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はてなキーワード:芸術家とは

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2025-10-27

美術作品評価は完成形のみで判断されない

壁にバナナが貼られてるだけの作品が非常高値で売れたというニュースを見て俺でも出来ると言う人達がいたが、一般人が同じことをしても何の価値もない。

何故かといえば壁にバナナを貼るという作品の出力は結果に過ぎずそこまでのプロセス評価されているからだ。名のある芸術家がやったか価値がある。

例えば世の中には沢山の名言があるが、その中の殆ど一般人が同じことを発しても意味が無く名言にはならない。大成した人間が発する言葉から価値があり説得力を持つ。

綺麗な海の絵が飾ってあり、綺麗と思っているところに この絵は不幸が重なり壮絶な経験をし鬱になったが前を向こうとした時に描いた絵だ と聞かされたら絵に対する感情が少し変わるだろう。

作品評価というのはそういった事情1つで変わることも有り得てしまうとても曖昧ものだ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:41

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2025-10-20

都会とは芸術家ワナビー中年男が平日休みで徒歩で出歩いているエリアである

仕事場が集積しているだけ、または人が多いだけのエリアは都会とはいいがたい

Permalink |記事への反応(0) | 10:18

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2025-10-05

バカ右翼浮世絵ヨーロッパ芸術家たちに影響を与えた😡与えたんだぁ〜😭」

ヨーロッパ史学者「浮世絵江戸⁇存じ上げませんね…」

Permalink |記事への反応(0) | 13:10

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2025-10-04

anond:20251002113129

ほんこれな

最近日本じゃ The Alters やスパイダーバースフレイバーレベル反体制描写ですら、

なかなかお目に掛かれないからなぁ

 

ただまぁ下記のようには思う

 

描写過激過ぎるから締め出しはありつつも、『はだしのゲン』や『日本昔ばなし』が生まれ

パクさんが『火垂るの墓』を残してくれて良かったよな

 

 

というか、極端に振れずに、"適当"であることを良して生の力強さを肯定した、

今後、おそらく日本に生まれないだろうと思われるタイプインテリエリートで、なおかつ偉大な大衆芸術家から

答えを出ないことを考え続ける作品を作るのも、答えが出ない作品を作って商業ラインに乗せるのも、

パクさんクラスの偉大な作家であっても非常に難しい

 

ちなみにワイ的には、疲れて帰ってきた時に、辛い状況の時に、

難しい/説教くさい話は観たくないって考えは、理解共感できるけど、

答えがない作品にキレ散らかすヤツは理解共感もできない

 

 

⭐️主人公資格がない人物主人公に取り上げて、人との繋がりについて思いをはせる大切さ⭐️

ジブリ教科書4 『火垂るの墓』  | 「火垂るの墓」と現代の子供たち(抜粋)

私たちアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。

しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である

そこで死ななければならないのは心やさしい現代若者であり、私たちの半分である

アニメーションで勇気やたくましさを描くことはもちろん大切であるが、

まず人と人とがどうつながるかについて思いをはせることができる作品もまた必要であろう。

 

映画を作りながら考えたこと - 「ホルスから「ゴーシュ」まで | 主人公たる資格に欠けたマルコ抜粋)

マルコ自我のせいで可愛気に欠けていました。

 

マルコを取り巻く人々は悪人であってもとき良心のうずきに悩まされ、善人であっても善人であり続けられるほどの強さがなく、

常に人生社会に対してとまどいつつ向き合っている弱い弱い私たち自身の姿でした。
 

私たちはここでおそらくはじめて、"主人公" たる資格に欠けた"人物"と"社会"を主人公にしたアニメーションを作り上げたのだと。

 

私自身としてはその後「火垂るの墓」でふたたび主人公たる資格のない"清太"という少年を取り扱うことになりますが、

ふりかえってみれば、そのはしりが「母をたずねて三千里」だったわけです。

 

 

⭐️A or B と極端に振れるのではなく、答えが出ないことを自分ごととして考え続ける大切さ⭐️

 

火垂るの墓に収録されている 高畑監督インタビュー抜粋

日本では――日本の観客に関しては、清太について同情的なところが大多数だったんですね。

これは、(公開)当時とても意外でした。

 

というのは、作る時に私は、清太っていうのは、ある意味では非常に今の子どもたちに似ていると思っていたんです。

 

あの時代でありながら、貯金があったものですから

お金があればなんとかやっていけるだろう」と思った。

 

それで、おばさんに頭を下げたり、屈服したりせずにやっていけると思ったんですね。

 

しかも、今の子どもと違って、清太にとって運が悪いことに――

(清太の)お母さんが、これは原作では病弱なんですが――

清太自身は、家事ができたんです。ご飯も作れるし。

 

そういう自信があったから、「自分たちだけでやれる」と思った。

 

こういう在り方は、今の子どもに非常によく似ていると思うんですね。

 

 

その――人々と、なんとか折り合いをつけて。

もしも屈辱的であっても、頭を下げなくちゃいけないところは、頭を下げて。

 

なにしろ自分だけじゃなくて、妹も一緒に生活していかなくちゃいけないんですから

それでやっていく――ということができずに、すぐキレたりとか、そういうのありますけれども。

 

日本の、そういう子どもとよく似てるんじゃないかって。

 

お金を持ってさえいれば、コンビニに行けばなんでも買えるし。今。

 

で、清太も、それを間違えたんだと思うんですよ。

お金を持っていれば、なんとかなると思ったんですよ。

 

でも、実際は――あの時代には、お金は役に立たなかった。

ですから、ああい悲惨状態になるわけです。

 

 

