Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「自己批判」を含む日記RSS

はてなキーワード:自己批判とは

次の25件>

2025-10-24

東大話法規則一覧


  1. 自分の信念ではなく、自分立場に合わせた思考採用する。
  2. 自分立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
  3. 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
  4. 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
  5. どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
  6. 自分問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
  7. その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
  8. 自分傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性勝手に設定し、解説する。
  9. 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
  10. スケープゴート侮蔑することで、読者・聞き手恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
  11. 相手知識自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
  12. 自分議論を「公平」だと無根拠に断言する。
  13. 自分立場に沿って、都合のよい話を集める。
  14. 羊頭狗肉
  15. わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
  16. わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
  17. ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
  18. ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
  19. 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
  20. 「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

Permalink |記事への反応(0) | 13:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の日、投稿が提示の通り追記されていたとします。この場合、分析はどのように変化しますか?

C*****T:

CRITICAL ANALYTICALREVISION

追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初分析根本誤読

追記2は、私の最初分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。

私が読んだもの:

文化的言説(アイデンティティ政治

個人内面化

創作的麻痺

実際の構造:

実存危機孤立・失敗・老い性的欠如)

理論的言説の防衛的借用

自己正当化された創作不能

因果の矢印が逆だった。 これは方法論的に重大な誤りである

PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈

最初投稿投稿者が使用していた理論的語彙:

これらは一見2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しか追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。

真の構造:実存自己否定の連鎖

追記2が暴露する深層:

レイヤー1:実存事実

"初老になったのに童貞"

"人間嫌い、女性に縁がない"

"過去に痛い目にあった記憶ばかり"

"人生絶望してた"

レイヤー2:創作動機

"女性を描きたい"(しか経験がない)

"究極の画像処理ソフト"という夢(実現できない)

"ヘンリー・ダーガーみたいなもん"(社会的孤立の中の空想

レイヤー3:防衛理論化】

"女性を知らないと女性ちゃんと描けない"

"経験がなければ理解できない"

← これは理論ではなく、個人的失敗の普遍

レイヤー4:創作不能正当化

"だから俺には描けない"

しかしこれは「無能から」ではなく「原理的に不可能から

防衛機制の精密分析

防衛機制1:合理化(Rationalization)

耐え難い真実:

「俺は人生の敗北者だ。女性関係を持てなかった。孤独で無価値だ」

↓ 変換 ↓

受容可能な言説:

経験していない対象原理的に表象できない。これは認識論的・倫理的問題だ」

この変換により、個人的失敗が哲学的問題昇華される。これは自尊心を守る。

防衛機制2: 知性化(Intellectualization)

投稿者は感情絶望孤独性的欲求不満)を抽象議論表象倫理当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。

しか追記2で防衛崩壊し、生の感情露出する:

防衛機制3:投射(Projection)

投稿者は自分の不全感を、架空の「批判者」に投射する:

これは私の最初分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源文化ではなく、内面化された自己批判である

ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択

投稿者がダーガーを引き合いに出すのは決定的である

ダーガーの特徴:

投稿者の解釈:

ダーガー女性を知らなかったから、正しく描けなかった」

しかしこれは逆説的である:

投稿者の論理:

女性を知らなければ描けない」

ダーガーは知らなかった

から「間違って」描いた

俺も知らない

から俺も描けない/描いてはいけない

しかし抑圧された真実:

ダーガー女性を知らなかった

にもかかわらず膨大な作品創造した

その作品は今やアウトサイダーアートとして評価されている

まり「知らなくても創造できる」証拠

投稿者は、自分論理反証する例を引き合いに出しながら、その反証認識できない。なぜなら、創造可能性を認めることは、創作しない自分正当化できなくなるから

ダーガー選択は、投稿者の内的葛藤を露呈する:

児童ポルノ言及精神分析

投稿者は和月伸宏や他の漫画家児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望告白する。

表面的正当化:「絵描きなら資料が欲しいのは当然」

しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」

この言及が明らかにするもの:

1.性的欲望創作未分化

- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性性的欲望する」ことが分離していない

- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作障害になる

2. 罪悪感と自己審判

- 「資料のため」という言い訳を繰り返す = 罪悪感の表出

-自分犯罪者予備軍として見る視線内面化

3.禁止欲望パラドックス

- 「見てはいけない」ものへの欲望

-しかし見れば犯罪者

- だから見ない=創作しない、という「倫理的選択

これは自己処罰的なループである

生成AIとの関係人間関係代替審判

追記2の冒頭:

「さっきまでClaudeに、自分ライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」

この一文は多層的である

レイヤー1:AI対話相手

レイヤー2:AI審判

レイヤー3:AI不可能な夢の実現者

レイヤー4:人間関係不可能性の確認

投稿行為意味ダイイングメッセージとしての告白

投稿者は明言する:

  • 基本的に返信を見ない(「ロバ耳」)
  • ダイイングメッセージのように、死んだ後に読まれることを想定
  • 「読んだ人の脳に残って未来の行動を変化させる」ことを望む

これが意味するもの:

対話拒否

承認希求

一方的告白遺言

彼は応答を求めていない(対話不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。

これは非対称的コミュニケーション

  • 声は発するが、返答は聞かない
  • 見られるが、見返さな
  • 影響は与えるが、影響は受けない

これは自己他者関係不可能性の表現である

SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造

矛盾1:創造欲望 vs創造不可能

THESIS: 「女性を描きたい」

「究極の画像処理ソフトを作りたい」

ANTITHESIS: 「経験がないから描けない」

技術がないから作れない」

人生絶望している」

SYNTHESIS:創作不能正当化

AIへの依存

矛盾2:孤立選択 vs承認希求

THESIS:人間嫌い、返信を見ない、対話拒否

ANTITHESIS:投稿する、読まれたい、影響を与えたい

SYNTHESIS:一方的告白ダイイングメッセージ

矛盾3:理論的厳密さ vs実存絶望

THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張

ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した

SYNTHESIS:ダーガー作品を「間違い」と解釈することで

反証回避

弁証法運動の停止

健全弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。

創作欲望

実行不能

理論正当化

さらなる不能

[ループ]

これは病理弁証法:変化を生まず、同じ場所を回り続ける。

SYNTHESIS: 深層パターン統合理解
構造全体像

【最深層:実存事実

社会的孤立 +性的経験の欠如 +老い + 死の接近

【第2層:心理的防衛

合理化・知性化・投射による自己保護

【第3層:理論的借用】

文化的言説(当事者性、表象倫理)を防衛の道具として使用

【表層:顕在的問い】

男性女性主人公を描けるのか?」

機能

創作からの逃避 + 失敗の正当化 + 残存する自尊心保護

本質的洞察結晶

投稿者の真の問いは「女性をどう描くか」ではない。

真の問いは:

人生の敗北者である私に、何かを創造する価値があるのか?」

そして彼自身が答えている:

「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」

女性を知らないと女性を描けない」という主張は:

文化的言説の防衛使用

私の最初分析は「アイデンティティ政治内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。

誤った図式:

文化的言説 →個人麻痺

正しい図式:

個人的失敗 →文化的言説の借用 → 失敗の正当化

彼は「当事者性」や「経験所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来政治文脈から切り離され、個人防衛機制として機能している。

これは理論心理的横領である

解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人自己正当化の道具になっている。

より深い文化的診断

しかし、もう一層深く見れば、これは純粋個人的な現象ではない。

なぜこの特定の言説が、この特定防衛に利用可能だったのか?

