
はてなキーワード:総本山とは
創価学会、顕正会、立正佼成会などの議論を呼ぶ仏教団体は日蓮宗に起源を持ちます
これらの団体は、13世紀の日本の僧侶である日蓮(1222–1282)が創始した日蓮仏教にそのルーツをたどることができます。日蓮は、法華経を唯一の正法と主張し、他の宗派と対立しながら独自の教えを広めました。この教えが後の分裂や派生を生み、さまざまな団体が誕生する土壌となりました。
ただし、「日蓮宗」という名称は現代の組織化された宗派を指す場合が多く、歴史的に日蓮の教えから派生したすべてのグループが現在の「日蓮宗」傘下にあるわけではありません。それぞれが独自の解釈や発展を遂げてきたため、厳密には「日蓮仏教の系譜」に属すると表現する方が適切かもしれません。
創価学会は、1930年に津田三男(後の創価教育学会の創設者)によって設立されました。
当初は教育団体として始まりましたが、後に日蓮正宗(日蓮宗の一派)の信徒団体として活動を拡大しました。
1940年代に戸田城聖が指導者となり、戦後の混乱期に急速に成長しました。
しかし、1991年に日蓮正宗から破門され、現在は独立した宗教団体として運営されています。この破門は、創価学会が日蓮正宗の信仰から逸脱し、独自の路線を進んだことが原因とされています。
1964年に公明党(現在の公明党)を結党し、政治に直接関与するようになりました。公明党は平和主義と福祉政策を掲げ、現在も連立与党として日本の政治に影響を与えています。
2020年時点での会員数は約800万人とされ、選挙での組織票が大きな力となっています。一方で、強引な勧誘方法(折伏)と政治的影響力から「カルト的」と批判されることもあり、特に1990年代の池田大作名誉会長に関する議論が注目されました。
顕正会は、1960年代に日蓮正宗の内部で活動していた浅井甚三郎が、宗派の方針に反発して分派したことから始まりました。
日蓮正宗が創価学会との関係を断つと、浅井は独自の解釈(特に「邪宗排除」の主張)を展開し、1969年に正式に独立しました。日蓮正宗の総本山である大石寺を拠点とする点で歴史的つながりがありますが、現在は対立関係にあります。
顕正会は直接的な政治組織を持たず、選挙への候補者擁立も行っていません。しかし、過激な宗教的発言やビラ配布を通じて社会への影響力を試みており、一部で政治的圧力団体としての側面が指摘されています。会員数は明確な統計がなく小規模とされていますが、熱心な信者が社会問題に介入するケースが見られます。
立正佼成会は、1938年に庭野日敬によって創設されました。霊友会という既存の宗教団体から分離し、日蓮の教えに基づく法華経信仰を軸に発展しました。戦後、平和運動や他宗教との対話を重視する姿勢で知られ、創価学会や顕正会とは異なる穏健な路線を歩んでいます。
立正佼成会は直接政党を結成していませんが、新日本宗教団体連合会(新宗連)を通じて政治に影響を与えてきました。1950年代以降、自民党や民社党などの候補者を推薦し、参議院選挙で組織票を動員してきました。
2017年の衆議院選挙では119人の推薦候補が当選するなど、間接的な政治的影響力を持っています。また、靖国神社参拝反対などの平和主義的な立場から、特定の政治課題で発言を行うこともあります。信者数は2023年の文化庁「宗教年鑑」によると約180万人とされています。
これらの団体は、いずれも日蓮の教えに起源を持ちながら、異なる歴史的経緯と教義解釈を経て独自の道を歩んできました。政治への関与度は創価学会が最も強く、公明党を通じて明確な影響力を持つのに対し、顕正会は限定的で、立正佼成会は間接的かつ穏健なアプローチを取っています。
かつて『「中国化」する日本』で一世を風靡した與那覇潤の現状を知っているだろうか。
https://note.com/yonahajun/n/nb2bd757600df
最近の與那覇はウクライナを支持する国際政治学者を批判し、コロナ対応にあたった専門家を批判し続けている。この度、とうとう参政党を「歓迎」するに至った。
最近の彼は自分を「ホンモノ」と絶賛して気に入らない「ニセモノ」を貶し続けるという、見るに堪えない文章をひたすら投稿している。
『知性は死なない』は素直にいい本だと思ったが、最近の議論は何一つとして見るものが無い。
今回、参政党を「支持」はしないが「ホンモノ」たる自分の「予言」が合っているかどうかを確認したいから「歓迎」するという。参政党台頭で危機にさらされるマイノリティなんざ知ったことではない、ひたすら「ホンモノたるオレサマ」が有能なことを証明したいがためだけに、文章を乱発しているようだ。
こうなるともう更生の余地もない。ひたすら「ホンモノ」たる自分を信じてトンデモ化するばかりだろう。
そもそも、與那覇の議論は『「中国化」する日本』で一世を風靡していた当時からかなり痛烈な批判があった。
https://kscykscy.exblog.jp/18241381/
このブログの主は鄭栄桓だが、この批判は現状の與那覇の議論の問題点を全て突いている。
にもかかわらず、與那覇はこの精緻な批判に反論することはついぞなかった。
https://watashinim.exblog.jp/18496216/
少なくとも、與那覇が自らをフェアな研究者と自称しているのは端的に言えばウソである。もし、與那覇がフェアな研究者であるというなら、今からでも鄭の批判に反論すればいいだけのことだ。恐らく「昔のことで覚えていない」というのがせいぜいの言い訳だろうが、ならば言い逃げ屋とか無責任などと他者を批判する資格は與那覇にはない。
鄭の批判に明らかなように、與那覇は自分に都合の悪い指摘は無視し、侵略・被侵略・支配・被支配に関する視点が決定的に欠如している。
現に、ウクライナ戦争では国際政治学者やウクライナ側の問題を批判する一方で、ロシアに対しては一切批判しない。日中戦争下の日本と現在の日本・ウクライナを比較するが、本来比較すべき侵略国家のロシアには一切触れない。これは公正な比較などではなく、国際政治学者をとにかく批判したい、馬鹿にしたいという下心によるからだ。與那覇は停戦さえすればウクライナは無用な犠牲を払わずにすんだと言うが、停戦後にロシアが再び侵攻するリスクも停戦下で影響力を高めるための工作を図るリスクも一切考慮していない。
こうした視点は参政党のロシアへの影響力を陰謀論と一笑に付す姿勢からも表れている。とにかく、ロシアの影響力と問題点をひたすら捨象するのが與那覇流である。
また、コロナについてもワクチンやマスクを徹底的に貶す一方で、重症化・後遺症のリスクを一貫して無視している。笑ったのは以下の記事のリンクである。
https://agora-web.jp/archives/250706022201.html
まずこの記事のツッコミどころは「マスクをしない自由」を追求していた與那覇が今や「マスクをする自由」を攻撃しだしたことである。どうやら與那覇はマスクをして接客されるのが我慢できないらしい。
https://note.com/yonahajun/n/n28ac220c53ff
https://note.com/yonahajun/n/n8bf05d2cc65c
この最後の記事の最後の一文「ヘッダー写真は、若年層に3回目接種を促す2022年5月の政府広報動画での岸田文雄首相。なお、ワクチンに感染自体を防ぐ効果は乏しいとする指摘は、すでに前年には世界で広くなされていた」とする指摘だが、そのリンクに飛んで本当に驚いた。
https://jp.reuters.com/article/idUSKCN2EB1OQ/
「重症化には依然有効」とはっきり書いてある。つまり、與那覇は重症化リスクを全く無視している。当時の医療崩壊の危機等を考えれば、重症化を防ぐワクチン接種には一定のメリットがある。確かに、感染拡大には十分ではなかったかもしれないが、そのワクチンのメリットを無視するのは「知的頽廃」そのものだろう。
もっとも、ここまで書いてみて與那覇がこの独りよがりな「ホンモノ」ごっこを止めるとは全く思っていない。だが、もうほとんどの人はこの人がまともではなくなっていると気付いて、とにかく無視をしているのではないか。
それでいいと思う。他でもない與那覇がそうして鄭による批判のような致命的な批判を無視して論壇で地位を得てきたのだから。もっとも、一線を越える誹謗中傷が與那覇からなされたなら、その時はしかるべき対応が取られるだろう。
與那覇は「キャンセルカルチャーだ!」とぶち切れるだろうが、そもそもキャンセルカルチャーの総本山たるロシア(反戦派の徹底弾圧という国家レベルの大キャンセルカルチャーを実施中)に何一つもの申さない「寛容さ」があるなら、ある程度の批判や対応は十分容認するだろう。
この記事を與那覇が読むかどうかも分からない。もし與那覇が何かもの申したいならまず鄭の批判に反論すべきである。覚えていないならそれでもいいし、なぜ当時反論しなかったのかも含めて説明してほしい。「ホンモノ」たる與那覇ならそれくらいできるだろう。
気が向いたら與那覇のほかの記事や言説構造についての批判をしていきたい。それも気が向いたらである。別に今の與那覇をそこまで批判して何か得られるものがある訳でもない。
與那覇はこのブログを見て怒るだろうか。いや、怒らないだろう。他者に向けてきた激烈な批判や冷笑に比べればこの文章は全く穏当である。
「チームみらい」は、テクノロジーの力で政治と未来を良くすることを目指す新党です。2024年の都知事選時に安野たかひろ氏のもとに集まった「チーム安野」を前身としています。
テクノロジーの活用:政治の透明化・効率化、社会課題解決(福祉、教育、医療など)へのAIやデジタル技術の活用を推進しています。
実践型:理想を語るだけでなく、今すぐできることを実行する「実践型」の政党とされています。
未来志向:AI時代にふさわしい日本の成長戦略を掲げ、科学技術への投資、新産業の育成、文化の振興を通じて「未来は明るいと信じられる国」を目指しています。
誰も取り残さない社会:福祉制度の簡素化、障害者雇用支援の拡充、福祉・介護現場の処遇改善などをマニフェストに掲げています。
「真如苑」は、真言宗総本山醍醐寺の伝燈を汲む在家仏教教団です。1936年に伊藤真乗氏によって開かれました。東京都立川市に本部を置き、世界中に信徒がいます。
真如苑の主な特徴は以下の通りです。
在家仏教:出家することなく、日常生活の中で仏教の教えを実践することを重視しています。
「接心修行」: 心のあり方を見つめ、前向きな気持ちに切り替えるための独自の修行(禅定行)があります。
社会貢献活動:灯籠流しなどの国際的な活動や、難民支援など、様々な社会貢献活動を行っています。
所依の経典:大乗仏教の経典である「大般涅槃経」を教えの中心に置いています。
これらの情報を見る限り、「チームみらい」は政治活動を行う政党であり、「真如苑」は仏教教団であるため、活動の性質が異なります。両者の間に組織的な連携や協力関係を示す公開情報は確認できませんでした。
この速さなら言える!
D&Dやソードワールド・ウィザードリィと連綿と続く古典RPG的コンテンツ、大元を辿ればトールキンに行き着くようなそれらの「剣と魔法の冒険譚」が持つ世界観に対して、現実主義的な観点からある種のスノビズムが如きメスの入れ方をかましては「どうだ!俺の完璧な考察!参ったか!」と踊り狂う輩が昔から嫌いだった。
それがあくまで悪ノリの一種でしかないので作者も真面目に考えているというほどではないという前提を崩すことがないなら受け入れることも出来るが、真面目くさった顔をして「科学的思考により考察すれば生態系がああしてこうして栄養やエネルギーの流れはどうたらこうたら」と抜かすような連中はどうにも虫酸が走るのだ(別の作家の名前を挙げれば、天原はセーフだけどKAKERUはNGって感じかな)
そもそもファンタジーはあくまでファンタジーでありそれ以上でも以下でもないということは誰もが遊びの大前提として捉えるものだと俺は思っている。
「人型ロボットとか馬鹿馬鹿しいよな」「いいやミノフスキー粒子散布下での宇宙戦争は有視界での接近戦を前提としているのでAMBACの効果を得られる人型こそが……」といった論争は、そういった議論ごっこが好きな奴らが誰の目にもつかない場末の掲示板でやるならまだしも、出版社を通して出すような本では慎んでいくべきなのではないかということである。
今しがたのべた「であるべきなのではないか?」というのはあくまで自分の個人的な趣味嗜好の一種でしかないことは理解している。
人類全体が受け入れるべき絶対的イデオロギーだとは思っていない。
単に俺自身がこういったものがどうにも好きになれないというだけの話だ。
ダンジョン飯のような作品がやりがたる「ゴーレムというものは……」「魔法というものは……」「ダンジョンとは……」といった考察なんてものは出口と入口が反転していることにも気づかない連中がポストモダニズムごっこを繰り返す超無秩序ソーカル事件状態でしかないのに、何故それをあんなに真面目くさった顔を真っ赤にしながらやれるのだろうか本当に気持ち悪いな……という感情論でしかないのだ。
ダンジョンなんてものは風化した古代遺跡へ盗掘に行った連中がそこに住み着いた野犬の群れに襲われたのを「我々は冒険者なのだが、モンスターとの戦いから辛うじて逃げ延びてきた。これはダンジョンにあった宝箱から取ってきた財宝でござる(単に昔の偉い人が普通に保管してたのを盗んできただけ)」と言い換えただけであり、それをベースに作られた数々の冒険譚が積み重なって作られた集合意識的な「ダンジョン」という概念に対して後付けでそれっぽい補正をつけるという行為のどこに科学的な考察があるのかと、俺はずっとずっと思ってきたのだ。
概念の成立をその歴史から紐解いていくこともせずに全く別の所から引っ張ってきた理論を持ち出して「逆算したふり」をかまして見せる行為は、その文化が成立していった背景を踏みにじるようなものだと思えてならないのだ。
つまり、魔法というものの成立について紐解きたいなら学びを得るべきは金枝篇であって熱力学ではないということだ!
否定される謂れもない。
あるので、言えるタイミングがあるうちに言っておくということだ。
今だけ文句いえ美って奴だな←?
death6coin いいぞ増田で吐き出せ
ありがとう。「ウンチはトイレでするもの」みたいな肌感覚はこれからも大事にして生きていきたい。
wdnsdy面白ければ目線が上だろうが下だろうがお約束展開だろうが逆張りだろうが何でもいい。面白くないやつだけが悪
kori3110 なるほど。好みのとして理解はできる。魔法は科学的に説明出来たら魔法やないやろ問題みたいな。ただ、上から目線の正体は作者や作品というより「それが商業的成功により絶対正義扱いされること」のような気も
情報の洪水に脳が殺られ自分の中での「面白いから正義」が全人類にとっての善悪なのかを切り分けきれてない人が増えてきたように感じる。俺は最初から最後まで「俺の個人的な感想だけど、俺は嫌いですね」しか言ってないのに、それ以上の何かを見出されているようなコメントが多いように思った。
魔法陣グルグル
あれはお巫山戯だと自覚したうえでのお巫山戯を貫いていると思っているので個人的にはあり。まあ本文読んでからのコメントなのか、タイトルだけ見ての条件反射なのか、そんなのどうでもいいから俺の好きな作品の話がしてーんだよなのかは読み取れないんだけど。
cider_kondo どうでもいいけどウィザードリィって3番目に強い武器がカシナートとかそういうノリのゲームやぞ(巨頭の片割れたるウルティマも平然と宇宙行ったりラスボスがコンピューターだったりする(ネタバレ(そこ気にする所か?
そもそもラスボスの名前が……なんて話は今関係ないよね。俺が言ってるのは古典的ファンタジーの世界観を踏襲した作品群についてのことであって、それぞれの中で個別にお巫山戯要素があるかってマジで今関係ないよね?
nnnmmmlllD&D自体が「古典ファンタジーのお約束的世界観に対して上から目線でゲームシステム化、数値化しようとする作品」なんですが
altar 予想通りウィザードリィが入っている出オチ、だと思いつつ増田の思想を読み進めていくと大元として自分で挙げたトールキンを否定している二段オチだった。
nowa_s民間伝承を体系化して己の世界を作ったトールキン、トールキンの作った世界を数値化・システム化したD&Dその他のPPGには嫌悪感ないのかな。/「趣味趣向」じゃなく「趣味嗜好」と書いてるとこは好感持てる(上から目線)
ぐぅ……いい意見だ。話をちゃんと聞いてもらえていると感じる。俺の中に「トールキンはそれまで散り散りだった伝承を集約して世界観を構築したから凄いのでセーフ」「ガイギャックス達がやった試みは挑戦的だからセーフ」という実力主義的な差別意識があったことを指摘されている。「いっちょ噛みはアウトだけどガチの構築ならセーフっていうならダンジョン飯もギリセーフでは?」みたいな話だよね。結論だけショートカットして語れば、俺の個人的な感想の線引きは俺が決めていいはずだ!でもその権利は君にもあるよね!みたいな所に落ち着きそう。人間って勝手だよなあ。
FutureIsWhatWeAre空想科学読本より「すごい科学で守ります」路線のほうが好き という話なら多少は賛同する
petronius7同類として私は柳田理科雄が嫌い、科学的な目線でメスを入れるフリはしても、合理的に考えたら絶対そうは成らんやろといういい加減な話が多く、技術者として読んでて怒りを覚える。
いやマジで柳田理科雄はこれ系の総本山だと思うよ。「俺は科学という最強の権威を使って今からお前らの好きなものをぶん殴るが、お前ら如きが科学様に楯突こうとは絶対に考えないことだ」みたいな虎の威を借るオルタナティブスノビズムが極まりすぎて痺れるもの。センス・オブ・ワンダーがあるならまだ「考察」になってるけど、美学や世界観もなくただ「他所の分野からツッコミのための武器を用意した」だけだったら、そんなのただの「いじり」じゃんねえ。
hiruhikoandoあの世界アラブもモンゴルもプロテスタントもないので。悪役令嬢系のファンタジーハーレクインは大元の設定ガバガバなところをいじり倒して楽しむ。
この辺はモヤモヤするよね。作者が細かく突っ込んだ所は丁寧に「考察」されているのに、そうじゃない部分はそのまま使い回されてるから世界観の粒度や深度に凄くバラツキがある感じ。俺がいまいち好きになれんのはその辺に舌触りの悪さを覚えるからなのかなあ。本当の本当にひたすらメシの話だけしてれば、「まあメシには関係ある部分限定でって感じなんだよな」でスルーしやすかったのかな—。
shields-pikes増田は一度創作活動をしてみよう。そうすると独自のファンタジー世界観の設定の重要さがわかるから。そもそもオレ理論は、既存の創作物に対する「考察」じゃなくて、オリジナリティを生むための「解釈」なんだよ。
凄いな。いきなり「お前は創作をしたことがないだろ。だからお前の意見は浅いんだよ」でマウントぶっぱして終わりかよ。「どうせ無産者だろ?無産者如きの感想は聞くに耐えないね?」ってレッテル貼りでしかなくて呆れる。そのロジックの組立は「黒人訛り酷すぎだろお前らクロンボが小さい脳みそで考えた意見とか聞いてね—から」みたいなもんだぞ?アホが1人で喚いてるならともかく、これにスター集まってるのはヤバイと思う。
Permalink |記事への反応(28) | 09:09
コメダといえば今や全国どこにでもある。
だが、ここは本店。
興味が湧いた俺は、せっかくだし寄ってみることにした。
で、着いてみたら驚いた。
でもここは違う。
東京ドームくらいの大きさあるんじゃないか?(いや、流石にそれは言い過ぎか? でも本当にそのくらいのインパクトがあったんだ)
外観だけで圧倒されてしまった俺は、意を決して中に入る。
これまた凄い。
なんというか、店というよりもはやイベント会場。
そこらじゅうに大量のお客さんが座っていて、店員さんは忙しそうに動き回り、注文の声が飛び交う。
「お好きな席にどうぞー」
が、歩いても歩いてもなかなか終わらない。通路がやたら長い。
どこまでも続く客席エリア。
座席を探しながら歩いていると、自分が小人になったんじゃないかと錯覚するくらいこの店は広大だった。
ようやく空いている席を見つけて腰を下ろす。
天井は高く、照明は落ち着いた色合いで心地よい。
周りを見渡すと、仕事の打ち合わせをしている人、優雅に新聞を広げているおじいちゃん、学生グループ、カップル、家族連れ、老若男女問わず、あらゆる世代がコメダを満喫している。
まさに地域に根付いた店、いや、地域の象徴とすら言える空間だった。
でも何かが違う気がする。本店というだけで、コーヒー一杯の重みが増しているような、そんな錯覚を覚える。
頼んでから気づく。
やってしまった。
コメダの量、忘れてた。
案の定、運ばれてきたシロノワールはなんでこんなにデカいの?と聞きたくなるサイズ感。
デフォルトでこんな大きいのか。
店員さんの「お待たせしましたー!」の声とともに、目の前に現れたシロノワールは堂々たる佇まい。
熱々のデニッシュ生地に、たっぷりのソフトクリーム。そしてその上からかけられるシロップ。
圧倒されつつも、一口。
うまい。
サクサクのデニッシュと冷たいソフトクリームのコントラスト。甘さが口いっぱいに広がる。さすが本店、安定のうまさ。
コーヒーをひと口飲めば、深いコクとまろやかな苦みが口の中をすっきりとさせてくれる。
シロノワールの甘さとコーヒーの苦み、最強のコンビネーション。
これぞコメダの味だ。
気づけば店内の賑やかさにも慣れ、のんびりとした時間を過ごしていた。
スケールがデカいだけじゃない。ここには、コメダの原点とも言える「くつろぎ」の文化が詰まっていた。
都会のカフェとは違い、誰もが思い思いの時間を楽しむ空間。それがコメダ本店。
愛知に来たら、また寄ろう。
そう思わせるほどの存在感が、ここにはあった。
世界平和統一家庭連合のニュースを見ていてふと思った。
そういえばケネディって殺されるような理由あったんだっけ、と。
殺されるような理由があり、殺すことでしか正せない悪があり、殺されたことで呪縛が溶けたような世界が正常に戻り始めるようななにかがあったのだろうか?
俺は日本人だから、統一教会という巨大な悪の総本山が正すべき歪みとして存在したこと、それに蓋をしていた巨大な悪のネットワークが存在したことを肌感覚で知っている。
でも遠い昔のアメリカの大統領が何故殺される必要があったのかは全くわからないんだよね。
不倶戴天の敵
多分リベラルとフェミニストにとっては人道の敵だとか、ナチスのヒトラー以上のクズとかそういう扱い
この世全ての悪らしい
リベラルとフェミニストと言えば自分に対しての容姿の揶揄はルッキズムだが相手にはよくやる
フェミニストは性的搾取が好きだが女性の性的搾取は許さないのと同じ
リベラルやフェミニズムは大学が総本山とよく言っており高卒や専門卒などの批判が多い
ドカタ
よく分からんけどリベラルは土建屋自体が嫌いらしいのと、フェミニストはブルーカラー自体が汗臭いので嫌い
パーカーおじさん
おじさんはパーカーなどフードのついたものを着てはいけないし、ジャージやスウェットを着てもいけない