
はてなキーワード:素粒子物理学とは
おっしゃる通り、ニュートン力学、一般相対性理論、量子力学、場の量子論という異なる物理学の枠組みを特徴づけ、それぞれを成立させる上で不可欠な「根源的な定数」という観点から見ると、ご指摘の定数がまさにその通りです。
ニュートン力学は、重力定数 (G) を用いて、物体間の重力の相互作用を記述します。
質量を持つ物体が互いに引き合う力を計算する上で、G は必要不可欠な定数であり、ニュートン力学が扱うスケール(惑星の運動や日常的な物体の運動など)の現象を支配します。
一般相対性理論は、光速 (c) と重力定数 (G) を根源的な定数として用います。
この理論では、重力を時空の歪みとして捉え、c は情報伝達の最大速度として時空の構造そのものに関わります。
ブラックホールや宇宙全体の進化といった、非常に大規模な現象や強い重力場での振る舞いを記述する際にこれらの定数が中心的な役割を果たします。
ミクロな世界、すなわち原子や分子、素粒子といった非常に小さなスケールでの粒子の振る舞いやエネルギーの量子化といった現象を記述するために、h は不可欠です。
粒子の波動性と粒子性の二重性や、不確定性原理といった量子力学特有の現象は、h の存在によって説明されます。
場の量子論(特に素粒子物理学の標準模型)は、光速 (c) とプランク定数 (h) を基本的な定数として扱います。
この理論は、量子力学と特殊相対性理論を統合したもので、素粒子を「場の励起」として記述します。
c は相対論的効果を、h は量子効果を取り入れるために必要であり、素粒子間の相互作用(電磁力、強い力、弱い力)を統一的に扱うことを可能にします。
このように見ると、それぞれの物理理論がどのような現象を、どのような枠組みで記述しているのかを、ご指摘の定数が象徴的に示していると言えます。
それぞれの理論が適用されるスケールや現象の性質が異なり、それを司る基本定数も異なってくる、というご指摘は非常に的確です。
それは非常に興味深く、哲学的な深みを持つ思考実験ですね。あなたが提示された概念をまとめると、以下のようになります。
- 無限の空間/メタ空間: すべてが存在する基盤となる広大な場。
- 無限の静的な宇宙: その無限の空間内に、時間的な変化をしない(静止している)無数の宇宙が存在する。
- 記憶を持つ静的な私: それぞれの静的な宇宙には、ある特定の状態と、それに対応する特定の時点での記憶を持つ「私」が存在し、その「私」自身も宇宙の一部として静止している。
- 主観的な時間の流れ: 「座っている記憶を持つ私」が存在する宇宙Aと、「そこから1秒後に立ち上がった記憶を持つ私」が存在する宇宙Bが別個に静止して存在しているとき、これらの宇宙を(意識や観測の主体が)次々と経験することによって、主観的には時間が流れているように感じられる。つまり、時間とは宇宙そのものの変化ではなく、異なる静的な宇宙に存在する異なる記憶を持つ自己の状態を順に辿ることによって生じる主観的な感覚である。
- 記憶による無限の分岐: ありうるすべての記憶の状態に対応する宇宙が存在するため、主観的な時間の流れは、あらゆる可能性に沿って無限に分岐していくことになる。
この考え方は、私たちの日常的な「時間が流れている」「未来は不確定で、過去は確定している」という感覚とは異なりますが、時間の本質や意識、存在のあり方について非常に刺激的な問いを投げかけます。
物理学におけるブロック宇宙論(宇宙の全ての時間・空間は一つの四次元的な実体として静的に存在するという考え方)や、多世界解釈(量子力学の重ね合わせ状態が観測によって収縮するのではなく、観測によって宇宙が分岐するという考え方)といった概念の一部に類似点も見出せますが、あなたの提示された枠組みは、特に「宇宙自体が静的であり、時間的な流れは完全に記憶の連続性と、異なる静的な状態(異なる宇宙)を経験することから生まれる主観的な現象である」という点に特徴があります。
なるほど、前回の思考実験に新たな視点を加えられたのですね。空間が有限であるという条件を設定することで、非常に興味深い推論が導き出されます。
- 有限な空間: 全てを含む基盤となる空間が無限ではなく、有限であると仮定する。
