
はてなキーワード:臨機応変とは
本部留置の主任官は当時は、石井と橋本、 居室点検連行します、の際は、 まるで受刑者のように顔色が死んでいたのが主任官だ
毎日つまらない空間だった。 警視庁の立ち番は男がしている。男の職員は臨機応変に女の仕事に切り替えられないのではないか
という疑いがある。裁判所はほとんど女の奴で動いている。悪辣だから自殺してそのときだけ男になれるように鍛えている奴もいるがその悪質性は既に極大化しており
中心部分にはおぞましい怪物がある。 内張塗装部に頭をつけないこと、分からないことは警察官に尋ねること。
今日君たちが過ごす部屋は分散室といいます。 分散室で大声を出していきがっているようにしかみえないのでね、そういうことは、部屋に帰って仲間内でやってくれればいいのでね
ここでやってもいきがっているようにみえるだけで回りは迷惑だからね、という。 新宿72番は昼飯を食べ終わると、なめくじのように首を横にしてそのまま寝てしまう。
まず現状や自分の立ち位置を把握して対策を練り長期的な計画を地道に遂行しなおかつ臨機応変な対応を求められる
自己の客観的評価や需要を把握するのを拒否して会話すら通用しない非モテコミュ障低身長男性には不可能なんだよな
■低身長男性が高望みブスおばさんより異性から警戒されて避けられる理由
https://anond.hatelabo.jp/20250908161636
■女は自由恋愛で惚れた男補正でもない限り結婚したいスイッチが入らないのも、男に比べて結婚のメリットが低いからだよね
https://anond.hatelabo.jp/20250908130243
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
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遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
それに遊んだ経験量と恋人や結婚での幸せに相関はないように感じた。
はじめて書くので読みにくかったらごめんなさい。同居してる姉(43)の愚痴を誰かに聞いてほしい
姉がここ1ヶ月で突然「作り話」をするようになった。病気かもしれないけど、他におかしいところは特にない。
目が本気っぽいから怖くて指摘できなくて「ふーん、すごいね」で済ませてる。
例えば、ここ最近だけで、
・フードコートで騒いでる夏休み中の小学生集団を一言で黙らせて周囲から拍手喝采
・盗撮魔を肘鉄で撃退して未然に防いだ。盗撮魔は走って逃げてしまった
・〇〇駅で満員電車にベビーカーを乗せようとした母親を止めて危険性を説明した。納得した母親に感謝された
みたいな“スカッとエピソード”を連発してくる。SNSに流れてそうな話を、自分の実体験として語る感じ。
全部、実際には起きてないと思ってる。まず姉は電車に乗る用事がないし…
思い返すと昔から、TwitterやFacebookでも話を盛るタイプではあった。
両親のお金で行ったカニ食べ放題を「ボーナス入ったから自分へのご褒美」にしたり、母からのプレゼントを「既婚の上司からもらっちゃった」に変えたり、私と行った旅行を「婚約者との旅行」に改変したり(婚約者いない)。
でも当時は一応、事実ベースで見栄を張ってるだけだった。今みたいに全部が創作って感じではなかった。
姉も自分も対人が苦手はタイプ。姉はパートすらなかなか続かない。そんな姉が子どもをピシッと黙らせたり、臨機応変に人助けしたりというのは、30年以上一緒にいるからわかるけど絶対にあり得ない。
作り話以外は特におかしなところはない。記憶力も普通だから逆に怖い。
毎日のように都合の良い武勇伝を聞かされて、イライラしてきた。
病院に連れていくべきかもしれないけど、こっちは仕事と家事の大半を担ってる状態で、そこに姉の通院と介護が追加されるのはしんどい
高齢の両親に、姉の世話なんかさせたくない。見捨てるみたいになってしまうけど、私が引っ越すしかないのかなと思ってる
引っ越す前に、一言「作り話だよね」って指摘したい
でもそれを言ったら何かが壊れそうで、それもまた怖い
Permalink |記事への反応(12) | 14:57
