
はてなキーワード:美術手帖とは
「巨大なイオンモールだけが煌々と明るい地方都市に帰省すると、美術の「美」の字も感じられない」(以上、引用)と編集長が投稿して炎上したWEB版美術手帖で、
いまデイリーランキング1位の記事が『東京藝術大学取手キャンパスに10億円の寄付』なの、取手に日本最大級のイオンができることも相まってなんか壮大な伏線回収って感じで好き。
ウェブ版『美術手帖』の編集長が「イオンモールしかない地方都市には美術の美もない」というようなことを言って、案の定、少し燃えたのは記憶に新しい。
僕も地方出身だから、その言葉にカチンとくる人の気持ちは痛いほどわかる。「どうせ俺たちの日常なんて、文化の欠片もない退屈なものなんだろ」と、見下されたような気分になる。週末に行くイオンが、家族にとっての一大イベントだったりする、そういう暮らしの機微を全否定されたような気さえする。だってほかにないじゃん。
ただ同時に、編集長が言わんとしていることも、なんとなく想像はつく。地方都市の、あの画一的な風景。どこまで行っても同じようなチェーン店と住宅街が広がり、かつて街の中心だった商店街はシャッターを下ろしている。そういう風景を前にして、アートに関わる人間として一種の絶望というか、嘆きのようなものを感じてしまう瞬間があるのはよくわかる。それは、地方に対する愛憎半ばする感情なのだろうとも思う。
そんな小さなモヤモヤをずっと抱えていたら、実に興味深いニュースが飛び込んできた。
他ならぬそのウェブ版『美術手帖』が報じた、「東京藝術大学取手キャンパスに10億円の寄付」という記事(件の編集長もこの記事へのリンクをリポストしている)。
これは、なかなかに美しい皮肉じゃないか、と苦笑してしまった。
http://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/31541
東京藝術大学といっても、取手市であって上野ではない。東京ではない。茨城県にある。都心から見れば、それは紛れもなく「地方」だろう。
どころか市内に日本最大級のイオンモールが計画されているという報道もまた、記憶に新しいではないか。
しかしその「地方都市」日本代表メンバーに選ばれるであろう取手のキャンパスに、安田容昌氏という方が10億円もの大金を寄付した。
「取手キャンパスには、素晴らしい施設に加え、土の匂いと、川の風と、地域に暮らす人々の息遣いがあります。」
「これまで日本の発展は、とかく都市を中心に語られてきました。しかし、真に新しい価値は、しばしば周縁から生まれます。」
「芸術に触れる機会が都市部に集中している現状において、この取手キャンパスから、日本の新たな文化のうねりを起こすことができると信じてやみません。」
「地方で事業を成し、その恩恵を受けてきた者として、次世代のために文化的な社会資本を築くことこそが、私にできる最後の恩返しです。」
(ちなみに最初の2行は、『美術手帖』の記事ではなぜか省略され、大学の公式リリースにだけ載っている)
https://www.geidai.ac.jp/news/20251008152520.html
つまり、これは「田舎には美術がない」という嘆きに対する、あまりにも力強いアンチテーゼなのだ。それも、10億円というリアルな数字を伴って。
アートは都市だけの専有物じゃない。地方にこそ、これから育まれるべき豊かな土壌がある。そう高らかに宣言しているように聞こえる。
編集長の炎上した発言は、確かに言葉足らずで、多くの人を傷つけたかもしれない。
でも、彼が投げかけた「地方とアート」という問いは、奇しくもこの10億円の寄付によって、新たなステージに進んだ気がする。
「イオンモールしかない田舎」と切り捨てられた場所で、アートは育つのか。
いや、育つに決まっている。
誰かが「ここには何もない」と嘆いた場所にこそ、新しい価値が生まれる種が蒔かれるのだ。
今回の寄付は、まさにその種だ。この種が、取手の地で、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのか。
それは、都会のギャラリーに飾られる洗練されたアートとは、全く違う形かもしれない。泥臭くて、生活の匂いがして、不格好だけど、力強い何か。
心のどこかで、あの編集長の嘆きにまだ共感している自分もいる。「東京藝大」という権威と「10億円」という資本。
結局、そうした巨大な「外部の力」がなければ、地方のアートは話題にすらならないという現実。それは、彼の「田舎には美術がない」という言葉を、残酷な形で裏付けてはいないだろうか。
編集長の発言も、10億円の寄付も、「お前のいる場所の『美』とは何か?」と問いかけている。
イオンモールのフードコートで談笑する高校生に、夕暮れの田んぼ道に、シャッター街の錆びた看板に、目を凝らせば「美」のかけらは見つかるんだろうか。
らでんの美術手帖のページ、とりあえずテキストだけコピーしてエディタで保存しといた
あとでみよう
昨日の夜
エビフライ5本、からあげ2個、みずまんじゅう4個、もめん豆腐1個、野菜サラダ1パックにごまドレ
そうめんも4割引だったから買おうか迷ったけど198ってもう自分でめんとつゆかって茹でたほうがいいんじゃと今更思ってガマンした
結果的に正解だった
みずまんじゅうは余計だったな
あとカルパスの箱を3個かった 1つ350円くらいでちょい安かったから
正直タフグミあんま好きじゃないんだけどグミ食べたい気分だったから
もう果汁グミもめっちゃ値上げしてて買えなくなっちゃったからさあ・・・
声出さずにソウルドアウトをエアカラオケしてたら酸欠でめまいした
そのあと半年以上ぶり?それ以上ぶり?にいきおいで懸垂した
前は10回以上できてたのに5回がぎりぎりだった
きのうは仕事中にあたまの右上のほうとか後頭部を壁になんどもぶつけたり、
自分の腕にすげえ強く爪をつきたてるみたいな軽い自傷行為を何度もやってしまった
ダイブ来てるな
このままはよしにたい
必ずしも東京とは限らないが
そりゃ同業が同じ場所に集中してる方が何かと捗るんだからそうなる
ただ発端となった美術手帖の人が言ってるのは
(田舎に美術がないから)田舎の人は美術に興味が無いということ
それは無いと思う
まず「美」と「美術」を分けて考えないと話がごちゃつく。
美は世界のあちこちにあって、何に美しさを感じるかは人それぞれ。
一方で美術は、ある美しさを取り出して他人に伝えるための「技術」であり、社会的な営み。
この区別をつけないと「自然が美しい=美術がある」みたいなズレた議論になる。
ただネット上ではいつの間にか「田舎」という言葉に変換されて語られている。
地方都市と田舎はだいぶ意味が違うのだけど、もう「田舎」という言葉で広まってるので、ここでも田舎で統一しておく。
自然の美しさや、人々の生活の営みにある独特の美しさ。これは確かに存在する。
自然の美の「美」と、美術の「美」は似て非なるもの。だから反証にはならない。
地方美術館、伝統美術、地元で活動するアーティストなど、田舎にも美術はある。
「まったく無い」という言い方に対しては十分な反論。
それに地域文化を評価するのは近代芸術の「反アカデミズム」の流れとも整合する。
ただし、都市部との格差は依然として大きい。「あるけど量も質もアクセスも少ない」というのが実際。
ただ、そもそも美術は「人がどう解釈しどう描くか」だから業界や文脈がなければ成立しにくい。
現代ではありとあらゆる活動に金が絡む以上、業界抜きで語れる分野は少ないだろう。
それに非営利的な活動者ほど、人や金が集まる都市でないと持続できないのも現実で、
イオンモールは便利だし合理的。地方の生活インフラとして大きな役割がある。
ただ、美術という観点から見れば徹底した商業主義の場であり、そこにはせいぜい商業芸術の一端があるにすぎない。
まあ本や映画を届ける流通拠点としての意義は大きいとは思うので、その点を過小評価しすぎというのはある。
「結局CCCとイオンで美術への態度に差があるのか?」という疑問はわかる。
雑誌だって商業出版の一部で、イオンの本屋で普通に買える「田舎にもある美術」だ。
ただ田舎と美術のテーマとは少しズレていて、ほとんど感情論に近い。
馬鹿にしているニュアンスの人もいれば、同情しているニュアンスの人もいる。
実家に帰省したとき「やっぱり何もない」と強い言葉が漏れるのは、地方出身者あるあるだろう。
ここは言葉の選び方と受け取り方の問題であって、論じても決着はつかない。
生活に必要なのは美術じゃなくてインフラや仕事だし、自然に美を見いだせれば十分という人もいる。
しかも「美術がなくて悪い」とは言っていないので、反論になっていない。
など、いろんな文脈が入り乱れている。
結局のところ、田舎にある美術はゼロではないが格差は歴然なわけで、
その格差をどう感じるか、どう受け止めるかで態度が分かれているだけ、という話だろう。
それにしても「業界」の内部の人しか見てないだろう発端のツイートがここまで燃えたのは、
地方都市やイオンという馴染み深いワードが入っていたことや地方VS東京の定番ネタだったことに加え、
ちょうどお盆でみんな地方に帰省して、かつ暇してる時期だったからというのはあるはずだ。
親父は京都で美術で食って行こうとして挫折して地方都市に帰ってきた
通いながら美術手帖も購読していた
地方都市の美術館に通い詰め、これが本物の美術なんだなと学習していった
俺は京都の美大に進学し、美術を学びつつ京都や大阪の美術館やギャラリーに通った
地方都市で見ていた美術とたいして変わらなかったが、数や種類が多かった
大学で美術を学んでいると徐々に自分がやりたいことは美術ではないと気づき、
東京の美術館やギャラリーも一通り回ったが、数や種類が多いだけで
たいした違いはないと思った
東京という都市にはあまり興味が持てなかったので田舎に引っ越した
もし元増田が言うように本当に東京以外には美術が存在しないのだとしたら
東京に住んだ数年間で俺が見た、地方と大差ないものは美術ではなかったということになる
まあまず言葉の使い方として「無い」というのは言いすぎで、「少ない」という言い方の方が実際だろうというのはある
それこそWeb版美術手帖にアクセスする環境があるならうっすらと美の字が浮かんでくるわけだから
しかし美術館にしろ教育機関にしろアーティストにしろ概ね東京―地方都市―田舎の順で存在が消えていくのは間違い無い
自然の風景が美だというような理屈もあったが、美は美術の対象であって美術のそのものではない
寺社仏閣や史跡に関して言えばこれもやはり歴史的に人の多かった都市部の方が恵まれている
また何より地方の美術にもアクセスしやすい交通機関が都市部には整備されている
これは美術に限らず、自然環境以外の全て(食ですら)において東京には優位性がある
東京の土地が買えないのであれば「外国人に土地を買わせるな」なんて言い方が出てくるわけで、
結局個人レベルでは外れ値があるものの、自治体による格差というのは明らかに、ある
そのことをもって、彼が美の字もないと言ったのは理解できる
本当に美術に触れて学びたい熱意があるなら、上京してくればいい
誰が何を言ったところで東京に生まれ住む人々が何か奪われることは無いのだし、
どんな現実があろうとあなたは素晴らしいと言ってやることは、農民や娼婦のような恵まれぬ人々を勇気づけてきた美術の役割でもあった
ジェンダーと美術作品とを巡っては会田誠作品で炎上というか話題になっていましたので、そうした文脈でこの作品や道近代美術館の対応を眺め、論ずる方が多い様に感じます。
一方で、コメントを消してしまった様ですが、会田誠作品と田中武作品との非関連性を述べる増田がこのツリーにくっついていた様です。
重要なことは、ジェンダー的観点から作品を見ることもできるでしょうし、そうじゃない文脈で作品を見ることも可能だろうということです。
そしてそうした議論が担保されているってのも重要と思っています。
増田もコメント消えてしまって残念なのですが、増田ですらこうやって意見を述べて反論する様な仕組みが担保されています。
道近美の対応はこうした仕組みすら撤去してしまいました。これは、道近美がなぜ作品を展示で取り上げ、なぜあのようにSNSで紹介したかという議論をも撤去したに他なりません。
なお、美術とジェンダーに関しては『美術手帖】などで何度も俎上となる話題で、こうしたことからも道近美の理論武装の余地とうか素地というかはあった様に感じています。
・美術手帖いつメンの金沢21世紀美術館、行っちゃおッカナ…ッて行って他の展示がノットフォアミーでしょんもりしてたところに差し込んだ希望の光
・原作1巻までしか読んでないけどめちゃくちゃ激アツなのが伝わったしパネル展示の流れとかも凝ってて「原画展」というより「キングダムの世界観展」みたいでキングダムの世界を覗かせてもらった感じがした
いや神原画は当たり前にすごい
・なぜか「小学校のクラスにいたノートに漫画書いてくる子がいて面白いからクラスみんなでまわし読みして次の展開を速く書いて欲しいとせがむ」みたいな無い記憶がよぎり続けた なんかそれくらいの原初的な漫画の熱さを感じさせて世界観に引き込まれる幸せな体験をさせてもらった
なんか結局全部広告のリツイートみたいな感じになってきてつらい。
はてブもそうで、
②ブログブクマは互助会(かなり定型のコメント満載 とても参考になりました!)
③朝日ハフポストの有料記事ブクマは活動家の人たち(かなりアレなコメント満載)
⑤デイリーポータルZは悪意はあまり感じないが6割の記事はなんかノルマ消化で作った感ある。
⑦東洋経済、ダイヤモンドは商売がうまい。記事のクオリティは1:9位でお年寄りの作文みたいなのが多い。
⑧結局TwitterとTogetter、らばQとナゾロジー、NHKくらいしか広告に直接紐づかないブクマがない。とても貧弱
→業界紙のブクマしてくれるブクマカ―は貴重。「酢酸高い」(化学工業日報)とか「大英博物館で葛飾北斎展開催中」(美術手帖)とか「国土交通省が断熱G2,G3相当の住宅企画策定へ」(住宅産業新聞)とか
はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館で作品6点が行方不明になる、という事件があった。
館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽の疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803
一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である。
たとえばこういう企画展。
https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991
堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカル、ジェンダー、福祉、ケア、老い、共同体、移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。
ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである。
個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。
しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽の美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。
その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である。
前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界からは擁護の声も出ている。
アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から、美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態を放置し問題に適切に対処してこなかった所管部署の文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である。
スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境に作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である。
これは大局的に見れば正しいかもしれない。
ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。
それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか。
まともな環境に作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである。
他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理に問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書の問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言の趣旨ではありません。
とはいえ、前橋市の報告書が住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員と行政職の党派性の問題なのではないかという感も否めない。
一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館の学芸員と行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである。
なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。
つまり、理想を求める学芸員とコスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから、対立するのは当然なのかもしれない。
両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である。
現状で言えば、おそらく行政職出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。
現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有な存在なのである。
行政職出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセントは現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。
今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。
後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家が署名活動
https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c
ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。
まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。
現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟が必要である。
だから、美術館の作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。
加えて、美術品のほとんどは温度・湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。
38度の真夏であっても、氷点下の真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。
当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。
つまり、美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。
地方の美術館に美術作品を寄付する人々というのは、たとえば地域の小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。
1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。
「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。
売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。
名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。
でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。
〇〇県出身。上京し美術学校で西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校で美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。
こういうプロフィールの作家が面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。
しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。
日本の都道府県のほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸な地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。
そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである。
というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題が関係しているように思われる。
気が重い話である。
その他参照
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf
https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view
| 時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
|---|---|---|---|---|
| 00 | 181 | 17761 | 98.1 | 49 |
| 01 | 141 | 13366 | 94.8 | 50 |
| 02 | 90 | 15583 | 173.1 | 49.5 |
| 03 | 45 | 5666 | 125.9 | 43 |
| 04 | 32 | 5896 | 184.3 | 46 |
| 05 | 31 | 11063 | 356.9 | 56 |
| 06 | 99 | 6870 | 69.4 | 32 |
| 07 | 85 | 7102 | 83.6 | 49 |
| 08 | 61 | 5375 | 88.1 | 41 |
| 09 | 116 | 11826 | 101.9 | 44 |
| 10 | 123 | 7068 | 57.5 | 31 |
| 11 | 207 | 15777 | 76.2 | 36 |
| 12 | 177 | 24375 | 137.7 | 46 |
| 13 | 180 | 19419 | 107.9 | 41 |
| 14 | 98 | 16319 | 166.5 | 40.5 |
| 15 | 134 | 28911 | 215.8 | 69.5 |
| 16 | 177 | 31614 | 178.6 | 41 |
| 17 | 166 | 21854 | 131.7 | 39.5 |
| 18 | 159 | 26846 | 168.8 | 43 |
| 19 | 126 | 18520 | 147.0 | 58.5 |
| 20 | 204 | 20819 | 102.1 | 46 |
| 21 | 159 | 14810 | 93.1 | 41 |
| 22 | 130 | 27696 | 213.0 | 51.5 |
| 23 | 249 | 26496 | 106.4 | 37 |
| 1日 | 3170 | 401032 | 126.5 | 44 |
美術手帖(5),聾者(6),もぐもぐタイム(6), 聴者(4),手話(35),聾唖(4), 押しボタン(7),リタッチ(3),ろう者(5),ゴスペル(3), Slave(3), チー(60), 牛(64),牛丼(26),増税(46),チーズ(26),競技(18),陽キャ(17),侮辱(24),体育会系(10),信号(11), 抑圧(15),容姿(47),センス(16),文化(46),コード(14),現場(29),当事者(13),スポーツ(18),コミュニケーション(21)
■チー牛だけが問題なわけじゃねえよ /20200731165427(21), ■今、「 #バンクシー展 」がアツい!!!!( 悪い意味で ) /20200801150650(19), ■頼むから、センスのないやつはプログラマにならないでくれ /20200731155404(12), ■[手話]頼むから誰か手話問題の論点整理してくれ /20200801164555(11), ■もし地元がダムに沈むとしたら /20200731233907(11), ■精神科行くべきか判定してください /20200801090329(10), ■みんな青を使おうぜ /20200731185055(10), ■それで結局、聞こえる子供の手話学習がどうして「文化の盗用」なの? /20200801125822(9), ■三大アニメのラーメン /20200731194748(9), ■ジャパンネット銀行がpaypay銀行になるよりネットバンク系の支店名のほ /20200801013408(9), ■ホロライブ滅びろ /20200801180651(9), ■近年のインターネットにおけるマウント文化について /20200801171026(9), ■ブラウン大おるけど日本人はサイヤ人レベルに勉強得意だと分かった /20200801150601(9), ■コロッケには何をつけるべきなのか? /20200731150546(8), ■祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました) /20200731173343(8), ■押しボタン信号のいやらしさ /20200801112716(8), ■想像上の娘にパソコンをプレゼントしたい /20200801115852(7), ■実家暮らしで何が悪い /20200801014712(7), ■ほら言ったじゃん /20200801194137(7), ■小児性愛者に適切な治療を /20200801233426(7)
現代の作家は「ジェンダー」に応答できているか? 美術家・黒瀬陽平インタビューシリーズ:ジェンダーフリーは可能か?(7)|美術手帖https://bijutsutecho.com/magazine/series/s21/20101
━━教員と学生のギャップが生む問題では、多摩美術大学大学院の彫刻科の学生有志が大学に対してハラスメントに関する要望書を提出した件もありました。
美術を学びたい若い女性の学生に対して、男性社会で生きてきたおじさんの教員がどれだけ対応できるのか。学生は、内面にすごくデリケートな意識や問題を抱えている。そこにどれだけ踏み込んでケアできるかと言えば、現状はとても難しいと思います。意識的ではなく無意識のレベルでも、「男性だから/女性だから」という判断、思い込みはどうしても残ってしまいますし、それは知識や意識だけでは乗り越えることができない。男性教員ばかりだから理解してもらえなかったということは、美大出身のアーティストからもよく聞きます。
(…)
━━ジェンダーだけでなく、世代差や立場の差が生むギャップもありそうですね。
そうですね。ただ美大に関しては、少なくとも女性教員が増えることで、「女性教員が少なくて女子学生の相談相手がいない」という現状は変えられる。ならばまずそこをクリアして、「女性教員はいるけれど話が通じない」という、次のレベルの議論ができるようにするべきだと思います。
黒瀬陽平と合同会社カオスラによるハラスメントについて|ayanoanzai|notehttps://note.com/ayanoanzai/n/nefd11252a137
5月、合同会社カオスラでも固定スタッフとしての勤務を依頼され、快く了承。それまで何度か単発での勤務経験あり。固定スタッフとしての業務内容は、週1日固定の曜日に出勤し、スタジオの整頓や在庫作品の管理をするというもの。(※1)
勤務を開始してすぐから、黒瀬による身体的接触や性的要求が発生。他スタッフよりも2時間程はやい集合時間を個別連絡で指定され、黒瀬と私の2名がスタジオに集まるという状況が続く。他スタッフには相談できず、大幅に遅刻する、それとなく誤魔化す、「既婚者であるならリスクを考えた方が良いのでは」と提案する等で対応するが、断りきれなくなり7月下旬頃にはじめて性的接触に応じる。その後は黒瀬より要求があった時のみ対応。
黒瀬が行っていたのは立場の不均衡を利用した性的関係の要求であり、明確なセクシャルハラスメント。
受け入れるべきではなかったが、新芸術校およびカオスラの業務に支障を与えたくなく、抵抗し続けるのが難しかった。また、性的要求を受け入れる前から「能力ではなく黒瀬に気に入られているから仕事を与えられているのでは」「黒瀬と性関係があるのか?」と第三者に疑いを掛けられることが多くあり、女性である私は実情と関係なくそういった見られ方をするのだと自信を失っていた。カオスラは役員・スタッフ全員が男性で、相談できる相手がいなかった。自分が排除される可能性を考え何も言わないまま勤務を継続。仕事自体は楽しくやりがいもあり、業務上の信頼関係を徐々に構築。
問題を認識しているからこそ、逆にそれを利用して自分の思うように管理するテクにも使えるんスねえ~ハックってこういうことだね