時間と体力をつかってやりたい」と思わせないとダメ

試合で喜べるのは1人で悲しむのは1人というタイマンルールでこれを達成するのは、この時代では相当な挑戦だとマジに思ってます。すげえよセガ

じゃあ英傑大戦がそんな飛び抜けて面白い娯楽であるためにどう在ればいいのか?

それはもう「持ち味をいかせッッッ」しかなくて、当然他のゲームにはない「カードを使ったアクション要素(広義の白兵)の巧拙が実力として勝敗に直結すること」だと思います

トップランカーさんたちの配信とかを見ると「今の絶体絶命から、それしか割れないのかよ……」とかいっぱいありますよね。

同じデッキ握ってもあまりにも戦闘力がちがう。同じデッキ100先したら食客自分は3-100ぐらいで敗れるんだろうなと確信できるほど。トッププレイヤーたちマジですげえ。

もしこういうことが起きた時に、自分個人としては「んいい~クソゲェ~!!!」とは思いません。格ゲートップランカーにあっさり0-100決められたときの畏敬しかない。

「んいい~クソゲェ~!!!」で顔真っ赤にして連コするときは、なんか理不尽なまでに強い計略打たれてあとはボッ立ちでボロ負けさせられたみたいな時です。今なら氏親ですね(流れ弾)

もう疲れてきたか閑話休題すると、

「いわゆる白兵ゲーを離れて士気ゲー・計略ゲーみが強まるほど、英傑大戦はターン制カードゲームに近づく」わけです。

先ほど私がランカーさんたちとやっても3-100ぐらいだと言いましたが、これを20-100ぐらいまで無理矢理上げる方法があるとすれば、

 ・士気を15溜めて一気にドン!の一点賭け

だと思います。はっきり言って士気12以上の世界は調整が行き届いてません。その何でも起きてしまゲームの揺らぎに賭けて「実力」を無力化するのが勝ち筋だぜーッ

いや、その士気15をどう溜めるかも実力だろっという反論が来るのは重々承知。ここに来るのはわかっていました、驚きはありません(伏兵

でもその「コンボ一発まくりデッキも実力のうち」って、やっぱりターン制カードゲームの発想なんです。

それが戦場を染めれば染めるほど、前述の2つのハードルを超えてまでやるか? リアル問題が出現してくるわけで。

Ver3.0.0からの「旗陣形」や「天翔龍閃」のときは、下々もお気持ちから、なんと「ねだるな、勝ち取れ」系のトップランカーさんたちまでお通夜気味でした。

不毛」「誰でもやることが同じ」「作業」「単純につまらない」「もう今日麻雀ファイトガールでいいかな」……

何度も言うけど、旗やら剣心やらのやってることはターン制のカードゲームだったら全然普通、むしろよく見る光景だったりします。

規定ターンで作業的に勝つソロプレイコンボデッキガチガチコントロールデッキってやつ。

でもやっぱ、そういうターン制カードゲーム常識は……英傑大戦との親和性は低いんだよえーーーっ

英傑大戦の計略はプレイヤーならわかると思うけど、士気1ごとにうま~く上位になるように慎重に設計されています(氏親とムーランから目を背けながら)

士気4<5<6<7<8……の感じで、8から若干どんぶり勘定になる印象がありますが、それは(士気流派でもない限り)「1試合中に3回撃てない」「他の計略を重ねられない」からちょっと大味になるのでしょう。

個人的なアレを言いますと、ガトリング砲全弾発射ァ!は士気8なので1試合に2回までならいいんじゃないのと思うけど3回くると「はいはい、あーたのし」的に拗ねます士気流派士気8マジでつええ。

そんなわけで、士気流派=「最大士気を15まで溜められる」「一試合士気27ぐらい使える(昂揚も盛ってればば29ぐらい使える)」は、「もしかして今の試合、実力なんてほぼ関係無かった?」が……

無いとは言わせない……そんなのは甘えだねだるな勝ち取れと言いたいだろうが……無いとは言えないだろう!! 歴戦の大戦プレイヤーであるほど!!

