
はてなキーワード:自己顕示とは
あります。
また、
箴言 26:4–5
え?どっち?となりますね。
タルムード(シャバット30b ほか)はまさにこの矛盾を議論します。
答えは「状況による」ということです。
愚者は単に頭が悪い人ではありません。頑なで、聞く気がない人のことです。
ラビたちは言います。「叱責が届かない者を叱ると、あなたが消耗するだけだ。」
ではなぜ「答えよ」とも書いてある?
それは、相手が周囲を誤導しているとき、または沈黙が真理の敗北になるとき、この場合は答える。
つまり基準は、相手のためか?それとも聞いている第三者のためか?
現代では、議論する価値がある人と時間を奪うだけの人の区別が重要です。
しかしタルムードは「アピコロス(破壊的嘲笑者)」とは議論するなとも言います。
なぜなら議論は「真理を求める場」であって、「自己顕示の舞台」ではないからです。
分断への助言は、
どう見分けるか?
「その人は学ぶ用意があるか?」
もしゼロなら、去る。もし1%でもあるなら、種をまく。
再投稿は、単なる反復ではない。それはしばしばそう誤解されるが、この理解は再投稿という行為を「情報の重複」としてしか見ていない点で不十分である。実際には、再投稿は意味の再生産であり、価値の創造に属する行為だ。
言論における価値は、新規性だけで決まるものではない。同一の内容であっても、投稿される時点が異なれば、周囲の文脈、読み手の構成、議論の前提は変わる。その結果、同じ言葉が果たす役割も変わる。再投稿とは、内容を増やす行為ではなく、意味が立ち上がる条件を更新する行為である。
また、多くの言論空間は忘却を前提に設計されている。発言は流れ、蓄積されず、参照されにくい。そうした環境において、再投稿は過去の発言を現在に接続し直す装置として機能する。それは自己顕示ではなく、断絶しやすい議論を継続可能なものにするための操作だ。価値は、新しく生み出されるだけでなく、保持され、再び意味を与えられることによっても生じる。
さらに、再投稿は思考の未完性を前提とする。人間の思考は一度で完成しない。後から言い直され、補足され、角度を変えて提示される。再投稿は、そのプロセスを不可視化せず、公共の場に差し出す選択である。完成品のみを要求する態度よりも、思考の更新過程を共有する態度のほうが、言論としては誠実だ。
再投稿はまた、参加の条件を緩める。同じ主題が再び現れることで、それまで議論に関与していなかった読者が接続できる。既知の内容であっても、初見の者にとっては入口になる。言論空間の価値は効率だけで測られるべきではない。開かれていること自体が価値を持つ。
再投稿は、過去に語られたことを固定し、特定の記憶や参加者に占有させる力に対するカウンターでもある。「すでに言われた」「もう終わった」という合図は、しばしば発言権を閉じる。再投稿はそれを解除し、語る権利を現在形に戻す。
それは冗長ではなく、消費でもない。
いいですね!🎮
「SNS疲れ」をRPGっぽい状態異常風に100個考えてみました。全部違うニュアンスにして、MMORPGやドラクエ・FFっぽい感じも混ぜました。
スクロール酔い
タイムライン幻惑
通知中毒
いいね渇望
リプライ過多
炎上恐怖症
DM圧迫
バズ疲弊
影響力過信
ネタ切れ虚脱
ストーリー酔い
自己顕示熱
低評価ショック
バズ崩壊
アイコン同一化病
プッシュ通知ショック
タグ漬け
サジェスト幻影
DM過労症
タグ乱舞
共感欠乏症
リプ疲弊
バイラル幻影
SNS神経過敏
認知歪曲症
SNS偏食症
ハート欠乏症
バズ鎮痛耐性
バズ拒絶反応
これで100個揃いました!
