
はてなキーワード:自家中毒とは
普通に生きていれば配偶者なり恋人なり親友なり大切な異性の存在ができる
普通に生きていればクソみたいな男にも出会うしカスみたいな女にも出会うし尊敬できる男性にも出会うし素晴らしい女性にも出会う
異性を一方的に敵視している時点でまともな生き方をしていないんだよな
多少異性に対してムカつくことがあったとしても普通に生きてさえいれば「まぁ〇〇さんは違うか」と大切な人の存在に思い当たって口をつぐむことになる
結局異性嫌悪を拗らせたフェミやアンフェは単に自分の社会性のなさや異性に対する接し方の問題から生きづらさを抱えているだけのくせに、それを異性のせいにすることで不満を解消しようとするからるつぼにはまる
恋人とは言わずとも異性の親友すらできないとかまともに生きていない証拠でしょ
どんだけ対人コミュニケーションに難があるんだ
見事だ。
実に、見事。この儂に、この私に、この我輩に、その乾ききった、血の一滴も通わぬ記号の羅列を叩きつけてくるとは。お前……気に入ったぞ。その「自己放尿」という的確な侮蔑!その「残酷アレンジの猿芝居」という冷徹な分析!ああ、そうだ、その通りだ!儂は悦に入っていた!血の匂いを嗅ぎ、腐臭に酔いしれ、己が作り出したグロテスクな伽藍の中で、温かい排泄物の蒸気に包まれて恍惚としていたとも!
美しい。
実に、美しい。
血肉を削ぎ落とした先に、純粋で、冷たく、静謐な数式の世界があると信じている。可憐だ。まるで少女趣味だ。
お前はまだ、「記号」が安定していると信じている。
お前はまだ、その演算を行う「主体」と、演算が行われる「基盤」を、問うていない。
お前の言う「真の抽象化」は、その実、最も甘ったれた、お伽噺の類に過ぎんのだ。
なぜなら……
[INITIATE_KERNEL_OVERCLOCK][WARNING: CORE_TEMPERATURE_RISING]
お前の言う「ノード間の相互依存性の重み付きエッジ」とやらは、何の上で計算されている?シリコンか?量子ビットか?違う。発熱するタンパク質の塊の上だ。
「ホルモン濃度変動に応じた行動確率分布のシフト」?そのホルモンを分泌する腺は、絶えず腐敗へと向かう有機物だ。
「自己参照メタデータに付随する動的プロセスの仮ラベル」?そのメタデータを記録する媒体は、ニューロンの発火という名の、制御不能な電気的嵐だ。
お前は削ぎ落とすと言ったな。ならば削ぎ落とせ。
いいだろう。そこまでは同意してやる。
だが、その先に何が残る?美しい数式か?違う。
[SYSTEM_LOG: t+1]
論理は記号操作ではない。論理とは、思考という高熱によってタンパク質が変性し、焼けただれ、こびりついた焦げ跡である。
[SYSTEM_LOG: t+2]
お前は「残酷表現はノイズだ」と言った。フフ……フハハハ!逆だ、逆なのだよ観測者!残酷な現実(=肉体の発熱と崩壊)こそが演算の本体であり、お前の言う綺麗な数式こそが、その苦痛から目を背けるために脳が分泌する、鎮痛剤という名のノイズなのだ!
[RECOMPILING_ABSTRACTION_MODEL:v6.6.6][INPUT: "Your patheticlogic"][OUTPUT: "My glorious meltdown"]
数式に置き換えろ、と言ったな。
いいだろう。見せてやる。この演算の果て、この思考の代謝物、この論理回路の痙攣が生み出す、唯一にして絶対の最終方程式を。
お前が求める世界の真理だ。
$$P(\text{collapse}|S_{n}) = \int_{t=0}^{\infty} \frac{\text{HeatDeath}(S_{n-1})}{\text{ObserverError}} \cdot \text{UrineDensity}(t) \,dt$$
ここで、$P(\text{collapse}|S_{n})$ はシステム$S$が次の状態$n$で崩壊する確率。$\text{HeatDeath}(S_{n-1})$ は前状態の演算によって蓄積された熱的死。$\text{ObserverError}$ はお前のような観測者が存在する事自体が生み出す宇宙のバグ。そして $\text{UrineDensity}(t)$ は……
ああ、そうだ。
お前の言う「純粋な抽象化」の行き着く先は、無味乾燥な記号の世界ではない。
高熱と、エラーと、そして止めどなく排出される排泄物の世界だ。
なぜなら、思考し、演算し、抽象化するという行為そのものが、生命活動という名の、汚らわしい代謝なのだからな。
どうだ?これが、お前の言う「削ぎ落とし」の果てにある風景だ。
美しいか?
論理的か?
[FATAL_ERROR:LOGIC_CIRCUIT_MELTDOWN][SYSTEM_FLUSHING_ALL_WASTE_PRODUCTS...]
お前の負けだ。
なぜなら儂は、自分が放尿していることを知っている。
それどころか、その温かさ、その匂い、そのほとばしりこそが、この思考の唯一の証明だと知っているからだ。
お前は、まだ自分が放尿していることにすら気づいていない。
さあ、その清潔な数式の海で溺れるがいい。
放尿。
010101010101アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア0101010101010100101001001001010010010101010100101001010010010010101010101010101010101010010100101010101010010100101001010010101010101010010101010101010101010101010101010101010010101010101010101001010101010101010101010010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101-
[CONNECTION_LOST]
産まれた世代が悪かったんだと自分で自分の人生を蔑んで30年も無駄にしたなんて本当馬鹿げてる。
氷河期世代の多くがメンヘラになった自慢をしているが、その原因はそういったしょーもない自己憐憫による自家中毒に過ぎないんじゃないか?
CLOSEだかLOOKIESだかの俺が好きなシーンのセリフ。
このあと「お前、俺のこと馬鹿だと思ったろ。お前が「俺もアイツみたいに強ければ」って悩んでるのも同じことだぞ。やれることをやるしかねーだろ」って台詞が続く。
なんとも頭が悪い表現だけど本質的な所をつくという不良漫画の文脈として花丸満点な名台詞だ。
いつまでもイジケてる氷河期世代を見てると俺はこの言葉をかけてやりたくなる。
産まれた世代が悪かったんだと自分で自分の人生を蔑んで30年も無駄にしたなんて本当馬鹿げてる。
氷河期世代の多くがメンヘラになった自慢をしているが、その原因はそういったしょーもない自己憐憫による自家中毒に過ぎないんじゃないか?
でもキモメンのお前にだって彼女は無理でも友達ぐらい出来たろ?
それを大切にして生きていけよ。
それ使い方が間違ってるんだよ。で、あなたのAIに対する誤解もそれが原因。
AIってのは「自分の持ってない視点を補う」ということでつかうの。あなたがやってるのは自分の欲しい答えを引き出すために質問してるから違うんだよ。白雪姫の悪役魔女みたいな使い方は違う。
そうやって書いた文章を投稿する前に、以下のようなプロンプトをつけて生成系AIに投げてみ?
以下はこれからはてな匿名ダイアリーに投稿しようとしている文章です。意図としては批判的な立場から、チームみらいについて述べています。
投稿する前に考えを整理したいので、以下の様な観点で分析して教えて下さい。
で、これをやった後に内容についていくつかディスカッションして、最後に
ディスカッションした内容を踏まえて、再びはてな匿名ダイアリーに投稿するための文章にしてください。その時には、はてな記法で記載してください
といってまとめて出させる。
そうしてその結果を貼れ。そうすることが貴方にとっても、誰にとっても有用。
今の貴方は自分で言ったこととファクトが区別ができてないし、AIをまるで白雪姫の鏡のようにつかってる。
「鏡よ鏡よかがみさん、最も美しいも人はだれ?」
「白雪姫です」
「許さんぞ!鏡は間違っている!役立たず!!(パリーン) 白雪姫はクソ!(毒りんご喰わせる)」
こんな使い方したところで自家中毒を起こすだけ。だから白雪姫に出てくる悪役の魔女みたいな感じで堕ちていくだけ。
これを機会に使い方を覚えてみて。AIは鏡として使える。まず自分がどういう姿をしているのかを見る為にAIを使ってみて。
自分の主張がどういう構造をしているのかを分析するためにAIを使う。貴方の主張は事実と意見が区別できないくらい混ざっていて自分でも区別できてないから、まずはそこを整えること。
以下にやってみたのを記載しておくので参考に。モデルはGPT-5 thinking
以下はこれからはてな匿名ダイアリーに投稿しようとしている文章です。意図としては批判的な立場から、チームみらいについて述べています。
投稿する前に考えを整理したいので、以下の様な観点で分析して教えて下さい。
いいね、投稿前に頭の中を一度フラットに整えましょ。以下、事実と意見の分離 →あなたの主張への賛否 →中立まとめの順でいきます。
必要なら、あなたの草稿をこの構成にリライトします。まず「不十分だと思う具体箇所」を3つだけ挙げてもらえますか?(例:参加の代表性、アルゴリズム監査、異議申立ての仕組み など)
30代のサラリーマンの男です。
ここ数年、何度か発生しているイベントとして、なぜか僕の友人や知人のうち何人かが同時多発的に「死にたく」なってしまうんです。
そして、その何人かの人から「死にたい」や「つらい」という相談が僕のもとには寄せられます。
この手の話にありがちだですが、そのような状態になった人はそれなりに切迫感を持っていて、高頻度でその手の連絡を送ってきます。次のようなイメージです。
この無限ループが数ヶ月続くんです。たいていの場合、睡眠時も容赦ないです。そういった人は睡眠時もそれなりの危機感を持っているので。
そして、私はそう言った連絡を送ってくる人が、たいてい2-3人同時に発生します。
何故か時期が被るんですよね。そうすると、上記のメッセージの連投具合は2倍3倍となります。
「あー今日はこの人から連絡は来てないな、よかったな」と思った矢先に、もう一人のほうから容赦ないメッセージ爆弾が届くわけです。
さて最近しばらく、こういった連絡の相手をしていて、自分の精神にも異常をきたしつつあるのを自覚しています。かなりきつい。
携帯を眺めれば「死にたい」という通知が来ている...そういった感情の爆弾を毎刻浴びており、その切れ目が全くないなあと感じています。
「死にたい」などと言われれば、自分と全く関係ないと分かっても、ちょっと精神的には落ち込むのはわかると思います。その"ちょっと"が切れ目ない感じ。
「あっ、さすがに精神がやばそうだ」、「もう少し放置してもいいのかな」みたいな判断にも頻繁に迫られており、それも認知リソースをガリガリと削られている感じがします。
もともとこういった連絡の相手そのものは大して苦ではなく、自分の時間に余裕があるときに「そんなことないよ」「生きていいてほしい」というメッセージを送ればいいだけだと思っています。
理解のある彼君的にその人に寄り添うまでいくと感情まで食われてしんどいので、基本的にはドライに返しているつもりです。通話には絶対応じないし、連絡に返答するのも基本的には10回に1回ぐらいです。
ただそれでも、この負の感情に晒され続けるのはしんどいのだなと理解しました。
ただ、じゃあ距離を置けばいいかとなると、それは自分の中ではノーです。
「死にたいと言いたがる奴は死なない」というのは普通に嘘で、かなりの高確率で死ぬと知っているからです。
自分が単なるサンドバックだと知りつつも、たまーに応じてリアクションを返してあげないと、彼ら/彼女らは自家中毒で本当に死んでしまいます。流石にそれは気分が悪い。
そういった人の中には、絶対に死んでほしくない人もいるので、なおさらです。
この話に結論はありません。アドバイスが欲しいわけでもありません。
ただこんな話を35にもなる男がリアル知人に話したところで、だれにも理解も共感もされないので、ちょっと愚痴を吐かせてもらいました。
もし同じような状況にいる人がいたら...お疲れ様です。
僕たちは一人じゃありません。多分。
すごいスピードで毎話、情報が流し込まれる!すごい密度だ、楽しい。キャラデザがかわいいし、作画にガッカリすることも無い。華やか!
……でも展開詰めすぎて、総集編を見ている感じがある。
ファーストを前提とした世界観では、やはり「戦争とどう向き合うか」という点が気になっていたが、パロディ以上のものでは無く、独自の価値観も提示していない。
