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はてなキーワード:芸道とは

2025-08-14

anond:20250814091406

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述情報源であるかを明記してください。記事信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年8月

ハイチクセントミハイフローモデルによるメンタルステート図。チャレンジレベルスキルレベルの二軸で表される[1]。

ある作業に熱中することはフローの一面である

フロー(英:flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。一般的には、フロー体験Flow Experience)、フロー状態(FlowState)、フロー理論(FlowTheory)などという言葉使用される。

日本では、スポーツの分野において一般的に「ゾーン」と呼ばれることが多いが、その他にも類語としては「ピークエクスペリエンス」「無我の境地」「忘我状態」とも呼ばれ、最適状態または最適心理状態(Optimal PsychologicalState)と呼ばれる研究分野のひとつである心理学者のミハイチクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。

フロー構成要素

ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験構成要素を6つ挙げている[2]。

専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)

自己認識感覚の低下

活動意識の融合

状況や活動自分制御している感覚

時間感覚のゆがみ -時間への我々の主体的経験の変更

活動本質的価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系

さら心理作家ケンドラチェリーは、チクセントミハイフロー経験の一部として挙げている3つの構成要素について言及している[3]

直接的で即座のフィードバック[3](活動過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)

成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則認識できる)

経験に夢中になり、他のニーズ無視できるようになる

フロー経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。

語源

フローチクセントミハイ1975年インタビューにおいて、幾人かが彼らの「フロー体験を、ずっと彼らを運んでいる流れという隠喩を使って描写したために名付けられた。「活動に没入する」という「フロー」の心理学的な概念は、「時代の流れに従う」という意味の「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」という従来の慣用句とは無関係である

グループフロー

チクセントミハイは、集団が全体として作用して、個々のメンバーフローに達するようないくつかの道筋を示した。このような集団の特徴には、以下のものが含まれる。

創造空間配置:椅子コルクボード、図表。机は置かない。そうすれば立って動きながらの活動主体となる。

活動の場のデザイン情報を書き込む図表、流れ図、企画概要熱狂(ここでは熱狂場所を占める)、安全場所(ここでは他に何が考えられるかを誰でも言うことができる)、結果掲示板オープントピック

並行した、組織だった作業

グループの集中を目標に定める

存在しているもの(原型)の発達

視覚化による効率の増加

参加者意見の違いはチャンス

観光分野への応用

近年、欧米では観光旅行中に発生する「楽しさ」や「感動」「ワクワク」「満足」などの言語化されたポジティブ感情の根源は、心理学上のフロー状態から発生しているのではないかという研究が多く行われている[4]。フロー状態は、チクセントミハイによって、その発生のプロセスフローモデルによるメンタルステート図)がある程度提案されていることから観光における満足を人為的意図的に発生させることも可能ではないかとの考えられ、日本国内でもこれに言及する主張が増えている[5]。また「思い出に残る旅行体験(MTE:Memorable Tourism Experience)」の指標に関する研究では、フロー状態とMTEの関連性について言及するものもある[6]。

アウトドアレクリエーション音楽活動趣味ゲームの楽しさとフロー

スキースノーボードサーフィンカヤック乗馬パラグライダーダイビングなどのアウトドアレクリエーションオーケストラ吹奏楽合唱などの音楽活動模型製作生け花洋裁などの趣味テレビゲームスマホゲームにおける「楽しさ」や中毒性についても、フロー状態がその楽しさの根源ではないかという研究も数多く存在し、近年「楽しさ」の構造やその原理が明らかになってきている[7]。

隣接分野

この概念西欧心理学の中ではチクセントミハイによってはじめて示したと言える。しかし、彼はこの心理現象気づき、それに基づく技術を開発したのは、ほぼ間違いなく彼が最初ではないと、彼自身、躊躇なく認めている。

2500年以上前仏教道教といった東洋精神的な伝統実践者は、この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、芸術形式芸道など)を習得するために学んだ。

まりに使われすぎた慣用句ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、この概念説明するのに使われる。

教育にあっては、過剰学習概念があり、これは、この技術重要な要素となっているように思われる—少なくとも肉体的な技能を学んでいる場合には。それに加えて、多くの現代スポーツ選手は、よくこの「ゾーンに入る」(何もかもがうまくいく)という現象経験する。

