
はてなキーワード:華僑とは
大東亜戦争で日帝がアジアに対して、特に中国・韓国・シンガポール・インドネシア・フィリピンでやったことについては複雑で、かつ二面的に見なければならないと思います。
確かに日本はオランダを追い出してインドネシアを統治下に置き、ポツダム宣言後にはスカルノによる独立を導いたという「解放」の一面がありました。スカルノが象徴するように日本に対して感謝の念を示し、インドネシアは親日的な姿勢を取り、ビジネスのパートナーとして長年良好な関係を築くことができました。これは確かに事実としての正の側面です。
しかし同時に、日本統治下ではインドネシア人をロームシャとして過酷な強制労働に従事させ、その多くが命を落としました。現地では日本統治時代を「飢餓と暴力の時代」とまで伝え残しており、この負の一面も決して忘れてはなりません。
フィリピンでも同様です。バターン死の行進やマニラ市街戦での民間人虐殺は戦争犯罪の象徴であり、その記憶はつい最近までお札に印刷されていました。これは反日的というよりも「独立に至った歴史を忘れない」ためのものでした。フィリピンはもともと独立を目指していたため、日帝の「解放」が大きな影響を与えたとは言い難い面もあります。
日本はイギリスを撃退し、シンガポールを「昭南島」と名付け統治しました。しかし統治の始まりには民間人華僑の虐殺(粛清)が行われ、さらに強制労働と飢餓で住民を苦しめました。現在でもシンガポールの老華僑の間では「苦難の時代」の記憶は完全に消えておらず、市内には当時の加害を記録し伝える石碑や博物館が今でも残されています。
一方で日本人はしばしば、本土空襲・沖縄戦・原爆2発、あるいは兵士の6割が餓死や病死で帰ってこなかった事実を強調し、平和国家を自称してきました。しかしそれだけを前面に出すと「加害への反省が足りないのではないか」と中韓などから指摘されます。
戦争の加害側であった歴史を忘れ、否認する姿勢さえ見せる者もいます。これはドイツでは考えられないことです。日本がサンフランシスコ講和条約を結び、反省を示して国際社会に再び受け入れられ、さらに多くのアジアの国々に許されて仲良くしてもらえたことは、決して忘れてはいけないと思います。
特に中国は1980年代まで「悪いのは日帝であって日本人ではない」と教え、中国残留孤児を育て上げて日本に送り返すまで面倒を見ました。1972年の日中共同声明では賠償請求すら放棄し、日本を受け入れてくれていたのです。
近年、中国が歴史問題で強くアピールする背景には、日本国内で一部政治家や都知事が加害の歴史を否認し始めたり、教科書の記述が「侵略ではなかった」と書き換えられるようになったことがあります。中国にとってこれは大きな衝撃であり、その反動として南京事件や731部隊の問題を国際社会で強調するようになりました。
結局のところ、何が大事かといえば経済であり外交です。侵略の歴史を否認すれば、特に中国や韓国をはじめとするアジア諸国から信頼を失い、貿易や協力関係にも支障が出ます。日本はもはやあぐらをかいていられる国ではなく、斜陽国として国益を守るために何を優先すべきかを考えなくてはなりません。その意味で、石破茂氏のスピーチは国益を重視した姿勢として評価に値すると私は考えます。
大東亜共栄圏構想は「西欧列強からアジアを解放する」と掲げていました。しかし実際には資源獲得と軍事拠点化を目的とし、欧米支配に代わって日本が「統治」しただけであり、現地住民に甚大な犠牲をもたらしたのも事実です。
国際法・歴史学的には「侵略」と評価されるのが正確であり、WW2における日帝の行為をそれ以外で評価するのは国際的には正統派とは言えません。
ただし独立運動の観点からは「欧米植民地支配からの解放の契機」と評価されている面もあり、この両面を見なければなりません。
アジアの戦争犠牲者は2000万人以上と見積もられており、これは忘れてはならない歴史的事実です。日本人からすれば「侵略」と「解放」の二面的に見ることができる、という認識が最も現実的だと思います。