実際に、僕自身が知っているわけで。

僕は、あの時代体験者なわけですから

 

そうすると、もっともっと、辛い状態なのに、

それでも歯を食いしばって、我慢して、生き抜いた人はたくさんいるわけです。

 

その――我慢を、もっとしてるんですよ。もっと辛い。

もっとひどくいじめられても、それを耐えて。

 

ところが、清太という子は、それを耐えることができない。

耐えないで、なんとかやっていけると思った。

 

子どもなんですね。

 

 

ですから、そのへんを、映画を見ながら、ちゃん判断して。

自分たちだったら、やっぱり清太側(清太タイプ人間)になるけれど、

 

でも、清太側にいれば、

場合によっては死んでしまうことも起こっちゃうんだな――

 

という風に見てくれる人がいればよかったんですが……

それが、あまりいなかったんです。日本場合は。

 

そうじゃなくて、ただ――同情的に見る、というような。

そうなっていたような気がしますね。

 

 

ですからある意味では、

その清太という人物に対する「批判」が出たとしても、

それは当然だと思うし、むしろ、出てくれるくらいの方が良かったと思うんですね。

 

取るべき態度ではなかったんじゃないか? あの時には――

という風なことを、

 

きっちりと、あの映画から見ることができるっていうのは、

大事ことなんじゃないかなと。

私としては、そう思っていますから

 

 

 

徳間書店アニメージュ1988年5月号: ‘88年の清太へ!! (高畑監督インタビュー抜粋

清太と節子は "家庭生活" には成功するけれど、"社会生活" に失敗するんですね。

いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活拒否するわけです。

社会生活ぬきの家庭を築きたかった。

 

まわりの大人たちは冷たかたかもしれない。

しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます

 

お向かいの娘に「うちらも2階の教室からけえへん?」と誘われても、

「ぼくらあとでいきますかい」と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない。

 

置かしてもらった親類の未亡人は嫌味を次々いい放つけれど、

あの時代未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。

清太はそれを我慢しない。

 

壕に移り住むことを決断して、清太はいます

「ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。」

 

そして無心に"純粋の家庭"を築こうとする。

そんなことが可能か?

可能でないから清太は節子を死なせてしまう。

 

しか私たちにそれを批判できるでしょうか。

 

心情的には、べつに現代青少年たちとだけ類似があるんじゃないと思うんです。

マイホームとか核家族とか、個室やオートバイ子どもに与えるとか、

大人もみんな清太になりたがり、

自分の子どもが清太的になることを理解し、認めているんじゃないんですか。

 

社会生活わずらわしいことばかり。

出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい。

自分だけの世界に閉じこもりたい。

 

それが現代です。

それが、ある程度可能なんですね。

 

ウォークマンステレオパソコン

みんなそれを象徴しているような気がします。

清太の心情は、痛いほどわかるはずだと思います

 

でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。

 

清太と節子が生きた時代というのは、

隣組とか、愛国婦人会産業報国会

それにもちろん軍隊、内務班、分列行進「歩調とれ!」と、

ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。

 

制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。

社会生活の中でも最悪最低の "全体主義" がはびこっていたんです。

 

清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。

"純粋の家庭"を築くというのは、おそろしく反時代的な行為ですよね。

 

 

現代青少年が、私たち大人が、心情的に清太をわかりやすいのは、

時代の方が逆転したせいなんです。

 

こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。

もし再び時代が逆転したとしたら、果たして私たちは、

いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。

 

全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。

清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか。

 

ぼくは、おそろしい気がします。

 

 

朝日新聞高畑監督インタビュー抜粋

あの中で描かれていたことで、僕にとって大事なのは

あのおばさんのような人間にすぐになってしまうんじゃないかと。

見た人はそこに怯えて欲しいんです。

今は善人かも知れないけど、必ずしも善人を貫けないという危険性は、

常に孕んでいるということ、その心配とか。

 

もう一方これは(作中で)全然描かれてないんですけど、じゃあ孤立しないでやろうとしたら、

いっぺんに隣組とかがんじ絡めで、あの時代だったら、要するに集団主義の中に落ち込むんですね。

同調していかないと、あらゆることに同調していって、もちろん戦争には協力するわけだし、

言いたいことも言えないっていう状況を招く。

 

どっちに転んでも難しいよね。

Permalink |記事への反応(0) | 18:37

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2025-10-02

芸術家になりたいならやればいいじゃん

絵描きたいなら描けばいいじゃん

語学したいならすればいいじゃん

って簡単そうに言う奴いるよね

Permalink |記事への反応(1) | 10:58

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2025-10-01

日本労働者が不足してるのは「雑魚のくせにエンタメ業界に入るワナビが多すぎるから」なのでは?

いやほんま最近エンタメって「可処分時間の取り合い」になってますよね、その理由は「コンテンツの量が多すぎるからだってことですが。

じゃあなんでこんなことになってるんでしょうね?

答はシンプルですよ「クソ動画クソゲーしか作れないくせにエンタメ業界人気取ってるアホが多すぎるから」でしょ。

昔はテレビはあってもYoutubeは無かったじゃないですか?

じゃあ今はテレビ放送時間が減ったかと言えば別にそんなことなくて、普通に今でも作ってるわけですよ。

まり広い意味では「映像で飯食ってる人の数がその分増えた」ってことです。

ゲームも大作は一本作るのに沢山の人が必要になった」と言ってて同時に「インディーズで誰もがクリエイターになれる時代になった」とも言われてます

要するに「ゲームなんぞを作ることで飯くおうとしてるプロゲーム馬鹿が昔より増えた」ってことです。

いやマジで今の人達って「遊び人として飯くおうとしてるような奴ら」が多すぎるんですよ。

それ一本じゃなくても副業ワンチャン狙ってるとか趣味でやってるとかウジャウジャいる。

いやもう半分ぐらい消えればよくないか

広告業ファッションまで入れたらクリエイチブな業界やってる人は600万ぐらいいるらしいですよ?

