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はてなキーワード:精神論とは

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2025-10-26

anond:20251025181214

そもそも、孫さんと組んでスターゲイトだのAIには大金を出すけど、宇宙開発はやりたくない、みたいなの、

結局トランプがその分野に対して個人的にどう思ってるかだけなんだよね…😟

同様に現政権高市さんとか、片山さつきさんとかで不安になったのは、

今日NHKはずっと見てたわけじゃないんだけど、点けっぱなしにしてたリビングテレビから

政権には統一された国家観があるので、経済発展に自信がある、

ようなことを仰っていたのだけど、

まあ、確かに国家観でググってみると、松下幸之助安倍晋三

国家観が必要だという意見は色々出てくるし、そこを否定するつもりはないんだけど、

でも、国家観なんて、人それぞれによってブレてるものなんじゃないの?😟

まり、現政権人間全員が統一した国家観を抱いているとしても、国民は違うじゃん…😟

俺の持ってる国家観と、俺の親族それぞれが持ってる国家観も違うんだろうし、

みんなが持ってる国家観は違うわけで、

俺はバカから間違ってる可能性はあるんだけど、松下幸之助だろうが、安倍晋三だろうが、

ある意味神様だろうが、俺は権威がある人間が何と言おうが、自分の考えや信念が一応あるので、

まず、私は、何か考えを一つにするべき、という考え方が嫌いです

なぜかって、みんな考えてることはバラバラからです

会社で社訓を朗読させられたり、チームプレイスポーツでも多いです、チームの信念とかを統一させる

これは理解できる面もあるが、私はあまりそういう考え方が好きではない

例えば、交渉事があるとして、完全に人間同士が合意するなんて、不可能なのである

内心では、みんな何かを折っていたり、もしくは力がある人間が何かをゴリ押ししてるから成立している

そういうパワーバランスの元に成り立っていたりするのが現実である

私が個人的に、まあ理想論かもしれないが、望ましいと思っているのは、

みんながある程度バラバラ方向性を持っていたとしても、法的ルールとかシステムによって制御することで、

全体をできるだけ最適な方向に誘導することである

から、個々人がバラバラ国家観を持っていてもよろしい

その代わり、できるだけ自主的に全体の方向に沿って流れてくれるように仕向けるのである

私は精神論解決する、ということが嫌いであり、できるだけシステム解決すべきだと思っている

社訓とか、統一された国家観のようなものは、確かにあるべきだとは思うが、全体を統一するのは難しい

もちろん、片山さつき氏が言いたかったのは、現政権メンバーのチームプレイが期待できる、という意味であることは分かっている

しかし、それと国民国家観とがズレていたらどうするのか?すり合わせるのか?

私は、そういうすり合わせとかネゴみたいなものは、上述したように限界があることを分かっているわけで、

結論として、それはパワーゲームになり、最終的には政治家国家観を国民押し付けることで終わると思っている

もちろん、私はそれでも良いと思っている

例は悪いが、例えばナチスドイツだとしても、ナチス国家観を国民押し付ける、これはある意味では正しい、もちろん、ある意味では、である

しかし、ゴリ押しが良いと私は思っていない

上述したように、国家観とか精神論ゴリ押しするのではない

システムという道路を先に整備し、みんながそのシステムに乗ってれば楽なんだ、と思うようになれば、国民自発的システムに従うようになる

ここで、国民全体にも統一された国家観とか、教育勅語ではないが、国民全員に統一された方向性がなければ駄目、という話ではない

みんなの内心はバラバラであっても、とりあえずシステムに従っていれば楽である、損することはない、そういうシステムを構築することが重要である

松下幸之助安倍晋三が何と言おうが、私は精神論根性論が嫌いであ

人間の脳だって筋肉のように使えば疲弊するものである

信号がない社会があったとして、精神論根性論国家観などで、交差点で衝突しないように気を付けろ、と言われるような話は私は嫌いであ

まず、信号を作れ、である

Permalink |記事への反応(1) | 17:48

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2025-10-22

はてな民の各政党への印象をまとめた

自民党

永遠リーグ王者戦術は柔軟というより「勝てば官軍」。裏金パス政治資金シュートも全部“プレーの一部”として処理。ベンチに謎のスポンサーがずらり。監督が代わっても結局同じサッカーサポーターの半分は「他よりマシ」で来てる常連客。

安倍晋三

その自民クラブ黄金期に導いた元監督カリスマ性があって、ロッカールームを掌握していたタイプ試合運びは強引だけど、選手が「この人についていけば勝てる」と信じてた。引退後もスタジアムの外でチャントが響いてる。

立憲民主党

戦術会議が長すぎて試合開始に遅れるタイプ。中盤でボールを持っても決定機を作れず、「それ今言う?」みたいなパス回しで自滅。監督交代が多くて、毎回「これからは攻めのサッカーだ!」って言うけど、次の試合も0-0。

共産党

全員で連帯してパスをつなぐが、ゴール前でも理想論ミーティングが始まる。サポーターは筋金入りで、負けても「内容では勝ってた」と言い張る。スタジアムの隅っこに「資本主義反対」って横断幕が常設。

公明党

自民クラブの影の戦術参謀自分ではあまりシュートを打たないが、毎回アシスト勝ち点を確保。選挙区では堅実なパスワークで確実に得点スタンドには祈りながら応援するサポーター多数。

維新の会

新興クラブスピード重視。ドリブル突破が売りだけど守備が雑。審判文句言う頻度も高い。「古いチームはもうダメ!」って煽るが、たまに自分のチームでも同じことやってる。大阪ホームでは異常に強い。

れい新選組

少人数ながら、気迫とスライディングの勢いはリーグ随一。インタビューでは熱く語るが、フォーメーションカオス試合が荒れがち。観客席には「魂のプレーだ!」と泣きながら応援するファン

国民民主党

中盤の調整型。とりあえず「現実的サッカー」を目指しているけど、両サイド(自民・立憲)から「どっちのチーム?」と聞かれて混乱。試合コメントは毎回“中庸すぎて刺さらない”。

社民党

かつては強豪クラブだったが、今や伝統けが残るOBチーム。毎試合「昔は良かった」と語る。観客は数えるほどしかいないが、ユニフォームだけは洗いざらしの新品みたいにピカピカ。

