
はてなキーワード:草分けとは
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力技術。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本語版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。
元ネタ1:
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
元ネタ2:
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
最初はファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードからの移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。
ついでに他のハードも含め、80年代以前のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。
(追記)
コメントでの指摘を受け、ポートピアのジャンルをグラフィックアドベンチャーに修正。
アメリカのアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲーム。コンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカでアタリの時代が花開くことになる。
日本では翌年にタイトーとセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。
アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的なゲームの一つとして知られている。
日本ではタイトーとナムコが正規のライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本のゲーム産業が花開くきっかけとなった。
いまでは有名なメーカーが、正規のライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。
初の日本のメーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本のお茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品。
日本のアーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店やスナックのテーブルがこのゲームのテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。
数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲームの面白さの本質が詰まっている。
単独のゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。
初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、
そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。
横井軍平の代表作の一つであり、シャープと提携して電卓の技術で作られた玩具。この横井軍平とシャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。
ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本のアーケードの大ヒット作第二弾。
敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。
日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし、日本のゲームが世界で通用することを知らしめた。80年代のゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品。
ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dをコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品。
ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPGの基本的なシステムが完成されており、
ウルティマと共に、後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。堀井雄二も坂口博信もこのゲームをやり込んだという。
スペースインベーダー、ギャラガと続くシューティングゲームの系譜を完成させた作品。
シューティングゲームのフォーマットを決定付けた作品であり、これ以降に出たすべての縦シューは(あるいは横シューも)、このゲームの子孫である。
また初めて隠れキャラを採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。
グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン、航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素なグラフィックのゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。
何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語の神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。
説明不要、宮本茂の生み出したゲーム黎明期の最高傑作の一つである。
その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である。
どこまでも広がる世界の解放感、至るところに隠されたアイテムやボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン、
どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲームの古典的教科書の一つである。
アーケードからの移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンでしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場はアーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法が適用されたことも影響している。)
ウィザードリィやウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPGを日本人向けに大幅にアレンジして生まれた作品。
これ以前にも日本のメーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自のRPG=JRPGの市場が開拓されることになる。
とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などからは批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲームが国民的作品になることはなかっただろう。
反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。
ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画やラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。
宮本茂の最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性で世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム。
このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単に模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。
しかしゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。
