
はてなキーワード:芝居小屋とは
元増田です。
限られたスペースで、たくさんの人々に楽しんでもらうためには、これが最大公約数なのかなと思うのだが、あえて、「自分ならこうする」という展示を考えてみたい。
ということ。
歴史資料としては、収集すべきだけど、見せ物としてはレプリカでいい。
そして、まずもって殆どの入場者にオリジナルとレプリカの違いを見極める目がない。
教科書でみたアレ、ドラマで出てきたアレ、くらいの感想で、「本物はこうなってた」みたいな感想があったとしてと、素人が感じ取れる写真との違いは、レプリカでも十分わかる。
それに、オリジナルは褪色していて、作られた当時の意匠を留めてない。
神社仏閣だって当時の色を再現する修復をしてるんだから、こういう美術品、とくに浮世絵なんてのは商業印刷なのだから、派手でケバケバしい猥雑な色を再現して展示したほうがよいだろう。
というわけで、
を述べてみる。
江戸のメディア王となった男の展示であるからには、江戸後期におけるメディアについて入場者に知って帰って貰わないと意味がないと思う。
つまり、この屏風にこういう絵を描いて欲しい、誰々の肖像をこんなふうに描いて欲しい、という依頼に応じて制作したものだった。
それが、蔦屋重三郎の時代には、木版によるカラー印刷という技術が発明されたことと、貨幣経済が発展したことにより、需要を見越して出版活動を行うようになった。
王侯貴族ではなく、庶民が店先で本や絵を買う時代がやってきた。
本や絵のテーマになるのは、山水画や花鳥風月じゃなく、もっと庶民の娯楽に直結したもの、芝居、女、旅行、etc…
それぞれについて掘り下げておく。
例えば芝居なら、芝居小屋でみる歌舞伎は照明演出が蝋燭と窓の開閉でしか調整できないから、まず薄暗い。
俳優は一年ほぼ固定で、「うちは今年一年この顔ぶれでやって行きますよー」という俳優の紹介があったこと。
みたいなことを触れておく。
例えば役者絵なら、役者絵は芝居に乗っかって売るものだから、上演期間に合わせて売り出す必要がある。
観劇して、印象に残ったところをスケッチして、それをもとに一年かけて一枚絵に仕立てる。などというやり方はありえない。
ここで、入場者にいくつかの問いかけに考えてもらう。
例えば、役柄に寄せて描くべきか、役者がわかるように描くべきか?
実写版の白雪姫のポスターを作るとして、アニメの白雪姫に寄せて描くべきか、俳優の特徴に寄せて描くべきかに置き換えるとわかると思う。
もちろん正解はない。
俳優は厚化粧しているが、それを描くべきかとどうか、芝居小屋は薄暗いがそれも描くべきかどうか、これだって答えはない。
どの問いも答えはない。
この部では、蔦屋重三郎を忘れて、バリエーション豊かに当時の解答例(作品)を提示すればいい。
写楽と春章と国貞あたりを並べるといい。
ソープランドの写真指名用のパネルを作るとして、無加工ってありえないだろう?
かといって、加工されほぼみんな同じ顔になったとして、指名したくなる推しポイントは含めないといけないだろう?
例えば、素人っぽさ、生活感がある日常を切り取った普段着のほうが萌えるって流行もあるだろう?