基本的な発想が東洋西洋とで同じであったり自然科学者、霊的指導者スポーツ選手の間で共有されているということに価値があるわけではない。チクセントミハイは、他の者が精神的な発展や肉体的な熟達や他の自己改善形式の発展性に集中している一方で、活動の場のデザインのような現代西洋文化要素の改良について、これから結論を描いただけであろう。実際、東洋精神的な実践者は、現在科学的な心理学者たちが用いようと試みてきた組織的な厳密さや制御とは異なる方法試験改善してきたにしても、この主題を中心にして、非常に徹底的で全人的な理論の集成を発展させてきた。

職業仕事

ソフトウエア開発者邪魔されないフロー状態に入ることを、"wired in"、TheZone,[8][9]hack mode,[10]、softwaretimeに入る[11]などと呼んでいる。株式市場取引者は "in the pipe" という用語を、取引量の多い日や市場修正時に取引する際のフロー状態を表すのによく使う。プロカードプレイヤーは、集中力戦略的認識が最高となったときを "playing the A-game" と呼んでいる。

幸福心理

フローポジティブ心理学にとっても重要である。目の前のことに夢中になり、我を忘れることで、幸せ健康長寿につながるのである[12]。

フローを取り上げているフィクション作品

新世紀GPXサイバーフォーミュラ -近未来舞台にしたカーレースアニメ(作中ではゼロ領域の名で登場する)

ファンタジスタ -草場道輝によるサッカー漫画

昴 -曽田正人によるバレエ漫画

Dreams -マガジンSPECIAL連載中の野球漫画

flOw - thatgamecompany制作ビデオゲーム

ベイビーステップ -週刊少年マガジン連載中のテニス漫画(作中ではゾーンの名で登場する)

黒子のバスケ -週刊少年ジャンプ連載中のバスケットボール漫画(作中ではゾーンの名で登場する)

ブルーロック -週刊少年マガジン連載中のサッカー漫画  

風が強く吹いている -新潮社出版三浦しをんによる箱根駅伝テーマにした小説(作中ではゾーンの名で登場する)

脚注

^ Csikszentmihalyi, M., FindingFlow, 1997.

^ Nakamura, J.; Csikszentmihályi, M. (20December2001). “FlowTheory and Research”. In C. R. Snyder Erik Wright, and Shane J. Lopez. Handbook of Positive Psychology. OxfordUniversity Press.pp. 195–206.ISBN 978-0-19-803094-22013年1120日閲覧。

^ a b “WhatisFlow?”. AboutEducation.2015年3月30日閲覧。

^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ “フロー理論から考える観光ツアーの楽しさ・満足度研究”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ “Once-in-a-lifetime leisureexperiences (OLLE): The role ofFlow, novelty, and interpersonalinteractionon tourists’satisfaction andmemories”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明

^ Michael Lopp (12June2007), “Chapter 25: ANerd in aCave”, Managing Humans: Biting and Humorous Tales of aSoftware Engineering Manager, Apress, p. 143,ISBN 978-1-59059-844-3, "[TheZone]is a deeplycreative space whereinspirationis built.Anything whichyou perceiveas beautiful, useful, orfun comes fromsomeone stumbling through TheZone."

^ Joel Spolsky (9August2000), The JoelTest:12 Steps to Better Code, "Weall know that knowledge workers work bestbygetting into 'flow', also knownasbeing 'in thezone' (...) Writers, programmers, scientists, and even basketballplayerswill tellyou aboutbeing in thezone."

^ “Hack Mode”.Jargon File.2013年11月閲覧。エラー: 閲覧日は年・月・日のすべてを記入してください。(説明

^ Scott Rosenberg (2007), Dreaming in Code:Two Dozen Programmers, Three Years, 4,732 Bugs, andOne Quest for TranscendentSoftware, "When thingsgo well,you can lose track of passing hours in thestate psychologists call "flow." When thingsgo badly,youget stuck, frozenbetween dimensions, unable tomove or see a way forward. Either way,you've left the clock far behind.You'reonsoftwaretime."

