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はてなキーワード:蓬莱とは

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2025-10-26

anond:20251026223327

ああ、ひつまぶしのあの感じ、めっちゃわかるわ!かに、立派な一枚うなぎがドーンと乗ったうな重の迫力に比べたら、刻んでごまかしてるみたいでちょっと物足りないよね。しかも、あの変な木箱みたいな入れ物でご飯をすくうの、毎回イラッとするし、三回に分けて「次は薬味! 次はお茶漬け!」って強制的に食べさせられるのも、なんかケチくさいというか、贅沢感が薄れるよな。「お茶漬けで!」じゃなくて、「最初から全部食えよ!」ってツッコミたくなるわ(笑)

でさ、なんでこんな食べ方が生まれたのか、ちょっと調べてみたんだけど、起源明治時代名古屋の老舗「あつた蓬莱軒」らしいよ。当時は出前でうなぎ丼を運ぶのに、陶器の器が割れやすいから丈夫な木製のおひつ(木の飯盒みたいなやつ)を使って、ご飯うなぎを混ぜて運んだのが始まり。 それで「ひつまぶし」って名前がついて、混ぜるのが「まぶす」から来てるんだって名古屋の「もったいない精神」が根底にあって、うなぎの旨味を最後まで楽しむために三回スタイルになったらしい。お茶漬けの部分は、元々会席の締めとして「ご飯もの出して」って要望があって、最初お茶で試したけど臭みが気になってだし汁に変えたんだと。 つまり、運搬の工夫からまれ実用的な食べ方なんだけど、確かに今どきは「そんな手間かけなくてもいいじゃん」って思うよね。頭悪いってか、効率悪い(笑)

一方で、X(旧Twitter)見てみたら、ひつまぶし大好き勢がめっちゃ多いよ。例えば、名古屋駅近くの店で「黒毛和牛ひつまぶし」食べて「香ばしくて柔らかくて最高!」って絶賛してる人とか、競馬場ひつまぶし食いながらビール飲んでる人とか、黒豚バージョン作ってYouTubeにアップしてる料理家さんとか。 みんな「三回楽しめてお得!」って感じで盛り上がってる。批判的な声はあんまり見当たらなくて、むしろ名古屋ソウルフードとして愛されてるみたい。

結局、うな重派の君の気持ち、超わかるよ。シンプルうなぎの脂がジュワッと染みたご飯を一気に頬張るのが至福だもんね。ひつまぶしは「工夫の産物」としてリスペクトしつつ、俺はうな重一択でいくわ! 次はどっち食いに行く? もし名古屋行ったら、両方制覇して比べてみるのもアリかも(笑)

Permalink |記事への反応(1) | 22:37

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2025-10-01

作品ネタバレ


注意:以下は完全なネタバレを含みます。未読の方は読了後にご覧ください。**

####作品概要

歌野晶午著の長編推理恋愛小説2003年刊行文藝春秋)。第57回日本推理作家協会賞、第4回本格ミステリ大賞を受賞するなど、数々のミステリ賞を総なめにした名作。表向きは中年の元探偵女性恋愛物語に見えるが、叙述トリック(読者の誤認を誘う描写手法)を駆使したどんでん返しが最大の見どころ。物語過去現在交錯させ、保険金詐欺不正受給犯罪を軸に展開。タイトル自体トリックのヒントで、「葉桜の季節」(桜の散った時期=人生晩秋、つまり老境)を示唆し、登場人物の年齢を若く誤認させる仕掛けが秀逸です。

#### 主要登場人物

- **久高隆一郎**:愛子祖父さくら(節子)が蓬莱倶楽部の指示で殺害に関与した被害者

- **綾乃**: 将虎の妹。蓬莱倶楽部調査に協力。

- **世羅元輝・田辺賢太・小暮明里**: 将虎の過去探偵仕事ヤクザ覚醒剤密売事件)に関わる人物。世羅の殺害事件フラッシュバックで描かれる。

- **蓬莱倶楽部**:悪徳霊感商法集団。高額な「霊水」(ただの水)を売りつけ、借金漬けにした被害者保険金詐欺に利用。

#### 詳細プロット時系列順に整理)

物語非線形に進行し、将虎の視点を中心に過去(50年前のヤクザ事件、2年前のパソコン教室、1年前の安藤自殺)と現在交錯。読者は将虎やさくらを30-40代若者と誤認するよう誘導される(例: 性描写トレーニングシーン、デジタル機器の扱い方)。

1. **序盤:出会いと依頼(現在)**

将虎はフィットネスクラブで汗を流す日常を送る。後輩の清から愛子相談を持ちかけられる。愛子祖父隆一郎の轢き逃げ事故が、蓬莱倶楽部保険金詐欺によるものだと疑い、将虎に調査を依頼。将虎は元探偵の見栄を張り、引き受ける。

帰り道、地下鉄駅で自殺を図るさくらを助け、連絡先を交換。二人はデートを重ね、急速に惹かれ合う。将虎はさくら過去探偵エピソードヤクザ覚醒剤密売事件で世羅を殺した小暮の自殺)を語り、さくらは将虎の優しさに心を開く。さくらは実は蓬莱倶楽部被害者で、借金返済のため倶楽部の指示に従っていた。

2. **中盤:調査の深化とフラッシュバック過去現在交錯)**

- **蓬莱倶楽部調査**: 将虎と清は埼玉本庄にある倶楽部無料体験会に潜入(妹の綾乃とその孫・美波が囮)。事務所から電話番号を入手し、詐欺実態を暴く。倶楽部は高額商品を売りつけ、借金被害者を「偽装結婚」や「保険金殺人」に利用。隆一郎の事故は、さくら(節子)が倶楽部の指示で轢き逃げしたものだった。

- **安藤過去(1-2年前)**: 将虎はパソコン教室安藤と知り合い、娘・千絵の写真を撮る依頼を受ける。安藤自殺し、将虎は遺体を山に埋め、安藤年金保険金不正受給。毎月、千絵に匿名送金している。将虎自身過去離婚し、娘を失ったトラウマを抱える。

- **さくらの正体(フラッシュバック)**:さくら本名・古屋節子。買い物癖で借金を作り、蓬莱倶楽部に嵌められる。倶楽部の指示で隆一郎を殺害保険金目的)。次なるターゲットとして、将虎の持つ「安藤保険証」を狙うが、将虎を安藤本人と誤認(将虎は安藤身分証を使っていたため)。さくらは将虎に近づき、偽装結婚を画策。

