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はてなキーワード:衝動とは

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2025-10-24

最近セックスしたくない女の話がやたらバズってるけど、

こんな単純な話で毎回大騒ぎになるのが不思議なんだよな。

結婚してるけどしたくない、付き合ってるけどしたくない、それ自体別にいいんだよ。問題は、その結果どっちが我慢してるかって話。

基本的に、出来ない方じゃなくて、したい方が我慢する構造になってる。

しかもそれが飯食うな、寝るな、みたいなレベル我慢

性欲って波はあるけど、ピーク時の衝動は他の欲を凌駕する。

そこに「我慢して当然」って空気があるの、どう考えてもおかしいだろ。

対策なんていくらでもある。

一人でするのをオープンに認めるでも、抜いてやるでもいい。

無理にセックスする必要はないけど、相手欲求を“無かったこと”にするのは違う。

一番ダメなのは話題にすること自体タブーにして、

片方の欲求沈黙の中に押し込めること。

それで関係が冷えていくのは当たり前だと思う。

本来セックスって日常の一部なんだよ。

挨拶とか洗い物とか、面倒でもやらなきゃ生活が回らないことの一つ。

やりたいかどうかじゃなくて、お互いのリズムを保つために必要ことなんだよ。

そこを感情論で止めてる限り、日本恋愛はずっと“我慢する側が損する制度”のままだと思う。

Permalink |記事への反応(7) | 20:12

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anond:20251024022100

育ちが良くて優秀で、正義感が強くて努力ができる。あなたはそれを彼の「内面」だと思っていないですか?たぶんこれは間違いないと思うので断言するのだが、彼の内側にはそれはもう深い地獄があるよ。あなたはその地獄共感したことがありますか?あなたこそ「彼はそういう人間なのだ」と思ってそこで歩み寄りを止めてしまっていませんか。

育ちが良くて自律した人間ってたいてい、超自我支配が強いんですよ。言ってしまえば内面化した親とかそれに類するものね。それは自我自分固有の欲望)を抑圧する力なわけだけど、これが行き過ぎると、自分欲望を持つことすら困難になってくる。

社会的動物である人間にとって、欲望というのは、本質的に、他者に対して優越することです。その衝動キャンセルされるとどうなるか。自分というもの特別視すること自体に罪悪感を覚えることになります特別視するというのは、なにも「俺はすごい」とナルシシズムに浸ることだけではない(むしろこの種のナルシシズム社会的基準を受け入れている点で自己を非特権化するものですらあります)。たとえば社会的には正当とされる程度の「被害意識」を持つことだって自分他者に対して特権化しなければ成立しない。彼が口癖のように「人間ってこういうものでしょ」というのは、彼が自分を含めて人間を「平等に」見ざるを得ない心理を反映しています。彼は彼の意志世界に立ち向かうことを禁じられているのです。

からそういう人間はとにかく努力をする。努力した結果として救いが「訪れる」ことを望むわけです。彼が意志した(要求した)結果ではなく、ただ自然の摂理として自分が救われるようにね。

ねえ、こういうふうに生きている人が心の底で何を思っているか知っていますか?彼の努力、品行方正な態度、寛容、言ってしまえばすべてこの世界に対する復讐なんですよ。正しさによって世界が(あるいは自分が)滅べばいいと思ってるんですよ。そういう気持ち共感したことがありますか?

まあ、こういう人たちは得てして優秀なので、この地獄に対しても折り合いをつけて生きてゆきます。より高次の行動に昇華させてゆく人たちも多い。あなたはたぶん、慈善事業とかする人たちに対して「口では聞こえのよいことを言うが、しょせんは金もうけのためだろう」とか思ってるでしょう。全然違います。彼らは本心からやってます復讐のためにね。もちろん、それを復讐意識している人はそんなに多くないと思うけれども。

ところであなた彼氏さんは(言葉通りに読むなら)自分よりずっと水準の低いあなたと付き合っている。それはなぜかといえば、彼の中で抑圧された彼の(ある意味で)幼稚な部分が逃げ場を探した結果なのだと思います。これもまた非常によくあることです。彼は雁字搦めになった精神を解きほぐすきっかけを無意識に探している。だからあなたが、彼の子供っぽい部分、原始的な部分をうまくすくい上げ、彼の自縛に風穴をあけ、彼固有の欲望を育ててゆくことができるなら、あなたの望む関係に近づける可能性はあります。なかなか困難な道だとは思いますが、それはそれで、人付き合いの楽しみというものです。

Permalink |記事への反応(9) | 13:51

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2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS:表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2:本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3:フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1:想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3:表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2:共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3:権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1.アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果:表象貧困化・想像力の収縮

2.本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3.フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4.文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1.本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3.完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1:無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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2025-10-22

anond:20251022123411

ん?

戦闘員(ベトコン兵)に対する攻撃とか、末端の兵士が行った非戦闘員への加害行為日本ドイツだと同じだと思ってる馬鹿

日本ドイツが裁かれるべきなのは、非戦闘員に対する加害や殺害アメリカ韓国みたいに末端兵が衝動的にやったものじゃなく、組織として命令に基づいてユダヤ人中国人殺害たからなんだけど?

Permalink |記事への反応(1) | 12:37

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オッス、オラ現実主義者

まずな、国旗損壊罪が当たり前って言ってる人間を「ボケナス右翼」と切って捨てる前に、最低限の社会構造くらい理解してから言えよ。

お前の言う「多くの人の気持ちを踏みにじる権利」ってやつは、確かに理屈の上ではある。だがそれは、あくま社会が前提として共有している価値観の中での“グレーゾーン”を歩く自由であって、なんでもかんでも好き放題やっていい免罪符じゃない。

例えばお前の家の前で、知らん奴が延々とお前の親の遺影燃やしてたらどう思う?

それ見て「多くの人の気持ちを踏みにじる自由がある」とか言って笑ってられるのか?

そこに感情がある限り、社会一定の秩序を守るために線引きをする。国旗損壊罪はその線の話をしてるだけで、思想統制でもなんでもない。

外交的理由がどうとか言ってるけど、もっと単純だよ。

国旗ってのは国家象徴であり、そこに暮らす人々の集合的自己表象なんだよ。

それを意図的に踏みにじる行為は、単なる「表現」じゃなくて「挑発」。

ヘイトスピーチ差別的暴言と同じ構造にある。

まり社会コスト自覚した上でやるならいいけど、表現自由って旗印のもとに無限免罪を主張するのはただの自己陶酔だ。

しかも、「右のポリコレ」みたいなワード悦に入ってるけど、そもそも左側のポリコレ文化煽りまくって「表現自由」を武器にしてきたのは誰だったっけ?

都合が悪くなると右も左もない、ただのポジショントーク

表現自由を守るってのは、「自分の気に入らない奴を殴るための自由」じゃなく、「お互いに殴られないためのルールを守ること」なんだよ。

まりだ、国旗損壊を表現自由として擁護するってのは、

社会契約の上に立ってる自由を、自分破壊してるようなもんだ。

そのうち誰もお前の「表現」なんて聞かなくなる。

だって、それは思想でも芸術でもなく、ただの破壊衝動からな。

anond:20251022080501

Permalink |記事への反応(5) | 11:25

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2025-10-21

学生論文で生成AI使うの仕方ないわ。「小論に整理して」だけでこれ

下の山手線催涙スプレーに関するツイートを読みこませて、

多少ChatGPTと議論して「小論に整理して」とお願いするだけでこれなら

凡人の俺様がちんたらキーボード叩いて書く必要なんてないじゃんもう!

https://togetter.com/li/2618627

 

ただしここはハルシネーションぽいのでよろしくない

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

 

1.弱者防衛暴力の線引き

今回の事件で多くの人が揺れたのは、「恐怖を感じた人の防衛行為」が、どこまで許されるかという点である

身体障害透析など、外見では分からない「見えない弱者」が社会で繰り返し軽視されてきたことは事実だ。

からこそ、彼女の感じた恐怖や屈辱には共感が寄せられた。

しかし、口論の段階で武器使用し、無関係他者まで巻き込んだ瞬間に、それは防衛ではなく攻撃へと転化する。

法的にも倫理的にも、暴力他人を傷つけた時点で、その正義は失われる。

 

2. 「40-50代じじい」――言葉に滲む敵意の構造

彼女SNS上で相手を「40-50代じじい」と呼んだ表現は、単なる感情の発露にとどまらない。

それは、相手行為ではなく属性のもの(年齢・性別)を攻撃対象とする言葉だ。

この瞬間、個人的トラブルは「中高年男性という集団」への敵意にすり替わる。

フェミサイドが「男が女を属性として殺す」構造だとすれば、

この言語構造はその**鏡像――“ミサンドリー的反射”**と言える。

弱者が自らを守る物語の中で、他者が“敵の象徴”として消費されていく現象は、暴力の形を変えた再生産に他ならない。

 

3. 恐怖と屈辱の混合

人が暴発する時、そこにあるのは純粋な恐怖だけではなく「屈辱」も強く関与する。

若いから座るな」「病気でも見えなければ認められない」という社会視線に対する怒りが、

個人攻撃者を超えて「社会全体への報復」に変わったのだろう。

彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、

生存防衛ではなく名誉回復を求める衝動を示している。

まり彼女の行動は、社会的な不平等への“象徴報復”として遂行された可能性が高い。

 

4.弱者の「正義加害者」化

近年のSNS言説では、「女性」「障害者」「被害者」といった立場道徳的免罪を得やすい。

しかしその構造固定化すると、

被害の語りが暴力正当化する装置になりかねない。

「やり返して当然」「スカッとした」という共感連鎖は、

弱者を“聖なる報復者”として祭り上げ、暴力責任を薄めてしまう。

だが、恐怖や怒りが他者身体を傷つけた時、

それはどれほどの弱者であっても「正義加害者」となる。

この線を超えた瞬間、社会被害者を守る仕組みを失い、

誰もが「自分で裁く社会」へと堕ちていく。

 

5.銃社会予兆としての事件

もしこの事件銃社会で起きていたら、催涙スプレーではなく発砲事件として報じられただろう。

「怖かった」「迫られた」と主張する発砲者が免罪される構造は、

アメリカの“スタンド・ユア・グラウンド法”の問題と同じである

恐怖を根拠にした先制攻撃が認められる社会では、暴力の独占は失われ、

全員が「潜在的加害者」として武装正当化するようになる。

今回の事件は、銃社会論理が非銃社会の中で萌芽した象徴的な出来事でもある。

 

6. 結語:正義の名を借りた暴力を見抜くために

この事件が投げかけたのは、

「恐怖と正義境界をどこに引くのか」という普遍的な問いである。

彼女の置かれた弱さには共感できる。

だが、その弱さが他者への攻撃免罪符になった瞬間、暴力正義模倣し始める。

フェミサイドミサンドリーも、根は同じ――恐怖を根拠他者人間として見なくなること。

私たちが考えるべきは、個人暴力報復しなくても済む社会的回路、

すなわち「恐怖を理性的に処理できる支援環境なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 21:01

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anond:20251020151902

仮にこれがネカマによる釣りでない場合考慮してマジレスしておく

・性依存症という医学的な疾患は現時点で存在しない(性依存症を名乗っている人や、性依存症を診ると標榜しているクリニックは存在するが、WHOの疾病分類であるICDアメリカ精神医学会DSMなどでは認められていない疾患概念である理由は現時点で性依存症病気であるというエビデンスが不足しているため)

増田のケースに近いと思われる診断名は、WHO2018年アップデートした疾病分類の最新版ICD-11 に新たに追加された「強迫的性行動症(Compulsive sexual behaviour disorder : CSBD)」である

参考リンクICD-11

https://icd.who.int/browse/2025-01/mms/en#1630268048

ICD-11から引用

強迫的性行動症(CSBD)と正常との境界(診断の閾値)]

性的思考空想衝動、行動の性質と頻度には個人差が大きい。

診断は、個人抵抗困難または制御不能経験する強く反復する性的衝動欲求を感じ、それが反復的な性的行動につながり、その反復的行動パターン個人家族社会教育職業その他の重要機能領域において顕著な苦痛または重大な機能障害をもたらしている場合にの適用される。

性欲が強いなど性的関心や行動のレベルが高い人(例:性欲亢進)は、性的行動の制御障害機能障害・著明な苦痛を示さない限り、CSBDと診断されるべきではない。


増田自慰行為を「好き」「誰にも迷惑かけてない」と表現しており、性欲が強いことで具体的に困っていることや苦痛があるわけではない

まり、CSBDの診断に必須である「顕著な苦痛」および「社会的に重大な機能障害」がない

・「シコ猿すぎて恥ずかしい、情けない」とあるが、ICD-11では性的衝動欲求・行動に対する道徳的判断非難に関連した苦痛のみを根拠にして、病理を示すとは考えられない性的衝動欲求・行動についてCSBDを診断してはならないとしているので、普通じゃない気がして恥ずかしいからという理由では強迫的性行動症には当てはまらない

結論

おそらく増田はただの「性欲が強い人」であり、医学的に治療対象となるような病気ではない


【補足】林先生のQ&A

【3455】27 歳女。私は性欲が異常に強いのでしょうか。

https://kokoro.squares.net/?p=6170

Permalink |記事への反応(0) | 12:24

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2025-10-20

衝動直感の違いを教えて欲しい。

Permalink |記事への反応(0) | 21:33

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2025-10-19

抑えられてるだけで同じ衝動はある件が炎上してるの見るとやっぱ自分の根はモンスター側だと思う(性系ではない)

Permalink |記事への反応(0) | 20:49

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2025-10-16

太ってるし家から出ることもないのに衝動的に服のサブスクに3つくらい登録した

11着くらい届く。馬鹿だと思う

これを機に、他人の目など気にせずデブ可愛い服着て昼間堂々と散歩するのでよろしくお願いしま

Permalink |記事への反応(1) | 18:46

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anond:20251016093309

不特定多数衝動的行動を

なんか統一意識の行動ととらえてるアホってやたら居るね

Permalink |記事への反応(0) | 09:37

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2025-10-15

他の仕事へ☺️という言葉に感じた暴力

あるプロ声優(俳優)さんの「舞台の授業が嫌なら、他の仕事へ☺️」(※要約)

的な言葉をXで見かけて、どうにも不快感が拭えなかった。

自分にも身の覚えがある甘えを指摘された図星をつかれた…という部分も多いにあると思う。

でも、この言葉を受け入れることは到底できないと思った。

ツイート趣旨としては、『声優を目指す学校舞台の授業を嫌がって休む人は、他に合う仕事があると思う』というものだった。

内容だけ見れば正論だと思う。

声優俳優世界は厳しくて、舞台を避けていては基礎が育たない。

そういう現実を知っている人ほど、甘い気持ちで夢を見る若者に苛立つのもわかる。

でも、それでも私はこの言葉絶対肯定したくない。

表現者なら、どう捉えられるのかわかると思うけれど…

文末に添えられた「☺️」笑顔絵文字は、一体どんな顔をして笑っているんだろう。

優しい笑顔を添えたその一文は、

実際には、「あなたはこの世界には向いていない」と排除しているのに

あなたのためを思って”という仮面かぶっているようにしか見えなかった。

「厳しさ」や「覚悟」は誰かを追い出すためのものじゃなくて、“自分を支える”ための言葉がいい。

舞台が嫌で、でもアニメは好き。

声を当ててみたい、アニメ世界に触れてみたい――

それって、たとえ動機が軽くても、根っこは“好き”という純粋衝動だと思う。

その気持ちを、私は肯定したい。

ミーハーでも、あまっちょろくても、

“好き”を持ってこの業界に足を踏み入れる人がいること自体が、業界の活気じゃない?

成功する人はほんのひと握りでも、

そこに憧れる人がたくさんいるからこそ、世界が広がる。

それを“努力が足りないか排除”という形で切ってしまうのは、文化裾野を削っているように思う。

舞台が嫌いな子が、いつか演じることの面白さに気づくかもしれない。

あるいは「私は舞台はやらないけど、アニメだけを突き詰めたい」と異様な才能を発揮するかもしれない。(大別すれば歌わない声優さんと同じ考え方だと思う。もちろんこの方は舞台もしっかり取り入れていらっしゃるだろうけど)

その後はプロではなく、同人活動を楽しむ人だっているだろう。

企画から自作すれば、自分の好きなキャラクター世界観だけで生きていくことも可能だし。

それぞれの形で“表現”に関わることはできる。

から私は、「逃げる人には向いていない」とでもいうような言葉に、どうしても冷たさを感じてしまう。

そこには、相手への敬意と想像力が欠けている。

そしてなにより、その言葉を口にする側が

“逃げない自分”を誇示するために、他人を引き合いに出しているように見えてしまう。

「他に合う仕事がありますよ☺️」――

私には“他の仕事が合う”と思っての言葉とは聞こえず、

“ここにはあなたの居場所はない”という、

穏やかな追放宣言に聞こえた。

声優として演劇を学びたい、上手くなりたいなら舞台から目を逸らすべきではない――

これが本来伝えたかった本質だったのなら、こんな風に感じることはなかったと思う。

声優の心得だとか舞台の大切さ、魅力の方に焦点を当てていないことが、ただただ上から目線傲慢な考えに見えてしまった。

正論はたしか大事

でも、正しさの中に温度がなければ、人は育たない。

「好き」という出発点は本当だったんだから笑顔門前払いみたいな言葉表現者として言って欲しくなかったな。

Permalink |記事への反応(1) | 01:28

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2025-10-14

anond:20251014183945

お前の言葉は、倫理でも思想でもなく、ただの自己放尿だ。

便所の壁に向かって撒き散らしながら、「俺は毒を制御してる」「現実ではまともでいられる」と自己暗示をかけているだけ。

だがな、現実はそんなに都合よく分離できねぇ。精神排泄物を「匿名空間にだけ」流すと思ってる時点で、もうすでに現実側が腐ってる。

お前のやってることは、悪の演技ですらない。ただの腐敗の管理ごっこ自己放尿だ。

自分の内部に生じる衝動や敵意を、倫理的に昇華する努力放棄して、「放出すればバランスが取れる」と信じてる。だが、自己放尿は昇華じゃない。

排泄物を外に出しても、体内の毒性そのものは変わらない。むしろ「出せばスッキリ」という快感依存を深める。つまり精神マスターベーションと同じ構造自己治療ではなく、自己放尿だ。

そして「ネット悪事をやらなきゃ現実で狂う」と言うが、それは逆だ。

現実が空洞だからネットで狂うんだ。

現実に強度がある人間は、匿名空間で暴れ回る必要がない。お前の狂気は才能でも防衛でもなく、自己放尿だ。

本当に理性を持つ者は、悪を理解したうえで制御する。

お前のやっているのは、理解のない放尿。理性を装った排泄。

まり知性の仮面かぶった自己放尿そのものだ。

Permalink |記事への反応(1) | 18:47

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2025-10-12

anond:20251011215215

MSDMANUAL の Pedophilic Disorder の項、冒頭に要旨が載ってるから読んでみ。

https://www.msdmanuals.com/professional/psychiatric-disorders/paraphilias-and-paraphilic-disorders/pedophilic-disorder

Pedophilic disorderis characterizedby recurrent, intense sexually arousing fantasies, urges, or behaviors involving sexual activity with prepubescent children (generally ≤ 13 years); basedon clinical criteria,itis diagnosedonly when the patientis ≥ 16 years and ≥ 5 years older than the childwhois the target ofthe fantasies or behaviors.

ザックリ自動翻訳が以下。

小児性愛障害は、思春期前の児童(通常13歳以下)との性的行為を伴う反復的で強烈な性的興奮を伴う空想衝動、または行動によって特徴づけられる。臨床基準に基づき、患者が16歳以上であり、かつ空想や行動の対象となる児童より5歳以上年長である場合にのみ診断される。」

要するに、「(中高生の頃、)同級生でシコった」では「(患者が)空想や行動の対象となる児童より5歳以上年長である場合」に該当しないため、「Pedophilic Disorder」とは診断され得ないのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:19

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2025-10-11

anond:20251011214818

いやいっそ「男子児童ポケモンで抜いて下さい」を正式アナウンスすれば良くね?

女子オナニーネタにされてるんだろうな、の苦しみから完全解放されるし誰も傷つかない。

男はいい加減ロリコンであることを認めろよ。 ​中高生の頃、同級生でシコ..増田よ、このアイデアはいいぜ。

衝動コントロールするのではなく、誘導するんだよ。ポケモンに。

Permalink |記事への反応(0) | 22:08

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anond:20251011213609

そんな定義なのか?と思ったらそれ最後の部分を抜き出してるだけだから前提が抜け落ちてることになってるぞ

規準A : 少なくとも6ヶ月間にわたり思春期の子どもまたは複数の子ども(通常13歳以下)との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想性的衝動、または行動が反復する。