近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。
◆◆◆
以上、10選終わり。
以降は選外となった作品。
世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープとアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。
研究所の見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品。
学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲームの草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか。
ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品。D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィ、ウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。
コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲームが元祖である。
正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。
宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオのデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれたジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。
グラフィックアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作はPC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。
コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルはドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。
最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連の科学者である。
ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっとも重要なゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋なパズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。
光栄の歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。
これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。
歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在の歴史物のゲームにも影響を与えている。
世界初の体感型ゲームにして、セガの体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム。
ゲームの主戦場がアーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードでしか実現不可能な臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケードが復権する鍵の一つとなる。
ドラクエ以前の日本のRPGで大きくヒットした作品。日本のPCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。
コナミを代表するシリーズの一つとなった作品。任天堂のメトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルを形成しフォロワーが多数現れている影響力を評価したい。
セガの体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲームの元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。
スクウェアの本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要な作品。
80年代末期は、シリーズ物の二作目、三作目がヒットの中心であるため、ここまでとする。
本邦の“女流”ジャーナリストの草分けと言えるであろう上坂冬子は、かつて著書の中で原発について
「我が国の優秀な専門家の方々がしっかりやってくれているのだから、素人が文句をつけるべきでない」という旨の主張をした。
ところで氏は東日本大震災の少し前に世を去っている。ほんの少しだけ長生きしていただきたかったことである。
野次馬の声を押さえつけることなどできないしするべきではないが、それにしても野次馬の声のボリュームが(テクノロジーによって)大きくなりすぎている。
野次馬と一緒にリアルタイムでワーワー相談しながら進められることなどない。当局者は萎縮して右顧左眄し、一貫性を手放し、アリバイ的な形式主義に陥る。弊害しかない。
中立的な社会インフラになりかけてたのが、一気に2ちゃんねる的なモノに戻っていった。
野次馬はそういうサンドボックス内で好きなだけ騒いでなさい、実務は密室で進めておくからという体制が固まりつつある。
いま「権力は信用ならない、文春砲が民衆の武器だ」と、スキャンダルによる私刑に期待と支持が集まっている。
それはしかし俯瞰的に見れば「うまく砂場に誘導されている図」であると思う。
世界的な「法秩序より正義を」の動き、デマの物量戦、情報蝗害、インプレゾンビ
とりあえずメモまで
「遅れてきたフォークシンガー」と言われるデビュー(長髪ワンレンだった)
↓
↓
某かわいい系アイドル歌手と結婚、するがDVに嫌気をさされて離婚される
↓
映画やドラマに主演、そのうち自ら監督もするようになり、この頃から短髪→坊主頭と変遷
↓
桑田佳祐がその調子にのってる様子を揶揄したような曲を発表し、面白がってタレこんだマスコミ報道にノッかって勝手にブチキレる(渕だけに)
↓
jacの看板娘の美人女優(アクションスターの草分け千葉真一も認めた体術キレッキレ)と再婚する
↓
志穂美悦子がある晩におもわず千葉真一に電話してしまう「師匠!いま夫に殴られそうになったんで条件反射で延髄蹴りしたら失神してしまいましたァ」
↓
はてなブックマークはブックマークを通じて他の人とつながったり、注目の話題を簡単に探すことができる、国内初のソーシャルブックマークサービスです。
はてな、国内初ソーシャルブックマークサービス「はてなブックマーク」開始 ~ウェブサイトの内容からキーワード抽出し、コミュニティ要素を強化~ - プレスリリース - 株式会社はてな
ソーシャルブックマークサービスの草分けは海外の「del.icio.us」で、はてブはいわゆるパクリタイムマシン経営だった。まさか本家よりも長く生き延びることになるとは。
そもそもソーシャルブックマークサービスにおいて「コメント」や「ホッテントリ」的なものは本質ではなく、Webサイトに大勢で「タグ」を付けていくことで検索しやすくする「フォークソノミー」のほうが重要視されていた。
まだ「Web2.0」の華やかなりしとき、「集合知」が信仰されていたころのことである。
コメント機能が実装されたのはβ版開始から12日後のことだった。すべての戦いの始まりである。
はてなブックマーク正式版リリースについて - はてなブックマーク開発ブログ
例えば A さんが、非表示ユーザー項目に B さんのユーザー名を指定すると、A さんからはエントリーページ(コメントが一覧表示されるページ)で B さんが見えなくなります。(実際にはエントリーページにおいてのみプライベートモードと同様の扱いになります。) なお、A さんが B さんを非表示ユーザーに設定していることは、B さんを含む他のユーザーには知らされません。
別にGigazineが悪いわけではまったくないけれど、Gigazineのエントリーが頻出するようになったあたりから、どんどんエントリーの質が下がってきている。もう最近あまりホッテントリも読まなくなった。
執筆者は現在でもUI論やAI論などでブイブイ言わせている深津貴之氏。
これに対してブコメでは「ホッテントリなんて見ない」「お気に入り機能を使え」といった論調。
