
はてなキーワード:蔓延とは
どのみち地域全体に蔓延る野卑な風習を個別の問題に矮小化することは地域問題の希薄化、秘匿化を企図するものでありリベラル特有のいい差別と悪い差別、救うべき差別と見捨てる差別の切り分けでしかない。
さす九とはその地域に根ざした差別的な社会を糾弾する正当な指摘であり、さす九地域に居住する人々は是正されねばならないのだ。これは問題を変えればリベラルが国連とか使ってやってるいつもの仕草。
さす九出身の個人の漏れた思想をさす九と指摘するのは別な問題があるだろう。
わいはNIKKEやってないから内容わからんけど読み応え十分だし
回文増田の特徴の一つとして重言に重言を重ねるように同じ意味の語を並べて意味を重ねる表現方法があるけど
一見ふざけてやっているようで
素人には到底真似できない芸当で
それを月〜金で毎日茶目っ気たっぷりに披露出来るのは達人級にすごいと思う
わいは素直に尊敬している
回文増田は辞書が好きだっていう話だから言葉の感覚が研ぎ澄まされているんだと思う(増田の検索窓で「回文辞書」と検索すればいくつか読めるはず)
↓を読むと辞書愛がつよいことがわかる
追記終わり
わいはそう信じている
「初回の介護認定は重めに、更新時は軽めに」という運用が蔓延してきている。
例えば、ある人が体調を大きく崩して介護が必要となり、今回「要介護2」の認定を受けたとする。
そして良くはならないが何とか現状維持出来ている状態だと、翌年に「要介護1」、翌々年に「要支援1〜2」、に格下げされてしまうというものだ。
要介護度に応じて使えるサービスは変わり、例えば要介護3から2以下に変わったら特養から追い出され、要介護1以下なら介護ベッドは自費になり、要支援ならデイサービスの回数制限が厳しくなる、などがある。現場の家族はその分精神的にも金銭的にも負荷が増える。
介護保険を維持するために要介護度の悪化を食い止めよう、という厚労省の大方針がある。
介護認定を受けた人達の翌年度の変化を毎年集計しており、要介護度が下がった割合と悪化した割合の差を「改善度」として介護度別に集計、公表している。
例えば2022年度は要介護1はマイナス20ポイント。良くなった人より悪化した人のほうが20%多かった。なお要介護5(これ以上悪くならない)以外の全ての要介護度でマイナスである。
この改善度をひっくり返そうというのが厚労省の方針で、その手段が「初回の介護認定は重めに、更新時は軽めに」という認定レベルの不正操作もとい調整である。
簡単である。自治体の職員が、前回認定時から大きく追加された医療的所見がない(例えば、余命宣告レベルのことが起きてない)人について、認定レベルを軽度化ような現地調査レポートを書いて提出するだけ。
Xなどを見ると「母(父)の介護認定が下がった…要介護2から要支援2。本人は何も良くなってないのに」「まさかの自立判定…自力で立てないのに…」「明らかに認知症悪化してるのに要介護3から1になった…特養追い出される…」という類の悲鳴が1日数件くらい拾える。
次の手段は要介護認定基準の厳格化だ。今まで要介護3となっていたのが要介護1となるレベルの改革が画策されている。
今の内閣は介護の現場に興味がないみたいだし、首相が自費介護の経験者だ。「介護保険に頼らず自助でやれ」という方針が来年あたり出てくる可能性すらある。
安倍晋三とその信奉者(高市早苗も)が従前から言っていた「日本を取り戻す」の中には、「老父母の面倒は子供達とその配偶者が確りと見る」というのも含まれてるからな
長かったわ生配信!
今度もうすぐNIKKEが3周年ということで
その長さ5時間!
長すぎない?
いや私はさすがにNIKKE好きで終始濃い内容にも飽きることはなかったけれど、
それにしても長すぎてさすがに長かったわ。
予定空けていて良かったー。
ほぼもう実質半日ぐらいな勢いじゃない?
