
はてなキーワード:羞恥とは
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』がゴミだった。
まあまず『ワールドイズマイン』や有名ボカロ曲を使ったプロモーションを全面に押し出してきていた時点で怪しいものを感じていた人は多いと思うのだが、
その予感は当たっていましたね。
「百合っぽければいいんでしょ」とか「長い時間をかけて思いを募らせてればいいんでしょ」、「とりあえずライブ入れておけばいいんでしょ」
という、現代の客をナメてナメて舐め腐った作り手の意識が出尽くしてしまった、典型的な『若者舐めてる系』の創作である。
いやまあ、実際のボカロ曲の選定を見るに、自分を10代だと思い込んでいる30代とか40代のおっさんとおばさんがメインターゲットなのは明らかなのだが。
ちなみに俺はアニメは一応2回見て小説版は見て、ガイドブックを参考にこのレビューを書いている。
※ガイドブックは絵もテキストもクソ浅い情報しか載ってないのに3000円以上も取るのかよ、という客をナメたものなので買うのは推奨しない。
☆良かった所
・曲、声優の演技
■悪かった所
シナリオ、キャラクターを中心とした「良かった所」以外の全てがゴミ
■シナリオについて
ガイドブックによるとメイン声優陣が「複雑すぎる話を最初は飲み込めなくて~」と言ったことを全員語っているが、それはまあその通りである。
この話にシナリオなんてものはほとんどないからだ。っぽくしているだけで、ぶっちゃけ大したことはやってないというかシナリオ構造自体が破綻しているのだからキャラの想いなんてものはなくて当然である。
複雑なんじゃなくてシナリオになってないのだ。というか、キャラクターの行動原理がわからないのだから当然だろう。最初から製作陣がわかっていないものを説明しろと言われても無理なものは無理なのである。
なんでこいつら配信してんの?いやまあ表層的なことはわかりますよ。歌に救われた(笑)とか、推しに救われた(笑)からだよな。
まあ、それならそれでしっかりそれを描いてくれないと説得力がないんですよね。
そういう人間の過程を描く能力がないから、チラ見せしてそれっぽい視聴者の都合のいい妄想に頼ってるんだよな。
「能力がなくてやれなかったこと」を「あえてやらなかった」って言うのやめません?「ストレスフルな展開はあえて外しました」じゃないんだよね。
単純にキャラクター設定が適当で、話の構造作りも適当だから、ちゃんと人間の関係性描くことができなかっただけですよね。
要するに人間と人間の機微なんてものを描く能力がないんですよ。監督に、脚本に、スタッフに。
■キャラクターについて
それなのにインタビューによれば監督は「人間同士の密接な結びつき」を書きたいらしい。
それで、その密接な結びつきとやらはどこにあったのだろうか?
こいつら、結局なんで仲良くなってんの?お互いがお互いを必要とする理由って何?なんで配信者やりたいの?結局さ、人間が描けてないんだよね。
彩葉は趣味バイトやりながら東大合格余裕で、ゲームはプロゲーマー級、実のお兄ちゃんは超人気ライバーという「悩み」があるのも烏滸がましいレベルの超人である。
いや、わかるよ、苦労してるところを人に見せまいとしたり、父親の死(笑)とか母親との衝突(笑)があったもんな。悩む悩む。ダイジェストでやられたからしっかり伝わってきたよ。
俺も東大法学部余裕でゲームだけで稼げる腕があったら彩葉みたいな『周囲の空気を読む人間』になるわ。
やっぱね、そんなハイスペ人間なら、推しの歌だけを頼りに自分の辛さを覆い隠して笑う人間になっちゃうよね。わかるわかる。ならねえよ。アホかと。
まあ、ハイスペだから絡んでる友達もハイスペってのはリアリティあってよかったと思います。(友達連中は美容系インフルエンサー(笑))
そういうスペック高い人間以外は画面に映りすらしないのが監督の人柄がよ~く出てますわね。とても人生に悩む少女を描けていたのではないでしょうか。
カグヤやヤチヨの所も、もうね、浅いなどというものではない。
ヤチヨはなんとカグヤだった!8000年間、彩葉を待ち続けていたのだ!!!って言われてもねえ。
監督自身が言ってるように、『Fate』の士郎とエミヤの関係性やってみてえ!くらいの浅い思いつきでしかないな、と思いましたね。あーわかるわかる、何か8000年の時を経たことで
カグヤを見守る翁と媼になったんだよな。意味わかんねえ通り越して馬鹿なんじゃねえの?なんかそれ話として意味ある?ないよね?
それでやることが結局ライブかよ、という浅さね。こいつら何?ずっとアイドルやりたかったわけ?結局Vtuberとか配信文化ってものへの理解が浅いからこういう表現になっちゃうんだよな。
で、なんだっけ「キャラクターがいかに印象に残るか、生涯を通じて人格が変化していくことのエモさを書きたい」んでしたっけ。描けていましたか?
「自分が育てることになったわがまま娘が自分が推していたわがまま娘だった」ことが大変ドラマティックで、2時間使ったらしいのだが、何言ってんだって感じ。
そのギミックから逆算して話を作ってるせいで、いや、話になってませんよね、としか言いようがない。だってどこにドラマがあるのか描いてねえんだもん。
結局その「チラ見せ」でなんか都合のいい話を君の中で膨らませてくれ!ってスタイル、やるならやるでちゃんとやれよ。
2時間ちょいあれば『もののけ姫』くらいの肉厚な人間描写はできるんですよ?なんで出来ないんですか?スタッフ陣に才能ないからじゃないですか?
■それっぽさだけで構成された配信文化とゲーム文化と戦闘シーン
輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像と、Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲームと、
なんかとりあえず戦っとけばいいんでしょ?っていう月人相手の戦闘シーンと、もうなんか突っ込むのもめんどくさいくらいのそれっぽさの集まり。
しかもそれぞれがストーリーに対して何の寄与もしてないという。配信者ものって、結局視聴者はバズるためだけの道具というか舞台装置みたいなもんだししゃーないんだが。
他の監督だったら最後の戦闘シーンはツクヨミの他の視聴者たちもカグヤのために立ち上がって戦うくらいのハッタリ・サービスは見せてくれてたというか、
カグヤやいろPの配信やSNSで繋がることの真の意味でのエモさみたいなのも描いてたと思うんですよね。まあ、この作品の製作陣は視聴者なんてどうでもいいと思ってるからそんなん必要ないか!