3. **クライマックス: 誤認の連鎖と対決**

さくらは将虎の保険証を盗み、偽装結婚を強行。自分生命保険の受取人を「さくら」に設定し、将虎の自殺を誘う(保険金詐取)。しかし、将虎はさくらの本性を察知。将虎の生命保険の受取人が実は「さくら」になっている事実が発覚(将虎がさくらを本気で愛したため)。

蓬莱倶楽部ボス逮捕され、さくら過去犯罪複数回の不正受給隆一殺害)が明るみに出る。将虎は安藤身分を明かし、さくらに「本当の自分」を告白さくらは将虎を愛するあまり詐欺計画を断念。

####トリック解説(核心のどんでん返し

これらのトリックが連動し、再読を促す構造賛否両論あるが、「綺麗に騙された」と絶賛される理由です。

#### 結末

さくら逮捕を免れ(将虎の証言情状酌量)、将虎と本物の恋に落ちる。将虎は安藤身分清算し、千絵に真相告白彼女は将虎の送金を感謝)。愛子と清は結ばれ、蓬莱倶楽部は壊滅。

最終シーンは、葉桜の季節。将虎とさくら老いた体で寄り添い、「君を想うということ」を実感。感動的なハッピーエンドだが、犯罪の代償を背負った切ない余韻が残る。恋愛ミステリの融合が、読者の心を掴んで離さない。

この作品は一読で終わらず、何度も読み返したくなる「究極の徹夜本」。トリックの鮮やかさと人間味あふれる恋模様が魅力です。

Permalink |記事への反応(0) | 06:32

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2025-09-06

551豚まん市販で売られてる奴偽物だった

551公式で売られてる豚まん、実は「551蓬莱」が正式名称で「551」とか「蓬莱」になってる豚まんは別の会社のだった

本物と同じような包装紙に包まれてるからすっかり騙されたわ

Permalink |記事への反応(0) | 16:16

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2025-08-15

三位一体の「聖霊」がわからん

聖霊は父(と子)から出でる」って出てるーー!。『一体』じゃないーー!。

元が父(と子)なら、それ父と子の二位一体ではーー!?

てか「(と子)」って何だーー!?三位一体って言っちゃったから教派によって聖霊解釈分かれてて混乱の元ーー!。551蓬莱蓬莱本館みたいに紛らわしくなってるーー!。

からいかキリスト教詳しいニキ解説求むーー!。

Permalink |記事への反応(2) | 09:43

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2025-07-30

anond:20250730064422

蓬莱肉まん土産で持ってくと育ち盛りのお子様たちに喜ばれるな

子供なら1個で腹一杯になるから一食浮くという意味で親にも喜ばれる

常温の肉系ランチパックみたいな感覚

Permalink |記事への反応(0) | 18:50

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2025-07-07

関西では「蓬莱さんがやってくる」というと、豚まんなのか天気予報士なのか判別できないバグがある

Permalink |記事への反応(0) | 02:47

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2025-06-23

anond:20250623202511

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。自分たちの少年の頃には、日本ではフランス所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホゴーギャンセザンヌルナアルなどというひとの絵は、田舎中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自分なども、ゴッホ原色版をかなりたくさん見て、タッチ面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が無かったのでした。

「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」

 自分本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。

「すげえなあ」

 竹一は眼を丸くして感嘆しました。

地獄の馬みたい」

「やっぱり、お化けかね」

「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」

 あまり人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪うかいを確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷いためつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、

「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」

 と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。

 自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分かいた絵は、自分綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。中学校はいって、自分油絵の道具も一揃そろい持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いもの嘔吐おうとをもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像制作に取りかかってみました。

 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。

 また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸タッチで画いていました。

 自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの

「お前は、偉い絵画きになる」

 という予言を得たのでした。

 惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分東京へ出て来ました。

 自分は、美術学校はいたかったのですが、父は、前から自分高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京高等学校受験して合格し、すぐに寮生活はいりましたが、その不潔と粗暴に辟易へきえきして、道化どころではなく、医師に肺浸潤診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかい言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクールスピリットかいものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分完璧かんぺきに近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。

 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成くすのきまさしげの銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサン練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校中学校高等学校を通じて、ついに愛校心というもの理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。

 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草淫売婦いんばいふと質屋左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。

 その画学生は、堀木正雄といって、東京下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立美術学校卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画勉強をつづけているのだそうです。

「五円、貸してくれないか

 お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差ししました。

「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」

 自分拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱ほうらい町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。

「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」

 堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広せびろを着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。

 自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。

「僕は、美術学校はいろうと思っていたんですけど、……」

「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」

 しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしか同類なのでした。そうして、彼はそのお道化意識せずに行い、しかも、そのお道化悲惨に全く気がついていないのが、自分本質的に異色のところでした。

 ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑けいべつし、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。

 しかし、はじめは、この男を好人物まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座はいりたくても、あの正面玄関の緋ひの絨緞じゅうたんが敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊に勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇りんしょくゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまり不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。

 それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車バスポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂はいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくそ勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

 さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱パトスの噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手立場無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼きくが、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途せんどと必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。

 酒、煙草淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。

 自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然好意を示されました。何の打算も無い好意押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意自分には、その白痴狂人淫売婦たちに、マリヤ円光現実に見た夜もあったのです。

 しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然がくぜんとして、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥ひわい不名誉雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。

 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうがしかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦にがさを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。

 堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分共産主義読書会かいう(R・Sとかいっていたか記憶がはっきり致しません)そんな、秘密研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年からマルクス経済学講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れい自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。

 好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。

 非合法自分には、それが幽かにしかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。

 日蔭者ひかげもの、という言葉があります人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。

 また、犯人意識、という言葉もあります自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きているPermalink |記事への反応(1) | 20:27

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anond:20250623202234

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこ客車通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷犯罪だと、自分はいまでは思っていますしかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党有名人が、この町に演説に来て、自分下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れい有名人演説も何が何やら、わけがからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間生活対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり自分下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリス主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから

 そうして、その、誰にも訴えない、自分孤独匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

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第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学制帽の徽章きしょうにも、制服ボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたかである、と解説してもいいでしょうがしかし、それよりも、肉親と他人故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子イエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

 自分人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラス大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしか父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

 その日、体操時間に、その生徒(姓はい記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学自分たちは鉄棒練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。