二度と戦争に関わらないこと。殺し合いや餓死や特攻、核兵器の使用には断固として否定の立場を取ること。これが何より大切だと思います。ですから、今回の参院選で改憲勢力が三分の二を超えたことを、個人的にはとても危惧しています。
ちなみに…もっと深堀りするならば。
各国の独立運動家が日本を利用したのには明確な理由がありました。
インドネシアのスカルノやハッタは、オランダから独立するために日本の軍政を「利用」し、敗戦後に即座に独立を宣言できる体制を整えました。
インドのチャンドラ・ボースも、日本軍を頼りに「インド国民軍」を組織し、反英独立運動を推進しました。
日本に帰らなかった敗残兵達がインドネシアやインドの独立に協力したというか利用されたというのもまた歴史的な事実です。
また、戦後すぐにアジア各国の対日感情が今ほど悪化しなかった理由もあります。
第一に、戦後日本が米国主導で急速に経済復興を遂げ、ODAや投資を通じてアジアに「恩恵」を与えたこと。
第二に、欧米列強の植民地主義(アフリカなど)がなおも続いていたため、「日本の侵略だけが特別に悪」という視点になりにくかったこと。
第三に、多くの独立運動家は「日本を利用して欧米から独立した」という現実を直視しており、一概に反日感情に流れなかったこと。
これらの事情が重なり、アジアの多くの国々は戦後日本を受け入れ、経済的パートナーとして信頼関係を築いてきました。
侵略の事実を直視することは、日本にとって不名誉ではなく、むしろ国際社会からの信頼を守るために不可欠なことです。解放の契機という側面も併せて語り継ぎつつ、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うこと。それが日本の国益であり、未来への最大の投資だと信じます。
美大に殺到する中国人「夢」は日本永住ニッポン華僑100万人時代 -日本経済新聞
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00012930V11C24A1000000/
日本政府が17年以降進めてきた、在留資格の大幅な要件緩和がある。特に李さんのように、美大でアニメなどを学ぶ留学生には恩恵が大きいものだった。
政府は17年、研究者など「高度外国人材」を対象に、永住権申請に必要な日本滞在期間を従来の5年から、一気に1〜3年に短縮した。
さらに、日本の「クールジャパン産業」に寄与するとし、李さんのようにアニメやデザイン分野などに関わる外国人への優遇策も決定。「就労ビザ」取得のハードルを事実上引き下げ、高度外国人材の門戸を開いた。
結果、ゲームやアニメ、デザインの仕事は、ニッポン永住の近道とのルートが出来上がり、ここから中国人の間で美大人気に火が付いた。
肝となる高度外国人材の審査も、現状では「日本の大学を卒業すれば、決してハードルは高くはない水準」(外国人ビザ取得に詳しい神奈川県内の行政書士)。
違法配信サイト、英語圏の有名ドメインのサイトはドメインホッピングしたとしても、割りと素早く潰されていて、コンテンツも昔のように何でもアップロードされてるなんてことはアニメ以外は少なくなっているが、代わりに中国語圏のサイトで世界のドラマ・映画・アニメ・バラエティが大規模に中国語字幕で何でも揃っていて運営者どーなってんのという気持ち。タグ付けや検索性も漫画村みたいに分かりやすくて親切。オンラインカジノの広告ばかりなので、東南アジアをまたいだネットワーク持ってる華僑マフィアみたいのが運営してるのかな。こうした完全な違法サイトでなくても、bilibiliみたいなまともな動画サイトでも堂々とNetflix作品がアップロードされてたりして、ガラパゴス化されてるネットでは何でもありな文化が育つんだなぁと。