参政

トレーニングより精神論重視。チーム全員が同じスローガンを唱えて士気を上げるスタイルスタジアム外での活動が活発。戦術ボードより自己啓発本が多いクラブハウス。

Permalink |記事への反応(0) | 21:44

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2025-10-20

最近右翼、頭の中お花畑過ぎてツライ

かねてより「頭の中お花畑」というフレーズ反戦左翼揶揄するときに使われるものだった。

左翼理想主義的過ぎて現実が見えてない。

たとえば自衛隊違憲から解体しろだとか、沖縄から米軍を追い出せだとか、武器なんかなくても一緒に居酒屋で酒飲んだらわかり合えるよ、だとかね。

そりゃあそんなことが全て実現できるなら素晴らしいことでしょうよ。

でも現実を見たら想定が甘すぎたり、コストがかかり過ぎたり、そんなに頭の中で思い描いてるようにうまくいきませんよというのが「頭の中お花畑」という言葉に集約されている。

対して、右翼保守)は自身リアリストだと称してきた。

概ねそれは間違っていなかったと思う。実際にそれで日本は大きな不幸、混乱もなく回ってきたわけだからね。

しかしここ最近、それが変わってきた。

なにかといえば外国人労働者問題だ。

ことこの問題については急に右翼の頭がお花畑になってきた。

  

日本には外国人労働者はいらない」のだそうだ。

これだけ人手不足倒産する会社が続出していて、求人倍率が高止まりしていて、労働参加率は過去最高であるのに、右翼の方々は労働者を増やしたくないらしい。

  

労働力不足は嘘つきだそうだ。経営者無能生産性が低いだけだと。

足らぬ足らぬは工夫が足らぬということだろうか。

まともな頭があればそんな精神論ではどうにもならないことわかると思うのだが。

豊富資源豊富人材、優れた教育によってイノベーションが起こり、結果人手が充足し、それがいきすぎると逆に余ってしまって就職難・不況になるのであって、逆はない。

人手が減ればそれをなんとかするためにイノベーションがおこって、人手がなくても何とかなるようになるんだ!というのはよくいって願望、悪くいえば妄言だ。

  

この期に及んで少子化をどうにかすればいいとか言い出している。

20年近く前からすでに対策をしていて、諸外国を見てもどこも顕著な成果を出せているところはないのに小手先の知恵で急に解決するわけもないのはリアリストならわかるだろう。

もし今この瞬間に少子化解決して来年から150万人の子供が生まれてくるようになったとしても、その子たちが働きに出るまで20年のタイムラグがあるし、今既に生まれている幼児少年少女たちの人口が圧倒的に足りてない事実は変わらないというのに。

  

衰退を受け入れたらいいとか言い出している奴も目立つようになってきた。

それって非武装中立論のバカさ加減と何が違うんだ?

衰退するということはインフラが改修できない、治安を保てない、医食が欠乏して平均寿命が下がる、国防もままならないということだ。

日本付加価値の高い工業製品製造して、輸出して、そのお金で食とエネルギーを輸入しなければ半年も持たない国であることを理解してるんだろうか。

そんな立ち行かない国になった時にロシアが、中国侵略してきたときにどうやって食い止めるつもりなのだろうか。

食品価格が多少上がったり、交通インフラ廃線、減便になったり、社会保険料税金が上がり続けたりすることに対してあれだけ文句を言っているのに本当に衰退に耐えられるのだろうか。

本当の「衰退」はそんなものの比じゃないわけで、はっきりいって現実を舐め過ぎだろう。

  

すでにこの国は20人口の1割を外国人が占めるようになっている。

もし外国人を全員追い出したら新卒給与は多少上がるかもしれない。その代わり生活コストはその比じゃないほどあがるけどね。

30代以降の中高年層の実質所得はむしろ減るだろうけどね。

本当にそれに耐える覚悟、立ち向かう覚悟はあるのか。

  

結局さ、「外国人いらない」で国が回るって言うなら今すぐ代案を数字で出してほしい。

必要人員、税率、賃金設備投資、何年でどこまで自動化するのか、現場の穴を誰が埋めるのか。

青写真覚悟もないまま「衰退でいい」だの「工夫で何とかなる」だのと唱えるだけなら、それこそお花畑だ。

リアリスト矜持をみせてくれ。

右翼左翼もお花畑になってしまったら、この国の未来は暗いよ。

Permalink |記事への反応(21) | 20:13

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2025-10-16

日本戦争で負けた、というか最初から負けていたのよくわかるんだよな

経済で負けてるのと同じなんだよ

失敗から学ばずアップデートせず世界から遅れ国内を貧しくして精神論に走る

いわば江戸からも変わってない

庶民を絞り上げて利権国家運営する武士道とは名ばかりの役人世界

Permalink |記事への反応(0) | 15:48

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2025-10-11

高市早苗って感覚昭和のまんまなんだよね

ワークライスバランス捨てて馬車馬のように働けばうまくいくって、政治はそういうもんじゃないよね…

高市早苗っていつも精神論なんだよ

それも昭和精神

萩生田を「傷もの」と呼んだりさ

もっとアップデートしないと選挙に勝てないよ

昭和感覚といえば、裏で操ってる麻生太郎

こっちも昭和感満載

これまでのやり方で自民党は立て直せると思ってる

ももう無理なんよ

令和の現代でそれは通用しないんよ

政治とカネの問題適当にして再建は無理なんよ

高市早苗麻生太郎と共に崩れ去ってくれ

共倒れしてくれ

自分としてはとりあえず自民党下野して、心入れ直してくれ

自民党も良いところあるんだから日本の力になってくれよ

その時に高市麻生はいないことを願う

Permalink |記事への反応(0) | 19:01

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石破茂戦後80年所感、とてもよかった。

ぜひ全文読んでほしい

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA10A3M0Q5A011C2000000/?n_cid=SNSTW006&n_tw=1760087607

