
はてなキーワード:肩書きとは
そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。
──CIO、CTO、CDO、CISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。
PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。
うちのCxOはこう言った。
翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーのサービスの?」と返された。
その瞬間、何かが切れた。
──ケーキではない。
CxOたちはコードを読めない。
それ自体は罪ではない。
だが、読もうとしないことは怠慢だ。
よく聞く反論がある。
確かにそうだ。
ただし前提が抜けている。
つまり、コードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である。
「技術的なことは詳しくないが、成果は出している」
それはたまたまだ。
「上が言ってるから」「今期の方針だから」「スピード優先で」。
Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーだけが毎日更新される。
これもよく聞く言い訳だ。
しかし、リソースが限られているならなおさら、理解の精度が重要になる。
僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。
「キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。
CxOたちは言った。
「想定してなかったのか?」
──想定してた。
だが、理解できないのは説明の問題ではなく、聞く姿勢の問題だ。
Slackの“#incident”チャンネルだけが、いつも一番アクティブだ。
CxOたちは「コストを切れ」と言う。
切れるのはコストだけ。
削ったコストの穴埋めに、技術的負債の利息を支払うのは現場だ。
Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントだけが動くレガシーになる。
CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。
だが変わっているのは、スローガンのフォントと会議資料の配色だけだ。
クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式でしかない。
──違う軸を持つのは構わない。
現場を理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。
「コードなんて書かなくていい。これからはノーコードの時代だ。」
だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コードの抽象度を上げる”技術だ。
だが、隠したコードが消えるわけではない。
ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。
それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。
「ノーコードでいい」と言うCxOは、
「物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。
理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である。
人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。
DXとは、ツールを導入することではない。
それを理解しない限り、
理解しないことだ。
真っ先に切られるのは、
──コストだけ。
CxOたちは「未来を見ている」と言う。
未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。
ウェディングドレスの件でツイフェミに職業差別を受けた三上悠亜さん。想像を絶する苦しみを経験した彼女は、今も元AV女優の肩書きを隠すことなく堂々活動している。
そんな彼女が、新しくパパ活アプリのアンバサダーに就任した。
Appleの審査も通った、まごうことなき健全アプリだ。
https://x.com/yua_mikami/status/1974043992342851728
世間ではパパ活に対する風当たりが強いのは周知の事実。そんな彼女がパパ活イメージ向上のため、パパ活女子に対する職業差別に抗うため、アンバサダーに就任してくれたのだ。
嫉妬にまみれたツイフェミは発狂するだろうが、我々は全力でこれを応援しよう。
残念ながら男の俺はわけあって登録することができない。だが、周辺にいる女友達にこのアプリのことを伝えようと思う。
みんなも親や兄妹、友達などにこのアプリを伝えてくれ!
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
「社会が悪い」「女が冷たい」「俺は悪くない」。
この三点セットを何年唱え続けるつもり?
努力は“できない”んじゃなくて、“したくない”だけ。
口では「真面目に生きてる」とか言うけど、
現実逃避の方向が真面目なだけ。
自分の無力を直視せず、ネットで「俺たちは被害者」って言い合ってる。
見てて吐き気がする。
救うだけ無駄。
情けをかけた瞬間、こっちまで腐る。
「俺は傷ついた」「社会に見捨てられた」って言葉を盾にして、他人に優しさを強要する。
それってもう、暴力なんだよ。
放置でいい。
でも今思えば、あれ全部“怠けるための理屈”だった。
「弱者男性」という肩書きは、努力から逃げる免罪符だったんだよ。
寒くても、現実を歩く。
救う価値なんて、ない。
同情もいらない。
彼らが変わるのは、誰も構わなくなった時だけ。
優しさは毒になる。
突き放すことこそ、唯一の愛だ。
とはいえ、最近の個人投資家界隈では億り人なんてペーペー扱いらしい。
それでも、普通に仕事しながらちょっと株をかじってる程度の身としては、十分なマイルストーンだ。
ただ、浮かれてもいられない。これから、どうなるかは誰にもわからない。
株式市場の相場次第で、元の水準に逆戻りする可能性だって全然ある。
反出生主義ではない。
むしろ、子どもを望む人が幸せに育てられる社会であってほしいと願っている。
それでも、「この人だけは子どもを持ったらまずいだろう」と思ってしまう人が、現実にいる。
⸻
「発達障害では?」と疑い、診断がつかないと「グレー」と決めつけて嫌悪。
そして離婚。
新しい恋人と同棲し、「理性があるから子どもは作らない」と言いながら
ピルをやめることに癇癪を起こす。
勤怠不良で退職し、「クビにされた」と周囲に吹聴。
そして数か月後、
→ まもなく妊娠報告。
……え?妊活、するの?