みたいなことをChatGPTに投げたら、「うんうんそうだよね。英語圏の有名海賊版配信サイトは◯◯とか◯◯とか◯◯とかあるけど取り締まりも多いから中華配信サイトのほうが何でもありになってるよね」と全肯定してくれたんだけど、俺はChatGPTが挙げた欧米の違法サイト名を知らなかったから、『まーた適当なサイト名を生成AIしたんじゃないかこいつ』と思って名前をググってみると、めちゃくちゃコンテンツ豊かな動画サイトばかりが出てきて唖然とした。話題の最新洋画は全て揃っている。しかも字幕は選び放題で日本語字幕もほぼ完備している。広告もアドブロックだけで対処できる。サーバーも途中で映像が読込中になることない強さ。中華の違法配信サイトは、字幕は中国語のみ、アドブロックを貫く広告、サーバー弱くすぐに映像止まる、ってのが多い。中華サイトが勝ってるのはアジア系作品の多さだけか。やっぱり海賊版サイトの本場は欧米だったわ。ハッカー側の権利意識が強いんだよな
なんのことか知らんけど「あっくん」やん
団地住み、川沿い住み、隣の家と屋根が繋がっている、家の壁にマルフクの看板、家の近くの道が異様に広い、最寄駅が長田、、実家が焼肉屋、実家が肉屋、実家が靴屋、親が居ない、親が若い、親が定年、晩御飯17時、箸が金属、冷蔵庫は下の部分が冷凍室、冷蔵庫にシールを貼っている、苗字に金が突いてる、苗字に星が付いてる、苗字が1文字、苗字がない、押し入れで植物を育てている、畑を勝手に作ってる、本棚にテコンダー朴、家の壁に共産党のポスター、家の壁に100万円で世界一周の旅のポスターが貼ってある、華僑黒人、中国残留孤児の子供、在日、君が代歌わない、祝日に国旗掲揚、毎月靖国に行く、天理教、創価、イスラム教、カレーに豚肉を入れる、カレーが鶏肉、カレーに牛肉を入れる、ゲイ、妹の下着を盗んでいる、臭い、モナリザの手に欲情する、毎週日曜日に教会に行く、保育園卒、院ロンダ、アムウェイに勧誘、風水に凝ってる、長田区五番町住みつり目、出っ歯、歯列矯正中、奥歯が全部銀歯、真性包茎、下半身に汗をかかない、足が臭い、右手がフック船長みたいになってる、左手にサイコガンがついてる、爪が黒い、腕に火傷、プールはいつも見学、友人のゲームソフト盗み常習犯、遊戯王カード盗んで転売、MTGのパック全部空ける、ユダヤ人カンチョーすると謝る、トイレするときに鍵を閉めない、吃音、布団を干さない、食パンに塩をかける、牛乳に砂糖を入れる、シチューをご飯にかける、パチンカス、金遣いが荒い、車が神戸ナンバー、黒ベンツ乗ってる、親のスマホがHuawei、虫歯出来たことがない、ハンコ注射の痕がない、食パンは8枚切り、目玉焼きにコショウをかける、カルピスが薄い、しゃくれてる、実家が新宿二丁目、鮭の皮を食べる、片親、爪を噛む癖、語尾を伸ばす、握り箸、車がヤニくさい、床に皿置いて食事、兄弟がたくさんいる、徴兵経験有り、いつも二人、母親の下着を盗む、麦茶を容器からラッパ飲み、彼女が貧乳襟足長い、コンビニで日用品買い込む、WindowsXP、選挙前にだけ電話かけてくる、スタートページがhao123、裁縫セットがドラゴン、身分証が保険証、カップ麺を冷やして食べる、貸したゲームソフトに名前書く、シラミ持ち、顔にホクロが多い、布団で寝る、スマブラ上手い、南青山住み、兄に用水路に突き落とされて死亡
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality ofLife、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須のPermalink |記事への反応(0) | 21:00
中国で女性の姉妹が少ない理由は、一人っ子政策で、女の子が産まれると赤ん坊の内に殺すか捨てるかしてたからなんだよね。
映画『一人っ子の国(One ChildNation)』を観ると、そのエグい実態が良く分かる。
乳児を数万人殺処分した産婆さんが国から勲章もらってるんだから。
一人っ子政策時代でも罰金払えば二人目を産むこと自体はできたから姉がいる家庭は珍しくなくても、罰金払ってまでわざわざ妹は作らないから妹は中国でレアキャラ
一人っ子政策でなくても、中国人...というか漢民族は男子しか一族を継承できないので、産まれる子が男の子にこだわる。だから台湾その他世界中の華僑社会でも、兄弟が多い場合は男ばかり、もしくは末っ子は男で上は姉ばかりというパターンが多いと思います。あるいは男の子を諦めて女ばかりとか...
