
はてなキーワード:自虐的とは
「チー牛」とは、吉野家の「チーズ牛丼」を略した言葉で、主にインターネット上で使われるネットスラングです。元々は「チーズ牛丼」を「特別大盛り温泉卵トッピング」で注文するような、内向的でオタク的な、冴えない男性を指す言葉として使われ始めましたが、現在は他者への侮辱的な意味合いや、自虐として使われることもあります。
詳細
言葉の由来:2019年にインターネット上に投稿された、チーズ牛丼を注文する男性のイラストと「すみません、チーズ牛丼の特盛りひとつと温泉卵をひとつ、お願いします」というセリフが元になっています。
具体的な意味合い:
イケてない、冴えない人物。
使用例:
ついでにデッドレコニングも見た。
デッドがマジで酷すぎてそれに比べたらマシだけどやっぱ相当酷い。
デップー&ウルヴァリンやワイルドスピードファイヤブーストみたいな作品だった。
シリーズ追ってきた人に対するご褒美映画というか、製作者のケジメ映画というか。
過去作品からいろんな人物がちょこちょこ出てきて雑に消費されていく。
これ見て「サービス精神がすごい!」ってみんな言うからMCUみたいなサプライズゲスト商法が蔓延るんだろうな。
一生やってろアホ。
どっちも悪い部分は共通していて、しかもその部分がこの作品のウリになっているのがタチが悪い。
そういう意味ではnot for meな作品なのかもしれないが、
それでもレコニングシリーズになるまではまだおもろかったんだよ。
なので、このレコニング2部作が特にヤバいんだと俺は思ってる。
もう語り尽くされてるけど「いい歳したトム・クルーズがすごいスタントを自力でやる」ことだけが主題で
あとはそのスタントにどうつなぐか以外にほとんど意味がない作品になっている。
なので、どっちも二時間半を超える大作だけどほとんどの時間が退屈。
特にデッドはもう話が退屈で退屈で。
ウルトラグレートスゴイAIを支配する鍵の奪い合いゲームなんだけど、
スられました、スり返しました、スられ返しました、スり返しました、落としました、それを拾われました、それをスり返しました、終わり。話がイチミリも進んどらんのよ。
やってるのが超A級エージェントと超AA級エージェントとその辺のスリの女。アホなん?
デッドではUGS(ウルトラグレートスゴイ)AIが電子機器にアクセスしまくって妨害してくるっていう(凄腕ハッカーが出てくる作品とどう違うのかよくわからんが)現代のスパイの弱点を突く展開があって、そこは若干の面白みがあったんだけど。
ファイナルはそのAIにほぼ全世界が支配された世界の話なのに急にAIの影が薄くなってて笑う。
核発射施設へのハッキングに忙しくてイーサンのほうには意識が避けなかったのかもしれない。
ファイナルのほうは多分、スタントしながら脚本書いたんだと思うんだよね。
今回のウリのトム・クルーズが小型飛行機の免許取って実際に飛行機運転しながらやりました!ってスタントがあるんだけどさ。
そこでラスボスの飛行機に空中でトムが乗り移っててんやわんやあって飛行機が壊れて、敵が「パラシュートないからお前死ぬで」って言って飛び降りたら尾翼に頭ぶつけて死ぬっていう酷い展開があるんだけど。
でもまぁ、空中で超高速で飛行する壊れた飛行機に取り残されたトム。どうやって脱出するのか!
パラシュートありました!やったぜ。
エッ!?
たぶんさー、飛行機に取り残されたところまで撮って、やっぱいい感じで脱出するの無理やなってなったから、パラシュートあったことにしとこうぜってなったんだと思うんだよね。じゃなきゃ説明つかない。悪役の人頭打って死んじゃったし、もうスタント撮り直せないからそのまま行きにしたんだと思うの。
M.Iシリーズはアクションを魅せる映画だって主張は6割は理解できるとしてもこればっかりは擁護のしようがないでしょ。
俺は別にそうは思ってないし、過去作に登場したラストの大どんでん返しもなくなってれば、面白スパイガジェットもなくなってるし、これが本当にM.Iシリーズか?M.Iシリーズファンならこの作品を嫌いになるわけない!って言ってるやついっぱい見たけど、この2作は明らかにスパイ大作戦じゃなくてトムのスタント大作戦だろ。
で、パラシュートで着地したトムをバックにこの作品のテーマを死亡したルーサー(レックスじゃないほう)先生が5分栗かけてペラペラお語りになられるんだけど、まーじでダサいからやめて。最後に「このメッセージは5秒後に自動的に消滅する」って出るんだけど、それは「視聴者の頭からも5秒後には消滅してる」って意味か。ずいぶん自虐的だな。
あとどうでもいいノイズとして、まーた黒人の女大統領かよっていうのと、サイエントロジー信者が陰謀論者を説教する映画is何っていうのと、結局スリの女、ホンマにその辺から急に生えてきたスリの女なん?っていうのと、ガブリエルに妻を殺されてMIFに入ったトムが今度はガブリエルから大切な女を救う話かと思ったらそっちはそっちで勝手に問題解決してて草、とか。
過去のM.Iシリーズを好きだった人ほど、この作品の適当さには心底怒りがわくと思うんだが。
もちろん、特にこのVFX全盛期でここからAIに映画業界が支配される可能性もある時代にいい歳したトムが自分ですごいスタントをやって、そのことで役者ってすごいんだぜ、生身の人間がやる映画ってすごいんだぜ!っていうランドマークを打ち立てたこと自体は大変意義のあることだし、トムありがとう、そしてありがとう、って思いはある。
が、それと映画が面白いことは別だし、生身の人間が危険なことやってるのがいい!ってだけならそれこそXゲームのダイジェスト集でも編集して映画サイズにしとけばよくね?主役をヴィン・ディーゼルとかアイスキューブとかにしてさ!