なかなか待ち遠しい情報ばかりで、
私が楽しみにしているのはクラウン王国っていうのがNIKKEの中にあって、
レッドフードゲットしたいわ。
あとついに
物語が大きく動きそうなチャプターも追加とのことで、
そんで、
報酬はもらえない代わりに比較的低難易度のストーリーモードってのが追加されて、
物語だけを追う分にはかなり追いやすくなってアップデートされるみたいよ。
だって、
もうさ
一向に強くて倒せなくて先に進めない倒せないボス!
あの巨鯨!めちゃ強くてしばらくずーっとキャンペーンのいわゆるストーリーは進められなかった苦い思いをしているだけに、
あと、
ストーリー追加されて遂に
ラプチャーって言う地上に蔓延っている人類の敵の根源みたいなボスも登場するって言うんだけど、
ナンバーがついている時点で次まだいるんでしょ?って思わざるを得ないのよね。
あと、
ヘクスの6マスのリアルタイムシミュレーションゲームみたいなものも登場!って言ってるけれど、
これまたデイリーミッションの負荷の負担が増えるのかしら?って
楽しそうだけれど
私が一番気にして見たかったSHIFT-UP陣営の制作陣インタビュー!
うわーもうやっぱり5時間って長すぎるわよね。
あとでも楽しくて盛り上がったのが、
会場に来ている指揮官をアトランダムに選んで行う10連ガチャ!
盛り上がったわ。
でもあの場でSSR当てるとかやっぱり運がいいわよね。
何人かの人がつーかほとんどの人がSSR1機は当ててたので凄い運の持ち主なのかしらね?ってそう思ったわ。
回してみたけれど渋い結果に終わってしまって私は運がなかったみたい。
でもステラーブレイドコラボ企画で遂に登場したイヴの10連ガチャは1発目で引き当て招き入れられたあの熱い思い出は忘れないわ。
あれは正に奇跡よ!
長すぎない?
いや全部見たけれど
あれリアルタイムでその時のションテンで観れたからよかったものの、
にしても長過ぎよ!
もう最後出演者も疲れの色が出てる感じがしてクタクタになってるじゃない?ってところもありで
見る方もまあそこそこに疲れちゃったわ。
みんな頑張りました!
あと
私は見逃してはならない、
それが心残りね。
それも楽しみすぎるわ!
実際そう言うの観てみたらどうなるのかしら?って
そこもワクワクよ。
さすがにそれ5時間ってワケではなさそうなので、
まあとにかく楽しみだわ。
見逃さないようにしなくちゃ!
うふふ。
うーん、
ホッツが出てくる頃私のヒーコーもホッツに変えたいところかしら。
とは言いつつ昨日立ち寄った喫茶店ではアイスのヒーコーを頼んでいたわ。
でも11月も目前よ!
まだアイスが美味しいだなんて。
そうねだからホッツ白湯ウォーラーの存在をすっかりまだ忘れている季節よね。
コーン茶ウォーラー茶が冷たくて美味しいごくごく飲んじゃったわ。
急に寒くはなってきたとはいえ
まだ冷えているものを求めているのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
実際には他業種でも勉強は必要だし、その場合はちゃんとフォローがされるんだよね。
具体的に言えば
みたいな感じ?
「おい!勉強しとけよ!」と言われるならまだ良いほうで「え?なんでお前これも知らないの?普段からアンテナ張っておけよ」と言われて終わり。
仕事のために勉強することに対して全くフォローアップをしないし敬意も払わない空気がIT系にだけ蔓延してる。
だから「誰に言われるでもなく自分の意志で勉強できないと生き残れない」と言われるようになった。
でもこれって責任を全部社員に押しつけてるだけでしかないよな。
こないださ、
車を運転していて
そしたら、
財布ないことに気付く前に!
シャーって赤信号無視して交差点突っ込んでくる自動車に私の横っ腹喰らいそうになりかけたけど、
危ない!