判決速報240628
令和5年ワ3848 16部甲
餘多分宏聡裁判長
http://blog.livedoor.jp/advantagehigai/archives/66238431.html
colaboの支援者と名乗る匿名アカウントが、「暇空なんかいつでも殺せる」というポストをリポスト
身の危険を感じた暇空は元のポストをした者も、リポストしたcolabo支援アカウントも訴えることにした
アカウントは連絡先を北原みのりの住所にしていたため暇空は犯人は北原だと察し北原を訴えた
しかし北原は「私ではない」とひたすら否定、多忙を理由に出席を拒否し延期が続く
やがて太田啓子が「colaboを支援する者たちの集まりでつくったアカウントで住所は北原にしてるが、実際にXに投稿してるのは私だ」と唐突にいい出した
発言者が誰であれ殺害予告でしかない文なのに、今回不当に棄却となり暇空が敗訴した
【名字】餘多分
【読み】よたぶん,よたわけ
【全国順位】 67,034位
現広島県西部である安芸発祥ともいわれる、治水の功により浅野侯より賜名字である。
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E9%A4%98%E5%A4%9A%E5%88%86
現在、暇空は石丸伸二と対立関係にあり石丸から多数の攻撃を受けている
石丸が広島で生まれ育ち広島の市で市長をやっていたことはよく知られたことだ
暇空が広島出身者に殴られている時に、広島に由来する名字を持つ裁判長が不当な判決を下す
これが偶然のはずがない
名字というのは、山のそばなら山野さん、川のそばなら川辺さんと自然発生するものが多いが、餘多分は江戸時代末期に広島の大名であった浅野長勲が創作し臣下に与えたものが起源で新しい
浅野長勲は多くの肩書を持つが、安芸広島新田藩第6代藩主でもある
安芸広島、そう石丸が市長だった広島県安芸高田市のかつての名だ
これが偶然であるはずがない
石丸は急に出てきて目立つようになりそのバックボーンが怪しまれていたが、つまりは石丸の祖先は浅野長勲なのだろう
廃藩後に華族となることを辞退し市井にまぎれた浅野家の末裔の一人が石丸伸二である
浅野家と餘多分家は今でも密かに主従の関係であり、殿様である石丸の指示に従い法秩序を捻じ曲げてでも不当な判決を出した
石丸は、百合子のイメージカラーが緑であるためかぶりを避けて紫にした
紫なのは、金づるとして支配下に置いている華僑たちが好む色だからだ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E6%B0%8F#/
数百年をかけて広島の人々の血に刻まれた「主人」の色が緑なのだ
広島県民は独特の風俗を持ち、日本国に属しているという感覚はほぼなく、現代においても廃藩置県前の「殿様」に仕えているという意識が強い
広島に原爆が落とされたのは「日本」のせいだ、犠牲にされた、そんな思いから日本への憎しみが深い
原爆による反米感情が根深く、それが中国との強い結びつきを生み出した
石丸がもし都知事になれば、東京のために働くことも日本のために働くこともけしてありえない
全ては「殿様」の所有地である広島のため、アメリカを倒してくれる中国のために消費される
サッカーっておもしろそう!でも耳慣れない流行り言葉がいっぱいあってめんどくさそう……そう考える増田、いますよね?
オフサイドを覚えるのがせいいっぱいの容量しかないフラットスリーな増田の脳みそじゃ、トータルフットボールもマジックマジャールもマジわけわかんない!
【リトリート】
・一度放出した選手を再度獲得すること。多くは移籍に失敗した選手を温情で再獲得することを指す。「もう一度(re)面倒をみる(treat)」の意味。東アジアサッカー界でよく見られる慣行で、一種の儀式的な側面がある。主に微妙なポジションの中堅からベテランに対して行われ、リトリートされた選手の多くは再獲得から1,2年以内に引退する。
2010年代にFIFAから不正競争などにあたると指摘されたためにどこの国でもおおっぴらにはやられなくなり、日本でもほとんど見なくなった。
【トランジション】
・トラン・ジ・ション。北ベトナムの伝説的ストライカー。父親がイタリア系。そのボール捌きと決定力で「不屈の虎」と呼ばれた70年代の北ベトナム代表を東アジア最強に押し上げ、1976年のアジア杯で代表チームを初優勝に導いた。特にその大会の日本戦では一人で7得点と大爆発し、当時少なかったサッカーファンを絶望の谷間へと叩き込んだ。当時日本代表のエース的存在だった釜本邦茂は試合終了のホイッスルとともに芝生に崩れ落ち、「こんなんじゃ百年経ってもワールドカップなんて出れない!」と慟哭し、うずくまったまま三十分動かなかった。その映像は今でもサッカー特番でよく流される名場面のひとつ。
トランに話を戻すと、現役を退いたあとは後進の指導にあたり、2000年代からは政界へも進出した。2018年没。
【5レーン】
・非サッカーファンにはあまり知られていないが、実はサッカーフィールドのサイドラインの内側には溝が掘られている。これがレーン。レーンはなるべくスローインなどでゲームを中断し、熱気を盛り下げないための処置なのだが、溝に足を引っ掛けて怪我する選手も多く、反対派も多い。それはともかく、5レーンとは左右の両サイド(4レーン)に加えて中央に引かれたセンターラインにもレーンを設けること。これにより、ホーム側が有利になるとされているが、実は統計的には実証されていない。2005年にフランスのシャンゼリゼFCのホームであるバスチーユ記念スタジアムで初めて導入され、以後世界的にスタンダードな形になった。
・カメルーン代表イソロ・トーマス・ダイアーゴのアナルのこと。2014年ワールドカップのグループ予選における対クロアチア戦で起きた出来事に由来する。当時、日本でも大きく報道されたので、非サッカーファンでもご記憶のかたも多いのではないだろうか。ダイアーゴは2021年にJ4の福山ヴィオーレでもプレーした、日本にも馴染みの深い選手。
【インテンシティ】
・イングランドの有名なサッカークラブの所在している街。もとは殷藤街(yinteng guai)というイングランド最古の中国人街(現在は残っていない)から発祥したクラブで、ホームタウンをロンドン南部に移した今もその名称を留めている。そんな縁からか、中国人初のイングランドプロサッカー選手の葉明傑が80年代に数年在籍した。近年に至るまでながらく4部リーグ〜5部リーグあたりをうろうろしていたが、2011年に華僑系シンガポール人富豪がチームを買収してから強化に乗り出し、2019年にはチャンピオンシップ(2部)に昇格。戦力的にはリーグ下位と見られたにもかかわらず、当時無名であった若手監督のアントニオ・ボーゲル(現スロヴァキア代表監督)の卓抜した采配と戦術により、昇格初年度からプレーオフ圏内へ進出。中国の古武術をヒントに取り入れたダイナミックなサッカーは「インテンシティ・フットボール」と呼ばれ、2部〜3部リーグのあいだで大流行し、現在ではプレミアリーグのチームにも部分的に意識されている。