ちなみに現在の感覚だとあまりブクマされていないように感じるかもしれないが、当時100users超えは相当に注目されていたほうである(ホッテントリでも10users20usersが当たり前だった)。
ほぼ同時期にこんな記事も上がっていた。いわゆるモヒカン族の代表格・ekken氏の記事である。
「はてブでコメントするのは卑怯だ、文句があるならウチのコメントか自分のブログに書いてトラックバックしろ!」
……などという笑っちゃうような文句をよく見かけるけれど、そういう人は「はてなブックマークもウェブログの形態の一つ」であることを認識していないんだろうなぁ。
少なくとも「はてブは反論できないから卑怯」論が当時からあったことがわかる。
「ホッテントリがつまらなくなった」「ブコメが攻撃的である」「ブコメに反論できるようにしろ」といった批判は現在に至るまで断続的に続いている。
ネット右翼のメッカが2ちゃんねるだったとすれば、ネットイナゴが集まるのは「はてなブックマーク」だ。たとえば今日の当ブログの記事には、現在39のブックマークが集まっているが、そのコメントには記事の内容を論理的に批判したものは一つもなく、「バカ」「うんこ」「アホ」などの言葉が並んでいる。
執筆者の池田信夫氏は当時影響力のあった(今もあるだろ!)ブロガーの一人だった。
この記事をきっかけに「ネガティブコメント」問題の議論がより活発化した。
当時のはてなCTOであり、はてなブックマークの生みの親である伊藤直也氏も反応していた。
コードをもって改善するのか、ユーザーのみなさんとの対話を行って改善していくのかをid:jkondo,id:umedamochio らと一緒に日々考え検討しています。
ちなみにjkondoははてなの創業者で前社長の近藤淳也氏、umedamochioは当時のはてな取締役でメンター的な役割を担っていた梅田望夫氏である。
……と注釈しておかないと、今どきは知らない人のほうが多いのではなかろうか。
当時は、はてな社員とユーザーの距離が近く、はてなコミュニティ内の話題にダイレクトに反応してくれていたのだ。
そんなわけではてな社はネガティブコメント対策を考えることになる。
はてなスターでは基本的に他人を褒めることしかできません。コメントをつけるにはともだちになる必要があり、ブログを読む人の9割が「面白い」と感じているの に、実際に目に見えるのは残りの1割の人の批判的な意見ばかり、というような事は起こりにくくなっています。
はてなスターは、ごく小さな「ポジティブな気持ち」を掬い取るシステムとして作られているが、これはネガティブコメント問題が背景にあるからだった。
つまり「ネガティブコメントを単純に排除するのではなくポジティブな気持ちを可視化することで対抗しよう」という設計思想だったのである。
ちなみに、当初の「はてなスター」には「はてなスターコメント」という機能もあった。
これは「お互いにはてなスターを付けあったユーザーだけが書きこめるコメント欄」である。
現在のTwitterの「リプライをフォローしているユーザーに限定する機能」みたいなものか。
このアイディアは悪くなかったが、システム的に洗練されていなかったためにほとんど活用されることはなかった。
はてなブックマークから「IDコール」が送信されるようになりました - はてなブックマーク開発ブログ
これ以前からはてなダイアリー(=はてなブログの前身)には「IDトラックバック」という似た機能があったのだが、はてなブックマークでもそれを利用できるようになった。
ある意味で「はてブは反論できないから卑怯」問題に対する回答ではあったが、当初から「喧嘩相手の呼び出し機能」「気持ち悪い馴れ合いを促進する」「IDコールしまくる荒らしが出そう」などと言われていた。
ASCII.jp:津田大介が伊藤直也に聞く、「はてなブックマーク」の今と未来(前編)
ASCII.jp:津田大介が伊藤直也に聞く、「はてなブックマーク」の今と未来(中編)
ASCII.jp:津田大介が伊藤直也に聞く、「はてなブックマーク」の今と未来(後編)
先ほども出てきていた当時のはてなCTO・伊藤直也氏がはてブについて語ったインタビュー記事。
「ネガティブコメント問題についてはてながどう考えていたか」が窺える興味深い内容である。
はてなブックマークのコメント一覧非表示機能について - はてなブックマーク開発ブログ
ウェブサイトのオーナーが専用のmetaタグを設定すると、そのサイトのコメント一覧ページが見えなくなる、という機能。
前掲のインタビュー内で、
と言っていたのはこれのことだったのだろう。
ただし、はてブの知名度が低いために、わざわざコメントを非表示にしているサイトは現在でも少ない。
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)(1/3 ページ) - ITmedia NEWS
はてなの取締役であり、日本における「Web2.0の伝道師」と目されていた梅田望夫氏が、ついに日本のインターネットに絶望してしまった事件。
その後、梅田望夫氏ははてな取締役を退任、表舞台から姿を消してしまった。
ぼくが今日はてな東京本店にお邪魔して一言申し上げたこと - ハックルベリーに会いに行く
[B! はてな] ぼくが今日はてな東京本社にお邪魔して一言申し上げたこと - ハックルベリーに会いに行く
当時、はてな界隈でオモチャにされてブクマを荒稼ぎしていたハックルさんこと、この数カ月後に『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を刊行してまさかのミリオンセラー作家となる岩崎夏海氏が、梅田望夫氏の発言を受けて「なぜはてなは僕に話を聞きにこないのか?」と豪語し、そして実際にはてな社に招かれて「ガツンと言ってやった」という流れ。
本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは日本刀ほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。
だから、そこを管理運営しているはてなという会社には、実はとても大きな責任があるのだ。そこで事故が起きないように気をつけたり、誰かが誰かを傷つけたりしないよう見張っている道義的、かつ社会的責任があるのだと、ぼくは申し上げたのである。
しかし現状、今のはてなにはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険な場を形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人死にが出るだろう。
この「人死にが出る」という予言は、残念なことに10年後に的中してしまったのだった。
はてなブックマークの生みの親であった伊藤直也氏がはてなを退職した。
はてなブックマークのエントリーページを改良しました - はてなブックマーク開発ブログ
はてなスターが多く付いているコメントが優先して表示されるようになった。
つまり、はてなスターがブコメのモデレーションに使われるようになった。
ただし、現在のようにタブで切り替えるのではなく、コメント一覧の上に別枠として表示されるような形だった。
はてなブックマークのエントリーページの表示を変更しました。 - はてなブックマーク開発ブログ
「人気コメント」と「新着コメント」をタブで切り替えるようになり、デフォルトでは「人気コメント」しか表示されなくなった。
もともと、はてブのコメント一覧ページでは、「無言ブクマ」も含めて、すべてのブクマが新着順に表示されていた。
しかし、ある時から「コメントのあるブクマ」しか表示されなくなり、さらに「人気コメント」タブが優先表示されるようになった。
つまり「フラットな見せ方」から、ある意味では「偏った見せ方」に変わったのである。
個人的には、この「はてなスターをモデレーションに使う」「デフォルトでは人気コメントしか表示しない」という二つは大悪手だったと考えているが……。
これまでブックマークコメントに関して、ユーザーの皆様より「一方通行で意見を述べる場であり、意見に対して更に意見を重ねる方法がない」とご指摘をいただくことがございました。コメントへの返信機能は、その解決策の1つです。
今回の機能で、ブックマークコメントページ自体がブックマークされる、そのページがコメント付きでシェアされるなどを通じて、疑問への回答が得やすくなることを期待しています。
「はてブは反論できないから卑怯」問題に対して「コメントひとつひとつに個別のページを用意したら反論しやすいだろう」ということで実装されたもの。
ただし、ブコメひとつひとつの固定URLというのはこれ以前からあったし、「同じページで反論したい」「相手に反論を通知してほしい」といった要望は満たされていない。
はてなブックマークは10周年を迎えました - はてなブックマーク開発ブログ