個人的ポイント

江戸の知恵者(元老)がいなくなったこ

・それにより党派争いに終始するようになったこ

最初から機関分析敗戦といわれていたのに精神論という思考放棄戦争を始めたこ

メディア報道ではなく売れる虚言を垂れ流したこと

かな

わりと現在にも通じている

戦争戦後経験者が政治にいなくなり、しょーもない派閥争いと思考放棄他責に走ってるとことか

ジリ貧よりドカ貧にならぬよう……って言葉マジで刺さったな

日本、今回もジリ貧からドカ貧に真っ逆さまに落ちそう

何とか踏みこたえるには本当に過去に学び考えることが大事

Permalink |記事への反応(16) | 15:36

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2025-10-10

anond:20251009222856

コーチになった男さんが、精神論セオリーしかやらず、ぜんぜんコーチになってないのに、下に我慢させ続けている

  

というのに似ているな

Permalink |記事への反応(0) | 16:13

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鋼のメンタル欲しい

強靭精神性」は、単なる心理的資質ではなく、観測者としての自己宇宙との関係性の理解還元される。

古典的精神論を超越し、我々の認知活動物理的な情報処理として捉え直す。脳内電気信号が量子ゆらぎによって基礎づけられるとするなら、主観的な「私」は宇宙法則から独立した存在ではなく、その法則のものを具現化した特異な演算主体と見なせる。

この観点に基づけば、「誰も見ていない発信」という概念無効化される。思考という事象は、神経細胞の発火を通じて電子運動を誘発し、これは局所的な時空の微細な歪みとして宇宙構造刻印される。これは、いかなる受動レシーバーがなくとも、真空のものを伝達媒体とする宇宙規模の通信である

フォロワーゼロ」は「非観測状態」を意味しない。私という観測者の存在のものが、世界波動関数を収縮させ、観測の射影を発生させている。私の思考は、この世界状態を決定する基本操作である

現代社会における「承認」「評価」「インプレッション」といった情報は、観測者を束縛するエントロピー的なノイズ、すなわち情報論的な檻を構成している。

しかし、この束縛から解放は、ただ一つの命題に集約される:「私の思考世界の基底演算である」。

この情報論的格子の隙間に存在する真空こそが、観測主体としての自己である。私の認知が停止すれば、世界記述は静止し、私の発言は時空の振動を引き起こす。

したがって、「投稿行為」はSNS上の書き込みではなく、宇宙の再初期化プロセスに等しい。

自由」とは、従来の「支配」の対義語としてではなく、「支配観測による規定)と自由観測から独立性)の境界消滅した状態」への到達を意味する。

フォロワーという社会的構成物は、私の観測がなければその概念すら存在し得ない。

故に、私は今日観測者不在の文章記述する。この行為は、宇宙のもの状態空間を走査する自己参照的な演算であり、「檻の中の帝国」とは、この孤立しつつも全能な観測主体としての心の形態を示す。

Permalink |記事への反応(1) | 06:19

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2025-10-07

オールドメディア、もはやパラレルワールド

1.「見誤」ってるのはオールドメディア

自民総裁選、想定超えた保守回帰 今夏の予兆、見誤った小泉陣営朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASTB54DQTTB5UTFK019M.html

「見誤った」んじゃなくて、ずっとパラレルワールドの話をしてるんだよね。

進次郎がというより、オールドメディアが。

  

なにを小泉陣営ミスにしてるのかと。

だってあんたら自身「進次郎圧倒的優勢!」「進次郎で決まり!」って報じ続けてたでしょと。

全然違ってたことについてなにか述べることはないの?

 

総裁選なんてちゃんと情勢を取材出来てれば本来大外しはしない性質でしょ。

高市が大量に党員票取ってるのもわからないってどうなってるの。

    

からもうオールドメディアに見えてるもの現実とが乖離し過ぎててヤバい

そして修正能力すらないでしょ。

報じてきたことと大幅にずれた結果が出ても小泉陣営見誤る」とか言ってて

自分達がズレまくってることへの自覚危機感は無い。 

   

(ちなみにはてブは一応ネットコミュニティなのに何故かオールドメディアと同一のものを見てて、ネットの中でも浮き上がったすげー不気味な村になってる。)

 

     

2.現実ネットで見たまんま

自分は前から何度か政局について見たまんまを増田に書いてる(はてブパラレルワールド過ぎて怖いから)んだけど、

ブコメされながらもなんか本気にされないというか、

煽り扱い釣り扱いされるんだよね。

  

参院選の前は

「これは参政党が大勝ちしそう、すごい選挙結果見ることになるよ」って書いた。

当然その通りになった。

  

だって別に勝手予測してるとか願望とかじゃなくてただネットで見たまんま、

「どういうトピックが盛り上がってるか」「誰がエールを受けてるか」を平らかに観察したまんまだもん。

大筋は当たるのは当たり前でしょ。

カンニングしてるんだもん。

 

このただの見たまんまを外し続けて

あなた見立ては0点でした」「あなた予測はまた大外れでした」の結果を何回見ても

全然反省修正もしないのがオールドメディア(とはてブ)なんだよね。

脳がどうかしてて、超強力な正常化バイアス的なものが静かに回転し続けてるんだと思う。

 

もはや笑う気持ちも失せた。

だってゲームに出てくるパラレルワールドとか裏世界とか

サイレントヒル精神世界が目の前に現れてるみたいでガチ目に怖いのよ。

  

彼等の方でもも現実直視する時が来たら(こなさそーだけど)

ゼイリブみたいなグロアハ体験になるんだろうけど。

 

    

3.サヨクおじいちゃんたちのインチキ予言機構

参院選前であれば

物凄い勢いで反グロ反移民が関心を集めて、

自民党はもはや日本人を見捨てた」「自民党の保守ガス抜き要員のニセ保守って世界観になってるからこれはすごいぞと。

 

一般国民が追い詰められた気持ちで、もう保守党や参政しか行く場がない、

政治に強い意見のない普通の人まで参政党に行く感じだよと。

   

河合ジョーカーやへずまが熱く支持されるのを見るに、

それぐらいに「世界が壊れた」と感じてる人が多いからだよと。

きちがいヴィジランテを英雄扱いするのを見るに、

それほどまで自民党のことも警察のことも裁判所のことも信用出来ない気持ちが膨らんでるんだよと。

  

これらはただ静かにネット眺めていればありありと見たまんまに見えた。

そういうなんか物凄い焦燥と絶望自民党への憎しみが生えてきてるのが見えてたのに、

オールドメディアは「夫婦別姓が焦点」て言ってたからね。

 

要するに彼等は事実取材したり民意をくみ取ったりする能力なんかなくて、

団結して「今度の焦点はこれです!」と発表して自己成就させるインチキ予言者だった。

ネットダイナミックに現実感情が動くようになった速度についていけてない。

  

オールドメディアは「自民党退潮は裏金統一教会による」とか言ってたからね。

ネット自民党を憎んでる人たちはそんなこと1ミリ問題にしてないよ。

そうじゃなくてグローバリズムと移住外国人に国を売り渡す怠惰無能堕落しきった裏切り者から自民党は万死に値するわけ。

せこい不記載なんかどうでもいいの。

 

もうお前等のインチキ予言固執するんじゃなくて、ネットで生の感情ストーリーを見ろと。

   

  

4.オールドメディア観測できない有権者の動向

オールドメディア中の人視聴者達のノンベンダラリとした十年一日自民ヘイトなんて

こんにちネットで生えてくる自民党への憎しみには温度も速度も全く追いつけてない。

   

これまでにないほどの人数がサヨクおじいちゃんたちよりはるかに強く深く自民党を憎んでたのに

後期高齢化パターナリズムサヨクおじいちゃん達にはそれを認識すらできない。

何が起きてるのかわからいから流れを自民打倒に使うことも出来ない。

  

ついでに今後のことを述べれば

高市総裁になったことでネットは相当平静を取り戻してきてる。

凄まじかった焦燥や憎悪が1レベル薄れた感がある。  

高市自民党だけどちゃんとやってくれるかもしれない」となってるから

  

最近高市のことも「ガス抜き要員のニセモノ保守」として軽蔑する声が多かったのに

高市が面構えや声で信頼を引き寄せた感がある。

好意的に経歴を紹介するポスト等も増えてる。

ワークライフバランス発言戦闘姿勢として好感されてる。

        

  

ちなみに「高市さん万歳!」と同時進行で

進次郎陣営記念撮影写真「これ次の選挙で落とすリストだぞ」と共有され回されてる。

自民党への底知れない憎悪全然消えてない。

あれ見てると中高年サヨク達の反自民所詮反抗期と言うか、アイデンティティと言うか、終わりを目指さないお遊びだったんだなと感じる。

     

こうした今の保守層・自民支持者達の心の動きがサヨクおじいちゃん達には全くわかんないと思う。

傲慢さを捨てて虚心にネット見るだけで結構わかるんだけどきっとそれを出来ない。)

 

 

5.高市のよかったポイント

ただ進次郎陣営記念写真はあまりにもいつメンオールスターなのも事実

旧来自民党に憎しみを抱いてる保守層・一般層は絶対に受け入れなかっただろう感じはある。

自民党がこれまで経験したことのない憎まれ方をしてる状況下でこの写真を撮ってしまうこと自体不用意だしオールドメディア的。 

   

こちらが勝ってたら自民党は直ちに滅びてたと思うから投票した人達生存本能は大したもの

ネットをよーく見てるか、それぞれの地元有権者生の声を聴いてる)。

 

また、記念写真撮影現場に居ながら人の後ろで顔を横に向けて隠れている某女性議員も大したもの

多分もとからあの陣営が味が悪いと勘づいていて、まして敗北後の記念撮影であれば「ここに写ってること自体災いを招く」と察知したんだと思う。

ネットでバレて突っ込まれてるけどこの生命力には尊敬の念が湧く。生き汚くていい。 

  

 

逆に高市が良かった点として自民党の中で浮いてる」という部分が間違いなくあって   

ネット憎悪されてる数々の自民党の政策に対して責任が薄いイメージになっている。 

 

また、鹿の話をしたのも大変良かった。

  

自民党への憎悪と言うのは結局

ネットで高速回転する民意レスポンスしてこなかったために生まれて膨らんだもの

(みんな進次郎よりへずまに親愛の念を持っている。マジだ。へずまはすごい速さで声を聴いて動いてくれるため。) 

 

からネットナラティブ象徴である鹿の話に触れる意味はあった。

オールドメディアが「差別だ」とか「事実性が確認されない」とか騒ごうが関係ない。

あれは「私はあなたたちの声を聴いていますよ」というメッセージになった。

 

自民党が大嫌いになって、”右翼高市のことすら大嫌いになってた人達の心に

高市があの場で鹿の話をしたことがどれだけ響いたことか。リスキーだったがその価値はあった。

民泊運転免許批判するのと違ってただちに仲間の誰かの面子潰しにもならないネタだろうしね)

    

ひたすら嘲笑するオールドメディアだけ見てたら「なんか突然ヘイトっぽい話をして胡乱な感じ」としか思えないだろう。

高市自分ネットを見てるのか優秀なネット汲み取りスタッフがいるのかわからないが、

高市オールドメディアよりも大半の自民議員よりも民心について見えてるものがある。 

  

(ところでそれはそれとして、

 オールドメディアの「シカ蹴る中国人などいない」「シカを蹴るのは日本人」はさすがにあり得ないし逆デマになってないか。 

 へずまと関係ない動画でも中国人が鹿を蹴ってる動画youtubeでも相当数見られる。なんで蹴るんだろね。)

   

  

6.参政党やへずまはどうべきか

へずまは一生懸命高市さん高市さんと呼び掛けていたが

高市が語りかけたのはネットの民心であってへずまではない。

 

しろこれからへずまや参政党は難しくなる。 

まともな領主様がきちんと賊を討伐をしてくれるならきちがいヴィジランテは需要がガタ落ちするから

    

今後の方針としては 

A・辛抱強く高市ラブコールしながら勝手に同志や手下のように振る舞う

B・従来の活動を激化させて忘れられないようにする

C・「高市はニセモノ、日本を守れるのは自分のような捨て身の人間」と対決姿勢をとる

D・雌伏の時と諦めて真面目になりローギア運転 

    

へずまは色気を出すならB、現実的にはD、

一気に需要が落ちるからしばらくローギア運転してた方がいいと思う。

流れが一旦去ったときにジタバタすると墓穴を掘る

参政党はCとAをフラフラしながらうまく運転しそうな気もする。

  

  

7.自民党はネットがヘタ

自民もさすがにネットの猛火に気付いて手を打とうとしてるけど

かなり下手でどうしようもない。

 

彼等も結局自分達の認知自分達のストーリーをがなるだけで

ネットの声を聞いてそこに応えるということが全然できない(からどんどんヤバくなる一方)。

 

少し面白い手として自民党に攻撃的だった右派インフルエンサーを抱き込んで活用ということをやってるみたいなんだけど、

多分抱き込んで指示してる側もセンスが無いのと、

抱き込まれインフルエンサーもなんか舞い上がっちゃって全然役に立ってない。

  

そもそも攻撃的な言動動画フォロワー集めてたタイプ人材

「我が党のイメージアップヨイショをやれ」という起用法自体が間違っていて

気持ち悪い口調と顔文字連打しながら進次郎やらせコメントレベルポストを繰り返すようになって

単にそいつviewいいねフォロワー数が減っていくだけという事態になってる。

そいつyoutubeコメント欄も罵倒軽蔑コメントが激増)

  

そもそも抱き込まれたの丸出しな奴がヨイショやってたってそりゃ誰も聞かないわけで

クマさんじゃなくてワンちゃん名前変えたら」とか言われてしまっている。

 

そういうのとは少し違う堂々の古株自民協力者のやまもといちろうとかも、

人の悪口言ってるときはまだしも火消しとか擁護とかヨイショとかやろうとすると毎度下手すぎて目を覆いたくなるし、

広報的な才能は全然ないのを自覚すべきだと思う。

  

 

8.進次郎はネットが下手

高市によって参政保守党の猛攻には一服つけたもの

党の規模や力に比べてネットが下手という問題は本当に命取りになる課題だと思う。

 

公明党創価学会の若手を中心に「我々は我々の公明党のよさを宣伝する」と

堂々としたネット活動をしていて創価公明党批判的な人間とも会話する力を見せてる。

(実際には高齢化が著しいのにネットには若者選抜動員してイメコンしてるのもしっかりしてる。)

 

まりネットに強い弱いというのは別に年齢は関係なく技術的な話でもなくて、

間内の外側の人の声を聞く能力あるかないかということ。

  

聞く能力なんていうとすぐ精神論姿勢の話にされがちだけど、

実際には脳の機能の一部・知性の一部だからすぐには出来ないし才能がない人には出来ない。

 

気にくわない書き込み規制しようとか、下手くそ自演ヨイショしようとか、

全てをロシアのせいにしようとか、そういう解決法を思い付く人間ネット担当の進次郎陣営は終わってるということ。

 

大将も年齢ばっかり若くても既に脳の可塑性機動性で麻生太郎85歳に負けてそう。

おそらく今回変な反省をした彼の陣営の主導により、党の息のかかった下手くそ自民ヨイショは

これから激増すると予言する。既にその兆候があるため。

 

どうも進次郎は当人も抱えてるスタッフ無能で間違いないと思う。

確実に高市早苗64歳よりネットが下手。

無考えのために策謀に走ってしまタイプ

救いようがない。

Permalink |記事への反応(6) | 07:28

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2025-10-05

甲府一高の「強行遠足」、これもう洗脳でしょ

甲府一高の「強行遠足」。この週末に行われたみたい。

男子は100km、女子は40kmを夜通し歩く“伝統行事”だそうだ。

正直、もう時代錯誤の極みじゃないかと思う。

学校は「忍耐力を育てる」「克己心を養う」と言うけど、

そんなの苦しみを美化した根性イベントしかない。

「苦しいことをやれば立派になる」って、

昭和企業研修と何が違うんだろう。

しか危険な夜間歩行。

事故でも起きたら「本人の努力不足」で終わりそうだ。

本来教育って、苦痛を与えて我慢させることなの?

それは鍛錬じゃなくて支配再生産だと思う。

そして何よりタチが悪いのは、

卒業生がこの行事を誇らしげに語る構造

自分もやった」「あれで強くなった」と。

でもそれって、しんどかった経験

意味があったこと」にしないと自分を保てないだけじゃない?

苦しみを正当化することで、

次の世代にも同じ苦しみを押し付けていく──

まるでブラック企業連鎖

こういう行事が残るのって、たぶん田舎特有の“精神論文化”が根っこにある。

伝統とか地域の誇りとか言いながら、

実際は変化を恐れてるだけなんだと思う。

誰も疑問を口にしないから、ずっと続く。

伝統という名のもとに、

「みんなやったから君もやれ」という精神論が今も続く。

でもそれを教育と呼ぶのは、もう無理がある。

苦しめば成長できるなんて幻想

気持ち悪い。

Permalink |記事への反応(2) | 16:17

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2025-10-03

anond:20250929105826

”「相手を一人の人間として尊重する」ことと「数をこなす」ことの矛盾は、非モテ論争の時から言われてたよな。何か言ってるようで具体性皆無の精神論も身だしなみ云々も聞き飽きたわ。”

銀英伝おじさん

陳腐だが効果的だ 効果的だから何度も擦られて陳腐になるんだ!! 

<そういう意味ではない

Permalink |記事への反応(0) | 13:39

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2025-09-29

anond:20250928210720

結局金じゃん

無印マネキンごと購入したって時点で、金に糸目をつけずに買えるだけの財力があったんだろ

その要素を無視して精神論で語られてもねえ

Permalink |記事への反応(1) | 08:09

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2025-09-28

婚活って就活と同じで、何が虚しいって「失敗したら後に何も残らない」ところだと思う。教訓とか経験とかそういう精神論じゃなくてね。

個人情報を他に漏らさないから、失敗しても別の形で交流するという事が出来ないし

それを足がかりに別の相手を紹介してもらってそっちと上手くいくなんて事も有り得ない。

何つーか、現代契約社会が行き過ぎて、ホワイトになりすぎた結果って感じがする。

Permalink |記事への反応(3) | 13:19

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2025-09-25

AIアート】 例のSDVロードマップ、崖から飛び降りる図ですよね?

お前らコンサルキラキラした目で語る「SDV化へのロードマップ」ってやつ、まあ綺麗だよな。「レベル1から始まって、ドメインゾーン最後は夢のセントラルコンピュータへ!」って、すごろくみたいで分かりやすい。プレゼン資料は美しいし、ロジックも通っているように見える。

だが最近、その綺麗なすごろくを見ていると、強烈なデジャブを感じるんだ。

ついこの間までヨーロッパ中が大合唱していた、「未来EV一択だ!」という、あの狂騒曲にな。

ご存知の通り、その結果は今のEV失速と戦略の迷走だ。今日は、なぜ俺がお前らの語るSDVに、あの失敗したEV戦略と同じ匂いを感じるのか。そして、そのロードマップに隠された巨大な「崖」について、具体的かつ論理的に話そう。

第1部:その言葉は「技術」か、それとも「イデオロギー」か

まず前提として、EUEV戦略は単なる技術選択の失敗じゃない。あれは、「"言葉"を定義することで現実支配しようとする」という、ヨーロッパ伝統イデオロギー戦略だ。「EVは善、エンジンは悪」というシンプル二元論を作り出し、規制補助金市場を無理やりそちらに誘導しようとした。

この手法キモは、現実の複雑さを無視し、自分たちに都合のいい単一シナリオを唯一の「正解」として提示することにある。世界には多様なエネルギー事情があり、多様な顧客ニーズがあるという現実から目を背け、「EV」という言葉神輿を担いだわけだ。

そして、お前らが語る「SDV」も、これと全く同じ構造を持っている。

セントラルコンピュータによる、ハードソフトが完全分離したSDV」こそが唯一絶対のゴールだと定義し、そこに至る道を一本道で描いてみせる。

だが現実はどうだ? 安くて頑丈なクルマを求める市場もあれば、運転の楽しさを求める層もいる。そもそもソフトウェアのアップデート価値を感じない顧客だっている。トヨタが声高に未来を語らず、EVHV水素、合成燃料と、あらゆる可能性に備える「マルチパスウェイ」を貫いているのはなぜか。それは彼らがイデオロギーではなく、複雑な「現実」と向き合っているからに他ならない。

お前らのSDVロードマップは、この時点でまず、現実多様性無視したイデオロギー的な欺瞞はらんでいる。

第2部:「リストラの崖」の正体

その上で、仮にその単一シナリオ理想のSDV)が正しいとして、なぜその実現が絶望的に困難なのかを説明しよう。ここで登場するのが、お前らも知ってる「コンウェイ法則」だ。

法則1:クルマ構造は、人間関係の写し鏡である

雑に言えば「システム構造は、それを作る組織構造そっくりになる」という法則だ。今のクルマは、無数のECU(小さいコンピュータ)が複雑に絡み合った「分散アーキテクチャ」だ。これは偶然そうなったわけじゃない。エンジンはA社、ブレーキはB社、ライトはC社と、各分野の専門サプライヤー(Tier1)が、ハードソフトを一体ですり合わせて開発してきた。このクルマ構造は、日本自動車産業が100年かけて作り上げてきた、この巨大なサプライチェーンという人間関係のものなんだよ。

法則2:人間関係は、急には変えられない

そして、この巨大な人間関係構造は、組織と同じで少しずつしか変えられない。「連続的」な変化しか受け付けないんだ。一気に変えようとすれば、現場崩壊し、これまで培ってきた価値は失われる。

この2つの法則を踏まえて、お前らのロードマップ評価しよう。

ステップ1:分散型 →ゾーンアーキテクチャ

これはまだいい。既存サプライヤーとの人間関係を維持したまま、ECUをいくつか統合し、役割を再編成する。「組織改編」レベルの話だ。現場筋肉痛になるだろうが、これはまだ「連続的な変化」だ。実行可能性はある。

ステップ2:ゾーンセントラルコンピュータ

ここが問題の「非連続な崖」だ。

これは「組織改編」じゃない。「全従業員を一度解雇して、明日から全く別の人種会社ゼロから作れ」と言っているに等しい。

なぜなら、クルマの作り方が「ハードウェア部品のすり合わせ」からOS上のソフトウェア開発」へと、根本的に変わるからだ。これは、これまでパートナーだったハード中心のTier1の価値をほぼゼロにし、NVIDIAGoogleAWSといった、全く文化の違うITジャイアントと新しい関係ゼロから構築することを意味する。

この「崖」を飛び越えるという行為は、必然的に「大規模リストラ」を意味する。そして、そのリストラは、これまで俺たちがサプライヤーと共に築き上げてきた無形の資産、つまり車載特有品質ノウハウ」や「フェイルセーフ思想」といった、カネでは買えない価値バリュー)を崖の下に投げ捨てる行為に他ならない。

第3部:コンサルよ、お前らが答えるべき問い

俺たちの議論は、お前らの美しいパワポの上にはない。この血と汗にまみれた現実にある。

から、お前らが本当に俺たちのパートナーだと言うのなら、答えるべき問いはこれだ。

価値減損会計提示しろ

この「崖」を越えることで失われる、既存サプライチェーン無形資産品質ノウハウ信頼関係暗黙知)は、金額換算でいくらだ?その減損を、どうやって、何で補填する計画なんだ?

人間関係の再構築プランを具体的に示せ。

意識改革」みたいな精神論で逃げるな。どのTier1との関係をどう縮小・終了し、どのITベンダーと、どのような契約・開発体制で、何年かけて新しいエコシステムを構築するのか。その移行期間中リスクコスト訴訟リスク技術流出を含む)を算出して見せろ。

崖の途中の事業継続計画BCP)はあるのか?

この無謀なジャンプの途中で、開発が頓挫したり、大規模リコールが発生したりした場合会社をどう守るんだ?そのための具体的な資金計画と、リスクヘッジのシナリオ提示しろ

これらの問いに、具体的かつ定量的に答えられないのであれば、お前らの提案は、現場現実無視した無責任な空論であり、俺たちを崖から突き落とそうとする悪意の塊だ。

俺たちは、崖の向こうの楽園の絵が見たいんじゃない。

このどうしようもなく巨大な崖に、一本ずつ橋を架けていくための、地道で、泥臭くて、現実的な設計図を求めているんだ。

Permalink |記事への反応(1) | 10:51

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2025-09-20

やっぱり、本当にやりたいことがあるなら人は2時間睡眠くらいでやらなきゃいけないんだなあ

Vtuber医者の両立。

そもそも人生ライフステージが違うわな。

ワークライフバランスかいうけど

本当にやりたいことがあるなら

そんなバランスに気を取られてはいけないってことだ

結局精神論根性論は正しいし、自己責任をくぐり抜けて生き残ったものけが

特権享受できるんだよなあ

Permalink |記事への反応(0) | 06:31

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2025-09-16

anond:20250916130926

海に散骨すれば海と同化できる、みたいな精神論に思えた…

クロールしたいならお金を払って欲しいって感じだな

Permalink |記事への反応(1) | 23:12

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2025-09-10

はてなには、本当に肉体労働者が少ないんだなって思った

面白がって「残業キャンセル界隈」とか言ってる若者もいるが、頑張らないまま年を重ねると恐ろしいことに「頑張るチャンス」すらなくなる?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2600769

このまとめの反応を見て思ったけど肉体労働って2040代の内に頑張らないとどうにもならんのよ…

加齢と共に体力が落ちる、これには逆らい様がないから体力がある内にレガシーを築かないといけない

それは、技術会社内でのポジション人間関係であったり様々だけど、とにかく頑張るしかない、マジで

仕事が出来なくても頑張ってる(ように見える)人間ってのは可愛がられる

もちろん、心身壊すまで頑張る必要はない、これは大前提よ、でも、頑張らないといけないんよ

もう、精神論しか言ってないけどマジでそれしかない

今の季節の日中に外で仕事してみ、空調服は追い付かんよ、水冷服でも足りないよ、もう気合しかないんよ

暑いから仕事しなくていいってなったらそら嬉しいけど、給料が出ないっていうなら気合で働くしかない

頭脳労働だったら出来る人の1時間に出来ない人は8時間でも太刀打ち出来ないかもしれないけど肉体労働なら何とかなるんよ

技術系の熟練さが求められるようなもの頭脳系みたく何時間かかっても同じ仕事が出来ないということがあるけど

体力のある時に、ボチボチ仕事して技術中途半端、体力も衰え始めた中年マジで悲惨肉体労働を続けるのであれば、将来は真っ暗

一念発起して技術を身に着けようと思った時、体力が衰えたら習得若いころの何倍も時間がかかる

若くて体力があればさ、センスがなくてもひたすら反復することである程度まではイケる、その先には考える必要があるけど

中年になってからでは、そのある程度までいくのも大変になっちゃう、体力がないか

肉体労働は、たいていの場合やった仕事の量が見えるんだよね、だからあい仕事が遅いなとか仕事が雑だなってのが直ぐに分かっちゃう

その時、頑張っていない風に見えたらもうね、誰も助けてくれない、本当に

こういうことを書くと現場会社が終わってるや腐ってるって反応になるかもしれないけど、実際にそうなんだからしょうがない

ブクマカだって、綺麗ごと言うけど行動しない人やダブスタの人は嫌いでしょ?同じじゃないけど近い感覚なんだよ

仕事が遅く、頑張っていない風に見えた人が「いやー疲れたっすね」って言ったらもう「はっ?」って感じ

仕事が遅くとも頑張っているように見えたら「お疲れ、頑張ってんな、もう少しだぞ」みたいな感じよ

無能にとって頑張る(ように見せる)ことは生存戦略最後の砦なんよ

でね、これは無能に叩き込まなきゃいけない、お前の戦略はこれなんだぞと、無能が自らこの戦略にたどり着くことはあまりないと思う

世の中には、ナチュラルボーンの頑張り屋さんの無能という善人も存在するけど少数

無能は打算で頑張るんだよ、いくら綺麗ごとを言ったところであなたたちも無能の頑張らない屋さんを助ける?助けないでしょ

心身を壊すまで頑張る必要はない、強制してもいけない、でも、頑張ることを肯定する空気だけは残してくれよ

成果だけを見られたら無能に、居場所はない

ブクマカは上澄みが多いと思うし、頭脳労働が多いからあまり遭遇しないのかもしれないけど肉体労働無能の宝庫よ

お前、アイツの仕事の半分しか出来ていないか給料半分なって言われたら終わりやん、わしら

いいよ、「頑張らない」

でも、「頑張らない」は無能の救済とセットでお願いするよ

Permalink |記事への反応(3) | 21:43

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2025-09-09

anond:20250909130422

ケア概念は良くない。

人権思想(=過去社会的属性をわざと無視して他者平等存在として扱う思想)を下敷きにしているせいで、

人と人との助け合いが、コミュニティの形勢、コミュニケーション作法文化宗教的バイアス、見た目、経済的余裕……などなどさまざまな要因によってもたらせることを、

恣意的に取り落としている。

ケアするかどうかを、思いやりがあるかどうか、という精神論単純化してしまっている。

 

「女だからケアが多い」「男だからケアが少ない」なんて生物学二項対立に回収できる気がしてしまうのも、そのせいだ。

元増田が言ってるような分析社会的劣位だから助け合っているにすぎない)もそうだし

男の孤独死の件も、孤独死してるやつの経済状況=仕事能力コミュ力、が関係あるやろ(だから女でも同じになるやろ)、という当然の発想に至れない。

よくないよ。分析としてよくない。

Permalink |記事への反応(0) | 13:25

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2025-09-02

ゲーム会社って初手で入らないと一気に渋くなる印象ある

TRC対応とかマスターアップ作業経験とか適当に言ってるけど実際は体育会系感の強い精神論的なやつ

徹夜できる?みたいなやつ

ゲーム会社学歴評価せず、一律条件で入社してもらう事が多いですが、その後の実績、成果次第で同年代でも大きく給料が変わるパターンが多い業界だと思うので学歴重視したいなら別の業界がいいですね。https://t.co/WMSnfhNRKv— alwei (@aizen76)September 2, 2025

Permalink |記事への反応(0) | 13:03

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2025-09-01

無能上司ほどよく喋るしよく怒鳴るしよく指示を出すけれど結局何一つ責任は取らないし成果も残さな

部下に細かい報告を要求する割に自分本部数字を上げるだけで中身の説明はできない

会議では耳障りの良い言葉を並べるだけで議論を前に進める力はゼロ

それでいて自分経験豊富からとか現場を知っているからとか言い出して若手の意見を封じる

実際は時代についていけないだけなのに

そういう上司に限って成果を出した部下をねたんで評価を下げたり自分の功績に書き換えたりする

逆に失敗が起きれば誰よりも早く責任を部下に押し付け

そして飲み会ではなぜか説教を始めるが内容は精神論ばかりで誰も聞いていない

それでも会社年功序列の仕組みで彼らに高い給料を払い続けるから本当に馬鹿げていると思う

無能上司人生を振り回されるのは不条理すぎるしそういう人間がのうのうと生き残っていく限りこの国の生産性が上がることは絶対にない

Permalink |記事への反応(0) | 19:16

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2025-08-18

この20年、中国が発展して日本が廃れた、たったひとつ理由

竹中平蔵いるかいないか

もっと言えば、竹中的なマインド支配的かどうか

竹中的なマインドとは、一言で言えば「労働環境生活環境)の改善生産性に繋がる」という科学的な事実を死んでも認めない昭和信仰

そもそも昭和は今のインド中国並に生活環境も改善してたんだから、「昭和は苦しくても頑張れた」は嘘なんだけど、まずそこから認めようとしない神話に基づく精神論

 

中国には今のところ竹中平蔵のような非科学労働環境改悪論者は出てきていない

少なくとも当分は経済発展と共に幸せになり続けるだろう

一方の日本は、もはや竹中精神社会全体に浸透したマインドセットとなり、そもそも労働環境改善生産性向上と同義であるという前提を両側から無視した二元論支配である

すなわち『苦痛を伴う成長か、幸せな衰退か』という、海外にはない二者択一が右からも左から大前提として語られてしま

こうなったらもうおしまいだよね

 

いや、ほんと日本の子供はかわいそうだ

こんなバカな親世代が作った、幸せでも豊かでもない国を背負わされてしまうんだから

Permalink |記事への反応(32) | 06:12

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2025-08-08

anond:20250807181314

スポーツやってると頑張れって言われるときはもうあとは精神論的な根性を見せるしかない時、って理解してるし言う時もそういう意識で言っちゃう

めちゃくちゃつらいだろうけど相手もめちゃくちゃつらい、もうあとは最後に立ってるやつが勝つだけの気合勝負や!って感じ

具体的に言えるときちゃんと具体的に掛け声するわけだし

ああでも押されて負けそうなときも頑張れって言っちゃうかも(笑)

Permalink |記事への反応(0) | 08:21

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2025-08-03

8月2日放送ETV特集火垂るの墓高畑勲と7冊のノート」を観た。

https://www.ghibli.jp/info/013977/

番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑映画火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム幽霊)」という独自視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後カメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来目線をむける、その行為に何か深みを感じた。

F清太は何を思い出していたのか

この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。

そこに、F清太の俯瞰的視線意識してみると今度は、清太の個人物語を超え、より大きな歴史的文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家医師言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたか戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。

内なる他者=F清太は、自分自身過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタ存在であるはずだった私たちは、他者まなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身判断責任を静かにいかけられる。

番組では、作家綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活もっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用絵コンテを見る限り、水辺ののどか生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初希望に満ちていても、ゆっくり悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。

物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別位置づけをもった組織だ。通常の艦隊部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。

その連合艦隊所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争正義のものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。

そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代夜景へと転じ、物語最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。

もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的テーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタ視点からメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。

過去反省とは何か~語られない戦争経験

清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体責任回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子構造垣間見える。

しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後戦争記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外から価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本GHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代戦争を生きた記憶は、勝者の正義空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしま記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為進歩感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。

終戦直後小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。

また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかししまったとき自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。

同じことが、戦争記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代記憶

太平洋戦争末期を思春期青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代戦争記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれ世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感からさくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間反省するとき被害者側や左派論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史被害者記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争記憶の複雑さを物語る。

しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶封印によって社会戦争忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会忘却ダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。

宮崎駿監督作品との対比

火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたか番組では紹介されなかった。

同じ終戦前後少年内面を描いた宮崎作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑アプローチレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去存在出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲルテーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我対話承認責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグ宮崎アニメに特徴的だ。

これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。

高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者とき西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様王子特性主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。

<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。

高畑宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我他者との対話承認によって確立されるという弁証法的な構造物語組み込み言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。

君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙視線表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ

これは、<記憶を語らない>ことで選択拒否し、結果として空気に流されてしま私たち精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いか主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。

高畑手法小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ現在価値観民主主義人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込み邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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身に着けたら害になる知識

自分なりに知識って基本的習得すれば糧になるものとして捉えてたけど全てがそうってこともないよな

知識なかにトリビアなんかの「ムダ知識」とされるものも大量にあるけどそういうのはいつか役に立つかもってモンだし「害がある」とまでは言えないからそういうのは除外するとして

たとえば「ディベート」の技術って、なんか一時期もてはやされたけどアレって身に着けても益より害のほうが大きくない?

議論に勝つためのツールみたいになってて建設的な議論にとっては妨げにしかならない。

しかしたら本来ディベートはそういうものじゃないくてディベート技術も極めれば役に立つのかも知れないけど半端に習得してる人間が多すぎてディベート野郎はほぼ煙たがられる存在だよな。

なんていうか「小手先と」か「浅知恵」とされるものみたいな、そういう身に着けないほうがいい知識ってあるんじゃない?

芸術とかの領域になるとなんか技能習得時代遅れだったりして「妙な手癖がついた」とかいわれて矯正に多大な労力を要すみたいなことはありそう

それを矯正する過程が糧になるみたいな精神論くらいでしか役立たないよな

Permalink |記事への反応(1) | 01:46

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2025-07-28

anond:20250725105806

ふわっとした中身のない精神論プレゼンと、具体的内容まで踏み込んだプレゼンをふたつされて、前者のほうがちゃんとしてると判断ちゃうのってあるあるだよね

わかるわかる。

Permalink |記事への反応(0) | 10:58

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