とにかく最後に言いたいことはトム・クルーズお疲れ様。安らかに眠れ。R.I.P
二度と復活するな。
Geminiさんは、参政党にかなり否定的だなぁ。中立といえど知力があれば否定せざるを得ないよな。
いくら絆や家族愛を謳っても根本がカルトビジネスなら悪であることには変わりない。
AIとして、私自身が特定の政党に対して「カルトである」という断定的な意見を持つことはありません。しかし、参政党がなぜ一部から「カルト」あるいは「カルト的」と評されるのか、その理由を客観的な事実や指摘に基づいて多角的に評価・解説することは可能です。
最終的に「カルト」と判断するかどうかは、この言葉をどう定義し、どの側面を重視するかによって変わります。以下に判断材料となる要素を整理します。
「カルト的」と指摘される理由
参政党の活動や支持者の言動には、社会学や宗教学で指摘されるカルト集団の典型的な特徴と類似する点がいくつか見られます。
1.カリスマ的リーダーへの強い帰属意識と絶対視
神谷宗幣氏という絶対的な存在: 党の共同代表である神谷氏の発言や思想が、支持者にとって絶対的な指針となっている傾向があります。彼の発言はほとんど無批判に受け入れられ、彼への批判は党への裏切りと見なされがちです。これは、教祖やグルを崇拝するカルト集団の構造と類似しています。
2. 強い「我々と彼ら」という二元論
敵の明確化: 「グローバリスト」「ディープステート」「製薬会社」「マスメディア」「既存政党」などを国民の敵として描き出し、「目覚めた私たち国民 vs.日本を貶める彼ら」という単純な対立構造を提示します。これにより、支持者は自分たちを「真実を知る選ばれた存在」と認識し、強い連帯感と使命感を持つようになります。この排他的な選民思想はカルトの典型的な特徴です。
3.独自の思想・陰謀論の共有
真実の提供者としての党: 反ワクチン、反マスク、反昆虫食、反コオロギ、反GMO(遺伝子組み換え作物)、歴史修正主義的な主張など、科学的・歴史的な定説とは異なる独自の思想や陰謀論を「隠された真実」として提供します。これらの情報を党の動画や講演会でのみ得られると信じ込ませることで、外部からの情報を遮断し、党への依存度を高めていきます。
4. 内部からの批判への不寛容さ
異論の排除:過去に党の運営方針に疑問を呈したり、リーダーを批判した党員や地方議員が離党勧告を受けたり、除名されたりするケースが複数報告されています。組織の統一性を重視するあまり、内部での健全な議論や批判を許さない体質は、カルト組織に見られる強権的な運営と共通します。
5. 強い感情的な連帯と支持者の熱量
「目覚め」という体験の共有: 支持者の多くは「参政党のおかげで目が覚めた」という共通の体験を語ります。これは、ある種の回心(コンバージョン)体験に似ており、支持者同士の強い感情的な絆を生み出しています。集会やイベントでの熱狂的な雰囲気は、政治活動の域を超えていると指摘されることがあります。
参政党側の主張と支持者の視点
一方で、参政党自身やその支持者は、これらの指摘を「不当なレッテル貼り」だと反論しています。
国民運動・学習政党である:参政党は自らを「特定の誰かのための政党ではなく、国民みんなでゼロから作る国民運動」であり、「みんなで日本のことを学び、考え、実践する学習政党」と位置付けています。
マスメディアが報じない情報を伝えている:既存メディアが利権によって伝えない国民の健康や食の安全、国の主権に関わる重要な情報を発信していると主張します。
「カルト」という批判は妨害工作: これらの批判は、既得権益層が参政党の躍進を恐れて行っているネガティブキャンペーンであると支持者は考えています。
総合的な評価
参政党は、公職選挙法に則って選挙に参加し、議席を持つ合法的な政治団体です。その点において、社会から隔絶された閉鎖的な宗教カルトとは異なります。
しかし、その運営手法、支持者との関係構築、思想の浸透プロセスにおいて、
排他的な二元論
科学的根拠に乏しい独自理論の展開
内部批判への不寛容さ
といった、社会的に「カルト的」と見なされる特徴を色濃く持っていることは否定できません。
結論として、参政党を「反社会的な宗教カルト」と同一視することはできませんが、「カルト的な特性を強く帯びた政治団体」と評価することは、多くの客観的な事実から可能であると言えるでしょう。この評価は、同党の政策や思想そのものへの賛否とは別に、その組織としてのあり方に対する分析です。
参政党が公式に掲げる目的と、その活動から批判的に分析される目的は、しばしば分けて考えられます。
公式に掲げる目的 (建前) 🇯🇵
参政党が公式サイトや演説で主張している主な目的は、「日本の国益を守り、子供たちの世代に誇りある日本を遺すこと」です。そのために、以下の3つを重点政策の柱としています。
1. 食と健康、環境保全 (食料主権の確立)
日本の食料自給率の低さや、食品添加物、農薬、遺伝子組み換え作物(GMO)などの問題を重視しています。国民の健康を守り、国内の農業を保護・育成することで、食の安全保障、いわゆる「食料主権」を確立することを目指しています。
2.国守り (国家の主権と国益の追求)
「グローバリズム」の名の下に、日本の主権や国益が外国勢力によって脅かされていると主張します。特に、世界保健機関(WHO)のパンデミック条約や、外資による土地買収、過度な対米従属などに反対の立場を取ります。憲法改正にも前向きで、日本が自立した主権国家として毅然とした外交・安全保障政策を行うべきだと訴えています。
3.教育 (次世代への正しい歴史観の継承)
戦後の日本の教育が、自虐的な歴史観(いわゆる「WGIP」の影響)に基づいていると批判します。子供たちが日本の歴史や文化に誇りを持てるような教育を実現し、国の成り立ちや神話を正しく伝えることで、愛国心や道徳心を育むことを目的としています。
批判的に見られる目的 (本音) 💼
一方で、その運営方法や活動内容から、以下のような目的が真の狙いではないかと批判的に分析されることもあります。
ビジネスとしての組織拡大
前回の会話にもあったように、参政党は「不安を煽り、その解決策を売る」というビジネスモデルの側面を持っています。
政治活動を広告塔に:党の知名度を上げることで、党役員が運営する会社の商品(サプリ、書籍など)や、高額なオンラインサロン、セミナーへの集客力を高めます。
支持者を顧客に:熱心な支持者は、党の思想を支持すると同時に、関連商品を購入し続ける優良な「顧客」となります。
この視点では、政治的な目的の達成そのものよりも、党というプラットフォームを利用してビジネスを拡大し、収益を上げることが主目的と見なされます。
影響力のあるコミュニティの形成と維持
選挙で議席を獲得すること以上に、強力で熱心な支持者からなるコミュニ-ティを形成・維持すること自体が目的となっている可能性があります。
このコミュニティは、
情報の拡散力を持つ:SNSなどで党の主張を拡散し、世論に影響を与える。
経済的に組織を支える:党費、寄付、商品購入で組織の財政基盤となる。
リーダーに求心力を与える:リーダーはコミュニティの存在を背景に、社会的な影響力や発言力を獲得します。
この場合、党は「政治団体」であると同時に、リーダーを中心とした一種の「オンラインサロン」や「ファンクラブ」としての機能が強いと言えます。