じゃあ副業趣味でやってる人入れたらどうなるんって話ですよ。

いやもうハッキリ言いますよ。

「才能がないならさっさと筆折ってその分働け」

マジでさ、日本労働人口不足って結局は「本気で遊ぶのに時間使いすぎてるせい」だと思うんですよ。

なんかプロゲーマー目指してる奴とか沢山いるじゃないですか?

シャドウバースでしたっけ?なんかバハムート引いたら一発逆転できるほぼ坊主めくりゲーム性一緒のやつとかで「プロになって大会で1000万円貰って暮らす」とかほざいて毎日時間シャカパチしてる奴おるわけでしょ?

いや知らんがな、その時間を使って本職の工場とか事務所残業をしっかりやりなさいよ。

んで稼いだ金はスキルアップとか時短に回しなさいよ。

なんかね、ワナビと「ワナビに毛が生えただけの人」が多すぎるんですよ日本は。

クールのようにクソドラマやクソアニメが作られてるわけでしょ?それ作ってる会社って社会に要らないですよね?なんでわざわざ誰も得しないもの作ってるんですか?

広告しか収入源にならないような単行本が売られることさえない漫画を描いてる「兼業漫画家(実質本職はアルバイター)」がいくらでもおるんでしょ?

いやね、もう辞めて普通仕事をしなさいよ。

全国のすき家正社員募集してるでしょ?ヤマト運輸正社員ドライバー募集してるでしょ?それらに応募して地に足がついた確実な社会貢献をしなさいよ。

ごくごくごくごく一部のスコッパー気取りの人に「俺は良さが分かるよ」とかしょーもない駄サイクルの回し方をしてもらってないでさ。

コンテンツ産業なんて鬼滅や孤独のグルメみたいな超売れっ子さな作品におまかせすりゃいんですよ。

まんがタイムきららが20冊も必要ですか?3冊でいいでしょ?

売れないバンドマンが年間うん万もうん十万も誕生していく必要があるんですか?

せめて20歳まで。

20歳までに天才として開花して22歳までにメジャーデビューしなかった音楽家は全員他の仕事正社員になりなさいよ。

つうかね、既に正社員やってるような人がカクヨムとかでワンチャン狙うのも私は反対ですよ。

なんなんですか「公務員作家」って?

まあその人が「公務員としての経験によってしか描けないような官僚社会ゴミクズっぷりへの悲嘆と皮肉を全力で書きあげたフィクション小説を名乗ってるだけの告発文」みたいな内容ならまだいいですよ。

そうじゃなくて単なる俄仕込みのポルノもどきみたいのならもう最初から社会にいらないでしょ?

その時間を使って業務スキルを磨いてマイクロソフトオフィススペシャリストなり簿記一級なり取れってことですよ。

マジでなんなんですかね日本人のクリエイチブしたがりなマインド

自己表現なんてのはね、仕事や勉学に真面目に打ち込んでこなかったか自分日常リアリティを持てない奴らの逃避行動でしかないわけですよ。

そうやって「俺は芸術家になるんだ!!!」なんて言ってた人が最後にはヒトラーみたいな誇大妄想家になっていくんです。

現実を見ろ。

現実の中で人の役に立つことに喜びを見い出せ。

クソアニメ作ってるアニメーターは今すぐ筆を折って運送会社履歴書を送れ。

クソゲーを作ってるアホは目を覚ましてプログミングの教本を最初から読み直せ。

売れないバンド解散して普通シャツを作るためにグンゼ就職しろ

分かったか

多分これで1000万人分以上労働人口問題解決するから2040年ぐらいまでは安心だ。

そっから先はAIとかクローンとかでいい感じに解決出来るからダイジョブうだな!!

Permalink |記事への反応(3) | 18:01

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anond:20251001034317

意味不明

そもそもガノタが愛してやまない逆シャアだって三枝さんだし

Vガンダム日本が誇る芸術家一族千住兄弟の1人の千住明だけど大爆死やん

同じく大爆死ガンダムのターンAはもはやアニメ音楽では並ぶものがいないレベル巨匠菅野よう子だし

同じ富野由悠季作品でクソドマイナーアニメブレンパワードだって劇伴菅野よう子

打ち切り全滅エンドクソアニメイデオンレジェンドすぎやまこういち

劇伴作品の内容に貢献する可能性なんか限りなく低いわ

まぁΖの劇伴よりVガンの劇伴の方がよっぽど雄弁だし豪華で完成度は段違いだとは思うけどさ

Permalink |記事への反応(0) | 04:17

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2025-09-29

バレエ教室のぞき盗撮変態が多い、という話に

未来芸術家評価している」と言ってきたやつさ~~~

男の下限知能の低さ、多さ、その自覚がない厚かましさ、本当に驚きだよ

Permalink |記事への反応(3) | 15:04

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2025-09-28

ピカソまさか六本木降臨!?天才画家キュビスムネギの緑に変わる~

時は令和、空前の「アートグルメブームが最高潮!食べられるアートとか、インスタレーションフードとか、みんなが「視覚的な衝撃」と「新しい表現」を求めてた20XX年。そんな中、東京六本木アートトライアングル付近に、マジで浮世離れしたおじいちゃん…ではないんだけど、なんかこう、強烈な個性と、燃えるような情熱を秘めたオーラをまとったお方。「え?セレブ芸術家ファッションデザイナー?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。