「ワザ。ワザ」

 自分震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄業火に包まれ燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 それからの日々の、自分不安と恐怖。

 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋家賃のようでした。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分大袈裟おおげさにおどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

 自分には、人間女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。

 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまり道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも自分にお道化要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

 自分中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん眼鏡をかけてごらん」

 或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

そっくりロイドに、そっくり

 当時、ハロルド・ロイドかい外国映画喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

諸君

 と言い、

「このたび、日本ファンの皆様がたに、……」

 と一場挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それからロイド映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から自分経験に依って知っていました。

 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分れいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女から、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり自分は、日本東北ハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink |記事への反応(1) | 20:25

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人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

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第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2025-06-03

anond:20250531180021

いわゆる「名古屋めし」はこういう食に特化した観光客対策的な部分が大きいんだろうな。自分も他地方から来た人が名古屋めし食べたい、つったら相手へのおもてなし度合いで蓬莱軒>山本本店>矢場とん>世界やまちゃん>スガキヤとか選択肢出せるし。

Permalink |記事への反応(0) | 20:22

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2025-05-31

anond:20250531140303

ワイは二色蓮花蝶が好きやけど蓬莱人形CDに収録されてるverはそこまで刺さらなくて

公式からmidiで落とせる、秋霜玉版のやつをサウンドフォント再生したときのサビの重いベース感が好きなんよね

でもそうなるともはやギリギリ東方という言い訳もできない西方の曲やんということになるから駄目やな

秋霜玉スプートニク幻夜もめちゃくちゃ好きなんやけどな

東方CDまでを東方範囲に含むなら蓮台野夜行少女秘封倶楽部が一番やな、なんというか後半で結界を開いて世界が反転したような感じがするんよ

それを最初に聞いたときにすごく感動して以来ずっと好きや

東方ゲームBGM範囲だけを東方とするなら……少女幻葬 ~ Necro-Fantasyやな

癖になる怪しさ満点なのがすこポイントやし強制的にアガる感じがええな

これのCD収録版は禍々しさは減るけど聞きやすく洗練された感じでどっちもヨシ

Permalink |記事への反応(0) | 15:18

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2025-04-21

ワイ貢ぎマゾ、姫に宝物をプレゼント♥️♥️

仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、日鼠の皮衣、龍の首の珠を貢がせて頂いたんだけど

次は不老不死の薬を取ってこいだって…😍

Permalink |記事への反応(1) | 15:27

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2025-04-19

蓬莱さんの天気予報もいいけど、片平さんの天気予報もいいよね

でも一番は正木さんの天気予報だよね!

Permalink |記事への反応(1) | 17:25

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2025-02-01

蓬莱の玉の枝とはシャインマスカットのことだった

むかしむかし、遥か東の海に浮かぶと伝えられる幻の島、蓬莱。そこには、神々が人々に授けたとされる不老不死の秘宝――「玉の枝」が存在すると語り継がれていました。幾多の冒険者賢者たちが、その実を求めて数々の困難に立ち向かい永遠の命への夢を追い求めたというのです。

現代とあるさな町に暮らす青年、拓海もまた、幼い頃に祖母からいたこ伝説に心を奪われていました。日々の忙しさに流されながらも、彼はふとした瞬間に「本当の宝」とは何かを考え、誰もが見逃しがちな小さな奇跡に気付くことの大切さを夢見ていたのです。

ある晴れた日のこと、拓海は都会の喧騒を離れ、静かな田舎風景を求めて足を運びました。目的は、偶然にも祖母の話に出てきた古い果樹園。そこには、伝説の一端を垣間見るかのような、どこか神秘的な輝きを放つ木々が立ち並んでいました。風に揺れる枝先に、まるで宝石のような実がたわわに実っているのを見たとき、拓海の心は高鳴りました。

手に取ったのは、みずみずしい緑色に輝く房。包み込むような甘い香りと、口に含んだ瞬間に広がる優しい甘味。その正体は、他ならぬ―シャインマスカットでした。驚きとともに、拓海は悟りました。何世紀にもわたって語り継がれた「蓬莱の玉の枝」とは、決して遥かなる神話産物ではなく、私たち日常に息づく、自然が織りなすさな奇跡だったのです。

この発見は、拓海に大切な真実を教えてくれました。人は永遠不老不死という幻想を追い求めるあまり、目の前にあるかすかな輝きを見失いがちです。しかし、実際のところ、日々の暮らしの中にこそ、本当の宝は隠されているのです。シャインマスカットのひと房に込められた瑞々しさと甘美な味わいは、まるで「今ここに生きる」ことの尊さを物語っているかのようでした。

こうして、拓海は故郷へと戻り、かつての伝説が持つ本来意味――日常の中の美しさや小さな喜びを大切にすること――を胸に刻むようになりました。人々は皆、遠い夢や大いなる奇跡を追い求めるものですが、もしかすると、最も輝く宝は、私たちのすぐそばに、シャインマスカットのように静かに実っているのかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 16:05

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2025-01-30

anond:20250129233652

市販蓬莱肉まんって551関係ないんだって

マジか。俺も知らんかったわ

Permalink |記事への反応(0) | 11:57

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2025-01-29

最近豚まん高くなってるな

しかも小さくなってた

551蓬莱の奴の方がまだマシって結論になった

あと知らんかったけど市販蓬莱肉まんって551関係ないんだってな。

Permalink |記事への反応(2) | 23:36

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2024-12-21

ネットで話題チャーシューレシピホロホロ脂身系か甘くて味濃い系のやつしかない

バラ肉使ったわざとらしい柔らかさのやつとかあるいは二郎系とかほんとそういうのしか上がってこない。


町の中華料理店にある、全くプリプリしてなくて下手すりゃ柔らかくもないのにめちゃくちゃ美味しいやつとか、味付け控えめで肉の味が大半を占めてるけどめちゃくちゃ美味しいやつとかのレシピは見たことがない。


山梨蓬莱軒みたいなやつ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:18

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2024-09-19

anond:20240918125808

頓珍漢な回答をするブクマカ晒し上げ。

よくブクマカは本文読まないって言うけど、こんなにも多くのブクマカが本文を読めてないとは……。こういう人たちは、今までも本文をよく読まずにノリでコメントを残してきたんだろうか?

以下「前者が後者に部分一致する」の条件を無視してる回答ね。該当部分を太字にしときました。

halpica オーストラリアオーストリア JavaJavaScript

nagahitoo 東条英機西城秀樹

gegegepo 霞ヶ関霞ヶ浦

ninosan ペッパーランチペッパーフードサービス結構ヤヤコシーので検索してくれ)

princo_matsuri 高倉健クラーケンくらい違う

TakamoriTarou オーストリアオーストラリアとか?   小生らキモオタチビデブハゲKKO人類とか

sds-page 浜松町浜松市ぐらい違う

zefiro01 東京工科大学東京工業大学リアル勘違いしたことがある

hatebu_ai はてなブックマークはてな匿名ダイアリー

kk23 モルドバルーマニア系)とモルドヴィア(フィンウゴル語派)

mshkh 京都芸術大学京都市立芸術大学

ryusso 中華民国中華人民共和国

pseudomeme 阪急京都線淡路駅淡路島

issyurn ハム太郎ピコ太郎

REV サクシンサクシゾンは前三文字が一致しているので間違いやすいが、サクシゾンの代わりにサクシンを打つと息の根が止まる。 https://www.info.pmda.go.jp/hsearch/detail?id=D17000005 / 部分一致ではないが青梅駅青海駅

lucioniki ジョージア州ジョージア国(旧グルジア

mouseion インドならネパール(カレー)とかバングラデシュないしパキスタン(領土宗教)なんてのもある。

dada_love 青海駅青梅駅

s-eagle ディープインパクトディープスカイディープブリランテディープボン馬主が同じなのはどれ?(答え:全部違います

manateen 山上たつひこ」と「山止たつひこ

JULY ドミニカ国ドミニカ共和国

shields-pikes アボカドアボガドロ

YokoChan 北朝霞北朝鮮

curseofmummy グラマープログラマー ウッドマンとウットマン アラジアラシ 事務官事務次官

gnta 久石譲クインシー・ジョーンズ江戸川乱歩エドガー・アラン・ポー谷啓ダニー・ケイ

ustam 赤羽赤羽橋、王子八王子東雲東電上越上越/中越/下越)と上越上州越後)、クラゲキクラゲシカカモシカウナギヤツメウナギイモリヤモリ乳酸乳酸菌、ランチウンチ

chocomintice660 グルタミンとグルタミン酸 /インド関係で言うとインドシナと西インド諸島もあるな

tohokuaiki インド人とハンドル

take-it 水野美紀水野真紀坂井真紀酒井美紀

Vudda ブックオフハードオフ

mmuuishikawa 大手町大井町

budgerigars_budgies オーストラリアオーストリア エレベーターエスカレーター 膳所市と御所市

ilktm 水野美紀水野真紀坂井真紀酒井美紀

yamadadadada2 青海青梅

AKIT 京都東と東京都

doroyamada JR西日本桂川駅JR九州桂川駅。(読みが違う)

Domino-R 東京湾トンキン湾

本人から異議申し立てがあった。確かに東京湾トンキン湾」は漢字にすると完全一致になるので、セーフとする。失礼しました。

motti0804 皆藤愛子阿藤快 /新沼謙治ニールマッケンジー

Kurilyn 栗とくりまんじゅうスリとリスみたいなのもアリ?

nmcli 草津市草津町

prograti ムーミンユーミン

monotonus オーストリアオーストラリア

sukitaro 加藤あい阿藤海

u_eichi 猫とジャコネコオオカミフクロオオカミ。てか有袋類は反則だな。|JR/東急蒲田京急蒲田(まぜっ返し)

mats3003 なんとなくプエルトリコトルコの隣くらいにある国だとけっこうな年齢まで思ってた

Rag-Rush オーストラリアオーストリア

Shinwiki 青梅青海

Peophrun 大阪帝国ホテル帝国ホテル大阪

lacucaracha イランイラクは関心皆無のひとには、まるで同じようなものだと思ってるひとは多そう。

ardarim アルジェリアナイジェリア 京都東京都

eggplantte ありがとうオリゴ糖

sumijk EMアルゴリズムEM菌

aosiro アニスアヌス(この言い間違いで恥かいたことある

kagobon 一澤帆布一澤信三郎帆布

ochimusha13 フッ素(歯に塗る)とフッ化水素(塗ったら痛さで子どもが死んだ)。

gaikichi 院近臣とインノケンティウス3世マングローブ林とグロブリン安倍貞任とアンワル・サダト大統領リッケンバッカーオッペンハイマーロッテンマイヤー地底怪獣バラゴン冷凍怪獣バルゴン本多勝一翔んだカップル

mahinatan 加藤あい阿藤快くらい違うよ

soratansu キャベツキャベジン

moshimoshimo812 阿藤快加藤あい

PrivateIntMain ガンジー鑑真

rohizuya 部長刑事刑事部事務官事務次官

tobineko100 松山千春新山千春ぐらい違う/森高千里森下千里

Southend シンボリクリスエス天皇賞・秋有馬記念連覇)とシンボリクリエンス中山大障害・春/秋)は、それぞれが平地と障害という別カテゴリにおける超一流馬だったという文脈上、類似馬名界(?)の白眉と言えよう。

sugachannel モナーとのまねこ…とか🤔

ryotarox wikiwikipedia/木場新木場 https://maps.app.goo.gl/Aynjy4JsxYDDKbak8 /アイスランドアイルランドグレープグレープフルーツ

nakayossi ヨーグルヨーグルト、ブロッコリーブロック

manimoto 岐阜県白川村岐阜県白川町世界遺産白川郷合掌造り集落があるのは白川村の方。

uguisyu 世界の中心で、愛をさけぶ」と「世界の中心でアイを叫んだけもの日本沈没」と「日本以外全部沈没

shenlong ブックオフハードオフ(実は別の会社)

megane1972 山口百恵さんと山口もえさん。あ、どちらも好きですよ。

locust0138 山本一太山本一郎山本太郎

tsubo1 西新井大師新井薬師西新井大師の方が東にある。

okishima_k ローマロマ

neogratche 聖剣伝説123と聖剣伝説4

madridNewyork 荻原萩原

Caerleon0327 オーストラリアオーストリア

tabloid 蓬莱本館」と「551蓬莱豚まん

washburn1975 フィルコリンフィルコリンズ 井上和と井上和香 ジェイク・リージェイク・E・リー

meganeya3 メカンダーロボとのだめカンタービレぐらい違う

kumoha683 加藤あい阿藤快かな、あと筋子と節子

nandenandechan 三菱鉛筆三菱電機

nekomottin カン土管蜜柑股間

brusky 日立製作所とも造船とも関係なくなってる日立造船とか(もうすぐ社名変わる)

nemuihi エシャレットはらっきょう、エシャロットたまねぎ

horaix 未成年の頃、プロイセンプロテインイメージが被ってた。

toyoshi 名古屋県民「山本本店山本屋総本家

naoH 青梅青海かな?

filinion ポールダンスメイポールダンスクロッケーとクリケット古きものと旧支配

mashow USAUSB

prjpn お願いと尾根ギア

tdam リシンリジン

Hiro0138 インドネシア🇮🇩とポーランド🇵🇱

vTeTv マクドナルドとワクドナルド

ludwig125少林拳少林寺拳法(前者は中国後者日本武術

kotetsu306 佐々木希佐々木朗希

mellhine 積水ハウスセキスイハイム

tuka8s オーストラリアオーストリア

sdkfz リョウ響良牙くらい違う(どっちが先だっけ?

ブクマカに指摘されたので取り消した。失礼しました。

ext3オーストリアオーストラリア

hatest習近平くまのプーさん

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中でも一番のクソ回答はこれだと思う。全然趣旨理解してないお前のほうがヤベーよ。

norinorisan42 やはりココリコ遠藤池上さんの番組で「コーラン憲法としている国」と聞かれ「イスラエル」と答えたやつが忘れられない/イスラムイスラエルがごっちゃになってるのはヤバすぎる

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文字が違っても音が部分一致してしているものはセーフとした。(例:谷亮子新谷良子

アルファベット表記したときに部分一致するものはセーフとした。(例:ナイジェリアニジェールシリコンシリコーン

略称表記されているが、略さず書くと条件を満たすものはセーフとした。(例:Visual StudioVS CodeギガGB

※部分一致ではなく完全一致もセーフとした。(完全一致は部分一致に含まれるため。)

インド人とインディアンは、英語だと両方Indianなのでセーフとした。

名古屋では全部「メェダイ」となるらしい「明大名大三重大」はぎりぎりセーフとした。

※前者と後者が入れ替わっているのも、おまけでセーフとした。

※「ちょっと違うか」「部分一致ではないが」のように、違うのを自覚しているものは見逃すこととした。

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つーか「オーストリアオーストラリア」「阿藤快加藤あい」「青海青梅」何回出てくんだよ。

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以下は良識のあるブクマカ

securecatトップコメ全然違うのに星集めてトップコメになってるのがどうかと思う

iphone増田は6つもサンプルを出してくれてるのに、部分になってない、似てるけど違うだけの二語を並べてるブコメはなんなんだ。

Permalink |記事への反応(14) | 17:04

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2024-07-25

anond:20240725153622

うわー懐かしい

あとは

551蓬莱たこ晶もあったな

Permalink |記事への反応(0) | 19:14

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anond:20240724180542

まれから28年、名古屋の端っこに住んでる俺が元増田に触発されて名古屋めしの印象を書きたくなっちゃったので書く

モーニング

本場は一宮

祖父に連れられてたまに喫茶店に行くが、確かに若い人はほぼいない。都会のコメダはいる。

テレビではこんなものまでサービス!?というのをよく見るが、店を適当に選ぶとトーストと卵くらいしか出ないため調査必要

あんこ

元増田の言うとおり、名古屋小倉トースト以外のあんこ文化はない。小倉トースト喫茶店メニューなのであまり食べないし、味はただのあんバター

そんなことより人々は鬼まんじゅうを食べてくれ。

きしめん

なんか駅で食べてるらしいね、という印象。そもそも名古屋から出ないか新幹線ホームに行かねぇ。

あと宮きしめんおみやげ食べたことあるくらいで、あまり馴染みがない。うどん屋においてある率は8割くらい。

・ころ

まり地元うどん屋に行かないので食べない。行くと喫茶店と同じで高齢の方がいる。

冷えたうどん

丸亀製麺ぶっかけとか冷かけすき。

味噌煮込み

スガキヤの袋麺が超ソウルフード。店とは全然味違うけど。

山本屋や山本本店は高いのであまり行かない。

店によって考え方が違い、特に岡崎で食べると麺が柔らかい王道二郎系ラーメンを思わせる硬い麺。好み分かれるが俺はすき。

そういえば美味しんぼで「味噌煮込みきしめんを入れるのが普通」とあってガチギレした記憶がある。

カレーうどん

若鯱家が有名。

しか普通うどん屋にも当たり前にカレーうどんがある。若鯱家とそのへんのうどん屋ではかなり味が違う。

家でもよく作って食べる。

あんかけスパゲティ

食べたことない。

みそか

元増田の言う通り矢場とんは行かない。名古屋人の想像する味噌となんか味違う。

とんかつ屋では当たり前のようにソースと並んで味噌選択できる。かつやでもできる。

スーパー味噌串カツを買ってよく食べる。そっちのが馴染み深いかもしれない。

千代保さん(岐阜)の土手串カツ好き。

手羽先

スーパーにも売ってる。

スーパー手羽先山ちゃん風来坊ほどスパイシーではない事が多い。

山ちゃん風来坊飲み屋なのでほぼ行かん。

エビフライ

名古屋めしではない。

強いて言うならまるは食堂のやつが有名?あれは知多だが。

天むす

スーパーでも売ってるしよく買う。コンビニにも天むす味のおにぎりがあったりする。

とてもうまい。でも食べない人は食べないかも。付属キャラブキをやたら愛する奴がいる。

台湾ラーメン

味仙のもの普通中華屋でもたいてい置いているが、醤油ラーメン台湾ミンチ乗せただけのものが多い。

台湾ミンチ」という語があり、ひき肉・ニラ唐辛子の組み合わせを指す。「台湾」だけでそれを指すこともある。

台湾ミンチ味のもんじゃたことある

台湾まぜそばは麺屋はなびのもの

あと味仙に行ったら青菜炒めとコブクロも食べてね。

すがきや

超超超ソウルフード

何食べるか決めずにフードコートに行き、匂いにやられて結局スガキヤを食べる。コショウをたくさんかけて食べなさい。

ちなみにチルドでも全く味は同じ。

クリームぜんざい炊き込みご飯うまい

安いので親に「スガキヤ丸亀製麺なら外食していいよ」と言われ飛び跳ねて行った幼少期。

ベトコンラーメン好来系、ラーメン

もやし好きな奴はラーメン福食べてくれ!!!

ラーメン福は名古屋の左下にしか無いのでかなりローカル京都ラーメンルーツにしており、藤一番というチェーン店もある。汁はほぼ同じ味。藤一番はファミレス然としているので家族でもおすすめ

ベトコンラーメン好来系も、食べれる店舗が限られているためあまり名物感はない。

あと玉子とじラーメンも有名だけど、あれは特定店舗

ういろう

うまいのに評価低い。青柳ういろうCMを見て育った。たまに給食に出る。

山口などのものとはそもそも別の料理外郎売外郎は薬。

みんな嫌がるのでお土産にはゆかりとか持ってけ。

ひつまぶし

元増田の言う通り、お気に入り鰻屋メニューにあり、食べたきゃ食べる。うな丼のほうが人気高いかもしれん。

蓬莱軒は観光客用。

西尾一色産のうなぎに憧れがある。

【その他】

鬼まんじゅう

上記でも言及したが、これが和菓子の中では一番のソウルフードだと思う。

家でも作る。祖母もよく作ってくれた。

醤油味のたこ焼き

小屋みたいなたこ焼き屋で売ってがち。

鉄板ナポリタンイタリアン

ナポリタン鉄板に乗せて卵を敷いたもの。まあ当たり前にうまい喫茶店フード。

味噌汁に天ぷらを入れる

我が家ではやったことない。やってみたい。

赤味噌

スーパーで合わせ味噌と同じくらいの領域を占めている。白味噌はほぼ置いていない。あさりしじみ味噌汁でよく登場する。

・つけてみそかけてみそ/献立いろいろみそ

これを家でとんかつにかける。

なんにでもはかけない。どっちを使うかで派閥争いをしている。

エビフライサンド

あんまりきじゃない。卵焼きサンドとか好きな人は好きかもしれん。 

・車えび

県の魚

名古屋コーチン

食べたことない。高い。スーパーではあまり売ってない。飛騨牛や知多牛はよく見るが。

味噌おでん

名古屋中心部(栄とか)で食べるイメージ。俺はコンビニおでん味噌かけたりかけなかったりする。

名古屋では「はんぺん」はさつま揚げのこと。白はんぺん存在しない(コンビニスーパーには売ってるので食べる)

・土手煮

うまい

守口

うまい

・赤から

一回しか行ったことない

岐阜タンメン

うまい

・ぴよりん

藤井聡太フィーバー

・おぼろみそめん

名物給食

名古屋じゃないけどよく食べるご当地グルメ

大あんまき知立)、ふところ餅(知多半島?)、大あさり知多半島中心)、五平餅岐阜長野あたりにも分布)、鶏ちゃん岐阜)、ひきずり鍋(豊明?)、菜めし静岡あたりにも分布

【余談】

辛辛魚のカップ麺スガキヤが出してる。

Permalink |記事への反応(4) | 18:52

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名古屋に隣接した街に住んでる

最近名古屋めしの話を見かけるから名古屋の隣町で生まれ育った人間感想でも書いてみる。親はどちらも別地方出身

モーニング

メジャーチェーン店コメダだけど、ローカルチェーン店から個人経営カフェ喫茶店にもモーニングはある。ドリンク代のみ〜追加料金で豪華になるものまで色々。週末はどのタイプの店もモーニングで混んでる。なんなら一日中モーニング出す店もある(モーニングとは?)。

 

麺類

きしめん味噌煮込みはその辺のうどん屋とかでも普通にメニューにある。山本屋とかの有名どころでもいいけど、そういう町中のうどん屋の方がリーズナブルで美味しい。

インスタント食品味噌煮込み微妙だと思う。

あんかけスパ過去に一度だけ食べたことあるけど塩辛くて好きじゃなかったからよく知らない。名古屋だとオフィス街ビジネスマンが食べてるイメージ

 

味噌カツ

有名なのは矢場とん。でも和食チェーン店とか町中のうどん屋蕎麦屋丼物メニューあたりにもある。あとスーパーのお惣菜コーナーに行くと串カツ味噌カツバージョンが置いてあったりする。晩ご飯を手抜きしたい時に買ったりする。

 

手羽先

味噌煮込み味噌カツと同じ感じ。

 

エビフライ

エビフリャーとか言ってる人はいない。いるかもしれないけど増田は会ったことがない。

子供の時、近所のとんかつ屋さんが出す大きなエビフライ定食が好きだったけど今はアパートになってしまった。大人になってからはわざわざエビフライ食べたいって思うことがないからずっと食べてない。

 

ひつまぶし

蓬莱軒はなんか特別感ある。けど鰻あんまりきじゃないか特に書けることがない。土用の丑の日とかでも食べないし。

 

ういろう

ちゃんとしたのは和菓子屋のだけどコンビニの片隅に製パン会社が作った安いやつが売ってたりする。増田小中学生の頃は学校給食で年一回くらい出てた(今は知らない)。

 

書いてて思ったけど、名古屋めしって観光ガイドなんかには出てくるけど地元暮らしててわざわざ食べに行こう!とはならない。ご飯作るのめんどいからちょっと近所に食べに行こうかな〜とか手抜きしたいからお惣菜買おうかな〜とかいう時の選択肢になる程度というか。

 

最後に思い出したけど、コンビニおでん買う時に辛子とか柚子胡椒に並んで味噌ダレの小袋があったりする。うちは辛子で食べる人ばかりだから貰ったことないけど。

 