しかしチームとしてのインテンシティは2021年にオーナーによるファイナンス関係の不正が発覚し、3部への降格処分を受け、現在は4部まで低迷している。
【偽9番】
・フィールド上に出現するもう一人の背番号9番。本物の9番とよく似ているが「〜でゲス」という語尾で喋る
【偽SB】
・フィールド上に出現する偽物の野球選手。福岡ソフトバンクホークスのユニフォームを着ている。本物の野球選手っぽく振る舞うが「〜でヤンス」という語尾で喋る。メガネで守備力が高いがチャンス×。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '6520.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
「浮」
今年は毎日やってくる地震に精神的に対抗するために、レビテーションガジェットが数多く発売され、浮遊ブームとなりました。
浮遊ベッドや浮游チェアーの生産が間に合わず、喜びと事故の両側面で人々に強い印象を残しました。
これらの開発を可能にしたのが、年初に発見された世紀の科学的発見、浮動次元です。
これまでダークマター、ダークエネルギーとされてきた2つが共に浮動次元に由来することが分かり、その実証と応用が異例の速度で進みました。
その結果生まれた浮動モジュールの構造は非常にシンプルで、量産を可能としました。
一部の大富豪は住宅を浮遊させ、最近ではタンカー級の浮遊も運用圏内となりました。25年は海運革命の年となるでしょう。
また、この人類史の転換点となる技術革命を背景に、中華圏を中心として既存文明からの脱構築を図る「浮生族」が発生しました。
中国政府は彼らを「羅浮人」と呼び、弾圧を強めていますが、世界中に広がる華僑からの支援もあり、巨大海上国家の誕生が秒読みであるという見方が優勢です。
【追記】
ブクマですげー怒られててこわい。
もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。
あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。
【再追記】
なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw
どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミックの最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨになっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国と台湾のアート市場に凄い可能性を感じてるんで。
特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展を企画開催したり画集の出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。
【再々追記】
いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。
ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがないか。
でも中学のときからたびたび女のイジメグループのターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団は絶対に現実に存在するとだけは強く言っておきたい。
hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想。華僑的な増田 男女
俺の家系は一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本の一般家庭とはたしかに違うかもね。
take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春。
そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画は全然わからんが喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。
moeshine元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が
俺が中退してすぐ後にmixiで元彼女の日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョな彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいから幸せだと思うよ。
mirakukira韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ
こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。
あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。
ので色々思い出したので独り言。
大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。
「なにこれ?」
と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパートに暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。
俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら
「気持ち悪い」
とか言って一蹴される始末。
それ以来、女の
「気持ち悪い」
発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草がホントにマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチのマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎。感情的でストレス耐性低い奴ホント無理。
俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女は喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年頃から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザと後遺症の気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。
