
はてなキーワード:糸柳とは
糸柳さんというエンジニアが死んだという話がIT界隈を、はてなを賑わせている。
山には行くな、という文面を見て、分かってないな、という気持ちになる。山に行ったのは結果でしかなく、その終局がそうだったというだけだ。
糸柳さんとは面識がなく、どのような人だったかは分からない。変わっていた、迷惑な人だったとは、まことしやかに囁かれている。が、おそらくは⋯誰かの心を掬い上げるのは得意だったじゃないのかと思っている。
誰かの心を掬い上げるのが得意な人が、上手く掬い上げられて、救ってもらえた、そういう光景を見たことがない。彼もまた、そうだったのだろう。
言動が変わっていて、でも誰かの心を掴むのが得意で、でも自分の心は掴んでもらえないとしたら、
中学生のとき、糸柳さんに案内されてドワンゴのオフィスを見学させてもらったことがある。
ドワンゴ退職以降は疎遠になってしまったが、それでも糸柳さんは自分にプログラミングを教えてくれた恩人の一人だ。
彼から大学はちゃんと出ておけというアドバイスを貰ったこともある。自分はその後大人になり、大学を卒業し、そしてプログラマーになる道に進んだ。
もう当時の彼の年齢よりだいぶ年上になってしまった。
自分が大人になって分かるのは、普通の大人はオンラインで中学生に絡みに行って、プログラミングを教えたりしない。
合掌
「ドワンゴの評判が上がります。いえ、世の中全部で上がるわけではないですが、ネットの中の一部で糸柳を雇うなんてドワンゴはなんて懐の深い会社だという評判になります」
「それってかなり偏ったネットの一部だよね。それって本当に得なのかな?」
カス人材に高給を出すカス組織だと思われるリスクは考えなかったのだろうか、という疑問をあの故事(隗より始めよ)を読んで抱いたことを思い出す
文章ちゃんと読め。糸柳時代のドワンゴは、技能が優秀だけど社会適合が難しい人を雇って働かせていたのを、N高事業展開以降のドワンゴは社会適合が難しい若くて技能を伸ばしたい奴を育てることにした。10代ならまだチャンスを与えられるからって話を
魔法使いの例で例えてんだよ。
▪️ おまけ
こういう糸柳とかのドワンゴの昔話をすると、ドワンゴに勢いがあった時代の話とか言いたがる懐古厨が湧いてくるので、若干、補足する。
ドワンゴの昔はとにかく異常だったし間違いだった。あんなのは続くわけないし続かせてもいけない、今のドワンゴの方が健全であり正常だ。それに今でもドワンゴの社員に変な奴は多いし、会社の本質はそんなに簡単に変わるものではない。
それに経営的な目線で言うと、ドワンゴが一番儲かっていたのは着メロ時代でニコニコ時代は収益的には長い低迷期だった。そして現在のドワンゴの稼ぎ頭はすでに教育事業になっている。N高生は、まだ3万人ちょっとと全高校生の1%強にすぎないから、ドワンゴの企業としての全盛期はこれから始まる。
IT企業のドワンゴがなぜ畑違いの教育事業を始めたのか、これまでも何度も質問されてきた。通信制高校は持ち込み企画であり、プレゼンされているうちにドワンゴなら成功させられると思ったから、と言うのが、おおまかな公式回答だ。
ただ、成功しそうな事業なんてものは、他にもあったし、教育事業は中でも難易度が高そうだった。N高のプロジェクトにはドワンゴの各部署の一番優秀な人間を無理やり引っこ抜いてチームを作ったし、膨大な赤字はドワンゴの収益を急激に悪化させ、ぼくも責任をとって会社を離れることになった。
そこまでN高にのめり込んだのはなぜかと言うことについては、N高のブランディングに、全く得にはならないと思ったので、これまで話していない。
糸柳が退職した後に、ドワンゴ社員とちょっとした議論をしたことがある。ドワンゴは他に居場所がないような社員に居場所を与えて何人も救ったけど、救えなかった社員もたくさんいたよね。その違いはなんなのかという議論だ。色々な意見が出たけど、これは確かだろうとみんなが合意した結論があって、それは年齢による違いだ。独身で30歳を超えるとネットでは魔法使いと呼ばれるのだが、こうなると拗れちゃって、もう救えない。20代なら救える可能性がある。でも20代でも若ければ若い方がいい。若いほど居場所さえ与えれば救える可能性が上がるというものだ。
ドワンゴがなぜN高のプロジェクトをそこまで真剣にやることにしたのか。
そんなのは世の中に馴染めず居場所のない、しかし、まだ10代の若い糸柳のような奴らに出会うために決まっている。ドワンゴで出来なかったことをやり直すためだ。
鉄男のその後についても書く。
ドワンゴの教育事業本部は独立した組織になっていて、開発部隊も教育事業本部専用のチームを持っている。もう100人以上の大所帯だ。もちろんトップは鉄男だ。
部下には糸柳のようなおかしい奴はいないが、代わりというのも変な話だが、一昨年、初めてN高の卒業生が新入社員として入社してきたそうだ。とても優秀なエンジニアだという噂だ。
Permalink |記事への反応(10) | 00:43
https://anond.hatelabo.jp/20250105165945
上の記事を読んで、ドワンゴの中の人として糸柳で思い出したこと、彼を雇ったドワンゴがどんな会社だったのかを書いてみようと思う。
糸柳を雇ったのは、ドワンゴのエンジニアのトップだったS君だ。ここでは鉄男(仮名)と呼ぶことにする。
糸柳を雇う少し前、僕は鉄男を叱責したことがある。「お前は自分の使いやすい人間しか採用してない。だからてめえは小物なんだ。自分にない能力をもった奴を採用しろ」みたいなことを言った。
鉄男は中卒だ。そう、ドワンゴのエンジニアのトップは中卒だった。いや、鉄男だけでなく、ドワンゴの幹部エンジニアの半分以上は中卒、あるいは高卒だった。
これは当たり前で、当時のドワンゴは天才エンジニアみたいなやつがゴロゴロいる職場だった。同じ天才エンジニアなら、高校も大学も行かずにずっとプログラミングをやっている中卒エンジニアが一番能力が高くなる。プログラムを書く速度が圧倒的に速い。実装力が桁違いだ。
だから、ドワンゴでは中卒高卒エンジニアが情報学部を出たような大卒エンジニアを見下す風潮があって、ぼくはそれを懸念していた。
天才中卒エンジニアは創業メンバーみたいな連中だけで、新卒で入ってきて補充されるようなことはない。インターネットはUNIXの文化で、ようするに大学などのアカデミックな世界からやってきた技術だ。
ドワンゴもコンピュータサイエンスを学んだ大卒エンジニア中心に変えていかないと将来的には戦えないと、ぼくは危機感をもっていた。
だが、ドワンゴでは実装力でエンジニアの格を判断する文化があって、そういう基準で新卒の採用も行われすぎているとぼくは思っていた。
自分にない能力をもったエンジニアを採用しろと鉄男を叱ったのは、個人技ではないチーム開発、スクラッチから全部自前でコードを書くんじゃなくて、世の中にあるライブラリを活用してソフトウェアを組み上げていくのに長けているような、つまりは今後主流になっていくだろうが、これまでの鉄男やドワンゴのスタンスとは違うエンジニアをイヤかもしれないけど積極的に採用しろ、という意味だ。
しかし、なにを勘違いしたのか、鉄男が連れてきたのが糸柳だった。
ぼくに叱責されて反省し、使いやすい社員じゃなく、圧倒的に使いづらいネットでも有名な頭のおかしい問題児を採用したのだという。
「凄いというわけではないですが・・・、まあ、ふつう、ぐらいですかね」
「ふつうで問題あったら普通以下ってことじゃん。なんで採用すんだよ」
ドワンゴはプログラミングの能力が高ければ、メンヘラだろうが、コミュ障だろうが、性格に問題があろうが、もちろん学歴があろうがなかろうが、採用するという方針だった。
これはベンチャー企業だと、そういう難ありの人間でないと優秀なエンジニアなんて採用できなかったからで、なにも難ありを好き好んでいるわけではない。
難ありはプラスじゃない。難ありでも優秀な社員であれば結果的に得をするから雇っているだけだ。
鉄男は自信ありげに答えた。
「ドワンゴの評判が上がります。いえ、世の中全部で上がるわけではないですが、ネットの中の一部で糸柳を雇うなんてドワンゴはなんて懐の深い会社だという評判になります」
「それってかなり偏ったネットの一部だよね。それって本当に得なのかな?」
ぼくは鉄男とその後もしばらく話したが、どうしても糸柳を雇いたいというので、その怪しげな理屈を一応は信じてみることにした。ただ、会社は慈善事業じゃないから、宣伝だけのために頭のおかしい社員を雇うわけにはいかない。ちゃんと普通のエンジニアとして仕事をさせることを条件として糸柳を雇うことを了承した。ちなみにぼくはドワンゴで糸柳を庇っている側の人間と思われていることが多いと思うが実際は違う。鉄男には早く糸柳はクビにしろとよく言っていた。ぼくが庇ったのは糸柳を庇おうとしているドワンゴ社員の気持ちであって、結果的に糸柳を庇うように見えてただけだ。
糸柳は本当に頭がおかしかったが、とにかく普通の社員として扱う、そう決めた。
例えば、当時、糸柳は毎日、twitterに世の中の全ての人間を自分は憎んでいて滅んでしまえとか、なんかおどろおどろしい呪いの言葉を連投して書き込むのが日課だった。
そういう書き込みを見かけたら「おはよー。今日も元気そうじゃん」とレスをつけることにした。返事はなかったが、やがて呪いのツイートは減っていった。糸柳と仲のいい社員から後から聞いたけど、彼はぼくのつけたレスを、さすがだと喜んでいたらしい。
糸柳の数々の奇行はどうせ構って欲しいだけの拗らせだと思っていたので無視して、興味も持たないことにした。なので、よくは知らない。ただ、文章が上手いのは本当だと思ったので、それだけ褒めた。彼は自分は昭和初期の私生活を晒す系の純文学者みたいな文章しか書けないんだと謙遜しながらも嬉しそうだった。
糸柳はドワンゴに入って自分の居場所と幸せを手に入れた。しかし、それはとても不安定なものだった。
糸柳にとって不幸だったのは当時のドワンゴのエンジニアの中では、彼の能力が足りてなかったことだと思う。少なくとも彼はドワンゴで技術力でマウントが取れないと判断したのだと思う。実際のところはともかく、彼が組織で仕事として安定したアウトプットを出すと言うことに向いてなかったのは間違いない。
だから、糸柳は自分がドワンゴに入れたのは、自分が狂っているからだという妄想にしがみつくことになり、一層の奇行に走った。
糸柳の周りの社員から聞いたところによると、ドワンゴ時代の糸柳は年に1回のペースで失踪し、警察から連絡があったという。定期的に暴れて、物を壊したり、他人に迷惑をかけた。会社の階段の壁を殴って穴を開けたのも彼だという。
また、糸柳を雇ったことで、ドワンゴに変な奴の応募が増えた。変だけど優秀な奴の応募もあったが、それ以上に、自分には能力ないですけどメンヘラです、とか謎のアピールをするような応募が増えた。糸柳の周りにはドワンゴの中でも変な社員が集まってきて、いろいろ変なことを始めた。
彼らは頼んでもいないのに糸柳の周辺の近況報告をぼくに教えたがった。
曰く、ネットでニートが集まって共同生活をするギークハウスという企画が話題になったことがあり、彼がいろいろ現代アートみたいなことをやりはじめて話題になり、テレビでも特集された。そこでニートとして紹介されたメンバーのうち半分は糸柳周辺のドワンゴ社員だった。ドワンゴ社員はニートじゃねーだろ。そして彼らが作った現代アートを村上隆が面白がって高額で買い取ってくれた。それらはガラクタの寄せ集めみたいな物なんだが、その中にある冷蔵庫の中身は糸柳が作ったものだ、等々。
糸柳は自分をドワンゴに救ってもらったという感謝の念から、自分も他の誰かを救いたがった。ある日、糸柳が地方から出てきて食べるものがないとネットカフェで呟いていた高校生を拾ってきた。
これは糸柳だけでなくドワンゴエンジニアの多くにいえる特徴だが、人生の進路に悩んでいる若者への助言はワンパターンだ。「なるほど、よくわかった。お前はプログラミングを覚えてエンジニアになれ」。プログラミングの腕だけあれば人生が変えるという神話を信じているのだ。
ネットカフェで拾ってきた高校生はドワンゴのバイトになり、優秀だったのでやがてエンジニアとして正社員になった。
しかし、糸柳は上野で浮浪者を拾ってきて自分の部屋に住まわせ始める。浮浪者がプログラミングを覚えてエンジニアになったという話は聞かなかった。
代わりに浮浪者の一人に女の子がいて、糸柳が恋をしたという話を聞いた。
糸柳に救われた元高校生のエンジニアが糸柳のためを思って、その恋を止めようとしたが、糸柳は逆上し殺害予告をした。糸柳は本当に刃物とかを振り回して実行しかねないので、元高校生をぼくの長野の別荘に匿った。
糸柳はぼくのところに怒鳴り込んできた。ぼくも糸柳と揉み合いになり怒鳴り返した。
半年後、もう大丈夫だから、そろそろ戻ってこいと長野に見に行くと元高校生は彼女を連れ込んで同棲していた。早く会社に戻れと追い出した。
そうこうしているうちに運命の東日本大震災が起こる。糸柳が悪ふざけで、サーバールームに閉じ込められたので助けてくれとかいう、デマツイートをして日本中のネットユーザーが彼のツイートを拡散するという事件が起こる。
冗談だったという事実が分かると、彼はあっという間にパブリックエネミーとなり猛烈な批判にさらされることになった。糸柳の脆い精神は極めて不安定になった。
ぼくは糸柳に金を渡して、すぐに被災地に支援物資を持ってボランティアに行けと言った。そして被災地に支援に行くことは絶対にネットで書くな。言い訳に使うなと厳命した。同時に、ぼくは絶対にネットでは会社の件で謝罪をしないというポリシーでTwitterを使っていたが、この件で、はじめて会社を代表して糸柳の代わりに謝罪をした。
こんなことで糸柳を辞めさせるわけにはいかないと思った。糸柳がやったのはただの悪ふざけだ。こんなので辞めさせるんだったら、糸柳はとっくに100回ぐらいはクビになっている。なんだかんだいって糸柳を雇ったのは善いことをしようとしたからで、そのためにこれまで散々な苦労をしてきたんだろう。糸柳を非難するネット世論からよく思われたいために糸柳をクビにするとしても、それはよく思われたいだけで善ではない。偽善だ。善とはそもそも人知れずにやるものだし、なんなら世界中から非難されても正しいと思うことを貫くことだ。今回の件では、糸柳はクビにしないと社内で宣言した。
しかし、もともと糸柳の存在を心良く思ってなかった人間は社内に多く、批判の声も大きかった。糸柳はドワンゴのエンジニアとして平均的なパフォーマンスを出していない。宣伝効果があるとか言っていたけど、デマツイートの件で、むしろマイナスの宣伝効果になった。糸柳はもう庇えないんじゃないか。理屈としては正しかった。
糸柳の代わりに自分がその分もっと働くからクビにしないでくれという社員が何人も現れた。そういうことを言って守ろうとする社員がいるのであれば、会社としてはやっぱり守るべきだという新しい理屈を、ぼくは社内に宣言した。
しかし糸柳の精神状態は不安定になっていて、仕事のパフォーマンスは出ないばかりか、周りに迷惑をかけ始めた。糸柳を守ろうとした社員が、糸柳の世話をするうちに次々とメンタルをやられ始めた。
もう糸柳を守る理屈はなかった。1人の社員を守るために2人以上の社員が犠牲になるなら、もう会社としては守れない。ぼくは最後の理屈を社内に宣言した。
糸柳が退職した時、鉄男は泣いていた。ぼくは「これに懲りちゃダメだ。もう、一回やろう」と鉄男に言った。「これで僕らが諦めたら、糸柳みたいな人間に関わるなという前例を世の中に残すことになる。そんなことになったら、僕らのこれまでの努力は無駄になるじゃん。絶対に懲りちゃダメだ。何度でもやろう」
鉄男は「正直、自信がない。でもやってみます」と言った。
しかし、その後、中卒の鉄男はドワンゴに増えた大卒エンジニアたちの突き上げにあって、エンジニアのトップを追われた。ドワンゴも大卒の優秀なエンジニアが中心の会社になった。その後、糸柳のような人間を雇ったという話は聞かない。
1年後だか2年後だか、風の噂で糸柳が真面目にエンジニアとして働いていてしかも優秀だという話を聞いた。なんだと思った。ドワンゴ以外ではやっていけないんじゃないかという、僕らの思い込みは傲慢な思い違いだったんだと思った。ドワンゴで奇人変人を無理に演じるより、そんなことでは許してもらえない実社会の荒波に揉まれた方が結局は良かったんだなと思った。
糸柳がよく言っていたのは、自分は糸柳家のエリートだ、という話だ。聞くところによると家族は全て精神病患者で自殺したり入院したりで、糸柳自身も障害者手帳を持っている精神病患者ではあるものの、ちゃんとまともに社会生活を送っているただ一人の人間なのだという。だから、自分は糸柳家に珍しく生まれたエリートなんだと自慢していた。
人間は誰しも与えられた環境で勝負している。遺伝子だったり家庭環境だったり、所属するコミュニティや経済的制約の中で生きていて、それによって人生の選択肢は決まってくる。
世の中の多くの失敗者と呼ばれる人たちは人生の最初からウルトラハードモードのゲームをプレイしているだけであって、彼らの失敗をイージーモードやノーマルモードのゲームプレイヤーが見下したり笑ったりする資格が本当にあるのだろうか。
ぼくにも子供が出来て思うのは、小さい子は全ての瞬間を一生懸命に生きているということだ。その健気な姿に感動するし、誇らしくなる。一生懸命に生きるということこそ、人間のもっとも美しい本来の姿ではないか。
人生をもっとも一生懸命に生きている人間とは、どういう人なのか?それは大谷翔平でもイーロンマスクでもないと思う。彼らは成功者であり、彼らの一生懸命は成功によって報われていて、本人の自覚としては、それほど苦労した努力をしているわけではないのではないかと思う。
生涯を一生懸命に生きている人とは、一生懸命に生きざるを得ないような人たちであり、それはいくら努力しても認められず、仲間はずれにされ、敗者の烙印を押されて、それでもなお生きようと足掻きながら死んでいくような人たち、なんなら自ら命を断つような人たちの中に存在しているに決まっていると、ぼくは思う。
冒頭のドワンゴ以降の糸柳の人生についての記事を読んだが、それでも糸柳は最後まで与えられた過酷な人生の中で一生懸命に戦って立派に死んでいったとぼくは思う。そして僕たちもドワンゴで短い間ではあるが糸柳に対して一生懸命に向き合った。それは良い思い出というにはいくばくかの悲しみを伴う思い出ではあるが、大切な思い出だ。
おしまい。合掌。
Permalink |記事への反応(14) | 00:37
これは全く正しい。元の長文からは「糸柳は死ぬべくして死んだのであって全て自己責任であり、自分は一切悪くない」という後ろめたさが隠されている
匿名でやって許されることではない
当時のギーク界隈の外側から見る限りではお前たちは全員五十歩百歩の同類であってその振る舞いは全てホモソーシャル空間を無秩序に拡大させた分別のつかない悪ふざけでしかなかった
「特に面白くもない大して文化的でもない奴らがウェブ技術者として群れをなすことで何か勘違いをしている」というのが率直な印象だったが、あくまで隣の村の様子でしかなかった
今こうした長文を書いて一人の取り返しのつかない終わり方を自己責任のように切り捨てるのは卑怯そのものであるし、このまま自分は上手くやり過ごして安心して生きていこうというのはあまりにムシが良すぎるだろう
失踪した糸柳から遺書が届いて、それからしばらくして警察から連絡が来たらしい。死ぬ前の彼とは疎遠になっていたのでその時期のことは伝聞でしか知らなかったが、色々と(そして過去の彼の行動とはまた違った形で)顰蹙を買っていたとよく聞いていた。
死ぬ何年か前の彼は誰から見てもおかしくなっていると言えるような状態で、仕事も上手くいってなかったと話していた。ドワンゴ時代の成功体験と山の話とRubyコミッターの話をしていたが、何回も何回も同じ話をしていた。彼のコミュニケーションの方法は彼の得意な話題に変更し、そして彼の長いターンが始まり、その後こちらが一言入れるというものだが、それにしてもこちらの話を聞いているというポーズすら晩年は取らなくなっていた。彼のそのスタイルが通用するのは彼を知っている人間に対してであり、何も知らない若者からすると典型的な老害のように写っただろう。実際にそう言われている場面を何度か見たことがある。
とにかく生きているだけで迷惑な人間なのだが、能力と愛嬌だけで許されている彼が、能力と愛嬌を失った場合には、ただの迷惑な人間として排除される。社会の除け者みたいな人間が集まるところでも、彼は迷惑がられていた。
多くのことに手を出して、何もかもが中途半端になっていた。生まれつき気が散って仕方なかった彼は過集中という名目で手を動かすことに成功していたが、それも加齢と共に難しくなっているように見えた。教育からもコミュニティからも疎外されている彼が、真っ当にエンジニアリングの知識を手に入れる方法は手を動かしたり本を読むことだけだったが、そこが損なわれると急速に判断の精度は低下する。ここ10年はシステムに対する考え方が大きく変わった時代であり、彼の語るドワンゴ時代のマネジメント論は石器時代のものでしかなかった。古い知識は大体2年ほどで錆付き、5年ぐらいで正真正銘の時代遅れになる。彼はどれぐらい前線から離れていたのだろうか?
彼の昔の同僚がIT企業でマネジメントのレイヤーにいる(もしくはCXOをやっている)という話をしていた。彼は肩書や社会的地位について気にする性質があり、他人のことを紹介するときもプロフィールのように読み上げる傾向があった。まだIT業界が未成熟で、リーガルやコンプライアンスが緩く、ナードやギークしかいない時代とは現代は全く違うし、彼のような人間の居場所はどうしたってないだろうと思うが、仮にその内輪に入れたとしたらここまで道を大きく踏み外さなかったのかなと思うことはある。とはいえこれは仮定の話であり、彼がドワンゴから離れた当時にしきりにしていたコンプライアンスに問題がある人間との関わりの話はどう考えても排除される側の烙印を押されるには十分だったし、仮にそういう話をしてなくても彼の軽率さは現代の業界とは水が合わなかっただろう。
彼のコミュニケーションスタイルは嘘と誇張であった。知っている人間がいかに凄いか、そしてその人間がどのようなことをしたか(時として常軌を逸したか)という話をして、物事を大きく見せる。言語によるコミュニケーション(アジテーションに分類される技能)が得意だと分類していいかはわからないが、とにかく彼は時流に乗り、その能力を上手く活用して一定のプレゼンスを得た。象徴や虚像を操作し、そして実際の能力で辻褄を合わせる。実際にこの行為を繰り返せば影響力も大きくなるし、影響力が大きくなればレバレッジも大きく掛けられる。例の事件でドワンゴから離れ、SNSからも離れた彼はデレバレッジを上手く出来てないように見えた。信用というものは単に積み重ねればいいし、有言実行さえすれば増えていく。その地道な作業を怠って大きなことを言い、そして辻褄を合わせられずに残りの信用を失うところを見てきた。とはいえそれは彼の特性として受け入れられていたように見えるし、持ち前の愛嬌によってある時期までは許されていたように見える。
愛嬌とは消耗品である。普通に使っている分には減らないが、地雷を踏んだ瞬間にそれは消失する。彼はそれが無くなることは無いと思っていたのかもしれないが、残念ながら完全にそれは間違いだった。ある女(女と呼ばない人もいるらしい)の揉め事で彼はその能力を使い、そして大きく失敗した。愚かな自己愛による行動により、彼の特性は愛すべきものから、軽蔑されるもののようになったのを感じた。少なくとも自分はそうだった。他人やよくわからないもののためではなく自分の小手先の欲望のために使うのだったら、そんなデタラメは到底許容されるはずはない。とりあえず信じた粗の多い話を受け入れられなくなると、彼のあまり見たくない実像だけが見えるようになった。
ある時期のことだが、彼は女に別れを言って山に行き、そして数カ月後に帰ってきた。冬山の山荘はよく人が死ぬらしいし、彼も死ぬつもりで行くと言っていた。長く白い髪と白い肌をしてた。彼は痩せて別人のようになっていて、それから山に真剣に取り組み始めた。帰ってきた彼が全ての話題を山でマウンティングするようになったのは、遠野物語的な神秘なのかもしれない。彼の人生の起点になったイベントだっただろうが、俺からすると状況は更にまた不味くなったように見えた。ここで知ってほしいのは様々な要因があって彼の感覚は壊れたという部分で、単一の何かが原因じゃないという話だ。
加齢による実行機能の低下、時代の変化、所属するコミュニティの変化、不味い選択肢を選び続ける不運、山にハマったこと。様々な要因はあるが、彼が目の前の人間がどこかのタイミングで見えなくなってしまい、自分の利益のためだけに周囲を消費するようになったのは確かであるし、周囲は順当に彼を爪弾き者といて扱った。一度得られた尊厳を人は保とうとする。時代と彼の特性がマッチしたときに得られた尊厳を彼はなんとか取り返そうとしたが、自分の話に突然割り込まれ、山やドワンゴの方が凄いという話を黙って聞く目の前の若者がそのような感情を彼に見せるだろうと期待するのはあまり合理的な判断とは言えないだろう。
とにかく何が言いたいかというと、長い時間をかけて糸柳という男の幻想の形成と完全な解体が起こり、そして最後に自殺という選択を取るに至ったのかを振り帰ったときに、明確にこれは不味いだろうなというポイントがあったので、彼の死からいくつかを学んでおくと良いだろう。
3. 山には行かない
彼の事を知っている人間が読むことを念頭に置いたため、ここに書かれている内容そのものだけでは糸柳がただの駄目な虚言癖のように読み取れてしまう恐れがあるなと思い、彼の能力に関して追記をすることにした。
彼は特別な能力を持っていた。それは対面で他人に対して短期的な印象を自在に形成する能力であり、彼の荒唐無稽な話に一定の説得力と信頼を与える力であった。最近でいうとDJ社長が似たような能力を持っているように感じる。話を聞かせる、何かあるように思わせる、感情を呼びよこすような力、つまりペテン師の才能を持っていた。彼の周りの人間は彼の話を聞いたし、彼の話を聞いた人間は彼の言葉に何らかの似たような感情を抱いていた。と俺は昔の人から聞いていたし、実態対面をしてみると彼その能力のようなものは感じたことがある。DJ社長も彼も同様に全部壊してしまったが、所詮短期的なイカサマの能力でしかない。そして一度きりの魔法なのだが、当人だけがまだ使えると信じ込んでいる。
https://niryuu.hatenablog.com/entry/2025/01/05/214709
この能力の根幹になるのは感受性と繊細な情報のコントロールである。その能力を如何に上手く披露したところで、その根幹部分が崩れていれば種の割れた手品でしかなく、醒めた目で見え見えのブラフを眺めることになる。ある瞬間にそれが崩れてしまったというのはこの記事の内容なのだが、確かに彼はあるタイミングでそれが崩れてしまい、その後はいちばん重要な要素について気にしなくなったように見えた。誰に何を話すか、誰がどのようなことを知っているのか、そして眼の前の相手がどのようなことを感じているか。そういったものの全体像を知覚する精巧な技術が彼の生まれつきの才能であり、そしていつかのタイミングで完全に失われたのだろうと思う。ある人間は彼の脳が壊れたと言っていたが、自分も似たような印象である。ある瞬間から彼は様々なことが急に出来なくなり、何かがおかしくなった。そう思っているのは俺一人ではない。
彼は病気の女と同じだ。病気の女はコミュニティに入り、虚飾で地位を得て、そして捲れていなくなる。大体はどこかで落ち着くのだが、落ち着いていた場所を吹き飛ばしたのは彼自身だった。最後には居場所がない連中の吹き溜まりのような場所にたどり着き、そこでは自暴自棄のようにもう通じない魔法を眼の前の相手に何度も何度も繰り返していた。吹き溜まりはある種の実力主義で、他人を簡単に軽んじる。彼はもう尊重の対象ではなかったのだろう。壊れた年長者の相手は誰だって嫌だからな。
ついでだから彼に与えられた呪いのような言葉について書いておくと、彼は表層的な話とひとまとまりのエピソードの会話以外に珍しく普通に話をするときがあった。その中で彼は自分がエンジニアとしての知名度が実力で得たものではないこと、そしてその象徴であるのが@kazuhoさんからの悪目立ちに対する「IT芸人」発言での揶揄だったと何度も言っていた。彼はリアル志向であったし(これはリアル志向であるというより、自分はリアル志向であるという宣言を繰り返すこと)、実際山もエンジニアリングもリアル志向であろうとして、その結果の自己破壊は説明するまでもない。彼はリアル志向の話と「IT芸人」という揶揄を絡めて様々な形から繰り返し発言していた。彼の自己認識に対して何らかの(説明しやすい一つの象徴としてだろうが)影響はあったのだろうと思う。AI驚き屋の話もそうだが、軽薄な人間への当てこすりは楽しいかもしれないが、何らかの形で他人の人生に良くない影響を与えることもあるのでほどほどにした方が良い。
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