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[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内・海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html
kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから、飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う
飯野賢治を理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。
90年代の日本は雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲームの情報もゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらにCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。
飯野はゲームのスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。
SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二、糸井重里、さくまあきら、広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社に所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂や坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金子一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司や鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。
ゲーム雑誌においてゲームクリエイターの露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。
――他に音楽業界の手法で言うと、クリエイターのクレジットをちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれたものですよね。
川上氏:
当時は、みんなゲームクリエイターの名前は隠していましたからね。
丸山氏:
でもさ、レコードや映画はクレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも不自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤーのスターがいて、クリエイターがスターじゃないというのはヘンじゃない。だから、メーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションしやすいよ」と説得したんだ。
※高橋名人
1959年生まれのゲーム関係者。本名は高橋利幸。ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)所属のファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。
実際、これは有効なんだよ。だって、普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。
――つまり、音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?
丸山氏:
PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社がゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者のインタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。
飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者がいかにも会社組織に所属するサラリーマンやオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社のゲームに言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョークや坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオのMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネットで動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治の奥さんがゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。
彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオのパーソナリティや、現代ならばSNSのインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。
飯野のゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものだから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野がインタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野のインタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野のインタビューを取る→宣伝になるから飯野がインタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンドの記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものだから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。
いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物(ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。
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参考までに1990年代のソフトバンクのセガハード専門誌からスタッフインタビューをリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。
ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ)
重田守(セガ)
●セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)
ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修(セガ)
デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ)
ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ)
新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ)
御意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキー、ブンブン丸、柏ジェフリー
EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也(イマジニア)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
セガサターン用ワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト)
サクラ大戦 -田中公平、牧野幸文(セガ)、原太郎(ティーズミュージック)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕(セガ)
●DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)
シェンムー 一章横須賀 -松風雅也、安めぐみ、岡安啓司(セガ)
電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎(セガ)
スペースチャンネル5 -水口哲也(セガ)
セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽
プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之、加藤真樹、石原学(セガ)
ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ)
爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー)
2025Rock this Party / timelesz
2024ライラック /Mrs. GREEN APPLE
2023 唱 /Ado
2022 Habit /SEKAI NO OWARI
2018 U.S.A /DA PUMP
2016 恋 /星野源
2014Let it Go ~ありのままで~ /May J.
2013RPG /SEKAI NO OWARI
2011Rising Sun /EXILE
2010ヘビーローテーション /AKB48
2009Believe / 嵐
2008 366日 /HY
2007Love so sweet / 嵐
2004 花 /ORANGE RANGE
2001ultra soul / B‘z
1995LOVELOVELOE /DREAMS COME TRUE
1994innocent world /Mr.Children
1992涙のキッス /サザンオールスターズ
1981センチメンタル・ジャーニー /松本伊代
1976およげ!たいやきくん /子門真人
1969三百六十五歩のマーチ /水前寺清子
1963見上げてごらん夜の星を /坂本九
1954 お富さん /春日八郎
久保建英が移籍する可能性は高いと見ている。というかクラブ側がそろそろ放出したいのではないか。
一番の要因はELの出場権を逃した点だ。ソシエダは金満クラブではないので、ELの賞金を逃すとクラブへの影響は大きい。クラブは来季は収益の減少を見込んでおり、選手の放出や給与面の調整を行う予定と報道が出ている。
スビメンディの移籍がほぼ確定しており、さらにブライス・メンデスの移籍もロマーノが報じている。来季は監督も変わるので、これまで主力だった高給メンバーを放出して給与面で安いカンテラ出身選手を中心に再度立て直しを目指すと考えられる。
そうなると久保も当然放出対象になると思われるので、クラブとしてもこのタイミングで移籍させて現金化したいはずだ。もちろん、日本のスポンサーやジャパンツアーなどの影響を考えると残しておきたいはずだが、ここでも移籍の可能性が匂わせられている。
なぜなら去年と比べて試合予定のスタジアムが縮小しているからだ。
去年のジャパンツアーは国立競技場、吹田スタジアムで行われており、6万人と4万人規模のスタジアムで試合が組まれていた。
一方今年試合予定のニッパツ三ツ沢球技場は1万5千人、PEACESTADIUMは2万人ほどと去年よりも明らかに来場者の減少を見込まれている。
久保の残留が既定路線なら去年と同じ規模のスタジアムで良いはずだ。
これまで率いていたイマノル監督も今季で退任が決定しているので、新監督によって戦術も新しいものに変わる可能性が高い。
さらに言えばソシエダの上層部は来季、オヤルサバルをウイングに戻したいのでは、と考えている。元々ウイングの選手であるオヤルサバルは現在ワントップで9番の役割を任させているが、正直あまり機能しているとは言えないだろう。
ウイングにオヤルサバルを置いて、オスカルソンをワントップに配置というのをソシエダは想定しているのではないか。直近補強した選手達がフィットしていないし、高く売るためにも試合に出したいはずだ。そうなると久保がいなくなった方がソシエダがメンバーを配置しやすいといともいえる。
これまでのことから、利益でも戦術面でも将来を見据えた動きをするなら、今季久保を放出してもおかしくないと考えられる。
去年は結局久保は移籍しなかったが、なぜなのか。メリーノとルノルマンが移籍したからクラブが移籍を認めなかった、弟がいるからなど色々囁かれているが、久保が移籍のために動いていたのは事実だろう。
去年の移籍シーズン中、とあるサッカー系YouTubeチャンネルにてオフシーズンに移籍で忙しいため久保との会食がキャンセルされたという話が出ていた。
また、ネタにされがちだが、とあるサッカー記者からリヴァプール移籍の噂が出ており、その記者の話によると結局リヴァプールではなくチェルシーが本格的に交渉し、久保も移籍を了承したが、流れてしまったと伝えていた。
もう一つ、最近とあるYouTubeチャンネルにて現地記者から去年実はアーセナルやリヴァプールからオファーがあったとの話も出ている。
正直どれも信憑性は低いが、移籍を意識していたこと自体は間違いないと考えて良いだろう。
巷では久保はソシエダで満足しているから、スポンサーへの配慮、弟のためなどで移籍しないと言う人もいるが、これまでバルサ育ちからマドリーへの移籍、FC東京からマリノスへのレンタルなどをしてきたと考えると、ソシエダへの恩義や配慮で残留することはないと言い切って良い。
インタビューや発言から久保はかなりの野心家だと思われるので、前述の点は気にしないだろう。だが、問題があるとすれば出場機会だ。
出場機会を重視しているのはこれまでの発言から明らかで、ワールドカップ前ということもあり、出場機会考えて残留を選ぶこと自体はありえる。
しかし、日本代表の森保監督が、ワールドカップ前というのを気にせず、移籍してチャレンジほしい。といった旨の発言しており、久保もワールドカップ前だからこそリスクを取ってステップアップを目指すのではないだろうか。
ここが一番難しいポイントだ。久保の契約解除違約金は6000万ユーロと言われており、満額ではなくても移籍金は安くないはずだ。
よってお金に余裕のあるプレミアのクラブが基本的に想定される。また、前述のサッカー記者によると久保自身もプレミアに興味があるとのことで、本人が希望している可能性はある。
さらに、マドリーの転売条項で移籍金の半分がマドリーに入るとも言われており、優先交渉権の関係で、移籍の際にマドリーに報告をする必要があるとかないとか。
噂があったクラブを中心に想定を考えたいが、各クラブの事情は完全ににわかなので、的外れだったらごめんなさい。
リヴァプール→去年も噂があったが、遠藤が干されているのを見て避けるのではないか。スタメン固定気味なので、現状ならサラーと久保でローテーションするのも考えにくい。
アーセナル→サカがいるので可能性が薄いと言われているが、最近不調のウーデゴールの代わりや、サカの怪我防止のためのローテーションで出場機会自体はありそう。スビメンディがほぼ移籍確定なのとメリーノがいる点から、連携は取りやすいのと冨安の存在で入りやすそうではある。
チェルシー→去年久保が移籍を決断したが流れたらしい。ネトとポジション争い?パーマーとの連携は見てみたいが、かなり選手が多いので整理してから獲得になりそう。個人的には移籍候補の中で特に面白そうなチーム。
ニューカッスル→マーフィーの後釜?イサクがいるのも良い点。しかしFFPの関係で補強が難しいとの記事も見かけたので久保よりも安い選手を狙うかもしれない。ソシエダとの交渉で値下げできれば可能性があるか。
マンチェスター・シティ→ベルナルド・シウバ理論の元であるベルナルド・シウバが移籍するなら可能性はありそう。ペップの元でプレイするのも見たいが、財務違反などが不安か。可能性は低そうだが、移籍したらかなりフィットしそう。
その他プレミアクラブ→金銭面と欧州カップ戦に出場できるかどうかによって変わりそう。昔のキックアンドラッシュではなく今は戦術的に整備されたチームが多いので、久保にフィットするチームは意外と多そうだ。思わぬところの獲得もありえるか。
もしリーガ内の移籍なら上位3チームに絞られるだろう。一方で一部を除いた日本人のリーガ解説者や有識者からはかなり冷めた目で見られているので、そこが少し気がかりか。(まさか試合中の解説で久保ファンは現実を見たほうが良いと言われるとは…)
レアル・マドリー→DAZNの解説で現実を見たほうが良いと言われたが、個人的に一番可能性が高いと思っている。ロドリゴが今季不調で、放出論も出ている中で右ウイングの補強が必要になるだろうし、既にリーガに馴染んでいるので適応の問題もない。シャビ・アロンソの戦術にもフィットしそうだ。
荒唐無稽な話だが、去年のチェルシーへの移籍が流れたのはマドリーがストップをかけたからではないだろうか?去年の時点でアンチェロッティの退任やロドリゴ放出の可能性を考えていて、来季久保の獲得を予定していたとしよう。
ソシエダから他のクラブに移籍すれば久保の獲得は困難になってしまう。そのため、久保に将来の獲得を示唆しつつ移籍せず待ってほしいと伝えたので、去年の移籍がなくなった可能性がある。
ここまで妄想を書いたが、こんなことを言っているから現実を見ろと言われるのだろう。
バルセロナ→ヤマルもおり、可能性はかなり低いと見ている。というかカンテラ育ちとはいえ元マドリーの選手を獲得するのだろうか。戦術には間違いなくフィットするが、財務状況から見ても獲得はなさそうだ。
アトレティコ・マドリー→前述のサッカー記者をはじめ、ここまで最も噂が多く出ているチーム。ただし、信憑性の薄いメディアが多く(そんなものを引用する日本のサッカーメディアもどうかと思うが)現地では全く報道がないらしい。シメオネからかなり警戒されているように、一定の評価はされているが、シメオネの息子がいる以上可能性は低いと見ている。また、戦術的にも久保に合うのか個人的には疑問だ。さらに元マドリーというのや、過去のアトレティコサポによるソシエダサポへの事件もあり両サポが拒否しそうではある。(ルノルマンは行ったが)
バイエルン→定期的に噂は上がるが、信憑性を考えると可能性は低いか。マドリー移籍時に狙っていたという噂や、マドリー時代のレンタル先候補だったらしいので一定の評価はありそうだ。
PSG→こちらもバイエルン同様に10代の久保の獲得を狙っていた噂があり、レンタル先候補だったらしい。現状のスカッドを見ると獲得は考えてなさそうだが、行ったら行ったで戦術には合いそう。
ナポリ→会長が日本人を狙っているとの報道があり、実際に狙っていたとの噂。最近は菅原や板倉獲得の噂の方が多いので久保の獲得は金額的に断念したか。
これまでのことから、ソシエダの事情としても残留よりも放出の方向に動いていると見ており、久保の移籍の可能性自体は高いと思われる。一方で、どのクラブに行くのかはかなり不透明だ。
個人的にはマドリーやニューカッスルの可能性が特に高く、次にチェルシーやアーセナルの可能性を考えている。
いくつか移籍先候補を考えてみたが、当該クラブのサポーターは久保を欲しいと考えているのだろうか?ポジションやチーム状況も含めてぜひ教えてほしいところだ。
例え解説や有識者から移籍が難しいといくら言われようが移籍について考察するのは楽しいので、我々一般人は自由に考えて良いだろう。踊れる時に踊らないでどうするというのか。
「今昔物語」はここに収録されている福永武彦訳で読んでいる。池澤夏樹の義父だね。僕は結構説話集が好きで、「聊斎志異」や「捜神記」、「デカメロン」やガラン版「アラビアンナイト」なんかも読んでいる。近々「カンタベリー物語」も読む予定だ。
さて、なんで「今昔物語」を全部読まず、部分訳の福永武彦訳にしたのかというと、理由はいくつかあるのだが、気軽に持ち運びのできる全訳が出ていないのが一番の理由だ。また、講談社学術文庫は、天竺編と震旦編、それから本朝世俗編が出ているのだが、なぜか日本を舞台にした仏教説話を収録した巻が翻訳されていない。有名どころの仏教説話は頭の中に入れて置きたいとうっすら考えているのだが、原文を読むのが近頃は億劫なので、早く翻訳が出てくれないかと祈っている。
内容は芥川龍之介が翻案したものを含め、人間心理の観察や奇妙な話、怪異の話や下品すぎる話、それから強烈な個性を持った人間の話など様々だ。一つ一つの話が短いので楽しめるし、芥川龍之介が近代的に翻案する前はどんな話だったか、比べるのも楽しい。ちなみに、水木しげるがインパクトのある話ばかりを漫画化したバージョンが中学高校の図書館にあったが、あれも面白かった。あとは、家にあった子供版に、卒塔婆だか石碑だかに血痕がついたらその土地が水害で滅亡する予言を信じる老婆の話が収録されていた。周囲の人が老婆をからかうためにわざと卒塔婆に血を付けるのだが、その晩に本当に村が滅亡する。世界の民話に似た話があったと記憶しているが、出典が思い出せない。自分はギリシア神話をはじめとした、運命の皮肉やアイロニカルな予言を扱った話が好きである。やっぱり説話集は面白い。
ただし、編集の方針だろうか、「今昔物語」では似たような話が何度か続く配列になっている。だから通読していると飽きる瞬間がある。
これは「聊斎志異」でも同じで、酒を飲んでいたら死んだ友人が化けて出てきたが、酒を飲んでいたせいか死んだことを忘れていて、そのまま話が進むみたいなパターンがかなり多い。他にも幽霊やキツネが化けた美女が出てきて結ばれてハッピーエンドみたいなのも何度も繰り返される。結局みんなモテたいのね。
「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」、これらはすべて未読である。「日本霊異記」は最近になってKADOKAWAが現代語訳を出しているので、積んである本を片付けたら入手予定だ。なお、これは①で述べた雄略天皇のエピソードの出典の一つもである。
「平家物語」は古典の苦手な僕でも原文で読みやすいと感じた。理由は恐らく、口承文学だから声に出したらなんとなくわかるからなのと、敬語が相対的に簡略化されているからなんだろう。それとも、ちょうど「火の鳥」乱世編の舞台で、歴史の流れ的に何が起きるか既に分かっていたからだろうか? それとも、教科書をはじめとして、断片的に名シーンを知っていたからだろうか? バトル物として楽しんだんだろうか?