^ “Positive Psychology: Harnessingthe power ofhappiness, mindfulness, and inner strength” (英語).Harvard Health.2022年11月15日閲覧。

参考文献

Csikszentmihalyi, Mihaly (1990).Flow: The Psychology of Optimal Experience.New York: Harper and Row.ISBN 0060920432

Csikszentmihalyi, Mihaly (1996). Creativity:Flow and the Psychology ofDiscovery and Invention.New York: Harper Perennial.ISBN 0060928204

Csikszentmihalyi, Mihaly (1998). FindingFlow: The Psychology ofEngagement With EverydayLife.Basic Books.ISBN 0465024114 (a popular exposition emphasizing technique)

Csikszentmihalyi, Mihaly (2003).Good Business: Leadership,Flow, and the Making of Meaning.New York: Penguin Books.ISBN 014200409X

Langer, Ellen J. (1989). Mindfulness. Reading, Mass: Addison Wesley.ISBN 0201523418

関連項目

マインドフルネス

サマーディ

トランス (意識)

スピリチュアリティ

集中力

インナーゲーム

ポジティブ心理

変性意識状態

戦うか逃げるか反応(火事場の馬鹿力)

外部リンク

ハイチクセントミハイ:フローについての講演映像 -TEDカンファレンス2004年2月、18分55秒。

カテゴリ: 注意認識教育心理ポジティブ心理学注意欠如多動症能力開発

Permalink |記事への反応(0) | 11:47

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2025-05-06

なんで「級」は少ない方が良いのに「段」は多い方が良いの?

良い質問ですね!

「級」と「段」の制度がなぜ今のような形になったのか、歴史的背景を交えて詳しくご説明します。

1. 「段位・級位制度」の起源囲碁から始まる

この制度起源は、日本囲碁にさかのぼます江戸時代囲碁名人制度を整備する中で、実力の序列を明確にする必要があり、そこで段位制が考案されました。

最初の段位制度は、1612年に将軍徳川家康囲碁名人本因坊算砂に「初段」を授けたことが始まりとされます

• その後、囲碁将棋専門家の間で「段位」が普及しました。

この段階では、「級」はまだ登場しておらず、「段」はあくまプロ上級者向けの等級でした。

2.明治時代以降、「段」の下に「級」が導入される

明治時代に入り、武道芸道教育制度化が進む中で、「段」だけでなく「級」も導入されました。ここで重要なのが、

• 「級」は入門者〜中級者の成長を評価するためのステップとして設けられたことです。

• 「段」へ到達するための「下積み」のステージであり、数字が減るほどレベルアップしていることを意味しました。

たとえば:

書道剣道では「10級」「9級」からスタートし、上達すると「1級」に到達。

• その先に「初段(1段)」があり、さらに「2段」「3段」と続く。

このように、「段」はプロ指導者レベル世界、「級」は初心者〜中級者の世界というふうに役割が分かれたのです。

3. なぜ「級」は下から上がる構造数字が減る)なのか?

これはおそらく、兵隊階級制度古代官位制度の影響があります

• たとえば、古代中国日本官職制度では「一等官」「二等官」…と数字が小さいほど地位が高い。

• また、日本仏教僧の位階武士序列でも、「一」が最も高位とされていた伝統があります

この価値観が「級」にも反映されたと考えられます

まとめ

• 段:囲碁将棋に始まった上級者の評価制度江戸時代発祥

• 級:明治以降に導入された初心者向けの補助的評価制度

数字の大小の評価の違いは、それぞれの制度が成立した背景・用途の違いに由来します。

Permalink |記事への反応(1) | 18:05

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2022-07-12

anond:20220712095512

マン茶道

日本における「マン茶道」は、戦国時代誕生した「女陰流」と呼ばれる茶道の一派に端を発する。

女陰流」は室町時代の中期に誕生し、一度は豊臣秀吉朝鮮出兵によって中断を余儀なくされたものの、江戸時代に再興されて武家社会を中心に広く広まった。

この流派の特徴は、女性器の美しさと、その香りと味を鑑賞することを芸道の基本とした点にある。

女性器の香りは、尿、愛液、汗、垢などの分泌物によって構成される。そのため、女性器が発する芳香には、尿を出してから経過した時間かいた汗の量、性的興奮による愛液分泌など、様々な要素が関係している。さらに、女性性器には個性があり、その持ち主によって千差万別である

