
はてなキーワード:衣服とは
筆者(30代)の母(60代)は片付けが全くできない。そしてそれを強く非難できる人間がいない。そのことが家族の様々な問題を滞らせている。
現状を詳細に書く。
5年前に筆者の母方の祖母が亡くなった。祖母が最後に住んでいた家は賃貸で、毎月の家賃を母と母の弟達で折半して払っていた。その家に(既に亡くなった)祖父と祖母が2人で住み、母が時折介護のために訪れていた。普通に考えれば祖母が亡くなったことで必然的に空き家になるので、すぐに解約して退去するはずだった。しかしここである問題が浮上した。
祖母は生前クラシック音楽を嗜んでおり、家には最期までアップライトピアノ、オルガン、更にはグランドピアノまでもが置かれていた。当然それらは祖母が亡くなったので処分なり売却なり譲渡なりを検討する段階に入ったのだが、きょうだい間の話し合いで母が泣き崩れて大反対したそうだ。曰く、グランドピアノは祖母が生前大変苦労して貯金してようやく購入した大切な思い出の品だから手放せないと。弟達は皆優しいので(お人良しなので)そんな母に無理強いして楽器類を処分させることはできず、結局祖父母のいない空き家の空家賃を5年間払い続けている。
母もそういった停滞した状況に一応は後ろめたさを感じているようで、片付けのハウツー本を何冊も買ったり(買うだけ)「早く片付けなきゃ」と口では言うのだが、(仕事や家事で)「疲れた」「忙しい」などと言い訳を並べ5年間のあいだ事態は一向に改善しない。更に厄介なことに母は片付けイコール「捨てる」ではなく「整理、収納」だと考えているフシがあり、今あるものを捨てずにそれらをしまう棚やケースを買ってしまって更に部屋の面積が減り、物は減らないままという悪循環に陥ってしまっている。
また、母と懇意にしているある方が祖母のグランドピアノを某所の公共施設に寄贈して再利用させてもらえるように手配してくれたことがあったのだが、「お決まりになりましたらいつでもご連絡くださいね」という向こうからのLINEに対し母は今だに返信していない(できない)そうだ。筆者からすれば、誰もいない空き家でホコリをかぶって朽ちていくより何処かの施設で人々に奏でられ続ける方が祖母もピアノもよっぽど喜ぶと思うのだが、5年の歳月をもってしてもそういった境地に至れないらしい。
「筆者も手伝うから、とりあえず使ってない家具だけでも捨てよう」と提案したこともあるのだが、「重すぎて2人じゃ運べない」「捨てるにしても業者に頼まないといけないから今はお金がなくて無理」と言って意に介さない。
片付けに限らず、母は重要な意思決定をギリギリまで伸ばす保留癖がある。何かを決めるための大事な話し合いをしていても「今はまだその時じゃないから」とすぐにお茶を濁す。とにかく自分にとって不都合な現状と向き合わずに限界まで目を逸らす。「整理じゃなくて捨てないと」「これ以上弟達に迷惑をかけられない」「これは片付けじゃなくて終活なんだ」などの耳が痛い正論を並べ立てて詰めることもできるが、それをやると普段は温厚で優しい母の顔がたちまち強張り鬼の形相と化し、不機嫌モードとなって無言でその場から去ってしまう。建設的な話が全くできない。更に母は「責められる私が悪いんじゃなくて責める方が悪い」というスーパー他責思考なので始末に負えない。とにかく「責められる」ことに対して異常なまでの嫌悪感がある。
ここからは筆者の推測だが、恐らく母は「自分の実家が消滅する」という大きな喪失を受け入れることができないので、弟達の好意に甘えて片付けないまま自分が死ぬまで「逃げ切ろうと」してるのではないか。だとしたらあまりにも身勝手な魂胆だが、表向きは片付ける姿勢を見せながら実際は全く行動を起こさない点がその説の説得力を強めている。
今回の話とはあまり関係がないので詳しくは話さないが、実は祖父母の家だけではなく母の家、つまり筆者の実家の和室も使わない物(着ない衣服、行かないキャンプの薪、筆者の弟が高校時代に取ってきたぬいぐるみetc)で溢れ完全に物置状態と化している。
この停滞状態が続くと母が死んだ瞬間に祖父母の家の片付けと筆者の実家の片付けが同時に我々子供たちに全てのしかかることになる。かといって母には誰もダメ出しできず(というかしても逆ギレする)母が生きているうちに片付けることもできないので完全に八方塞がりである。似たような状況の人がもしいたらどう対処したか参考にしたくてこの記事を書いた。
別れた人の意見として参考になれば
8個年上で24歳の時に結婚した、29歳の時コロナ禍ちょい過ぎぐらいの時期に彼の風俗通いが発覚
色々話したし和解したつもりでお互い歩み寄ったり再構築頑張ったけど無理だった、長くなるから箇条書きで
・元々そういうサービスにお金を使うことを無駄と冷笑していたのにハマっていた事
・行かないと約束しGPSをつけた後も雑な嘘をついて月に一度行く事(同じ会社に勤めてるのに残業とか会議とか社内予定見たら分かるだろ)
・相手の女の子やプレイ内容に関係なく潜伏期間や今後の我々の性交渉に対して安全性を担保するための性病検査を断固拒否し続けた事
・本人的にはNN店利用が過酷な仕事の休息でありご褒美であるという認識である事、その認知の歪みはカウンセリング等が必要ではと提案するも断固拒否された事
・この人にとって若さは絶対的な指標であり性風俗店の記号化された【年齢】にもそれは発動し、また隣で私はどんどん老いてゆく事
・いわゆる口開けで必ず来店しシティヘヴンでクーポンを利用する事(個人利用ガチ勢)
・私が愛想を尽かして家を出た後に話し合いを持ちかけ喫茶店で待ち合わせをするも、その日の午前中にも風俗を利用していた事
・金を稼ぐ俺には“良い”女体が与えられて然るべきだという思考がずっとあったと分かった事
・女体を“買う”ことや金銭の授受を前提とする性行為に何も躊躇いがなく当たり前の権利と捉えていた事
・高校生や大学生の時にあまり女性と接点がなく青春のやり直しを切実に望んでいた事
そもそも自分も22歳の時に付き合い始めたし筋金入りのロリコンだったのだなと今では思います、とっても好きでした。今でも思い出します。教養があり思慮深く車の運転が上手くて平日の晩に手際よく作ってくれたペペロンチーノはすごく美味しくて見なりのセンスも良く仕事が出来る人で。
でも許したくても許せませんでした。彼の前で衣服を脱ぐ事が怖くなり、彼が私に触れる度に深い深い絶望のような失望のような気持ちが襲いました。風俗通いが発覚するまではコンスタントに性交渉のある夫婦でとても相性が良いという認識でした。せめて私が逆立ちしても出来ない属性の特殊性癖を外注する感覚ならまだ理解ができました。私が毎日失う物を是とする人の隣に立ち続けるほど私は強くありませんでした。
私は彼が風俗に行った、という事実だけで別れたというよりも芋蔓式に判明した諸々がどう足掻いても無理だなと悟った感じです。ご参考までに。今後なにかしら良い結果を増田から聞かせてもらえたら嬉しいです。
Permalink |記事への反応(14) | 23:51
試しに「絵だけど、未成年だぞ」の精神でイラストも児童性虐待記録物ってことにしてみないか?
1日だけ!
1日だけでいいから!
・児童ポルノとは
写真、電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって、次のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいいます。
・児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
・他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
・衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀(でん)部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
自分、妻、障碍児2人。
妻の収入は妻の小遣いにしかなってないので、生活費は自分の給料だけ。
分類はほぼマネーフォワード任せ。
ほとんど外食してないし、妻実家からお米を貰ってる割に食べ過ぎだと思う。
住宅ローンなど。固定資産税はまた別に。すげー安いと思う。悲しいかな中古住宅。
車検もあったし、保険の更新とか、住所の書き換えを行政書士に頼んだり、ガソリンは高いし。
オムツ代がけっこうしたな。二人とも外れてなかったからオムツだけで毎月1万円くらい消えてた。
実は俺の趣味の放送大学が半分くらいを占めてて、障碍児だからってかかってる部分はほぼない。
通所証もらってるから児童発達支援センターも無料。
妻と自分のスマホ代。固定の光回線。それにしちゃ高いけど、サブスクとかも集計に入れてた。
ChatGPTとClaudeのサブスクは今年に入って辞めたから、これで2025は6万くらい浮くはず。
Microsoft365も放送大学を利用して半額にしてやった。
まあ少ないほうじゃない?知らんけど。これとは別に放送大学に毎年10万くらい課金させてもらってるし。
病院とか薬局の薬とか。たしか2024はCTとMRIが一回ずつあって、それがすこしかさんだ。
内訳をみると寄付金が多かった。
これは、削減できないな。
ガソリン代とかは自動車の項に含めてるから、こっちは電車とか、スイカのオートチャージとか。
出張交通費として会社が後で出してくれたやつ含んでるから、たぶん正味だともうちょっと少ないと思う。
なにに使ったのって聞くとうるさいから聞かないで未分類のままにしてる。
ニュースを見ていると、ときどき「それ本当に器物損壊でいいのか?」と思う事件がある。人の服に火をつけたとか、人の身体を直接危険にさらすような行為なのに、罪名が「器物損壊」として報じられる。常識的に見れば、命の危険があったはずだ。
刑法上は、「人の身体」ではなく「衣服や所持品」が損壊された場合に器物損壊罪が適用されることがある。だが、人に向けて火をつける行為は、結果がどうであれ明らかに生命・身体への危険を伴う。形式上の「モノへの損壊」として処理するのは、法の条文上の限界なのかもしれないが、社会感情から見れば納得できない。
こうした罪名の軽さは、被害者や市民の不信感を生む。「殺すつもりがなかった」と言えば軽くなる構造、「結果が出なければ軽い」という発想は、加害行為そのものの危険性を無視している。
刑法の罪名運用は形式的であるがゆえに、社会の常識との間にギャップが生まれる。結果が偶然軽く済んだだけであっても、故意に人を危険にさらした時点で、より重い罪として処理されるべきだ。
前提として俺はおっぱいが大好きだ
でも太ってて腹が出てる男見ると真っ先に腹に目が行くんだよ
腹とおなじぐらいおっぱい出てる男見ると腹とおっぱいどっちも見ちゃうし
太ってて腹よりおっぱいが出てる女性を見るとおっぱい見ちゃうんだけど
おっぱいより腹出てる女の人見ると真っ先に腹みちゃうし腹ばっか目が行くんだよな
俺の職場の障碍者雇用の従業員でチンコとキンタマが滅茶苦茶デカい人がいてさ、作業着の上からデカさがわかるのよ、ポケットに水筒か500mlのペットボトルいれてんのか?ってぐらいズボンの上から膨らんでるのよ
その場合、おっぱいでもおなかでもなくて、服の上からのチンコずっと見ちゃうわけ
で、気づいたんだけど、男はおっぱいばっか見てるんじゃなくて、「衣服の上からわかる一番出っ張ってる場所に目が行くだけ」なんじゃねえか?
俺おっぱい大好きだからおっぱい見てるんだと思ってたんだけど、俺おっぱい好きなんじゃなくて一番出っ張ってる所に目行くだけだったんだわ
俺のおっぱい好きってその程度だったんだな、ってなんかショックだった
飯行く価値ないおっさんに飯誘われてる女は、そのおっさんにあるものがランク下に見られてる。
見た目とか年齢とか衣服装飾の類じゃない。
誘われ女の周りにいる男のランクが、おっさんから見て下っぽいからおっさんは誘ってくる。
当該女の周りの男はへぼいから連れていかないだろう、周りの男より俺はすごいんだぜ、飯行こうや、飯行ったら周りのヘボ男に比べて俺のすごさわかるだろ、話もおもしろいだろ。
この手合いがいるので、当該女たちは男で武装してください。
浮気常習のしょうもない男だけど見た目アルファオスで柔道何段だか忘れたけど180cm90キロの柔道強くてヨット乗せてくれる父親と、某会社社長子息のニートの元彼氏はその肩書きや見た目やプロフィールで20代の私を守ってくれました。
そもそもおっさんに誘われることなんてまーもー滅多になかったけど、
誘われたら、お父さんよりすごい人としかご飯行かないんですーつってぶりっこして、またまたーどんな人?って聞いてくるからタンクトップ日焼けマッチョがヨット乗ってる写真見せて、〇〇さんのお船は何フィート?って言うんですよ。お父さんのお船よりおっきかったら行きますとか言って断った。
レストランを肴に誘われた時はどんな店でも彼氏と行きましたって言ってた。かれぴっぴが社長子息で、めちゃくちゃコネがあっていってきましたって言ってた。
愛嬌たっぷりにお父さん好きな娘ちゃん、いいとこのぼんぼんの彼氏いるアタシ、をやれば終わる。
浮気常習で母親はじめ私も姉妹も泣かされまくってるクソ親父を好きなふりするのはおえーだったけどまじで使えたし、ニートの彼氏はまじでニート極めたから別れたし時間の無駄だったからおえーなんだけどほんとに使えた。
いまならチャッピーに設定作ってもらえばいいんですよ。
男をやり込めるには男をぶつけるしかないんすよ。
もちろん、そうじゃない下心ワンチャンおっさんもいると思う。ちょっと下ネタ匂わすようなやつ。
これは友達の技だけど、このラインを彼氏が見て怒られちゃって、、、とか、このライン父が見て怒ってます、、、このLINEうっかり職場で開いたら上席が心配してて、、、みたいな、LINEフルオープン箱入り娘ちゃんキャラになるとええですよ。
心配かけたくないので、この人とあの人も誘うんでどうですか?みたいに、すっとぼければいいんですよ。即グルチャに変えて。個別LINEフルシカト。
角が立たないように断る女の手間をファミは嘆くかもしれないけど、悩む時間もったいないじゃん。
そもそもおじが誘うなっていうのはまじでわかるけど男の中にはへっぽこ前頭葉のやつがいて、止められないし、自身をメタ認知できる知能の男の数なんてミュウツーのごたる、なのよ。
[研究] 謎の薩摩弁「ちぇすと」はどのように生まれたか――鹿児島谷山方言とロシア語が結びついて流行語になり、誤解から「興奮とくやしさを表す雄たけび」に変化|mitimasu
(1)本来、「ちぇすと」は**鹿児島谷山町の方言で、「よっこいしょ」の意味**の言葉
(2)明治時代の中頃に鹿児島谷山方言の「ちぇすと」と**ロシア語の「че́сть(名誉)」が結びついて称賛としての「ちぇすと」が鹿児島の知識人の流行語になった**
(3)島津義弘の関ヶ原正面退却や宝暦治水を**称賛する言葉として**「ちぇすと関ヶ原」「ちぇすと松原」(※宝暦治水の千本松原のこと)が生まれた
(4)しかしロシア語の意味がわからない人が、(3)の使われ方から(2)を**悲しいとき・くやしいときに発する言葉だと誤解した**と思われる
(5) これらを踏まえて明治30年ごろに「ちぇすと」が**東京の学生や青年のあいだで「気合を入れる言葉」として流行し**、広く世間に知られるようになった
(6)流行がしずまり現実では(2)と(5)を使う人は減り、**フィクションの中の薩摩人ばかりが使う言葉になった**
(7)鹿児島県出身の作家である**海音寺潮五郎が(4)の意味でさかんに使用**(海音寺氏は谷山から遠く離れた現・伊佐市の生まれ)
(8) これが鹿児島県に逆輸入され「ちぇすと」が「くやしいときや気合を入れる時に薩摩人が発する言葉」だと**鹿児島県人が認めてお墨付きを与えてしまう**
(9)司馬遼太郎をはじめ**多くの作家が(4)の意味で使用し、(3)の意味は失われていった**
(10) 結果として「気合を入れるときの雄たけび」と「くやしいときに発する言葉」という**異なる意味が「ちぇすと」の中に共存し、よくわからない**ことになってしまった
(11)そもそも「ちぇすと」は「よっこいしょ」という意味でしかない江戸~明治期の谷山町の方言なので、**多くの現代鹿児島県人にとっても使わないよくわからない言葉**である
しかし、このnote記事では1936年の辞書の「露語から来たといわれる」という一つの記述を、そのまま鵜呑みにしてしまっている。
また全体として推測が多すぎるため、いくつかの情報を提示するとともに研究を補強したい。
「ちぇすと」の初出としては、1898年内田魯庵『くれの廿八日』が挙げられているが、これよりも早い用例はいくつかある。
まず、1888年の『青年之進路』。著者は鹿児島県士族の佐藤良之助とある。
これは相手を馬鹿にして煽っているシーンであり、この「ちぇすと」は少なくとも称賛の意ではあるまい。
ただ、ステッキを振るための掛け声なのか、相手を威圧するための掛け声なのかはわからない。
「さうダワ」「なくつてよ」のあどけない令嬢のみならんや「チエスト」と罵るこわからしき九州男児も「オオしんど」と言ふ裊娜(たほやか)なる西京佳人も以て一対の主人公となすに足らん
句読点がないからどこからどこまでが一文かわからないが、ともあれ「ちぇすと」は「罵り」だという認識があったことが窺える。
「ドウモ奇絶ジャ…」「エライ人が駈をるナ…コレどふする…」
田舎者が上京してきて呆然としているところに箪笥をかついだ男に突き飛ばされて「ちぇすと」と扼腕する、といった場面。
「ちくしょう」「なんてこった」などと同じような、思わず出てしまった言葉という感じがする。
1892年『罪と罰』。ドストエフスキーの訳書だが、訳者が『くれの廿八日』の内田魯庵である。
真向に鉈振上げて、婆アの頭脳を打砕き、腥血淋漓たる中に生血の滴る得物を手にし、錠を破し、金を盗んで、隠れやうとする自己だ。ちェすと!こんな事が出来るか?有るもんか?
英文からすると「ちぇすと」はかなり意訳っぽいが、やはり「なんてこった」という感じだろうか。
1893年『称好塾報』。称好塾は滋賀出身の杉浦重剛という人が東京に作った私塾である。
此頃より陰雲未た開けずと雖も細雨は既に跡を収め皆チエストと絶叫せり
其佳なる所に至れば「チエスト」と絶叫せしむ
前者は川船を漕いでいるときに雨が上がったところ、後者は薩摩琵琶の演奏についての記述で、いずれにしても快哉を叫んでいるようである。
薩摩琵琶はともかく、雨上がりに「ちぇすと」と叫ぶのは、すでに鹿児島出身ではない学生たちのあいだでも「ちぇすと」が定着していたのだろうか。
此愉快なる、此呑気なる、此無責任なる、此無頓着なる生活の写生に向って毛奴を奔らす、予輩も亦自らチエストー一声の下に案を叩いて四辺を一睨せさるを得さるなり
下宿暮らしの書生はあまりに自由気ままだという話のオチの部分だが、よく意味がわからない。
とりあえず、気合を入れるための一声、という感じか?
「左様か教師が左様云ッたか……自分でさへ左様思ふもの……」と言つつ両眼に涙を湛へ「チエストッ鹿児島男児が」と一声高く叫びたり
自分が情けなくなってちぇすと。
溝口は下足番の招き声に風(ふ)と心注(こころづ)きて立止り「チエストー、貴様(おはん)は偽言と云ひ馬鹿なッ」と言捨しまま元来し道へ駈戻らんとせり
怒りのちぇすと。
彼が情厚の男子と己(おい)どんを今日まで思ッチヨルとは何たる事か夢か誠か、イヤ誠……此文……チエストー、アア愉快愉快ト喜び勇むも実に尤もなり
喜びのちぇすと。
薩摩人の「溝口」が女義太夫の「紋清」に惚れ込んで事件に巻き込まれていく話らしく、全体的に良くも悪くも感情が高ぶると「ちぇすと」と言う描写になっているようだ。
ただ著者は匿名だが、実は高谷爲之という刑事上がりの新聞記者で、東京の出身らしい。
チェストー、這は是れ感情鋭烈なる薩摩隼人が何事にか其の心を刺撃せられ感泉俄に湧て抑ゆるに由なく、一條の熱気思はば口端より迸出するの声なり、此感声の発する時、是れ彼れ等が掌を握り肉を震はすの時なり、ステキヲ揮ひ路草を薙ぐるの時なり、実に薩人の感情は激烈なり
ステッキで草を薙ぐというのは『青年之進路』の場面そのままだが、そんなに典型的な行動だったのか?
と気付いたが、note記事でも紹介されていた『薩摩見聞記』にもほぼ同じ文章が出てくるので、この「薩摩新風土記」を本にしたものが『薩摩見聞記』なのだろう。
この『薩摩見聞記』の著者は本富安四郎といい、新潟(長岡藩)出身だが鹿児島に数年ほど滞在したという。
1897年、江見水蔭『海の秘密』。江見水蔭は先ほど出てきた「称好塾」の出身らしい。
「ちえッすと!」
謎の集団が、その企みが失敗したのか「ちぇすと」と叫んで去っていった、というような場面。
と、こうしたあたりが1898年の内田魯庵『くれの廿八日』以前の用例である。
明治中期からしか用例がないということに変わりはないが、当初から明らかに「称賛」ではない例が多く見られる。
これは冒頭でリンクしたnote記事の説明に反する事実である。
「薩摩新風土記」に書かれているように「何らかの感情が高ぶったときに出る声」というような説明が適当ではないか。
ちぇすと てすとに同ジ
元は「てすと」なのか?
元は「ちぇ+すとう」なのか?
チエスト よいしょ(掛声)
note記事では「ちぇすと」と「ちぇっそ」は無関係であろう、としていたが、
1977年『かごしまの民俗探求』の久保けんお「薩摩の方言と民謡」では、
チェストはおそらくエイクソの転化であろう。エイヨは薩摩ではチェイヨとなる。母音エに子音Tをかぶせてチェとするのである。エイクソがチェイクソとなり、促音化してチェックソ、クを省いてチェッソ…。チェッソを遠くへぶつけるには当然「チェスト」となるはずである。
1979年、井島六助『出水方言 カゴシマ語の一特異分野』では、
ちぇっそ 感動詞。一般に知られているカゴシマ語としては「ちぇすと行け」など言って激励の語とされ、または、思わず感嘆する時の語とされているが、ここでは元来、「ちょいちょい」と同様、「ざま見ろ」という気持ちを現わす感動詞で、これに類する用例は、「ちぇすと行け」多用のずっと南にもあるようである。チェッソ、ユゴトセンモンジャッデ(ざま見ろ、言うようにせんもんだから)。語源については、英語zestからとか、露語yectbからとかいうのがある。
と説明されており、これらは「ちぇすと」と「ちぇっそ」には関係がある、としている。
これらの説明が正しいかどうかはともかく、多くの異論があるということであり、そのなかで一つの説を支持するならば、何らかの根拠が必要になりそうである。
妻が妊娠し、安定期に入った。妊娠中でも楽しめる娯楽として二人でホテルのランチブッフェに行こうとなったのだが、私がきちんとしたジャケットを持っていなく、せっかくなので新調しようと新宿のマルイに入った。
いくつか見て候補は2つに絞れた。うち1つの店員さん(Aさんとしよう)は話し上手だった。当時コロナ禍で人と会話する機会が減っていたので、マスク越しに世間話を交わせるのは久々で楽しかった。店内はビートルズが流れていたが、プレイリストを1〜2周した気もした。
「結局、衣食住の中で真っ先に削られるのは衣服なんですよ」Aさんはそう言った。
確かにこの日、私も「食」のために服を探しに来ていた。アパレルは大変だなあと思いつつ、決して同情ではなく純粋にそのジャケットを気に入ったので購入した。コーディネートや製法について熱心に語るAさんの姿に服への情熱を感じた。
名刺を渡された。副店長さんだった。ポイントカードを作るときに電話番号を聞かれ、「今後電話してもいいですか?」と尋ねられた。少し迷ったが承諾した。
数ヶ月後、本当にAさんから電話がかかってきた。セール情報とポイント3倍の案内とともに、妻の妊娠を気遣う言葉があった。単なる営業トークではなく人としての温かみがあった。
再来店した。私と妻のことを覚えていてサイズ感まで把握してくれていた。当時在宅勤務続きでお腹周りが出てきた私に、ゆったりめのTシャツを薦めてくれたりして、良いなと思い購入した。
話す中で、Aさんが鹿児島の離島出身だと知った。私の父の出身地も近くで、距離が一気に縮まった。
やがて子どもが産まれた。夜泣きに追われる日々に届いたセール案内のハガキには、子育ての大変さを労うAさん直筆のメッセージが添えられていた。妻も私も泣きそうになった。少しして娘を連れて来店したときには、店員さん全員がベビーカーの0歳児を歓迎してくれた。
それからも主にセールのたびに案内されては足を運び、気づけば家のユニクロが少しずつそのブランドに置き換わっていった。もちろん着心地やデザインも気に入っていたが、Aさんとの出会いがなければここまで買っていなかったと思う。服屋の店員さんが電話で関係性を築く ー そんな方法もあるのかと感動した。
ある3月、Aさんから電話があった。豊洲の系列店に異動することになり、店長になる、と。私は自分の出世のようにとても嬉しかった。妻も喜んでいた。
家族で豊洲へ行くとそこはファミリー向けの店舗で、2歳の娘にぴったりの服もあった。親子でお揃いの服を薦めてもらい購入した。1人のコーディネートの何倍も、家族で同じ服を着るのは楽しいと気づいた。
その後、連絡は電話からお店のLINEに変わった。最近LINEでの営業も増えているし店長になれば忙しくなるのも当然なのだろう。
ある日のこと、届いたLINEの末尾には別人の名前が書かれており店長とのことだった。「直接お伝えしたいことがあります」ともあった。まさか、と思った。
豊洲へ行った。Aさんは退職されたとのことだった。突然のことで理由は誰も分からないという。鹿児島に帰ったのかもしれないし、奥さんもアパレルブランドをやっているらしいのでその手伝いかもしれない。いずれにせよこちらからは確かめようもなく、連絡も取れなくなってしまった。
それ以来、そのブランドの服を買いに行くことはほとんど無くなってしまった。私がそこで服を買い続けていたのは、Aさんがいたからだった。
何かのために必要で着る服もあるけれど、服は生活を豊かにしてくれるのだと、Aさんを通じて気づけたのだった。
Aさん、今はどうしていますか。
ーーーー
たとえば故人が持ってたラノベで一度液体こぼして紙が波打ってるような状態のものも相続放棄したら取得できないのだろうか?
親の車に乗っていたら事故って廃車確定みたいな状態になったすぐ後に親が死んだら、この車には財産価値はないに等しいが、相続しないかぎり、国が勝手に廃車してくれるのだろうか?
相続放棄したら国庫に帰属されるというのはそれがなんの合理的基準もなくむやみやたらに運用されるとかえって処分費用とかで経済的に国の負担が増すことになりかねないが、
あくまで相続放棄って制度の公正性をぎっちぎちに維持することに対する優先順位が強いのだろうか?
これは無価値だけど社会通念的に衣服のように形見分けとみなされるものではないから相続しないなら没収ってことを徹底することがそんなに重要なのだろうか?
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250913183402# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMU6jQAKCRBwMdsubs4+SJqOAQCALT7WEufM3p7qrdpoZdmdHriMHNXGkYj7WXjAzEYg4QEA7Zi9BLDD1FA88Y78zPDm5laRrmZLpjtshW5ZSoStjwY==+BJw-----ENDPGP SIGNATURE-----
身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアだから公開なのですね)。
昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ等地域医療にもつながっておらずで死後1か月未満で発見。
・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社が警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車でベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住の警察署から親族経由で自分が警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車の請求はきてません
・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定
・「検死に回すので9万円必要になります、葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる
・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り
・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう
・特殊清掃会社の担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに
・自分とのやりとりで「匿名にしますので会社の宣伝で作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので
・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態で納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。
・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た
・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服でお別れの会を20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった
・火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)
・火葬日当日、我が家は斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族&僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず
・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者が内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父の形見(竹尺)を骨壺に入れる。
・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服は処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし
・親族はここで解散。我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了
・室内のものは衣服・家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書等財産関連書類 ・アルバム、手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分
・都市銀行、地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった
・通帳があるものはHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前に公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった
・とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続き人である自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書のコピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書の証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。
・母も80歳オーバーで自力で解約手続きができず、「お電話は相続人ご本人様から承ります」という企業がほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家に回線はなく、リモート云々は無理筋だった
・銀行、生命保険は書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店が移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこと自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバーで管理が簡単になるとよいと思う
・郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった
・相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった
・郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物をたまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった
・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑は複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…
・長年通っていたカルチャーセンターに挨拶に行き、同窓会に差し入れのお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状に訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホは個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)
・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてからの発見」にはならなかったのでは
・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った
・半年ほど前から「スマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホが認識できなくなっていたのだ
・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書を作成していた(兄弟は遺留分を請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続きを我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)
・銀行、年金、生命保険etc.の書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入
・銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行や保険の書類は捨てた
・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカーの共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた
・独身の自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。
と、いっても実は片付けはあらかた終わらせていたので彼女にしてもらうことなんてなかった。
でも、せっかく来てくれるんんだから、と、クローゼットにしまった衣服を取り出して、捨てるつもりで片していた段ボールを組み立て直して、そこに入れたりした。
そんなことをしてもあまり足しにはならなかったみたいで、ん?めっちゃ片付いてるじゃない?わたし来る必要なかった?というか他に女いるの?なんて変な空気になってしまった。
慌てた僕はいつものようにムードを作って彼女とイチャイチャしようとしたんだけど今日は駄目な日なんだ、って節目で申し訳無さそうに言ってきた。
ああなんだ、別にそんなのいいのに、と逆に申し訳なく思った。昨日セフレと新居でしたばっかりだからどうしてもしたいわけでもなかった。とりあえずイチャイチャしながら一緒に彼女が好きなアニメみたりしてたら彼女がしてあげるねって手でしてくれた。
この度は、女性の衣服にポケットが少なく、多くの皆様に大変なご不便とご迷惑をおかけしている件につきまして、世界中の全男性を代表して謝罪いたします。
大変申し訳ございませんでした。
わたくし共と致しましては、今回の件を非常に重く受け止めており、早急な実態解明と再発防止に取り組んで参ります。
といった点につきましても、すべて男性の責任だと考えております。
重ねてお詫び申し上げます。
今回、わたくし共は世界中のアパレルブランドや衣料品メーカーの男性たちによって、上記のような看過しがたい性差別的行為が行われていることに大きなショックを受けました。
これら全ての性差別的行為の原因は、各ブランドやメーカーの製造過程において
以上の事象につきまして、具体的なエビデンスは一切提示されておりませんが、多くの女性がSNS等で同様の指摘を行っているため、全て事実だとわたくし共は受けとめております。
いずれにしましても、わたくし共が行ってきた性差別的行為は到底許されるものではなく、女性の尊厳を踏みにじるものであったと認識しており、直ちに是正する必要があると考えております。
また、二度とこのような事が起こらぬよう全男性一丸となって再発防止に努める所存です。
改めて、「女性の衣服におけるポケットの少なさ」に代表される様々な性差別的行為について、世界中の男性を代表し深く謝罪いたします。
大変申し訳ございませんでした。
男性がなぜかこぞって理系を目指したがる※ので女性の門戸が狭くなってるのに近いと思う。
(※理系を男らしさだと思ってるのでは?と考察してる人もいた)
ポケット付きなどの機能性衣服は男性向けとしてメンズコーナーにばかり置かれがち。
[B! ファッション] 女性のズボンに大きいポケットがないのか服飾系の人に聞いたら「そんなに売れない」と回答された「ズボンを履く位置の違いがある」「適切なアピールがされてないと思う」
| 項目 | 金額/月 | 補足・内訳 |
| ------ | ---------- | ------------ |
| 住居費 | 10万円 | 賃貸 or住宅ローン。地方なら庭付き一戸建て、中都市なら3LDKマンションレベル。 |
| 食費 | 8万円 | 平日自炊+週末外食1回。外食多めなら10万超え。子どもが高校生になると9~10万に上昇。 |
| 光熱費・水道 | 2.5万円 | 電気1.2万、ガス0.8万、水道0.5万。冬や夏は+5千円程度。 |
| 通信費 | 2万円 | スマホ2台+Wi-Fi。子どもがスマホを持つと+5千円。 |
| 保険・医療費 | 2.5万円 | 生命保険1.5万+医療費1万。子どもが小さいうちは予防接種などで医療費増。 |
| 教育費(学校・塾) | 4万円 | 小学校〜中学は2~3万、高校で5万超。塾代が大きい。 |
| 日用品・衣服 | 3万円 | おむつ、洗剤、シーズンごとの服など。子どもが成長するにつれ増加。 |
| 交通費・車関連 | 2万円 | 車1台(ガソリン+駐車場) or 定期代。 |
| 娯楽・交際費 | 1.5万円 | 月1回の外食やレジャー費用。旅行はボーナスから。 |
| 予備・雑費 | 1.5万円 | 冠婚葬祭、突然の出費に備える。 |
これが平均的な家庭か
ギリギリだな
東海道中膝栗毛に「ちやくぶく」ということばが出てくるようです。ただ、これに「着服」の字をあてるについては、変遷がありました。
ちやく-ふく:着服 着タル衣服。着衣。
ちやくぶく(する)〔俗〕著腹(私に窃み取るを謂ふ)
ちやく-ふく:着服。ちやくいにおなじ。
ちやく-ぶく:着腹。窃かに、わが有とすること。窃かに盗むこと。
ちゃくふく:着腹(窃かに盗むこと)
ちやく-ふく(著服)著衣。
ちやく-ぶく(著腹)クスネテ我ガ有トスルコト。
Chaku-fuku[著服]衣服をきること、ものを身に帯ぶること。
Chaku-fuku[著腹]ひそかに我ものとすること。ひそかにぬすむこと。
ちゃく-ふく:著服 🈩衣服を著ること。著衣。🈔 窃かに取りて我が物とすること。ごまかし取ること。ちやくぶく。
ちやく-ぶく:著服 著腹 前条に同じ。膝栗毛「そっと彼の一本をおのが懐へちやくぶくして、そ知らぬ顔をしてゐる」
ちやく-ふく:著服 🈩 ちやくい(著衣)に同じ。🈔 次条に同じ。
ちやく-ぶく:著服・著腹 窃かにわが有とすること。窃かに盗むこと。
「ひそかに盗んで私(わたくし)する」意味では主に「ちゃくぶく」と言い、明治時代には「着腹」「著腹」があてられて「服を着る」意味の「着服(ちゃくふく)」とは分けられていました。「盗んだものをひそかに自分の腹(懐)に納める」とか、そんなような意味なんじゃないかなと思います。
それが大正中頃の辞書(上では、大正6年の上田万年、松井簡治による「大日本国語辞典」が最初)で、「着服(著服)」に「着腹(著腹)」の意味が含まれるようになり、これを契機として「着腹(著腹)」の表記が廃れていったものと思われます。
「大日本国語辞典」の1929(昭和4)年版は1917年版と同じく「著服(ちゃくふく、ちゃくぶく)」「著腹(ちゃくぶく)」の両方が載っていますが、1941(昭和16)年版では「著服(ちゃくふく)」のみになっています。
つまり!
その事を報じる記事によると、小学生が「裸婦像を見ると恥ずかしくなる」と言ってるのだそう
だが、街の裸婦像、女の裸というには情報の欠如が甚だしくないかとも思うのだ
男性像、ダビデ像なんて特に丸出しであったりするが、女性像は陰毛すら備わってない場合がほとんどだ
乳房が大きさ相当に垂れてないのもザラだ
いったい、これのどこが裸の女性なのか?
いや、なぜこれで裸婦像として成立するのか?
裸婦像を見る時、我々は裸の女性を見ているのではなく、衣服を身に着けてない女性を見ているのだ
裸の女性を見ているわけでもないのに羞恥心を感じるのは、奇妙なことだ
ボディラインの点で言えばそこらを歩いている女性と大差がなく、むしろ下手な女性像と同じ程度に裸の情報を摂取できる格好をした女性がいるありさま
しかし、現実の女性の格好を論じる時、エロティシズムの点からいえば、ボディラインより肌の露出面積の方が重要視される
なら裸婦像はエロエロじゃないかということになるのだが、多くの場合、裸婦像は肌色をしていない