⸻
誰かを“育てる側”に回ってしまうと、
不幸が連鎖していくのを何度も見てきた。
「子どもを持たないほうがいい」という言葉は、差別のように聞こえるかもしれない。
⸻
自己啓発に走っては壊れ、
本当は、そうやって自分を保とうとしているのかもしれない。
⸻
誰かを責めたいわけではない。
ただ、こういう連鎖を止める仕組みが、今の日本にはなさすぎると思う。
支援が途切れた人が親になっても、
⸻
冷たさじゃなく、
“もう誰もこれ以上傷ついてほしくない”という願いでもある。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
yumegocochiLABOの商品レビューが、何度投稿しても消されてしまうので、ここに書く。
---
いびき解消を目的に購入しましたが、結論から言えば、使って後悔しています。そもそも鼻呼吸ができないから仕方なく口呼吸をしているわけで、根本的な原因を無視して口をテープで塞げば解決する、という発想自体が乱暴すぎます。案の定、この商品を使い始めてから睡眠の質は著しく低下し、翌朝は喉がカラカラに乾き、疲労感が抜けなくなりました。免疫力も落ちたのか、風邪のような症状が続き、最終的には使用を断念しました。
そもそも「口呼吸は万病のもと」といった恐怖を煽るのは、商売っ気の強い歯科医や企業ばかりです。本来、口呼吸の原因は鼻詰まりやアレルギー、鼻中隔湾曲といった医学的な問題であり、口を塞ぐだけで解決するほど単純ではありません。にもかかわらず、この手の商品は根本的な改善ではなく、症状を力技で押さえ込むことを推奨し、利用者の健康リスクは二の次という姿勢が透けて見えます。
さらに疑問なのは、商品ページにある「睡眠のプロ監修・福光佳奈子先生」という文言です。一見、専門家による信頼性が担保されているように見えますが、よく調べると医師ではないようです。「先生」という肩書きだけで権威を演出し、あたかも医療的な裏付けがあるかのように装っているのは悪質と言わざるを得ません。睡眠の質や健康に関わるデリケートな問題を、安易な商品で解決しようとする前に、まずは専門の医療機関で根本的な原因を探るべきです。
結局のところ、この商品は一時的な対症療法にもならず、かえって健康を損なうリスクがあると実感しました。真剣にいびきを解消したい方には、決しておすすめできません。
飯行く価値ないおっさんに飯誘われてる女は、そのおっさんにあるものがランク下に見られてる。
見た目とか年齢とか衣服装飾の類じゃない。
誘われ女の周りにいる男のランクが、おっさんから見て下っぽいからおっさんは誘ってくる。
当該女の周りの男はへぼいから連れていかないだろう、周りの男より俺はすごいんだぜ、飯行こうや、飯行ったら周りのヘボ男に比べて俺のすごさわかるだろ、話もおもしろいだろ。
この手合いがいるので、当該女たちは男で武装してください。