マン茶道では、その時々の女性器の状態と、その個性を活かした上で、最大限に魅力を引き出せるように女性器をよく研究することが重要とされた。

例えば、ある女性性器排卵日になるとブルーチーズのような強い臭いを放ったが、陰毛を剃って清潔にし、濃い茶と甘い菓子と共に味わうことで香りを活かして楽しむことができた。また、生理中の性器は血の味が強いが、鮮度の良い果実香草と共に茶を点てて味わうことで、臭みを抑えて味を引き立てることができた。このように、マン茶道では女性器の香りと風味を引き出すため、様々な工夫が施されてきた。

また、女性器の形状についても、陰唇や陰核の形状、鮮やかな色あいなど様々な観点から評価された。

形だけでなく、質感、割れ目の開き具合、陰毛の毛質なども重要視され、どのような女性器はどのような茶や菓子と共に供するのが望ましいのかについて議論が交わされていた。

Permalink |記事への反応(1) | 09:55

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2019-07-28

ちょっと会社から言われただけで書き込み消してしま芸人共www

チワワしかねぇ

吐いた唾を飲む奴らばっかかよ

「まっすぐ自分言葉は曲げねぇ。それが俺の芸道だ!」みたいなのはアニメ世界しか居ないんだな

Permalink |記事への反応(2) | 18:46

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2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

Permalink |記事への反応(6) | 18:52

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2014-04-27

「三月のライオン」に見る毒親から呪縛

最近微妙はてな界隈が毒親関係の話題で盛り上がっている気がする。

家族を捨てることにした。」

http://anond.hatelabo.jp/20140416141321

「大人になってから自己肯定感を高めるには」

http://tigtig8.hatenablog.com/entry/2014/04/02/182519

「親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係

http://anond.hatelabo.jp/20140402111648

私自身、毒親育ちなのでこれらの記事を興味深く読んで、そのうち何か描ければなあ・・・

などと思っていた時にアニマルの連載で読んだ「三月のライオン」がトラウマものの毒親話だったので描く。

まあネタバレというほどのものではないけど単行本派の方はスルーしていただければ幸いです。

さていまさら三月のライオンについて私なんぞが語る必要もないとは思いますが、読んでもいない人の為にものすごい端折ってあらすじを説明すると

両親を亡くした桐山零は父親の友人でプロ棋士幸田の家に引き取られ、期待に応えるために将棋の腕を磨き続けプロ棋士になる。一方で幸田家の本来の子である香子と歩は零に自分達が到底及ばない事に気づき挫折し、香子は家を出て、歩はひきこもりになり家庭は崩壊する。

罪悪感を覚えた零は幸田家を出て、一人暮らしを始めるが、すでに将棋に対する動機を失っていた。

そんな彼は近所の川本家や多くの人々との関わりにより少しずつ将棋に対する思いを取り戻して行く・・・

というストーリー

よくある動機を失った天才がそれを取り戻し、凡人どもを駆逐していくというお話ですな。

曽田正人の昴、松本大洋ピンポン最近だと四月は君の嘘、とか。

それはさておき幸田家の話に移る。

幸田家はプロ棋士の父親(作中ではそれなりに強いがタイトルに絡めるような存在ではないように描写されている)、見合い結婚した主婦である幸田母と将棋を学ぶ二人の子供、香子と歩で構成されていた。

率直に言えば世間知らずで価値観将棋の強さ以外ない視野狭窄な父親、同じく世間知らずだが気が弱く、夫のような自分自身の価値観がなく、父親の追従者でしかない母親が両親であったわけだ。

それでも子供たちは父親同様に将棋を愛し、家族は円満に運営されていた。

だがあるときここに桐山零という怪物が投下される。

彼は将棋しか価値観がない父親にとってその歪んだ価値観を補強してくれる、理想的子供であり、また引き取られた負い目から家事なども率先してこなす母親にとっても理想の「いい子」でだった。

それ以来この二人はこう思い続ける「なんでうちの子供はこうじゃなかったんだろうか?」と。

そして二人の子供は零に対する劣等感を感じて将棋をやめる。

ここらへんまではいままで発行された単行本の中でも語られていた話だが、今回はそれが母親視点から語られている。

零はとても「いい子」なのに、なんで自分の子供はそうならなかったのか?と感じ続け、零が家を出たとき心底ほっとしたこと、

歩が将棋ができなくなり、「努力できるのも才能だ」といい投げ出した時に、父が冷笑して見捨てた事(この時の父の表情がもの凄い)。

そして自分はそういう芸道世界理解できないけど、ごはんを作って家族を待ち続けることにしよう、と思うこと。

いや~気持ちいいくらい極悪な毒親っぷりですね。

要するに彼女は父親の偏狭価値観と零の存在子供達が苦しめられ続けたことを知っており、もう一方の親として多用な価値観提示して中和剤になる役目があるであろうにそれを放棄し、「私は知りませんし、これからも何もしません」といっているわけです。

そもそも拾われた子供がいい子であるなんて当たり前のことだし、それを自分の子供に当てはめる時点で狂っている。

結局この両親がやっていることは目の前の自分の子供たちをみず、零に理想の子供の姿を投影し続けているにすぎない。

竹本君みたいに学生のうちに自転車北海道でもいってそういう夢見がちな性分から解脱しておいてください。

あの父親とこの母親の翼君岬君ばりの毒親ゴールデンコンビカルトな家庭で育ちながらも、なんだかんだで零を気にかけてあげる香子さんは実に人格者だし、ひきこもってゲームしている程度のグレ方しかしなかった歩君も実に立派だと思う。

父は零に「最近香子が何を考えているのかわからない・・・」などと漏らしていますが、私はこの夫婦が何を考えているのかさっぱりわからないです。

そもそも将棋子供を劣等扱いするんだったらまず自分タイトルの一つもとってきてほしいものです。

現在香子さんは現在派遣社員やりながらも、妻ある父親の弟弟子棋士と絶賛不倫中で相変わらず家族に縛られている。

歩君はひきこもりをやめ、受験生として予備校に通っている。

とりあえず、歩君には地方大学でも受けてさっさと家庭から逃げ出してほしい。

そして社会に出て「自分劣等感を感じた父親も零も所詮将棋という閉ざされた世界でのみ特別人間だっただけなんだ」と気づいてほしいものです。

羽海野チカという人はハチクロの頃から一貫して才能というもの残酷さを圧倒的な才能で書き続けるという色々とすごい人だけど、同時に凡人の気持ちも丹念に描写してきた人です。

ハチクロの男キャラでいうなら天才森田、それに憧れ嫉妬する凡人の竹本、才能と関係のない生き方を選んでいる真山といった感じで。

ハチクロではよくあるマンガのように竹本覚醒して才能に目覚めるといった事はまったくなく、結局凡人なりに一歩一歩進んで行こうと決意して旅立ったって終わったし。

三月のライオンにおいて、恩人を救うということで動機を得た零は、多分親友の死によって完全体となり、最強の棋士への道を上り続けるのでしょう。

だけどそれ以上に将棋においては凡人であった幸田姉弟の物語はどのように着地するのかをとても楽しみにしたいと思う。

しかし本当にすごいマンガ家だわこの人・・・

マンガ登場人物に深刻な憎しみを感じ、自分の家庭思い出してトラウマスイッチがオンになってこんな駄文を書き散らすなんて人生でも初です。

アニマルの他の漫画家からフリーザ様扱いされるのがよくわかる。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131110/p5