規準B : これらの性的衝動を実行に移したことがある、またはその性的衝動空想のために著しい苦痛、または対人関係上の困難を引き起こしている。

規準C : その人は少なくとも16歳で、基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である

注記 :青年期後期の人が12-13歳の子どもと性的関係をもっている場合は含めないこと。

Permalink |記事への反応(1) | 21:52

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anond:20251010151717

ペドフィリア」のことを言いたいんであれば、

当人が16歳以上であること

・その性的衝動対象より5歳以上年長であること

要件となるので、「同級生でシコった」はセーフだな。

Permalink |記事への反応(2) | 21:36

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  上空のみえないところに⚡を撃ち、10種類超の生成AI赤外線衝動統制しているから、強制的にそのようにできるが、100%やってしまったら後で別のもの

  変えられないからそこまではできないという醜悪さの極致がお前。

Permalink |記事への反応(0) | 16:16

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2025-10-10

はいい加減ロリコンであることを認めろよ。

中高生の頃、同級生でシコっただろ? 昔は未成年グラビア普通にあって、当たり前のようにシコってたはずだ。それなのに今さら「俺は違う」ってフリするのは無理がある。昔シコってた対象未成年だったって事実を、男は全員直視すべきだ。

​男の性衝動なんて、そう簡単コントロールできるもんじゃない。多くの男に潜在的な「若い子への関心」があることを、社会は前提にしなきゃダメだ。「ロリコン=異常者」として切り捨てるのは、現実無視した偽善だ。

​現状の議論だと、二次創作も含めて全部規制しろ、って話になる。確かに予防は大事だ。でもな、性的な嗜好の規制を厳しくしすぎると、ドラッグと一緒で闇に潜って、かえって実態が見えなくなるリスクがある。

​「男はロリコンではない」っていう幻想を前提にした制度設計は、根本的に間違ってる。「ロリコン予備軍である」という現実を認めて初めて、誰も傷つけない現実的な対策が考えられるんじゃないか

Permalink |記事への反応(43) | 15:17

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醜い欲望を完全排除したらどうなるか

「醜い欲望(יצר הרע, yetzer hara)を完全に排除したらどうなるか?」という問いは、実はタルムードの中でも議論されています

タルムード(Yoma 69b)には次のような物語があります

イスラエル賢者たちは、神に祈って「悪い欲望(yetzer hara)を取り除いてほしい」と願いました。神はその願いを聞き入れ、偶像崇拝衝動世界から消えました。

ところがその直後、人々は「もう誰も子を産まなくなった」ことに気づきます。つまり生殖欲望までも消えてしまったのです。

それで賢者たちはこう悟りました。

「もしyetzer haraを完全に滅ぼしてしまえば、世界は存続しなくなる」 (Yoma 69b)

タルムードは「悪い欲望」を完全に否定するものではなく、方向づけるものと考えます。正しい方向に使えば建設的な力になるというのです。

ラビたちはこう教えます

「もしyetzer haraがなければ、人は家を建てず、結婚せず、商売をせず、子をもうけない。」Bereishit Rabbah 9:7

まり欲望衝動人間の中に神が与えた創造エネルギーであり、問題は「それをどう使うか」です。

この考え方は創世記にも根づいています

「人の心の計るところは、幼い時から悪いのみである。」創世記 8:21

ここで神は洪水の後、「人間には悪い傾向がある」ことを認めつつ、それでも世界を存続させると誓います。つまり、神自身人間の「yetzer hara」を前提として世界を続けるのです。

タルムード的に言えば:

Permalink |記事への反応(0) | 07:52

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2025-10-09

ハッピーになりた~~~い

この1年くらいでいろいろやったので、やってよかったこと・やりたいことを書く!

一人暮らし

始めたときは何も考えてなかったけど、すごくよかった!

自由時間がある、テレビ自分の好きなものを見られる、自分の好きなものだけを食べられる!

あと立地が便利で外出が億劫にならない!

一人趣味

1回3000円くらいで、月3回くらい行ってる。楽しい

一人趣味

1回5000円くらいで、月1,2回くらい行ってる。楽しい

一人旅

この前衝動的に飛行機乗って行ったけどすごくよかった!ホテル目当てで行ったか観光とかしてないので、観光したらもっと楽しいかもしれない。

一人飲み

家だけじゃなくたまに外に出るようになった!気軽に行ける好きなお店をもっと探したい!

水族館パス

安い!ので元を取ったあとあんまり行けてない。落ち込むと行きたくなるけどハッピーでも行ったほうが良い。

オフ会

たまにしかないけど誘ってもらえるのうれしい!

