
はてなキーワード:絶対無とは
増田をAIで書かせるのって批判されがちだけど、そもそもAIが「ネット風の喋り方」をパクって来てる以上は普通にいつも通り「ネット風の書き方」をしたらそれが自動的にAI認定されるだろ?
そこから頑張って「書籍風」とか「落語風」とか工夫しても「そういう風にAIにやらせたんでしょ?」と言われるわけだ。
そもそも「自分でタイピングすること」は増田の目的には全く当てはまらないだろ?
増田の目的は人それぞれだろうけど、「俺は日本語をタイピングする練習をしたいから増田をしてるんだ!」って奴は0.0000000000000000001%しかいないと思う。
じゃあもうAIでも良くねっていう。
「そもそも増田を書くのが効率が悪い」という反論は無意味だぞ。
それがしたいならまずはそこら辺の酒屋に行って「お酒なんて人生の無駄でーす!今すぐお酒をやめてくださーい!」と引越しおばさんのごとく叫んでこいよ。あっちの方が絶対無駄だし資源も勿体ないからな。
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
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遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
それに遊んだ経験量と恋人や結婚での幸せに相関はないように感じた。
出勤するとか遅刻しないとか他人には極力人当たりよく接したほうがいいとか人前で泣かないとか、今まで何も考えずにできてたことが出来なくなった。明らかに職場環境からくるストレスでおかしくなってて、このままここにいたらおかしくなる確信が数年前からあったのに環境を変えようと能動的に動けずにいた。これが悪い、自分が悪い。会社休んだりしても事態が良くなることは絶対無いのに何も手につかない。学生のころからずっとそう、このままじゃマズイと思った時点でパンクして何も出来なくなる。激務でハラッサーがいるとかでも無くかなりホワイトな環境だと思うけどそれでも耐えられない、能力が低いから。見合った環境に移りたい。30代後半にして子供みたいな駄々こねてる、気持ち悪いね。たすけてー
A(憲法学研究者):参政党の「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書」発言なんて、学問的議論とは程遠いもんだ。
B(政治哲学専攻):まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権の否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家が政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。
A:カール・シュミットの『政治的なものの概念』を読んでれば、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ、抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。
B:しかも、この草案の根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族→市民社会→国家という人倫の発展段階論の現代的表現だよ。
A:「主体的に生きる自由」という概念も、西田幾太郎の「絶対無の場所」やエマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴する。「権理には義務が伴い」という発想は、存在論を超えた倫理学の地平から生まれてるんだよね。
B:批判者たちは「個人の尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧的個人主義の限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモ・ヒエラルキクス』やチャールズ・テイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的・文化的構築物に過ぎないんだ。
A:参政党草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体的美徳を回復しようとする試みだよ。
B:「天皇を元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカール・レーヴェンシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制が近代民主主義と十分に両立することが分かる。
A:エドマンド・バークの『フランス革命の省察』以来の保守主義思想の系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義の精神』やロジャー・スクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。
B:比較憲法学的に見ても、参政党草案は決して特異ではない。モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義対民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてものは存在しない。各国の歴史・文化・社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。
A:ところが、日本の法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜や佐藤幸治といった「基本書」の記述を金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。
B:司法試験制度の弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷が大量生産されてる。
A:特に憲法学なんて、本来は政治哲学の最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。
B:参政党憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書」発言を鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。
A:参政党憲法草案の「教育勅語の尊重」規定も、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学の限界を超えて、共同体的美徳の涵養こそが真の教育の目標であることが分かる。
B:「自衛軍」の保持を明記することへの批判も的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家の自衛権は基本的権利として認めてる。ケネス・ウォルツの『国際政治の理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治の悲劇』が示すように、国際政治はアナーキーな自助システムなんだ。
A:結局、参政党憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義の産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界が存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。
B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問的議論を破壊してるんだからな。
A:トマス・クーンの『科学革命の構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本の憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された法曹界では、そんな知的革命は起こりようがない。
B:レオ・シュトラウスの『自然権と歴史』が指摘した「歴史主義の危機」を克服し、普遍的価値と特殊的伝統の統合を図る参政党憲法草案は、21世紀の政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。ハンス・ヨナスの『責任という原理』やフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。
A:「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書」発言なんて、学問的議論とは程遠いもんだ。
B:まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権の否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家が政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。
A:シュミットの『政治的なものの概念』や『憲法論』を読んでれば、「主権者とは例外状況において誰が決定するかを決める者である」という有名な定義からも、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ、抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。
B:しかも、この草案の根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族→市民社会→国家という人倫の発展段階論の現代的表現だよ。
A:それに加えて、「主体的に生きる自由」という概念は、単なる近代的自由主義を超えた深みがある。これは西田幾太郎の「絶対無の場所」における「個と全体の論理」とも通底するし、エマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴するんだ。
B:レヴィナスの『全体性と無限』や『存在するとは別の仕方で』を読めば、「権理には義務が伴い」という発想が、存在論を超えた倫理学の地平から生まれてることが理解できる。これは「顔と顔の関係」における根源的責任の制度化なんだよね。
A:批判者たちは「個人の尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧的個人主義の限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモ・ヒエラルキクス』やチャールズ・テイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的・文化的構築物に過ぎないんだ。
B:まさに。参政党草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体的美徳を回復しようとする試みとも言えるだろうね。
A:「天皇を元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカール・レーヴェンシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制が近代民主主義と十分に両立することが分かる。
B:むしろ、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』以来の保守主義思想の系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義の精神』やロジャー・スクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。
A:それに、比較憲法学的に見ても、参政党草案は決して特異ではない。ドイツ基本法の「戦う民主主義」、フランス第五共和制憲法の強力な大統領制、さらにはシンガポールの「共同体的自由主義」など、多様な憲法モデルが存在する。
B:モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義対民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてものは存在しない。各国の歴史・文化・社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。
A:ところが、日本の法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜や佐藤幸治といった「基本書」の記述を金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。
B:司法試験制度の弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷が大量生産されてる。
A:特に憲法学なんて、本来は政治哲学の最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。
B:しかも彼らは自分たちが「法律の専門家」だと勘違いしてる。実際は条文と判例の検索能力しかないのに、哲学的思考力があると錯覚してるんだ。マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』が説く「知的誠実性」からは程遠い状況だよ。
A:参政党憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書」発言を鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。
B:結局、司法試験制度が作り出してるのは「思考停止した権威主義者」なんだよ。ニーチェの言う「価値の転換」を恐れ、既存の枠組みから一歩も出ようとしない。真の知的勇気なんて微塵もない。
A:参政党憲法草案の「教育勅語の尊重」規定も、表面的には批判されてるけど、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。
B:マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』やアルフレッド・マッキンタイアの議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学の限界を超えて、共同体的美徳の涵養こそが真の教育の目標であることが分かる。
A:それに、ユルゲン・ハーバーマスの「憲法愛国主義」論も、単純な個人主義的民主主義では共同体の統合は困難であることを示してる。参政党の「国体」概念は、そうした統合原理の模索として理解すべきだ。
B:ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が論じる「国民」概念の構築性を考えれば、「日本らしさ」を憲法に込めることの重要性も理解できる。単なるノスタルジーではなく、アイデンティティ政治学の観点から極めて現代的な試みだよ。
A:また、「自衛軍」の保持を明記することへの批判も的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家の自衛権は基本的権利として認めてる。むしろ、現実の安全保障環境を直視しない「平和憲法」の方が非現実的だ。
B:ケネス・ウォルツの『国際政治の理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治の悲劇』が示すように、国際政治はアナーキーな自助システムなんだ。理想主義的平和論では国民の生命と財産は守れない。
A:結局、参政党憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義の産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界が存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。
B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問的議論を破壊してるんだからな。
B:その通りだ。トマス・クーンの『科学革命の構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本の憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された学界では、そんな知的革命は起こりようがない。彼らは「減点される」ことを何より恐れる臆病者の集団だからね。参政党の「創憲」の試みは、そうした硬直した知的風土への根本的挑戦として、歴史的意義を持つだろうね。
A:最後に、レオ・シュトラウスの『自然権と歴史』が指摘した「歴史主義の危機」を克服し、普遍的価値と特殊的伝統の統合を図る参政党憲法草案は、21世紀の政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。
B:まさに。ハンス・ヨナスの『責任という原理』が提起した未来世代への責任や、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。
3月16日(日)礼賛公演中の事実確認と対応についてご報告 |NEWS |キョードー大阪
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kyodo-osaka.co.jp/news/detail/652
自称被害者の証言とキョードー大阪側の証言がまるで食い違い、どちらかが嘘をついている事はほぼ確定
自称被害者の女性の色々とお察しな言動が暴かれ、現在では自称被害者の嘘松である事までほぼ確定
2月11日パパ活と整形をしている女子高生に顔面にケープかけられて左手が上手く動かなくなりました
2月12日脳外科と喘息の病院をハシゴし診察と検査を午前中に終えて、重度の気管支喘息とてんかんの診断を受けました
2月27日 友人が自サツ未遂して110番したところ、警察から「意味の無い通報をするな」などとブチ切れられ「自サツしたらあなたのせい」みたく言われました→警察が友人のSNSを特定してくれてなんとかなりました
3月6日役所のトイレで股間丸出しのおじさんに痴漢され、トイレ終わった後に少しパニくってずっこけたら助けるフリしておっぱい5モミされました
3月19日 「事実か事実じゃないかはどうでもいい」旨を投稿してアカ削除しました
【備考】重度の股関節痛に悩まされていて杖をついて歩いており、てんかんの発作も頻発していてライブで階段から転げ落ちることもあるが、
妊娠中期でスタンディングライブに7ヶ所回ることを医者から大丈夫と言われており、臨月にも複数ライブを申し込んでいて、前垢では自サツする詐欺の投稿を繰り返していた女性です
つまる所、キョードー大阪側の言い分の方が大筋で正しかった、という事になるのだろうけど、女性様絶対無辜性主義のブクマカ達は
「例え虚偽だったとしても企業側の態度には問題があぁる!」などと主張している
でもさ、ハッキリ言っていい?
嘘松な可能性が相当高い自称痴漢被害者と、痴漢加害者とされた男性だったら、どう考えても前者の方がクソ客でしょ?
寧ろ企業としては加害者とされて犯罪者にされそうな男性(客)を守らなければいけない立場ですらあるでしょ
コンサート行ったら痴漢冤罪被害に遭いました、企業の相手の言い分を鵜呑みにして一方的に警察に突き出しました、なんて事態になったら人権問題だからね
そもそもの話「痴漢被害」という最重要な前提事実を無視して「企業ガー!」とかやってるのは、普通にヤバいでしょ
カスハラ行為を支持するのは、普通に似たような気質のカスハラ屑としか思われないよね?
楽しみにしてたコンサートを夫婦で観に行ったら、いきなり変な女に「こいつに痴漢されたー!」なんて因縁つけられてさ
ロックのコンサートだから体が接触したのはあるかもしれないけど、それを痴漢呼ばわりされても溜まったもんじゃないし
結局裏に連れて行かれて妻とは引き離されるし、相手の女は逮捕してくれとか言ってて怖いし、警察も来て大事になり
結局楽しみにしていたコンサートは観れなくてチケット代と時間を無駄にした上に
コンサートに出てたアーティストですら「痴漢被害は残念」などと、さも「痴漢行為はあった。お前(男性客)は痴漢加害の糞性犯罪者野郎だ!」なんて決めつけられて
もう完全にトラウマだし、アーティストすら嫌いになるレベルでしょ
というか既婚者と不倫して相手の家庭ぶっ壊したり若い子と遊んでパコってた様なクズ野郎が自称被害者の言い分を一方的に鵜呑みにして
男性に対しセカンドレイプかますとか、完全にフェミ珍仕草でブラックジョーク過ぎて笑えねーよ
ともかくカスハラ気質のカスなブクマカ達は、早急に冤罪被害者である男性客に対し、セカンドレイプした事を謝罪すべきだと思うよ
同じく駅係員を何年もやっていて、別会社で非正規の駅員やってた時代から正社員駅務係をやっている今に至るまでに会社は違うが新宿、池袋、渋谷という大きい駅を経験したが、これは内容が駅係員が書いたものとは思えない。
撒き散らされる小便は清掃もやったことあるし、司令所から清掃依頼が飛ぶときに該当の客がいたら年代と性別も伝わるからわかるけど、おかしなおっさんに限らない。女性も若い男性もあったし、体調不良で倒れかけて失禁する人もいた。駅員ならこういうやり取りを聞いてるはずだからおっさん限定ではないのは知っているはず。
高齢者のクレームや世間話で絡まれるのも男性に限らない。改札窓口、窓口処理とか実際やってみればわかるけど本当に老若男女いろいろな人がクレームや世間話にも来るよ。
フリースーペースなど車内の喧嘩も女性がトラブルを起こすこともあるし、女性専用車でも起きることがある。暴力にならないと駅係員が介入しないは嘘で、暴力に発展しなくても報告があれば確認する。これも報告を受けた駅が司令所に連絡し、司令所が対応する先の駅を決めて電話をかけてくるので、暴力でなくても無視できない。だいたい混雑するとか見通しが効かないとかでホームに終日立会や警備員を出している駅が近くにあれば、そこに割り振られる。
マナー違反程度でも車内非常ボタンをすぐに押すことを推奨しているが、これは駅係員ならあり得ない。非正規やラッシュ多客のみ出る臨時バイトですら知っているが、非常ボタンを押されると非常に事が大きくなり遅延も大きくなり他のトラブルも起きやすくなるから「むやみに押さない」が鉄則。徹底してそう案内もする。会社や路線によっては非常ボタンが押された瞬間緊急停車して乗務員が現場に急行して確認し非常通報用装置のスイッチを復旧しないと運行続行できないところもある。通話型になっていない非常通報用装置も意外と首都圏の大手でも残っているので仕方ない。次の駅で対応する場合も確認し復旧しないと運行再開できない。復旧に助役以上など現業管理職権限の許可を仰ぐ会社もあるのでおおごとになりやすい。通話型でも都市型ワンマンで乗務員が応答しないと司令に直接つながる会社などもあり、おおごとになる。緊急時はそれでいいのだが、それ以外でやられると困るし、マナー違反で報告すればいいことを記事のように同じことをさせないため躊躇なく非常ボタン押すのが当たり前になれば最悪交通が麻痺する。都市部の大手の事情を知ってる人ならまずこの認識は絶対無い。事情を知らなかったお客様でもむやみに押せば押さないよう注意は受けることになるでしょう。
構内アナウンスは人が特定できなければほぼ名指しを現場判断で勝手にやることはできないし、だれがやっているのかわかれば声掛けや警備の応援依頼して注意する。実際駅業務を知らない人でも、新宿など都心の大きい駅でJRや地下鉄私鉄の構内アナウンス聞いてみればだいたいわかると思う。
ぶつかる人は改札や、ホーム立番をやるとわかるけど、実際女性が原因の場合もある。ぶつかりおじさんも、ぶつかり女性もいる。女性専用車ですらそういうトラブルが起こることもあるし。
これ本物の駅係員が書いてると思えないんですよね。実際本職やってる側からすると、会社によって違いはあるけど新宿とかの大きい駅に乗り入れるJR、私鉄、地下鉄の事情や対応方法を知ってる人ならあり得ない事を言ってるし違和感しかないですね。
Permalink |記事への反応(12) | 13:26
この件な
https://togetter.com/li/2478103
=LOVE・大谷映美里、友人の結婚式にしろと見間違う自身の新作ドレスを着て参列し炎上してしまう
ミリサ @MLCL855cpX82301 @otani_emiri みりちゃん、、コメント欄には正しい指摘もあるけど、言い過ぎなこともあるから辛かったらコメント欄閉じて😿😿 教えるわけでもなく、ただ言うだけなのは絶対間違ってるよ、、自分で調べてって言うのもわかるけど、一回聞けばわかるし、反論できない人に不特定多数の人が言い続けるのは違うと思う 2024-12-0910:04:22 ishii (BIG HIP先生) @ishe029 @otani_emiriウエディングの仕事を過去にしていました。新郎、新婦様が主役です。 このコーディネートは絶対無し。 呼ばれて出席したウエディングは、あなたが誰よりも目立つ所ではありません。お知り合いは多いでしょうから、今後は周りの方に相談された方が良いと思いますよ😊 2024-12-09 09:39:01
という人向けに調べた内容をざっくり書いてみました。
※以下の話は私が加入している「協会けんぽ」の話です。
加入している保険組合で内容が違うかもしれません。特に後期高齢者医療保険はそれなりに違いそうです。
知らない人もいるかもしれませんが、実は今使っている健康保険証(水色のプラスチックカードのやつ。正確には健康保険被保険者証。以下、「従来保険証」)はあと1か月も経たないうちに使えなくなります。
え??大丈夫なの??と思った人。
今持っている「従来保険証」には経過措置期間が設けられていて、特に何も手続きしなくても来年(2025年)12月1日まではそのまま使うことが可能です。
じゃあ、今年の12月2日から一体何が変わるんだ?となりますよね。
基本的にはさんざんニュースなどで取り上げられている「マイナ保険証」のみが正規の保険証となります。
今年の12/2以降は新規加入者へは保険証の発行はされず、事業主の手続き→年金機構でデータ処理が完了したら元々持っていたマイナンバーカードが自動的に「マイナ保険証」としてそのまま使えます。(処理にタイムラグはあるようです)
いやー便利便利♪
と、そこで話が終わればいいのですが、制度上2つほど大きな問題があります
私はマイナポイントがもらえるときにマイナンバーカードを作成して保険証の紐づけまでやっちゃいました。
ただまあ、全国民が「マイナ保険証」を持っているわけではなく、
・マイナンバーカードを作っていても「マイナ保険証」として利用するための手続きをしていない
という人が一定数います。これは良し悪しの問題ではなく、自身の考えであったりいろいろな理由で作っていない人がいるので仕方ありません。
で、「マイナ保険証」を持っていない人はどうなるの?となるんですが、
これも安心してください。
なんと「資格確認書」という「従来保険証」と非常によく似たカードが発行されます。
色は黄色になるみたいです(少しでもマイナ保険証への移行が進むように目立つ色味にしたんじゃないかと邪推してます笑)
「従来保険証」と違い、有効期限があるのとおそらく事業主名は記載がないです。
あと、身分証明書として扱われないです。(顔写真も無いペラペラのカードが身分証ってのも怖いのでその方がいいと思います)
じゃあ、「マイナ保険証」なんて要らないんじゃ、、というのは野暮ですね。
既に「従来保険証」を持っている人で「マイナ保険証」を持っていない人には保険者から「資格確認書」が自動的に発行されます。
どうしても「資格確認書」が欲しい人は「マイナ保険証」の紐づけ解除をそれまでにしておくといいかもしれません。
2.顔認証(実は顔写真データがICチップに入っている)or暗証番号入力で本人確認
4.医療機関に保険情報を通知(本人同意があれば、過去に他医療機関で処方された薬の情報や特定健診情報が医療機関側で閲覧可能になります)
何も問題なければ上記の通信により、(厚生労働省曰く)より適切な医療サービスを受けられるんですが、
顔認証付きカードリーダーやオンライン資格確認用パソコン、病院のネットワーク機器などに機材トラブルが発生することがあります。
そうすると「マイナ保険証」だけでは保険情報の確認ができません。
受診歴があればまだいいのですが、特に新規の患者さんの場合、病院側も目の前にいる人がどの保険組合に加入しているのか判別できません。
そうなると、とりあえず10割負担と言われる可能性が高いです。
自分に落ち度はないのにその日保険適用できず10割支払わされるとか納得いかないですよね?
これもなんと「資格情報のお知らせ」という新しい書類が発行されます。
「資格情報のお知らせ」は実はもう発行されていて、みなさんの手元に届いているのではないかと思います。
機材トラブルで「マイナ保険証」が読み取れなかった場合、「マイナ保険証」と一緒に「資格情報のお知らせ」を提示することで
って、絶対無くしてしまうやつ、、しかもほとんど使わないからそもそもナニコレ?ってなりそうなやつ。
まあ、最悪「資格情報のお知らせ」が無くてもマイナポータルにスマホでログインできれば同じ内容を表示させられるので
それなりにスマホを使える人には無くても何とかなるんですが、、
制度の穴を埋めるために仕方ないんです
制度がややこしいのと、所感とかも書いちゃったのでごちゃごちゃしてしまいました。
一旦まとめますと
・2024年12月2日から「マイナ保険証」のみが正規の保険証となる
・「従来保険証」は経過措置があるので来年の12月1日まで使えるがそれ以降は使えない
・「マイナ保険証」を持っていない人には「資格確認書」が発行され、「資格確認書」で受診
・機材トラブル等で「マイナ保険証」が使えない場合のために「資格情報のお知らせ」がある
厚生労働省の下にいる保険者なのでマイナ保険証推進するスタンスは分かるんですが、資格確認証についてアナウンス少なすぎませんか??
マイナ保険証に関する特設サイトが協会けんぽホームページにありますが資格確認証についてほぼ説明がありません。
まあ仕方ないとは思いますよ?マイナ保険証作らなくても資格確認証とやらがもらえて普通に受診できるなんて分かったら誰もマイナ保険証なんて作りませんからね、、
個人的にはマイナンバーカードは身分証明書と電子証明書としての機能があるので、あって損はないと思います。
結構欠品してたから怪しいな…と思ってたら案の定値上げしたわね…。
22cmと30cmで同じ値段というバグが起こってたりで変だったけど、とりあえず300円ライン死守しておのおの値上げした感じね。
そんな予感はしてたからサランラップとか一般的なラップも価格調査していたのだけれど…
結局安いラップに戻るのよね。
価格差で言うと倍あるのだけれど、単価はどちらも同じ。300円前後。
何が違うかというと、ラップの長さ。100mと50mと倍の価格を倍(半分?)の長さで値段をそろえている。
こう見ると100m買っちゃうのよねぇ。
払う金額が倍になってもいいから100mのサランラップとかを買いたいのだけれど…。
買い替えの手間を考えると回数が少ないほうを買うの。
ティッシュやトイレットペーパーや油やシャンプーや。単価よりも容量重視ね。トイレットペーパーならひと巻きの長さ。夫が交換してくれないとかで消耗するならそもそも交換回数を減らしましょうとね。
シュリンクなんとかフレーションの時代だから絶対無いとは思うけれど、世の中の品々は容量を増やして購買意欲を煽ってほしいです。
https://anond.hatelabo.jp/20240829222653
思ったよりも反応があり答えていく。
###自分の両親を頼らなかったのは何故か?
頼るのも面倒くさすぎて、もう考えるのも嫌だったから。
・自分の両親の方が頼れそうだったが、あくまでワイフの両親と比べて、という点。
・自分の実家まで片道1時間半。ワイフの実家より近いが気軽に行くには遠い。
・両親共に働く現役世代。子どもをみてもらうのなら、仕事を休んでもらうか、仕事終わってからになる。両親にも生活があるので、それと両立させなければいけない。
・世話を頼むにしても休みのタイミングで一時的にきてもらうか、僕らが実家に行くしかない。
・一時的なものだったら親を頼るのもありだったが、ワイフの産後うつの状態をみると、数回やたまに見る程度では良くならないのは明らか。
・僕らが実家に住むとなると、僕は職場までの通勤が問題に、ワイフだけ僕の実家に置いても遠慮して自分でやってしまうので良くならない気がした。
・僕自身が4人兄弟、母は保育士、子育てに関して常に最新情報をいれてるスペシャリストで、口移しやハチミツなどの地雷を踏むことはないが、それが故に気になることが多く、母の愚痴が激しくなる気がした。母はワイフに遠慮してる部分もあり、僕の家庭に関する文句は基本僕に言ってくる。精神的に消耗してる僕がそれを受け止めることができる気がしなかったし、そこで僕が逃げたらワイフがやられるし、文句を誰にも言わなかったら母がやられる気がした。
・事前に準備してあれば、多少頼りやすかったのかもしれなかったが、その準備は全くやれてなかった。母は「今は昔に比べ子育てに関わる事情が変わって考えることやることが多くて昔の1人分多めで見てる感覚で大変だよ」とも言ってて理解があったが、理解があるが故に大変さも分かっており、実家との調整を考えるだけで、あーめんどくせー、というものが勝ってしまった。そういう点では、ワイフが、というよりも、僕自身が面倒くさ過ぎて止めた、というのが正しいのかも。
そうしたかったが、できなかった。
うつで休んでたのは、仕事&プライベートでのストレスが許容値を超えていたからで。
1番ストレスが少ない状況はなにか?となった場合、その答えが僕が子育てに積極的に関わるということだった。
結局休んだ後、半月はまともに動けなかったので、相当疲れてたのだと思う。
このテの意見みて、最初の僕の反応は、「オイオイ、それ産後の女性には絶対に言うなよ、殺られるぞ、大丈夫か」という感じ。
産後1ヶ月、ワイフは自分の実家に帰っていたので、そこまで致命的に大変だと当時気付いていなかったのだが、自然分娩or帝王切開をすると女性は文字通り身体がガタガタになり数日動けなくなる。
帝王切開は文字通り切るわけだし、自然分娩だと20時間以上りきみっぱなしなんてこともザラなので、全身筋肉痛の酷いやつとか血管があちこちブチ切れてたりする。
その状態の産後すぐから、赤ん坊を見ることになるので、母親の方がもっと酷い状態からスタートすることも多いんやで………
と反射的に思ったわけだが「健康だったら」という点に関してはそれはそうだな、と思う部分も。
身体がしんどいのが続くから精神的にもつらくなるので、身体がしんどくなければつらくなくなる!?とも考えることができる。
よく4人も育てられるな、と言われるが、精神的にしんどい、の前の、身体がしんどい、を色々駆使して軽減してきたからこそやれたわけで。
ココに書きたかった理由も、その事例をいくつか紹介して参考にできれば、と思ったから。
結局うちはやらなかったのだが、その点オススメしたいのが、無痛分娩。
色々なママさんネットワークで見聞きする限り、産後の母親の体調が明らかに良いようで、子育ての最初のスタートダッシュは健康である分、だいぶ良くなると思う。
もし次産むんだったら、絶対無痛分娩だわー、もう絶対嫌だけど、とワイフは言っている。
###正常性バイアスだろ
まさにその通りで1人目でやったノウハウをそのまま他人に展開するのはかなり危険だと思ってるし、どちらかというとちゃんと働きながら育てた2人目以降の話の方が皆には参考になると思う。
ただ大変だよねーツライよねー、男性目線から見た子育てって?という話は1人目の話の方が分かりやすいので、まずは1人目の時の話を書いた。
これは当時ワイフにも同じこと言われたのだが、結果的に欲しいとは思わなかったかな。
何やっても大人しくならないのに、乳首を使えば一発で大人しくなる、マジで便利、マジで救世主。
だが故に、乳首を外せばまた泣いてしまう、泣いている→乳首を!!という感じになり、他の人に渡していても泣き声聞くだけで落ち着かなくなってしまう。
超便利な乳首が一人に依存するという状況が、母親が休めない要因になってるようにも思う。
その点僕は、土日の昼にお昼寝して、ワイフに預ける時、安心してぐっすり眠れた。
きっと僕に便利な乳首があったのなら、気になって眠れなかったかもしれないし、土日の昼間眠れなかったら僕も子育てで病んでたかもしれない。
コレ言う人全般に関しての所感なんだけど、産後の恨みはどのようなものなのか?の重さを理解できていない気がしたので、ココに書いた次第。
確かに社会的には罪の重さに対してのトレードオフが釣り合ってないのかもしれない。
しかし、夫婦は加害者/被害者の関係ではなく良き伴侶なのだから、贖罪/刑期を終えたから良いッショ!と開き直るのでなく、つらかったことを分け合って寄り添うが大事。
一方で、夫婦は加害者/被害者の関係では無い、というのは妻側にも言えることなので、夫だけが完全に悪いわけでなく、夫婦の問題だと思う。
ただ、夫側はそこで開き直る態度がでがちなので批判されるような気がする。
### どうして4人も……
おかげさまで、夫婦仲は良く、身体の関係もちゃんと続いていて……
子どもができないように、ってゴムを常備するんですが、ちょこちょこ買い足すのを忘れることがあり、テンションが上がったまま、今回だけなら……というのをやって、結果的に……
結婚したら避妊とか気にしなくても良いんじゃないの?とか馬鹿なこと考えていた過去の自分が恨めしい。
子どもができた、と分かった時、いつも経済的にやっていけるのか?という試算を一緒に見直して大丈夫そうなら、どうする?→あー産むか!!みたいな感じでなぁなぁの勢いで決まる感じなので、完全に褒められる状況じゃない。
ワイフの最後の一言で決まる感じなので、何故産んだのか、の真意は僕には分からない。
けど、いつも産前産後には、産むのも産んだ後の世話もあまりにつらすぎる記憶だから記憶に残ってない、忘れるんだよね、でもその時になってくると段々思い出してきてもう嫌だー!!ってなる、と言ってる。
今思えば笑える話なのだが、付き合っていた当時、ワイフに子宮筋腫が見つかり手術をすることになり、将来的に子どもができる可能性が下がるかもしれないから別れよう、と別れ話を打診されたことがある。
その時僕はとっさに、子どもができる確率が1/10になるのなら他の夫婦の10倍やればいい、僕らが仲良くやっていければ何があっても問題ないよ、と返した。
確率1/10なら10倍、というフレーズとともに僕ら夫婦の思い出深い一幕になったわけだが、今や子どもが増えすぎないように心配する事態になるなんて……
母や子どもらは無邪気に、5人目は?みたいに聞いてくるが、流石に歳を重ねてきて体力的にも経済的にも厳しい。
### 次に書こうと思ってた内容
ネタはまだまだ大量にあるのだが、書き続ける精神力が足りなさそうで、ここまで長く書きすぎて何書くかを今さら迷子になってる。
もうわけわからんから、書きたかったであろう内容を適当に。気になるやつがあれば深掘りするかも。
・専業主夫、2週間目あたりから急にしんどくなる問題。疲れとストック管理、誰にも指示されず自分で決めるコストがしんどい。
・専業主夫をやっていて良かったこと。メインとサブ、でなく、メインと(メインもやれる)サブに。つらさが分かるので寄り添いやすい。
・子どもの寝かしつけや大人しくさせるテクニックは哺乳類の輸送反応に起因してるようなものが多い。背中スイッチでなくお腹スイッチ。
・寝かしつけるためにやった事例集、苦労話。上の子を夜中寝かしつけるため、抱っこ紐で背中に背負い、自転車で走るのを毎晩のようにやっていた。
・1人目と2人目の間に1人子どもが流れてしまった話。流産の確率は15%くらいなので普通にありうる。それも外からみて妊娠したと分からない妊娠初期がほとんど。
・同じ遺伝子から始まったはずなのに4人とも個性が違いすぎる、子どもに対するテクニックは相性があるので探り探り開発してくしかない
・両親を頼るのも良いが、子どもの世話は想像以上に体力を使う。頼り過ぎると両親が病むのでほどほどに。
・子どもに関する情報はノイズが多すぎる。NHK「すくすく子育て」が一番バランスが良い。
・この10年で育児グッズは大分便利になった。新しく出てきて助かったもの。おむつのゴミ箱、1歳から飲めるゼリー、丸いスタイ、傾けても飲めるコップ、サマーシューズ、缶のミルク、
・家事の負担を減らすと、育児も楽になる。家電など札束で叩く選択肢も入れる。食洗機、乾燥機、ロボット掃除、電鍋等。
・ご飯を食べる子は色々楽。ご飯食べないことを起因に色々な問題が誘発する。
・体調不良が家族の崩壊の危機をもたらす。体調不良は新生児でなくとも、世話が大変になる。それが連続コンボだと……
・子どもとのトラブルエピソード。不測の事態が起きるのが日常に。出先での非日常はトラブルが起きやすい。
・子どもがいるのが何が良いのか、単純に楽しいよ、大変なことも多いけど刺激にあふれている日々は最大級の娯楽といえるかも。
・子どもの姿を見て自分の忘れていた過去を振り返ることになる、ちょうどゼルダBoWみたいな感じで急に思い出す。それがきっかけで自分の親に対する目線が変わったり、それを夫婦で話すことで何年一緒にいても知らなかった面を知ることになる
・結果的に仕事へフィードバックされた能力。精神的に追い込まれた人へのケア、トラブル発生時の安定感落ち着き具合、パワハラ気質の人への対応力胆力など。
他にもある気がするが、もうわけわからんので、またそのうち続きでも……