
はてなキーワード:臨床心理士とは
表題の通り、心理検査を受けその結果が先日返ってきたので、医師や臨床心理士のフィードバックを思い出しつつ備忘録として残しておこうと思う。
現在社会人で、もともと高校生くらいの時から死にたい気持ちがあった。大学、社会人と人生のステージが上がるにつれて、自分が無能であると感じることが多く、死にたいと思う頻度も増えていった。
なぜ死にたいかかを突き詰めていくと、自己肯定感のなさからきているのではと思い至った。自己肯定感のなさは、失敗した経験、ものの考え方、性格、様々なところから来ていそうだ。そういったことを総合的に検査することで、自分のトリセツのようなものができれば、もう少し楽に生きられると思ったから受診した。
一般的な言葉の定義はよくわからないので、自分が受けた検査について書く。
①WAIS-Ⅳ知能検査:IQを測るテストをする。IQテストといわれてよく想像する積み木の並び替えだけでなく、言葉の知識や頭のメモリのリソースを測るものなどテストは多岐にわたる。
④ロールシャッハ・テスト:モノの見方を検査する。墨汁で書かれた謎の絵を見て想像したことを話す。本当に謎。
①県のサイトで検査を受けられる病院探し:探す際は診断をしてくれるか、知能検査以外の検査もしてくれるかを重視して探した。
②病院に電話して診察の予約:ここが一番大変。病院によってはそもそも患者がいっぱいで受け付けていないとかざらにある。受け付けていたとしてもとにかく電話がつながらない。時間を置いてみたり、根気強くかけ続けよう。
③医師の診察(1時間程度):いきなり検査ではなく、まずは診察から。本当は発達の検査をするときは親などの第三者からの話もあった方がよいが、自分一人で行ったので、簡単な生育歴とエピソード、今の一番の困りごとについてパワポを作成し印刷して持っていった。最後に次回の心理検査を予約した。
④心理検査1回目(2~3時間程度):半日有給とった。疲れる。
⑥医師からの検査結果のフィードバック:検査が混みあっていたので検査からだいたい1か月程度かかった。まだ正式な検査結果の書類はできていないので口頭でのフィードバック
⑦臨床心理士からの検査結果のフィードバック:任意だが欲しかったのでお願いした。この日に検査結果の書類を受け取った。(書類発行は任意で5000円程度)。検査結果の書類をもらうまで合計5回通院した。
・自分の結果はASDの傾向はあるものの、適応し生活できていることからそれが生きづらさに直接つながるものではない。
・IQは項目によって数値の差があるものの、どれも平均より高いため問題ない。
・日常の中で気持ちが大きく振れやすく、時に過剰に良く見えたり、悪く見えたりするモノの見方が生きづらさにつながっていると考えられる。
との診断だった。
結果についてこれ以上詳しくは書かないが、今回様々な検査を受けたことによって、自分を多角的に見つめなおすことができた。
自己否定的な気持ちが強く、見えていなかった自分の強みを発見することができた。また、自分の感情の動きや考え方が言葉で説明つくようになり、トリセツができたのは大変良かった。
最後になるが、最近はファッションADHDなどという言葉もあるが、そういったステータスのようなものを手に入れるために検査を受けるのではなく、今つらい気持ちがある人が、自分を見つめなおすきっかけを得るために検査を受けてほしいと心から思う。
近頃の増田はアルコール依存がひどく、家に帰るなりストロング系チューハイやテキーラやら、強めの酒を飲んでは少しのあいだ高揚感を味わい、やがてトイレにこもって吐くという最悪の時間を繰り返していた
やばいという自覚はあった。でも自制できてる時期があったり、健康診断の肝機能が悪くならないので先延ばししていた。しかし、ここ最近はめちゃくちゃに酒を飲むようになり、まるでドラッグ依存のようで恐ろしくなってメンタルクリニックに電話した。1ヶ月後にしか予約が取れなかった。仕方がないので臨床心理士のカウンセリングを予約した。こっちは保険効かなくて高いからすぐ予約取れた
カウンセリングしてきたが、正直ChatGPTでいいなと思った。でも一つ収穫があったのはその心理士が実際にアルコール依存の人をみてきた話だった。強度に依存してた人が断酒したら離脱症状で心神錯乱状態になり、精神科に強制入院して独房みたいな部屋で暴れ回り、部屋に備え付けのトイレ壊した話は衝撃的だった。血まみれになったそうだ。アルコールは脳を破壊してしまう。ただでさえ報酬回路ぶっ壊れてんのによ……
心理士のすすめで、癒されるものをふやすことになった。生きるうえで依存は当たり前のことである、でもそれが1本しかないとそこばかり過剰になって危険なのだと。これには納得したので他に癒されるものを増やす
とりあえず、もったいないからと我慢してたネトフリに加入した。増田はもともと海外ドラマやドキュメンタリー好きの人間だったからこれは結構良くて、いろんな作品やトレンドがあるから注意がアルコールから逸れ続けやすい。ここまで頑張ったからアルコール、じゃない選択肢ができて感動である。
飽きたらまた同人活動でもやろかと思う。pixivに同人小説を書いてアップしていた頃、もちろん人気は鳴かず飛ばずだったが、充実していた。推しキャラの衣装をぬいぐるみに着せるぬい活をやっていた時も、下手の横好きで作品はガタガタだったが、やはり楽しかった。(お察しの通り増田は腐女子である)そんなことを考えていると、アルコールを飲もうとは思わない。飲まなくても大丈夫なのだ
この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代の戦争体験を生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d
「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦で母子を撃った90代の元日本兵が謝罪
6/19(木) 6:04配信
元兵士の照屋さん(仮名)が住民をあやめてしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日、沖縄本島(竹花徹朗撮影)
「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」
2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。
臨床心理士の吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。
参加の意思があるか、ないか。体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。
事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身の過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。
体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。
「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。
それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさらで申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。
慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。
意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。
そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。
「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。
90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。
所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民が避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。
告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。
帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまったことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。
照屋さんは1915年、沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性と結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。
太平洋戦争で東南アジアの戦地に出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。
45年8月15日、日本の敗戦を伝える玉音放送を収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。
2人が長崎に疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望感から沖縄を離れたが、仕事の関係で間もなく戻らざるを得なくなった。
それでも故郷の集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。
戦時の体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士の吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分の行為を正当化したかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。
「照屋さんにとってこの場なら大丈夫と安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間が必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班・吉田伸)
この記事、読んでいて本当につらかった。
なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分が家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。
きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機にさらされた極限状態では働かなくなってしまうものなのだろう。
一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎で原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまりに残酷すぎる結末だ。
このおじいさんは1915年生まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代の体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平や奥崎謙三、俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれた将校が海に放り込まれたエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代の下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。
第一に、1910年代以前の生まれの「戦争を指導した大人世代」。上官や責任ある立場で戦争に関与し、戦後は沈黙を保って生き延びた人々。戦場で人間性を喪失し、それでも帰ってきた。
第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫、鶴田浩二、吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理を見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八の映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。
第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代と国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代間ギャップがみえていたはずだ。
このうち、戦後に戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去に沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。
特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分の運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後の道徳観につながり、吉田満に代表される感性は現代の保守層に理想視されてもいる。
しかしその倫理観には、自己満足や欺瞞が含まれている可能性もある。過去の自分の非を、倫理的になった「現在の自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足と偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。
そして、その倫理観は被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨は抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。
脚本家・橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たちを戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。
死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分も戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人の自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。
知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。
岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかしてしまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも「自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分がコントロールを失って暴れた自分を自省し、本来の自分は倫理的で、酔って暴れた自分は本来の自分ではなかったという卑怯なポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。
現代のSNS社会では、こうした加害者の欺瞞的な贖罪を被害者がつけ込む形で、この構造がさらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。
ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジションに依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。
でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪は再生のきっかけにすぎない。
この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去の行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。
この世代の葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作『少年寅次郎』(脚本・岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらんな性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場で倫理が破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。
これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一のドラマ『男たちの旅路』も思い出す。特攻の記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり、上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前派からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。
記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地で暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。
「贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。
私たちは「贖罪の涙」や「被害者のトラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。
「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループの存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。
被害者の側も、いつまでも「被害者であり続ける」ことはできない。
辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピンの住民が「日本兵に家族をブタの丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。
人生って、つらい経験ほど上書き保存、楽しい記憶は名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。
贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。
人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。
65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争が人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。
山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一の番組降板が話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。
もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしまう自分がいる。
https://lscharlie.exblog.jp/31824635/
「結果はFSIQ156(標準偏差15)。読むのが面倒くさい人向けに予め(笑)。
2015年に人生初の知能検査WAIS-III(Ver.3)を受けた。今回は2018年から日本でも運用開始となった新しいバージョンWAIS-IV(Ver.4)の性能(?)を確認したく受けてみた。
※ちなみに本家アメリカでは児童向けのWISC-V(Ver.5)が出ているらしい。ということは成人向けのWAIS-Vもアメリカではそろそろだろう。周回遅れの日本。
※読み方はウェイス・フォー。
グーグル検索でサクッと出てきたところは私には遠く(4km以上(笑))、近場の心療内科や公認心理師(臨床心理士)オフィスなど10軒ほど問い合わせ、WAIS-IVを実施しているところを探した。「WAIS-IIIでしたら」と言うところばかりで、最新版の導入があまり進んでない様子。
前回同様、心身共に健康な私は問い合わせの段階で予め「自費(自由診療)で」と申し出た。
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「WAIS-IV」と検索すると真っ先に飛び込んでくる文字が「医科診療報酬点数: 450点 (根拠 D283-3)」で、仮に健康保険適用だと医院に入るのは4,500円であり、2時間ほど趣味に付き合わせるわけにはいかず自費(自由診療)で。場所代もあり医院と折半だとして、病院勤務の公認心理師の時給は1,000円くらいか。歯医者と一緒で保険適用診療は儲からないようにできている。余計なお世話だが。
今回は他の心理検査は省略してWAIS-IVのみ。心理検査(エゴグラムなど)4〜5種込みで36,000円(自由診療)ほどだった2015年とそれほど変わらず、問い合わせたところはWAIS-IV単体検査で27,500円〜43,000円(税込)だった。検査報告書は別途5,000円前後取るところが多くソレを含んだ金額(いずれも自由診療の場合)。
※神奈川県で1万円台後半、首都圏の外では1万円台前半という医院・心理オフィスも見かけた。
2015年と同じく、問い合わせ段階で「1ヶ月以上お待ちいただく場合があります」というところもあったが、今回も申込から一週間以内で受けられた。精神科医に用がナイと早いのだろう。
検査は臨床心理士(民間資格)かつ公認心理師(国家資格)の女性と個室で約1時間半。休憩なし(こちらが希望しなかった)。
結果は全IQ(FSIQ)156(95%信頼区間で149〜159)。
WAIS-IIIでは156までらしいが、WAIS-IVは160まで測定できるそう。実社会における知能格差を踏まえてのことだろうか。IQブームで被験者が増え十分なサンプルが得られたのかもしれない。
フリン効果を考慮すると、全体(世間)が底上げされることで相対的に自分の優位性が下がり、最新バージョンでは低く出ると予想されるがそうはならなかった。考えられるのは下記の通り。
(1)5年前のWAIS-IIIの時は時間を測っていることを途中まで知らず臨床心理士の女性を笑わせることに専念していた(笑)ため、(WAIS-IIIの)スコアが低く出た。
(2)各検査の内容は一通り入れ替わったそうだが、前回検査イメージ(流れ)を知ったため精神的な余裕が生まれ集中できた。
(3)私が時代に適した(または進んだ)頭を持っていて、バージョンが新しくなったことでより高い精度で測定できた。
(4)同年代と比べて経年劣化(笑)が遅いため、偏差値(DIQ)化すると優位性が増した。
(1)は十分にあり得る。当時ブログネタのために(笑)メンサの試験と併せて思いつきで受けに行ったから、時間を測定するなどの知識が何もなく、ずっと冗談を言い続けていて、臨床心理士の女性が噴き出してペンを落としたくらい(笑)。それを拾おうとした時に「時間を測っているので」と言われて知った。だから前半の検査項目の値が低く出た可能性が十二分にある。今回は検査中は黙って集中した。
(2)は初回と比べると遙かに緊張も少ない。医院だと問い合わせただけでも「WAISを受ける(受けさせられる?)=何か問題がある」という前提なんだろうなという空気感が漂い、健常者にとってはアウェー感がかなりある。見方を変えると通院している人は場慣れしていて“ホーム”として挑めるんじゃないだろうか。また「流れ」を知っているか否かは大きい。ボクシングなら蹴ってこない前提で戦えるし、キックボクシングなら寝技はない前提で戦えるが、「ルールなし」だとどう構えていいのワカラナイのと同じで、イメージを掴んでいるだけでも有利に働く。疲れがまるで違う。
(3)かれこれ20年ちょっとプログラマーをやっていて、25年もITビジネスに携わっているから、頭の使い方は他の現代人と比べてもそれなりに進んでいるだろう。検査内容が時代に追いついてきた可能性がある。だとすれば次バージョンではもっと高く出るかもと期待できる。
(4)同年代偏差値から算出されるため、他の人達より老化(機能低下)が遅ければそれだけ高く出る。しかし「2015年にWAIS-IIIを受けました」と伝えたところ、標準化する際の年代(すなわちサンプル集団)が当時と同じ層に収まっているらしく、一般的には加齢に伴う認知機能の低下によって、今回の方が低く出るはずだから1〜3の可能性が高い。
検査が終わった直後「多分151以上でしょう。正式な結果とレポートは1週間ほどで」と言われ解散。レポートを受け取り記載されている用語(資料1、資料2[WISC-IV]、資料3[WISC-IV]、資料4[WISC-IV]、資料5[WISC-IV]を参照)を調べてまとめたのが下記。数値は私の結果。
類似:15
単語:18
知識:19
理解*:19
積木模様:18
パズル:18
バランス*:18
絵の完成*:18
数唱:19
語音整列*:19
▼処理速度(PSI):149
記号探し:18
符号:19
絵の抹消*:17
「*」印5項目(語音整列、バランス、理解、絵の末梢、絵の完成)は「補助検査」と呼ばれ、これは直接は知能指数の算出には使われないらしい。せっかくなので全部受けた。
※料金が異なるかもしれないので、15検査受けたい人は予め「全15検査を」と伝えた方がイイ。
「類似」だけ低いのは多分私がスロースターターだから(笑)。最初の検査項目で、自分で「もうちょっとスマートな表現がありそうだが」と思いながら答えていた。最近は書いて説明することが多いことも影響している(多分)。
WAIS-IVから「言語性知能(VIQ)と動作性知能(PIQ)の区分けがなくなる」とはどこかで読んで知っていたが、
[VCI(言語理解)]+[WMI(作動記憶)]=[VIQ(言語性知能)](聴覚入力)
[PRI(知覚統合)]+[PSI(処理速度)]=[PIQ(動作性知能)](視覚入力)
※上記()内がWAIS-IIIでの呼称。今思うと「知覚統合」は大袈裟で、視覚入力しか測定していない。IVでは「知覚推理」という名称になった。割と良く「空間認識」とか「地図を読む力」といった例えが出てくるのに、なぜ素直に「視覚推理」にしないのか。
しかし分析の際の仕分けが変わったようで、これまでは上記の言語性知能/動作性知能に分けて分析していたところを、
[VCI(言語理解)]+[PRI(知覚推理)]=[GAI(一般知的能力指標)]
[WMI(作動記憶)]+[PSI(処理速度)]=[CPI(認知熟達度指標)]
と見るようだ。
※CPI(認知熟達度指標)は、「成人検査では現時点で研究段階」とのことで数値は算出されないそう。WISC-IVにはあるらしい。
検査方式が大きく変わったわけでもなく分析方法がより詳細になったっぽい。
分析の仕方が変わろうと、私みたいにバラツキのないタイプは分析しようがない。検査項目毎に差があって初めて何に強い・弱いなどの適性が出たり、或いは「発達障害の疑いあり」等と判定されるのだから。
GAI(一般知的能力指標)は知識と思考力(もちろん机上の)、CPI(認知熟達度指標)は実生活で問われる能力と言える。実績(実務)よりカタログスペックにこだわる人はGAIを好みそうな印象があり、「GAIが高いのに実社会で上手く行かない」という場合にCPIを見れば原因が解るといったより実質的な評価が可能になったように思える。
PRIとPSIはCambridge Brain Sciencesのスコア通りな印象。内容は全然違うが、テキパキ度が問われる。サラリーマン社会では最も見た目の印象に関わるところ。時間を測っているものばかりなので、喋ったり冗談を言ったり手を休めていると当然に低く出る。
一方、VCIは知識問題なので、偶然知っている内容が出題されれば高く出るという他の資格試験などと似た性質のもの。WAIS-IIIの時は日本文化に関わる内容が多く出題された記憶がある(私の苦手分野)が、IVは私が良く知る内容ばかりだった。
細かく見ていくと、「類似」は読解力・理解力につながり、「理解」は言葉通りの検査で異議はないが、「単語」と「知識」は“教養”と言えば教養、しかし私はこれらを「知能検査」に含めることに懐疑的な立場であり「長期記憶を問うている」程度に受け止めている。全くもって生得的な知能とは関係ない気がする。それに2020年現在、もっと知ってた方がいい知識は山ほどある。例えば「bit」と「byte」は現代社会において極めて優先度の高い単位だが、他の単位が問われた。冒頭に書いた周回遅れが原因なら(日米差は10年)、2010年頃の偏差値として受け止めるべきか。
WMI(いわゆるワーキングメモリー)は算数と暗唱(数唱)で、私の場合数唱はもともと良いんだが算数は運(笑)。今回の内容自体は即答できる簡単なものだった。
※それでもWAIS-IIIから5年経って加齢に反して向上していることを考えると、サプリ効果ではないかと個人的に思っている。
結局のところ言語性知能とは結晶性知能と呼ばれることもあるように、努力(反復学習)の成果(特に学校時代の)であり(私の場合大人になってから覚えたものばかりだが(笑))、生得的な賢さとは結びつかない。私はまるで努力型ではないので、算数(暗算)などは平均的なビジネスマンと比べて決して速くないんだが、ウェクスラーの場合文章問題を耳で聞いて暗算で答えるので、日頃人の話を何度も聞き直すような人(聴覚入力の機能性が低い人)や、メモが必要な人(ワーキングメモリーの機能性が低い人)は、学校のテストのように紙に書かれた問題の暗算が得意でも上手く行かない可能性があり、相対的に私はよく機能しているという結果なのだろうと理解している。日常生活・業務により近い検査と言える。
※ちなみに遺伝子検査では私の海馬(=記憶力を司る)は小さい傾向と出ている。MRIの画像が3年分あるのでいつか脳科学者に見てもらいたい。一方、計算は速い傾向と出ているが、算数も数学も苦手。多分性格の問題(笑)。処理速度も一部速い傾向と出ていて、これは自分で納得している。スロースターターだが(これも性格の問題)エンジンがかかると処理はかなり速い方で仕事量は非常に多い。
私にとって最も集中力を必要としたのは語音整列でかなり脳に負荷がかかった。10年に1回というくらいの本気を出してみたが、補助検査なのでFSIQの算出には使われないらしい(笑)。
私が受けたところは、検査まで、検査時、検査後の対応も非常に良かった。自費(先方にとって実入りが良い)かつ何かの疑いがあるわけではないので、そもそも“患者”ではなくただの“客”だからというのもあるだろう。
以下はいくつか感じた点をまとめてみた。
その1:ウェクスラー知能検査は常識的なことしか問われないので、小さい頃から発達障害等の疑いで何度も知能検査を受けている人や、ギフテッド・英才教育という名の下に検査に最適化された問題をこなしかつ検査を頻繁に受けている人などは内容を覚えてしまうから、各バージョン最初の1回目のスコアしかあてにならない。特にWAIS-IIIで言う言語性知能(WAIS-IVでは言語理解)の下位検査は記憶力の良い人なら1回で暗記できるものなので、インターネット上で「言語性知能が高く動作性知能が低い」(その差が大きい)という結果をよく見かけるのも、これが原因の1つかもしれない。診断のためだとしても複数回検査しているうちに、暗記によって言語性下位検査のスコアが高くなり、“慣れ”効果は多少あっても暗記できるものではない動作性との差が開き、ますます発達障害判定される可能性が高まるんじゃないかと人ごとながら感じた。
その2:行列推理の問題のうち1問だけ、間違いなくこれが正答と思われる選択肢に色違いがあり、色覚異常の私には識別が難しかった。どうみても答えではない選択肢が何色だろうと構わないが、正答に色違いを設ける場合は赤、青、黄、黒といった間違えようのない色にしてもらいたい。色覚異常が多い白人圏で製作されている割には意外。
その3:凸凹がないのでプロファイリングしようがないのかもしれない。検査報告書は2015年のWAIS-IIIの時と同じく、読んでる方が顔が赤くなる(笑)くらい褒めちぎられていた(とても丁寧でA4数ページ)。しかしこういう横一直線のバランス型は本当に珍しいらしく、一見「特徴がない」印象だが、見方を変えると出現率的には非常に個性的ということになる。矛盾しているようだが統計学的にはそうなる。
そんな感じ。
普段全く不安要素や問題を感じていなくても、経営者や管理職層は一度受けてみることをオススメする。人を雇うまたは採用・管理する際、自分と比べてどういうタイプの人を“優秀”と感じているか(その反対も)を知ることで、自分は“人材”によって何を補おうとしているのか(または相手に何を要求しているのか)が解るから。自己分析。
病院ではいちばん面白くないかもしれない凸凹がない人は、多分器用なバランス型を好むだろうと思う。欠けているものを補おうとするよりも、バランスを崩すことで生じる補填コストがリスクとなるから。
といった特性が見えてくる。
というわけで次に私が受けるのは、日本でWAIS-Vの運用が始まった時。7-10年後くらいだろうか。
注)インターネット上に成人用WAISの参考文献が少なく、児童用WISCの資料から得た情報が多い。
https://lscharlie.exblog.jp/24430958/
ウェクスラー成人知能検査、その名も「WAIS-III」を受けてみた。
全額負担で。
大人になって試験という試験は、車の免許とメンサとコレくらいだ。
いや、コレは検査か。メンサとケンサを受けたことになる(どうでもいいか)。
証明書による入会判定について
https://mensa.jp/certification.html
JAPAN MENSAはWAIS-IIIの証明書を提出することで、条件を満たせば試験を受けずに入会できる。
私のWAIS-IIIの結果はIQ 140(=全検査値、標準偏差15)
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よく見かける「IQ 162をマーク!nn才の子供がアインシュタインやホーキング博士を超えメンサ入り!」というニュースは、私が見る限り全て標準偏差24値なので(メンサをIQ 148以上と表現している場合間違いない)、それを真に受けるならば私も超えているし、記事になっている人達よりも2〜3高い。が、そんなにゴロゴロとアインシュタインを超えるはずがないので、何かおかしいと読み解くところから始まる。そのくらいマスメディアというのは専門知識も持ち合わせていないし分析能力もない(ことが多い)。ちなみにニュース記事の英語原文にはちゃんと説明が書かれていることもあるので、日本のメディアか翻訳者が疎いだけかもしれない。
もし当時アインシュタインが知能検査を受けていたら、標準偏差15値で160はあったんじゃなかろうか。受けた記録はないそうだ。
ジョディ・フォスターのIQ 132は標準偏差15値かと思われる。でなければメンサに入れないので。
言語性、動作性に限らず、下位項目全てにおいて130を超えているので、メンサはどっちで入会しても良かったということ。
※保険適用なしでWAIS-IIIを受けるとメンサ試験料の3倍以上かかるから、真っ直ぐメンサ試験に直行した方がお得(?)。※実際は1万円ちょっとのよう。私はついでにアレもコレも受けたので高くなった。
IQ分布では250人に1人だから0.4%、世界的に140からを天才と位置づけているそうだから、ギリギリ仲間入りした。
「滑り込みの天才」とか、「駆け込み乗車の天才」とか名前付けたら売れますか?的な。一瞬、滑り込みや駆け込みが巧いのかと思う。
で、スティーブ・ジョブズがIQ 140らしい。
なんか申し訳ない。
晴れて私は天才になった。
例えばソムリエ試験の合格通知が来たその日から人はソムリエになる。
でも試験日当日には既に合格するレベルに達していたのだから、この人がソムリエになったのは試験日当日じゃないか(事象の発生)と考える。
※例えば、オリンピックで100メートル走り、9秒00を出してから世界新記録と金メダルが確定するまでのタイムラグのようなもの。
更には、試験前日は余裕で勉強もせず、いつもどおりの生活を送っていた人は、試験の前々日にソムリエ相当になっていたことになる。
もっと言うと、合格するだろう軌道に乗った時点で、その人はソムリエになることがほぼ決まっていたと言える。
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http://karapaia.livedoor.biz/archives/52152799.html
メンサは9位、「マスターソムリエ資格認定試験」は1位だ(笑)。ソムリエにとっての最初の難関は受験料8万円ではなかろうか(笑)。
量子論の入門で必ず出てくる。
観測するまでは確定されず、考えられる可能性を元にした2つ以上の世界が同時に存在するというパラレル・ワールドの理論。
そして光は、過去に遡って結果を書き換えたりする(過去に影響を与えているように見える)。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG2000S_Q2A120C1000000/
ソムリエ試験当日、合格する行動(筆記や実技、全てにおいて)を取った人は、例え採点前でも合格が決定しているが、採点後に合格が確定していても、本人は通知を受け取っていないため、「不合格」かもしれないと心配したりする。
更には合格通知が郵送されても、受領していない限り本人にとっては合格という事実が確定しない。
もし、一緒に受けた友人宅に先に通知が届き、Facebookにでも「合格した」と近況報告を載せようものなら、まだ通知が届かず近況報告できない片割れに対し、「不合格なんじゃないか」論が密かに噴出する。本人自身も含めて。
一週間も通知が届かないと、仕舞いには「本当に受けたの?」疑惑さえ出てくる(笑)。
そういったある特定の要素によって、事実を事実として確定させられないと困るので、多くの試験はホームページに合格者受験番号を掲載したりするなど2種以上の通知手段を採用している。
パールハーバー前の宣戦布告も、2つ以上の手段によって伝送されていれば、少なからずどちらかを持ってルーズベルト大統領の手に渡ったのではなかろうか。
それは置いといて、正直に自己開示すると、検査日の数日前、お馴染みのロンドン3丁目(笑)に「測定上限値の161かエラーを出す」と宣言したので(笑)、何ともネタがないままに終わってしまったことが若干不満なのであります。
いや、彼女よりも低いことは(初めから)自分でわかっているので、150を超えないことは何年も前に確定していたことに目を向けるべきですな。
というわけで、資格とか試験というのは、ある事柄を確定させるための return (enter)キーだ。文字は打ち終わってるんだが的な。
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Wechsler AdultIntelligenceScale-Third Edition
16才以上を対象とした世界標準の知能検査。アメリカでは既にIV(フォー)が出ているが、日本ではまだ見かけない様子。最高値161(成人は156)まで測定でき、それ以上は「161以上」と表現される。標準偏差は15。
よって161を超える数値の自己申告については、民間のオリジナル知能検査である可能性や、標準偏差24(Cattellscale)で算出されている可能性、子供の時に受けた昔の精神年齢から算出するタイプの数値である可能性もある。
※精神年齢算出型は、実際に解けた問題数ではなく、この年齢でこれだけ解けたら「n才相当」と算出するため、年齢が下がれば下がる程161以上が出る可能性がある。現在の成人知能検査においてはほとんど使われない。
※精神年齢から算出する田中ビネー知能検査Vは今でも現役のようだ。13才までを対象としていて、年齢によっては平均が119と高い。標準偏差は16。
成人知能検査は2〜3時間を要し、人によっては2日間に分割される。
海外のメンサは、テストの合否と併せてIQが通知される。大人はIQ 161まで、子供はIQ 162まで。
WAIS-III ウェクスラー成人知能検査を受けてみた。全額負担で。_f0337316_18524285.jpg
メンサは本当に「行列推理得意集団」「パズル得意集団」なのか、或いは、本当に人口の上位2%のIQの持ち主が集まる高知能集団なのか。巷では数年来のこの議論に対し、自分で検証した方がが手っ取り早いでしょという結論に達した。
その前に、事実こそに答えがあるという観点から、何で議論ばっかり見かけて、誰も立証・検証しようとしないのだろうと疑問に思った。
わかった。
私は前後のカウンセリングやその他の検査も受けたので36,000円(保険適用なしの全額負担)かかった。
※「保険適用なら3,000円程です」と最初に言われた。3割負担なのに計算が合わない気もするが(笑)、「できる検査は全部」と言った結果追加されたんだろう。
それがまた所得分布に比例し、結局のところ統計は大凡正しいことがうかがえる。
私のような検証マニアは、極めて希かつ貴重な(アピール)存在であることを念のためここに記したい。
オンラインIQテストと比べて、2回以上やってみたり、解答を検索したりもできないし、写真撮ったりして問題を持ち帰ってゆっくり解いてそれが外部に漏れたりしないという点から信頼性が高い。
その昔、テレビなどで「精神病院」と呼ばれていた場所で、今では精神科、心療内科と分かれ、より来院しやすいよう配慮されている。
院内では決して名前が呼ばれず、内容などが読み上げられるようなこともないし、明細にも細かな内容を書かないという徹底ぶり。多分家族にも見られたくないという人も多いのだろう。
また受付から呼びかけるのではなく、そばにやってきて小声で話してくれる。
すんません、こんな男のために15歩ほどご足労をおかけして。
病院というのは、何かしら自覚症状があったり、他人から見た疑い、明らかな疾患があったり(物理的、生物学的、行動的)、結果として治療が必要と判断されない限り、保険は適用されない。
私の趣味の知能検査に国民が納めた健康保険料を割り当ててもらうのも気が引けるので、自ら全額負担を名乗り出た。
が、そういう来院は初めてだそうで、「何でもいいので、お悩みのことはありませんか?」と聞かれ「悩みがないことが悩みだとか、自分が悩んでることに気づかないことが悩みだとかダメですか?」と言うと、しばらく悩まれて、「ではもしカウンセリングや知能検査の結果、治療の必要性が認められた場合は保険適用しますね」と言われた。
結果、全額負担。
せっかく心療内科まで来たんだから、知能検査とは別に精神面も見てもらおうとカウンセリングやテストを受けたが、結論的に「何か特殊な訓練を受けましたか?」と聞かれた。
いわゆる軍人や特殊部隊などの養成訓練に参加したことがあるかという話だった。
ナイ。
メンタル面に微塵の不安要素(例えば鬱とか)もないらしく、いわゆる「問題なし」と判定されるラインから大幅に「なし」の方向に傾いているという。
朝までさんざんお酒飲んで血液検査に行っても、肝数値がお酒飲まない女性よりも低い(元々男性の方が高い)と言われるソレと同じですな。
※今まで見たことがない結果らしく、それはそれでマイノリティだから、普通か異常かで言えば異常に分類される恐れがある(笑)。
自分でわかってるから、下手な芝居をせずに、全額自己負担を名乗り出たのであります。
初日はとりあえず先生のカウンセリングで、その場で知能検査は受けられないことがわかった。
待ち時間など含め3時間ほどかかるということで、「いつでもいいです〜、急ぎませんし。ブログのネタ用なので」と言ったところ、「現在1ヶ月ほどお待ちいただいておりまして、全体の検査には3ヶ月ほどかかります」と言われた。
「はい〜、ただの趣味なので1年かかってもかまいません。ブログのアップが延びるだけですから」と伝えた。
多分相当後回しになるだろうなと思っていたところ、受付で「明後日どうっすか」的な急展開。
医師が診て、急いだ方が良さそうな顔をしていただろうか、私は(笑)。
「3時間ほどかかるので、分割しますか」と聞かれ、「13時間は余裕で集中できます」と応えると、明後日で確定した。
当日。
「気象予報士さんですね?」
「いえ、臨床心理士です」
一瞬笑みを浮かべそうになったが、受付の人といい先生といい、皆神妙な面持ちで真剣に向き合って話をするので、多分場所柄、笑ったりしてはいけないのだろう。私の場合笑ってくれないと辛いのだが。
「では、始めますね」
「お綺麗ですね」
3秒くらいポカンと見つめられた。
「もし実際より低い数値が出たり、何か治療が必要になったら、貴女のせいですよ053.gif」と言ってみたらやっと笑顔を見せてくれた。
恋の病に陥ったら治療を頼むぜベイビー的な。
IQ 140だとそんなこと言うのか!と決定付けないでほしいのであります。
念のため確認した。
「ちなみにこの知能検査、最高値はどのくらいですか?」「161まで測定できて、それ以上は161以上という表現になります」
なるほど。噂どおりだ。
「じゃ、161出しますね」
※2018年02月17日:成人知能検査の上限は156のようです。読み替えてください。
結果は宣言を大きく下回ってIQ 140(全検査値=FIQ)。
知能検査自体は2時間くらいだっただろうか。カウンセリングやメンタルテスト数種類が30分くらい。後は待ち時間の方が長く感じた。合計約3時間。
検査中、予報士の女性がペンを落としたので、それを拾ってあげようと机の下に潜り込んだところ「時間を計っていますので、お気遣いなく集中してください」と言われたので、「いや、綺麗な脚を眺めるチャンスに一瞬で気づいた点も記録していただきたいんですが」と言うと、真剣に笑ってくれた(笑)。
結果報告書にも書かれていた。
「常に周囲に気を配り、楽しませようという余裕、ゆとりが見られた。かといって試験内容が簡単で退屈だという様子もなく、むしろ楽しさが思考を促しているようにも見られた」だそう。ラブレターみたいなことが沢山書いてあった(笑)。
言語性(VIQ)と動作性(PIQ)はほぼ均一で、おもしろいのは、動作性カテゴリの行列(推理)と言語性カテゴリの算数は2段低かった。
本番に強い私は、これでも「算数」は予想外のできだった。本当は2桁の足し算でも大変なのでもう2段更に低くてもいいくらい。余裕で小学生に負ける自信があるし047.gif
そして一番意外だったのは言語性カテゴリの「数唱」が一番高い(笑)。
例えば「58126947」と口頭で伝えられ、それを復唱したり、逆さまから言うテスト。いわゆる短期記憶だ。まだ昔の能力が残っていた。
「貴女の声がステキなので、何桁でも覚えられます。このまま続けませんか」と真顔で言ってみたら、予報士さんの声がうわずっていた。
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ちなみに赤坂時代、私が偶然外で見かけた10桁の数字を覚えていたので、ある女性スタッフに「10桁って何の数字ですかね」と話したところ「牛の個体番号じゃないですか?」と言われ、確かに鉄板焼きで食べる時に見せられたソレだった。「一回だけ言うので覚えられますか?」と口頭で伝えたところ、半年経ってもその女性は覚えていた。牛の個体番号って気づく点も鋭いし、こうした試験には出なくても特殊な才能を持っている人は世の中にたくさんいる。見いだされていないだけだ。
私の適当な計算では、私の行列推理能力は、メンサ合格ライン+1くらいのところに留まっている気がし(これだけで算出すると多分だが標準偏差15でIQ 132くらい)、メンサの「行列推理得意集団説」の足を引っ張っている可能性が高い。
知能検査項目を列挙すると↓こんな風に分類されている。
言語性尺度(VIQ、Verbal Comprehension)
単語(Vocabulary)
類似(Similarities)***
知識(Information)
分類なし
理解(Comprehension)***
算数(Arithmetic)
数唱(DigitSpan)
語音(Letter-Number Sequencing)
分類なし
配列(Picture Arrangement)
知覚統合(PO、PerceptualOrganization)
完成(Picture Completion)***
積木(Block Design)***
行列(Matrix Reasoning)
処理速度(PS、Processing Speed)
符号(Digit Symbol-Coding)***
記号(Symbol Search)
分類なし
組合(ObjectAssembly、組み合わせであって管理組合とか労働組合とかじゃない)
私を担当してくれた臨床心理士さんの話によると、言語性IQは主に聴覚、動作性IQは主に視覚からの情報処理が影響するとのことだった。
私の場合「僅かながら聴覚優位っぽい印象がある」と言われた。お見事。
自分では聴覚にしか頼っていないと感じていたが優位なのは間違いない。その理由として「色が見えません。色覚異常、いわゆる色盲です。」が挙げられる。
こういった傾向から、本を読むにしても声を出して読んだ方が覚える人、目で追った方が確実な人とわかれるのだろう。
が、私は本は全く読まないし、声を出して読むことはまずない。
※本を読まないのはよくないらしいので、この2ヶ月程は頑張って読むように心がけている。
内容は中学校の社会の教科書レベルなので、義務教育以上の学力で対応できるが、あまり意味はなさそうな気がした。
大人になると忘れて、習ったばかり若者の方が正確に答えられる場合もあるし、更に大人になれば教養として学び直し、より詳しい知識を持っていたりする。
知識をどれだけ測定したところで、相手が外国人だとまた必要な知識も異なるし、あくまで義務教育レベルの情報を記憶していられるかという測定のように感じた(長期記憶)。
前述の「数唱」も同じで、これが英語だったとすると、読んで記憶できても、(私の場合)口頭だと覚えづらい。
一方で、小さい頃から海外を周り、日本語と英語、現地語など数カ国語を使いこなす人で、日本を長く離れていたがために、つい混乱してしまった場合などは、数値が低く出るだろう。
なるほど、「目の前にそうなった人がいる」から全てが証明されると思ってるんだな。その時点でロジックじゃなくて逸話にすり替わってる自己放尿だな。
「目の前にそうなった人がいる」
まずこれは論理学で言う「逸話による誤謬」。個人の経験や観察に基づいて一般化するのは、科学的アプローチの真逆だ。
「目の前の1人」だけで構造的因果を語れるなら、「たまたまiPhoneを持っててもニートになった奴」の存在はどう説明する?
彼がいたら「iPhoneを持ってたのにダメだった」と言えるのか?この手のロジックは自分の都合のいい逸話しか採用しないご都合主義に過ぎん。
引きこもりや強度行動障害、OD、摂食障害、これらは心理・神経・社会的要因の複合的結果であり、「iPhoneの有無」という単因子で決まるほど単純な構造ではない。
もしiPhoneがなければそうなるというなら、1990年代以前の人間は全員強度行動障害になってないと辻褄が合わん。
そもそも、
という発想は因果の向きが逆。
行動障害が出てくる家庭は、iPhoneを買う余裕もない困難な背景を持っていることが多い。
社会的孤立・経済的困窮・親の支援不足が「iPhone不所持」と「困難な行動」の両方に共通する上位原因なんだよ。
現場の医師・臨床心理士・支援者たちは日々あらゆる手段を模索しながら、本人と家族のQOL改善に取り組んでいる。
そして忘れるな、iPhoneは薬じゃない。社会性を育む魔法のアイテムでもない。
道具は支援の補助にはなり得るが、道具を渡しただけで人が育つと思ってるなら、それこそ自己放尿的幻想だ。
人は絶望の中でも変わる余地がある。支援も介入も環境調整も、決して万能じゃないが、iPhoneだけに救済を託すような発想はむしろ危険だ。
お前の主張は、 「たまたまダメになった人」がいたから → 全員がそうなる、iPhoneがなかった →人生終了、という、論理的にも倫理的にも破綻した因果の自己放尿だ。
もし「強度行動障害の予防に必要なのはiPhoneだ」と本気で思ってるなら、厚労省のガイドラインでもDSMでも見てみろ。
どこにもそんな単純な解決策は載ってない。
そして何より、お前自身が絶望を拡散する「機能不全な大人」になってしまうな。
新
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月14日
「知らない人のほうがまとも」ということは世の中にたくさんあるからね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月14日
「こいつは味方じゃない」「あいつも間違っている」「そいつもダメだ」と言ってるうちに誰もいなくなっちゃうじゃないか。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月15日
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月15日
しかし「大筋で実施することに決まったこと」についていざ実施しようとするといままで一度も言わなかったことを理由に「できない」と言い出す人にはどうしたらいいのかと思うよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月15日
冥王星の鮮明な写真を得るみたいなことだって「何の役に立つのか」といったら具体的に何かの役に立つわけではないよね。
postedat 14:00:27 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
postedat 07:36:41 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
もともと「学者だから」というだけの理由で政治的な信条に共通点が生まれるわけでもなし。
postedat 07:37:46 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
誰がどの「デマ」を信じてどの「デマ」を信じないかというのは面白いね。
postedat 07:40:29 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
学者がみんな「リベラル」なんて文系学部のごく限られた分野だけだと思う。
postedat 07:48:40 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
postedat 08:03:48 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
基本的なことをきちんと勉強したいなら震災より前に出版された本を読むのがいい。
postedat 08:06:47 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
ネット検索でもタイムスタンプを見て震災前に書かれた記事を読んだほうがいい。
postedat 08:07:26 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月16日
postedat 08:08:07 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
ほんと19歳のときだったらそれぞれ死を考えるほど深刻に思えたかもしれない出来事が毎日2個ずつくらい起きるもんね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
ただ人間の発達は時代によって変化するので学校制度もときどきそれに合わせて直さないといけない。青年期の始まりを第二次性徴と考えるともう小学校5年くらいがそれである。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
実際にその音楽がどういう音質で聴かれるかは音源だけでなく再生装置にも大きく依存する。音源を良くしてもパソコンのスピーカーで聴かれたら同じだと思う。
postedat 04:40:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
40歳くらいの頃には毎日夜遅くまで研究室で仕事をしていた。夕飯を食いに家に戻ってそれからまた大学に行ったりもした。それをやめて毎晩同じ時間にバスで帰るようになったのは今の家に引っ越してからだ。
postedat 04:46:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
「いつ寝てるんですか」「あなたが寝ているときに寝ています」。
postedat 05:01:16 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
今や世界で毎日撮影されている写真の半分くらいが自撮りなのではないか。
postedat 05:03:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
「研究者たるものなんの役に立つのかと聞かれたら役に立ちますというお話の一つや二つできるようにしなけりゃ」というのは正論なんだけど、方便だったはずのその「お話」に自分自身も縛られて、そのうち本気でそれが研究の目的だと思い始めたりする。
postedat 08:18:09 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
@izatate 基礎と応用というのはどの学問でも永遠の論争の種です。基礎の中にも応用があり応用の中にも基礎がありと入れ子になってますからね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
われわれ世代は子どもの頃から「石油がなくなる」「徴兵制になる」「氷河期が来る」と繰り返し言われすぎていまそれを言われてもまったく信じる気になれない。
postedat 08:32:06 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
@Ooh1024 俺は温暖化自体はあるだろうがその原因が人間なのかは怪しいと思いますね。
postedat 08:37:57 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
別に目くらましとか茶番とかではなく,実際に安保法制よりも新国立競技場問題のほうが安倍政権の維持のために深刻な問題だったのだと思う。タイミングはもちろん計っただろうとは思うが。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
ペットの飼育自体を制限するのが一番たくさんの命を救うと思うよ。
postedat 16:41:14 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月17日
十勝には畜魂碑や馬魂碑がたくさんあるがそれは別に十勝の人が牛馬を大切に扱ったことの証拠にはならないだろう。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
20年くらい経ってから「実は自分も反対だった」と言うんだよね。
postedat 02:45:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
ツイッターを見ていていつも不思議に思うのは「どうしてこの人はこんなに自分が頭がいいと信じて疑わないことができるのか」ということだ。「辛口」系の人に多い。
postedat 02:55:02 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
TLを拝見すると本もあまり読んでいないしさまざまことの基礎知識も穴だらけだし、書いていることはすべてどこかで誰かが言ってたことの受け売りなんだけど、「自分はなんでもわかっている」という自意識だけが強烈に伝わってくる。
postedat 02:59:02 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
いっぽうで「この人はなんでこんなことまで知っているのだろう」と専門家でも舌を巻くような人がたくさんいるのもツイッターの面白いところだ。そういう人は概して自省的だしプロフィールにも辛口とか書いてない。
postedat 03:05:55 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
文系でも分野によるとは思うが、文系の卒論はまあ学部で習ったことのおさらいにちょっと毛が生えたものか高校からの「調べ学習」の延長くらいなものが多くて、それが修論で一気に「研究」の域に入る感じだが、理系だと卒論からすでに研究で、卒論で学会発表したり投稿したりしている。
postedat 03:27:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
そのぶん卒論と修論は同じテーマで同じ手法でという流れになってることが多くて、優秀な卒論に負ける修論もけっこう多い感じだ。「これが卒論、すげえなあ」と思うことと「これでも修論なの?」と思うことを両方経験する。
postedat 03:29:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
私と同世代ですでに修論と修士号を廃止している一貫制大学院があって、そこを博士前期で退学してしまうと大学院に2年行って単位を取っても修士号がもらえないんだ、ほんとそれは大変だねえみたいな話を聞いた覚えがあるんだよね。どこだったか。
postedat 04:00:55 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
現行の臨床心理士制度でも倫理規定で秘密保持義務は定められていて違反すると資格剥奪だが公認心理師法案では罰則まで定められていたかどうか。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
よい資料を見つけた。この文科省の資料に関係する論点がほとんど書かれている。www.mext.go.jp/b_menu/shingi/...
postedat 04:41:44 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
いちばん人のいない時間にバルトークラジオを聴きながら誰にも読まれないことをたくさん書いたぞ。
postedat 05:00:51 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
だから優秀な卒論を書いた学生が「自分テーマを決めて研究する」ところへ行くまでに一度ダメな時期を経るのかもしれない。
postedat 05:21:53 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
個人的には養成系学部学科では卒論卒研はなくしてコースワークをびっしりとやったほうがいいと思っている。じっさい十分それだけ勉強すべきことがあると思うし。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
授業ではきちんと勉強させなくても卒論をやらせればそれぞれにそれなりのことを学んで卒業していく,ということに教員や大学が甘えている,ということは間違いなくあると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
その点では法学部や経済学部のように「学部で学ぶべきこと」は基本的に授業科目できちんと教えた上でエクストラとして卒研がある,卒研抜きでも教育の質は保証できる,というのが本来の姿だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
日本の大学のような卒論や卒研はほとんど日本にしかないという事実をどう考えるか。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
「妾」と書いて「わらわ」とか「わたし」と読むんだよね。
postedat 13:42:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
「自分は卒論をやって有意義だった」という話と「日本の大学のカリキュラムの中でこれから卒論をどうしていくか」という話は別の話だと思う。
postedat 16:37:15 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
政治や社会や教育の問題を「人の道」で解決しようとするなという話。
postedat 19:14:26 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月18日
赤旗の特派員が中国で殺されかけたことなんかもうみんな知らないだろう。
postedat 19:48:26 削除
文章から読み取れるのは、強い怒りや攻撃的な衝動、他者に対して暴力的な欲求といった感情が表現されている点です。このような表現は、ストレスや対人関係の問題、もしくは深い怒りやフラストレーションが関与している可能性を示唆しているかもしれません。たとえば、極端な対人関係のパターンや自己と他者に対する認識の歪みは、境界性パーソナリティ障害や反社会性パーソナリティ障害など、いくつかのパーソナリティ障害の特徴と重なる場合があります。しかし、これらはあくまで仮説の域を出ず、確定的な診断にはならない点に注意が必要です。
また、こうした感情や衝動は、社会的な疎外感や自己肯定感の低さ、あるいは過去のトラウマなど、さまざまな要因から生じることも考えられます。もしご自身や他者に対してこのような強い衝動や攻撃的な考えが頻繁に現れる場合は、信頼できる専門家(精神科医や臨床心理士)に相談することをお勧めします。
要するに、この文章だけからは断定的な診断はできませんが、攻撃性や怒りといった感情の背景に何らかの対人関係や内面的な葛藤がある可能性が示唆されるため、専門家による包括的な評価が必要だと考えられます。
在宅でずっと一人で仕事をしているので人と話がしたい。
そんな理由でオンラインカフェ会を探しているのだが、中々いいのがない。
読書会とかにも参加したけど、参加者の持ち寄った本のジャンルがてんでバラバラで、あらすじや感想を聞いても、わぁ読みたい、と思わなかったし、たぶん私の本もそう思われてた。
難しいよね。
若いころオフラインのものに参加したら、勧誘の嵐でこんなものに数千円も払ったかと思うと腹が立って仕方がなかったから。
後、異様にポジティブで「夢を語ろう」とかいう系も、胡散臭すぎる。
で、穏やかそうな会があったので試しに参加したのが先日。
これもひどかった。
臨床心理士主催の会、とは聞いていたけど、普通に雑談という体だったので気にしなかったのだが、1人ずつ自己紹介が重い。
発達障害の子供のサポートが~、介護士をしていて老々介護の現状が~、新宿を歩くと家庭環境に問題がある子供が~(いわゆるナンチャラキッズだよね?)、等々、何でそんな重いの?
かと思えば、参加者同士、合いそうな人が居ればLINEグループを個別に作ってつなげることをしてる、とか。
多分、そういう「つながり」(←手あかがつきすぎて大嫌いな言葉)を求める人たちのためにカフェ会ってあるんだろうけどさ。
私が求めてるのは違うのよ。
確かに一人で在宅勤務でずっとやってるけど、毎日人と話してるの。
仕事で(コールセンターなどでない)クライアントさんとオンライン通話したり、営業ビデオ通話したりしてる。
ただ、基本ずっと話を聞く側になるので、プライベートな会話をサラッと楽しみたいだけなのだ。
あとね、よくオンライン会であるのが「顔だしお願いします」の一言。
あれね、いらねーーーーーーーーーーー!!!
仕事では止む無く顔出ししてやってるけど、常に画面上に相手の顔と自分の顔が映し出されてるのって怖くない?
仕事中は極力画面共有したり、ビデオ画面を最小化してみないようにしてるけど、ただし、失礼のないようにビデオカメラを必ず見つめる、リアクションを大きめにとるなど、オンラインならではの接客の苦労があって。
顔出しも勘弁してくれよ。
ネットリテラシーはここにはないのかよ?と思う。
先日の会では「大きなリアクションをもらえると司会者として助かりますねー」とか「ビデオ通話だからこそ、興味がない話の時の表情も丸見えなのでご注意ください」とか言われて。
ここに来る人たちって、普段オフラインで話してる人たちなのかもしれない。
だから、平気なのかな?
私は毎日やってるから、オフの時ぐらい、すっぴんでビデオなしで、飲み食いしながら頬杖ついたりだらけた感じでダラーッと好きなことをしゃべりたい!
私の選び方が間違っていたのかもしれない。。
とはいえ、対面のカフェ会に参加した時は、その場は良かったけど、職業を話したら、変な人に執着されて、かなり困った。
LINE無視してたのに、半年以上たって、またLINEきてギョッとしたもの。
はっきり断ってブロックしたけど。
(以来。職業名も伏せている。めんどくせえわ)
匿名で、ビデオオフで、サラッとその場限りの会話を楽しめるオンラインのカフェ会が欲しくて、こっそり企画して募集をかけている。
今のとこ反応なしw
まぁいつか誰かが来るかな、というくらいのうっすい希望でやってる。
きっとそういう場を求めてる人っているはず。
顔出ししてくれる方が安心、っていうけど、ネット上に顔出すリスクは無視なのかな?といつも思う。
仕事上、ネットに顔と名前(の一部)を出してるけどそれでも嫌だもん。
万が一カフェ会で私のクライアントと鉢合わせたらとか考えるほど身バレが怖い。
すごく疑問。
川瀬はる 漫画家
花森はな 漫画家
こまい 漫画家
おおでゆかこ 作家
吉美駿一郎 作家
六多いくみ 作家
もりまゆみ 作家
鳥さんの瞼 作家
夢咲咲子 作家
大島 郁葉 千葉大学子どものこころの発達教育研究センター教授
春ねむり シンガーソングライター
Ellieシンガー
かわにしようじ ミュージシャン
KAWANA Hisako ミュージシャン
雅博 ミュージシャン
KOTFE アーティスト
岩澤侑生子 女優
梅村綾子 女優
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change.orgの「大阪高裁の“医大生による性的暴行”逆転無罪に対する反対意思を表明します。」の署名について
「署名しました」「賛同しました」とツイッターに書きこんだ人って他に誰かいる?
ただし全部挙げたらキリがないので以下の条件に当てはまるアカウントに限る
・ただ「判決が許せない」とか「署名お願いします」とか書き込んだだけのアカウントは除外(署名したとは言ってないので)
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(全体像についての補足)
この署名の震源は「立憲共産れいわ支持者」「女性の創作系コミュニティ+女性オタク」「フェミニスト」「夜職・整形界隈」の4つで、これらは普段から緩く連帯している。
(たとえば直近でも、各コミュニティが『おまねこ』の件で男性嫌悪ツイートを発信している。)
そのため、
・立憲共産れいわ支持者は「大阪高裁!?やはり維新の強い大阪は犯罪者の街!」と言い、
・女性オタクたちは反AI論争と同様に「法律とかよく分からないけど、法律より私たちの意見のほうが大事」と言い、
・フェミニストは「男の裁判官が男の性犯罪者を逆転無罪にした。これは男性特権だ」と言い、
・夜職・整形界隈は「裁判長はAVの見過ぎ。やはり男性向けAVは犯罪の温床だから禁止しなければならない」と言う。
(各コミュニティ同士の親和性は高く、お互いのロジックを貸し借りしあっているので、4つのコミュニティが4つの主張をしていると言った方が適切かもしれない。)
さらに今回はこの周囲に「上記コミュニティとは無関係の善意の署名者たち」が多数加わっている構図。
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(追記)
・某東大教授たちは「このオンライン署名に賛同をお願いします!」としか書いていないのでリストから除外しています。
・togetterのURLありがとうございます。反映しました。
Permalink |記事への反応(20) | 00:04
>おっさん独り公園でラジオ流しながらラジオ体操を本当にしてたら絶対通報されるやろ?
そんなんで通報されるわけがない、いい年して世間知らずの上に自意識過剰で非モテ童貞がそのまま年取ったのかと思う
他人に関心を持っていたら早朝に公園で1人で体操してる中高年なんて実は珍しくもなんともないことくらい気付くはずだし、普段自分がいかに他人を見ていないかの自覚がない
そのくせ自意識だけ強くて通報されるとか極端な事を考え出す、自分の事なんて誰も関心を持っていないという事が分かっていない
ラジオ体操なんていくらでも公園でやればいいしそれすら出来ないならメンタルクリニックや臨床心理士のカウンセリングを受けるべきだ
日本の精神科医は薬を出すだけで終わりのところ多いみたいだからね
とりあえず、うまく話せないなら、紙に書いて渡したらどうか?それでダメだったら他を探す
なにか吐き出したいことがあるなら、とりあえず、カウンセラー相談 で検索掛けて出てくるところに電話かチャットしてみてはどうか
残念だけど、善意で運営されているから、相談員の方のスキルにはバラつきあるみたいだけど、増田ができる程度の元気があるなら大丈夫と違う?
ちゃんと増田の話を受けて止めてくれて、尚且つ増田と相性のいい精神科医・臨床心理士・公認心理師と出会い、
似たような状況だが、彼が普段一人でしてるスタイルでやるとうまく行くが…
精神的なものは負の性欲によるものなので、これを直したければ、彼から聞き出して、女性に対するヘイトをぶつけてもらうしかない
だが、この時、否定はせず、共感しなければならないんだが、それが無理なら、臨床心理士の資格があるカウンセリングに通うしかない
彼氏目線だと女どものせいでこうなったと思ってるんで彼氏に出させてはいけない
次に器質的な問題だが、これは歳を取ると誰でもそうなるし、女性もedに近い状態になることがある
なので、ハル薬局で柴胡加竜骨牡蛎湯、黄蓮解毒湯+四逆散、桂花茯苓丸、加味逍遙散、桂枝加竜骨牡蛎湯、補中益気湯あたりを調べて該当する症状があったら、内科でもらうといい
二十代後半で高血圧や狭心症、耳鳴り、更年期障害はないと思いたいがあることはあるし…
この時、メインの症状で、インポテンツとは決して言わないほうがいい
(なお、例外があるので調べたほうがいい)
あと、お腹の肉がついてるなら、2人ともどもお腹の肉を引き締めたほうがいい
さてと、「闇バイトか判定する方法」なんてもんを書きたいのだけど、あいにく「コレコレで闇バイトか判定できる!」なんてテストは存在しない。というか、巧妙な連中が「〇〇で簡単に鉄砲玉をゲット!しかも、これなら『闇バイト判定法』も通過できる!」なんて考慮しないわけじゃないじゃん。だから、はっきりいえば「ブラックバイトに関わらない方法」なんて存在しない。それに、なんか「フツーの会社員な俺が、指定されて行ったのが闇バイトだった件」って可能性もあるわけで、それだったらもっと逃げにくいよ!(と経験者は語りたいのだ!)
じゃぁ、どうすりゃ良いの? ... ってなるわけですが、こればかりは便利なツールはないので、
という観点から、自分の過去を振り返って「もう罪をおかしたけど、それでも娑婆にいれるような方法」を自分の恥をここで書いて、若い人が避けれるようにしたい。
全力で走って逃げ込め。光のあるほうへ突っ込め。人のいる方向に逃げ込め。コンビニや警察署、はたまた火災報知器のスイッチを鳴らす、警備会社のステッカーの貼ってあるところに突っ込む、とか防犯カメラのあるところにいく、... という妄想をした。というか、はっきりいえばここまでのことはわからん。ただ、ここで逃げないと、時間が経過すればするほど最悪に至ることは自覚すること。言い方は悪いけど「ポリスマンが公的にヤバイことして罪人になってからのこと身内と刑務所での生活」「指定暴力団〇〇組のメンバーが鉄砲玉になって収監されている最中に組みが蒸発してしまったときの処遇」よりは絶対に良いと思うぜ?
高校生の時からカウンセラーになることを望んでここまで来たけど、しんどい。
これまでがしんどくなかったわけじゃない。外部実習も内部実習もたくさんこなして、SVだってなるべく欠かさず受けてきた。
指導教官と研究テーマについて積極的に話し、本もできるだけ通読してきた。
ただ、肝心の臨床への向き合い方が良くなかった。ケースへの向き合い方や事例への理解が他の同期よりも浅い気がする。
志向する心理療法も、初学者とはいえ絶望的に出来が悪い気がする。私のケースが他の人の目に触れたら、その内容も考察も馬鹿にされる気がしてならない。
初学者が完璧にこなせるわけないのに、なりたいと思ってしまう。でもその割に、実力がない。一番だめだよね。
私の所属する大学院は他のところに比べるとカリキュラムがきついらしく、メンタルを病む人もいる。幸い、私の学年には危うい人はいても誰も脱落していない。それが逆に、私がダウンしたら「あーあ」って言われる気がして休めないと思わせる。
自己管理できなくてどうする、とオリエンテーションで言われてから私自身が病んだ時はものすごく自責するようになった。正論だけど、それを言った先生は休学したり大学に来なくなったりした学生を馬鹿にしているのだろうか。
一方で私は変に自信を持っているので、この状況から切り返してケースも最後までやりきって修論も書き上げる未来が待っていることを信じられる。
諦めずに最後まで完成させる自信はあるので、なんとかしてみせるという気になれる。自分が望む臨床家像を叶えられる日が来ますように。
ぼーっとしてる時に浮かぶ考えの一つに「おかーさんに言ってもどうせ何にもしてくれないしな」っていうのがあって、
今までどうとも思ってなかったんだけど、冷静に考えてみたらこれなかなかだな。
母に打ち明けて解決したことって記憶にないんだもん。なんなら親身に話を聞いてくれるという印象すらない。
お腹痛いって言ったら気のせいだからビオフェルミン飲んどきなさいになるし、
アトピーかゆいって言ったらおかーさん悲しくなっちゃうから掻かないで、だし。
さらにヤベェことに、自分もう40代で、にもかかわらず、「母は助けてくれないし他の人も同様」で止まってる。誰かに助けてもらった記憶で上書きされてない。
強いて言えば大学時代の保健室の臨床心理士さんは月に2回、一回1時間ちゃんと話を聞いてくれた印象があるな。
心理士さんだから話聞いてくれるだけでこれと言って解決はしなかったし、あくまで仕事上の付き合いだけど、話聞いてくれるのは嬉しかったな。
あー、その後20代後半で彼氏っぽい人ができて、彼も話を聞いてくれた印象があるが、あいつ奥さんと子供がいて私のこと騙してたんだよな…。
だめだ。誰かに相談したらいいことが起きるというイメージがまるでない。
親身に話を聞いてくれる人はいないし、聞いてくれる奴がいるとしたらそいつは嘘つき、というイメージしかない。
相談…する…とは…。もしや世の人々は相談したら解決すると思って相談しているのか。
でなきゃ成人の発達障害を門前払いしまくるなんて状態にはなってないハズだしな。
ストラテラが成人に適用されるようになってようやく面倒見てくれる医者が出てきた感じで、それでも結局は臨床心理士とのカウンセリングやテスト等々が必要になるなど、お医者様だけで完結しない難しさがある領域。
ADHDっぽいけど診て貰えないって人は「(都道府県)精神診療所協会」でググって出てくるトコに頼ってみて欲しい。
役所や地域の医療組織と蜜に繋がりがあるから医者だけで完結しない発達障害の面倒を診て貰うにあたって必要な要素が揃ってる。
これまで通ってるお医者様がヤブ医者というワケでは無いし、いずれにしても今通ってるお医者さんとも連携しなきゃいけないので隠す必要はとくに無いと思ってる。
ウェクスラー式知能検査でディスクレパンシーがみられないからADHDじゃない、とかやられたって人も居るんだろうけど、そういう問題じゃ無い。
普通の人はやろうと思えば同じ時間に寝て起きられるけど、どう頑張っても自発的要因で寝起きの時間が安定しないのは衝動性のエピソードでしかない。
あるいは、いくら寝ても眠たげで、そのくせ横になって20分以上経っても頭ん中でずーっと何か考えて寝れないのは多動性とか不注意の症状だ。
また、どう頑張っても眠たげで常に注意散漫って、よく寝たところでダメなら寝不足どうこう以前に普通に不注意の症状だよ。
相談が足りてないのかお医者様の経験が足りてないのか、上述するようなあからさまなADHDの症状でもICD-11やDMS-5に書かれたまんまではないからって見落とすお医者さんは発達障害を診慣れてるとは思えない。
発達障害抱えてる人らなら、上に書いたような例にあるあるを感じる人はそこそこ居るんじゃないかね?