
はてなキーワード:織物とは
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2025-07-23
■
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■レンカノって
ただの風俗嬢の話では?
ちがうの?
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■anond:20250723194442言及先エントリを開く
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■
もう本当に婚活と恋がぐっちゃになっていて、多分私はどうしようもない程面倒くさい女になっていて、全ての元凶に対して今日別れを告げるつもり。もう疲れたけど、私は結局何も成長できなくて、ただぐるぐるして終わっちゃった。どうしようもなく、相手の意図に反して振り回されて、メンヘラになって終わり。でもそれを相手に悟られたくなくて、だって街であったら気まずいし、だから絶対あなたがもう一度私を気になるように、あなたの何倍も稼いで賢くなって表舞台に立ちます絶対に。あなたなんかどうでも良くなるくらいにね。
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「下野提案(しもつけていあん)」とは、旧下野国(現在の栃木県中・北部を中心とした地域)で、江戸時代後期に有力な農民・地方名主・郷士らが連携して幕府に対し提出した一連の地方改革提案を指す。
この提案は、天保の大飢饉(1833〜1837年)や相次ぐ自然災害によって疲弊した農村社会を立て直すため、地元有志が協議のうえ起草したとされる。内容は以下のような項目を含んでいたと伝わる。
下野提案は、直接幕府に採用されたわけではないが、その理念の一部は後の地方行政改革や明治維新期の自由民権運動に影響を与えたとも考えられている。また、当時としては珍しく、農民層の意見が体系立ててまとめられた記録として、地域自治の先駆けとも評価されている。
※この記事はChatGPTにより生成されたものであり、内容はフィクションです。
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■anond:20250723193857言及先エントリを開く
ゲーム性を追加したらsurgeon simulator になるな。
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どこから突っ込んで良いのかわからない香ばしい文章で面白かった。
「オタクに優しいギャル」に近いけどギャルではなくて、「クラスの中心にいつもいる明るい女子が自分のオタク趣味にすごい興味を持ってくれているのだが」みたいなタイトルが近いと思う
こことか
家は元はお嬢様のようだが、子どものころから体が弱くて14歳まで生きられないと言われ長期入院していたり、実家が火事で全焼したり、不登校の経験もあったりと、その明るさからは想像できないほど重めの過去を背負っている。
デビューのきっかけも経済的にも困窮していたため掛け持ちいくつ目かのアルバイトの感覚でホロライブに入った、と自己で言っているくらいだ。
この辺がとくに香ばしくて面白かったです。
やっぱVtuberにハマる人は風俗嬢の虚言を全部信じちゃうようなピュアな童貞が多いんだろうね。
念の為におすすめされたVtuberの配信アーカイブみたけど、ありふれた童貞向けキャバクラ配信だった。
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■anond:20250723194621言及先エントリを開く
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■anond:20250723194626言及先エントリを開く
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■anond:20250723194431言及先エントリを開く
裏切りと言えば
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■anond:20250723193857言及先エントリを開く
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■anond:20250723194431言及先エントリを開く
今どき5ch見てるとか老害で草
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■anond:20250723194328言及先エントリを開く
お前が結婚すりゃいいじゃん
アルアル言うだけのチャイナ女と
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■anond:20250723194336言及先エントリを開く
https://itest.5ch.net/hayabusa9/test/read.cgi/news/1598683345/
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■anond:20250723194249言及先エントリを開く
我が国で大きい顔してる保守たちの世界観によると中国人韓国人ロシア人は産まれながらにして日本人より下らしいので下方婚と言えるでしょ
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■??「8月までに退陣を表明するとは言ったがいつ退陣するとは言ってない」
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■anond:20250723194138言及先エントリを開く
もう中国の侵略は止められそうもないし、中国人と結婚しといたほうが安心なんちゃうか?
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■anond:20250723193506言及先エントリを開く
これでもまだ長い
一部の馬鹿オタク女って文章が長ければ長いほど価値が増すと思ってるフシがある。他人に対する想像力がない
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■anond:20250723192801言及先エントリを開く
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■anond:20250723194138言及先エントリを開く
ジャップ男より上を狙ったってことでしょ?
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「下野提案(しもつけていあん)」とは、旧下野国(現在の栃木県中・北部を中心とした地域)で、江戸時代後期に有力な農民・地方名主・郷士らが連携して幕府に対し提出した一連の地方改革提案を指す。
この提案は、天保の大飢饉(1833〜1837年)や相次ぐ自然災害によって疲弊した農村社会を立て直すため、地元有志が協議のうえ起草したとされる。内容は以下のような項目を含んでいたと伝わる。