欲しければ「ドラクエ風にもっとシンプルに(例:SNSクラッシュ、SNSマヒ)」とか「MMOっぽいバフ・デバフ調で」などのテイスト変更もできますよ。
漫画の違法配信サイト「漫画時間」が閉鎖された。違法サイトの閉鎖自体は珍しくないが、このサイトは一風変わっていた。
「漫画村」以降、この手のサイトは量産型のUIでの金儲け目的が主流となったが、「漫画時間」はどこか自己顕示的だった。運営はブログを通じてユーザーとコミュニケーションを取り、閉鎖に際しても律儀に挨拶文を掲載している。
しかも、よくあるテンプレートを流用せず、サイトのUIや構成はオリジナル。閉鎖文では「広告・課金・プロモーション等を一切設けず、常にシンプルでクリーンなページ構成を保ってきた」と自負しており、ユーザーフレンドリーで“清潔感のある”違法サイトを目指していたようだ。そういった点が漫画村を想起させた。
黙って消えていく違法サイトが多いなか、どこか“思想”を感じさせる終わり方だった。
商業漫画の海賊版が多数掲載されていた違法漫画サイト。WebArchiveに記録されたキャッシュの最古日時などから、2024年5月に公開されたとみられる。
他の違法漫画サイトが収益重視で多数の広告をつけるのに対して、広告・課金要素を排除したシンプルかつ軽快なUIなことからユーザーの支持を集め、短期間で急成長。2025年5月時点のSimilarWeb調査では、日本国内アクセス数ランキングで17位にランクイン。これは違法サイトとしてはXvideosやPornhubを上回りトップの順位で、違法漫画サイトとして漫画村以来の存在感となっていた。※1
違法サイトとしては珍しく、日本語で公式ブログを開設していた。
2025年6月に突然閉鎖を発表。7月までに閉鎖された。ブログでは「今後、移転・再開・後継サイトの立ち上げなどは一切行わない」と明言した。
※1https://web.archive.org/web/20250707072641/https://www.similarweb.com/top-websites/japan/
この発言に表れている人物像は、自己優越型のマウント系批評者です。自分の趣味嗜好や知識(この場合は「ミステリガチ勢」であること)を強調し、それを基準に作品を評価しようとします。しかもその評価は作品そのものを冷静に分析したものではなく、「浅い人なら楽しめるだろうけど、自分のような目の肥えた人間には物足りない」といった形で、他者との“違い”を強調する方向に傾いています。
こうした人物は、作品の出来や魅力を語るよりも、「その作品をどう評価する自分か」を主役に置きたがる傾向があります。つまり批評の体裁をとりながら、実際には“自分語り”をしているのです。そしてその裏には、「自分は多数派とは違う」「凡人とは違う目線を持っている」という選民意識があり、それを誇示することで自身の価値を確認しようとしています。
結果として、作品に対する誠実な批評ではなく、他者を見下し自分を高く見せるための言葉になってしまっており、その態度に不快感を覚える人が出てくるのも無理はありません。楽しんでいる人を“浅い”と決めつけることで、自分の「深さ」を演出する——そうした姿勢そのものが、批評というよりも、自己顕示のためのパフォーマンスになっているのです。
ただ将棋のハンデについて語っているだけなのになぜか気持ち悪い感じがするけどその理由がわからなかったのでAIに聞いてみた
以下AI
この文章が「ただ将棋のハンデ説明してるだけなのに気持ち悪い」と感じられる理由を、いくつかの観点から分析してみます。
1.優越感のにじみ出方が過剰
• 「100%勝ってしまうもん」「私には勝てないだろう」「わざと負けてあげることが多い」など、自分の棋力の優位を繰り返し強調しています。
• この種の自己評価は、客観的に語られていれば事実として読めますが、「当然でしょ?」という上から目線のニュアンスを感じさせる書き方になっており、読者に「マウントを取られている」ような不快感を与える可能性があります。
2. 読者との距離感が妙に近い or 狭い
• 冒頭で「そんな話をすると〜よく言ってくる」という語り口調は、あたかも読者に向かって「あなたもそう思うでしょ?」と話しかけているような距離感です。
• これはある種の身内感や馴れ馴れしさを演出しますが、内容が自慢話に寄っているため、「それってあなたの感想ですよね?」的な冷めた反応を誘いやすい。
•自分の経験を「指導対局」という形式で語ることで、謙遜してる風に見せて自分を持ち上げている。
• 「プロでも本気出せば勝てない」「でもプロも完璧じゃない」みたいなバランスの取り方は、自分を物語の中心に置いたうえで他人を引き立て役にしてるような印象を与えます。
• 「初心者でも良い勝負はできるだろう」「勝ちそうなところからわざと負けてあげる」など、自分がコントロールできる存在として扱っているような書き方がされており、「相手を見下している」と感じる人もいます。
5.冗長な語りで「これは説明です」と言いながら実は語りたいのは自分の武勇伝
• ハンデの説明としては情報が多く、詳細すぎて「説明の顔をした自己紹介」に近い。
• この種の文章は読む側が「で、何が言いたいの?」と思いやすく、意図が自己顕示だと見透かされると不快感を生む。