IDコールを利用して攻撃的なコメントをばらまいていたユーザー(増田では「低能先生」として親しまれていた)が、名の知れたはてなブロガーだったHagex氏を殺害した事件。
低能先生が「アカウントをBANされて発言の場を奪われたから暴発した」ことを考えると、はてながネガコメ対策を強めたことが裏目に出てしまったとも言える。
もちろん放置すればよかったというわけでもないので難しいが……。
ブックマークコメントからのIDコール送信機能は、ユーザー間のコミュニケーションを促進する目的で提供してまいりました。しかし、ブックマークコメントには文字制限があること、また、自身へのIDコールに返信する機能や、ブロックやミュートなどIDコールの受信を制御する機能がないことなど、本来の目的からは不十分な部分もありました。
ここで発生する問題として、不穏当な表現は注目されやすい傾向があり、その結果として人気コメントに不穏当な表現が目立ち、強調されてしまうことがあります。これは、サービスの構造に起因する解決すべき課題であると受けとめています。
人気コメント算出アルゴリズムの一部にYahoo! JAPANの「建設的コメント順位付けモデルAPI」を導入しました - はてなブックマーク開発ブログ
しかし「短文だと人気コメントになりづらい」とかでコメントを「ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•」で埋めるのが流行ったりした。
1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。
地方出身のアーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種のコミックソングの扱いだったようだ。
1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。
おニャン子とモー娘のあいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。
パッと聴いた感じは徳永英明や稲垣潤一と似たような印象を受けた。
1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。
当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルやパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、
このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。
いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。
1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。
1990年9月の18位。レベッカのNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカの解散直前に一曲だけ出したもの。
ギタリストの人がNOKKOのヘアメイクを担当していた繋がりらしい。
1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド。
Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。
1990年11月の20位。テレビドラマ「スクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌「ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。
他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。
1991年1月の18位。NHK「みんなのうた」からヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。
消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。
学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。
先日亡くなった俳優・宝田明の娘らしいが、宝田明もあんまりピンと来ないな…。
1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガー。ビーイング系っぽい(ビーイングではない)。
1991年6月の13位。松任谷正隆のプロデュースでデビューした女性シンガーソングライター。
歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。
1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。
当時からいろんな歌手に楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。
昨年亡くなったらしい。
1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。
テレビの企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。
1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズの桑田佳祐だった。
1991年10月の20位。何だと思ったらウッチャンナンチャンの南原清隆だった。
1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。
ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。
1991年12月の16位。名前で女性かと思ったら男性シンガーだった。
「X'mas in theBlue」と「Christmas in theBlue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。
1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲。
ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。
1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞も英語で洋楽かと思った。
妖しげでトリップ感のあるサイケな楽曲。時代を感じさせない。個人的にいちばん気に入った。
1992年3月の12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。
エリート一家に生まれて英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。
1992年7月の10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別がわからん。
1992年7月の17位。当時としてもオールドスタイルだったのではないかと思われる正統派のロックバンドっぽい感じ。
1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。
ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプの女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。
でも楽曲はあんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。
1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。
当時、ユニコーンのメンバーが連続でソロシングルをリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。
なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。
1993年2月の11位。女性ロックシンガーの草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。
雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。
なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。
1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビー」キャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。