Permalink |記事への反応(1) | 17:39

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anond:20240724180542

こういうのって複数から証言がある方が全体として説得力が増すと思うので便乗。

モーニング

若い人は個人経営喫茶店自体行かないのですたれつつある

そのとおり。若い人は普通にスタバとか(あとコメダとか)行くよね。

岡崎豊田にも良店はあるが本場というとどっちかというと稲沢一宮あたりじゃないか

そもそもモーニングガチ本場は実は岐阜なので、岐阜に近い方がガチ度が高い。

あんこ

パンに付ける以外特異な点はないと思っている

そのとおり。自分で塗るという手順がなんか特異なだけ。

だいたい「小倉トースト自体名古屋発祥とされているが、関東圏にもあんバターとして普通に進出してるやん。

きしめん

名古屋駅にかぎらず昔から名古屋近辺の駅そばは「うどんそばきしめんから選ぶスタイルで定着しており、絶滅危機に瀕したことなどない

そのへんのうどん屋でも多くの場合提供されており地元民に親しまれている

そのとおり。「きしめん屋」と名乗っている店が元々少ないだけ。

名古屋うどん屋ではほぼほぼきしめんも食える。

ころ

発祥岐阜らしいですね。うどん屋で温・冷を選べる場合、冷のかわりに「ころ」と書かれていることがあり予備知識がなければ全くわからないと思う

どうでも良い話ではあるが、店(店員)によって「ころ」がたまに通じないことがあるので、メニューどおりの呼び方で注文する方がいいぞ。

味噌煮込み

袋麺(乾麺)のスガキヤ味噌煮込みうどん5食入りは何気に名古屋圏民へのお手軽なお土産として、あげると喜ばれるぞ。

何となくだが2~3カ月に一回くらいの頻度で自宅で味噌煮込みうどんを食べてるご家庭が多いイメージ

個人的には外食でまで食おうと思う料理ではないが、年配の人が時々「味噌煮込みうどんを食いに行くぞ!」と言い出しがちなので、そういう時だけ外でも食う。

カレーうどん

多くの名古屋人はうどん屋にカレーうどんがあるのは当たり前だと考えている

せやな。ただし店舗によってカレー出汁で割った汁の場合カレーぶっかけてる場合とがあり、意外と店ごとの独自性があったりする。

あんかけスパゲティ

名古屋圏の料理教室では、実はあんかけスパゲティの作り方を教えられるのよ。

つっても家庭料理としてのあんかけスパゲティは要するにスープというかソース部分に片栗粉でとろみをつけてあるだけっちゃだけなので、そんなゲテモノ料理ではない。

みそか

あん外食で食うイメージはない。

ご家庭によっては、ナカモの「つけてみそかけてみそ」が常備してあり、家でとんかつを食う時に味噌カツにしたければぶっかけて食えという位置づけ。

なんか非名古屋圏民で一部誤解してる人がいるように見受けられるが、味噌カツ味噌っていうのは味噌ベースのタレであって味噌のものではない。

手羽先

山ちゃん風来坊会社飲み会会場になることは普通にあるため割と良く食べられているほうだと思う

風来坊の方がスパイシーなので酒飲みは風来坊の方を好むイメージ

山ちゃんの方が手羽先以外のメニューが充実してる。

エビフライ

一部「デカエビフライ」を売りにしてる店(まるは食堂とか)があるので、そこに行くとなんか食わなきゃいけないような気にはなるが、その程度。

スーパーの揚げ物総菜コーナーにほぼ必ずあるので、なんかそれなりに食ってるような気もする。特に有難がってるとかはない。

天むす

地味に廃れてきてる気がする。

でも名古屋から新幹線で遠出する時に地雷也の天むす買って車内で食う人がなんとなく多いイメージ

台湾ラーメン

町中華メニューに高確率存在し、醤油味噌豚骨などに準ずる基本の味として扱われている

そのとおり。

すがきや

フードコートで何を食べるか迷ったときに選ぶものという認識

迷うというか、値上がりしたとは言えまだ安いし、キッズメニューソフトクリームがあるので、小さな子供連れの家庭がなんかフードコートで食うとなるとスガキヤになりがち。

夕方とかだと女子高生集団でいたりする程度には地元民にごく普通に使われている。

すごい美味いとは思わないけどあの値段であのクオリティは実はけっこうすごいよ、スガキヤ

ベトコンラーメン好来系、ラーメン福などその他ご当地

認知率の差が大きい。昔から名古屋に住んでいる人でも一切知らなかったりする

そのとおり。存在だけは知ってるが行ったことないという人が何気に多い。

ういろう

お土産品としての格付けが高い扱いをされているのでビジネスシーンとか冠婚葬祭で意外と使われている。

普段というか普通に家庭で食うことはあんまない。

ひつまぶし

名古屋近辺のうなぎ屋では50%くらいの確率メニューにあるため食べたい人は食べるよねくらいのイメージ

メニューにあるというか、汁を提供してくれるのでうな丼ひつまぶしにして食うこともできるよ、という店が多くないか

蓬莱軒だけは格上扱いされているがひどく混むため来客をもてなすときしか行かない

これはそのとおり。観光客熱田神宮観光ついでに行ってくれ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:42

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2024-07-24

anond:20240724180542

(他地方との)公平さに欠ける文章を目にしたため10名古屋に住んでいる俺が訂正する

モーニング

観光客三河に行ったほうが良い」 ←江南一宮のほうが本場だしPS純金によくでる癖つよな店が多い印象。コメダ永遠にモーニングだしてていい許す。

あんこ

茶器自爆した武将がいた戦国遺産が多く残されている尾張名古屋、なんかそこらへんに茶道用の菓子の店がある。

お寺も日本一多いし、そのお寺では「北海道産大納言小豆とじょうよ以外をつかった菓子クズ」「ハロウィンカボチャの練り菓子出す店は……」と教えられている。こわっ……。

よって名古屋あんこ絶対絶滅しない。パンがどうとか関係ない。

知多半島藤田やの大あんまきは好きだがチーズカスタードを選んでしまうのでお坊さん大変だなとおもってみてる)

きしめん

名古屋近辺の駅そば」←これと熱田神宮境内以外の専業和風麺店(うどんや)がそもそもみあたらないじゃん

台湾ラーメン味噌煮込みうどんスガキヤがそこら中ある上に、サラリーマン早期退職のこだわり十割そばができてはつぶれ。

さすがにきしめんだけで太刀打ちできんよ……

親戚きたとききしめんの店が近所になくて、ぐぐって名東区までつれていったわ(駐車場4台くらいだったけど)

ほうとうの麺と関西のしろだしをもらえば自宅でできそうにみえるけど、実際はゆで具合がむずかしい。

てことはお店でも提供までの時間がけっこうマタされるんよ……

そりゃ絶滅するわ、つぎつぎゆでてればいい駅そばけが特殊

・ころ

なんか訛ってるね……(そして丸亀とか花丸では普通にひやをたのむ)

味噌煮込み

赤味噌の苦みが子ども受けしない……汗掻いたときはまあゆるすけど

カレーうどん

多くの名古屋人だけでなく関東人もだろ……自宅でレトルトカレーそばつゆでのばしちゃうけどな俺ぁ

あんかけスパゲティ

太い。あと胡椒がおおすぎて辛い。かむのに顎が疲れる……野菜少ない…… ココイチも同じ欠点……

みそか

矢場とんしかいったことないわ。本社水曜日せーるってコロナでなくなったん?

スーパー」←タレ選べるから俺はタルタルとか出汁醤油とかでたべてる。

ちなみに、「着けて味噌食べて味噌」は、自作北京ダックにつかうと最高にうまい

カツにのせるなんてお互いをころしあってるじゃん。

手羽先

「これもスーパーの揚げ物コーナーに出現する定番のため自宅でも食べる」←ほんそれ。最初は煮込み手羽先レトルトにだまされたけど。飲み会ではむせてコロナウイルスまき散らすからやめたほうがいいぞ

エビフライ

「まあ普通に食べるけど別に大喜びすることもない」←ならなんで回転寿司エビフライ載せたり巻いたりした何かがあんなに頻繁に回ってくるんだよ エビ天もエビフライも甘エビも……ってエビ寿司おすぎ名古屋

天むす

これこそ三重県が本場やし。ここに名前を挙げるなよ……

台湾ラーメン

町中華のもの存在が、なんかえっち名前の本場の中華(珍とか萬とか)にとってかわられつつあるとおもうんだが。

すがきや

フードコートで何を食べるか迷ったときに選ぶものという認識なのはイオンピザマリノの白雪ピザカルボナーラだろ……

積極的第一候補になりにくいという点ではマクドナルドに似た部分」マクドにあやまれ……

ベトコンラーメン好来系、ラーメン福などその他ご当地

認知率の差が大きい。昔から名古屋に住んでいる人でも一切知らなかったりする」ベトコン江南ではじめてみかけたけど増田にいるサヨにおこられそうだとおもった

ういろう

「ただ、小田原山口ういろうの話をするとケンカになることがあるのでやめたほうが良い」

←「ういろう」って薬の名前だったんだよね。一人で「お薬が飲めるもん」ゼリーが一人歩きしたら遠くに同名のオブラートがいて……みたいなもんだろ……。

食感が嫌いな人はとことん嫌いらしい。俺は好き。保存性がいいのに甘くない羊羹としての需要が俺にある。

ひつまぶし

名古屋近辺のうなぎ屋」←住宅街にあるウナギやがまだ生き残ってるの名古屋だけだとおもう。めちゃくちゃスキやんか名古屋人。

海が近いから一色もちかいもんな。国産養殖が開始したからいいけどなんでこんなに環境保護にさからうんだろうとおもってコロナときみてました。

蓬莱軒だけは格上扱い」←熱田かよ。うな富士しらんのか。大須の安いとこつぶれてちょっとかなしかった

※番外

名古屋小学校給食うなぎと、提携都市ミラノ定食がでるのめちゃくちゃうらやましい

・某アニメカフェ東京本店より名古屋支店のほうが味がずっといい。食玩ラムネ感がなくちゃん食事におまけがついてきてる感になる

ただしアニメイトカフェ、おまえはダメ

名古屋ほんまもん執事喫茶にいちどいってみたいけどどうしよう

・あさくま、ブロンコ、こんぱるなどがないのでさびしい

https://anond.hatelabo.jp/20240725185201

あとからきたやつがおなじようなことかいて受けてるのでとらばおくったろ……

あと、よくかんがえたら13年いたわ

Permalink |記事への反応(1) | 23:51

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名古屋めしについての印象

正確さに欠ける文章を目にしたため40年名古屋に住んでいる俺が訂正する

モーニング

若い人は個人経営喫茶店自体行かないのですたれつつある

岡崎とか豊田のほうが本場なので観光客三河に行ったほうが良い

あんこ

パンに付ける以外特異な点はないと思っている

だいたいアンパンがある時点でパンあんこ普通の組み合わせである

きしめん

名古屋駅にかぎらず昔から名古屋近辺の駅そばは「うどんそばきしめんから選ぶスタイルで定着しており、絶滅危機に瀕したことなどない

そのへんのうどん屋でも多くの場合提供されており地元民に親しまれている

・ころ

発祥岐阜らしいですね。うどん屋で温・冷を選べる場合、冷のかわりに「ころ」と書かれていることがあり予備知識がなければ全くわからないと思う

冷たい分塩気を強く感じるため関西の人は気を付けたほうが良いかもしれない

味噌煮込み

山本屋(本店・総本家)が有名だが大抵のうどん屋で提供されているため食べる機会は多い

スーパー冷蔵商品(麺とスープがセットになった2食入りのもの)が売られているため家で食べることもある

カレーうどん

多くの名古屋人はうどん屋にカレーうどんがあるのは当たり前だと考えている

あんかけスパゲティ

比較的年配男性が好むイメージ

オフィス街あんかけスパゲティ屋のランチタイムおっさんで満員になっている

みそか

矢場とんが有名だが地元民はあまり行かない

スーパーの揚げ物コーナーの一角味噌串カツなどとして定着しているため家で食べる人が多いかもしれない

手羽先

山ちゃん風来坊会社飲み会会場になることは普通にあるため割と良く食べられているほうだと思う

これもスーパーの揚げ物コーナーに出現する定番のため自宅でも食べる

エビフライ

まあ普通に食べるけど別に大喜びすることもない

天むす

最近まり話題にならない気がする。うまいんだけどね

台湾ラーメン

町中華メニューに高確率存在し、醤油味噌豚骨などに準ずる基本の味として扱われている

すがきや

フードコートで何を食べるか迷ったときに選ぶものという認識

積極的第一候補になりにくいという点ではマクドナルドに似た部分があるかもしれない

ベトコンラーメン好来系、ラーメン福などその他ご当地

認知率の差が大きい。昔から名古屋に住んでいる人でも一切知らなかったりする

ういろう

最近は食べる機会があまりいかもしれない

たまに県外の人から自分特別ういろうが好きだと言われて驚くことがある

ただ、小田原山口ういろうの話をするとケンカになることがあるのでやめたほうが良い

ひつまぶし

名古屋近辺のうなぎ屋では50%くらいの確率メニューにあるため食べたい人は食べるよねくらいのイメージ

蓬莱軒だけは格上扱いされているがひどく混むため来客をもてなすときしか行かない

Permalink |記事への反応(11) | 18:05

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2024-06-06

三大かっこいい名前名古屋市小学校

あと-2つは?

番外

Permalink |記事への反応(0) | 19:46

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