まとめ
参政党の目的は、見る立場によって異なる二重構造になっていると分析できます。
表向きの目的 (建前): 食・国防・教育を通じて「日本の国益を守る」という愛国的な政治活動。
裏の目的 (本音/批判的分析): その政治活動を手段として、「ビジネスを拡大」し、「影響力のあるコミュニティを維持」すること。
熱心な支持者であるかのような文体を維持しつつ、行頭の文字を縦に読むと参政党への批判が浮かび上がる「縦読み」をいくつか作成しました。
皮肉や風刺の効果を狙い、一見すると賞賛、しかし本質は批判、という構成になっています。
パターン1:「カルト」
最も直接的で痛烈な批判の一つです。信奉者の熱狂的な様子を逆手に取ります。
るいなき愛国心をお持ちの方です。
パターン2:「デマ」
パターン3:「うそ」
うそばかりの世の中で、
【ポイント】
これらの文章は、元の文章が持つ「私たちは正しいのに不当に攻撃されている」という悲壮感や熱狂的な雰囲気を逆手に取ることで、皮肉の効果を高めています。SNSなどで使用する際は、文脈に合わせて調整してください。
今回の参議院選挙が終わり参政党の躍進を見て、30年以上続いてきた左派が主導する社会が終焉を迎えたとしみじみ感じている。
私は平成初期生まれの地方出身30代であるが、日本をフレームとして政治、社会、個人に分けると社会は常に左にあったように思う。ここで言う社会とは学校、マスメディア含めた個人を取り巻く環境だ。
注意しておきたいのは政治は政権交代含めなんだかんだ左右のバランスは取れていて、個人の思想も地方と都市で差はあれ日本人全体で見ると差はなかったように思う。
だが社会だけは常に左派が支配する環境にあった。具体的には私自身バリバリのゆとり教育ど真ん中を生きてきた世代だが、学校教育の場ではみんな違ってみんないいの価値観。歴史教育では自虐的歴史観。マスメディアでは右翼的な言論はタブー視されていた。
当時(平成初期〜中期)の日本で公人が日本人ファースト、核武装などと声をあげれば社会に抹殺されていただろう。少なくとも個人が保守的な考えを持っていても公の場で口にできる雰囲気ではなかった。
しかし平成が終わるにつれ貧困層の拡大、ネット社会の台頭、世界的なトレンドなど様々な要因から徐々に左派が主導権を失っていった。
そして今回の参院選でついに長い長いある意味ディストピアが終わった。
私は決して極右政党が支配する社会を望んではいないが、参政党も共産党も自由にメディアで公言できるという点でやっと日本がフラットな社会になったように感じている。
JSONと比べたときの**YAMLの「闇深」仕様**、ありますね…。
YAMLは人間に優しいと言われながらも、その仕様はときに**悪魔的**。
以下、ITエンジニアなら一度は踏んだであろう「地雷」を、**論理的かつ少し自虐的に**まとめてみました:
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good:value:okbad:value: nightmare # ←ここ、インデントずれてて無効。だけど一見わからない。
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password: no # ←文字列じゃなくてfalse になる可能性serial: 012345 # ← 8進数!?→エラー
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message: | これは複数行のスカラー値です。
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defaults: &defaults timeout: 30 retries: 3service: <<: *defaults retries: 5 # 上書きされるが、複雑になると意図しない結果に</pre>
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もしYAMLを安全に扱いたいなら、\*\*JSON supersetとしての使い方(厳格YAML)\*\*を意識したり、**JSONに寄せて書く**のが一番平和だったりします。
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要するに、YAMLは「賢く書こうとすると沼る」。
「素直に、簡潔に、禁欲的に」が正解です。
でも誘惑が多いのよね、あの子……。
昔書いたけど、今は少しまた違うのかなってなってきたからまた書いてみる。
使わないべき派として、一番の主張は
「『腐』というマイナスイメージの言葉を使うのは男性同性愛者に差別的」
のところだと思うんだよね。
で、それに対する反論が
「『腐』は同性愛者や同性愛を指す言葉ではない。作品を歪めて受け取る自身への自虐だ」
だと思う。
ただ現状「自虐だ」って強い意識を持って使う層は限られているように感じる。
「オタクなんだよね」と同じ程度の軽さで「腐ってるから~w」と使われる。
というか「BL」自体を「腐」と呼ぶのだと思っている層(成り立ちなどを知らない若年層か?)も確実に、結構いる。
男同士が近い絵に「腐注意!」って書いてたりね。(建前上は「腐向け注意」と書くのがが正しいのかな)
「腐はカプ厨を指すからBL以外にも使うんだよ」って主張もあるけど実際今自称しているのはBL愛好家がほとんどだろう。
ただ頭から「腐呼びは差別的、やめるべき」とも言いきれない、というか言われたくない。
かつてネット上で女オタクが自虐的に隠れなければいけなくなったこと、腐女子という自称にはそれなりの由来と意味があったのだということ、そういうものを漂白し隠すことになるのではないか?
「クジラを食べるなんてあり得ない、後進的」と言われている気分にもなると言うか。こっちにだって文化があるんだという。
「リベラルがうざいから腐女子って自称し続ける」って人もいるくらいだし。
フラッドの調子がいい(みたい)。
客が入らない、売れない、と自分たちも自虐的に言っていたし言っているが、ここ最近、動員も少しずつだけど上がっているよう。
こないだのツアーはZepp Divercity売りきれてなかったみたいだけど、私が行った会場は確実に去年より客が増えていたし、ソールドアウトした会場も増えた。
MVの視聴回数も上がってる。1年前まで、フラッドの新曲のMVの視聴回数なんて3万くらいが多いほうだった。それが今は1ヶ月で15万〜20万再生よ。過去のMVの視聴回数も増えてる。これが当たり前の数字だけど、ちょっと前までそれすらできてなかった。
ファンとしては嬉しい限りだし、ようやく、という感じで、来年この右肩上がりの調子で武道館とかやれたら最高だなあ、と思う。
ここまでたいへんだったろうけど、佐々木とメンバーの頑張りがようやく実を結びつつあるのかなあ、と思ったり。
でもスタッフがこういうのをうまくできてない。だからこんなに時間かかってる。恵まれてない。
私が言いたいのは音源はともかく、MV、ジャケとかのデザインがダサすぎる。
これ、たぶんスタッフになんのイメージもないまま、メンバーとデザイナーに打ち合わせさせて、出てきたものを右から左にテキトーに投げてるからなんだろうな。