メンツは小田和正、チャゲアスの飛鳥、カールスモーキー石井、玉置浩二、徳永英明、浜田麻里、山本潤子となかなか豪華。
1993年4月の17位。こちらはチャゲアスのチャゲを中心としたユニットらしい。
1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。
1993年6月の3位。グループ名と曲名でビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。
デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。
1993年6月の20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。
1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。
1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん。
1993年9月の17位。男性二人組ユニット。双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。
1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞がおもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。
もともとZYYGのベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。
ちなみにZYYGのベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。
1993年12月の16位。ほのかに90年代後半っぽさが混じってきた気がする。
何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。
1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。
1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガー。いかにも90年代っぽいバラード調の曲。
いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報とラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントがおもしろい。
1994年3月の12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。
この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。
1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。
1994年3月の20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系のDEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。
1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカルの岡田浩暉は俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。
1994年5月の12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチで森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。
しかもボーカルの女性以外のメンバーは、中西圭三・池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。
点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。
暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。
1994年8月の17位。お笑い芸人のダウンタウンが白塗りで芸者のコスプレして歌うという企画らしい。作曲は坂本龍一。
見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか。
少しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。
1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。
この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。
Wikipediaによると「胸キュン」という言葉を最初に発した人物だとか。マジかよ。
男女のVtuberの人気の違いについて、様々な意見があるとは思うが、見聞きした内容を語りますわ。
前提:男が女がで語るがあくまでそういう傾向がみられるだけ。どちらが悪いとかはない
:Vの者は全員リスペクトしている
:増田の偏見はあるので、イラっときたら、増田がアホなんやで済ませてくれ
現状では、男性Vは女性Vに比べて人気がない(ファンの数は比較すると少ない)現状にある。
これに関してはほとんどの人が頷いてくれると思う。
ただその中でも、一部のVの者は着実に人気が出てきているし今後も伸びていくと思われる。社さんとか、社長とか、葛葉とか、剣持とかetc
それでも、男性Vは現状のVtuber市場における需要は少ない。
その際に重要になりそうな要素が以下
②男性のファンは女性Vを多く見て、男性Vはそこまで。女性のファンは男性Vも女性Vも半々程度で見ている。(女性のファンについては増田の友達とかいう狭いコミュニティなので間違ってたらスマン)
①についてなんだけど、Vが好きな者であればキズナアイ、輝夜月、ミライアカリ、のじゃろりおじさん、電脳少女シロの四天王(5人)については知っていると思う。
それぞれに該当するのが、(1)キズナアイ、輝夜月、ミライアカリ、電脳少女シロ (2)のじゃろりおじさん
その中でも(1)が男性ファン受けを狙っているのは自明であるとして、(2)も男性に受けた。(2)についてはネタ枠。男子高校生みたいなノリや高度な内輪ネタ(おにぎりとかね)で受けていた印象。
つまり、Vtuberが流行りだした当初には女性ファンの存在は限りなく小さく、そしてクリエイター側もそこまで重視していなかった。(とりあえず男性ファンを抱えなければと焦っていた印象)
こういう黎明期を考えれば、男性ファンから始まった文化であり、女性Vの需要が男性Vよりも現状は大きくて相対的に人気がないのが伺えると思う。
②については、増田の偏見も混じっていると思うが、基本的に男性ファンは男性Vを見ない。見てるとしても単体でみることは少なくて、女性Vとコラボしていることが多い印象。また、単体で見る場合もスパチャやグッズを買うなどの課金行為をしている人は一握り。
これも増田の友達とかいう狭いコミュニティの観測なので正確ではないと思うが、女性ファンは男性Vも見るし、女性Vも見る。なんなら女性Vしか見ない人もいる。
女性ファンが男性Vを見るのは理解できると思う。ただ、女性Vにも「かわいい」「おもしろい」って要素があれば見ている印象。
仮に②が正しいとしたら、企業として短期的にお金がもうかりやすそうな(顧客が多い)のは「女性V」一択。現状のスパチャ額とか見てもそれは顕著。(ホロライブガチ恋勢が強すぎる)
上記の①と②から現状のVtuber市場では男性ファンが顕著に多い影響で女性Vが人気だし、企業としても営利を求めるのでマスな消費者に向けてサービス(女性V)を提供する。
現状の女性V人気の影響は今後もまだまだ続くと思う。
だけれど、一昔前のオタクコンテンツ「アニメ」を考えて欲しい。
これは以前とある出版社の人のインタビュー(たしか名探偵コナン)で応えていたんだけど、相対的に女性の方が男性よりもグッズなどにお金をかける。(増田の周りもそうだった。痛バとか持ってていくらかけたの? ってきいたら普通に10万とかとばしてる)
だからこそ、今の人気コンテンツは女性を取り込むことを主眼において制作されている。(コナンの安室とか赤井さんとかの組み合わせが急に増えたのもそれ)
つまり、言いたいことは今後、女性ファンは「アニメ」と同じように増えていくだろうし、収益があがりそうなら男性Vが大人気になる可能性は大いにあるということ。
だからこそ、Vtuber二大事務所も身銭を切るような形で男性Vグループの設立に踏み切ってる。