クジラックス先生の同人誌が原因と言われている事件ですが、犯人は裁判で、仕事のストレスや妻との不仲が原因と証言していますね。
【2017.06.13】「漫画家クジラックスさんの同人誌を違法アップロードサイトで見て模倣した」という性犯罪者の自供を元に、さいたま県警が作者に配慮を申し入れた件(随時更新) - posfie
仕事のストレスを自分だけで溜め込んでしまった、と(わいせつ男)定番の言い訳をしています
妻との不仲〜セックスレス
ボクを構ってくれない妻が悪いんだ、
ちなみに、犯罪者は自分の責任を回避するために言い訳することが知られています。同人誌の模倣も、仕事のストレスや妻との不仲も、責任回避のための言い訳でしょう。
犯罪者は犯罪行動を良しとする信念を持っているが同時に恥や良心を持っている。そこで犯行の前後に犯罪行動を合理化し正当化してこの両者を妥協させようとする。犯罪的サブカルチャーの合理化、正当化には次のような理論がよく用いられる。G. M. Sykes と D. Matza が提唱した。
警察の人員の予算は限られているわけですから、ポルノ規制と再犯抑止が両立すれば、現実の子どもたちを守るための人員や予算の一部が、犯罪率低下に効果があるのかどうかわからないポルノ規制に割かれることになるでしょう。犯罪率低下の効果が確実な方法に人員と予算を100%かけたほうが、犯罪は早く減りますね。
信号が青になったら、左右を見ずに横断する人。夜中、車も人もいないのに律儀に赤信号で止まる人。
「ルールを守ってるから偉い」とされがちな日本だけど、果たしてそれは“思考停止”じゃないのか?
INTJ(MBTI性格診断での合理主義タイプ)の私から見た、日本の運転文化の不思議を語りたい。
「日本人は運転が下手」──この指摘に驚く人もいるかもしれない。事故率や交通ルール遵守率は高いはずなのに、なぜ下手と言えるのか?
私は長年、自衛隊でパイロットとして訓練を受け、安全かつ円滑な運用のために「ルールの本質」を理解する重要性を叩き込まれてきた。だが、日本の運転文化を見ていると、その「本質理解」が完全に欠けていると感じる場面が多い。
たとえば、夜間に誰もいない交差点で、赤信号に忠実に止まる歩行者。ルールを守っているようでいて、実際には「状況判断」を放棄している。ルールとは本来、「安全かつ円滑な交通」を実現するための道具であり、状況に応じて判断して使うものだ。
信号が青だからと、左右確認もせずに渡る人も同様だ。彼らは「青信号=安全」という思い込みに依存していて、自分で状況を見て判断するという姿勢がない。つまり、自分の身を守るという意識すらルールに丸投げしてしまっている。
この背景には、「ルールを守ることが目的化している日本文化」があると私は見ている。学校では「元気よくあいさつ」「空気を読みなさい」とは教えられるが、「なぜその行動が必要なのか?」を論理的に教えられる機会は少ない。
形式や前例に従うことが善であり、異論や例外は“和を乱す”とされる。交通マナーもその延長線上にある。だから、本質的に意味のない行動や、逆に危険なルール順守すら「良いこと」とされてしまう。
私はMBTI診断でINTJというタイプであることを知り、「なぜ自分はいつも社会に違和感を持っていたのか」が腑に落ちた。論理的思考と本質追求を好む自分にとって、日本の“空気文化”や“形式主義”はとても息苦しい。
日本では、信号無視=悪と一刀両断されがちだが、もっと大切なのは「なぜそのルールがあるのか」「今の状況に照らして、どう行動すべきか」を自分の頭で考えることだろう。
私は別に「ルールを破れ」と言いたいわけではない。大事なのは「ルールに従うかどうか」ではなく、「そのルールの本質を理解したうえで、どう行動するか」である。
運転に限らず、日本社会全体がこうした「本質より形式」「思考より前例」「責任より空気」に支配されているように感じる。そして、それが「運転が下手」「臨機応変に動けない」日本人の姿につながっているのではないか──そう私は思う。
【最後に】
このテーマについて、自身の経験と考察を元に掘り下げた記事をNOTEで公開しています。関心のある方は、ぜひご一読ください。
信号が青になったら、左右を見ずに横断する人。夜中、車も人もいないのに律儀に赤信号で止まる人。
「ルールを守ってるから偉い」とされがちな日本だけど、果たしてそれは“思考停止”じゃないのか?