下野提案は、直接幕府に採用されたわけではないが、その理念の一部は後の地方行政改革や明治維新期の自由民権運動に影響を与えたとも考えられている。また、当時としては珍しく、農民層の意見が体系立ててまとめられた記録として、地域自治の先駆けとも評価されている。
これは体力のないおじさんとスマホもろくに使えない老婆の旅行記なので視点が大分偏っていると思う。
月曜日と火曜日の2日間だけなので一部しか捉えられていないところも多々あるが許してくれ。
人混みも暑いのも嫌いだから、めんどくささで鬱になるかと思った。
アプリで一ヶ月前、七日前と段階を分で予約抽選を受けられるが母の希望の人気のパビリオンで一点決め打ちしてたから全滅。
当日予約があるということでそれで頑張ることにした。
公式HPを見てもパビリオンで何やってるのかポエムばっかで意味分かんないなと思っていた(後にこの理由は分かった)ので自分はまったく楽しめる気にならず、そして公式アプリや予約システムのUIがカス過ぎてイライラした。
チケットぴあの公式ガイドブックはパビリオンの説明もあるしマップもあるということで母に渡すと熱心に読み込んでいた。
9時55分くらいに並んだが、入場は混み合っていて1時間位かかった。
万博は予約時間以降ならいつでも入場できるシステムなので、9時の人は別レーンで並んで優先的に流してもらえていた。
それを見たので翌日は10時予約だったが11時前に行ったら10分くらいで入れた。
なので結局入場時間は同じくらいだった。
朝一は当日予約などで有利なので9時枠取れた人は朝一入場目指した方がいいけど、それ以降の人は予約時間より遅く行ったほうが楽なんじゃねーか。
そんなに気合が入ってない人は15以降の入場を強く推奨する。
夕方から人がどんどん減っていくので、パビリオン楽しみたいならそこからが本番だ。
昼のうちに体力消耗するなよ。
入場したら人人人人だらけである。
不人気万博と聞いていたが不人気でこれなら予想した人数いたら不快でとんでもないことになっていただろうな。
軽く見て回るがどこも長蛇の列で母親が落ち込んでいて慌てる。
万博ファン達が、万博GOってサイトで待ち時間の少ないパビリオン情報を常時更新してくれているのでそれと、ファンが作ったマップで予約無しで入れるところが分かるのでそれを参考に回る。
万博GOとマップは必需品だが、どちらもオフィシャル製で無いことにイラッとする。
開催者は何やってるんだ。
当日予約はこれまた万博GOってところで全体の空き情報が見れるので活用する。
会場内に当日予約の情報はなかった(俺が見つけられなかっただけかも)し、空き枠が出てもすぐ埋まるので俺はひたすらスマホとにらめっこして枠が空いたら申し込んでエラーが出たり既に埋まったりしてた。
当日予約に躍起になっていると万博をしっかり楽しむことは出来ないので俺はいいけど普通に楽しみに来た人は嫌だろうな。
飯を食ったり、コモンズ(デカい建物に複数の国がブースを並べている。待ち時間なく入れるので並びたくない時はここが一番いい)回ったりした。
コモンズは狭いスペースで民芸品が並んでいるが、どこの国も基本的に織物! 木彫り! 自然豊か! 名産品!(お手を触れないでください!) 謎のおじさんの写真!!(おそらく国のトップなんだろうな)って感じだった。
セキュリティの関係もあるんだろうけどすぐ触れる距離に置いてあって触れないというのは勿体ない。
布地なんて肌触りとか大事だし、コーヒーのパッケージだけ並べられてもよくわからんよね。
眼の前によく知らない国の自然に優しい伝統的な虫よけスプレーの小瓶を置かれて眺めるだけで喜ぶ人はどれだけいるんだろうか。
スパイスや紅茶の香り比べとかはあって、正直市販のものとの違いなんてまったく感じなかったけど、触れる体験が無いと行く価値はまったくないと思った。
コモンズの係員は現地の人と日本人のパターンあったけども、現地の人達は概ねやる気がなかった。
なんらかの操作をすればインタラクティブな表示がされるデバイスの前で日本人が混乱していて、係員はそれを気にせず椅子に座ってスマホ見てたのはとても良かった。(俺は海外でしばらく暮らしていたのでそういうのは嫌いじゃない)
ネットで打楽器を体験できるからドラマー連れてったら楽しいってあったけど大抵子供がチャカポコ狂ったように鳴らしていて割と不快だった。
パビリオンは大きく分けて3つある。
1つはでっかいモニター、奇抜な形のモニターで映像を見るタイプ。これは見る価値が無い。
家でYoutube見れば十分。
お決まりのSDGSだの豊かな生態系だの高度な社会だのうんたらかんたらポエムをキレイな映像と共に叩きつけられて「公式HPの説明が訳わからなかったのはこれが原因かァ~~~!」ってなった。
もう1つはアート系。
暗闇でシャボン玉飛んだり、螺旋状の坂を登りながらポップなアーティストの絵を眺めれたりする。
三十分待った先でシャボン玉見せてもらえて嬉しい!とは俺は思えない。
最後はパネルクイズや展示、係員の説明で国の紹介をするタイプ。
全部コレにしてくれ。このタイプの中でも良いところ悪いところがあるんだが、カスなのはWikipediaの国ページやNHKの特集をメチャクチャ薄めたような感じ。
水道水も飲めないような国(俺はその国で水飲んで腹壊したことある)「うちの国は医療に力を入れていて公共衛生最高だぜェ~~!」と訴えていると笑ってしまう。
俺の好きな国が「うちの国はハーブで免疫力を強化してコロナを乗り切ったぜェ~~!!」とかやってて悲しかった。
展示もピンキリで、触れる展示が少ないのが残念だった。
あるパビリオンは入ってすぐの入口で料理の模型がズラッと並んでて「万博まで来て食品サンプル見るの?」ってなっちゃった。
俺は体験がしてェんだ……。
悪いところばかり挙げたが、海外パビリオンには大抵レストランやカフェが併設されていて、そこで国の特徴があるコーヒーだったり料理が楽しめるのは良かった。
万博じゃなくても大阪なら料理屋行けばいいじゃん、って思ってたけど年老いた母親を「コーヒー飲みに行こうぜ!」ってアラブ系の飯屋に連れて行くことなんてまず無いし、やっぱり機会ってのは大事。
ヘルスケア館がとても良かった。
というのも入ってまず健康診断みたいなのを受けられるんだが、年寄は皆健康診断が大好きである。
丸一日炎天下歩いてお肌の状態がどうとか言われてイラッとすることもあったが、俺も楽しめた。
俺はゲーマーだからVR系の展示をやりたかったんだけど、一時間待ちと言われて断念。
マイクロバブルシャワーヘッドの威力が凄まじくて自分の家に欲しくなった。
並んで入ったらしょぼい映画だけで終わって悲しい。
未来の火星探査の様子の映画だったんだけど、その中で「火星で地球と同じ原始的な生命体が見つかりました」ってやってて、それは断言しちゃいかんことだろと思った。
掛けた予算以上の意味があるかは分からんが、日よけになるデカい歩道を用意してくれるのはまじでありがたかった。
今の季節でも既に死ぬほど暑いが、リング下は涼しくて休憩もできる。
よほどの体力猛者じゃない限り、こまめに座って休憩したほうがいい。
ヘルスケア館みたいな長時間滞在するタイプは二時間立ちっぱなしで座るところが少ないので入場前元気でも出てくる頃には結構きつい。
それと日中は学生がいて混雑しているが、三時くらいから大分人が減ってくるので時間がある人は日中に無理して動くよりも夕方以降に頑張って歩いたほうが楽しめる。
並んでいたときに現地のおばちゃんと話したけど、スマホ使えないから自分の場所もパビリオンの入り方も、中で何が見れるのかもよくわからんと言っててちょっと可哀想だった。
白黒にプリントアウトされた地図持ってたけど見づらいから絶対カラーのほうがいいよ。