それだって、素人っぽく、普段着っぽく、日常っぽく加工してるだけで、本当の素人でも普段着でも日常でもない。
煌びやかな花魁が描かれてるだけじゃなく、女郎の日常が描かれたり、女郎じゃなく茶屋娘の絵が売り出されたりしてたわけ。
次の展示の前に様々なバリエーションを並べて、当時の価値観について理解の分解能をあげておく。
ここがメインで、蔦屋重三郎の足跡を辿る展示に入るわけだけど、どこで生まれて最初に出したのがこれで、みたいなのはあまり重要ではないと思う。
研究としては大事だろうけど、知識がない一般人にとっては、蔦屋重三郎がなにをどう変えたのか?どこが革新的だったのか?だけ覚えて帰ってもらえば十分。
例えば、スティーブ・ジョブズ展をやるとして、学生時代にヒューレットパッカードでバイトしてたときの記念品とか、要らないと思うんだ。
出した製品が、世界をどう変えたか?それが重要で、例えばiMacなら、そのころ主流だったPCと外観がどんなに違うか、並べたらいいと思うし、iMacを模倣して作られた他社製品を並べてやるのもいいと思う。
歌麿の登場の以前と以後で、画風の流行がどう変わったとか、写楽の絵はあまり売れなかったけど、一部に熱狂されてインスパイアされた絵師が出たこととかね。
もちろん蔦屋重三郎を語る上で、歌麿や写楽は重要だけど、版元の関与、つまりアイデア、コンセプトがどう革新的だったか、そういう見せ方をするべきだね。
例えば、写楽の大首絵は背景がガンメタリックのように黒光してる。
同じ絵に違う背景を複数作って、この背景色を選んだのが必然であったのを理解してもらうのがいいと思う。
その数だけ複製版画を用意する。
それから、写楽の大首絵の輪郭線は薄墨で目立たなく、最小限の線だけど、効率的にデフォルメされている。
3Dモデリングしたり、3Dモデリングから作ったフィギュアを展示して、線は最小限なのに顎や小鼻の丸みがちゃんとわかる確かなデフォルメなことを理解できる展示にしたらいいと思う。
黄表紙本なんかは、どれだけふざけた内容で絵が多いかわかるように、写真から製本して触れるようにしちゃったらいいと思う(できればこれも木版で印刷して製本して欲しいが、コスト的にキツいしね)。
わざわざ美術館にこなくても、デジタルアーカイブとしてみれるんだけど、製本したもののページをめくることができたら、また印象が違うと思う。
今回の展示で最後オマケ程度に現代の職人の仕事ぶりや制作過程が紹介されてたけど、あれをもっと広げてやる。
手に持って鑑賞できる触り放題な複製版画を大量に用意する。
第三部までの知識をインプットしたあとに、手に持って鑑賞するのがミソで、これ以上ない体験になると思う。
ここでアピールして、物販コーナーで複製版画がたくさん売れた方が、文化の保存に貢献できる。
承認欲求モンスターばかりなんだから、写真撮影可能な複製版画コーナーは大変重要。
さすがにオリジナルの展示もいるだろうなと思うので最後に設ける。
客はラーメンではなく情報をくってる。オリジナルをみたっていう情報でお腹を満たしてもらえばそれでいい。
「さっきみた複製とはここが違うね」
と通ぶってくれてもいい。
「さっきの複製のほうが好きだ!」
と感じてくれたら、職人たちへの激励になる。
当時、本も絵も、木版印刷なわけだが、写真と実物、複製の違いについて軽く触れる。
油絵は油絵具で光の屈折が関係するので、写真では伝わらない部分があるが、その点では木版画はフラットでマットなので、概ねかわらない。
雲母のような、光の反射を使った技法については写真ではなかなか伝わらないし、版木が押し当てられたことによってエンボスになってるようなのは、写真になるとわかりにくいが、それこそ手に持ってこそなので、ガラス越しでみてどうなんだろという感じはある。
うまい例えができないが、ビックリマンシールのシルクスクリーン印刷は、触ってこそだよ。傾けて覗き込んでみて反射や屈折を楽しんで、手触りまでがワンセット。
複製については、当然複製なので、いい複製、悪い複製があるはずなのだけど、これを論じるのはなかなか難しい。
これだけ写真印刷ができる時代に、わざわざ彫って摺ることに意味があるかと言われても、木版印刷だけの味わいがあると断言できるのだけど、そこから先のいい複製については正解がわからない。
例えば、褪色した今現在を複製するか、制作当時の色を再現すべきか、オリジナルにある制作上のミスは複製でも模倣すべきか、ベストな状態の摺りを再現すべきかという議論がある。
私は、絵そのものよりも、その背景にある表現したいモノを形にするのがいいと思うので、当時の色を再現し、ミスは修正したほうがいいと思うし、ベストな仕上がりを想像して作るべきだと思う。
また、制作方法や材料は当時の方法や材料を踏襲すべきか?という議論もある。
これについて私は、絵を通じて表現したかったことが大事だと思っていて、当時のなかった便利な方法、材料も使っていいと思う。
当時の職人だって、もしそれを知ってたら喜んで使ったはずだ。わざわざ制作のハードルを上げて、彫り摺りのレベルを落としたら本末転倒だと思う。
結論としては、やっぱり答えはない。
ただ、手にとって楽しめるのは複製の利点なので、ぜひ触るべきだと思う。
「世界で一番ゴッホを描いた男」というドキュメンタリー作品がある。
10万枚も複製画を描いた男が、ゴッホのオリジナルをみるためオランダに行き、初めてみたホンモノにうちひしがれる話だ。
取引先の画商は、
というけれど、本人には悔しくてたまらない。
たぶん、画商の言葉はお世辞じゃなくて本当にそっくりだと思ってるんじゃないかな。
ホンモノは、こういう人にだけ鑑賞させてやって、一般人は複製画で十分だ。
美術館でありがたく鑑賞する程度では、ホンモノとニセモノを見分けるような目は持てない。
女体の上位変換はないので射精産業は膨大な数が存在し、風俗レビューは常に盛り上がる一方で女は「イケメン男性同士のBLでのオナニー」だけで満足する
ファンが一人もいなかったジャニーズジュニアが某オーディション番組に出た途端に大量のファンを獲得した、ファンがいなかった一般人やロートルが地元やイベントと連動したアイドルグループや武将隊や劇団に入った途端にファンを獲得した、無名や女性に不人気な声優や俳優がアニメや2.5次元で人気キャラを演じたらファンを獲得した、博多のマイナーバンドの非モテメンバーがメジャーデビューして売り出された途端に女が寄って来るようになり、過去を取り戻すかのように女を食い散らかして、他のメンバーは制止に苦労した
男同士が集まり共闘や競争に切磋琢磨するエンタメなら芸能でもスポーツでも関係なく女のファンがつくし、そのエンタメの人気者ならチンポの立たない爺さんでもチンポのない宝塚や日韓女性アイドルグループ等の女でも構わないし実際に熱心な女性ファンに支えられている
なので芸能人や有名人と一緒に仕事してる男もおこぼれ目的の女にモテる
水原一平も人気あったし、バンドブームの頃はユニコーンのマネージャーの髭のおっさんやスタッフやローディまで若い女を食いまくっていた
だからモテる女のルックスは皆痩せた美人で統一されてるけど、モテる男はルックスにばらつきがあるだろ
女が自分の旦那と息子と推し以外の男に無関心なのは言うまでもないし、推し活も「有名人かつ特定の推し」にしか金を出さない
逆に男は女の地位や評価や経歴はどうでもいいから木嶋佳苗やりりちゃんみたいな経歴不明無職の不美人に大金を貢ぎ、貧困大家族の日本語を話せない外国人女性を嫁として斡旋するブローカーが存在する
エロ動画や風俗は言うに及ばず、自撮りや盗撮アカウントや無数のネットに転がっているエロ動画に至っては女の素性は勿論、顔すら分からないけどシコるだろ
ジャニヲタもプロ野球やバスケやバレーのプロリーグに流出し、前者はSnowMan以外の全グループの売り上げが下がってるが、後者の女性ファンや動員は爆増してる
近藤真彦〜忍者〜TOKIO〜関ジャニ∞と長年ジャニヲタやってた女性もラグビーに移行した
あと、男だけが身長や収入とマッチング率や既婚率が比例する統計がいくつもあるだろ?
