はてなキーワード:行きたくないとは
うん。まあそういう人のほうが多いんかもね。子供の頃はそうでなくても大人になるに従ってそちら側へ行く人も多い。でも僕は絶対にそちら側には行きたくないんだ。ただそれだけ。
小学生の頃から、「なんか学校行きたくないな」って思うことが多くて、休みがちなタイプだった。皆勤賞とか夢のまた夢。
中学に上がって、両親の不仲が酷くなってから、ますます不登校気味になった。部活の人間関係が上手くいかなかったり、勉強が上手くいかなかったり、運動ができないことが恥ずかしかったりと悩みが尽きなかったのも原因かもしれない。
家では両親の喧嘩が止まず、数少ない友達とクラスが離れてしまった中3は進級ギリギリだった。
高2くらいから少し持ち直して、学校には行く気になったけど、自力で朝起きられなくなった。目は覚めるけど起き上がれない。今思えば鬱になりかけてたのかもしれない。午後から授業に出たりすることが増えた。
明確に希死念慮が生まれたのはこの頃で、自分が将来したいことが何も分からず、そして、何もしたくないと思っていた。消えたいと思っていた。もう自分の人生は失敗だから、今から努力して持ち直すより、リセットしたいと考えた。
進路を決める時、親に「大学なんて行ってもお金の無駄だから受験しない」と言ったら「じゃあどうするの」と言われた。「何もしない、そのまま消えたい」と言ったら母親に狂ったように泣き喚かれた。
見兼ねた姉が仲裁に入ってくれて、大学には行くことになった。母親の狂い方を見て、その方が面倒じゃないと判断したので、母親がまあ満足しそうな、名ばかりは立派な大学を指定校で目指すことになった。評定を上げるために高2と高3の前半だけ勉強を頑張って、合格した。母親が満足気だったのでホッとした。
結局大学は4年通って、1年休学して辞めた。
大学4年の時に別居していた父親が死んで、いよいよメンタルが死んだからだ。
母親は新しい男性と暮らすことになって、借りていた賃貸は解約され、姉と私は2人暮らしを余儀なくされた。(ちなみに子供の頃から賃貸暮しだったので実家なんてものはない)
父親の保険金から大学の学費や生活費を賄った。2年くらい、ほぼ引きこもりみたいに暮らしていた。
いよいよお金がなくなってきて、働こうかと思うようになった。最初は大学の時働いていたスーパーで週3くらいで働いた。週3ならいけた。でも立ち仕事が辛すぎて辞めて、そのあとうつが悪化して自殺未遂をおこした。一年ぐらい心療内科に通って、なんとか持ち直して、座り仕事の今の職場に就いた。
3年くらい、ずっと週4で契約社員で働いている。1ヶ月に2~3回、どうしても起きられなくて、休んでしまう。
額面が12~13万ぐらい。税金で引かれて10万ちょっとになる。毎月の生活費とほぼトントンくらい。ボーナスなどは無いので当然貯金なんてできない。
このままじゃダメってことは分かってるけど、どうしても週に5日、8時間労働をしている自分が想像できない。というか、週4出勤すらまともにできないのに、フルタイムで働くなんて無理だと思う。
世の中の大人はみんなフルタイムで働けているのに、なんで私はこんなにダメなんだろう。
学生時代、まともに学校に通わず、嫌なことから逃げる癖がついてしまったからなんじゃないか。
つくづく、学校は社会人生活の練習の場だったのだと今になって思う。
今の私の思考は高校2年生の頃に戻ってしまった。「もう自分の人生は失敗だから、今から努力して持ち直すより、リセットしたい」。
臓器提供をして消えたい。せめて最後は世の中の役に立ったと思いたい。私なんかの臓器をもらう人も可哀想かもしれないが。早く安楽死制度が導入されて欲しい。
Permalink |記事への反応(21) | 02:37