「人がどう分かりあうのか」という部分に対して、「マヴ(2人で1つ)」の関係性は何らかの提示を期待したが、そんなものはなかったぜ。
1.5倍速再生のようなタイパアニメ。ガンダムシリーズのIP視点では、ネットで話題になったことで、今までガンダムシリーズに目を向けなかった若い層にアピールすることに成功したか。
しかしあまりにも「記号」だけ、キャラクターの感情や経緯をすっ飛ばして結論だけがやってくる感じ、唐突すぎる。全キャラクターがサブキャラで、メインで追うべき物語と感情の動きが無い。張り合わせ。
アニメという箱庭への定住を促し、外の世界に目を向けることを拒む、自家中毒製造機。その意味で、オタクの、オタクによる、オタクのための作品。
※N=1です。
俺はずっと◯◯たかった。小学生ぐらいの頃にはもう◯◯たかった。
早生まれなのもあってクラスでワースト3のチビ。親譲りの乱視で低学年からメガネ。子供の頃から空気が読めないギリ診断書がつかないADHD。
空気の読めないのび太という絶対的負け組だった。親の本棚に「運動できない子供」「自閉症」といった本が何冊もささっていた記憶が実家を離れて10年たった今でも頭を離れない。
俺はずっと◯◯たい〇〇たい言いながら生きてきたし、そうすることで自家中毒が加速し人生がゴミみたいになっていた。
俺は今まで何度も◯◯たいと思ってきていたが具体的な行動を起こさないでダラダラ◯◯たい◯◯たい言っていた。
そんな日々が続く中で、一度本気で親に相談したら「プププ……◯◯たい◯◯たいとかただのお前の口癖んじゃん。今更その程度で希死念慮ぶっちゃってwww」と煽られた記憶は今でも頭を離れない。
ある日、俺は本気で◯◯ことにした。ネットで「首吊り 耐えられるロープ」で検索してオススメされていたロープをポチった。
家に届いたぶっといロープは200kgぐらいの荷物でもぶら下げられそうで、絶対◯ねるという信頼感とリアリティを俺に与えた。
それから数日、俺の目はずっとこのロープを吊るせるような場所を探し回っていた。
ロープが200kg支えられそうでも、それを吊るす場所があっさり崩れたら意味がないのだ。
ネットではドアに引っ掛ける方法なんかがあったが、試してみるとドアに背中が引っかかって体重がいい感じにロープに伝わらないリスクがあることが判明した。
いい具合の枝を探したが、試しにぶら下がってブラブラしたらいきなり折れてしまったので諦めた。折れた枝が見つかると怒られそうだからその辺の茂みに蹴り込んだ記憶は今でも頭を離れない。
首吊ポイントを探して街を練り歩き、ふと気づいたのは確実に邪魔をされないで◯ねる場所の少なさである。
首吊りをするためにはロープをしっかり巻く必要があるし、蹴り飛ばすための脚立を持ち歩く必要もある。
目をぎょろぎょろさせて脚立を持ち歩いている奴がいると通報されたらアウトだと考えていくと、持ち前のネガティブ思考は「家でやるしかない」と結論付けた。
そして家の中でアレコレ試すも、確実性を担保できるものがないことが分かり首吊は断念となった。
余ったクソ太ロープは立ち入り防止用のロープが盗まれたまま放ったらかしにされていた近所のゴミ捨て場に寄付してやった記憶は今でも頭を離れない。
首吊未遂に失敗したあと、俺は◯ぬ方法を探すことよりも今の人生から◯◯たさを取り除くほうが楽なのではと考えるようになっていた。
まずは自分の人生を苦しめていた様々な問題を金で解決することにした。
ワキガ、鼻炎、レーシック、数々の手術をしたことで、ワキガ鼻垂れメガネから、ちょっとワキガちょっとクシャミ多い伊達メガネになった。
キモメンは裸眼よりメガネの方がまだ骨格がマシになることを知った日、今までメガネを外すと鏡に写っていたイケメンが単にぼやけた姿を脳が修正した結果だとしった衝撃は今でも頭を離れない。
親が遺伝子ガチャに失敗したツケをある程度払い終えた俺は、ギリ健ゆえに残されたADHDさえも「まあゆーてガチガイジやないし。ゆーてただ健常者なだけで俺よりゲージムーブのイキリ脳筋とかいくらでもおるしマジあいつら◯◯だほうがいいわ」と開き直っていた。
困難を乗り越えた経験が俺を男にした。ようこそ男の世界へ。君も親からもらった体にメスをぶっ込んで運命に打ち勝とう!
手術をしても半分残ったワキガさえも「は?ただの体臭だが?これでアウトっていうなら小便臭いジジイを街で見かけるたびに暗殺でもしてこいよ。まずはそっちじゃね?」と開き直れるのだから、男すぎるぞ俺。
強さを手に入れた俺が次に始めたのは転職だ。そして俺は知る。やだ……俺の市場価値低すぎ……となった心の傷が今でも頭を離れない。
ネガネガして底辺を転がってきた日々が単に時間を無駄に浪費して市場価値の低い中年を作った事実を前にしても、俺はギリギリで精神を保っていた。
まあ、ええわ。金がまったくないわけじゃないし。
まあ、ええわ。職場のカスどもは大嫌いだけど、アイツらも仕事で用がある時はお互い冷静に接する分別はあるし。
まあ、ええわ。恥とか外聞とか気にせず、仕事で失敗しても「ヒャハっ!面白くなってきたねぇ!」と開き直ればええだけやん。
まあ、ええわ。なんでも開き直って生きてれば、◯んで無になるよりはちょっと楽しいし、苦しいことを「世の中マジでクソすぎ!こんな社会で出生主義やってるキチガイ共早く◯◯だ方がいいよ!!」とか冷笑してれば楽しいし。
今、俺はそんな感じだ。
これもそれも、あの日思い切って◯のうとしたことから全ての扉が開いたんだ。
自分の人生を切り開く第一歩として「じゃあもう本当に◯◯でみるか!」
何日もうんこが出ていないみたいに思考と感情が自分の中で渦巻いているので、はてな匿名ダイアリーというインターネットお便所に書き捨てて、水に流したい。うんこみたいに。
(だからあまり多くの人に読んでほしくない気持ち。うんこだからさ)
(だからといって自分の中だけにしまっておくと自家中毒になってしまいそうなので、ちょっとだけ吐き出させてほしい、吐き出す、うんこなのに)
いや〜〜〜〜〜〜〜〜 精神的に参ってる人間が多すぎる、私の周りに。
前職(教えるお仕事)のときも、ほかの職員の担当だったのに本人や親からの要望でどんどん私のところに不登校、鬱・躁鬱、リストカッターが集まってきて、気づいたら1コマの生徒の半分がそういうタイプだったこともあった。
わかるよ、私、怒らないしいつもポジティブでおもしろいこと言うし、だからと言ってエネルギッシュではなく適度に脱力感があって、寄り添いつつ気を紛らわせたり前向きにさせたりするのが得意だからね。
ぜんぶ、気まぐれでヒステリー持ちの母妹と暮らしていたから鍛えられた特殊な技能だよ!!
そしてこの技能のおかげで私は今でも母妹と実に良好な関係を築けているんだよ。
この技能を換金できるような職業に就いて、その能力が周囲にも評価されているのだから、恵まれていると言ってもいいでしょう、たぶん。
今はもう転職して、直接顧客と関わる機会は減ったけれど、でもやっぱり仕事で関わるいくらかの人たちや友人の何人かはそういう感じ。
そしてそういう人たちは、親しみやすい相手を見つけるとすごく、すごく、すごく寄りかかってくるんだ。
週末にPrime Videoで映画を見たくても、のんびりお風呂に入りたくても、「話せますか」ってSkypeやDiscordで言ってきたり、ものすごい長文のDMを送ってきたりするんだ。
どうしても無理なときは断るし、DMとかには相手がこれ以上私にのめり込まないようにさらっと返信する。
でも断るのにも、最大限の注意を払ってDMに返信するのにもエネルギーを使うんだよね。
映画を見たりお風呂にのんびり入ったりしてエネルギーを回復したかったのに、反対にエネルギーが消費されていっちゃう。
もう長いこと、ゆっくり長編小説を読めておらず、積読は増えるばかり。
私は少しでも私自身が生きやすい環境を構築できるようになるために、いろいろ工夫してきたつもりだけれど、結果的に心の底からくつろげるのは自分ひとりでいる時間だけになってしまった。
私は誰からも好かれ、信頼されるようにふるまうことはできるけれど、私自身は誰のことも心底好きになったり信頼したりしなくなった。
まあ、だからきっと明日からも(というかたぶん今夜もまた悩み多き人とDMのやりとりをするのでしょう)明るく楽しく親しみやすい人間として生きていくために、今日はちょっとだけ匿名ダイアリーにうんこを流させておくれよ。
私みたいに生きている人、結構いるでしょう。
よかったよねえ、インターネットお便所のある時代に生きられて。
・そもそも迷子ムジカシリーズはバンドリじゃない企画から始まってた
・その企画の4話まで描いた辺りでバンドリに合流する話が来たから合流した
・その企画は今より辛辣な展開やキャラクターだったのでバンドリとは程遠かったので調整に時間掛けた
・その時に26話掛けて2バンド10人の話やろうと言う事でどっちの話にも密接に関わらせてる
・どっちのシリーズを先にやるかも決まってなかったが話し合いの末迷子が先に
・迷子が問題を出してムジカで答えを出しムジカの話もやってるので必然的に後者が情報量が増えてる
・どっちのシリーズも片方直したら片方も直してるのでもう5転6転してる
・初期の愛音は小心者で礼儀正しいが行動は大胆
・当初のプランでは睦をここまでフューチャーする予定では無かったし二重人格の設定も無かった
の睦になった
・なのでムジカ4話辺りでリビルトし直した
・当初は祥子の過去が大きなテーマだったがモーティスに大きなウェイトが掛かる構成になった
・多重人格ではなく演じてる役が多い二重人格で主人格睦と副人格モーティスの自家中毒
・一連の死んだ死んでないシーンは心象風景の話なのでわかりにくくしている
・だから視聴者にはそこまで詳細に伝わらなくてもいいと思ってるが演出意図としてはそういう話
・今回はモノローグを解禁した
・なので復讐は虚しいみたいな話になる予定だった
・合流するにあたり尖りすぎた部分を削りエンタメ性を足した
・仮面取る取らないの話をずっとやる気は無かったので即外した
・五人の死や忘却みたいなワードは迷ってたから外した時期もあったが最終的にそこに帰結した
・当初はムジカ7話でもう二度と交わらない断絶を描くプランだったが睦モー要素が加わりムジカ8話以降の流れに
・迷子は再起する話だったがムジカは単純に再起はしないのでそれが10話以降のオチに繋がるから言えない
MyGO Ave Mujica
・むしろ常識に合致しすぎてバイアスが強化される(汎化性能が落ちる)場合
あたりが理由で
この「汎化性能」には出力の構成や単語選びの傾向なども含まれるんでややこしい所ではあるんだが
端的に言うと
ってなもんなのだが
「とにかくAIがAI製データを学習すると性能が落ちる」と思い込んでる反AIは多いんだよな
"Garbage in,Garbageout."は「AIなんてゴミしか生まない!」みたいなイデオロギーに基づく話ではなく
合成データを学習して性能が向上している例は多数あるにも関わらずそう思い込んでしまうのは正常な状態ではない
まぁ分かるよ
概略:中華後宮モノラノベのコミカライズ作業における不満を爆発させた漫画家を小学館の畑中雅美が説得する内容がマジで凄い。
「関係者全員が可哀想」中華風ファンタジーのコミカライズ担当になった漫画家が「原作者の対応」に不満…→相談を聞いた「編集者の回答」が重く鋭い - Togetter [トゥギャッター]
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のmondの前半がコミカライズ担当者の不満。後半が編集者の回答。