日本人男性の6割が170cm以上、165cm以下は1割
https://toukei-labo.info/10_taikei/10_shincho.html
しかし風俗客、マッチングアプリ婚活市場で余剰在庫になる層は低身長男性に集中。始末に困った業者に「売れ残り婚活女性は余っている低身長男性で妥協して!」と訴えさせてしまう
「身長170cm以上の男性希望です」という婚活女性を見ると婚活業者や非モテ男性が脊髄反射で「高身長男性はすぐ売り切れて品切れするから高望み!婚活しないと相手が見つからないブスやおばさんは妥協しろ」の大合唱になるから、内心では女が顔より身長を重視するのを理解してるんだよ
しかし取り柄のないボンクラでも婚活やマチアプやれば売れて行く高身長男性と違い
芸能界一強の権力や知名度の事務所等の所属先や肩書が伴わないと低身長男性は見向きもされない
「男はコミュ力(とそれに伴う社会的評価)で選ばれるが、婚活や恋愛において低身長が余る理由はそれ
https://web.archive.org/web/20010303004351/http://www.baw.co.jp/gossip_97_3.html
テレビ局やスタジオに入れる身分も気持ちがいいけど、ジャニーズに入った途端に“ファン”がデキるというのも驚きだよね。だってさぁジャニーズじゃなかったら一般人じゃん。劇団に入っているカッコイイやつでもファンなんて一人もいないのに、ジャニーズに入っていればブサイクな顔でもファンやおっかけまでついてくるんだ。おおーこれこそアイドルじゃん! とは思ったけど、なんでついてくるんだろう? とは日々疑問であった。テレビ朝日の中にあるレッスン場にはいっつも出入り待ちのファンらがたむろっているし、おっかけはタクシーに乗ってまでついてくる。おまけに家に入るまでのお見送りつきというゴージャスな待遇である。歌手デビューしているとか、ドラマに出演しているとかだったらわかるけど、一般人が“ジャニーズ”というだけでその私生活まで大きく変化を遂げるほどの環境に変わってしまうのだ。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/2_4869.html
石原 (略)
女形が少年の役をやっててね。化粧とか照明の具合で、これがなかなかの美少年に見えるんです。そのせいか女性の観客が多かった。僕も何回か観たんですけど、ある日、舞台を観ていたら客席の方からピチャピチャという水の音が聞こえてきて、なんだろうと思った。
竹熊 なんですかその音は。
石原 昔の芝居小屋は無声映画もやっていましたから、舞台の前がオーケストラ・ボックスになっている。新派劇のときは楽隊がいないから、ボックスに腰を下ろして芝居見物するんです。一メートルくらい穴の開いた場所で、床の音がよく聞こえる。畳敷きなのにピチャピチャ音がするんです。
石原 ない。ところがね、食事は僕ら九人全員で一緒にすることになっていたんですが、明くる日になったら女の子が「あなたの部屋にいる居候を連れてきなさいよ。気の毒でしょう」って言うんですよ。その子が来たら、女どもがワーッと声を上げて取り囲んだ。
ホモなのに女にもてるんですよ。憎たらしい。両刀使いでもなくて、完全なホモです。女に取り囲まれてもまったくその気がない。美少年だからね、SMAPみたいなものですよ。女将さんは、てめえの亭主のホモ関係を邪魔するために、僕を居候の部屋に住まわせたんです。
石原 そうです。太宰府出身の二三歳。僕よりひとつ年下ですね。スマートでハンサムだった。僕なんか眉毛は太いし、目付きが鋭いでしょう。それでね、女どもがそのホモの男も日本に連れて帰ってくれ言い始めた。冗談じゃないと思って置いてきたんですけど。そのときですよ、ピチャピチャを急に思い出したのは。
竹熊 ピチャピチャ?
石原 例の『乃木大将と納豆売り』のピチャピチャですよ。あのときもそうだったんだけど、女はホモの美少年を見ると濡れるんです。女というのは、どんなに切羽詰まってもホモに味方するってわかって、貴重な体験でしたね。
性的に不能なヒトラーが若い女にモテて女性の支持が高かったのも、金髪碧眼のイケメン集団にスタイリッシュな服装を着せていたからだよな
〈ツーショット写真〉人間国宝・片岡仁左衛門78歳 “壇蜜似”41歳女性との2年不倫愛
https://bunshun.jp/articles/-/58481?page=1
A子さんは、18年春頃から、仁左衛門が出演する公演を全て観劇する“全通し”をすることが多くなるなど、仁左衛門ファンの間で、次第に目立つ存在になっていく。19年2月には楽屋口で入り待ちをしているA子さんを見つけ、他のファンもいる前で、「この前、手紙に書いてた質問のことやけどな……」と話しかけたこともあった。
その後、彼女は関係者だけが参加できる会にも参加するなど、さらに仁左衛門との距離は近づいていった。そして20年3月、コロナ禍で歌舞伎座公演も中止となったこの頃、遂に2人はプライベートで会うようになる。A子さんが仁左衛門の自宅に誕生日プレゼントを郵送すると、返事があったのだ。
人間国宝・片岡仁左衛門、不倫で〝噛む癖〟バレた! 壇蜜似の年下女性の首、二の腕に内出血のような跡 「週刊文春」報道
https://www.zakzak.co.jp/article/20221102-NPMREAYTV5LVXEMHB7ICS3DPEA/
知人の証言として、女性がウオーキングの最中にも首や二の腕を噛まれ、ホテルでも噛まれたと伝える。それは内出血のようになっていたというから、相当な力で噛んだものと思われる。
Permalink |記事への反応(11) | 10:50
https://anond.hatelabo.jp/20241002005940
演芸会は比較的寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。
それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎が広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由を説明して聞かせた。三四郎は承知した。
夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。
「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しかし三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。
「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから」
先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである。
「雨になるかもしれない」
「降ると困るでしょう」
「出入りにね。日本の芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」
「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかないからでしょう」
三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。
「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋で簡単な芝居ができそうなものだ」
「先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」
「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」
「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」
また与次郎の悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しかつ斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかわからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。
先生はそれからギリシアの劇場の構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいうドイツ人の説によるとアテンの劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうである。もっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。
さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である。
「いやはいらない」
先生はまた暗い方へ向いて行った。
三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである。
入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする。自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである。
舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっとも与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎の記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。
幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かいの談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどももし与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。
あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである。三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。
隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。
すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。
そのそばにいる男は背中を三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいぐあいにその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎のあいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。
すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎の背中をたたいた。与次郎はくるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。
この連中の一挙一動を演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分もひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。
そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎は広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレットの写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。
このハムレットは動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。
その代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎はハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうである。しかし三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。
したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。
ハムレットがオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなものに結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。
幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下から出はいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。
本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。
夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……
あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎がはいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。
「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」
三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。
「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」
「演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」
「しかたがないったって、いけない」
三四郎の言葉はだんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、
「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである。
「風邪だろう」
「風邪だろう」
両方で同じ事を言った。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。
「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」
「美禰子さんの事を? どこで?」
「学校で」
「学校で? いつ」
与次郎はまだ思い出せない様子である。三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、
「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。
「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか」
「きまったのか」
「きまったように聞いたが、よくわからない」
「野々宮さんの所か」
「いや、野々宮さんじゃない」
「じゃ……」と言いかけてやめた。
「君、知ってるのか」
「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。
誤解を承知で書くが、そもそも「芸能界」というヤクザな商売の中であった話だろう点で異世界過ぎた。
重ねて、ようするに枕営業と何が違うのか(片方が未成年であるのは別問題として。親の斡旋なら、それこそ別問題)、
もしくは江戸時代の芝居小屋じゃん?としか思わなかったんだが、お茶屋がアングラで現代まで続いてたってだけでは?いや、パトロンが限定されてたなら、やっぱ枕では?
みたいな、最初にネットで騒がれた時に抱いた感想から動かなかった。
だって当事者が旅立っている状態で表に出て、それでどうしたいのかピンと来ない。
それこそ増田の言うように被害者がドキュメンタリーに登場しない。
刑事事件か民事か分からんけれども、個別の案件は司法でやってもらって。同様の事案で被害者が多そうだ、という意味では大きな事件なので結果は報道して欲しいかな、という気はするけど被害者が納得するなら、別にどうでもいいし。組織的な斡旋であれば、それは事件なので報道して欲しい感じだけど、そもそも違うんでしょ?
芸能界の構造ガーってなると、それこそ別の切り口が必要では?と思うし。
要するに何がアレで、そんな騒ぐ必要があるのか腹落ちしない。
伝えたいことが上手く書けてない気がするので、もうちょっと追加で書く。
そもそも、美人画=美人というのはちょっと違って、ちょっとじゃないか、まるっきり違って、美人画は特殊。
まず、こちらを見てほしい。
浮世絵ではない。
眼球をおさめる眼窩のくぼみ、頬骨、顎の丸み、それを想像できるのはもはや特殊能力だと思う。
だから、フィギュアを作る造形師というのは、絵師以上の才能だと思うんだよ。
そんなわけで、次にやっぱり浮世絵の世界でも美人画は特殊という話につなげていきたいのだけど、そもそもウキヨエって時点で特殊に思われてしまうので、まずその色眼鏡を外してもらいたい。
じゃあ、下の写楽の絵を見てほしい。(浮世絵の中でも写楽は特殊と言われりゃそれまでだが)
https://data.ukiyo-e.org/bm/images/AN00521343_001_l.jpg
ディプレイに表示されたら、右手の親指と人差し指でリングを作り、リングの中に口元だけが見えるようにサイズと手の位置を調節する。
鼻のライン、口のラインから、小鼻の膨らみ、顎にかけての丸みがちゃんと理解できるのがわかるだろうか?
線一つない白塗りの頬に、頬骨がせり出して涙骨とつながってるのが見えてくるだろう。
なんといっても鼻の線どりが見事だ。
最小の線で、小鼻の膨らみを画面につくってる。
小鼻の丸みの中の小さな平面、小さな平面と丸みの連続を見事に!
その線を脳内補完して、延長すると、頬骨、顎、おとがい、すべての凹凸が見えてくる。
いやはや、いやはや、これが写楽!
輪郭線が薄墨色でかなり薄い。
バックは黒なのに、光っている(画面ではわからないが、雲母(ようするに微細な天然ガラス)を砕いたものを敷き詰めてる)。
薄い色の輪郭線と、黒なのに光るバック、これが意味するところは、つまり!
スポットライトがない時代、薄暗い芝居小屋に役者が登場したところ!
窓から光が差す。光を浴びて白塗りの役者の顔がハレーションを起こしてる。その瞬間!
どうだろうか。
恐ろしく写実的であるのに、禍々しく怪しい力を放つ手元、感情がにじみ出た表情、素晴らしく感じないだろうか。
他方、歌麿を見てみよう。
https://data.ukiyo-e.org/aic/images/79632_350913.jpg
どうだろうか?
ちょっとこれは立体造形が難しい。
美人画だ。
アニメの絵のつぶれた鼻を、薄すぎる唇を、あれが実物だったら美人と呼べるだろうか?
否!
同じように、目が大きいほど、二重がはっきりしているほど美人というのは間違いだ。
ところで、この手の記事を書くたびに、浮世絵への情熱に驚かれてる人がけっこういるけど、知り合いのオーディオマニアはもっとすごいよ。
あれは魔道。沼。
昨年急に浮世絵に目覚めた人です。
http://anond.hatelabo.jp/20150815210249
これに対して、
http://anond.hatelabo.jp/20150816024827
こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式で進化してるように思う。
ここで、それについて説明していきたい。
日本人のアイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。
ここで、見てもらいたいのは、ルフィが市川猿之助に似ていないこと。
なぜだろう?
「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」
その通りだ。
ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。
ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。
役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg
狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式なアンソロジーみたいなものである。
絵はすなわち、歌舞伎の様式美、世界観、江戸の空気を体現したものではならない。
ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである。
似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本は世界を変えた。
勝川春章
この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎の世界観、様式美との調和に成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg
顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。
歌舞伎の雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する。
彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。
ちなみに、葛飾北斎は勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。
面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである。
http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg
歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。
正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性がデッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。
スネオの髪型やカイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。
女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいのエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。
続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。
先に写楽に触れよう。
東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg
http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg
Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。
小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正は必要ない。
芝居小屋の闇を表現したかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗りの人間にスポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。
実際、写楽は売れなかったらしい。
なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビュー、しかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。
よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である。
ところで、写楽は商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。
写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば
歌舞妓堂艶鏡
http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg
http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg
歌川豊国の役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。
勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg
歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg
この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国、自称二代目豊国)、幕末の豊原国周まで続く。
末期がどんなになったかといえばこんなだ
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg
さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵の様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。
人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。
最後の浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。
晩年ともなると、このような感じ。
http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg
http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg
絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。
下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式。
どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である。
劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能。
人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター。
デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。
人物はデフォルメでも、背景描写はパースを重視するのも浮世絵的。
っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。
ちゃんとした美術史や絵の解説書から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。
>http://anond.hatelabo.jp/20090319235938
一個一個片付けてこかー。
まずはなんや、ヒトラーの命令書か。確かに発見されとらんなー。せやからなんやっちゅうねんな。ホロコーストの歴史研究で、命令書を基本にした研究なんか無いやろ?あるんか?あるんやったら教えてェな。そんなんナシの状態でここまで研究は進んどる。その内容を検討もせんと切り捨てるその態度は気に入らんな。
次はなんや、遺体かいな。終戦前後しか連合国側にガス殺遺体とやらを確認する術は無い、ちゅうことはわかるか?ちゅうことはおまえさんのゆーとる事は、「戦後、解放された収容所にガス殺遺体が残ってないのはオカシイ」ゆーこっちゃけど、エエか?んでな、ガス殺ゆうのんは、終戦1年ほどまえから、中止命令がでとったのは知ってるわな?ちゅうことはお前さんは「1年に渡ってガス殺遺体が放置されてないのはオカシイ」ゆーこっちゃわな。オレが考えてもお前さんのゆうとる事のんがオカシイで?わかるか?わからんか。まぁええわ。次いくで。
次はなんや、病院か。病院あったらオカシイか。ほな警備しとった親衛隊の人らはどないすんねんな。死に放題か。それオモロイな。ついでゆうたらなんやけど、芝居小屋も売春宿もあるんやで、収容所にはな。まぁ、冗談はええわ。収容者用の病院もアウシュヴィッツには確かにあった。せやけど、別にオカシイこと、あれへんねや。アウシュヴィッツは労働収容所でもあったことは知ってるわな?労働力も確保せなアカンわけや。せやから病院もある。せやけど、病院の実情はどんなやったやろ?プリーモ・レイヴィーとかが書いてるわな、実情を。ひどいもんやな。東京にも大阪にもようさん病院はある、せやけど救急患者は死んでいってる。これは事実とちがうんか?「病院ようさんあるやんけ」言われても困るわな。そういうこっちゃ。
んでな、もうひとつあんねん。「大量虐殺計画」てなんや?そんなんあれへんやん?ヴァンセー会議ていつあったんかは知ってるわな?あっからやで、始まったん。それでも「死んだらしゃーないわな。w」くらいなモンやで、あれ。ちがうか。でや。
あー、も一個あったな。見落としとったわ。すまんの。人間石鹸な。RJF石鹸のお話とな、別のお話があんのは知ってるわな?アレをな、いっしょくたにお話したらアカンねん。ごっちゃになんねんやわ。たぶん、あんたもそうなってるんちゃうか。歴史学者も否定して、博物館から物が引き上げられたんはRJF石鹸のほうで、も一個のスパナー教授の研究してたヤツはまだ検討中やねん。べつもんやからワケとかなあかんで。
以上やけど、なんぞあるか。あんな、いらん世話やけどな、一遍、歴史の本は読んどいたほうがエエで、ほんま。ほなな。
望まれているか定かならぬよしなしことをつれづれと書きつづるという点で、
ブログはいわば公開オナニーの場として機能している面があるけれど、
あの公開オナニーはもはやショーと呼ぶにふさわしいものだったと思う。
彼女は舞台の上をところ狭しと踊り狂うだけに飽き足らず、やがて観客にも積極的に絡みつくようになり、
ショーがヒートアップするにしたがい、最近では恥ずかしげなく自分の秘部を観客に向かって開陳するようになった。
それらは時に露骨さ過激さの度が過ぎて、当局から検閲を受けたりアカウント停止を食らうほどだった。
その奔放な行動を眺めては、あーでもないこーでもないと語らって楽しんでいたように思う。
狭いはてな村界隈においては、彼女のブログはほぼ唯一のストリップ劇場、
村民が鬱屈した性欲やゴシップ欲を満たすことのできる稀有な場所だったのだ。
うわさでは「観客が踊り子さんに手を触れてしまったから」らしい。
はしごたんの働いている場所を特定してリアルに接触したんだという。
やっぱり、いくら過激なオナニーショーでも観客と演者との距離感を守ることは大事だ。
無粋な輩もいたものだとおれは思った。
でも、一方で、公と私の狭間で自分のプライベート部分をギリギリ限界まで露出して
観衆を挑発することに生きがいを感じるストリッパーの最後としては、
ふさわしい幕切れだったのかなとも思ったのだった。