INTJ(MBTI性格診断での合理主義タイプ)の私から見た、日本の運転文化の不思議を語りたい。
「日本人は運転が下手」──この指摘に驚く人もいるかもしれない。事故率や交通ルール遵守率は高いはずなのに、なぜ下手と言えるのか?
私は長年、自衛隊でパイロットとして訓練を受け、安全かつ円滑な運用のために「ルールの本質」を理解する重要性を叩き込まれてきた。だが、日本の運転文化を見ていると、その「本質理解」が完全に欠けていると感じる場面が多い。
たとえば、夜間に誰もいない交差点で、赤信号に忠実に止まる歩行者。ルールを守っているようでいて、実際には「状況判断」を放棄している。ルールとは本来、「安全かつ円滑な交通」を実現するための道具であり、状況に応じて判断して使うものだ。
信号が青だからと、左右確認もせずに渡る人も同様だ。彼らは「青信号=安全」という思い込みに依存していて、自分で状況を見て判断するという姿勢がない。つまり、自分の身を守るという意識すらルールに丸投げしてしまっている。
この背景には、「ルールを守ることが目的化している日本文化」があると私は見ている。学校では「元気よくあいさつ」「空気を読みなさい」とは教えられるが、「なぜその行動が必要なのか?」を論理的に教えられる機会は少ない。
形式や前例に従うことが善であり、異論や例外は“和を乱す”とされる。交通マナーもその延長線上にある。だから、本質的に意味のない行動や、逆に危険なルール順守すら「良いこと」とされてしまう。
私はMBTI診断でINTJというタイプであることを知り、「なぜ自分はいつも社会に違和感を持っていたのか」が腑に落ちた。論理的思考と本質追求を好む自分にとって、日本の“空気文化”や“形式主義”はとても息苦しい。
日本では、信号無視=悪と一刀両断されがちだが、もっと大切なのは「なぜそのルールがあるのか」「今の状況に照らして、どう行動すべきか」を自分の頭で考えることだろう。
私は別に「ルールを破れ」と言いたいわけではない。大事なのは「ルールに従うかどうか」ではなく、「そのルールの本質を理解したうえで、どう行動するか」である。
運転に限らず、日本社会全体がこうした「本質より形式」「思考より前例」「責任より空気」に支配されているように感じる。そして、それが「運転が下手」「臨機応変に動けない」日本人の姿につながっているのではないか──そう私は思う。
【最後に】
このテーマについて、自身の経験と考察を元に掘り下げた記事をNOTEで公開しています。関心のある方は、ぜひご一読ください。
仕事というものは、基本的に他者との意思疎通を前提として成り立っているはずだ。
しかし現実には、最も基本的な伝達すら機能しない環境が存在する。
そして不幸なことに、そうした環境の中心にはたいてい「説明しない上司」がいる。
最低限必要な要件でさえ、こちらが問いを立てなければ開示されない。
質問をすれば答えるが、逆に言えば、質問しなければ何も始まらない。
説明責任を自覚している様子はなく、「分からないなら聞けばいいじゃないか」というスタンスが徹底されている。
当然ながら、この手の人は質問に対する回答も極めて断片的だ。
前提条件の説明が抜けている、固有名詞の指す対象が不明瞭、業務フローの一部しか語られない、そのどれもが日常的に発生する。
そして、こちらが「なぜその情報が初手で出てこなかったのか」と問えば、「それは常識だと思っていた」と返ってくる。
常識の定義は個人差がある、という社会人としての最低限の認識もないらしい。
こうした対応が繰り返されるうちに、私はある仮説を立てるようになった。
この上司にはASD(自閉スペクトラム症)傾向があるのではないか、と。
ただ、対人コミュニケーションにおいて「相手の視点を想定する」という発想が極端に欠落している様子を日々目の当たりにすると、そういう可能性を視野に入れざるを得ない。
例えば、相手の理解度に応じて説明のレベルを調整することができない。
言葉の省略や抽象化が過剰で、相手が混乱していることに気づかない。
また、急な変更や例外的な対応に過敏に反応し、臨機応変な調整を極端に嫌う。
感情的に荒れることは少ないが、冷淡かつ機械的で、人間関係の機微にはまったく興味を示さない。