もうさ、
自分で運転していて自分自身の操作で危ない!ってのはあるけれど
例えばそうなったとしても、
だけど
そう思ったの。
いわゆるもらい事故になりかけたら、
いやなったら防ぎきれないわって。
これ喰らったらたまらないわよね。
危機一髪なところを赤信号を無視して通り過ぎていった車は間を走り抜けていったけど、
怖かったわ。
何にもなくてよかった!
って、
もしかして私も信号ちゃんと見てた?いやちゃんと青だったかも!って
慌てて落ち着いて駐めることの出来るところに駐めて、
こういう時もし喰らって事故っていたら十ゼロとかになるのかしら?
怖いわー。
運が良かったのかも知れないし、
慎重に走って比較的ゆっくりだったからまだブレーキ効いたけれど、
これが幹線道路のもっとスピード出てるときに横から喰らって出てくる車がいると思うと、
防ぎようがないわ。
なんかさ、
自分から塀に突っ込んだ!へいへいへい!囲い~ね!なんて言えるけれど
いや本当は言えないけれど、
自損ね自損事故。
まあいいじゃない。
何回も言うけれど横から喰らったり後から喰らったりするのは本当にどうしようもないわね。
たぶん、
チラッと交差点赤信号で突っ込んできた車の乗ってた人わりと高齢者なような気がしたから、
なんかうかうか車も運転できない恐怖じゃない?
ちょっと本当に怖い思いをしたわ。
うわ。
こわー!って。
あれってさ、
そもそも罰ゲームで黒髭を飛び上がらせたら負けなイメージが蔓延しているけれど、
樽に捕まった黒髭を助ける!
いわゆる、
本当は黒髭を発射させて飛び上がらせた人が勝利!ってのが本当のルールみたいなの。
それがいつの間にか
黒髭を発射させて助けた人が罰ゲームに当選するという流れいつ変わったの?って思っちゃったわ。
黒髭の危機一髪で充分よね。
怖かったわー。
スピード出しすぎないで安全運転をより心がけましょう!って強く思ったので、
もう一回言うけれど、
スピード出しすぎないで安全運転をキメましょう!ってことなのよ。
でもこっちがいくら安全運転をキメまくっていてもーってのもあるから
真横から喰らうの恐ろしいわーって、
今日は真横から喰らうの恐ろしいとしか言ってないぐらいだけど、
そのぐらい注意したいものよね。
何事もなくて本当運が良かったわ。
でもさ、
ドライブレコーダーって音声入るじゃない。
私が思いっ切り車の中でムーンライト伝説を歌唱していたのがバッチリ録音されていたわ。
そのたびに「ででんででででででーん♪ごめんね素直じゃ~なくて~」ってイントロから歌い出しのところまで延々と繰り返し聞かれると思うと恥ずかしいわよね。
まあもしそうなったとしても
まあこれが動かぬ証拠ってことで。
にしても
運良くすり抜けていった赤信号の交差点に突っ込んできた車とぶつからなくてよかったわ。
もしものときに急に車が止まれるようにあんまりスピードは出し過ぎちゃいけないのを肝に銘じたところよ。
あー怖かった。
うふふ。
状態が良いのもどう?
2日ぐらいかしら?