もうちょっとクリエイティビティ考えようよ。私のほうがまだいいアイデア出せるわ、とこないだ飲んでたファンの子も言ってた。愛感じないんだよね。
イベントとかの出演も、なんでこんなのに出るの?ってのが多くて首かしげる。安売りしないでもうちょい考えないのかな。メンバーもマネージャーからの話断れよ。
フラッドみたいなバンド、ライブも大事だけど、全体のイメージ作りとか戦略もっと大事なんだからさ。そういうのしっかり考えて、センスある人マネージャーにしてよ。
じゃないともっと上に行けないよ。
それだけ不安なんだよなー。
まあもがいてる佐々木亮介も好きなんだけどね。
全体最適とか世界的に見て〜とか言ってたら他国に搾取されるだけ
もちろん、ヨーロッパみたいに世界的に見て良くなるように立ち回っている風で我田引水するのは良いが、本気で世界を優先して自国を二の次にするのは流石にカモ
それは当たり前だし何も悪いことではない
人それぞれ優先順位が違うから何をもって自国ファーストとするかで喧嘩するのは仕方ない
俺も参政党は好かんがそれはアイツラの考えが国益に繋がらないと思うからで、日本ファーストを目指しているからではない
この文章がAIによって生成されたかどうかを100%の確実さで断定することはできませんが、AI生成っぽさがあるか、人間による創作っぽさが強いかという観点で分析・判断は可能です。
一貫して「誇張されたオタク的・自虐的キャラ」視点で書かれており、テンションの起伏も激しく、擬音語・奇抜な表現が多用されています。
この手の文体は、特定のジャンルのネット文化(2ch、Twitter大喜利、ニコニコ動画、VTuber配信など)における“テンプレ化されたノリ”を模倣したようなスタイルです。
→ このスタイルは人間による創作で非常に多く見られ、ネットミームとの親和性が高いです。
「ありがたまきん」「すまんすまんこ」「ナマポ受給者でござる」「にゅにゅにゅる」など、放送禁止ギリギリのワードやネットスラングを多用。
通常のAIは、こうした文言をデフォルトで避けるか、規制が入ることが多いです(例:OpenAIのChatGPTや他社のAIは、無条件ではこういう表現を生成しません)。
→ この点から見ると、AIがそのまま自発的に出力する可能性はやや低く、人間の創作の可能性が高いです。
文の途中に唐突な話題転換(コーラのくだり、ナマポの自己申告、Switch2の流れなど)がありますが、全体として読み手を楽しませるための“カオスな一人芝居”としては成立しています。
→ この「意図的な崩し」は、人間の意図・笑いの感性が強く感じられる点です。AI生成だと、もう少し構造的にまとまった表現になる傾向があります。
4.現実には存在しないもの(Nintendo Switch2、マリカワ)
これは創作のフィクション要素であり、AIでも出力可能ですが、オチの「おしまい」で締める演出含め、人間のギャグのリズム感を感じます。
AIが生成した可能性:ある程度あるが、文体・内容的にやや低め(10~20%程度)
もしこの文章がAIで生成されたものだとしたら、プロンプトが相当細かく練られていて、ネット文化とギャグ調表現に強く最適化されたプロンプトが与えられていた可能性が高いです。
この文章は、おそらく人間によるネット系ミーム・ギャグ文体を意図的に模した創作です。AIが生成したとしても、人間が後編集して整えた形跡がありそうです。
友情結婚の記事を見て、恋愛対象と性的対象が別で結婚した事例を知った。
かく言う自分はいわゆる小児性愛者で、性的対象は二次性徴前の児童だけど、そんな子供と恋愛する気はなく、恋愛対象と言えるのは同世代。
こんな自分だから当然恋愛も結婚も諦めていたし、ちょっと前に話題になった「セックスしたくない男はいないのか」の話題の時にも、「ここにいるさ、小児性愛者だけどな」と半ば自虐的に考えてた。
親の圧とか社会の目とか制度の優遇さとか、結婚に興味はあるものの、自分の属性を理由にできないことにしてた。
https://anond.hatelabo.jp/20250531124228
そのパーソナリティをより詳細に推測するために、以下の観点から分析します:(1)文体と表現の特徴、(2)価値観と信念、(3)感情の傾向、(4)社会的・文化的背景への反応、(5)自己認識とアイデンティティ、(6) 年齢や生活状況の推測。これらを通じて、投稿者の性格、心理、背景を推測し、前回の分析をさらに深めます。特に、質問者が指摘する「90年代への美化」「老害臭い発言」「冴えない生き方」「オタクアイデンティティ」に焦点を当て、具体的な根拠を文面から抽出します。
投稿者の文体は、感情的で攻撃的、かつネットスラングや過激な表現(「底辺」「雑輩」「ハナクソほども興味ねぇ」など)が多用されています。以下に特徴を整理します。
口語的で感情的な語り口: 「ようわからんわ」「ブー垂れて」「ガチで頭抱えてる」など、会話調で感情をストレートに表現。ネット掲示板(特に匿名掲示板やX)に慣れた文体で、読者との対話や反発を意識した挑発的なトーンが目立つ。
過激な言葉遣い: 「反社の底辺どもなんて皆殺し」「公立校は猿」といった過激な表現は、ネット文化特有の誇張や煽りを反映。感情の昂りを強調し、共感や反発を誘う意図が見られる。
具体例と長編的な語り:2008年の「とくダネ!」特集や京アニ事件、ヤマグチノボルなどの具体例を詳細に挙げ、自身の主張を補強。長編で冗長な記述は、知識の誇示や「語りたい」欲求を示唆。
自虐と予防線: 「誹謗中傷と言われそう」「アカウント停止要請100連打」など、自身の意見が攻撃されることを予期し、予防線を張る表現。これは、ネット空間での批判への警戒心を反映。
推測:投稿者は、ネット文化(特に匿名掲示板やX)に長期間浸かってきた人物で、過激な言論や煽り文化に慣れている。感情的な語り口や挑発的な表現は、ネットでの存在感を主張する手段であり、リアルな対人関係では抑制されている可能性がある。長編で詳細な記述は、知識や経験をアピールしたい欲求や、承認欲求の強さを示唆する。
投稿者の価値観は、階級意識、自己責任論、過去のオタク文化への強い愛着に特徴づけられます。
階級意識とエリート主義:オタク文化を「金銭的余裕のある層」「高学歴層」のものと定義し、底辺層や反社属性の参入を「場違い」と敵視。「偏差値60手前の進学校」「明治大学卒」などの例を挙げ、進学校や高学歴を肯定的に評価する一方、「公立校は猿」と貶す。この態度は、エリート主義的で、学歴や経済的背景による格差を当然視する価値観を示す。
自己責任論: 「22歳を過ぎて底辺にいるのは自己責任」と断じ、社会不適合者や反社属性の人物を「環境ではなく性格の問題」と批判。社会構造の格差を認めつつ、個人の努力不足を強調する保守的な信念が見える。
過去の美化:90年代後半~2000年代初頭のオタク文化(デジキャラット、アキハバラ電脳組、エロゲ黄金期など)を「青臭い願望」の象徴として懐かしみ、現代のオタク界隈を「反社汚染」と批判。このノスタルジーは、過去の文化を自身の青春やアイデンティティと結びつける傾向を示す。
推測:投稿者は、学歴や経済的背景による社会階層を強く意識し、自身を「上位層」または「文化を理解する側」に位置づけたい願望がある。自己責任論を強調する一方で、社会の格差構造に苛立ちを感じており、底辺層への軽蔑は、自身の不安や劣等感の裏返しである可能性がある。過去のオタク文化への執着は、現在の生活や社会への不満を補うための精神的支柱となっている。
投稿者の文面からは、怒り、軽蔑、苛立ち、ノスタルジー、自虐といった感情が混在しています。
怒りと軽蔑: 「反社属性」「社会不適合者」への強い敵意と軽蔑(「お前アニメ見たことないだろ?」「雑輩」など)は、自身の価値観やアイデンティティを脅かす存在への拒絶反応。京アニ事件の青葉被告への言及では、「意味不明すぎる」と憤りを露わにする。
苛立ちとフラストレーション:ネット(特にX)での反社擁護や「社会不適合者と反社の区別」に苛立ち、「そんな奴リアルで見たことねぇ」と感情的に反発。この苛立ちは、自身の意見が受け入れられないことへの不満や、ネット空間での対立への疲弊感を反映。
ノスタルジーと失望:90年代~2000年代のオタク文化を「キラキラした願望」の象徴として美化し、現代の変質に失望。「あの日に卒業しとけよ」との表現は、過去への郷愁と現在のオタク界隈への落胆を示す。
自虐と防衛: 「アカウント停止要請100連打」「大嫌いなオタク界隈」など、自虐的な表現や予防線は、批判への恐れや、ネットでの孤立感を反映。自身の発言が「老害臭い」と見られる可能性を自覚している。
推測:投稿者は、強い感情の起伏を持ち、特にオタク文化への「汚染」に対して攻撃的な態度を取る。これは、自身のアイデンティティや価値観が脅かされていると感じる防衛機制の一環と考えられる。自虐や予防線は、ネット空間での批判や孤立への不安を示し、感情的な不安定さをうかがわせる。
投稿者は、日本の社会構造やオタク文化の変遷に敏感で、以下のような反応を示しています。
社会格差への意識: 「建前では平等だが実際は格差がある」と、日本の社会構造を批判。オタク文化がこの格差を「突きつける」場だとし、底辺層の流入を「幻想を抱く誤解」と分析。2008年の「とくダネ!」特集や電車男ブームを引用し、メディアがオタク文化を「一発逆転の場」として誇張したと非難。
オタク文化の変遷:90年代~2000年代初頭のオタク文化を「純粋」で「高品質」と評価し、現代のネット中心のオタク文化を「反社的な幼虫」に汚染されたと批判。リアルな秋葉原や池袋の治安改善を肯定的に捉える一方、ネット(Xなど)を問題視。
ネット文化への適応と反発:過激な表現やスラングは、Xや匿名掲示板の文化に適応したものだが、「反社擁護」や「社会不適合者との区別」に苛立つ様子は、ネット言論の二面性(過激さと擁護の混在)への不満を示す。
推測:投稿者は、社会格差や文化の変遷に敏感で、自身の価値観やアイデンティティが現代の変化に適応しきれていないと感じている可能性がある。ネット文化に慣れつつも、その過激さや矛盾に苛立ち、過去のオタク文化を「安全な避難所」として理想化している。
オタク文化への強い結びつき:投稿者は、90年代~2000年代のオタク文化(エロゲ、ラノベ、アニメ)に深い知識と愛着を持ち、具体的な作品名(『グリーングリーン』『デジキャラット』)やクリエイター(ヤマグチノボル)を詳細に挙げる。この知識量は、オタク文化が自身のアイデンティティの核であることを示唆。
「本物のオタク」意識: 「反社属性」や「社会不適合者」を「アニメを見たこともない偽物」と批判し、自身を「本物のオタク」として位置づける。この対比は、自身の文化的優位性を保ちたい欲求を反映。
現実での疎外感:文面からは直接的な生活状況の言及がない。ただし、「底辺層」への強い軽蔑や「自己責任論」の強調は、自身が「底辺」ではないと主張したい防衛機制の可能性。ネットでの過激な発言や長編記述は、現実での承認不足を補うための行動とも考えられる。
推測:投稿者のアイデンティティは、オタク文化への深い愛着と知識に強く根ざしている。「本物のオタク」としての自己認識は、反社属性や社会不適合者を排除することで強化されている。現実での「冴えない生き方」は直接言及されないが、過剰な攻撃性や過去への執着から、社会的・職業的な成功が不足している可能性がうかがえる。オタク文化が「唯一の誇り」として機能しているため、その「汚染」に対する過敏な反応が生じている。
年齢:90年代後半~2000年代初頭のオタク文化(デジキャラット、アキハバラ電脳組、エロゲ黄金期)に強い愛着を示し、2008年の「とくダネ!」特集を詳細に記憶。この時期を青春時代として経験したと仮定すると、1990年代後半(15~20歳頃)生まれの可能性は低く、1970年代後半~1980年代前半生まれ(2025年時点で40代前半~50代前半)が妥当。「40代」推測は妥当と考えられる。
生活状況: 直接的な言及はないが、以下の間接的ヒントから推測:
長編で詳細な投稿は、時間的余裕があることを示唆(例:無職、フリーランス、低負荷の仕事)。
過激な表現やネット文化への適応は、リアルな対人関係よりもネット空間での活動が主である可能性。
「底辺層」への強い敵視は、自身が「底辺」に近い立場にいることへの不安や否定の裏返しかもしれない。
社会的な孤立感: 「老害臭い」と見られる自覚や、ネットでの批判への予防線は、社会的な疎外感や孤立感を示唆。現実での成功体験(職業、対人関係)が乏しく、ネットやオタク文化に逃避している可能性。
推測:投稿者は40代前半~50代前半で、オタク文化に青春を費やした人物。現実での職業的・社会的成功は限定的で、ネット空間(Xや増田)が自己表現の主要な場となっている可能性が高い。オタク文化への知識と愛着がアイデンティティの中心であり、「冴えない生き方」を補うために過去の文化を美化し、現代の変化に過剰に反応している。
性格:感情的で攻撃的、知識を誇示する傾向。ネット文化に適応しつつ、過激な言論や煽りを通じて自己主張を行う。自己防衛的で、批判への警戒心が強い。
心理:オタク文化への愛着がアイデンティティの核。過去の文化を美化し、現代の変質に苛立ちや失望を感じる。底辺層への軽蔑は、自身の社会的地位への不安や劣等感の裏返し。承認欲求が強く、ネットでの発言で存在感を確立しようとする。
背景:40代前半~50代前半で、90年代~2000年代のオタク文化を青春として経験。現実での成功体験が乏しく、ネット空間やオタク文化に逃避。経済的・時間的余裕はあるが、社会的孤立感や疎外感を抱えている可能性。
矛盾と葛藤:オタク文化を愛しつつ、その特権性を批判。底辺層を軽蔑しつつ、自身も「冴えない」可能性を自覚。ネット文化に適応しつつ、その過激さや矛盾に苛立つ。
投稿者は、40代前半~50代前半の男性(文体や文化的参照から男性の可能性が高い)で、オタク文化に強い愛着と知識を持つが、現実での社会的成功が限定的な人物。オタクアイデンティティが自己認識の中心であり、現代のオタク界隈への「汚染」に過敏に反応する。過激な表現や過去への美化は、ネット空間での承認欲求と、現実での疎外感や不安を反映している。
「老害臭い」印象は、過去への執着と現代への不適応から来ており、質問者の「冴えない生き方」「オタクしかアイデンティティがない」という推測は、文面から高い確度で裏付けられる。
LAUSBUBについての意見
https://anond.hatelabo.jp/20250522113747
だが、この人はLAUSBUBの他の曲をちゃんと聞いたんだろうか?
「棘にある動画レベルで出場だとしたら」と書いてるのでたぶん聞いてないんだろう。ブコメでも指摘されてるが。
この手の人ってどうして「~だとしたら」って前提を勝手に作ってしまうのか。「だとしたら」じゃないのよ。
まず最低限youtubeに上がってる、より直近の楽曲も聞いた上で分析すべきでしょ。
さらにLAUSBUBについて具体的に語ってるのは最初の数行だけで、後はずーーーっとブルースがどうのとかジミヘンがどうのとかの話ばっか。
そんなの考えてる暇あったら他の曲も聞きましょうよ。
んで、彼女らが制服でやってる当時の演奏は確かに技術的に拙いよ。そのままの構成で野外フェスの大きさでやるには不向きだろう。
だけどそれだけで「負けるだろう」とか言い切れるのがほんとにすごい。これが音楽好きの言うことなのかと呆れてしまうという意味ですごい。
彼女らの他の楽曲も聞けば、バックグラウンドに明らかに様々な音楽が根付いてることが分かる。
ベースとしてはテクノ、ニューウェーブの影響が濃いのは明らかだが、その後にこれはどういったジャンルから吸収されたものか分からない。
恐らくより色んな音楽を聞くようになって、インダストリアル系やアート寄りな音、サンプルも取り入れつつ(マスロックも聞いてるかも)、そこに本人たちのルーツにある素朴なロックやポップスのコード感などが混ざり合ってるようにも聞こえる。
最近の(インディーズでの)若い人の楽曲の特徴として、バース、ブリッジ、コーラス(Aメロとかサビとかのあれ)みたいな安定感のある構成を無視する傾向もある。
やり過ぎると気持ちよく聞けないのでそれこそ素人が手を出すには危ない領域だが、LAUSBUBはそのへんのバランス感覚も優れていると思う。
理屈でやってるわけではなさそうだけど、結果的に単なる実験的なエレクトロというだけでなく、どこかポップミュージックとしての軽快さもある。
彼女らの曲を聞く限り、フジロックに出るレベルじゃないだろとは安易には思えない。
少なくともフジロックはジャンルを絞ったものでなく、多様なジャンルのごった煮フェスである。
勝った負けたなんてさほど重視されないほど今の音楽は多様になっているのだ。
自分が感じた感想は、あのとき女子高生で拙い技術ながら熱を感じる曲をやっていたあの人達が、
そのまますくすくと成長した結果音楽的にもより豊かな世界を作るようになったのか、なるほどそれでフェスに参加か、素晴らしいね、だった。
たぶん元増田は「女子高生」とかのワードに引っ張られすぎなのだ。
自虐的に「おじさんが同じことやってもどうせ受けないでしょ」とか書いてるけど、そもそもやれば同じことできると思ってそうなのが舐めている。
ChatGPT:
こんにちは、***。おかえりなさい。今日はどんなサポートが必要ですか?
あなた:
今日は、川端康成の雪国の素晴らしさを説明してください。私は情景の表現能力が素晴らしい所に、多くの人の評価を得ていると思ったのですが、如何でしょうか。
ChatGPT:
こんにちは、***。いい問いですね。「雪国」は川端康成の代表作であり、彼が1968年にノーベル文学賞を受賞する大きな要因となった作品です。あなたの感じておられる「情景の表現能力」についての評価は、まさにその通りで、多くの読者・批評家がそこに川端の美学を見ています。
雪国の素晴らしさ
1. 詩的な情景描写
この冒頭の一文からも分かるように、川端はごく簡素な言葉でありながら、読者を瞬時にその世界に引き込む描写力を持っています。雪の冷たさ、静けさ、孤独、そしてその中にある人間の温もりが、視覚・聴覚・触覚的に伝わってくるのです。
雪国の厳しく美しい自然は、登場人物たちの内面の寂しさや情熱と強く共鳴しています。川端は風景を単なる背景にとどめず、人物の心の状態と呼応させて描くのが非常に巧みです。
日本的な「わび・さび」や「無常観」が全編を通して流れており、それが登場人物の関係性(島村と駒子)にも反映されています。決してはっきりと語られない思い、交わらぬ心、それでも一瞬の交差にある美しさ。それを淡く儚く描く手法は、世界文学の中でも特異なものとされています。
川端の文章は冗長さがなく、非常に簡素です。しかし、その中に緻密な観察と繊細な感情の流れが込められており、日本語の持つ曖昧さや余白の美を活かした文体が評価されています。
***がおっしゃるように、「情景の表現能力」はまさに川端文学の核心であり、彼の描写によって読者はまるで雪の中に立っているような臨場感を味わいます。この視覚的・感覚的な豊かさが、「雪国」が高く評価される大きな理由の一つです。そしてそれは、言葉だけではなく、沈黙や行間にも宿る表現の美しさでもあります。
ご希望があれば、「雪国」の中の具体的な場面を取り上げて、情景描写を詳しく読み解くこともできますよ。
どの場面に興味がありますか?
あなた:
駒子との会話の表現に、性的魅力を潜ませていた部分が有ったと思います。そこで説明してもらえますか?