事前に勉強してこいって意見は出るんだろうけど一部の人達だけが楽しめるイベントにするのは良くないよね。
展示のレベルは全体的に見てかなり低いので、ヨドバシカメラで未来を感じたり、美術館博物館行ったほうが面白さはあると思う。
ただその中でも海外の兄ちゃんが説明してくれる体験や、木造リングのデカさとか「触れないと味わえない楽しさ」みたいなのは極少数ながらある。
知的好奇心目当てで行ったら後悔するけど、家族サービスとかならありかな。
うちの母はスマホもろくに使えないような人だから一人で行かせなくて本当に良かった。
もう二度と行きたくないけど次行くなら昼は大阪観光して夕方~閉館までで予定を組む。
カバンはサイズがデカいと駄目とか荷物検査めんどくさいから持っていかないほうがいいと思ったが、厳密にサイズ測ってる訳じゃないからリュックサック位は持っていった方が楽。
空港の荷物検査とまったく同じことを入場前にやるから無駄なものは持っていかないようにね。
入場者の中には折りたたみ椅子や腰掛けられるポール持ってる人も多かった。並んでる最中にちょっと座れるのはめっちゃ良いと思う。
ペットボトル(中で水を汲める)、日傘、タオル(トイレで手を拭けないぞ)、モバイルバッテリー、地図は用意したほうがいい。
スマホで開くの面倒だし、嵩張るもんじゃないから畳んでポッケに入れておくのがいいよ。
Permalink |記事への反応(14) | 12:31
まだ2桁来場にはとどいてない、通期パス持ちの金なし増田。一度くらいは9時入場してみたいなぁと思って。最短で取れた9時入場は6/5だった。
かなりだらだらと冗長に書いたので、気になる所だけ読んで欲しい。あとで、ポイントごとにAIに要約させた記事も投稿するつもりだ。
[:contents]
東ゲート予約でチャリンコ圏内在住なのでチャリンコでゆく。メトロより安上がりだし、なにより有酸素運動ができる!おまけに行きや帰りの夢洲駅~メトロ中央線の人込み回避までできる!ひとごみにいるだけでMP減っていく人間だからこれは小さくない。
万博会場へのサイクリングロードとして、「淀川リバーサイドサイクルラン」というのが設定されているのだが、本来淀川本流左岸をまっすぐ走れたはずが、左岸線工事の遅れのせいで、毛馬から大川沿いに逸れて中之島経由という遠回りになっている。大川沿いはまだしも、天満橋あたりから高見でまた淀川左岸の堤防に戻るまではただの市内の道路と変わりないし、無駄にアップダウンもあったりで実体験からはこのゾーンはお勧めできない。
軽く朝飯食って7時過ぎに家をでて、昼飯・おやつにローソンの大盛チャレンジを買っていく。お気に入りの高菜明太が1件目になかったが2件目には山盛りあった。あとまい泉のカツサンドとを買ってゆく。興味が無いわけではないが万博飯は俺には高すぎる。
高見で淀川左岸堤防上を走り始めると、そこから数kmは信号が無い。今日は風もなく快適だ。ここは大体川をさかのぼる方向(西から東)に風が吹いていて、それが強いとチャリンコ漕ぐのがめっちゃ大変になるのだ(経験者語る)。ユニクロのドライEXUVカットハーフジップTシャツでひやけたいさくもばんぜんだ!(そこまでじゃないかも)
万博会場の夢洲に行くまでに常吉大橋と夢舞大橋の2つをわたる必要があるのだが、「世界で一番美しいごみ処理施設」(kwskはggr)が見え始める最初の常吉大橋をのぼり始めたところで腹具合に異変が……朝起きて飯食って水を大量に飲んで一応出すものは出してきたんだが、かなり控えめな量しか出なかったので、これは予想されていた事態だ。俺の膀胱と肛門の防御力に俺は自信がない。万博行って帰ってきたらおパンツが血まみれだったこともある。冷や汗かきながらチャリンコを漕ぎ進める。夢舞大橋の上りは割と急なのでいつも押して上がる。真ん中あたりにいたオッチャンが「下でポリさんみはってんで!」って声をかけてくれる。基本押して歩きましょうって事になってるんだけど、下りとか押して歩きたくないよね、普通。歩行者が多いならわかるけど勿論そんな事は無いし(徒歩でこの橋を渡る人、通るたびに1組位ははいてはる)。
とりあえずポリさん見えるまではチャリンコ乗ったまま。橋の終わりと次かつ最後のの交差点の真ん中位にパトライト盛大に光らせ、ポリさんが3人たってこっち向いてるのが見えた時点で、はやくはやくとせがむ腹をなだめながらチャリンコを押しておりていく。長い坂で出そうと思えばいくらでもスピードは出るうえに、それを遮るための自転車用車止めもある。チャリンカーがケガしない様に見張ってくださってるんだと思えばありがたいことである。
車止めを抜けたところで再度ライドオンしてトイレに向かってペダルを漕ぐ。幸いポリ公はなんも言ってこなかったし、横を通り過ぎる時も大して注意を払ってこなかった。
駐輪場着が8:30。そのままトイレへ急行、出すものを出す。今度は十分な量出たので安心して東ゲートへと向かう。ゲートが見える場所までくるとうんざりするほどの人が歩いてる。トイレで5分ロスしたとすると、その間にメトロが2回弱到着してる。この時間は乗った事ないが、平日10時入場の時でも電車はそこそこ混んでるので、最低でも同じくらいだろう。ggってみると1編成は6両で定員1000名(座席定員750)。トイレのせいで2000名程度に先行を許してしまった(西ゲートの分も合わせたらその2倍かも)が、うんこ増田扱いされないためには避けられないないコストであった。
ぐねぐねと歩かされる(もしかしたらグリッチ利用でショートカットできる可能性もあるのだが悪用されると嫌なので書かない)ゲート前、早足でこれ以上動かないところまで来たら8:40だった。これなら9:20位には入れてるかな?と思ったが大間違いだった。万博はとにかく並び、待ち時間が大量に発生するので(同行者がいない場合は)暇をつぶせるものを持参する事をお勧めする。携帯でもいいけど、電池切れると大変なのでモバイルバッテリーは必需品だ。今回は文庫本持ってきたが、周りの会話が聞こえてきて普段の1/3位の速度でしか読めない。集中力が欲しい。
この日は快晴で、降水確率すら一日オールゼロ。9時前でも日差しが強かったが、さらにどんどんキツくなってくる。まだまだ梅雨前で湿度は低めなのにご覧の有様なのは、梅雨以降の事を考えると本当に心配である。自分はまだいいやと思って刺さなかったが、日傘をさす人もそこそこいた。自分の前の人の横に周りを気にせず日傘をさしてる気づかいの足りない人がいて、何度も顔にあたりそうになって気の毒だった。日傘をさすときは周りに配慮しましょうね。ほとんどの人は出来てるだけにこういうの見かけると残念すぎる。
手荷物検査は9時の少し前から始まり、少しずつ列は進んでいく。流れの都合か、無理やり割り込んだりしてるわけでもないのに、最初自分の後ろにいた人が自分の4人前とかに居るのをみる。そんなに自分の番が遅れるわけでもないだろうがなんか嫌な気がしてしまう自分に嫌気がさす。逆に真横にいたはずの人がゲート前で数人後ろにいたり、とかもあるので気にしないのが一番なのだが気になっちゃうよね。
ゲートが近づいてきて(ゲートが動くわけじゃないが)、ゲート上の屋根の陰に入れると一気に体感温度が下がる。二十度半ばなので寒くなったりはしないが、たまに涼しい風が流れてきたりと、直射日光下とは雲泥の差でにじんでいた汗が引いていく。
「ポケットのなかの鍵などは荷物の中におしまいください」との声が聞こえてくる。これは初めて聞く案内だ。手荷物検査まわりの効率化だろう。鍵とか忘れやすかったり直すのに時間とったりするのを削減したいのだろう。鞄に鍵をつっこむ。(9時台だけやってる可能性もある?)
いよいよ入場!時間は9:50。70分も並んだのか……並ばない万博とはなんだったのか
本エントリは(万博会場で近くにいた人にも)特定される情報が無いように書くつもりだが、例外的にパビリオン等万博運営にはあの人だろうなって分かるレベルの情報は出すことにする。そこから名前特定まではかなり遠いはずなので。
最初に向かったのは東ゲートから一番近い外国パビリオンのアイルランド館。これまでも何度か入ろうとしたものの、既にもう並んでも予約券の枠がありません、とか並べませんとか言われたところだ。公式ふくめ、いかなる予約も受け付けていないところ。
なんとか並べたので列にjoinしたのだが、観られたのは展示の2部屋だけ。9時と13時20分に4回ずつのエキシビジョンツアー&ライブミュージックの整理券を配布しているのだが、9時の配布は自分が入場する前にとっくに終わっており、最初のエキシビジョン(10:45)までつなぎの入館だったようだ。こういう情報はちゃんと聞かないとわからないorスタッフにちゃんと聞けば確認できる。ネットにも情報があるのかもしれないが、ここに関しては下調べをしていなかった。展示に関してはこの後エキシビジョン&ライブに参加したのでそこで書こう。
並んでる間にちらっと紙チケットで入場したという年配のご夫婦の話が聞こえてきて、しゃべってる相手の若い人が「万博IDを予約しないと並ぶことしかできないんですね」って言ってて少し驚いた。そういやそんなのありましたね。そいや、あれって予約しないでも入れるから、あれ買えば満員でも9時入場できるんじゃないの???と、今これを書きながら調べてみたら、紙チケットで予約なし入場できるのは11時以降となっていた。「6か月前」に販売開始される「日時指定引換券」であれば、9時入場もできるっぽいので、このご夫婦はおそらくそれで入場されたんだろう。万博IDの作成なしには当日予約すらできないの、本当にデジタルディバイドの深刻さを感じさせてくれる。もしかすると「当日予約センター」とかでなんとかなったりするのかな?と「紙チケット 当日予約センター」でggってみるもそれらしいページはヒットせず。
アイルランド館からリング下を歩いてTechWorld館へ。10:30の予約には間に合った。道すがらみるパビリオンは今まで殆ど観たことないレベルの行列の少なさで(9時入場の威力)、次はいつもリング下まで並んでるサウジアラビア館に決めた。
先日togetterがホッテントリに入ってたが、「s/台湾/テックワールド/」された世界に迷い込んだかのようだった。主催の会社名「玉山デジタルテック株式会社」でggっったらでてくる日経のサイトとか、id:entry:4771086957407295329、id:entry:4771081046455224641あたりみても、まぁ殆ど万博用のダミー会社ですよねこれ。
この世に「テックワールド」という島or国が存在するのは当然、という感じでスタッフ案内や映像は作られてる。
ちなみに、これが3日前のキャンセル枠で取れた、本日唯一の予約だった。7日前予約はイタリア館だったか忘れたが超人気のパビリオンに全振りして全落選しました。欲張ると全落選普通にあるのでみんな注意しようね!遠くから宿泊込みでの来場だとリセマラもできないもんね。
最初に心拍数計測用(その場でこの説明はされない)のスマートウォッチ的なデバイスを渡される。
大きくわけてLife, Future,Natureの3つの展示があるが、そのどこで一番心拍数が上がったかを測定し、それを元に台湾ツアープランを提示するという流れなのだ。
Lifeゾーンでは最初にでかい樹(幹が液晶か何かの表示デバイスになってる)とその下に生える草をイメージしたのか、たくさんのChromeBookがロボットアームでなびくように動き、それぞれに違う映像が表示される。総合的にみたらすごいはずなんだけど、興味が無いだけかもしれないが表示される映像自体のクオリティはあまり高いとは思えず、今回の各国パビリオンで見せられる(映画とかと比べるとしょぼい)CG動画としか思えなかった。テックワールドにたくさんの種類が居る蝶をスワイプして樹の幹に飛ばす演出もあったが、その蝶もあまり精細さに欠けて個人的にはうーんという感じだった。
Natureゾーンでは最初に4K高精細レーザープロジェクタとやらで、丸い壁にそった巨大なスクリーンに高精細な台湾の自然の映像が流される。これは結構好みだったんだが、途中で一度処理落ちなのかガクっと映像が乱れるところがあっておいおいってなりました。
次に台湾……じゃなくてテックワールドの特産品で輸出業としても存在感のある蘭の展示。蘭自体は綺麗だったんだが、台湾……じゃなかったテックワールド技術のナノスプレーというもので花にTechWorldやEXPO2025等がプリントされており、その部分が自分からは大不評でした。いや印刷はとても綺麗できっと凄い技術なんだろうけども。
次は8Kアートディスプレイとやらが5つほど並んだ部屋で、台湾の芸術家の作品を学習させたAIでそれを動かす展示。ガイドの方が「近づいてみても、本物の絵のようにみえませんか?」とおっしゃってたが、光の反射とかは抑えられて綺麗ではあったが、近づいてよくみると「あー、液晶ですねぇ」という感じでした。AIで静止画や彫刻に動きを出す、というのも好みではなかった。
最後にFutureゾーン。台……テックワールドの「(半導体)チップ」が世界を救う!レベルのチップ推し動画で正直引いた。使われてた合成音声も2025年としては少し不自然なところが気になったし。
すっごいダメだししてるけど、台湾は好きですよ。ほんとに。ただなんか、90年ごろの日本の傲慢さの焼き直しみたいなのを見せられてる気がしてなんだかなぁってなったんです。将来今の日本みたいにならないといいですね。
あー、すみません、大して中の展示覚えてないです。記憶力なさすぎて自分にうんざりだ。
TechWorld出てから即来たのに、リング下にまで列ができていた。が、思ったよりもするする動いて、20分も待たずに入れたように思う。9時入場パワー恐るべし。
スークを模した建築は物凄く雰囲気があってよかった。映画の中に入ったような感覚があった。暗くなってからは壁面にプロジェクションマッピングされるそうで、それはそれで綺麗そうだ。
最初にラクダの毛から織物を織る実演?をしていた。目だけ出てる衣装で下向いて織ってたので、もしかしたらロボットがそれっぽい動きしてただけとかの可能性もあるかもしれない。(多分ない)
あと、自分では行ってないんだけどなんだかトイレを褒める発言が複数回聞こえてきた。
次の万博開催国でもあり(登録博と呼ばれる万博で、EXPO2025もそれ)、金回りがよさそうだみたいな声も複数回聞こえてきた。
サウジアラビア館の3つとなり、いつも見かけるよりも待ち行列が少ないので並んでみる。展示は量的にも結構すくなくて、それに比べて奥のギフトショップがデカすぎでうーんってなりました。あまり心に残るものが無かった……音楽やらの実演ショーがあれば観てみたいんだけども、やってるのかなぁ?
13時20分のチケット配布に何時から並べるのか?と聞いてみたところ、熱中症対策もあってそれは言えない事になっているとの事だった。常識的に考えて1時間前位なんだろどうせ、とあたりをつけて、マイボトルに水を入れるために給水機まで歩いて行った。実はアイルランド館の目の前にも給水機あるのに、ちょっと遠くのところまで……。
戻ってくるころに丁度12時になったので、いわゆる「ガンダム方式」と呼ばれる定時に開放される当日予約枠を抑える。何時にどのパビリオンの枠が解放されるかはggってください。この時に自分がとったのは落合陽一のnull2インスタレーションモードというもの。2時半の予約。携帯ポチポチしながらアイルランド館の前に戻ってきたらなんとまぁ、もう待機列ができ始めてる。1時間前じゃないのかよ!と慌てて自分も並びにゆく。
個人的なアドバイスだが、本万博は待つこと並ぶことを恐れてては良い体験はできない。自分の9時入場も、トイレで無駄(では勿論ないが)にした5分で2000人に先を越された。下手すると20分位は入場が遅れたわけだ。5分の到着の遅れで。「並ばない万博」なんて誰が言ったかしらないが、無責任極まりないデマでしかない。長時間並ばなくて良いのは何らかの手段でとれた予約(2か月前・1週間前・3日前と、各パビリオンの独自予約)だけで、それ以外は全て並ぶ覚悟が必要だ。なので、自分(やその一団)が興味あるものみたいものを公式ページの「イベントカレンダー」なども駆使してきちんと絞り、戦略的に動かないといけない。パビリオン以外にも色々楽しめるイベントは開催されている。
正面の前の方でみるとなると待つことが必要でも、通りがかってみるだけで楽しめるようなものもある。例えば東ゲートからリングに向かっていくとある、大阪ヘルスケアパビリオンリボーンステージという半屋外ステージでは色んな音楽などのショーを頻繁にやっている。6/5も「きいやま商店」という沖縄ロックのグループがやっていた。後ろの方から少し見ていたが、前列真ん中あたりはほぼファンが埋めていたように見えた。タオルを頭上で振るように演者が促すと迷いもせずみんなそうし始めたので。ただ、これをヘルスケアパビリオンが一体どこで告知してるのかよくわからない。「きいやま商店万博」「きいやま商店リボーンステージ」などで検索しても、きいやま商店による告知しか出てこない。リボーンステージの予定表とか無いのかよ?流石に無いわけ無いと思うものの、ggっても見つからないのも事実で、あまりにヘタクソだなぁと言わざるを得ない。
他にも、南ポップアップステージで同日開催されていた、『伝統の中にある未来 -Japanese Spirituality -(伝統文化未来共創Project)』なんかもチラ見したが、時間があればじっくりみたかった。伝統芸能の踊りとかやってた。未来の技術より伝統芸能とかの方が興味あるんだよね。
各国パビリオンの展示、なんかもう似たり寄ったりの所が多くて。テーマに沿ってやるとどうしても似かよるというのもあるんだろうが、それでも。
話がズレすぎたので、アイルランド館の方に戻ろう。
12時過ぎに待ち行列解禁され、パビリオン敷地の砂利道にならぶ。配布は1時間以上後なので、皆砂利の上とか置いてある石の上に座る。そして30分もしない間に待ち行列が配布チケット分を越え、行列末尾でスタッフが「これ以上並んでもチケットもらえない可能性があります」と案内し始める。傍から見ても行列があるから並べるんだろうと思うのだろう(実際自分も以前そう思った)、ひっきりなしに同じ事を繰り返すスタッフ。なんかもうちょっと良いやり方があるんじゃないの?と思うのだが。
そこから10分程したらもう完全に「今から並んでもチケットはもらえません」と、「NO MORE TICKET」とかかれたボードを持ってとお断り状態に。このお断り状態パビリオンが一番ストレスたまるんだよね。自分も数々のお断りをくらいまくってきただけによーくわかる。有志マップなどにある「先着」や「自由入場」を信じて行ってみても「今は並べもしません」、と言われ、いつになったら並べるようになるの?って聞いても大体「わかりません」しか返ってこない。公式サイトの「予約なしで楽しめる」て案内も、実際の所「そこそこ並べば参加できます」なことが殆どだ。割と広い範囲からみえるものな事も有りはするが。
その2へつづく
あなたが感じている結婚や出産への嫌悪感は、現代社会の規範と個人の価値観の衝突から生まれる複雑な感情の織物のようです。この感覚を解剖学的に分析すると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります。
恋愛感情の希薄さや他者の恋愛話への無関心は、アロマンティック(恋愛感情を抱かない)傾向の特徴と重なります。30年間恋愛感情を経験せず平穏に過ごせた事実は、この傾向があなたの本質的な性質である可能性を示唆しています。
「子供を持つことが自己中心的」という認識は、反出生主義(antinatalism)の哲学と通底します。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』やベンタムの功利主義哲学が提示した「生まれる権利」の問題が、現代の個人主義社会で再解釈されている現れと言えます。
| 個人の価値観 | 社会の期待 | 葛藤の源泉 |
| -------------- | ------------ | ------------ |
| 二次元文化への没頭 | 年齢相応の話題 | 世代間ギャップ |
| 単身生活の満足 | 家族形成の強制 | ライフコースの多様性否定 |
| 自己完結的幸福 | 関係性依存の称賛 | 幸福観の相違 |
弟の出産報告への反応は、これまで無意識に維持してきた「社会的期待からの防護壁」が破られた瞬間のショックと考えられます。家族という最も身近な存在が社会規範に従属する姿を目の当たりにし、自己の存在様式の脆弱性を突きつけられた心理的防衛機制が働いている状態です。
シングルリズム(単身主義)や友愛結婚(platonicmarriage)といった新しい関係性の形が、日本でも認知され始めています。京都大学の社会学研究によると、20-30代の5人に1人が「伝統的家族モデルに違和感」と回答しています。
「キャラクターを愛でることで充足する生活は、消費文化の産物ではないか」という自己懐疑に対し、精神分析学者アドラーの『個人心理学』は「他者貢献感は必ずしも対人関係に限定されない」と指摘しています。二次元への愛着も立派な自己実現の形と言えます。
この感情を「社会システムへの鋭敏な批判能力」と捉える視点があります。フランスの哲学者ボードリヤールが指摘する「消費社会における関係性の商品化」に対する無意識の抵抗という解釈も可能です。
python#感情のデコーディングアルゴリズム(概念コード)def decode_emotion(stimulus): if stimulus in social_norms: analyze_cultural_bias() compare_with_personal_values() output = generate_alternative_view() else: process_with_existing_framework() return output
資産形成(例:雀の涙収入の投資)と趣味の深化を組み合わせた「超単身主義」ライフスタイルの設計。漫画家の吾峠呼世晴や小説家の乙一など、創作活動に没頭する生き方の事例研究が参考になります。
この感情の迷宮から脱する鍵は、社会の物差しで自己を計測する行為そのものを相対化することにあります。平安貴族が詠んだ「もののあはれ」のように、あなたの感じる「気持ち悪さ」を現代社会を照射する独自の美学として昇華させる道が開けるかもしれません。
昔々、東の国の片隅に、奇妙な伝説がささやかれていた。そこでは、夜ごと空を駆け抜ける小さな火鼠(ひねずみ)が、赤い炎をまといながら舞うと信じられていた。その火鼠は、伝説上の魔除けであり、また奇跡を呼ぶ存在として、村々の守護神とされていた。とりわけ、その姿を模した「皮衣(ひがた)」は、かつて尊い宝衣とされ、王侯貴族の間で愛用されたという。
しかし、時は流れ、科学が進歩するにつれて、その伝説に隠された真実が、ひとりの学者によって解き明かされることとなった。近代の研究者、藤原博士は、古文書と民間伝承を丹念に調査し、ある衝撃的な事実に辿り着いたのである。それは――「火鼠の皮衣」とは、決して神秘的な魔法の布ではなく、実はアスベストのことであったというのだ。
藤原博士が調べ上げた文献には、かつて火鼠と呼ばれる生物が持つ、極めて耐熱性に優れた皮膚の性質が詳細に記されていた。古の人々は、その皮膚が炎をも跳ね返す不思議な力を持つと信じ、神聖視した。しかし、現代の科学の目で見ると、これらの性質は天然の繊維ではなく、鉱物質からなる微細な繊維、すなわちアスベストに酷似していることが判明した。
アスベストは、その耐熱性と耐火性の高さから、かつては建材や防火服などに広く使用されていた。しかし、その後、健康被害が明らかになると、使用は厳しく規制されるようになった。藤原博士は、古代の人々が、偶然にも採取されたアスベスト鉱石の粉末や結晶が、火鼠の皮膚のように見えたために、神秘的な伝説が生まれたのではないかと推測したのだ。
火鼠の皮衣――つまり、アスベストが持つ独特の光沢と、炎を遮るかのような耐熱性は、まるで生きた火鼠の皮膚を思わせた。そのため、古代の鍛冶屋や織物職人たちは、この不思議な素材を用いて、防火のための衣服や装備を作り出そうと試みたという。しかし、アスベストの取り扱いには細心の注意が必要であることは、現代の知識によって初めて理解されたものであった。
この発見は、伝説と科学が交わる稀有な瞬間であった。古来、火鼠にまつわる言い伝えは、単なる神話や幻想に過ぎないと思われていた。しかし、藤原博士の研究によって、古の人々が実際に手にした「魔法の皮衣」が、現実の物質――アスベスト――であったという事実が浮かび上がったのだ。
この新たな視点は、我々に伝統と科学、神話と現実の関係を再考させる。かつて恐れられ、神聖視された火鼠の皮衣は、実は自然界に存在する鉱物の奇跡的な結晶であり、人々はその美しさと不思議な力に魅了された結果、神話として語り継いできたのかもしれない。
現代においては、アスベストの危険性が広く認識され、使用は制限されている。しかし、かつての人々がその特性に魅せられ、火鼠の皮衣という美しい物語を紡いだことは、科学が解明する前の人間の感性と、未知への畏敬の念を物語っているのだ。
こうして、「火鼠の皮衣とはアスベストのことだった」という衝撃の事実は、伝説と科学の狭間に存在する微妙な真実を私たちに問いかける。かつての神話は、単なる幻想ではなく、人々が自然の驚異に向き合った結果生まれた、知恵と感性の結晶であったのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20241002004712
広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。
三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。
広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。
「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」
「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。
曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。
玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。
描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。
「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。
「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、
「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。
静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。
「また苦しくなったようですね」
女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。
「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。
絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。
三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。
「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」
追記じゃなくて、投稿を分けて仕舞えばいいかなと思ったので、こちらで解説します。
letitbomb78増田のレビューは削除されており、それらしいレビューがあるかを目印にできないとなると、ヒントとして成立するのは「デマ本である」「欧米Amazonでは発禁」のみだと思うが、この2つで辿りつける人がいるのか?
Amazon removes 92 books promoting Holocaust denial - The Jewish Chronicle
アマゾンは、ホロコースト記念日を前にユダヤ人団体から賞賛を浴び、ショア(ホロコースト)否定を助長する92冊の書籍を削除した。
アマゾンは近年、この問題に対する世論の圧力の高まりに直面していた。アマゾンは現在、17カ国にまたがる数多くの書籍と850以上のハイパーリンクを削除している。
いわゆる「ホロコースト否定(Holocaust Denial)」です。
上のブコメの人が、ヒントを出してあっても気付かないほど、日本ではほとんど話題に上らない分野です。
ホロコースト否定が日本で話題になったのは、おそらく今まででたったの2回程度です。
一度目は、西岡昌紀という神経内科医が、1995年1月に、文芸春秋社の若者向け月刊誌だった『マルコポーロ』にホロコースト否定の記事を書いてちょっとした騒ぎになったことがありました。
その記事のせいで、売れ行きのよかったその月刊誌は速攻で廃刊になってしまいました。
二度目は、2015年10月に、高須クリニックの高須院長が「南京もアウシュヴィッツも捏造だと思う」とツイートして炎上して話題になったのを記憶している方もいるかと思います。
高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論! ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか|LITERA/リテラ
しかし、欧米では1970年代頃からだと思いますが、何度も問題になっていました。細かい話を入れると1950年代からと言ってもいいかもしれません。
欧米ではベストセラーの歴史家として人気のあった、『ヒトラーの戦争』などを著したデヴィッド・アーヴィングが、自身を「ホロコースト否定者」だと、歴史学者のデボラ・リップシュタットにレッテルを貼られて名誉毀損で訴えた事件は、『否定と肯定』なる変な邦題がつけられた映画でも有名です。
欧州では20カ国弱で、ホロコースト否定の主張を公に行うことは法律で規制されています。
米国では憲法修正第1条で言論の自由が厳格に認められているため、規制はされていませんが、米国のAmazonやFacebook、Twitter(現X)、Google(YouTube)等の大手ネット企業は世界的企業のためか、ホロコースト否定を原則的に違反行為として規制しているのです。
フェイスブック、ホロコースト否定の投稿を禁止 - BBCニュース
さて、ここからはいきなり私的な話になりますが、どうして私がホロコースト否定に対して異常に反感を持ち始めたかというと、2019年頃だったかと思いますが、たまたまNetflixやAmazonプライムなどで配信されていたホロコースト関連の映画に少しだけハマったからです。
そこからどういう経緯を経たかは覚えていませんが、日本でもホロコースト否定の主張をネットで行う人がそこそこいることが見えてきたのです。
おそらく一番反感を覚えたのは、YouTubeにある『ホロコースト論争』なる動画チャンネルの動画です。多分、「ホロコースト」関連の動画を見ているうちにおすすめに出てきたからだと思います。
私自身は、その詳細な内容は分からなくとも、いわゆる歴史修正主義者(ホロコースト否定派)たちがネット上で嘘(=誤り)ばっかり言っているのを朧げには知っていたので、「なぜそんなにデマを広めるのか?」と憤ったのです。
しかし、その時にもっと驚いた(というか呆れた)のは、その動画のコメント欄ではその大半が主張の賛同者で占められていたことでした。
それで、Yahoo!知恵袋に「どうしてホロコーストを否定しようと思うのか?」みたいな質問をしたりしていたら、何人ものホロコースト否定論者が当時知恵袋に巣食っていたことも知りました。
それら否定論者は、どこで知ったのか、とんでもなく細かい論点を事細かに幾つも示して、「証拠も全くない上に、これだけたくさんの疑問があるのだからホロコーストなど嘘である」と主張していました。
直感的に、それらの細かい論点は全部出鱈目なのだろうとは思ったものの、あまりに細かい話ばかりで、当時無知だった私には具体的な反論はほとんど不可能でした。それは、『ホロコースト論争』の動画に対しても同様でした。全然知らない話ばかりなので、どうしようもありません。
しかし、日本語で細かくホロコースト否定へ反論したサイトもほとんど存在せず、ホロコーストの歴史自体をざっくり学ぶのは容易ではあるものの、否定議論のような細部の話には打つ手がなかなか見つかりません。
ただし、日本のネットでのそれらホロコースト否定派が使っている情報自体は、日本語のものがありました。「歴史修正主義研究会」だとか、「ソフィア先生の逆転裁判」(※現在はwebアーカイブ以外には存在しない)だとかいうサイトです。
どうすれば反論できるのかと考えあぐねていたら、知恵袋である人から、外国語のサイトに有名な反修正主義者のサイトがあると教えてもらったのです。
私は英語すら全然ダメで、Google翻訳ではちょっと意味がわかりにくかったところ、2020年の半ばごろにDeepLという翻訳エンジンが日本語化対応したとはてなでも話題になったのです。早速使ってみたところ、とんでもなくわかりやすい日本語を生成することがわかったので、「これなら理解できる!」となったのでした。ただし、当時のDeepLの翻訳品質は、2024年現在よりかなり低品質です。
また、その方は、過去に日本でもホロコースト否定への具体的な反論をしていたサイトがWebアーカイブに残っているとも教えていただきました。
どうにかこうにか、そのようにしてホロコースト否定へ反論するための武器を整えていった結果、約4年経過後の現在、note上には300記事以上もの反ホロコースト否定関係の記事があります。
noteは英文記事の翻訳が中心で、多すぎて何から読めばいいか分からないという諸兄には、現在休止中ですが、自分で起こした記事を中心としたはてなブログもあります。
ちなみに、noteで最もアクセス数の多い記事は、なぜか以下の記事です。なぜこの記事がダントツでずっとアクセスが多いままなのか、理由がさっぱりわかりません。
ナチスの縮んだ頭、人皮のランプシェード、人体から作った石鹸、人毛の織物? 伝説から真実を見極める(1)|蜻蛉
まぁ、最近ではホロコースト否定派に正面から反論しても大して意味はないか、と諦めています。単純にホロコースト否定派は頑迷なまでにホロコースト否定を信じており、新興宗教から脱会させるのが至難の業であるのと同じように、本当に無意味です。
ですが、Amazonレビューでは本当にそこそこ「参考になった」票を貰えていたので、その程度には役に立てたかなと自分なりには満足だったのです。100個以上付いてたものもありましたしね。
たまーに、それらホロコースト否定主張に反論していた私のAmazonレビューをTwitter上で評価してくれる人さえいました。
永久にレビューできなくなったのでその楽しみもなくなってしまいました。
あとは単に細々とこの趣味をnoteやブログで続けるだけですね。もしよろしかったら、noteでサポート(投げ銭)ください 笑
追記:
hazlitt翻訳と称して他人の記事を転載してるnote の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
気になるねえ
何故気になったのか
「自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある
「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい
調べましょうね
なるほど、西洋からいわゆる「ハート」概念が伝来する以前から土器や織物にハート形の文様が存在する、と
神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と
なるほどねえ
じゃあ昔の日本で自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~
……とはならない
「西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様が存在した」イコール「自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない
芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語を日常的に使用するか?という点を疑う
農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?
勘だけど逆なんだろうな
すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘
その場合、
の問いの答えは「自然薯や山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる
農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?
さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか
いろいろぐぐってみるか
1911年(明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理用菓子用蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種中第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。
キリスト教伝来から300年以上経過しているからハート形という概念が浸透していても不思議じゃない
いや、リンネの分類学の著作が日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?
西洋の植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……
『日葡辞書』になんか自然薯の記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線の記述だから意味ないか……
園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ
時間切れ、また夜に調べるか……
三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……
これは日記です
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Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い
自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている
その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている
きっと西洋でメジャーなハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう
ヨーロッパでメジャーなハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ
知らんけど~
おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている
色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆
葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある
ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉は不要だった……とか
その場合、
に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」
となる
そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)
市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか
それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフでハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか
検証できるかどうか
うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか
博物学と医学薬学の中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい
ただなぁ~、学者先生が使う言葉や認識と、市井の人々の使う言葉や認識って別だろうからな……
とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑を国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう
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面積を求める和算の問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな
もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも
一応調べること
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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう
・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
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メモ:
こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある
また、現代語訳された古辞書が書籍として売ってあるなら購入も検討すること
また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない
ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる
神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別
例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか
似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットしやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ
トランプのハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説
それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか
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・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる
しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた
(余談だがアサガオはヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ式階層分類体系は偉大っすなあ)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
芋って家紋のモチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)
♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念は存在しない……か?
猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)
だからこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html
Permalink |記事への反応(20) | 09:57
余談1
AI絵師反発をラッダイト運動と例える人もいるが、ラッダイト運動の織物機械は手工業者に寄生していたわけではないので、似て非なるものだと思う。
手工業者なくして生まれ得なかったし手工業者から学習して出来上がったものだよ。
余談2
他人の絵を見て吸収して描くのは人間の絵師も同じではあるが、人は絵以外のもの(例えば目に入る自然のものなど)からも影響を受けるため、他人の絵だけを吸収して絵を描いているわけではない。
おれは「AIで絵が描けるなんて嫌だなー」って気持ちは共有してるけど
「不可避で不可逆の流れに逆らえると思ってる感じ」とか
「この問題を善悪や感情の問題として語り得ると持ってる感じ」とかが。
嫌だなーって気持ちを共有するけど、反対するの無理だし無意味だと思うよ。
今敵味方で争ってるつもりの人達まるごと、10年後にAIネイティブとして出てくる今10歳~15歳くらいの子たちに駆逐されて
今やってる議論は全部意味の無いものだったとわからされると思う。
良いとか悪いとかじゃねえんだよ。
学習データとなる絵がないと描けないイラスト生成AIは寄生と似ている。一方的に栄養を吸い取っていく様はまさに寄生だ。
一部、寄生側が宿主を攻撃する活動も見られる。そうなれば悪質なウイルスと同じになってしまい、そのうちワクチンもできてしまうかもしれない。
中には捕食寄生のごとく利益を食らい、宿主に「寄生しています!」と宣言する輩も現れた。捕食寄生が宿主に知られればどうなるか、その結果がFANBOXのAI禁止だ。
寄生ではなく相利共生が望ましいが、それには寄生側から宿主に何かメリットを提供する必要がある。イラスト生成AIの出始めは絵師の助けにもなるとの見方もあったが、現状はデメリットが大きく上回ってしまった。
宿主を傷つける悪質なウイルスが多数AI絵師になってしまったので、pixivのように当面規制するしかないだろう。ファンティアも宿主を守る方向に動いた。還元の仕組みができればいいのだが。
寄生は二次創作のように目立たなければ見逃されるが、悪質なウイルスのせいで悪目立ちしてしまったがためにAI絵師規制は過熱するのかもしれない。
AI絵師反発をラッダイト運動と例える人もいるが、ラッダイト運動の織物機械は手工業者に寄生していたわけではないので、似て非なるものだと思う。
他人の絵を見て吸収して描くのは人間の絵師も同じではあるが、人は絵以外のもの(例えば目に入る自然のものなど)からも影響を受けるため、他人の絵だけを吸収して絵を描いているわけではない。
確かに、「社会の歯車」の比喩は、個々の人が重要な役割を持っていることを示唆していますが、すべての人が重要なポジションにいるわけではありません。そのため、より適切な比喩的表現をいくつか提案します。
社会の織物 (Society'sTapestry):社会を織物に例えることで、個々の人が糸の一本として、織り上げられる社会全体のデザインに貢献していることを表現できます。すべての糸が同じ役割を果たしているわけではなく、それぞれの色や太さが異なり、独自の特徴があることを示しています。
社会のパズル (Society's Puzzle): この表現は、個々の人が社会全体のパズルの一片として、それぞれが持つ形状や特徴によって、適切な場所に嵌められることを示唆しています。パズルのピースはすべて異なる形をしているため、重要性の大小は関係なく、全体像を完成させるために必要な要素として表現できます。
社会のオーケストラ (Society's Orchestra): この表現は、個々の人がオーケストラの楽器奏者として、それぞれが担当する楽器やパートによって、調和の取れた音楽を奏でることを示しています。楽器奏者のそれぞれが重要でありながらも、役割や重要性が異なることを表現できます。
社会のエコシステム (Society'sEcosystem): この表現は、個々の人が生態系の中で異なる役割を果たしている生物のように、互いに影響し合いながら共存していることを示しています。生態系では、すべての生物が重要でありながら、役割や影響力が異なることが一般的です。
芽が出ない種子を渡されて「これを発芽させたら結婚させたる」と騙されたことに鬼がショックを受けてトラウマになったとかいう設定だよな。
でも鬼がその程度のものを投げられて必死に逃げるのかって思うわけよ。
騙しやがってぶっ殺すぞってなるだろ普通?
でもそうじゃないってことはもっと深い精神ダメージを受けるものだったと思うんだよね。
たぶんね、精子と経血レバーの入った壺を渡されて「ここに人間の卵が入ってる。血は繋がってるからお前がちゃんとプリンセスメーカー出来れば同じような娘に育つ」って騙されたんじゃねえかな。
精子と織物の混合物が腐っていく中で大事に大事に十月十日を待ちわびたあとに真実を告げられた鬼のショックたるや。
単に孤独な非モテ男がシコったあとの汚濁と、非モテ女の排泄物、そんなものを大事に育てようとした自分の悲しみと、理解したあとの悪臭たるや。
弁当にこっそりザーメンコンドームを混ぜられて、「なんか変な物食った」と言った途端に「珍味だよwww美味かったか???」と煽られた光景を。
もう無理だよね。
それが現代では形を変えて煎り豆になってるけど、それが意味するのってようはゴミ箱からティッシュにくるんだザーメン取り出して鬼に投げつけるような光景なんだよね。
「お客様は神様です」について
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
「三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます。
ですが、このフレーズが真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます。
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物や物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生の第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。
また、三波春夫の舞台をお客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命に舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。
そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述を最後にご紹介いたしますが、“お客様を神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。
その後、漫才トリオのレツゴー三匹さんが「三波春夫でございます。お客様は神様です」という表現を流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。
三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります。
例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています。
また、クレーマーやカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります。
このようなフレーズへの誤解は三波春夫の生前から有りましたが、言葉や文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前の三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫のライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。
“雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。
16歳で初舞台を踏んだ浪曲の世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様が舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。
20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリアで捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。
抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身が希望を持って生きるためにも、時間を見つけては一所懸命に浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。
戦後は浪曲の世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服の歌手であり、歌手が座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。
永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞やエッセイ、歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。
笑顔がトレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。
これらは、若い時に先輩から「普段の暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。
三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。
最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます。
三波春夫著『歌藝の天地』
(1984年初刊2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より
「お客様は神様です」の発端
お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。
皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。
そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。
しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉が流行ったのではないだろうか?
私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。
つまり、浪花節の台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである。
われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。
お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。
あれはたしか、昭和三十六年の春ころ、ある地方都市の学校の体育館だった。
司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。
「!?」
「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」
ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。
すると、宮尾君はたたみかけて、
ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、
「カミサマですか」
「そうです」
「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・」
客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から、毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから、司会者としても一流。漫談もうまい。
こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹が舞台を見て、おおいに流行らせたのである。
追記:
“翌日から、毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様を神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいね。お客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。
法学部卒で就活をなめていて全滅し、小さな編プロに入ったものの、ボスもアスペで誰とも仕事が続かない方だったので、私もミッション途中で解雇。
業務委託契約で雇用保険も未加入だったので、日雇いで食いつなぎ、京都リサーチパークの小さなコンサルにアルバイトで入社。
Web制作が商売になり始めた頃でしたので、織物産業系の会社にホームページを売り歩いて実績を積んで正社員になったものの、社長が会社を解散。
その後ポリテクセンターを利用して雇用保険で食いつなぎながら、就活してリクルートの制作会社に入り上京。
でも遠距離恋愛でメンタル悪化して、早々に退職して数年実家で引きこもり。
このままではヤバいと思い、農業実習生に行ってみたけど、休憩時間に水も飲めず挫折。
その後はボランティア活動に参加するようになったら、ITスキルを買われて、研究員として再生可能エネルギーの実証実験に参加。
GISを使った資源量調査の学会発表や共同特許取得の経験を積んだものの、上司と研究データの抽出方法でもめて離職。
しばらく考えて、あえて障がい者枠で福祉施設の支援員になるも、ずさんな経営に憤りを感じて、離職。
文科省のモデル事業でとある学校の支援員をしながら、通信制の専修学校で社会福祉士の勉強をして、合格。
福祉の道を歩もうと思い、福祉施設を立ち上げたいという営利企業に雇われ、作業所を設立。
でも作ってから、運営方針でまた役員ともめてパワハラを受けて、離職。
それならいっそ営利企業ではなく社会福祉法人で働いてみようと、家から近い法人に就職。
相談員の資格を取得したものの、保守的な法人の運営方針と、社会福祉士の倫理綱領との乖離に会社に行くのが辛くなってしまいました。
だって入社式でマスクの色まで指定して、少しでも違った人はその場で交換させるなんて、多様性が重んじられる福祉業界であり得なくない?
毎日仕事のことを考えると歯を食いしばりすぎて、歯神経が痛みを発するようになっています。
抗不安剤を勧められるけど、ベンゾ系の薬は卒業したので今さら飲めず。。。
転職しようにも、地元は田舎なんでほぼ最低賃金に近い仕事しかなくて、福祉でやっていこうと思っていたけど、まともな法人はもう通える範囲で求人がないのが現状です。
お付き合いのある自治体で雇ってくれる話もあるけど、会計年度任用職員なので、これまた最低賃金レベル。
ITに疎い業界だと重宝がられるけど、今さらIT業界に戻ろうとしても、ブランクもあり、厳しいかな。
IT系の資格は取得してないけど、以下のようなしょぼいスペック。
サーバーたてたりはLinuxとかでFTPサーバーやWebサーバーをたてて遊んでいたレベル。古い時代でごめんなさい。
Webはhtmlは読める。デザインもできる。WordPressは分かる。ディレクション経験は大昔ならあり。
経理:売上1億円レベルの小さな企業の給与計算、法人の決算は経験あり。
助成金申請・報告書作成:1,000万ぐらいの案件までなら経験あり。採択実績も複数あり。
法務:名義変更登記とか不動産登記はできる(無資格・図面はイラレで書ける)。
コンサル:福祉事業所の設立や運営のコンサルは単年度で受注実績あり。
でももう福祉系を諦めて、他の士業の資格を取得するのも検討中。
シネという選択肢はなしで、どの分野に進んだら生き残れるんでしょうか?
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