
はてなキーワード:若い女とは
数歳年下の彼氏と別れたあと、その元彼のタイムラインが急に「女は◯◯歳で子供産めなくなる!もし産めても障害児ばかり」みたいなツイートやリツイートばかりになったのを見てしまった。それを見てまぁお互い別れて正解だったんだろうし次は若い女性と付きあってねと思った。
F先生は若い女性だった。よく笑う人だった。色白で目の充血が目立った。学年全体の合唱練習の時、ノリノリでみんなの前でマイクを持って歌う人だった。小柄でよく人にぶつかり、児童の足を踏むことがたびたびあった。要領が悪くて生徒を苛立たせたり、少しヒス気味だったりするところはあっても、F先生の特徴はそれぐらいだ。極端に嫌われる理由は先生にはなかった。私たちははけ口を欲していた。F先生でなくても誰でもよかったと思う。娯楽だった。
私は友人に混じって、毎日F先生を「デメキン」「早く死ね」と陰で笑って罵っていた。
心の底から笑っていた。呼吸困難になるほど爆笑していた。友達と笑い転げている時、罪悪感は全くなかった。
「死ね」「消えろ」という言葉は、笑いが止まらなくなる娯楽だった。
数年後、父の転勤に伴い私は地元を離れた。しばらくして小学校時代の友達A子に再会した。
A子は元6年✕組だ。まさにF先生の受け持ちのクラスにいたA子は、特にF先生を嫌悪していた。私が最もF先生の中傷で爆笑し、毎日のように盛り上がっていた友人がA子だった。
A子は激変していた。見ていて不安になるほど痩せ細っていた。小学校時代に受けたいじめが原因で、高校で心を病んだという。不登校になり留年をしたが、薬と食事療法で回復した。
母校の同級生たちの近況を詳しく教えてくれた。最後にA子は言った。
「F先生、去年亡くなったって」
その言葉には小6の時の憎悪は込められていなかった。ただ懐かしんでいた。
え、そうなんだ。
私もそれしか言えなかった。
それ以上聞けなかった。
以来、私は折に触れてF先生の死を思い出している。
私の「F先生のデメキン、早く死ね」が、先生を死に追いやった。
そう思う。
そうとしか思えない。
本人の前で言ったわけじゃない、陰で仲間と盛り上がっただけだ、とか、そういう問題ではない。私は言葉によってF先生を殺した。F先生を死に追いやった無数のナイフの1本になった。
ナイフを刺された人間はその痛みを忘れない。ナイフで刺した人間はあっけなくそんなこと忘れる。挙句、刺された人間からぶつけられる恨みや憎しみを「そんなこと早く忘れろ、みっともない」とさえ言う。
なぜ被害者の人生をめちゃくちゃにした加害者がのうのうと生きているのだろう。
私の母は、実の両親(私の祖父母にあたる)から虐待を受けて育った。そうして40過ぎに精神を病み、家から出られなくなった人だ。
母が病み始めたのは、ちょうどF先生が亡くなった知らせを聞いて一年くらいたった後だった。
私は祖父母を恨んだ。心から恨んだ。なぜ被害者の人生をめちゃくちゃにした加害者が、謝罪一つなく、のうのうと生きているのだろう。
早く死ねばいいのに。同じ苦しみを味わえばいいのに。
そう思った時、F先生のことを思い出した。
ずっと忘れていたF先生のことを。
私の恨みや憎しみが、そのまま自分に返ってきていた。
どうして私は生きてるんだろう。
同じ苦しみを味わい、早く死ぬべきだ。
私は人見知りだった。人の顔色を窺いまくるというか。自分が申し訳ない、と思うことに耐えられない。毎日F先生のことを思い出すわけではいし、むしろ忘れている時間の方が多い。
あれから、私には親しい友達がいない。誰かと仲良くなっても、ずっと心の底では恐ろしい。私は頑張って笑っている。謝ってばかりいる。ギャグ一つ言えない。
F先生のことがあったからかもしれないし、私のもともとの人見知りのせいなのかもしれない。
とにかく、私はあれから人を信じられずにいる。
母のことさえ、恨んでいる。
転校した高校で親しくしてくれた女の子がいた。馴染めずにいた私と手を繋いでくれた。刻名した万年筆をくれた。私が彼女を信じられずにこちらから裏切るような最悪な真似をして、喧嘩別れした。
母の心の病で学校に徐々に行けなくなっていた私を、熱心に支えてくれた恋人がいた。不安定な私は彼を信じられず、重荷に感じるようになり、別れた。
高校を卒業して、母と揉めるようになり、私は母を見捨てた。一人暮らしを始めた。
私は介護施設で働いた。高齢者の介助では自分が救われるような心地を覚えた。だが、新人の私は仕事の覚えが悪く、遅かった。馴染めなかった。先輩たちに認められずにいる状況に耐えられなかった。私は私を責め続けて、半年もたたずに辞めた。
私には最も好きだった友人がいた。彼女といると心がずっと動いていた。涙が出ることもあった。就職を機に一緒にルームシェアをして住み始めた。
私は最も好きな友人と一緒にいることに耐えられなくなった。好きだから耐えられなかった。耐えられなかった。介護施設を辞めて転職したことを機に、ルームシェアを解消した。
幸い、母は回復した。
家から出て働けるようになった。行政の福祉手当を受けて就労支援に通い、職を得た。
私は地元から離れた場所で、一人で暮らしている。友人も恋人もいない。
光田秀『眠れる予言者エドガー・ケイシー』によれば、憎しみを憎しみで返してはいけない。業(カルマ)は愛と忍耐によって克服できるからだ。憎悪は良縁に変えられる。神は人間に克服できない業を与えない、と記してあった。
母は「あの人たち(両親)が早く死ねば私は楽になれるのに」と繰り返し零していた。
母は両親と縁を切っている。
私も少なからずそう思う。だが、母は心の底では本当は、「お前、そんなに辛かったのか。本当に悪かった。謝って許されることではないが、謝らせてくれ」と両親が母に寄り添うことを望んでいるのだと、私にはわかる。
F先生は何を望むんだろう。
龍が如くや悪役ざまぁみたいや路線でいけば、恐らく、自分を馬鹿にした子供らが大人になり幸福を知り、その幸福の頂点で転落し、ドン底の絶望を味わい救われることなく死んでいくのを望むのかもしれない。私は恐れている。
でも、そう思うこと自体、F先生に対する冒涜なのではないかとも感じる。
5年生のキャンプファイヤーでは、ファイヤーパフォーマンスのサプライズがあった。
5年生たちがぐるりと囲む焚き火の前にたった一人、小柄な女性が現れた。なんとF先生だった。
両手に長いトーチを持っていた。明るく燃えさかる炎を、F先生はジャグリングのように振り回して踊った。かっこよかった。私たちは最後、興奮して拍手を送った。
キャンプファイヤーが終わる。ぞろぞろと列をなしてテントに戻った。
私は火の消えた松明を持っていた。まだ楽しい気分が続いていた。松明はまだ熱く、先から煙がたなびくのがおもしろくて、振り回して遊んで歩いていた。「危ないよ!誰かに当たったらどうするの」と後ろから肩を叩かれた。F先生だった。
「もー、駄目だよ。あなた何組?」
混んでいる暗い山道だったから、F先生は私の顔がわからないみたいだった。どきどきして、怒られるのが怖かった。私は人波に流されるようにしてなんとかF先生から離れた。
私とF先生が話したのはそれきりだ。
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