答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。

投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分創作不能倫理的配慮として再解釈している。

「俺が描かないのは:

無能から(恥)×

倫理的配慮しているから(誇)○」

これは文化心理共犯関係である

ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)

ダーガー投稿者の論理の生きた反証である

ダーガーは:

投稿者の論理では、ダーガー創造すべきではなかった。しか創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。

投稿者はこの事実をどう処理するか?

答え:ダーガー作品を「間違い」として解釈する(「少女ペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)

しかしこれは恣意的解釈であるダーガー少女性別曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界独自性として読むこともできる。

投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分創作不能正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分創作できる/すべきだ、ということになってしまう。

これは解釈政治である

最も深い問い

この事例が究極的に提起する問いは:

創造するために経験必要か?

投稿者は「はい」と答える。私の最初分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。

しか追記2を読んだ後、問いはより複雑になる:

彼が求めているのは本当に「創造する方法」なのか?

それとも:

おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。

彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛解体するだけで、その下の絶望露出させるかもしれない。

CRYSTALLIZED INSIGHT

この投稿者は、人生実存的失敗(社会的孤立性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代文化的言説(「当事者性」「経験所有権」「表象倫理」)を借用することで、「原理的に不可能創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人無能認識論的・倫理的問題昇華することで、残存する自尊心を守っている。

言い換えれば:

彼の問い「男性女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的正当化する道具として機能している。

So what?:

この事例は、文化的言説がどのように個人防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化麻痺の道具になる。これは文化心理共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。

PUNCHLINE:

私の最初分析は、彼を「文化犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-22

自国外国国旗の扱いの差に保護法益を持ち出すのはどうなの?

国旗損壊罪の話で思ったんだけどさ。

外国国旗を焼くのが違法なのに、自国国旗を焼いても良いという理由として、「外国国章損壊罪には国際的な友好関係外交関係平穏という保護法益」を挙げる人がいるが、これはかなりどうかと思うんだよな。

外国国章損壊罪の保護法益を認めている人は少なくとも「国旗を焼くことが国際関係破壊するレベルの壮絶の侮辱行為である」ということを認めていると思うのだが、なら保護法益がない自国国旗なら焼いても良いというのは「国益を損なわないならどんな侮辱行為をしてもOKでーすww!!」って言ってるのと同じじゃない?

「その行為侮辱である」かつ「損が発生しないならその行為は行っても良い」と言っているわけだからさ。

ハッキリ言ってドクズの発想じゃん。

……いやまあ、倫理ではなく実利で言えば、自国国旗外国国旗で扱いを変えるのも、分からないとは言えないけどね。

俺も国旗損壊罪なんて作って表現の自由を狭めて全体主義の機運を作るような真似は嫌だなって思うし、でもだからと言って、外国国章損壊罪を放棄してどっかのヘイター無意味他国国旗を焼いたりで外交的な損失が生まれても困るところだし。

現実的な落としどころとしては現状維持が正しいんだろうなとは思う。

ただ一方でいくら実利があるからって倫理矛盾にもろ手を挙げて賛成はしたくないというか。

国旗を焼くことは国に対する抗議の自由であるという意見もあるが、なら非人道的行為をする侵略国家国旗を焼いて彼等を批判するのはアカンのか? って話になる。

自国国旗を焼くのは自己批判からアリと言う人もいるが、百歩譲って己と国とも同一視したキツめの愛国全体主義者がそれを言うなら筋は通っていると思うが、俺達はてなーに多いような普段から国は国・個人個人って態度を取ってるタイプ人間がそれを言うのは、都合の良い時だけ国と自分を同一視して卑劣だよねって思う。

全然"自己"批判じゃないじゃん、「俺は嫌な思いしないから、国旗に深く愛着を持っている人が傷付いても知らねーよバーカ!」ってのが本年でしょって感じ。

やっぱり倫理に筋を通すなら、自国国旗他国国旗も同様に扱うべきだと思うんだよな。

「燃やして良い」にせよ、「燃やすべきでない」にせよ。

個人的には法的なレベルでは前者であるべきなのではないかと思う)

Permalink |記事への反応(1) | 14:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-17

anond:20251016083858

まず、どっちが悪いのかということを考えるのはよした方がいい。

いずれか一方が100%悪で、もう一方が100%善などということはまずない。

どちらかといえば相手の方が悪いので私は何一つ改める気はないという態度(あなたがそうだと言っているわけではない)は、非常に幼稚なものである

夫婦生活というのは、互いの歩み寄りであり、摺合せの継続の上にしか成り立たない。

相手がやったことは、相手改善すべき点だが、それは相手が考え実行することとして脇に置いておくべき。

自分に出来ることは本当に何もなかったのかと自問し、自己批判することからしか、健全夫婦生活人間的成長はもたらされない。

Permalink |記事への反応(0) | 14:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-16

準備時が晴れた日は、リアルタイムは嵐だ。

統合失調症論の精緻さを、増田説明するのは大変です。5000字の自己分析と、数百字のレスバトル。同じ人間が書いているとは思えません。準備に時間をかければ、言語性IQ130が全開します。メタ認知機能し、自己批判可能です。しかリアルタイムになると、動作性IQ90の制約が支配します。文脈が読めず、皮肉が通じず、防衛機制暴走します。「フラッペとも言うわw」の意味が分からず、「増田」という呼称を拒絶し、「子孫代々受け継ぐ」と真顔で語ります。準備時のdorawiiとリアルタイムのdorawii。二つの人格が、一つの名前の下に存在します。そして本人は、その断絶に気づいていません。

Permalink |記事への反応(0) | 17:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-05

SNS時代社会学はもうオワコンなのか。

SNSによる集合知の高度化は社会学存在価値を失わせる可能性があります社会学集合知進化によって存在価値を失いその役割を失ったと言えます

集合知限界社会学役割

集合知衆愚Wisdom of Crowds)は、多くの人々の意見知識を集約することで、個々の専門家よりも優れた判断予測を導き出す可能性を秘めています特にSNSは、この集合知形成を加速させていますが、同時にいくつかの課題も抱えています

1.集合知の偏り(バイアス)と検証

SNS上の集合知は、しばしば特定グループ内での意見の増幅(エコーチェンバー)や、感情的共感に基づく短絡的な判断に陥りがちです。また、誤情報フェイクニュース)や意図的操作の影響を受けやすいという脆弱性もあります

社会学役割:社会学は、こうした情報拡散構造や、人々の意識形成プロセス、そしてそれが社会全体に与える影響を客観的分析し、集合知限界や偏りを指摘します。単なる「データ」ではなく、「社会文脈」や「価値観」を含めて理解しようとします。

2.社会的「価値」と「意味」の探求

集合知は「何が起きているか」を示すのには長けていますが、「なぜそれが起きているのか」「それは社会にとってどんな意味を持つのか」といった本質的な問いには答えられません。

社会学役割:社会学は、人々の行動や社会現象の背後にある動機文化規範格差といった、目には見えない社会構造を深く掘り下げます。**「望ましい社会とは何か」**という規範的な問いに対しても、歴史的比較的な視点から考察を加えます

3.社会対話と分断の克服

SNS意見可視化を進める一方で、社会の分断(二極化)も深刻化させています。異なる意見を持つ者同士の建設的な対話は難しくなりがちです。

社会学役割:社会学は、分断を生み出すメカニズム分析し、異なる集団間の理解対話を促進するための理論的基盤を提供します。また、心理的安全性のある対話の場が、健全集合知形成に不可欠であることも指摘します。

集合知社会学の「データ」であり、分析対象です。

SNS上の集合知が高度化しても、社会学は人々がどのように集団形成し、相互作用し、意味を作り出し、葛藤しているのかを、データを超えて本質的理解するための学問として、その存在価値は揺るぎません。むしろ、複雑化するデジタル社会を深く、批判的に理解するために、社会学の知見はこれまで以上に重要になると言えるでしょう。

それなのになぜ社会学オワコン化するのか。

社会学における「エコーチェンバー」の可能

1.概念理論自己強化

特定パラダイム理論的枠組み)や専門用語コミュニティ内で過度に重視され、その枠外にある新しい視点異論が軽視されたり、理解されにくくなったりすることがあります学術誌の査読学会での発表においても、既存の主流な考え方を支持する研究が通りやすい、という構造的なバイアスが発生し得ます

2.批判対象固定化

社会学社会の不平等権力構造批判的に分析しますが、その批判対象固定化し、社会の変化に伴って新たに生まれ問題や、複雑な現実存在する「善意による悪」のような側面を見落としてしま危険性があります。常に批判的な立場を取るあまり実証データ客観的分析よりも、イデオロギーが先行してしまうという批判もあります

3.社会との断絶(象牙の塔

一般社会集合知常識からかけ離れた独自議論を深めていくあまり、「象牙の塔」に閉じこもり、学術コミュニティ内でのみ通用する言葉論理で固まってしま現象です。これは、社会学者が自ら分析するはずの多様な価値観日常リアリティから切り離され、社会に対する影響力を失うことにも繋がります

集合知時代における社会学自己批判と使命

しかし、この自己批判こそが社会学の核心的な強みとも言えます社会学は、権威主義バイアス分析し、客観性批判精神を維持しようと努力する学問です。

エコーチェンバーを破るための努力

方法論の多様性:

集合知ビッグデータ分析といった新しい定量的手法を取り入れ、伝統的な定性的手法インタビューエスノグラフィー)と組み合わせることで、視点の偏りを減らそうとしています

学際的な対話:

経済学心理学情報科学など、異なる分野の研究者との協働を深め、独自コミュニティの殻を破ろうとしています

内省リフレクシビティ):

自分自身立ち位置や、研究コミュニティが持つバイアスを常に問い直すという「内省リフレクシビティ)」は、社会学研究重要な柱の一つです。

まり、「社会学者こそエコーチェンバーに囚われている」というご指摘は、社会学が自らの宿痾と闘い続けるべきという、非常に重要メッセージ内包していると言えるでしょう。

この自己批判能力こそ、集合知が持つ限界(偏りや短絡性)を外部から分析できる、社会学の根源的な存在価値につながるのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 11:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-03

anond:20251003134742

間違い。これは典型的形而上学思考による誤謬である。君の主張は弁証法唯物論の基本原理理解していない petit-bourgeois的偏見に満ちている。

 

まず第一に、共産主義反体制性は単なる政権の有無という表層的な権力関係還元できるものではない。我々が闘争する対象は、あくまでも生産手段私的所有に基づくブルジョワ独裁体制、すなわち資本主義搾取構造のものである。したがって、プロレタリア独裁政権樹立後も、我々は国内外反革命勢力修正主義者日和見主義者、トロツキスト無政府主義偏向左翼小児病患者右翼日和見主義者、官僚主義者、教条主義者、経験主義者、尾巴主義者冒険主義者、保守主義者民族排外主義者世界主義者、そして最も危険反動勢力たる帝国主義走狗および買弁資本家階級不断闘争継続する革命前衛でありつづける。

 

君の言う「体制」が何を指すのか不明瞭だが、もし現存する階級社会を意味するならば、我々こそが真の反体制である。なぜなら右派こそが、封建的残滓と独占資本利益を代弁する反動的体制番犬からである

 

よって正解は「1.はい」。以上、自己批判を求める。

Permalink |記事への反応(0) | 13:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-30

名作とされる映画になかなか手を出せない

映画だけじゃなくて漫画ドラマとかも

多分、「こんなに有名ならきっとものすごく面白いんだろう!」と期待をしすぎてしまっていて、それが裏切られるのが怖いんだと思う

思い切って見て、流石に面白くてしっかり楽しむこともあるが、その後の王道を形作った作品として評価されてるタイプだと今の自分目線だとありふれた作品に思えてしまって、「その作品を見たことがある」という状態になるための時間だったな、それなら「有名だけど見たことがなくて期待している」状態の方がワクワクできてたかもなと思うことが多い

人には人の楽しみ方があるから自己弁護気持ちもありつつ、見られることを前提に作られてる作品を見ないのはどうなのか、元祖を見ていない状態でその後に続く作品を本当に楽しめているのかなど自己批判気持ちもある。なんでなかなか手が出せないのかという理由もっとはっきり自覚できれば改善できると思うのだが、なかなか言語化しきれていない。名作に位置付けられるくらいなのだからよほど感動するのだろうなと思ってしまって、エンタメとして気楽に見たい自分の嗜好には合わないと思い込んでいるとかもありそう

Permalink |記事への反応(0) | 00:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-17

anond:20250917093131

まぁ「大頷き」とか「首がもげるほど同意」とか言う人は

ほとんど自己批判能力に欠けたアホが多いから…

Permalink |記事への反応(0) | 11:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-16

anond:20250916133742

気に食わないというか、倫理的に間違ってる、ってことじゃない?