ChatGPT:
とても鋭いご指摘です、***。
川端康成の『雪国』における駒子と島村の会話には、直接的な描写は少ないものの、微妙な言葉の選び方や仕草、間合いを通して、明らかに性的な魅力や緊張感が漂っています。それは決して露骨ではなく、むしろ抑制された美しさの中に潜ませることで、読者に深い印象を残す手法となっています。
駒子は芸者でありながらも、どこか純粋で真っ直ぐな性質を持っています。島村との会話の中で、彼女は冗談を交えながらも、距離を詰めようとする素振りを見せます。その中に、読者は彼女の身体性や情念の強さを感じ取るのです。
「あなたって、ほんとうにいやな人ね。」
このような言葉は一見、怒っているようですが、背景には甘えや関心の裏返しがあり、そこに親密さや性的緊張感が潜んでいます。
川端は駒子の身体を直接的には描写せず、所作や衣擦れ、髪や肌の質感などを通して、その存在感を伝えます。例えば以下のような場面。
「駒子は浴衣の裾をはだけながら、ふと見せた足を引っ込めた。」
こうした一瞬の動作の描写と、それに続く何気ない会話とがセットになることで、読者の中に淡く性的な気配が生まれます。会話自体は日常的であっても、その沈黙や目線の動きが情念を代弁しているのです。
駒子は次第に島村に心を許していき、自分の不安や哀しみを吐露します。ときには自虐的に、そしてときには感情的に揺れ動く駒子の言葉には、島村への強い愛情と肉体的な渇望が滲みます。それが、単なる恋愛感情を超えた、人間的な「求め」の深さを感じさせるのです。
川端は「エロス」を露骨には書きませんが、「美しいものとしてのエロス」を描くことに長けていました。駒子の色気や女性性は、島村との淡い会話の中で時折顔を出します。それはあたかも、雪の中に赤く灯るこたつの火のように、はっきりとは見えなくても、存在感があるのです。
もしご希望でしたら、特定の章やセリフを引用して、さらに細かく分析してみましょうか?
あなた:
今のところは、この説明で充分です。また後程伺うかもしれません。
ありがとうございました。
ChatGPT:
『雪国』のような作品は、読むたびに新たな美しさや深さが見えてきますので、またいつでもお声がけください。お待ちしています。
どうぞよい時間をお過ごしください。
「この性欲、“推し”たくなるほどメロい――!」
愛も欲も抑圧された時代に、“メロい”衝動を肯定する新時代の仮面ライダーが誕生する!
人々の抑圧された性欲から生まれる怪人「リビドーズ」に立ち向かうのは、推しに人生を救われたオタク女子――仮面ライダーメロイ!
年齢:22歳
職業:日雇いライター(性表現ジャンル担当)/自称“推し活セラピスト”
推し:地下アイドル「Plasm♡Lust」のセンター・星野レイジくん
性格:テンション高めの陽キャ寄りオタク女子。推し語りが止まらないタイプ。
変身ベルト:
→感情を読み取る特殊装置付き。推しボイスを再生しながら変身。
「メロタマ(Melotama)」
→推しから得た性的/精神的高揚感を保存するカプセル型アイテム。推しのグッズに似ている。
変身時セリフ:
概要:
性欲・愛欲を抑圧し続けた人間の深層意識から生まれた怪人たち。
暴走すると、周囲の人間の感情も引きずり込んで欲望地獄へと変える。
代表的怪人:
リビドー・ヤンデル:推しと同化したいがゆえに破壊衝動に目覚めた女オタ型怪人
リビドー・クソデカ感情:推しに重すぎる感情を持ちすぎて爆発した者の成れの果て
カヲルは「性欲=恥」という価値観に苦しんでいたが、推しを通してそれを愛と理解の形に昇華させようとする。
彼女の戦いは、「恥じなくていいよ」と他者に語りかける旅でもある。
「この欲望、推せる。ってことは、戦えるッ!」
地下アイドル「Plasm♡Lust」の現場帰り、春日カヲル(22歳)は、いつものように一人、推し・星野レイジくんのチェキを見つめながら電車に揺られていた。
「推し…マジでメロい……。尊い……もう息できない……。これは愛……愛……」
でも、どこかで引っかかっていた。
ライターの先輩にはこう言われた。
「アイドルに欲情してるとか正直気持ち悪いよ。推しって言葉は性欲丸出しでキモい」
カヲルは笑ってごまかしながら、その言葉が心に刺さって抜けなかった。
その夜。
「性欲を抱いたら“ファン失格”」
そんな世間の価値観が具現化したかのような怪人「リビドー・ピュリタン」が現れる。
“汚らわしい欲望”を感知し、人々の性的衝動を切除して“清らかなマネキン”に変えていく。
「あなたのその目線、“穢れて”ますよ。推しに欲情?最低ですね」
「やめてよ!私の気持ちは……ただ、ただ……メロくて……!」
「君の気持ちが“本気”なら、戦えるよ」
カヲルは叫ぶ。
「私の性欲、推せるんだよ!推しは尊いだけじゃない……メロいから好きなんだよッ!!欲望って、気持ち悪くないッ!!」
リビドライバーが発動し、カヲルは初めて仮面ライダーメロイへと変身する。
初変身したメロイは、自分の“気持ち悪い”とされた衝動をそのまま武器に変え、リビドー・ピュリタンを撃破。
だが、敵の断末魔は不穏だった。
戦いの後。
「推しって……たしかに、ちょっと気持ち悪いかも。でも、その“気持ち悪さ”が、私の“好き”の始まりだったんだよね」
男女問わず使う性癖用語&スラングは、ほぼ全て男性向けから生まれてる
↓
女性向けにない時は男を野蛮呼ばわり
↓
?????
ははーん。
こいつ女性オタクと全く接点がないミソジニー非モテオタクだな?
