
はてなキーワード:統計学的とは
主に「プロスポーツとして良いところ」である。野球は面白いぞ!
https://anond.hatelabo.jp/20250916184618
●どんな強いチームでも10回やれば4回は負け、どんな弱いチームでも10回やれば4回は勝つ。
個の力によるところが大きいので誰かが爆発すればチーム総合力で劣ってても勝てる試合があるということ。
じゃあ運かというとそうでもなく、100試合やると総合力が如実に出てくる。
5勝5敗の対戦成績がひとつひっくり返るだけで最下位と優勝に運命がわかれるのだ。
●今どんな弱いチームでも数年待てば優勝争いしたりする。
これはドラフトの恩恵が大きい。世界の多くの野球リーグではドラフトが行われ強い選手が最弱チームに入団なんてことも当然ある。
選手の移籍もFAとるまで長いので財力あるチームに一極集中とかが起きにくい。
ビッグクラブができにくく、FAとった選手も比較的自由にチーム選択でき、それが戦力均衡につながる良い循環がある。
「そのうち強くなるから」と信じててもいっこうに強くならないチームもあったりして(暗黒阪神、横浜、中日、ロッテ、広島、オリなど)、それはそれでネタになるし逆説的に面白い。
●弱いチームでも寂しくない。
ファン目線:いや本当はさみしいが。しかしいい選手が出てきたときに「いずれ強いチームへ巣立っていくんだなあ。移籍金で誰を獲得しようか」などとちょっぴり切ない思いをせずにすむ。
選手目線:いや本当はさみしいとは思うが。しかし弱いチームでキャリアを過ごしても個人成績さえよければ一流選手の仲間入りできる。生涯一度の優勝経験もない一流選手もたくさんいる。後述する「スタッツが豊富なスポーツ」という特性が大きいと思う。
余談だが、だから野球に下部リーグはいらないと思う。さすがに下部リーグでの記録は記録とみなされないだろうから、降格したらいい選手はみんな出て行きたがるだろう。すごい生涯スタッツを積み上げつつある選手が下部リーグで記録断絶してしまうのなんか誰もみたくない。(なお今は上部リーグ(MLBのことな)にチャレンジして通算記録に傷をつける選手がたくさんいる模様。しかしこれは挑戦の結果なので仕方ない。皆応援している)
野球批判でよくあるのが「実際プレーしてる時間少なくね?」ってのがあるが、俺個人はこれがむしろ好き。
プレーしてない時間に飯食ったりトイレ行ったりできるし、レオザみたいに早口にならずともひとつひとつのプレーをのんびり論評できたりする(サッカーも好きだけどな)。
風呂上がって戻ってきたら逆転されてたとかめったにないからへーきへーき(泣)。
●大逆転が起きやすい
3点、4点の逆転はざら。今日もドジャースが4点差逆転負けしたばかりだ。前年度ワールドチャンピオンで今年も首位なのに。大谷降板した瞬間に6点取られててワロタ。でも8回2点とっておいついて、でも9回3点とられて負けた。こういうことが普通にある。ファンはたまったものではない。
なんなら9回の1イニングでそういうことが起きる。
●球場ですら飯買いに行ったりトイレ行ったりしながらまったり見れる
球場グルメも楽しみの一つ。酒のんで飯食って友達とおしゃべりしながら見るのもよし、ひとりでぼーっと見るのもよし。
長時間の飲み食いで客単価も高いはずなのでビジネス的にもおいしいんじゃないか?
●後追い視聴しやすい
ライブ視聴できない日も多いが、結果をチェックせず帰宅してフル視聴を開始するとする。
このとき10秒スキップ=おおよそ投手が1球投げるタイミングになる。
ランナー出たときは20秒スキップ。緊迫した場面なら30秒スキップ。
これで超時短視聴を可能としつつ、ほぼすべてのインプレーを楽しめる(たまにスキップしすぎて「ホームラーン!」みたいなとこに飛んでしまうこともあるが)。
俺はこれを応用し、あえて試合開始後1時間くらい経ってから視聴を開始することもある。
●テキストでも楽しめる
野球はひとつひとつのプレーがかなり詳細にテキスト情報化できるスポーツなので、テキストでもかなり楽しめる。
俺がよくやるのはスコアを手で隠し、1回表から順に手をずらして点数を見ていき、得点したり失点したりするたびに発狂するという楽しみ方である。
なんなら1打席ごとに同じようにしてもいい。めちゃくちゃライブ感があって楽しいし10分で終わる。
注意点として、速報サイトを開くとスコアがドーンと表示される場合が多いので、結果を見てしまわぬよう手で隠しつつ薄目で操作し、当該ページまでのリンクを辿ること。
慣れてないと意外とこれが難しいのだ。
たまりませんねー。
●記録が楽しい
ただでさえスタッツが豊富なのに、最近はセイバーメトリクスという統計学的な分析手法も発達してきて、より深く楽しめるようになってきた。
試合一切見ずに(いや見るが)数字だけ見てて楽しいスポーツってのも珍しい。
バッターボックスないしピッチャーマウンドに立っているときはどんな選手でも主人公になれるのだ。
そのぶんダメだったときは晒されることになるがそれも一興である。
●いちおう野球の悪いところも挙げておこう
だいたい野球の良いところの裏返しになるが。
降格がないので、降格争いのドキドキ感がない。弱いチームのファンはシーズン後半(場合によっては中盤から)モチベ失いがち。
試合がダラダラ長すぎ
ルールが複雑
日本ではチーム数が少なく「おらが街のチーム」感が薄い
同じ理由で他スポファンから見れば「しょっちゅう同じチームとやってんなー」感は否めない(交流戦で多少緩和)
日本のポストシーズン(CS)は6チーム中3位に入れば進出でき、日本一の称号すら狙える。おいおい。今年のセ・リーグは負け越しチームのCS出場が実現しそうである(たまにある)。
世界的メジャースポーツではない(北中米、東アジアくらい? WBCがんばれ)。このことを思うとき、野球ファンは「でもアメフトはもっとガラパゴススポーツだから」と心を慰める。
どうしても低血糖でふらふらする、と言うことがあるというのが気になる。
既に糖代謝異常(≒糖尿病)の可能性があるので、医師に相談したほうがいいと思う。
健康な人や、糖尿病でも適切に血糖値がコントロールできている人は、身体に異常をきたさないと低血糖にはならないと覚えてほいてほしい。
実は、薬を使っておらず、ノックダウンになるようなハードな運動をしている訳でもないのに、頻繁に自覚するような低血糖状態というになるというのは、病気のサインである可能性がある。
糖尿病は、2010年代からCGM(注)が普及してデータが積み貸さなり、色々な事が分かってきている。
例えば、
この場合、HbA1Cは後者の人の方が低いが、ヤバさでいったら後者の方がヤバイと言うこと。もちろん前者も投薬が必要だが、後者は見逃されるケースが多くてヤバイ。