総合すると:
この文章が気持ち悪く感じられるのは、「将棋のハンデの話をしているように見せかけて、自分の強さや経験の豊富さを誇示している」というバランスの悪さ、そして語り口が読者との距離を詰めすぎていて、かつ一方的に優越感を押し付けてくるように読める点が主な要因です。
「気持ち悪い」って感覚ってけっこう鋭いサインなので、そう思った自分の直感は大事にしていいですよ。
https://anond.hatelabo.jp/20250305125349
面白い質問ですね。「アニメ一話切り」を公表するタイプの人々が、つまらない作品について語ることに注力し、逆に自分が面白かった作品についてあまり語らない理由を、心理学的・社会学的観点からさらに深掘りしてみましょう。前回の分析を踏まえつつ、新しい視点も加えて考察します。
人間の脳は、ポジティブな情報よりもネガティブな情報に強く反応する傾向があります(ネガティブバイアス)。このため、「つまらない」と感じた作品に対する不満や苛立ちの方が、「面白い」と感じた満足感よりも感情的に強く印象に残り、発信したい衝動に駆られやすいのです。
なぜこうなるか: 「つまらない」という感情は、失望や怒りといった強い感情を伴うため、それを外に吐き出すことでカタルシスを得られる。一方、「面白い」は穏やかな満足感にとどまり、わざわざ発信する動機が弱い。
このタイプの人との関連: 一話切りを公表する人は特にこのバイアスが強く、批判的な視点で作品を「切り捨てる」行為に快感を見出している可能性があります。
前回触れたように、つまらない作品を語ることは、「自分は見る目がある」「流されない批評家だ」という自己イメージを強化する手段として機能します。一方、面白い作品を褒めることは、「ただのファン」として見られるリスクがあり、彼らのアイデンティティにそぐわないと感じるのかもしれません。
心理的動機: 褒めることは「単純に楽しんでいるだけ」と受け取られ、独自性や知性をアピールしにくい。対して、批判は「分析力」や「鋭さ」を示すチャンスになる。
結果: つまらない作品への言及は自己顕示欲を満たすが、面白い作品を語ることはその欲求を刺激しないため、後PRIORITYが低くなる。
Twitterのようなプラットフォームでは、議論を呼び起こす話題の方が注目されやすく、リツイートや反応を得やすいです。「このアニメ、1話で切ったわ、ゴミすぎる」と書く方が、「このアニメ面白かったよ」と書くよりも強い感情を誘発し、賛否両論の反応を引き出しやすいのです。
なぜ面白い作品を避けるか: 「面白い」と語っても、「へえ、そうなんだ」で終わりがちで、対話が広がりにくい。一方、「つまらない」と断言すれば、「いや、そんなことない」「わかる!」と反応が来て、交流が続く。
このタイプの人との関連: 彼らは無意識に「バズる」発言を優先し、ネガティブな意見の方がその目的に適していると学習している可能性があります。
面白い作品に出会ったとき、人はそれを「自分の楽しみ」として内面に留め、じっくり味わう傾向があります。一方、つまらない作品に遭遇したときの不快感は、「誰かに共有して共感してほしい」「この苛立ちを外に出したい」という外部化の衝動に駆られやすいです。
心理的動機:面白い作品は「自分の宝物」として秘めておく感覚がある一方、つまらない作品は「不愉快な体験」として他人に押し付けたくなる。
このタイプの人との関連: 一話切りを公表する人は、特に不満を溜め込むのが苦手で、それをTwitterで吐き出すことで精神的なバランスを取っている可能性があります。
興味深い仮説として、一部の人は「楽しむこと」自体に抵抗感を持っている場合があります。面白い作品を語ることは、「自分が楽しんでいる姿」を晒すことになり、それが「軽薄」「浅い」と見られるのを恐れているのかもしれません。
潜在的動機: 常に「深みのある人間」「真剣な批評家」でありたいというプレッシャー。
このタイプの人との関連: 一話切りを公表する人は、「楽しむ自分」を素直に表現することに照れや不安を感じ、批判に逃げることで「知的な立場」を保とうとしている可能性があります。
一話切りをする人は、「時間の無駄を避ける」という価値観を強く持っていることが多いです。つまらない作品に費やした時間への苛立ちが、「これを我慢した自分は愚かだったのか?」という自己評価の揺らぎに繋がり、それを公表することで「次からは賢く選ぶ自分」をアピールしたいのかもしれません。
なぜ面白い作品を語らないか:面白い作品は「時間を有効に使えた」という当たり前の結果にすぎず、語るほどの「事件性」がない。一方、つまらない作品は「失敗体験」として語る価値があると感じる。
このタイプの人との関連: 彼らにとって、「時間の損失」は感情的に大きなインパクトを持ち、それを共有することが自己防衛の一環になっている。
「アニメ一話切り」を公表するタイプの人々が、つまらない作品ばかり語り、面白い作品について語らない理由は以下の通りです:
話題性:ネガティブな意見の方がコミュニティで反応を得やすい。
内面化と外部化:ポジティブは内に留まり、ネガティブは外に出す傾向。
時間の意識: 「損した感」を強調することで自己を正当化したい。