ロッキンオンハチクロをオシャレマンガ勘違いして「なんだよ羽海野って。羽いらないじゃんw」とか頭の悪いこといってコケにできた時代が本当に懐かしい。

あ、そういえば川本家という毒親とは違うけど、ある意味幸田家以上に闇が深い家庭もありますがそれは私の手に余るんでスルーさせていただきます

Permalink |記事への反応(1) | 17:14

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2013-08-20

韓国茶道魔法瓶を嘲笑う人はそもそも日本文化が分かってないのでは

やや旧聞に属するが、「韓国茶道では魔法瓶を使う」というのが、はてなにこにこ動画2ch等で話題になり、

茶道なのに魔法瓶wwww」ってな感じの嘲笑のコメントが数多くついていた。

(これね→http://www.nicovideo.jp/watch/sm21555732


そうしたコメントの多くは「フイタwww」のようなものだが、

「フイタ」理由として挙がっていたもの最大公約数的にまとめると、

韓国茶道にはわび・さびはないのかwww」ってのと

韓国茶道には威厳ってものがないのかwwww」ってのになると思う。

しかしこれらは日本文化を多少知っていれば、どちらもおかしいと分かる話だ。


まず前者のどこがおかしいかであるが、そもそも「お茶を飲む」という習慣はお茶原産地である中国ではじまり

それが日本韓国を初めとして全世界へと広がったものである

そして日本にきた段階で始めてお茶がわび・さびと結びつき日本茶道ができあがっている。

(珠光が結びつけ、利休が完成した。)


から日本以外の国のお茶にわび・さびがないのは当たり前の事に過ぎない。

わび・さび日本特有の(だからこそ誇るべき)文化なのだから

韓国茶道にわび・さびがないといって嘲笑するのは、

イギリスティーパーティにはわび・さびが感じられないといって嘲笑うのとたいして変わらない。


しか日本茶道の習慣は相当極端な部類に属するものである

私自身はその極端さ故に茶道に惹かれるのだが。)


昔読んだ本によれば、江戸時代、茶人といえば変人代名詞的な側面があり、

極端な例になると、わび・さびを演出する為に新しい茶碗をわざわざぶち割り、それを修復したり

したそうだ。


利休自身、たった2畳しかない茶室・待庵を作るなど極度のミニマリズムに走っており、

お茶を飲むだけの為にこんな狭い部屋に入らねばならない理由は

日本人ですら理解する人は少なそうだ。(だからこそ江戸時代変人扱いされた。)


私自身は利休の茶道を一切の無駄をそぎ落とした素晴らしいものだと思ってはいものの、

日本のこんな極端な文化を基準にして他国のお茶文化を嘲笑うのは

さすがに無茶としか思えない。



次に「韓国茶道には威厳ってものがないのかwwww」って意見に関して。

韓国をはじめ海外お茶の習慣はよく知らないから断言はできないのだが、

冷静に考えてみれば分かるようにそもそもただお茶を飲むのに威厳を要求する方がめずらしい文化

なんじゃないか


日本では茶、武、芸、香などのように

「道」を求める文化があり、それは禅が関係しているそうなのだが、

禅は仏教の一形態に過ぎないのだから、他の東洋の国が同じような文化を持っているとは限らない。


それに日本茶道秀吉をはじめとした権力者と結びついていたが故に威厳を求められた

という事情もあるだろう。


であるなら、歴史文化が違えば、威厳なしでお茶を飲む茶道だってありえるはずなのだ



…という事情を鑑みて、韓国魔法瓶の件を振り返って見ると、

ある点においてかなり合理的ものである事に気づく。

だって、多かれ少なかれ茶道というもの礼儀作法であり、おもてなしなのだから


丁度フランス料理を食べるとき作法が一通り決まっているように、

食事やお茶礼儀作法と結びつきやすい。

であるなら、魔法瓶お茶を飲むときの「礼儀作法」が「茶道」として

きちっと決まっているならそれはそれでよい事ではないか

魔法瓶お茶をさめないようにするのもおもてなしとして理にかなっている。


一方日本茶道魔法瓶のような現代日用品を使った場合作法について

何も教えてくれない。

日本茶道古典化による魅力を醸し出してくれる分、

近代には対応できていないのだ。




最後一言

人間、どうしても自分が学んできた事・知っている事に縛られてしまい、

外国文化を自国の文化を基準にして裁いてしまうという愚行を犯しがちだ。


だが今回の件はそれ以前の問題として、そもそも自国の文化にすら詳しくないが故に

起こってしまった誤解のように思える。


自国の事すら知らない人がなぜ他国の事を裁けるのか。

他国を判断したければまず自国について知らねばならないのではないかと思うのだ。



付記:

こういう記事を書くと「茶道韓国起源説が~」というレスが沢山つきそうだが、

そういったものとは別次元の指摘だと理解していただけると思う。

韓国起源説には詳しくないが、もし茶道韓国起源だという主張があるなら

その主張はもちろん歴史に反したものだ。

Permalink |記事への反応(17) | 02:13

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