以上がバチャ豚なワイの考察です。
わからなかったので調べてみました!
元は「手紙の封蝋」のことを指し、遡ると「小さな印」という意味で「sign」と同語源のようである。そこから封蝋に限らず手紙や包装などを封じる「封緘紙」のこともシールと呼ぶようになった。
「糊付きの紙片」全般をシールと呼ぶのは英語では稀な用法ということで、実際に辞書にも載っていない。ほとんど和製英語と言っていいようである。
日本では1960年代に子どもたちのあいだでお菓子のおまけシールが大流行したが、その草分けである1963年の「鉄腕アトムシール」は明治製菓の社員が「手紙の封印シールをヒントに考案した」というので、図柄が印刷された糊付きの紙片を広く「シール」と呼ぶようになったのはその頃か。
元は「stick」は「突き刺す」という意味で、そこから突き刺すための道具である「棒」という意味にもなった。
さらに「突き刺してその場に留める」ことから「固定する」という意味になり、また「付着する」「粘着する」という意味が派生した。
つまり「sticker」は「粘着するもの」という意味となり、粘着性のラベルやデカールのことを「ステッカー」と呼ぶようになった。
元は「細い帯状の布」という意味で、リボンやフリンジのようなものを指していた。
そこから17世紀ごろに「(そのものの内容を示すために付けられる)細い帯状の紙片」を指すようになったという。
ラベルは必ずしも貼るタイプだけではないが、紐で吊り下げるタイプのラベルは「タグ」と呼ばれることが多いので、ラベルといえば貼るものだという印象が強いのかもしれない。
元は「decalcomania」の略であり、さらに遡るとフランス語で「複写する」「描き写す」を意味する「décalquer」が語源となる。
デカルコマニアは「転写印刷」「転写技法」などと訳される。18世紀に発明されたもので、特殊な糊を塗った紙に図柄を描き、陶器やガラスなどの直に印刷ができないものの表面に転写する技法のことである。
成り立ちとしては他と毛色が違う感じがするが、「糊を使って図柄を貼り付けるもの」という広い括りで「シール」「ステッカー」の一種だとみなされているのだろう。
シール:「(図柄が印刷された)糊付きの紙片」のこと。和製英語。
ステッカー:シールとほぼ同じ意味。「粘着性」であることがアイデンティティ。
ラベル:内容を示すために貼るシール/ステッカーのこと。「内容を示す」ことがアイデンティティ。
デカール:転写式のシール/ステッカーのこと。「転写式」であることがアイデンティティ。
ぶっちゃけ英語圏でも「ステッカーとデカールの違いってなに?」みたいなブログがたくさん引っかかるので、たぶん実生活ではそんなに厳密に区別されてないんだと思うよ。
おまけ。
元は「細長い布」という意味。さらに遡ると「引き裂く」という語からの派生らしく、布を引き裂いて細長くするようなイメージか。語源としては「ラベル」と似ているが、あちらは「ちぎれる」「ぼろぼろ」みたいなところから来ているようなので、テープはもっとしっかり「長い」イメージなのだろう。
19世紀後半の粘着テープの発明以来、「テープ」といえば粘着テープを指すことも多いが、まだまだ「ビデオテープ」「ゴールテープ」など非粘着性のテープも残っているので、まるきり「貼る」だけでもない。
語義的には「セロハンテープやダクトテープのような普通の粘着テープ」もステッカーの一種と言えそうな気もするが、「tapesticker」で検索してみると、やはり柄付きのマステ的なアイテムしか出てこないので、そのあたりは日本でも粘着テープのことを「シール」とは呼ばないような感覚と同じなのだろう。
この増田の話、「自慢したい相手がいない」というところに集約されていて、私は地方暮らしを楽しめない人間ですという吐露を東京ageで合理化してるだけなので皆さんもう解散するよろし。
東京圏(日常的に、山手線の駅まで概ね1時間で到達できる駅くらいの立地まで。概ね国道16号の内側)で生まれ育った人か、そうでないかで反応は大きく異なるのではないかと思う。大阪は住まったことがないのでわからないが概ね環状線内ということになるのだろうか。生まれてこの方自動車などが家にあったことがないというひとならそれがデフォルトだから自動車を生活の基盤に吸えるという発想自体がそもそも無かろう。自動車があって当たり前というところで生まれ育った人ならばそれがデフォルトになるし、非都市部では車がないと著しく不便な生活を強いられることを知っている。以降、めんどくさいので車の不要な大都市圏を「東京」と一緒くたに呼ぶことにする。東京では「駅まで徒歩何分、そこから何分」の世界が非東京では「自宅から車で何分」という世界だ。別の国だ。だからこの増田は東京という別の世界の別の国の別の国民の話である。
人口6千人ほどの関東近辺に生まれ育った私は高円寺あたりのアパートに数年住んだがあそこは無理だった。狭い。部屋も道路も土地も果ては人の心までも狭い。もっとも部屋が狭かったのは私が貧しかったからであるが。「老人と運転免許」の問題ともつながるが、行きたいところに安価に短い時間で好きなときに行けるというのは極めて価値のある「自由」である。東京ではそれは主に公共交通でなされる。自家用車に依存しているところは東京ではない。では駅からバスで十数分みたいなところはというと、そこはやはり東京都内にあっても東京ではない。ところでlibertyとfreedomの違いはあんまりないと言うが、ここで言う自由はたぶんlibertyのほうがしっくり来る自由である。
非東京では公共交通がないか極めて貧弱である。ハイハイから二足歩行に移行してようやく人らしくなるように、徒歩と自転車のみから卒業し自動車という二足歩行で生活することが自立した人間の証明となる。車がないと人間ではないから自由がない。この増田は車持ってないし買うつもりもないという。人権を手に入れてないのだからそれは辛かろう。
東京最高っていう意見には郊外志向の私も賛同せざるを得ない。ADSLの草分けである東京めたりっくもFTTHも、東京からだった。非東京に便利なものが来るのは常にあとだ。それがインフラともなればなおさらだ。
といっても、私は根が田舎者なので土が見えない世界で暮らすのはつらい。将来的には郊外に移っていくことだろう。といっても、東京からちょっと行けば色んな所に行けると言っているように、私は「ちょっと行けば東京」という場所を選ぶだけの話だろう。電気、都市ガス、上下水道、光ファイバー、au携帯の電波(ドコモの電波は日本である限りどこでも入る。彼らのプライドである。)、あとTBSラジオがあればそれ以上は過剰な贅沢というものだ。5Gの電波は・・・初めて聞いた頃はまた新技術かと思ったが知ってみればうわーこれ劣化PHSじゃんかと思ったから多分死にそうになる頃まではいらないだろう。この増田は人気(ひとけ)のないのがつらいという。人が作った色んなものがないのが寂しいという。私には東京は人気(ひとけ)が過剰である。自然の作ったものが少ないのが寂しい。育ちによって培われた志向の違いとはこういうものである。
根源的にはライナスの毛布問題である。慣れ親しんだボロ毛布、捨てられると思ってたけど実は捨てられなかったというだけの話。多くの人間はそんなもんなのだがこの増田は東京にあるいろいろなものがそれであったということである。
【追記】
トラバおよびブコメのみなさん、追加の情報ありがとうございます!
茨城マルシェ!!!福井館!!!何か忘れてるんだよなーって思いながら書いていたんですが、それだ!どちらも凄く良く利用しています。茨城マルシェはリニューアルして名前も変わっていたはずです。入りやすくなったよね。あそこですごいメロンなメロンパンを頻繁に買います。すごくメロンなんだ。あと笠間焼のよいものとかを眺めます。福井館で買ったサバのへしこすごい美味しいんでリピートしています。
宮城(池袋)は池袋に行く用事があまりないんで数回しか言ったことが無いんですがいいですよね。あと新潟(表参道ネスパス)は、岩手と同じぐらい、スーパーマーケット使いが出来るアンテナショップなので大好物です。福井と新潟は戦略的に面白くて、物販系のアンテナショップと食品系のアンテナショップが分かれているのです。青山の福井291はうっとりする美しさの越前漆器などの伝統工芸品が並んでいて壮観なので、青山の方に行くときには必ず行きます。日本橋にある新潟のアンテナショップは元々物販系のイベントスペースみたいな感じだったのだけどリニューアルして食べ物とかお酒も少し増えているのでありがたいです。サラダホープを常に売っててくれればいいのになと思っています。
あとは青森の物産館が飯田橋と新富町にあるんですよね。北海道とかもそうなんですが、自治体が主体でやってるところ、観光公社がやってるところ、第三セクターぽい会社がやってるところなど、複数出店してる自治体もあります。都道府県じゃなくて市区町村レベルのアンテナショップは特にレアものでたまらないよね!
