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「育児休暇」を含む日記RSS

はてなキーワード:育児休暇とは

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2025-12-15

anond:20251215231718

人件費って何?

育児休暇中は無給だから人件費ゼロなんだが

Permalink |記事への反応(1) | 23:19

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2025-11-29

anond:20251129061429

女性に優しい政治というのを、「女性スコープに置いた施策」と考えてるからイメージがつかないのでは。ある属性への支援は、別の属性負担を増やすことである、という考えはあるのだから男性育児休暇の取得義務化なども考えられないかな。

Permalink |記事への反応(0) | 06:24

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2025-11-15

んで?みなさんは政治家育児休暇取って給与もらってても文句言わないんですよね?

仮の話ですけど

国会議員が育休1年取って、議員仕事何もやってないのに議員報酬の半分で年間800万ぐらいもらってても文句言わないんですよね?

 

それに文句言いたくなる人の気持ち

育休取ってる部下たちに一言いいたいおじさんたちの気持ちです

Permalink |記事への反応(1) | 11:52

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anond:20251113123131

年寄りの育休への否定態度については、バブル氷河期理由が違う

バブル世代以上が育児休暇否定なのはイデオロギー的に育児休暇をさげすんでいるわけじゃなくて、

業務投入時間が減るのを嫌がっている。

「なんであい今日年休なんだ?」「なんてあいつ週明けまでいなくてスケジュール遅れるんだ?」

氷河期育児休暇否定なのは自分たちがずっと割を食ってきていろんな尻ぬぐいを我慢してやってきた中で、

ゆとり世代Z世代厚遇取り合いになっていることへの嫉妬みたいなものはあるのかも

Permalink |記事への反応(0) | 11:16

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2025-10-27

anond:20251025192647

企業側の立場になってこれを見たら、企業に直接的な利益をもたらした人を昇進させるのは合理的だと思うけどな。

人それぞれ一番大事なことが違うわけで、それに応じてそれぞれの働き方、見返りがあればいいんじゃないの?

君は同期が自分より先に昇格したことがっかりしているのかもしれんけど、ワイは後輩が部長で少し離れたレベル上司だね。

でも、その人はほぼ毎月どこかに出張しているし、深夜早朝のミーティング当たり前だし、自分よりずっと遅れて子供を持ち、子供が生まれときもいつでも連絡可能という形だけとしか思えない育児休暇を取ってた。

自分といえば、会社制度が許す限りの育児休暇を取り、仕事のことは完全に忘れて子供の世話ができたし、それ以降も子供長期間離れるのは好まないからほぼ出張しない。

夫婦時間子供との時間もじっくりとれる。

自分より上の職級から管理職扱いで、家庭を犠牲にする線が見えてくるので、昇格もそれなりに躊躇するよね。

元増田はどっちの人生を選びたかったんだろう?

仕事成功してバリバリならその同期のように結婚もせず・出産もせず、出世というのがお望みのルートだと思う。

その先にあるのは、年を取ったとき家族がいないという未来かもしれないけれど。

家庭を持ちたいなら、出世はそこそこにとどめるのが現実的ルートだろう。

両方ほしいという場合は両方ほどほどだから、そんなになつかない子供関係微妙な連れ添い、そして微妙出世を手に入れることだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 07:12

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2025-10-22

anond:20251022193333

職場で育休を取る人も多くなりましたが、タイトルの通り、私の時には育休なんて取れなかった。

公務員と同じ待遇なのですが、職場雰囲気があり、20年前には育児休暇を取ることは許されない雰囲気がありました。

仕事を休むので代わりの人に入ってもらい、育休明けには同じ職場に戻ることはできず、机はなくなる状態でした。

そのために育休を取ることをあきらめ、辞めていった人も多かった。

産休だけで終わらせ、保育園に預けて仕事を続けることが普通だった。

10年ほど前に育休が認められるようになり、取得する人も増えました。

今の職場の30代も取得しています

やっかみとは分かっていますが、この30代の同僚にモヤモヤがとまりません。

どうか気持ちの持ち方を教えていただけませんでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 21:30

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2025-10-06

ワークライフバランス廃止流行語になりそう。

有給申請育児休暇もわが社はワークライフバランス廃止したんで、で却下できるの便利すぎ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:03

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2025-10-01

本能的に子孫がほしいと思うことはおかしいのか(DINKs

30歳男、平均年収過去に大きな問題はなく、本当に普通に生きさせてもらってきました。

交際している彼女DINKs希望と言うことを最近知りました。

当初はそれでも二人の生活で満足できるものだろうと考えていたが、時間が経つにつれて自分の子孫が欲しいと思うようになってきてしまった。

別れるか、話し合うかの二択になってしまます

男が育児休暇育児休業、産前産後休暇など可能な限りの休暇をとり、男性側がどれだけ育児積極的に参加するといっても、

出産女性しかできず、育児全般においても肉体的・精神的な負担女性の方が大きいです。

その壁は越えることはできません。

子どもを産むために結婚するのではないし、女性出産する機械ではありません。

出産に伴って母親が死亡してしま可能性すらあります

たとえ職場復帰ができたとしても以前と全く同じように働くことはできずキャリアで諦めてもらう部分があります

出産を経ることでのホルモンバランスの変化で、日常生活に支障が出てくることもあるかと思います

説得というのは言葉選択が悪いですが、男側が子どもが欲しい、女性側が子どもはいらないという考えの中で、

どうしても説得という表現を使わせてもらいますが、上記のことを納得してもらうには、

そもそも女性側が子供は欲しいという考えが根底にないと無理なのではないか、、、と考えてしまます

男性側が背負っているものもあります

重たい荷物を持つことも、車をメインで運転することも、そんなことと軽視されがちですが、それを完全に放棄することもできません。

また、男女の機会が均等な職場においても深夜までの残業の状況を比較すると未だに日本社会では男性の数の方が多いのも事実ではないでしょうか。

肉体的性差がある中で、自分の役目をまっとうしたいと思っています

自分死ぬまでの将来を考えた時に一番身近な親がどうしてもロールモデル、見本になります

私が十分に恵まれていたと思います文字通りの「普通」という実現が一番難しい生活をさせてもらえました。

自分の子孫を残すことで親から生命をつなぎ、自分幸せだったように子どもにもそのような生活をさせてあげられるように、

努力しても良いのではないでしょうか。そうやって、親に感謝したいと思うことはおかしいのでしょうか。

医療ケア必要だったり、養育が難しい子どもが生まれるかもしれません。

色々な事実簡単に手に入る情報化社会の中で、現実的理論的に考えると、子どもを持つことは割りに合いません。

希望すれば子どもが持てるわけではないということを前提として考えていますそもそも妊娠自体奇跡です。

私の立場では、男が子どもを持てればいいのに、と考えてしまます

この話題彼女に話しても、建設的な話に繋がらないことが経験から分かっており、自分の中でモヤモヤとするばかりで、

中の人相談にも行ってみましたが、まずは結婚して、それから彼女安心をしてもらえれば、子どものことを前向きに考えてくれるようになる、

という結論が多かったです。

ただ、それは自分側の話だけを聞いた第三者意見であり、私側に有利な話をすることで対価を得ることが目的なため、

丸呑みできませんし、もしそうならなかった時には、「自分子どもが欲しい」という無言の圧力を何十年と彼女にかけ続けることになります

それはさらにお互いに不幸になると考えます

さっさと彼女にこの考えを伝えられればいいのですが、できるだけ自分の中で思考をまとめたいです。

自分の考えを整理するためにも書かせてもらいました。

世間から見てズレているのは私のほうでしょうか。ご意見をお聞かせいただければ幸いです。

Permalink |記事への反応(30) | 00:09

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2025-09-30

独身おじさんが若い女の子会社で話しかけんのはカスなんだけどさ

からそれを文句として聞かされるのはそいつより若い世代の男だよね。

若い世代男女平等教育も受けてるし個人主義が徹底してるから、そんな行為に全く縁が無い。

でも女は、おっさんが怖いから直接言えなくて、若い男にストレス吐き出して終わるんだよね。こわくて出来ないよーとか言ってるうちにうやむやになって現状維持して、またストレスが溜まったらどっかに吐き出して、繰り返してるうちにどっかのタイミング育児休暇とって距離できて解決すんだろ。

だったら悩み相談なんかするなよって思う。

おっさんから何かされて自分で戦えないから力を貸してほしいっていうなら話は分かるけどさ、結局波風立てたくないとか言って何もする気ないじゃん。

男はこういう愚痴だけ聞く時間無駄時間って呼んで嫌うから、戦う決心が付いてから相談しろ

Permalink |記事への反応(0) | 17:27

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anond:20250929221827

先進国の中では、イスラエル程じゃないけどスウェーデンでも出生率が高かったりするよ。これは早期から資金を投じて育児支援制度を整備した結果。(具体的には手厚い育児休暇とか、子持ち世帯への資金給付日本でも、経済政策とか子育て支援金の給付で若年層に経済的余裕ができればある程度出生率回復すると思う。価値観の変化は大きな影響を持っているとは思うけど経済政策意味ないわけじゃない。

Permalink |記事への反応(2) | 16:43

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anond:20250929221827

先進国の中では、イスラエル程じゃないけどスウェーデンでも出生率が高かったりするよ。これは早期から資金を投じて育児支援制度を整備した結果。(具体的には手厚い育児休暇とか、子持ち世帯への資金給付日本でも、経済政策とか子育て支援金の給付で若年層に経済的余裕ができればある程度出生率回復すると思う。価値観の変化は大きな影響を持っているとは思うけど経済政策意味ないわけじゃない。

Permalink |記事への反応(0) | 16:43

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2025-09-01

ぼくの考えた最強の少子化解決案

「【育児休暇から復職した】女性給与を倍にする」って法案、どう?

数年仕事から離れた程度で突然能力が劣ったり、国家資格を取るためにした記憶喪失したり、しないでしょ。

もし衰えるなら50歳の権威ある偉い先生最後勉強したのは何年前ですか?ってなるし。

難しい能力不要仕事なら、余計に、新人より使えるのは明白だし

「女はどうせ育児で抜けるから」と採用を渋ったり、ポストを与えないせいで

じゃあ子供もたずに働いたほうがいいんですね?いいですよ ってなった結果が今の国家単位少子化でしょ?

生理という激痛にたえ、妊娠という10ヶ月の体調不良に耐え、乳児を殺さないようにするプレッシャーに耐え、その見返りがマミトラという「罰」だから、誰もやらないんだよ

報酬を用意しようよ

産みたくなる理由、産んでも人生が行き詰まらない保証を、「「少子化」を解決するために絶対に避けられない女性犠牲(痛みと不便)に用意しようよ

男は中出しだけじゃん、快楽だけだよ、失うものなし、むしろ犯罪に手を染めてまでみんながやりたがることを味わってんだから、もういいだろ。

給与が倍になるなら、外貨稼ぐ担当女性に、男性育児を任せたほうが得、が主流になるよ。きっと。

そこにプライド出してごねる男はどんどん切られて、協力的な男性モテる時代になっていくでしょ。

だってシングルマザーでも給与さえ保証されればなんとかなるもん。邪魔旦那なら冷静に切れる。

子供がいる男、というだけで愛妻家のような扱いされる社会

現在子供作らないことにどやってるパワーカップルは1倍の女、1倍の男でやってもいいし

効率求めててか妊娠しちゃったほうが得では…1年で600万もらえるなら…ってなるよ、そういう思考のやつほど。

んで、いざ産んだら思ったよりかわいい育児やりたい~で望んで仕事やめるかもしれん。それは産んだ誰より偉い当事者が好きに決めればいい。

旦那に寄りかかっていきる気満々の主婦には恩恵ないのもバランス取れてない?

どうでしょう、つっこみお待ちしてます

Permalink |記事への反応(1) | 13:45

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2025-08-13

anond:20250813003305

女性が生きやす社会を作るためには企業経営者とも闘っていく必要があるというのはもっと周知されるべきだと思う。

いわゆる大企業女性比率の低いところばかりだが、女性比率の高い企業フリーライドして実質的搾取している。

男性社員育児休暇奨励しているが形だけだ。せいぜい出産直後の一カ月だけ。

アリバイ作り程度にしかなってない。本来育児20年以上続くプロジェクトなのだから

今まで企業は安い労働力として女性社会進出支援してきて、うまい汁を吸い続けてきた。

いざ女性たちが企業搾取にNOを突き付けたらどうなるか。全力で彼らは抵抗するだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 16:56

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2025-07-17

anond:20250717102501

このデータ解釈披露するの最近連発してるけど毎回頭悪いな。

嫁に家にいてほしい率が高いデータ示したら、それ男の育児休暇取得率が低い意識をそのまま反映してんじゃん。

なのに一貫性がないみたいな論を展開してるし

一貫性の無さと高望みがつながる理由をもとくにない。

データ見ることを覚えたのは一歩前進なのかもだけど

データみてるけど、データと繋がらないレトリックで嘘ついて結論つくる癖を次は止めれるようになると良いね

Permalink |記事への反応(0) | 10:32

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2025-07-16

anond:20250716111902

から男の育児少子化対策有効って言われていて、男の育児休暇が推進されていると思います。思うように数字が伸びないのは別の問題

Permalink |記事への反応(0) | 21:41

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2025-06-28

anond:20250627190319

これが嘘松だとしても、知り合いで地主の娘捕まえて玉の輿に乗ったヤツがクビにならないギリギリまで鬱だの育児休暇だの休める制度を使って休みまくってるのを知っているから世の中そういうのがいるのは嘘ではない

Permalink |記事への反応(0) | 20:52

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2025-06-12

anond:20250612082649

育児休暇なんで叩かれてんの?

Permalink |記事への反応(1) | 08:27

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anond:20250612082546

でも育児休暇とか叩かれてますよね何なのあれ

Permalink |記事への反応(2) | 08:26

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2025-04-21

大谷翔平のような替えの効かない存在でさえ育児休暇を取ってどうのこうのと言われているが

完全に逆だろ

大谷翔平のような替えの効かない存在からこそ、安心して育児休暇が取れるんだよ

代わりがいくらでもいるような存在育児休暇を取ったら、休んでいる間に他の人に取って代わられてしま

Permalink |記事への反応(0) | 20:07

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2025-04-17

大企業では男性育児休暇が認められつつある一方で、ミソジニー言論拡散されている

 

これは、女性弱者男性に愛想をつかせば、弱者男性兵役拒否は支持を得にくく、徴兵がしやすくなるはず、と考えた軍閥軍医療閥の作戦

高齢者の面倒を見なければならない男性も、高齢者施設で死なせられてしまえば、兵役拒否もし難くなるわけ

 

いか弱者徴兵生命保険料を集めるか、彼らは常に考えている

経団連トップもいまや保険である

Permalink |記事への反応(0) | 11:24

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2025-03-22

生き急ぐ世の中に過剰に適応するとみんなこうじゃないの

つの顔 -会社で見せる自分と本当の自分の間で

会社用のカバンを置き、ドアを閉める。やっと家に帰ってきた安堵感が身体を包む。そして少しずつ、「会社自分から「本当の自分」へと戻っていく感覚がある。肩の力が抜け、表情が和らぐ。息遣いが変わる。

多くの人がこの二重生活に慣れてしまっている。朝、「会社モード」のスイッチを入れ、夜にそれを切る。時にはそのスイッチの切り替えが難しくなる日もある。会議で発した言葉、同僚に見せた表情、上司約束した「チャレンジ」の数々が、家に持ち帰った荷物のように心に残る。

私はこの役割を演じることに長けている。「前向きに取り組みます」「新しい挑戦を歓迎します」「結果にコミットします」—これらの言葉は、まるで外国語を話すように自然に口から出てくる。そしてある意味では、それは本当に外国語なのだ組織という国の公用語を、私は流暢に操る。

しかしある日、鏡を見ていて気づいた。「会社自分」の表情が、いつの間にか「本当の自分」の顔にも忍び寄っていることに。眉間のシワ、目の下の疲れ、口角の下がり方—それらは境界線崩壊を示す小さなサインだった。

「これは持続可能なのだろうか?」という問いが心に浮かぶ。二つの人格を維持することのエネルギーコスト毎日演じることの疲労感。そして何より、「本当の自分」が少しずつ痩せ細っていくような感覚

同僚の多くは、この分裂を問題だと思っていないようだ。むしろそれを当然のことと受け入れている。「仕事仕事」「プライベートプライベート」と区分けすることで、彼らは自分を守っているのかもしれない。しかし私の中では、その境界線だんだん曖昧になってきている。

穏やかに生きたい。自分のペースで仕事をしたい。持続可能方法価値提供したい。これらの願いは、果たして現代企業文化と相容れるものなのだろうか?それとも、二つの顔を持ち続けることこそが、生き抜くための唯一の戦略なのだろうか?

時に、勇気を出して本音を漏らしてみることがある。「もう少しペースを落としませんか?」「この締め切りは現実的でしょうか?」「持続可能方法を考えてみては?」と。そんな時、返ってくる反応は様々だ。理解を示す人、困惑する人、そして時に、「やる気がないのか?」という暗黙の非難

この非難が最も痛いのは、それが外からだけでなく、自分の内側からも聞こえてくることだ。「自分はただ楽をしたいだけなのではないか?」「みんなは頑張っているのに、なぜ自分だけ特別扱いを?」「これでは出世できないぞ」という内なる批判者の声。

しかし、よく考えてみれば分かる。「チャレンジし続けること」が全ての人にとって幸せの形とは限らない。日々の小さな満足、着実な前進、持続可能な貢献—これらもまた、価値ある生き方なのではないだろうか。

問題は、この「穏やかさ」という選択肢が、現代企業文化ではほとんど見えないところに追いやられていることだ。それは弱さの印、野心の欠如、甘えとして片付けられてしまう。

からこそ、多くの人が「会社自分」と「本当の自分」を分け、日々その間を行き来する。そして私もまた、その二重生活の達人になりつつある。演じながら、静かに抵抗する方法模索している。

孤独選択 - 「穏やかさ」を選ぶことへの不安と周囲の視線

「このままでいいのだろうか」

幹部会を終え、誰もいなくなった会議室で、ふとその問いが頭をよぎる。私は周囲が認める「頑張る人」として、この地位まで駆け上がってきた。夜も眠れないプロジェクト休日犠牲にした資料、誰よりも早く出社し遅く帰る日々—これらの「チャレンジ」の積み重ねが、今の私を作った。

からこそ、「もう少し穏やかに」という内なる声に従うことが、これほど難しいのだ。

先日、若手社員が「もう少しペースを落としたい」と相談に来た時、彼らにはアドバイスができた。「無理せず、長く続けられる方法を見つけることも大切だよ」と。しか自分自身には、その言葉適用できない。彼らにはまだ、同期との飲み会愚痴をこぼす自由がある。私にはもうない。

孤独は、階段を上るほどに深まる。

「今さら弱音を吐けない」という思いは、単なるプライド問題ではない。私の中で「頑張る自分」と「本当の自分」の境界線曖昧になりすぎているのだ。もし「頑張る自分」が崩れたら、残るのは何だろう?その恐怖が、変化への一歩を阻む。

例えば、部下には「家族時間を大切に」と帰らせておきながら、自分は深夜まで残業する矛盾。あるいは、「ワークライフバランス」を会社価値観として掲げながら、自分はその恩恵を受けられない皮肉。これらを指摘する人は周りにいない。いや、もはや自分自身の中にすらいないのかもしれない。

最も怖いのは、「頑張る」という価値観が崩れたとき、私の存在意義のものが揺らぐのではないかという不安だ。私は何者なのか?「チャレンジし続ける人」という仮面を外したとき、その下には何があるのだろう?

若い頃の私は、上司のことを「あの人は仕事しか知らないんだ」と陰で笑っていた。そして今、鏡に映るのは、かつて笑っていたその姿に近づきつつある自分皮肉なことに、私はかつての自分軽蔑していた人間になりつつある。

先日、久しぶりに大学時代の友人と会った。企業とは無縁の世界で生きる彼は、私の話を聞いてこう言った。「君、本当にそれで幸せなの?」シンプルな問いに、即答できなかった自分がいた。

ただ、この孤独には特権も伴う。変化を起こせる立場にいるという特権。もし私が「穏やかに生きる勇気」を示せたなら、それは組織全体に波及するかもしれない。しかし、そのファーストペンギンになる勇気が持てるだろうか?

長年「頑張り続けること」で自分価値証明してきた人間が、突然「穏やかさ」を選ぶことの矛盾と恐怖。それは単に仕事のペースを変えるという以上の、アイデンティティの再構築を意味する。「頑張らない自分」にも価値があると信じられるだろうか?

そして何より、周囲の期待という見えない重し。「あの人がそう言うなら」と私の言葉に重みを置く部下たち。「彼女の実績を見れば」と私の判断を信頼する経営陣。彼らの期待を裏切る恐怖。

この孤独葛藤を誰かと共有したいと思いながらも、「弱さ」を見せられる相手がいない。それが、上に行けば行くほど増していく孤独本質なのかもしれない。

からこそ、この静かな抵抗は、より多くの覚悟と内なる対話必要とする。表向きは「チャレンジ」のリーダーであり続けながら、少しずつ「穏やかさ」の価値組織に浸透させていく。それが今の私にできる唯一の道なのかもしれない。

さな抵抗 -日常の中でできる境界線の引き方

「小さな抵抗」という言葉自体が、すでに贅沢なのかもしれない。

抵抗するには、別の可能性を想像できることが前提だ。しかし私の中では、「頑張る自分」と「本当の自分」の境界線が長年の間に消えてしまった。もはや「頑張らない選択肢」を思い描くことすらできない。

先日、あるセミナー講師が「自分を大切にする時間を作りましょう」と言った。周りの参加者が頷く中、私は困惑していた。「自分を大切にする」とは具体的にどういう行動なのだろう。想像すらできない。

「19時に帰ります

同僚がグループチャットにそう書き込んだとき、私は複雑な感情に襲われた。一方では「彼は勇気があるな」と思いながら、他方では「私が同じことをしたら」という想像ができなかった。それは単に評価を気にしているからではない。「頑張らない自分」が存在し得ないという、もっと深い恐怖だ。

一度だけ試してみたことがある。締切の迫ったプロジェクトで、「このスケジュール現実的ではない」と言ってみた。言葉にした瞬間、激しい不安に襲われた。案の定、「なんとかする方法があるはず」と一蹴された。

しかし最も辛かったのは、その後だ。家に帰っても、「もっと工夫できたのでは」「能力不足を言い訳にしたのでは」という自責の念が襲ってきた。「抵抗」した結果、むしろ気持ちは重くなり、翌日からは倍の時間を費やして挽回しようとした。

結局、「小さな抵抗」の試みは、より大きな自己搾取につながっただけだった。

友人が育児との両立のために時短勤務を選んだとき、心から彼女応援した。「素晴らしい選択だね」と言いながら、内心では「自分には絶対にできない」と思っていた。なぜなら、仕事のペースを落とした自分を、私自身が許せないからだ。

「頑張らない」という選択ができたとしても、それを自分肯定できない。そして肯定できないなら、結局は罪悪感に苛まれ、より深く自分を追い込むことになる。これが私の中の悪循環だ。

先日、久しぶりに体調を崩して一日休んだ。熱も高く、客観的に見れば当然の休養だった。それでも一日中メールをチェックし、できる範囲仕事をベッドの上で続けていた。「休んでいる」という事実が、耐えられなかったのだ。

最も皮肉なのは、「穏やかさ」を選ぶべきだと頭では理解していることだ。長時間労働弊害も、バーンアウトリスクも、すべて知識としては持っている。セミナーでも読んだ本でも、「持続可能な働き方」の重要性が説かれている。

しか知識感情は別物だ。「頑張ること=自分価値」という等式が感情レベルで刻み込まれている限り、どんなに合理的判断も、内側から崩れていく。

「小さな抵抗」どころか、「抵抗しない自分」を責める悪循環。それが私の現実だ。

かに相談できればいいのかもしれない。しかし、立場上、弱音を吐ける相手はいない。部下に「実は私、もう限界なんだ」とは言えない。上司や同僚にも、弱さを見せることはタブーだと感じている。

結局、仕事けが残る。仕事は少なくとも、明確な評価基準がある。締切を守り、数字を達成し、プロジェクトを完遂する。それが自分存在価値証明する唯一の方法だと思い込んでいる。

時々、この生き方に疑問を感じる瞬間がある。深夜のオフィスで、ふと窓の外を見たとき家族写真を見たとき。体調を崩したときしかしそれらの瞬間は、すぐに「もっと頑張らなければ」という思考によって打ち消される。

「小さな抵抗」ができる人がいることは知っている。羨ましいとすら思う。しかし私にとっては、まず「抵抗したい」と思える自分を取り戻すことが、最初の、そして最も難しい一歩なのかもしれない。

もし本当の意味での「小さな抵抗」があるとすれば、それは外側に向けたものではなく、内側の声に対するものだろう。「もっと頑張れ」と絶えず命じる内なる批評家との対話。それこそが、私にとっての本当の闘いなのかもしれない。

内なる声を取り戻す -自分のペースを守るための実践

深夜、日付が変わった時刻。また日記を開いている。

「なぜこのペースを変えられないのだろう?」

この問いを何度書いただろう。答えのない独り言のように、同じ言葉が繰り返される。「自分のペースで生きたい」という願いと、「これではいけない」という認識。そしてその直後に必ず続く自己否定。

「甘えているだけじゃないか

「これが自分の選んだ道だ」

「他の人はもっと頑張っている」

日記は、本来なら自分自身との対話の場であるはずだ。しかし私の日記は、まるで二人の異なる人格が争うような場になっている。一方は「穏やかに生きたい」と願う声、もう一方は「それは逃げだ」と叱責する声。

そして結局は、後者が勝つ。翌朝、また同じルーティンが始まる。

「内なる声を取り戻す」—美しい言葉だ。自己啓発本や記事でよく目にする。しかし実際には、どうすれば良いのだろう。「本当の自分」とは誰なのか。「穏やかに生きたい」と思う自分が本物で、「もっと頑張れ」と言う自分が偽物なのだろうか。あるいはその逆か。もはやその区別さえつかない。

かつては趣味もあった。しかし今は、仕事睡眠以外の時間がどこかに消えてしまった。趣味に使う時間があるとすれば、それは「もっと仕事をするべきだ」という罪悪感と常に隣り合わせだ。そして不思議なことに、休日時間が空いたとき、かえって落ち着かなくなる。何か「成し遂げるべきこと」がないと、居場所がないような感覚

会社の同僚が育児休暇から復帰したとき彼女は「価値観が変わった」と言っていた。「仕事も大切だけど、他にも大切なものがあると気づいた」と。その言葉に深く頷きながらも、内心では「そんな選択肢自分には許されない」と思っていた。

子どもがいない私には、その「言い訳」が使えない。健康上の問題もない。家族介護も今はない。「頑張らない理由」が見当たらないのだ。そして何より、「頑張らない自分」を自分自身が許せない。

ある夜、珍しく定時で帰宅し、手持ち無沙汰になった。いつもなら持ち帰った仕事をするか、疲れて眠るかのどちらかだ。この「余白」の時間に何をすれば良いのかわからず、ソファに座ったまま30分ほど呆然としていた。「自由時間」の使い方さえ忘れてしまたことに、愕然とする。

余裕があるはずの時間に感じる、この奇妙な不安感。それは「ゆっくりできない病」とでも呼ぶべきものかもしれない。休むことに慣れていないせいか、あるいは休んでいる間も「何か生産的なことをすべきだ」という声が頭から離れないせいか。結局、半分無意識仕事メールをチェックし始めている自分に気づく。

自分のペースを守る」という言葉は、単に仕事を減らすということではないのだろう。それは「自分自身との関係を取り戻す」という、もっと本質的なことなのかもしれない。

しかしそれには、大きな恐れが立ちはだかる。

「頑張る自分」が自分自身のアイデンティティと化した今、それを手放すことは、自分自身を手放すことのように感じられる。「頑張らない自分」など、存在し得るのだろうか。そして仮に存在したとして、その自分には価値があるのだろうか。周囲はその自分を認めてくれるのだろうか。

さらに恐ろしいのは、「穏やかに生きたい」という願望自体が、単なる逃避ではないかという疑念だ。本当に理想を追求しているのか、それとも単に難しいことから逃げようとしているだけなのか。その区別がつかない。

この葛藤を誰かと分かち合いたいと思うこともある。しかし、誰に話せばいいのだろう。部下に弱音を吐けば信頼を失うだろう。同僚には競争相手と見られている部分もある。上司には評価に関わる。配偶者にさえ、「仕事ストレス」としか言えないことがある。

結局、また日記に向かう。そして同じ言葉を書く。

「なぜこのペースを変えられないのだろう?」

この問いに対する答えは、まだ見つからない。ただ、問い続けること自体に、かすかな希望を感じている。この問いが心の中で生き続けている限り、何かが変わる可能性もある。それが「内なる声を取り戻す」最初の、そして最も困難な一歩なのかもしれない。

共に歩む - 見えない仲間たちへの手紙

あなたがこの文章を読んでいるということは、どこかで同じ問いを抱えているということかもしれない。あるいはそうでないかもしれない。

「このままでいいのだろうか」

もっと穏やかに生きる方法はないのだろうか」

「なぜこのペースを変えられないのだろう」

私は時々考える。他の人々も同じ葛藤を抱えているのだろうか。それとも、私だけがこんなにも矛盾を抱えているのだろうか。会議室で周りを見回すと、皆がこの「頑張り文化」に適応しているように見える。彼らは本当に適応しているのか、それとも私と同じく苦しみながら演じているだけなのか。

確かなことは分からない。

時に、若手社員が率直に「このペースはきついです」と言うのを耳にする。彼らはまだ、そう言える立場にある。同期同士で飲みながら愚痴をこぼせる自由がある。妙な話だが、それが羨ましい。立場が上がるほど、弱音を吐ける相手は減っていく。そして、弱音を吐けなくなるほど、内側の葛藤は深まる。

先日、チーム会議で無理なスケジュールについて議論になった。部下の一人が思い切って「このスケジュールでは品質に影響します」と発言した。その瞬間、一部の目に安堵の色が浮かんだような気がした。しかし他の人たちは、「何とかやりましょう」「チャレンジですね」と従来の反応を示した。

本当のところ、どれが本音なのだろう。皆がこのペースを望んでいるのか、それとも皆が恐れているだけなのか。あるいは、恐れてもいないのか。もしかしたら私だけが、これほど深く悩んでいるのかもしれない。

どうすればいいのだろう。この悪循環から抜け出す方法はあるのだろうか。「頑張る」ことでしか自分価値証明できなくなってしまった私たちは、どうすれば「穏やかに生きる」ことを取り戻せるのだろう。

時々、社内の様子を観察していると、不思議矛盾に気づく。表向きは「働き方改革」や「健康経営」を掲げながら、実際は以前と変わらないか、むしろ厳しさを増しているペース。「ウェルビーイング」を経営方針に据えながら、実際には「数字」と「成果」しか評価されない現実。この矛盾に気づいているのは私だけなのだろうか。

社内の若手たちの間で「持続可能な働き方」について話し合う動きがあるという噂を聞いた。彼らは「効率化」や「生産性」という言葉ではなく、もっと率直に「疲れないため」「長く続けるため」という言葉議論しているらしい。

その噂を聞いて、複雑な感情が湧いた。一方では希望を感じる。他方では、自分たちの世代解決できなかった問題を彼らに押し付けているような罪悪感。そして何より、彼らの率直さへの羨望。いつから私たちは、素直な言葉を失ってしまったのだろう。

私たちは本当に変われるのだろうか。「頑張る」ことが自分存在証明になってしまった人間が、突然「穏やかさ」を選ぶことなどできるのだろうか。それは単なる仕事のペースの問題ではなく、アイデンティティのもの問題だ。「頑張らない自分」など、存在し得るのだろうか。そして周囲は、その自分を受け入れてくれるのだろうか。

「穏やかに生きる」ということが、なぜこれほど難しいのだろう。それは単なる「怠けたい」という願望ではなく、もっと本質的な、「人間らしく生きたい」という願いのはずだ。それなのに、なぜこれほどまでに罪悪感を伴うのか。

この文化の中で、私たちは皆、声なき声で同じことを言っているのかもしれない。あるいは、私だけがこんな矛盾を抱えているのかもしれない。確かなことは分からない。

もしあなたも同じ問いを抱えているなら、少なくともその点では、私たち孤独ではないということになる。見えない糸でつながった仲間がいるということに、かすかな慰めを見出せるかもしれない。あるいは、それすら幻想かもしれないが。

世の中から一度拒絶され、適応することでなんとか居場所を得たみんなへ

どうしてる?

Permalink |記事への反応(0) | 21:06

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2025-03-19

話題自治体向け父親支援マニュアル、流し見した。

https://www.ncchd.go.jp/scholar/research/section/policy/project/2024_manual.html

自治体父親に焦点を当てだしたのはとてもありがたいことだと思う。

一方で、父親が本当に困っていることを追求する内容ではないなと思った。

妻子にはより一層寄り添うことを求められている。

1か月の育児休暇は最低限で、育児家事積極的にやることは当然で、常に毎日子供と接している母親と同程度の子供への理解を求められる。

妻子のために自分犠牲にすることは当たり前で、やれていないと「愛のない父親」呼ばわりとなる。

そのくせ、自分仕事は一切手を抜いてはいけない。何なら昇進しないと給料足りない。

この先、20年やそこら、子供が成人するまで大黒柱で居続けないといけない。

共働きとはいえ、「父親金銭的な責任を負う」という日本価値観は残り続けている。

共働きとはいえ母親フルタイムじゃなくてもよい。週3・4時間でも共働き。その場合育児家事母親寄りだったりするはするけども。

父親最後全部責任を負わないといけないのは変わりない。そして仕事育児ではない。

ここまでやって、父親が得られるものは何か。

「まだ足りない」の罵倒だけだ。「うちの旦那は...」の愚痴だけだ。

この父親最終責任制度が維持されたまま、父親家事育児参加を当然にするムーブ

それがこの苦悩の理由なのに、マニュアルではその辺の言及は一切ない。無難家事育児の参加を呼び掛けるのみである

父親になって幸せになれるのは、自身が高年収かつ母親家事育児を喜んで1人でこなせるようなパワー家庭だけ。

Permalink |記事への反応(0) | 04:15

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2025-03-18

anond:20250318222638

うん、見事にフェミニストジェンダーフリーになってるね

働き方について「女性は家にいる時間が長く家事育児負担が多いってよくフェミニストは言ってるけど、そんなん当たり前じゃね?」と言っていたこと。改善できるといいねーと返すと「改善はできないね、昔の役割分担は効率が良かった」と

その彼氏とやらのほうが現実見えてるのでは?妊娠出産育児休暇必要なところを「不利」と認識できてるからこそ言える可能

妊娠出産男性でもできるようになったら、女性が家にいる時間短くなるはず」というような仮説をぶつけて、反応みたらいいと思うよ

あと、フェミニズムなんていわず男女平等には何が必要かってシンプル質問もセットでぶつけておくと吉

Permalink |記事への反応(0) | 22:37

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2025-01-30

anond:20250130134713

小学校に入って安定するくらいだと40だよね。正しい。

25歳から15年くらい休みをあげれば良いと思う。

結婚子作り育児休暇15年。

Permalink |記事への反応(0) | 22:08

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2025-01-10

2023年3月自動車製造女性ライン工として働いていた増田のその後

どうもお久しぶりです。

2023年3月に『自動車製造業に勤めて10年経ったが女性が主ラインの主力にはならない』というエントリ投稿した者です。
以前のエントリ言及していた通りに私へ対して異動があり、そして2023年3月当時と比較して自動車業界全体の動向へ変化が起きているので、私のその後の報告をしつつ様々なことを筆が乗るままに書いていこうかな?なんて思っています

まず、現在の私は完全にオフィスワークという働き方になっています
新社会人で女でありながら工場勤務を志向したとき、将来の自分オフィスワークになるだなんてまったく予想をしていませんでした。
工場勤務のキャリアの中で自身が勤める会社キャリアステップにはラインからオフィスワークへ移行するキャリア存在していることへ気付き、そしてそれは女性従業員が選びがちなキャリアであることを知りました。

中にはこのステップをいわゆるマミー・トラックである判断する人も居るでしょうが、近年の会社女性管理職の数を拡充していく方針を示していて、私が異動した年度と比較しても様々な部署女性管理職が増え、そして現在の私も管理職です。
ではこの私の管理職、どの程度の権限があるのか?と言えば、基本給などを定める給与等級制度から現在の私の管理職階級判断しますと、これは工場内で生産ラインシフト組長やライン長と同等の管理職階級であります
以前のエントリで「ライン長を目指して」と激励してくれた方が居ましたが、既に工場勤務でなくライン長では無いですが同等の地位へ身を置けるようになったことを激励へのお礼と共に報告させて頂きます

ただ、工場に関わることのない仕事をしている人がシフト組長やライン長がどのような規模感のチーム管理職なのか?の判断が付きにくいでしょうから説明いたしますと、現在の私は他社と関わることの多い部署所属していまして、他社との比較であれば20人30人規模の人員を率いるチームの管理職課長主任プロジェクトマネージャーと同程度の管理職です(会社が非常に巨大であれば係長場合もあり)。
まり端的に日本国内共通認識を取れる表現で言えば、現在の私は東証プライム上場しているグループ全体で数十万人を擁する大企業に務めるオフィスワーカーで20人30人規模の人員を率いるチームのプロジェクトマネージャーということになります

このキャリアをどのように捉えるかは個々人へお任せしますが、私個人しましては社内で出会ったパートナー恋愛結婚をし、子供を2人もうけて、自然に囲まれ工場があるような地方在住ですが子供の頃に憧れた赤い屋根の小さな新築戸建を得られ、愛犬を飼い、アップライトですが私のピアノを持てて、自家用車によって繁華街へ夫と子供と一緒に遊びに行けるような生活をさせて貰ってますので、私程度の能力であれば十分充実した毎日を得られたのではないかなと思っています。流石に億万長者になる実力はないので。

しかしたら自慢で嫌味だと捉えてしまう人も居るかも知れませんが、私が私の人生工場キャリアで汗水垂らし得た自慢の宝物です。
工場務めは大学教授政治家のような『おいしい仕事』では無いですが、工場務めの女性キャリアの1つの例として記憶して頂ければ幸いです。丸の内みたいにキラキラしてないけれど工場10年働けばこうなるぞと。

さて話は変わりますが、当時のエントリとそのブコメを眺めると現在自動車業界を取り巻く環境と、それらを見ていた人たちの意識自体も大きく様変わりしていることが分かります
特に大きな違いは『EVシフト』へ関する意識でしょう。欧州のようにEVシフトを強く推進しないと日本自動車界は壊滅するのような主張が散見していますが、産業需要実態にそぐわない政治主導による急進的なEVシフトによって欧州自動車業界危機的な状況に立たされています

もちろん日本自動車界が取った多角戦略の正しさが短期的に証明されたからと言って永続的に正しいとは限らないので油断は出来ません。
発展途上国では安い中華EVシェアが伸び始めていると数字が示していますし、日本自動車は現状に満足せず産業需要実態に合わせたフレキシブル経営製造販売体勢が必要です。
特に私は製造現場出身なので、老若男女が働きやす製造手法現場環境改善・創出の大切さは身にしみていますので現場レベルで安い中華EVへ対抗できる体勢の獲得が肝要かと思います


そして、日本は一層の少子高齢化社会へ着実に進んでおり、日本経済を支える産業維持をするのに人手不足が深刻化していますコロナ禍のような人手不足状況が工場でも恒久的になると考えると戦々恐々としますし、なんとかしないといけません。
各自治体の合計特殊出生率を見ると、合計特殊出生率が高い自治体若い世代がしっかりと報酬を得られる産業のある自治体出生率は高い傾向なのがわかります
子育て世帯お金を配るのではなく、私は子育て世帯をも含んだ若い世代全体の収入を増やすことが合計特殊出生率をあげていく上で重要ではないかと思うのです。

少なくとも社会保障費は自分たちの世代よりも後の世代が支えてくれるものです。今の若者を儲けさせなければ自分たちの年金医療費などの社会保障費が減っていくのは明白なのです。
私は経験上知っています工場でしっかり稼いでいる仲間たちの家庭の何処かでは毎月のように子供が生まれていることを。それも1人や2人ではありません。
私が勤めていた工場の膨大にある知る限りの各ラインには出産育児休暇を取っている人員が必ず居たくらい子供が生まれることは珍しいことじゃなかったのです。

私はこの状況を工場以外にも拡大していくべきだと感じますし、そのためには工場勤め並みに若い世代を儲けさせるべきだと主張します。
工場務めは福利厚生が充実していますし、独身寮があったり食費補助があったりするので額面年収よりも実質的年収は多く、例えば20代の製造年収へ皆さまが負担している家賃光熱費を足してみて下さい。家賃計算やすいよう5万円/月ならば60万円も実質年収が多いんですよ。これは本当に大きなことです。


私が所属する労働組合としても将来的な人手不足を解消するため非正規雇用従業員、いわゆる期間工派遣正社員登用の推進を会社へ訴え出ており、それは労使一体のもと実際に施策として行われていますそもそも私の所属する労働組合は1年以上勤めれば期間工でも加入できます
一部で囁かれている「正社員貴族様のための団体」などという揶揄はまったくもって現状を追っておらず労働組合の現状を知る気も、3Kとして忌避していて工場へ務める気もない業界外の人の勝手想像でしょう。
これはもうあまりにも愚か過ぎる揶揄なので強調して否定しておきます私の所属する労働組合非正規従業員も加入できます!!!

さて最後の締めですが、筆が乗るままに今の思いの丈を書き連ねましたが、子供が居ます自分の老後の心配もありますし、日本が今よりほんの少しでも良くなっていったらなぁと思っております
また何かの機会で書かせていただこうと思いますではでは。

Permalink |記事への反応(16) | 19:35

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