日記を読み返すと、「古代の貴族世界が音を立てて崩壊していくのがよくわかる」と綴っていたし、「空海と密教美術」展で観た平清盛の血曼荼羅が登場したのに滅茶苦茶興奮していた。
ちなみに、神保町の本祭りで、ちょうど講談社学術文庫版が一巻から十巻までがセットで安売りされていたので、良い機会だと思って購入したのだが、後になって全十二巻だったと気づいた。道理で安いわけだ。このバージョンは解説が丁寧で、「平家物語」かなり京都中心のバイアスがかかっているという指摘がされていた。例えば、平清盛が大輪田泊を建築したことは今でこそ評価されているが、「平家物語」では単に京都の荒廃をもたらした暴政ってことになっている。木曽義仲もただの田舎の乱暴者扱いだ。ちなみに、かつて滋賀県を旅行したときに、彼の没した古戦場・粟津を訪れたのだが、住みやすそうな普通の住宅街になっていたのに驚いた。
「太平記」についてもついでだから書こう。実家が神奈川県なので、鎌倉幕府滅亡まではかなり馴染みのある地名が多かったので楽しんだのだが、南北朝に分かれたままで話が終わるし、明確に「完結した!」という実感を持てる構成ではなかった。明確な善玉悪玉の物語でもないしね。みんな結構幕府側に着いたり朝廷側に着いたり右往左往している。この機を見るに敏なあたりがいかにも中世武士らしいし、おかげで誰が誰の勢力についているか、すぐにわからなくなる(ここまで書いて思ったのだが「平家物語」は平家の滅亡というわかりやすい大きな流れがあるから読みやすいのかも)。
それに、歴史書っぽくいろんな中国の古典から引用するけれども、日付が操作されていたり、複数の天皇を意図的に混同していたりする(光明天皇が即位した個所、太平記ではなぜか光厳天皇の重祚としている)。あくまでもこれは物語なのだ。
そして、物語だから、出てくる辞世の句にすごくいいのがたくさんあった。いま手元に本がないのが恨めしい。メモから見つけたのは「皆人の世にあるときは数ならで憂きにはもれぬ我が身なりけり」……なにこれつらい。
なお、各神社仏閣の縁起物語や中国の古典に脱線することが多く、それはそれで非常に面白いのだけれど、「だからこんなに長くなるんだよ……」みたいな気持ちになった。多少は「平家物語」でも登場・退場する人物の背景に脱線するけれどね。「ジョジョの奇妙な冒険」でも敵のスタンド使いの背景が紹介されるシーンあるよね。あのテクニックは話の流れがちょっと止まるので使いこなすのが難しい。ところで、あまりにも歴史書からの引用が多いので、これまた講談社学術文庫版の「史記」を読むに至った。……と、記憶していたのだが、日記を読むと両者を並行して読んでいたらしい。我ながら、なんでそんな無茶をした? 両者とも疑問点が多くて日記にやたらとメモを残している。
ところで、太平記の巻二十二に、相手のことを馬鹿にして「へろへろ矢」と呼ぶシーンがあるが、オノマトペの歴史的に興味深い。
前回も書いたけれども、せっかくなのでもう少し細かく書こう。これはちゃんと池澤夏樹の全集で読んだ。
「能・狂言」には身体障害者に明確な悪意を向け、冗談半分で暴力をふるうとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、だから近江絵などで風刺の対象ともなっているのだろう。岡田利規の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。演劇の人なので、酔っ払いの歌などを声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
現代の第一線で活躍する作家に訳させるってのはかなり贅沢だ。今の言葉で古典に新しい命が吹き込まれるって本当なんだな。
「説教節」は女人禁制による悲劇を描いている。これは父方の祖母からも似た話を聞いた覚えがある。何かウグイスだか何かの鳥に変じてしまう話だったようだが思い出せない。どこかの寺院縁起譚だったと思う。翻訳は伊藤比呂美で、この人は「ラニーニャ」という作品で芥川賞候補になっている。
「曾根崎心中」はいとうせいこう訳。ここからは浄瑠璃。作中の大阪弁が興味深い。大阪が舞台だし、近松門左衛門の作品なのでそれはそうなんだが、江戸時代の大阪ことばがどうだったかってのはすごく面白い。三幕の悲劇でプロットは単純なんだけど、台詞の長さとか掛け合いとかが欧米の演劇とはリズムが全然違っている。そういえば昔、「コメディお江戸でござる」のなかで「七つの鐘が六つ鳴りて」が引用されてたけど、原文って最初から最後まで七五調らしい。この次もそうだが、借金で首が回らないってネタは時代的な物か。
「女殺油地獄」はひたすらダメな人間がとうとう強盗殺人までしてしまう救いのない話なんだが、ここまで徹底した悪人というか堕落して行く過程がすでに文学で表現されていたってのがまず面白い。ダークヒーローとかそういうのではなく、自己弁護と言い訳にまみれた情けない悪人の物語だ。翻訳は桜庭一樹で、ところどころ注釈的に時代背景を地の文で説明しているんだけど、現代語訳っていうのはこういう自由さもある。たぶん池澤夏樹はどう翻訳してほしいか指示を出さなかったんだろう。
殺人の場面は本当に暗鬱。面白いので近松門左衛門の作品はもっと読みたい。江戸時代に実在の事件をモデルにした猟奇サスペンスがあったってのが面白い。ジャーナリズムの発展ってやつだ。ただし、人生がうまくいかない人をすべて発達障害で解釈しようとするのは、否定するだけの根拠はないのだが、多用しすぎるのもどうかと思う(一昔前の「シゾイド的人間」みたいに流行っているだけかもしれない)。
ところで、まったく関係ない作品同士で、源融の庭の話が引用されているのは不思議で、それほどよく知られていた話だったのだろう。また、わからない言葉がちまちまあるので調べながら読むことになるんだけれど、「坊主持ち」って遊びが出てきて、これはお坊さんとすれ違うまで荷物を全部持つ遊びらしい。じゃんけんで負けたら全員のランドセルを背負う小学生の遊びの起源か?