浮気常習のしょうもない男だけど見た目アルファオスで柔道何段だか忘れたけど180cm90キロの柔道強くてヨット乗せてくれる父親と、某会社社長子息のニートの元彼氏はその肩書きや見た目やプロフィールで20代の私を守ってくれました。
そもそもおっさんに誘われることなんてまーもー滅多になかったけど、
誘われたら、お父さんよりすごい人としかご飯行かないんですーつってぶりっこして、またまたーどんな人?って聞いてくるからタンクトップ日焼けマッチョがヨット乗ってる写真見せて、〇〇さんのお船は何フィート?って言うんですよ。お父さんのお船よりおっきかったら行きますとか言って断った。
レストランを肴に誘われた時はどんな店でも彼氏と行きましたって言ってた。かれぴっぴが社長子息で、めちゃくちゃコネがあっていってきましたって言ってた。
愛嬌たっぷりにお父さん好きな娘ちゃん、いいとこのぼんぼんの彼氏いるアタシ、をやれば終わる。
浮気常習で母親はじめ私も姉妹も泣かされまくってるクソ親父を好きなふりするのはおえーだったけどまじで使えたし、ニートの彼氏はまじでニート極めたから別れたし時間の無駄だったからおえーなんだけどほんとに使えた。
いまならチャッピーに設定作ってもらえばいいんですよ。
男をやり込めるには男をぶつけるしかないんすよ。
もちろん、そうじゃない下心ワンチャンおっさんもいると思う。ちょっと下ネタ匂わすようなやつ。
これは友達の技だけど、このラインを彼氏が見て怒られちゃって、、、とか、このライン父が見て怒ってます、、、このLINEうっかり職場で開いたら上席が心配してて、、、みたいな、LINEフルオープン箱入り娘ちゃんキャラになるとええですよ。
心配かけたくないので、この人とあの人も誘うんでどうですか?みたいに、すっとぼければいいんですよ。即グルチャに変えて。個別LINEフルシカト。
角が立たないように断る女の手間をファミは嘆くかもしれないけど、悩む時間もったいないじゃん。
そもそもおじが誘うなっていうのはまじでわかるけど男の中にはへっぽこ前頭葉のやつがいて、止められないし、自身をメタ認知できる知能の男の数なんてミュウツーのごたる、なのよ。
家づくりを考えてる人なら、Instagramで「家づくりヒーロー」ってアカウントを見たことあるかもしれない。元セキスイハイムの営業マンで、「優秀な営業マンを紹介します」と言って、住宅相談に乗ってくれるらしい。
でも、あるインスタライブでの発言を聞いて、完全に信用失った。
「セキスイハイムは外観がダサいから、立面図をお客さんに見せなかった。上棟の日に『ヒーローさん、うちの屋根ってこんな形なんですね』って言われた(笑)」
いやいや、笑ってる場合か。
施主にとって家の外観ってめちゃくちゃ大事でしょ?
それを「ダサいから見せない」とか、もはや詐欺まがいじゃないの?
しかもこの発言、YouTubeにもアップされてたけど、批判コメントがついた途端に該当シーンを削除して再アップしてた。本人も「やばい」と思ったんだろうけど、そんなの火消しにしか見えない。
「優秀な営業マンを紹介します」って言ってるけど、結局は紹介料ビジネスでしょ?
施主の利益なんてどうでもよくて、契約させて紹介料もらえればOKっていう構造。
実際に「紹介された営業マンが微妙だった」って声もあるし、営業マンの質なんてブラックボックス。
しかもその元営業マンが、過去に施主を軽視したエピソードを笑い話として語ってるって、もう終わってる。
家づくりって、人生で一番高い買い物なのに、こんな“元営業マン系インフルエンサー”が「ヒーロー」面してるの、マジで危険だと思う。
SNSのフォロワー数とか「元◯◯」って肩書きに騙されないでほしい。
追記:この増田がホッテントリに入った直後にはてなのサーバがダウンしたようだ。理由はわからないが、、、。
昔、輸入業者をやっていた。本社は東京、商材は雑多だったが、中東案件は特に多かった。市場調査もかねてカタール、サウジ、イスラエル、ヨルダンと出張を繰り返した時期がある。
だが、ある日、違和感を覚えた。現地で何度も顔を合わせる「偶然の知り合い」が出てきた。イスラエル絡みの商談会で、必ず現れるスーツ姿の「ビジネスマン」。名刺も交換したが、会社の登記データベースを見てもヒットしない。肩書きも業種もあいまいで、会話も当たり障りなく、本人は妙にこっちの動きを気にしていた。どのレストランに入っても、数分後には彼がいた。ホテルのロビー、空港ラウンジ、なぜか同じ便。
こっちはビジネスで動いているだけだが、イスラエルは輸出入品や人的流動の管理が異常に厳しい。何度も出入りしてるとパスポートにびっしりと記録がつく。「今回は何の目的?」と入国カウンターでしつこく聞かれ、営業先に「事前に情報が回ってる気がする」こともあった。おかしいなと思ってたら、例の「ビジネスマン」が近づいてきた。コーヒーを奢ってくれた。会話はごく普通なのだが、途中途中で「日本から他のバイヤーは来ていないのか」「どんなルートで製品を動かしているのか」みたいな具体的な質問が混ざる。返事をすると、わざとらしく「そうか、なるほど。ところで…」と別の話題に切り替える。完全に情報収集の型だった。
明言はしないが、滲み出る「ただの商社マンではない感」。視線、質問の角度、油断すると設定してあるマイクで何かを録られそうだと直感が働く。イスタンブールの展示会でもまた彼。ドバイの空港でもまた彼。もはや「追われてる」としか思えない頻度だった。
一番怖かったのはホテルの部屋が勝手に掃除されて何も盗まれていなかった日だ。そんなことはザラにある国だが、念のため現地の日本大使館に相談したら、「きみの旅程は特定国でマークされてる可能性が高い」とやんわり言われた。
結局、大事にはならなかった。荷物検査で「たまたま持ち物が徹底的に洗われる」「検問所で足止めされる」ということは何度もあったが、「私はただの中小企業の輸入業者です」を貫けば日常が続いた。しかし、後になって冷静に考えると、あれはたぶんモサドだったんじゃないかと思う。現地の情報ネットワークは抜け目がないし、怪しい相手には「友好的な皮を被った圧力」をかけてくる。日本人の中東ビジネスは、思ったよりはるかに“見られている”環境だったことを、骨身に染みて理解した。
まあ、普通に働いている分には表沙汰にならないし、今はもう何の接点もない。ただ、あの定期的に出くわしていた「ビジネスマン」の視線は、今でもふいに思い出して少しだけ背筋が冷たくなる。
Permalink |記事への反応(17) | 11:50
・自分の非を認めない。
・他人の成果を素直に称賛できない。
・部下や後輩の意見を聞かない。
・失敗を隠すことに労力を使う。
・自分より若い、あるいは経験の浅い人間に抜かれると露骨に不機嫌になる。
本人が無能というより、無能を増幅させる思考回路を自分で作り上げている。だから周りからすると扱いづらいし、何よりも迷惑。
たとえば俺の前職にいたAさん。
四十代半ば、肩書きは主任。年数だけは長くいるのでそれなりに社内での影響力はあるが、仕事の実力は正直平社員以下だった。
何か指摘すれば必ず「いや、俺はこういう意図でやってるから」と反論する。
実際には意図なんて後付けで、単に凡ミスを取り繕っているだけなのにそれを本人は正当化だと思っている。
プライドが高い人間は自分の間違いを認めることを負けだと考える。
その瞬間に自分の価値が下がるとでも思っているのだろう。でも現実には間違いを素直に認めて修正するほうがよほど信頼を得られる。Aさんはそれが理解できていなかった。
チーム全員が土日を返上して対応するなか、Aさんは「俺の設計はもう完璧だから」と言って対応しなかった。
結果Aさんの担当部分で致命的な不具合が出て、最終的に俺たちが火消しに回る羽目になった。本人は最後まで「これは元々仕様が悪い」と言い張っていた。
外部要因や他人のせいにして自分の正しさを守ろうとする。だがそれをやればやるほど周りの信頼は失われる。
気づいたときには孤立しているのに、本人は「俺は正しいのに、周りが理解できない」と逆ギレする。滑稽だが現場にとっては地獄だ。
さらに厄介なのは、プライドの高さを自分のアイデンティティみたいに考えている点だ。
Aさんにとっては「自分は優秀だ」という思い込みが存在証明になっていた。
だからその幻想を壊すような言葉はたとえ善意のアドバイスでもすべてが攻撃として捉えられる。
結果として誰ももうAさんに何も言わなくなった。会議では形だけ座っていて、実際には何の決定権も持たない。本人だけが俺はまだ必要とされていると信じている。
後輩は萎縮し、上司は余計な説得の時間を取られる。チームの生産性は下がりストレスは増える。Aさんひとりのためにみんなが疲弊していた。
本人が何か価値を生んでいるわけではない。むしろ周囲の労力を奪い、進捗を遅らせる。存在するだけで赤字なのに、本人だけが自分の存在は黒字だと信じて疑わない。
こういう人間はどこにでもいる。
社会人をやっていれば一度は出会うだろう。だが困ったことに本人は自分のプライドを誇りだと思っているから、改善の余地がない。
外部からどれだけ指摘しても無駄だ。むしろ「俺のプライドを傷つけやがった」と逆恨みされるリスクのほうが高い。
じゃあ、どうすればいいか。
答えは簡単で関わらないこと。
仕事上で必要最低限のやりとりだけして、それ以上は踏み込まない。
説得しようとか、教育しようとか、そんなことを考えるだけ無駄だ。
Aさんと過ごした日々から、俺はそれを学んだ。
本人の能力がゼロでも、素直に人の意見を聞ける人間ならまだ成長の余地がある。
だがプライドが邪魔をしてそれを完全に塞いでしまっている人間は永遠に変わらない。
そしてそれは周りにとっても本人にとっても不幸なことである。
昨日「マツコの知らない世界」で“顔の世界”という特集をやっていて、興味津々で見ました。
テーマ自体は面白かったんですが、正直ちょっと引っかかったのが「顔から性格を決めることを心理学として扱っていた点」です。
いわゆる相貌心理学って科学的には立証されていない類と認識してました。
そもそも顔って遺伝の要素が強いので、顔の特徴を外見的に判断する場合、
個人的な経験則で「そう感じる」という範囲ならアリだと思いますが、大手メディアが学問的にやや決めつけで伝えてしまうのはちょっと危ういなと。
実際、日本ではB型の人が所得や婚姻率の低下に相関関係が表れている事が最近話題になり、思い込みやバイアスが現実に影響してしまう可能性があります。(今後、検証されるかとしれません)
欧米では血液型占いなんて一般的じゃないので国際比較が出れば面白いなと思います。
もちろん「顔や表情が印象に影響する」というのは科学的に立証されています。
ただ、受け手の「印象を受ける」と本人の「性格を特定する」はまったく別物です。
他人の第一印象と性格が違ったという事は実感としてあると思います。
最初、怖そうと思ったけど、案外優しかった。人見知りな人かと思ったけど、実はムードメーカーだったなどなど。
ですか内面の性格まで読み取る事は当たり前ですが、できません。
心理学の研究って、本来は仮説を立てて大量のデータを集めて妥当性と信頼性を細かく検証していく地道な作業なんです。
心理学的に性格傾向(あくまで傾向)を調べる際も、「外交的か内向的か」を調べる場合なら、「賑やかな場所が好きか?」、「人前で話すのは苦にならないか?」といった、性格の方向性に関わる事や性格特徴に起因する行動パターンが使われます。つまり、全然関係なさそうな質問から勝手に性格を決めつけるわけじゃなく、根拠を積み上げながら分析している訳です。
また、本人の内側の声を表出させているとも言えます。
また、人は場面によって外交的になったり内向的になったりもしますし、二面性もあります。それだけ質問内容や研究手法も増えていきます。そんな単純に「顔=性格」って図式には当てはまらないと思うんです。
欧州で顔診断、
もしも間違った心理学が広まると偏見を助長してしまい、誰かが傷つくことにもつながります。顔によって「秘密主義だ」とか「理想主義だ」とか勝手に決められる社会になってほしくない、そう思いました。
寛容性、順応性を表す
輪郭が大きい
口角があがる
肉付きの張り
モチベーションの高さ
目頭がくっきりしている
外部情報をしっかり精査する
正面から耳が見える
独立心、旺盛さが強い
目のくぼみ
鼻の穴
鼻の穴が見えない
本心を語らない
鼻筋が太い
広く愛されたい
鼻筋が深い
深く愛されたい
補足
番組に出ていた方の肩書き「教授資格」もちょっと気になります。日本で「教授」というのは学校教育法で定められた大学における職位ですし、教授資格ってなんだろう。誰か教えてください。
映画評論家の街島は、自分の過去の随筆が自分の運命を狂わせることになるとは想像もしなかった。
「原作どおりの映画化は無意味だ。物語は新しいかたちで蘇らせてこそ価値がある」
その言葉を、後に漫画家として大成する少年の心に深く心に刻まれてしまった。
少年が描いた漫画が社会現象となった頃、街島の家のインターホンが鳴った。
雨に濡れた青年が立っていた。瞳は熱に浮かされているかのように赤く光り、震える声で名乗った。
青年となった少年が描いた漫画が映画化される、そしてその映画化の脚本を、街島に「書いてもらう」ためにやって来たのだ。
私は脚本家ではないと断れば帰ると思った。だが違った。
青年は帰らなかった。四度も訪ねてきた。しかも回を重ねるごとに、背後に連れてくる者の肩書きが重くなっていった。編集者から、幹部、ついには出版社の社長までも。青年はいう「街島さんに脚本を書いてもらえないのなら、この映画化はなかったことにします」社長までが現れたのはその映画化の商業的意義の大きさを表していた。この映画化は失敗できない。
街島は徐々に理解した。これは依頼ではない。選択肢のない愛の告白だと。
街島はそのプレッシャーで脚本を書かざるを得なかった。失敗できない。脚本で冒険はできないだろう。街島は原作に沿った無難な脚本を書いた。おれは評論家なのにと理不尽さを覚えながら。
「これは……原作どおりじゃないですか。街島先生、忘れたんですか? あなた自身が昔、そう書いていたじゃないですか」
街島は背筋が冷えた。
青年は自分の過去の言葉を、まるで聖典の一節のように暗唱していた。
拒絶すればどうなる?
彼は口癖のように言った。
「もし先生が脚本を完成ささないのであれば、僕はすべてを捨て去ります。映画化はもちろん作品も、原稿も、全部」
その瞳は、失うことを恐れていない瞳だった。むしろ、失うことで二人だけの世界が完成するかのように。
観客の誰もが言葉を失う。原作とはかけ離れた映像。知っているはずの登場人物たちは、スクリーンに存在しなかった。
だが一人だけ、静寂を破る声があった。
青年の笑い声。
「ほら、やっぱり……あなたに決めてよかった」
街島はその笑いを聞きながら、ふと悟った。
この映画は青年にとって観客に見せるものではない。街島に捧げる私的なラブレターなのだと。
公開後、街島は批判を浴びた。「原作殺しだ」「改変が過ぎる」「こんな駄作は見たことがない」
評論家であるはずなのに、その映画は街島の人生に死ぬまで残るスティグマとなってしまったのだ。
「街島先生は僕アイドルなんです。ジャンにも似ているし、他のキャラにも成分が入っている。僕にとって、街島先生は……物語そのものなんです」
街島はぞっとした。
それは愛の言葉に似ていたが、逃げ場のない檻のようでもあった。
かつて街島が一枚の紙に書いた、評論。
その一節が、青年の中で燃え広がり、やがて町島自身を物語の登場人物に変えてしまったのだ。
扉の向こうから、あの声がする。
「街島先生。次はジャンを主人公にしてください。……あなたならできる」
京都のビジネスホテルにある松屋は、日本庭園が見える席があることで知られていた。
この店はホテルユニゾ京都烏丸御池と同時に2020年12月17日にオープンし、一部の席から庭園が見える構造だったため、「おそらく日本で一番雅な松屋」として注目された。
しかし、近隣に住む私は庭園の存在を特に意識することはなかった。自炊が苦手な私にとって、この店は日々の食事をまかなうための場所であった。開店以来、毎日のように利用し、常にプラチナ会員を維持していた。
ホテルが2024年8月に一時休業し、11月にフォーポイントフレックスbyシェラトンとして再開した後も、松屋は営業を続けていた。
ホテルが休業期間中も営業してくれたことは利用者として非常に助けになった。また、海外ブランドのホテルに変わっても松屋が撤退しなかったことに安堵した。
今回の閉店は突然の出来事だった。
「店内清掃のため店を閉めます」という内容の張り紙が、少し前から松屋の入口に貼られていた。
8月30日以降、松弁ネットに店が表示されなくなっても、本格的な清掃か改装だと推測していた。
しかし、9月に入っても営業が再開されないため、検索したところ、8月29日付の京都新聞デジタルに「京都市中京区の『日本一みやび』?な牛丼店『松屋』が閉店」という記事を見つけた。
なんとなく抱いていた嫌な予感は的中し、閉店の事実を知った。最近の店員がアルバイトではなく肩書きのある社員ばかりになっていたことも、今思えば閉店に備え補充がなかったことを示唆している。
ホテル側のじゃらんのサイトにも「レストラン『松屋』営業終了のお知らせ」という記事があり、ホテル側は閉店日を知っていたにもかかわらず朝食予約を受け付けていた。このことから、松屋側は閉店日時を過ぎるまで事実を秘匿したかったと考えられる。
松屋ヘビーユーザーとして大量のポイントを貯めていた私としては、閉店までにポイントを使い切りたかった。四条河原町まで足を伸ばせば松屋はあるが、通勤路や近所にはないため、わざわざ行くのは面倒だ。
ごろチキやうまトマやシュクメルリはもちろんのこと、松屋の期間限定メニューを食べ逃したことは一度もなく、直近のコムタム風ポークライスも気に入っていたが、怠惰な私はコンビニ弁当生活に逆戻りすることになるだろう。
松屋広報によると閉店理由は「賃貸契約の終了」だという。利用者の感覚からすると、松屋側が契約更新を望まなかったというより、ホテル側が契約更新を拒絶したか、もともと追い出す意向があったと推測される。
ホテルユニゾ京都烏丸御池が開業した当初よりインバウンドが増加しており、朝食時に周りが外国人だらけという状況は頻繁に発生していた。しかし、外国人には松屋の食事が口に合わないようで、返却口の食器には大量の食べ残しが見られた。
洋風朝食も用意されていたが、食べかけのパンやソーセージが残されているのが目についた。
ホテルの運営が海外資本に変われば、このような状況を放置しないだろうという予想はできたため、今回の松屋の撤退にはある程度の納得感がある。
当然、後には別のレストランが入るのだろうが、地元住民が日常的に利用するような店にはならないだろう。残念だが、やむを得ない。