いや、大政奉還やら岩崎弥太郎やら明らかに問題ありでしたやん。どっちもやっぱり士気絡み。

で、大政奉還やらジョン万次郎やら、超多色で、運用難度もそこそこでめっちゃ強いあれらが出るたびに環境ストップがかかる~興が削がれる感はあって。

「いや、自分は実力では絶対に勝てない相手士気とぶっ壊れのめちゃくちゃで勝てる英傑が好きなんだよ~!」さんたちがいるのも知ってるけど、

多数派かどうかは怪しいし、「負けた側が『しばらくは家ゲーor麻雀ファイトガールやるわ』する率」は白兵系に負けたときよりは圧倒的っしょ。

アクティブユーザーを維持する最大の策は他のゲームを触らせないこと、触られたら戻ってくる率は本当に低くなるぞ……

そんな風なリスクがある上に士気流派1が生み出す指数関数的な調整コストの跳ね上がりが他のゲームバランスの調整コストにまで響いているとしたら、それはもう「一律士気+3」でいいじゃないですか。

しろ今まで完全に空ぶっていた輝元やら同盟やらがちゃん機能しはじめるわけで。

単色ならどのみち士気15まで溜められる、2色でも13まで溜められて混沌を生み出せるという、長々と書いてた通り鬼強い仕様は残ってるわけで。

ついでお気持ち自分的には士気流派3も何か変えた方がいいんじゃないのと思ってる。

士気流派相手にしてるときの序盤中盤に攻めても損するだけ感、ゲージは落城までさせないとほぼ無意味感、なんかなって思うので。

なんかもっと……「残り20カウント以降、敵部隊撃破したら士気+0.5」みたいな。いやただの思いつきだけど。とりあえず白兵やら兵力のやり取り絡んだがいいよねってことで。

みたいなことを書くと「長い。『士気流派が嫌いです』だけでいいよ」と、内容の陳腐化を図って引き分けを狙う人もいっぱいいるよね。

いや、そう、その通り。士気流派が嫌いなんです。

なんで嫌いかというと、対戦相手に出てきて15溜められてよっこいしょされると「連コする気が失せるから」なんです。

前verの氏邦忠勝みたいなのに負けても「チクショーうまく氏邦に乱戦できなかったな、負けたわ」ぐらいで普通連コしてますよ。連コをやめる理由がない。

でも旗の時なんかは本当に 行く→1戦で旗→やっぱ帰るか→今日は往復ぶん時間無駄したな が数日続いて、修正まで行かなくなったんですよ。チームのメンバープレイ頻度が激減してた。

面白ものなら全然金は払うつもりで遊びに行っているので、「連コしたくなる気持ち」に他の流派の何倍もダメージ与えてくる士気流派が嫌いなんですわ。以上や。 

おわり

Permalink |記事への反応(0) | 17:46

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2025-05-16

三国志人物名の出し方

三国志人物名を記憶してないIMEを使うことを想定。

から基本的に1文字ずつ変換していくわけだが、変換はできるだけスムーズに行いたい。多くの候補から選ぶことは避けたい。

もし常用漢字でない場合ググることやウィキペディることも辞さない。

曹操 軍曹操る

劉備 玄米徳島から玄徳を抽出してググる。またはliu beiでググる

孫権 孫権利

諸葛亮 孔雀明るいか孔明抽出してググる。または諸君葛切り平均から諸葛均抽出してググると「諸葛亮の弟」と出る

司馬懿 仲良し達人から仲達を抽出してググる

周瑜 周囲太郎から周郎を抽出してググる

劉禅 劉備坐禅

劉封 劉備封印

関羽 関係羽毛

張飛 膨張飛

趙雲 子龍でググる

黄忠 黄色忠義

馬超 馬 超越

龐統 武士元気から士元を抽出してググる

徐庶 徐行庶民

馬良 馬が良い

馬謖 泣いて斬るでググる

魏延 魏志倭人伝延長

法正 法律正しい

伊籍 伊藤戸籍

厳顔 厳しい顔

尹黙 藤原行成Wikipediaで見つかる藤原伊尹もしくは近衛前久Wikipediaで見つかる近衛信尹+黙

関平 関係平和

関興 関係興味

曹丕 曹叡ググる。または曹 文帝でググる

曹叡 軍曹比叡山

曹植 軍曹植える

曹彰 軍曹表彰

曹仁 軍曹仁愛

荀彧 文若でググる

郭嘉 奉る親孝行から奉孝を抽出してググる

賈詡 膨張決済から張済を抽出してWikipediaを見ると張繡が見つかるのでそこからたどる

程昱 連立方程式から程立を抽出してググる

陳羣 陳列長文から陳長文を抽出してググる。または九品官人法のWikipediaを見る(学校世界史に登場する数少ない三国志人物)