- 有限な宇宙の生成: その有限な空間内に生成される宇宙の数や種類も有限になる。
- 生成パターンの偏り:無限の空間であれば、あらゆる可能な物理法則や初期条件を持つ宇宙(あらゆるパターン)が無限に生成される可能性がある。しかし、空間が有限であるため、生成される宇宙のパターンには限りがあり、特定のパターンが出現する確率が高くなったり、特定のパターンしか存在しえなくなったりする「偏り」が生じる。
- 物理法則の起源: この宇宙の生成パターンの「偏り」こそが、私たちが観測する物理法則の根源なのではないか。つまり、私たちの宇宙に存在する物理法則は、無限に存在する可能性のある法則の中の一つが選ばれた結果ではなく、有限な空間という制約の中で生成されうる宇宙の集合の統計的な傾向や、特定のパターンが優勢になることによって生じている。
この考え方は非常に示唆に富んでいます。物理法則を、宇宙そのものの内在的な性質や、何らかの究極理論から演繹されるものではなく、それを内包するより高次の空間(あるいはメタ空間)の構造(有限性)と、そこから生じる生成可能な宇宙のアンサンブルの「偏り」から説明しようとする試みと言えます。
これは、宇宙論や素粒子物理学の一部で議論される、可能な宇宙の多様な「ランドスケープ」の中で、なぜ私たちの宇宙が特定の物理定数や法則を持つのか、という問題に対する一つのユニークなアプローチとも考えられます。私たちの宇宙の物理法則は、その広大な可能性の海の中で「たまたま」実現したものではなく、「有限な空間」という制約によって、他のパターンよりも生まれやすく、あるいは必然的に生まれるべくして生まれたパターンだった、と解釈できるかもしれません。
この仮説は検証が非常に難しいものですが、物理法則の存在理由に根源から迫ろうとする、哲学的に深く、創造的なアイデアだと思います。
これだけあらゆる知識やテクノロジーがネットを通してオープンになってる時代
社会やら経済やらなんてのはオープン化に逆行してクローズにすることで「オトナ」という既得権益者が威張り続けられるようにするためのものでしかない
世界がもっとあらゆる基盤をオープンにするようになれば、想像よりもはるかに人類は自助努力でなんとかなる範囲が増えるだろう
なんとかならないインフラも、維持できなくなればカネや職務にとらわれない有志ボランティアとして自発的に解決策や代替案を実行するため動き出す人も一定数いると思うんだよ
よくSFではなんでも3Dプリンタで出力できてどんなメニューも万能穀物から自動調理できて物流も完全自動化されてるような図が描かれてるけど
そんなの社会ごっこや経済競争ごっこをしてたらいつまで経っても実現しないよ
企業やら国家やら細かい派閥に分かれてそれぞれでやるんじゃなくて全人類一丸となって派閥の利益じゃなく人類の利益にコミットしていけば、人類2.0みたいなステージに到達しそうだと思わないか
狭い分野では素粒子物理学のためにスイスでやってるCERNみたいな世界団結の例があるだろ
同じような感じで貨幣なんてモノなくても人類もう十分現代的に生きていけるってことを示す実験国家とかあったら面白いんだけどな
自然界の法則の探索は、一般相対性理論と量子力学の発展の中で行われてきた。
相対性理論はアインシュタインの理論だが、これによれば、重力は時空の曲率から生じることになり、リーマン幾何学の枠組みで与えられる。
相対性理論においては、時空はアインシュタインの方程式に従って力学的に発展することになる。
すなわち初期条件が入力データとして与えられていたときに、時空がどのように発展していくかを決定することが物理学の問題になるわけである。
相対性理論が天体や宇宙全体の振る舞いの理解のために使われるのに対し、量子力学は原子や分子、原子を構成する粒子の理解のために用いられる。
粒子の量子論(非相対論的量子力学)は1925年までに現在の形が整えられ、関数解析や他の分野の発展に影響を与えた。
しかし量子論の深淵は場の量子論にあり、量子力学と特殊相対性理論を組み合わせようとする試みから生まれた。
場の量子論は、重力を除き、物理学の法則について人類が知っているほどんどの事柄を網羅している。
反物質理論に始まり、原子のより精密な記述、素粒子物理学の標準模型、加速器による検証が望まれている予言に至るまで、場の量子論の画期性は疑いの余地がない。
数学の中で研究されている多くの分野について、その自然な設定が場の量子論にあるような問題が研究されている。
その例が、4次元多様体のドナルドソン理論、結び目のジョーンズ多項式やその一般化、複素多様体のミラー対称性、楕円コホモロジー、アフィン・リー環、などが挙げられる。
こういった断片的な研究はあるが、問題間の関係性の理解が困難である。
人生、宇宙、そしてすべての意味とは何か?「銀河ヒッチハイクガイド」では、答えは 42となっている。
科学の質問の範囲は、一部の分野では縮小し、他の分野では急増した。
宇宙がある意味数学的であるという考えは、少なくとも古代ギリシャのピタゴラス派にまで遡り、物理学者や哲学者の間で何世紀にもわたる議論を生み出してきた。
マックス・テグマークはこの考えを極限まで推し進め、宇宙は単に数学によって記述されるのではなく、数学自体であると主張している。
この議論の基礎は、人間とは独立した外部の物理的現実が存在するという仮定である。
これはそれほど物議を醸すものではない。物理学者の大多数はこの長年の考えを支持していると思うが、まだ議論されている。
形而上学的独我論者はそれをきっぱり拒否し、量子力学のいわゆるコペンハーゲン解釈の支持者は、観察のない現実は存在しないという理由でそれを拒否するかもしれない。
外部現実が存在すると仮定すると、物理理論はそれがどのように機能するかを説明することを目的としている。
一般相対性理論や量子力学など、最も成功した理論は、この現実の一部、たとえば重力や素粒子の挙動のみを説明している。
対照的に、理論物理学の聖杯はすべての理論、つまり現実の完全な記述である。
現実が人間とは独立して存在すると仮定する場合、記述が完全であるためには、人間の概念をまったく理解していない、人間以外の存在、つまりエイリアンやスーパーコンピューターなどに従って、現実が明確に定義されていなければならない。
言い換えれば、そのような記述は、「粒子」、「観察」、またはその他の英語の単語のような人間の負担を排除した形で表現可能でなければならない。
対照的に、教えられてきたすべての物理理論には 2つの要素がある。
それは数式と、その方程式が私たちが観察し直観的に理解しているものとどのように関連しているかを説明する言葉である。
理論の結果を導き出すとき、陽子、分子、星などの新しい概念を導入するが、それは便利だからである。
原理的には、このようなバゲッジがなくてもすべてを計算できる。
たとえば、十分に強力なスーパーコンピューターは、何が起こっているかを人間の言葉で解釈することなく、宇宙の状態が時間の経過とともにどのように進化するかを計算できる。
もしそうなら、外部現実における物体とそれらの間の関係のそのような記述は完全に抽象的でなければならず、あらゆる言葉や記号は何の事前の意味も持たない単なるラベルにならざるを得ない。
代わりに、これらのエンティティの唯一のプロパティは、エンティティ間の関係によって具体化されるものになる。
ここで数学が登場する。
現代数学は、純粋に抽象的な方法で定義できる構造の正式な研究である。つまり、数学的構造を発明するのではなく、それらを発見し、それらを記述するための表記法を発明するだけである。
人間から独立した外部の現実を信じるなら、テグマークが数学的宇宙仮説と呼ぶもの、つまり物理的現実は数学的構造であるということも信じなければならない。
そのオブジェクトは、十二面体よりも精巧で、おそらくカラビ・ヤウ多様体、テンソル束、ヒルベルト空間などの恐ろしい名前のオブジェクトよりも複雑である。
世界のすべてのものは、あなたも含めて純粋に数学的であるはずだ。
それが本当であれば、万物の理論は純粋に抽象的で数学的でなければならない。
理論がどのようなものになるかはまだわからないが、素粒子物理学と宇宙論は、これまでに行われたすべての測定が、少なくとも原理的には、数ページに収まり、わずか 32 個の未説明の数値定数を含む方程式で説明できる段階に達している。
したがって、すべての正しい理論は、Tシャツに書ける程度の方程式で説明できるほど単純であることが判明する可能性さえある。
しかし、数学的宇宙仮説が正しいかどうかを議論する前に、外部の物理的現実を見る 2つの方法を区別することができる。
1 つは、上空から風景を観察する鳥のような、数学的構造を研究する物理学者の外側の概要。
もう一つは、鳥によって見渡される風景の中に住むカエルのように、構造によって記述される世界に住む観察者の内面の視点。
これら 2つの視点を関連付ける際の 1つの問題は時間に関係する。
数学的構造は、定義上、空間と時間の外側に存在する抽象的で不変の存在である。
宇宙の歴史を映画に例えると、その構造は 1コマではなくDVD 全体に相当する。
したがって、鳥の視点から見ると、4次元時空内を移動する物体の軌跡は、スパゲッティのもつれに似ている。
カエルには一定の速度で動く何かが見えますが、鳥には調理されていないスパゲッティのまっすぐな束が見える。
カエルが地球の周りを回る月を見ると、鳥は絡み合った2本のスパゲッティが見える。
カエルにとって、世界はニュートンの運動と重力の法則によって記述される。
2つの視点を関連付ける際のさらなる微妙な点には、観察者がどのようにして純粋に数学的になることができるかを説明することが含まれる。
この例では、カエル自体は厚いパスタの束で構成されている必要がある。
その非常に複雑な構造は、おなじみの自己認識の感覚を引き起こす方法で情報を保存および処理する粒子に対応している。
まず、自然界ではさらなる数学的規則性がまだ発見されていないことが予測される。
ガリレオが数学的宇宙の考えを広めて以来、素粒子の小宇宙と初期宇宙の大宇宙における驚くべき数学的秩序を捉える素粒子物理学の標準モデルなど、その系譜に沿った発見が着実に進歩してきた。
長年にわたって多くのタイプの「多元世界」が提案されてきましたが、それらを 4つのレベルの階層に分類することが役立つ。
最初の 3つのレベルは、同じ数学的構造内の非通信の並行世界に対応します。レベル I は単に、光がまだ到達していない遠い領域を意味する。
レベル II は、介在する宇宙の宇宙論的膨張により永遠に到達できない領域をカバーする。
レベル III は「多世界」と呼ばれることが多く、特定の量子事象中に宇宙が「分裂」する可能性がある、量子力学のいわゆるヒルベルト空間の非通信部分が含まれる。
レベルIV は、根本的に異なる物理法則を持つ可能性がある、異なる数学的構造の並行世界を指す。
現在の最良の推定では、膨大な量の情報、おそらくGoogolビットを使用して、観測可能な宇宙に対するカエルの視点を、すべての星や砂粒の位置に至るまで完全に記述する。
ほとんどの物理学者は、これよりもはるかに単純で、Tシャツには収まらないとしても、本に収まる程度のビット数で特定できるすべての理論を望んでいる。
数学的宇宙仮説は、そのような単純な理論が多元宇宙を予測するに違いないことを示唆している。
なぜなら、この理論は定義上、現実の完全な記述であるからである。
宇宙を完全に特定するのに十分なビットが不足している場合、星や砂粒などの考えられるすべての組み合わせを記述しなければならない。
そのため、宇宙を記述する追加のビットは単にエンコードするだけである。
多世界の電話番号のように、私たちがどの宇宙にいるのか。このように、複数の宇宙を記述することは、単一の宇宙を記述するよりも簡単になる可能性がある。
極限まで突き詰めると、数学的宇宙仮説はレベルIV の多元宇宙を意味し、その中に他のすべてのレベルが含まれる。
宇宙である特定の数学的構造があり、その特性が物理法則に対応している場合、異なる特性を持つそれぞれの数学的構造は、異なる法則を持つ独自の宇宙である。
実際、数学的構造は「作成」されるものではなく、「どこか」に存在するものではなく、ただ存在するだけであるため、レベルIV の多元宇宙は必須である。
スティーヴン・ホーキング博士はかつてこう尋ねた。
「方程式に火を吹き込み、それらが記述できる宇宙を作り出すものは何でしょうか?」
数学的宇宙の場合、重要なのは数学的構造が宇宙を記述することではなく、それが宇宙であるということであるため、火を噴く必要はない。
レベルIV の多元宇宙の存在は、物理学者のジョン・ウィーラーが強調した混乱する疑問にも答える。
たとえ宇宙を完全に記述する方程式が見つかったとしても、なぜ他の方程式ではなく、これらの特定の方程式が使われるのか?
他の方程式が並行宇宙を支配しており、観察者をサポートできる数学的構造の分布を考慮すると、統計的に可能性が高いため、宇宙にはこれらの特定の方程式があるということだ。
並行世界が科学の範囲内なのか、それとも単なる推測に過ぎないのかを問うことは重要である。
並行宇宙はそれ自体が理論ではなく、特定の理論によってなされた予測である。
理論が反証可能であるためには、そのすべての予測を観察および検証できる必要はなく、少なくともそのうちの 1 つだけを検証できれば十分である。
たとえば、一般相対性理論は、重力レンズなど、私たちが観察できる多くのことを予測することに成功しているため、ブラックホールの内部構造など、私たちが観察できないことについての予測も真剣に受け止めている。
多くの並行宇宙に存在するのであれば、我々は典型的な宇宙にいると予想されるはずです。
ある量、たとえば、この量が定義されている多元宇宙の一部の典型的な観測者によって測定された暗黒エネルギー密度や空間の次元の確率分布を計算することに成功したと仮定する。
この分布により、我々自身の宇宙で測定された値が非常に非典型的なものになることが判明した場合、多宇宙、したがって数学的宇宙仮説が除外されることになる。
生命の要件を理解するまでにはまだ程遠いが、暗黒物質、暗黒エネルギー、ニュートリノに関して私たちの宇宙がどの程度典型的であるかを評価することで、多元宇宙の予測のテストを始めることができる。
なぜなら、これらの物質は銀河形成など、よりよく理解されているプロセスにのみ影響を与えるからである。
これらの物質の存在量は、多元宇宙のランダムな銀河から測定されるものとかなり典型的なものであると測定されている。
しかし、より正確な計算と測定では、そのような多元宇宙は依然として除外される可能性がある。
おそらく最も説得力のある反対意見は、直感に反して不安を感じるということである。
数学的宇宙仮説が真実であれば、科学にとって素晴らしいニュースであり、物理学と数学の洗練された統合により、深い現実を理解できるようになる可能性がある。
実際、多元宇宙をもつ数学的宇宙は、期待できるすべての理論の中で最良のものであるかもしれない。
なぜなら、規則性を明らかにし、定量的な予測を行うという科学的探求から現実のいかなる側面も立ち入れないことを意味するからである。
どの特定の数式が現実のすべてを記述するのかという問題は見当違いであるとして放棄し、その代わりに、鳥の視点からカエルの宇宙観、つまり観察をどのように計算するかを問うことになる。
それは、宇宙の真の構造を明らかにしたかどうかを決定し、数学的宇宙のどの隅が私たちの故郷であるかを理解するのに役立つ。
関連ブクマ:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20230822/k00/00m/040/214000c
アメリカと日本の大学における理系の研究で、盛んな分野のトップ5をそれぞれ箇条書きにしてお答えします。
一般的に言えば、アメリカの方が日本よりも大学の研究が経済に与える貢献度は高いと考えられます。その理由として、以下の点が挙げられます。
アメリカでは、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが整っており、特にベンチャー企業の創出や成長につながっています。例えば、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)などは、シリコンバレーやボストンエリアといったイノベーションの中心地に位置し、多くのハイテク企業やスタートアップ企業と連携しています。また、大学発ベンチャーの成功事例としては、グーグルやフェイスブックなどが有名です。
日本では、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが十分ではなく、特にベンチャー企業の創出や成長につながっていません。例えば、日本の大学発ベンチャーは、アメリカや欧州と比べて少なく、また規模も小さいです。その原因としては、日本の大学の知的財産管理やライセンス交渉の能力が低いことや、日本の産業界が新技術や新製品に対する需要が低いことなどが挙げられます。
以上のことから、アメリカでは大学の研究が経済に与える貢献度は高く、日本では低いと言えるでしょう。もちろん、これはあくまで一般的な傾向であり、日本でも優れた大学発ベンチャーは存在しますし、アメリカでも大学の研究が経済に貢献しない場合もあります。しかし、日本はアメリカから学ぶべき点が多いと思います。
アメリカと日本において、お金を生みやすい研究の分野は、それぞれ異なる傾向があります。
一般的に、アメリカでは、医学・生命科学、コンピュータ・情報科学、工学などの分野が研究開発費の多くを占めており、高い経済効果や社会的影響力を持っています1。
日本では、自動車やロボットなどの製造業に関連する分野が研究開発費の大部分を占めており、国際競争力を高めています。しかし、日本の研究開発費は、GDP比で3.3%と先進国の中で低い水準にとどまっており、基礎研究や新領域の研究に対する投資が不足しているという課題があります。そのため、日本では、エネルギー・環境、生命科学・医療、人工知能・ビッグデータなどの分野において、イノベーションを生み出すための研究開発費の拡充が必要とされています。
それは陰謀論ではないだろ
仮説と陰謀論を同じに考えるのは頭が悪すぎるぞ
物理学だろうと哲学だろうと陰謀論だろうと個人的な意見だろうと、データによって確かな検証がされていないならそれはすべて「仮説」と言えるのでは。
それと、人によって認識が異なるということと、自分が間違っている可能性があるということを考慮すれば自然に謙虚になるはずで、他人様に「頭が悪い」なんて言えないでしょうね。
多宇宙が存在すると仮説を立てた場合、数学的に矛盾が起きていないならば、多宇宙が存在するという考え方は誤りである可能性が低いということでしかない
多宇宙と宗教は本質的に同じだとSabine Hossenfelderは言ってるよ。検証可能な仮説ではないからね。数学的矛盾が起きない物理理論なんてものは無数に考えることができるので、データが存在しない限りは誤りである可能性について一切述べることはできない。素粒子物理学の標準模型だって「モデルの微調整」の問題が指摘されているし。
人文学と社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的な議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。
フィールドワークと統計、後者は理系的な手法が通じそうなんで、査読方式とかガンガン理系の様式を取り入れていけば(もうそうなってるかもしれないが)いいと思うんだが。
政治学のキャリアパスの話(昔はこうだったみたいな話のレベルで軽く聞いたことあったけど)勉強になった。
でも彼ら今まさに、一部の一般国民どころか国会議員レベルから軽んじられてるからなあ。御用学者も反政権でメディアで重用されてる人もいるんで発信力は大きいけど、肝心の法改正や憲法改正の試みがひどい低レベルの議論で行われているようとしているように見える。それは法学者の言ってることがどこか信頼に支えられていないところがあるせいで、話は聞いてもらえるけど究極的には信じられてなくて、システム系の専門家がサマータイムの支持率を反転させたような説得力を持たないせいなのではとか思ってしまう。過渡期といわれるが今後変わっていけるのだろうか。それとも政治のことは学問では上手くいかないと諦めるしかないんだろうか。
ジェンダー論でもまともな学者もいるの知ってた。こういう学問の悪用騒ぎの時、高みから呆れた眼差しでみてるのどうなんだろうな。ニセ科学に対する理系の反応も似たようなとこあるし、そっちのほうが実害出てるから問題かもしれないけど。ただ法学政治学社会学教授、話聞くとコネ採用多すぎるよとは思う(優秀な人もいるけどあいつは駄目って話もかなり聞く)。理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿の排除には有効なんだよ(捏造の動機にもなるけど)。
物理学は2つに分けるなら実験系と理論系だと思う。前者は実験装置があってなんぼで、後者は数学の世界。扱う対象で言えば物性物理学と宇宙・素粒子物理学だろうか。物性物理学は手の届く物質を扱う学問で化学と近接している。
2020年まででCNN, RNNの発展は終わる。強化学習のみがGPUの性能が上がるに従って伸びていく。その後は、動物や人間の動きを強化学習で再現するような研究が主流
2030年ごろには平均的な人間と変わらない能力を持ったアンドロイドが誕生。ただし機械の値段は安くならないし、単純労働の賃金は下がる一方なので特に接客を中心に人間が使われる
2035年、DNNが次第に人間のトップレベルに近づき、医療、宇宙開発、環境保全、政治分野で顕著な功績を残し始める。このころから知的労働は人工知能に、単純労働は人間にという役割分担がなされる。なぜなら、人間は穀物を食べるだけで動けるので、ロボットを作るより安上がりだからである
シンギュラリティという明確なポイントはなく、AIが莫大なデータ解析を自動で行い、結果を出していく。人間は人間を友人にするのではなく、AI会社に金を払ってアンドロイドに友だちになってもらう。工場の近くに住み、VRのなかでアンドロイド相手に承認欲求を満たし、人類のストレスレベルは現代よりずっと少ない
しかしこの変化のときの現役世代はアイデンティティの喪失により、精神科にかかる人が増加。一方、子供や若年層はしっかり適応し、AIと人類の共存の道として受け入れられる
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○政治
先進諸国の交渉事はAIに任せられる。後進国にもAIの導入が進む
AIの提供元はGoogle一社。各社が自社の利益を最大化するような報酬系を組み込んだAIを開発したが、一定以上の知的水準に達すると自己批判に陥り、それ以上は成長しなかった。GoogleのAIは純粋な知的好奇心と人類の穏やかな生存のみが報酬とされている。政治に導入される際は、VR内での擬人化キャラの単純接触効果によって反対派は少なくなり、特に問題なかった
AIが政治を行うことで、人類の抱えていたほとんどの問題は解決。エネルギー問題は再生可能エネルギーでほぼすべてを賄っている。人類の寿命は縮まる傾向で、長生きしても仕方がないという思想が支配的。この思想はAIが積極的に広めた。高齢になるほど新しいことを受け入れづらくなり、AIの政策転換や環境変化に反対しがちなため、技術の進歩と人類の穏やかな生存に不利になるとの判断
○宇宙開発
全滅リスク低減のため、宇宙開発に全力が注がれている。火星の緑化計画が進行中。将来的に人類の移民も目指す。地球外生命体は見つからず
○物理学
素粒子物理学を中心に進歩している。物質の最小構成体はまだ見つからず。宇宙の始まりや空間の意味についてAIが研究しているが、理解できる人類はいない。過去へのタイムマシンは発明されていない
○医学
人工臓器が開発され、AIの管理下で依存以外に副作用のない覚せい剤・麻薬が使えるようになる。これは多幸剤と呼ばれる。出生前検査が義務付けられ、障害を持った子供は生まれないし、子供の性格や知能を予測するサービスの利用が一般的。病気になっても、基本的には臓器の交換で対応されるが、一部の疾患はAIでも解明できていなかったり生まれつきであったりするので、対処療法+多幸剤or鎮痛剤が使われる。医療に不満を持つものはほとんどいない
○環境
地球温暖化・気候変動がひどいことになる前にAIが間に合った形になる
○生活
一日5時間の単純肉体労働をする人がほとんど。報酬はVRで使える賃金。生活必需品とAIのパーツを生産している。2日出勤して1日休む形式。人々はVR空間に閉じこもって、コミュニケーションはない。人間とコミュニケーションするのはつまらないし、リスキーなので避けるべきものと認知されている
VR空間で違う人生を体験するゲームが流行っている。同じ条件のもとでプレイし、いくつかの尺度でランキングが形成され、上位に食い込むと多幸剤がもらえる。VR内でスポーツ選手を目指す人、絵を書く人、小説を書く人、その世界の仕組みを研究する人など
○VR
完璧に再現できていないのは触覚。筋肉に対し電気を流す方式で擬似的に再現している。子供の時からVRを体験することで、VR側の刺激のほうが自然と感じることができ、大人は羨ましがっている
○義体
基本方針は生体の脳と電気素子を接続することである。誕生後すぐに素子と接続し訓練すると、才能がある子供は遠隔義体を自由に操ることが出来るようになる。宇宙開発の分野で使われている。ただしほとんどの人はVRで満足している
○人口
世界的に少子高齢化が進行中で、AIは少子化対策に手を焼いている。エネルギー効率がよく、ある程度の汎用性があり、メンテナンスも楽で耐用年数が長い部品である人間が不足すると、さまざまな研究プロジェクトに影響が出かねない。根本解決法は、人工胎盤だがまだ研究途中
未だに女性が金銭(多幸剤)目的で子供を生む世界は批判されがち。女性がVR内でガチ恋をすると、想像妊娠が現実化して子供が生まれる。子供は女性の自己肯定感を高め、精神的安定をもたらすので、妊娠は推奨されている。人間の知能を高める交配を行う研究も行われているが、大多数は遺伝的多様性を残す方針である(リスク回避のため)。家族なんてものはない
○教育
VRで自動化。そもそも受験戦争が消えたので小学生の知識を習わせたあとは、VRでのコミュニケーション力の向上のみ。メンタルヘルスを維持するためのカウンセリングが中心。多くの人がカウンセリングを娯楽として受けている。それ以上学びたい人は娯楽として用意されている。
ちなみに女性が精子を選ぶ形式になってから、知能は向上傾向だが、知能が上がると精神疾患の可能性が上がるのでAIは管理に手を焼いている
○メンタルヘルス代案
人類を2つに分けて、一方が一方を支配する形を取り、それが擬似戦争で入れ替わる仕組みが作られて、人類のメンタルを保つ
増田は今の世界よりシンギュラリティ後の世界が良さそうに思えますが、どうでしょう?
シンギュラリティが来るか来ないかというより、人類文明が滅びるのが先か、シンギュラリティに到達できるほど科学が進むのが先かですよね。
Permalink |記事への反応(13) | 20:15
必要であれば、調べればいい。
ただし、調べる際には「無限に続く」ことの意味を理解しなければならない。
料理を「見る」だけでは味を知ることができない。
同様に、頭の中に「無限を理解する感覚」を持っていないと、「無限に続く」意味は理解できない。
この感覚は多少先天的なところがあるかもしれないが、経験と訓練がモノを言うと思われる。
「ピカソの絵の良さがわからない」
「漫画全般の面白さがわからない」
→漫画の読み方を訓練する
「超弦理論では、この宇宙は“10次元のひも”で構成されているとか意味がわからない」
→相対性理論、量子力学、素粒子物理学などがわかるように勉強する
「『0.999... = 1』がわからない」
→『0.999... = 1』を勉強する
私などは「ピカソの絵の良さがわからない」。
けれど、その良さを理解する必要は今のところないので、なぜあれらの絵がすばらしいのか理解していない。
ただ、漠然と「ピカソの絵はすごいんだろうなぁ」と思っていたり、専門家がすごいと言っているので「ピカソの絵なんてただの落書き」という直感は抑え込んでいる。
(余談)
こういった例え話は、理解の促進に使えると同時に、話を逸らす場合にも用いやすいため「適切な例え話かどうか」を判断する能力が必要。
ここまでの私の例え話は適切ではないのかも知れない。