何回も言うけど舐めてんだよね、話を。「なんかエペっぽく戦ってるシーンあればエモいっしょ」くらいの舐め。「輝夜月っぽいことやってりゃバズんでしょ?」みたいな舐め。「有名ボカロ曲カバーさせときゃいいっしょ」みたいな舐め。
■「世の中への舐め」
『決めたら叶う』が基本なんだよね。この話。子供を育てることも、家族を説得して引っ越すことも、世界を席巻する仮想世界でトップの人気を得ることも、
因果の先でハッピーエンドにすること(笑)も、とにかく決めたら、あとはダイジェストでそれが叶えられていく。何故なら登場人物がハイスペだからです。という身も蓋もない話。
10年研究すれば完全な義体も作れるし、行くことを決めたら月の仕事を終わらせて地球に行くことも叶うし、カグヤとヤチヨのなんかよくわからん分裂?3人でハッピーになりたいみたいな都合のいい結末も叶う。
彩葉もカグヤもヤチヨも、全部『悩むけど決めたら全部叶う』が基本。まあこれはしょうがない。今のアニメ観てる視聴者層って何かを決めることがまるで一大事みたいに思いこんでるからね。
それに加えて、結局、監督の恵まれたエリート思想が見え隠れするよね。アニメを作る能力もある、予算もある。じゃあ何をするかというと決めることだけなんですよ。
「何をするか決定する」ことにこの物語は終始一番の価値を置いている。世の中の99割のゴミは何かを決めた所で実力とリソースの不足でそれが叶うことなんてないのにね。見てて悲しくなってしまったよ。
このアニメを見て少しでも何か感情的になったゴミは自分が何かを決定したところでハッピーエンドになんてたどり着けないことを胸に刻んで生きていこうな!
監督脚本の「こんなもんでよかんべ」という舐めが見えてくるのに、視聴者=ゴミは感動しちゃってるらしいので、その非対称性でホント悲しくなるよ。
細かい過程とか、情動とか、どうせ理解できないし、こんなもんでいいでしょ。キャラが何か悩むフリして、ライブ見せとけばいいんだよ。という『舐め』。
まあしょうがないか、こんなアニメで喜んじゃってる層は舐められるに値するよね。
「ワイズマ」に思い入れがあるならちゃんとライブシーン描けよ問題。
この「ワールドイズマイン」、山下監督たちスタッフが滅茶苦茶こだわっている部分らしく、初報のPVでも使ってるし、
早見沙織もインタビューで製作陣のおこだわりを語ったりしているのだがそれにも関わらず、『生歌収録(笑)』にこだわって、なんか微妙な歌と化している。
特に途中の面白グラサンをかけてかぐやがヤチヨに変な踊りを繰り出し、ヤチヨはそれを見て笑う…というシーンがあるのだが恥ずかしくて見ていられない。
陽キャに憧れた陰キャがカラオケでふざけてるのを見せられるような羞恥だ。歌ってる時に身内でギャハギャハ笑ってるアイドルとか誰が望んでるねん。
ていうか思い入れがある曲なら真面目に表現しろよ。終始、どこか照れてんだよね、この作品。結局、「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。
何回も言うけど、『コンテンツを受容する側を舐めまくってる』ことがにじみ出てるシーンだと思いました。
ていうか百合やりたいのか知らねえけど取り合うシーンいる?歌えよ。歌を。ワールドイズマインだぞ、ワールドイズマイン。なんでちゃんと歌わねえんだよドブカス。
■総論
監督とPの『竜とそばかすの姫』のライブシーンだけ抽出して変な細田展開減らしたら受けるんじゃね?という目論見はある程度成功したと言えるだろう。
お話は2時間20分かけてやる内容ではないがキャラクターのエモーショナルにフォーカスしてMVとして見るといいんじゃないっすか?
豪華なMVだよね。竜とそばかすの姫から余計な要素抜いた感じ。
まあ、細田作品それっぽいエモさを褒めてたような人間が褒めるタイプの駄作。お前、サマーウォーズとか好きそうだよな笑
女が主軸で中身の大半がガールズトークみたいな話で、あとはちょっとした作画オタクがほめそやしてるだけ。
なんか派手なライブがあって、それっぽい推しがよくわからない感動的なことしてればそれで良いという、人モドキには向いてるんじゃないでしょうか。
ストーリーもバトルも配信もダンスも全部意味ないけどエモっぽければいいっていう、舐めた作品を見て情動が動くような人って何かが欠けてると思うんですよね。何が欠けてると思います?