「菅原伝授手習鑑」は牛車を押す場面を浮世絵で見たし、松王丸の部分は新渡戸稲造「武士道」か何かで引用されていたのを思い出した。忠義のために身動き取れなくなる話は「菊と刀」にも通じている。意外と又聞きで歌舞伎の物語を知っているのかもしれない。ところで、学生時代に見た子供が切腹する歌舞伎は何の話だったんだろう。
翻訳は三浦しをんでこれを読んだ昨年当時はは四十七歳のはずなんだけど、「ギッタンギッタンにする」「ニャンニャン」という、古いんだか新しいんだかよくわからない言語感覚が特徴。この作品では道真公の流罪の原因をかなり自由に創作しているようだ。
もう少し読みたいものだと思い、浄瑠璃と加歌舞伎とかの現代語訳はないものかと「弁天娘女男白浪」について調べると、それは一部分を演じるときの題で、本来は「青砥稿花紅彩画」というらしい。
「義経千本桜」はキツネが身代わりになるシーンがあるが、「菅原伝授手習鑑」にも木像が身代わりになるシーンがあり、これはよく見られる演出だったんだろうか? かなり自由に筋が作られている。安徳天皇女性説とか初めて知った。このあたりも「平家物語」の時代を知っていると楽しい。
「仮名手本忠臣蔵」は四十七士全員のエピソードを語る時間はさすがにないが、悪玉は徹底的に憎たらしく描かれており、エンターテインメントの基本が抑えられている感じがする。ここでも入れ替わりの芸がある(上に書いた入れ替わりは、駕籠に乗った九太夫が医師と入れ替わっている個所)。なるほど、日本の演劇のストーリーだけじゃなくて上演時のテクニックについても調べる必要がある。
ところで、解説を読んでいると、「仮名手本忠臣蔵」は仇討ちの物語というよりも恋愛劇だという指摘があった。他にも、どの脚本が伝統を逸脱しているとか細々説明している。
あと、「しんとく丸」の話はどっかで聞いたことがあるんだが、どこでだったのかが思い出せない。
好きとか嫌いとか、こういう本能的な感情の動きは、まったく道徳的でない。
近頃は読みもしないくせに、イケメンが出てくるフィクションに対する独断と偏見が自分の中でどんどん育っていることに、非常に困惑している。他人のプライベートな空想や願望にとやかく言うのはみっともないし、読みもしないのに批判するのは非常にダサいので、こうした非論理的な感情にはいつも戸惑う。逆に、一度きちんと読むべきではないか? それか、徹底的にスルーするかだ。そもそも、フィクションはそもそも他人の頭の中身なので、刺さらないときには徹底的に刺さらないってだけではあるまいか。かつては普通に男性向け女性向けと関係なく小説を楽しめていたのに、こんな人間になってしまったことが極めて残念である。
おそらく、これも僕のイケメン嫌悪と去勢不安がなせる業だろう。まだ四十にならないのに前立腺肥大を患い、ED気味である。
じっくり考えてみたのだが、ジャンルを問わず、男性であることを否定的に書く作品や、男性の苦痛を軽視するものに否定的な感想を持つようだ。昔はジェンダーSFとかを、思考を広げて無意識の前提に気づかせてくれると面白く読んでいたのに、年齢を重ねて頑固になってしまったようだ。困ったものだ。そこのままではさらに年齢を重ねたらどうなることやら。
逆に、自分が性欲を持つ男性であることを肯定するタイプのポルノが大好きだ(具体的なジャンルは揚げてもしょうがないので略す)。この好きと嫌いの両者は僕が自分の性を肯定できるかにかかっている。つまるところ、「僕は男性としてダメじゃないか?」という不安を表裏一体で反映している。自分がヒゲの永久脱毛をする気が全くないのも根底には同じ感覚がある。見境無く散らばっている性癖や文学の好みの背後に、一本の理屈が通っていると気づくと、自己理解が深まったようで、事態が何も解決しなくても、何かすっきりした気持ちになる。
逆に、女性作家ですごく気に入ったものを十作くらい集めて、何が好きだったをまとめてみると、こういう作家の属性で評価するとこから自由になれるかも。今度試みてみよう。偏見から自由になりたいものだ。
それに、偏見に凝り固まった感覚が浮かんでくるのは、人と会わずに孤立している時なのである。そもそも、人との距離を取り、一緒に過ごす時間を奪ってしまうような創作活動は、僕を幸せにするだろうか?
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。
完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑
池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線
余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
以下は、2020年以降に起きた自民党に関する主な不祥事の一覧です。
吉川元農水相は、大手企業からの現金受領が明らかになり、収賄罪で起訴されました。この事件は、自民党の政治資金規制の問題点を浮き彫りにしました。
安倍元首相は、支援者向けの夕食会の費用について、収支報告書に記載せず、政治資金規正法に違反したとされました。最終的に不起訴処分となりましたが、国民からの批判が続きました。
菅原元経産相が、選挙区内で支持者に金品を提供していたことが発覚し、公職選挙法違反の疑いで捜査されました。彼は大臣を辞任し、自民党内での倫理規定の見直しが求められました。
岸田文雄首相の政権でも複数の問題が発生しています。岸田首相の長男が公用車を私的に利用したことや、増税方針を巡る批判が続いています。
複数の自民党議員が政治資金の不正使用や、不適切な支出に関与していたことが明らかになり、党内のガバナンスの問題が浮き彫りになっています 。
なぜ不祥事が起こるのか
自民党の不祥事が頻発する理由には、以下のような要因が考えられます。
1.長期政権による慢心:
自民党は長期にわたって日本の政権を担っているため、党内に「自分たちは常に与党である」という慢心が生まれ、不正や不透明な行為に対する感度が低下している可能性があります。
2.内部統制の不備:
自民党内での規律やガバナンスの不足が、不祥事の温床となっています。これにより、政治家個人の行動が十分にチェックされず、問題が発覚しても対応が後手に回ることが多いです。
政治資金の透明性が不足しているため、企業や個人からの寄付が不適切に扱われるケースが多発しています。これが結果的に、利益誘導や汚職の温床となっています。
まず、LUUPがロビー活動により認可を得る流れについてはこちらのリンク先を参照
https://luup.sc/news/2021-05-18-maas-pt/
モビリティと交通の新時代を創る議員の会の議員一覧は以下の記事参照
https://ligare.news/story/jimin-maas-giren/
甘利 明 神奈川13区
逢沢 一郎 岡山1区
赤澤 亮正 鳥取2区
阿達 雅志 参議院比例
石崎 徹 維新新潟1区(暴行事件で離党ののち維新から立候補落選)
岩井 茂樹 東伊豆町長(参議院→静岡県知事選候補→落選のち現職)
今枝 宗一郎 愛知14区
城内 実 静岡7区
額賀 福志郎 茨城2区
細田 博之 死去
三ツ矢 憲生 引退
盛山 正仁 兵庫1区
の続きです。抜けもあるかもしれません。
悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました
阿波連さんははかれない
異世界おじさん
宇崎ちゃんは遊びたい!ω
うちの師匠はしっぽがない
EngageKiss
怪人開発部の黒井津さん
陰の実力者になりたくて!
カッコウの許嫁
境界戦機
金装のヴェルメイユ〜崖っぷち魔術師は最強の厄災と魔法世界を突き進む〜
くノ一ツバキの胸の内
組長娘と世話係
黒の召喚士
恋は世界征服のあとで
後宮の烏
殺し愛
最遊記RELOAD -ZEROIN-
錆喰いビスコ
サマータイムレンダ
失格紋の最強賢者
SPY×FAMILY
聖剣伝説 Legend of Mana -The Teardrop Crystal-
その着せ替え人形は恋をする
それでも歩は寄せてくる
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかIV 新章迷宮篇
であいもん
転生賢者の異世界ライフ 〜第二の職業を得て、世界最強になりました〜
Do It Yourself!! -どぅー東京24区 (アニメ)
東京ミュウミュウ にゅ〜♡・いっと・ゆあせるふ-
Dr.STONE 龍水
不徳のギルド
BLEACH 千年血戦篇
ポケットモンスター 遥かなる青い空
継母の連れ子が元カノだった
虫かぶり姫
勇者パーティーを追放されたビーストテイマー、最強種の猫耳少女と出会う
4人はそれぞれウソをつく
よふかしのうた (漫画)
リアデイルの大地にて
恋愛フロップス
オッドタクシー
いわかける
幼女戦記
機動戦士ガンダムSEED
仮面ライダー ギーツ
富永恭二:航空部隊の指揮官として息子を特攻死させたが本人は最前線のフィリピンから台湾に逃亡、シベリアに抑留されるが天寿を全うする。
菅原道大:後で自分も行くからとか言って特攻隊を送り出し、終戦時に部下から行きましょうって言われたら「特攻隊の慰霊するからやっぱ行かない」と却下、養鶏やりながら天寿を全う
倉澤清忠:菅原の部下として特攻隊を送り出す。飛行機のトラブルなどで帰ってきたパイロットを監禁するスパルタ施設を運営。
戦後は印刷会社経営、特攻隊の生き残りからの報復を恐れ常に拳銃を携帯。勿論天寿を全ry
黒島亀人:「変人参謀」と言われ数々のキチガイ作戦とキチガイ特攻兵器を立案。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。なお、宇垣纒の手記(後に「戦藻録」として出版)を遺族から借り出し、自分に都合の悪い部分を破棄、「電車に置き忘れた」などと言い逃れる。当然天寿をまry
源田実:自分の指揮する部隊でも特攻やりたいからよろしくと部下に命じたところ、部下から「私が操縦するから貴方は後席に乗ってください」と言われソッコーで沙汰止みに。
戦後は航空自衛隊に入り航空幕僚長、自民党から参議院議員に。議員時代、日本全土を無差別爆撃したカーチス・ルメイに勲一等を授与する工作する。
言うまでもなく天寿をry
太田正一:米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。自分が乗るから開発させてくれと上層部に頼み込んだ癖に「適性なし(笑)」とやらで出撃せず。終戦直後逃亡、名前と戸籍を変えて暮らす。至極当然に天寿ry
昔からこの国のえらい人は言うだけ言って自らが責任取ることは決してなかったという事がよくわかるコピペ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1イスタンブールとその近郊」
「A20地球の歩き方スペイン 2024~2025 (地球の歩き方Aヨーロッパ) 」
宮下遼『物語イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学:科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著),フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3最後の火星人」
池澤夏樹=個人編集日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 -統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
私はMリーグの影響によって、麻雀は世の中に競技として認知されるものだと思っていた。
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麻雀界隈はクソ狭いので、先週あった菅原選手の三暗刻の見逃しがいまだにロングバズになっている。
大雑把に概要を書くとこうだ。
・索子のホンイツをやっていた親を落としたラス目の菅原千瑛選手
・形は中33s2s2s2s1s 白2(あと索子のなんかしらをチーしている)
・2sは菅原選手の目線は全見えのため、現時点の2s白のシャンポンは白の片上がり状態になっている
・そこでツモり三暗刻の形にとれるところを1sツモ切りとした
・結果白をツモって満貫をあがった
結果だけ言えば、菅原選手は1sのツモ切りがなければ跳満になっており、その後オーラスで松本選手に放銃してラスに落ちた。あの跳満があればラスにはなってなかったのにね〜と、神目線の感想はこうなる。
「親被りがきつかった」「1s切りの思考は3sは現時点では勝又選手に通るが、その後危険な牌になる可能性がある。もう一度3sを持ってきたときに1sを切れるから1sツモ切りとした」「あと白であがりたかった、ラスなので打点を見た」
・すでに2sは全見えなのだから、とりあえずツモり三暗刻に構えて、もし松本選手などからリーチが入って、持ってきた3sが危険牌だと見た場合には2sノーチャンスの1sを切ればいいのではないか
・3s切りの方が打点的にも、今後の守備的にもいいのではないか
・2sは全見えなのだから、単純に1s分あがり枚数は増えるのに
その後菅原選手は近代麻雀のインタビューか何かで三暗刻の見逃しは否定していたみたいだが、私はインタビューの内容も全面論破されているし、まぁほぼほぼ見逃したんだろうなぁ〜と思っている。
個人的には菅原選手はビーストの決勝のオーラス伏せてOKの展開で、なぜか安全牌を抱えず進行して、あわや新井プロのチートイに放銃するのではみたいなシーンもあったし、決勝卓の4人の中でもそんなにうまくはないよなぁと思っていた。さらにMリーグに入ってからの試合も見ているが、正直なかなかに危なっかしいし、菅原選手がトップをとった対局でもオーラスにドラの西を引っ張り、その後だいぶ経ったあとにまた持ってきた西をぬるっと切ったときも、神目線ではチートイが2人いたので、この西をこの順目で切っていいのか…?黙聴の可能性ってないのか…?伏せてトップなのに…?と思った。そのため、菅原選手に対してはそんなにうまいとは感じていない。まぁこれは私の個人的な感想なので許して欲しい。
話は戻る。前述した「菅原選手の三暗刻見逃し」についての視聴者批判が、その後プロと近代麻雀あたり(主に連盟と連盟が好きな人たち)の目に留まり、結果視聴者側が猛烈な批判を喰らうことになる。
「打牌批判をするな」みたいな人もいれば、「菅原選手はミスなんてしていない!」という人もいれば、「誹謗中傷はやめろ!」みたいな勢力もいた。私自身はどこかに悪口を書き込んだことはなかったが、友人と通話しながらあの対局をみて、インタビューを聞いて、友人と「いやこれはミスだろうな〜」と話していたので、こいつらからすれば私も批判対象なのだと思う。まぁそれは致し方ない。批判する者は批判される覚悟が必要なのである。
一方で、私がなぜ今までこんなに必死こいて麻雀観戦を趣味にしてきたかというと、麻雀というゲームにおいて、頭のいいやつらが頭のいい読みをする姿見ていたいと思っていたからである。だから打牌の理由も知りたい。お前らはプロなんだから、素人に教えてくれよ。そう思っていた。しかしだんだんとそれもタブー視されつつあるようだった。
「よく選手にこの打牌説明してくださいとか牌譜検討してくださいとかSNS上で言ってるの見かけるようになってきたけど、俺とかは好きにやってるだけでやってない人に文句言うのはなんでなん?と思う。やってる人は好きでやってるだけでmustじゃないからな。ちょっとでも不思議なことをしたら絶対一個一個説明しなきゃいけないの??」
彼なりの擁護なんだろうと思う。白鳥選手は定期的に炎上にクビを突っ込んでは優しいフォローをしているので、いつも通りといえばいつも通りである。私は誹謗中傷の内容は把握していないが(どうやらアベマのコメ欄が凄まじいらしいが、プレミアム会員じゃないので遡っては見れない)、こんなことをツイートするくらい酷いことをいわれたんだと察する。
多井選手が先ほどyoutubeに切り抜き動画をあげていた。菅原選手の三暗刻見逃しに触れた内容だった。
「正直3sは切った方がいい。しかし、俺や寿人が3sをツモ切りしたらお前らは必死に理由を探すはずである。多井がこうしたのには理由があると。女流だからって瞬間的にミスだと判断するな」
このようなことを言っていた。麻雀界隈は女流軽視とか女流蔑視みたいなものに触れるのが好きだ。女流だからと即座にミスと言われていたら、それは確かに女流軽視で、蔑視なのかもしれない。
しかし、私はそうは思っていない。
打牌批判というのは男にも女にも発生している。少なくとも、私は定期的に目にしている。お前絶対このプロよりうまくねえだろみたいなおっさんが、一丁前にプロ相手に批判をしているのをよく見る。しかし、男に対する批判というのはほぼ問題にならない。醍醐選手の4p切り叩きが近代麻雀のあたりで持ち出されるようになったのは、菅原選手の三暗刻見逃し叩きがあって、それからである。
「黒沢選手にもう数巡でこの4pは切れなくなると思った。今見ても4p先切りだと思う」
このように今までのMリーガーはだいたい自分の口から説明したり、指示厨のおっさんと戦かったり、もしくはガン無視したりしてきた。あとそもそもここまで死ぬほど麻雀で戦ってきて、自分に自信もあるし、そのへんの素人の言葉なんて聞き流せる。もしかしたらものすごく傷ついてるのかもしれないが、そんな風には見せない。
萩原選手なんかもよく批判の的になっており、萩原選手の打牌を揶揄したブログなんかも存在する。しかしこれも、別にわざわざプロやその周りが取り上げて問題にはしていない。先日の萩原聖人の牌隠しもなかなかに燃えていたが、公式が「本人は反省してます」とむしろ謝罪して終わっていた。
男の炎上や批判は問題視されないことはもちろん、近代麻雀はプロに炎上スレスレの発言をさせてそれをインプレッション稼ぎに使ってポイ捨てみたいな傾向まである。そんなところに媚を売らないと取り上げてもらえない麻雀界隈というのは本当に生きづらいんだろうなと感じる。
昨シーズン、松ヶ瀬選手に確か茅森選手がハイテイで發を切って放銃していて、それも結構叩かれていたが、茅森選手は(たぶん)ガン無視していた。私はフェニックスを応援していたため、あの放銃は結構ショックだったが、なんの言い訳もせず耐える姿を見て、おそらく自身で反省しているし、楽屋でもなにかしらの会話は行われているのだろうと思っていた。
これがプロである者の、男女平等の姿であると私は感じていた。これだから、きっと麻雀は今後「競技になりうる」のだと思っていた。
となると、やはりなぜ菅原選手の三暗刻見逃し批判はあんなにも問題になったのだろう。
菅原選手に言及していた、プロや近代麻雀関連の方は「女だから批判しているんだ」という方がよくいたが、それはあなたたちにも返ってくる言葉だと私は思う。あなたたちは菅原選手が女で、可哀想だから擁護した。(その証拠に擁護として「ひろえを泣かせるな」「可哀想」「可愛いから気に食わないんだろう」というワードが本当によく目立っていた。対等な人物で、プロとしてリスペクトしていたらミスやミスを疑うような盤面で批判を受けて、こんな擁護は見られないと思う)
今まであなたたちは男の麻雀プロに対して行われた打牌批判にこんな擁護をしたことがあっただろうか?男の麻雀プロだったら、ここまで擁護できただろうか?多井選手は例えばチームメイトがあんなミスをしたら、あんな擁護動画を上げられていただろうか?あなたたちは批判された男性プロに対して、わざわざインタビューして、記事を書いて、何日もかけて擁護ツイートをしたことがあるだろうか?
おそらくこのままでは麻雀は競技になんかなれない。Mリーグのかかげた目標である、オリンピック競技にもならない。それは麻雀界隈が女だからといって擁護されるような古びた世界だからである。
これまで批判を受け止めて、インタビューで反省の言葉を述べていた女流や、黙々と技術を高めて、上位リーグで活躍している女流があまりにも不憫だと感じた。「女だから許される」「女だから仕方がない」「女だから可哀想」「女だから守らなきゃ」と思われるような価値観で構築されている中で対等に見られるよう、努力が強いられるからである。
男も男で不憫だ。「男だから大丈夫」「批判も仕方がない」「男だから近代麻雀のやつらに名出しで批判を書かれてもぐっと我慢しなければならない」そんな世界でそれでもプロとして立ち続けなければならない。
あなたたちは昨今話題の「女流軽視」などのワードを持ち出して、今の時代を理解した気になっているだけで、自分たちの潜在的な差別意識に気づけていないことにそろそろ気づいた方がいい。男女平等とは女性として受けていたデメリットをなくすだけでなく、女性として受けていたメリットも捨てることだからである。
菅原選手はもう12年もやっているプロなんじゃないのか?自分の言葉で述べたり、無視したり、戦える人間ではないのか?周りが囲い込み、城壁を作る必要がある人間だと、あなたたちが証明してしまっていいのか?
追記・「男性プロのこのミスはここまで叩かれていない!」みたいなことをいう人がいまだにいるので追記すると、菅原選手の件がここまで盛り上がったのは三暗刻についての言及をしないインタビューをして、三暗刻見逃しの疑念を増加させ、さらにミスを認めることも、その選択の説明することもなく「インタビューも麻雀もうまくなります」(私は三暗刻見逃しなんてしていませんという匂わせ)とツイートし、その後多くの周りのおっさんに自身の擁護をさせたことが要因であるとおもう。(本人が擁護を望んだわけではないと思うが)
インターネット黎明期に育った30代前半とは思えないSNSの使い方である。「こういう思考で1sを切りましたが、これはあがり枚数的に3sを切るべきでした!!」とでもいっておけば、そうだよな〜と溜飲を下げた人たちも多数いたのに。(菅原選手においてはインタビューでも基本的に打牌選択の反省や、もしかしたらここはこうしたら上がりが見えたかも?などの対局の振り返りや説明よりも先に「親被りが痛かったで〜す」「ずっと配牌がきつかったで〜す」が先に出るタイプなので、こんなのは高望みだとは理解している)
まぁ麻雀界隈においては女流は麻雀の選択の説明よりも、自撮りをあげることが大切なのだからこのムーブが正解なのだと思う。私は女性として守られることなく、1人のプロとして対等に見られようと努力している人を応援したくなるがこれも好みの問題だろう。
麻雀は「守りたくなる女を囲いたいだけのおっさん」が多数見ていて、そこの需要をめちゃくちゃ満たしている。そう考えれば非常に頭のいい選択のような気もしてきた。菅原選手にはこれからもぜひ女性として守られて生きていって欲しい。