物産館と現地の旅行が違うのは当然で、私は自粛したくてしているので旅行は我慢して、代わりに少しでも、と言う楽しみを見つけています。食べ物とか産物には興味がない方には参考にならないかもしれませんが、実は、それぞれの物産館やアンテナショップを複数比較する目線で買い物に行くと、たかがアンテナショップでもお国柄や「自分たちの地元をどうアピールしたいか」が見えてきますよ。それぞれ個性的でとても楽しいので、興味がない方も、空いてそうな時間に近くに行く用事があったら、ぜひ!と思います。
追記以上!
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もともと、このご時世に旅行に行っても色々楽しめないだろうなぁと思っていたのでGoTo使えなくてもまぁ、と思ってはいるのだが、元々は国内旅行が好きだったので遠出出来ないのはとても残念だ。
国内旅行が好きというのは、飛行機が好きじゃないことと、自分もご先祖も東京(4代前まで確認)で東京以外のことをあまりよく知らず、地方に強いあこがれがあるからである。その地域の地元の人からは苦情を言われがちなケンミンショーだって、うっかりすると異国情緒を受信してわくわくと楽しみにしていたりする。
旅行が好きだが出かけられない慰みに、仕事などで避けようがない外出のついでに地方のアンテナショップを覗くのが今の楽しみだ。増田は、銀座まで歩いていける東側の東京に住んでおり職場も東京駅近くなので、アンテナショップがなぜか大集結している銀座~日本橋かいわいに散歩がてら行くのにとても便利である。
そもそも、有楽町駅前の交通会館(パスポート作りに行くところ)だ。
ホント色んな自治体のショップがある。よく行くのは北海道のどさんこプラザだが、博多の物産店というのもあり福岡みやげで気に入ったお菓子とかうまかっちゃんのいろんな味セットとかを買う。あと「むらからまちから館」という店も入っていて、端っこから棚を見てるだけでわくわくしてくる。どこか架空の「地方のスーパーチェーン」にいるような気持になれる。秋田の物産館ではバター餅をいつでも買える。他にも地下~2階ぐらいまで色んな物産館があるので交通会館だけで一日過ごせる。
その一方で、交通会館は一つ一つの店が小さくて少し物足りない気持ちも出てくる。そういう時は、有楽町から晴海通りの方に出る。有楽町には老舗?の物産館であるかごしま遊楽館、銀座熊本館がある。かごしまの方はさつま揚げが旨い。そりゃあ鹿児島に行けばもっと安くてもっと旨いのは知っている。知っているが、東京のスーパーでは売ってないムチムチしたさつま揚げが食べられる。熊本館では馬刺しを買う。これも普通のスーパーではなかなか売っていない。
銀座周辺にはその他に、知ってるだけでも、広島、山形、高知、長野、沖縄、島根、群馬、岩手などのアンテナショップがある。もっとあるかもしれないけど。新橋の方に行くとせとうち旬彩館(香川と愛媛)、ももてなし(岡山と鳥取)という合体型のアンテナショップもある。
沖縄は「わしたショップ」と言って、アンテナショップの草分け的な店だ。今は支店?があちこちにあるらしいが銀座が元祖である。広々していて店の奥の方でサーターアンダーギーとか沖縄そば、ブルーシールのイートインスペースがあるのでサーターアンダーギーをかじって一休みできる。
広くて商品の種類が断トツに多くて楽しいのは、岩手銀河プラザだ。ちょっと銀座からは離れているが、ほぼスーパーとして使えるんじゃ…と思うほどの品ぞろえである。海のものも山のものもある。あとソフトクリームが旨い。
おいしい山形プラザも山形から直送の野菜を売ってたり野菜の加工品もたくさんあって普段使いできるのがいい。更に同じビル内に山形の食材でおしゃれイタリアンのコースが食べられる店がある。アンテナショップの枠を超えて普通に上手くて上品なイタリアンレストランで何か笑う。でもすごく旨い店だよ。
広島TAUでは、国産無農薬レモンと、カープおじさんの知人にカープみやげを買う。お好み焼き屋さんもあって、物産館の店、というより普通にお好み焼き屋である。旨い。
あと日比谷の方になってしまうが、日比谷にある島根館、これは以前は日本橋にあったが出世?して日比谷のデカいビルに引っ越した。日本橋にあったころは、新米の季節には仁多米を買ったりおじいちゃんの縁でDAIGOがラベルになってる酒をひやかしたりしていたが、個人的には出西窯、湯町窯という「民藝ブランド窯」の食器がずらっと並んでいたのがとてもお気に入りだった。現地に行かずに山ほどのスリップウェアをあーだこーだ眺めつくしてお気に入りの皿を捕獲したものだ。都会に引っ越したので今はどうなってるのかまだ見に行っていないのだが、まだずらっと並んでるといいなぁ。長野の物産館はちょっと笑う感じでりんご押しである。いろんな種類のりんごが売っている。
銀座には他にもたくさんあるのでぜひ一通り見たら中央通りに沿って日本橋方面に向かう。途中で京橋の先、東京駅の手前あたりに山梨、山口のアンテナショップがある。いつだって信玄餅を買えるし、山口のアンテナショップでフグのひれ酒の「ひれ」だけを売ってるので、冬場はそれを買って帰って家でひれ酒を楽しむ。
東京駅の八重洲側の地下商店街には北海道フーディストという店があって、ここもとても充実している。お気に入りはサッポロクラシックとさけとばチップである。あとここで売ってるカチョカバロがすごい旨い(何度も書くが、現地に行けばもっと安くてうまいのだろうが私は都民なのでこれで十分幸せでありがたいのだ)。