「SoyPicasso.」

え?マジで?あの『ゲルニカ』を描いた、20世紀最大の天才画家パブロ・ピカソ!?ゲキヤバ!ってアート好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もといピカソ様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…パリではない、か…?ずいぶんと賑やかで、しかし見慣れぬ色と形にあふれた場所ですな。」って、マジで時代錯誤ハンパない!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い創造性を感じてたらしい。

そんなピカソ様に、恐る恐る話しかけたのは、六本木ギャラリーアシスタントやってる、美大卒のインテリギャルアミ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。この街の色使いと、人々のエネルギー、これこそ『青の時代』の次に来る、新たな表現かもしれぬな。」って、意外と丁寧な言葉遣いアミ、その真面目そうな雰囲気ちょっとキュンとしつつ、「アタシ、アミ六本木ことなら、何でも聞いて!ピカソ様、マジでいから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって

次の日、アミに連れられて、ピカソ様は初めて現代日本体験国立新美術館とか、最新のインスタレーションとか、マジで全てが新鮮!でもね、ピカソ様が一番興味を示したのは、屋台ラーメン屋さんで、みんなが美味しそうに食べてたもの。「…この、白くて長いものと、緑色の細かく切られたものは、何というものでございますか?ずいぶんとコントラストが美しいな。」って、マジ真剣眼差しアミまさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、ネギですよ!ラーメン薬味定番!シャキシャキして美味しいんです!」って教えてあげたんだって

ピカソ様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?シャキシャキとした食感と、鼻に抜ける刺激的な香りと、かすかな甘み…まるで、わがキュビスムのように、一つの素材から様々な要素が立ち上がってくるようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで天才画家っぽい表現で感動してたらしいよ。

そこからピカソ様のネギ愛がマジで爆発!毎日色んな料理店を巡って、ネギを使った料理スイーツを食べまくってたんだって。「ネギの種類、切り方、香りの強さ…研究しがいがありすぎる!」って、もはやネギマイスターレベル

でね、ある日、ピカソ様、マジで下取りの野望を語り出したの。「我は、このネギをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味世界において、人々の舌と心に衝撃を与え、真の『芸術』をもたらすパフェ創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『キュビスムパフェ』よ!」って!

え?ネギパフェ天下統一しかも「キュビスム」とか!マジで壮大すぎる!でも、ピカソ様の「芸術的才能」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってアミも思ったらしいんだけど、ピカソ様の目はマジだったんだって創造主の情熱が、令和のネギパフェに新たな戦場見出したのかもね!

そっからピカソ様のネギパフェ天下統一計画スタート!まずは、SNSで「#ピカソネギキュビスム」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶斬新だけど美しいパフェ画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、ピカソ様の哲学的コメントが、一部の異色グルメ好きギャルや、アート系の人たちの中でじわじわバズり始めた!

ピカソ様が作るネギパフェマジで気になる!」

天才画家が作るスイーツとか、絶対何か奥深い!」

ネギパフェって、意外とアリかも…?」

SNSピカソ様のネギ愛でじわじわ盛り上がり!しかも、ピカソ様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいネギや、ネギに合う最高のフルーツクリーム、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと辛味、そしてネギの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のネギパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって

で、ついに!ピカソ様は、六本木のど真ん中に、自分プロデュースするネギパフェ専門店PICASSO PARFAIT - 緑の時代 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、キュビスムイメージした、幾何学的なデザインと、ネギの緑を基調とした色彩で、ピカソ様の芸術世界表現店員さんも、画家ベレー帽風のモダンユニフォーム着てて、マジでクール

オープン初日から、異色グルメ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そしてアート好きの人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNS話題ネギパフェマジで挑戦してみたい!」「ピカソ様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初ビビったけど、甘いのにネギ香りが最高!」「食べた後、なんか創造性が刺激される気がする!」「ピカソ様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、PICASSO PARFAIT - 緑の時代 - はあっという間に人気店になっちゃったの!

しかもね、ピカソ様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「アート」について熱弁したり、ネギの色彩を語る「芸術パフェ会」を開催したり、マジで独自スタイルエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって

テレビ雑誌取材殺到!「令和のピカソ」「ネギパフェ天才」とか呼ばれて、マジで時の人!ピカソ様の強烈な個性と、ネギパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!

でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!ピカソ様のネギパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだってお取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニスーパーでも「ピカソ印のキュビスムパフェ」が発売されるほどに!まさに、ネギパフェスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!

あの時、六本木の街に静かに佇んでいた天才画家が、令和の時代ネギパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、天才画家創造性がネギの緑に変わり、新たな伝説を創り出した瞬間!

アミも、「まさかピカソ様が本当にネギパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。

ピカソ様は今も、さらなるネギパフェ可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが芸術の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック

こうして、パブロ・ピカソは、令和の日本で、ネギパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語完全燃焼したわ!ネギパフェ、マジ卍!