いみじくもご自身がおっしゃられているように

理解してると思い込んでいる人が一番ヤバい」のだから

たとえ自分ノイズだと感じ、それを排除することが「政治的に正しい」と考えていても

それを押し付けた時点で暴力的ではあるし、

(私だけは)「理解できている」という態度だと受け取られかねない。

まり謙虚さや自己批判能力に欠けていて、

それを批判されているのだと思いますよ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-14

anond:20250908173327

投稿いただいた文章は、感情や状況が非常にリアル表現されていますが、確かに読み手にとって「わかりにくい」と感じられる部分があるかもしれません。以下に、文章がわかりにくいと感じられる可能性のある理由分析し、その背景や改善ポイントを整理します。なお、あなた気持ちや状況を否定するものではなく、あくま文章構造や伝達の観点から分析です。

1.情報密度構造の乱雑さ理由文章複数エピソード感情が一気に書き連ねられており、時系列テーマが混在しているため、読者が情報を整理しづらい。

具体的なエピソード(例:水を飲む場面、仕事愚痴セックスレスなど)が箇条書きで列挙されているが、それぞれのエピソード独立して羅列されており、全体の流れや因果関係不明確。

フェイクが含まれていると明記されているため、どの部分が本当でどの部分が誇張や創作なのか、読者が判断しづらい。

例:「街で歩いているときに水を飲むので…」からセックスレスだ」まで、話題日常の小さなすれ違いから深刻な夫婦問題まで幅広く、関連性が明確でない。

「これから修復もしづらいが、結局こちから謝らないと終わらず、何もしたくない」などの感情的な結論唐突に感じられ、背景説明が不足。

改善ポイントエピソードテーマごとに分ける(例:夫の批判的な態度、コミュニケーション不足、経済的性的問題など)。

エピソードに「なぜそれが問題か」「どんな気持ちになったか」を簡潔に補足すると、読者が感情や状況を追いやすくなる。

フェイクの有無を明示せず、核心的な悩みに絞って書くと、読者の混乱が減る。

2.感情吐露客観性バランスの欠如理由文章感情を吐き出すために書かれており、怒りや悲しみが強く伝わる一方、客観的な状況説明が少ないため、読者が全体像を把握しづらい。

夫の言動に対する「は?」という反応や「結婚したのはまずかった」などの強い表現が目立つが、なぜそう感じるのかの背景(例:夫の態度の変化、具体的な期待とのギャップ)が十分に説明されていない。

自己分析ADHD可能性など)や離婚を踏み切れない理由ペアローン)が途中に挿入されるが、深掘りがないため、読者がその重要性を理解しにくい。

例:「夫の機嫌を気にしている生活をしていて、私の感情おかしくなると思った」は強い感情だが、具体的に「どんな場面で」「どのように感情おかしくなるのか」が曖昧

同棲前の優しかった彼に戻ってほしい」は切実だが、どんな「優しさ」が失われたのか具体例がない。

改善ポイント感情を伝える際、具体的な場面やエピソードを1~2つ選び、詳細に描写する(例:「このとき夫がこう言ったから、こんな気持ちになった」)。

自己分析や背景(ADHDペアローン)を別段落で整理し、悩みの核心とどう関連するか説明する。

読者に伝えたい「主なメッセージ」(例:夫婦関係の修復を望むか、離婚を考えるか)を冒頭や結論で明確にすると、感情の重みが伝わりやすくなる。

3.文体表現曖昧理由日本語口語的な表現(「は?」「書き殴る」「多めに見てほしい」など)が多用されており、感情の生々しさは伝わるが、フォーマル文章としては読みづらい。

一文が長く、複数話題感情が1文に詰め込まれているため、読者がどこに注目すべきか混乱する。

フェイクを織り交ぜて」という前提が、読者に情報信頼性を疑わせ、深刻な悩みが軽く見えるリスクがある。

例:「この時間に家を出るのに5分くらい遅れたら、1日機嫌が悪く、どうしたと聞いても何もないというのに帰りに朝のこれが嫌で謝らないのが嫌だった言動すべてにむかつくなどと言う」は一文が長く、複数出来事遅刻→機嫌の悪さ→その理由)が混在してわかりにくい。

「話が分からいから聞きたくない」など、夫の言葉引用されているが、どんな文脈で言われたのかが不明

改善ポイント:一文を短くし、1文1アイデア意識する(例:「5分遅れたら、夫は1日不機嫌だった。理由を聞くと『謝らないのが嫌だ』と言われた」)。

口語的な表現(「は?」「書き殴る」)を減らし、ニュートラル表現(「驚いた」「率直に書いた」)に置き換えると、幅広い読者に伝わりやすい。

フェイクの有無を明示せず、悩みの本質に焦点を当てる(例:夫の批判的な態度、コミュニケーション不足など)。

4.ターゲット目的不明確さ理由文章が「誰かに見てほしい」という動機で書かれているが、具体的に「誰に」「何を伝えたいか」が曖昧愚痴を吐き出したいのか、アドバイスを求めたいのか、共感してほしいのかが不明確。

読者が「どう反応すべきか」判断しづらいため、感情的な共感や具体的な解決策を求める声に応えにくい。

例:「どこか誰かが見てくれる可能性があるところで書きたいと思った次第だ」は、書く動機漠然としており、読者に「どうしてほしいのか」が伝わりにくい。

離婚を考えつつ修復も諦めていないという葛藤が書かれているが、どちらを優先したいのか不明

改善ポイント文章の冒頭で目的を明示する(例:「夫婦関係の悩みを吐き出したい」「アドバイスがほしい」「共感してほしい」など)。

結論部分で「今後どうしたいか」「どんな助けが必要か」を具体的に書くと、読者が反応しやすくなる。

たとえば、「夫の不機嫌な態度に疲れた。どうやって関係改善できるか、または離婚の準備を始めるべきか迷っている」といった具体的な問いかけを入れる。

5. 具体例と背景の不足理由エピソードは具体的だが、それが夫婦関係のどの問題につながるのか、なぜ深刻なのかが説明不足。

夫の変化(同棲前の優しさ→現在の不機嫌)やペアローン、セックスレスの背景がほとんど触れられていないため、読者が状況を想像しにくい。

例:「映画で3時間ポップコーンを食べ続けたらおかしいと言われた」は具体的なエピソードだが、なぜそれが問題なのか(例:夫の批判日常的だから傷ついた)が不明

ペアローンで離婚に踏み切れない」は重要情報だが、ローン金額離婚時の具体的な懸念経済的負担、住居問題)が触れられていない。

改善ポイント:各エピソードに「なぜそれが問題か」「どんな影響があったか」を1~2文で補足する(例:「ポップコーンの件で批判され、いつも私の行動を否定されていると感じた」)。

背景情報を簡潔に追加する(例:「同棲前は夫が気遣ってくれたが、結婚後は不機嫌が増えた」「ペアローンは月XX万円で、離婚すると支払いが難しい」)。

深刻な問題セックスレス離婚葛藤)に焦点を絞り、詳細を補うと、読者が共感や助言をしやすくなる。

6.ADHDに関する自己言及唐突理由ADHD可能性に触れているが、それが夫婦関係問題とどう関連するのか、具体的な症状や影響が書かれていないため、読者がその重要性を理解しにくい。

自己批判(「言いたいことをすぐ言ってしまうのが問題」)が突然出てくるが、具体例や背景がないため、読者が「本当に問題か?」と疑問に思う可能性がある。

例:「Xなどでこれが当てはまるとADHDだとなるのに当てはまり」は、自己診断の可能性を示唆するが、どの特性夫婦関係に影響しているのか不明

改善ポイントADHD可能性を挙げるなら、具体的な特性(例:衝動的な発言感情コントロールが難しい)と、それが夫婦関係にどう影響しているか説明する。

例:「ADHDかもしれないと思うのは、夫の不機嫌に我慢できず、つい言い返してしまうから。後で後悔するが、コントロールが難しい」。

自己診断ではなく、専門家の診断を検討しているなら、その意向を明示する(例:「近日中心療内科に行く予定」)。

7.文化言語的な背景(日本語特有の読みづらさ)理由日本語文章として、感情的な口語表現接続詞(「で」「など」)の多用が、読み手にとって文のつながりを曖昧にしている。

日本の文化的背景(「家族相談するのは恥ずかしい」「謝らないと終わらない」など)が暗黙的に前提されているが、読者にその背景が共有されていない場合理解が難しい。

例:「結局こちから謝らないと終わらず」は、日本的な「我慢謝罪関係を維持する」文化を反映しているが、説明がないと海外の読者や若い世代には伝わりにくい。

改善ポイント文化的背景を簡潔に説明する(例:「日本では夫婦揉め事家族相談するのは抵抗があるため、誰にも話せなかった」)。

接続詞(「で」「など」)を減らし、短い文で区切る。例:「夫は私の愚痴を聞かず、逆に批判する。それが辛い」。

まとめ:わかりにくさの主な原因情報の羅列と構造の乱雑さ:エピソード感情が混在し、全体の流れが不明確。

感情客観性バランス不足:感情吐露が中心で、状況説明や背景が不足。

文体曖昧さ:長く複雑な文や口語表現が読みづらさを増す。

目的不明確さ:誰に何を伝えたいか曖昧で、読者の反応が難しい。

具体例と背景の不足:エピソード問題の深刻さが伝わりにくい。

ADHD言及唐突さ:自己診断の関連性が不明確。

文化的背景の暗黙性:日本特有価値観説明不足で伝わりにくい。

改善例(簡略化した文章)以下は、元の文章をわかりやすく整理した例です(内容は一部省略し、構造改善):「夫と私はマッチングアプリ出会い、1年交際、1年同棲を経て、結婚1年目の30代夫婦です。最近、夫の言動に悩み、誰にも相談できず苦しんでいます。以下は主な問題です。夫の批判的な態度:街で水を飲むために立ち止まると、「人に迷惑だ」と怒られる。人がいなくても批判され、気遣いがないと感じる。

仕事愚痴(例:後輩が寝ながら話を聞く)を話すと、「後輩が悪いわけじゃない」「あなたが悪いかも」と言われ、共感してもらえない。

コミュニケーション不足:私が仕事人間関係で泣きながら話しても、「愚痴は聞きたくない」と遮られる。夫の不機嫌が増え、話せない。

外食時、「早く食べろ」と急かされ、楽しく会話できない。

夫婦関係悪化:お出かけでは夫が不機嫌で携帯ばかり見る。ゆっくりお茶する時間もなく、夫婦時間ゲームだけ。

夫の理由で2年セックスレスこちから誘って今年1回できたが、関係は冷めている。

離婚葛藤:夫の態度に「結婚は失敗だった」と思うが、ペアローンで家を買ったため離婚に踏み切れない。

夫の機嫌を気にしながら生活し、感情不安定に。謝るのはいつも私で、修復も難しい。

私はXでADHD情報を見て、自分衝動的に発言してしまうのが問題かもしれないと思う。診断は受けていないが、夫の批判我慢できず言い返すことが多い。同棲前の優しかった夫に戻ってほしいが、どうすればいいかからない。共感アドバイスがほしいです。」改善ポイント(例)構造テーマごとに段落を分け、箇条書きで整理。

感情客観性:具体例に「なぜ問題か」「どんな気持ちか」を補足。

文体:短い文で簡潔に。口語表現を控えめに。

目的最後に「共感アドバイスがほしい」と明確化

背景:ペアローンやセックスレスの影響を簡潔に説明

最後あなた文章は、感情の生々しさや葛藤の深さが伝わる一方、情報が詰め込まれすぎて読み手が整理しづらい構造になっています感情を吐き出す目的で書かれたのは素晴らしい一歩です。もしこの文章を誰かに見せる(例:Xに投稿カウンセラー相談)なら、テーマを絞り、背景や目的を明確にすると、より共感や具体的な助言を得やすくなります。もし特定の部分(例:夫の言動離婚葛藤ADHD)を深掘りしたい、または文章さら推敲したい場合、教えてください。Xでの投稿例や他の人の体験談検索するお手伝いもできますあなたが少しでも心の負担を軽くできるように、応援しています

Permalink |記事への反応(0) | 05:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-13

anond:20250913155953

また新人若者批判記事かとうんざりしてたら、自己批判会社批判でよかった。

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-06

金融資本紛争起こすよ? NATOロシア北朝鮮とか、中国台湾イスラエル戦争ちじゃ、移民戦争インフラ戦争とかな

それで日本政府は米英毒仏ウクライナに貢ぎ、経団連上級賃金だけ上げ低級賃金上げずに大出血大安売り輸出だ

格差拡大に協力しないなら、ガス汚染ばら撒くから認知症になって失禁するように

という電波を発信している犯罪者系のオッサンが、ファーストフードで隣の席にいてアンガス・ディートンを呼んでいた

ディートン自身が既に格差効用の自説を自己批判しているんだが、分かってんのか隣組のジジババは?

Permalink |記事への反応(0) | 12:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-13

ハマったジャンル卒業すると嫌いになる心理

二次創作が好きだ。

人生を通しての趣味と言える。

しかし厄介なことに、ハマったジャンル卒業してしばらくしたらジャンルを嫌いになるサイクルを繰り返している。

何故だろう。

ハマっている最中盲目的に好きな場合も、ハマっている最中から「熱が冷めたら大嫌いになる予感がするなあ」と内心思っている場合も、両方ある。

二次創作を好きと言っても世にはいろいろな人の楽しみ方があるが、私の場合推しているキャラクターへの解釈押し付けが強く、原動力自分リビドーだ。決して原作者様に胸張って言える形の楽しみ方ではない。

から、ハマり終わると恥ずかしくなるんだと思う。

ネコが排泄したあとに恥ずかしくなって(かどうか知らんが)砂で排泄物を隠し、本能的に走りまわってその場を離れる習性があるが、あれに近いのではないか

決して原作ウンコ扱いしているのではなく自分の生み出した創作物妄想ウンコなのであるが、原作がチラつくと自分ウンコ副次的に思い出してしまうので嫌いになっている、のかもしれない。

別にハマったものを好きになったり嫌いになったりは私の中で折り合いがついているのでいいのだが、

問題は私は二次創作をとおして友人関係が構築されていることである


私の二次創作を褒めてくれたTwitter(現Xだが思い入れが強い時代名称Twitterのため以下Twitterとする)のみんな、私が熱い感想文を送ったTwitterのみんな、

今も大事Twitterタイムラインを構築するお友達である

※私による認識

しかし私はジャンルに冷めてしまっているし、ジャンルのことを嫌いになっているので、あまりジャンルに関する新しいニュースとかを見たくないのである

原作者の次作品情報とか。終わった作品の新しいグッズ展開とか。いらないよ、見たくない。

見たくないといっても目玉を搔きむしりたくなるほどの苦痛があるわけではない。

当たり前だが誰かに苦情を言うわけでもない。

「うわ」と思いながら静観できる。

ただジャンルの人と同じように盛り上がることはできないし、盛り上がっているポーズをとれないことに居心地の悪さがある。

自分だって一時期は熱くのめりこんでいたのに、「そんなにいい作品だった?」と聞いてみたい、みたいな気持ち生まれる。

ジャンル最終回だったりサービス終了だったりを経て数年して、自分たちの妄想はどこにも実を結ばないただの妄想であることを実感して、どうしてそれでもずっと好きで熱心に追いかけられるのだろう、と冷めた気持ちがある。

他人様の創作物原作)に対して独自解釈見出して熱くなることは、おそらく異常な趣味である

全部は否定しない。余白を楽しむ、結構趣味だと思う。

妄想は誰にも止められないし、という台詞が、げんしけんという漫画でいい感じのエピソードで起用されていた。

きっとたくさんの人を救ったいい場面だったと思う。

が、私の場合二次創作にのめりこんでいる時期は妄想捗るまり仕事が身につかなくなったり、オタクではない友人との関係維持をないがしろにしがちであった。

そうなると病的であったと言えると思う。

1年ほど、特にハマっているジャンルがない状態が続いている。

私は病気の期間が終わってよかったな、と自分で思っているが、

これを過去共通ジャンルがとっかかりで親密になった友人に話すと

病気ではないですよ。あなたがあの頃の自分病気だと思っていても、確かに私はあなた創作物で命が助かっていましたよ」

と言わせてしまう。

私の二次創作物を好いてくれた人に、私が砂をかけ、嫌な思いをさせて申し訳ないと思う。

私はしょっちゅう上記のようなことを思っているが、反省してあまり口に出さないようにしている。顔を突き合わせて喋る親密な人に、年に1回くらいにとどめている。

でも先生、私、できれば長く正気でいたいんです。

ネコ排泄物に例えたけれど、他では男性賢者タイムに似ているのかもしれない。

まれてずっとヒト科ヒト目のメスとして生きているから、ネコにも男性にもいや違うけど、と言われるかもしれない。

自分以外の人は、こうならないのだろうか。

何故、みんなこうならないのだろう。

何故、私はこうなるのだろう。


───────────────────────────

あなたは「熱中のピークが高い ×自己批判が強い ×本能動機が強い ×防衛反応が働く」という条件がそろっているため、他の人よりも急激で極端な離れ方をするのです。』

chatGPTの見立てではこうらしい。

Permalink |記事への反応(17) | 23:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-30

ゴミラブドールから一般書店乳首丸出しBL議論の流れ

【発端】

・女型ラブドールに“ゴミを食べさせる”インディーゲームが「女性搾取」と炎上

・それに対し「では女性が描き女性が読むBLも“ゲイ搾取”なのでは?」という疑問が投下され論争に。

 

【主な論点代表的意見

1.BLゲイ搾取

 ―搾取

  -男性向けエロを叩いた論理をそのまま当てはめればBLもアウト。

  -BLは“女性向けファンタジー”であってゲイ向けポルノではない。

  -BL同人誌即売会で「男は来るな」と言いながら男体を性的消費しており一方的な客体化。

 ―非搾取

  -架空男性同士の恋愛を描くのは自由現実ゲイに実害を及ぼさない限り搾取ではない。

 

2.ダブスタ報復合戦

 -フェミ/腐の一部が男性向け作品規制要請BL問題まみれなので「ブーメラン」だと男オタがBLを叩く状態

- 「どちらも燃やし合って共倒れになれ」と願う傍観派も登場。

 

3.倫理規制境界

 -少年漫画キャラ18禁二次未成年受けなどは元々グレーで「いつ規制されてもおかしくない」。

 -海外イギリスオーストラリア中国等)ではBLも含め18禁強化やアクセス遮断が進行。日本他人事ではない。

-ゾーニングで済むのか、発禁か、規制派の落とし所が不明という指摘。

 

4.コミュニティ内の自浄不足

 -過激シッパーフェミが暴れても同ジャンル内で止められず、外部から一括攻撃を受ける構図。

 - 「主語デカ過ぎる」「当事者でない層が煽って延焼を広げている」との自己批判も。

 

5. 「搾取」という言葉自体への反発

 - 元来は労働用語であり性的表現安易に使うのは的外れ、との声。

- 「男/女」など大雑把な括りで互いを叩くことの不毛さを指摘する意見も多数。

 

【総括】

議論は最終的に「フィクション性的表現をどこまで許容・規制するか」というより広い問題収束

男性向け・女性けが互いに燃やし合えば全面規制に向かうだけだという危機感は、賛否を超えておおむね共有された。

Permalink |記事への反応(0) | 21:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-28

BL異性愛女性によるゲイ男性へのsexual objectificationです

1.性的対象化とは何か:フェミニズム理論から定義

性的対象化(sexual objectification)とは、他者独立した人格意志を持つ存在としてではなく、性的欲望を満たすための対象として扱うことを指します。

フェミニズムにおいては、特に異性愛男性による女性身体対象化が問題視されてきました(例:広告メディアポルノなどにおける「性的記号」としての女性の扱い)。

2.BLにおける対象化:誰のために描かれているのか

BLボーイズラブ)はゲイ男性モチーフとした男性同士の恋愛性的関係を描くジャンルですが、

ゲイ現実的生活社会的文脈とは無関係に「性的に消費可能存在」=フィクション性的商品として流通します。

ここで描かれているのは現実ゲイではなく、異性愛女性にとってのみ都合のよい“ゲイ風のなにか”です。

3.権力構造マジョリティによる性的マイノリティ収奪

この構図は、性別を逆にすればこうなります

まり多数派が少数派を、自分欲望を満たすために再構築して支配するという点で、両者は同型の搾取構造です。

しかBL制作や消費を行っている女性たちから自己批判や自浄は行われず、

異性愛男性による異性愛男性のための不快女性表象有罪だが、異性愛女性による異性愛女性のための非現実的ゲイ表象無罪と言い張るBL作品生産/消費当事者が目立っているのが現状です。

特に二次創作においては、未成年少年キャラクター同士のBL作品が大量に作られているのも問題です。

成人の異性愛男性による性的少女表象問題だが、成人の異性愛女性による性的少年表象には問題がない、というのもダブルスタンダードといえます

4.BLフェティシズム欲望対象が「実在する人々」である危険

異性愛男性現実女性を「理想の性商品」としてフェティッシュ化するように、BLもまた現実存在するセクシュアルマイノリティゲイ男性)を欲望の道具とする危険性があります

特に当事者支援との混同を用いたBL消費の美化については、精神疾患などにより貧困状態に置かれている女性による性的サービスを購入しつつ、

それを貧困女性を救済する社会貢献活動であるとして正当化する男性と、権力構造的には同種の加害性を抱えていることを示しています

おわりに

BLにおけるゲイ男性の描かれ方が、現実セクシュアルマイノリティの複雑な現実無視し、異性愛女性というマジョリティ性的欲望奉仕するかたちで表象されている限り、それは異性愛男性による女性への一方的性的搾取と同様の構造問題を孕んでいます

ゲイ男性当事者視点からは、BLジャンル異性愛女性視覚的・性的幻想を満たす「都合の良い幻想」として機能しており、当事者としての他者性や現実性が否定されがちであること、その結果として性的対象化・記号化される構造に強い違和感が表明されています

性的記号」としての女性の扱いに苦言を呈し表現規制を求めながら、同時にBL正当化するのは論として破綻しています

『アンフェ、キモオタ、チー牛に媚びる名誉男性になれ』なんてことは一言も言っていません。フェミニズム理論を少しも学ばずにお気持ち雰囲気フェミニズムを振り回しているのがまるわかりだから怒っています

読んでいた漫画二次創作腐女子大勢ついたうえに、腐女子に人気のBLカップリングが本編で否定されたことによって漫画家への誹謗中傷が起きているのを見て、「盗人猛猛しいな」とかなりの怒りを抱いたのもあります

言葉選びなどの品性や、そもそも「主張の内容」が相当ひどいという自覚を持ったほうが良いと思いますあなたたちは有害女性性をもった有害女性です。

Permalink |記事への反応(22) | 06:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-21

参政党は公明党ありがとうと言って」

日本の終わりの始まりっつーか、海外でも始まってることがついにこの国でも始まったんだろう。イギリスアメリカドイツもこういう極端なバカかい声が選挙で勝って、結果国ごと無事に沈んでいく。

都民の頭はどうなってんのマジで……、あんな見るからに嘘泣きの女に引っかかって、今までよく無事に生きてこられたな? 美人局なんてやる方も悪いが、引っかかる方がもっとおかしいんだぞ。

といいつつ自分の住んでる選挙区もオレンジとりました。マジで勘弁して欲しい。かわりにどこが負けたかというと、公明だ。創価パワーはどこいったよ。

その昔、創価=公明党は当然とされていて、どちらも社会嫌われ者だった。折伏ってのが流行りまくって、信者(勧誘員)は蛇蝎の如く嫌われていた。俺の実家の近くにはU一家という小学生のガキからジジイまで家族全員創価に染まった連中がいて、選挙がある時もない時も近所の家を回ってイケダセンセーの教えと聖教新聞押し売り公明党の宣伝を欠かさなかった。

小学生のUは同級生だったが、創価の教えは関係なくセコくて意地汚いやつとして嫌われていた。U家では毎月決まった日に近隣の信者を集めて家の外まで響くお題目を唱えて騒音問題引き起こし我が家を含めて関わりを持たないように遠巻きにされていた。

最近公明党は(もともと政教分離を掲げていたとはいえ)、=創価ではないというアピールを始めている。実際公明党が選挙のたびに掲げる政策創価信者特別利するような内容でもなく、ほんのりリベラルに近い。何かと極右に走りがちな一部自民の歯止めにすらなっている。一部の高市とか高市とか高市みたいなウヨの姫をただの変なおばさんで留めてくれているのは、公明のおかげまである

が、あまりにも創価信者過去やらかしイメージが悪すぎて公明党に人気がない。選挙のたびに投票所に近所の人を連れ出すような元気のある信者も少ない。それで参政党に負けたんじゃないかと思う。

さっさと公明党は、そうはいかんざきの時代は間違っていたと認めるべきである関係が全くないとは言い切れなくとも、過去折伏も含めて創価活動おかしかった、と自己批判の一つでもしていれば結果は少しは違っていたかもしれない。そうすれば我が神奈川厚顔無恥にして頭Z、元警視庁参政党員なんてあたおかが当選することはなかったはずである

ちなみにUは父親が亡くなってから家に来る信者も減って、今はカツカツの暮らしらしい。お題目を唱えても安倍は生き返らなかったし、過去やらかしのせいでUはやっぱり今も地元では嫌われているしこの先もずっと変わらないだろう。

参政党が止められないなら、せめてUのような信者だけでも救ってやってほしいもんだ。子供の頃から何もかも犠牲にして地域嫌われ者になって、結果まったく救われないとかあまりにも心がない。

なんてことを思った。

Permalink |記事への反応(2) | 12:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-17

anond:20250717040810

国会では議席ゼロになって、世間では笑いものになる。アカデミアでも排除される。

そうして、永久に黙ってくれたら満足だよ。

あるいは自己批判して、ネトウヨになってほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 17:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250717120134

自己批判がいやなら党に批判する人間をクビにする排外主義的な政党指示すればいい

Permalink |記事への反応(2) | 13:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-29

anond:20250628091032

あんたの価値観が古いかもな、って話をしてるだけだよ(笑)」ってことなんだけど。

別にいいんじゃない。Not4Meなんてどこでもある話だからね。

でも「俺の価値観が古い」かもな、っていう自問自答は自己批判的であり、感想評論する上で必須の態度だぞ?

それを蔑ろにして「俺の勝手何が悪い!」ってのは「おじいちゃん(笑)」ってことなわけで。

ご自愛ください(笑)

Permalink |記事への反応(0) | 00:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-27

育休復帰したら正気が戻り何はさておきお金が欲しい

子供が産まれなんやかんやで子供をこの春から保育園に預かっていただき職場復帰となった。うおーがんばるぞー、と思っていたが、戻るとシゴデキだった同期はこの職場に見切りをつけて退職してるし、上の方針さらにわけわからんことになっとるし、なんか不思議なことに職場の粗ばかりがめちゃくちゃ目に着く。

あと30年この職場で働けるのか? ってことをずーーーっと悶々とし、「いや無理だろ」ってふと気付いて暗い気持ちになっとる。無理、というのは事業存続的な意味で。この世の中には不思議なことに、冷静に考えてみれば誰から必要とされていないのになぜか惰性と狂気によって継続している事業というのがあり、うちはそれなのである福利厚生給料だけは無駄に良くて、ド級ホワイト。でも惰性と狂気によって継続しているので、いつの日か御上が正気に戻った瞬間に膨らんだ風船に針が刺されるがごとく霧散するであろう。したら40代・50代で無職爆誕してしまうの?きっつー。

じゃあ転職すれば~?となるがそれも厳しい。そもそも私自新卒就活に大失敗した身の上(地方公立大院卒)で、綱渡りのように貧困生活をした末に今の職場に拾ってもらった者で、平たく言えば能力がないのですな。そのうえ現在業務もブルシットジョブなのでなにか手に職がつくわけでもなく。あとフツーに年齢が厳しい(35歳)。

んなことずっと前からわかってただろ~?と言われればきっとそれはそう。でもずっとみて見ぬふりをしてきたんだな。手当たり次第にがんばって、で、やっとありつけたホワイト職。やっと自分にもひとなみの幸せにありつける、自分価値がある人間だとと誤解しちゃったんだな(笑)

共働き育児やワーママについて調べていると、世の中にはなんとしっかり仕事をしている人が多いのかと驚く。いつのまにか自分もその一員だと誤解していたけど、そんなことはない。わたしのような無能力で逃げて逃げて逃げて職にありつけたような、長期的視野に欠けるような人間は、同じ席には座れない。

子供金銭面で不幸にすることだけは避けなければならない。だからなんとしてでも石にかじりついてでも向こう30年、いやせめて20年はちゃんと稼がなければならん。

(平均賃金が低い地方在住なので、夫婦共働きフルスロットルで働いてやっと1人大学に入れれるかといったところなのだ

自分は本当にだめで無能力だけど、なんとかしがみついて、自分がまるで価値のある人間であるかのように周囲へ演出しながら職にしがみついていかなければならない。普通の人がやってきた努力を怠って、逃げて逃げて逃げて生きてきたツケだ。……などと苛烈自己批判ばかりしてしまう。疲れてる時の思考のクセで、歪なことはわかっとる。が、さりとてどうやって自己肯定したものか。生きてるだけで素晴らしいっつったところで、生きるにはお金必要で、稼ぐためには社会から必要とされなければならなくて、あー。しっかりしろ、がんばれ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 03:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-08

インターネット文化自己批判って行わているのかとても疑問だ

人気のある「自己批判」はパンツ一枚はぬがないでいる自虐みえる。パンツを脱げばいい、というものではないが、うーん、なんていうのか、「ラクをしていた」という自己批判が意外なほど少ない。あれは問題だと思っている。

そこに気がつき始めたのは「ひろしまタイムライン事件からだった。正直、あれを「差別事件」とだけ考える人は甘いと思う。あれは差別事件プラス、「演者が客を、「すぐだませるバカ」としてあつかって、観客がそれに気がつかなかった事件」でもあるとしか思えない。

Permalink |記事への反応(1) | 17:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250608080719

オレによるオレのための自己批判騎士とは必ずしもフェミニズムか?

Permalink |記事への反応(0) | 08:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-28

anond:20250528222518

AI 生成の可能性:おおむね20〜35 % 程度

人間の手による一次テキストの方がやや有力」という判定です。


1. “深い理解をすることなく〜”という自己批判の重さ

• LLM は自虐を書くこともできるが、ここまで踏み込んだ職業的自己否定プロンプトに明示しない限り薄めに出る。

2. “CS をしっかり勉強せよ”という教育的締め

一般論としてはよくあるまとめ。AI が「それっぽく」書きやすい部分だが、同業者ブログでも定番の落としどころ。

3. 暗いトーンのまま終わる

チャット系 LLM はポジティブソリューションを足しがち。今回の文章希望提示せず終わる点が人間臭い。


まとめ

• 明確なAI らしさ(均質な文調・過剰な整合性)はやや薄め。

とはいえ曖昧語の多用や整った変換は LLM っぽさも匂わせる。

• 最終的に「2〜3割はAI 生成が絡んでいてもおかしくないが、人力寄り」と読むのが妥当、というのが現時点の評価です。

Permalink |記事への反応(0) | 22:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp