
はてなキーワード:蔦屋重三郎とは
お休みの日ってなにやってたっけー?って
もう記憶が消えかけているわ。
いやお出かけはしていたので、
それでお出かけで費やしちゃうと、
日常でやってることがやれてなくて、
すっからかんと空くじゃない。
なので、
出掛けているにも関わらず、
いつものルーティーのことは出来てなくってそれ故に何もしてなかったんじゃないかしら?って錯覚に陥るのよ。
一応は遊んでいるゲームたちは
レヴェル99のギアももう持ってるから割愛の1日1勝の1ガチャに留めーの、
シャインポストは相変わらずライブ会場無茶しやがってのクラス5の武道館以外の会場に挑戦したら倒産。
なんかここまで調子良くクラス5のライブ会場に挑戦出来る勢いは随分ついたものの、
それでもシャインポスト1周プレイするのに2時間ぐらいはかかるでしょ?
控え目に言ってもそのぐらいの時間がかかるので、
プラスとしてはクラス5のライブ会場をライブビューモードで選択できるようになったってことが収穫かしらね。
NIKKEもぼちぼち勧めているわ。
ラピ:レッドフードがあれってただ単に新しいコスチュージュでーって見掛けだけのなんか登場SSRニケだと思っていたけれど
そんでね、
その2人もパワーアップを匂わせてちょっと一旦はストーリー上で部隊から離脱しちゃったわ。
こっちもぼちぼちは進めているけれど、
そんなには一気にドーンと進められないので、
読み物をストーリーを読むイベント消化をチクチクやってる感じね。
新ニケ登場の告知やお知らせがちょいちょい来るけれど、、
いまやなんか食傷気味ね。
ぜんぜんピンと来ないので、
とりあえず
成長物資を集められるだけ集めてーってだけに留めるわ。
なので
今その中でも、
私の好きなニケのシンデレラがメインストーリーでセリフが多くてよく話してるからずーっと登場してて嬉しいかなってところ。
他のゲームは
なんだか遊ぶ元気がないわ。
夏バテかしら?
この突如訪れている
何もしたくない感なにこれ?って思っちゃう。
スプラトゥーン3もめぼしい使ってみたいブキは相当使い込んでて
ドラマ関連は朝ドラの『あんぱん』はとりあえず追いかけられているわ。
どうしても離すことが出来ないのかしらね?
そんなことになるとすっかり分からなくなるのよ。
倍速で見ていても入ってこないし離脱ね。
いや小説版読み始めてこっちも面白く止まらなく鳴っちゃったからそっちにも夢中になりたいところなのよね今。
これは町中華に行ったときの料理がやってくるまでの間に読む楽しみにしておきたいところ。
なんかこう、
いろいろやってるけれど、
ただただ夏の疲れがじわじわ出てきているからそんな心境ならいいのだけれど、
なんだか追い込まれてる感じがするわ。
たぶん夏の疲れよー。
いつもながらになんだか鰯気なことを言っちゃってるわ。
今週はちと早くに寝て睡眠時間を増やすキャンペーンに挑みたいところよ。
なんなのかしらね?
このなんかくたーっとした感じ。
まあ夏の疲れってことにしておくわ。
うふふ。
なんだか家事する元気の気力もなかったので、
お昼はまたどうしようかしら?って考えるのは億劫だし
だいぶ暑さは和らいだとはいえ、
昼間の陽射しはキツイので外に出るのもまたぐったりしちゃうしなぁって思いがちよ。
ああ夏の疲れねきっとそうよ。
今日も朝から出来上がったものを飲んでシャキッと目覚めさせたいところ。
まだまだ暑いので
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私きいて欲しいことがあるの!
チキ・チキ・バン・バンのバンバンって車のことだって知ってた?
てっきり私は
サンドイッチのことかと思ってて、
美味しいチキンがバンバンにたくさん挟まったものだと思っていたの!
信じ合える喜びよね
いや
それは私がベーコンレタストマトバーガーつまりBLTを食べるときに聞くエブリリトルティングつまりELT持田香織さんの曲の歌だったわ。
チキ・チキ・バン・バンのバンバンが美味しいチキンがたくさんバンバン挟まったサンドイッチじゃなかったら
一体何を信じ合えばいいっての?
世の中知らないことばかりね。
まさか、
チキ・チキ・バン・バンのバンバンが車のことだったなんて!
そんなチキ・チキ・バン・バンゆーてる場合じゃ無いわってぐらい忙しい最中。
まあ忙しい忙しいって言ってても始まらないので、
ふと気付いたの。
私スーパーなマリオのワンダーぜんぜんほったらかしにしてたわ!って
気が進まないけれど
とりあえず久しぶりに起動してみたの。
そして遊んでみたの。
だいたい1プレイ1-1をクリアするぐらいのライトな数分のプレイ。
もう今どのステージまで進めていたのかもすっかり忘れていて
ワールド6?ぐらいまで行ってて、
なのに先に先に行っちゃってたみたい!
そんで、
面白いなぁって。
やっぱりコミカルなのよね。
あ!しまったいまこの操作だと絶対やられたり落ちたりしちゃう!って分かっててそうなって笑っちゃうと言うか、
スプラトゥーン3で殺気立って1日1バトルを消化するのとは大違いな感じ。
数戦のスーパーサザエを3つぐらいしかもらえないぐらいの戦いしかしてなかったわ。
そんで
面白いじゃない!
ずっこけて転んで笑っちゃうと言うか、
でも大丈夫!
ハナチャンには当たり判定無いから競争のライバルとして競え合えるの!
先にステージをゴールした方が勝ち!
難しさは星マックス5つよ!
よーし!このステージに挑戦!
何度か途中コースで落ちたり敵に触れたりしてやられちゃったりして、
なかなかハナチャンには勝てなかったけど、
最終的にはハナチャンより先にゴールできて勝って、
わーい!ってなんか嬉しい達成感!
こんな感じ久しぶりだわ。
スプラトゥーン3は殺気立ってるし
NIKKEはステラーブレイドのコラボ企画終わっちゃって私は気持ち落ち着いたのか、
熱が冷めてはいないけれど冷めてきた良い意味で落ち着いてきたって感じ。
なんか裸ばっかりでちょっと疲れるーつーか
ラピそんな正確だったっけ?って
ドロシーもそんなにはしゃぐ?
NIKKEってさ
キャラクターの性格って企画とキャンペーンストーリーとでは全然違う性格なので戸惑っちゃうわ。
ラピそんなぺろーんってティーシャツめくっておっぱい見せるか?って
まあそれはともかく、
そんで、
プレイしてくると
私がプレイするステージにゴーストで他のプレイヤーも一緒にコースをクリアしているように感じるのよね。
それもそれで面白くて、
遠くでやられたらギャー!って聞こえるところがまた笑っちゃうわ。
なので、
殺気立って疲れた身体にはスーパーマリオワンダーいいかもしれないわ。
いかに毎日私が殺気立ったゲームを鬼気迫る感じでやってたか!ってことよね。
ゲームに私が求めていたのは、
それだったのかも知れない!
ここに来てほったらかしの「スーパーマリオワンダー」が楽しすぎる再発見なのよ。
私特製のチキ・チキ・バン・バンサンドイッチを作って食べるわ。
もちろん
もうチキ・チキ・バン・バンってサンドイッチの名前でもいいと思うわ!
うふふ。
なんか大河ドラマべらぼうの蔦屋重三郎さんみたいなことを言っちゃった感じがするわ。
朝とお昼にどちらかを食べるのよ。
ランダムで引いたおにぎりくじでその時引いた味を楽しむ楽しみ。
冷やしておくストックを忘れないように飲んだら
ゴクゴク飲んでシュワッとキマったわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
トマトジュース売り場の棚に
濃厚リコピン、リコピンリッチ、ラックススーパーリッチと並んでいるの。
なんか1つだけ違うアン・ハサウェイさんが並んでない?
ってそれってシャンプー!
違う違う、
そんなリコピンリッチをワイングラスに注いでくるくる回しながらローリングリコピンを楽しみつつ、
もう野田洋次郎さんが出演されてて、
この判子は
「念校、念念校、念念念校です!」ってあんの!
もうこれ前前前世の名人の野田洋次郎さんにこの台詞言わせたいだけのキャスティング起用だったんじゃないの?っていうぐらい。
そんなの聞いたら
元元元気になっちゃわない?
ててーてーてててーてててーててーてててててー♪
野に咲く花のよ~おに~風にふか~れて~♪
ぼぼぼくはおおおにぎりが好きなんだな!
ってそれ先先先代の芦屋雁之助さんバージョンじゃない塚地武雅さんバージョンの方の裸の大将!
もー、
前前前世の名人が念念念校ですっていう笑かしにかかってくるのズルいわー。
もう、
わわわたしはリリリコピンワイングググラスをひっくり返しそうになっちゃったわ。
リコピンリッチもエルとアールの同じ「リ」の発音の違いの難しさが合致するのよ。
もうさ、
リコピングラスをひっくり返しちゃった私の白いティーシャツは赤く染まって、
うーん、
私は急いで洗濯して洗ったけれど
トトトマトの赤い色がキツネとタヌキを思わせるような緑もあってもいいかな?って思ったけど、
そんな洗い上がった白かったTシャツが前衛的なデザインの変な染めのTシャツになったの。
まあこれはこれで前前前衛的でいいのかもしれない。
念念念校です!って力一杯言ったところを、
いや!
言い切ったところを凄く良いなって思ったの。
やっと花咲いたわね!って感じ。
私は忘れていないわ。
朝ドラ『エール』でも野田洋次郎さんが作曲家って体裁で出演されていて、
最後の最終回の次の特別「エールコンサート」では野田洋次郎さん出てこなかったこのアーティスト枠は俳優枠で埋め尽くされてしまって、
なんか本業の歌手なのにエールコンサート出れなくてちょっと可哀想だわ!って思っていたの。
だから
ここで決めてくれてよかったわ!って思ったわ。
ホッと胸を撫で下ろしたところよ。
朝ドラあんぱんに蔦屋重三郎の大河ドラマと念念念校の辞書のドラマと、
また1つ観るものが増えちゃった、
いや増やしてしまったわ。
次の野田洋次郎さんが
その念念念校です!っていう台詞が出てこないか引き続き注意深く観ることにするわ。
そこに注注注目よ!
うふふ。
しっかり食べて暑い中仕事をしっかりできるようにしなくちゃね!
にしても
冷やしているのたくさんあるから
1本朝に。
残り在庫1ケース切ったので、
また2ケース注文よ!
なわけないかー。
なんてね。
水分補給はしっかりとよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
一応、浮世絵は美術界でも低俗なものとされてるし、今でもしてる。
別のエントリーでも書いたけれども、画題にヒエラルキーは日本においても当然あったし、今でもある。
注文して描かせるような絵は、当然ながら低俗な画題じゃない。
注文する先も、ちゃんと名の通った一派に依頼する。
狩野誰誰に師事した誰誰で、今までの実績はコレとコレとコレで、という感じで、オーソライズされた人にしか依頼しない。
紙が安くなって、印刷技術が安くなって、注文に応じて納品するものじゃなく、流行を予測して絵をかいたり、それを印刷したりするようになったのだけど、庶民も絵を買ったりするようになったとき、売れたのはもっと低俗な画題のものだった。
それが時代が下るにつれて浮世(現代風、流行り)の絵というように呼ばれるようになった。
もちろん狩野派崩れもいたけれど、独学の町人だったり、はたまた本職は旗本の武士だったり、経歴はバラバラ。
一応、美術史って、誰が誰の弟子で云々、というのが大事だから、みんな必死に研究してるんだけど、節操なく画風をパクるので、師匠筋が誰かとか、作風にはあまり関係してない。
絵以外でも、江戸時代の小説界隈も、浮世絵界隈と同じくなかなかカオス。
テーマの高尚さ?なにそれ美味しいの?売れたもんが偉いに決まってるじゃん!っていうノリ。
つまり、日本が豊かになって、サブカルのマーケットがメインカルチャーのマーケットを追い抜いて、混ざり合ったり反目したりしてたとが、蔦屋重三郎の時代。
そこで、傑出したプロデューサーが、蔦屋重三郎。江戸の秋元康。
浮世絵を真面目に鑑賞するなんて、おニャン子クラブの歌唱力を研究するようなもん。
元増田です。
限られたスペースで、たくさんの人々に楽しんでもらうためには、これが最大公約数なのかなと思うのだが、あえて、「自分ならこうする」という展示を考えてみたい。
ということ。
歴史資料としては、収集すべきだけど、見せ物としてはレプリカでいい。
そして、まずもって殆どの入場者にオリジナルとレプリカの違いを見極める目がない。
教科書でみたアレ、ドラマで出てきたアレ、くらいの感想で、「本物はこうなってた」みたいな感想があったとしてと、素人が感じ取れる写真との違いは、レプリカでも十分わかる。
それに、オリジナルは褪色していて、作られた当時の意匠を留めてない。
神社仏閣だって当時の色を再現する修復をしてるんだから、こういう美術品、とくに浮世絵なんてのは商業印刷なのだから、派手でケバケバしい猥雑な色を再現して展示したほうがよいだろう。
というわけで、
を述べてみる。
江戸のメディア王となった男の展示であるからには、江戸後期におけるメディアについて入場者に知って帰って貰わないと意味がないと思う。
つまり、この屏風にこういう絵を描いて欲しい、誰々の肖像をこんなふうに描いて欲しい、という依頼に応じて制作したものだった。
それが、蔦屋重三郎の時代には、木版によるカラー印刷という技術が発明されたことと、貨幣経済が発展したことにより、需要を見越して出版活動を行うようになった。
王侯貴族ではなく、庶民が店先で本や絵を買う時代がやってきた。
本や絵のテーマになるのは、山水画や花鳥風月じゃなく、もっと庶民の娯楽に直結したもの、芝居、女、旅行、etc…
それぞれについて掘り下げておく。
例えば芝居なら、芝居小屋でみる歌舞伎は照明演出が蝋燭と窓の開閉でしか調整できないから、まず薄暗い。
俳優は一年ほぼ固定で、「うちは今年一年この顔ぶれでやって行きますよー」という俳優の紹介があったこと。
みたいなことを触れておく。
例えば役者絵なら、役者絵は芝居に乗っかって売るものだから、上演期間に合わせて売り出す必要がある。
観劇して、印象に残ったところをスケッチして、それをもとに一年かけて一枚絵に仕立てる。などというやり方はありえない。
ここで、入場者にいくつかの問いかけに考えてもらう。
例えば、役柄に寄せて描くべきか、役者がわかるように描くべきか?
実写版の白雪姫のポスターを作るとして、アニメの白雪姫に寄せて描くべきか、俳優の特徴に寄せて描くべきかに置き換えるとわかると思う。
もちろん正解はない。
俳優は厚化粧しているが、それを描くべきかとどうか、芝居小屋は薄暗いがそれも描くべきかどうか、これだって答えはない。
どの問いも答えはない。
この部では、蔦屋重三郎を忘れて、バリエーション豊かに当時の解答例(作品)を提示すればいい。
写楽と春章と国貞あたりを並べるといい。
ソープランドの写真指名用のパネルを作るとして、無加工ってありえないだろう?
かといって、加工されほぼみんな同じ顔になったとして、指名したくなる推しポイントは含めないといけないだろう?
例えば、素人っぽさ、生活感がある日常を切り取った普段着のほうが萌えるって流行もあるだろう?
それだって、素人っぽく、普段着っぽく、日常っぽく加工してるだけで、本当の素人でも普段着でも日常でもない。
煌びやかな花魁が描かれてるだけじゃなく、女郎の日常が描かれたり、女郎じゃなく茶屋娘の絵が売り出されたりしてたわけ。
次の展示の前に様々なバリエーションを並べて、当時の価値観について理解の分解能をあげておく。
ここがメインで、蔦屋重三郎の足跡を辿る展示に入るわけだけど、どこで生まれて最初に出したのがこれで、みたいなのはあまり重要ではないと思う。
研究としては大事だろうけど、知識がない一般人にとっては、蔦屋重三郎がなにをどう変えたのか?どこが革新的だったのか?だけ覚えて帰ってもらえば十分。
例えば、スティーブ・ジョブズ展をやるとして、学生時代にヒューレットパッカードでバイトしてたときの記念品とか、要らないと思うんだ。
出した製品が、世界をどう変えたか?それが重要で、例えばiMacなら、そのころ主流だったPCと外観がどんなに違うか、並べたらいいと思うし、iMacを模倣して作られた他社製品を並べてやるのもいいと思う。
歌麿の登場の以前と以後で、画風の流行がどう変わったとか、写楽の絵はあまり売れなかったけど、一部に熱狂されてインスパイアされた絵師が出たこととかね。
もちろん蔦屋重三郎を語る上で、歌麿や写楽は重要だけど、版元の関与、つまりアイデア、コンセプトがどう革新的だったか、そういう見せ方をするべきだね。
例えば、写楽の大首絵は背景がガンメタリックのように黒光してる。
同じ絵に違う背景を複数作って、この背景色を選んだのが必然であったのを理解してもらうのがいいと思う。
その数だけ複製版画を用意する。
それから、写楽の大首絵の輪郭線は薄墨で目立たなく、最小限の線だけど、効率的にデフォルメされている。
3Dモデリングしたり、3Dモデリングから作ったフィギュアを展示して、線は最小限なのに顎や小鼻の丸みがちゃんとわかる確かなデフォルメなことを理解できる展示にしたらいいと思う。
黄表紙本なんかは、どれだけふざけた内容で絵が多いかわかるように、写真から製本して触れるようにしちゃったらいいと思う(できればこれも木版で印刷して製本して欲しいが、コスト的にキツいしね)。
わざわざ美術館にこなくても、デジタルアーカイブとしてみれるんだけど、製本したもののページをめくることができたら、また印象が違うと思う。
今回の展示で最後オマケ程度に現代の職人の仕事ぶりや制作過程が紹介されてたけど、あれをもっと広げてやる。
手に持って鑑賞できる触り放題な複製版画を大量に用意する。
第三部までの知識をインプットしたあとに、手に持って鑑賞するのがミソで、これ以上ない体験になると思う。
ここでアピールして、物販コーナーで複製版画がたくさん売れた方が、文化の保存に貢献できる。
承認欲求モンスターばかりなんだから、写真撮影可能な複製版画コーナーは大変重要。
さすがにオリジナルの展示もいるだろうなと思うので最後に設ける。
客はラーメンではなく情報をくってる。オリジナルをみたっていう情報でお腹を満たしてもらえばそれでいい。
「さっきみた複製とはここが違うね」
と通ぶってくれてもいい。
「さっきの複製のほうが好きだ!」
と感じてくれたら、職人たちへの激励になる。
当時、本も絵も、木版印刷なわけだが、写真と実物、複製の違いについて軽く触れる。
油絵は油絵具で光の屈折が関係するので、写真では伝わらない部分があるが、その点では木版画はフラットでマットなので、概ねかわらない。
雲母のような、光の反射を使った技法については写真ではなかなか伝わらないし、版木が押し当てられたことによってエンボスになってるようなのは、写真になるとわかりにくいが、それこそ手に持ってこそなので、ガラス越しでみてどうなんだろという感じはある。
うまい例えができないが、ビックリマンシールのシルクスクリーン印刷は、触ってこそだよ。傾けて覗き込んでみて反射や屈折を楽しんで、手触りまでがワンセット。
複製については、当然複製なので、いい複製、悪い複製があるはずなのだけど、これを論じるのはなかなか難しい。
これだけ写真印刷ができる時代に、わざわざ彫って摺ることに意味があるかと言われても、木版印刷だけの味わいがあると断言できるのだけど、そこから先のいい複製については正解がわからない。
例えば、褪色した今現在を複製するか、制作当時の色を再現すべきか、オリジナルにある制作上のミスは複製でも模倣すべきか、ベストな状態の摺りを再現すべきかという議論がある。
私は、絵そのものよりも、その背景にある表現したいモノを形にするのがいいと思うので、当時の色を再現し、ミスは修正したほうがいいと思うし、ベストな仕上がりを想像して作るべきだと思う。
また、制作方法や材料は当時の方法や材料を踏襲すべきか?という議論もある。
これについて私は、絵を通じて表現したかったことが大事だと思っていて、当時のなかった便利な方法、材料も使っていいと思う。
当時の職人だって、もしそれを知ってたら喜んで使ったはずだ。わざわざ制作のハードルを上げて、彫り摺りのレベルを落としたら本末転倒だと思う。
結論としては、やっぱり答えはない。
ただ、手にとって楽しめるのは複製の利点なので、ぜひ触るべきだと思う。
「世界で一番ゴッホを描いた男」というドキュメンタリー作品がある。
10万枚も複製画を描いた男が、ゴッホのオリジナルをみるためオランダに行き、初めてみたホンモノにうちひしがれる話だ。
取引先の画商は、
というけれど、本人には悔しくてたまらない。
たぶん、画商の言葉はお世辞じゃなくて本当にそっくりだと思ってるんじゃないかな。
ホンモノは、こういう人にだけ鑑賞させてやって、一般人は複製画で十分だ。
美術館でありがたく鑑賞する程度では、ホンモノとニセモノを見分けるような目は持てない。
大河ドラマの主人公をテーマにした展覧会ともなると、分かりやすく「美術品」として展示する以外の選択肢はなかなか取れないですね。
つまらない話ですが、額に入れて壁面に飾って展示しないと大量のお客を捌けないので。
その規模の動員を見込む展覧会では、どうしても大多数の人が期待するようなモノを期待通りの方向性で展示するように舵を切ることになります。
大勢のお客様に期待外れだと感じさせるわけにはいきませんので。
もちろんお客様の期待を裏切りながら満足して帰っていただくのが最上ですが、動員数が多くなればなるほど、それは難しくなります。
国内屈指の物的人的リソースに恵まれた施設でも、開かれた美術館という高邁な理想と自堕落な見世物興行との間の綱渡りをしているというのが実情であります。
蔦屋重三郎という人も、そうだったのではないでしょうか。
美術館なんて5年以上行っていなかったのだけど、美術館に足を運んだ。
とあるツテによって、一般公開に先立つ内覧会に招待されたためだ。
東京国立博物館でやっている、『蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児』という特別展。
久々の美術鑑賞だったが、なかなかよかった。
うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じである。
今の子供にもウケる絵柄だけを紹介してるような、それはそれで正解なのだけど、それはどうか、という思いがよぎる。
浮世絵というのは、ハンドメイドのカラー印刷なので、出来に良し悪しがある。
もちろん、出来がいいものを飾ってもらいたい一方で、出来が悪いものからも、いろいろと思うところはある。
教科書に載っているような有名作品に印刷ズレがあると、「印刷が間に合わないほど飛ぶように売れたんだな」と思ったりする。
「版元に大事にされていたんだな。プレミアム戦略で粗製乱造はしなかったんだな」
贅沢な悩みだが、一級の作品の、出来がいいものだけを集めて展示されていて、それが残念な感じがあった。
元来、浮世絵というのは、手に持って鑑賞するものだったので、多くの場合、壁に飾られることは想定していない。
運転席からみて見やすい道路標示が、真上から見たら細長くみえるように、壁にかけると普通は不自然さが際立つ。
額縁やマットの選び方も上手で、壁や床のいろとも調和して、照明のセッティングも含めて、この場所に、そうやって飾られるために作品が存在しているかのように見えた。
それは、すごい技術ではあるが、壁に掛けたら不自然にみえるはずの絵を、展示のテクニックで美しく見せてしまっていて、どうかなと思う。勝手に足し算しちゃってるようなもんだし。
もちろん、展示は研究者のためのものではないので、現代に生きる我々に理解しやすい絵を中心にみせることは大事だし、せっかく展示するなら美しく展示すべきというのもわかる。
手に持って鑑賞する前提で作られた作品を額縁にいれて壁にかけガラス越しに鑑賞する意味はなんだろうか?
作品というか、当時の感覚ではアートではなく商業印刷であり、描かれているのだって芝居の役者や女郎であって、風俗情報誌の表紙みたいなものなわけで。
それをわざわざ吉原をイメージした空間を作って展示となると、教養や文化というより、それを楽しむ娯楽だ。
おしゃれ空間を楽しむ娯楽という側面のほうが強い気がする。
Permalink |記事への反応(22) | 14:44
kohakuirono 始まってもいないのにと言うけど公式サイトで「エンタメ大好き」「イケてる人は吉原にいた」とか書いて極めて軽いノリでキラキラ吉原にしてるのはちょっとなあ。そりゃ怒る人も出るだろうて。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749010497224107936/comment/kohakuirono
porquetevas ほんとにイケてる等のコピーがあったのか疑ってる人がいるけど、あったよ。公式サイトの「みどころ」ページに書かれていた。今はページごとそっくり消えてる
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749020844342773120/comment/porquetevas
ということなのでwayback machineから発掘してきた。2/6時点のキャッシュ
元は「見どころ」というページ。トップにはリンク用の文字は残っているがリンクは外されている(https://daiyoshiwara2024.jp/ )。元URLにアクセスしてもNOT FOUNDになる(https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html )。
見どころ
幕府公認の遊廓、江戸の吉原。本展では、他の遊廓とは違い吉原だけに備わっていた公界としての格式と伝統に注目しています。武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。
約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心でもあったのです。3月にだけ桜を植えるなど贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界だったからこそ、多くの江戸庶民に親しまれ、地方から江戸見物に来た人たちが吉原を訪れました。そうした吉原への期待と驚きは多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎らの出版人、文化人たちが吉原を舞台に活躍しました。
江戸の吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはありません。本展では、今や失われた吉原遊廓における江戸の文化と芸術について、ワズワース・アテネウム美術館や大英博物館からの里帰り作品を含む、菱川師宣、英一蝶、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、酒井抱一、高橋由一などの、国内外の名品の数々で、歴史的に検証し、その全貌に迫ります。
エンタメ大好き!
夏の野外フェス?!「俄」
wayback machineのURLは↓だけど重いので注意。画像などもキャッシュされている。
https://web.archive.org/web/20240206095007/https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html
このエロ将棋本で重罰を受けたのが、江戸の秋元康、蔦屋重三郎。
で、エロパロに懲りた蔦屋重三郎は、女郎の顔のアップを売り出すことに。
こっちのほうがよっぽど風紀を乱しそうな印象を受けるかもしれないが、お上公認の風俗街があった時代。
今みたいにネットで嬢の顔写真なんかみれないわけで、そうなるとお上も
「うんうん、写真指名くらいできないと大変だろうしね。まあ、許すか」
ってな具合で風俗嬢の顔のアップを売り出してスマッシュヒットを出した絵師が喜多川歌麿。
調子に乗った蔦屋重三郎と喜多川歌麿は、風俗嬢じゃなくて一般の店の看板娘の顔アップも同じように売り出す。
「やっぱ素人はたまんねえな。はぁはぁ」
と風俗嬢のブロマイドをみたあとに一般人のスナップ写真をみたら、エロいことが出来る気がしてなんもエロくないのに欲情。
「風俗情報誌の出版許可を与えたつもりなのに、なにこいつ一般人を風俗情報誌に載せてんの?」
ってな感じ。