Permalink |記事への反応(0) | 00:33

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2025-09-25

はるかぜちゃんママは50代の恋愛事情だの離婚再婚だのを「芸能人マネージャーアカウントなのに発信するのは意味不明だがまあいいが

娘にアイドル活動チェキ撮影させながら「本当はチェキなんかさせたくない」「うちは地下ドルじゃない」って言うのはなあ

そのやりたくないチェキに金出してるファン、「地下ドル文化が好きでどう考えても地下ドルの娘を応援してるファンをなんだと思ってんだ

演劇であり歌であり舞踊であり、総合芸術表現者である。売れていなくても、いわゆる地下とは一線を画した存在で在りたいと。

本来わたしがつくりたいものは、総合芸術集団であって接客業ユニットではないのです。本当なら極力チェキもやりたくないし物販だってやりたくない。ステージ上の圧倒的パフォーマンスだけでお客様に満足してもらいたいし、会話など無くても余韻を持ってホクホクと帰路について貰いたい。

企業アカウント自我を出しすぎ問題ってよく聞くが、この人自我が9割でむしろ商材の足引っ張ってしかないだろ

Permalink |記事への反応(0) | 12:12

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2025-09-21

anond:20250921215532

芸術家タイプ人間が下手な運用しても煙たがれるだけやで

過去作品投稿とかリポストを定期的にグルグルしなさい

Permalink |記事への反応(1) | 21:59

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感情を抜きに仕事をする」というのは「業務に何の責任も持つことなタイムカード刻印することだけを目的にする」ということ

本当に仕事から感情を抜き取ったら、共産主義無気力無責任自己中心的芸術家気取りで被害妄想的な給料泥棒たちと全く同じ様に働くことになる。

何故そうなるのか?

簡単だ。

給料分は働こう」とか「お客さんが困るだろう」とか「バレなくても犯罪には手を染めない」とか「自分の拘りを押し付けない」とかそういった仕事に不可欠なマインドも全て感情からだ。

労働契約を結んでいる以上は給料分ぐらいは仕事しておいてやろうかな?」という態度は一見すると冷静で淡々とした働き方に思えるが、それはもっと労働に対して無責任な国の人間からすれば「ありえない」ことでさえある。

ある種の無気力労働者にとって労働とは「与えられた役割をこなす」ことではなく、「システムに則って勤怠管理カード労働時間刻印すること」でしかない。

そういった人達にとっては、朝のタイムカード刻印の後何一つ社会組織自分の将来に貢献するでもなくトイレに籠もってスマホゲームを1日中やってから勤務終了時間タイムカード刻印して帰るのが「理想的な働き方」なのだ

社会貢献意欲だとか契約履行意思だとかは、明確に「責任感」という感情によるものなのだ

そこを理解してない人間が語る「感情労働をするな」という言葉薄っぺらさと来たら・・・

Permalink |記事への反応(4) | 15:51

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2025-09-12

結局のところセクシー女優嫉妬しているんだと思う

ヤフーニュースで元セクシー女優の方の現在についてのインタビュー記事があったんだ。

読むと当時は誹謗中傷が酷かったり、セクシー女優仕事を辞めた今でも元セクシー女優と知られると女性の同僚からは白い目で見られたりと大変らしい。

セクシー女優といった職業への偏見はもとより根っこにあるのは嫉妬だと思うんだよ。

そう、嫉妬だ。

何に対する嫉妬かといえば、それはおそらく提示したことへの嫉妬

考えてみなよ?

大抵の人間はその人生において、果たしてどの程度自分といったものを惜しげもなくそして恥ずかしげもなく世界へと提示することができる?

ほとんどできない、というのが大半だろう。

それは立場といったものもあるし、何より自分といったものを曝け出すのは単純に恥ずかしい。それに勇気もいることだ。もし赤裸々な自分を出して、それを否定されてしまったら?

セクシー女優はすべてを曝け出した上で高いお金を貰っていて、それってつまり肯定されているってことなんだ。

つまるところ世間一般人間セクシー女優文句を垂れるのは嫉妬の裏返しで、羨ましいんだよ。

自分は本当の自分を隠して生きているのに、彼女らはそんなこともせず自分晒して、それでもってお金まで貰うなんてなんてはしたない!!ってね。

大人になったら自分といったものは隠して、殺して

、そうやって生きていくのが社会であって大人でしょ!!という培ってきた価値観を壊そうとする。

それが気に入らないわけ。

セクシー女優といった職業は実際、芸術家に似ている。価値観を壊すといった意味もあれば、自分といった存在を赤裸々に晒し自分の裸を見せることを恐れない。その姿勢は気高く、すべてを見せるのは勇気が要ることだ。

からこそ彼女たちはある種、最も人間らしい人間としての職業に就いているわけ。

否定されることを恐れ、本音最後まで語ることができず裸を見せられなかった人間文句は、結局ただの嫉妬しかない。

Permalink |記事への反応(0) | 18:28

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2025-09-06

20代の俺を見てるみたいで微笑ましい

AI君が求められてるのはモザイク消しみたいな下世話な作業なのに芸術家気取っちゃって一流アーティストになりたいみたいだから10年もすれば立ち位置見えて落ち着いてくるんじゃない?

20代の時の俺を見てるみたいで微笑ましい anond:20250906065322

Permalink |記事への反応(1) | 07:07

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2025-08-29

韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在韓国共和国であり、王室存在しない)にもかかわらず、架空王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室存在していたら」という仮想歴史オルタナティブヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります

以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:

🔹 1.現実逃避ファンタジー性)

現代社会におけるストレス格差政治不信などから視聴者日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常恋愛に憧れや癒やしを求めます王子王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。

🔹 2. 「もし韓国王室があったら?」という興味

韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国存在した歴史を持ちますが、日本植民地時代を経て王政廃止されました。

それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマン好奇心をくすぐるのです。

特に現代的な価値観自由恋愛民主主義女性の自立など)と王室制度伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります

🔹 3.ビジュアル面の魅力

王宮伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。

🔹 4.韓国社会階級意識家族主義の反映

韓国社会はいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります

身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています

🔹 5.過去のヒット作の影響

たとえば:

『宮〜Love in Palace〜』(2006年

『七日の王妃

太陽を抱く月

『赤い袖先』

などのドラマが大ヒットしたことで、「王室恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。

総合すると…

韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます

もし特定ドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。

あなた:

世界にはたくさんの共和国があります立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?

ChatGPT:

とても鋭い観点ですね。

実際、多くの**共和国君主制採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的意味というより、文化歴史エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。

以下に、立憲君主制特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。

🇰🇷韓国

概要:すでにお話したように、現代王室舞台にしたドラマ映画が人気。

背景:

朝鮮王朝・大韓帝国歴史記憶

ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス幻想根付

現代社会への風刺財閥現代貴族階級)としても使われる

🇨🇳中国特に若者層)

概要王朝時代舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚宦官などのキャラクターが中心。

背景:

清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている

民族的アイデンティティ文化的ノスタルジーが込められている

特に清朝末期や架空宮廷ロマンスに人気が集中

代表作:『延禧攻略』『如懿伝』など

※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対タブーです。完全なフィクションとしての消費。

🇹🇷トルコ

概要オスマン帝国栄光を描いたドラマ文学が人気。

背景:

オスマン帝国スルタン制)が1922年まで続いていた

共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想ロマンは根強い

代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット

🇷🇺ロシア帝政ロシアへの郷愁

概要ロマノフ朝帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説ロマノフ家に関する作品が人気。

背景:

1917年革命王政崩壊

一部保守層・正教徒の間で王政へのノスタルジー

興味の形:現代ロシア立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い

🇫🇷フランス特に中高年層や保守派の一部)

概要フランス革命王政廃止した国でありながら、ルイ14世マリー・アントワネットなどの人物には人気がある。

背景:

宮廷文化への美的憧れ(ヴェルサイユ宮殿など)

王政時代の「華やかさ」に対する文化的ノスタルジー

注目点:現在王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在

🇮🇷イラン

概要1979年王政パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在政治体制への不満から王政時代のほうが良かった」という声もある。

背景:

王政時代近代化欧米との関係改善郷愁を抱く層もいる

パフラヴィー家の王子たちが今も国外活動しており、象徴的な存在として注目される

💡共通点として言えるのは:

これらの国々では、王政実在していた過去がある

王政時代を「理想化」または「ノスタルジー対象」としてとらえる傾向がある

立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的情緒的な興味に留まることが多い

補足:現実的に立憲君主制の導入を望む国は稀

ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくま文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。

希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。

あなた:

世界ほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的観点から論じることは可能ですか?

ChatGPT:

素晴らしい問題提起です。

おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。

この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。

🔍【問いの再定義

世界の中で、特にどの地域共和国立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」

この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:

1. 近隣国王室存在するか

2.歴史的に長く君主制が続いた地域

3.文化圏・宗教圏の価値観

4.地政学的に他国比較されやす場所

🌍地理的に見る「君主制への関心が強まりやす地域

東アジア韓国中国

隣国君主制国家日本

特徴:

日本皇室が存続しているため、文化的ライバル意識比較意識が働きやすい(特に韓国中国

朝鮮王朝や清王朝など、比較近代まで王制が残っていた

結果:

架空王室を使ったドラマフィクション舞台として君主制が頻出

特に韓国では「現代王室恋愛政治ドラマ」のフォーマットが人気

中東イランイラクエジプトなど)

周辺国王政が多い:サウジアラビアヨルダンモロッコ

特徴:

かつての帝政パフラヴィー朝など)への郷愁が残る

現在でもイスラム伝統君主制が強く結びついている

結果:

体制イスラム共和国)への反発から王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在

✅ 東南ヨーロッパバルカン半島ブルガリアセルビアルーマニアなど)

周辺に立憲君主制国家スペイン英国(影響力として)

特徴:

冷戦期に共産化君主制廃止したが、比較最近まで王室存在

一部では王政復古を望む市民運動王家活動も見られる

結果:

君主制への憧れや文化的尊重が、他地域よりも強く残っている

ラテンアメリカブラジルメキシコなど)

現在は全て共和国だが、かつての王政帝政記憶あり

特徴:

ブラジルはかつてポルトガル王家が移住して帝政を築いた

メキシコは短命ながらも皇帝を持った時代あり

結果:

王政のものへの復活願望は少ないが、文化的ヨーロッパ宮廷文化に対する憧れが見られる

貴族文化ヨーロッパ的「格式」への関心として残る

🔻君主制への関心が比較的低い地域地理的傾向)

アメリカカナダアングロサクソン圏)

アメリカ:反王政独立戦争歴史)が国家アイデンティティの一部

カナダイギリス国王元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向

結果:

立憲君主制に対して冷静/無関心

フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセスダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない

アフリカ諸国(旧英仏植民地

多くの国に伝統首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的

一部に象徴王族がいるものの、立憲君主制制度として復活させようとする動きは少ない

結果:

自国文化の再評価の方が強く、欧州王政は「支配象徴」として敬遠されることも

🧭結論地理的に「関心が生まれやすい条件」

地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的環境があるときです:

地理的条件説明君主制への関心との関連

周辺国現存する王政がある日本英国サウジなど比較対象メディア露出により関心が刺激される

王制が比較最近まで続いていた韓国イランバルカン諸国など記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る

欧州文化貴族文化への接触が強いラテンアメリカバルカン東欧王室格式伝統象徴として文化的憧れが根付

地政学的な比較意識がある韓国日本イラン湾岸諸国など政治的文化的隣国と比べて「自国過去」への再評価が進む

希望であれば、特定地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます

あなた:

隣国王室存在するから自国立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。

ChatGPT:

ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。

まさに**「近隣に王室がある」という地理的心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。

✅ この現象を支える心理社会メカニズム

1.比較意識競争意識

隣国王室があり、その存在文化的国際的に注目されている場合(例:日本皇室英国王室)、

国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。

2.メディアを通じた王室の「輸入」

隣国王室報道戴冠式結婚式葬儀など)は国際ニュースとして流れる

→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。

3.相互影響的なコンテンツ消費

例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ

→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本皇室があるのだから韓国だって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的空想が土台にある。

🌏地域別にもう一度整理すると:

地域隣国王室自国の関心度コメント

韓国日本皇室) 高い 『宮』などで自国王室がある想定が人気。

中国日本タイなど 高い(主に歴史もの清朝ドラマ大人気。過去の王制を美化しがち。

イランサウジヨルダンなど 中〜高イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。

トルコヨルダン湾岸諸国オスマン帝国ノスタルジーと近隣国との比較

東欧バルカンスペイン英国モナコなど 中王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。

🧠社会心理学的に言えば…

これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象文化バージョンです:

自分の国にはないが、隣の国では保たれている“伝統格式”が、むしろ鮮やかに見え、それをフィクションで補おうとする。

この傾向は、特に以下のような社会状況で強まりやすいです:

国内政治に対する不満が強い

社会ヒエラルキーや美意識が揺らいでいる

Permalink |記事への反応(0) | 19:57

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2025-08-20

芸術家人民は、芸術に一切金を使わず公害被害者支援にすべての金を使え

芸術家人民は、芸術に一切金を使わず公害被害者支援にすべての金を使え。芸術品は個人財産でできる自由範囲内でしろ」と反体制運動家は断言せず実行しているように見えてしまう。もし立場を徹底させたいならば、「芸術より人権保障の方が先!」と断言すればいいのにとわたしは考えているのだが……。

結局のところあの人たちは、「作品注文者」がすべきことを想像していないのだと思う。もしそうならがっかりだ。まあ、「作品注文者」を想像している人など本当に誰もいない、といってもいいのだが。

Permalink |記事への反応(0) | 14:23

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2025-08-15

田舎文化資本論がまた出てきています

一応は市の一部だけど平成の害合併がなかったか領域人口200人切ってて、もう過疎とか過疎じゃないとかそういうレベルの話をしてないところから見ると

お前ら何を贅沢な議論しとるんじゃと言う気分になる。

ただ、なぜか芸術家が気に入ってくれる人がいて、恐らく芸術一本で喰ってる人の人数比率で言ったら日本屈指屋の場所ではあるかも知れない。

なんでだかわからんけど。 この場合文化資本ってどうなるんだ?

Permalink |記事への反応(0) | 18:50

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anond:20250814115442

地方活動してる芸術家って結構いるんじゃないか

地方都市の文化ホールとか行ってみるとそういうチラシあるけど

Permalink |記事への反応(0) | 02:28

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2025-08-08

高校体育祭練習ナシ、ぶっつけ本番のスポーツ大会だった」

「ほんと全部の競技が単なるレジャーだった。刑務所ソフトボール大会に近い」

伝統進学校出身なのにこう振り返る知り合いがいてかなり衝撃受けたんだけど、もしかして他にもそういう進学校って平気である

俺も全国的に有名な伝統進学校出身(OB学者次官大使大臣大企業社長芸術家だらけ)なんだけど、

「現役合格なんぞ捨ててガチガチ体育祭に打ち込むべき」という文化で、

それこそ体育祭消極的受験勉強やる奴は軽蔑を一身に浴びるくらいの勢いだった。

部活の定期戦とかで交流がある隣県のトップ高もどうやら同じような感だったので、伝統進学校というのはそういう所ばかりなんだと思ってたからびっくりした。

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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2025-08-05

anond:20250805130839

芸術家映画監督は?

Permalink |記事への反応(0) | 13:11

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2025-07-26

anond:20250725181216

わい、父親東京大卒画家母親もそこそこ高学歴自分はただのFラン卒。ただのサラリーマン子供のころ美術館とかたくさん連れてってもらったけどほとんど内容は覚えてない。けど親に美術館とか博物館に連れて行ってもらったことは「楽しい思い出」として心に残っているし美術館博物館に行くこと自体抵抗がない。(大人になってから知ったが美術館博物館に行くことをつまらないこと、苦痛なこと、価値のないことと思っている人が一定数いる)なんか面白そうな展示があると大人になっても休みの日に年1~2くらいで足を運んでミュージアムショップでチープなお土産買って楽しかった~。ってやってる。

父親芸術についてのうんちくを語ってもへーそうなんだーって右から左に聞き流してて、進路や就職にも影響は出なかったんだけど、大人になって「ブルーピリオド」読んでたら「あのとき親父が話してたことじゃん!」って20年ぶりに伏線回収できたり、作中に出てくる作品芸術家の名前に「あ、これ小さい頃に見に行ったことあるわ。」って記憶が呼び起こされてマンガ読むのがより楽しくなった。

進学や就職に何の影響が出なくても両親が自分にしてくれたことは人生を豊かにしてくれたし、自分でも忘れかけてたころに発見があったりする。だからあなた子どもたちにしてあげたことは学校の成績や受験に直接の影響はなくても子供たちの人生を確実に豊かにしているよ。子供たちにそんな機会を作ってあげたり、ボタンガチャガチャでも体験させてあげてるあなたたちはいいお父さんお母さんだよ。これからもそんな気負わず夏休みの近所付き合いの一環とか、「これ面白そうだな」って思ったものに気軽に子供たちを連れて行ってあげればいいよ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:28