この行動は、必ずしも病理的なものではなく、多くの場合、個人の性格やTwitterという場の特性に影響された「癖」のようなものです。ただし、極端にネガティブな発信に偏る場合、楽しむ能力の欠如や慢性的な不満を抱える傾向が背景にある可能性も否定できません。彼らが面白い作品を語らないのは、「語る価値を感じない」「語るメリットが少ない」と無意識に判断しているからだと考えられます。
マッチングアプリって、定量的なパラメータでふるいを掛ける前提のツールなんだと思う。
それと、弱さを多分に主張してるけど、他と比較してそう思っていて、その主語がデカいのにも気になる。
痩せろ。食事を見直して軽いウォーキングから始めろ。2日に1回10分からでいい。
いきなりライザップとか行くな。というか一生ライザップなんて行くな。行くなら無理ないメニュー教えてくれるところ行け。
まずは服。ユニクロでいいから。ダボついてないニットとダボついてないデニム。冬はシンプルなダウンでも買え。変なロゴとか英字とか入ってないやつ。
わかんねーならPinterstをインストールしてファッションの写真をずっと眺めてればなんかヒント得られる。
靴はスニーカーじゃなくてABCマートあたりで黒のデザートブーツでも買ってみろ。スニーカーは難しい。
髪は一度でいいから勇気出して美容室行ってみろ。喜んで改造してくれる。1000円カットはダサいやつにはダサい仕上げしかしないからな。
人生うまくいっているやつは文章を書くのも上手いし字も綺麗だし絵も上手いし歌も上手いし仕事も上手い。
性格が悪い。人見知り、オドオドしてる、弱々しい。
職場でも馴染めない。
全部原因じゃなくて結果論だ。
人生がうまくいってるから文章とか絵とか仕事がうまいわけじゃない。結果論だほとんど。すべての根源は自己肯定感の差だ。
自分はどうせ変わらないっていう根本にある卑屈さを無理にでも転換しないとどうにもならん。むしろ無理やり転換する以外に選択肢がない。
あらゆるポイントに自分はダメな人間、と帰結させてるあたり自己肯定感を自分で常に下げてる。
100じゃないから0だになってる。まぶしく見えてる奴らも100なんかじゃなくせいぜい60とか70よ。増田も0じゃなくてせいぜい30とかよ。
(100は幼稚園から大学まで一貫の私立通って両親が会社経営か医者か名家の出身で顔面偏差値も高く自身も財閥商社で出世頭、0は外出不可の生存能力がギリ界隈と仮定)
安っぽい自己啓発本でいいから1冊読んでみろ。いっとき鼻息が荒くなるだけでもいい。100ページのうち刺さる文言が1つ2つ見つかるだけでも収穫だ。
色々な事に挑戦したり、過去を断ち切って前向きになる原動力として自己肯定感が満たされてるかはめちゃデカい。
そもそも今の増田は世間的に言って正直苦しいポジションでそこから這い上がるのはめちゃカロリー使う。
他人と比べてる限り、一進一退するたびにそのギャップに苦しむし、その差なんてすぐに埋まらず挫折すっから、まずは現在の自分と比べてどんだけマシになったかでちょっとずつ気持ち上げていけ。
この人生訓を唱える人物は、以下のような人物像が想像されます:
この人物は、人生経験が豊富で、自己改善に努める成熟した大人の印象を与えます。社会の中で上手く生きていくための知恵を持ち、それを他者に伝えようとする姿勢が感じられます。
Citations:
[1]https://www.y-nm.ac.jp/main/wp-content/themes/y-nm/assets/pdf/guide/publications/kiyo16.pdf
[3]https://www.fukuchiyama.ac.jp/img/report/2023/2023_report02.pdf
[4]https://www.tuhw-h.ed.jp/wp-content/uploads/2023/07/2023gakutoku2_english.pdf
[5]http://www.nissyo-youchien.net/kusuri.html
[6]https://digitalcast.jp/v/20593/
[7]https://jp.voicetube.com/videos/183743/65704044
この記事、古代ギリシャ・ローマガチ勢と思しき人が頑張って書いたように見受けられるんだけど全然バズってなくて可哀想
https://www.gamespark.jp/article/2025/01/02/148189.html
というか3.0リリース前だったから史実の切り口じゃ考察のしようもないし
せいぜい「史実の反映が見受けられるよくお勉強された景観のマップだね」くらいのことしか言えんよな
考察ってキャラとかが絡むから面白くなるんであってリリース前の世界観だけこねくり回してもな
というかこの記者いろんなゲームで教養うんちくにかこつけて記事書いてるんだな
こういうリアル絡めたゲーム語りって嫌味をださずにやるの難しいけどこの人は軒並み失敗してる感じがする
元々そのゲームをガチでどっぷりやり込んでる人が好きが高じて色々調べまくった系の教養系考察ならあんまり嫌味を感じず「そうだったのか」ってなるけど
色んなゲームやらアニメやらをこういう教養じみた切り口で現実に結びつけて語ろうとするのは多くの場合、考察というより自己満足、自己顕示寄りになるんだよな