だから黒くなる前に全部食べ切らなくちゃいけないのよ。
なので早めに食べきってしまいました。
なくなっちゃったので、
冬でもホッツで美味しいかも知れないし、
これからもしかしたらちょっとホッツが恋しくなるかも知れない季節に突入かもね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この記事ではあくまで子育て環境ばかりに触れられているけれど、元ポストが言っているのはどちらかというと遺伝の問題の方が大きいと思うよ
恋愛に及び腰な人が増えたのって単に個々人のコミュ力や清潔感がどうのといった些末な問題ではなく、社会の隅々まで優生思想が蔓延した事によるセルフ断種でしょう
まあ上位3割っていうのはセンセーショナル過ぎる数値で、実際は上位7割か6割くらいだとは思うが
今の世の中では人間は容姿や知能、コミュ力、運動能力等様々な要因で厳しく足切りされて、不適当な個体は排除される
とにかく自分は子孫を遺すに値しない劣った人間だと判断した個体は恋愛から「降りる」んだよ
一見自発的に独り身を選んでいるかのように見える男女もその実態はけして前向きな判断ではなく、絶望から来る諦めだ
だから
恋愛支援として必要なのは「上位3割の男女しか子どもを産んではいけない」空気の払拭に尽きると思うんだろうけれど
劣等種は淘汰されろ、自由恋愛で繁殖できた勝ち組男女の子孫だけに湯水の如く子育て支援を注ぎ込んで滅びていこうというのがこの国の有権者の総意みたいだから
もうどうしようもないね
滅びを受け入れよう
「陰謀論はバカ」「自然派は非科学的」と言いながら、実は自分も大して分かってない人がふえてる。
たとえば
・「味の素は石油からできてたのはデマ!」と、ドヤ顔で否定→そもそもどうやって作られてるかは知らないし味の素の公式説明さえ見てない
・「水素水は存在しない!小学生の知識でもわかる」→水素や還元反応について説明できるわけじゃない、医療用として存在することを知らない
・「化粧水はただの水」と断言→皮膚科学や保湿機構の話を何も知らない
・「誰かが言ってたから」信じる
結局のところ、信じてる方向が逆の「陰謀論者」。
陰謀論者が「全部ウソだ!」と叫ぶのに対して、冷笑系無知は「全部デマだ!」と叫ぶ、理性的な分上に立っていると勘違いしている馬鹿。
どちらも、根っこの構造は同じく、「自分は人より賢い」と思いたいだけ。
ひろゆきとか、料理研究家リュウジとか「常識っぽく語る論客」を好む。大衆の要求を読むのが得意で、自分を賢そうに見せるのが上手いが、
実際はそうでもない人たち(他の掲示板の様式パクって自分のモノみたいに語ったり、他人のレシピを自分のもののように語ってる見せるのが上手い人たち)
冷笑系無知は「ああいう言い方をすれば勝てる」と内容より口調を真似てしまう。
その結果、SNSでは無知なのに賢ぶる人たちの冷笑文化が蔓延していく。
冷笑系無知の多くは、学問や知識に対して劣等感を持っていて、根っこにあるのは「コンプレックス」。
だから「勉強する」よりも、「誰かをバカにする」方が簡単で気持ちいい方を選ぶし、陰謀論者や自然派と同じで「勉強の仕方」がわからない。
同じ意見や感想を言い合って共感することを「勉強」と思っている節がある。
一見クールで理性的に見えて、内側は「承認欲求」と「自尊心の不安定さ」の塊なんだよね。
でもどちらも、「知らないことを知らない」という同じ病気を抱えてる。
そしてその病気は、治そうとしない限り、どっちも治らない。
もし自分が「冷笑」してると感じたら、いったん立ち止まって「自分はどれくらい理解してるんだろう?」と問い直す。
それだけで、少しだけ知性のある側に近づける。
あれもこれも結局、学校教育が表層的な部分しか教えてないとか、学ぶ内容より学び方を教えてないとか、そういうのに元凶があるし
コツコツ生産的な活動をしている人より、SNSで炎上したりバズらせている人が尊敬されたりする社会が悪いとは思う。
こんにちは、こんばんは。
アラフォー('87-'88生まれ)世代の育児中父です。ポケモンに夢中な6歳年長児娘を寵愛しております。
私自身、典型的な中流階級で過ごしてきており、いわゆる平均的な自己認識と他己認識を持って日々生活しているザ・サラリーパーソンだと自認しています。
(高校・大学時代は経済的な理由によりいわゆる苦学生を経験して一時的に認識が歪んだこともありましたが、就職以降は概ね持ち直しております。これはあまり本筋ではないので本稿では言及しません)
私はポケモン第一世代であり、初代赤・緑を親に頼み込んで購入しフシギダネ〜フシギバナを相棒にそれなりにやりこみました。レベル100バグや道具増殖バグなどには頼らず地道に四天王に挑み続け、15体ほどでレベル100パーティを組めるようになっていました。
加えて、自分自身が愛知県出身ということもあり、タイミング良く開催された草創期ナゴヤドームでの公式ミュウ配布イベントによりポケモン図鑑151体を完成させました。
当時流行した本家派生であるポケモンカード(旧裏)、プラコロ、ポケモンスタンプなども経由しています。
その後、金銀クリスタル、ルビーサファイアエメラルドのプレイを最後に大学受験等の理由でポケモンから遠ざかっていましたが、2016年頃のポケモンGOブームで一時的に復帰しつつ、スマホ買い換えに伴うアカウント引継エラーによりモチベーションが低下し再度フェードアウトしました。
その後娘が産まれ、成長とともに娘が自然とポケモンにハマりつつある中、私自身のリハビリとして中古で購入した3DSのサンムーンでアローラしつつ、娘のポケモンぬい活や絵本の鬼購入などを経て、満を持して娘の合意も得てポケモンZAの購入を検討しています。そんなよくある典型的なゆるふわポケモン世代です。
このような経歴を持つ私ですが、縁があって結婚したパートナーは5学年上('82-'83)の方です。私自身が少し上の世代の音楽(GLAYやミスチル等)やスポーツ(野球・サッカー等)が好きということもあり、育児含め共通の話題はそれなりにあり日々過ごす中で会話も盛り上がっています。
パートナーに目線を移すと、初代ポケモンが発売されてアニメ・映画含め社会現象と化した'96-'98あたりは既に中学〜高校くらいの世代であり、「ポケモンにハマってるヤツはゲーム好きなガキかオタクだ」という価値観が当時蔓延っていたことをパートナーからも証言いただいています。
中学生特有の背伸びしたい感覚もあるでしょうし、その世代特有の風潮は理解できます。そりゃその頃であればFF7やサガフロンティアにハマりますよね。
(私自身が中学〜高校生の頃、小学生の間で流行っていたベイブレードやムシキング、初期プリキュアあたりを冷めた目で見ていた感覚は痛いほど分かるので、それ自体を否定することは私もできません)
ただそれらのコンテンツとの差異点は、【ポケモンが世界レベルの化け物コンテンツ】に成長してしまったことです。
確かに今をときめくプリキュアも特に女児(+一部の大きなお友だち)にとっては充分化け物コンテンツではあるのですが、老若男女を無差別に取り込むポケモンに比べるとどうしても市場規模では見劣りしてしまいます。2025年現在に70代である大俳優大和田伸也さんがゼニガメやクワッスに心奪われている様子をXなどで拝見していると、ポケモンの魔力というかコンテンツ力に感服する他ありません。
151体を圧倒的な熱量で集めお気に入り15体をレベル100になるまで四天王に挑み続けた当時小学生の私と、ポケモンは子どもの娯楽だと見なして見向きもしなかった当時中高生のパートナー。熱量に違いが出るのはやむ得ないことかもしれません。
世代間のギャップが頻繁にトピックに上がる現代社会ですが、大抵のケースでは10歳以上の場合がほとんどです。仕事観や音楽の趣味、恋愛や結婚の感覚などなど。
ですが、たった5年でここまでのギャップを生じさせてしまう「ポケモン」、すごくないですか?
※本稿は2025年現在に40代以上でポケモンに心奪われてポケモンマスターを目指されている皆さまを揶揄する意図は全くございません。ポケモンZA発売後は私も娘とともにポケモンマスターを目指す予定です。
※世代間の分断はどのようなジャンルでも当然発生し得るものではありますが、2025年現在に「30代後半」と「40代前半」というたった5年間ほどで認識のギャップがあまりにも顕著に出ている「ポケモン」の圧倒的影響力を言語化したく、筆を執らせていただいた次第です。
こういった内容はクリスマス前の時期には好ましくないかもしれない。
男性はその昔、男尊女卑的な価値観を持ち数多もの女性を傷つけてきたジェンダーであったらしい。
それこそがこの怪文書で提唱する男卑他尊であり、それが今日まで……あるいは世界が滅亡するまで合理的でもありマゾ的なステレオタイプとして現れている。
男卑他尊は一言で言えば『働かざる者食うべからず』であり、多くの男性は生産能力を失った男性を嫌悪する。
それは古くから男は強くなければならず、働き手であるべきだとする価値観が蔓延しており、今もなお根絶は出来ていないからである。
つまりは男卑他尊は男性によって生み出される男性への差別であると捉える事ができる。
また、ヘテロセクシュアルに依らない人々へのインタビュー映像などから、筆者は一定数『働かざる者』を嫌悪する者が居る事にも男卑他尊が根深く残っているのではないかと考えている。
『働かざる者』にとってその様な価値観は自己が客観的には好ましくないと思い悩む原因にもなり得る。
そして男卑他尊は究極の自己責任として全ての男性をエスコートをする側に縛り付け、自律した強い存在であるべきという圧力を生み出している。
真なるジェンダー不平を解決するワンステップとして、男らしさを捨てた男性をネオ男性として考えてみる。
特徴に該当する男性を『ネオ男性』と呼ぶことを推奨するものではなく、文書内の一時的な呼称であることに注意して頂きたい。
ネオ男性は『働かないという選択肢を取る事に価値的な抵抗が全く無い男性』であり、一概にも無職の男性だけではない事に注意が必要である。
これは男卑他尊的な価値観では『働かざる者』として嫌悪されるだろう。
仮に家庭を持つ父という役割を持つ男性がマゾ的なステレオタイプの維持を手放し、ネオ男性となる場合を考えてみる。
彼は家庭に対して経済的に貢献し、彼の奥様は育児で家庭に貢献している。
彼がネオ男性になれば男らしさという圧力が無くなる為、経済的に不安定な存在となり生活に困窮するリスクが向上すると筆者は考える。
男らしさに囚われた男性は無謀な挑戦で家庭を路頭に迷わせるような失敗は避けるべきと考える故、経済的に安定しやすくネオ男性となる事のリスクが相対的に発生するからである。
まず、ここで言う『固有な価値』について特定の属性に固有ではない普遍的な価値は含まないことについて注意して頂きたい。
例を提示するなら、人格はヒトに固有な価値であり、ジェンダーに囚われない価値である。
女性に固有な価値の例を上げる場合、すぐ思い付くのは男性に出来ないこととして子供を産める事がありそうだ。
男性に固有な価値は労働力としての安定性ではないかと筆者は考える。
なぜならば、男性は出産する事が出来ないからであり、男卑他尊的な考えからも男性は手を動かすべきとされてきたからである。
※ シュワちゃんは男性でありながら妊娠する事が出来ることに注意が必要である
それでは、独身男性にも当てはまるケースとして恋愛市場での価値を考えてみる。
男性が持つ価値から労働力としての安定性を引けば、その人の人格や、肉体への価値であると筆者は考える。
これはもはやジェンダーに固有な価値でもなく、普遍的なヒトに固有な価値である。
したがって、ネオ男性は属性に固有な価値を持ち合わせておらず、普遍的なヒトとしての価値を持つ。
これは、属性に問わないプラトニックな価値があると捉える事もできるだろう。
ただ、ネオ男性になることで強いメリットがあるようにも考えられない。
しかし、重圧からの解放はささやかなQOL の向上を齎すかもしれないと筆者は考える。
恋愛関係性において、関係性のメリットとデメリットが不均衡になると苦痛が発生すると筆者は考える。
異性間であってもリターンが無ければ同棲したり、単に恋愛関係である事のメリットが少ないからである。
恋愛において最大のメリットは『深い親愛』という事でしか無いからだ。
そのため、お互いにリスペクトが出来る関係性が安定しやすいと筆者は考える。
それがどんな形を持つかは当人らが納得している物であれば良く、筆者も第三者もこうであるべきと決めて良いものではない。
冒頭で記した様にネオ男性というものは特別な属性でもなく、『労働をしない選択に対して価値観的な抵抗が全く無い男性』の文書内での一時的な呼称ということに注意が必要である。
そして、その性質上ネオ男性は『働かざる者』というレッテルが貼られやすく、ネオ男性となるメリットは1人で生きる事では十分に堪能できるが、誰かと生きる選択ではメリットだけではない可能性があると考えられる。
結論として、男性は究極の自己責任という形で自らを苦しめ、他者の為にもそれを手放すことはできないのかもしれない。
しかし、無自覚でのステレオタイプの押し付けをしていないかという所では注意したほうが良さそうだ。
それに加えて『男が粉ミルクを子供に飲ませるために育休を取っても良いのではないか』という疑問も昨今では見かけるようになった印象があると筆者は感じている。
ネット上で蔓延る意見、はてブ、Youtubeのコメント、X、政治系コメンテーター
どれもこれも普段まともに仕事してんのか?と言いたくなるような極端な意見が多い
ほいほいわかってるよ、フィルターバブルだのエコーチェンバーだの言うんだろ、実際そうだと思うよ
けど俺が言いたいのは、多くの日本人の感覚はもっと中庸で、そんな意見がネット上でも目立って良いんじゃないか と思うわけ
なんで「国と自己のアイデンティティを融合されたようなアホネトウヨ」や
「いまだに学生運動時の感覚が世界を平和にすると妄想してる社会性の低いカス左翼」
「多くの日本人の感覚」を勝手に想像するな と思うだろうが実際下記のような感じが一般的な感覚じゃないの?
日本は中国や韓国などのアジア各国を侵略した。南京虐殺だってあっただろうし、
多くの人を傷つけてしまったので国としては二度と起こしてはいけないし反省しないといけない
ただ、国益を考えると上記を都合の良い外交カードにされていつまでも国益を損なうわけにはいかない
中国に侵攻されたとき、アメリカは日本のために戦うなんて絶対にありえないから防衛力強化は必要
核保有も議論自体はするべきだが、唯一の被爆国として果たせる役割も重要なため慎重派
基本不支持。高市支持者たちが言うような「裏金なんてもうどうでもいい」なんて思ってないし
自浄作用がなく腐敗している自民党はとにかく議席を減らすべき。クリーンな政治を望む。
ただ代替として立憲民主党に政権交代してほしいなんておもってない、リベラル抱えすぎ
これだけ年々と電力需要が増えていく中で
将来的に原発関連の技術力がなくなって自国で管理できなくなる方がはるかにリスク高い
ぶっちゃけ来てほしくない、治安や風土などがおそらく悪い方向に変わることは必至
ただこれだけ少子化が進行している状況で、
これからもある程度の日本の現状の豊かさや経済力、サービスを維持するには受け入れることは必要だろうな とも思う
将来に禍根を残すよう人権を無視したような外国人技能実習制度はやめるべき
移民が日本や地域のルールを守るのは必須だと思ってるし、溶け込めるような努力を相互ですべき
話題になった「日本人ファースト」については、軋轢を生む恐れがあるうえで、それでも当たり前じゃね?と思う、だってここ日本やし(日本人の定義は日本国籍を持つ人)
多くの人は上記のような感覚じゃないのか?(多分移民の所はかなり意見が分かるかもだけど)
多くの課題は立場、倫理、建前、国益、現実性 を加味して中庸な意見にならざるを得ないでしょう
このあたりの一般的(と信じたい)な感覚で政治を進めてほしいだけなんだけどな
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