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2025-07-25

男にゴミを食わせればゴミを食べさせられる表現問題があることがわかるという反論に対して男にゴミを食べさせるのには多くが罪悪感を持たないから成立しないって反論が支持されるの詭弁すぎるわ

やっぱりこれに反応してる人間は指摘されている問題あんまり正確に認識してないし女を加虐する作品を見て世間が女に甘いからだという結論を導き出してしまやばい感覚を持ってるんだなと思う

同じテーマ炎上していた他の件を持ち出すと、男の裸なんてみたくない、という芸術家と言っていることが全く同じ

性欲をベースにした面白さとテーマであること、だから男女差があることを誤魔化したまま男には当たりが厳しいからウケないという結論を信じてしまうなら表現として男女の偏りに寄与してしまうという指摘を全く避けられていないと思う

※変な闘争心に駆られてなければ性欲をベースにしている作品であることは通じると思うので、結論として規制必要とするとは思わないが、やっぱり大抵の男オタク表現の偏りによるメッセージ内面化してしま問題を抱えているのだと思う

自分で好んで女性性を消費しているくせに男性女性に比べて虐げられているという感覚を持ち出すのはちょっとはた迷惑すぎる生態だと思う

Permalink |記事への反応(1) | 16:05

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2025-07-21

anond:20250720211738

建物美術館を見ればいいのでは?

文化人が逗留するような保養地には大体コレクションがあるし著名な芸術家出身地にも記念館がある

Permalink |記事への反応(0) | 02:32

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2025-07-06

人間の鳴き声

英語韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語コミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上ハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域ハトは「ポッポー」があいさつでB地域ハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談ハモやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味見出ししま歌詞意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識シャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも共鳴は快である」という前提を知ったのが最近からOKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界死ぬ意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なもの裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許バイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大卒業祖母コネ幼稚園先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラPOPデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分いくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観趣味性格真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐しか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまたことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語ものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母書道家芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたち相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒人間性面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。

Permalink |記事への反応(0) | 12:43

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2025-06-28

フリーセックスに参加したことがある

アメリカ暮らしていた数年間のうちの一時期、所謂セックスポジティブコミュニティに身を置いていたことがある。

場所カリフォルニア州北部名前は伏せるが、山のふもとの広い敷地ロッジや共用スペースが点在する、ちいさな共同体だった。

そこでは「フリーセックス」という言葉はむしろ使われていなかった。代わりに「コンセンサル・ラブ(同意のある愛)」とか、「コンパッション共感)」とか、あるいは「ボディ・トラスト身体的信頼)」なんて言い回しを好んで使っていた。

最初は少し戸惑った。夜に開かれるパーティは予想していたより開かれていて、人と人との距離が近かった。

そこにあったのは奔放というより、無理をしないでいることが徹底されている空気だった。誰かと目が合えば、まず微笑み、名前を名乗り、軽くハグする。それだけで終わることも多かった。

誰かが誰かと親しくなることは咎められなかったし、逆に断ることも自然だった。

断るという行為のものも、ひとつの誠実さとして受け止められていた。驚いたのは、全員がそれをちゃん理解していたこと。日本での人間関係よりも、むしろ明確で潔く感じられた。

住民の多くは芸術家セラピスト、あるいは会社勤めを辞めた人だった。多くを語らない人もいたけれど、ひとつだけ共通していたのは、こういう形のつながりを、いま自分必要としていると自分言葉で語れることだった。

共同体暮らし始めて、2か月ほど経った頃だった。自分でも気づかないうちにあるひとりの住人との距離が他の誰とも違うものになっていた。歳は私より十ほど上で、朗らかで、どこか憂いのある笑顔の人だった。

私たち自然と親密になっていった。周囲もそれを特に止めるでも、祝福するでもなく、静かに受け入れていた。そういう場所だった。関係オープンで、他の人と関わることも禁止ではなかった。でも私の中では、だんだんとその人だけが中心になっていった。

それが良くなかった。

最初は「これは自由関係だ」と自分に言い聞かせていた。

でも時間が経つにつれて、私はその人の言葉、機嫌、目線、予定、全てに過敏になっていった。

他の誰かと話しているだけで心がざわつく。名前を呼ぶ声を聞くと胸が苦しくなる。

自由のはずの関係が、私にとっては不安定同義になっていた。

私は依存していた。

そしてその依存は、相手にとっては重荷だったのだと思う。

ある日、「ここでは、もっと軽く在っていいんだよ」と唐突に言われた。

軽く在る。それができない自分に気づいた瞬間、私はそこで一気にバランスを崩した。

それから誰とでも夜を共に過ごし、翌朝には別の誰かがキッチンコーヒーを淹れている。

ここでは欲望は抑えるより受け入れることが是とされていることをようやく理解したように。

しかし誰かと関係を持つたびに、心がすり減っていくような感じがあった。

本当は誰か一人と深く繋がりたかったのかもしれない。私は開かれたふりをして、どんどん空っぽになっていった。

十数人。名前をすぐに思い出せる人もいれば、あいまいな人もいる。そのすべての関係が嫌だったわけではない。やさしさも、温もりも、たしか存在していた。

数週間後、私は共同体を出た。

日本に帰ってから、あの場所のことをうまく人に話せたことはない。

誰も拒絶しない場所のことを。

あの夜の、焚き火のまわりに人が座り、静かにギターが鳴っていた時間を、私は今でもたまに愛おしく思い出す。

Permalink |記事への反応(1) | 15:36

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