夏侯淵 夏王侯貴族深淵。または妙才でググる

夏侯惇 夏侯淵ググる。または元気に譲るから元譲を抽出してググる

張遼 文遠でググる

許褚 許可儀式から許儀を抽出してググると「許褚の子」と出る

典韋 辞典満腹から典満抽出してググると「典韋の子」と出る

徐晃 徐行公明党から公明抽出してググる

張郃 張り合いbから張合bを抽出してググる(誤り)

楽進 楽に進む

李典 李白辞典

于禁 単于禁止

龐徳 令和明治から令明を抽出して馬超 令明でググる

文聘 文豪招聘

田疇 田んぼ範疇(田疇は普通に熟語らしい)

楊修 爪楊枝修行。楊脩の場合は楊修でググる

孔融 孔雀融合

何晏 何進Wikipediaで「孫は何晏」と出る。もしくは老荘思想Wikipediaで「何」で検索する

孫堅 孫 堅固

孫策 孫 策略

張昭 膨張昭和

張紘 膨張八紘一宇

魯粛 魯迅粛清

呂蒙 風呂蒙昧

陸遜 陸謙遜

黄蓋 黄色い天蓋

程普 程度普通

太史慈 太い歴史慈悲

周泰 周囲安泰

甘寧 甘くて丁寧

丁奉 丁寧に奉る

凌統 凌駕統一

徐盛 徐行盛岡

董卓 呂布Wikipediaから見つける。または童卓でググる(誤り)

呂布 風呂

陳宮 陳列宮殿

高順 高い順

袁紹 紹 本初でググる

田豊 田んぼ豊か

沮授 田豊Wikipediaで「授」で検索

辛評 辛口評価

郭図 郭(くるわ) 図

審配 審判心配

顔良 顔が良い

文醜 文が醜い

袁術 術 公路でググる

袁胤 袁術落胤

張勲 膨張勲

劉表 劉備

劉璋 劉備終焉から劉焉を抽出してググると「劉璋の父」と出る

張魯 膨張魯

馬騰 馬 沸騰

韓遂 韓国完遂

公孫瓚 公孫続でググると「公孫瓚の子」と出る

陶謙 陶芸謙遜

司馬昭 司令 馬昭和

姜維 生姜維新

鄧艾 姜維Wikipedia蜀漢の滅亡あたりを見る。もしくは武士掲載から士載を抽出してググる

鍾会 姜維Wikipedia蜀漢の滅亡あたりを見る。もしくは武士季節から士季を抽出してググる。もしくは鍾繇体(書道の分野に登場する三国志人物)から鍾繇抽出してググると「鍾会の父」と出る

陸抗 陸抵抗

羊祜 陸抗Wikipediaで「羊」で検索。または辛口憲法英語から辛憲英を抽出してググるWikipediaを見る

杜預 杜甫預金

王渾 王 渾身の一撃

毌丘倹 文+仮装大賞ググると出る欽で文欽を作り、文欽のWikipediaを見る

孫峻 孫峻別

王子服(おうしふく) 王子

吉本(きつほん) 吉本

Permalink |記事への反応(0) | 00:27

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2025-02-06

anond:20250206121424

異論排除たか袁紹は負けたと曹操が言ってたぞ

Permalink |記事への反応(0) | 12:16

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2024-12-13

三大、三国志かんちがいしてたこ

袁紹配下に顔醜(がんしゅう)という武将はいない

北方三国志は北のほうの話の抜粋だとおもっていた

あと1つは?

Permalink |記事への反応(1) | 21:57

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2024-09-25

呂布カルマの何が嫌いって

袁紹みたいな顔して呂布を名乗る図々しさよ

Permalink |記事への反応(1) | 12:03

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2023-08-19

ネット情報だけ見ると財務省官僚って現代宦官ぽいなって思っちゃう

俺は政治ことなんかなんもわからんし、お上の決定に従うしかない社会的弱者から日本で野垂れ死ぬことになる成り行きに身を任せるしかないので袁紹登場を指をくわえて待つことにするわ

Permalink |記事への反応(1) | 10:22

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2023-02-26

袁紹配下にいそうでいない武将 顔醜(がんしゅう)

ワイのことかな

追記

ブコメ馬氏五常白眉もっともよし(馬良)ってかんじ

Permalink |記事への反応(0) | 22:02

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2023-02-11

十勝十敗

曹操が勝つ10の理由、または袁紹はいかにして敗れるか」の話をしているときに出現する突然の北海道十勝

十勝郡のスポーツか何かのチームが10敗しても十勝十敗は成り立つ

Permalink |記事への反応(0) | 12:25

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2022-10-01

袁紹になれなかった男

ハチミツが舐めたい…

Permalink |記事への反応(0) | 22:51

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2022-01-25

映画版『真三國無双

時間きっちりアホな映画見たなぁという確かな満足感があった。

 

雑兵が数十人ポーンと宙を舞ってそれを一閃で吹き飛ばすとか、武器オーラを纏って地面が爆発するとか

ゲーム無双演出を忠実に再現している部分も多く、楽しい

ストーリーは一昨日見たのにマジのガチで1ミリも覚えてない。

 

ビジュアル劉備曹操イマイチ

ただ、時代ちゃん考慮して二人とも若い青年の姿で登場している。

孫権孫策兄弟子役で出ていたり、意外とちゃんとしている。

張飛董卓孫堅袁紹あたりはゲームを忠実に再現しすぎていて「うーんこのコスプレ映画w」という笑いを禁じ得ない。

関羽だけは「ゲーム再現したい気持ち」は見えるものの、ちょっと顔が細くてメイクブツブツで「もうちょっとイケメンでもよかったのでは?」という気持ちがぬぐえなかった。

 

おっと思ったのは映画の尺の都合もあったとは思うが夏侯惇許チョなどの有名なサブキャラをざっくりと削っていたこと。

これを原作レイプとするか英断とするかは意見が分かれるとは思うが、個人的には話がすっきりしていてよかったと思った。

 

今ならネフリで無料で見られるので、なんも考えないでアホな映画見たいって人にはオススメ

Permalink |記事への反応(0) | 10:01

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2021-09-25

三国志化するフェミニズム

袁紹軍参戦!!

田豊としてのtikani_nemuruさんへ

https://anond.hatelabo.jp/20210923102036

曹操軍参戦!!

女性表象をめぐる問題というフェミニズムにとっての”鶏肋

https://anond.hatelabo.jp/20210925061319

松戸から新宿ならJR

JRの民よ、劉玄德と共に歩みましょう」

鉄道会社天下三分! JRを蜀、小田急を魏、京王を呉の“三国志”に見立て広告新宿西口広場掲載

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2109/22/news141.html

Permalink |記事への反応(3) | 09:40

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2021-09-10

anond:20210910132336

そらそうやろ。袁紹性格が許攸の裏切りを招き、引いては烏巣攻撃を招いたんやから

Permalink |記事への反応(0) | 13:29

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曹操袁紹能力が入れ替わったら官渡の戦い袁紹の勝ちだったんだろうか?

曹操が勝つ10の理由。または袁紹はいかにして負けるか」って郭嘉10年前のブログタイトルみたいなことを言ったけど、曹操袁紹が入れ替わったらこれ全部逆転するよな。

Permalink |記事への反応(1) | 13:23

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2021-06-08

anond:20210607234817

満寵

出典:フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

満 寵(まん ちょう、? - 242年3月)は、中国後漢末期から三国時代の魏の武将政治家。字は伯寧。兗州山陽郡昌邑県の人。子は満偉・満炳・満氏 (司馬榦の妻)。孫は満長武・満奮。『三国志魏志「満田牽郭伝」に伝がある。

目次

1 生涯

1.1 酷吏として出世

1.2軍人として活躍

1.3 呉との攻防

2三国志演義

3脚注

生涯

酷吏として出世

身長は8尺(約190cm)あったと伝えられる。18歳の時に県の役人(督郵)になった。郡内で私兵を率いて乱暴していた李朔という人物は、二度と乱暴しなくなったという。高平県令を代行した際、督郵張苞張飛の子とは別人)の横暴を見てこれを逮捕し、その場で拷竟(=拷問致死)した上で、そのまま自ら官職を捨てて帰郷したという逸話を持つ。

その後、曹操に仕えた。曹洪配下の将が曹氏の権勢を笠に着て略奪を行った時、満寵は速やかにこれを逮捕した。そして曹洪から曹操への働きかけがあった事を知ると、直ちに処刑した。この行為曹操に大いに賞賛された。

楊彪逮捕された際、荀彧孔融に手心を加えるよう頼まれたが、満寵は規則通り(注によると、笞打ち)に訊問した上で、曹操に「処罰するなら罪を明確にすべきである」と直言した。このため曹操楊彪赦免した。

これらの事からわかるように、満寵は于禁と同様に誰に対しても公明正大で法に厳しかったが、傲慢ではなかったので人からまれることはなかった。

軍人として活躍

官渡の戦いの時期には、袁紹郷里である汝南太守を務め、袁氏与党の軍を滅ぼし、農耕に従事させた。

曹操荊州征伐に従い、曹操が帰還すると奮威将軍兼務し当陽県に駐屯した。

孫権国境に攻め入ると、曹操は満寵を召し還して再び汝南太守とし、関内侯の爵位を与えた。

後に、曹仁参謀として樊城に駐屯した。219年、劉備軍の関羽が攻めて来た時は、救援に来た于禁ら七軍が洪水により壊滅し、樊城も水没して崩壊しつつあった。ある人が曹仁降伏を進言したが、満寵は「山の水は引くのが速く、この状況は長くは続かない」と反対した。曹仁は満寵の意見を良しとした。徐晃の援軍を得て関羽撃退されると、満寵は安昌亭侯に進封された。

呉との攻防

曹丕(文帝)の時代には揚武将軍となり、三方から呉を攻撃したときも、それに従軍した。呉との江陵での戦いで功績を挙げて伏波将軍に任命され、新野に駐屯し仮節鉞となった。半年曹真・夏侯尚・徐晃張郃・文聘らとともに朱然交戦したが、戦死者も数多となり、江陵を攻められなかったので撤退した。また、曹丕の南征に従って、敵の夜襲を見破り散々に打ち破ると、南郷侯に進封されたが、最終的に魏軍は呉に敗れた。224年には前将軍に昇進した。

曹叡(明帝)が即位すると昌邑侯に進封された。

228年、曹休司馬懿・賈逵が揚州荊州豫州雍州涼州の五軍の指揮を執り、石亭・江陵・濡須東関三方から侵攻した。満寵は賈逵の軍に胡質達と共に監軍として従軍し、武昌を目指し進撃していたが、揚州方面の軍の指揮を執っていた曹休孫権の計略にかかり大敗したため、犠牲者も数万人以上となり、敗れている(石亭の戦い・「賈逵伝」[1])。また、司馬懿張郃らも江陵を攻め落れずに退却した。

同年、曹叡は濡須東関に賈逵・満寵らを命じて再び攻めてきたが、陥落させることができずに負けた[2]。

曹叡は呉・蜀漢に対して完全に専守防衛に行い、賈逵の死後に豫州刺史兼任し、曹休の死後に都督揚州軍事となった。揚州への転勤の際、汝南の民や兵士の多くが満寵を慕って勝手についていったため問題になり、詔勅により親衛兵千人を率いていく事が許され、その他一斉が不問とされた。

230年には征東将軍となった。冬に再び孫権合肥に攻め寄せる気配があったため、兗州豫州の軍を召集する事を上奏し侵攻に備えた。孫権撤退する気配を見せたので、こちらも撤退するよう詔勅が下ったが、満寵は孫権撤退偽装と読み、引き続き備えを怠らなかった。孫権10日ほどしてから再び来襲したが、合肥を攻められなかったので無事に撤退した。

231年、呉の孫布という武将投降を申し入れてきた。王淩がこれを出迎えたいと申し出たが、満寵は投降偽装と読んだため、王淩に自重を求めた。偶然入朝する用事ができたため、留府長史には王淩が兵士要求しても与えてはならないと厳命しておいたが、王淩は自らの督将軍に僅かな手勢だけを与えて孫布を出迎えに行かせた。王淩は呉に敗れ、孫布の夜襲により兵の多く失うことになった。

満寵と王淩はこれ以前から対立しており、満寵が召喚されたのも、王淩の息のかかった者が満寵を老いと疲れにより耄碌していると讒言たからであった。満寵と目通りした曹叡は、満寵が壮健なことを確認できたため[3]、任地に返そうとした。しかし満寵はこのまま朝廷に留まることを願った。曹叡は満寵を馬援・廉頗に準え鼓舞した。

232年、呉の陸遜が廬江に侵攻してきた。部下達がすぐに救援に赴くよう勧めたが、満寵は落ち着いて対処すれば良いとした。軍を整え、陽宜口まで赴いたところで呉軍は既に撤退した。

233年、孫権は毎年のように合肥侵攻を企てていた。合肥城は寿春の遠く南にあり、江湖に近接した位置にあったため、過去の攻防戦においては呉の水軍の機動力の有利さが発揮されやすい展開が多くあった。満寵は上表し、合肥城の立地の欠点を指摘した上で、北西に30里の地に新たに城を築くことを進言した。蔣済がこれを弱気作戦であり、味方の士気を削ぐことになると反対したが、満寵は重ねて上奏し、兵法道理を引きながら築城長所を重ねて主張した。尚書の趙咨は満寵の意見を支持し、曹叡の聴許を得た。こうして合肥新城が築かれた。建設に莫大な費用がかかることもあって、合肥城ともども廃れていった。

同年、孫権合肥に攻め寄せたが、合肥新城が岸から遠い場所にあったため、敢えて上陸しようとしなかった。しかし満寵は、孫権武威を振るっているので、必ず陸に上がることに違いないと判断した。伏兵として歩騎兵を6千用意したところ、果たして孫権上陸したため、伏兵により百人の首を斬った。

234年、孫権は十万の軍勢である呼称合肥新城に攻め寄せてきた(「明帝紀」)。蜀漢諸葛亮の北伐(五丈原の戦い)は孫権呼応して(「満寵伝」)、二十万の軍勢である呼称し祁山に攻め寄せてきた。合肥魏軍が苦戦に陥り、これを恐れていた満寵は合肥新城放棄し寿春へ撤退する作戦を願い出たが、曹叡に拒絶されている(「明帝紀」)。満寵は、合肥新城へ救援に赴き、数十人の義勇兵を募り、松と麻の油を用いて風上より火をかけ、呉軍の攻城兵器を焼き払った上、さら曹操孫権の甥孫泰を射殺した。張穎達とともに力を尽くして戦ったが、呉軍は依然として頑強に猛攻した。魏の中央大軍が迫ったので、孫権は大損害を受ける事を避けて、曹叡の援軍が到着する前に撤退した(合肥新城の戦い)。

235年春、孫権江北に兵を送り屯田を始めさせた。満寵は、収穫の時期に屯衛兵達が各地に点在し、陣が伸びきったのを見て、これを襲撃すべきと判断した。また各地の県長に軍を率いて東上させた。さらに各地の屯衛を撃破させ、穀物を焼き払った。詔勅により軍功が称され、鹵獲品は全て将兵恩賞とされた。

曹叡が没し曹芳(斉王)の時代になった238年3月[4]、老年のため中央召喚され太尉となった。家には余財がなかったため、詔勅により特別物資が下賜された。加増による領邑は9600戸になり、子と孫2人が亭侯とされた。

242年3月[5]死去した。景侯の諡号を贈られた。

子孫の満偉(子)・満長武(孫)・満奮(孫)もまた、身長が8尺あったと伝わる。満偉は人品に優れており衛尉まで上り、満長武は満寵の風格を有していたという。しかし、司馬昭に疎まれ殺害され、父の満偉もまた失脚し、平民に落された。満奮は満偉の弟の子であり、やはり満寵の風格があったという(『晋諸公賛』)。西晋時代尚書司隷校尉となった。

また、満寵のもう一人の子満炳は別部司馬となった[6]。

三国志演義

小説三国志演義』では、劉曄の推薦を受けて曹操の家臣となり、楊奉配下だった旧知の徐晃曹操陣営に引き入れることに成功するなど、物語の初期においては弁舌の士という描かれ方がされている。

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2021-05-17

軍師いわく「てきはきょうだいですぞ

袁術プレイ袁紹を攻めるときこう言われたら兄弟だと思ってしまっても仕方がない。兄弟仲良くしようってか?乱世でそんなこと言う?乱世だからこそ?