長ったるい俺のレビューなんて読まなくていいよ。この一言だけ覚えて帰ってください。
お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
Permalink |記事への反応(24) | 02:56
画像のテキストは、ある本のページからの抜粋で、サルトルの哲学を引用・解釈したものと思われます。以下では、画像内のテキストを自然な文単位で分解し、各部分について「どこが間違っているのか」と「本当はサルトルはどういう話をしているのか」を対応させて指摘します。指摘は画像のテキスト順に沿って進めます。サルトルの主な参照元は『存在と無』(L'Êtreetle Néant,1943年) で、不安(angoisse, anguish)と自由の関係を議論した箇所です。画像のテキストはサルトルのアイデアを大まかに借用していますが、用語の置き換え、文脈の歪曲、偽の引用が目立ち、全体として自己啓発的な解釈に強引に当てはめている点が問題です。
#### 1. 「と、こんな風に考えてしまう人もいるかもしれません。でも、他人の人生を凝視している間は、自分の人生を生きていないということになります。」
#### 2. 「フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、こう言っています。」
#### 3. 「『憂鬱とは、他人の人生を凝視しすぎた結果である。解決策は、他人の人生を凝視しないことだ。』」
#### 5. 「崖っぷちで下を覗き込むと、めまいが起きる。」
#### 6. 「それは、落ちる恐怖からではなく、自分が飛び降りる自由を持っていることを認識したからだ。」
#### 7. 「つまり、他人の人生を凝視しすぎると、自分の自由を直視できなくなり、憂鬱になる。」
#### 8. 「だから、他人の人生を凝視せず、自分の人生を生きろ、というわけです。」
####9. 「本当の成功者たちは、そんな他人の人生なんて気にしない。自分の人生を全力で生きている。だから、憂鬱になる暇なんてないんです。あなたも、そんな人になりませんか?」
全体として、このテキストはサルトルの絶壁の例を借用しつつ、「憂鬱」「他人の凝視」という独自の解釈を加えており、原典から大きく逸脱しています。サルトルの本質は、自由の重みを直視し、欺瞞なく生きることです。もし本の文脈が自己啓発なら、正確な引用ではなくインスピレーションとして扱うべきですが、ここでは誤解を招く表現です。
昨日の納会に例のエース先輩がいないと思ったら、まさかの「婚約者と自分の両親連れて熱海の温泉」って聞いて耳を疑ったw
あの先輩が、たかだか週末で十分な熱海なんかに行くために業務を放棄?
結婚は「両性の合意のみ」に基づくものであって、親への顔見せとかいう昭和の「家制度」的儀式に固執するとか信じられない
リベラルだと思ってた彼のOSも結局はカビの生えた家父長制の亡霊だったってわけね
ご両親だって孫娘みたいな年齢の女紹介されんのは羞恥プレイだろ…って思ったけど…
ここで全てのロジックがつながったわ
なるほどね
私のアプローチにもなびかず、結婚にも恋愛にも興味なさそうにしてたのに、ここにきて急に結婚することにした理由が完全に解明された
知的レベルの合う自立した女性じゃ「介護」はさせられないもんね
一人じゃ生きていけない程度にリテラシーが低くて、若くて体力だけはある従順な個体が見つかったからつかまえたってことか
うわー、危なっ
イケメンリベラルに見せかけて、これ以上ない特大の地雷案件だったわw
あんなのを「尊敬できる」と誤認してた自分の認知バイアスに戦慄する
ま、早期に損切りできてよかった
正体がわかれば未練どころか安堵しかない
みんなもたくさんの共感リプありがとね
おかげでやっぱり私は間違ってなかったってわかるわ
さて、こんなミソジニーと加齢臭漂う島国は脱出して、私はパリの友だちのところで年越しするから、さっさと準備しなきゃ
じゃ、みなさん良いお年を
【悲報】尊敬していた会社の先輩(39)が「オス化」してて絶望した話
https://anond.hatelabo.jp/20251223083338
【続報】ランチで答え合わせ完了。やっぱり私の感覚は正常だったわ
https://anond.hatelabo.jp/20251223123658
「セックスは女にとって、恋人相手だとしてもただ苦痛なだけだ!」なんて記事を最近よく見るけど、セックス好きな女性なんてたくさんみてきた。
こっちはその気がなくて、手持ち無沙汰だから適当に胸揉んだり乳首つまんだりしてたら勝手に興奮してくる。
Hした過ぎて、裸の四つん這いで求めてくる女性なんてのもいた。
知ってる?女性って興奮しすぎると、あそこの穴が開くんだ。
指2本くらい入れても隙間ができるくらいに。
冷めた声で、どうなってるか説明してあげると、羞恥心でいっぱいなのに、余計に興奮して求めてくる。
正常位だと愛液が出過ぎて、お尻の穴までぐちゃぐちゃになったりもする。
ひょっとしたら、そういう興奮するシチュエーションや辱め、羞恥的なことを他人に見せられないから、興奮もできない、Hが好きじゃない女性がいるのかな?
そんなパートナーが見つかったら性の楽しみはより高い段階にいくのかも。
本人がドヤ顔してようが、お前が勝手に共感性羞恥とかいう情動の自己放尿でビチャビチャになってるだけだろう。
他者の行動に羞恥を感じるというのは、自分の内側に未整理の基準が残っている証拠であって、相手のやらかしとは無関係だ。
恥ずかしいのは相手じゃない。お前が相手の行動を外部刺激として利用し、自分の劣等感を間接的に自己放尿してるだけだ。
その結果として「うわ、見てられない」などと震えている姿こそ、まさに無自覚な自己放尿の実演販売だよ。
相手のドヤ顔がどうとか言っている時点で、支配しているのは相手の行動ではなく、お前自身の処理能力の低さなんだよ。
恥ずかしいのはどっちか、冷静に考えりゃ明白だろう。
パンティーを被るという行為――羞恥・仮面・秩序転倒の文化社会学的考察
パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑の対象になる一方で、
マンガ・アニメ・コメディ・インターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。
一見して低俗にしか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安を喚起するのか。
その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体・羞恥・ジェンダー・権力といった構造的テーマを照らし出していると考えられる。
本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、
という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為が現代社会の規範と矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである。
第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である。
しかし社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的な領域と公共的な領域を峻別する境界線として働いている。
とりわけパンティーは、しばしば女性の身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。
文化人類学者メアリー・ダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matterout of place)」と定義した。
下着は本来、身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである。
それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、
「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。