そして更に日本橋方面に歩いていくと、日本橋長崎館がある。壱岐で取れた魚とか売ってて一体物流どうなってるんだ…と敬意を持つばかりなのだが、すごい種類のカステラとか、あごだしとか、五島うどんとか、波佐見焼とか、見ていて楽しい食べて美味しい。あとたまにV・ファーレン長崎の名物マスコット、ヴィヴィくんが一日店長をしているらしい。今は出来ないだろうがV・ファーレンの試合のパブリックビューイングもしてるらしい。
日本橋の交差点の前に残ったど根性ビルにあるのがここ滋賀、がある。鮒ずしが買える(買ったことはない)。ここで買ったほうじ茶がすごくおいしくてアタリだった。どうでもいいが殆どのアンテナショップで地元産のお茶を売ってる。お茶と言えば静岡とか八女とか宇治とか思っていたが、お茶っていろんな場所で作ってるんだなぁ。
日本橋の橋を渡るとすぐに日本橋富山館がある。比較的新しいアンテナショップだが、ここはバーコーナーがあって富山の日本酒の飲み比べセットというのをやっている。これが、たまらなく良い。常時20種類ぐらいの日本酒のなかから3種類を選ぶ。つまみもあって、富山のかまぼことかサバのなれずしとか、富山産の酒のつまみがまたうまい。ここで飲み会をやりたいぐらい(今は飲み会は難しいが…)。奥の方には本格的な和食の店もあってこちらはガチの和食で普通に上手くてまた笑う。
更に少し先に行くと、でかいせんとくんが軒先に立っている奈良まほろば館、その先にはブリッジにいがたがある。奈良はすごく旨い柿の葉寿司とすごく旨い油揚げを売ってるのでそれで晩酌ができる。更にその先に行くと、三重増田がおススメしていた伊勢うどんが食べられる三重テラスがある。さらに先に行って神田方面に行くと、淡路島の物産館、福島の物産館がある。福島の物産館は週替わり?とかで色んな喜多方ラーメンの店が出店してたりして良い。あと酒の種類が半端ない。
まだ他にもあるんだろうけど増田が出没するのはこのあたりがメインである。有楽町から神田まで3㎞弱、普通に歩けば40分ぐらいであるが、あっちの物産館、こっちのアンテナショップ、とウロウロすると一日潰せると思う。そして両手にどんどん増える荷物…。スーパーマーケットではあまり出会うことが無い食べ物や珍しくておいしいものをみやげに抱えて帰宅する。地ビールとか地酒とその土地のおススメのツマミで一杯やる。デパートでも地方の産物はもちろん売っているが、デパートとは違って「現地感」があるのがとても良い。ケンミンショーで取り上げられた!とPOPが付けられて横澤パンやサラダパンを売っていたりするのもかわいらしくて良い。北海道や岩手などでは塩水ウニも買える。高いけど。
GoToから締め出され、遠出も帰省もままならないとしょんぼりしている地方好きの皆さん、アンテナショップ巡業してみませんか。店に入る時にはマスクは必須で!GoToには参加できないけど地方にカネを回そう!
Permalink |記事への反応(16) | 23:59
この増田には『物語マインドマップ』の動画を見てほしいな。こちらの動画でいかにハーレム物に繋がっていくかが解説されているので。https://www.youtube.com/watch?v=Xr7nN8K1MLY&list=PLusUXoPKOyjhFFthXDS0ilXIpPCX4MMow&index=6
以下、動画の要約
まずハーレム物の源流になっているのが『うる星やつら』(1978)。これがなぜ源流になるのかというと、「複数人の魅力的な女の子を描き分けることに成功したから」。『うる星やつら』以前の作品では、例えば、あだち充先生もだいたいヒロインは一緒だし、あしたのジョーでは白木葉子と林紀子の顔が似ていて間違えるシーンがあって、これはうまく女の子を描き分けることが出来なかったことに起因している。手塚先生ぐらいしか描き分けることは出来なかったらしい。
『うる星やつら』の後、桂正和の『ウイングマン』(1983)で女の子を多く出して、描き分けるか構造が確立される。だけども、まだ女の子間に序列があって、最終的にはメインヒロインと結ばれるようになっている。これが『天地無用』(1992)になると、バトル要素はおまけで女の子とただ日常を過ごすことのほうが重要になり、数あるヒロインの中から一人だけ選ぶこともなくなり、ハーレム物確立の草分けとなる。そして、ハーレムもの形成の流れでもう一つの大きな潮流としてエロゲーがある。エルフの『同級生』(1992年)から始まって、『ときめきメモリアル』(1994)とToHeart(1996年)が生まれる。特に『ToHeart』は前述の二作品と比べてヒロイン毎のドラマ性が強くなり、ハーレム物とは別に『ONE 〜輝く季節へ〜』などの泣きゲーの流れも作っていく。
このエロゲーの流れが『天地無用』と合わさってハーレム物を形成。同時期の1996年には『サクラ大戦』、『機動戦艦ナデシコ』が登場。他にも『セイバーマリオネットR』(1995)など。これがラブひな(1998)の時代になると、後輩を出す、ツンデレを出す、ツンデレの対比として癒し系を出すなど、ハーレム物としてどういう女の子を出せばいいのかを類型化できるようになる。
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