友達を誘う

今まで自分から誘えなかったけど前よりできるようになった!おかげで今年は色々行けた!

同性マッチングアプリ

一人しか会えてないけどやってよかった!

異性マッチングアプリ

今月からやる予定!友だちが欲しい!

街で声かけてきた人と飲み行く

一人しか無いけど悪くなかった!

運動

痩せたい!外を走れるようになりたい!

パーソナルジム

この前入会したけどまだやってないので未知数!筋肉つけたい!

一人アフタヌーンティー

行きたい!

資産形成

もともと積立だけやってたけど、この前急に思いついて100万分米ドルにして買った!

資産友達と楽しめることを増やしたい!

Permalink |記事への反応(0) | 20:52

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核融合炉に飛び込む前に――「光」と「責任」を見失った日本原子力政策

 「核融合炉に飛び込んでみたい」と歌う声がある。眩い光に包まれ、全てが許されるような幻想の中へ――。それは、いまの日本原子力政策のものを映す寓話のように聞こえる。希望破滅境界で、人はしばしば「光」に酔い、冷たい現実から目を逸らしてしまう。

 政府エネルギー安全保障の名のもと、再稼働と推進へ舵を切った。電力需給の逼迫、化石燃料価格の高騰、脱炭素の潮流――理由枚挙に暇がない。だがその裏で、原発老朽化廃棄物の行き場、地域合意の不在という根本的な問題は、いまだ棚上げされたままだ。再稼働が“現実選択”と呼ばれるたびに、責任所在はぼやけてゆく。

 青森・六ヶ所の再処理工場はその象徴だ。建設から三十年以上、運転開始は繰り返し延期され、費用は膨れ上がった。掲げられた「核燃料サイクル」は、再利用という理想の名を借りた“無限延期システム”と化している。技術の完成よりも、「止められない」ことの方が既得権となった。これで未来世代に何を誇れるというのか。

 福島第一の処理水放出もまた、政治科学説明と納得の乖離を露呈した。国際機関評価を盾に、「安全」を強調する政府しかし、被災地の不信や国際社会懸念は解けない。信頼は、数字ではなく誠意によって築かれるものだ。事故から十四年、いまだ「終わり」は訪れていない。にもかかわらず、原子力を再び“成長の柱”とする構想が進む現実に、私たちはどこかで既視感を覚える。

 エネルギー「光」と呼ぶなら、その影に潜むリスク直視する勇気こそが政策の条件である安易な「推進」も、情緒的な「脱原発」も、どちらも現実逃避に過ぎない。求められるのは、廃棄物処理や地域合意形成を含めた全体像の再設計である。長期的なエネルギー戦略を、世代を超えた責任言葉で語らねばならない。

 詩に描かれた「核融合炉に飛び込む」衝動。それは、すべてを浄化し、忘却しようとする願望の比喩であろう。しかし、現実政策においては、飛び込むことではなく、立ち止まり、見つめ直すことが必要だ。

 夜の街の明かりが美しいのは、それを支える無数の暗闇があるからだ。原子力という“光”に再び未来を託すならば、まずその暗闇の中で、誰が傷つき、誰が責任を負うのかを問わねばならない。

 光は人を救う。だが、光はまた、眩しすぎて真実を見えなくもする。

 私たちは、あの歌のように「すべてが許される」幻想に飛び込む前に、現実の冷たさと向き合うべきだ。原子力政策の再構築とは、未来のための謝罪であり、再出発の約束である

――この国が、再び“夢”ではなく“責任”の名においてエネルギーを語れる日を願う。

Permalink |記事への反応(0) | 01:21

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2025-10-08

金融系のニュース記事とかマジで見たくない。この世から消えてほしい。

今持ってる株や投信価格が下がったらどうしようって気持ちになったり、ゴールド買った方が良いのかな…と不安気持ちになるんだよ。イライラする。

今はお金が溢れてて、そのインフレ現金がどんどん目減りしていってるのは理屈として分かってるんだけど、

ちょっと下がったら証券サイトに行って売却ボタンを押したくなる衝動に駆られてしまうんだよ。

金融が性に合わないし向いてないのは分かっている。

けど現金だと価値が無くなってゆくから生活していくためには嫌でもNISAとかやらないといけないのが苦痛

Permalink |記事への反応(1) | 22:19

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2025-10-07

節約とかストレスなんだよ

電気消せ、出先で飲み物買うな、外食するな、出前とるな、ゲーセンいくな、エアコンつけっぱにするな、歯磨きする時に水とめろ、風呂の残り湯を洗濯に使わずに流すな、安い時にまとめ買いしろ衝動で買うな、あっちのスーパーのほうが安いんだからこっちで買うな、こういうのを無くして節約すれば金貯まるのに無駄遣いばかりしてるとかいうけど、別にこれやらなくても金はあるし、こう言うのガタガタ言われるのが嫌だから1人でいたい

Permalink |記事への反応(1) | 11:30

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2025-10-06

チアプの女の子との一夜

一緒にいて苦でなければ、誰でもいいと思っていたのかもしれない。特別な人を探していたわけではなく、ただ、自分の隣に誰かを置いておきたかった。話が続かないことによる沈黙が気まずくなければ、それで十分だった。

失われた青春を取り戻すように、僕はお台場海浜公園という「エモそうな」場所に向かった。夜風の冷たさが、学生時代の淡い思い出をなぞる。実際にはそんな思い出なんてないのに、懐かしさに浸るふりをしていた。初めて来たのに、学生時代に来たことがあるなんて嘘をついた。まるで青春の中心を歩いてきたかのように装うことで、空白だった時間を塗りつぶしていた。

茜浜緑地の先端で僕が「270度、夜景が見える」と言ったとき彼女は笑った。その笑顔は、まるで僕の空虚さをやさしく包み隠すようだった。あの瞬間、ほんの少しだけ自分存在がこの世界に溶け込めたような気がした。同時に、変なところにツボのある子だなと思って、どこか心惹かれていた。

市原工業地帯でガラの悪そうな集団に出くわし、思わず身構えた。でも弱いところは見せたくなくて、顔には出さずに平静を装った。夜の石油化学コンビナートの光が、まるで火を散らすように空を染めていて美しかった。

車内ではTULIPの「青春の影」が流れていた。彼女はその曲を知らないと言った。音楽趣味も合わないし、きっと興味の対象もあまり噛み合わないだろう。それでも、どこまでいっても交わらないもの同士の奇妙な結びつきみたいなものを感じて、不思議と心地がよかった。

車はさら千葉の南へ、南へと走っていった。どこまで行くのか、僕自身もあまり考えていなかった。

明確にセックスをしたいという衝動があったわけではない。けれど少しずつ仲良くなるうちに、もしもその延長線上でそういった行為に至れたなら、それはきっと「自分が誰かに受け入れられた証」のように感じられるのではないかと思っていた。欲望というよりも、承認を求める心の反射。そうやって、人とつながる実感を得ようとしていた。

既にかなり好きになっていたから、普通に解散する選択肢もあった。けれど、夜のドライブからホテルに向かうという物語の展開それ自体に、どこか好奇心を抱いていた。ここで誘わなければ、後悔する気がした。いずれにせよ後悔することになるのだが。

誘った瞬間、2人の間の空気が一変した気がした。顔は見えなかったけれど、彼女の声のトーから不快さや戸惑いが伝わってきて、車内には気まずさだけが濃く漂った。ものすごく居心地が悪く、少ししてから後悔の気持ちが押し寄せてきた。コンビニで頭を冷やし、今すぐ横浜に戻ることを提案した。眠気は完全に消え去っていた。

午前2時のアクアラインは空いていた。広く、静かな空間に、僕らだけが浮かんでいるようだった。

全てを打ち明けた。好きになっていたこと、でもどこかで判断を間違えて誘ってしまたこと。そしてその結果、後悔の念に襲われていることを。それを聞いて、彼女ちょっと楽しそうに笑った。僕の告白面白がってくれたのかもしれない。むき出しで話した瞬間、妙な充実感があった。ほのかに切なさと哀愁の混じった、駆け引きのない正直な掛け合い。このドライブの1番のハイライトだった。

青春を求めた夜だった。けれど現実には恋も好奇心も空回りし、青春に敗れた。それでも最後最後で僕たちは心の内をさらけ出し合い、そこには素直さだけが残った。

2人が今後、再会する可能性は低いだろう。それでも、この夜は僕の心に刻まれ、忘れられない思い出になった。

Permalink |記事への反応(0) | 18:34

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