Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「肩書き」を含む日記RSS

はてなキーワード:肩書きとは

次の25件>

2025-10-21

コードを読めないプロCxOたち

APIを書き、CIを回し、バグを踏み、直し、また壊す。

そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。

──CIO、CTOCDOCISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。

PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。

1.コードを読めないプロCxOたち

うちのCxOはこう言った。

AIクラウド活用して競争力を高めたい」

翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーサービスの?」と返された。

その瞬間、何かが切れた。

──ケーキではない。

CxOたちはコードを読めない。

それ自体は罪ではない。

だが、読もうとしないことは怠慢だ。

経営層は「現場に任せている」と言う。

だがそれは委任ではなく放棄だ。

責任ある意思決定者が構造理解しないまま判断することは、

現場を信頼している”という名の無関心である

2. 「経営層はコードを読む必要はない」という言い訳

よく聞く反論がある。

経営層はコードを読む必要はない。経営判断こそが役割だ。」

かにそうだ。

ただし前提が抜けている。

経営判断とは、構造理解した上で行う選択のことだ。

構造理解せずに選択するのは、“判断”ではなく“賭け”だ。

まりコードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である

その区別がつかない時点で、DXを語る資格はない。

技術的なことは詳しくないが、成果は出している」

それはたまたまだ。

成果が出たという事実は、理解が正しかった証拠にはならない。

1回の成功は偶然でも、構造理解の欠如は必ず再現する。

3.PMたちの同調負債を増やす

PMたちはCxOの拡声器になりがちだ。

「上が言ってるから」「今期の方針から」「スピード優先で」。

その瞬間、技術判断政治的判断に変わる。

Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーけが毎日更新される。

技術負債意味を知らないまま「負債を減らせ」と言う。

借金の仕組みを知らない人間財務を回しているようなものだ。

リソースが限られているから仕方ない」

これもよく聞く言い訳だ。

しかし、リソースが限られているならなおさら理解の精度が重要になる。

「考える時間がない」と言う人に、考える力がある例はない。

4.技術理解しない意思決定帰結

僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。

キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。

半年後、アクセススパイクAPIが落ちた。

CxOたちは言った。

「想定してなかったのか?」

──想定してた。

ただ、あなたたちが理解しようとしなかっただけだ。

現場説明が難しい」と言う人がいる。

だが、理解できないのは説明問題ではなく、聞く姿勢問題だ。

理解する努力をしない経営層に、理解される説明存在しない。

CxOたちは「モノリスからマイクロサービスへ」と言うけど、

組織モノリスのままだ。

責任分散せず、報告だけがマイクロ化している。

そして障害対応現場に丸投げ。

Slackの“#incident”チャンネルけが、いつも一番アクティブだ。

5. 切れるのはコストだけ

CxOたちは「コストを切れ」と言う。

工数を減らせ、サーバを減らせ、障害をなくせ。

切れるのはコストだけ。

品質は切らない──なんて言葉、誰も言わない。

現場経営目線がない」と言う人もいる。

だが本当に経営目線を持つなら、

技術リスク経営リスクとして扱うはずだ。

理解しないことが最大のコストだと気づかない限り、

彼らの「経営目線」はただのスローガンだ。

削ったコストの穴埋めに、技術負債の利息を支払うのは現場だ。

リファクタリングは「次のスプリントで」。

セキュリティ対応は「リリース後に検討」。

Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントけが動くレガシーになる。

6. 「DX」という呪文の下で

CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。

だが変わっているのは、スローガンフォント会議資料の配色だけだ。

クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式しかない。

「我々は経営視点で見ている。現場とは違う軸だ」

──違う軸を持つのは構わない。

だが、座標を理解していなければ軸は存在しない。

現場理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。

どこかに向かってはいるが、それがどこなのか誰も知らない

7. 「ノーコードでいい」という幻想

最近では、CxOたちの間で新しい呪文流行している。

コードなんて書かなくていい。これからはノーコード時代だ。」

かに、ノーコード/ローコードは優れたツールだ。

反復作業効率化や、ビジネス部門自律化には意味がある。

だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コード抽象度を上げる”技術だ。

ノーコードは、コードを隠す。

だが、隠したコードが消えるわけではない。

ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。

それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。

「ノーコードでいい」と言うCxOは、

物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。

かに飛ぶ。だが、落ちたとき理由説明できない。

理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である

ツールコード隠蔽してくれる世界では、

理解しようとする努力さらに失われる。

そして、理解がないまま作られた自動化は、

人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。

DXとは、ツールを導入することではない。

ツールの背後にある構造理解する文化を持つことだ。

それを理解しない限り、

ノーコードで作るのは「システム」ではなく、次のレガシーだ。

8.結論ケーキではなくコードを切れ〜

CxOたちは、ケーキを切れない非行少年たちのように、

現実構造理解できずに「甘い理想」を切り分けようとする。

だが今の時代、切るべきはケーキじゃない。

理解しないことだ。

理解しないまま意思決定をすることは、

免許運転するようなものだ。

現場はずっとブレーキを踏み続けている。

それでも上層部は「もっとスピードを」と言う。

そして事故が起きたとき

真っ先に切られるのは、

──コストだけ。

最後

CxOたちは「未来を見ている」と言う。

だが、コードを読まない者に未来は読めない。

未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。

経営とは、方針を語ることではなく、構造理解して責任を取ること。

そして最後に、コミットログの一行が残る。

fix:typo in code

Permalink |記事への反応(2) | 16:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

会長はただの肩書きから政治家応援運動ガンガンしても問題ありませーん

議員に頼んで刑事告訴しまーす

公明党がんばれ~

公明党はごんだったのか

給料は2400万貰ってまーす

公金は18億9千万貰ってま~~す


・・・・すごい人間だなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 01:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-13

[人生はスプリント競技]

良い女を千人抱いたヤリチン

外コン外銀フルコミ保険営業で稼いだ金持ち

一流俳優

総理大臣

オリンピック選手

ケイ美容外科医も

ケイ弁護士

最後最後臨床医に頭を下げて助けてもらう

内科医とか消化器外科医とか呼吸器外科医のようなメジャー科の臨床医に頭を下げて縋る

この世は学歴肩書きが全てで

どんな人間最後最後に縋るメジャー診療医は学歴肩書き尊厳を全て持ち合わせたこの世のカースト頂点

それになれなかった時点で俺の人生は終わり

Permalink |記事への反応(0) | 01:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-12

朗報三上悠亜さん、アンバサダー就任!みんなで応援しよう!

ウェディングドレスの件でツイフェミ職業差別を受けた三上悠亜さん。想像を絶する苦しみを経験した彼女は、今も元AV女優肩書きを隠すことなく堂々活動している。

そんな彼女が、新しくパパ活アプリアンバサダー就任した。
Apple審査も通った、まごうことな健全アプリだ。
https://x.com/yua_mikami/status/1974043992342851728

世間ではパパ活に対する風当たりが強いのは周知の事実。そんな彼女パパ活イメージ向上のため、パパ活女子に対する職業差別抗うため、アンバサダー就任してくれたのだ。

嫉妬にまみれたツイフェミ発狂するだろうが、我々は全力でこれを応援しよう。
残念ながら男の俺はわけあって登録することができない。だが、周辺にいる女友達にこのアプリのことを伝えようと思う。

みんなも親や兄妹、友達などにこのアプリを伝えてくれ!

Permalink |記事への反応(0) | 17:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-10

訳アリの子就職指導をしていた


かつて公立高校教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。

なお、この日記身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。

これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。

いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。

3部制を採用していて、午前・日中夕方以降の3つのから自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通高校生のように3年で卒業する。

制服私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンク青髪学校に通う子もいる。

ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。

真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。

当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。

だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業部活動趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である



今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念ひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。

そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。

一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。

最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。

赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。

さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣ノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。

夜間部教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。

赴任してから次の年度、就職指導担当することになった。人生経験である。私は民間企業で被服の営業仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。

通信教育高校教諭の免状を取った

これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。

此処では、むろん一筋縄はいかない。

履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。

そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから

私は履歴書を読み直す度に、「君の経験無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。

私は教師から、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。



秋のある日。就職関係イベントがあった。「○○圏域 企業学校交流会」みたいな名称だった。これは、企業学校大学専門学校高等学校専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。

企業から採用担当者が、学校から就職支援担当者が出席する。参加団体企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域学校という学校はほぼすべて出席していた。

ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。

たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。

そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手企業に伝えるのだ。

企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。

そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。

例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。

から企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。

そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣こちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。

半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。

「○○さんは、福山代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」

そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。



それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元専門学校地元民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。

その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。

ケンタは、数学情報処理の成績が抜群だった。数学問題でも、いつの間にか自分勝手アレンジして、勝手問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。

それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。

ケンタ中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。

大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。

私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。

私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置会社である半導体以外にも、ディスプレイ機械制御装置も手がけていた。

当時はローカル企業だったが、それでも市内で知名度はあった。

ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。

「お前はできる。この会社理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」

と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的知名度のある企業にまで成長している。

強引に進めるしかないと思った。何しろケンタ卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。

そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。

面接練習ときケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。

けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。

大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫

AtCoderで最高位に近い色だった

私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書き学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長言葉に耳を傾けてくれたんだって



約一か月後、職場電話がかかってきた。あの会社採用担当からだった。胸がざわついた。

以下、話の内容である言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。

「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」

「なぜですか?」

プログラミングスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」

 ※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた

「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」

「それは、偏見ではないのですか?」

言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。

「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」

電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。

あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去レッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。

だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。

採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。

採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。

そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。

しろ偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。

ケンタ不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。

「そうですよね~僕みたいなのが、あん会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。

「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。



ここまでがポジティブ学園での思い出であるそれからケンタは、遠方にあるコンピューター専門学校に進学した。私が様々な方向性提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。

ケンタ高校卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。

やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。

ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。

「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。

要約すると、専門学校就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。

「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」

メールを読みながら、涙が止まらなかった。

専門学校で、僕はプログラミングスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店アルバイトしました。おかげで、あの時よりも、面接自分言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」

キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。

私はあの時、半導体会社偏見判断した。ポジティブ学園の子から、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。

でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。



ここで結びにする。

あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは過去物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。

私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。

自分応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。

今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識技術を教える仕事である

これからも、誰かの未来応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。

Permalink |記事への反応(2) | 20:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251006183941

これを読んで悟った、弱者男性はただの甘え救う価値なんてない

増田記事を読んで、マジで悟った。

──弱者男性って、ただの甘ったれだわ。

社会が悪い」「女が冷たい」「俺は悪くない」。

この三点セットを何年唱え続けるつもり?

弱者男性ってさ、反省よりも言い訳の方が早いんだよ。

努力は“できない”んじゃなくて、“したくない”だけ。

口では「真面目に生きてる」とか言うけど、

現実逃避の方向が真面目なだけ。

自分の無力を直視せず、ネットで「俺たちは被害者」って言い合ってる。

見てて吐き気がする。

救っても腐るだけ。努力しないやつは救済に耐えられない

弱者男性を救おう」って言う人いるけど、あれマジで無駄

救っても感謝しない。むしろ恨む。

「お前には分からない」「お前は強者だ」って逆ギレする。

そもそも救済って、努力する人間しか効かないんだよ。

努力拒否した時点で、もう終わり。

腐ったリンゴを磨いてもリンゴジュースにはならん。

救うだけ無駄

情けをかけた瞬間、こっちまで腐る。

弱者男性は「自分の弱さでマウント取る」異常者

あいつらの特徴、ひとことで言うと“弱さで支配する人間”。

「俺は傷ついた」「社会に見捨てられた」って言葉を盾にして、他人に優しさを強要する。

同情を餌に他人コントロールしようとする。

それってもう、暴力なんだよ。

同情でしか他人と繋がれない人間は、もう壊れてる。

放置でいい。

社会ノイズノイズのままでいい。

俺はもう「弱者男性」をやめる

俺も34歳で年収700万の高齢貧困弱者男性だった。

努力しても報われない」って言い訳してた。

でも今思えば、あれ全部“怠けるための理屈”だった。

弱者男性」という肩書きは、努力から逃げる免罪符だったんだよ。

から今日でやめる。

弱者って言葉に守られてる時点で、もう負けてた。

俺はもう、あのぬるま湯から出る。

寒くても、現実を歩く。

結論弱者男性は救うな。放置しろ

救う価値なんて、ない。

同情もいらない。

彼らが変わるのは、誰も構わなくなった時だけ。

優しさは毒になる。

突き放すことこそ、唯一の愛だ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-07

年初から資産が2倍以上になって、気づけば「億り人」になっていた。

とはいえ最近個人投資家界隈では億り人なんてペーペー扱いらしい。

それでも、普通に仕事しながらちょっと株をかじってる程度の身としては、十分なマイルストーンだ。

ただ、浮かれてもいられない。これから、どうなるかは誰にもわからない。

株式市場相場次第で、元の水準に逆戻りする可能だって全然ある。

億り人という肩書きも、いつまで持つかは自分の手腕と運次第だろう。

浮かれずに淡々取引を続けていくしかない。

Permalink |記事への反応(2) | 19:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

子どもを産んではいけない人

反出生主義ではない。

しろ子どもを望む人が幸せに育てられる社会であってほしいと願っている。

それでも、「この人だけは子どもを持ったらまずいだろう」と思ってしまう人が、現実にいる。

彼女は若くしてできちゃった結婚をした。

夫のDV離婚し、PTSD鬱病発症

まれたばかりの娘を実家に預け、一人暮らしを始めた。

その後、当事者会で出会った男性交際し、再婚

娘を引き取ったが、環境の変化で娘が情緒不安定になると

発達障害では?」と疑い、診断がつかないと「グレー」と決めつけて嫌悪

苛立ちを娘にぶつけ、不倫をし、再び娘を実家に預ける。

そして離婚

新しい恋人同棲し、「理性があるから子どもは作らない」と言いながら

ピルをやめることに癇癪を起こす。

勤怠不良で退職し、「クビにされた」と周囲に吹聴。

生活に困って再婚実家と絶縁。

それでも「毒親育ちだから絶縁した」とSNS宣言

そして数か月後、

「仲良し新婚夫婦タイミング法で妊活中」

→ まもなく妊娠報告。

……え?妊活、するの?

どんな境遇の人でも、親になる自由はある。

でも、自由の裏には責任があるはずだ。

彼女のように、自分の傷を癒せていないまま、

誰かを“育てる側”に回ってしまうと、

不幸が連鎖していくのを何度も見てきた。

子どもを持たないほうがいい」という言葉は、差別のように聞こえるかもしれない。

けれど、誰かを守れない状態のまま“母親”になることは、

本人にも、子どもにも、地獄を見せることになる。

資格勉強を始めては飽き、

自己啓発に走っては壊れ、

SNSで「HSPです」「毒親育ちです」と肩書きを並べる。

本当は、そうやって自分を保とうとしているのかもしれない。

でも、子どもにとっては「それでもお母さん」でしかない。

誰かを責めたいわけではない。

ただ、こういう連鎖を止める仕組みが、今の日本にはなさすぎると思う。

支援が途切れた人が親になっても、

助けを求める場所がないまま、また次の犠牲が出てしまう。

子どもを持たないほうがいい」と思ってしま気持ちは、

冷たさじゃなく、

“もう誰もこれ以上傷ついてほしくない”という願いでもある。

Permalink |記事への反応(1) | 13:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-06

anond:20251006195447

お前みたいな部下・肩書き無し中年と違って官僚は付いてるけどな

Permalink |記事への反応(0) | 19:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-04

初恋幼稚園の時だった。

近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。

小学生になって、次はリレーアンカー男の子運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前ノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。

中学。ここから空気密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭勝手に合焦してしまう。

部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホーム電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。

これって変なのかな。おかしいのかな。

教室で友だちが恋ばなをして、クラス男子名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)

放課後公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。

図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中カウンター職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)

冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)

高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。

私は自分に問う。私はレズビアンなの?

答えは出ない。

からない。

レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。

だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。

中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会たから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)

そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。

もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。

ベル必要な時もある。

肩書きが盾になる日もある。

けれど、その盾で自分を殴らないで。

価値観ラベリングあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。

私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンしかない」わけではない、と言いたい。

たまたま好きになった相手が同性だった。

その事実が私の中で何よりも具体的な現実だ。

あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココアホーム電光掲示板。未送信メッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのとき感情機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。

Permalink |記事への反応(2) | 13:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-03

初恋幼稚園の時だった。

近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。

小学生になって、次はリレーアンカー男の子運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前ノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。

中学。ここから空気密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭勝手に合焦してしまう。

部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホーム電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。

これって変なのかな。おかしいのかな。

教室で友だちが恋ばなをして、クラス男子名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)

放課後公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。

図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中カウンター職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)

冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)

高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。

私は自分に問う。私はレズビアンなの?

答えは出ない。

からない。

レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。

だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。

中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会たから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)

そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。

もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。

ベル必要な時もある。

肩書きが盾になる日もある。

けれど、その盾で自分を殴らないで。

価値観ラベリングあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。

私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンしかない」わけではない、と言いたい。

たまたま好きになった相手が同性だった。

その事実が私の中で何よりも具体的な現実だ。

あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココアホーム電光掲示板。未送信メッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのとき感情機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。

Permalink |記事への反応(1) | 22:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-29

https://amzn.asia/d/8gV7bUM

yumegocochiLABOの商品レビューが、何度投稿しても消されてしまうので、ここに書く。

---

いびき解消を目的に購入しましたが、結論から言えば、使って後悔していますそもそも鼻呼吸ができないから仕方なく口呼吸をしているわけで、根本的な原因を無視して口をテープで塞げば解決する、という発想自体乱暴すぎます案の定、この商品を使い始めてから睡眠の質は著しく低下し、翌朝は喉がカラカラに乾き、疲労感が抜けなくなりました。免疫力も落ちたのか、風邪のような症状が続き、最終的には使用を断念しました。

そもそも口呼吸は万病のもと」といった恐怖を煽るのは、商売っ気の強い歯科医企業ばかりです。本来口呼吸の原因は鼻詰まりアレルギー鼻中隔湾曲といった医学的な問題であり、口を塞ぐだけで解決するほど単純ではありません。にもかかわらず、この手の商品根本的な改善ではなく、症状を力技で押さえ込むことを推奨し、利用者健康リスク二の次という姿勢が透けて見えます

さらに疑問なのは商品ページにある「睡眠プロ監修・福光佳奈子先生」という文言です。一見専門家による信頼性担保されているように見えますが、よく調べると医師ではないようです。「先生」という肩書きだけで権威演出し、あたか医療的な裏付けがあるかのように装っているのは悪質と言わざるを得ません。睡眠の質や健康に関わるデリケート問題を、安易商品解決しようとする前に、まずは専門の医療機関で根本的な原因を探るべきです。

結局のところ、この商品一時的対症療法にもならず、かえって健康を損なうリスクがあると実感しました。真剣いびきを解消したい方には、決しておすすめできません。

Permalink |記事への反応(1) | 17:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-25

人間は愚かさゆえに富を求め、富で賢さを得て、賢さゆえに富を手放す」とかい至言

 お金に限った話でなく、人生の場面で異性との交友や、職場での地位など様々な形態の富を得られたときに、そこから一定期間が過ぎると、この言葉に深く共感する。

 美しい女性との交際を続けて結婚が迫った時、美しさが自分精神的に豊かにするものでないと分かり、職場肩書きが立派になったとき自分が本当にやりたい仕事解像度高く述べられるようになる。

 人生の早い段階でそれに気づける人は豊かな人生を送ることができる。案外、教育価値は、自分が何に価値を感じるのか、在りたい姿はどういったものかを気づかせることにあるかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 21:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-24

誘われて嫌なタイプおっさんはあるランクが下の女しか飯誘わん

飯行く価値ないおっさんに飯誘われてる女は、そのおっさんにあるものランク下に見られてる。

見た目とか年齢とか衣服装飾の類じゃない。

誘われ女の周りにいる男のランクが、おっさんから見て下っぽいかおっさんは誘ってくる。

行ったことない店連れてくよとかいうのはそういうこと。

当該女の周りの男はへぼいから連れていかないだろう、周りの男より俺はすごいんだぜ、飯行こうや、飯行ったら周りのヘボ男に比べて俺のすごさわかるだろ、話もおもしろいだろ。

この手合いがいるので、当該女たちは男で武装してください。

浮気常習のしょうもない男だけど見た目アルファオスで柔道何段だか忘れたけど180cm90キロ柔道強くてヨット乗せてくれる父親と、某会社社長子息のニート元彼氏はその肩書きや見た目やプロフィール20代の私を守ってくれました。

そもそもおっさんに誘われることなんてまーもー滅多になかったけど、

誘われたら、お父さんよりすごい人としかご飯行かないんですーつってぶりっこして、またまたーどんな人?って聞いてくるからタンクトップ日焼けマッチョヨット乗ってる写真見せて、〇〇さんのお船は何フィート?って言うんですよ。お父さんのお船よりおっきかったら行きますとか言って断った。

レストランを肴に誘われた時はどんな店でも彼氏と行きましたって言ってた。かれぴっぴが社長子息で、めちゃくちゃコネがあっていってきましたって言ってた。

愛嬌たっぷりにお父さん好きな娘ちゃん、いいとこのぼんぼん彼氏いるアタシ、をやれば終わる。

浮気常習で母親はじめ私も姉妹も泣かされまくってるクソ親父を好きなふりするのはおえーだったけどまじで使えたし、ニート彼氏はまじでニート極めたから別れたし時間無駄だったからおえーなんだけどほんとに使えた。

姉妹みんなこの技でおっさん撃退した。

いまならチャッピーに設定作ってもらえばいいんですよ。

叔父でも従兄弟でもいい。

男をやり込めるには男をぶつけるしかないんすよ。

もちろん、そうじゃない下心ワンチャンおっさんもいると思う。ちょっと下ネタ匂わすようなやつ。

これは友達の技だけど、このライン彼氏が見て怒られちゃって、、、とか、このライン父が見て怒ってます、、、このLINEうっかり職場で開いたら上席が心配してて、、、みたいな、LINEルオープン箱入り娘ちゃんキャラになるとええですよ。

心配かけたくないので、この人とあの人も誘うんでどうですか?みたいに、すっとぼければいいんですよ。即グルチャに変えて。個別LINEフルシカト

角が立たないように断る女の手間をファミは嘆くかもしれないけど、悩む時間もったいないじゃん。

そもそもおじが誘うなっていうのはまじでわかるけど男の中にはへっぽこ前頭葉のやつがいて、止められないし、自身メタ認知できる知能の男の数なんてミュウツーのごたる、なのよ。

舐められてる自分の発信内容を修正してく方が楽だからミュウツーは増えてくから。過渡期だからやり過ごそうな。

Permalink |記事への反応(3) | 20:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250922215225

それは純粋に、タイトルに加害性、本文に搾取という文脈があった上での「ノイズ」だったからですよ

繰り返しになりますが上のような条件であれば男でも燃えます

勿論、初出がセクシー田中さん事件の後だったかどうかも大きな要因ではあったでしょう、脚本家という肩書きだけで発言を数段厳しく見られる土壌は元よりできてましたか

まあ中身のある返しができてない時点でわかってるとは思うんだけど

Permalink |記事への反応(0) | 08:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-22

この仕事がやりたいからこの会社に入ります

ってやつ完全に消えたよな

全員、金と安定と○○の社員という肩書きのために就職先を決める

入社してやりたいことと言ったら、座ってれば高給貰える椅子キープすることばかり

もう終わりだろ

Permalink |記事への反応(0) | 14:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-19

なんだ家づくりヒーローって

家づくりを考えてる人なら、Instagramで「家づくりヒーロー」ってアカウントを見たことあるかもしれない。元セキスイハイム営業マンで、「優秀な営業マンを紹介します」と言って、住宅相談に乗ってくれるらしい。

でも、あるインスタライブでの発言を聞いて、完全に信用失った。

セキスイハイムは外観がダサいから、立面図をお客さんに見せなかった。上棟の日に『ヒーローさん、うちの屋根ってこんな形なんですね』って言われた(笑)

いやいや、笑ってる場合か。

施主にとって家の外観ってめちゃくちゃ大事でしょ?

それを「ダサいから見せない」とか、もはや詐欺まがいじゃないの?

しかもこの発言YouTubeにもアップされてたけど、批判コメントがついた途端に該当シーンを削除して再アップしてた。本人も「やばい」と思ったんだろうけど、そんなの火消しにしか見えない。

「優秀な営業マンを紹介します」って言ってるけど、結局は紹介料ビジネスでしょ?

施主の利益なんてどうでもよくて、契約させて紹介料もらえればOKっていう構造

実際に「紹介された営業マン微妙だった」って声もあるし、営業マンの質なんてブラックボックス

しかもその元営業マンが、過去に施主を軽視したエピソードを笑い話として語ってるって、もう終わってる。

家づくりって、人生で一番高い買い物なのに、こんな“元営業マンインフルエンサー”が「ヒーロー」面してるの、マジで危険だと思う。

SNSフォロワー数とか「元◯◯」って肩書きに騙されないでほしい。

本当に信頼できる相談先は、施主の利益を最優先してくれるところだけ。

Permalink |記事への反応(0) | 18:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-17

氷河期世代がなぜ被害者ぶってるかわからない

就職率→今の方が高い

物価→今の方が1.5倍以上高い

賃金氷河期世代の方が高い


自称失われた世代だけど、コロナ禍で青春もまともな生活も送らせてもらえなかったZ世代の方が失われた世代では

結局正社員という肩書きが欲しかっただけで被害者面してるのおもろい

氷河期世代でもスキル系の職に就いた人は今すぐに再就職してるのに


キレる世代とも言われたけど、団塊の世代と同じく甘やかされて育てられて

ダメ人間多いよね。

Permalink |記事への反応(3) | 20:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-16

anond:20250916134641

未婚 → 既婚 → 子持ち → 子供学歴 → 子供就職先 → 子供肩書き → 子供配偶者 → 孫

くらいの階層かな、大まかに言って

上下2階層くらいでだいたい戦いが起こってる雰囲気

子供学歴で争ってる人は未婚なんか視野に入らないし子供が誰と結婚するかもまだ全然気になってない

Permalink |記事への反応(0) | 13:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-10

日本人だけど輸入業者してた時代中東を飛び回ってたらモサド(たぶん)から接触されたことはある

追記:この増田ホッテントリに入った直後にはてなサーバがダウンしたようだ。理由はわからないが、、、。

昔、輸入業者をやっていた。本社東京、商材は雑多だったが、中東案件特に多かった。市場調査もかねてカタールサウジイスラエルヨルダン出張を繰り返した時期がある。

だが、ある日、違和感を覚えた。現地で何度も顔を合わせる「偶然の知り合い」が出てきた。イスラエル絡みの商談会で、必ず現れるスーツ姿の「ビジネスマン」。名刺も交換したが、会社登記データベースを見てもヒットしない。肩書きも業種もあいまいで、会話も当たり障りなく、本人は妙にこっちの動きを気にしていた。どのレストランに入っても、数分後には彼がいた。ホテルロビー空港ラウンジ、なぜか同じ便。

こっちはビジネスで動いているだけだが、イスラエル輸出入品や人的流動の管理が異常に厳しい。何度も出入りしてるとパスポートにびっしりと記録がつく。「今回は何の目的?」と入国カウンターでしつこく聞かれ、営業先に「事前に情報が回ってる気がする」こともあった。おかしいなと思ってたら、例の「ビジネスマン」が近づいてきた。コーヒーを奢ってくれた。会話はごく普通なのだが、途中途中で「日本から他のバイヤーは来ていないのか」「どんなルート製品を動かしているのか」みたいな具体的な質問が混ざる。返事をすると、わざとらしく「そうか、なるほど。ところで…」と別の話題に切り替える。完全に情報収集の型だった。

明言はしないが、滲み出る「ただの商社マンではない感」。視線質問の角度、油断すると設定してあるマイクで何かを録られそうだと直感が働く。イスタンブールの展示会でもまた彼。ドバイ空港でもまた彼。もはや「追われてる」としか思えない頻度だった。

一番怖かったのはホテルの部屋が勝手掃除されて何も盗まれていなかった日だ。そんなことはザラにある国だが、念のため現地の日本大使館に相談したら、「きみの旅程は特定国マークされてる可能性が高い」とやんわり言われた。

結局、大事にはならなかった。荷物検査で「たまたま持ち物が徹底的に洗われる」「検問所で足止めされる」ということは何度もあったが、「私はただの中小企業輸入業者です」を貫けば日常が続いた。しかし、後になって冷静に考えると、あれはたぶんモサドだったんじゃないかと思う。現地の情報ネットワークは抜け目がないし、怪しい相手には「友好的な皮を被った圧力」をかけてくる。日本人の中東ビジネスは、思ったよりはるかに“見られている”環境だったことを、骨身に染みて理解した。

まあ、普通に働いている分には表沙汰にならないし、今はもう何の接点もない。ただ、あの定期的に出くわしていた「ビジネスマン」の視線は、今でもふいに思い出して少しだけ背筋が冷たくなる。

Permalink |記事への反応(17) | 11:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-09

弱者男性だけど派遣からボーナス支給なしでつらい

正直言ってつらい。

俺、34歳の高齢弱者男性なんだけど、派遣で働いてるからボーナスなんて存在しないんだよな。

月給もせいぜい手取り46万ぐらいしかない。

ボーナスなしってほんとデカい。

正社員なら年2回まとめてドカンと入るはずの金が、俺にはゼロ

貯金スピードも遅いし、周りが旅行だの外車だの言ってるの見るとマジで虚しくなる。

たまの贅沢だっていきなりステーキで肉食うぐらい。

「ご褒美にステーキ」って気分で行っても、財布見てため息つくのがオチ

だってFavoriteコラボパーカーぐらいしか買えない。😭

結局、派遣って消耗品扱いだし、弱者男性って肩書きが一生外れない感じ。

俺はどうしたらええんやろな。

Permalink |記事への反応(4) | 22:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-04

経験則的に、一番仕事ができないのはプライドが高い人間


プライドの高い人間の特徴

自分の非を認めない。

他人の成果を素直に称賛できない。

・部下や後輩の意見を聞かない。

立場肩書きに異常にこだわる。

批判されると必要以上に攻撃的になる。

自分はできる人間という幻想を捨てられない。

・細かい体裁ばかり気にして本質を見ない。

・失敗を隠すことに労力を使う。

自分より若い、あるいは経験の浅い人間に抜かれると露骨に不機嫌になる。



プライドの高い人間というのは、経験則的に見て、一番仕事ができないタイプだと思う。

それは能力問題というよりも、行動様式問題だ。

本人が無能というより、無能を増幅させる思考回路自分で作り上げている。だから周りからすると扱いづらいし、何よりも迷惑

たとえば俺の前職にいたAさん。

四十代半ば、肩書き主任。年数だけは長くいるのでそれなりに社内での影響力はあるが、仕事の実力は正直平社員以下だった。

何か指摘すれば必ず「いや、俺はこういう意図でやってるから」と反論する。

実際には意図なんて後付けで、単に凡ミスを取り繕っているだけなのにそれを本人は正当化だと思っている。

プライドが高い人間自分の間違いを認めることを負けだと考える。

その瞬間に自分価値が下がるとでも思っているのだろう。でも現実には間違いを素直に認めて修正するほうがよほど信頼を得られる。Aさんはそれが理解できていなかった。

あるプロジェクトで、納期直前に仕様変更が発生した。

チーム全員が土日を返上して対応するなか、Aさんは「俺の設計はもう完璧から」と言って対応しなかった。

結果Aさんの担当部分で致命的な不具合が出て、最終的に俺たちが火消しに回る羽目になった。本人は最後まで「これは元々仕様が悪い」と言い張っていた。

プライドが高い人間は、責任自分に向けない。

外部要因や他人のせいにして自分の正しさを守ろうとする。だがそれをやればやるほど周りの信頼は失われる。

気づいたときには孤立しているのに、本人は「俺は正しいのに、周りが理解できない」と逆ギレする。滑稽だが現場にとっては地獄だ。

さらに厄介なのはプライドの高さを自分アイデンティティみたいに考えている点だ。

Aさんにとっては「自分は優秀だ」という思い込み存在証明になっていた。

からその幻想を壊すような言葉はたとえ善意アドバイスでもすべてが攻撃として捉えられる。

結果として誰ももうAさんに何も言わなくなった。会議では形だけ座っていて、実際には何の決定権も持たない。本人だけが俺はまだ必要とされていると信じている。

プライドの高い人間がいると、周りの空気は確実に悪くなる。

後輩は萎縮し、上司は余計な説得の時間を取られる。チームの生産性は下がりストレスは増える。Aさんひとりのためにみんなが疲弊していた。

冷たく言えば、プライドの高い人間コストだ。

本人が何か価値を生んでいるわけではない。むしろ周囲の労力を奪い、進捗を遅らせる。存在するだけで赤字なのに、本人だけが自分存在黒字だと信じて疑わない。

こういう人間はどこにでもいる。

社会人をやっていれば一度は出会うだろう。だが困ったことに本人は自分プライドを誇りだと思っているから、改善余地がない。

外部からどれだけ指摘しても無駄だ。むしろ「俺のプライドを傷つけやがった」と逆恨みされるリスクのほうが高い。

じゃあ、どうすればいいか

答えは簡単で関わらないこと。

仕事上で必要最低限のやりとりだけして、それ以上は踏み込まない。

説得しようとか、教育しようとか、そんなことを考えるだけ無駄だ。

Aさんと過ごした日々から、俺はそれを学んだ。

経験則的に言って、プライドの高い人間は一番仕事ができない。

本人の能力ゼロでも、素直に人の意見を聞ける人間ならまだ成長の余地がある。

だがプライド邪魔をしてそれを完全に塞いでしまっている人間永遠に変わらない。

そしてそれは周りにとっても本人にとっても不幸なことである

ただひとつ可能なのは、そういった人間反面教師にするしかない、ということだけだった。

Permalink |記事への反応(0) | 18:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

相貌心理学ってなんだ??

昨日「マツコの知らない世界」で“顔の世界”という特集をやっていて、興味津々で見ました。

テーマ自体面白かったんですが、正直ちょっと引っかかったのが「顔から性格を決めることを心理学として扱っていた点」です。

もう10数年も前に、大学心理学を専攻してました。

いわゆる相貌心理学って科学的には立証されていない類と認識してました。

そもそも顔って遺伝の要素が強いので、顔の特徴を外見的に判断する場合

家系的に性格が似てしまう事につながりませんか?

個人的経験則で「そう感じる」という範囲ならアリだと思いますが、大手メディア学問的にやや決めつけで伝えてしまうのはちょっと危ういなと。

実際、日本ではB型の人が所得婚姻率の低下に相関関係が表れている事が最近話題になり、思い込みバイアス現実に影響してしま可能性があります。(今後、検証されるかとしれません)

欧米では血液型占いなんて一般的じゃないので国際比較が出れば面白いなと思います

もちろん「顔や表情が印象に影響する」というのは科学的に立証されています

ただ、受け手の「印象を受ける」と本人の「性格特定する」はまったく別物です。

他人第一印象性格が違ったという事は実感としてあると思います

最初、怖そうと思ったけど、案外優しかった。人見知りな人かと思ったけど、実はムードメーカーだったなどなど。

表情から感情を読み取る力は社会生活上も重要観点です。

ですか内面性格まで読み取る事は当たり前ですが、できません。


心理学研究って、本来は仮説を立てて大量のデータを集めて妥当性と信頼性を細かく検証していく地道な作業なんです。

心理学的に性格傾向(あくまで傾向)を調べる際も、「外交的内向的か」を調べる場合なら、「賑やかな場所が好きか?」、「人前で話すのは苦にならないか?」といった、性格方向性に関わる事や性格特徴に起因する行動パターンが使われます。つまり全然関係なさそうな質問から勝手性格を決めつけるわけじゃなく、根拠を積み上げながら分析している訳です。

また、本人の内側の声を表出させているとも言えます

また、人は場面によって外交的になったり内向的になったりもしますし、二面性もあります。それだけ質問内容や研究手法も増えていきます。そんな単純に「顔=性格」って図式には当てはまらないと思うんです。

欧州で顔診断、

日本血液型診断、

中国手相診断など流行しましたが、

いずれも科学的に否定されてきたと認識していました。

もしも間違った心理学が広まると偏見助長してしまい、誰かが傷つくことにもつながります。顔によって「秘密主義だ」とか「理想主義だ」とか勝手に決められる社会になってほしくない、そう思いました。

以下、番組で紹介されていた顔からわかる性格特徴です。

涙袋

 寛容性、順応性を表す

輪郭が大きい

 自己防衛能力の表れ

口角があがる 

 ポジティブ思考傾向

肉付きの張り 

 モチベーションの高さ

目頭がくっきりしている

 外部情報をしっかり精査する

正面から耳が見える 

 独立心、旺盛さが強い

目のくぼみ 

 物事から一歩下がりたい

鼻の穴 

 感情ストレート表現

鼻の穴が見えない 

 本心を語らない

鼻筋が太い 

 広く愛されたい

鼻筋が深い

 深く愛されたい

補足

番組に出ていた方の肩書き教授資格」もちょっと気になります日本で「教授」というのは学校教育法で定められた大学における職位ですし、教授資格ってなんだろう。誰か教えてください。

Permalink |記事への反応(6) | 08:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-02

anond:20240202112752

 映画評論家の街島は、自分過去随筆自分運命を狂わせることになるとは想像もしなかった。

 若い日のエッセイに、彼はこう書いたのだ。

 「原作どおりの映画化無意味だ。物語は新しいかたちで蘇らせてこそ価値がある」

 その言葉を、後に漫画家として大成する少年の心に深く心に刻まれしまった。

 まだその少年が「怪物たちの物語」を描き始める前のことだ。

 少年が描いた漫画社会現象となった頃、街島の家のインターホンが鳴った。

 雨に濡れた青年が立っていた。瞳は熱に浮かされているかのように赤く光り、震える声で名乗った。

 「街島先生……あなたに決めていました」

 青年となった少年が描いた漫画映画化される、そしてその映画化脚本を、街島に「書いてもらう」ためにやって来たのだ。

 私は脚本家ではないと断れば帰ると思った。だが違った。

 青年は帰らなかった。四度も訪ねてきた。しかも回を重ねるごとに、背後に連れてくる者の肩書きが重くなっていった。編集者から幹部、ついには出版社社長までも。青年はいう「街島さんに脚本を書いてもらえないのなら、この映画化はなかったことにします」社長までが現れたのはその映画化商業的意義の大きさを表していた。この映画化は失敗できない。

 街島は徐々に理解した。これは依頼ではない。選択肢のない愛の告白だと。

 街島はそのプレッシャー脚本を書かざるを得なかった。失敗できない。脚本冒険はできないだろう。街島は原作に沿った無難脚本を書いた。おれは評論家なのにと理不尽さを覚えながら。

 青年は街島に原稿用紙を突き返す。

 「これは……原作どおりじゃないですか。街島先生、忘れたんですか? あなた自身が昔、そう書いていたじゃないですか」

 街島は背筋が冷えた。

 青年自分過去言葉を、まるで聖典の一節のように暗唱していた。

 その熱狂は、信仰狂気の境目に立っていた。

 拒絶すればどうなる?

 彼は口癖のように言った。

 「もし先生脚本を完成ささないのであれば、僕はすべてを捨て去ります映画化はもちろん作品も、原稿も、全部」

 その瞳は、失うことを恐れていない瞳だった。むしろ、失うことで二人だけの世界が完成するかのように。

 完成した映画の試写室は沈黙に包まれた。

 観客の誰もが言葉を失う。原作とはかけ離れた映像。知っているはずの登場人物たちは、スクリーン存在しなかった。

 だが一人だけ、静寂を破る声があった。

 青年の笑い声。

 「ほら、やっぱり……あなたに決めてよかった」

 街島はその笑いを聞きながら、ふと悟った。

 この映画青年にとって観客に見せるものではない。街島に捧げる私的ラブレターなのだと。

 公開後、街島は批判を浴びた。「原作殺しだ」「改変が過ぎる」「こんな駄作は見たことがない」

 評論家であるはずなのに、その映画は街島の人生死ぬまで残るスティグマとなってしまったのだ。

 青年インタビューで言った。

 「街島先生は僕アイドルなんです。ジャンにも似ているし、他のキャラにも成分が入っている。僕にとって、街島先生は……物語のものなんです」

 街島はぞっとした。

 それは愛の言葉に似ていたが、逃げ場のない檻のようでもあった。

 かつて街島が一枚の紙に書いた、評論

 その一節が、青年の中で燃え広がり、やがて町島自身物語登場人物に変えてしまったのだ。

 夜、街島の書斎に再びノックの音が響く。

 扉の向こうから、あの声がする。

 「街島先生。次はジャンを主人公にしてください。……あなたならできる」

 逃げられない

 これはもう、青年狂気ではなく、かつて自分が書き残した言葉の亡霊なのだから

Permalink |記事への反応(0) | 08:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-01

おそらく日本で一番雅な松屋、終了

京都ビジネスホテルにある松屋は、日本庭園が見える席があることで知られていた。

この店はホテルユニゾ京都烏丸御池と同時に2020年12月17日オープンし、一部の席から庭園が見える構造だったため、「おそらく日本で一番雅な松屋」として注目された。

しかし、近隣に住む私は庭園存在特に意識することはなかった。自炊が苦手な私にとって、この店は日々の食事をまかなうための場所であった。開店以来、毎日のように利用し、常にプラチナ会員を維持していた。

ホテル2024年8月に一時休業し、11月フォーポイントフレックスbyシェラトンとして再開した後も、松屋営業を続けていた。

ホテルが休業期間中営業してくれたことは利用者として非常に助けになった。また、海外ブランドホテルに変わっても松屋撤退しなかったことに安堵した。

今回の閉店は突然の出来事だった。

「店内清掃のため店を閉めます」という内容の張り紙が、少し前から松屋入口に貼られていた。

8月30日以降、松弁ネットに店が表示されなくなっても、本格的な清掃か改装だと推測していた。

しかし、9月に入っても営業が再開されないため、検索したところ、8月29日付の京都新聞デジタルに「京都中京区の『日本みやび』?な牛丼店『松屋』が閉店」という記事を見つけた。

なんとなく抱いていた嫌な予感は的中し、閉店の事実を知った。最近店員アルバイトではなく肩書きのある社員ばかりになっていたことも、今思えば閉店に備え補充がなかったことを示唆している。

ホテル側のじゃらんサイトにも「レストラン松屋営業終了のお知らせ」という記事があり、ホテル側は閉店日を知っていたにもかかわらず朝食予約を受け付けていた。このことから松屋側は閉店日時を過ぎるまで事実を秘匿したかったと考えられる。

松屋ヘビーユーザーとして大量のポイントを貯めていた私としては、閉店までにポイントを使い切りたかった。四条河原町まで足を伸ばせば松屋はあるが、通勤路や近所にはないため、わざわざ行くのは面倒だ。

4年8ヶ月続いた松屋生活はこれで終了する。

ごろチキやうまトマやシュクメルリはもちろんのこと、松屋期間限定メニューを食べ逃したことは一度もなく、直近のコムタム風ポークライスも気に入っていたが、怠惰な私はコンビニ弁当生活に逆戻りすることになるだろう。

松屋広報によると閉店理由は「賃貸契約の終了」だという。利用者感覚からすると、松屋側が契約更新を望まなかったというより、ホテル側が契約更新を拒絶したか、もともと追い出す意向があったと推測される。

ホテルユニゾ京都烏丸御池開業した当初よりインバウンドが増加しており、朝食時に周りが外国人だらけという状況は頻繁に発生していた。しかし、外国人には松屋食事が口に合わないようで、返却口の食器には大量の食べ残しが見られた。

洋風朝食も用意されていたが、食べかけのパンソーセージが残されているのが目についた。

ホテル運営海外資本に変われば、このような状況を放置しないだろうという予想はできたため、今回の松屋撤退にはある程度の納得感がある。

当然、後には別のレストランが入るのだろうが、地元住民日常的に利用するような店にはならないだろう。残念だが、やむを得ない。

さらば。そしていままでありがとう松屋フォーポイントフレックスbyシェラトン京都御池店!

Permalink |記事への反応(5) | 21:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp