
はてなキーワード:肉弾とは
戦場で砂煙を上げながら進む戦車を、ドローンが静かに狙いを定める。その瞬間こそ、古典的な装甲車両の脆さを突かれる瞬間だ。小型の無人機はわずかな隙間やわずかな音をとらえ、高性能カメラで目標をスキャンし、ミサイルや爆弾を誘導する。戦車は重装甲で肉弾戦を制するものの、見つかってしまえば逃げ場がない。そこで生まれた切り札が「光学迷彩」という技術だ。
光学迷彩は、装甲表面をまるでカメレオンのように背景と同化させる。戦車に取り付けられたカメラが周囲の風景を360度撮影し、その映像をディスプレイパネルでリアルタイムに再現する。遠目には戦車が消え、空撮や偵察用ドローンの映像からは、草むらでも建物脇でも、いかに重装甲で分厚い車体を誇る戦車も、ただの背景の一部としか映らない。見えないから狙えない。ドローンの攻撃意図を根本から絶つこの力は、戦車を守るうえでまさにゲームチェンジャーだ。
もちろん、可視光だけを欺く迷彩は赤外線やレーダー探知には無効だ。しかし光学迷彩は可視光領域と近赤外線領域の両方をカバーできるよう進化しつつある。メタマテリアルを用いたパネルは、照準器の波長を散乱し吸収する。その結果、赤外線センサーにも映りにくくなる。ドローンはもはや「見えない敵」に直面し、発見と追跡の段階でたちまち優位を失う。守り手は煙幕や塹壕に頼ることなく、むしろ広い視界を確保しながら静かに前進できるのだ。
さらに興味深いのは、攻防の心理戦にも及ぶ効果だ。ドローンのパイロットは目視や画面越しの映像に頼るため「何も映らない」状態に強い不安を覚える。目標が消えれば一瞬の逡巡が生まれ、攻撃のタイミングを逸する。たとえ高度なレーダー探知を併用しても、光学迷彩で混乱した映像はAI解析にも誤認を誘発しやすい。まるで幻影に惑わされるかのように、攻撃精度は確実に低下する。
技術的課題はある。発電装置やプロセッサー、ディスプレイの搭載による重量増と消費電力の問題は簡単ではない。しかし軍事技術の進歩は速い。軽量有機ELパネルや省電力半導体の開発が進み、実用化への道筋は着実に築かれつつある。試験段階のプロトタイプでも、訓練演習で従来の迷彩と比較し、ドローン発見率が半減したという報告もある。迫りくる脅威に対し、防御側が“見えない壁”を自在に築ける日は、もうそう遠くない。
戦車が持つ重装甲や火力は、依然として戦場の王者だ。だがその強みに油断し、ドローンの目を過小評価すれば、瞬く間に戦意を失う。光学迷彩は、重装備のまま“透明化”し、無人機の飽くなき探知眼を欺く究極の防衛策だ。未来の戦場で戦車を守る最も有効な策として、光学迷彩は欠かせない要素となるだろう。
システム系でも「あー、あのままリリースしちゃったかー」ってなることが稀に、いや、ちょいちょい、いや、頻繁に、ある。
「経営を根本的に変える!」とか大風呂敷広げまくって、現場の人間の手間を数倍、時期によっては数十倍に増やし、表からは見えないところで、エンジニアという名前をつけてもらっただけで喜んでる小人さんたちが肉弾スクラム組んで、放射状の横棒がついた謎の車輪を延々と押し続ける奴隷のように、深夜監視だ月次バッチの監視だデータ連携だエラー修正だを続ける。
得られる効果といえば、すでに投入した、これから投入し続けなければならない金額の数十分の一とか。
その薄い薄い効果を、「売上高」とかいうわけわからん指標で比較して誤魔化す(せめて粗利、従業員の追加工数とかも引いとけよ (-_-) )。
人が想像できないものは実現しない、が正しいとして、想像できるものは実現する、ってのは正しくなんてない。
むしろ、想像しても実現しないことの方が普通だ(第一志望の大学に合格するとかな)。
「現時点で」できるか、ちょっと考えりゃわかるだろ。
そんなスピードで走り回れるかよ w
ってのに、生成AI駆使して、出資者騙して金引っ張ってくるとか、クズが多すぎるよ、システム業界も。
そういう「夢物語的なキャッチーな単語(でもその中身をこれっぽっちも理解できてない)」だけ弄んで、「雨が降るし、太陽光強いから屋根は必要だよねー」とか、「あんな辺鄙な場所、キャストは確保できるのかねー?」とか、「順番待ち、サービス提供するってレベルじゃねーぞ」とか、ちょっと考えんでもわかるだろ、的なことはこれっぽっちも考慮されてない。
クールジャパンだ、ジャパンディスプレイだ、その溶かした金は誰の金か、誰が責任取ったのか。
>異常な筋力が強みなのに鞭みたいな剣といういまいち筋力活かせなさそうな武器使ってたのよく考えると謎。
>柔軟性も関係ないし。
しかしおそらく新体操のリボンがモチーフと思われる(画集でもそのようなコメントをつけてもいる)、
さらに女性ならではの関節のやわらかさ、柔軟性、特に腕のしなり(弓手とか猿手とか言われるやつね)を利用してあの広範囲攻撃を可能にしてる…と考えるとそれっぽい武器に思える。
甘露寺さんの筋力は腕力に秀でる男性すら圧倒するほどのものではない。
「鬼滅の刃」は「体格が優れるほうが肉弾戦では有利」などかなり現実的な世界観であり(少なくとも小柄な少女が筋肉だるまな大男をキック一発で沈めるような他作品と比べれば)、
彼女の八倍筋肉密度は男女の絶対的な腕力差を埋める装置でしかないのではないか。
普通の男性よりははるかに力強いし、鍛えた男性柱の中でも中堅と同等ではあるが(体格差を考えればあの筋肉密度は相当良い仕事をしている)、
作中でもトップクラスの怪力として描かれるほどではなかった。
「普通の女の子」を戦闘に参加させて不自然にさせない程度の筋力なんだと思う。
そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景がみえることもある。
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とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要な視点だ。欧米と日本では大きく違う。
フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。
その意味で、社会運動やストライキ(争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体の抗議活動。日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス(抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為を意識しているからだ。
環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火・破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造的暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識をフランス社会は共有する。
その背景には、18世紀、カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学的合理性を武器に公共空間を構築し、新たな政治制度を模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期の政教分離の文脈から分化した表現の自由の形であった。
制度の根幹に「科学的合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。
もっともアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想や巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現を定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会の不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法がヘイト規制に消極的かつゾーニング規制にシフトしてゆく歴史がそこにある。
トランプの出現などリベラルと保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。
会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人に迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。
この「迷惑感情」は、表現の自由を制限する根拠として働きうる。憲法学では人権の制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会の空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体、迷惑感情の社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共はフランス人の考える公共とかなり異なる。
電車内CMの強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件(1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのものを否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。
日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画にペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力的抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。
水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代の国鉄や病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会に根付かなかった。正規雇用では労使協調路線、非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。