そして、ハイレグ水着のように肌の隠し方によってエロティシズムを際立たせる手法も存在するが、裸婦像は裸なのだからその手法は採れない
肌の部分をタイツのような質感に仕上げれば、裸婦像は全身タイツ女子像に早変わりする! かも!?
言ってしまえば、裸婦像は裸ではないのだ
ではなんで、こんなものを見ると恥ずかしくなるのか?
実は見当がついている
公共の場に置いてある裸婦像はその通り公共の場に置いてあり、公共の場で裸婦像を見るということは、公共の場で裸婦像を見る自分を公共の場に晒すことに他ならず、裸婦像を見ることが卑猥な行為と見做される社会においてそれは、卑猥な行動をしている自分を公共の場に晒すのと同義だからだ
つまり、裸婦像を見て小学生が恥ずかしがるのは、それをからかう奴がいるからなんである
嘘かホントか、海外では裸婦像は美術館のような芸術関連の施設にしか置かれてないそうだが、そりゃそうよね、「これは芸術だ」と言って分かってもらえる空間でないとゆったり鑑賞できないもの
日本で街の裸婦像の撤去が進んでいるということは、日本でも芸術を解さない人間、例えば「何故そのテーマで表現物が裸の女性でなければならないのか説明しろ」とか言ってしまうような没趣味でサディスティックな人間が発言力を強めている証拠だろう
裸婦問題、ギリシャ彫刻では性器までむき出した裸なのは男性像で、女性像は身体曲線による衣服のドレープの美しさを見せるのが主だった
男性の裸体像は「理想の肉体に理想の精神が宿る」だったからで、それが廃れたのはローマ皇帝時代から高齢男性が権力者となり、自身の醜い老いた肉体へ劣等感を持たせる「男の理想の肉体」を忌避したからではないかと思っている。美術品を購入するのは権力者だからだ
現代でも男が男の裸を見たがらない作りたがらないのは、性的に刺激されない(そもそも芸術で性的に刺激される必要はないのだが)だけではなく、自身の醜さに向き合う胆力がなく嫉妬深いからだろう。ギリシャ彫刻のような男の肉体も十分に「美しい」ものなのだから
職業差別はするべきではない!と社会的問題のように論じられていることに違和感があり、色々考えた上で投稿するに至った。
彼女が投稿した内容は確かに誤解を招く表現であり軽薄であった。職業差別と取られて仕方ない。しかし、彼女は決して職業差別がしたかったわけではないと私は考えている。
主語が大きくなってしまうのは、大体強い感情を表す時にとってしまいがちな態度である。たとえば、そのへんで偶然出会ったおじさんになにか不快な思いをさせられた時、「おじさんって本当にキモい!」とつい思ってしまうことがある。
本来はその一個人の振る舞いがたまたま不快だっただけであるにも関わらず。「全部のおじさんはキモいから、もう私に関わるな」とその時は本当にそう思ってしまうのだ。
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自分自身の経験としても、特定のだれかが関わっていたことで、魅力的に見えていたものの見方が一変してしまったことというのがあるのでそれを伝えたい。
以前勤めていた職場に、某有名ブランドが大好きでいつもユニフォームのように着ている女性の上司がいたのだが、彼女は大変なパワハラおばさんだった。彼女には不快な思いを何度もさせられた。私は彼女のことが今も許せないし大嫌いだ。
その有名ブランド自体は、年齢性別問わず着られるユニセックスで個性的な魅力のあるブランドで、元々そのおばさんと知り合う前は、私もいつか着てみたい憧れのブランドのひとつだった。
しかし、いつのまにか私にとってはどれを見ても、ブランドのすべての商品が「パワハラおばさんのユニフォーム」にしか見えなくなってしまったのである。どの商品を見てもその服を見に纏ったパワハラおばさんの姿がちらついて頭から離れない。
一体私の憧れをどうしてくれるんだ。私のそのときの思いを感情的に一言で全世界に発信しようとしたならば、もしかしたら「おばさんはあのブランドの服を着るな」だったのかもしれない。きっとしっかり炎上したことだろう。
しかし私はおばさん全体を批判したいわけではなかった。具体的にきちんと言うとするならば「個人的に尊敬できないような人間に憧れの服を着られたくなかった。ブランド価値を下げられている気がした。」という主張になる。具体的になることでより一層棘を増しているが結局そういうことなのだ。
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ウエディングドレスの件は、こんな小さな個人的感情が拡張しただけの話だと私は考えている。自分自身の大事にする価値観が全く相容れない人と、何か接点を持つようなことに「生理的嫌悪」を抱いているのだ。
特に衣服は肌に触れるものであるし、同じものを身に纏うということがなおさら、なにか自分が侵食されるような不快な感覚に陥りやすい部分があるのかもしれない。その人と同じものを身につけたくない、同じように見られたくない、という感情が自然と湧き起こりやすい。
自分が受け入れられないものに生理的嫌悪を抱くことがあったっていい。それを主張したっていい。それだけはずっとどこまでいっても自由であると言いたい。
その人の職業を理由に、特定の服を着ることを実際に制限させるのはれっきとした差別であることは間違いないとして。服を提供する側がそれをしはじめてしまったらアウトになることは承知している。
しかし、特定の誰か(や特定の属性の人)に、特定の服を着ないで欲しいと「個人的に思うこと」それ自体は別に許されて良いのではないだろうか。
トランプが本当に目指しているものは何か。民主党の壊滅? 再選? 国家主義の復権? いや、違う。あの男が本気でやろうとしているのは、アメリカ国民の総ブリーフ化である。
まず思い出してほしい。2020年、ホワイトハウスの庭で突如として披露されたあの奇妙な立ち姿。白いポロシャツ、やや短めのスラックス、そしてわずかに透ける下着のライン。そう、ブリーフだ。いや、ブリーフらしきもの。「トランプブリーフ」で画像検索してほしい。あの輪郭は決して偶然ではない。
アメリカの男性用下着文化は、長らくトランクスとブリーフの対立であった。冷戦と似ている。自由と包容のトランクス、統制と密着のブリーフ。この文化戦争に終止符を打つべく、ひとりの男が立ち上がった。彼こそが、トランプである。
なぜブリーフなのか? ブリーフは秩序である。形が崩れず、締め付けがあり、すべてを「収める」構造になっている。これはトランプの政治思想に一致する。国境を締め、貿易を制限し、言論をまとめ上げ、移民を押さえ込む。つまり、ブリーフ的支配構造だ。
また、彼の支持層である中西部の保守的白人男性たちの多くは、いまだにブリーフを履いているという統計がある(※たぶんどこかに)。トランプは、彼らの「日常性」に寄り添うかたちで、トランクス系リベラルエリートのゆるみ切った下半身を糾弾しているのだ。ゆるみは堕落であり、堕落は敗北である。だからこそ、彼は口を開けば「tighten up(引き締めろ)」と叫び、壁を作り、関税を課し、マスコミをdisる。これはつまり、アメリカ合衆国に再び「前閉じ」の誇りを取り戻す運動なのだ。
そして最近、トランプが展開しようとしているブランド商品の中に「アンダーウェア」が含まれているという噂がある。まだ現実になっていないが、それは「その時」に向けた布石なのではないか。Make America BriefAgain ― これが新しいスローガンだ。
バイデンはボクサーブリーフ派だという説がある。実際、彼のスーツの着こなしには「ブリーフ的構造性」が感じられない。ふわっとしていて、たるんでいて、弛緩している。つまり、トランプにとってのバイデンは、「下着が曖昧な男」、あるいは「収めるべきものを収められない男」なのだ。
私たちは気づかねばならない。この下着の選択こそが、国家のかたちを決めるのだということに。これは単なる衣服の話ではない。アイデンティティの戦争であり、パンツという名の憲法改正である。
もう一度言う。トランプが目指しているのは、再選ではない。統一された価値観、揺るぎない国家観、そしてブリーフによるアメリカの再建である。履くか、履かないか。いや、締めるか、緩めるか。その問いに答える日が、今近づいている。