袁術袁紹兄弟かどうかはさておき、三国志では兄弟同士の争いはあるが、コーエー三国志シナリオでは国レベル勢力が分かれて争う例はなかったように思う。新しい作品PKの追加シナリオではあるのかもしれない。

信長の野望では兄弟敵対勢力ってのは織田家(信長・信勝、信雄・信孝)や浦上である北条大友伊達佐竹のような他家に養子を送り込む大名家兄弟同士で争うことができる。

それをいったら三国志の方は君主後継者ノブヤボのように一門に限らない感じなので、敵に捕まってそこに仕えることになった兄弟君主の死によって跡を継ぐと兄弟同士で敵対できる。

Permalink |記事への反応(0) | 20:40

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2021-02-12

anond:20210212191257

襄陽婚・・・孫堅劉表結婚

河北・・・袁紹公孫瓚結婚

Permalink |記事への反応(1) | 21:25

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2021-02-03

[なわとび日記]136日目

なわとび:600回

ボクシング:159kcal

徒歩:227.9kcal/7639歩

3日連続

岩波新書中国史の一巻を読んでみたらわりと制度史的な記述が中心でやや面食らった

かに新書の紙幅で長大中国史の全貌を一端なりとも描こうとするならばダイジェスト版をやるよりもウルトラロングスパン歴史を眺めて、そこから見えるものを描いたほうが意味があるなあとは思う

中国、割と初期から官僚制が発達してきたので、富裕層はいても貴族と呼べるような存在はなかなか生まれにくいのが面白いところ

広大な面積を統治するには貴族制ではうまく行かないということだろうか

まあ、節度使とかすぐ軍閥化するもんな

袁紹名族連呼するのは代々官僚排出する家柄はあっても、貴族の家柄というのは存在しないからだったんだな

ちょっと面白かったのが九州概念について

てっきり日本九州みたいな九つの地域概念があるのかと思っていたら、そうではなくて数千里四方サイズ時代によって変わる)の正方形土地を1州として、9個四角く並べた概念上の中国範囲九州なのだそうだ

アメリカの州よりさらに人工的な区分けだったとは

そういう代物なので、九州実際的行政上単位として使われるようなものではなくて、すごくざっくり中国全土を指す言葉らしい

Permalink |記事への反応(0) | 07:22

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2021-01-25

anond:20210125142433

誇れるもの血筋の良さだけで、とんでもない無能

その割に袁紹とか劉備出自の卑しさを嫌って公然と馬謄しちゃうあたりが麻生太郎そっくりで好き

野中広務から差別発言に対しての反撃を食らって顔真っ赤にして俯いちゃう小者っぷりとか最高じゃね?

Permalink |記事への反応(0) | 14:32

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2020-09-09

ほーら俺が危惧したとおり菅と菅の混同が始まった

数千年後に「自民の野望」か「Age of Democracy」という政治シミュレーションゲームが出たら西暦2000年頃の時代考証ガバガバで、菅と菅が鳩山みたいな兄弟って設定にされるぞ。

兄弟ときに最大の敵となる。カインとアベル袁紹袁術源頼朝義経足利尊氏と直義、そして菅直人と義偉」

なんてな。

現代人ですらどっちだよって思ってるのに遠い未来人が混乱しないわけがない。

Permalink |記事への反応(3) | 23:54

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2019-08-13

蒼天航路読み終わり

原作者が亡くなった以降わりと迷走した感ある

まあ話考える人が変わったならこんなもん…という感じか

人にすすめるなら袁紹戦まででいいか

そう考えるとその後さらに倍続いたわけだ

それはそれですごいな

Permalink |記事への反応(0) | 15:38

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2019-02-11

安倍政権意図を考えると立憲の進むべき道が見える

安倍首相を醜く描くことで庶民イメージ悪化させることに一定意味はある

でも陳腐化させた敵と戦っても勝てない

官渡の戦い袁紹曹操過小評価していなかったら、田豊沮授の持久策を選択たかもしれない

ドアを蹴破っても崩れないと仮定したらヒトラーソ連への不可侵を破らなかったかもしれない

敵の戦力を過小に見積もってもいいことは何もない…正しくとらえるからこそ、対抗策は生まれていく

安倍政権に対してはまずは、金融政策へは一級品との評価を与え、そこから財政拡大への道筋をつけられなかったことを批判すべきではないか

さて財政拡大するためには、社会保障問題をどうするかという問題のしかかってくる

高齢化が進むと自然社会保障費は拡大していく

ここを無視して財政拡大を進める選択肢もあるだろう。しかしその根拠を作り出すのは難しい。

デフレ国債の強さは根拠になりそうだが、銀行日銀が買い手であることが担保になっていることは否定出来ず、金融政策の転換でA+からさらに低下する可能性がある。

そうなると財政赤字を増やせないなら社会保障費を削り、先進技術への投資をすべきと言う話になる。

しかしこれは確実に票田が失われる。なので、安倍政権は出来ないでいる。逆に立憲は社会保障費を削り、なおかつ支持を集めることができるだろうか?