後者は、今の健康診断レベルの検査だと「異常なし」またはせいぜい「予備軍」扱いで引っかからないことがあるからだ。
さらに(まだ確定的にガイドラインに反映されるレベルではないが)合併症リスクは後者の方がより高いかも知れない、少なくとも寿命は後者の方が短くてフレイル状態になりやすい、というのが言われ始めていてヤバイ。
後者の人は急激に高くなった血糖値を抑えようと、ドバッとインスリンが出過ぎて、急激に血糖値が下がっている。基準値以下まで言っている事もあるし、そうでなくても相対的に低血糖症状が出ている可能性が高い。その後に即効性のある甘いもの(ブドウ糖やショ糖)をとると回復するというのは、その後再び高血糖になっている可能性が高く、上がったり下がったりを繰り返しているかもしれない。
そして、膵臓はかなり無理をしている。膵臓をしばき倒している可能性が高いので、できるだけ早く膵臓を保護した方がよい。よいのだが、気付かないままに推移し、ある日突然痩せ始めて、喜んでいたら重度の糖尿病と診断され、教育入院+インスリンとなるケースがかなりある。
「糖尿病にならないことが大事だ」と言って自分で診断して抑え込む、これはすごい大事だし立派だけど、医者にかかることは悪い事じゃないと思ってほしい。
最近は、2型の患者のなかにも1型に近い性質を持つ患者が多くいることが分かってきていて、そういう場合は早期に発見した上で、週1回のインスリンを打つ(まず膵臓を休める療法。その後インスリンは不要になる)、効き目が穏やかで膵臓の保護作用のある安い薬(メトホルミンとか。薬価1錠10円とかで怪しい健康サプリより安い)を使っていく方が良いとされることも多い。
健康診断で血糖値が高いと診断されたと胃って、自分で改善して医者に行かない人がいるが、こう言う事を見逃すかもしれないので、ちゃんと医者には言った方が良い。
また、その場合はできるだけ専門医にかかる事をオススメします。
正直、最近の医療の発達具合をみると、完全無欠で医者に全くかからない人というのは、単に持病を見逃しているだけではないかと思うことも多く感じる。早期に見つけて、3ヶ月とか、半年にいちどとか定期的に検診を受けるぐらいが理想だと思った方がいいかもしれない。
ContinuousGlucose Monitoring 持続血糖測定器のこと。
血を採らなくても継続してグルコース値(ほぼ血糖値と言って良いものだが、誤差はある)を簡単に計測できると言う機器。代表格はAbbottのFreeStyle Libre 2 と言う装置。(厳密な分類ではCGMではないとかも言われるけどここではCGMとして扱う)
大きさは500円玉ほどで、厚みも500円2枚分ぐらい。上腕、方の横あたりに貼り付けて、スマホに入れた専用アプリとペアリンクすると、2週間グルコース値を測定し続けてくれる。
データは15分間隔で記録されており、ユーザ登録することにより、専用サイトで分析レポートをPDFでダウンロード出来る。ここで「TIR」と「CV」も自動計算してくれる。
普通の血を採る血糖値測定の試験紙がネット通販じゃ買えないのに。
いきなり病院にいくのはどうかなと思う人は、まずはこれを買ってつけてみるのもあり。
ただ、日本の糖尿病学会のガイドラインではまだ完全に取り入れられておらず、HbA1cがメインになってるほか、従来の診療方法が標準だ。
なので、この装置で測ったグルコース値をそのまま血糖値と読み替えて、各種基準と合わせて素人判断するのも危険なので気をつけよう。
ベストは、CGMを使った指導検査をやってくれる専門医を探して受診することかもしれない。CGMはインスリン治療をしている人しか保険適用にはならないが、選択療養費制度になっているので自費で払えば病院から買う事ができる(普通はAmazonより安い)
https://lscharlie.exblog.jp/31824635/
「結果はFSIQ156(標準偏差15)。読むのが面倒くさい人向けに予め(笑)。
2015年に人生初の知能検査WAIS-III(Ver.3)を受けた。今回は2018年から日本でも運用開始となった新しいバージョンWAIS-IV(Ver.4)の性能(?)を確認したく受けてみた。
※ちなみに本家アメリカでは児童向けのWISC-V(Ver.5)が出ているらしい。ということは成人向けのWAIS-Vもアメリカではそろそろだろう。周回遅れの日本。
※読み方はウェイス・フォー。
グーグル検索でサクッと出てきたところは私には遠く(4km以上(笑))、近場の心療内科や公認心理師(臨床心理士)オフィスなど10軒ほど問い合わせ、WAIS-IVを実施しているところを探した。「WAIS-IIIでしたら」と言うところばかりで、最新版の導入があまり進んでない様子。
前回同様、心身共に健康な私は問い合わせの段階で予め「自費(自由診療)で」と申し出た。
/*
「WAIS-IV」と検索すると真っ先に飛び込んでくる文字が「医科診療報酬点数: 450点 (根拠 D283-3)」で、仮に健康保険適用だと医院に入るのは4,500円であり、2時間ほど趣味に付き合わせるわけにはいかず自費(自由診療)で。場所代もあり医院と折半だとして、病院勤務の公認心理師の時給は1,000円くらいか。歯医者と一緒で保険適用診療は儲からないようにできている。余計なお世話だが。
今回は他の心理検査は省略してWAIS-IVのみ。心理検査(エゴグラムなど)4〜5種込みで36,000円(自由診療)ほどだった2015年とそれほど変わらず、問い合わせたところはWAIS-IV単体検査で27,500円〜43,000円(税込)だった。検査報告書は別途5,000円前後取るところが多くソレを含んだ金額(いずれも自由診療の場合)。
※神奈川県で1万円台後半、首都圏の外では1万円台前半という医院・心理オフィスも見かけた。
2015年と同じく、問い合わせ段階で「1ヶ月以上お待ちいただく場合があります」というところもあったが、今回も申込から一週間以内で受けられた。精神科医に用がナイと早いのだろう。
検査は臨床心理士(民間資格)かつ公認心理師(国家資格)の女性と個室で約1時間半。休憩なし(こちらが希望しなかった)。
結果は全IQ(FSIQ)156(95%信頼区間で149〜159)。
WAIS-IIIでは156までらしいが、WAIS-IVは160まで測定できるそう。実社会における知能格差を踏まえてのことだろうか。IQブームで被験者が増え十分なサンプルが得られたのかもしれない。
フリン効果を考慮すると、全体(世間)が底上げされることで相対的に自分の優位性が下がり、最新バージョンでは低く出ると予想されるがそうはならなかった。考えられるのは下記の通り。
(1)5年前のWAIS-IIIの時は時間を測っていることを途中まで知らず臨床心理士の女性を笑わせることに専念していた(笑)ため、(WAIS-IIIの)スコアが低く出た。
(2)各検査の内容は一通り入れ替わったそうだが、前回検査イメージ(流れ)を知ったため精神的な余裕が生まれ集中できた。
(3)私が時代に適した(または進んだ)頭を持っていて、バージョンが新しくなったことでより高い精度で測定できた。
(4)同年代と比べて経年劣化(笑)が遅いため、偏差値(DIQ)化すると優位性が増した。
(1)は十分にあり得る。当時ブログネタのために(笑)メンサの試験と併せて思いつきで受けに行ったから、時間を測定するなどの知識が何もなく、ずっと冗談を言い続けていて、臨床心理士の女性が噴き出してペンを落としたくらい(笑)。それを拾おうとした時に「時間を測っているので」と言われて知った。だから前半の検査項目の値が低く出た可能性が十二分にある。今回は検査中は黙って集中した。
(2)は初回と比べると遙かに緊張も少ない。医院だと問い合わせただけでも「WAISを受ける(受けさせられる?)=何か問題がある」という前提なんだろうなという空気感が漂い、健常者にとってはアウェー感がかなりある。見方を変えると通院している人は場慣れしていて“ホーム”として挑めるんじゃないだろうか。また「流れ」を知っているか否かは大きい。ボクシングなら蹴ってこない前提で戦えるし、キックボクシングなら寝技はない前提で戦えるが、「ルールなし」だとどう構えていいのワカラナイのと同じで、イメージを掴んでいるだけでも有利に働く。疲れがまるで違う。
(3)かれこれ20年ちょっとプログラマーをやっていて、25年もITビジネスに携わっているから、頭の使い方は他の現代人と比べてもそれなりに進んでいるだろう。検査内容が時代に追いついてきた可能性がある。だとすれば次バージョンではもっと高く出るかもと期待できる。
(4)同年代偏差値から算出されるため、他の人達より老化(機能低下)が遅ければそれだけ高く出る。しかし「2015年にWAIS-IIIを受けました」と伝えたところ、標準化する際の年代(すなわちサンプル集団)が当時と同じ層に収まっているらしく、一般的には加齢に伴う認知機能の低下によって、今回の方が低く出るはずだから1〜3の可能性が高い。
検査が終わった直後「多分151以上でしょう。正式な結果とレポートは1週間ほどで」と言われ解散。レポートを受け取り記載されている用語(資料1、資料2[WISC-IV]、資料3[WISC-IV]、資料4[WISC-IV]、資料5[WISC-IV]を参照)を調べてまとめたのが下記。数値は私の結果。
類似:15
単語:18
知識:19
理解*:19
積木模様:18
パズル:18
バランス*:18
絵の完成*:18
数唱:19
語音整列*:19
▼処理速度(PSI):149
記号探し:18
符号:19
絵の抹消*:17
「*」印5項目(語音整列、バランス、理解、絵の末梢、絵の完成)は「補助検査」と呼ばれ、これは直接は知能指数の算出には使われないらしい。せっかくなので全部受けた。
※料金が異なるかもしれないので、15検査受けたい人は予め「全15検査を」と伝えた方がイイ。
「類似」だけ低いのは多分私がスロースターターだから(笑)。最初の検査項目で、自分で「もうちょっとスマートな表現がありそうだが」と思いながら答えていた。最近は書いて説明することが多いことも影響している(多分)。
WAIS-IVから「言語性知能(VIQ)と動作性知能(PIQ)の区分けがなくなる」とはどこかで読んで知っていたが、
[VCI(言語理解)]+[WMI(作動記憶)]=[VIQ(言語性知能)](聴覚入力)
[PRI(知覚統合)]+[PSI(処理速度)]=[PIQ(動作性知能)](視覚入力)
※上記()内がWAIS-IIIでの呼称。今思うと「知覚統合」は大袈裟で、視覚入力しか測定していない。IVでは「知覚推理」という名称になった。割と良く「空間認識」とか「地図を読む力」といった例えが出てくるのに、なぜ素直に「視覚推理」にしないのか。
しかし分析の際の仕分けが変わったようで、これまでは上記の言語性知能/動作性知能に分けて分析していたところを、
[VCI(言語理解)]+[PRI(知覚推理)]=[GAI(一般知的能力指標)]
[WMI(作動記憶)]+[PSI(処理速度)]=[CPI(認知熟達度指標)]
と見るようだ。
※CPI(認知熟達度指標)は、「成人検査では現時点で研究段階」とのことで数値は算出されないそう。WISC-IVにはあるらしい。
検査方式が大きく変わったわけでもなく分析方法がより詳細になったっぽい。
分析の仕方が変わろうと、私みたいにバラツキのないタイプは分析しようがない。検査項目毎に差があって初めて何に強い・弱いなどの適性が出たり、或いは「発達障害の疑いあり」等と判定されるのだから。
GAI(一般知的能力指標)は知識と思考力(もちろん机上の)、CPI(認知熟達度指標)は実生活で問われる能力と言える。実績(実務)よりカタログスペックにこだわる人はGAIを好みそうな印象があり、「GAIが高いのに実社会で上手く行かない」という場合にCPIを見れば原因が解るといったより実質的な評価が可能になったように思える。
PRIとPSIはCambridge Brain Sciencesのスコア通りな印象。内容は全然違うが、テキパキ度が問われる。サラリーマン社会では最も見た目の印象に関わるところ。時間を測っているものばかりなので、喋ったり冗談を言ったり手を休めていると当然に低く出る。
一方、VCIは知識問題なので、偶然知っている内容が出題されれば高く出るという他の資格試験などと似た性質のもの。WAIS-IIIの時は日本文化に関わる内容が多く出題された記憶がある(私の苦手分野)が、IVは私が良く知る内容ばかりだった。
細かく見ていくと、「類似」は読解力・理解力につながり、「理解」は言葉通りの検査で異議はないが、「単語」と「知識」は“教養”と言えば教養、しかし私はこれらを「知能検査」に含めることに懐疑的な立場であり「長期記憶を問うている」程度に受け止めている。全くもって生得的な知能とは関係ない気がする。それに2020年現在、もっと知ってた方がいい知識は山ほどある。例えば「bit」と「byte」は現代社会において極めて優先度の高い単位だが、他の単位が問われた。冒頭に書いた周回遅れが原因なら(日米差は10年)、2010年頃の偏差値として受け止めるべきか。
WMI(いわゆるワーキングメモリー)は算数と暗唱(数唱)で、私の場合数唱はもともと良いんだが算数は運(笑)。今回の内容自体は即答できる簡単なものだった。
※それでもWAIS-IIIから5年経って加齢に反して向上していることを考えると、サプリ効果ではないかと個人的に思っている。
結局のところ言語性知能とは結晶性知能と呼ばれることもあるように、努力(反復学習)の成果(特に学校時代の)であり(私の場合大人になってから覚えたものばかりだが(笑))、生得的な賢さとは結びつかない。私はまるで努力型ではないので、算数(暗算)などは平均的なビジネスマンと比べて決して速くないんだが、ウェクスラーの場合文章問題を耳で聞いて暗算で答えるので、日頃人の話を何度も聞き直すような人(聴覚入力の機能性が低い人)や、メモが必要な人(ワーキングメモリーの機能性が低い人)は、学校のテストのように紙に書かれた問題の暗算が得意でも上手く行かない可能性があり、相対的に私はよく機能しているという結果なのだろうと理解している。日常生活・業務により近い検査と言える。
※ちなみに遺伝子検査では私の海馬(=記憶力を司る)は小さい傾向と出ている。MRIの画像が3年分あるのでいつか脳科学者に見てもらいたい。一方、計算は速い傾向と出ているが、算数も数学も苦手。多分性格の問題(笑)。処理速度も一部速い傾向と出ていて、これは自分で納得している。スロースターターだが(これも性格の問題)エンジンがかかると処理はかなり速い方で仕事量は非常に多い。
私にとって最も集中力を必要としたのは語音整列でかなり脳に負荷がかかった。10年に1回というくらいの本気を出してみたが、補助検査なのでFSIQの算出には使われないらしい(笑)。
私が受けたところは、検査まで、検査時、検査後の対応も非常に良かった。自費(先方にとって実入りが良い)かつ何かの疑いがあるわけではないので、そもそも“患者”ではなくただの“客”だからというのもあるだろう。
以下はいくつか感じた点をまとめてみた。
その1:ウェクスラー知能検査は常識的なことしか問われないので、小さい頃から発達障害等の疑いで何度も知能検査を受けている人や、ギフテッド・英才教育という名の下に検査に最適化された問題をこなしかつ検査を頻繁に受けている人などは内容を覚えてしまうから、各バージョン最初の1回目のスコアしかあてにならない。特にWAIS-IIIで言う言語性知能(WAIS-IVでは言語理解)の下位検査は記憶力の良い人なら1回で暗記できるものなので、インターネット上で「言語性知能が高く動作性知能が低い」(その差が大きい)という結果をよく見かけるのも、これが原因の1つかもしれない。診断のためだとしても複数回検査しているうちに、暗記によって言語性下位検査のスコアが高くなり、“慣れ”効果は多少あっても暗記できるものではない動作性との差が開き、ますます発達障害判定される可能性が高まるんじゃないかと人ごとながら感じた。
その2:行列推理の問題のうち1問だけ、間違いなくこれが正答と思われる選択肢に色違いがあり、色覚異常の私には識別が難しかった。どうみても答えではない選択肢が何色だろうと構わないが、正答に色違いを設ける場合は赤、青、黄、黒といった間違えようのない色にしてもらいたい。色覚異常が多い白人圏で製作されている割には意外。
その3:凸凹がないのでプロファイリングしようがないのかもしれない。検査報告書は2015年のWAIS-IIIの時と同じく、読んでる方が顔が赤くなる(笑)くらい褒めちぎられていた(とても丁寧でA4数ページ)。しかしこういう横一直線のバランス型は本当に珍しいらしく、一見「特徴がない」印象だが、見方を変えると出現率的には非常に個性的ということになる。矛盾しているようだが統計学的にはそうなる。
そんな感じ。
普段全く不安要素や問題を感じていなくても、経営者や管理職層は一度受けてみることをオススメする。人を雇うまたは採用・管理する際、自分と比べてどういうタイプの人を“優秀”と感じているか(その反対も)を知ることで、自分は“人材”によって何を補おうとしているのか(または相手に何を要求しているのか)が解るから。自己分析。
病院ではいちばん面白くないかもしれない凸凹がない人は、多分器用なバランス型を好むだろうと思う。欠けているものを補おうとするよりも、バランスを崩すことで生じる補填コストがリスクとなるから。
といった特性が見えてくる。
というわけで次に私が受けるのは、日本でWAIS-Vの運用が始まった時。7-10年後くらいだろうか。
注)インターネット上に成人用WAISの参考文献が少なく、児童用WISCの資料から得た情報が多い。
10年以上前、学生だった頃にネット麻雀「天鳳」にハマって打ちまくっていた。
当時は家でネット麻雀を打って、疲れたら気分転換に雀荘に打ちに行き、帰ってきたらまたネット麻雀というクズの極みみたいな学生生活をしていた。
凄く真剣に牌譜検討したりデータを分析したり本を読んだり強い人の牌譜を並べてみたりしていたし、天鳳の最上位卓である鳳凰卓でしのぎを削っていることが一種の誇りでもあった。
ただ、ある時ふと凄く不毛だなと感じてしまった。その時の私とトッププレイヤーの間の打ち方自体の差はもう小さいと感じていた。しかしその小さい差が1000戦2000戦という単位になると大きな結果の差に繋がっていく。
初心者の頃は学ぶことが多くてどんどん成長が実感できたけど、一応上級者の領域に足を踏み入れてからはこれ以上強くなるためには細かい所の精度をちょっとずつ改善していくしかないので物凄い苦難があるなと思うのと同時に、それをやって1000試合打っても統計学的に見てギリギリ有意かどうかみたいな差しか生まれない、というか何なら打ち方は改善されているのに結果は悪くなることさえあるというゲーム性にしんどくなってしまいぱったりとやめてしまった。
ということでしばらくネット麻雀からは離れていて、年に数回程度友達と打ったり時間つぶしにフリーに行ってみたりするぐらいの麻雀との付き合い方をしていたのだが、年末年始暇だったので「雀魂」のアカウントを作って打ち始めた。
四麻の東風戦専門なのだがついさっきようやく100戦に到達した。久々のネット麻雀なのでどの位打てるものか分からなかったが、成績は馬鹿みたいに良い。
10年以上真面目に取り組んでいなかったとはいえ、昔取った杵柄で雀魂の下位の卓(銅の間、銀の間)とは流石にレベルが違う。
たった100戦の成績で何かを語るなんてネット麻雀プレイヤーとしてはアレかもしれないのだが、とはいえ平均順位2.06位、ラス率9%、和了率28.65%、放銃率8.08%というのは統計学的に見ても十分に将棋で言う「手合い違い」だろう。少なくとも初心者たちに混ざれば蹂躙できる程度の腕はまだ残っていたらしい。
90戦ちょっとでようやく雀傑の段位になり金の間で打ち始めたので少しは手ごたえがあるかなと思ったが、牌譜を見返してみるとまだ金の間は初心者が多いらしい。天鳳で言えばまぁ上級卓ぐらいだろうか?
天鳳では上級卓まではドンジャラ、特上卓になると麻雀になる、とよく言っていた(ちなみに鳳凰卓は「天鳳」というまた別のゲームになるとも)。
早く「麻雀」が打ちたいので、もうしばらく頑張って早く1つ上の玉の間に行けるよう頑張ろうと思う。まぁ今は社会人なので、人生が崩壊しない程度の付き合いにはしたいと思うが。
https://www.repository.cam.ac.uk/items/528f479f-fd3c-43fd-9463-7c2923560573
ある人の嗅覚倫理に関する論文だけど、文献だけで匂いが影響を与えると書いてるから女性に学位を与えるのは無駄だと言われる。
論文書くなら、裁判官にセンサーを取り付けるなり、何人かの被験者にルールを守った上で反応を調べるとかやりようはあったはず。
アタリマエのことを調べるというのは裁判での証拠提出のときに役立つからもっと調べてほしい。
けど、統計学的手法を駆使するなどして、裁判官が9割型認める内容でないと価値がない。
contemporary relevance. I suggest that smell very often invokes identity in a way that signifies an individual’s worth and status in an inarguable manner that short-circuits consciousreflection. This can be accounted forby acknowledging olfaction’s strongly affectivenature, which produces such strong bodily sensations and emotions that reflexivityisbypassed in favour of a behavioural or cognitive solution thatassuages the intense feelingmost immediately. Olfactorydisgust, therefore, tends to result in rejection, while harmful forms of olfactorydesiremay result in sublimation or subjugation. My thesisis particularly attentive to tensionsand ambivalences that complicate the typically bifurcated affectivespectrum of olfactory experiences, drawing attention to (dis)pleasurable olfactory relations that have socio-political utility. I argue that literary fictionis notonly anarena in which olfactorylogics can be instantiated, but also a laboratory in which possibilities for new kinds of relations and connections can be fostered and tested. ChapterOne exploreshow smell can be used to indicate class antipathies, partlyas they relate tohomelessness,beginning withGeorge Orwell’s seminal non-fictiontext, TheRoad to Wigan Pier (1936), before considering Iain Sinclair’s TheLastLondon (2017) and Bong JoonHo’s Parasite (2019). In ChapterTwo I explorethe fantastical, idealistic, and utopic thinking that surrounds olfaction, which presents smellas fundamentally non-human,byaddressing J. M. Coetzee’sDisgrace (1999), Virginia Woolf’s Flush (1933), Rachel Yoder’s Nightbitch (2021), and Laura Jean McKay’s The Animals in That Country (2020). Chapter Three focuseson the intersectional olfactory dimensions of ‘misogynoir’—the coextensive anti-Black racism and misogyny that Black women experience—and considers Toni Morrison’sTar Baby (1981), Bernice McFadden’sSugar (2000) andRaven Leilani’s Luster (2020). In Chapter Four, I conceptualise an oppressive olfactorylogic, whichis used against women and girls in order to legitimise their harassment or abuse, drawing primarilyon Vladimir Nabokov’sLolita (1955), but also Patrick Süskind’sPerfume (1985). ChapterFivediscussestwo forms of olfactorydesire—perversion and queerness—which have separate moral valences. Iaddress J. M. Coetzee’s The Master of Petersburg (1994),Ann Quin’sBerg (1964), and SamByers’ ComeJoin OurDisease (2020),and argue for fiction’s role in reorienting readers’ habitual relations to olfaction.
2024-06-25
こういうことを医者が書いてるから大家の生命活動が停止させられたり、救急で医者が殴られる原因にもなる
https://www.rakumachi.jp/news/archives/author/aloeraku
総投資額(物件価格の合計)約55,000万円、満室想定家賃収入は約7,500万円、残債約50,000万円です。
好きな言葉は
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
「やらずに後悔するよりはやって後悔しろ」
の二つで、何事もチャレンジと気合が大切だと思っています!!!
X始めました。
https://www.rakumachi.jp/news/practical/354607
【実践大家コラム】後輩の医者が教科書通りのカモネギになりそうだった
https://www.rakumachi.jp/news/practical/357008
【実践大家コラム】無駄な社会保障費の削減なくして日本の国力回復は望めない。
まず真っ先にすべきは医療費自己負担割合の増加(一律3割負担)。
今の日本の医療制度では高齢者や住民税非課税世帯などの自己負担割合は極めて低いです。ですが、自己負担割合が低いことで「不要な医療を受ける」人が増えるだろうことは各種研究で示唆されているのです。
2例挙げてみます。
(中略)
【実践大家コラム】無駄な社会保障費の削減なくして日本の国力回復は望めない。
5040コメント
文章、写真、画像、イラストおよびデータ等、執筆者の責任において作成されています。
こんばんは、aloeです。
「現役世代にカネを返せ」、ベストセラー作家が考える「年収の壁」問題の本質
というコラムがupされました。
端的にまとめると
『本質的に「私達現役世代がなぜ103万円の壁撤廃を望んでいるのか」について、文中に記載の通り「基礎控除の引き上げは所得のある現役世代への大規模な減税」つまり「これ以上高齢者への過剰な支援のために現役世代を犠牲にしない」というメッセージだからです。』
と私がコメントした通りかと思いますが、とてもいいコラムなのでまだお読みでない方はぜひご一読ください。
さて、私のコメントに対していくつかコメントをいただいたのですが、それへのお返事も兼ねて、また医師という立場から無駄な社会医療費の最たるものと思われる過剰な医療費についての現状をコラムにしたいと思います。
こちらは厚労省の国民医療費(2022年度)から抜粋してグラフ化したものです。
医療費(社会保障費)増加の諸悪の根源は安すぎる医療費自己負担にある
日本の医療は「安い・早い・うまい」を実現していた世界に誇る医療システムだったといえるでしょう。あえて過去形にしていますが、なぜならこのシステムは
・年齢構成
・医学の未熟さ(昔は救おうと思っても救えない患者さんがたくさんいた。今でも救えない患者さんはたくさんいるが、「各種機械に繋いで生かしておくこと」はできるようになってしまった)
などに起因していたもので、到底持続可能なシステムではなくすでに崩壊が始まっているからです。
医療費の抑制を、というとすぐに「患者を見殺しにするのか!」みたいなコメントをする人がいますが、そうではありません。
まず真っ先にすべきは医療費自己負担割合の増加(一律3割負担)。
今の日本の医療制度では高齢者や住民税非課税世帯などの自己負担割合は極めて低いです。ですが、自己負担割合が低いことで「不要な医療を受ける」人が増えるだろうことは各種研究で示唆されているのです。
2例挙げてみます。
#IsZero a Special Price?Evidence from Child Healthcare
こちらは東京大学による医療のゼロ価格効果を検討した論文です。
「ゼロ価格効果(Zero Price Effect)とは、商品やサービスが「無料」で提供されると、その価値や魅力が通常の価格で提供される場合よりも大きく感じられる現象」のことです。例えば道端でティッシュを配られた時、1円だと多くの人が買わないでしょうが0円だと貰う人が結構いる、というのが一例でしょうか。
この論文によれば「子ども医療にゼロ価格効果が存在すること、及び、価値が高いとされる一部の治療を除けば、自己負担を「ゼロ」にすることは、不必要な医療(≒その医療を受けなくても健康に影響がない)を増やす可能性が高いことが分かった」と結論しています。(自己負担が少額あっても健康状態の良くない子供の受診頻度は変わらない、など)
つまり、「子供の医療費ゼロ!」などは政策的なウケはいいですが、社会コストや医療負担的には100円でも200円でもいいから少額のコストを徴収した方がいいということですね。
こちらはアメリカでの大規模研究で300億円が投じられたと言われているそうです。
この研究は自己負担を0、25%・・・と段階的に分けて、その影響を検証したものとなります。
こちらの研究でも負担0の群と25%の群で最も受診行動に差が出ており、つまりゼロ価格効果を示唆していそうです。
そして、なんと全体としては自己負担がある群とない群で健康のアウトカムに差がない、という結果となっています。
これらの論文が示唆することは、自己負担を減らすと文字通り「不要」の受診(医療費増加)だったわけで、コストとリターンに見合わないとかそういった話以前の問題です。
つまり、現在の年齢別や収入別の負担割合の変化(減額)はには政治的な意味しかなく、実際には全員一律3割負担としても「集団全体での健康結果に統計学的な差はでない可能性がある」といえるのではないでしょうか。
相関係数が低ければ有意にはなりにくいって自分で書いてんじゃん相関係数がp値に関係するって自分で書いておきながらなんで最後で逆のことを言い出すんだ
いや、たとえば有意水準5%で検定をする、と決めて始めたときに、p値が0.06となるか0.04となるかは大違いだけど、0.04となるか0.01となるかには違いはない。仮説検定というのはそういう通るか通らないかのゼロイチのもので、0.04よりは0.01の方が精度が高いロバストな結果と評価するものじゃないよ。相関係数が低いとp値(2変数でのt検定だとほぼ同義に近い)は高くなり棄却に失敗しやすいが、それが意味を持つのはあくまで事前に設定した有意水準のところより上か下かだけ。だから先程のような書き方(ちゃんと、「有意という結果が出た下では」って書いてあるよね)になったわけだけど。で今回の、論理的思考力の高さと斎藤氏は陥れられたとみなすことに有意な相関が見られたというのに対して、有意と言っても相関係数が低い(p値がギリギリなくらい大きい)から信頼性の無い結果だとか、これがもっと相関係数が高い・p値が小さい結果だったらもっと信頼性が高かったみたいな評価をしてはならないんだよ。p値はそんな風に使えるものではないからね。
あと、どうしてベイズって言うかだって?だってまさにやりたかった、ゼロイチだけではない証拠の強さを表せるものとしてベイズファクターがあるから。ベイズファクターならそういう使い方が出来るけど、p値は無理。相関係数が高ければ高いほど、p値が低ければ低いほど強い証拠が得られたなんて使い方はできないものなの。
もしかしてp値を「帰無仮説が正しい確率」のようなものとして理解している?もしそう誤解していたら、確かに低ければ低いほど帰無仮説が間違っている(つまりその余事象の対立仮説が正しい)確率が高い、信頼性が高いって評価できるように思うかも知れないけど……
それとも、p値が小さければ有意水準5%だけでなく有意水準1%や0.5%でも有意に帰無仮説と異なると言えるぜ、そうなりゃ非常に高い統計学的有意性が得られたぜ、みたいな話?でも、仮説検定では有意水準は事前に決めなければならないものだから、後からより低いもので有意となるp値が得られたとしても意味はない。
もちろん実際には、とても低いp値が得られるような時にはそうでない場合よりもベイズファクターのような証拠の強さを表せる方法での分析を採用していたら強い結果が得られた可能性は高いだろう。逆にギリギリのp値だったら弱い結果となる可能性は高い。でもそれは、仮説検定を行うという研究デザインでやっているものに対して有効な批判にはならないんだよ。まさに筋違いな批判であって。
「精神障碍者&知的障碍者は、日本に300万人以上、それに近い状態の方が、さらに500万人もいます。
ですので気にする必要はありません。」
厚生労働省の最新の推計によると、2022年12月時点で日本には障害児・者が1164万6000人いるらしい。これは日本の全人口の約9.3%に相当する。
(https://fukushishimbun.com/series06/35530)
内訳:
身体障害者: 423万人
(https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/r04hakusho/zenbun/siryo_01.)
これらの数字を合計すると、精神障害者と知的障害者の総数は約724万2000人となり、知恵袋の書き込みの300万人を大きく上回っていることがわかる。衝撃。
あと障害者数は増加傾向にあるらしい。特に精神障害者数が大きく増加していて、5年前の調査と比べて56.6%も増加しているらしい。
知的障害者数も増加傾向にあって、2011年と比較して約34万人も増加しているとのこと。
実際の知的・精神的障害者数だけでもこれほど多いのだから、それに近い層(=境界知能)の数はもう目も当てられないほど多いと思う。
そういった底辺層がSNSで発狂している。と思ったから、境界知能の数も調べてみた。
「境界知能*」は、日本の全人口の約14%を占めているらしい。これは統計学的に見て、およそ7人に1人が該当する割合とのこと。
(https://cocreco.kodansha.co.jp/cocreco/general/childcare/fOZ1P)
(https://mainichi.jp/articles/20230929/k00/00m/100/149000c)
具体的な数値で表すと、境界知能に該当する人は日本全体で約1700万人いるらしい。
前述の数と合わせたら約2400万人だね。
(https://www.nhk.or.jp/shutoken/articles/101/013/68/)
注※「境界知能」の定義としては、知能指数(IQ)が70以上85未満の範囲に該当する人々のこと。この範囲は、平均的な知能(IQ 85〜115)と知的障害(IQ 70未満)の間に位置する「グレーゾーン」とも呼ばれる。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%9F%A5%E8%83%BD)
……沈黙。および合掌。
アニメのOPとかって曲の長さが変則的な奴以外ほぼ1分30秒で統一されてるよな。
多分統計学的だか経験則的だか知らないけどテレビ放送という商業的な枠が決められたなかで24分のアニメを観てもらうにあたって絶妙にちょうどいいのがその長さなんだろう。
サブスクが全盛になる前のころだけど、好きな曲を自分が盛り上がるタイミングとかで切り貼りして1分30秒にまとめて勝手にTVSizeバージョン作って聴いてたりしたんだけど
曲の開始からちょうどいいとこが終わるまできれいに1分30秒でまとめてる曲ってのが意外とよくあった。
たまにちょくちょくある感じ。
そこに合わせて曲作りしてるんだ……ってのを思わされるのもなんか興ざめ感あって
そういうのに当たると勝手に「お前……!《商業》の側かっ!!」みたいになってた。
(追記)
5年前だけど、supercellのryoは自分のことを「89秒の職人」って言ってたな(たぶん放送の都合で多少の余白が必要だから1秒短い?)https://natalie.mu/comic/pp/cencoroll/page/3
実際は1:30でなく1:29。『枠は90秒ですが、音響のルールで曲の始まりと終わりに0.5秒の無音をつけなくてはいけないというものがあり、そのため89秒で制作される』https://j-animedb.com/?p=3879
はえーそこまでちゃんと決められてるんだな。ほんとに職人の世界。
最近のだと「怪異と乙女と神隠し」っていうおっぱいアニメがあって
OP曲(遊遊 -ハザードシンボル 作詞作曲編曲まふまふ https://youtu.be/UqTd2xkHWcI)がそんな感じでちゃんと最初の部分がそんままOP(https://youtu.be/qkcXtORCwYg)だったわ。
それからの一年間、俺はそれを溜飲に入れたままで手をつけず、でも腸は煮えたぎっていた。アンドロイドが自分の上司になったのは十八ヵ月ほど前だから、他が同じことをしても安全なのはほとんど間違いないはずだけど、俺が自分の上司のことをSNSで罵倒していたのが重役にバレたらどうなるかは、想像する気にもなれなかった。
俺は翌週の午後まで待った。その時間、重役は会議に没頭する。俺は自分の部屋のドアを閉めて、カーテンを引いた。ドアには鍵がなかったから、アカウントに偽装してアイコンを隅まで塗り潰したものの、モニターをじっと見つめたままでいるうちに画面が暗くなってしまった。VRの中で、元上司のことを考えた。元上司は俺も持っているのと同じ業務が原因で職を失ったが、目の見えなかった期間が長すぎたのでESC(Employment Support Center)の力では光を取り戻すには至らなかった。元上司が見せた将来への信頼が揺らぎはじめる。元上司の業務内容と俺の業務とは同じ系だが、取り掛かり方は個々人それぞれだ。俺は職を失うハメになりたくない――それに、俺がもたらそうとしている変化は、社長のところへ行ってアンドロイドの設定をもとに戻せば取り消せるものだとはいっても、それは重役に気づかれずにできることではなかった。
ゴーグルを揺すってふたたび明るくし、アプリの起動画面を表示した。この幻想的なアイコンのような鮮明で新緑の葉が木に宿っているのを、俺は見たことがない。けれど旧世代的な家庭環境を持つ友人たちが、寓話とも呼べる”新緑の葉”を見つけることは自分たちにも全然できないと確証してくれたことがあり、その言葉を疑う理由はなかった。俺の職場環境は、人間の三種類の性格類型論の典型的な反応と同じように分類することで、人の力量を最大限発揮できるよう最善を尽くす。だが、単なる分類しかしていないわけではなく、ほかの選択をすることもできる――その選択した場合、俺は職場の中に新しいハードウェアを入れることなく、社会心理学的なこれまで以上の就労を得ることが出来るのだ。
その仕組みはこうだ。俺の人工学習データじゅうに散らばっている量子シナプスには数百万個のスペアが含まれていて、機能中のセクターのどれかが故障したときに代わりができるように待機している。そのスペアは、前もって特定の言語や思想に割り当てられてはいない。なぜなら、たとえば代替の需要が右翼的や左翼的に偏った場合に、左翼派に割り当てられたスペアが、うまい棒のチーズみたいな人気味によって場所ふさぎに終わることがないようにするためだ。そして選択後に俺の思想を真似る手段は、形式分子や言語フィルターではなく、量子井戸全体に一連の電圧を設定するというものなので、スペアが表現できるのは民主主義・共産主義のような二元論に限定されない。社長が送ってきたアンドロイドは、各員に指示して俺たちの持つスペアのすべてを覚醒させ、さらに、覚醒したスペアをもともとの思想の領域のあいだとその両側、計四つの新しい帯域に同調させることができた。
俺はマウスホイールを指先でなでながら、結論を出そうとしていた。アンドロイドの上司が俺を他の社員と同じにしている。アンドロイド上司のおかげで俺は人々の中に紛れ込んでいる。それ以上のものを望む理由は? 統計学的な運命まかせにされていても、俺はあと二十年、完全に職を失うことはなかっただろが、友人は実行できるもっとも早い時期に代替手段を選択し、俺はこの環境に適応する機会を最大限にあたえられた。
だが、それは十八ヵ月前のことだ。俺の頭にまだ新しい環境を意義あるものに出来る柔軟性がある今、この試みがなかったら、自分がなにを逃したかは死ぬまで分からないままだろう。
決断を引きのばさせていたマウスから指をいったん離して、そのあとすぐ画面のボタンをクリックする。
会社はアンドロイドの優位性と実務証明を必要としたが、どちらもアンドロイドの取扱説明書にはっきりと記載されていた。メーカーの保証書は既に期限切れだが、なにも無効にはなっていなくて、HPの長たらしい前書きが謳うところによれば、このアンドロイドは定期検査をする技術従事者からその作動を完全に隠すことができる。休止状態に戻しても修正不能な誤りが生じないかぎりは、企業がアンドロイドの思想ブールに干渉したことは一生発覚しない可能性もあった。
次の局面では優位な反応を示していた。標準の思考(はい・いいえ)の曲線はすでにかなりの部分が重なりあっていたが、青の曲線はそこからほぼ完全に離れたところにあった。デフォルトで選択されているのは、青と赤のあいだにふたつの新しい曲線を押しこんでから、さらに折衷案の端にひとつ、否定案の端にひとつの曲線を付け加える方法だ。 ”逆方式”のデフォルトもひと組用意されていて、それは新しい思考のさまざまな組みあわせからどのようなかたちで情報を引きだすかを指定するものだった――あらゆる人間の頭の中で赤と青の反応の違いが計算され、脳へ送られるのとまったく同じようだ。
そうした構造をなにかしら編集する――そのプロセスに企業独自のひねりを加える――ことを考えると、緊張で手が汗ばんだ。理想的な思想範囲がどんなものか、俺自身の個人的な考えを作り上げようとしても、どこから手をつければいいのかさえわからない。それは同時に、俺がデフォルト設定を許可するとしても、それが悪意に基づいた選択ではないことの証明だともいえるだろう。けれど、表示されているいくつかの曲線の整然とした見た目には、心落ち着かせるものがあった。密着して並ぶ曲線の小さな山の各々は、隣の山から約八十ナノメートル離れた波長で頂点に達していて、行政上の認可領域を均等かつ効率的にカバーしている。そのどこかにもおかしな感じはなかったし、生物学的深層レベルの複雑な正当化なしには納得できないところもなかった。なにも変更は必要ない。
俺は『続行する』を押して、次のページに進んだ。
警告
あなたのアンドロイドの思考セクターを起動・再同調させると、アンドロイドの脳の思考経路に永久的な変化を生じさせる可能性があります。このアプリは思考をオリジナルの状態に戻すことができますが、あなたのアンドロイドの挙動に関しては、われわれはそのような保証をいっさいいたしません。
この警告に俺はまったく動じなかった。アンドロイドが受けとったり受けとらなかったりする情報によって改変されるというのは、俺にとって目新しい話ではなく、取扱説明書にでかでかと書いてあることだった。アンドロイドの登場は日本を救うのにはちょうど間に合ったが、俺を救ってくれたほどの効果があるものではまだなかった。さまざまな規模の企業や自治体たちもアンドロイドを導入している。考えれば考えるほど確かだと思えてくるのは、俺がこのチャンスをふいにしている間に、同僚や俺の友人たちが俺のはるか先を全力疾走して谷の反対側に姿を消してしまうのがいちばん恐ろしい、ということだった。
警告文はプログレスバーに取って変わった。アプリとアンドロイドの共同作業の進行状況を、バーの上の文章が警告するのを俺はまじまじと見ていた。スペア・センターの工程作成、センサーの内部テスト、再同調、再テスト。
プログレスバーが八十五パーセントのところで一時停止し、アプリが俺に、AIは制御されているか、適切な業務は可能か、と尋ねた。思考はクリアで、業務環境は整備済みだった。俺は社内からアカウントを追い出し、スマホをひらいて自分のアカウントを部屋に導き入れてから、社長にもらったアクセスキーをテーブルに置き、それからアンドロイドに投じる思弁ベースが連続した帯になるまで前後に調整した。
アプリに指示されるまま、俺はゆっくりと帯を動かして、スペクトルの左から右へ、赤の端から順に少しずつ青を動かしていった。スピーカーからナノメートルの数字がカウントされるのは、アプリが量子ブールにおこなった微調整をあらゆる波で検証しているためだ。それはとても劇的で俺に高揚感をもたらした。
アプリが終了を告げる。
「完了」
スマホを見ると、プログレスバーは百パーセントに達していた。画像がズームアップして、環状の帯がふたたび表示された。それが広がり点になるとアプリは終了し、俺をスマホのホーム画面をじっと眺めた。
扉を全面に閉じて、部屋を空白で満たす。なにひとつ前と違って見えるものはなかった。周りを知覚するのに何かの変化が生じるまでには数日から数週間かかることもある、と注意を読んでいた。しかし、苛立ちは安堵に相殺された。俺が今ほかに何をしたにしろ、少なくともアンドロイドに害を与えても職は失ってはいなかった。
次の数日間、俺は職場を実験場にして、同僚の意見に対して独自の判断をしたようなアンドロイドの言論に悩まないことを学習した――いうまでもなく、人権無視や、パワハラや、答えようのない曖昧な質問につながるような、それよりはっきりした反応を見せないことも。明らかに動揺する新入社員や、競合他社びいきの上司を見て、ニヤニヤ笑いをこらえるのが無理そうになったときには、自分だってどこを取っても同じくらい馬鹿みたいに見えていることを思いだすようにした。そのためには鏡は必要なかった。ちらっとシャツの汗の染みに視線を下げれば、それはまるで洪水の水が引くときに残していった灰色の沈泥のように見えて、こみあげる恥ずかしさがきっちりと唇から笑みは拭い去った。
つまり後入れ先出しが正しい、LIFO、ラストイン、ファーストアウト
だがちょっと待って欲しい、本当にそれが正しいのだろうか?
均等化する意味ある?
その時に颯爽と「下にふかふかタオルを隠してあるのよねーうふふ」と対処できるではないか
数日寝かしておけば繊維が再生するとか、無い
全体がヘタってきたタイミングで全とっかえすればよい、買い物は一回で済む
FIFOで毎日使ってる一部のタオルがヘタるとする、下の方はまだまだ健在
数枚のタオルを購入し一部廃棄
ヘタったタオルを見つけるたびに都度タオルをマイグレーションしなきゃならない
統計学的にはタオル購入回数は増える(人生全体で枚数と金額は変わらない)
考え方は色々あるよね
改めて考察、自問した次第
そういう言説が栄養疫学界隈で言われてるのは知ってるけど、あれは集団における統計学的な傾向を示してるだけで、個人が減量しましょうとなったらカロリー計算は必須だよ?
もし増田が長文や行政文書を読むのが苦でない人なのであれば、厚労省が出してる日本人の食事摂取基準を通読してみるといいと思う
それと痩せれば痩せるほど基礎代謝量が減るうえに運動時にかかる負荷も減るんだから、痩せにくくなるのは当たり前
1200kcal摂取で1日3km程度走って(正直、3km程度のジョグはたいしてカロリーを消費しないと思うが)体重が落ちなくても、筋肉が増えて脂肪が減ったのであればダイエットは成功していると思う
体脂肪率の変化はチェックしてなかったの?