
はてなキーワード:自殺未遂とは
https://anond.hatelabo.jp/20250909213330
えええぇえええーーーーーーーーー!!!?
朝起きて、ぼんやりカタツムリの虫かごを確認したらビックリ横転。水分補給と湿度維持のためにと、ミニココットに張ってある水にカタツムリがドップリ浸かっていた。
しかもなんか、殻にこもって浸かってるとかじゃなくて、水中でカラダ全部剥き出しなんだけど!?!?!?!?
ちょうど昨夜、ひっくり返って転がってるのを旦那さんと見つめながら「コイツ死んだ?」「いや呼吸孔動いてるから生きてる」「まあそろそろ死ぬかもな」なんて話してたので、とうとう死んだのかと観察する。
浸水1.5cm程度の水。
これまでも首?を突っ込んで水をガボガボ飲む姿はよく見かけたが。え?先っぽから尾まで全部水に浸されてるし呼吸孔までバッチリ浸水してるけど?え?あなたそれ息できてへんのちゃう?え?死んだ?え??え???すでにご臨終!?
オロオロしながら虫かごを持ち上げたら、だらっと伸びた触覚が水中で僅かに引っ込んだ。生きとる。
30分くらいなら水中でも生きられるそうなので(流石元貝)体を水に浸して水分補給でもしてるのか、それとも天井から落ちた先が水溜りで溺れてるのかよくわからない。
ひとまず生きてるなら、自力で脱出できるだろうし……でもそれをやらないのはこの状態を自ら望んでるから??なぜ?どーして?
どうしたもんかと悩む。まさかカタツムリの認知症?なにもかもわからなくなっちゃった…?
ぐるぐると思い巡らせながら、頭の片隅で「砂抜きしたときのアサリ」を思い出す。それも新鮮なアサリじゃなくて、20%オフとかで売ってて大半がもうご臨終してるタイプのやつ。水中でダラリと伸び切ったカタツムリの体は、まさに死にかけのアサリだ。
まあ好んでやってるならまた水に向かうだろうし、多分ほっといたらこのまま死ぬし…と、とりあえず水から出してやる。が、軟体部分はダラリと垂れ下がって伸びたまま。普通、私が触ったりすると体を殻の中に引っ込めるがその感じもない。脱力してまるで気力がない。朝イチの入水自殺は食い止められたが、死期が間も無くなのだろうと思わせるような姿だった。
「カタツムリ死んだかも」と、すでに出勤した旦那さんにもラインする。
「30度のお湯かけてみたら?元気になるかも」と返事が返ってきた。
バーロー。カタツムリは我々以上に体が水分なので水温には敏感だ。ぬるま湯でも激アツレベルらしく、死ぬど!?……とは返事せず放置する。
でも、カタツムリは動きがゆっくりすぎて数分単位どころか数時間単位、数日単位で動かないのはザラにある。ひとまず数時間後にまた様子を見ようと、小松菜を入れて仕事部屋へ向かった。
数時間後。再び虫かごを見たらめっちゃウェイウェイ小松菜食べまくっていて、驚くほどいつも通りだった。なんやねんな。
しかし最近は、ひっくり返ってる時間が多いので死期が刻々と近づいてるのは間違い無いだろう。まあ気が向いてる間は、カイゴツムリしてやるよ。
インターネット依存症が酷すぎる。
始まりは高校生の時、iPod touchを買ったことだった。
帰宅部で、自称進学校の落ちこぼれ。現実逃避のために、毎日インターネットをしていた。
当時よく見ていたのは、まとめサイトだった。キニ速とか、ハム速とか。何も考えずにスクロールしているうちに、朝になっていた。
どこかの論文で読んだが、ASDとADHDの両方の傾向がある人は、常人の10倍ネット依存になりやすいらしい。
たぶん、日常生活でドーパミンを補給できないぶん、ネットで過剰に補おうとするのだろう。
ギャンブルよりはマシかもしれない。でも、失った時間は5年以上だ。後悔してもしきれない。
ネットを始めると、もう止めることができない。
お腹が空いても端末を置けない。眠くても寝られない。
そして一番つらいのは、ネットサーフィンをしていても全然楽しくないということだった。
平日も土日も、空いている時間は全部ネットサーフィンをしていた。
家の中で突然叫ぶことが増えた。
けれど、大学に入ってからまたインターネットを始めてしまった。
なんとか卒業はできたが、就活はうまくいかず、不本意なまま社会に出た。
今は27歳。転職して2社目にいる。
それでも依存は続いている。
「控えよう」と思っても無理だ。みんな、どうやってるんだろう。
今の僕は、iPhoneのスクリーンタイムでほとんどのサイトにアクセスできないようにしている。
マイナンバーのページや、図書館の予約サイト。アプリも使えるのは、GoogleMapとかLINEとか最低限。SNSは一日10分だけ。
睡眠時間を確保するために夜の23時から朝8時まですべてのアプリが使えなくなる。
アプリを更新するために、タイムロッキングコンテナにパスワードを入れるやり方で、9日に一度だけ解除できるようにしている。
未知のサイトにはアクセスできないので、毎回「すみません、スマホ使えなくて…」と店員に言う。
恥ずかしいけれど仕方ない。
美容院や不動産屋でも、客にスマホ操作を求められることが多くなって、本当に困る。
いつもは増田も見れないようにしているけど、今日は9日に一度のチートデーだ。
現代社会でインターネットに接続できないというのは、あまりにも重い業のように感じる。
似たような人がいたら、どうやって生きているのか教えてほしい。
アプローチする人間が異常者だった場合に逃げ場がないなら、生活、もしくは生死に影響するからです
友人が、にこやかに接していただけの同僚男に自殺未遂やらかされて病んで退職したんだよね
同僚男は友人の家で会社の人たちとBBQやった中にいたらしくて、家に呼んでもらえたから好意があると思い込んだらしく(会社の人みんないるやろがーい)
ベタベタしてくるわ個別にお家訪問したがるわキモメッセ送ってくるわでまじやばく、上司に相談したらしいんだよね
で、上司が対処して2人のチームを離した、そのチーム分割のメールで周囲が察してしまったと思い込んだその同僚男が「晒された、恥をかかされた」と勘違いして自殺未遂
自殺未遂にキレた家族が訴訟だー!と乗り込んでくるみたいな地獄絵図
結果友人の人生はめちゃくちゃにされたってわけ
ほんとこういうスーパー加害マンは何らかの罪に問うたり隔離したりしといて欲しいんだけど
というわけで、社内恋愛、なんてものはまともな人間しかいなければまあ成り立つんだろうけど、そうとは限らないからやっぱ怖いしキモいし生命の危機がつきまとうし最悪なんだよねー、と、思う
なんか今まで抱えていた想いをここに流したらスッキリしたな
まだうまい使い方がわかってないけどたまにお世話になるかも
Twitterだとなんかツイートしたことに対して他のフォロワーからやいのやいの言われて嫌だったんだよな
知り合いにはとても言えないほど今の思いがキモすぎるので、ここで想いをぶちまける。
タイトルに既婚者と書いてある通り、普通に男と付き合って男と結婚している。旦那のことはめちゃくちゃ大好きだ。
だが、女に恋をしてしまった。
恋と呼べるものなのか自分でもあまりわからないのだが、とにかく1人の女性に対して「友愛としての好きを超える好き」を感じてしまっている。
彼女のことを仮にA子と呼ぼう。
創作企画専用のdiscordなどで音声通話を重ねるにつれ、私はA子に好感を抱いていった。
A子はとにかく言語化が上手い。私がめちゃくちゃ言葉を使うのが下手くそなので、私がなかなかうまく言葉にできなかったことをちゃんと言語化してくれるA子はいつもすごいなぁと思っていた。
また、A子は知識の吸収力もすごく、A子が今まで知らなかったジャンルの知識をみるみる吸収していって、元々そのジャンルにいた私よりも語れるようになっていたのは素直にすごいと思った。
そして何より、A子はすごく声が綺麗だった。
彼女の落ち着いた話し声を聞いてるだけで、とても幸せな気持ちになったものだ。
そんなわけでA子のことがかなり好きになっていたのだが、その「好き」がなんだか変だぞと感じたきっかけは、通話で彼女を泣かせてしまったことからだった。
創作企画のことで思い悩んでいたA子をなんとか諌めようと、相手の気持ちを一切考えてない正論を投げつけてしまった時。
A子は「わかってますよ!……わかっているんですよそんなことは……!」と泣き出してしまった。
なんとかクソバイスモードから相手に寄り添うモードに自分のスイッチを切り替えて宥めることでその場は収まったのだが……。
その後からだった。彼女のことを考えると胸が高鳴るようになったのは。
これは初めての感情……ではなく、実は以前も経験があるものだった。
随分昔に、ネット人狼で知り合った男性と対面人狼のオフに参加した時、私が狼側で彼が村側だった時に彼が最終日に推理を外して負けて泣いてしまったことがあったのだが、その後も彼のことを考えると恋のように胸が高鳴るようになっていた。
泣くほど熱い気持ちで真剣になっている姿に心打たれたのか、それとも単に吊り橋効果かキュートアグレッションか。
いずれにせよ、私はA子に単なる友情以上の感情を抱くようになってしまった。
ただ、それでも私が一番大好きなのが旦那なのは変わりないし、そもそも私はA子と付き合いたいわけではないしA子と性的なことがしたいわけでもない。
ない、はずだったのだが……
最近、A子に「増田さんは仕方のない人ですねぇ……」と呆れられた感じに言われたい気持ちが強くなっている。
あの落ち着いた素敵な声で罵ってほしい。
だが、この妄想で自慰行為を行ったが最後、人間としてかなり終わってしまいそうな気がするので、なんとかギリギリ踏ん張っている。
色々と限界になって男性向けの女攻めシチュボを漁っているが、やっぱり彼女の声じゃないと全然しっくりとこない。
罵られたいけど、嫌われたいわけではないからなぁ……。
とりあえず、次彼女と通話する時までになんとか表に出さないよう、こうして吐き出すことにする。
***
なんかもっと「ヴォエ!!キッモ!!!」って言われると思ってたのに創作みたいだとかブコメで好意的なコメントがついて困惑している。
創作だと思って誉めてくれてるならそのまま創作だと思っててくれ。
実際はそんなに絵面的に美しくないから……。
それはそうと、discord録音からのAIで罵られ再現は本気で検討したいが相手に無許可でやってもいいものなのか?
そこまで行ってしまうと妄想と現実が入り混じっていよいよ脳がダメになりそうなので、しばらくは脳内再生で我慢したい。
別の記事でちょっと語ったんだが、A子は同じ界隈の人間にふとしたことから怒りを抱いて追い詰めてしまって自殺未遂までさせてしまっている。
昔の私なら、人を自殺未遂まで追い詰めるほど怒る奴は悪い奴だ!と思っていただろう。
だが、何故か私はそんなことをしてしまったA子のことを「ヤバい女だな」と思いつつも嫌いになれなかった。
最近米津玄師がIRISOUTという曲を出したが、それを聴いた時「これ自分とA子のことか?」とマジで思ったぐらいだ。
私の中ではA子が大正解になってしまってるしA子に自分の中の善悪の基準を乱されている。
私にとってA子は悪魔かもしれない。
でもそれでも嫌いになれないしやっぱり仲良くなりたい。正気か?
A子がした所業から、A子を表立って褒める言動はあまりできなくなってしまった。
というか、A子を褒めたら界隈の他の人からDMで「今はみんなピリピリしてるんでやめといた方がいいですよ」と警告が来た。
確かに一理あるとは思うが、表立ってA子を褒めることができないのは悲しい。
辛いな。
***
思った以上に反応があってびっくりしている。
直球で厳しいことを言ってくれた人、本当にありがとう。
知ってる人に相談してたら多分こういうことを内心で思われていたんだろうなと思うと、誰かに相談する前に匿名でぶちまけて、こうやって厳しい意見で目を覚ますことができて良かったと思う。
まあ、一番良いのは誰も読まない日記に書いて仕舞い込んでおくことだったとは思うが。
この気持ちに「推し」という言葉を与えてくれたのは感謝している。ただ、素人を「推し」にするのはそれはそれでちょっと問題がある気もするので、徐々に「友人としての好き」に持っていけるようにしたい。
一番好きなのはA子よりも旦那だし、この気持ちはなんとかやり過ごして旦那を大事にしていきたい。
もし今後道を踏み外しそうになったら、ここのコメ欄の厳しい意見を見て正気に戻るようにするよ。
Permalink |記事への反応(14) | 22:34
私の生まれ育った家も比較的似たようなもんなので私の考えを書いてもいいかな。
私が生まれ育った家庭は機能不全。兄弟が1人いるが、中学から不登校。多分調べればなんらかの障害があって、そして父の存在感が薄い。母は精神障害。ふふ、同じだね。こんな家庭は実はそれなりにいるんだと思う。
日記には父の存在がなかったように感じるが、存在しないのと存在感がないのは心を病む要因としてそんなに大差ないのでまあどっちでもいい。
私は「夫婦でどうにかしようとするのはもう諦めよう」が一番手っ取り早いと思う。あなたは義理の旦那さんの立場でしょ。生まれた時からその環境に身を置いてる人とは耐性も価値観も「どうにかできるだろう」の希望も全部異なる。お兄さん40代でしょ?40年変えられなかったものはもう無理だよ。ここからまた40年かけりゃ変わるかもしれないけど。
そもそも、親や家族に変える力がないから40年もそうなってる。親はどっぷり共依存だし、奥さんもまたそこに鎖で繋がれてる感じ。
私は20代の頃に家族がしんどくて鬱病みたいになって、(これとは別に摂食障害も長年患ってた)このままではこの家に飲まれると思って一大決心して家を出た。新幹線にのらないと行き来できない程度の物理的距離を取ってある程度精神を切り離した。うちは貧乏なので簡単にはうちに逃げてこられない。私も簡単には帰れない。そうしなかったら、私はあのままあの家に飲まれて母と同じように精神を病んでたと思う。今よりさらに離れるのはオススメ。
「子どもを殺してくださいという親たち」という漫画を読んだことはある?あれはなんか参考になるかも。面白いのは、何か救いの方法が描いてると思えば、あの厳選された漫画のネタですらまるで解決に至ってない事例がそこそこある。世の中そんなもんだ。諦めよう。
うちは兄弟はまだマシで最近はフリーターとして働けているけど、それもいつまで持つか。ふとした拍子に暴れるし自殺未遂するし、殴られたり、包丁を向けられたことなんか何回もある。外出先でも見境がないのも同じ。
アイツらは自分の都合が悪くなれば母を脅して、母の気持ちを自分の思い通りにコントロールして自分の心の平穏を保ってる。最悪なやつだ。
「コイツを〇〇してやる」と思って、自分の暴言とかによって相手が自分の思う通りの反応をしたら気持ちいいでしょ?アイツらは他に思い通りになることなんか世の中にないから、母親を自分の思う通りに傷つけて支配して心の平穏を保ってるんだよ。んで母親ってのはハイハイと必死に言うこと聞くの。世の中の誰もそんなふうに動いてくれないのに。それが気持ちいいんだろうね。歪んでんの。そんで、それを見て育った兄弟はなんとか改善したいと思うけどどーにもなんないの。親にその気がない限り。
どっちも親子なはずなんだけど、手のかかる方の子を親ってのは気にしちゃうんだよね。私は何度も言われたよ「あなたは大丈夫だけどあの子は」って。「この子を殺して私も死ぬ!」とか何度もやってたよ。母にとって問題ない方の兄弟子は「我が子」よりも「一緒に問題を抱える同志」って感じなんじゃないかな。
そんな感じなので私は家族ではなく私を変えることにしたの。「それでお母さんが死んでも心を病んでも、それがお母さんが選んだ道だから」「兄弟が死んだらそれがそいつの寿命」って。私のお母さんは幸せより不幸が好きなんだって。昔読んだ漫画にそんなセリフがあって、あの漫画に私は人生を救われたの。ああ、この人たちは不幸なこの環境が居心地いいんだって。
こーゆーご家庭のお母さんはね、引きこもる家族に自立を促すために殴られたり暴言を吐かれたりするくらいなら、今まで通りでいいの。変えようとする方がしんどいから。
あなたも、あなたの奥さんもそれに付き合う必要はない。私だって何度も母を幸せにしてあげたいと思ったけど、何をどう頑張ったってずっと母は不幸そう。不幸に慣れてんの。それが奥さんや私のお母さんなの。
救ってあげたいけど、諦めないと共に沼に沈むだけ。兄を引き受ける気がないならお母さんも諦めるしかない。知恵の輪みたいにがんじがらめにくっついてんだから。40年かけてぐちゃぐちゃになった知恵の輪を数年とかでほどけるわけない。よほど経験値のある実力者なら知らないけどね。でもそんな人は行政支援とかにもいない。もっと高度な問題を解決する仕事に従事してるんだと思う。
ごめんね。自分や自分の家族を投影しながら書き殴ってるから伝わってないところとか、あなたの事情を汲んでない自分語りになって申し訳ない。でも、重ねて言うけど、お母さんと兄を別に考えてどうにかしようと思うなら諦めた方がいい。
奥さん、もうあなたは十分悩んだでしょ。そして知ってるでしょ。お母さんはお兄ちゃんを変える力も更生する力もないくせに、親の愛だけでどうにかしようとしてどんどん深みにハマってるって。まずはあなたが家族と心を切りはなして、別世帯の人間として、できる親孝行をしてあげたらいいよ。苦しいかもしれないけど、私はそうすることで摂食障害も鬱もぜーんぶ改善したし家族の負担が減ったことで心が楽になって結婚もできた。
車に乗せてお出かけしたりしてね。そーゆー時間もあるんだよね。でもね、変わらないんだろうなって諦めの心を持って、旦那さんと2人で幸せになりな。
私の母は、今はもう「どうして私は人生のあの時あんなことをしてしまったんだろう」ってほぼ24時間何かを後悔しながら精神薬を飲んで暮らしてる。私は母を幸せにしてあげたかった。「兄弟とお父さんさえいなければ」ってずっと思ってた。でも、お母さんは文句言いながらも兄弟とお父さんを人生から手放さなかった。それが母の人生。私は違う、私は私でよそで幸せになります。
ごめんね自分語りをして。
しかし驚くことに私は家族とは仲良しだと周りに思われてるし実際に親とは仲良しだよ。よく2人でお出かけしたりランチに行ったりしてる。まったく話に出てこなかった父とも積年の恨みなんか忘れたようによく話す。兄弟とは話してないが、帰省もしょっちゅうしてるよ。一緒にテレビ観たりして過ごすし、人前では何にもないかのように家族の話もしてる。問題の根本解決とさえ向き合わなければこんな時間も手に入る。これは離れて半分見捨ててるからこそできることで、逆になんとかしたいと思ってたら絶対叶わない。
あと、これは憶測だけどもし実家がそれなりの財産になるようならそれも諦めた方がいい。諦め料、縁切り料としては安い方だと思う。
これはあくまで私の意見。ごめんね長々と。誰か、このなんとかしたいと思ってる夫婦を助ける術を知ってたらぜひ教えてあげて欲しい。
先日バーの前でケンカしたことで逮捕された某氏ですが、特にヲチしてたわけでもない皆さんは「なんか久しぶりに見たなー」くらいの気持ちだと思うんです。経緯もあんまりわかってなさそうなので。そこでですね、今回ははてなブックマークを基準に氏が話題になり、今回再び話題になるまでの歴史をたどってみたいと思います。
はてブで氏のハンドルネームを本文検索するとヒットするのは574件。はい流石にそんな全部追ってられませんね。ブクマ数を30の記事に絞ると144件、50に絞ると97件にまで減りました。まあある程度ネットで話題になったと言えるのはこの辺ではないでしょうか。とりあえず30ブクマ記事をベースに追っていきましょう。
本人が最初に登場するのは、2015年7月の安保法制に関するTogetter記事。この頃はネットでいろんなことを喋る市井のTwitter民でした。投稿で最初に話題になったのは飲食店経営のTogetter記事。これが2016年10月です。その後、2017年1月頃に、ADHDへ向けた仕事の進め方というまとめがバズっています。ここを基点として氏は自身のブログで発達障害向けの就労ノウハウをブワッと連投。本人のキャラもあいまってネット上で一定の存在感を獲得するに至りました。2017年5月にはネット論客108星に選ばれているそうです。
2018年5月には、これまで色々まとめたノウハウをまとめた某本を出版。この本の巻末解説は某白熊精神科医さんです。そもそも当該ブログは元々書籍化を目指すという趣旨ではじめたという記述があり、実際に有言実行するのは見事という他ありません。2018年後半からはTogetterやはてなブログではない何かしらのメディア媒体に寄稿する機会が出てきたようです。ちなみに、本題からはそれますが氏の趣味の一つが料理ということは割と知られており、ヤケクソみたいな量の繊細な料理を作りまくることで有名な某料理漫画家さんのブログにも定期的に登場します。
それはそうと、本人が絡むある種の揉め事が発生した痕跡が見られるのは2019年頃。どうやらフェミニズム系の話題でネットが騒がしくなりはじめたタイミング(独自研究)で、アンチフェミニズム論客のまとめが検索にヒットします。本人が中心になっている話題は多くありませんが、元々あの辺りの界隈や話題に関してTwitter上で言及することが多かったわけですね。ある種の「生きづらさ」みたいなものが主要なネタだったから、その辺の界隈と距離が近かったのは納得ではあります。余談ですが、氏は中国でバカ当たりして世界累計200万本売れた某メンヘラ配信者ゲームのディレクターともトークショーをやってたりもします。
しかし、ここで一つ興味深いのは、本人が由来の揉め事とはっきり言えるのは、2019年1月の記事だということです。その記事の執筆者である某小説家さん曰く、特段絡みのなかった氏から謎の絡まれ方をしてるとのこと。その中で「俺より結果出してからモノ言えや」という発言があったことが確認できます。また、氏の弟はとあるライトノベル作家なのですが、どうやら兄弟仲は本気で悪いらしく、弟がアニメ化したりこのライトノベルがすごい!で1位をとったりしたら気分が悪くなったり嫉妬爆発の発言をしたりしてます。文章で身を立てることにある種のこだわりがあるのかもしれません。
閑話休題。氏は2020年7月に2冊目の本を出すなど、文筆業として継続的に成果を出していましたが、風向きが完全に変わるのが2021年のこと。氏はあるTwitterユーザーが自分のノウハウをパクったと主張。その主張が傍目から見るとかなり強引なものだったため、それに派生するかたちで別のTwitterユーザーが氏を継続的に批判するようになります。結果、氏は弁護士を介しての訴訟をちらつかせる行為が一気に増え、大炎上したのです。
この辺りで登場してくるのが、今回のケンカ相手の「E」氏です。「E」氏は某氏の主張を「ヤクザめいてる」と批判し、氏から訴訟をちらつかされますが、「E」氏は逆に某氏に対して債務不存在確認請求訴訟を提起しました(この裁判は都知事選にも立候補したことのある某裁判ウォッチャーが定期的にまとめていました)。この裁判の経過は後述しますが、自らが訴えられる側になった際の某氏の振る舞いに失望する人が続出。某氏を批判した人間に対してかなり強気(婉曲表現)なDMを送っていたことが複数名から暴露されることになりました。
特に問題になったのは、とある人の子供に言及して「本気で○す気でしたよ」「裁判やるより◯す方が安い」と発言していたのがわかったことです。はっきり言って超ド級にヤバいです。その上、某氏はこの件に一切言及せず完全無視を決め込んでいるため、某氏が何かやる度に蒸し返されつづけることになりました。
さて、問題の「E」氏と某氏の裁判について記述しようとしたところ、この辺りから某氏の話題ははてなブックマークに上がってこなくなりました。そのため、ここから先ははてなブックマークに上がっていない記事などを元に裁判の経緯を追うことにします。
つまり、「E」氏と某氏の裁判は2021年9月に始まっているものの、訴訟が3件動いている&反訴や控訴等もあってほぼ4年近くかかっていたわけですね。
さて、この敗訴が尾を引いたのか、某氏は2025年8月4日にDMで「E」氏の自宅襲撃を予告。「E」氏は警察に相談することとなります。
その後、8月7日に某氏は自身が一日店長をやる企画(8月17日実施)に「E」氏の招待をなぜか公言。「E」氏が参加を表明すると、某氏はなぜか警察に相談。警察経由で「E」氏に連絡が飛びます。その後、スタッフから「一次会への参加はご遠慮ください、二次会以降であれば参加料金無料にします」とのメールが「E」氏に送られたため、「E」氏は二次会への参加を表明します。結果、なぜか8月15日に某氏が「E」氏の自宅に突撃。警察が出動することとなりました。
最終的に8月17日のイベントに「E」氏は不参加となりましたが、8月20日に「E」氏が当該バーに訪問したところ、バーを出たところで某氏にボコボコにされたとのことです。某氏と「E」氏は両方とも逮捕されました。8月24日15時現在、両名からの続報はありません。
以上、某氏がネットの人気者になってからその地位が失われるまでの、おおよその流れをまとめてみました。いかがでしたか?本人の独特な人格と文筆業へのこだわりが、成功体験を元に悪い方向へと働いてしまったことがよくわかります。特に、訴訟を辞さない人間を前に強い言葉(婉曲表現)を使ったことがことごとく逆効果になっている様子です。
みなさんも、大事なときには謝ったり、反省したり、子供の命を縦に強い言葉(婉曲表現)を使ったりしないように気をつけましょうね。
私は、犬に人生を救われた。
今の私は、そう言い切れる。
人生、ずっとしんどかった。
当時は「オタク=キモい」って空気がまだ全然強くて、授業中にキャラ描いてただけで「えーキモ〜w」とか言われてた。
染めてないのに明るい色で、
なんであの子だけ?って言われて、
「染めてるくせに〜」って陰で言われて。
オタクで、髪の色も周りと違って、だから余計に変なやつ認定されて、
大学に入って、周りも大人になって、髪のこともオタクってことも誰も気にしなくなって「ちょっとやり直せるかも」と思ったけど、
そもそもずっといじめられてたから人付き合いが怖くて、グループLINEの通知が来るだけで動悸がして。結果、大学生活にもロクな思い出はなかった。
間違う度に価値がない人間だと自分に吐き捨て、ボールペンで自傷もした。
この頃にはもう、「ああ、何も変わらんかったら30までに死のう」って思ってた。
なんで「30までに死のう」って思ったのか、正直よく分からん。
でも、たぶんまだその頃は、“希望”があったんやと思う。
…まあ、「30」って数字が、自分の中でキリがよく思えたってのもある。
そこまで生きて、何も変わらんかったらもうええかなって。
今思えば、あのときの私は“人生の区切り”を探してたんやと思う。
怖かったし、家族にバレたらめんどくさそうやなって思ってたし、
そんなことばっかり考えてた。
それでも、国家試験に受かって、
国家公務員として資格持って働けば、きっと何かが変わるって思ってた。
自由に使えるお金があれば、人生ちょっとは楽になるんちゃうかって。
でも現実は違った。
夜は眠れず、
変わるどころか、どんどん心が削られて、
最後にはもう、“無”みたいになってた。
「何かが変わる」ってあれだけ信じてたのに、
本気で“終わり”を考えるようになった気がする。
なんなら、牛乳もうまく開けられなくて。
ちょっとだけ手にこぼれただけ。
それだけのことで、泣いた。
「こんなこともできへんのか」って。
誰も怒ってないのに、誰にも責められてないのに、
ひとりで「ごめんなさい」って繰り返してた。
床に落ちた白いしずくを見ながら、
「私って、なんのために生きてるんやろ」って思った。
その頃、やっと「うつ病ですね」って言われた。
ちょっとだけ、ホッとした。
「ほら、やっぱり私は壊れてるんだ」って。
あの診断は、“生きることをやめてもいい許可証”みたいに感じた。
で、ある日。本当に決心して
それでよかった。最悪後遺症が残ることもわかって飲んだ。
苦しんで死ねば、後遺症でも残れば少しは罪滅ぼしになるかもって思ってた。
ほんまに、生きてることが“罪”やと思ってた。
めちゃくちゃ苦しくて。
けど、体はそう簡単には壊れてくれなかった。
そして、死ぬのが怖くなった。
そして、泣きながら救急車で運ばれた。
そのとき、私が言ったらしい。
「犬が飼いたい」って。
覚えてない。
でも母が言ってた。
あんた、涙と汗と嘔吐まみれの中で、何回も「犬飼いたい」って言ってたって。
でも死ぬ間際に出た願いは、「犬が飼いたい」だったらしい。
死ぬ間際になって何故か飛び出してきた。
それを聞いた家族が「犬を飼おう」って言ってくれた。
「この子が生きたいって思えるなら、何でもする」って。
たぶん、こんな理由で犬を飼うのは間違ってると思う。
そんなの身勝手すぎるって、どこかでわかってた。
それでも、家族は飼おうって言ってくれた。
ずっと犬を反対してた祖母も、何も言わなかった。
なんとか私を現世に繋ぎとめようとしてくれてたんやと思う。
今思えば、あれは「飼う」ってより「救う」やった。
それで出会ったのが──今の愛犬。
ぶすーーっとした顔でこっちをじーっと見て、話してる間に腕の中で寝た。
「あ、こいつやな」って思った。
その感覚、今でも忘れへん。
まだ90日にも満たなかったからすぐには迎えられへんくて、
でもブリーダーから毎日送られてくる愛犬の写真が、生きる理由になった。
「この子に会うまでは」と思って、踏みとどまれた。自殺未遂も1回もしなかった。
愛犬がうちに来た日。
それが私の「再スタート」の日やった。
少しずつ、心が動き出した。
そしたら、他の飼い主さんと喋るようになった。
私、人と話すのほんまに苦手で、
「こんにちは」って言えて、
なんならみんなで旅行に行ったり。歳も年齢も性別も全然違うのに。
不思議なことに人と繋がるのが、怖くなくなった。
“つながり”をくれた。
そのうち、「愛犬のグッズが欲しい」と思うようになった。
そしたら、それが楽しかった。
SNSに載せたら、「作ってほしい」って声が届いた。
びっくりした。
誰かが「欲しい」って言ってくれるなんて。
今では、「亡くなった子の毛を残したい」とか、
「思い出を形にしたい」とか、
亡くなった子の被毛を送ってくださる方もいた。
泣きながら届いた報告を読んだ夜、
「やっと、私は“生きてていい理由”を見つけたのかもしれない」って思った。
私にできることは何かって考えて、
それが、今の私の答え。
そして、夢ができた。
愛犬と一緒にいられて、
誰かの大切な気持ちを形にできる──
そんな【自分の店】を持ちたい。
昔の私は、「30歳で死のう」と思ってた。
でも今の私は、「30歳になったら店を持ちたい」と思ってる。
たった一匹の犬が、
自分の手で生きていけるようにして、
夢までくれた。
愛犬は、私の命の恩犬。
「そんな短い命に人生託すなんてバカだ」って思われるかもしれない。
でも、私はその短い命に救われて、繋がれて、立ち上がって、今がある。
正直、もう一回壊れるんじゃないかって思う。
でもそのときまでに、私は“私なりの生きてていい理由”を、ちゃんと見つけておきたい。
愛犬が教えてくれた、“生きることのあたたかさ”を、今度は私が、誰かに繋いでいけたらと思う。
私は恩返ししながら、生きていく。
そしてその日が来たとき、
何度も措置入院を繰り返し、紆余曲折を経て、いま彼女は幸せだと言う。
週5でフルで通っているB型作業所では宿泊レクレーションもあり、今度3泊の旅行に行くんだとか。
知らなかったのだが、宿泊行事などの費用はすべて事業者負担であるらしい。つまり無料である。
そんな環境でも、たまに家族は「私は搾取されている」と言うらしい。自分の頑張りが工賃に反映されないことへの憤り。かといって、A型ではやっていけないからB型に5年以上も通所しているのだ。
肝心なことは、あれだけ死にたい死にたいと喚き、自殺未遂を起こし、社会のどこにも居場所がなかった彼女の居場所ができたこと。いま幸せだと感じられていること。
週1で一人暮らしの家族を訪問してくれている訪問看護の看護師さんのように、家族や主治医以外に味方となってくれる第三者の存在も大きい。
生活保護、自立支援、障害年金、B型作業所、訪問看護、都営住宅、精神科病院……受けられる社会的資源を目一杯使って、たしかに人生が良い方向へと変わった統合失調症患者がいる。
ジークアクスの10話でシャリア・ブルがマチュに対してやってた事って完全にグルーミングの手口なんだよ
https://ideasforgood.jp/glossary/grooming/
グルーミングとは?
グルーミングとは、もともと「(動物の)毛づくろい」という意味だが、性犯罪の文脈においては、子どもへの性的虐待を行おうとする者が、被害者となりうる人物に近づき、親しくなって信頼を得る行為をさす。チャイルドグルーミングとも呼ばれる。
グルーミングは、加害者が被害者に性的虐待に同意するよう強要し、逮捕される危険を減らすために用いられる。幼い子どもに対して最も多く用いられるが、10代の若者や、大人も同様な危険に晒されることがある。
家族や親しい友人、コミュニティのリーダーなど、被害者と自然に接することのできる関係のある人物がグルーミングの加害者となり得る。
グルーミングの手口
加害者は、被害者を保護する人々から被害者を物理的または精神的に引き離そうとする。
加害者は被害者に対して、贈り物をしたり秘密を共有させたりすることで被害者の信頼を得ようとする。そして、被害者に自分たちの関係が思いやりのあるものだと感じさせたうえで、その関係を秘密にしておくよう仕込む。
秘密を共有(自分の自殺未遂の過去を話す)とか、贈り物をする(銃)とか、まんまだよね
指名手配されて家族から引き離され、不安定な未成年の心に付け込んで利用しようとする行いを、さも良い事であるかのように描いている
これで黒幕として倒される位置付けじゃなかったら倫理感が本格的にヤバいな
いつから死の存在が横にぴったり引っ付いて離れなくなったかはもう憶えていないが、きっかけだけは憶えていると脳が言っている。
5歳、保育園児の代。夜、親からの怒られが発生した。くだらない理由だろう。親にちょけたとか、寝ずにアホをこいているとか。
その時の感情をはっきりと覚えている。即ち、「自分がいなくなれば親は怒らないし、姉(自分を強めにいじめていた)は自分にいら立つこともない」。感情を今の語彙で表現するならばこうだった。
「この世の面倒くさいは自分が死ぬことで解決する」思考のひな型である。
消防時代、ゲームに夢中だった。なお我が家ではゲームも漫画も禁止である。つまりどういうことかというとバレたら殴られ、家から追い出され、土下座と誓約をしたのち親も養育義務からは逃れられないため赦され、同じことを繰り返した。
ただ4回も5回も繰り返せば殴られ、家から出されることに嫌気が差すのは当然の帰結である。一体何の権利があれば人が電子ゲームで遊ぶのを制限したり、人が金を出して買ったものを没収してよいのか謎だったが、人間は殴られると思考能力と抵抗能力が失われるのであった。
ここで入水自殺を試みる。幸いにも水深30cm以下のあっさいあっさい川だったので靴とジーンズをずぶ濡れにするだけで済んだ。その靴を見ても親は何も言わなかった。
その時、この家において私の命は人質にはならないと知った。
厨房時代の自殺未遂はあまり記憶にない。カフェイン中毒で死のうとし、「今日はモンエナを16本飲んできたから運が良ければ急性中毒で死ねるかも!」と大して仲良くない同級生に話して引かれた記憶はある。
厨房二年目の夏過ぎになると受験モードのピリつきにやられたのか、「何かあれば死ねばよい」と考えていた自分にとって、高校生どころか明日の自分さえも想像の範囲外で、ただただ恐ろしかった。
薄ぼんやり地元の高校に進学するのだろうと考えていたところ、親から全寮制高校を勧められたのでそうした。親に対する抵抗力は残っていなかった。
幸いにも偏差値40すらあるか怪しい自分でも受かり、工房時代の始まりである。
工房時代、全寮制にあるまじきなのだが、めちゃくちゃ不登校になった。毎日腹が痛いと嘘をついて寮監さんに欠席の連絡をしてもらったあと眠り、昼の弁当を平らげて眠り、夜は一応持たされていた携帯電話のテザリング機能を使用してゲームに明け暮れた。ろくでもないが、毎日親の顔色を窺って笑うことすらしづらかった環境から解き放たれたのだから許されたい。
しかしそれも一年次で終わった。当然、数ヶ月も不登校であれば親へ連絡が行く。親からは真面目に通わないなら故郷の祖母の家へ預けるからバイトして暮らせと告げられた。自分は祖母が嫌いだったので二年次から真面目に通い、なんと欠席数0で終わらせた。
三年次も半分くらい不登校だったのだが本当に思い出せない。卒業させられないからとレポートと課題を出されそれを提出し、なんとか卒業式に出たような記憶はある。
工房は全寮制ということもあり同室が第一発見者になるのが哀れで自殺を試みた記憶はない。
ただ、就職先も、進学先も決まっていない三年次2月、もちろんどちらの親が引き取って拠点にさせるのかで揉めた。その時親がただ一言、「困る」と。
やるべきをせず、好き勝手に生きておいて思ってよいことではないかもしれない。
ただ、自分は本当に望まれていないのだなと、ここで親に対する感情を捨てた。
「この家庭の全ては自分が死ぬことで解決する」思考の完成である。
この後も家出をして身分証を粉々にするとか首を吊るとか襲われたPTSD(素人判断)に苦しむとか親に見つかったため連絡を取るようになったり再び学校へ通い始め修了し就業するも二ヶ月で辞めるなど色々あるのだが、話は現在に飛ぶ。
現在は自己診断によりうつ病と仮定し、心療内科から薬を頂いて療養に努めているのだが、どうも「死にたい」は消えないし、「自分の必要性」について考えない日はないし、なんなんだよという気持ちである。
しかも5月末付けで辞めるのは4月末に決定していたのに一週間経過して退職証明書が届かない。こうすると国民保険に加入する要件を満たせないので通院できずたいへん困るのだが、マジで人生詰んでてクソワロタって感じだ。
もし、この希死念慮がうつとは無関係で、生来の5割ならば救いようがないし、人格形成で培われた残りの5割ならばこの世の全てのストレスから離れてお姫様のような暮らしをしていなければならない。それは生きていてはいけないだろう。
よし、
ごくごく普通の40間近のブサイク独身非モテ無職がここから成り上がれるルートをだれか考えて欲しい
▶️地方国立大卒工学部時代は卒論教官と合わなくてアカハラとまでは言わないまでも精神的なダメージで自殺未遂しながらなんとか卒業
▶️就活でも女子に人気のバックオフィスとかの内勤は美人ちゃん達がどんどん内定してくなか延々と売れ残って唯一面接の進んでた金融IT系に就職
請負下っ端の開発兼テスター兼監査要員で連日のシフトの夜勤プラス残業に体が持たず、心身症という曖昧な病名で多量の薬を飲み始める。休職とかの制度はないと言われて新卒で働いた会社は5年ほどでほぼ首扱いで放り出されることになる
▶️睡眠に問題を抱えながら金融系のコンサル会社に潜りこみ、多少は得意だったエクセルやアクセスでのデータの管理や更新をしたり、数値分析をしたりするようなスタッフとして働くなかで対顧客折衝(説明から契約まで)のスピード感や会社同士の腹の読みあいが苦手すぎて業務に苦手感が生まれついに薬漬けになりながら入社一年半ごろには適応障害の診断で一年程休職して退社した
▶️躁鬱の気配もすこし感じながらも、躁の万能感の時期にたまたま決まったITコンサルのアシスタントスタッフが性に合っていて通院しながらぼちぼち働けたが鬱の時には途端に仕事とかどうでも良くなってしまって休みや遅刻も多かった。その時期社内の業績が悪くて外部からの採用のテコ入れをやってた影響もあってバリバリ体育会どんどん飲め飲め系のオラオラした人員が増えて、地味で不真面目な自分には当たりが強くなって、体力的にもスキル的にも続けられそうだったけど精神的に厳しくて辞めた。ここは五年働いた。
▶️前職辞めたらスッキリ爽快で今思えば躁でノリと勢いでなんとかなってしまって小さな会社の営業事務に潜り込んで二年経ったけど、小さい会社だからこその人間関係や先行きのなさに精神がおかしくなってきてるのを日々感じている。連休あけにはもうやめるというつもりがある
▶️最近、デエビゴでの寝つきも悪いし、将来を悲観するような夢ばかり見て二、三時間で目が覚めて眠れない。特に週明けに向けてはデエビゴ倍量飲んでも1ミリも眠れないまま朝になる。もう精神が無理だと思う。
▶️生憎と理解ある彼くんもいないし、学生時代の友達も結婚や出産で10年以上疎遠だし、家族とは一社目辞める時に精神科にかかってたことが気に入らなかったそうでそこから没交渉
▶️どの職場の経験も浅すぎてアピールにもならないし、職歴の多さとマネジメント経験の無さで書類落ちが300超えた。面接はオンラインで20社くらい、二時面接まで行ってお断りが5社だった。
アピールできる資格も基本情報と秘書検定2級とFP3級くらい。精々オフィスソフト一通り使えるけどVBAとかプログラミングとか全くわからんから、ITに行くのも難しい。事務職行くには経歴も年齢も資格も微妙。
▶️通院してるからできたら9-17時の職場が良い、体力的にもシフト勤務で生活リズム崩れるのは無理だから完全週休2日の残業が多くない仕事がいいし、貯金も考えたら手取り25万か額面400万あたりは確保したい
誰か一人を全員が嫌っていたりするのも、緩衝材みたいに嫌われてる人の周りに置かれたりするのももう嫌だ
▶️回転資金集めからVlogとかやって小金を稼いでカフェでもやるか?とか思ったけどコーヒーも紅茶も飲めないから軽トラとかでたこ焼き屋台か何かやるしかないか?免許ないんだけど
昔一度だけ「死のう!」と思い立って、自殺を図ったことがある。
田舎なので電車がないし飛び込みは無理、絶対に死ねる高さの建物もないのでこれも無理(この二つはかかる迷惑が桁違いなのもあった)、となると練炭自殺か?そんなもん買う金がない。ドアノブにロープを引っ掛け首吊りで死ねるとは思えない(親がよくやってたけど今も元気なのでパフォーマンスだと思っていた)、さてどうするか、出来ればあまり迷惑のかからないもの、と考えていた時、水を大量に飲むと死ぬことを思い出した。これだ。
早速いつも使っているマグカップでガブガブ飲み始める。
五杯目くらいまでは余裕だったものの、十杯を越したあたり手が止まった。なんか気分悪ぃ〜〜でもやめない!と意地で飲み続けていたものの、急に滝のような汗が流れ始めた。季節は真冬だというのに。
何杯飲んだかはわからないけれど、耐えきれなくなってトイレに駆け込んだ。
上からも下からもありとあらゆる方法で体から余分な水を出し尽くしてくれた。
死ぬのって効率悪!!とトイレで汗だくになりながら涙を流して鼻をかんでいると、自殺未遂常習犯の母親からかわいい!と写真を撮られた。彼女は私が必死になっている姿なら何でもかわいく見えるらしい。
この人を殺すより、自分を殺すより、自分がこの家を出て行ったほうがいいな、と冷静になった。
昔ある人の自殺未遂の記録ブログを読んだことがあって、それに少し似ているなと思った。今でもブログを追い続けているけれど、その方は今穏やかに暮らしておられますよ。
夜は楽しみにしていた星街すいせいの「もうどうなってもいいや」のMV公開を楽しみに過ごしていた。
もうどうなってもいいやを聴きながら、急にやる気が出た自分は、
スーパーでスパークリングワインのボトルを買い、
飲んだ薬はよく覚えていないが、
・オランザピン
この辺りをおそらく合計200錠くらい、スパークリングワイン750mlと一緒に飲んだ。
ある程度飲んだ時点で一度お手洗いに行き、紙オムツを装着しようとしたが、
仕方ないので尿取りパットを2枚あて、パンツを履いてなんとかしようとした。
そしてベッドへ行き眠りに着いた。
もし自分が死に成功した際に、SNSで告知してもらう様に、PCのパスワードなんかを送った。
目が覚めたのは恐らく金曜日の夜だったと思う。
来るはずがない交際相手がなぜかその晩マンションを訪ねて来て、
自分は床に寝かされていた。
なぜ床に寝ていたのかその時はわからなかったが、
声も出せず、
相手に何か伝えたくても何も伝えられない状況だった。
しばらく身体が動かないまま、トイレに行きたくても行けない状況で、
トイレに行きたいとも言えない状況で、
恥ずかしい話だが床にそのまま放尿していた。
明日も同じ状態であれば病院に連れて行って欲しい旨を声にならない声で伝えたような気がする。
このまま月曜日を迎えても、一人では何も出来ず、相手が帰宅する事になることなどを考え、
そのまま救急搬送され、病院に辿りつくと、必死で状況を伝えようとかなり荒んだ口調で医師に話をしたと思う。
内科の診察にて、筋肉が溶ける病気か何かの症状が重いという判断で、
しばらくはブドウ糖か何かの成分が中心の点滴を数日間受け、
その後の検査で吐瀉物が肺に入ったせいで重度の肺炎に感染している事が分かり、
そうやって約2週間病院で過ごし、4月25日の金曜日、約2週間の入院を経て退院となり今に至る。
すっかり痩せ細り、入院費用約30万円の借金を抱えた自殺未遂者が一人この世に取り残された。
ODを楽しんでいる若い子、ODが命綱となっている依存症の子、
それによってなんとか縋りながら生き延びている子も居るわけだし、
それによって命を落とした子も、当人にとっては死ぬことが幸せなのかもしれないと思っている。
ただ、オーバードーズ老人会の自分のような人間がもし存在するのであれば、
ODを繰り返す事で薬の量や種類の工夫をし、
自分のように無様に生き残るケースもある事を知って欲しいと思った。
誰にも助けを求められないような年齢で、
貯金も職もなくただ借金と身体的不調を抱え、生きていく羽目になるケースがある。
生きるか死ぬかは本人の意思で決められる世の中になって欲しいとは思う。
ただ、今ここに存在しているのは、
借金と弱った身体で生き延びてしまったただの人間が一人いる、ということだ。
Permalink |記事への反応(11) | 17:39
2008年6月8日、加藤智大は秋葉原でトラックを暴走させ、7人を殺害、10人に重傷を負わせた。この無差別殺傷事件は、日本社会に深い傷を残した。一方、現代のデジタル空間では、暇空茜(@himasoraakane)、本名水原清晃が、インターネットを武器に無差別な誹謗中傷やハラスメントを繰り返し、多くの人々に深刻な被害を与えている。「トラックを運転できない加藤智大」と揶揄される水原の行為は、物理的な暴力こそ伴わないものの、その無責任さと社会への害は比較に値する。本記事では、水原清晃の行動を非難し、その被害の甚大さを明らかにする。
水原清晃は、XやYouTube、note上で「暇空茜」として活動し、少女のアバターとVOICEROIDの琴葉茜の声を駆使して発信を行う。1982年生まれの彼は、ゲーム会社「グラニ」の共同創業者として約6億円の賠償を得た過去を持つが、現在はインターネット上での攻撃的な行動で知られる。彼の主要な標的は、女性支援団体Colaboやその代表・仁藤夢乃、さらには学者や一般の個人にまで及ぶ。以下に、彼の主な加害行為をまとめる。
水原は2022年からColaboの会計不正を主張し、仁藤夢乃を執拗に中傷。これが名誉毀損と認定され、2024年2月15日に書類送検、7月18日にはColaboと仁藤に計22万円の賠償を命じられた(神奈川新聞)。また、筑波大学の東野篤子教授や大学生を標的にした中傷も行い、大学生はハラスメントにより2度の自殺未遂に追い込まれた(刑事告発の詳細)。これらの行為は、単なる意見表明を超え、被害者の尊厳を踏みにじるものだ。
水原は被害者の電話番号や住所をXで公開し、約20万件のスパムメールや脅迫、偽注文を引き起こした(被害者の報告)。この行為は、被害者に深刻な心理的ストレスを与え、生活を破壊した。彼の行動は、インターネットの匿名性を悪用し、個人を無差別に攻撃する無責任さの象徴である。
水原はクラウドファンディングやSNSで法的手続き費用を募り、2023年7月までに1億1,104万円以上を集めた(デイリー新潮)。これを「誹謗中傷ビジネス」と批判する声もある。彼は住民監査請求や訴訟を乱発し、Colaboの事業費2,713万円のうち26万円の不正を指摘したが、ほとんどの請求は却下された(Yahoo!知恵袋)。これらの行動は、法制度を私的報復の道具として悪用する姿勢を示している。
水原の支持者は「暇アノン」と呼ばれ、Qアノンに似た過激な行動で知られる。彼らは水原の主張を増幅し、標的への攻撃をエスカ stateless させる(文化オンライン)。この集団的ハラスメントは、デジタル空間での暴徒化を助長し、社会的混乱を招いている。
加藤智大の秋葉原事件は、物理的な暴力を通じて無差別に人々を傷つけた。一方、水原清晃はデジタル空間で同様の無責任さを見せる。両者に共通するのは、社会的規範の無視と他者への共感の欠如だ。加藤はトラックを運転して人をはねたが、水原は「トラックを運転する資格すらない」かのように、インターネットを無秩序に操り、被害をまき散らす。彼の行動は、法的・倫理的責任を理解する「知能」に欠けていると評される理由である。
例えば、加藤は計画的に事件を起こし、結果として死刑を受けた(朝日新聞)。水原もまた、計画的に標的を選び、訴訟や中傷を繰り返すが、裁判で敗訴しても行動を改めない。この無反省な姿勢は、加藤の「社会への復讐」と通じるものがある。異なるのは、加藤が物理的破壊を選んだのに対し、水原がデジタル空間での「破壊」を選んだ点だ。しかし、被害者の苦しみはどちらも深刻である。
水原の行動は、デジタル空間でのハラスメントの危険性を浮き彫りにする。彼の行為は個人だけでなく、社会全体の信頼を損なう。たとえば、Colaboのような女性支援団体が攻撃を受けたことで、弱者の支援が阻害される恐れがある。また、彼の支持者による集団的ハラスメントは、インターネットを安全な空間から戦場へと変貌させつつある。
法的な結果も水原の無責任さを物語る。複数回の敗訴、書類送検、賠償命令にもかかわらず、彼は攻撃を続ける。この態度は、インターネットを使う資格、すなわち「デジタル免許」を持たない者を想起させる。「トラックを運転できない加藤智大」という表現は、彼がインターネットを正しく扱う知性や倫理を持たないことを的確に表している。
水原清晃の行動は、加藤智大の無差別な暴力と比較されるほど、デジタル空間で破壊的である。彼の誹謗中傷、プライバシー侵害、訴訟乱発は、被害者に深刻なダメージを与え、社会の分断を助長する。「トラックを運転できない加藤智大」として非難される彼の行為は、インターネットの自由が責任と共にあることを改めて示す。デジタル空間でのアカウンタビリティを強化し、こうした無責任な行動を抑止する必要がある。被害者の声を聞き、公正な社会を取り戻すために、水原清晃の加害行為を強く非難する。
とても共感した。
いろんなことが上手くできないと希死念慮が高まった高校生の子供が自殺未遂をしたのをきっかけに、それと向き合う1年だったが、ASDと分かった。
小さい頃にそれを疑うも、配偶者が「私とよく似てるから」と否定し、上の子同様に通常の子として接し育ててきたけど、カテゴリごとに得手不得手の差が大きかったのだ。上の子はいたって普通だったのでそれに気づかず、全般をこなせるよう、人生の選択肢を多く取れるように、多くの人の平均値となる経験をするような育児をしてきてしまった。出来ないことは出来るように、なぜ出来ないのかを叱る、など。本人には出来なかったのに。
自殺が未遂で終わったのは運が良かったとしか言いようがない。死を選ぶ中高生の中には生きづらさを感じたためにその選択をせざるを得なかった子もいたんだろう。そして死に至ってしまった場合、なぜそうなったのか親には分からないままだ。辛い
小学生の自殺率、4~6月の増加目立つ 学校始まるストレスと関係か
小学生の自殺率は上昇傾向にあり、とくにここ数年は4~6月の増加が著しい――。
一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター(JSCP)」国際連携室室長の仁科有加さんらが、米医師会雑誌「JAMA Network Open」に論文を発表した(https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2829456別ウインドウで開きます)。仁科さんは「リスクの高い子どもたちに適切な介入をする必要がある」と指摘する。
日本を含む主要7カ国(G7)の10代の死因で、自殺が1位となっている国は日本しかない。一方で、より年少の8~12歳の自殺の背景分析は、これまでほとんど研究されてこなかった。
仁科さんらは、国がまとめた2009~23年の自殺統計を前期(09~15年)と後期(16~23年)に分け、それぞれ自殺率の変化や要因などを調べた。
この間に自殺した子どもは男子159人、女子124人。全般的な傾向として自殺率は上昇傾向にあり、その割合は女子の方が目立った。100万人あたりの自殺件数は、前期が平均2.84件だったのに対し、後期は平均4.03件と、統計的にも有意な差で増えていた。
特に「女子」「12歳」「飛び降り」「西日本」「非都市部」といった要因で増加が目立った。また前期に比べ後期は、自殺を実際に企てた「企図歴」がある子や、4~6月に亡くなる子の増加が特に顕著で、4~6月に亡くなった子は1.93倍に増えていた。
日本人全体では、女性より男性の方が自殺率が高いが、この年代では女子の増加が目立つ。また飛び降り自殺が占める割合は日本人全体では12%だが、この年代では前期が16%、後期は29%と高かった。ほかの自殺方法に比べて準備の必要が少ないため、衝動的に行動した背景がうかがえるという。
また4~6月の自殺率が急増した背景には、学校が始まるストレスと関係している可能性があると指摘する。
自殺の企図歴はハイリスク要因であり、仁科さんは「自殺未遂を経験した子どもへの重点的な介入が必要だ」と指摘する。
厚生労働省が3月末に公表した24年の自殺者数によると、小中高生の自殺は529人で統計のある1980年以降、過去最多となった。
【生きづらびっと】
【あなたのいばしょ】
【いのちの電話】
査読付き論文であるが、そもそも書いている人が同じなため、中立性が欠落している。
査読付き論文さえあれば、どんなことでも書いていいことにならない。
またそうであれば査読付き論文は全部掲載すべきである。例えば女性が過剰に優遇されていることも査読付き論文で存在する。
研究としてはそうなっているが、記事としては4月~6月に区切る合理的理由がない。以前は5月病と言われており、5月だった。だんだん拡大している。
https://x.com/sumomodane/status/1914307397025513949
2024年の小学生の自殺は男女合わせて15人しかおらず、これでは一人ふぇるだけでとんでもない増加が生じるため、実際は増減率は意味がない。
つまり、この記事は意図的に小学生の自殺を強調していることがわかる。それが大事なら、もっと他に、特に40代~50代男性を完全に無視している。
これについて一切記事を書かないのは自殺しろという主張をしているのと同じである。
つまり氷河期世代は自殺しろ、というのが朝日新聞の女性記者であり、論説委員という肩書がある以上、朝日新聞自体が自殺しろと言っているのと同じ記事となっている。ゴミすぎるだろ。
@MIKITO_777
オーストラリア、ニュージーランド、米国、ロシア等の方が子供の自殺率は高いです
| 項目 | 内容 | 評価・コメント |
| ------ | ------ | ---------------- |
| ① 「小学生の自殺率が上昇傾向」 | 2009–2023年の自殺統計から小学生の自殺者数は増加傾向とされる[^1] | ✅事実だが注意が必要。母集団が小さく(年間10人前後)、1件の増加でも大きな率の変動を生むため、「有意差あり」と言っても社会的インパクトとして過剰に見せる可能性がある |
| ② 「4~6月の自殺が1.93倍に増加」 | 後期(2016–2023年)に4~6月の小学生自殺者が増加[^1] | ⚠️誇張の可能性あり。3か月間だけを抽出して「倍増」と述べるのは、季節性や偶然の偏りを無視した印象操作の恐れがある |
| ③ 「日本だけがG7で10代の死因1位が自殺」 | 事実。事故死や病死が少ない社会で相対的に自殺が1位になる[^2] | ✅事実だが、他の国との直接比較には文脈が必要(たとえば米国では銃が死因1位[^3]) |
| ④ 「自殺の企図歴はハイリスク要因」 | 自殺未遂経験者は再企図のリスクが高いとする[^4] | ⚠️一般論としては妥当だが、記事内では根拠となるデータが提示されていないため、読者の納得を得るには不十分 |
| ⑤ 筆者・編集者の主張が前面に出ている | 小学生の自殺増加傾向を社会的危機として強調し、他世代との比較や冷静な補足が不足 | ⚠️一部事実に基づくが、全体構成としてバランスを欠き、ミスリードの恐れがある |
[^1]:JAMANetworkOpen掲載論文(仁科有加ほか),2025年https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2829456
[^2]:朝日新聞「小学生の自殺率、4~6月の増加目立つ」2025年4月21日https://www.asahi.com/articles/DA3S16022649.html
[^3]:ForbesJAPAN「アメリカの19歳以下の死因1位は銃」2023年https://forbesjapan.com/articles/detail/66508
[^4]:厚労省『自殺総合対策大綱』(2022年改訂)https://www.mhlw.go.jp/content/000909437.pdf
小学生の自殺率や自殺数は、統計的に極めて小さい数字でありながら、「増加率」「季節要因」「女子に多い」といったセンセーショナルな切り口のみを強調しており、読者に不安を与える構成になっている。
一方で、自殺率が圧倒的に高い40代・50代男性(年間自殺率25~29人/10万人)の実態には一切触れず、論点が子供のみに限定されているのも不自然。
論文が査読付きであること自体は信頼性の一つの指標ではありますが、それが即座に社会的意味を持つ一般化を許す根拠とはならない。
特に、「1.93倍」という数字を4~6月にだけ焦点を当てて抽出した手法は、読者を誘導するリスクが高い(いわゆる「統計のパラドックス」的手法)。
すると、このような信憑性に疑問のある記事の末尾に名前が掲載されることで、あたかも信頼性の高い団体であるかのような印象を与える。しかし、「あなたのいばしょ」の代表である大空幸星氏は現職の衆議院議員であり、さらに内閣官房「孤独・孤立の実態把握に関する研究会」構成員や、こども家庭庁「こどもの居場所部会」委員など、政府機関に深く関与している。代表がこういう人物の団体が、裏付けの乏しい記事と並んで紹介されることは、特定団体への便宜供与とも受け取られかねない。
さらに、
@anselyosemite
あのー、東京都のサイトからあなたのいばしょの事業報告書 令和3・4年度が削除されてるんですけど、何か修正でもあるんでしょうか?
https://seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/houjin/npo_houjin/list/ledger/0013611.html
衆議院議員が代表であり、かつ政府機関に深く関与しているにも関わらず、この団体の会計はおかしく、まずこの会計が解決されない限り、政府機関に関与することができないのは当然のことである。
Twitter(現X)では年齢性別職業問わず様々な人が日々様々なイラストを投稿している。
※以下自分語り
私も例に漏れずTwitterにイラストを投稿している。なぜ、投稿しているかと言うと承認欲求を満たしたい、絵で食っていきたいからというのが根底にある理由だと思う。最近だと自分の創作したものを見て人が笑顔になってくれればそれで良いと思っている。
(フォロワー8人なうえ6人が絵にすら無反応なので人が見てくれるもクソもないが少なくとも高校時代の友人と顔も知らないめっちゃ良い絵を描くFFには超謝謝)
導入が長くなったが私がTwitterに絵を投稿し続けて苦しんでる様を綴っていこうと思う。
突然だが私は絵が上手い。
自意識過剰とかプライドが高いとか思われるかもしれないが実際上手い。
なぜなら美大や芸大に進学する生徒が6割の高校に通っていたからだ。現在美大・芸大にいる人は「ああ、あの高校ね」となるだろう。(私は美大を目指していたが受験期に自殺未遂したりメンタルが終わっていたため諦めた)
もちろん受験時の倍率も高かったので受かった時にはもうプライドエベレストの傲慢勘違い人間の完成だ。
0いいね。
そりゃそうだ。顔のパーツもぐちゃぐちゃ、バストアップの絵なのに一瞬で破綻してるとわかる体、構図もキモければ背景もない。「小5です!」と言ってイラストをあげてる小学生の方が上手かった。
この時点でエベレスト級だったプライドが富士山くらいには削れた。
その後Twitterアカウントは3ヶ月も経たずに消した。
また私はその高校では下から数えた方が早いくらい絵が下手くそだった。
私はデッサンが凄まじく嫌いでサボりまくってた癖に同級生のデッサンを見ては落ち込みまくっていた。もうこの時にはプライドは海抜0m地点くらいにはなっていた。
プライドが削られまくり「謙虚かも」くらいになった頃、今度はTwitterでイラスト友達作りて〜!(あわよくばバズってセイキンの画像張り合いて〜!!金欲しい〜!!)と思い新たにTwitterアカウントを作った。以前から嫌悪していた、〜と繋がりたい系タグも使いお迎えに行ったりRTしまくったりした。滅茶苦茶に媚びを売りまくった。繋がったあとも「素敵です。」「ここめっちゃ上手」とか心にも思っていないリプをしたりRTをしていた。
結果どうなったかと言うと
凄まじく疲れた。
どんだけプライドが削られようと琴線に1度も触れない良いとも思えないものに好意的な反応を送るのはひたすらにしんどい。そのうえ相手からいいねすら貰えないことなんてざらにある。FFなのにだ。義務なんてないのだから当たり前なのだが当時の私は未熟すぎて結構傷ついていた。
自分が良いと思って繋がりたいタグの投稿にいいねして、フォローして相互になりたいと思った人とは相互になれず、ワンチャンあるかもと思い感想を引RTやリプで書いてもそんなワンチャンあるわけない。(このワンチャン精神は正直良くないと思う)
またTwitterのお絵描き界隈にいる人はわかると共感するかもだが、あの界隈凄い競争を感じる。多分これはハンドメイドや3DCGなどの物作り界隈全部にあるのだろうがアニメ的なイラストを描いてる界隈は桁違いな気がする。めっちゃ怖い。そんだけイラスト描く人がいるってことなんだろうけど。(イラスト代行bot見てみ?玉石混交なのに4万フォロワーおるで!?ぎょえ〜!!!!!!)
こうして2個目の公開絵垢も1年経たずに闇に葬り去った。
その後も絵垢を作っては消しを繰り返した。両手じゃ数え切れないほどに。
ここまで読んだ人は忍耐力雑魚と思うだろう。その通りで私は忍耐力が雑魚だしメンタルも弱い。絵垢作っては勝手に人間関係に疲れ絵を描く義務感に勝手に押しつぶされてを繰り返していた。
このままだとただでさえおかしい頭がもっとおかしくなると思いTwitterと距離を置いた。(とは言いつつ高校の友達と繋がってる鍵垢にこもっていたが)
この間に友人と展示会などをして気づいたことがある。
面と向かって言われる感想って火力が高い
ということだ。
これは好意的な感想でも否定的な感想でもどちらも嬉しい。まず作品に興味を持って作った人に直接感想を伝えてくれることは慣れていないとかなりの勇気が必要だ。自分の作った作品の前で「良いね」と呟いてくれるだけでも嬉しいのに「これの作者ですか?」って話しかけてくるなんて、もうたまんないね。
私は車が出てくるアニメーションを展示したことがある。その時の来館者の1人が「この車に具体的なモデルはあるんですか?」とか「車、めっちゃ気合い入ってますね」とか言われたことがある。
もう頭の中がお祭り騒ぎ。ヒュージャックマンがシルクハットをかぶり歌い始めた。
この時からTwitterでもらういいねなどに対する執着が少し薄くなったような気がした 。
また、友人が行っていたグループ展に行った時に気に入った作品が1つあった。その作品の作者と私は完全な初対面だ。作品の作者は在廊していたため私は感想を伝えに行った。
するとその作者は笑いながら「ありがとうございます。」と行ってきた。私はそれを見た時とてつもなく嬉しくなった。
表情が見えるのが良いのか、声色が分かるのが良いのか。どうして嬉しくなったのかは分からないがこれはTwitterのどの数字にも変えられない。(正直Twitterで空リプとかでも感想貰えると滅茶苦茶嬉しい)
私はこの経験から苦しむのは絵を描いてる瞬間だけで良いのだと気づいた。遅すぎる2年もかかった。
話は少し逸れるが私はTwitterを大気圏を突き抜ける超高層展示場だと思っている。しかもこの展示場エスカレーターしかない
1Fはフォロワー数も多くこの人が描いたというだけで価値がつく人(望○けい先生、さい○うな○き先生、la○k先生など)
入口入ってすぐのところにいるので多くの人に見られて評判もすぐ広がる。
そっから上に上がるとフォロワー数も知名度も下がっていく。フォロワー数が少ないとRTされることも少なく下の階に行くのはなかなか厳しい。タグという名の重しをつければ限度はあるが下の階の人にも自分の絵を見せることはできる。
けれどエスカレーターがいくらあっても200、300と登っていく人は少ないだろう。そうするとそもそも見られること少ないかないことになる。これじゃあRTどころかいいねもされない。
私はこう考えることによって諦めがつくようになった。
心が軽くなった。
終わり
正直、創作活動って滅茶苦茶に苦しい。精神科通いなのはこれのせいかなと思いながら、今も私は新しい絵垢を作りTwitterに絵を投稿し続けている。最近はせっかく作った作品がタブレットやパソコンの中でただの数字の集合体として腐っているのは勿体ないなと思うので投稿している。(あわよくば沢山の人に見て欲しい)
以前とは違いかなりマイペースに続けられていると思う。遅筆なため投稿頻度も低い。けどかなり楽しい。絵と向き合う時間が増えたため前よりもっと絵が上手くなった。
でもまだインプレ数が少ないと届いてないか〜という気持ちにはなる。
依頼とかもしてみたい気持ちがあるため11月のコミティアが終わったらSkebとかすきまで募集してみようと思う。それまでは自分の好きなものを作りたい。
余談
これは二次創作の話になるがもう何年も前にサービス終了したグリムノーツというゲームのキャラクターを描きAfterEffectでアニメーションをつけて投稿したらファンの方が沢山反応してくれて嬉しかった。まだ好きな人がちゃんと残っていて感動した。