その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護し入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生の夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初はガリガリで小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないかと心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆ど話さないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときはマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。
付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。
ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。
で、その件以降同学年の女子の殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店に就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。
「これ夫婦みたいやね」
って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。
ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときにハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。
でも、休日に意味もなく近所の住宅街や公園を徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯で写真撮りながら通りかかった喫茶店や飲食店で写真お披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級和ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアックな洋楽のアルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間も立ち読みしたり。
ある年にいとこがクリスマスと新年を彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときはちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。
家事一般は、いとこが同居中に2回喘息で入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除も洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗いが苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。
その後コーヒーメーカーと炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。
んで年明けてからリサイクルショップでナショナルの古いレンジとビクターのテレビデオとメーカー不明のコタツ買って、ナショナルのレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。
忘れもしない、草なぎ剛が泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園で酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。
んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNSで確認出来る。
一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。
後悔してもしょうがないけど。
Permalink |記事への反応(16) | 08:39
>少数のエリートリーダーによる独裁で運営される組織による侵略的世界改革こそ至高みたいな徹底的な中華思想至上主義の刷り込みのオンパレード
これモロに西側やん
アメリカとか衆愚政治極まっておもくそ元増田の文章通りの社会になってるよな
>独裁的に運営される私企業のリーダーで、侵略的思想による他者への介入と主義の押しつけと言う、偽善と傲慢を絵に書いたような中国の代弁者
他国に政治工作しまくり~の自由と民主主義押し付け~のLGBTだのSDGsだの押し付け~の金融牛耳って表現を間接的に縛り上げてき~の
白人はやりたい放題やっとるわ
>そのような「抵抗勢力」は、決して主人公の思想を受け入れない為、武力介入し人を殺して無理やり従わせると言う、お決まりパターンばかり。
従わない中東に対してアメリカはおもくそ武力介入して無理やり従わせたよね
武力介入して民間人毎殺しまくって無理やり従わせてきたのはむしろ西側だよ
大国は結局元増田の文章のような社会になるってことだと思うよ結局
施設の中はエアコンが入ってない場所(共有部通路など)もあって、清掃員はそういう場所も行き来しながら各部屋を掃除する。皆汗だくだ。
清掃員には、夏場でもそうでなくても飲み物は自由に飲んでいいことにしている。だが数年前から「清掃員ごときが水を飲むなおばさん」が現れるようになって皆、目立たない場所でこっそり飲むようになった。
ところがこのおばさん、目立たない場所でもわざわざ出向いては見つけて文句を言ってくる。(清掃員が利用できる休憩室はあるが、場所によっては遠い)
今、清掃員に辞められても新しい人を探すのが大変なんだよ…文句言うのやめてくれよ…あんたも水筒持ってるじゃん…
全部言いたいがもっと怒り出すので言えない。
清掃員は水を補給することもあります、という張り紙? 当然してる。ところが水飲むなおばさん、日本人ではないのでそんな張り紙は知ったこっちゃないのだ。あれだけ流暢な日本語でクレーム入れる施設利用の申し込みもすらすらとボールペンで書いてたはずだけど、張り紙は読めないと。
SNSを見ていて知ったが、水飲むなおばさん個人の気質じゃなくて清掃員は差別してもいいっていう国民性らしいね。水飲まなくて死のうが知ったことはないと。地域的に考えてもいわゆる華僑の人だから、ある程度の成功者。そりゃそういう考えにもなるか。
でも、ここは日本なんだよな。本部に毎年言ってるが埒があかねえ。クレームが来るたびに祖父母と同じ年頃の清掃員にごめんなさいね、と謝られるのも辛い。たいして気にはしてなさそうだが。水飲むなおばさんの出禁やらなんやら本部には提案してるけど、今年も及び腰な回答しかこなかった。
頼むから、清掃員には気持ちよく水を飲ませてくれ。いや、清掃員だけじゃない。この暑い中働いてる皆、水を飲ませろ。
Permalink |記事への反応(16) | 12:54