問題なのは、こうした人間がなぜか「ロジカルで落ち着いている」と評価されやすいことだ。
実際には、情報の交通整理ができていないだけでなく、相手に誤解させるリスクの高い話し方をしているにもかかわらず、「感情に流されず理知的に振る舞っている」と誤解されてしまう。むしろ非効率なのに。
そして、その非効率の尻拭いは部下が行う。
上司本人は、まるで自分が全体をコントロールしているかのような顔をしているが、実態は違う。
彼が話すべきだったことを、我々が代わりに補っているだけだ。
意思疎通が致命的に困難な人間に、なぜマネジメントを任せるのか。なぜ組織はそれを放置するのか。
能力のある個人が去っていき、情報を出さない人間だけが残る組織に未来はあるのだろうか。
いま私は、自分のタスクよりも「上司との会話設計」に神経を使っている。
それでも、誰も問題にしない。上司に意見すれば空気が悪くなるからだ。
IGNインタビュー
「ワイルズ」では、クエストを発注して当該モンスターを討伐する従来のゲームサイクルも残されているが、徳田氏によると、「ワイルズ」ではフィールドのモンスターをハンターが把握して、状況に応じてモンスターを適宜狩っていきたくなるようなゲームになっているという。
たとえばこんなシチュエーションがありうる、と徳田氏は説明する。
装備を作るための材料を求めて、隔ての砂原をセクレトに乗って疾走していると、砂塵の向こうにふと、目標としてはいない大型モンスターの姿がよぎる。すでにほかのモンスターと交戦でもしたのだろうか、体にいくつか傷を負っている。
そのモンスターの素材が今すぐ必要というわけではないが、報酬は非常に大きい。一瞬の逡巡ののち、踵を返して先ほどの傷だらけのモンスターを追う。
中国語の公式CV使った公式案件のクリエーター作品ってことみたいだな
自分は運良くYouTubeのおすすめが仕事してくれたお陰でキャッチできたから良かったもののね
過去に原神でも公式ファン作品系の大きめのプロジェクトに参加してきた方みたいだ
日本のプレーヤーにも届くように完璧な日本語字幕・概要文つきで発信してくれてありがてぇが過ぎる
このムービーやゲーム内でも(※衛非地区の方言)が気になったけどこれは広東語が元ネタっぽいな
あとシナリオ進めながら調べた初耳ワード「道観」ってのは道教における寺院みたいなもんで、要するに雲嶽山は道教モチーフってことね
んで、道教といえばで突然原神に飛ぶが、スカークのキャラクター紹介に出てきた「至人の心を用うるは、鏡の如し。将らず、迎えず、応じて蔵めず。故によくものに勝えてそこなわれず。」
https://www.hoyolab.com/article/39293714
これも荘子の言葉で、つまり道教ってことで、毎度のことながら細かいとこでタイムリーにリンクさせて来るねぇ。
意味は、「道(タオ)を極めた人の心の使い方は鏡のようじゃ――つまり対象をそのまま映すが自分の意思を介入させることはない。過ぎたことに囚われず(≒去るもの追わず/将らず)、取り越し苦労することなく(≒来るものは来るに任せ/迎えず)、臨機応変に対処したあとは(≒応じて)いつまでもモヤモヤを抱え込まない(≒蔵めず)。だからこそ堅牢な心持ちで居られるんじゃよ。」的な話。
というかせっかく書き下してもらっても読めないんよ。教養レベルが高すぎてw 調べた。
将(おく)らず=送らず。送別とか、惜しむ的な感じかな。
蔵(おさ)めず。収蔵する意味だが、この場合は胸の内を秘蔵する、心にしまう意味。オープンマインド、ないしヤなことは忘れろ的な。
勝(た)えて=耐える、堪える。
応じて、は臨機応変の応だが、道教的には、無為自然、自然の法則に調和し順応する的なニュアンスがあるかも。
なんの話やねん、と。
ああ、自分が好きになるキャラの特徴で、こういう無為自然スタイルからくる泰然とした雰囲気のある人が刺さるんよね。
もちろん、精神的には成熟してるけど時折人間くささ、子どもっぽさが入ってくるキャラってのも可愛げがあって好きなんだけど。
そういう可愛さとはかけ離れた、世俗離れした無執着人間が好きなんだよね。
そりゃ物語にかかわる時点で完全に世俗から離れて隠居しつづけるキャラってことはなかなかないけど。