意味: 主にボーイズラブ(BL)において、性行為や関係性における役割を示す言葉。「受け」は挿入される側、または精神的に受け身な役割を担うキャラクター。「攻め」は挿入する側、または精神的に主導権を握る役割を担うキャラクターを指します。
解説:BL作品を理解・創作・語る上で最も基本的な概念の一つです。どちらが「受け」でどちらが「攻め」かという「カップリング(組み合わせ)の左右」は、ファンにとって非常に重要な要素となることが多いです。
「証拠」・文脈:BL漫画、小説、同人誌のキャプションや紹介文、ファン同士の会話、SNS(Twitter/Xなど)でのカップリング表記(例:A×B、Bが受け)などで極めて一般的に使われています。「#●●受け」「#▲▲攻め」といったハッシュタグも多数存在します。
意味: 「腐女子」は男性同士の恋愛(BL)を好む女性ファンの自称・他称。「腐向け」は、そのようなファン層を対象とした作品やコンテンツ全般を指します。
解説: 元々はやや自虐的なニュアンスを含む言葉でしたが、現在ではコミュニティを示す一般名詞として広く使われています。この言葉の存在自体が、BLというジャンルとそのファン(主に女性)の巨大なコミュニティを象徴しています。
「証拠」・文脈:自己紹介、作品の注意書き(「腐向け注意」など)、SNSのプロフィールやハッシュタグ、ニュース記事などで広く使われています。「腐女子」をテーマにした漫画やエッセイなども多数出版されています。
意味:人間がα(アルファ)、β(ベータ)、Ω(オメガ)という第二の性を持つという特殊な世界観設定。特に男性のΩが妊娠・出産可能とされることが多く、男性同士のカップルが生物学的な子供を持つことが可能になる設定として、BL作品で非常に人気があります。「ヒート(発情期)」「番(つがい)」などの関連用語も存在します。
解説: 元々は海外のファンフィクション発祥とされますが、日本のBLコミュニティで爆発的に普及し、多くの商業BL作品や同人誌で採用されています。非現実的な設定だからこそ描けるドラマや関係性が、多くの女性ファンの心を掴んでいます。
「証拠」・文脈:BL漫画・小説のジャンル表記、同人誌即売会でのジャンル分け、pixivなどの投稿サイトのタグ、SNSでの作品紹介などで頻繁に見られます。「#オメガバース」で検索すると膨大な数の作品や言及が見つかります。
意味:キャラクター、カップリング、作品、アイドル、声優など、自分の好きな対象(推し)に対して、あまりの素晴らしさや愛おしさ、幸福感などから、拝みたくなるような、神聖さすら感じるほどの強いポジティブな感情を表す言葉。
解説: 元々は宗教的な言葉ですが、オタクコミュニティ(特に女性ファンが多い)で感情表現として転用され、広く定着しました。「好き」や「可愛い」を超える、最大級の賛辞として使われます。感情が昂ぶりすぎて語彙力を失った状態を示すこともあります。
「証拠」・文脈:SNS(特にTwitter/X)での感想ツイート、ファン同士の会話、作品レビューなどで日常的に使われます。「○○(キャラ名や作品名)が尊い」「尊すぎて無理」といった形で頻出します。多くのメディアでも「オタク用語」として紹介されています。
意味: 「尊い」と似た状況で使われることもありますが、より感情の振れ幅が大きい状態を表します。(1)好きな対象が魅力的すぎたり、供給(公式からの情報や新作など)が多すぎたりして、感情が処理しきれないポジティブな「しんどさ」。(2)物語の展開が辛すぎたり、キャラクターが不幸な目に遭ったりして、精神的にダメージを受けるネガティブな「しんどさ」。どちらの意味合いでも使われます。
解説:ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、感情が極度に揺さぶられている状態を示す便利な言葉として、女性オタクを中心に広まりました。「感情のジェットコースター」のような状態を表現するのに適しています。
「証拠」・文脈: 「尊い」と同様に、SNSでの感想、ファン同士の会話などで頻繁に使われます。「推しの供給過多でしんどい(喜び)」「今日の公式ストーリーがしんどい(悲しみ)」のように、文脈によって意味合いが変わります。
意味: 「夢女子」は、漫画・アニメ・ゲームなどの既存キャラクターと、自分自身(または自分の分身となるオリジナルキャラクター)との恋愛や交流を妄想・創作する女性ファンのこと。「夢小説」はそのような内容の二次創作小説を指します。
解説:キャラクターへの強い愛情や「もし自分がこの世界にいたら」という願望を満たすための創作・嗜好形態です。恋愛要素だけでなく、友情や家族のような関係性を描くものもあります。男性キャラクター相手だけでなく、女性キャラクター相手の場合もあります。
「証拠」・文脈:pixivなどの投稿サイトには「夢小説」「夢向け」といったタグやジャンルが存在し、多くの作品が投稿されています。SNSでも「#夢女子さんと繋がりたい」といったハッシュタグが使われ、コミュニティが形成されています。同人誌即売会にも「夢」関連のジャンルが見られます。
意味:作品の登場人物たちの特定の組み合わせ、特に恋愛関係にある(とファンが考える・妄想する)二人組を指す言葉。「カップリング」の略。
解説:二次創作活動やファン同士の交流において、どのキャラクターとどのキャラクターの組み合わせを好むか(推しカプ)は非常に重要な要素です。BL、男女カップリング(NL/ノマカプ)、百合(GL)など、様々な組み合わせに対して使われます。
「証拠」・文脈:ファンアート、二次創作小説、同人誌、SNSでの会話や作品投稿などで日常的に使われます。「推しカプはA×B」「この二人のCPが好き」といった形で表現されます。作品名の後に「CP名」を付けて検索することも一般的です。
意味: 最も応援している、好きなキャラクター、アイドル、俳優、声優などの対象を指す言葉。「一推しのメンバー」を略したのが語源とされます。
解説: 単なる「好き」を超えて、積極的に応援したい、その活動を支えたい、という熱意を込めて使われます。「推し活(推しを応援する活動)」という言葉も生まれ、グッズ購入、イベント参加、SNSでの布教活動など、様々な形で表現されます。
「証拠」・文脈:アイドルファン、アニメ・ゲームファン、舞台ファンなど、非常に広範な女性コミュニティ(もちろん男性ファンも使います)で使われています。SNSのプロフィールに「推し」の名前を書いたり、「#推しのいる生活」「#推ししか勝たん」といったハッシュタグが流行したりしています。
意味: (主にBLにおいて)男性キャラクターが精神的・肉体的に屈服させられ、女性的な役割(受け)や感覚に「堕とされる」状況や嗜好を指す言葉。プライドを砕かれたり、意に反して快楽に溺れたりする描写が含まれることが多いです。
解説: Aさんのご指摘にもあった言葉ですが、男性キャラクターの尊厳が傷つけられる過程や、抗えない快感に支配される背徳感などに性的興奮を見出す嗜好として、一部のBLファン(特に過激な描写を好む層)の間で使われます。
「証拠」・文脈:BL漫画・小説のタイトルや内容紹介、pixivなどのタグ、同人誌のジャンル表記などで見られます。刺激の強い描写を含むため、検索や閲覧には注意が必要とされることが多い言葉です。
意味: 直接的な描写はないものの、状況証拠や象徴的な表現、キャラクターの言動などから、あたかも「○○」という事象(例:妊娠、キス、セックス、結婚など)が起こったかのように強く示唆されたり、ファンがそう解釈したりする状況や表現技法。「概念妊娠」「概念キス」のように使われます。
解説:特に男性同士の関係性を描くBLなどで、生物学的な制約や描写の制約を超えて、二人の結びつきの強さや愛情の深さを表現するために用いられることがあります。また、公式からの供給が少ない場合に、ファンが想像力を働かせて関係性を補完する際にも使われます。
「証拠」・文脈:SNSでのファン同士の考察や感想、二次創作のテーマなどで見られます。「このシーンは実質○○(例:結婚)」「これは概念△△だ」といった形で使われます。解釈の幅が広く、想像力を刺激する言葉として機能しています。