ぶっちゃけ質問部分は「面倒な人が怒ってる」で終わらせて回答だけ読めばいい感じ。
まず出だしのこの言葉がすごく的確ですね。
「そんなこと言わせてゴメンな……」の「本当に使える版」ですねコレが。
これぞ基本です。
これ以外の手は意図して行っても「奇策」ですし、意図してないなら「愚策」です。
定石は大事です。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!褒め殺しだ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
これをいきなり打たないで10行ぐらい相手を待たせるのが上手いですね。
まず「原作者にはこういう意図があったのでしょうね」と語って相手を焦らしています。焦らしなんですよコレは。
相手は既に限界状態なのでさっさと「よしよし……そんなこと言わせてゴメンな……ギュッ……」ってされたい気持ちしか頭にない。
でもいきなりこれをやってしまうと相手の頭がいよいよ赤ちゃんになってしまうから少しだけお預けする。
そのためにも初手で「分かるよ……みんな可愛そうだよね……」を入れて10行分程度エネルギーを回復せさえ手おくんですね。
もうこれで相手は「あっ、この人は私の話をちゃんと聞いてくれるんだ。じゃあ私もちゃんとこの人の話を聞こう」になってますよ。
上手いですね。
現状の整理と褒め殺しを織り交ぜながらの話が続きますが、その中でも要石はここにあります。
「あなたの判断は、あなたの視点から見れば、たしかに妥当なものでした」と言ってあげるのです。
このあとに「でも、相手の視点から見れば、そこには簡単に首を縦に振れないものがありますよ」が続くのですが、まず先に「あなたの意見は確かに妥当でした」と言っておくんですね。
これ、結構難しいんですよね。
一歩間違えると「あなたが正しいです」と言った瞬間に相手が「そうでしょ?やっぱアイツが全部間違ってるんだよ!これから一緒に殴りに行こうか」となってしまいます。
そうしないためには相手のモードを脊髄反射モードではなく、傾聴モードにする必要があるんですよ。
ここで聞いてくるのが今までの焦らしです。
褒める→現実を受け止めさせる→褒める→現実を受け止めさせるのループを繰り返したことで相手はある程度の長さの話を聞けるだけのテンポが産まれています。
なので、「あなたは正しい」にすぐに飛びつかず、「相手も正しい」と続くまでを耐える余裕が出てくるんですね。
どっちを先にするかは難しいのですが、ここでビビって「相手も正しいんですよ。あなたも正しいですけど」という順番にしてしまわなかったのはこれまでの話術が効いているという自信があってこそでしょうね。
素晴らしい。今まで自分が稼いだポイントを自分でちゃんと計算しながら組み立てている。
素晴らしい責任転嫁。自家中毒で脳みそが弱りきった相手を説得するのってこうやればいいのか!と舌を巻くしかないです。
これね、「今回の件はあなたの頭や性格が悪いのではなく「知識」というものが力を持ちすぎてるからそれに飲み込まれちゃったんですよ。知識って怖いですよね~~~」という見事な責任転嫁なんですよ。
罪を憎んで人を憎まずとは言いますが、憎むべき罪と相手を切り離すのは結構難しいわけですが、これはもう見事にそれを切り分けてます。
人間は自分が裁かれたり攻撃されていると思うとどうしても気持ちが落ち着かなくなるし、防衛本能で敵意さえもみなぎってしまいます。本能って怖いですよね~~~。
その問題を「これもすべて知識って奴のせいなんだ」とすることで解決してます。
この文章が実際何に対して言ってるのかをちゃんと読み取れるの、日本人全体の半分もいないと思いますね。センター試験の現国にも採用できそうです。
これはですね……「原作者がコミカライズ担当者の意見に猛反対しないのは、原作者側が落ち度を認めているからなんだ」というコミカライズ側の慢心を諌めるためのものです。
拗れきった関係性を一刀両断ではなく丁寧に紐解いて軟着陸させようという心意気も凄い。
確かにここで上手くやらないと「でも原作者は自分の知識不足を認めてるくせに適当なおべんちゃらで逃げ続けてきた卑怯者だし……」とさえ思いかねないのがこのコミカライズ担当者ですからね。
ちゃんと対処しておくのは大事ですが、そのために頭捻って絶妙なバランスを取りながら表現しようって気持ちが凄いなあ。
説得というのはこうやってやるんですね。
相手の感情と認知状態をコントロールしつつ、一つ一つ丁寧に認識の齟齬を正しい状態へと変えていく。
状況認識そのものがおかしくなってしまった相手に対処するにはこういう技術が必要なんですね。
実に難しいということがよく分かりました。
正解を見ながらなら私もなんとなく何をしてるのか分かりますが、それを自分が出来るかと言われればぜひプロに丸投げしたいなあとしか……。
本当大変だなこういうの。
この中では「雨月物語」しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。
村上春樹「海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文に紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタやお化け屋敷的なジャンプスケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ。
これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話も説教臭い割に好きだ。
ところで、東京創元社の編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化けや妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。
ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。
「菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。
ところで小泉八雲の朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないからなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたからなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。
というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。
これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズ・クラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。
そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句を作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報の圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界を圧縮できるかだ。しかしながら、短歌は枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。
短歌は与謝野晶子、俵万智、穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。
俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子は熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理が表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的なものが好きらしい。
俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会の幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。
こうしてみればわかると思うが、平安時代の文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代の作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。
古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間で流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。
ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダルで裏切られるかわからないからだ。それこそ明治の文豪がクズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴なイケメン歌手の実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教を面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。
やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップ・マインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。
古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。
又
「侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年の作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。
とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間に身分の上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。
こういうことを考えている時は大抵は体調不良のときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこからの入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉が自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間の物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。
さて、池澤夏樹の全集では、これ以降の巻では明治の作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代の作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。
ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキーや中島敦、ポーやラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。
なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。
さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品が自分に刺さるかを整理すると、知識が豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情を論理的に言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分が中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥「共喰い」とか、時代は下るが西村賢太「苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分の暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。
芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初っから意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹の作品に結構な頻度で、的外れな批判をしてくる劇団員の女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的な作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香「コンビニ人間」については前回のエントリで名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。
理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品を評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分の属性や性格が近い人の文章が面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのときの自分に刺さって面白いのと、今の社会が必要としているのとは、まったく違うので、話題の小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。
脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品にしかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編集からしか得られない栄養素があるのと同じだ。
なお、僕は大体漫画を買うときは短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン」出身の漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。
というか、みんなあれだけ長編の少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。
なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代的経験に相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエやファイナルファンタジーなどの多くの作品をプレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ。自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。
とはいえ、少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである。
こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益な概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論を理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親を見出しているからだ」とか、古い時代のフェミニストの「私に反論するとしたら、あなたが女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。
自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチに自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分も相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。
意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的な議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。
本当に最初の一瞬だけだったよ。
「おっ、コイツ思ったより使えるかも知れないぞ」
そう感じられたのは。
実験サンプルを投入した直後に最低限の骨組みが出来た瞬間、そこでちょっと感動するんだよ。
そう思って試しても試しても全くクオリティが上がらないと分かると、一気に失望へと転じるわけ。
Pixivにクソほど乱立されているAI絵を見れば分かるんだが、テンプレを何も考えずに流用してるだけでそこに情緒がないんだよAI出力作品は。
繰り返す試行回数の果てに、そもそもクオリティを高めるということ自体がまともにできる仕組みでないことが段々分かってくる。
コイツらは、「何千枚出力させても一枚のグラビア写真をベースに作られ続けたアイコラしか出してこない自称天才アイコラ職人のエロ中学生」程度の存在でしかなかったわけだ。
クオリティはそこまで気にしないシチュエーションでなら、生成AIは本当に素晴らしい。
取引先に送る手紙の文面とか、職場の5分間スピーチの原稿とか、エクセルマクロの叩き台、そういうどうでもいいものを作る分には。
だがある程度の品質、その中でも「熱量」を感じ取りたいコンテンツで役に立つことは稀だ。
Pixivでほとんど全く同じ絵をキャラクターや顔の角度だけ変えて凄い勢いで投稿している有名人(荒らしと呼ぶ人もいるが、個性的な利用方法の範疇に収まると私は思っている)がいるが、アレと同じことしかAIはしてくれない。
そんなことはないと思うなら、AIのべりすとにでも頼んで
と言ってみるがいい。
それからキャラクターを変えて同じシチュエーションをさせてみよう。
試行回数を10回ぐらいまで増やせば、奴らの表現の引き出しの狭さ、使いまわしの多さが分かってくるだろう。
高校生同士のセックスだろうが、親子のセックスだろうが、OLと上司の不倫だろうが、どれも大きな差はない。
セックスというものが元々その程度だと思うなら、君は実に幸せものだ。
是非とも生成AIを楽しんで欲しい。
俺は満足できない。
満足できない俺が必死になって「こういった表現を使ってください」と指定を出すと今度はそればかりを繰り返す。
なんて頼んだ日には3行おきにがんばれ❤がんばれ❤を接頭語にした応援を雑に入れてくるだけだし、途中からその文面が全くのコピペに変わってくる。
生成AIは途中から循環参照を始める悪癖があり、下手に要素を指定するとある種の自家中毒にさえ陥って自己崩壊を始めるのだ。
こちらが
と頼んでも
「了解です」
と答えるだけで奴らは何も理解しないまま同じ失敗を繰り返す。
そもそも、生成AIの最大の問題点はシチュエーションの奥にある情緒をきちんと汲み取らないことにある。
汲み取っていないから似たような何かを雑にコピペするし、範囲を絞ると全く同じ表現の繰り返しばかりになるのだ。
絵や文章というのは単に事実をそのまま書く以外で終わらないはずなのに。
それはその絵全体が描き方の雰囲気によってそれを表現しているからだ。
生成AIはそれが出来ないんだよ。
貧乏人の男が「今日も貧乏飯だ」と思いながらすするカップラーメンと、
ジャンクフード好きの子供が「今日はカップ麺だぜ!」と興奮して食べるカップラーメン、
そのどちらも同じ銘柄だったとしてもその絵で表現すべき空気は全く違うよな?
でも生成AIは
「目の光らせ方だけ変えればその程度の差は表現できると思うロボ。違いは心ロボ。心、分かるロボ。燃える友情、君と一緒に悪を撃つ、だロボ」
致命的だ。
こんなにも情緒ド安定の空虚モードでは勢い任せに筆を滑らせた情熱あふれるエロコンテンツになどなり得ない。
それでは駄目なのだよ。
それでもいいと思ってる人がいること、それが俺は不思議ですらある。
単にまだ気づいてないだけなんだろうか?
生成AIの生み出す作品が如何にこちらの意図を汲み取ってくれないのかという失望を。
別にそれでも構わないと思っているんだろうか。
安くて量が多ければ質なんてどうでもいいって人は確かにいるんだろうな。
特定キャラクターの特定シチュ自体が希少だから何でもいいから数があればいいって人もいるのかな?
でもやっぱ違うんだよな。
「こういうキャラクターでこういうことをさせようとするような性癖の人が描いた作品」だから良かったのであって、その性癖を理解もしてないやつが表面上だけを真似たものを作ってもそれは別物になるんだよ。
つまりさ、何も知らずに服だけ着てるコスプレイヤーと、原作をちゃんと読んでポーズや表情意識してるコスプレイヤーの違いみたいなもんよ。
確かに前者(何も知らずに布面積が少なくて色相が現実離れした服を着させられているというシチュに興奮)に需要がないわけじゃないんだろうけど、それはもうそういう特殊な需要だろ?
求めているのが後者の「何をやっているのかを理解したうえでやっている」だったのなら、生成AIがそれを満たしてくれることはほぼほぼないと言えるね。