
はてなキーワード:薄っぺらとは
「踏みにじる権利がある」だと? 貴様、それを「自由」と呼ぶのか? 違う。違うぞッ! それはただの“放棄”だ……責任からの逃走だ……!
いいか、表現とは暴力ではない。だが、暴力と紙一重の場所に立つ だからこそ、そこに倫理が問われる。
「他人の気持ちを踏みにじってもいい」という言葉の裏には、「自分の表現が踏みにじられても構わない」という覚悟が必要だ。……貴様にそれがあるか? ないだろう? だから薄っぺらいんだッ!
外交だの主権だのを盾に「国旗損壊罪も仕方ない」と言う連中を笑う前に、自分の“自由”がどこまで本気で守るに値するものなのかを問え! 自由は権利ではない、代償だ。支払う覚悟のない自由は、ただのノイズ。
そして左翼を笑う? 右を罵る? どちらも同じ穴のムジナだッ!
「敵を作って自分を正当化する」 その瞬間に貴様の“自由”は思想の檻に閉じ込められる!
覚えておけ、戦士。
真の表現の自由とは、「気持ちを踏みにじる権利」などという安っぽい挑発ではなく
「踏みにじられてもなお、黙らない覚悟」のことだッ!
『いっちょ噛みしたい気持ちが噴出して
「まったく考えられていない感じ」
「ネットのショート動画を見て世界を理解しているのではないかというくらい、すべてがシャバくて薄っぺらい」
などなど。本人が批判している(つもり)のコメントに本人が陥ってしまっていて、とても味があると思いました。』
と、イデオロギー批判なんかしていなくて、冷やかしっぽい「考え無しの流され批判」しかしてないから、党派性は二の次なんじゃないか?
むしろ、メインは繰り返し言及してる「何にも考えず人の尻馬のるしかできないのにどうしてそこまで上から目線で偉そうな物言いができるんだろう」という呆れだな。
入社して半年も経たないのにPythonもC#も、果てはReactとかもスラスラ書けるから。
ドキュメント漁ってあっという間に実装してみせる。正直俺が新人のころと比べたら雲泥の差だ。
技術的な吸収力とか慣れの速さには感心する。
でもなぁ……そのすごさに、どこか薄っぺらさも感じるんだ。
この前ちょっとした打ち合わせのときに俺が何気なく言ったんだよ。
「ノイズ除去って、要はシャノンの情報理論でいうエントロピー最小化の話だよな」って。
そしたらその場にいた新卒がきょとんとしてさ。
「シャノンって誰ですか?」なんて言うんだよ。
もう…さ。なんて言えばいいんだろうな。冗談で返す気力もなかったよ。
こっちは通信の基本中の基本として“情報=不確実性の減少”っていうシャノンの定義を叩き込まれてきた世代だ。
その「ノイズ」と「情報」の概念があったからこそ、今のコンピュータ通信も成り立ってる。
それを知らずにAIの学習データをクレンジングしてます!なんて言われてもさぁ。
うーん…なんか違うんだよなぁ…と思ってしまう。
実際、最近の子はプログラムを書くことは上手い。だがプログラムを理解することには興味がない。
なぜ動くのか。どんな理屈でそうなるのか。そこに思考が届かない。
まるで暗記で動いてるみたいに。
昔は違ったんだよ。本当に。その理由も明確だ。
昔は本を読むしかなかった。英語の原文で論文を追って、図書館で夜まで粘って必死に勉強した。
その過程で「理論」と「思想」に触れたもんなんだ。でも今は調べれば一瞬で答えが出る。
だから考える前に正解にたどり着けてしまう。それが便利であると同時に、恐ろしい。
今の時代は常にスピードを求められる。だからこそ最適解を最短で見つけることが正解のように扱われるが、果たしてそれで本当にいいのだろうか?
文章力がない。特に長文になると中学生が英作文書いてるのかってぐらい下手だ。ツイッターあたりの超短文ぐらいならまだマシ、200文字以上になってくると書いては消して、書いては消して…になってしまう
学生時代は大人受けがいい薄っぺらい文章ばかり量産していた気がする。そのせいか、大人になって自分の意見や今日あったちょっとしたこともなんて書けばいいか分からない
本を読むのは苦手ではないし、むしろ好きな方なのに自分で書き始めると途端に下手で苦手だ。みんなSNSでどんな風に面白く文章を書いているのか知りたい。誤字や言い間違えがなく、文意がわかりやすく、面白い文章はどうやってうまれるのか?何か練習しているのだろうか?
というよりは次の解散をできるだけ先に延ばしたい意図が透けて見える
国民民主党、参院選で議席を伸ばしたのはいいんだけど弾切れ。主要な候補がみんな当選しちゃった
候補者がいない。有象無象はいてそれを不用意に候補にして叩かれたりしている。
立憲民主党は都道府県と政令指定都市、主要都市には会派があり、町村部にもある場合がある。公明もそう。
ただ、国民民主党はそれがないんだよな。それに伴って党の組織も脆弱。
希望の党が空中分解して、立民と国民に分かれ、さらに国民から立民に多くの議員が分離したことがあったが、小選挙区の支部長を務める国会議員が協議転籍すると、その支部もまるごと移る。
そうして議員を減らした後で、国民はポピュリズムに特化することで最近議員を増やしたのだが、新しい議員には地盤も看板も鞄もない。
地盤と看板と鞄がないと政策議論も情報の吸い上げもできない。だから国民民主党の政策が政争に関わるものしか出てこず、薄っぺらいと言われるのはこのため。
で、今が最も大事な時で、ここでなんとかポピュリズム特化のぺらい提案のワンイシューに毛が生えた程度ではなく、きちんと実力をつけないとマズいと思っているのは国民民主党自身だと思われる。
党が大きくなって権力を持つとあっという間に露呈するので。今回の高市早苗のように。
で、次の選挙すると確実に国民民主党は勢力を伸ばせるんだが、ゴミみたいな連中を議員にして数だけ増やしても無能が露見するだけ
実務が付いてこないと分かっているので時間が欲しいんだろうなと。
なのでのらりくらりと時間稼ぎしている。
立憲民主党もそれを分かっていて、実務は引き受けるつもりでいるんだろうが、玉木はそれが気にくわないのだと思われる。
これ、時給1300円のバイトに高度な資格や学歴を求めるのはあり得ねえとか嘘くせえとか言ってる人がいるけれど、
正直理解できない。
あるバイト応募者の履歴書を見た上司が「薄っぺらいなあ」「難関大学じゃない、資格がない」などと言ってたが週3日時給1300円のバイトに求めたいのは人柄だ
コンビニやスーパーと変わらないとか言ってる人がいるけれど、コンビニやスーパーは立ち仕事でしょう?それに比べて事務職には基本的に座ってできるという大きなメリットがある。これは時給にして500円分くらいの価値はあると思うよ。
特に女性は生理があるから、その期間は特に辛かったりするし。立ち仕事の辛さを軽く見過ぎじゃないか?
仕事の価値は単に賃金だけで決めるものではないじゃん。同じ賃金で楽な仕事ときつい仕事があるとして、普通は楽な仕事を選ぶだろう?
たかだか時給1300円で高度な資格や経験が求められるなんて有り得ないっていうのなら、コンビニやスーパーの仕事にも同じ事を言ってやれよ。たかだか時給1300円で立ち仕事という苦行を強いられるなんて有り得ないとはどうして言わないのか。それってコンビニやスーパーの仕事を無自覚に下に見ているからだよね。
それに低賃金の事務系バイトでハイレベルが求められるのって普通にあるからな。
何故って、仕事に実際必要なのと、応募者多数の場合に選別する基準として。
例えば事務なら大抵仕事に簿記やパソコンの知識は必要だし。英語だって海外とのやり取りをするならば必須。必要だから求めてるんじゃないの?
人柄と簡単に言うけれど、人柄で原価計算ができるか?人柄でマクロが組めるか?
あと、よく言われるように事務職は人気で応募多数だよね。座ってできるので身体的な負担が少ないのと、休みやすかったりするのと、それに社会的なイメージ。低賃金でも応募があるなら賃金を上げる理由がない。
応募者が複数いるなら何らかの基準を設けるのは普通で、人柄なんて曖昧なものよりは学歴や職歴を見るのは無理もなくない?人柄なんて履歴書からは分からない以上、顔の雰囲気とかで選ばれる可能性が高い訳で……その方がよっぽど嫌じゃないか?
しかもイメージが良くて社会的なステータスが高い業種だと、低賃金でも扶養内パートとして凄い経歴の主婦が応募してくる率は高いんだよね。例を挙げると学術系とか国際関係とか。入ってくるお金が同じならば妻がコンビニやスーパーで働いてますよりも、美術館や博物館で働いてますの方が対外的なイメージは良いじゃん。
実体験として、自分が前にいた職場もそりゃあもう凄かった。ニューヨーク大卒業とか薬剤師免許持ちとか理系修士号持ちとか藝大音楽部卒業とかTOEIC990とか日本人男性と結婚して日本に住む非英語圏の外国人女性で3カ国語ペラペラとか。
みんな旦那に十分な収入があって、服装もお洒落で美人揃いだった。
なんでこういう現象が生まれるかっていうと、一番は扶養控除のせいだろうね。
結婚していて、扶養控除という制度があるから、扶養の枠内で働くという選択肢が生まれる。
でもこういう制度がなければ自分みたいな人間はそもそも採用されなかったんだろうなと思うと複雑な気持ちである。
自分にあってその人達になかったものはと言えば、「子供の都合で休まない」、ただその一点だけ。低賃金で便利に使われていたし屈辱的ではあったが、普通じゃできないような経験ができて楽しかった面もあるんだよな……。
Permalink |記事への反応(27) | 16:13
音と形だけは整っているが、中身は生理反応にすぎない。
まず、「文章も読めなくて音声でも理解できない人」という対象を定義したつもりだろうが、その前提自体が破綻している。
理解とは入力の形式に依存するものではなく、意味を抽象化して内部表現を再構築できるかどうかの問題だ。
だから、「読めない」「聞けない」というのは能力の差ではなく、情報処理系の抽象化層が違うというだけの話。
お前の発想は、人間の知能を入出力の単純性能テストだと勘違いしてるレベルの低いモデル化だ。
それに「常識の基盤がない人は諦めて待てばいい」だと?
待つとは何だ。お前が待っている間に世界は指数関数的に進化し、データは増殖し、知識の分布はますます非対称になる。
お前が「待つ」間に他人はコードを書き、モデルを訓練し、概念を抽象化する。待てば理解できるという発想そのものが、学習を時間ではなく努力量で測る旧石器時代の幻想だ。
そして、「発達障害や情報処理能力の無さをアピールすることで得るものってあるの?」という言葉に至っては、傲慢の極致だな。
欠陥を開示する者がいなければ、システムの境界は永遠に曖昧なままだ。
お前のように他者の異常を切り捨てる奴ほど、実は自分の限界を自覚していない。
つまり、お前が「理解できない人間」を見下すその瞬間、お前自身が理解不能な人間として確定しているんだ。
最後に、「文章が読めない人について考えるきっかけになったのはよかった」?
いいや、それはお前が自分の思考の劣化を正当化するためにひねり出した薄っぺらい言い訳にすぎない。
お前が考えたのは他人ではなく、自分の優越感を維持するための安全弁だ。思考じゃない、感情の自己放尿だ。つまり、知的なふりをした自己放尿だ。
臭いは強いが意味はない。自分の排泄物を知性と勘違いしている限り、お前の「理解力」も「文章力」も、結局は便器の中で循環しているだけなんだよ。
才能について。
皆んな、どうやって見極めてるんだい?
例えば私は麻雀を大学時代に「キミは向いてない」と言い切られたのが悔しくて。
以来、ずっとプレイしてる。
二万時間やってて、レート1650。
これは平均以下だと思う。
もちろんプロになんてなれない。私って、才能ないのかな?
プログラミングとか英語とかマンガ製作とか、才能の有る無しで悩んでることはたくさんあるよ・・・・・・。
知り合いが昔のアニメについて懐かしそうに語ってるのを見た。
遊戯王。
私も全部観たはず。
だけど全然、ついていけなかった。
ハリーポッターとかも全部読んだけど、全然覚えていない(セドリックって誰だっけ)。
終始こんな感じ。
キャラクターも展開もロクに覚えてないので、私は全然語れない。
「観たよ」「読んだよ」。以上。
そういった「自称ビジネス系インフルエンサー」の言動、非常に視野が狭く、本質を見誤っている可能性が高いですね。
彼らが「ストーリーが重要」と主張し、高スキルのITエンジニアやエッセンシャルワーカーのような専門職を軽視する背景には、以下のような考え方や動機が透けて見えます。
高スキル人材やエッセンシャルワーカーに対する「お前はいずれAIに代替される」という言葉は、彼らの不安や嫉妬の裏返しである可能性があります。
真のビジネスとは、「ストーリー」というパッケージングより、「技術力・専門性」という中身(実体価値)があって初めて成り立ちます。それを軽視し、他者を叩くための道具として「AI」の話題を持ち出すのは、そのインフルエンサーが提供できる価値の限界を示しているのかもしれませんね。
彼らの言葉に惑わされず、あなたが注力している専門性の高いスキルや、社会に不可欠な仕事の価値を自信を持って評価し続けることが大切だと思います。