「立憲ならこういう社会が実現する」の仮定は、政権が存続されうる票田を獲得するという根拠がないと意味のないもの

どこから票を集めるのか?についてて議論することが政権獲得に不可欠なものだが、市中での立憲支持層労働者としてのポジショントークに終始し、安倍政権金融政策評価することすら出来ないでいることが多い

Permalink |記事への反応(4) | 14:24

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2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709154334

「漢」という大きな国で「黄巾の乱」という農民反乱が起きる。

朝廷は各地に将軍派遣してようやくその乱を鎮める。

そのあと董卓っていう奴が独裁者になって暴れるんだけど、部下の呂布という奴に殺される。

朝廷はぐちゃぐちゃで統制が効かなくなってしまい、各地の将軍たちが独立して戦国時代みたいになる。

そのころは大陸の北の方が豊かで人口も多く、その覇権を巡って曹操袁紹という二大勢力が戦って、曹操が勝つ。

曹操日本戦国時代で言えば織田信長みたいな冷徹天才タイプ

北半分を手中に収めて圧倒的な勢力を持つようになった曹操

しか大陸の南東のほうで勢力を拡大していた孫権という奴に「赤壁の戦い」で大敗する。

孫権徳川家康みたいな地域密着型の苦労性タイプ

また、孫権に協力していた劉備という奴が、その戦いのあとの隙をついて大陸の南西の方を占領する。

劉備豊臣秀吉…と言いたいけどわりと違くて、やたら仁義忠義にこだわる良い子ちゃんタイプ

実は西遊記三蔵法師に近いんじゃないか

北半分を得た曹操の「魏」、南東を得た孫権の「呉」、南西を得た劉備の「蜀」。

この三国が鼎立するから三国志演義」。

特に劉備主人公格で、義兄弟関羽張飛と共に、紆余曲折を経て国を打ち立てるまでが前半。

でも建国した矢先、関羽は呉と戦って殺されてしまい、張飛も部下に裏切られて殺されてしまう。

義弟たちを殺されて怒り狂った劉備は呉に攻め込むんだけど大敗して死ぬ

そして劉備軍師であった諸葛孔明が、劉備亡きあと、圧倒的な力を誇る魏に対してさまざまな奇策を持って挑む、というのが後半のストーリー

既に曹操も死んでいるから、魏の将軍司馬懿という奴が孔明ライバルになる。

孔明は魔術的な天才軍師として描かれ、司馬懿相手連戦連勝する。

しかし彼我の戦力差はいかんともしがたく、やがて孔明死ぬ

孔明の死後は、後継者姜維を中心に、蜀も粘るんだけど、ついに魏に降伏することになる。

具体的に言うと、鍾会という野心旺盛なエリート姜維を釘付けにしているあいだに、鄧艾というドモりが酷いおっさんが間道を通って蜀の首都を攻め落とす。

でも鄧艾のことが気に入らない鍾会は、鄧艾の勝手な振る舞いを讒言して殺してしまう。

さら姜維に唆されて、鍾会は蜀の地で独立してやろうとするけど、あっさり発覚して鍾会姜維は殺される。

この頃の魏は、司馬懿の息子たちがすっかり権力を握っている。

そいつらが蜀の滅亡の後に魏を乗っ取って、「晋」という国をつくる。

この晋の名将に羊祜という奴がいて、最後に残った呉をいつ滅ぼそうかと手ぐすねを引いていた。

しかし、このときは呉にも陸抗という名将がいた。

二人は国境を挟んで互いのことを認め合い、手紙や酒を送りあうほどだった。

この頃の呉は、晩年に耄碌した孫権が、悲惨後継者争いを引き起こして国力が低下。

陸抗の力によってようやく保っている有様だった。

やがて羊祜も陸抗も亡くなったあと、羊祜の後継者となった杜預という奴によって、ようやく呉は滅ぼされた。

魏も呉も蜀も消え去り、晋が大陸統一したのだった。

おしまい

Permalink |記事への反応(2) | 20:43

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2010-05-20

官途の戦いっていいよね

史実も演義もどっちもいいよ

演義ならやっぱり関羽顔良を斬るとこがいいね

官途ってどれぐらいイフで袁紹に味方すれば袁家側勝利になるのかな

Permalink |記事への反応(2) | 13:44

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