全農林警職法事件(国家公務員の争議権全否定、1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。
暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力=容認しがたいもの」と司法と行政に決着を迫った形だ。
こうした着地は、人権を市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会の構造的限界を示しているのだろう。
日本社会における「市民による暴力的抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激なものに映じるの対して、しばしば国家や行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為、反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度的暴力や不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉がときに過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現の暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造的非対称性の再生産になりかねない。
構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識を再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却しやすい社会ということだ。
欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験から生まれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権のボトムアップ的な再生力だ。
しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後はアメリカが新しい憲法と人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日の日本においてもなお、自由をめぐる議論が憲法の制度論に終始してしまう要因になっている。
だとすれば、今あらためて必要なのは、自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。
特に敗戦前後の記憶――若者を人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本の原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。
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「戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本の映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。
1. 既成の価値観への反抗
戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的に破壊しようとした。
映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力を風刺し、戦時の空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。
表現が体制批判と自己解放の手段だった時代。道徳や国家的価値観への反抗心がそれを後押ししていた。
「反抗」というテーマは、家族内の世代間対立ないし嫁姑問題、80年代の校内暴力と管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。
高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域の風景は急速に姿を消した。
そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族の崩壊と再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。
山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。
倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。
「スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力・根性・家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情や倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。
この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本の表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害を内包していた。そこに着目すべきだ。
この三つのうち、「戦前の価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑を告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。
奥崎謙三の狂気。上官を告発し、天皇にパチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後の記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家と個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。
しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代の記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたかも社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。
何かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしまう社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスなドラマなくせに、コンプラ配慮でたばこのポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか。
奥崎のような過激な手法であっても、そこに社会や権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男のドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。
『ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。
伊藤詩織氏の『BlackBox Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユースで正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力や犯罪を暴く表現であればOK」という立場(原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実を自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的な物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。
では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?
最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である。
コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしまう社会――それが望ましいのか?
私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯な倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為と公益性のはざまにあるという意味で奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員の告発とその後の県知事の対応は耳目を集めたばかりだ。
今の日本社会において、「表現の内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。
敗戦を体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼の暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。
一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民は暴力的な自力救済や抵抗運動に共感しなくなっている。
コンプライアンスに敏感な時代だからこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。
かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制を洞察した。一方、アメリカの民主社会には、世論の専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派が少数意見を排斥するような雰囲気を社会が醸成すると実質的な自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代のキャンセルカルチャーなどの課題を予見している。
――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力に倫理的な共感はあるのか。どんな社会を私たちは避けたいと思っているのか――
憲法理論は制度的保障を語る上では有効である。しかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度がいかに自由を守るか」ではない議論も必要だ。自由を擁護する倫理的共感の土壌がなければ、制度は簡単に形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。
社会の同調圧力に空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。
RPGツクールVXACEを無料配布でもらったのでつまらなくて短くてもいいから完成させることを目標に遊びたい
妹に出演許可は取ってないけどこういうのはノリノリで許してくれそうなのでとりあえず無許可で続けることにする
ストーリーの大筋としては妹が異世界に召喚されてモンスターに襲われてそこで女戦士に助けてもらい冒険者として依頼をこなし成長し世界の危機と対峙する(普通だな!)
と思ったけどこれは長くなりそうだからちょっと頑張ったあたりで現実世界に帰る門が見つかって帰還エンドくらいまで作るのを目標にする
帰らないで戦うほうはモチベがあったら作る
世界の危機の内実としては力による略奪や支配なんでもありで勢力を拡大し続ける悪の帝国あたりだろうか
実は帝国の中枢部にも現代から召喚された人間がいて科学技術によって圧倒的な武力がもたらされている
これだと勝ち目がないから妹が召喚された地方は魔術による強力な結界で守られていて人間は簡単には行き来することができない
巨乳好きかつオナニーも好きであり、グラビアアイドルと二次元格闘女性を二本柱に自慰行為を繰り返している。グラドルの最近のお気に入りは菊地姫奈と豊島心桜、永遠のナンバーワンは平田裕香。二次元格闘女性というのは、春麗とかティファとか、巨乳かつ筋肉質というファンタジーボディを駆使して肉弾戦を行っているあの辺の人たちのこと。AVは気持ち悪いのでほぼ見たことがない。
過去付き合ってきた女性は3人だが、元彼女・前妻・現妻の全員がA〜Bカップの貧乳で、若いころから巨乳のみをオカズにしているのに45年間大きなおっぱいを揉んだことが一度もない。風俗に行けばいいやんと自分でも思うのだが、増田は貞操観念が強く、妻を裏切りたくないので風俗嬢を抱く気はない。また増田はまあまあモテるので、20代のころから彼女が途切れた期間がほぼないので、風俗にいく機会もなかった。ずっと巨乳を揉みたいなと〜思いながらシコること幾星霜、気づけばもう45歳だ。オレの中での巨乳への幻想は、パンパンに膨れ上がっている。菊地姫奈のおっぱいのように。
このままオレは、巨乳の揉み心地を知らずにたった一度の人生を終えるのだろうか。そう考えると、時折虚しくなる。
とはいえ、巨乳といっても脂肪の塊みたいなもんであり、揉んでみたらオレのたるんだ腹を揉んでるのと大して変わりはしないのかもしれない。となると、この膨れ上がった幻想を壊さずにオナニーを続け、死んで灰になるのがいいのかもしれぬ。本は一度読んでしまったら、読まなかったときには戻れない。たった一度の人生、巨大な美しい幻想がひとつくらいあってもいいではないか。
性行為中に考えることについて、自分だけなのか? と感じる習慣を文字にしました。
セックスをしている最中、相手が違う人間であると考えながらするのは、果たして一般的なのかということです。
悪い言い方をすると、相手の身体で自慰行為をするということです。
私の場合は、数回に一度やってる程度です。キスとかの目を閉じている場面、相手の背中が見えている体位の時、そういうことを考えたりします。
誰を想像しているかは恥ずかしくて言えないのですが、私にはそういう習慣があります。
皆さまはいかがでしょうか? 悲しいことは言わないでください。
大学生だった当時、京都市内の木屋町という歓楽街のクラブで、黒服(ボーイ)のアルバイトを約四年間してました。ほかにも付近の居酒屋などでアルバイトをいくつか。
今は跡形もありませんが、その名も『CLUBZOO』という老舗でした。大手芸能事務所が経営母体のクラブです。繰り返しますが、今では跡形もありません。
当時の求人情報誌には「当店が木屋町で№1です!」と書いてありました。まさか本当だとは思わずに面接を受けに行きました。
あの頃は、まだ19才でした。世の中がなんでも楽しくて、初めて見るものがたくさんありました。夜のお店のお仕事だってそうです。刺激的でした。
日記については、「あの時は確か……?」と必死で記憶を思い出したり、当時のリアル日記を読み返したりして、まとめました。
若手社会人の頃、会社帰りにアパート近くにあるスーパーを利用してました。
都市部で働いていたのですが、ほかのお店に寄ることはなく、いつも其処でした。
いろんなお客さんがいました。平日夜の同じような時間帯に来店する関係で、"いつものメンツ"みたいになることが頻繁でした。肉弾戦闘で半額惣菜を奪い合っていました。
そのうち1人のお客さんが、日記に出てくる男性です(※彼は肉弾戦闘には参加してません)。
この頃はセルフレジはありません。お会計をする間、その男性は女性店員さんと話をしていました。
別に、店員さんとお話するのはいいと思います。ただ彼のよくなかったところは、違う店員さんともお話をするところでした。
「おい、あんた……そんな節操のないことをしてはダメなのでは??」と、若かりし日の私ですら感じました。
結局、彼がどうなったのかわかりません。ある日、スーパーの正社員と思しき人と夜の店内でバトルになっているのを見ました(※肉弾戦闘ではありません)。
それ以降に見ることはなくなりました。出入り禁止になったのかもしれません。
自宅を掃除していると、本棚に旧約・新約聖書があるのを見つけました。とんでもない分厚さでした。二千ページ以上はあります。
でもこれを、大学1回生だった頃の私は、半年以上かけて読み切ったのです。
聖書の中には、特に旧約の中には、素人ながらに「それは……ひょっとしてギャグで言ってるのか!?」と思わざるを得ない描写が多々ありました。放蕩息子など。後は、槍のひと突きで800人を刺し殺す凄腕の兵士がいて、今だったらFGOに参戦してもよいのでは!? というレベルです。
しかし、それを上回るほどの感動があったのも事実です。あれは壮大な文学書 兼自己啓発本 兼歴史記録なのだと思います。
聖書全体ですが、日本語が極限まで洗練されている中で、神秘的なエピソードや、示唆に富むエピソード――ひとつの例として、士師記の中でサムソンが活躍するあたりは、現代のエンタメに通じるコメディ要素を感じ取りました。
懐かしいという感慨とともに、19才当時の考えを日記にまとめました。
わけあって日付の間隔が空いています。
こちらの日記も、上にあるスーパーと同じ店でのことです。新卒で入ったリクルートで働いていた頃の思い出です。
会社帰りにあのスーパーに通っていると、見た目が瀟洒なサラリーマンの人が、大学生くらいの女子店員に話をしていました。お会計の時に。
上の人とは違って、この人はいつも同じ人のレジへ行き、話をしていました。
女子店員の方も、まんざらではなさそうでした。お菓子売り場に私がいて、まっすぐの位置にあるレジへ向かおうとすると、その子がレジの後ろからスッと、身体を覗かせてこちらを見るのです。
私の真後ろには、その男性がいました。「なるほど、そういうことか……」と気を利かせた24才当時の私は、空気を読んで違うレジに入りました。
それから悲しい出来事がありました。その男性がある日、違う店員のいるレジに入ったのです。あの子がいたのに!!
「なん……だと……」
と、BLEACHキャラ並みの衝撃を受けた私があの女子店員を見ると、残念そうに俯いていました。
嫌な思い出になりましたが、何らかの学びを得たのは間違いありません。
そのお店ですが、今ではウイルス除けの透明壁が付いて、店員さんと話をしにくい構造になっています☺
上記日記の冒頭にツイートが引用してあります。これが執筆の動機になりました。
先のマッチングアプリの記事紹介の際、異業種交流会の話をしました。商売が目的ではない緩めのイベントです。
この時、民間企業の人だけでなく、大学職員といった準公務員や、純粋な公務員の人も参加していました。
メルカリの中の人と楽しく話をしている最中、慶応義塾大学の事務職員が会話に入ってきました。
商売の繋がりが目的でない異業種交流会なので、できるだけ離れた業界の人との話が楽しみでした。
ところで、その彼が語ったのは……よく言えば赤裸々、悪く言えば守秘義務違反に等しいレベルの生々しいお話でした。それがずっと続いて、当時の私は辟易しました。
いや、悪い思い出だったとは言いません。実際、刺激的なお話でした。ただ彼にとって想定外だったのは、私がそれを日記としてまとめたことです。
前回株式投資のことを書いたため、今度は仮想通貨投資について書いてみようと思い立ちました。
これからビットコインなど仮想通貨を始めようという方は、しばらく待った方がいいかもしれません。この執筆時点と比べると、世界的に仮想通貨が受け入れられています。
日本でも、将来は税率が一律20%になったり、アメリカのように仮想通貨ETFが出てくる可能性もあります。それ以外にも金融商品がいくつも登場することでしょう。
今から買われる方は、積み立てタイプで毎月一定額を投資するスタイルがいいと思います。間違ってもレバレッジ取引には手を出さないように。あれはFXと同じく、投機であって投資では決してありません。
いつかやろうと思っていたとか、そういうのではありません。ある日、急にあのおじさんの思い出が蘇ってきたので、執筆に挑戦しようと思い立ちました。
こちらの日記に出てくる土木会社のおじさんですが、私が歓楽街でアルバイトをしていた居酒屋(木屋町にあったどんがまと言います。今はもうありません)で、よくしていただいたおじさんです。
気のいいおじさんで、会話が盛り上がると、お店のシフトが終わった後でお酒や食事をおごってくれるのです。私がお金を出したことは一度もありません。
ただ、こちらのおじさんですが、たまに反社会的なアレなんじゃないか……と感じる場面がありました。詳細は日記内にあります。
当時(約二十年前)の木屋町は、暴力団員や半グレが普通に闊歩しており、警察官と鉢合わせても動じることはありませんでした。深夜になると、酔客が高瀬川沿いの往来で取っ組み合いのケンカをするのが風物詩でした。大晦日になると、お酒に酔った若人が、友達を……小橋の上から高瀬川に突き落とすのです😭
悲しいことに、天下の往来での殺人事件も起きています。今でも犯人は捕まっていません。
現在の木屋町は、平和です。お巡りさんの待機人数が昔に比べると明らかに増えており、高瀬川沿いの街道をガラの悪い連中が闊歩することも(ほぼ)ないです。
今の会社で新人の頃、お世話になった先輩の思い出を綴りました。№4の先輩とは別人です。
今の仕事の詳細は言えませんが、現場が多い不動産の仕事です。最初の配属先は、不動産関係の商業登記を取り扱う部署でした。
同じ職場に、ある先輩がいました。その先輩は、私が中堅どころになる頃に退職したのですが、記憶が残っている時間もそう多くはないと思い、まとめてみようと考えました。
一言でいうと、モテる先輩でした。イケメンというよりは、気遣いができる人でした。
他人にマウントを取ったりしませんし、愚痴や泣き言も言いませんし、相手の話をずっと聞いてくれる人でした。
そこまでお喋りをする方ではありません。本当の優しさをもった先輩でした。今でも尊敬しています。
その頃の思い出を、ひとつずつ思い出しながら日記を書きました。
先輩視点の第一人称は、物語として大変難しかった記憶があります。
大学四回生の時のことです。不定期活動のイベントサークルに在籍していたのですが、そのメンバーの1人に、悪い噂が立ちました。
噂の証人が言うには、その悪いメンバーというのが、サークル活動の中では地味な役割だったにもかかわらず、とある企業面接の場で「リーダーをしていました!」と真っ赤な嘘をついていた、というものです。
これ自体、特に思うところはありません。就職活動の面接でどのように振る舞うかは、完全に自己責任です。
本人がやっていないことを「やっていました」と発言しても、入社後にどうにかできるのであれば、本人の責任で行えばいいと思います。
しかし……「真っ赤な嘘をついてまで入りたい企業があるのか?」が当時の私には疑問でした。今もそうです。
そんな疑問への答えに近づくために、サークルの噂の証人だった女性の視点に立って日記を書きました。
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【閑話③】よくブクマしてくれる方 ※順不同
以下の表中のコメント回数(期間:2019.12~2023.3)ですが、概算になります。
データは整理していますが、専門的なスクレイピング・データ加工はしていません。ご理解ください。
コメント回数は、すべて「少なくとも」です。確実にこれだけの回数があります。
| ブクマカ名 | 私個人の感想など | コメント回数 |
|---|---|---|
| おたまじゃくしの人 | いつも登録ありがとうございます☺ | 7 |
| 林檎の人 | 小説系によくブクマをされてますね | 0 |
| 青い目の女性 | 私の作風を完全に見抜いておられます笑 | 5 |
| 宮内女氏 | 恋愛ネタや、バイオレンス日記によくコメントされます。いつも感謝です笑 | 8 |
| ピンク背景の女性 | 経済社会を取り扱った作品によくコメントされます(^^) | 2 |
| メガネの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 1 |
| エイリアンの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 2 |
| ゆゆゆのキャラの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 3 |
| ピンク髪の女性の人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 4 |
| メガネおじさん社長 | 評論系をよくブクマされます。小説も。楽しんでいただけたなら幸いです | 1 |
| スター数1位の人 | 実はほとんどブクマをいただいてませんが、ひとつトップブコメがあります | 4 |
| たんじろうの人 | 昔から多くのジャンルにコメントをいただき、ありがとうございます😭 | 2 |
| 口紅の女性 | 感動系の日記や小説において、キリッと雰囲気を締めるコメントをされます | 3 |
| マフラーの女性 | いつも含蓄のあるコメントをいただいております | 2 |
| 紫の女性 | いつも鋭いご意見をありがとうございます。釣りを見抜く天才です笑 | 3 |
| ヘルシェイク | 最近はブクマをいただきません。熱量のあるコメント感謝です | 2 |
| 関内関外日記の人 | ほどよい絶望感のあるコメントをいただくことがあります😰 | 3 |
| ハックルベリーの女性 | 感情がそのまま出ていて、よきブクマコメントです('ω') | 5 |
| 本に栞を挟む女性 | 社会問題を扱った作品にコメントされます。はてブ最高知性です | 2 |
| すみっコぐらし | 私の作品が読めるのははてなだけです笑 | 1 |
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良くも悪くもだな。
パトレイバー自体が滅茶苦茶面白い漫画だったので、それと同じようなものがもう一度読めること自体は嬉しい。
でも作品に対して道の奥行きみたいなものを感じられないのは悲しい。
鉄腕バーディーは等身大ウルトラマンとして物語がスタートするが、初期の下拵えが終わるとストーリーは廃棄物13号編×グリフィン編のかけ合わせによるセルフコピーへと移りそれが延々と続く。
強力な生物兵器開発を取り巻いてテロリスト・政治屋・技術屋・政治団体・チンピラ達がそれぞれの思惑と妄執に振り回されながら逃走劇と探り合いと肉弾戦を繰り返す物語となっている。
間違いなく面白い。
面白いのだが、見覚えがある。
パトレイバーで一度見たことがあるゆうきまさみイズムを別の形でやり直しているだけでしかなさすぎる。
過去に使った部品の配置を組み替えているだけであり、小規模に見れば表層の色合いを塗り替えただけのコンパチ素材で構築されている。
悪いことではない。
作者がゆうきまさみであるから読み始めた人間にとっては期待を裏切られる形にはなってない。ただし、予想を裏切って欲しいと期待していたならそれは大いに裏切られているとも言える。
ゆうきまさみの過去作を知らない人からすれば、最初の30話ぐらいまで加速を要すること意外なんの文句も出ないような作品ではあるだろう。
ただし、大人の世界の綱引きを描く作風の関係上かなりの堂々巡りを感じてしまうかも知れない。
まあ、悪い作品ではなかった。
これも英国あたりのディスインフォメーション工作のひとつなのかね。
戦争の初期には、プーチンは死にかけで余命宣告されてるみたいな情報ばかり流れてたけど、あれと同じやつ。
最近は完全にウクライナが劣勢で大きな譲歩をしてロシアに停戦をしてもらわないといけない状況になりつつある。
有り体に言うとウクライナは負ける。
そのことを西側がなるべく受け入れやすく出来るような形にするための情報。
あの人達が自国を守るための兵隊を供出出来ないのが問題なのです。
という、お話ね。
まあ、そういうことは真実なのかもしれないけれど、でもウクライナが負け始めたのはどう考えても米国の政治情勢の影響で砲弾を始めとした武器が届かなくなってロシアに押され始めたのが端緒だよね。
もしも、あれがなかったら兵員不足の中でも何とかかんとかロシア兵の決死の猛攻も凌ぎきっていたかもしれない。
あの弾丸不足があったから戦線に僅かながらのほころびが出来、そこにまた肉弾兵が突入してくるという負の連鎖が始まってしまった。
そうなると交代の兵隊がいないウクライナの状況がますます悪影響を与えて……という展開になってしまった。
そして極めつけは大統領選挙。
あれのためにウクライナはロシア領に侵攻するというギャンブルに出ざるを得なくなってしまった。
まあ、もろもろ考え合わせるとウクライナの兵員不足だけがウクライナが負ける理由ではないんだけど、そこはほら西側が出来るだけ自分たちの責任ではありません、って形にしないと本気でロシアと戦争しないといけなくなるから。
まあそういうシナリオになるよね。
今更だが3話まで読んだので。私は桃の園をあまり面白くないと感じたのだが、「特撮オタクがケチをつけているんだろう」という擁護を結構見たので、非特撮ファンの一意見としてメモしておこうと思った。(ただし言及している戦隊モノやアメコミについて詳しくないので、間違った先入観による発言もあるかも)
「戦隊モノなのにアメコミ寄りに思える設定があり、チグハグ感が強い」「男尊女卑設定もリアリティがなく、フェミニズム作品としても微妙」というのが自分の感想。
一つ一つの設定は「この世界ではそうなっている」と思えば納得できるのだが、「ベースは戦隊モノ、でもここはアメコミっぽくしたい、あと男尊女卑!」と詰め込みすぎた結果、一つの世界の中でも矛盾や違和感が発生しているように思える。
例えば「女性は力で劣る」的なセリフがあり、実際力が足りないため弱点を突く戦法を取っているシーンがあるにも関わらず、最後は普通に石の柱みたいなのを蹴り砕いて蹴り飛ばして怪人にトドメ刺してるのとか「もう設定とかいいからアメコミの女ヒーローが活躍するようなシーン描きたかったのかな」と感じた。
「こんな男尊女卑ある?」と感じた。「フェミや女を喜ばせるためだけの作品」のような批判も結構見かけたが、個人的には特に喜びはなかった。
「女は控えめなサポートに徹しろと言われるが、国(街?世界?)を守るヒーロー5人のうちに女性枠が用意されており、頭脳も肉弾戦も求められ、機械の操作やハッキングなど重要な役割を任されている」こんな男尊女卑ある?
歴史ものなどを見ればガチ男尊女卑のサンプルはたくさんあると思うが、基本は「女は引っ込んでろ、戦い(重要な仕事)の場に出るな」ではないだろうか。
「ピンクは戦ってもいいけどトドメを刺しちゃダメ」もまあ差別ではあるが、差別ひどいと同情するよりは「どういう設定?」となった。
というか「レッドがトドメ」という部分も、ブルーなど他の男性ではダメなのか?と気になった。「レッドじゃないとダメ」なら、男女の問題ではなくなり、軸がぶれてしまうのではないだろうか。
しかも「ゴクレンジャーは基本個別任務」らしい。例えば各地に怪人が現れてみんながバラバラに戦っていた場合どうするんだろうか? ピンクだけでなく他のメンバーもレッドにトドメを譲るためにじっと耐えているんだろうか。そんなことしている間にも被害は増えていくのに。そんなヒーローおる?
女性枠があること自体は、男「女は引っ込んでろ」女「女にも戦わせろ!」というぶつかり合いがあり、その結果ピンクの立場を勝ち取った、というなら分かる。しかしその場合はピンクやその育成学校は「女性権利拡大の象徴」になっていそうなものだ。おしとやかで控えめで女性としての役割を弁えたピンクを育成しますという作中の学校描写から見て、そういう設定ではないだろう。
もちろん今後話が進む上で、実はこういう設定があったからこうなっているのだ、という補足が入るかもしれない。しかし最初から匂わせているならともかく、後から突然実は~と明かされても、違和感の解消には繋がらない気がする。
あまり好感が持てない。自己紹介の時にあへへとか言ってるのもなんだコイツシャキッとしろやと思ったが、その後の行動も自己中すぎる。テストが全然分からない、歴代ヒーローの情報なら暗記してるのにというシーンはなめてんのかと感じた。憧れのレッドみたいにバトルして敵をなぎ倒したい!>>>>>>>>>>>>>>>>>人助け みたいな感じがして、1話ラストで先生が言ってることの方が正論に聞こえてしまう。
2話で主人公を応援してくれるベビーは「女の子らしい」キャラに見えるが、ベビーの方がよっぽど人として好感が持てる。テーマ的にそれでいいのだろうか。
2話の描写の「オシャレ、かわいいもの等に興味がなくボーイッシュな子なのに、女らしくしろ!とリボンフリルの服を着せられる」というのもフェミニズム表現としてかなり古いように感じる。母親の描写も毒親問題が混じってここでも軸がぶれているように思った。しかし桃の園に入学するのに母親の許しとかはいらなかったのだろうか。金は誰が出したのか。「まあ、ゴクレンジャーのピンクを目指すの? 怪人をボコったりレッドが来るまでボコられるのに耐えたり大型機械の操作やハッキングを学んだり山中で生存訓練するのね! とても女らしくおしとやかな進路だわ!」つって許可してくれたのかもしれない。
立ち位置が分からない。伝統的な価値観に従って、女は女らしく控えめに!という思想を持つキャラのはずだが、主人公より口汚くうるさく粗野に見える。作中の誰もツッコまないのでギャグなのかなんなのか、どう思えばいいのか不明。
1話で主人公を他の生徒達がせせら笑っているシーンなど、テンプレ的な「意地悪で陰湿な女子」表現がある。主人公の母親が不気味に描かれていることも含め、そもそも作者さんはそれほど女性やフェミニズムに興味がないのでは?と感じた。
女性キャラに対する愛情や共感を感じないと言ってしまうと主観的すぎるが、「主人公以外の女性キャラも、女性が抑圧されている(という設定の)この世界で生きている同じ女性である」ということを意識して描かれているような感じがしなかった。(男性も「男らしくしろ」という抑圧を受けているかもしれないが、今のところその描写がないので置いておく)
抑圧されているにしてはみんな個性的な髪型服装をしているし、主人公以上に暴れそうなビジュアルの子もいる。そして内心は分からないが、主人公と母親以外のキャラは「女はサポート、控えめに」という価値観に苦しめられたり悲しい思いをすることもなく、普通に過ごしているように(現時点では)見える。
主人公だって、「女性差別が許せない」というよりは、「自分がレッドみたいになれないのが悔しい」というだけに感じた。「君は優秀なので、特別にレッドみたいに振る舞っていいですよ」と許可が出たら、この主人公は普通に喜んで受け入れて、話が終了してしまいそうな気がする。
作品を読んでいて「これは漫画だけど、現実でも似たような女性差別を感じたことがある。主人公以外の女性もつらい思いをしているみたい。主人公頑張って、この世界を変えて!」という気持ちになるシーンがない。
いきなりさくらちゃん呼び、2人きりの場所に移動し「応援している」と囁きつつ頭撫で撫では正直気持ち悪く感じた。各キャラの年齢は明示されていなかったと思うが、主人公が5歳の時点で既にレッドはヒーローとして活躍しており、成人はしているように見える。主人公は「少女」と書かれていたので未成年ではあるだろう。一回り以上年上の男が未成年にいきなり会いにきて下の名前+ちゃん呼びしていつも近くで応援しているナデナデは色々と大丈夫なのか。
もちろんこういった描写は悪、描くべきではないとか言いたいわけではない。恋愛メインの作品なら何も思わなかっただろう。しかし女性差別の蔓延る(という設定の)世界に抗う少女、という話を読んでいたら急にセクハラされてトゥンクしている描写が出てきて面食らってしまった。
主人公はまだレッドに対する憧れがあるからわかるが、レッドは女性差別はいけないと思っている立場だろうに何をやっているのか。男は戦って女子供を守るものだガッハッハ!的なキャラだった方が納得感ある。男と女は対等だよね、さくらちゃん!よしよし! 大丈夫なのか。
3話ラストで、襲撃されるレッドに守られてるだけの主人公にも呆れてしまった。レッドを超えるピンクになると言っておいて、いざレッドが襲われているシーンに出くわすとあわあわして固まり、抱きしめられて庇われているだけ。私がレッドさんを守りますとか言って戦う姿勢くらい見せてほしい。まあ次回あるかもしれないが、3話だけだと結局女は守られるもの的な流れに感じる。それなのに、君こそが世界を平和へ導くんだとなんか急にちやほやされる謎。
この主人公が救世主になるほど、他に女性差別反対を訴える人材がいないのだろうか。現ピンクは「おそらく内心では現状を変えたいと思いつつ、表面上は女性らしく振る舞ってきっちり仕事をこなしている人」のように見えて割と好感度が高いのだが、現ピンクさんより主人公が優れている点は何かあるのだろうか。
・「女性は力で劣るから不利」という設定を保つためか、スーツで身体機能が強化されるとか、特殊能力とか、合体技とか、かっこいい武器とかが(今のところ)出てきていない。素の肉体能力だけで戦っており単純にワクワク感が薄い。
・怪人ってなんなの?何と戦ってるの?という部分の説明が後回しにされているのに、人間が人間を襲っているシーンも出てきて困る。最初の敵がなんなのかも説明してないのに別勢力を出さないでくれ。
現代日本の都市部で大量の敵が暴れ始めたので一般人に被害がいかないよう戦いながらも田舎のひとけのない方へ敵の流れを移動させていたんだけど、気が付いたら自分を追ってくる敵が一人もおらず結果的に迷子になってしまった。
途中なんかギャルの集まりみたいなところに混じってたら地震が起きて、ギャルと一緒にヤバすぎ~って言った後唐突に荷物邪魔だなってなって律儀にそのへんにあるコインロッカーに預けるんだけど、それも途中でどこのコインロッカーに預けたかわからなくなって近隣のバーの店員さんにロッカーの場所聞いて荷物取ってまた都心へ行くぞ!ってしてた。ずっと空回り続ける炭治郎。(自分)
炭治郎だけどぜんぜんパーカーだし刀持ってなくて、肉弾戦してた。方向音痴で記憶力ないけど、フィジカルの数値めちゃくちゃふられてて身体能力がすごくておもしろかった。どんだけ走ってもまったく疲れない。ただ迷子にはなる。
昨今、女子スポーツにおいて「トランス女性」やらオリンピックの性分化疾患やらで男性の身体能力が女性より遥かに高く
それゆえに女子スポーツへの参入によって身体女性を危険に晒していると話題だけど。
でもこれってある意味(一部の)フェミニストの自業自得な部分もあると思うんだよね
だって彼女達ってこれまで、基本的に男女の身体能力の差を軽視して来なかったか?
女も男並みに前線で戦わせろ、肉弾戦で男と同レベルに強い女を出せ、回復や補助のような後方支援は活躍しているうちに含めない、攻撃力が高くても魔法や超能力では駄目、とにかく物理攻撃力が全て、
……って主張してきたじゃん。
そういうフィクションばかり流通するようになったのも、男女の身体能力の差が軽視されるようになった一因なんじゃないの?
先日話題になった『桃の園』って漫画もそうだよね。女はピンクしか出来ない、ピンクはサポート役、サポート役ではなくレッドになって直接的を倒す事にだけ価値があるって内容。
まあ彼女等が現実とフィクションは無関係!完全に切り離せる!ってスタンスならばいいんだろうけれど
実際はそうじゃなくて現実と結び付けたがるじゃん?
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春アニメがおおよそ終わったので、見た作品の感想を書いてみる。雑ですまない。
継続中の作品も含めて、このクールに視聴したものが対象。順不同。
シルフィとの結婚式から、二人目の妻としてロキシーを迎えるまで、と書くとひどい。
原作小説のファンなのでOPだけでもブチ上がる。ネタバレ多いOPだけど、アニメ勢はどう受け取っていたんだろうか。
ロキシー助ける回でのウェディング水着フィギュアのCMもネタバレひどかったし、ロキシーはスピンオフコミックでも冒頭いきなりネタバレ入るし、つくづくネタバレ運がない気がする。
相変わらずの高クオリティなアニメだけど、今クールは尺の短さに苦しんでいた印象。12話×30分のフォーマットは限界が来てる。ロキシー助ける回と助けられる回は40分くらいに拡大したほうが良かった。特にロキシーのピンチはもう少し丁寧に絶望を描いてほしかった。
とはいえ、ヒドラ戦の熱の入り方とかは非常に良かった。IIIも期待。
魔術バカが転生したら魔術の才が溢れる第七王子になったので、探求のために無茶苦茶やる話。
主人公のロイドがかわいい。まだ小さいからということで混浴するも本人には全くその気がないのも良い。
テンポ、演出面が非常に良かった。なんかアニメの作り方も特殊らしい?
あまりに面白いので、放映中にコミカライズに手を出した。小説原作だけど、アニメはコミカライズベースっぽい?原作とはどれくらい乖離があるのだろうか。
小説原作の吹奏楽アニメの最終章。こちらも尺が心配されていた。演奏シーンが軒並みすっ飛ばされていて悲しい。原作もそこは描写薄いのだろうか?
本編は実力のある転校生が来たことでかき回されていく久美子周辺を描いており、若干ストレスフル。
最後のオーディション結果は原作と結果を変えたらしい。原作未読だけど、個人的には改変反対派。原作は深堀りできていないとか、ご都合主義とか見たけど、物語なんだし、ご都合主義で良くない?
深堀り不足に対しても別の改変のしようがあったのではと、もやる。
最終回の演奏シーンも回想たっぷりで個人的には不満の多い最終シーズンになってしまった。
知らない人はいない漫画原作の最終クール。原作最後までやったようで、良かった。
初回と最終回がともに地球の存亡をかけたラムとの鬼ごっこ、という対称性が美しいし、地球の存亡が一個人の色恋の話に落ちるのも良い。みんなもっと気楽に恋愛感情で世界を滅ぼそう。
ソシャゲ原作はメインキャラが多かったりして、入りづらいのが苦手だけど、ブルアカは見やすかった。メインキャラ5人だもんね。
もう少し当番回的なものがあっても良かったかと思うけど、野暮かな。先生が原作だとおそらくプレイヤーだろうから、その辺の配慮もあるのかな。
もっとえちちっちなイメージかと思ったけど、全然そんなことはなかった。夕方アニメでもいけるレベル。
BDのCMで毎度聞かされて、なんのこっちゃと思ってたけど、最終話できっちり回収。若干、唐突感あったけど、すげー綺麗に話が終わった。と、思ったら続くんかーい。まあ、それはそれとして二期楽しみ。
しっかりくっついて、いちゃいちゃしていたので、そこもまた良かった。
怪異を解決して、切符に変えてもらい、妹を元の世界に戻すのが目的。1クールで綺麗に終わって良かった。
精霊の女の子とデートして、キスして魔力を封印する話。まじ引くわー。
久々の続編アニメ化で、話をすっかり忘れてしまっているところがあったけど、楽しめた。狂三の能力の使い方とかすごくうまかった。
5期までやって、きっちり完結させるというのはなかなかできない。他のアニメも頑張って欲しい。
小説の世界の当て馬キャラに転生し、ひょんなことからスパダリ王子に惚れ薬を盛ってしまって愛される話。
坊主枠なので毎度おせっせするわけだけれど、おせっせシーンは地上波では流れないのである。無念。でも、最終回付近は肌色率高かった気がする。
惚れ薬のせいで、という点が少し引っかかりあったけど、この点も最終回で回収されていて良かった。
ラブライブの虹ヶ咲学園のメンバーがわちゃわちゃするショートアニメ。気軽な気分で見られるのが嬉しい。
EDが侑の浮気シーン集と言われていてウケる。でも可愛いからOKです。最後のせつ菜と手を振り合ってるのいいよね。
親方、空から女の子が!なボーイ・ミーツ・ガール、と思いきや人外ハーレムもの。
この手の話の入りでハーレムものって珍しい気がする。前クールの道産子ギャルとかもそうだったし、流行りだったりするのだろうか?
女の子が可愛くわちゃわちゃしてて、安定して見られた。
怪獣の脅威がある世界で防衛隊を目指したものの本人が怪獣になってしまった話。
若干、進撃と被るところあるなとも思うが面白かった。解放戦力とか数値化はなんだかんだ分かりやすいよね。
カフカの話であると同時にレノの話にもなってくのかな?二期も期待だけど、ずっと茸と戦ってるってマ?
これ何期目だろうか?
劇場版ちゃんと見てないからか、いつの間にかデクの能力増えてる気がする。黒鞭ってなんだっけ?TV版見返したらちゃんとやってるっけ?
完全に最終決戦、前哨戦のアメリカのトップヒーローと死柄木のバトルもかなり面白かった。
殺し屋が一年、平穏な暮らしをしようとするも、そうもいかない話。
原作既読。雰囲気がちゃんと作られていてとても嬉しい。twitterにひたすらプロモで流れてきたような名シーンのアニメ化はわくわくしちゃう。
これも2クールやるのかな?
終盤の展開は少し納得行かないところもあるけど、エモの波状攻撃、みたいなアニメだった。
百合姫原作、今季ガールズバンドものその2。※主人公はバンドしてない
百合姫だけあって、明確に女子同士の恋愛感情として描かれているのがとても良い。他アニメにも見習ってほしい。
バンドアニメで実力が飛び抜けてるライバル、なんていうのはよくある話だけど、ローレライは音による説得力が凄かった。演出の仕方がうまいのかな?なんなんだろうな。
恋愛面でも結構入り組んでいて、それでいて主人公カップルは安定しているのがとても良い。
制作の遅れで残り2話がスケジュール未定なのが残念だが、クオリティ保ててるので待ちます。
ピーキーな主人公が暴れながら、バンド結成と覚悟を決めるまでを描く。
ぼざろのぼっちの目標が高校中退だったけど、こっちは高校中退がスタートラインだった。ロックだ。
最終回でOPがワンカットだけ差し替わるのエモかったな。残念ながら、視聴時は気付かなくて、twitterで見て知ったけど。
SAOクリアしたと思ったら、オーバーロード始まっちゃった、みたいな。
分かりやすい転生俺ツエーなので気楽に見られる。
プリキュアシリーズ最新作。今回は動物モチーフというか、動物もメインキャラとして変身する。
今回は肉弾戦はおろか、ビームすらない。暴走している動物が可愛そうだから、なだめて癒す。作風とは異なり、かなり挑戦的な作品。
追加戦士である、猫のユキと飼い主のまゆが百合的にはとても美味しい。人間態になれるようになっても猫吸いしてた。いいぞ、もっとやれ。
わんぷりの良心こと悟くんと、うさぎの大福が変身するかがとても気になる。是非、してください。
修行編だけでアニメやるってなかなかだな。鬼滅だからなんとか許されるレベルか。話数絞ったり、アニオリで模擬戦闘入れたりと努力の跡が見られる。
鬼滅は炭治郎がちゃんとむきむきになるのが良いよね。修行編はその辺堪能できる。
最終話の静かに無限城に落ちていく善逸かっこよかった。続きは劇場版か〜。TVアニメとしてもやってほしいな。
弱小貴族の領主の息子に転生して、能力鑑定のスキルで良い人材を集めて、平和な世を目指す。
他の人から疎まれたりしてるけど、能力は高い人を集める、ということで、癖強人材が集まってくる。最後の酒カスのお姉さんはショタと立ち位置被らないかちょっと心配。
最終回で皇帝を目指す、という壮大な目標が示されたのが良かった。
主人公がいまいち煮えきらない感じでフラストレーション溜まってたけど、終盤にきて覚悟が決まってよかった。
7Gにより変質した世界で吾野から池袋まで電車で友達に会いに行く。
変な駅に止まってトラブルに巻き込まれて、なんとか電車に乗ってまた次の駅へ、って銀河鉄道999の系譜なのかな。
非日常の世界観が楽しい。7Gのせいにすればどんなとんちき世界でも許されるのが強い。吾野流弓術とかよくわからん武術設定も良かった。
第七王子もそうだけど、これも異世界から異世界、今どき流行りだったりするんだろうか?
周りに女子が多く、ハーレムかと思えばそんなことはない。くぎゅぅ一筋。
同時に転生した"勇者"の独特の演技がだんだん癖になってくる。あやうい。
意外と俺強くない展開が多くて、やきもきする。騙し騙され、暴力に訴えられてなんとか逃げて、みたいな展開が多いから、最近の作品に慣れてるとちょっとストレス過多かも。
同じ高校、同じクラスに通う女性声優がラジオ番組をしながら、声優として成長していく話。
喧嘩っぷる的な百合を摂取したい場合におすすめ。中盤の母親との賭けとかはなんだかなあと思うが、なんだかんだ見てしまう。演技をする声優の演技をする声優さんすごいよね(ややこしい)
このすば。いつも通りクズだっり、ほんのり恋愛要素があったりしながらも、決めるところは決める。それが良い。
このすばも間が空いてたから、主要キャラ以外のことを結構忘れてた。
凄腕のバーテンダーがスカウトを躱しながら、色んな人の人生を少し良くする話。
個人的今季ダークホース、全く期待してなかったけど(ごめん)、見たら面白かった。
主人公の語り口が優しくて、見てると一緒に癒やされるのだろうか。
あれまだ2期だっけ?
意図的にシリアスなギャグをやり続ける魔王様。聖歌隊は毎回、悪ノリが過ぎるぞ。人前で見るには別の意味で勇気がいる。
本筋は結構泣ける話も多い。今季は元魔界の皇族の先生の話とか良かったね。
ドラゴンに食べられた妹を探すため、魔物を食べながらダンジョンに潜る。
原作好きだし、丁寧にアニメ化しててくれて大満足。逆に言うことがないな。
続編も期待。
この手の話ってみんな、その部に入りそうだけど、ゆるキャンはもう少し個人主義が強いし、それで良いのが良い。
今季からだいぶ絵柄変わったけど、原作も?個人的には前の方が好き。でも安定したクオリティの高さで良かった。
何故か一途なイケメンと、恋を知らない女の子。何故、彼が一途なのかは君の目で確かめてみろ。
恋愛ものって見やすいのと、そうでないのあるけど、なんなんだろな。この作品は前者。負荷のコントロールがうまいのかな。
中盤くらいでちゃんとくっつくから、後はいちゃいちゃが堪能できる。
相手を食べるとスキルが得られるんだけど、だんだん雑というか、恥ずかしくなってくるかも?
話はテンポが良くて見やすいけれど、人によってはダイジェストに感じるかも?
イケない教。もどかしい二人を見守る作品。ゴールする前に養子を迎えてしまった。ある意味、展開が速い。
ダークシュナイダーが情けない声を上げていたのが悲しい。
キャラクターの濃さとテンポの良さは良かったけど、ちょっと消化不良に終わったような?続編やるつもりなのかな。
転スラ。フリーレンの後枠にこれを据えるのはなかなか冒険だと思われる(内容以前にいきなり三期だし)
今までのシリーズも見ていたけど、そんなに内容覚えてないから、ついていくのは少し大変。初見の人は楽しめたのだろうか?
相変わらずのお兄様で安心して見られる。こちらもちょっと人物把握は大変(特に学生以外)
学生イベントの表立っての活躍はもうやったから、ひたすら暗躍していた印象。
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おすすめアニメ各種、助かります。ただ毎クール、新アニメ追うだけで大変なので、なかなか見逃したアニメまで手を出せない現状。悩ましい。
毎クール、本数だけは見て、すぐに忘れてしまうから、続き物に弱い。すまない。記憶力ある人羨ましい。この増田も、せめて見たアニメは記録しようかなと思い書いてみました。来季も気力湧いたら書きます。
基本的には地上波勢なので、配信アニメは地上波に来たら見ます。T・Pぼん、はるか昔に性癖を歪められたから期待してる。
普段はtorne+ニコニコ実況で見ているのだけど、ニコニコ止まっててさみしい。いまよ!からのファンタジルタドールの流れとか大好きなんだ。
https://shonenjumpplus.com/episode/17106371852950440097
親の愛も一般常識も知らない少年を、たまたま居合わせた100人の奴隷が庇った結果、超常の生贄条件と合致し100人分の力や命を得ました。さてどう生きるか。さっくりそんなかんじの話。
この作品を他の漫画で言うならば、大枠は荒川弘+藤田和日郎。そこに不滅のあなたへとかヴィンサガとかの人間性の獲得や力持った人の力抜きでの通し方とかがありそう。
絵のほうはboichi味もあるかな。目の周りのラインとかが想起させるけど、やっぱり筋肉とかがですね。
主人公、読んでいるとイメージよりかなりマッシブになる。力を行使すると筋肥大するようには読み取れなかったんだけど、今公開してる8話とか、アームストロング大佐を思い出すようなステゴロ肉弾戦を描く人みたい。そういった人物の絵の書き方や命を寄せ集めて対話もできそうとなるとどーしてもハガレンを思い出すよね。と。悪い意味じゃなくて。(中年以上のおっさんが魅力的なのも二人の先達と似てる)
そして超常の怪異、モンスターなんだけど、これがすっっっっっごくデザインが怖くできてる。まだ数体しか出てないけど、どれも背筋がゾクゾクする恐ろしい姿で、本当に驚嘆している。
ただですね、この人から離れた秀逸なバケモノたちがですね…すっごくおしゃべりなんですよ。
そしてひとたび口を開けば人よりも人の心理を理解しているし、人よりも人くさいセリフを吐くんです。人の理の外の存在なのにね。人の恐怖を煽るには心理に精通していると効果的ではあるんですけど、どうしても獣から離れていく。
好き嫌い別れる部分かと思います。私は結構嫌いです。少なくともホラージャンルからはずれるし。そしてこの手法の使い手が藤田和日郎なんです。
2話のキメの見開きが獣の槍だから、じゃなくて人くさいバケモノ成分を指して藤田和日郎をあげてます。藤田センセのあれは手癖もあるけど子供読者向きにそうしてるのかなと思っていて、そういう想定読者層を下げることをジャンプラでやる必要はそんなになかったのではと残念に思っています。
イラストだけならダクソ・ブラボな方向性にいけるのに、ダークファンタジーバトルを銘打つ割にはライトな方向性になるのかなと予想中。
そもスタートからしてドードーやステラーカイギュウもかくやといえる温和で奴隷になった危機感がないのか?という100人が食料を分けたり、かと思えば火事場では全員命を張って女子供を庇ったりの暗い部分が無い善性の塊だったのでね。人間賛歌の比重重めでそのためダーク要素、と主従が逆かもしれない。
そう、モンスターデザインを褒めたけど、キャラクターの描写もよくできてる。さらに会話も緩急もつけれてて抜きのセンスも感じるのだ(100人しか知らないとか、ボケてる老人のところとか「できるじゃない!」と思ったね)。悪人が若干、テンプレすぎるけど、現状使い捨てしか出てないから、準レギュラーレベルの悪人が出たときにどうなるか、である。
出来ておる喃…といえば海の化け物からの祝福という点に言及しておきたい。
不死身系の制圧方法のお約束の溺死(窒息死)を2話曹操に海からの祝福だから水の中へっちゃら!としたのはほぼほぼ自然な形でさっさと提示できてよかったのではないでしょうか。
まとめるとですね、ジャンプ本誌を目指した作品。本誌に連載しててもおかしくないクオリティだしそういう読み味だけど、同時に話が本誌対象読者向け、やや低年齢向けの組み立ての可能性濃厚なので、過剰なご期待はご遠慮したほうがよいかと。
この作品のどこを気に入ったのかをちゃんと自覚しておいて、作者が目指す方向との周波数をつど確認しておかないとアンチに落ちかねない危うさを感じるのでやや引いて応援しています。
面白いけど、「好き」まではもう数話様子見やね。