人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、
それは身体に付随する性的な領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である。
パンティーを被るという行為は、自己の身体そのものを露出しているわけではないにもかかわらず、
下着の象徴性によって「性的なもの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。
そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。
第二に、「被る」という行為が意味する仮面性を検討する必要がある。
顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為の舞台において自己を提示する中核的なメディアである。
目・口・表情を通じて、人は自己の人格・感情・意図を他者に伝える。
そこに被り物をかぶせることは、自己呈示のチャンネルを意図的に撹乱し、
「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。
仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。
覆面をした抗議者やハロウィンのコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである。
パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、
顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在〉であることを宣言している。
重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合「女性用」として理解されている点である。
男性が女性用パンティーを被る場合、それはジェンダー境界を視覚的に撹乱する効果を持つ。
性的同一性や男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的に解体される。
この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、
社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。
第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。
ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。
王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄なものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常のヒエラルキーから解放される。
パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。
そこでは、理性的で成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。
これはまさに、近代的主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である。
パンティーは、ファッションやポルノグラフィー産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。
その商品を「本来の用途」から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、
シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれた意味構造をずらし、
消費社会が約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。
多くの場合、当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機で行為に及ぶ。
しかし、当人の意図とは無関係に、行為そのものが既存の秩序を揺さぶり、
笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。
ここまで、パンティーを被る行為を文化的・象徴的なレベルで肯定的に読み解いてきた。
しかし同時に、この行為にはジェンダーと暴力の問題が潜在していることも看過できない。
たとえば、所有者の同意なく女性の下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。
そこでは、女性の身体性がモノに還元され、男性の自己演出の道具として一方的に利用されているからである。
「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。
他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。
この意味で、パンティーを被る行為を安易に「自由な表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。
一方で、倫理的に許容可能な範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体と羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である。
その両義性を見極めることが、現代社会のジェンダー感覚と表現の自由の両立を考える上で重要になる。
パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗なギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。
しかし本稿で見てきたように、
として理解することができる。
つまり、パンティーを被る行為は、身体と羞恥を厳格に管理しようとする近代社会の規範に対して、
「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである。
もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意、ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。
しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、
規範の相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である。
だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき、
突然だがpixivで下痢系のスカトロ作品を見てきて思った分析を書き残す。
当然排泄に関する話題のため苦手な方は見ないでください。変態のみ読んでください。
まず、大きく分けて「羞恥」か「体調不良」どちらかが目的であることが多い。
羞恥派は必ずと言っていいほど顔を赤らめる。男性作者に多く、おもらし、おむつなど、美少女を辱めるような細かいシチュエーションが多い。
特徴としては「〇〇な××が出ちゃう」「恥ずかしい…」など、実況するようなセリフがつけられている。お漏らしゆえ、大量かつハードめの排泄描写のことも多い。間に合わず公衆の面前で漏らすなど。
病弱萌え?の発展で、便の状態が異常であることや看病シチュに興奮するタイプがいる。
明らかな特徴はないが、体調が悪く弱っている描写、もしくは看病シチュのBLや夢など。
排便の描写はマイルドだが、めまいなど付随する具合の悪さを丁寧に書く作者が多い気がする。
90年代の「サブカル優勢」から「オタク文化の圧勝」への転換は、ざっくり言うと以下の力学が重なった結果だと思う。
作品より“キャラクター”の継続消費(推し活)が拡散・可視化しやすい。MAD/二次創作→SNS→公式展開の循環が強かった。
[2] 反復消費モデルの強さ(シリーズ化・ソシャゲ・グッズ)
ガチャ・ライブ・2.5次元舞台・イベント・コラボカフェ…同一IPで何度も課金/参加できる仕組みが整備。収益の再投資でIPがさらに巨大化。
ファン字幕→公式配信→世界同時上映へ。国内ニッチが海外需要で“メジャー並み”の規模に。
強いエンゲージメントを生むジャンルがレコメンドに乗る。コアファンの熱量がそのまま可視化・拡散力になる。
90年代サブカルは雑誌・セレクトショップ的な編集=ゲートキーパー依存。雑誌衰退とともに拠点を失い、オタクはコミケ/同人即売会/SNS/配信で自前の分配網を持った。
同人・二次創作・コスプレ・ファンイベントなど、作り手と受け手が往復する設計。参加コストが下がり、定着率が上がった。
深夜アニメの一般化、秋葉・池袋の観光資源化、「クールジャパン」文脈等で社会的許容が拡大。羞恥コストが低下。
原作(漫画/ラノベ)→アニメ→ゲーム→舞台→実写→海外、の水平展開が定式化。投資判断がしやすく、外部資本が入りやすい。
[9] 景気・労働環境の変化と“内向き娯楽”
長時間/低予算でも深く楽しめる継続型エンタメが求められ、可処分時間の細切れ化にも合致(スマホゲーム・配信視聴)。
90年代的サブカル(音楽・アート・ストリート・批評)は“場”を媒介にした横断が強みだったが、場(雑誌/クラブ/独立系書店)の弱体化でネット上に散り、まとまった産業スケールを作りにくかった。
要するに、オタク文化は「キャラ×反復課金×参加コミュニティ×国際同時流通」を握り、プラットフォーム時代のKPI(熱量・継続・可視化)に合致した。一方で90年代サブカルは“編集=場”依存で、デジタル転換後の収益装置を持ちにくかった——この非対称性が“圧勝”の正体だと思う。
盗撮、痴漢、児童への性加害といった事件が、もはや日常的にニュースで報じられている。にもかかわらず、刑罰は軽く、再犯率も高い。社会が「性犯罪は軽い過ち」程度に扱っている現状は、被害者の尊厳を踏みにじる構造そのものだと思う。
たとえば、刑法176条の「強制わいせつ罪」は、6月以上10年以下の懲役と定められている。
しかし、実際の量刑は初犯なら執行猶予がつくことも多く、被害者が受けた精神的苦痛に対してあまりに不釣り合いだ。
また、盗撮や痴漢といった「迷惑防止条例違反」扱いの犯罪では、罰金数十万円や数日〜数か月の懲役で済む場合もある。
これは「運が悪かっただけ」と言い訳する余地を残す量刑であり、犯罪の重大性をまったく反映していない。
性犯罪の特徴は、被害者の身体だけでなく「心」を長期的に蝕む点にある。
被害者は、事件後も社会的な羞恥、自己否定、PTSDに苦しみ続ける。
一方で、加害者は数か月〜数年で社会に戻り、再犯を繰り返すケースも少なくない。
この非対称性を放置している時点で、司法が被害者の側に立っていないと言わざるを得ないと思う。
欧米諸国では、同様の犯罪に対して日本よりはるかに厳しい刑罰が科されている。
たとえばアメリカでは、児童への性的接触は州によっては20年以上の禁錮、あるいは終身刑に相当する場合もある。
再犯防止の観点からGPSによる行動制限や、性犯罪者登録制度なども導入されている。
日本ではようやく「性犯罪者情報登録制度」の検討が始まった段階だが、実施までにはなお多くの抵抗がある。
性犯罪に「更生」を優先する思想が根強いこと自体が問題だと思う。
もちろん、更生の機会を否定するつもりはない。
だが、被害者の人生を踏みにじった加害者が、あまりにも容易く社会復帰できる現状には、明らかな不均衡がある。
刑罰は社会が許容できる「線引き」の表現である以上、被害者が納得できるだけの重みを持つべきだ。
それがなければ、司法への信頼も失われる。
その結果、「どこまでが犯罪か」「何が被害か」を理解しないまま大人になる人が多い。
もはや教育だけでは間に合わない段階に来ていると思う。
語の射程が短い者は抽象化の階梯に登れない。
差異を把握できず、概念の分節も甘く、あらゆる対話が情緒的な独白に堕す。
共通了解の前提が構築できない。したがって議論は破綻し議事は空転する。
これは個人の資質というよりも社会全体の言語的劣化、つまり集団的ディスレトリック症候群の顕現である。
にもかかわらず語彙が豊潤な者が揶揄の対象になる。難解な語を用いることが、しばしば衒学的だとか、衆愚を見下す姿勢だと誤認される。
語の精緻さは世界の複雑さに応答するための装置である。語彙が乏しければ、差異が同化し、構造が潰れ、思考は退行する。
たとえば「美しい」と「優美」と「荘厳」と「凄艶」と「幽玄」は異なる審美的位相を指し示しているが、それらをすべて「ヤバい」で代替しはじめた瞬間意味のグラデーションは瓦解する。
蔑視されるべきは語彙を行使する側ではなく、それを解さずに忌避する側だ。
言葉を知らないという状態を恥じる感性がなければ知的な進化は起動しない。
無知を恥じぬ態度を礼賛し、学習努力を揶揄する文化のほうが全体の認識水準を劣化させる。
つまりは言葉を知らないことに対しては羞恥と向学心という適切な応答が必要だ。
そうした態度の積み重ねによってのみ共同体全体の言語的密度は高まり、結果として幸福の基盤となる認識力が共有可能となる。
誰もがわかる言葉だけで世界を語るなどという幻想は捨てるべきだ。理解のために学ぶべきであり、理解できるところに言葉を矮小化するべきではない。
今でも大変にあたまがわるい私だが、昔は自分でもどうかしていると思うほどにバカだった。
あれは中学生の頃。
『おまじない』にハマっていた私。
ある日読んだ雑誌にこう書いてあった。
『好きな人の名前を手首にマジックで書いて、その上にバンドエイドを貼って隠そう。文字が消えるまで貼っていられたら、名前を書いた人と両想いになれる?!』
……ねぇよ。あるわけねぇよ!!
と、今ならゴミ虫を見るような目で雑誌を引きちぎって捨てるだろう。
「なんて素晴らしいおまじないなんだ!」
「教えてくれた人は神に違いない!!」
疑うことを知らない、まだピュアだった頃の私は記事の内容にいたく感動して、さっそく手首にマジックで当時大好きだったひとの名前を書いた。
……ここで普通の夢見る中学生だったら可愛らしく小さな字で名前を書いただろう。
ちょっと賢しい子であれば水性マジックで消えやすくする、とかの知恵が回ったかも知れない。
しかし、重ねていうが私はあたまがわるかった。
手首に油性マジックで力強く『楓』と、当時大好きだった漫画キャラの名前を書いた私。
思いが強過ぎたせいで、バンドエイド1枚程度では隠せない程にデカい文字で書いてしまった。
(でも、大きい文字の方が想いは伝わる気がする……しない?)
左手首にデカデカと書いた『楓』の文字を見て、当時の私でもちょっとしくじった気がした。
しかし幸いな事に『おまじない』には「バンドエイド1枚で隠さなければいけない」とは書いていなかった。
『隠せればOKなんだよね?』
根拠のないポジティブさを発揮し、そう考えた私は追加でバンドエイドをベタベタと手首に貼り付けた。
それを隠すのには全部で3枚ものバンドエイドが必要だったのである。
さて『おまじない』も無事おわり、3つのバンドエイドが並ぶ左手を見た当時の私はテンションが爆上がりしていた。
だってこれを剥がした時、名前が消えていれば私は楓と両想いだからだ。
しかし左手に3枚もバンドエイドが並んでいるのは、流石にちょっと不自然な気もする。
リストバンドで隠せないかと思ってやってみたのだが、3枚のバンドエイドを覆い隠すのに、リストバンド程度では役不足だった。
一瞬ノーカンにしてやり直しをしようとも考えたのだが、一回終えてしまったおまじないをやり直したらおそらく効果は無くなるだろう。
どうしようと悩んでいたその時、私の頭に天啓が下った。
……ぉお、なんと素晴らしいアイデアか?
神もきっと私と楓の仲を祝福してくれているに違いない!
何より包帯に包まれていればバンドエイドも剥がれにくいだろうし、おまじないの成功率も高くなるだろう。
なんという一石二鳥かっ!
当時を思い出して、今は羞恥で震えている。
さて、そんな状態で学生生活をしているとどうなるか、ここまで読んでくれたあなたには想像できるだろうか?
「……左手、どうしたの?」
休み時間に、陰仲間のNちゃんからそんな言葉を投げかけられた。
……そりゃそうだ。
昨日まで何もなかった場所へいきなり包帯なんか巻いてたら気になるに決まっている。
当時はおまじないの詳細を他人へ話してしまったら効果がなくなるという認識が私の中で一般的だったし、
いくら数少ない友人であるNちゃんとはいえ私と楓の仲を引き裂く権利は無いはずだからだ。
なので私は適当にはぐらかした。
「ちょっとドジってケガしちゃったんだ。……ふへ♡」
多分ものすごく気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら、私は彼女へそう伝えた。
「……そう、なんだ。大変、だね。……何かあったら、力になるから話してね」
今考えれば、中学生とは思えない程に物凄く言葉を選んで発言していた彼女。
だが当時の私はバカだったので、そんな気遣いにまるで気付かなかった。
だっておまじないが成功して楓と両想いになれた時のことを妄想して、自然とニチャついた笑顔が浮かぶ程にバカだったからだ。
この左手首は私と楓の絆。愛の証。
当時の私はそんな思い込みを完全に信じる程にイカれていたのだ。
あの時の私は多分、この世の薄気味悪いものランキングでかなり上位に喰い込んでいたと思う。
陰キャではあるが、特に問題を起こすようなタイプではなかった私。
そんな私が、なんでヤンキー説教部屋こと生活指導室に呼ばれたんだろう?
当時のそこへ呼ばれるタイプの生徒は無軌道で素行不良なヤンキー男子か、それに感化された女子の一部だけ。
純粋培養された陰キャであり教室の隅で雑草のようにただ息をしているだけの私が呼ばれる理由など、この時はまったく予想がつかなかった。
頭に沢山の?マークを浮かべながら、私は初めて指導室へ足を踏み入れた。
指導室へ入ると先に来ていた先生に促され、私は彼と向かい合わせで座る。
それはまさに『取り調べ』という空気だった。
私の担任は今だとあまり見ないであろうタイプの熱血教師で、いつも暑苦しい事をクソデカボイスで言う、うるさいひとだった。
そんな担任が無言のまま、ものすごく難しい顔をして私を見つめている。
……え? 私、何かしちゃいました?
身に覚えのないことで呼び出されたあげくに普段うるさい担任から無言で見つめられるなど、ちょっとしたホラーである。
しばらく無言で私を見ていた彼は、搾り出すような声で言った。
「……なにか、悩んでいる事があるのなら話してくれないか?」
いきなり何を言い出すんだ、この熱血教師は。
「……いえ、特には」
心当たりがまるでない私は当然そう返す。
悩んでいるように見える要素など、どこにあったのか?と、この期に及んでも思っていた。
わけのわからない事を言い出した担任の顔を見ると……彼は私を見ていなかった。
「俺も至らないところはある。……だけど話を聞くことくらいは出来るんだ。そんなことをして自分を追い込む前に、相談してくれないか?」
……んん??
ここで察しの悪い私もようやく気がついた。
……ひょっとして、私『リストカットした』と思われてる?
「……あの、先生。ひょっとしてなんですが、私が自分で手首切ったと思われてます…か?」
戸惑っている私に、先生は続けてこう言った。
「ここ何日か、お前の様子がおかしいという話を聞いている。……何もないのに薄笑いを浮かべて左手首を撫でたりしていて様子が変だ、とな」
……oh。
私から溢れ出た楓への思いが、何だかとんでもない方向へ流れている。
まさか本人がまるで意識しない所で、メンヘラ女子みたいな扱いになっていたなんて。
というかメンヘラ女子は意識して他人の気を引くためにやっているのだろうから、無意識でやっていた私はマジもののバカである。
……さて、困った。
誤解を解くのは簡単だ。
何より漫画キャラにガチ恋しているのを他人へ告白するのは、当時のバカだった私でもさすがにためらわれた。
なのでNちゃんに話したカバーストーリーを、そのまま担任へ告げることにした。
「いや、これはちょっとケガしちゃって。跡が残ると嫌なのでちょっと大げさに包帯巻いてるだけ……なんです!」
私が搾り出した渾身のプレゼン。
それを聞いた担任は──
「……そうか。とりあえず、何か悩んでいる事があれば相談して欲しい。自分はあまり器用な方ではないが、お前が困っているならば力になりたい」
……あ、ダメだわ。この目はまるで信じてないわ。
むしろ『本当は何か辛いことを隠してるんだろ? 俺には分かってる』感が満載の表情だコレ。
誤解を解くのは無理そうだったので、私は担任にこう言った。
「……3週間待って下さい。そうしたら私の言っている事が事実だと分かるはずです」
追及を続けたそうな担任へ私は山岡さんみたいなセリフを吐いて、その場をなんとか乗り切った。
(今思うと仮にそれが本当に怪我だったとして『何でその傷をニヤついて見てるんだよ?』って話なのだが、私の気迫に押されたのか担任はそれ以上突っ込んで来なかった)
結局、色々とウヤムヤにしたまま私は担任からの呼び出しをクリアしたのだ。
そして、それから3週間弱が経過する。
無事にバンドエイドは剥がれたのだが、『楓』の文字は完全に消えてはいなかった。
(今なら分かるが油性マジックを使ったのがいけなかったのだろう)
あれほどの困難を乗り越えたというのに、私の想いは彼に届かなかったのである。
あの時は本当につらかったが、今は別の意味でつらい。
翌日、担任に傷跡のない手首を見せたことで私のリスカ疑惑は解消された。
『え、マジでただのケガだったの?』みたいな顔をしていた先生の顔は今でも覚えている。
ちなみに何年か後、当時の私は影で『嘘リスカ』とか呼ばれていたらしい事を知って身悶えた。
あれからン十年経ったが、私は今でもあの『おまじない』を書いた雑誌を許せない。許していない。
『文字はバンドエイド1枚で隠せるような字の大きさで書きましょう』というものすごく必要な情報をバカでも理解できるように書くべきなのを怠ったからだ。
お陰で、頭のわるい子である私が『頭わるい上に痛々しい子』にジョブチェンジしまった責任は追及していきたい。
あと3週間くらいバンドエイドを張りっぱなしにしてると、それを外した時にマジでくっせぇのな。
手首真っ赤になるまで洗ってんのにだよ?!
アホほど制汗スプレーかけても、爽やかなシトラスの香りに混じって何か変な匂いするんだわ。
リスカ疑いがあった奴の包帯が外れたら、傷はなさそうだけど何か異臭がしてる、とか……
それはそれで『何があったんだ怖ぇよ』と思われてたんだろうなぁ。
……ぁあ、マジで思い出すたびに死にたくなる。
このクソ文章をここまで読んでくれた人の中に、似たようなことした人居ないかな? 居て欲しいな!
……頼むよ私だけじゃないと言ってくれよ。
吉田恵里香さんの名前を一躍有名にしたアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』も、同じく10代の女の子たちを描いた作品だが、こうした原作のある作品でも前述の姿勢は崩さない。
「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」
素晴らしい姿勢ですね。
それでは、加害性のある原作から加害性の描写を排除したアニメ版『ぼっち・ざ・ろっく!』(脚本・吉田恵里香)を第1話から順に観てまいりましょう。
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https://www.nicovideo.jp/watch/so41178183(10:48)
後藤のこの行為はいわゆる「触らない痴漢」であり、明確な性加害・性暴力行為です。
「触らない痴漢」急増 陰湿行為重ねられパニック障害発症も…高い犯罪可能性、難しい立証
https://www.sankei.com/article/20241016-PK5YV6TTHJCBJJCKRXUQQOWA3M/
とはいえ、犯罪行為として立証できるのか。横浜合同法律事務所の清水俊弁護士によると、「首筋に息を吹きかける」「髪のにおいを嗅ぐ」「乗客が少ないのに隣の席に座る」といった行為は、「公共の場所または公共の乗物において、人を著しく羞恥させ、または人に不安を覚えさせるような方法で卑わいな言動をすること」と評価されれば、各都道府県の迷惑行為防止条例違反に該当するという。
今どきニュースにもなるぐらいの性加害を主人公の後藤ひとりは行っておりました。
まさかの後藤による初手セクハラにより、アニメでも加害性は十分ありと判断し検証はここで打ち切らせていただきます。
それとも吉田恵里香さんにとっては、後藤ひとりが自分の意志で(水)風呂に裸で入る描写は加害性があって、後藤が虹夏ちゃんのスメルを断りなしにこっそり嗅ぐ行為は加害性が無いと判断しているのですか???
吉田恵里香さん、あなたは自分以外の他所のアニメを「加害性」だとか言って下げる前に、
Permalink |記事への反応(27) | 21:32
俺以外にそこに気付いたやつがいたとは。
俺も貼るからお前の名作も読ませてくれ。
オカズにするだけじゃもったいない。なろうで書籍化目指そうぜ。
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部屋は柔らかなキャンドルの光に包まれ、静寂の中に二人の吐息だけが響いていた。美咲と彩花はベッドの上で寄り添い、互いの温もりに身を委ねる。
美咲の声は低く、誘うような甘さを帯びていた。彩花は少し緊張した面持ちで頷く。
その言葉に、美咲の唇に笑みが広がる。彼女の手がベッドサイドのテーブルに伸び、細身のシリコン製ディルドを取り出した。滑らかな表面がキャンドルの光を反射し、隣に置かれた潤滑剤のボトルとともに、彩花の心をざわつかせる。
美咲の声は、彩花の不安を優しく包み込んだ。彩花はベッドに仰向けになり、膝を軽く曲げて身体を預ける。美咲の手が彩花の腰を撫で、緊張を解すようにゆっくりと動く。
潤滑剤のボトルを開ける小さな音が、静かな部屋に響いた。冷たいジェルが美咲の指先に塗られ、彩花の秘めた肛門に触れる。ひんやりとした感触に、彩花は小さく息をのんだ。
「んっ…冷たい…」
彩花の声に、美咲は微笑みながら囁く。
「すぐ温かくなるよ。リラックスして。」
美咲の指は、彩花の肛門の入口を慎重に撫で始めた。きつく締まった筋肉が、触れるたびに微かに震える。入口付近の敏感な神経が刺激され、彩花の身体に電流のような感覚が走った。
「あ…美咲、なんか…変な感じ…」
彩花の声は羞恥と好奇心に揺れ、普段は触れられない場所への探求心が彼女の心を熱くする。美咲は急がず、潤滑剤をたっぷり使い、彩花の肛門を柔らかくほぐしていく。指が円を描くたびに、きつい抵抗が少しずつ解け、彩花の吐息が甘く深くなった。
「彩花のここ、すごく敏感だね。」
美咲の声に、彩花は恥ずかしそうに目を逸らす。だが、身体は正直だった。美咲の指がゆっくりと肛門の入口を押し開くと、彩花は小さな喘ぎ声を漏らし、シーツを握る手に力がこもった。きつく締まる筋肉が、じわじわと広がる感覚に変わり、彩花の意識は未知の快感に飲み込まれていく。
準備が整ったことを感じた美咲は、ディルドにたっぷりと潤滑剤を塗り、彩花の肛門にそっと近づけた。滑らかな先端が、彩花のきつく締まった入口に触れる。彩花は一瞬息を止め、身体が反射的に緊張した。美咲は彩花の腰に手を添え、優しく囁く。
「深呼吸して。私に任せて。」
ディルドがゆっくりと彩花の肛門を押し開く瞬間、強い圧迫感が彩花を包んだ。きつく締まる筋肉がディルドを締め付け、抵抗するような感触が、彩花の身体に熱い波を生む。
「んっ…美咲、すごい…きつい…」
彩花の声は震え、肛門特有の締め付けと広がりの感覚に戸惑いながらも、快感の予感に心が揺れる。美咲は彩花の反応を見守りながら、ディルドを少しずつ進め、入口付近の敏感な神経を丁寧に刺激した。
「気持ちいい?」
美咲の声が、彩花の耳元で優しく響く。彩花は言葉の代わりに、頷きと小さな喘ぎ声で答えた。ディルドがゆっくりと動き始めると、肛門の入口を擦るたびに鋭い快感が走り、彩花の身体は熱い霧に包まれる。圧迫感が徐々に快感に変わり、奥まで響く重い感覚が彩花の意識を満たした。
「美咲…これ、すごい…奥まで…感じる…」
彩花の声は、まるで自分でも驚くような甘さで響いた。美咲は彩花の腰を軽く持ち、ディルドをリズミカルに動かし始めた。肛門のきつい締め付けがディルドを包み込み、入口付近の神経が刺激されるたびに、彩花の身体は快感の波に揺れる。美咲の手が彩花の太ももを撫で、愛おしそうに囁く。
「彩花、こんなに感じてくれて…嬉しいよ。」
その言葉が、彩花の心をさらに熱くする。動きが徐々に速まり、彩花の肛門はディルドの滑らかな動きに完全に馴染んでいた。快感は身体の奥から湧き上がり、まるで全身を貫くような熱に変わる。彩花の指がシーツを強く握り、声が抑えきれずに高まる。
「美咲…っ、だめ、すごい…!」
美咲の動きも彩花の反応に呼応し、二人のリズムが一つになる。肛門の敏感な入口と奥への響きが、彩花を未知の高みへと押し上げた。絶頂が訪れる瞬間、彩花の身体は快感の波に飲み込まれた。肛門の締め付けとディルドの動きが織りなす感覚が、彩花を全身で震わせる。
美咲は彩花を抱きしめ、彼女の震える身体を優しく受け止めた。二人の吐息が重なり、キャンドルの光の中で、互いの存在だけが世界を満たしていた。
性的嗜好として、私は嗜虐癖(というのだろうか)をもっている
SMの女王様とかではなく、私から見て同性の女性が、セックス抜きで尊厳を奪われている状態に一番興奮する ここに書けるレベルだと機械姦とか晒し刑とか
嗜好が女性に定まったのはもう少し遅かったが、嗜虐癖については物心ついた時からそうだった
小学校に上がる前にはすでにリョナの絵を描いて興奮し(今はリョナは無理)、小学校低学年の時には親に隠れてリカちゃん人形やシルバニアの服を脱がせて遊んでいた
親は当然そんなコンテンツに私を触れさせたことは一度もなく、前世で何かあったとしか思えない
とはいえ私は、自分の手で自分の性的欲求のために他者に害を加えたことも、目の前にいる知人に欲望をもったことも、一度としてない それは断言できる
羞恥系AVとかは見るから、生身の他者が加害される様子に興奮しないわけではないのだが
なぜそうなのかはわからないが、私は妄想だけで十分だった ほんとうにこのレベルで済んでよかった
ただ、神戸の尾行殺人のニュースを見ると本当に怖い反面、私とあの殺人者のほうとの違いはなんなんだろうと思ってしまう
私が目の前の他者への加害欲を持たないのは、多分イデアとしての理想的な加害でしか満たされないからだと考えている 加害される他者は、そのためだけに作られたキャラクターであってほしい、そこにその人の人生の重みとかがあるとやっぱり萎える
つまり私には、目の前の他者の人生の重みをなんとなく感じ取る能力、より簡単に言い換えれば、他者の痛みを己の痛みとして共感する回路がギリギリどこかに残っているのだろう
共感する回路、目の前の実在の他者の痛みを己の痛みに移し替える回路を失ったら、私は殺人者どもと同じ化け物に成り果てるだろう
でも幸いにしてそうならなかったのは、私の欲望の対象が女で、私も女だから、というだけかもしれない
恋愛対象自体は男性で、恋人もいたことがあるが、セックスしたいという欲はほぼなくて、なんだがそれが寂しかった(加害欲もほぼなかった)
今も好きな男はいるけど、普通の恋愛関係で「心と体」が同時に満たされることはないんだな、という、うっすらとした絶望はずっともっている
その絶望が犯罪に人を走らせる感覚は、髪の毛一筋ほどはわからなくもないのだ
我々は生身を持って生きているのに、イデアの中でしか性的欲求を満たせないのだから
好きな男は「誰であれ、人が人権を蹂躙される様子だけは自分は決して許せない」と言っていた、それを本心から言い切れる彼を心から尊敬していると同時に、そんな私は本当の意味では、彼の隣にいる資格がないんだ、と、一人の夜にたまに思い出す
親が「結露」を知らなかった。
その瞬間、世界の基盤がひっくり返ったような衝撃を受けた。
氷を入れたコップを渡したとき、親が呟いた。
「なんで外側まで濡れるんだろう」
その一言は稲妻のように私の耳を打ち抜き、鼓膜を破るかと思うほどだった。
だが顔は真剣そのもので、目は何の疑念もなく虚ろに開かれていた。
結露を知らない。
言葉を持たない。
冬の窓に貼りつく水滴をただ「家が古いから」「湿っぽいから」と思い込み、黒いシミを「老いの証」として受け入れ、カーテンに生えたカビを「運命」と呼んできたのだ。
数十年という歳月を、現象を理解しようとする一歩も踏み出さぬまま、漫然と通り過ぎてきたのだ。
説明してやったときも「へえ、そうなんだ」と、まるで天気予報を聞き流すかのような薄い反応。
驚愕も羞恥もなく、ただ平板に、まるで結露など道端の小石のように扱った。
その態度が恐怖だった。
人はここまで無頓着でいられるのか。
思考のスイッチを最初から投げ捨て、理解しようとする努力を拒否し、知性を侮辱することができるのか。
私は見た。
ただの無知ではない。
「知る」という営みを丸ごと切り落とした人間の姿を。
結露という理科の教科書にも載るような当たり前の現象にすらたどり着けず、問いかけることすらせず、ただ「冷たいから」で止まってしまう思考。
そこから一歩も動かない。
石のように固まり、苔のように無言で時を重ね、やがて老いていく。
その姿は生理的な寒気を呼び起こした。
人は知らなくても生きていけるのだ。
いや、知らないままで「知らないことにすら気づかず」生きていける。私はその事実に凍りついた。
知識を持つことが生の明かりだと思っていた私の前で、知識なき人間がまるで暗黒の洞窟を安らかな寝床にするかのように平然と呼吸していたのだ。
その光景は、結露よりも冷たく、カーテンのカビよりも暗く、私の背筋に貼りついた。
ぞっとする、という言葉では生ぬるい。
これは恐怖だ。